精神の姿勢(&ベルク「ヴァイオリン協奏曲」)
クラシック音楽が大好きらしいドナルド・キーンさんが『レコード芸術』誌に12回ほどエッセイを寄せています(*1)。オペラへの洞察がほとんどで、愛好範囲のずっと狭い私にはとても太刀打ちできません。キーンさんが素晴らしい文学者だからオペラなのか、というと、どうもそうではないようです。キーンさんに言わせれば、音楽と文学は無関係ではないけれど間接的で交感的に結びついていることの方が多いのだそうですし、これはわたしもその通りだと思います。まあ、それはそれとして。
1975年にピエール・ブーレーズ録音のシェーンベルク『グレの歌』(※)がレコード・アカデミー賞をとったとき、シェーンベルク作品に否定的感情しか持てないキーンさんは、言いようのない悲しみに襲われた、としながらも、こんなふうに続けています。途中を飛ばし飛ばしでも長いのですが、趣意が漏れないように引いてみます。
「こうした二十世紀のもっとも名誉ある作品に対するわたしの否定的感情を知って、読者諸氏は失望し、わたしを救いようのない反動主義者だと思い込むだろう。・・・原則的に、わたしは、いかなる作曲家がいかなる方法で作曲しようとまったく自由であるとの考えを支持する。・・・ケージが、作品に『四分三十三秒』という題名をつけ、ピアニストにそれだけの時間、一音もたたかずにピアノの前に腰をおろしているよう指示しても、それは作曲家の特権というものだ。ただ、わたし自身はそんなコンサートを聴きにいこうとは思わないし・・・実は自分は反動主義者などではないということを証明するためにそのような音楽を賞賛しなければならないとも感じない。しかしながら、ケージやそれに類する作曲家たちに、わたしがもっと楽しめるような音楽を作曲させようと強制することには断固反対する。・・・わたしには、検閲はいかなる種類のものであれ嘆かわしいものに思われるが、とりわけ音楽の検閲は馬鹿馬鹿しい。原則的には、わたしは『グレの歌』とシェーンベルクが考案した十二音音楽を支持する。自分自身がそうした傾向の音楽に喜んで耳を傾けるような状況はまず想像できないにしても、そうした音楽を規制することや、それを楽しむことのできるいかなる人たちからもそれに接する機会を奪おうとするどんな企てにも反対するつもりだ。」
人間というものは自覚の有無にかかわらず自分の発言で周囲を規制します。とくにネットで活発に発言の応酬ができるようになったこんにち、<規制衝動>は国家や法令を超えて非常に汎社会的になってきています。そういうときに、キーンさんがもう40年前に示していた、このような精神の凛とした姿勢を、わたしたちはきちんと省みておのれを律し直す糧にしなければならない、と、強く思います。
近年なぜか音楽や音楽史の専門家のほうに「十二音音楽の登場をもってクラシック音楽は衰微ないし滅亡した」類いの発言をなさるかたが目につくのには、ほんとうに失望を覚えます。「わたしがもっと楽しめるような音楽を作曲させようと強制する」のが政治ではなくて市民たちであるがゆえに、楽しめるような音楽をめぐっても、つまらない事件が起きます。なぜまだこんなことどもで私たちは堂々巡りを演じなければならないのか。私たちが所詮はどこまでも愚かだから、というに尽きるのでしょう。
十二音音楽についても、その他のいわば伝統を脱しようと試みた作曲方法についても、私はそんなに知ることはありません。ただ、世代なのでしょう、キーンさんとは違って、そのような手段で作られた音楽にも,いくつか好むものはあります。
アルバン・ベルク(1885〜1935)の歌劇『ヴォツェック』(まだ十二音技法によるものではありません)全曲日本初演(1963年)を聴いた人の思い出話は聞かされたことがありまして、
「ぽつんと明かりの灯ったような最初の小さな音が、あっというまに渦になってぼくらを巻き込んでしまったんだ」
というようなお話でしたが、歌劇の方はもうひとつの『ルル』も含めグロテスクな翳りがあってどうしても世界に入り込めません。もともと劇的なものが私は苦手なのでしょう。
器楽は聴く方のイマジネーションを勝手に一人歩きさせられますので、拒絶感を抱くことがありません。
