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2014年9月

2014年9月28日 (日)

初恋は霧雨いろ〜「アルルの女」組曲

「新世界」・「英雄」・「田園」でクラシックにのめり込んで、オーケストラに入ってみたいなあ、と、思うようになりました。でも、楽器が出来ません。

小学校の図書館で図鑑を調べたら、いちばん人数の多いのがヴァイオリンでした。これならいまから始めても、どこかのオーケストラのいちばん後ろくらいには入れてもらえるかもしれない、と、有頂天になって
「ヴァイオリンをやりたい」
と言ったら、親に仰天されました。ヴァイオリンというのはお金持ちがやる楽器なのだそうでした。ウチなんか貧乏長屋でしたから。
先生を自分で見つけてくる、月謝を自分で稼ぐ、を条件に了解をとったものの、先生は幼稚園に教えにきていたオジサンしか知りません。でもとにかく教えてくれと頼んできて、月謝は新聞配達で稼ぐことにしました。それで貰えるお金が月5,000円(50軒程度しか配達しませんでしたから)。月謝は3,000円だったかな。・・・その先生には3年教わりました。まともに楽器を教わった、それが最初で最後になりました。

ヴァイオリンの月謝を払って、余ったお金でレコードを買うにも、30センチ盤LPが1枚2,500円ですから、たりません。
困ったなあ、と思っているところに、ちょうど出回りはじめたのが、1枚1,000円とか900円(これはポリドールのフォンタナなるレーベルだったかと思います)のシリーズで、おかげでこれでいろいろ聴けることにはなったのですが、曲の知識が無いので、小学生のうちに聴いたのはベートーヴェンとかモーツァルト少し、と、けっこう偏ったものに限られました。そのかわり、この頃に聴いた曲はいまになってもわりと(完全にではありません)細部を聞き覚えています。

そんなころに、気づいたら例の(「新世界」や「エロイカ」と同じ)Concert Hall Societyレーベルのレコードが1枚増えていました。
イーゴリ・マルケヴィッチという人がモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団とかいうオーケストラを指揮した、ビゼーという作曲家の「アルルの女」組曲のものでした。・・・親が買っておいたのでしょうか? しかし親には曲の知識なんかありませんでした。どなたかが下さったのでしょうか?
ネットの時代になったので、最近知ることができたのは、Concert Hall Societyとはアメリカのクラシック音楽廉価レコード通販会社だった、ということです。・・・インターネット恐るべし!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B5%E3%82%A8%E3%83%86%E3%82%A3

http://www.soundfountain.com/concert-hall/concerthall.html

指揮のマルケヴィッチは作曲家として素晴らしいスタートを切った旨、解説に書かれていました(作品は最近ナクソスレーベルで聴くことが出来るようになりました)。ふうむ、指揮者というものになる人は作曲もやるのか、と妙に感心したのでした。
この「アルルの女」のレコード、表に第1組曲、裏に第2組曲が入っていました。ぱりぱりっとした演奏だったからでしょうか、聴くなりとても気に入って、すっぽりハマってしまいました。

これらの組曲は『カルメン』の作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838〜1875)がアルフォンス・ドーデ(1840〜1897)の戯曲『アルルの女』に付けた劇音楽から編作した4曲ずつ・・・第2組曲の有名なメヌエットだけはオペラ『美しきパースの娘』からの編曲転用・・・から成っていて、第2組曲の方はビゼーの死後エルネスト・ギロー(1837〜1892、ドビュッシーやデュカスの先生)が編んだものだ、とは、よく知られている通りです。あらためてビゼー、ドーデ、ギローの生没年を並べてみると、この人たちがすっかり同世代だったと分かって、これまた感心してしまいます。

でもなぜ『アルルの女』の組曲にそんなにハマってしまったのだったか。
ベートーヴェンとモーツァルトばっかり聴いていると、やっぱりそれまで耳慣れていた歌謡曲とは違うんで、まだすっかりクラシックに馴染んではいなかったのだろうなと思います。
ところが、『アルルの女』に出てくるメロディはどこか日本の歌謡曲に近い感じがしましたし、マルケヴィッチはそんな節回しをキリッと、しかし濃く泥臭く歌わせる名人で、アイドル紀元前の子供にも調べがすんなりしみこんだのかも知れません。

