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2014年10月

2014年10月27日 (月)

絵のないドラマ~シューベルト『冬の旅』

ネットを探してみたら、

「これがクラシックきちがいになるきっかけでした」

と、わりとあまたのかたが述べていらしたのが、学研の『ミュージックエコー』という雑誌でした。

付録に17センチ盤のレコードがついてくるものでした。1冊300円だったかしら?

まとまった情報がないのですけれど、1970年から72年にかけては確実に出ていて、18冊との記述もありますから、その期間は少なくとも70年10月~72年3月です。が、吉原 潤というかたのHPにある表を見ると73年4月録音のレコードまで合計54枚が記録されているので、3年半の刊行期間だったかと思われます。

http://www22.ocn.ne.jp/~yosijyun/houjin/musicech.htm

たしか小6のとき誰かに教えてもらって、この雑誌を知りました。

毎月とって読めたのは中学校に入ってから、しかも転校した関係で中1のときだけです。けれど、なぜかそれ以前に出たはずの

・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(Vn.豊田耕児、指揮.秋山和慶、東京交響楽団)

・シューベルト:冬の旅(Br.ヘルムート・ラング、Pf.ワルター・ハーゲン=グロル)

は持っていました。どなたかから頂いたのでしょう。でもどなたが下さったのか忘れました。

恩知らずです(泣)。

Cimg4879_2 この雑誌、当時のフォークやらポップスやらの楽譜、ギタータブ譜が載っているほかに、山本直純だとか和田勉とか黒田恭一といった面々のおもろいエッセイが寄せられていて、12、13の子供が夢中になれるものでした。いまは似たようなものが全くありませんよね。

ギターは持っていなかったのでギターのタブ譜は覚えられませんでしたが、付録のレコードのおかげで、高いものを買わなくても、たくさん曲を知ることができるようになりました。

日本の演奏家さんたちが、いま思い出しても高い水準の演奏を惜しげもなく提供していて、なかなか壮観でした。

中に数人いらっしゃる外国のかたで、指揮者のペーター・シュヴァルツさんもいらっしゃいました。のちに入った大学のオーケストラを、私の入学前に何度か指揮して下さったのでしたが、そのコンサートを生意気に野球帽被って最前列で聴いていたら、終わってお客さんが拍手しているときにこっちをみてウィンクなさったのでした。1998年に亡くなった由。

ほかの外国の方については、何も分かりません。『冬の旅』を歌っていたヘルムート・ラングという人は、なかなかすてきなバリトンでしたが、ネットで調べると同名のデザイナーしか出てきません。書籍でも見つけられずにいます。

ミュージックエコー盤『冬の旅』には、たしか5曲ほど入っていて、

1.おやすみ

5.菩提樹

11.春の夢

20.道しるべ

24.辻音楽師

ではなかったかと思います。

「おやすみ」と「菩提樹」と「辻音楽師」は歌パートの楽譜が本誌に載っていて、歌詞のドイツ語に仮名が振ってありましたので、意味も分からんまま、でたらめ発音でジャイアンのように大声で歌って、ご近所に迷惑をかけました。

『冬の旅』全曲は、往年の名ヴァーグナー歌手、ハンス・ホッターが1969年4月2日に東京文化会館で歌った由、当時のFM雑誌で知りました。それで廉価盤のモノラルLPでホッターの『冬の旅』が売り出されたときに買った気がする・・・たしかに買ったのですが、その記憶だけであとは全く覚えていません。どうやら1954年の、ジェラルド・ムーア伴奏のものだったようです。

『冬の旅』のほかの歌も、いや、全体像もたいへん素晴らしいものだ、と知ったのは、いつのことだったでしょう?

含まれている歌曲がバラバラなのではなく、いきいきとつながり合っていることが、それと気づいたときに大きな驚きでした。

Objectvogl1

シューベルトの作品番号では89番が振られている『冬の旅』(整理番号ではD911)は、ヴィルヘルム・ミュラー(1794~1827、シューベルトより3歳年長で、シューベルトと同年に亡くなった)の連作詩24編に曲がつけられたものです。

ただしミュラーが最初は(1823年に出した『ウラニア』という小冊子に)12編しか書いて発表していなかったので、シューベルトはまず12曲作ったのでした。そのあとミュラーは、ほかの12編をも合わせて全24編として発表し直したとき、前に作っていた12編の順番を変え、新たな詩の間に挟み込んだりしました。

シューベルトはしかし、その新たな順番には従わないで最初に作った12曲の順番をそのままにし、曲をつけていなかった12の詩は原則として登場順に・・・最後から三番目にあたる「幻の太陽 Die Nebensonnen」と二番目にあたる「勇気 Mut」だけは順番を入れ替えて・・・作曲して、作曲した曲順で出版したのでした(梅津時比古『冬の旅 24の象徴の森へ』p.48-49、東京書籍 2007年)。

結果的に、ミュラーが詩のつながりのなかで最終的に読者に伝えたかっただろうムードと、シューベルトが歌のつながりで表現したムードとは、別個のものになっているとみてよいのだろうと思います。

これについては梅津さんの本はとても詳しくて丁寧でした。

時代の趨勢に違わず、シューベルトもまた劇場でのヒットを願っていたのでしょう、オペラや劇伴の完成作が11ほどリストアップされています(村田千尋『シューベルト』作品篇と作品表 音楽之友社 2004年)。

けれどもオペラや劇音楽の方面では大きな成果を得ることができませんでした。

一方で、歌曲については、私たちに「歌曲の王」と呼ばれるほどまでに、生前も死後も高い人気を誇るものを量産したのでした。その数、595曲だそうです(先の村田『シューベルト』p.182参照)。

