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2014年11月15日 (土)

「母」が作った?~「水上の音楽」

音楽を聴くのはせっかく好きになったのに、小学校の音楽の授業は大嫌いでした。
小6のとき、体が浮くので距離だけは泳げたものですから、補欠でも水泳の選手になりたかったし、体育の先生も「いいよ」と言ってくれていたのにもかかわらず、音楽の先生に無理やり合唱団員にさせられました。親にも頼み込んで断ってもらおうと必死でした。でもダメでした。
冗談でなくボールみたいにぱんぱんに丸い体に、へそ代わりに小さな頭が付いたような、ひげまではえていそうなにくにくしい先生で、女性でしたがだみ声で、他の先生に向かって
「これでも昔はソプラノの美声だったんだよ」
と言っていましたが、子供心に冗談じゃねぇやと思っていました。
合唱をやってもやる気がないので、歩くときもたらたら歩いていて
「もっと胸をピンとはって、膝カクカクして歩かないで!」
とかなんとか、叱られまくりました。
それでも合唱の指導にもう一人若くて奇麗で優しい先生がいて、授業なんかではお世話になれないので、合唱のときその先生に会えるのだけが楽しみで、なんとか辛抱したのでした。

1748handelbyhudson0475 音楽室なるところに入ったのはこの合唱があったからこそで、授業は普通の教室だったのでした。
この音楽室には、作曲家なる人たちの肖像画がズラリと貼ってあったのでした。
ベートーヴェンくらいはその前から知っていたのですが、バッハとかヘンデルとかいう人たちの顔は音楽室で覚えました。
バッハは「音楽の父」と呼ばれるのだ、ともきかされました。
で、ヘンデルが「音楽の母」なんだ、と教えられました。

それでヘンデルは女の人なんだろう、と、しばらく信じていました。

え? 男なんですか? 男なんですね。わお。

音楽室の肖像画で見るふさふさの髪は、しかもカツラなのでした。
カツラをとったツルツル坊主頭の肖像画をだいぶあとに見たときには、びっくり仰天しましたっけ。

「母」はどんな音楽を作ったのでしょう。「父」よりもずっと興味がありました。

Handel_sculpture_roubiliac で、ラジオでだったと思うのですが、「母」の作った『水上の音楽』を聴きました。
ホルンがいいフシをたくさん吹くのを聴いて、ああ、ホルンもいいなあ、と、思ったのでした。
せっかく人数が多そうだからとヴァイオリンを始めていたのですが、地元には当時、子供が入れるオーケストラなんてありませんでした。中学に入ればブラスバンドはあるのです。そこにはホルンもありました。よし、じゃあホルンだ、と方針転換したのは『水上の音楽』のせいでした。

ただし、ホルンが真っ先に印象に残ったくらいでしたから、小学生の私の聴いた『水上の音楽』はオリジナルではありませんでした。ハーティ版といわれる、20世紀初頭のイギリスの名指揮者ハミルトン・ハーティ(1879~1941)が編曲したものです。

バロック、という区分が音楽にあることを、私たちは長いこと知りませんでした。16世紀末から18世紀初頭までという比較的長い期間の、そのまっただ中にいた人たちだって、まあそんなことは知らなかったでしょう。まっただ中の人たちには、括る呼び名など必要のない、「いまこのとき」の音楽だったのですから。
けれども演奏の様式は生き物で、音楽の書き方も時間とともになだらかに変わり、どちらもそれらが生まれたときの人々には想像もつかなかった方向へ、遠く離れて行きます。後年バロックと呼ばれることになった音楽たちは、楽譜は残っていても、どう演奏されたのかは、最後の時期のそれが生まれたころから100年もたつと、すっかり忘れられてしまいました。

