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2014年11月

2014年11月25日 (火)

Simple is his genius〜没後80年:ホルスト「吹奏楽のための第2組曲」

Brass_mellophone1 中学校に入学して、これでやっとホルンが吹けるぞ、と、私はまっすぐ吹奏楽部の部室に駆け込んだのでしたが、フレンチホルンに空きはなく、最初に預けられたのはメロフォンというものでした。
ここのサイトでいっぱい述べられているような楽器です。

http://burukong.web.fc2.com/mellophonizm.htm

しばらくだれも使っていなかったのか、赤く錆びていました。左手でロータリーを操作するフレンチホルンとは違い、トランペットと同じように右手でピストンを操作するのです。・・・もっとも、フレンチホルンにもピストン式のものはあるのですが、メロフォンの音色はホルンとはだいぶ違いましたので、がっかりしたのでした。

けれどもなんと奇特なことに、ホルン志願者がもうひとり現れたので、これは楽器を至急新調しなければならない、ということになり、まもなく真新しいホルンが届いて、お下がりの管のへこんだやつが回ってきて、めでたくホルンを手にすることが出来たのでした。

それで最初は聞き覚えの『水上の音楽』のメロディばっかり吹いていたのですが、当時3年生の増田さんという先輩がとってもうまい人で、こんな曲もあるよ、といろいろ教えてくれて、それでベートーヴェンの第8交響曲のメヌエットのトリオとかホルンソナタとか諸々知って、ホルンがいっそう面白くなりました。初心者のくせに生意気に、ベートーヴェンのホルンソナタの最初の楽章は暗譜するほど吹きました。・・・でも最低音がいつまでたっても出せないのでした。

Kousei 入った吹奏楽部で最初にやったのはコーディル『バンドのための民話』でした。接続曲的作品ですが、技術的に易しいにもかかわらず響きの豊かないい曲です。1964年に出版されたばかりで、翌年には日本の吹奏楽コンクールで取り上げられたものだったそうですから、まだ発表から10年も経っていなかったのですね。
最近では飯森範親指揮 東京佼成ウインドオーケストラが2012年12月のライヴ録音をCDで出したものがとてもいい演奏です。ちなみにこのCDにはかの佐村河内守(偽)作『祈り』もおさめられていて、いま売っているパッケージで佐村河内氏が指揮者の飯森さんと握手しあっている写真が載っていて、なかなかに希少価値です。曲は、そうだと思わないで聴いても私にとっては「う~ん!」でしたが、演奏はなかなか立派です。メインプログラムはストラヴィンスキー『火の鳥』とレスピーギ『シバの女王』で、これらもいい演奏なので、CD販売が継続されることを祈っております。

脱線ばかりですが、この同じCDに収録されている、ホルストの『吹奏楽のための第2組曲』が、また私にとっては思い出深い曲です。

入る前の年に私たちの中学のブラスバンドがコンクールで演奏したのは、同じホルストの第1組曲の方でした。これの第1曲には印象深いホルンのソロがあって、尊敬する増田先輩がきれいな音で吹いている録音を聴かされて、自分もいつか先輩のように吹くのだ、と憧れたのでしたが、
「いや、第2組曲も面白いんだ」
と言われたのでした。
聴かされてみると、なかなかに軽やかです。
「これもやってみたいんだよな」
と言われて、まあ単純ですから、んじゃおいらもやってみたい、と思ったのでした。
でも当時は宅地開発ブームで我が家も山の上に新しく出来た宅地に引っ越していました。そういう宅地が出来ると学校も新しくできるのです。翌年にはイヤでもそこへ転校しなければならず、そこには吹奏楽部が出来ず、私の吹奏楽生活は1年で終わってしまうことになり、ホルストの「第2組曲」をやる機会は・・・高校で1年半ばかり吹奏楽部にいたものの・・・とうとうめぐってきませんでした。

ずっとあとになって、弦楽で、これまたホルストの「セントポール組曲」というのをやりましたら、なんと、その終楽章が「吹奏楽のための第2組曲」の終楽章と同じなので、ビックリ仰天しました。「セントポール組曲」終楽章のほうが、吹奏楽版を編曲したものなのだそうでした。
厳密には、「セントポール組曲」終楽章の方が117小節目以降から約40小節拡張されているのですけれど。

グスタフ・ホルスト(1874〜1934)と言えば何と言っても『惑星』なのですが、51fszgbijrl_sy355_ 生前これが大ヒットして自作自演http://www.amazon.co.jp/dp/B000GUK4N2/まで売れちゃったホルストは、自身の他の作品がこの成功で埋もれてしまうことをたいへんに心配したんだ、とスコアの説明などに書いてあります。