なかでも連作を強く志向した『美しき水車小屋の娘 die schöne Müllerin』と『冬の旅 Witerrise』は、独自の物語性を持っています。

とくに『冬の旅』は、舞台ではかけようのない、孤独な男の自分語りで、終始一貫しています。

そのシナリオを文字でまとめても、さっぱりたいしたものにはなりません。

「別の男と婚約の決まった恋人やその家族と(徒弟として?)共にいた家を、雪の夜半ひそかに去って、やすらぎはないか、とさすらうも、どこへ行ってもよそものの自分には行ける場所がない。希望を取り戻そうとしても、何もかもが空しい。死を思って墓場をさすらっても、埋めてもらえる隙間さえない。ひとりぼっちだ。道ばたの老いた辻音楽師の奏でるライアーに、過去も忘れたうつろな自分をようやく見つけた。」

と、こんな感じでしょうか。

(ライアーは手回しオルガンと訳されているのですが、ドレーライアーという楽器で、「腕に抱えて右手でハンドルを回し、本体の中の円板を回転させることで弦をこすって音を出す」【後携 梅津著 p.336】楽器だそうです。)

でありながら『冬の旅』では、暗い閉鎖空間になってもおかしくない物語が、1曲1曲の工夫と全体を見渡した設計で、もっと広がりをもつ世界に転じています。

『冬の旅』の中の「ぼく」または「おれ」もしくは「私」は、第1曲の「おやすみ」から最後の第24曲の「辻音楽師」まで、基本的にずっと歩んでいます。・・・「歩く」というより「歩む」がふさわしい気がします、ドイツ語でも言い方を区分できる語彙があるのではないでしょうか・・・。それでまた、解釈に、この「おやすみ」でとるテンポを基本にして全曲を考える、というのもあったように、うっすら記憶しています。・・・あ、梅津さんの本に、ヘルマン・プライの言葉として載せられていました。

「『おやすみ』から始まり、『休息(第10曲)』『道しるべ(第20曲)』をいわば二本の橋脚にして最後のリートにまで、私はテンポのアーチを張り渡す」(梅津著 p.20に引用、自伝からの由)

こんな捉え方からテンポを24曲で一貫したものに近づける、という考えに対しては異論もあるのですが、とにかく『冬の旅』の私が、雪の道、氷の道、あるいは凍てついたり乾いたりした道を歩み続けているのは、全体を聴き通してたしかに実感されることです。

その歩みは、しかし、表面上のテンポが一貫していようといまいと、実に起伏に満ちています。

この起伏が、単調なものや閉鎖的なものから巧みに物語を遠ざけているのです。

いちばんはっきりしていて面白いのは、第13曲(これ以降がシューベルトの後で付け足した歌たちです)「郵便馬車」で、前半12曲ですでに築かれた一つの輪の中の世界に、素朴なホルンシグナルが豆腐屋さんのラッパの音色で忽然と鳴り響きます。その響きに「ぼく」または「おれ」もしくは「私」は歩みをぱたりと止めて、胸の鼓動だけを早めるのです。

あたかもポストホルンの音色が、劇中の「私」にとっては失われたはずの希望が戻ってくるきっかけであるかのように。

しかしながらそれは、物語の風景を見ているこちらがわにとっては、あたかもヴェリズモオペラの本格的な悲劇が始まる不吉な前触れだとはっきり分かる。

そんな仕掛けです。

通常の劇でしたら早すぎるターニングポイントなのですが、ちょうど真ん中に置かれたポストホルンは『冬の旅』を大きく前後に分ける上で適切な位置にあり、適切に働いているように思います。

前半は耽美的で感情の揺れ動きも激しく、中にまだ、失いそうになってきた理性を取り戻しかける「菩提樹(第5曲)」や、鶏鳴に揺さぶりをかけられる「春の夢(第11曲)」があります。しかしながら後半には、枯れた心の中にうずく生死の葛藤があるだけです。訪れるのはヴェリズモオペラのように絵に描ける悲劇でこそありませんが、後半の歌曲群には叙情が伴わないからこそ、心が枯れるか枯れないかの瀬戸際で葛藤する激しさが潜んでいるのです。ことばで表現しきれないこの激しさが、音楽によって否応なく強烈に聴く人をとりこにします。

『冬の旅』という、一律の精神の流れを丁寧に連作した歌曲集によって、シューベルトは舞台では絶対に描けない、音楽だけが語るドラマを作り上げたのでした。

歌詞が語ってくれる分、これはベルリオーズの『幻想交響曲』のような標題音楽に比べると創作が容易なものに思われるかもしれません。

が、詩の連続自体は何の明確な物語も持っていないことから、実は逆だなんだ、と、はっきりします。

繋がった詩だけを読んだのでは受け手に共通認識されない抽象世界を、シューベルトは音をつけることで、聴く「私」を詩の中の「私」とぴったり同化させてしまったのでした。凄技と言わずしてなんと言いましょう?

細かな描写的記号が随所にあり、作品の面白さを引き立てています。

こんな具合。

 第1曲、第20曲:足音(ひらたく連続する8分音符)

 第2曲:風にバタバタいう風見鶏(ユニゾンのトリラー)

 第4曲:吹雪(速い三連符の分散和音)

 第5曲:菩提樹の梢をわたる風(同上)

 第11曲:鶏鳴(単発の、すばやいオクターヴ上下動)

 第13曲:ポストホルン(ホルンシグナルの音程と音型)

 第15曲:カラスの飛翔(伴奏全般)

 第16曲:枝から落ちる枯れ葉(区切られた十六分音符下降)

 第17曲:犬をつないだ鎖のからじゃらいう音(冒頭伴奏部)

 第23曲:かげろう?(伴奏部終始)

 第24曲:ライアーのドローン(伴奏部終始)

等々。

とはいえこれらは部品のそのまた一部に過ぎず、伴奏部はいわゆる伴奏にとどまらず、歌う声とデリケートにアンサンブルを繰り広げ、声とピアノが常に一体になって音楽の全体像をかたちづくっていますから、部分にとらわれずに聴けばいいのでしょう。