戯曲「アルルの女」のストーリーにも俄然興味がでたのでした。戯曲は文庫で読めました。
でも、小学生が中身を理解するにはちと重過ぎました。ついでながら、ずっとあとに舞台で使われた音楽すべてを復活収録した演奏のCD(ミッシェル・プラッソンの指揮でした)を聴いたのですけれど、やっぱりピンと来ませんでした。

ともあれ、この戯曲が掌編集で好評を得た話をもとにしている、と知って、その掌編集『風車小屋だより』の方を読むことにしました。

「アルルの女」自体は、純情な青年がアルル出のあばずれ女(女性のかた、すみません)に一途に恋したあげく、周りの反対に追いつめられて心を傷め、ファランドールで盛り上がる祭の果てたその晩に投身自殺をする、というお話です。
『風車小屋だより』は、これを含めて全部で25ほど(Wikipediaでは序をも数に含め、「散文の幻想詩」2編に添えられた前置き部をひとつとし、「カマルグ紀行」を4分割して数えて、30としています)の小さな、悲喜こもごもの物語を、きらきらと集めたものです。浮気な女房を持った男の悲劇や、アヴィニヨンの法皇が大事にしていた騾馬にイタズラをしまくって仇をとられる奇談などなどが、地中海に面した南仏プロヴァンスを舞台に繰り広げられ、対岸の植民地だったアルジェリアでの話も2つほど含んでいて、この掌編集が成立した1860年代の南フランスの、まだ中世の神秘に包まれた素朴な雰囲気を良く伝えてくれます。日本語訳で読んでもちょっとイギリスのあの『クリスマスキャロル』の作家ディケンズを思わせる文体ですけれど、ディケンズの持つ「枯れた湿り」(へんないいかたですが)に比べると、悲しい話でもからりと乾いた感じがします。へえ、プロヴァンスってフランス語とは違うことばを喋っていたのか、とは、少し大人になって『風車小屋だより』をあらためて読んだときに知り驚いたことでしたが、今日これを綴るまですっかり忘れていました!

実は他のお話も再読のときまですっかり忘れていたのでしたが、それというのも、「アルルの女」のほうではなく、『風車小屋だより』でその前におさめられた「星」というシンプルな物語の方にばかり夢中になってしまっていたためでした。
山の上の羊飼いが、あこがれていた清楚な美少女の不意な訪問を受け、夕立で帰れなくなったその少女を一晩泊めてやることになり、思いがけず二人で(不純なことは無く!)夜空の満天の星を寄り添って眺めることになった、と、それだけのお話です。

自分は貧乏長屋の子供で、この話の羊飼いのようなものだ。清らかな女の人と、こんなふうにできることもあるんだろうか、と、そろそろそんな年頃だったんでしょう、妄想し始めてしまったのでした。
小学校のうちはまだしかし、そんな女の人と巡り会うことはありませんでした。
中学に入り、同級生になった「ゆう子」さんが、一目見でピッタシかんかん(古っ!)だったのでした。
色白の細面で、すらりと背の高いお嬢さんでした。
ゆう子さんの家の前は国鉄の線路だったのですけれど、『風車小屋だより』妄想の僕の中では、なぜだか田んぼの中の一軒家だったのでした。・・・「星」に出てくるプロヴァンスのからっとした風景とは程遠いのですが、なんでこんな景色を妄想し続けたのか、いまとなっては自分でも分かりません。
田んぼは、よく霧雨に包まれるのです。
『アルルの女』第1組曲には、最後の「カリヨン(鐘)」の真ん中に仕組まれた6拍子の、弦楽器に伴奏されフルートの二重奏で始まる音楽があります。
これが、しとしとしっとりと降る霧雨を思い起こさせ、霧雨ついでに妄想のゆう子さんちをありありと思い起こさせました。
この曲を聴いては、ゆう子さんを思って悶絶していたのだから、変人ぶりはもう中学生で存分に発揮していたのでした。
ついでに、雰囲気の似ている第2組曲の例のメヌエットも、妄想するには最適の曲になりました。