(『惑星』をホルスト自身が指揮した録音、1926年)
https://www.youtube.com/watch?v=B8nTxOVwiFQ&list=PLFhaxTB0si9-lsy29YpLP7DNKwB1UpOGn

ヴォーン=ウィリアムスの交響曲第4番自演と併せて、ナクソスからCDが出ていて、これは私の宝物ですが・・・いまやYouTubeにものっかってるんですねぇ。

たしかに『惑星』以外のホルスト作品は私たちはあまり知りませんで、吹奏楽をやっていれば2つの組曲を、弦楽をやっていれば「セントポール組曲」と、併せて「ブルックリン組曲」くらいを、おまけで知っているくらいではないかと思います。
けれどこのわずかな作品群からだけでも、ホルストという人が合奏作品の創作にかけてはたいへんな名人であったことが分かります。どれも作りがシンプルな上に、彩りと響きが実に豊かだからです。
シンプルに聞こえること、音色が豊かなことなどは、ホルストの整理能力の素晴らしい高さを物語っているのだと思います。
『惑星』以外が知られないのは、たしかにもったいないことです。バレエ音楽やコンパクトなオペラにも聴くべきものがあります。

Wikipediaにある、ホルストの作品表(日本語)
http://ja.wikipedia.org/wiki/グスターヴ・ホルストの楽曲一覧

日本にもまったく縁がなかった人物ではなく、振付師 伊藤道郎(1893〜1961)の英国公演向けに『日本組曲』(1915)を作曲しています(『惑星』作曲を中断しての作業だったそうです)。これはナクソスからCDが出ていて、他に収録されている『コッツウォルド交響曲』などとともにホルストの管弦楽法の巧みさを知る上で必聴ではないかと思います。(日本人として聴くと最初は違和感がありますが、何度も聴くと彼の処理の巧みさがはっきり認識できてくると思います。)

『惑星』の公共の初演者であるボールトの指揮によるもの
http://youtu.be/O18H90-sa5Y

ナクソス 
http://ml.naxos.jp/opus/317422
http://ml.naxos.jp/work/862215

江戸子守唄が分かるくらいで、『日本組曲』の中で用いられている日本の旋律の詳細は、私には分かりませんが(伊藤道郎が口笛でホルストに伝えたのだと各所のブログにあります)、ホルストは仲の良かったヴォーン=ウィリアムズの影響で当時蒐集されていた自国民謡に関心が深く、『日本組曲』に先立って作曲した『吹奏楽のための第2組曲』(1911)などは全楽章が民謡を巧みに用いた作品だったりもしており、民謡や俗謡を用いて作曲するなどお手の物だったに違いありません。

『吹奏楽のための第2組曲』に用いられているイギリス民謡については、日本楽譜出版社から出ているスコアに元の民謡の楽譜も載せられて詳しく解説されています。
第1曲には4つもの異なる源泉があり(Glory Shears〜モリスダンスと若干旋律が異なる由、Blue-eyed Stranger、Swansea Town、Claudy Banks)、第2曲は悲歌のI Love My Love、第3曲はThe Songs of the Blacksmith、第4曲は8小節の循環旋律を意味するダーガソンDargasonの一種にグリーンスリーヴスが重ねあわされる、という具合です。
なかでも第1曲は4つもの素材があたかもホルストオリジナルのように自然に結びついているのが驚嘆に値します。
そして例の第4曲終楽章のダーガソン幻想曲ですが、吹奏楽としても非常に効果的な音響に仕上がっているにもかかわらず、これが後年「セントポール組曲」の終楽章として編曲されると、音がさらにシンプルに整理されながらもビックリするほど分厚い弦楽に仕立て直されていて、ホルストの職人技の見事さには舌を巻くしかありません。

吹奏楽
(どこの演奏か分かりませんが第4曲だけのはあまりみつからなかったので)

http://youtu.be/AVUADDz3JLU

弦楽

http://youtu.be/1CyroD_Z300

なんか、またくねくね、だらだらと綴ってしまいました。

2014年11月15日 (土)