演奏するにあたって、ひとつひとつの歌とどう向かい合ったらいいか、については、ジェラルド・ムーアが『シューベルト 三大歌曲集 歌い方と伴奏法』(竹内ふみ子訳 シンフォニア 1983年 現在も入手可)に細かく述べています。ホッターや、また誰よりもこの本を捧げているディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウが歌う冬の歌の伴奏者ともなり、その他あまたの名歌手を伴奏して超一流だったムーアが、引退後に経験と思索をまとめた貴重な記述で、『冬の旅』にとどまらない演奏家の置かしやすい誤りについても、それとなく豊富な指摘をしていますので、アマチュアでも(どんな楽器や声かにかかわらず)演奏に携わる方には、ご一読をお勧めします。

でも、ムーアの記述は舞台裏を明らかにするものですから、

「聴いて感激する」

だけのためには、むしろ読まずにいたほうがいいかもしれません。

ふりかえるにあたって、私は毎度のことながら馬鹿みたいに、6種類の演奏を聴きました。

・ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)

 ジェラルド・ムーア(ピアノ)

 1962年(フィッシャー=ディースカウ37歳)

・ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)

 アルフレート・ブレンデル(ピアノ)

 1979年(フィッシャー=ディースカウ54歳)・・・DVD

・ヘルマン・プライ(バリトン)

 フィリップ・ビアンコーニ(ピアノ)

 1984年(プライ 55歳)

・クリスティアン・ゲルハーエル(バリトン)

 ゲロルト・フーバー(ピアノ)

 2001年(ゲルハーエル31歳)

・マティアス・ゲルネ(バリトン)

 アルフレート・ブレンデル(ピアノ)

 2003年 ロンドンでのライヴ(2日間の合成 ゲルネ36歳)

・ハンス・イェルク・マンメル(テノール)

 アルテュール・スホーンデルヴルト(フォルテピアノ)

 2005年

マンメルとスホーンデルヴルトの生年は調べきれませんでしたが、スホーンデルヴルトはインマゼールの弟子の由。

スホーンデルヴルトのフォルテピアノが第1曲「おやすみ」であまりに強いアクセントで奏するので、フォルテピアノってそこまで叩かなければならん楽器でもなかろうに、と、ちょっと違和感が先行してしまいました。が、聴いた中では唯一、彼らの演奏がシューベルト当時の音色を彷彿とさせるものでした。

ムーアが第15曲「からす」を説明する中で、

「(『冬の旅』で上声が狭い音域に限られているのは)シューベルトの時代のピアノの音が歌と溶け合う時、高音域が彼の気に入らなかったのだろうか,それにはシューベルトが望んだような音質が欠けていたのだろうか。それは嫌な音だったのだろうか。」(訳書p.215)

と述べているのですけれど、ムーアが古典派以後の歌曲の伴奏を豊富に経験したことからくる率直な印象に基づくものとして無視できません。

用いられていた楽器の制約からだということ、当時の楽器の高音域は「嫌な音」では決してないこと、はマンメル/スホーンデルヴルトの第15曲の演奏から充分推測できるものの、それでもシューベルトは高音域は慎重に音を選んだ気配が感じられるように思います。いずれきちんと調べなければならないことでしょう。

マンメルらはまた、聴いた中ではシューベルトが書いた通りの調で演奏しているたったひとつの例で、シューベルトが曲相互の音の高さにもたいへん配慮したことがよくわかって面白いものです。白井光子さんがこれ以前に同じ試みをなさったそうなのですが、その録音はプレミア付きでだいぶ高価になっているので聴くのを断念しました。

世界的なクラシック不振の中でわりとよく活躍している現在の中堅、ゲルネのライヴは、録音技術がよくなったせいか、彼の深いブレスまでしっかり聞こえてきて、演奏というより録音がいただけない気がしました。それがなければ気に入ることができたかもしれませんが、ライヴゆえか表現の幅が大きすぎることで甘ったるくなってしまっているのも、ちょっといただけませんでした。ゲルネはしかし、いま最もよい歌手の一人であることは間違いありません。

http://members3.jcom.home.ne.jp/goetheschubert/schubert.htm

現役の演奏で最もいいなあと思ったのが,ゲルハーエルらのものでした。最初、どうだろう、ちょっと甘ったるさがあるのかな、と首をひねりましたが、よく聴くとわりとしっかり計算や設計意図が働いていて、冷静なのです。フーバーのピアノが、おそらくたくさんの試行錯誤の後に得たのだろう工夫に満ちていて、伴奏の中ではいちばん聴きごたえがありました。ムーアが著書で論じている方法を、さらにいいとこ取りして、もっとデフォルメし、それでも歌をきちんと引き立てている。・・・ただし、ムーアの淡々として聞こえる(本当は決してそうではない)伴奏に比べると仕掛けが露骨なので、好みは分かれるかもしれません。ゲルハーエルの声質の若々しさ(録音当時31歳ですものね)、それでも若さ故の乱れのないこと、にもたいそう感心しました。ただ、シューベルトの書いた各曲相互の調の関係は・・・バリトンの歌い手さんは移調を余儀なくされるのですけれど・・・ゲルハーエルたちの演奏ではかなり、たぶん他に比べていちばんたくさん、変えられています。

なんといっても安定感があるのはフィッシャー=ディースカウの、それもムーアと組んだものだと、あらためて感じました。詩の読みが深いので時にちょっとやり過ぎ感のある演奏をするフィッシャー=ディースカウですけれど、62年の歌唱はバランスがよいと思います。

