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2015年11月 8日 (日)

楽器も音楽も難しく、カルテットも難しい (;o;) ボロディン「弦楽四重奏曲第二番」

自分なんてアマチュアで音楽やって来たくらいしかないからなあ、と、なんとかその思い出にかこつけながら曲の話でもだらだらしようか、と思っていたのでした。
そうやって連ねたものを読み返すと、なんだ、無価値な話ばっかりだ、と苦笑いしか漏れません。それで続ける気がだいぶ失せました.

ただしアンサンブルについては、ちょっとだけ能書きがありますので、私をご存知のかたのお役に立つようでしたら、と、そう思って久々に綴ります。

浪人してもアマチュアオーケストラでわいわいやっていたところへ、年末のミサ演奏会の後、
「おまえ、来年うちの大学に入るんだろう?」
と、たしかにその翌年から先輩になる人たちがぞろぞろと来て、打ち上げの席で、初見でいきなりモーツァルトの弦楽四重奏曲(2作目のト長調のものだと知ったのは大学に入ってからです)の第1ヴァイオリンを僕に弾かせました。独学の私は初見なんてそれまで無縁だったし、しかも緩徐楽章のテンポが分からなかった(十六分音符は速く弾くのだ、とばかり思っていた)し、で、手も足も出ないのですが、先輩たちは構わずどんどん先に進みます。要するに、力試しされたのでしたが、万座で恥をかかせられて終わったのでした。

あとで古典派程度の初見に慣れてみると、楽譜にとらわれることさえやめれば、第1ヴァイオリンなら、旋律は下声3パートのテンポと和声を聴き取れれば、音符の並びと旗(符尾や連桁)の密度が譜面上どう横展開されているかを一瞥してしまうと想像がつくのです。
第2ヴァイオリンやヴィオラは和声を作らなければならないので、むしろ第1ヴァイオリンなんかより難しい。
チェロは音の出しかた(発音)で曲想を決定づけてしまうため、いいカルテットをやりたければチェロは名手が必須です。でもアマチュアではこれが最難関です。器用なアマチュアさんほど、曲を決定づけるとはどういうことか、を理解していない傾向があるからなのではないかな、と思っています。そしてプロのかたの演奏でも、この点に不満を感じさせられることは少なくありません。
どのパートでも、器用だとか、自分は技が豊富だ、とか自信が強すぎる人は、アンサンブルには向きません。そこを指摘すると真っ赤になって怒られて終わるのがオチだから、もう言わないことにしています。
弦楽四重奏曲は管楽の場合より曲の構造に起伏が盛り込まれている割合が多く、その確率も高いので、上の各要素はそれぞれのパートに・・・たとえば曲想の決定付けはチェロがない時はヴィオラに、ヴィオラもない時は第2ヴァイオリンに・・・と転化されることも多く、一筋縄では行きません。それでも原則は上で尽きますし、古典派前期ですと第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは境目が無いに等しいので、ちょっとラクになります。

これ以上別に言うことはありません。

私の二十代当時だと
・スメタナ弦楽四重奏団
・バルトーク弦楽四重奏団
・アルバン・ベルク弦楽四重奏団
・ベルリン弦楽四重奏団(当時の東ベルリン)
・ボロディン弦楽四重奏団
あたりが脂がのっていて、演奏会や録音をよく聴きに行きました。