「母」が作った?~「水上の音楽」

音楽を聴くのはせっかく好きになったのに、小学校の音楽の授業は大嫌いでした。
小6のとき、体が浮くので距離だけは泳げたものですから、補欠でも水泳の選手になりたかったし、体育の先生も「いいよ」と言ってくれていたのにもかかわらず、音楽の先生に無理やり合唱団員にさせられました。親にも頼み込んで断ってもらおうと必死でした。でもダメでした。
冗談でなくボールみたいにぱんぱんに丸い体に、へそ代わりに小さな頭が付いたような、ひげまではえていそうなにくにくしい先生で、女性でしたがだみ声で、他の先生に向かって
「これでも昔はソプラノの美声だったんだよ」
と言っていましたが、子供心に冗談じゃねぇやと思っていました。
合唱をやってもやる気がないので、歩くときもたらたら歩いていて
「もっと胸をピンとはって、膝カクカクして歩かないで!」
とかなんとか、叱られまくりました。
それでも合唱の指導にもう一人若くて奇麗で優しい先生がいて、授業なんかではお世話になれないので、合唱のときその先生に会えるのだけが楽しみで、なんとか辛抱したのでした。

1748handelbyhudson0475 音楽室なるところに入ったのはこの合唱があったからこそで、授業は普通の教室だったのでした。
この音楽室には、作曲家なる人たちの肖像画がズラリと貼ってあったのでした。
ベートーヴェンくらいはその前から知っていたのですが、バッハとかヘンデルとかいう人たちの顔は音楽室で覚えました。
バッハは「音楽の父」と呼ばれるのだ、ともきかされました。
で、ヘンデルが「音楽の母」なんだ、と教えられました。

それでヘンデルは女の人なんだろう、と、しばらく信じていました。

え? 男なんですか? 男なんですね。わお。

音楽室の肖像画で見るふさふさの髪は、しかもカツラなのでした。
カツラをとったツルツル坊主頭の肖像画をだいぶあとに見たときには、びっくり仰天しましたっけ。

「母」はどんな音楽を作ったのでしょう。「父」よりもずっと興味がありました。

Handel_sculpture_roubiliac で、ラジオでだったと思うのですが、「母」の作った『水上の音楽』を聴きました。
ホルンがいいフシをたくさん吹くのを聴いて、ああ、ホルンもいいなあ、と、思ったのでした。
せっかく人数が多そうだからとヴァイオリンを始めていたのですが、地元には当時、子供が入れるオーケストラなんてありませんでした。中学に入ればブラスバンドはあるのです。そこにはホルンもありました。よし、じゃあホルンだ、と方針転換したのは『水上の音楽』のせいでした。

ただし、ホルンが真っ先に印象に残ったくらいでしたから、小学生の私の聴いた『水上の音楽』はオリジナルではありませんでした。ハーティ版といわれる、20世紀初頭のイギリスの名指揮者ハミルトン・ハーティ(1879~1941)が編曲したものです。

バロック、という区分が音楽にあることを、私たちは長いこと知りませんでした。16世紀末から18世紀初頭までという比較的長い期間の、そのまっただ中にいた人たちだって、まあそんなことは知らなかったでしょう。まっただ中の人たちには、括る呼び名など必要のない、「いまこのとき」の音楽だったのですから。
けれども演奏の様式は生き物で、音楽の書き方も時間とともになだらかに変わり、どちらもそれらが生まれたときの人々には想像もつかなかった方向へ、遠く離れて行きます。後年バロックと呼ばれることになった音楽たちは、楽譜は残っていても、どう演奏されたのかは、最後の時期のそれが生まれたころから100年もたつと、すっかり忘れられてしまいました。

ヘンデルの代表作であるオラトリオ『メサイア』は19世紀のあいだも絶えることなく演奏される人気作品であり続けた点で、バロック期の作品としては例外的です。しかも『メサイア』はモーツァルトが編曲したことも有名です。ヘンデルの死からわずか27年後になされているこのモーツァルト編曲は、けれども既にオリジナルとはだいぶ異なった響きがします。モーツァルトが活動したオーストリアと『メサイア』の生まれたイギリスとの楽器環境の違いもあったのでしょうが、様式の変貌速度もけっこう早かったのではないでしょうか。古典派時代以降の編成肥大化の影響は『メサイア』演奏にも顕著に見られ、19世紀中葉には数百人の合唱で演じられるまでになったことが知られています。
大規模化する演奏様式に順応して演奏され続けたヘンデルは、他のバロック期作曲家の作品が復元されるときに、それらが大規模編成化することへの敷居を低くする役割を果たしたかも知ません。

ハーティ版『水上の音楽』も、後日オリジナルを知ったあとでは、ずいぶん大編成化されたものであることが分かります。ヘンデルは管楽器はオーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット各2本を用いただけでしたが、ハーティはこれにフルート2本、クラリネット2本と打楽器としてティンパニを加え、ホルンは4本に増強したのでした。