いちばん思い入れがあって手にしたのは、ヘルマン・プライの録音でした。

フィッシャー=ディースカウと同郷だったそうで、よく比較もされたのだそうですが、子供の頃読んだ新聞評で

「プライは出来不出来が激しい」

と言われていたのが記憶にあります。

でも、生こそ聴くチャンスはなかったものの、プライの演じるフィガロ・・・『フィガロの結婚』であっても『セヴィリアの理髪師』であっても・・・はたいへんいきいきしていて、いまだに他が聴けないほど大好きになったものでした。いきいき聴かせるだけに、フィッシャー=ディースカウが時に陥る説教臭さも感じさせることがない人だったと思います。

『冬の旅』へのアプローチも、もしかしたら言葉への執着度がいくぶん和らいでいて、その面で面白さが出ているのではないかな、と、ふと思ったときに、彼が三度目に、そして最後に録音した、という『冬の旅』が廉価盤で出ているのをお店で見つけてしまったのでした。

案の定、これを聴いてみると、プライの歌い方は予想通り言葉最優先ではないのでした。

オペラの役になりきった、情緒連綿たる歌唱です。出来不出来にもわりと激しいムラがあります。

聴いた他の演奏がすべて「言葉をかみしめて」ふうなのと、たったひとつまったく違ったものでした。

ああ、でも、人間、ムラがある方が普通だよなぁ、と、聴いてみょうに安心したのでした。

・・・なんか、いつも無駄に長いのに、無駄倍増で綴っちゃいました。

フィッシャー=ディースカウの『冬の旅』(ブレンデルと 1979年)

http://youtu.be/WhiAS7MRcZc

プライの『冬の旅』(1961年)

http://youtu.be/CtLGZiT4FVg

ホッターの『冬の旅』(ムーアと 1954年)

http://youtu.be/H_X6WBVR1mU

めずらしい女声~クリスタ・ルードヴィヒ(1986年)

http://youtu.be/69npOP61MFs

ほかに、聴いていなかったカウフマンのものなどがYouTubeにあがっています。

2014年10月12日 (日)

ことばがわかると、もっと面白い・・・かも?〜「さまよえるオランダ人」

クラシックファンというのは、大人になっても曲を聴いて風景やドラマを空想したりするのでしょうか?
いまの私は、アマチュアとして演奏もするからか、あまりそういうことはなくなりました。
でも、のめり込み始めた小学生高学年の頃から、就職して毎日午前さまの仕事だったあたりまでは、空想癖が強かったのでした。

みんなそんな空想癖を持ったままなのだとしたら・・・クラシックファン、いとおぞまし。 (>_<)

私だけ? それなら、あたしがおぞましい。

どうしてもEPだのLPだのCDだのといった録音が入口だったでしょうから、日本のクラシックファンは器楽を偏重する傾向が強かったのではないかしら?
歌もオリジナルはヨーロッパ系の外国語ですから、声楽はとっつきにくかったですしね。言葉が付いているとドラマも言葉で決まってしまうので、空想でごまかした聴き方が出来ません。それで、言葉からは自由な楽器だけの奏でる音楽で、その流れに沿ったドラマを自由に描くほうが手軽で楽しい。

でもやっぱり、言葉のついた、言葉で歌われる音楽だって、気になります。

折しもNHKが何回にもわたってイタリアの名歌手たちを招いてイタリア歌劇団公演を行っており(私の生まれる前の1956年から計8回招聘)、私がクラシックにハマりはじめた翌年の1971年には、その最後から3番目となった第6次公演があったのでした。小学6年生のときです。
地方貧乏人くそガキの私は当然実際に出掛けることは出来ませんから、テレビで見ました。下のリンク先でまとめて下さっているデータを見ると、「ラ・ファボリータ」だけは見逃したようですが、他は全部、当時のブラウン管型白黒テレビで見た記憶があります。その後、第7次(1973)は「ファウスト」のみ見たおぼえがあり、最後になった第8次(1976)はどのオペラも見ましたが、あちらの趣味なのか、演技者(=歌手)がやたらとすぐ倒れ伏すお芝居が多い気がして、その倒れ伏すのがどうも好きになれなくて、オペラはあまり見たいとは思わなくなりました。

どのオペラだったか、最後のヒロインの死の場面(だというふうに覚えています)での、静かに息絶えていく歌はたいへん素晴らしかったのですが、そのヒロインはたしか肺の病気でやせ衰えて死ぬのです。でも歌っていたのは、とても恰幅の良いオバさんでした。歌の見事な細さと見た目のとんでもない太さのギャップが、オペラをテレビで見た私のいちばん強烈な記憶です。
いま考えると、これは「ボエーム」の一場面で、ヒロインはミミなんですよね。するとこれは1967年の第5次公演の放送ということなので、再放送ででも見たのでしょうか?

http://users.catv-mic.ne.jp/~pika/itaope.htm
http://users.catv-mic.ne.jp/~pika/record2.htm#1971

それでもオペラの音楽には捨てがたい魅力は感じていました。

如何せん、まだ映像で手軽に繰り返し見る手立てはありませんでしたし・・・まあ見るとガッカリするのだから見なくても音楽だけ聴ければいいわけですが、LPは数枚組が当り前で廉価盤も無く、そうなると安くても4,000円から6,000円になってしまうので、いくら新聞配達で月5,000円手にしていたとはいっても、ヴァイオリンの月謝3,000円を差し引いた残りの2,000円ではとても手が出ません。

