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2015年2月 8日 (日)

ヴァイオリンはむずかしく音楽はもっとむずかしかった(私にとっては!):ブラームス ヴァイオリンソナタ第1番

Zap2_g2504383w私はいまアマチュアオーケストラでヴァイオリンを弾き続けている訳ですが、とりたててヴァイオリンが好みだと思ったことは、じつはありません。ですのでヴァイオリンの独奏曲はあまり知りません。興味の主体があくまでオーケストラだったからなんでしょう。

習い始めた小学5年生のときは先生も自分で見つけてきたりしたのですが、その先生があまり好きになれず、中学1年生でブラスバンドでホルンに夢中になったときやめてしまいました。先生についたのはこの3年間だけでした。

中2でブラスバンドのない新設校に転校になって、半ばは仕方なくヴァイオリンだけが自分の慰めになったのでしたが、習いに通うのはやめてしまっていたので、先生はもっぱらテレビの中でした。ヴァイオリンの習い初めと同時に見始めていた「バイオリンのおけいこ」という番組が教育テレビにあり、江藤俊哉さんが出てくるのでしたが、なんかかわったオッサンだ、と思いながらも説明が面白くてずっと見ていました。直に教わるには精神的にも距離的にも遠すぎる存在でしたけれど、独学の友としてテレビの江藤先生はいい先生でした。ひとりよがりになるのが定番の独学で、後年とくに大学時代は先輩にいろいろ叱られることばかりだったのですけれど、そんなときどうすればいいかを考えるよすがになるお話をテレビの中の江藤さんがして下さっていた、と思い出せるのは、ありがたいことでした。
年度始めの放送では楽器を構える姿勢を説明して下さるのでしたが、それがいちばん忘れがたく、あのときどういうお話だったか、を今になっても考えます。今時点でたどり着いているところだけ、ちょっと記してみます。

ヴァイオリンは右手左手ともどうやって弓や楽器を自然に扱えるようにするか、の感覚をつかむまでが難しいものだと思っています。

それで忘れられないのは、習いに行くことになって、まだ楽器が手元に届く前に、テレビで見た説明をノートに書いて、割り箸1本をいつも持ち歩いて弓に見立てて、たとえば床屋さんで髪を切ってもらっている間にも、エプロンに覆われた陰でずっと弓の持ち方の練習をしていたことです。ヴァイオリンをなさる方はご存知のように、弓は「持つ」というより、せいぜい引力で指先の肉の枕と触れることで引き合っている程度(引力が重力とは違って水平にも働いてくれないと困るところが文字通り困ることもあるのですが)にしておくのですけれど、割り箸練習のおかげで、これだけはわりと後々まで困らない程度には早く慣れたのでした。

それから、こちらは放送からだけでは思いつくのが難しかったのですけれど、左の、楽器の保持(肩当て不要)については、ヴァイオリン弾きさんは厚手のヴィオラを最初は肩当て付きで弾くのに慣れて、肩当てが高すぎるのを感じられるようになったら肩当てを外して弾いてみると、肩当てなしの感覚がいちばん自然に分かります。ヴァイオリンも肩当てなしで構えられるようになります。・・・こんなプロセスでの練習はなかなか出来ない(ヴァイオリンとヴィオラを交互に演奏する機会がないとむずかしい)のですけれど、自然な保持が出来ないうちに肩当てなしという無謀をやると左手の自由さが身に付かないまま終わったりしますし、かとって肩当てを低くしていくとかスポンジのような緩衝材で薄くしていくとかいう方式は、肩と楽器の間に何かを挟まなければならないとの依存心を消すのを非常に困難にしますから、本当は「楽器の位置が自分にとって高すぎる」とはどんなことか、を、大きいヴィオラできちんと実感するのが最良なのではないかと思っています(ヴィオラに縁が作れない場合は、カタい下駄のような、なるべく柔軟性のない「高すぎる」肩当てを使って弾いてアゴや口が痛むのを実感して、それではいけない、と肩当てなしで弾いてみる、というプロセスがいいのかも知れません・・・私は経験はないのですが)。
まあたったこれだけのところにいたるまで、思えば四十数年かかったんだから、あたしなんざほんとにたいしたことない、と苦笑いが漏れてしまいます。
でも、ソロ志向でなければ、ああいういい番組でいい先生が教えていらっしゃる様子を見ることでも、非常によい勉強と経験が出来ると強く思います。江藤先生の「バイオリンのおけいこ」は、弾き続け考え続ける上で私の心の大きな財産でした。アマチュアのためには、ああいう番組が復活してくれたらいいなあ。

雑談のネタ曲をまだ中学の頃の思い出から探しているのですけれど、当時週1回のテレビの「おけいこ」を頼りにしていて知ったヴァイオリンの曲は、興味が薄かっただけにあまりないのです。でもいちおうヴァイオリンの雑談をしておきたいので、曲ネタはあえて大学時代まで飛びます。