ヘンデルの代表作であるオラトリオ『メサイア』は19世紀のあいだも絶えることなく演奏される人気作品であり続けた点で、バロック期の作品としては例外的です。しかも『メサイア』はモーツァルトが編曲したことも有名です。ヘンデルの死からわずか27年後になされているこのモーツァルト編曲は、けれども既にオリジナルとはだいぶ異なった響きがします。モーツァルトが活動したオーストリアと『メサイア』の生まれたイギリスとの楽器環境の違いもあったのでしょうが、様式の変貌速度もけっこう早かったのではないでしょうか。古典派時代以降の編成肥大化の影響は『メサイア』演奏にも顕著に見られ、19世紀中葉には数百人の合唱で演じられるまでになったことが知られています。
大規模化する演奏様式に順応して演奏され続けたヘンデルは、他のバロック期作曲家の作品が復元されるときに、それらが大規模編成化することへの敷居を低くする役割を果たしたかも知ません。

ハーティ版『水上の音楽』も、後日オリジナルを知ったあとでは、ずいぶん大編成化されたものであることが分かります。ヘンデルは管楽器はオーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット各2本を用いただけでしたが、ハーティはこれにフルート2本、クラリネット2本と打楽器としてティンパニを加え、ホルンは4本に増強したのでした。

なおかつ、ただ大編成にしたばかりではなく、オリジナルに大幅な改変も施しています。

ヘンデルのオリジナルは19曲ですが、ハーティーが採用したのはそのうちの5曲と半分です(うちひとつはオリジナルの第3曲を分割して使用)。対応を記しますと、
ハーティ1曲目~オリジナル、ヘ長調組曲3曲目主部
ハーティ2曲目~オリジナル、ヘ長調組曲5曲目+同6曲目トリオ
ハーティ3曲目~オリジナル、ヘ長調組曲7曲目
ハーティ4曲目~オリジナル、ヘ長調組曲8曲目
ハーティ5曲目~オリジナル、ヘ長調組曲3曲目中間部
ハーティ6曲目~オリジナル、ニ長調組曲2曲目
ハーティ版の冒頭に置かれた曲はホルンが増強されたことでずっと分厚い音になっています。そしてまた、ヘンデルのオリジナルではホルンに軽やかなトリルを奏でさせていたのですけれど、ハーティ版ではホルンはトリルをかけるには体が重くなりすぎた風情になってしまっています。
ハーティ版の2曲目や5曲目は内声部の音の流れを大幅に変えて、まるで19世紀ロマン派のような情緒連綿たる表情が与えられたりしています。

それでも全体を分厚く重くするだけが能ではなかったところが、ハーティ版に独自の価値を与えています。
3曲目(オリジナル7曲目)はオリジナルの管楽器を省いて弦楽合奏に仕立て、4曲目は繰り返される部分を最初はまず木管楽器だけに奏でさせたりして、連綿体使用の2曲目5曲目のあいだに適切な身軽さを持たせ、ハーティ版全体がバランスの良い仕上がりとなる上で大きな役割を果たしています。編成を大きくしてロマン派的な組曲に仕立て直す上では、数を大幅に減らし厳選した曲だけを用いたハーティは慧眼だったと言っていいと思います。

ハーティが編曲するまでもなく、『水上の音楽』はすでに20世紀を待たずフリードリヒ・クリサンダー(クリュザンダー 1826~1901)によって全曲が出版譜化されていました(旧版)。けれどもこの楽譜はバロック様式ではなくロマン派の様式で演奏されてきたのではなかったかと思います。バロック様式での演奏団体はなかなかメジャーになりませんでしたし、技術的にも決して優れてはいませんでした。私はたぶん、ハーティ編曲を聴いてからさほどたたないうちに、これも(おそらく皆川達夫さんの解説なさっていた)ラジオ番組で、バロック様式によるオリジナル全曲を聴いたはずですが、ホルンがよく音のひっくり返る、あまり水準の高くない演奏でした。

クリュザンダー版の録音も全くなかった訳ではないので、当時は知りませんでしたが、面白いところで今でも手に入るものとしては、1963年にラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィルの演奏があります。このころはまだ、シンフォニーオーケストラが、人数を絞り込んでとはいえ大人数のままでバロック作品をバロック時代の楽譜で普通に演奏していました。