なんとかならないか、と思っていたところへ、1972年に現われたヘリオドールという廉価盤レーベルでヴァーグナーの『さまよえるオランダ人』が3枚組で出る、と知り、これはもう大喜びで、ひと月ほかの曲のレコードを買うのを我慢して、発売当月に買ったのでした。(MH-5025~27、フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団、RIAS室内合唱団/他の演奏でした。その後CDにもなったようですが、現在は中古でしか手に入りません。最近フリッチャイの録音がまとめてCD化され始めたので、じき新品で手に入るようになるかもしれません。)これがいい演奏で、最初に手元で聴いたオペラとしては上々なのが幸いでした。ただ、まだ英語を習う前であった上に、詞は全部ドイツ語なのですから、歌われていることの意味なんて分からず、歌の表情や背景のオーケストラの流れから場面を想像して聴いたのでした。

http://www.h3.dion.ne.jp/~yasuda/bqcla/renka_lp/heliodor_1000.htm

300pxhollanderdresden1843 さて、『さまよえるオランダ人』のあらすじは、というと、
「相手が7年ごとに現れる幽霊船の船長だとは気づかず、ノルウェーの船長ダーラントは、さまよえるオランダ人が提供を申し出た宝に感激し、娘のゼンタをオランダ人の妻にすると約束して、共に帰還する。ゼンタはオランダ人に会うなり、彼こそ死をも許されず世界の海をさまよい続けていると子供のころから絵姿で知っていたその人だと悟り、その妻となることを誓う。ゼンタに恋していたエリックがそれを嗅ぎ付け、必死でゼンタの決意を翻そうとした、その場をオランダ人が目撃し、ゼンタが自分への誓いを破ったと誤解して、絶望にとらわれて再び海に帰っていこうとする。ゼンタはオランダ人の後を追って、荒れ狂う海に身を投げてしまう。海中から、救済されたオランダ人がゼンタをしっかり抱きしめて昇天していく。」
・・・こんな感じでしょうか。

http://en.wikipedia.org/wiki/The_Flying_Dutchman_%28opera%29

いちおう、そんな枠組みだけは解説で分かりますから、これで『幻想交響曲』を聴くのと同じやり方で、オペラを作者のプログラムに沿って、ただし具体的な場面は想像しながら聴く方法は、獲得できたのではありました。

で、オペラは言葉がわからなくても理解出来るものだ、というお説も世の中には流布しているのも、いま充分に存じております。

でも本当は、オペラは言葉が(聴き取れなくてもあらかじめ台本の言語を読んで少しでも)理解出来た方が、「適切に」面白いんですよね。

ヴァーグナーのオペラ・楽劇全作品の対訳は、ことし井形ちづるさんの新訳で出て(http://www.amazon.co.jp/dp/4880653373/)、なかなか評判が良いようです。けれど私はいったん手に取ったものの、買おうとすると安い買い物ではなく、『ニーベルングの指輪』の対訳を既に買ってしまっているので、購入に至っておりません。
単なる対訳本だと、作品のさまざまな背景については情報がなく、それも購入をためらわせる大きな理由になっています。また、対訳だけでいいならば、いまネットには「オペラ対訳プロジェクト」もあり、対訳本が出ていない作品も豊富に含まれています(『さまよえるオランダ人』は http://www31.atwiki.jp/oper/pages/171.html)。

1980年代に音楽之友社から「名作オペラブックス』シリーズが発売されましたが、これは作品の対訳の他に、関連するドキュメントの翻訳を豊富に載せた得難いシリーズでした。『さまよえるオランダ人』も、この中の1冊として出ていたのでした。それで、最近これを古本で入手しました。

この本に含まれる対訳は、他のドキュメントが新しく訳されたものであるのとは違って、1966年に既に出版されていた高木卓(1907~1974)氏によるものです(目にしていませんが、同じ人の訳で1951年に岩波文庫として出たものと同じか近いものかも知れません)。高木さんは幸田露伴の甥(女流ヴァイオリニストの草分けである安藤幸の子息)、ヴァーグナー作品の日本での受容に大きな役割を果たした人だそうで、いまでも全音楽譜出版社から出ているヴァーグナーの管弦楽曲(前奏曲など)のスコアには、高木さんの残した解説が漏れなくついています。
『さまよえるオランダ人』台本の翻訳も、ドイツ語独特の表現を適切な日本語に置き換えてあったり、芥川賞を辞退したほどの作家さんでもあったためか美しい語彙が精選されていたり、なかなかに素晴らしいものです。

名作オペラブックス上での対訳は、ドイツ語1行に高木訳1行を対応させていて、理解しやすくなるための工夫を実に良く施してあるのです・・・が、ドイツ語原文と高木訳を見比べて行くと、1行対1行ではどうしても意味の対応がとれていないところが少なからずあります。おや、と思って次行を参照して、初めて、高木さんの訳はドイツ語の次の行の部分を訳したものなのだ、と気づかされたりします。つまり、おそらく無理やり1行対1行の体裁にしたために、たとえばドイツ語では1行目がAで2行目がBという意味だとすると、日本語の方は1行目がBで2行目がAになっている、という具合の反転が、ときどき現われるのです。訳がよく工夫されているため、さほど多くは起こっていないのですが、気に留めておかなければならないことではあります。
小さな例のひとつを上げますと、こんな具合。

第1幕のオランダ人の独白から
(原文)
Wie oft in Meers tiefen Schlund
stürzt´ ich voll Sehnsucht mich hinab:

(和訳)
おれはいくたび憧れにみちて
海の底ふかく身を投げたことか。

あるいは、原文に含まれるちょっとしたユーモアなどのニュアンスも消えてしまう場合があります。
第1幕での有名な舵手の歌に

ach, lieber Südwind, blas noch mehr!
Mein Mädel verlangt nach mir.