その後、なんと幸せなことに、僕はゆう子さんと一緒に学級委員になれたりしました。
で、ゆう子さんと仲良しのTにそそのかされて、中一の三学期の終わりに初めてラヴレターを書いたのでした。
返事は、「友達として仲良くして行きましょう」だったんだな。
で、その三学期を最後に、当時の宅地ブームのあおりで出来た新しい中学校の方に僕は転校することが決まっていたので、悲しいけれどそれ以後ゆう子さんに会えたことがありません。うかつにも、電話番号も知らなかったのです。家にはたしか怖いお兄さんが3人もいらしたのではなかったかと、おぼろに記憶しています。

これは小澤征爾指揮のOrchestre National de Franceの演奏ですが。

http://youtu.be/tMOdnKmqddY

妄想の大切な材料をくれたマルケヴィッチ(1912〜1983)は日本のオーケストラをもよく指揮した方でしたが、1950年代からメニエル病を患っていたそうです。メニエル病は三半規管がうまく機能しなくてめまいや難聴を引き起こすたいへんな病気だとうけたまわっております。それを辛抱しながら指揮活動を続けていたものの、1975年には悪化に絶えられず引退せざるを得なかったようです。『アルルの女』組曲の録音は幸いにいま復刻されていて、1969年収録だと分かっています。ウチにレコードがいつのまにかあったその頃は、まだ録音してから数年しか経っていなかったのでした。

ついでなから、先日亡くなったクリストファー・ホグウッドが、『アルルの女』の劇音楽の主なものを、劇判で奏でられたそのままの編成で収録しています(2004年)。そのCDのリーフレットによると、劇音楽としての『アルルの女』の編成はフルート2(1本はピッコロ持ち替え)、オーボエ1、クラリネット1、バスーン2、サキソフォン1、ホルン2、タンブール1とティンパニ、ヴァイオリン7丁、ヴィオラ1丁、チェロ5丁、ダブルベース2、ピアノ、というものだったようです。

Larlesienne

マルケヴィッチ盤の当時のジャケットはまたこちらから転載させて頂きました。
http://www.h3.dion.ne.jp/~yasuda/bqcla/con_lptable/con_lp_album03.htm
ありがとうございます。

2014年9月14日 (日)

気分の持ちようでいくらでも〜ベートーヴェン「田園」

私の父が若い頃は、かのカラヤンにちょっと風貌が似ておりました。髪型のせいだったのかな?

かつてのカラヤン嫌いは、かつてのジャイアンツ嫌いほどあまたいたんではないかと思いますが、みなさんしっかりした理由はあったのでしょう。でも私の20代頃のカラヤン嫌いは、カラヤンが親父になんとなく似てる、という感情的な理由からではなかったのかしらん? 父とうまくいかなかった時期が何年もありましたから。

『素顔のカラヤン』という本の最初の方に出て来る話によると、カラヤンは言葉でこまごま物を頼むなんてことは苦手でしない人で、次の仕事に向かう急ぎ足のついでに「○○さん、いつもの、十二時半」と三言くらいいってすぐいなくなってしまうような感じだった、とのことでした。言われた人はこの三言から用件を解読しなければならない。「いつものメニューでランチを十二時半にお願いします」という具合。
私の父の物言いも同じようなところがありました。人から言われることを理解するのが遅い私には、父のそういう物言いはほんとうに難儀なものでした。

ただし、私の父には、カラヤンと比較するなんてとんでもないほど、カラヤンと大きく違うことが、二つありました。

ひとつめは、声が良かったこと。カラオケで歌うと、まあ声だけは惚れ惚れするような太くて艶のあるものでした。カラヤンはダミ声でしたからね。これは、いちおう良い方ですか。

