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2015年5月 6日 (水)

浪人して、Ave verum corpsに出会う。

高3の時は、ジュニアオーケストラはお休みしました。

高校の理数科というところに通っていましたが、文科系に進むことには父が反対なのが目に見えていましたので、そうしたのでした。
大学には進学したくて、それも文系希望でした。音楽を職業としてやりたい、だなんてとんでもない話で、ピアノはとうとう習えませんでしたから、断念せざるを得ませんでした。まあ、断念していなくたって、どの程度の馬の骨になっていたでしょうかしら。
とにかく将来を思うと胸はぐらぐらで定まらず、勉強もどこか上の空で、当時まだあった国立二期校をハナから受験せず、一期校は見事に不合格で、一浪することになりました。

浪人中も真面目に勉強していたかどうか。
浪人と同時にオーケストラに戻って、またバイオリンなんぞ弾いていたのでしたから。

行っていなかった一年の間に、かのジュニアオーケストラは何かあったらしくて、戻ってみたら体制が変わっていました。
指導して下さっていた岡崎先生のお顔も見えなくなり、練習指揮をしていた桑村さんというかたもいらっしゃらなくなっていました。仙台一高だの宮城一女だのから大勢来ていたメンバーはみんな別の高校の生徒たちに入れ替わっていて、指揮も私立高校の若い男性音楽教師になっていました。この人と、大学になってから知り合って連れて行ったもう一人には、僕は翌々年疎んじられるようになって、ある日突然座る席が無くなってしまうことになります。その後この団体の後継の人たちにもどんなふうに言われたのだったか、僕は良く思われなくなったようで、数年後にはこの団体にはもう行けなくなってしまいました。
が、まだあとのことです。
浪人当時は、ここに行けることが天国でした。

夏の演奏会では、ベートーヴェンの「レオノーレ序曲第3番」とカバレフスキー「道化師」、シューベルトの「未完成」をやったのではなかったかな。ハチャトリァンの「ガイーヌ」のレスギンカを恥ずかしくなるほどのスローテンポでやった記憶もごちゃごちゃに混じっていますが、このときだったかどうか。

嬉しかったのは、体制の変わったこの団体が「クリスマスコンサート」なるものをやるようになっていて(ミッション系の女子校の生徒をたくさん団員にし、そこの指導の先生も協力するようになったからだったのでしょう)、冬にミサ曲の演奏も経験出来るようになったことでした。
大学の試験前でありながら、12月にはこのクリスマスコンサートに参加させてもらって、シューベルトのト長調のミサ曲(第2番)を演奏しました。18歳で作った、とても美しいミサ曲です。

このときのアンコールでモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス(K.618)」を演奏することになりました。
シューベルトのミサ曲も感動ものだったのですが、初めて合唱と一緒に弾いた時、モーツァルトのこの小さな作品に、大きな衝撃を受けたのでした。
それを、どう言葉にしていいか、いまになってもよく分かりません。音の静かな漂いについては、とくに何も言えません。

Mozartbook 詞の方については、少しおしゃべりのネタがあります。
どうしてそう思ったのか説明がつかないのですが、うむ、この歌は歌詞とぴったりに出来ているに違いない、と、すぐ確信したのでした。ラテン語なんて分かりませんから、歌詞がどんなかも分かりません。でも間違いないはずだ、と信じたのでした。
それで、駅前の大きな書店で、他にはない専門書も置いていた一番町の丸善に、自転車で出かけて行って、ラテン語の辞典を探しました。高価で、浪人生なんぞにはとても買えませんでした。仕方がないので出直して、Ave verum corpusの詞を楽譜からメモに書き写してポケットに忍ばせて、丸善の店員さんに見つからないように、ドキドキしながら、店頭でラテン語の辞書を引きました。語尾が変化する仕組みだなんてまだまったく知りませんでしたので、おおよその見当で意味を突き詰めたのでしたが、後年翻訳を見つけて読んだら、ありがたいことに、ほぼあっていました。
こんなことがあったので、Ave verum corpusの詞は40年近くたった今でも、わりと思い出すことが出来ます。

立ち読み辞書引きをしたあとから、モーツァルト叢書と称して出たモーツァルト関係の論文の中に、調べるまでもなくAve verum corpusについて詳しく説明されたものがあるのを見つけたことがありました。でも、先にそれを読んでしまっていなくて本当に良かったと感じています。説明文を何も読まぬうちに七転八倒して調べたことが、曲に直に接する大切さを身にしみさせてくれたのではないか、と思うからです。

Ave verum corpus, natum de Maria virgine
vere passum, immolatum in cruce pro homine.
quius latus perforatum unda fluxit et sanguine,
esto nobis praegustatum in mortis examine.