『水上の音楽』をバロックの様式で演奏したものの録音は、ホグウッド(1977、独自版)・アーノンクール(1978、クリュザンダー版)あたりの登場を待たねばなりませんでした。私はその頃はもう大学生で、バロックへの関心はさほどありませんでした。
楽譜にはいまオーソドックスとされているハレ版、もしくは独自研究のものを採用していながら、曲順はクリュザンダー版による、というのがいくつもあるようで、1986年のトレヴァー・ピノック/イングリッシュコンソートなどはまさにそういう録音をしているのですが、シンフォニーオーケストラの音に慣れた亡妻にこれを聴かせたときは
「どうもなじめない」
と言われたものでした。

逆にバロック様式での演奏に耳がなじむと、シンフォニーオーケストラでの演奏は、むしろ不思議と物足りなく感じます。編成が大きいためにテンポを遅くしないとよく響かなくなります。それでテンポを遅くすると、今度は間延びして、生き生きした音楽から遠ざかってしまうのです。しかも1970年代くらいまでは装飾音の掛け方もロマン派期を踏襲していて・・・専門的な知識の無い耳で聴いても、70年代に聴いていた当時から・・・なんだか違和感があるのでした。
シンフォニーオーケストラでの『水上の音楽』の演奏は、やっぱりハーティのような、シンフォニーオーケストラ向けの編曲でなされなければダメなものなのでしょうか。

楽譜に関しては実は、『水上の音楽』のヘンデルによる自筆譜はヘンデルの生前か死の直後にはもう無くなってしまっていたらしく(屋外の音楽であったために消耗してしまったのではないか、との推測がされています)、オーソドックスとされている楽譜もその他の研究譜も、古い出版譜もしくは筆者譜を探ってまとめたものではあるのです。
『水上の音楽』とは、ヘ長調、ニ長調、ト長調の3つの組曲の総称なのですが(少なくとも2つの組曲から成っている、とは1950年代にようやく認められた由)、ホルンを含むヘ長調組曲は1715年、トランペットの加わるニ長調組曲は1717年の作と推測されて、いずれもイギリス王室の船遊びの際に演奏された屋外向け作品だったと考えられているのに対し、残るト長調組曲は中心が二本のフルートで繊細なつくりであるため、もしかしたら屋外向けではなかった可能性もあるとみなされています(屋外で演奏するならフルート・パートはオーボエが一緒に吹くのでなければ響きが弱すぎるのだそうで、誠にその通りだろうと思います)。とはいえト長調組曲を構成する(とこんにちまとめられている)曲群も他のものと合わせて伝承されてきたのですから、全部が一連の同種の機会のための音楽だったことは疑う必要はなさそうです。

ともあれバロック様式で演奏する団体が録音市場に登場すると、2つのことが起こりました。
ひとつめは、シンフォニーオーケストラがバロックを演奏することがほとんどなくなりました。『水上の音楽』も同様です。
ふたつめは、プロによる『水上の音楽』ハーティ版の演奏が、ぱったりとなされなくなりました。

バロック様式の演奏を20世紀に復活させた人たちは、その後急速に「古楽」の通称のもと、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンたちの音楽をも作曲家在世当時の様式で演奏し、録音を出すようになりました。昨今ではシンフォニーオーケストラもそうした演奏に追随するようになりました。ところが「古楽」奏者の手は休むことなく20世紀前半の音楽まで伸びました。先般亡くなったホグウッドはストラヴィンスキー作品などの録音も残しました。当初は棲み分けがあるかに見えた古楽オーケストラとシンフォニーオーケストラには決定的な垣根が失せてしまったようです。