なおかつ、ただ大編成にしたばかりではなく、オリジナルに大幅な改変も施しています。

ヘンデルのオリジナルは19曲ですが、ハーティーが採用したのはそのうちの5曲と半分です(うちひとつはオリジナルの第3曲を分割して使用)。対応を記しますと、
ハーティ1曲目~オリジナル、ヘ長調組曲3曲目主部
ハーティ2曲目~オリジナル、ヘ長調組曲5曲目+同6曲目トリオ
ハーティ3曲目~オリジナル、ヘ長調組曲7曲目
ハーティ4曲目~オリジナル、ヘ長調組曲8曲目
ハーティ5曲目~オリジナル、ヘ長調組曲3曲目中間部
ハーティ6曲目~オリジナル、ニ長調組曲2曲目
ハーティ版の冒頭に置かれた曲はホルンが増強されたことでずっと分厚い音になっています。そしてまた、ヘンデルのオリジナルではホルンに軽やかなトリルを奏でさせていたのですけれど、ハーティ版ではホルンはトリルをかけるには体が重くなりすぎた風情になってしまっています。
ハーティ版の2曲目や5曲目は内声部の音の流れを大幅に変えて、まるで19世紀ロマン派のような情緒連綿たる表情が与えられたりしています。

それでも全体を分厚く重くするだけが能ではなかったところが、ハーティ版に独自の価値を与えています。
3曲目(オリジナル7曲目)はオリジナルの管楽器を省いて弦楽合奏に仕立て、4曲目は繰り返される部分を最初はまず木管楽器だけに奏でさせたりして、連綿体使用の2曲目5曲目のあいだに適切な身軽さを持たせ、ハーティ版全体がバランスの良い仕上がりとなる上で大きな役割を果たしています。編成を大きくしてロマン派的な組曲に仕立て直す上では、数を大幅に減らし厳選した曲だけを用いたハーティは慧眼だったと言っていいと思います。

ハーティが編曲するまでもなく、『水上の音楽』はすでに20世紀を待たずフリードリヒ・クリサンダー(クリュザンダー 1826~1901)によって全曲が出版譜化されていました(旧版)。けれどもこの楽譜はバロック様式ではなくロマン派の様式で演奏されてきたのではなかったかと思います。バロック様式での演奏団体はなかなかメジャーになりませんでしたし、技術的にも決して優れてはいませんでした。私はたぶん、ハーティ編曲を聴いてからさほどたたないうちに、これも(おそらく皆川達夫さんの解説なさっていた)ラジオ番組で、バロック様式によるオリジナル全曲を聴いたはずですが、ホルンがよく音のひっくり返る、あまり水準の高くない演奏でした。

クリュザンダー版の録音も全くなかった訳ではないので、当時は知りませんでしたが、面白いところで今でも手に入るものとしては、1963年にラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィルの演奏があります。このころはまだ、シンフォニーオーケストラが、人数を絞り込んでとはいえ大人数のままでバロック作品をバロック時代の楽譜で普通に演奏していました。

『水上の音楽』をバロックの様式で演奏したものの録音は、ホグウッド(1977、独自版)・アーノンクール(1978、クリュザンダー版)あたりの登場を待たねばなりませんでした。私はその頃はもう大学生で、バロックへの関心はさほどありませんでした。
楽譜にはいまオーソドックスとされているハレ版、もしくは独自研究のものを採用していながら、曲順はクリュザンダー版による、というのがいくつもあるようで、1986年のトレヴァー・ピノック/イングリッシュコンソートなどはまさにそういう録音をしているのですが、シンフォニーオーケストラの音に慣れた亡妻にこれを聴かせたときは
「どうもなじめない」
と言われたものでした。

逆にバロック様式での演奏に耳がなじむと、シンフォニーオーケストラでの演奏は、むしろ不思議と物足りなく感じます。編成が大きいためにテンポを遅くしないとよく響かなくなります。それでテンポを遅くすると、今度は間延びして、生き生きした音楽から遠ざかってしまうのです。しかも1970年代くらいまでは装飾音の掛け方もロマン派期を踏襲していて・・・専門的な知識の無い耳で聴いても、70年代に聴いていた当時から・・・なんだか違和感があるのでした。
シンフォニーオーケストラでの『水上の音楽』の演奏は、やっぱりハーティのような、シンフォニーオーケストラ向けの編曲でなされなければダメなものなのでしょうか。