スメタナ弦楽四重奏団は、あたたかみ溢れるベートーヴェンの全集が評判で人気が高いのでしたが、それぞれ名人ながら器用なかた達ではなく、ひとりひとりのとりくみが真面目で、努力でこのあったかい響きを作っているんだなあ、というのが演奏するお姿からほの見えてくるのでした。
バルトーク弦楽四重奏団は第2ヴァイオリンさんが博学なのが有名だったかと思います。スメタナ四重奏団より知的な、そのぶん冷たい感じのサウンドが魅力的でした。
アルバン・ベルク四重奏団は、ベルクの名前を冠しているからそういう印象だったのか、耽美的な響きのする団だと感じました。ここは4人とも「器用」なのが見えて来る団でした。硬派路線ではないので当時としては異色でしたが、最近はこの傾向の強い四重奏団が主流であるように思います。ライヴも録音も聴いて心地よいものばかりで素晴らしいのですが、ちょっとルールはずれも多いように感じました。それでも成り立っていたのは、相互の信頼関係と耳の良さではなかったかな。
ベルリン四重奏団は、第1ヴァイオリンのカール・ズスケが私の二十歳の頃すぐゲヴァントハウス管弦楽団に移籍になり、ライヴを聴けたことがありません。モーツァルトの録音は他のどの団体よりも見事なものでした。オーケストラ奏者による定石をきちんと踏んだ演奏で、地味ながら響きの緩急が生気にあふれているのがモーツァルトに最適だったのでしょう。ハイドンセット以降と弦楽五重奏はすべて録音しています。ズスケの移籍先であるゲヴァントハウスの弦楽四重奏団もうまかったのですが、ベルリン四重奏団にくらべると「つまんないなあ」と思ったっけなあ。

くせ者なのは、いまも世代交代して続いているボロディン弦楽四重奏団です。
ベートーヴェン四重奏団と並んで、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の初演者として有名な団体でしたが、鋼鉄のような響きでした。当時はまだソ連存続期でしたので、「鉄のカーテン」という言葉を想起したものでした。
とにかくヴィブラートは数まで揃っている、ヴィブラートをかけないときはそのタイミングが揃っている、音程が硬いところでぴったりときまっているので和声が重鉄構造のようである・・・
すべてが揃いながら、お互いが目を合わせたり、大きな仕草で合図しあうことがないのです。

目配せだの大きな合図だのが不要でもタイミングなどが合う、というのは、日本の伝統芸能の人たちの演技などからも教えられることです。
初めて歌舞伎を見に行った時、義太夫さんのまったく見えない立ち位置であるはずの女形のひとが、義太夫さんのうねりと寸分違わず動いて「泣き」の演技をしたのを目撃したときには、たいへん感激しました。それを恩師に
「歌舞伎でも、お互い見えなくってもピッタリ揃うんです!」
と息せき切って報告したら
「当たり前だよ」
と笑われたでした。
能もまた同じだということは、最近やっと機会があって知ることが出来ました。(能の囃子はどう聴いていいのか分からないので、このあたりを理解するのはたいへん難しいことでした。)

ボロディン弦楽四重奏団の響きの「恐ろしさ」は、「一聴ニシカズ」です。
しかも、その名前をもらっているボロディンの弦楽四重奏曲第二番(CDなら1962年のもの)が、録音ではいちばんよかろうと思います。
YouTubeで見つけたのはライヴ演奏で、CD録音に比べるとゆらぎがありますが、基本的に録音とまったく同じ路線で演奏しています。
まずは第1楽章の途中(2分42秒〜3分18秒)や終楽章(20分50秒〜22分6秒)などをお聴きになってみて頂ければと思います。



https://youtu.be/X_FVODPf2tk

これとは違って、間をズラす面白さ、というのももちろんありますが、それはまた機会があれば。

2015年5月18日 (月)

モーツァルトには、お世話になりました。(「レクイエム」雑談)

たった一校受けた大学に落ちて、浪人することになりました。
いくつも受けなかったのは、入りたいところに入れなければ意味がない、と考えたからでした。
どうせ音楽を専門には出来ないのだから、好きなオーケストラをまともに勉強出来る学校に行きたいと思いました。地元の国立が、狭い視野の中で、いちばん自分の眼鏡にかなったのでした。
が、理系の高校にいたのに文系志向で英語がからきしダメだった(英語がダメなら理系でもダメなんですけどね)のが主に災いしました。・・・いまになって不思議なのは、あのころは積分だなんてモノがよく分かっていて、問題がラクラク解けたのでした。でも、大学生になって以降全然使わなかったこともあるし、本当には素質がなかったんでしょう、もうからきし思い出せません。

それはともかく。

親父が小卒で働き始めた男で、バリバリの電柱のぼり(配線屋)だったので、
「大学なんて行っても無駄だ」
みたいな価値観だし、文系なんかなおさらメシが食えないと文学部受験をとくに苦々しく思っていたので、落ちたとたん
「大学なんか行くな、働け」
と言われるのが目に見えていました。これをなんとか突破しなければなりません。