ふたつめは、音楽の素質はまったく無かったこと。演歌に『刃傷末の廊下』というのがあって、父はこれが大好きだったのですけれど、一緒にカラオケに行ってこれを歌い出されると、ほんとうにいたたまれません。カラオケの方はもう2番が始まっているとき、父はまだ1番を歌い終わらないのです・・・というとちょっとだけ誇張があるので、あの世の父に文句を言われそうですが、事実と誇張とはせいぜい五十歩百歩です。つっかえて終わらない、というのではなく、高く長いところでは気分が良くなって、音をずっと引き伸ばしたまんまで、カラオケが先に進もうがなんだろうがいっこうに頓着しないのでした。

父はさておき、私のカラヤン演奏との出会いは、小学生のときに買ったレコードによります。
私がクラシックが好きになりたての1970年は、ベートーヴェン生誕200年ということで、レコード屋さんも音楽雑誌もみんなベートーヴェン、ベートーヴェンでした。それで小学生六年生の私が小遣いを一生懸命貯めて買った最初のレコードは、シューベルトの『未完成』が裏面に入った『運命』(第5)のものでしたが、解説を読んだら、
「この作品は交響曲第6番『田園』といっしょに初演された」
とあります。
それじゃあ、と、また数ヶ月小遣いを貯めて、やっとレコード屋さんに行って、なにかいいのはありませんか、と店員さんに聞いたら、
「あ、これがチャイコフスキーという人の有名な交響曲(『悲愴』でした)といっしょに1枚に入ってますから」
と勧められたのが、EMIから出ていたカラヤンの名交響曲2作カップリングのLPでした。
ところがこれ、溝が浅いのか、先にあるはずの音がいまの音の上に被って聞こえてしまう粗悪品でした。
子供で返品交換なんて思いつきもしませんでしたから、『田園』は大学生になるまでこの1枚で辛抱して聴き続けたのでした。
けれども、そんな粗悪なレコードでありながら、この『田園』の演奏そのものは、決して悪くありませんでした。長くこれで辛抱出来たのは、そのおかげでした。カラヤンがまだ若い頃の、フィルハーモニア管を指揮したものでした。

人間性への評価だとかなんだとかでいまだにとやかく言われるカラヤンですが、そっちは私はあんまり考えたことがありません。演奏によってはやはりあまり好きではなくて、演奏によってはまた結構好きで、とりわけ好きなものが幾つかあるのですけれど、ベートーヴェン作品を指揮したもので好きだと思うものは稀です。
『田園』は例外です。カラヤンの録音したものは、録音した年代がいつかに関わらず、たとえば名演の誉れ高いブルーノ・ワルター指揮のものよりも、またフルトヴェングラーのものよりも、他のどんな指揮者によるものよりも、ずっといいなあと感じます
なにがいいか、というと、過剰な歌のないところ、なのです。
なだらかなヴァーグナーで人を巻き込んだ同じ指揮者が、レガートはたしかに『田園』でも勝っているものの、余分な起伏がほとんどない。
いま手元にあるのは 1976年1982年のベルリンフィルとの録音ですが、どちらについても共通してこれが言えます。
ただ、どちらも同じテンポ(速さ)でありながら、82年の方が硬い音がします。76年盤は残響が多いのですが、それを割り引いても82年盤は硬い。これは、入替えながら聴いてみるとどちらも同一テンポであるにも関わらず、第2楽章から終楽章にかけての各楽章の演奏時間は82年の方が短くて終わっていることからも裏付けられます。間のとり方に違いがあるための結果です。

1976年が左、1982年が右です。
第1楽章 09:03  09:06
第2楽章 11:21  10:22
第3楽章 05:39* 03:09
第4楽章 03:29  03:23
第5楽章 08:35  08:23
*第3楽章は、76年盤はリピートがあるので、それを差し引けば03:08です。

フィルハーモニア管とのはどうだったか・・・セットものに収録されているのですが、安くありませんし、どうせ聴き切れないので買いませんから、いまは確認をあきらめております。

当時のレコードの解説の通り、『田園』は『運命』(いまこう呼ぶことはだいぶ嫌われていますが)と同じときに初演されている事実が、ベートーヴェンの伝記には必ず出て来ます。こんなところでまたそれを云々する必要もないでしょう。