楽譜に関しては実は、『水上の音楽』のヘンデルによる自筆譜はヘンデルの生前か死の直後にはもう無くなってしまっていたらしく(屋外の音楽であったために消耗してしまったのではないか、との推測がされています)、オーソドックスとされている楽譜もその他の研究譜も、古い出版譜もしくは筆者譜を探ってまとめたものではあるのです。
『水上の音楽』とは、ヘ長調、ニ長調、ト長調の3つの組曲の総称なのですが(少なくとも2つの組曲から成っている、とは1950年代にようやく認められた由)、ホルンを含むヘ長調組曲は1715年、トランペットの加わるニ長調組曲は1717年の作と推測されて、いずれもイギリス王室の船遊びの際に演奏された屋外向け作品だったと考えられているのに対し、残るト長調組曲は中心が二本のフルートで繊細なつくりであるため、もしかしたら屋外向けではなかった可能性もあるとみなされています(屋外で演奏するならフルート・パートはオーボエが一緒に吹くのでなければ響きが弱すぎるのだそうで、誠にその通りだろうと思います)。とはいえト長調組曲を構成する(とこんにちまとめられている)曲群も他のものと合わせて伝承されてきたのですから、全部が一連の同種の機会のための音楽だったことは疑う必要はなさそうです。

ともあれバロック様式で演奏する団体が録音市場に登場すると、2つのことが起こりました。
ひとつめは、シンフォニーオーケストラがバロックを演奏することがほとんどなくなりました。『水上の音楽』も同様です。
ふたつめは、プロによる『水上の音楽』ハーティ版の演奏が、ぱったりとなされなくなりました。

バロック様式の演奏を20世紀に復活させた人たちは、その後急速に「古楽」の通称のもと、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンたちの音楽をも作曲家在世当時の様式で演奏し、録音を出すようになりました。昨今ではシンフォニーオーケストラもそうした演奏に追随するようになりました。ところが「古楽」奏者の手は休むことなく20世紀前半の音楽まで伸びました。先般亡くなったホグウッドはストラヴィンスキー作品などの録音も残しました。当初は棲み分けがあるかに見えた古楽オーケストラとシンフォニーオーケストラには決定的な垣根が失せてしまったようです。

・・・で、このところはクラシックに限らず音楽「産業」は窮地に立っている、という方向へ雑談を広げそうになったのですが、とりあえずやめます。

いまの演奏団体の状況からすると、バロック期終焉後に残された編曲類は瀕死の状況下におかれている、と、このことだけにしましょう。

編曲群がなぜ生まれたか、となれば、それはだいたいの場合、埋もれ忘れ去られてしまった音楽の価値を編曲者が見いだし、その価値を再生させようと思ったからだと仮定できます。
18世紀末までにはチェンバロが廃れたりヴァイオリンが改造されたりして、楽器の事情がどんどん変わってしまっていたから、「いま」の事情に合わせた編曲でしか再生するすべはなかったのでしょう。
となると、編曲はオリジナルでの演奏が可能になった時点で使命を終えることとなり、編曲類が瀕死となるのは当然の帰結であるかのようです。

しかしながら、少なくとも、絶えず享受されてきた『メサイア』に関しては、上に見たように、再生のためという目的は編曲行為にはなかった、ただ後者の、時代の事情に合わせるということしかなかったことがあきらかです。編曲は再生などという意識を伴わずに、編曲の生み出された時代に生きていたのです。

いっぽう『水上の音楽』にもういちど目を向けますと、ハーティの編曲は、時代の事情に合わせての再生にしては曲が絞り込まれています。かつ、再生、というならばクリュザンダー版がもう出ていたのです。

すると、ハーティ版の意味は、仮定からは外れた別のところに求めるのが妥当なのではないか、と思われてきます。

日本楽譜出版社から出ているハーティ版スコアの解説で、磯山雅さんはこう述べています。

「こうした版が必要とされたのは、ヘンデルのオーケストレーションがピリオド楽器によるバロックのオーケストラを前提としたものであり、現代オーケストラの性能を駆使していないためである。その点をみごとに補い、コンパクトにまとめられたハーティ版は、《水上の音楽》の普及に、大きな役割を果たした。」

この説明ですとハーティ版もやはり、あくまで再生後に使命を終える類いのものということになるのですが、ちょっと違うと思うのは、これが「コンパクト」になり、「現代オーケストラの性能を駆使」した点で、ハーティ版が生み出された1922年頃の音楽の享受事情にぴったり合った、そのことについての捉え方です。

20世紀前半までは、クラシック音楽、なかんずく管弦楽曲は、コンパクトな組曲が、交響曲に代わってずいぶんもてはやされた気がします。ビゼーのオペラや、フォーレ、グリークの劇付随音楽、チャイコフスキーやストラヴィンスキーのバレエ音楽・・・まるきりオリジナルとしてはミヨーまで、枚挙にいとまがありません。
『水上の音楽』普及に貢献したなる側面を超えて、ハーティのしたことは、時流に乗った音楽の「創造」だったのではないでしょうか。