というのがあるのですが、このあと舵手は居眠りをしてしまい、船長に起こされて寝ぼけます。
そこで再び歌う詞は

Ach, liebes Mädel, blas noch mehr!
Mein Südwind…

と、南風と娘ッ子にあたる言葉がひっくり返っています。
ところが、高木訳ではここがどちらも
「南の風よ、もっと吹け、かわいいあの娘が・・・」(35ページ、41ページ)となっています。誤訳と言ってしまえばそれで済むのですが、「かわいい娘よ、もっと吹け」にしてみても、舵手の寝ぼけが日本語の方で表し切れないのは否めない気もします。
(ちなみに「対訳プロジェクト」にあるテキスト原文には、南風と娘ッ子の語彙の転倒はなく、あとで上げる録音の音声や映像でも転倒が無いので、原文テキストのほうに誤りがあるのかも知れません。)

私は語学は堪能ではありませんので、対訳にお世話にならないとオペラで何が歌われているかは日本語作品以外はさっぱり分からないのです。が、こんな例からしてもやっぱり、聴き取れるまでには至らなくても、出来るだけオリジナルの台本はあらかじめ原語のニュアンスを少しだけでも読み取って鑑賞した方が面白さが格段に増すはずだと思っています。

最近はDVDやブルーレイの普及で、オペラを家庭でのんびり、目で楽しむことも出来るようになりました。
それで、『さまよえるオランダ人』も1種類だけ見てみたのでした。
ハリー・クーパーという人の演出で、ヴォルデマール・ネルソンという人が指揮した1985年のバイロイトの映像でしたが、うーん・・・始まりから終わりまで全部の場面を、オランダ人の絵を抱きしめたゼンタが狂った表情で傍観している演出は、台本原文からイメージ出来るものとのギャップが大きくて、どうも馴染めませんでした。第3幕で、生きているはずのほうのノルウェーの船員たちや女性たちに死人のようなマスクを付けさせているのも、なんだかあまりに台本の裏を読み過ぎ、あるいは裏をかき過ぎな印象がありました。他にも数種類の映像が発売されているのですけれど、どれを見たって結局は違和感を持ちそうで、見る勇気が出てきません。

オリジナルの台本をなんとか頑張って読んでおいても、結局は耳だけで鑑賞した方がまだいいや、と、元の木阿弥になってしまっているのでした。

『幻想交響曲』で器楽だけの芝居を描くことに成功したベルリオーズが、『さまよえるオランダ人』について発言しています。
「『さまよえるオランダ人』の総譜は、暗い色彩と舞台装置でよくわかる嵐の効果によって、私には注目すべきものに思われた。しかし、私はそこに<トレモロ Tremolo>の濫用に気づかざるをえなかった。・・・トレモロが上の声部であっても下の声部であっても、きわだって音楽的な思考を伴っていないと、作曲家としては独創性を必要としないものである。」(『回想録』から。名作オペラブックス『さまよえるオランダ人』p.159)

ベルリオーズの半ば批判的な発言にも関わらず、『さまよえるオランダ人』はフランツ・リストからも、当時前世代を代表する音楽家だったルイ・シュポーアからも絶大とも言える支持を得、私たちには反ヴァーグナーの領袖として有名になっているエドウァルト・ハンスリック(1825〜1904)にも高く評価され、ヴァーグナーにとって大切な作品となったのでした。

全幕を対訳字幕付きで(音声のみで)鑑賞出来るYouTubeリンクはこちらです。
37歳のディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがオランダ人役のもので、私が愛聴しているCDと同じ演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=on-cEVG3CdQ

第2次世界大戦後にゲヴァントハウス管弦楽団を支え続けたフランツ・コンヴィチュニーの指揮による1962年のもので(この年、コンヴィチュニーは亡くなってしまいます)、舵手を4年後に36歳で事故死してしまう名テノールのフリッツ・ヴンダリッヒが歌っているのも聴きものです。

2014年10月 3日 (金)

器楽だけの芝居をみる〜ベルリオーズ「幻想交響曲」

この録音の時代のクラシックは、同じ曲をたくさんの違う人が別々に収録していて、同じ曲であるにも関わらず、マニアは別々の演奏を買いあさっては聴く、という奇妙なジャンルです。
でも、なぜそんなマネをしてしまうのでしょう?

あるひとつの劇・・・能や歌舞伎のように伝統的なものの方が日常的ですけれど・・・に、いろんな演者がいろんな時に違う場所でチャレンジし続けている、それを見物して、演じ方の違いに面白さを見出すのと、似た興味や関心からではないかな、と、私は思っています。

まあしかし、稼げない子供のうちは、同曲異演を聴きまくる、なんてことは出来ません。そもそも最初はそんなこと思いもよりませんでした。

「アルルの女」のレコードで気に入ったイーゴリ・マルケヴィッチは、またベルリオーズの「幻想交響曲」を得意にしている、と何かで読んだような読まなかったような。
これを4回だか5回だか録音をしていた、とは、あとで知ったことです。
クラシックの廉価盤LPでは地方では後発だったヘリオドールというレーベルのものに、この人の指揮した「幻想交響曲」があるのを見つけたときには、ですから、文字通り小躍りしてしまいました。オーケストラがどこだったかすっかり忘れていたのですが、ネットの時代は良いですね、下記のサイトでラムルー管弦楽団だと分かりました。
http://matsumo.gozaru.jp/music/page6h01.htm

こちらのサイトによると、当時(1970年前後)のLPは1枚1,800円か2,000円とのことで、私の記憶とは違っていますが、考証はしていません。こちらが正しいのでしょうか。

緑のジャケットでした(SMH1021)。1,000円のシリーズだったと思います。が、こちらには載っていませんでした。品番の体系が違っています。
http://www.h3.dion.ne.jp/~yasuda/bqcla/renka_lp/heliodor_1000.htm

マルケヴィッチのディスコグラフィもありました。
http://www.seikaisei.com/cond/markvtch/disc_b1.html

これにも載っていますが、いまいちばん手軽に(廉価で)手に入るマルケヴィッチ指揮ベルリン・フィル「幻想交響曲」のCDにある解説(平林直哉さん、UCCG90349)によれば、彼の「幻想交響曲」録音は
1)1952年9月 ベルリンRIAS交響楽団
2)1953年11月 ベルリン・フィル
3)1961年1月 ラムルー管弦楽団
4)1965年4月 日本フィルハーモニー交響楽団
の4つだそうです。