実家から少し先の坂を下ると、お寺さんがあります。
小学生の頃、子供会の習慣で、当番で夕方5時の鐘撞きにかよったことがありました。鐘をつき終わって本堂に寄ると、和尚さんが仏様へのお供えを下さるのでした。おまんじゅうだのミカンだの。お香の匂いがしみていましたけれど、これを貰えるのがとても楽しみでかよったのでした。
そうだ、と、ひらめいて、このお寺に出かけて行って
「頭を剃って下さい」
と頼みました。
和尚さんが、別に驚くふうでもなく、延ばしたまんまのボサボサ髪の僕をちらっと見て
「まず床屋さんに行って、バリカンで丸刈りにしてもらって来なさい」
と言いましたので、日を改めて床屋さんでバリカンで丸刈りにしてもらってからお寺に行き直しました。
母が保母をやっている先の親御さんにインド哲学の講師のかたがいて、僕が頭を剃る前にそのかたのところへお寺から電話が入ったらしく、親のところに
「出家させるんですか? およしなさい」
とビックリして言って来たそうでした。
僕なんて、出家するにはいまなお生身の欲が強すぎます。得度、というやつでした。なので、チンネンとかカンネンとかナンデンネンみたいな名前は頂戴していません。

こんなふうにして浪人はなんとか出来たのでしたが、そうでなくても神様だの仏様だのと言うことには関心の強い十代ではあった気がします。

修道女になった母方の大叔母には、亡くなったのが僕の生まれる6年前でしたので会ったことがなく、「たいへんに美人だった」と聞かされていたせいでしょう、どんな人だったんだろう、と想像しない日はありませんでした。三越でエレベーターガールをしていた時期もあったようで、そんなころに、どこぞの大問屋の若旦那と縁談があったのを振り切って修道院に駆け込んで、そこで結核にかかって「私は幸せでした」とにっこり笑って、二十八歳で亡くなったのだそうでした。
ありがたいことに働いて数年経つまで、身近な死は家族にはありませんでした。大叔母への想像を膨らませながら聖書のいくつかの箇所をぱらぱらっとめくるのだけが、僕に「死とはどんなことか」を考えさせる行為でした。
中学3年のときに転校して来た女の子が高3のときに首を吊って死んでしまったのは、平和な僕には大変なショックでした。中学ではとても仲が良くて、恋というほどのものではなかったのかも知れないけれど、「同じ高校に行こう」だなんて意気投合していたのでした。が、当時の仙台は共学校は少なくて、ふたをあけてみたら、その子は優秀な女子校に合格していて、僕はなんだか裏切られた気持ちになって、その子と口をきかなくなり、それっきり高校生になっても会うことがありませんでした。この事件も大叔母の件と重なりあっているところへ、キリスト教系のクラシック音楽には「レクイエム」というものがあって、聴くでもなく部屋でそのレコードをかけっぱなしにして暗くなっている日もありました。

「レクイエム」だと、もっぱらモーツァルトで、まだフォーレの作品にまですら関心が回りませんでした。カール・ベーム/ウィーン交響楽団(ウィーンフィルではなく)のものが900円で買えました。

1970年代には、レコードではまだジュースマイヤー版しか出回っていませんでした。モーツァルトの弟子で、いまさら言うまでもないことですが、死の床のモーツァルトが続きの作り方を示唆した相手だったジュースマイヤーによって完成させられた版です。
解説を読むと、これはジュースマイヤーに才能がなかったために「出来が悪い」んだというのです。じゃあ、「出来のいい」のはないのか、というと、当時の録音には、ないのでした。
それでも、なんだかモーツァルトの「レクイエム」を聴いていると、会ったことのない大叔母や、自殺してしまった同窓の女の子が、ぼんやり目の前に現れて来て、「天国には神様がいるんだから大丈夫だよ、いつかあんたもこっちにくるんだからね」と話しかけてくるような、奇妙な錯覚を覚えていたように思います。
ふりかえってみると、こんなことをつうじて、魂がちょっとは浄められていたのかもしれませんね。