このことも伝記に出て来ますが、『田園』作曲のヒントのひとつになっただろうと推測されている、シュツットガルトのクネヒト(1752〜1817)という人が作った『自然の音楽描写』(1785)なる作品があります。いまはYouTubeやCDで気軽に聴けるようになりました。
NAXSOS盤(8.573066)の記載からクネヒト作品のプラン(和訳の方)を転記しますと、こんな具合です。

自然の音楽的描写—大シンフォニー
第1楽章:美しい田舎、そこでは太陽は輝き、優しい東風はそよぎ、谷間に小川は流れ、鳥がさえずる。急流は音を立てて流れ落ち、羊飼いは笛を吹き、羊たちは跳びはね、羊飼いの女は美しい歌声を聴かせる。
第2楽章:突然空が暗くなり、あたりの自然は不安に息をのむ。黒い雲が集まり、風が吹き始め、遠くでは雷鳴がとどろき、嵐がゆっくりと近づいてくる。
第3楽章:ごうごうと音を立てる風を伴う嵐がやってくる。雨は叩きつけ、木々の先端はざわめき、激流の水は恐ろしい音をってながら流れていく。
第4楽章:嵐は次第におさまり、雲は消え、空は晴れ渡る。
第5楽章:自然は喜びに満ち、天に向かって声を張り上げる。それは、創造主への心からの感謝を捧げる甘く心地よい歌だ。

解説によるとけっこう人気のある作品だったようですが、発表当時の演奏履歴までは分かりません。聴くと気持ちの良い曲ですけれど、今ふうに集中して耳を傾けようとすると飽きが来ます。

http://youtu.be/HP2QW21cqcM

さて、これを「そっくり筋書の手本とした」(伝記作者のセイヤーがそう言っているそうです)、ということは悪く取れば剽窃した、とされるベートーヴェンの『田園』のほうは、ご存じの通りです(音楽の友社版スコアの解説から転記)。

第1楽章:田舎に着いたときに(人の心に)目覚める(心地よく)晴々とした気分
第2楽章:小川のほとりの情景
第3楽章:田舎の人々の楽しい集い
第4楽章:雷 嵐
第5楽章:羊飼いの歌。嵐のあとの、(慈しみに満ちた、神への)感謝(と結びついた)気持ち

筋書は同じですけれど、ずっとシンプルですし、分け方が大きく違います。
さらに、クネヒトの作品が手軽に聴けるようになって、肝心の音楽の中身がずいぶん異なっていることがはっきり分かるようになりました。

私は楽譜を読むのも演奏をするのも専門家ではないのでまっとうな分析は出来ませんが(いつも面白がって楽譜をいろいろいじくり回して眺めるのは好きなんですけどね)、『田園』は第5(運命)より凄いところもけっこうあるんじゃないかなあ、とは感じます。
第5はひとつだけのリズムパターンを積み重ねて有名な第1楽章を形作っちゃった驚異が確かにあるのですけれど、その分これは『田園』の第1楽章に比べると単純でもあります。『田園』の第1楽章は、最初の主題は最初の主題で、次の主題は次の主題で、3つのリズムパターンをそれぞれに組み合わせて、オーケストラ曲というよりは室内楽に見えるように繊細に響かせているのが新鮮なビックリなんですよね。
第5だと変奏曲にしてもたせた第2楽章も、『田園』は極端に言うとシンプルな繰り返しの中で色合いを変えるだけで10分間ひとに聴かせてしまう。決して飽きさせない。
スケルツォ以降の愉快さといったらありません。
スケルツォでは最初に出て来るのがメインテーマだとはまったく感じさせず、これこそメインテーマだみたいな顏をするオーボエは繰り返しをしなければいちど出てくるだけで、見事に肩すかしを食らわしてくる。
続く部分でも、クネヒト作品に比べて格段に切羽詰まった、緩んだところのない嵐と雷と、その後の案外さっぱりとした平穏の描写には、感嘆の念を禁じ得ません。