マノンという少女の早世を悼み、ある天使の思い出に Dem Andenken eines Engels との献辞を添えて作り上げられた「ヴァイオリン協奏曲」は、聴きやすくて好きな作品のひとつです。
十二音音楽〜十二音技法を用いて作られた音楽とはいっても、ベルクの器楽曲には従来の西洋音楽のもつ長調・短調の響きが随所にききとれます。それもそのはず、曲作りにあたって、骨組みを形作る音列を、ベルクは伝統的な和音を曲に乗せやすくするように注意深く選んでいるのです。
十二音技法はピアノの鍵盤でいうド・ド#・レ・レ#・ミ・ファ・ファ#・ソ#・ラ・ラ#・シの十二の音を、この順番のままにではなく、作曲者が自分のプランに基づいて並べ替え、それを音階替わりに「音列」というものにして、生まれた新しい音同士の関係を裏返しにしたり逆さまにしたり折り曲げたりしながら作曲をするので、使うためには熟練が必要なもののようです。発明者のシェーンベルクはこれを《互いに関連しあった十二音のみによる作曲》と名づけています。発明された当初からたくさんの批判を浴びたのですが、シェーンベルクは「矛盾した言い方だが、バッハこそ最初の十二音作曲家である」と述べたそうです(*2)。
ベルクが「ヴァイオリン協奏曲」を作るにあたって組み立てた音列は、もちろん師シェーンベルクの発明に則っているのですが,wikipediaの記述が分かりやすいので引きますと、
「最初の3音((1)~(3))は、ト短調の主和音を構成する。次の3音((3)~(5))はニ長調、その次((5)~(7))はイ短調、さらにその次((7)~(9))はホ長調の分散和音という具合である。そして最後の4音((9)~(12))が全音音階なのである。」(*3)
このように、まず骨組みが19世紀以前のヨーロッパ音楽に慣れた耳にも馴染みやすくなっています。
そしてまた、奇数番目にくる音(1、3、5、7番目)がヴァイオリンでなにも指をおさえないときに鳴る音(開放弦の音 G d a e)なのが面白いところです。
協奏曲の冒頭の独奏はこのG d a eを鳴らして始まりますので,ヴァイオリンを初めて手に取った人でも
「ベルクの協奏曲なら最初だけ弾けるよ!」
と自慢してふんぞり返れるわけです。
そんなジョークを許してくれるものの、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」は冒頭部を含めて「ふざけたもの」では決してありません。この最初の最初からたいへん美しい音楽です。そしてまた平明です。
音列が上のようであるからだけでなく、分かりやすく感じさせる要素はいくつもあって、途中にウィーンの古風なワルツ(レントラー)も登場しますし、rusticoと楽譜に記入した場所もオーストリア民謡風だし、ケルテルンという地方のものだそうですが Ein Vogel auf'm Zwetscengenbaum という民謡のメロディもはっきりと使用されていて、きわめつけは後半楽章の中盤が悲しみではちきれたところに忽然としてバッハのカンタータから引用したコラールが浮かび上がってくる(*4)。こんな<十二音音楽>は他にはちょっとありません。
「ドイツ精神の習性と化している、感覚的な軽侮に、ベルクは一切無縁であった。」(*5 39頁)
と、作曲の弟子だったことのあるアドルノが言っています。
この作品の分かりやすさには、ベルクにしてみれば、この作品を聴くことになるだろうたくさんの人たちをなど全然前提にしてはいない気がします。ベルクを支配していたのは、たぶん作品を捧げた亡き少女マノンへのやさしい思いだけったのでしょう。
「総じて、彼の【長調短調の世界からそれに無関係な響きへの】移行の技法が、両義性をもつ媒介が、衝撃をやわらげている。【けれども、やわらげられたことによって】聴衆がはたして彼に対しては、シェーンベルクや【兄弟弟子の】ウェーベルン【に対して】よりも、さしあたりはるかに好意的な態度をしめしたことは、彼にとっては苦々しいかぎりであった。」(*5 20頁)
これを最後の完成作として亡くなってしまったためベルク自身が「ヴァイオリン協奏曲」上演をじかに目にすることはなかったのですが、もし目にしたらやはり「苦々しいかぎり」な顔をしたのかもしれません。なんといっても彼は「組織された大衆にとって笑い事ではすまされぬ逆鱗にふれていく」(*5 18頁)内容と響きをもつ歌劇『ルル』の作曲家なのですから(*6)。