モーツァルトの「レクイエム」には、その後、「出来のいい」のはこういうんだ、と言わんばかりに、いろんな新しい版が登場することになったのもご存知のとおりです。
1984年の映画『アマデウス』で使われて一躍脚光を浴びたバイヤー版が、いまでもいちばん演奏機会と録音の多い改訂版です。が、これはジュースマイヤー版をそんなに大きく変更はしていません。
『アマデウス』には『アマデウス』で、幼なじみと見に行って、結局それきり彼女と会うことがなかった、とか、変な思い出があるんですけれど、それは措いときましょう。
ホグウッドが録音を出したモンダー版はいちばん過激で、ジュースマイヤーが100%作曲した「サンクトゥス」・「ベネディクトゥス」・「アニュス・デイ」は全部省き、モーツァルトが冒頭数小節のスケッチだけ残したアーメンフーガを独自に仕上げて最後に響かせるものでしたが、最近は録音を見かけません。
モーツァルト研究者として名高いロビンズ・ランドンやレヴィンの版もあります。ランドン版がどんなだったか思い出せませんが、レヴィン版はジュースマイヤーの作曲した部分に大きく手を加えていて、とくに「サンクトゥス」はオーケストラの弦楽器がレヴィンの信ずるモーツァルト様式にすっかり書き換えられています。「サンクトゥス」に続く「ホザンナ」も、ジュースマイヤー版では28小節に過ぎませんのに、レヴィン版では倍以上の58小節に拡張されています。その他にも、たしかに統計的にモーツァルト様式であるだろう楽句やオーケストレーションに改変されたところは枚挙にいとまがなく、アーメンフーガも巧みに完成されていて、才人のこの人らしい面白い仕上がりになっています。が、素人感想としては
「うーん、でもこれで本当に正解なのかな」
と首をかしげてしまいます。なんぼ首をかしげても、しかし専門家には太刀打ち出来っこないのですけど。(レヴィン版のスコアの解説は、ジュースマイヤーが独自に作曲した部分もいかにモーツァルトのアイディアが生きているか・・・モーツァルトはたぶん必死でジュースマイヤーに「こうしなければならない、ああしなければならない」とインプリメントさせたんでしょうね・・・を教えてくれる貴重なドキュメントのひとつです。)
最近では「初演復元版」なるものも存在していて(、どんなのだろう、とスコアを眺めながら聴いてみましたら、これはジュースマイヤー版なんですね。当然と言えば当然です。ただ、聴いた録音で通奏低音がオルガンではなくフォルテピアノで弾かれているのには驚きました。解説によると、モーツァルトの「レクイエム」全曲はモーツァルトの死から2年経った1793年に初演されたそうですが、その会場となったホールにはオルガンがなかったのだそうです。編成はヴァイオリン各パートが6、声楽は独唱の他リピエーノ3だったとのことで、付属リーフレットの写真では全貌がはっきり分かりませんが、弦楽器は他にヴィオラとチェロが各2、バス1のようで、声楽がもう一人(合計8人)います。歌手の手持ちの楽譜はベーレンライター旧版に見えますが、全体の演奏は初演復元した2013年版なのだそうです。・・・この録音のCDには、併せてモーツァルトの葬儀の際に演奏されたであろう規模での「レクイエム」入祭唱・キリエも収録されていますが、好事家的であるに過ぎない気がしないでもありません。
最近の録音でいちばん穏当に聴けるのは、鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパンのものではないかと思います。鈴木優人氏がこの団体のために校訂した楽譜による演奏で、2006年12月(モーツァルト生誕250年の年)に演奏会で披露されたのと同内容を2013年12月に神戸で録音したものだそうです。モーツァルトの「レクイエム」は、モーツァルトの死にもかかわらず仕上げて納品されなければならなかったために、妻コンスタンツェが苦慮して、ジュースマイヤーよりも前にアイブラーという人に補筆依頼がされました。鈴木氏はジュースマイヤー版をベースにしながら、このアイブラーの補筆がある部分(「ラクリモーサ」のモーツァルト絶筆部分のあとにアイブラーが二小節書き足していますが、それは除きその前の「コンフターティス」まで)はアイブラーの補筆を採用しています。とはいえ、ところどころにジュースマイヤーのものでもアイブラーのものでもない音があって、ちょっと度肝を抜かれたりします。復元創作したアーメン・フーガはレヴィンのものより控えめですが安定した出来で、素晴らしいと思います。「トゥーバ・ミルム」の1800年出版版(ジュースマイヤー版でトロンボーンに与えられている楽句を、最初以外はファゴットで演奏させる)の復元演奏も収録されています。