で、最近、なつかしいラムルー管弦楽団のものは入手をあきらめ、ベルリン・フィルとの録音でマルケヴィッチ「幻想」を聴き直しましたが、子供時代に聴いた記憶とほとんど違わなかったので嬉しく思いました。
ただし鐘の音はベルリン・フィルとの録音の方がおそらくベルリオーズの意図に近いのでしょうけれど(スコアには代わりにピアノを用いる場合のためだったのでしょうか、重い音が欲しかったのでしょうね、「グランドペダル」と注意書きされています・・・第5楽章102小節目)、ラムルー管と録音したのに用いられていたものの音の方が個人的には好きです。そう、同じ人が指揮した演奏でも、他にも表情とか、演奏時期が違うと、小さな違いはあるのです。
「お、こんどはどういう工夫なのかな?」
と、こういうところでワクワクするわけだ。

「アルルの女」で恋の幻想に浸ったませガキをいっそう調子に乗らせるには、「幻想交響曲」は最適の曲でしたが、27歳でこれを作ったベルリオーズは、いまかえりみると、そんなませガキは比べ物にもならないほど、ずっと大人だった気がします。

「幻想交響曲」にはプログラムが用意されていて、これは
「オペラの台詞のようにみなされるべき」
だと作曲者によって述べられています(OGT235 音楽之友社版スコア xi頁、井上さつき訳・・・このスコアは、フランス語が分からない私には「幻想交響曲」のものとしてはたいへんありがたい版で、楽譜内にも新全集に基づいた注釈が豊富に、日本語で付いています)

音楽で描かれているのは(プログラムの抜粋、井上さつき訳による)

(第1楽章)精神面の病に悩まされているひとりの若い音楽家が、夢に描いていたあらゆる魅力を一身に備えた理想の女性を見初めて、狂おしいほど恋いこがれるようになる

(第2楽章)街でも、野原でも、どこにいようと恋人のイメージは彼の前に姿を現わし、彼の心を騒がせる

(第3楽章)彼はやがてひとりぼっちでなくなることを願う・・・だが、もし彼女が裏切ったら!・・・希望と疑惑のこの混じり合い

(第4楽章)彼は夢のなかで、愛する女性を殺し、有罪を宣告され、処刑場に連れていかれ、「自分自身の処刑」に立ち会う

(第5楽章)彼はサバト(魔女たちの夜宴)の席で、恐ろしい亡霊や、魔女や、あらゆる化物たちに囲まれている自分の姿を見る。彼の葬式に集まってきたのである。(略)恋人の旋律がふたたび現れるが・・・それはもはや下劣で、野卑で、グロテスクな踊りの旋律でしかない。これがサバトの席に姿を現した彼女なのだ

といった具合で、いやもう、なにこれ、であります。

Berlioz大きな作品ですが、それだけに素材は「第4楽章のほとんどの部分、第1楽章のラルゴの主題、イデー・フィクス【恋人を現すメロディとして全部の楽章で印象的に現れるもの、移動ドで「ソ|ソードソミ|ミファーミ|ミレード|ドーシ」というやつ】などは以前の作品から借用されたもの」であり、「第3楽章の主題は1991年末に発見されたベルリオーズ最初期の大作《荘厳ミサ曲》の『グラティアス』からの借用であることが近年明らかになった」(音楽之友社版スコアの解説から)のだそうで、これだけ盛り込まれているとなると、青年ベルリオーズがそれまでの人生の記念碑にでもしたかったのではないか、と勘ぐりたくなります。

第1楽章のラルゴの旋律については、ベルリオーズ自身が『回想録』のなかで
「【少年時代に書いた】ロマンスの小曲は、七重奏曲や五重奏曲とともに巴里へ発つ前に焼きすてたけれど、1829年に幻想交響曲を書きはじめたとき、楽想として私の前に現はれた。これは望みのない愛に苦しみはじめた若い心の、あの切ない悲しみを表現するのに適してゐるやうに思へたからだ。『夢・熱情』と題した第1楽章ラルゴの初めに歌はれる第1ヴァイオリンの旋律がそれである」
と言い及んでいます(1848・1850・1858・1865年、訳は清水脩 音楽之友社 音楽文庫 昭和25【1950】年 22〜23ページ)
感傷的な口ぶりではありますけれど、少年時に浮かんだ情緒的な主題について成熟後の彼が適切な活用場所を見出しているあたりに、「幻想交響曲」を書いた頃のベルリオーズの優れた客観性がはっきり見てとれます。

さらに、これが彼自身も強調している通りシェイクスピア女優ハリエット・スミッソンへの強烈な片恋を盛り込んだのだとは疑わないにしても(ご存じの通りベルリオーズはこの作品を含む自作演奏会に現われたスミッソンと交際がかない、結婚し・・・別居します)、別に大きな芸術的刺激を受けたことも「幻想交響曲」の創作に結びついたのだ、と知らされる記述が、やはり『回想録』の中にあります。

原著の章分けやタイトルと訳が一致しているのかどうか知りませんが、清水さんが訳したものでは26番目の章が
「ゲーテのファウストを初めて読む・・・幻想交響曲を書く・・・演奏の失敗」
となっています。
直接に彼のこれも有名作である「ファウストの劫罰」作曲に繋がって行くのではありますけれど、またこうもベルリオーズは述べています。
「ファウストの作曲に続いて、やはりゲーテの詩の感化を受けたまま幻想交響曲の作曲にかかった。」(清水訳 168ページ)
幻想交響曲を聴くのが好きで、『ファウスト』第1部を読んだことのある人なら、これで、はああん、なるほど、と頷くことでしょう。メフィストの影もありませんし、細部も違うかも知れませんが、「幻想交響曲』の筋の進行は『ファウスト』第1部と、良く似てはいないでしょうか?