大学オケに入れてもらえて、万年その他大勢で弾けることになったのでしたが、なんと、テレビでしか知らなかった江藤さんが私たちと共演して下さることになったのです。1年の冬にベートーヴェンの、4年の冬にブラームスの協奏曲をご一緒出来たのでした。社会人になったあともういちどチャンスがあって、そのときはご夫婦でモーツァルトの協奏交響曲をお弾きになりました。
なかでもベートーヴェンは衝撃でした。
前もどこかで言ったことがあるのですけれど、ステージリハーサルのとき、江藤さんの弾く音がホールのどこに芯が当たって、そこから反射して返ってくるのが・・・奇妙にお思いになるかも知れませんが・・・ちゃんと目で見えたのです。あ、見えた、と、仰天しました。物理的には説明出来っこありません。耳の捉えたことが目に錯覚をおこさせたと言うことだったのでしょう。
どうしてこれだけ芯のある音が出せるのか、自分にも出せるのか、と、それから数年真面目に悩むことになりました。で、ヴァイオリンの衝撃の話にはいろいろ続きや発展系があるので、それはまたいずれにしますが、ともあれこのときはまず江藤さんのレコードを探して、見つけたのが、ブラームスのヴァイオリンソナタのうちの1番と3番のLPです。

どちらも魅力的なロマン派の名曲ですが、私はとりわけ1番が好きになりました。
それで江藤さん以外もいろんな演奏をあとで聴いてみたのでしたが、いまになっても江藤さんよりいい演奏だと思うものには巡り会えずじまいです。
芯をしっかりもった素晴らしいヴァイオリン奏者は、昔も今もたくさんいるのです。江藤さんの専売特許なんかではありません。では何が「これは良い」と聴き手が唸るかそうでないかの違いを生み出すのでしょう。
ブラームスのソナタにおいて、江藤さんの演奏は起伏のすべてを最大限楽譜から読み取り、音の造形をなさっています。ディナミーク(pやf、クレッシェンドやディミヌエンド)テンポの揺れ動きだけでなく、音が上にあがること下にさがることにも、作曲家は音に醸し出してほしい起伏をこまごまと書き込んでいるものですけれど、とくに最後の音の上下については演奏者は大げさにやり過ぎることがあり、それだと曲が破綻します。破綻が怖いと逆に音の階段が隠し持っている起伏については無視しがちになります。起伏を薄めにしたものではフルトヴェングラー時代にウィーンフィルのコンサートマスターだったヴォルフガング・シュナイダーハン(1915〜2002)の演奏がひとつの規範例ではないかと思いますが、江藤さんの演奏は起伏を大きくとったギリギリの例として最右翼かも知れません。

江藤さんの演奏の、第1楽章の冒頭部を参考のために引いておきます。伴奏のウィリアム・マセロウさんもたいへん素晴らしいと思います。
(1977年録音。「江藤俊哉の芸術〜RCAソロ・レコーディング集成」から。 SICC-1396-9

http://music-hongou.art.coocan.jp/audio/Brahms1-eto.mp3

とくにロマン派後期曲やその演奏については情緒の幅の大きすぎることが次世代の音楽家たちに忌避されることになったのでしたが、ロマン派後期まっただ中の作曲家、それを受け継いだ演奏家さんたちは、描いている「情緒」とは日常世界のものとは異なっているのだ、と冷静に理解していたのではないか、と、最近は思っております。
1878年に作り始められたブラームスの第1番のヴァイオリンソナタ(第1番でありながら実は6番目のヴァイオリンソナタだったそうです。これ以前のものはしかし自己批判の厳しかったブラームスが破棄したとのこと)は、彼がそのようなことを充分理解していたために、10年後に仕上げた第3番ほどにはあれこれ盛り込まず控えめに仕上げた作品になっています。これは、あとでかかげるクララ・シューマンの感動を呼び覚ますべく、シナリオを周到に用意したからかも知れません。

作曲の動機自体は、愛するクララと尊敬するシューマンとの間に生まれていた末息子のフェリックスが重病に陥ったのを慰めるためだったようですが(昔の曲目解説にはこの話が登場しないので、最近明らかになったのでしょうか?)、フェリックスは残念ながら翌79年には25歳の若さで亡くなっています。
最初の2つの楽章は一気に書かれたと見え、第1楽章の終止線は勢いよく書いた弾みで次の第2楽章最初のページにまではみ出しています(ファクシミリからとった写真参照・・・ガラケーの粗悪写真でスミマセン)。

2015020710170000

出版がらみで写譜屋さんに草稿をあずけていた関係で、第3楽章は別個に書かれたらしく、ページナンバーが改めて1から始まり、楽器名がまた新たに記されています。末尾にはJuni 79(1879年6月)のサインがあります。
最後の第3楽章に自身の歌曲「雨の歌」を用いているので有名ですけれど、3つの楽章ともそこはかとなく悲しげでありながら穏やかです。全体が「雨の歌」冒頭の柔らかな付点リズムを統一モチーフにして緊密につながりあっていることも、作品を馴染みやすいものにしてくれています。
完成ののちブラームスからこの曲の複製譜を送られたクララ・シューマンは、79年7月10日、ブラームスに宛ててこんなふうに書いているそうです。

「最初のデリケートでチャーミングな楽章と第2楽章を聴いたあと、さらにまた、第3楽章で、私の大好きなメロディが心を奪う身震いで現れるのを知ったときの、私のおおきなよろこびを、どうぞ想像してみて下さい。」

自筆譜ファクシミリはドイツのLaaberから2013年に出ました。
ISBN 978-3-89007-762-8

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