ついでながら、カラヤンの1961年のジュースマイヤー版は仰天もので、とくに「トゥーバ・ミルム」ではトロンボーンの独奏部を複数のトロンボーンに吹かせています。当時そんな演奏が普通にされたりしていたんでしょうか? ベルリンフィルならではだったんでしょうか? 面白いけれどちょっと受け入れられませんでした。思い出したので記しておきます。

死の床でモーツァルトが泣く泣く最後の力を振り絞って書けるだけ書き、残りはアイブラーやジュースマイヤーにゆだねざるを得なかった「レクイエム」の手稿譜ファクシミリは、最新版が今年ベーレンライターから出版されました。
そこから、
・モーツァルトが弦楽と声楽だけ完成させ、あとでアイブラーが補筆した「ディス・イレ」冒頭
・同じ部分をジュースマイヤーが完成した部分の写真
を・・・歪んでいて申し訳ありませんが・・・載せておきます。

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「ラクリモーサ」の8小節目がモーツァルトの絶筆だと伝えられていて、それが正しいのでしょうが、モーツァルトは順番に楽譜を書き進めていた訳ではないので、曲としては続く「ドミネ・イエズ」、「ホスティアス」までの声楽を完成させています。

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「ホスティアス」末尾には上中下三カ所に”quam olim da capo”とモーツァルトが記していましたが、一番下のものは泥棒さんが切り取って持ち去ってしまったそうです。ファクシミリでも切り取られた形が再現されています。・・・こんなせこい泥棒しちゃダメだよ。

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新モーツァルト全集第2巻には「レクイエム」のモーツァルト自筆部分だけを取り出したもの、モーツァルトの死の直後にアイブラー(とジュースマイヤー)が補筆したところまでのもの、ジュースマイヤーが完成させた全曲、の3種類が印刷譜化されていますので、趣味でモーツァルトの考えていた響きを再現してみたいと思ったら、これを手にするのが一番だと思います。いまはネットでも見られるし、ダウンロード出来るかと思います(個人使用に限る http://dme.mozarteum.at/DME/nma/nmapub_srch.php?l=3 第1篇:宗教声楽作品)。

・・・モーツァルトには大学生になってもまたいろいろお世話になり続けることになります。

参考CD
・レヴィン版(2002年録音)CD-R
 マッケラス/スコットランド室内管・合唱団ほか 東京エムプラス輸入 BKD211

・初演復元版(2013年?)
 ジョン・ハット/ダンディン・コンソート 東京エムプラス輸入 CKD449

・コレギウム・バッハ・ジャパン版(鈴木優人)2013年12月録音
 鈴木雅明/コレギウム・バッハ・ジャパン KING INTERNATIONAL INC. KKC-5414

2015年5月 6日 (水)

浪人して、Ave verum corpsに出会う。

高3の時は、ジュニアオーケストラはお休みしました。

高校の理数科というところに通っていましたが、文科系に進むことには父が反対なのが目に見えていましたので、そうしたのでした。
大学には進学したくて、それも文系希望でした。音楽を職業としてやりたい、だなんてとんでもない話で、ピアノはとうとう習えませんでしたから、断念せざるを得ませんでした。まあ、断念していなくたって、どの程度の馬の骨になっていたでしょうかしら。
とにかく将来を思うと胸はぐらぐらで定まらず、勉強もどこか上の空で、当時まだあった国立二期校をハナから受験せず、一期校は見事に不合格で、一浪することになりました。