ちょうど初演直前に初めてベルリオーズと会ったばかりのフランツ・リストが、さっそく「幻想交響曲」をピアノ独奏用に編曲して3年後には自費出版していましたので、ピアノが弾ける人はリスト翻案の台本で自ら「幻想交響曲」のドラマを演じることが出来たのでした。岩波文庫に収録されているロベルト・シューマンの『音楽と音楽家』の中に「幻想交響曲」の分析がありますが、これはリストの編曲譜によって行われたものだったこともまた有名です。
それがいまでは、実演を待つまでもなく、たくさんの録音によって、多様な演じられ方をした「幻想交響曲」ドラマを、私たちは耳で観劇することが可能になっています。

いちばん売れるのはシャルル・ミュンシュの指揮した録音だそうで、ライヴも含めてじつに14種類以上はあるそうです。

http://www.numakyo.org/cgi-bin/fantasy.cgi?vew=44

そうでなくても人気曲で、検索すると聴き比べをしたサイトやブログがたくさん出てきます。

どのお芝居が良いか、は、各人各様の受け止め方で、まあよろしいのではないかと思います。

いま、演じ方を聴き分けるキーワードを1つだけ拾いますと、「ポルタメント」かなあ、と思います。

ベルリオーズは第2楽章のワルツのメロディ(38小節以下)や第5楽章序奏部の鳥が不気味に鳴くようなオクターヴ下降(8〜9小節、18〜19小節の木管、続くホルンには無し)にポルタメントをするよう記号で書き入れています。

これが、第二次世界大戦後のミュンシュやマルケヴィッチではやっていなかったり、あまり目立たせなかったりしています。(クリュイタンス/コンセルヴァトワールの東京文化会館ライヴでもポルタメントはやっていなかったと記憶していますが定かではありません。カラヤンは第5楽章でけっこうはっきりポルタメントをかけさせていた気がしますが、確かめていません。)

ところが、いわゆる「古楽」奏法というのが日の目を見てくると、ノリントンなんかもう張り切ってバリバリに派手派手にポルタメントを効かせたりするようになります(2004年のライヴ)。・・・ただ、個人的にはノリントン流の「音の拍ぶん全部を弧線のようになぞる」ポルタメントは、ううむ、これちょっと違うんじゃない? と感じてしまいます。

2002年にミンコフスキが(モダンの)マーラー・チェンバー・オーケストラと(古楽の)レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルの混成部隊を指揮して録音した「幻想交響曲」でも、ベルリオーズが書いた箇所でちゃんとポルタメントをやっていますが、これは音の拍の最後4分の1ないし5分の1くらいのところにポルタメントをかけるのです。こっちのほうが、少なくとも私が馴染んできたポルタメントに近いし、センスがいいと感じます。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲の初演者だったヨーゼフ・ヨアヒム(1831〜1907)の残した録音でもポルタメントは随所に聴かれます。
ずっと昔FMラジオで聴いたレオポルド・アウアー(チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の初演を断った人)の演奏の古録音なんかではアウアー(1845〜1930)はバッハの「二つのヴァイオリン協奏曲」第2楽章を弾くのでもポルタメントかけまくりでした。
その孫世代くらいのミッシャ・エルマン(1891〜1967)なんかポルタメントが色っぽいって言うので有名だったのではなかったかと記憶していますが、ハイフェッツもまたポルタメントのきれいなヴァイオリニストでした。この人たちのポルタメントは、ミンコフスキの採っているのと同じバランスでかけられています。
ヴァイオリンの例ばかりではありますけれど、こうしてみてくるとポルタメントは19世紀音楽の表現には欠かせない手段ではあったのかも知れず、第二次世界大戦後のようなポルタメント無し表現こそ異例だったのだと言えるのかも知れません。

・・・こういう、芝居の向こう側を勘ぐる愉しみは、マニアックでしょうね。バカみたいかも知れない。

ただ、そういう歴史的なことは別にしたとき、演奏者としては、ベルリオーズがなぜわざわざ記号を書き入れてまでもポルタメントをさせたかったのかを考え、演奏に使う楽器の性能を考慮し、それを天秤にかけて、ポルタメントをかけた方が良いのかかけない方が良いのか等々、案外厳しい決断を迫られる面もあるのではなかろうかと思います。スチール弦バリバリ、補強ばっちりの近代ヴァイオリンは張りが強いので柔らかなポルタメントは古風な張りの弱いタイプのヴァイオリンに比べるとちょっと苦手なのも確かです。
ですので、そんな情状も酌量でき、馴染んできた耳にも合っていますから、私は最近気に入ったミンコフスキ指揮のものとともに、マルケヴィッチ指揮の「幻想交響曲」も相変らず大好きです。

私のアマチュアオーケストラ入団の夢は「幻想交響曲」を初めて聴いてからまだ数年後なのでしたが、それからさらに数年、進学して大学のオーケストラに入って最初に弾くことになったのが「幻想交響曲」で、しかも日本でいちばんこの曲について高評を得ていた小林研一郎さんが指揮して下さったのでした。
コバケンさん、第1楽章のアレグロになったところでメロディの伴奏に弦楽器が
「どどっ、どどっ、どどっ、どどっ、」
とやるところに来たら、顏を真っ赤にして吃って、どうしたんだろうと学生たちが見つめましたら、

「・・・そこは、そこは!・・・心臓が、心臓が・・・ドキッ!ドキッ!ドキッ!ドキッ!

と仰ったのでした。
もう、これしか記憶に残っておりません。

残念ながらコバケンさんの「幻想交響曲」はYouTubeでは見つけられませんでした。

バーンスタインが第1楽章を解説をしている面白い映像がありました。
この人はこういう活動を積極的になさっていましたね。

1/2

http://youtu.be/Pyl5nBsAWfs

2/2


http://youtu.be/iThlLW3dzDk

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