処女懐胎で生まれたイエスという肉体が、人類の原罪をあがなうため十字架にかかり、槍で突かれた脇腹から水と血を流した、なる聖体の賛美と拝領の意義を歌ったモテットです。
分かりやすい訳がこちらのサイトにありますが、Mozartの使っている詞では若干語彙や語順の違うところがあります。
http://www2.odn.ne.jp/row/sub2/seika/seika_02.htm

モーツァルトは、死病の父に送った慰めの手紙にこう書いたことが有名ですね。

「死は(厳密にいえば)ぼくらの人生の最終目標ですから、ぼくはこの数年来、この人間の真の最上の友とすっかり慣れ親しんでいました。その結果、死の姿はいつのまにかぼくには少しも恐ろしくなくなったばかりか、大いに心を安め、慰めてくれるものとなりました! そして、死こそぼくらの真の幸福の鍵だと知る機会を与えてくれたことを(ぼくの言う意味はお分かりですね)神に感謝しています。−−−−−ぼくは(まだ若いとはいえ)ひょっとしたらあすはもうこの世にはいないかもしれないと考えずに床につくことはありません。」(1787年4月4日付け。西川尚生訳。『モーツァルト』p.163 http://www.amazon.co.jp/dp/4276221749/)

レクイエムの尋常ではない作曲経緯もあり、父へのこの書簡のイメージもあり、詞の最終節でイエスの聖体に向かって「私たちの死の試練の先触れであって下さい」みたいなことが言われているAve verum corpusも、当然のように「死」と強く結びつけられ、命の火の消えんとするモーツァルトの清澄な世界が描かれている、との印象で語られることが常になっています(YouTubeにそんな映像例がありました https://youtu.be/G52Rs5CQfug)。
たしかに彼の死の年である1791年の、あと半年で死ぬというときに書かれた作品ではありますが、実際に分かっているのは、この作品がバーデンで身重の妻を援助してくれたシュトルという法律顧問の人物にお礼として書かれた、ということだけで、この事実からだと、「死」と過剰に結びつけることは、むしろよろしくないと思われます。
この作品がモーツァルトの自筆譜に記された作曲の日の6月18日は日曜日ですけれど(http://park.geocities.jp/okugesan_com2/gengoichiran130.htm)、カトリックと聖公会では6月の三位一体主日直後の木曜日に「キリストの聖体日」があり、これが地域によっては日曜日に祝われるのだそうですから、バーデンが日曜日にこの日を祝う習慣のある地域かどうかは分かりませんが、Ave verum corpusは明らかにこの日のための機会的作品以上のものではありません。

とはいっても、清らかな響きを聴かされると、「死と浄化」ではないけれど、どうしても「死」は強く連想されるもので、仕方ないことではあるのかもしれません。

僕自身は、Ave verum corpusを初めて演奏した浪人時代の12月から28年もあとのことですけれど、家内を亡くしたときに、清らかな音というか声というか、そんなものを聴く、という奇妙な体験をしました。
家内は年末に急に心臓を病んで倒れてそのまま死んでしまったのでしたが、遺体を3日家に置いたあと、葬儀の前日に暗くて狭い霊安室に納めなくてはならず、可哀想に思っていました。そうしたら、翌朝早く、目が覚めてぼんやり横になっていた僕の耳に、なんだか声ではない、うまくたとえられませんけれど、ガラスが話しているような透明な音で、
「見える? 見えるよ。外、見えるよ」
と三言、はっきりささやきかけられたのでした。
びっくりして飛び起きました。
誰もいませんでした。
夢に過ぎなかったのでしょうか。

・・・脱線してしまいました。


https://youtu.be/bV1dfg3goUo

Berliner Philharmoniker, Riccardo Muti, Stockholm Chamber Choir & Swedish Radio Choir

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