浪人中も真面目に勉強していたかどうか。
浪人と同時にオーケストラに戻って、またバイオリンなんぞ弾いていたのでしたから。

行っていなかった一年の間に、かのジュニアオーケストラは何かあったらしくて、戻ってみたら体制が変わっていました。
指導して下さっていた岡崎先生のお顔も見えなくなり、練習指揮をしていた桑村さんというかたもいらっしゃらなくなっていました。仙台一高だの宮城一女だのから大勢来ていたメンバーはみんな別の高校の生徒たちに入れ替わっていて、指揮も私立高校の若い男性音楽教師になっていました。この人と、大学になってから知り合って連れて行ったもう一人には、僕は翌々年疎んじられるようになって、ある日突然座る席が無くなってしまうことになります。その後この団体の後継の人たちにもどんなふうに言われたのだったか、僕は良く思われなくなったようで、数年後にはこの団体にはもう行けなくなってしまいました。
が、まだあとのことです。
浪人当時は、ここに行けることが天国でした。

夏の演奏会では、ベートーヴェンの「レオノーレ序曲第3番」とカバレフスキー「道化師」、シューベルトの「未完成」をやったのではなかったかな。ハチャトリァンの「ガイーヌ」のレスギンカを恥ずかしくなるほどのスローテンポでやった記憶もごちゃごちゃに混じっていますが、このときだったかどうか。

嬉しかったのは、体制の変わったこの団体が「クリスマスコンサート」なるものをやるようになっていて(ミッション系の女子校の生徒をたくさん団員にし、そこの指導の先生も協力するようになったからだったのでしょう)、冬にミサ曲の演奏も経験出来るようになったことでした。
大学の試験前でありながら、12月にはこのクリスマスコンサートに参加させてもらって、シューベルトのト長調のミサ曲(第2番)を演奏しました。18歳で作った、とても美しいミサ曲です。

このときのアンコールでモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス(K.618)」を演奏することになりました。
シューベルトのミサ曲も感動ものだったのですが、初めて合唱と一緒に弾いた時、モーツァルトのこの小さな作品に、大きな衝撃を受けたのでした。
それを、どう言葉にしていいか、いまになってもよく分かりません。音の静かな漂いについては、とくに何も言えません。

Mozartbook 詞の方については、少しおしゃべりのネタがあります。
どうしてそう思ったのか説明がつかないのですが、うむ、この歌は歌詞とぴったりに出来ているに違いない、と、すぐ確信したのでした。ラテン語なんて分かりませんから、歌詞がどんなかも分かりません。でも間違いないはずだ、と信じたのでした。
それで、駅前の大きな書店で、他にはない専門書も置いていた一番町の丸善に、自転車で出かけて行って、ラテン語の辞典を探しました。高価で、浪人生なんぞにはとても買えませんでした。仕方がないので出直して、Ave verum corpusの詞を楽譜からメモに書き写してポケットに忍ばせて、丸善の店員さんに見つからないように、ドキドキしながら、店頭でラテン語の辞書を引きました。語尾が変化する仕組みだなんてまだまったく知りませんでしたので、おおよその見当で意味を突き詰めたのでしたが、後年翻訳を見つけて読んだら、ありがたいことに、ほぼあっていました。
こんなことがあったので、Ave verum corpusの詞は40年近くたった今でも、わりと思い出すことが出来ます。

立ち読み辞書引きをしたあとから、モーツァルト叢書と称して出たモーツァルト関係の論文の中に、調べるまでもなくAve verum corpusについて詳しく説明されたものがあるのを見つけたことがありました。でも、先にそれを読んでしまっていなくて本当に良かったと感じています。説明文を何も読まぬうちに七転八倒して調べたことが、曲に直に接する大切さを身にしみさせてくれたのではないか、と思うからです。

Ave verum corpus, natum de Maria virgine
vere passum, immolatum in cruce pro homine.
quius latus perforatum unda fluxit et sanguine,
esto nobis praegustatum in mortis examine.

