2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

マジ

2009年5月30日 (土)

小さい悲しみ

・・・と、言ってしまっていいのかどうか。
どちらも、息子にとっての悲しみ。

ひとつめは、僕と2人でよく行っていたラーメン屋さんが無くなっていたこと。
花を買いに行って気がついた。花屋さんの裏にあったのだ。
息子の大のお気に入りだったし、おばさんも優しかったから、どうしちゃったんだろうと思って、慌ててすっ飛んで、せめて貼紙がないかどうか見に行ったら、16日に、立ち退きを余儀なくされて閉店した旨、小さく書かれていた。息子に教えたら、声がなかった。

ふたつめは、息子が小瓶に4匹飼っていた小エビのうち、1匹だけ「エビス」と名前をつけて可愛がっていたやつが、共食いの犠牲になっていたこと。
あんまりがっかりしているので、息子に勧めて、ピンセットで残った体をつまみ出させてティッシュにくるませて、二人で近くの植え込みまで埋葬してやりに行った。まだ9時頃で、マンションや家々の灯りがいっぱいついていた。
それを眺めながら息子が訥々と曰く、
「道徳の教科書にね、ウチの灯りを見るとあったかい気持ちになるって描いていた人がいたけど、僕はそうは思わないんだ」
「どうしてかな」
「うーん、わかんないんだけどね」
「じゃあ、あったかい気持ちになる人は、どうしてあったかいって思うの?」
「家族がいるから、だってさ」
「じゃあさあ、あんたは、帰って来て、自分で灯りつけて、姉ちゃんやおとうさんが帰ってくるまでひとりでいるだろう? その人とは違うもんね。でも、あったかい、って思うひとが、本当に幸せなのかなあ。おとうさんは、違うと思うよ。家族がいない寂しさも知っているほうが、自分のなかから光を出してあったかくなる力が持てるかもしれないじゃないか。そのほうがずっと幸せだと思うよ。おとうさんは、あんたが自分の中から光を出してるって、分かってるから。大丈夫、そういう人は、みんなから守られるんだ。エビスも、これからずっと、あんたのこと守ってくれるんだよ」
・・・僕に言えた、せめてもの慰め。

2009年4月29日 (水)

どぶ川の生き物

息子と二人で、昼下がりのどぶ川のまわりをぐるっと歩いた。

下水を流す人工の悪水だから、全然いい眺めではない。
とにかくきたない。
今日は天気も良く、気温が上がって来たせいか、匂いもキツい。
最初、慣れていない僕の方は、気持ちが悪くなってしまった。

でも、思いのほか、ここにはいのちが溢れている。

学校とウチの間を流れているので、息子は毎日下校のときに、このどぶ川をじっくり眺めて帰ってくるらしく、いのちのありかについて、ずいぶんと詳しい。なので、案内してもらった。

息子が
「今日はこの辺に亀がいるかなあ」
とぼそっとつぶやくと、見おろせばそこにはでっかいミドリガメが、本当にいる。
「今日はここは浅すぎるからいないかも」
と言われると、本当にそこには、なにもいない。

ミドリガメは、二匹発見したが、いずれも一抱えはあるかという大きさで、顔付きが結構老けている。
その近くの草むらには、亀ほど大きくはないがやっぱりでっかいカエルがひそんでいた。
夏になるとウシガエルがうるさいところなので、ウシガエルなのだろうか、と思うのだが、それにしては色が黒すぎる。かといって、ヒキガエルにしては、大きすぎるのである。
これがまた二匹いた。

水草のあいだに隠れているだろう小魚を狙って、鴨が一羽泳ぎ回っていた。

「うわ、珍しいもんを見た」
息子が声を上げたのは、鯉の群れだった。
大きいのが集まってふたつばかりの群れを作っていて、そのあいだには一匹だけ、それから大きな群れのあとにはまた、小振りな二匹が、どぶ川の上流目指して泳いで行く。

五月五日の端午の節句を前に、鯉の滝登りならぬ、どぶ川のぼりをみたのであった。

「ここでさ」
と、訥弁の息子が、訥弁なりに一生懸命説明してくれたのだけれど、訥弁のまま字にしても意味不明になるので、息子はこんなに器用に喋ったのではないことだけは断っておかなくちゃならない。

「ここでさ、鯉の死骸を見たんだ。何日も見続けたんだ。最初は死骸なんてビックリするよ。けど、どう変わって行くのか、観察した。最初はしっぽの方から腐って行って、最後の頃は、アタマと、胴体が四分の一、いや、五分の一くらいかなあ・・・残って、次に見てみた時には、バラバラになっちゃってた。」
「いいものをみたな」
「うん」
・・・もちろん、きれいなもの、トクした気分になるもの、そういう「いいもの」を見た、という意味ではないのは、僕と息子とのあいだでは了解し合えていたと思う。
いのちが、次にはどんなふうにして生まれ変わるもとになるのかを、息子がしっかり見つめようとしたことが、嬉しかった。
ゲテモノ見たさに見ていたわけでないことは、別の日には、蛙の死骸を見つけた息子が、どぶ川の脇に儲けてある植栽のあいだに、こっそり埋めてやっているのだから、信頼しておいていいだろう。

息子と僕とで、その、カエルを埋めたところ・・・目印に小枝を立ててあった・・・まで戻って行って、手をあわせて帰って来た。

2009年4月27日 (月)

ぶたいんふるえんざ

わたしは、ぶたではない。