オリジナルがずっと手軽に味わえる恵まれた時代を迎えて、過渡期の編曲が一律に否認されるのは惜しいのですが、とりわけ『水上の音楽』ハーティ版はヘンデルという母から骨格を得て自らの肉体を鍛えて作り上げたものに思われ、独自価値を忘れ去られ実演から遠ざけられるのはたいへんもったいなくてなりません。

音楽に限ったことではないのですが、歴史はこれからそれへと純粋に進むものではないにもかかわらず、これが純粋だ、と信じられる何かが権威を持つと、夾雑物や副産物はどんどん隅に追いやられ、あるいは嫌悪され、挙げ句の果てに忘れ去られるのです。
後世の歴史家が忘れ去られたものを発掘するかもしれませんが、発掘したものから組み立てられる歴史は、もはやイメージだけで塗り固められた虚構に過ぎず、真の姿は永遠の謎となるのです。

それだから人は歴史にロマンを感じるのかもしれませんが。
でも、本当はどうだったか、を考えることもさぼるんですよ。

なんだかまたもやわけわかんなくなっちゃいました。

ハーティ版第1曲(ベイヌム/コンセルトヘボウ)

http://youtu.be/8I9f_w2GAkI

オリジナル(第1組曲第3番)
楽器の様子も見られる映像
打楽器は楽譜にはないんですけどね・・・

http://youtu.be/JcJEduukrG8

思い出し思い出し綴ったのですが、楽譜の事情等については主に全音によるオイレンブルク版の日本語解説を参考にし、他にヘンデルの伝記を参照しました。

2014年11月 3日 (月)

カトリック文化的?〜「ローマの松」

忘れてしまっているご恩は、たぶんたくさんあるのでして、小学生があれ欲しいこれ欲しいというと、いろいろ頑張ってくれる親戚だの他人だのがいらっしゃいました。
アポロが月に降り立った時分のガキですから、
「天体望遠鏡が欲しい」
だなんて口走ったりする。
ウチにそんなものを買うお金はない。
そうしたら親戚のおばちゃんがブルーチップというスタンプ(切手シールみたいなものでしたね)を集めていたのをくれて、それで口径4センチばかりの経緯儀台の屈折望遠鏡を交換して手に入れる事ができたりしました。小学5年になったかならないかの頃でした。
この望遠鏡が自分のものになったのはとてもうれしくて、夜は九時頃までには寝て夜中の2時頃起き出して、望遠鏡を肩に担いで星を眺めに行きました。中学へ入る頃まで続きました。

 

星を見に出ていた、となると、音楽は組曲『惑星』といきたいところですが、そうはなりません。当時まだこの作品を知りませんでした。

 

望遠鏡のおばさんの息子さんからは30センチ盤のLPを譲っていただきました。チャイコフスキーとラフマニノフのピアノ協奏曲をカップリングしたもので、エンジェルの透き通った赤いレコードでした。
その他にも、同じ頃、誰から頂いたのかまったく思い出せないLPがありました。
レスピーギのいわゆるローマ三部作のもので、演奏はマルコム・サージェントが「ローマの松」と「ローマの噴水(当時は「泉」となっていたのではなかったかな?)」を指揮し、ユージン・グーセンスが「ローマの祭」を指揮した、ロンドン交響楽団でした。とてもいい演奏だったと思います。コロンビアの元祖1,000円盤(ダイアモンドシリーズって言ったかしらん?)だった気がするのですが、記憶が曖昧です。CD化されていたようでしたが現在は廃盤になっていました。

 

三部作の中で、「ローマの噴水」は暁~朝~昼~夕方の時間をたどるのですが、「ローマの松」は子供の遊ぶ明るい昼から地下墓地(カタコンベ)の暗がりへ向かい、丘の上からの夜の眺望となって、古代ローマ軍の勇壮な夜明けの行進へ、と、「噴水」とは対照的に時間が遷移するのです。
望遠鏡を担いだ小学生は、これにハマりました。
あのころ、夜歩きしていると、まだ明けないうちに、やや遠くから太鼓・・・手持ちの軽い音がするもの・・・がいくつか叩かれている音がしみいるように聞こえてくるのでした。
「どん、ど、どん・・」
という6拍子のリズムです。
だいぶ後で知ったのですが、このリズムで叩くのは日蓮宗のようです。どういう人たちが、夜中に講をなさってたのかは、分かりません。
「ローマの松」ではカタコンベの部分でトランペットがグレゴリオ聖歌のサンクトゥスを物寂しげに、あるいは明るい夜明けを待つように歌います。何番のものだったっけな? 本をひっぱりだそうとしたら見当たらず、録音もどこかにしまい込んじゃって出てきません(音楽之友社『グレゴリオ聖歌』に楽譜が載っています)。
いちおう、これなんですけどね・・・何番だか書いてないし、ずいぶん素朴です。

http://youtu.be/UtTauBxs-dY

 