処女懐胎で生まれたイエスという肉体が、人類の原罪をあがなうため十字架にかかり、槍で突かれた脇腹から水と血を流した、なる聖体の賛美と拝領の意義を歌ったモテットです。
分かりやすい訳がこちらのサイトにありますが、Mozartの使っている詞では若干語彙や語順の違うところがあります。
http://www2.odn.ne.jp/row/sub2/seika/seika_02.htm

モーツァルトは、死病の父に送った慰めの手紙にこう書いたことが有名ですね。

「死は(厳密にいえば)ぼくらの人生の最終目標ですから、ぼくはこの数年来、この人間の真の最上の友とすっかり慣れ親しんでいました。その結果、死の姿はいつのまにかぼくには少しも恐ろしくなくなったばかりか、大いに心を安め、慰めてくれるものとなりました! そして、死こそぼくらの真の幸福の鍵だと知る機会を与えてくれたことを(ぼくの言う意味はお分かりですね)神に感謝しています。−−−−−ぼくは(まだ若いとはいえ)ひょっとしたらあすはもうこの世にはいないかもしれないと考えずに床につくことはありません。」(1787年4月4日付け。西川尚生訳。『モーツァルト』p.163 http://www.amazon.co.jp/dp/4276221749/)

レクイエムの尋常ではない作曲経緯もあり、父へのこの書簡のイメージもあり、詞の最終節でイエスの聖体に向かって「私たちの死の試練の先触れであって下さい」みたいなことが言われているAve verum corpusも、当然のように「死」と強く結びつけられ、命の火の消えんとするモーツァルトの清澄な世界が描かれている、との印象で語られることが常になっています(YouTubeにそんな映像例がありました https://youtu.be/G52Rs5CQfug)。
たしかに彼の死の年である1791年の、あと半年で死ぬというときに書かれた作品ではありますが、実際に分かっているのは、この作品がバーデンで身重の妻を援助してくれたシュトルという法律顧問の人物にお礼として書かれた、ということだけで、この事実からだと、「死」と過剰に結びつけることは、むしろよろしくないと思われます。
この作品がモーツァルトの自筆譜に記された作曲の日の6月18日は日曜日ですけれど(http://park.geocities.jp/okugesan_com2/gengoichiran130.htm)、カトリックと聖公会では6月の三位一体主日直後の木曜日に「キリストの聖体日」があり、これが地域によっては日曜日に祝われるのだそうですから、バーデンが日曜日にこの日を祝う習慣のある地域かどうかは分かりませんが、Ave verum corpusは明らかにこの日のための機会的作品以上のものではありません。

とはいっても、清らかな響きを聴かされると、「死と浄化」ではないけれど、どうしても「死」は強く連想されるもので、仕方ないことではあるのかもしれません。

僕自身は、Ave verum corpusを初めて演奏した浪人時代の12月から28年もあとのことですけれど、家内を亡くしたときに、清らかな音というか声というか、そんなものを聴く、という奇妙な体験をしました。
家内は年末に急に心臓を病んで倒れてそのまま死んでしまったのでしたが、遺体を3日家に置いたあと、葬儀の前日に暗くて狭い霊安室に納めなくてはならず、可哀想に思っていました。そうしたら、翌朝早く、目が覚めてぼんやり横になっていた僕の耳に、なんだか声ではない、うまくたとえられませんけれど、ガラスが話しているような透明な音で、
「見える? 見えるよ。外、見えるよ」
と三言、はっきりささやきかけられたのでした。
びっくりして飛び起きました。
誰もいませんでした。
夢に過ぎなかったのでしょうか。

・・・脱線してしまいました。


https://youtu.be/bV1dfg3goUo

Berliner Philharmoniker, Riccardo Muti, Stockholm Chamber Choir & Swedish Radio Choir

2015年4月 5日 (日)

とてもきれいだった巌本真理さん〜シェーンベルク「浄夜」・弦楽四重奏曲第2番

高校3年の時だったと思うのですが、記憶が定かではありません。

芸術鑑賞会なる催しは1年生の時が「阿Q正伝」、2年生の時が「夏の夜の夢」と、いずれも演劇だった気がしますので、やっぱり3年生の時ではなかったかな。
巌本真理弦楽四重奏団が電力ホールというところに来たのを学校をあげて聴きに行ったのでした。

曲目は、さっぱり覚えていません。
クラシックマニアなんて学校にもわずかだったでしょうから、他の連中も覚えているかどうか。
僕もベートーヴェンの交響曲9曲や有名序曲や、そのほか何人かの作曲家のオーケストラ曲は流れをそらんじられるほどまで聞きかじってはいましたけれど、室内楽にはほとんど興味がありませんでした。