この協奏曲はアメリカのヴァイオリン奏者クラスナーに頼まれて、歌劇『ルル』を進めたかった当時のベルクは初めしぶしぶ作曲をはじめたもののようですが、可愛がっていた少女マノン(アルマ・マーラーの再婚後の娘)が19歳で急死した悲しみから本格的にとりかかることを決意したといわれています。
引用したバッハのコラール(旋律の作曲者はヨーハン・ルードルフ・アーレ【1625〜1673】)は「充分です、では受け入れて下さい、主よ、わが魂を Es ist genung, so nimm, Herr, meiner geist」というもので、その最初の4つの音が「ヴァイオリン協奏曲」でベルクが採用した音列の最後の4音と同じものになっています。
ベルクは自筆譜に、対応する第5節の歌詞を書き入れています。
http://music-hongou.art.coocan.jp/audio/6-23Choral.mp3
バッハ:カンタータ「おお永遠なる神、轟く言葉よ」BWV60 終曲
Nicolaus Harnoncourt-Tölyer Knabenchor, Concentus musicus Wien
Es ist genung;
Herr, wenn es dir gefällt,
So spanne mich doch aus!
Mein Jesus kommt;
Nun gute Nacht, o Welt!
Ich fahr ins Himmelshaus,
Ich Fahre sicher hin mit Frieden,
Mein großer Jammer bleibt danieden.
Es ist genung.
訳は省略します。気に入った訳にめぐりあっていないのですが、では自分でふさわしく訳せるか、となると、まったく自信がありません。
初演者クラスナー氏にこの曲の指導を乞いにいった諏訪内晶子さんの演奏
http://www.youtube.com/watch?v=5tBehucruv8
http://www.youtube.com/watch?v=7Ejfak_tSDg
兄弟弟子ウェーベルンが指揮した演奏の抜粋(CDになっています)
http://www.youtube.com/watch?v=gKO-GKUgDXw
CD:http://www.amazon.co.jp/dp/B00004ULAL/
※ ただし『グレの歌』はまだ十二音技法による音楽ではなかったと思います・・・
*1:ドナルド・キーン「私の好きなレコード」、『ドナルド・キーン著作集第八巻 碧い眼の太郎冠者』(新潮社 2013年)所収 初出1975〜76年 引用は著作集第八巻の549〜561頁から
http://www.amazon.co.jp/dp/4106471086/
*2:エーベルハルト・フライターク『シェーンベルク』宮川尚理訳 音楽之友社1998年、158頁
http://www.amazon.co.jp/dp/4276221641/
*4:画像が粗悪で恐縮ですが,バッハのカンタータ(BWV60)終曲のコラールから引用したものであることは、ベルクが自筆譜に明記しています。
*5:テーオドール・W・アドルノ『アルバン・ベルク 極微なる移行の巨匠』平野嘉彦訳 叢書・ウニベルシタス 125、法政大学出版会 1983年 引用した部分のある「音調」は1955年発表
http://www.amazon.co.jp/dp/4588001256/
*6:歌劇『ルル』のwikipedia記事 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AB_%28%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9%29
なお、アドルノの表現では
「『ルル』の音楽が彼【『人倫と犯罪』の著者クラウス】に謝意を述べるのは、市民的タブーによる性愛の蔑視にむけたれたクラウスの批判を、ひそかに動機づけているユートピアの名においてである。」(*5 18頁)
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