仏教の太鼓とは違うかもしれませんしリズムも違いますが、夜の明ける前のあの「どん、ど、どん」の、遠くからだからしっとり聞こえた、あの感覚が、私にとっては「ローマの松」で聞こえてくるグレゴリオ聖歌に、うまいぐあいにだぶるのです。

ローマ三部作はそれぞれに現在のローマの風景(風景の本来意味するとおり、イメージを含む)と比べっこする楽しみを聴き手にプレゼントしてくれるのですが、そういうのは曲目解説を読めば察しがつきますし、実際に行って写真を撮ったり感想を言ったりしている記事もたくさんあります。
残念でお恥ずかしい事ながら、私は少ないチャンスも逃してしまったので、海外経験がありません。ですから、解説や記事を指をくわえて眺めるしかありません。

Pinidiroma

 

 

「ローマの松」の舞台は、地図で見ると、スペイン広場の北東にあるボルゲーゼ公園(庭園跡)~そこからさらに北東やや郊外のカタコンベ(プリシッラのカタコンベ・・・あるいは別の場所のカタコンベかもしれません、アッピア街道のものが有名なのですね)~来た道を来た倍ほども西南に戻ったジャニコロの丘~南東に下った旧アッピア街道、という具合に経巡ります。
松の木そのものは、日本だったらカラカサ松と呼ばれるような、下方の枝をすっかり落として頭に笠を被ったような姿で、日本の松の風景とはだいぶ異なるようです。

曲の構成はこんな具合。
    1 ボルゲーゼ庭園の松
    2 カタコンべ付近の松
    3 ジャニコロの松
    4 アッピア街道の松

この舞台、レスピーギの狙いがどうだったかを脇に置いて、よくよく眺めると、古代ローマというよりはずっと近代寄りの、幾分かはカトリック周辺の文化と関係する色合いが濃いように思います。

まず第1の場面の庭園に縁の深いのは17世紀初頭の人物ボルゲーゼ枢機卿で、有名な彫刻家ベルリーニのパトロンとして知られますが、ラファエロやボッティチェリ、カラバッジョの絵画をも収集した人で、現在のボルゲーゼ公園内の美術館にはこれらのルネサンス絵画も陳列されています。先年日本でもこの美術館の品々が展示され、私も子供たちを連れて見に行きました。

第2場面はカタコンベですから、キリスト教との縁は言うまでもありません。ただいちおう古代のものではあります。とはいえ、実はその存在が再発見されたのは16世紀末以降だそうです。

第3場面のジャニコロの丘は、いわゆるローマ七丘には含まれない場所で、1849年にフランス軍からローマを奪還する戦いの主要な舞台となった場所だそうで、このときのローマのシンボルは教皇ピウス7世でした。

そして第4場面のアッピア街道は、危機でローマを離れようとした聖ペテロが、こちらに向かってくるイエスの姿を見て驚き、
「Quo vadis, Domine? (クォ ヴァディス ドミネ 主よ、どこに行かれるのですか)」
と言葉を発した道です。
イエスが
「Eo Romam iterum crucifigi ローマへ再び十字架に架かりにゆく」
と答えたので、ペトロも決心してローマに戻ります。
この故事は、ポーランドのノーベル賞作家シェンキェヴィチが1896年に小説化していますので、レスピーギの世代には小説を通じての印象もあったんじゃないかなあ、と思うのですが、確かな事は分かりません。映画化もされて廉価で手に入るのですが、私は見ていません。
アッピア街道沿いのドミネ・クォ・ヴァディス教会は、しかし、本来キリスト教発祥以前の聖地だったようです。
また、故事が公認されたのは、政治介入好きだった教皇インノケンチウス3世(在位1198~1216)がこれを真正だとした後のことだったそうです。
もともとの出所は、なんの書物だったのでしょう? ご存知の方に教えていただきたく存じます。新約聖書の「ヨハネによる福音書」では舞台はローマではなく、時期もまだイエスが人間として生きているあいだのことです(13章36)。