私にはそれだけ素晴らしく聞こえる『田園』ですが、これをワインガルトナーの指揮する演奏で聴いたドビュッシー先生は、酷評しています。詳しくは岩波文庫の『ドビュッシー音楽論集』(平島正郎訳、青509-1 141ページから)で読んでいただくことにして、ワインガルトナーとベートーヴェンへの批難の最後に、ドビュッシーがこう言っている、というところだけ引いておきます。
「彼(=ベートーヴェン)のような天才音楽家は、ほかのひとよりもいっそう盲目的に間違いをしでかすことが、できた・・・ひとりの人間が、傑作しか書かないなんてことは、あるものじゃない。そしてもし『田園交響曲』をこんなに傑作あつかいしてしまうと、ほかの場合にこのことば(=傑作)の有難味がなくなってしまう。」

私は『田園』の楽譜が室内楽風に見えてしまうせいか、さっぱりめの演奏で聴くのが好きです。
それで、70年代くらいまでのように大きなオーケストラでやるとなると、カラヤン風がいいと感じるのでしょう。
コンパクトな編成で響きもシンプルにして演奏することがその後流行りだしますが、アーノンクール、ホグウッド、インマゼール、と聴いていってみると(最近のですとパーヴォ・ヤルヴィが面白いですけれど)、意外にロジャー・ノリントンとロンドン・クラシカルプレイヤーズがいちばんなだらかだったりして、面白いじゃん、いいじゃん、と思ったのでした。

ところが、このノリントンらが80年代後半に実現した響きを、なんと驚くことに、日本のオーケストラが1968年に先取りしている録音があります。
岩城宏之指揮、NHK交響楽団なんですヨ。大編成のはずなのに不思議でした。
響きが本当に似ていて、もう今日はこの言葉ばっかりですけど、ビックリ仰天したのでした。
(あ、私の感覚ですから、実際にお聴きになって「違うじゃん」とお思いになっても私は責任は取りません!)

Iwaki 岩城さんは下振り時代に、来日したカラヤンの指導で
「きみはものすごく表現しているけれど・・・きれいな音を出したかったら、もっと力を抜いて指揮しなさい。・・・ドライヴしないで、キャリーするのだ」(『岩城音楽教室』の本文にもありますが、文庫版のあとがきから転記)と言われています。斎藤秀雄門下としては優等生だった(それでも師匠の言うことはきかなかったところはあるんだそうですが)小澤征爾さんと違い、破天荒なところがあって、N響デビューのときに
「斎藤先生の理論である、『指揮では物理的、合理的な運動しか許されない』というのに反発して、本番ではそれこそ逆立ちせんばかりにオーバーに演ったのです。」
で、翌日レッスンに行ったら斎藤さんに、昨日見たけど他の弟子にはあんなの許さんがおまえだけには許す、というようなことを言われたのだそうです。

『岩城音楽教室』のなかでは、『田園』について、こんなふうに述べられています。

「ベートーベンの第六交響曲の『田園』にも、第一楽章は『田舎についたときの喜び』というただし書きがついていますが、極端な話、歴史的事実を無視して考えると曲を聴いただけではジェット機で着いたのか、汽車なのか、馬車で来たのか、こちらの気分の持ちようでいくらでも変わってきます。それでもかまわないではないかと、ぼくは思うのです。/第四楽章『雷と嵐』では、遠くのほうでゴロゴロ音がしたかと思うと、すぐドカーンという音がやってきます。はじめてわかったのですが、あそこいらの気象は、遠くに雷が見えたかと思うと、いきなり雷がドカーンとくるようで、そのへんの事情は行ってみないとわかりません。しかし演奏したり、聴いて楽しむために、その事情を知っていなければできない、ということではありません。/このことが音楽の持つ抽象的なおもしろさです。抽象は抽象として、感性で受け止めればよい。理屈でわからなくてよいわけです。」

これ、ノリントンが言いそうなこととは正反対に見えるかも知れませんが、実はそうでもないんではないか、と、いまのところ何の根拠もありませんけれど、私なんかには何故かそんなふうに思われて仕方ありません。はからずも似た響きを作り上げたところに、ことばにはしにくい音楽の楽しみの根っこがあるんじゃないのかな・・・

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