・・・で、このところはクラシックに限らず音楽「産業」は窮地に立っている、という方向へ雑談を広げそうになったのですが、とりあえずやめます。

いまの演奏団体の状況からすると、バロック期終焉後に残された編曲類は瀕死の状況下におかれている、と、このことだけにしましょう。

編曲群がなぜ生まれたか、となれば、それはだいたいの場合、埋もれ忘れ去られてしまった音楽の価値を編曲者が見いだし、その価値を再生させようと思ったからだと仮定できます。
18世紀末までにはチェンバロが廃れたりヴァイオリンが改造されたりして、楽器の事情がどんどん変わってしまっていたから、「いま」の事情に合わせた編曲でしか再生するすべはなかったのでしょう。
となると、編曲はオリジナルでの演奏が可能になった時点で使命を終えることとなり、編曲類が瀕死となるのは当然の帰結であるかのようです。

しかしながら、少なくとも、絶えず享受されてきた『メサイア』に関しては、上に見たように、再生のためという目的は編曲行為にはなかった、ただ後者の、時代の事情に合わせるということしかなかったことがあきらかです。編曲は再生などという意識を伴わずに、編曲の生み出された時代に生きていたのです。

いっぽう『水上の音楽』にもういちど目を向けますと、ハーティの編曲は、時代の事情に合わせての再生にしては曲が絞り込まれています。かつ、再生、というならばクリュザンダー版がもう出ていたのです。

すると、ハーティ版の意味は、仮定からは外れた別のところに求めるのが妥当なのではないか、と思われてきます。

日本楽譜出版社から出ているハーティ版スコアの解説で、磯山雅さんはこう述べています。

「こうした版が必要とされたのは、ヘンデルのオーケストレーションがピリオド楽器によるバロックのオーケストラを前提としたものであり、現代オーケストラの性能を駆使していないためである。その点をみごとに補い、コンパクトにまとめられたハーティ版は、《水上の音楽》の普及に、大きな役割を果たした。」

この説明ですとハーティ版もやはり、あくまで再生後に使命を終える類いのものということになるのですが、ちょっと違うと思うのは、これが「コンパクト」になり、「現代オーケストラの性能を駆使」した点で、ハーティ版が生み出された1922年頃の音楽の享受事情にぴったり合った、そのことについての捉え方です。

20世紀前半までは、クラシック音楽、なかんずく管弦楽曲は、コンパクトな組曲が、交響曲に代わってずいぶんもてはやされた気がします。ビゼーのオペラや、フォーレ、グリークの劇付随音楽、チャイコフスキーやストラヴィンスキーのバレエ音楽・・・まるきりオリジナルとしてはミヨーまで、枚挙にいとまがありません。
『水上の音楽』普及に貢献したなる側面を超えて、ハーティのしたことは、時流に乗った音楽の「創造」だったのではないでしょうか。

オリジナルがずっと手軽に味わえる恵まれた時代を迎えて、過渡期の編曲が一律に否認されるのは惜しいのですが、とりわけ『水上の音楽』ハーティ版はヘンデルという母から骨格を得て自らの肉体を鍛えて作り上げたものに思われ、独自価値を忘れ去られ実演から遠ざけられるのはたいへんもったいなくてなりません。

音楽に限ったことではないのですが、歴史はこれからそれへと純粋に進むものではないにもかかわらず、これが純粋だ、と信じられる何かが権威を持つと、夾雑物や副産物はどんどん隅に追いやられ、あるいは嫌悪され、挙げ句の果てに忘れ去られるのです。
後世の歴史家が忘れ去られたものを発掘するかもしれませんが、発掘したものから組み立てられる歴史は、もはやイメージだけで塗り固められた虚構に過ぎず、真の姿は永遠の謎となるのです。

それだから人は歴史にロマンを感じるのかもしれませんが。
でも、本当はどうだったか、を考えることもさぼるんですよ。

なんだかまたもやわけわかんなくなっちゃいました。

ハーティ版第1曲(ベイヌム/コンセルトヘボウ)

http://youtu.be/8I9f_w2GAkI

オリジナル(第1組曲第3番)
楽器の様子も見られる映像
打楽器は楽譜にはないんですけどね・・・

http://youtu.be/JcJEduukrG8

思い出し思い出し綴ったのですが、楽譜の事情等については主に全音によるオイレンブルク版の日本語解説を参考にし、他にヘンデルの伝記を参照しました。

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