wikipediaの記事
http://urx.nu/dDgq
http://urx.nu/dDhL

ざっと、こんな感じです。どうでしょうか。

レスピーギは親ファシストだったと言われ、それを嫌って、彼が公職ともいえるサンタ・チェチーリア音楽院の院長に就任した後で作曲した「ローマの祭」(1928年)は演奏せず録音しなかった例もあるのだそうです。
けれどもアルトゥーロ・トスカニーニが1931年5月14日にボローニャでファッショ党の党歌の演奏を拒絶してファシスト支持の若者に執拗な嫌がらせをうけたとき、それを庇って町を脱出できるようかけずりまわったのは、ほかならぬレスピーギでした。
初演でさんざんな失敗に終わった「ローマの噴水」を見事な再演で大好評に導いたのがトスカニーニでしたから、恩人を救ったに過ぎない風に見えるかもしれません。ですが、「ローマの祭」を1929年に世界初演したのはトスカニーニの指揮するニューヨークフィルハーモニックだったのですから、レスピーギがファシストを支持した、と言って「ローマの祭」を演奏しないことには、ちょっと違和感を覚えます。
レスピーギは第二次世界大戦を見る事なく1936年4月に死去しています。
反ファシズムだったトスカニーニは、レスピーギのローマ三部作を第二次世界大戦後も演奏し続けています。
レスピーギのトスカニーニとのあいだのエピソードは、政治などというものも人間の営みの一側面をあらわすに過ぎないのだということを明らかにしています。でありながら、政治は野次馬的に人の評価をステレオタイプ化する。そしてまた人間は政治抜きに生きられない。

「ローマの松」もまた、トスカニーニがアメリカへの紹介者で、1926年1月にニューヨークフィルハーモニックと演奏しました。容易に聴くことのできる録音は1953年のNBC交響楽団とのもので(「噴水」が1951年、「祭」が1949年)、モノラルですがたいへん鮮やかで、モノラル故にむしろ音がぎゅっと詰まって躍動感にあふれています。

ローマ三部作は吹奏楽での演奏も多いのですが、原作の管弦楽での演奏は、最近東京のオーケストラのライヴ録音が出そろいました。

都響が山田一雄指揮で1989年に実演したものが2012年にCD化されましたし、飯森範親指揮東京交響楽団の2012年ライヴも出ています。

都響:http://www.amazon.co.jp/dp/B0095G195U
東響:http://tokyosymphony.jp/pc/store/cd9.html

評判が良いので聴いてみたのが、2013年5月31日の東京フィルハーモニー管弦楽団のライヴで、指揮は1987年生まれ、まだ20代のアンドレア・バッティストーニという人です。2011年からパルマ王立歌劇場の首席客演指揮者となるなど、すでにオペラで豊富な経験を積んでいて、これは楽しみではないかな、と思ったのでした。
実際、奇をてらったところのない非常に良いバランスを実現していますが、それでいて生気に溢れていて、驚嘆しました。

バッティストーニ:http://ameblo.jp/baybay22/entry-11541399599.html
東フィルCD:http://tower.jp/article/feature_item/2014/01/14/1105

CDの売り文句が
「これ以上のレスピーギが史上いつ聴けたのか、今どこで聴けるのか?」
みたいなもので、とあるおじさんがブログで「ホメ過ぎだ」とムキになっていたのも面白かったのでした。
東京フィルハーモニーの演奏がまた大変素晴らしくて、これは実際に聴きたかったなぁ、と、自分のアンテナの鈍さがちょっと悔しくなりました。この録音は外国の市場に出しても通用するんじゃないかと思います。高い評判を勝ち得てもおかしくないはずです。正直言って日本のオーケストラでここまで圧倒されるとは思っていませんでした。でも現在の水準は信じられないくらい高くなっていると強く感じます。

他の日本のオーケストラの録音も、これは是非聴かなければなるまい、と思うのですが、なにせ日本の人や団体の演奏はなかなか廉価では手に入りません。
僕らが子供の頃は、雑誌の付録だの、フォノシートや廉価盤で買えた日本人の優秀な演奏がクラシックを聴く入り口でした。年代の古いものにも良い演奏はたくさんありました。それらを廉価で商品化したり流布させたりする試みがメーカーさんにあるとうれしいんだけれどなあ、と思う今日この頃です。最近発売点数は増えているとは思いますし、マーケティングや浸透戦略に新たな工夫がかなり必要なのだと思いますけれど。

映像と音がずれてますが、トスカニーニによる「松」の終結部

http://youtu.be/kBlc2yetypc

 

 

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