クラシック好きだけど、そんなやつ少ないし、室内楽だし、おいらしらけっちゃうだろうなあ、と思って出掛けて行ったのでした。

Smallmariiwamoto が、巌本真理さんがステージに出てくるなり、会場は熱狂の渦になってしまったのでした。
そのころの仙台あたりでは見かけられなかった、彫りが深くてスラリとした美人さんだったからです。
なんせ、僕らの学校は男子校でした。

真理さんは、残された写真を見ると眉が濃くていかつい顔に見えるのですけれど、これは写真技術が良くなかったからだと思いたいところです。
実際の巌本さんはため息が出るほどきれいな人でした。
なおかつ、演奏が終わると絶叫しながら拍手を送った僕ら無粋な男子高校生に向かって、高くあげた手を振って満面の笑みで応えてくれたのでした。
たぶん、演奏のあいだは音楽を聴くよりは彼女に見とれていたのでしょう。だからちっとも、どんな曲だったか思い出せないのです。

稼げるようになったらこの人の演奏を聴きに出かけたいな、と思ったのでしたが、それから2年後には巌本さんは癌で亡くなってしまったのでした。後年伝記を読みましたら、僕らの学校に来た年に乳がんの手術をなさったばかりだったのでした。

米国人の母から生まれた真理さんは、混血だったことからくる僕らには想像もつかないコンプレックスのようなものがあったり、そうした成長期のさなかに第2次世界大戦もあったり、差別を受けたり、と、人知れぬご苦労がたくさんあったようですけれど、戦時中もひるまず演奏活動を続けた気力の少女でいらして、1946年には20歳の若さで東京音楽学校(芸大の前身)の教授に迎えられたのだそうです。これを5年でやめてアメリカで勉強し、帰国後活動を本格化していましたが、まわりのかたたちの刺激もあって室内楽に目覚め、いいお仲間を得て1966年に弦楽四重奏団を結成し、亡くなるまで精力的に室内楽を披露し続けたのでした。

巌本真理 生きる意味
http://www.amazon.co.jp/dp/4103354038

真理さん単独の録音、巌本真理弦楽四重奏団の録音はずいぶんレコードになっていたはずですが、いま入手可能なものはそう多くありません。
山田耕筰の弦楽四重奏を演奏したものやライヴ数巻はAmazonで中古で手に入るようですが、僕は聴けていません。
新品で買ったのは、対戦の影響で改名する前の少女メリー・エステル時代の演奏が収められた『[SP音源による]伝説の名演奏家たち〜日本人アーティスト編〜』、これは他に若き日の安川(草間)加寿子さんだとか諏訪根自子さんだとか、なんと三浦環の声まで聴けるという代物です。最初期は無理ですが、洋楽初期の日本人演奏家を知るうえでも貴重な資料です。

http://www.amazon.co.jp/dp/B002H16WYS/

次にKING RECORDSから出た『巌本真理の芸術』(KICC 788/9)でドヴォルザークのアメリカ、ハイドンの皇帝、ブラームスのクラリネット五重奏曲の他、真理さんのソロを収めたもの。これはもう中古でしか出てないのかな。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00276HOT0/

他にモーツァルトの四重奏曲2曲(ハイドンセットのうちのニ短調と不協和音)をおさめたものがあって、これは巌本真理さんの思い出を今回綴ろうと思っているときネットで偶然に見つけたものですので到着待ちで楽しみにしているところです。
そうした録音から受ける真理さんや四重奏団の印象については、またオタクで綴ります。

51oeocyxnal_sl500_sx355_ それらのどれよりも、現在の人たちにもまず聴かれるべき、聴いてほしいのは、1972年にシェーンベルクの「浄夜」と弦楽四重奏曲第2番を収めた1枚で、幸いこれは千円ちょっとという廉価で、いまも新品で出回っています。幸か不幸か当然のことか、YouTubeにはアップされていません。
「浄夜」は第2ヴィオラに江戸純子(小澤征爾さんの最初の奥さん)、第2チェロに藤田隆雄(録音当時期待の若手、1998年に54歳で胃ガンで早世)というひとたちを加えての演奏で、第2弦楽四重奏は後半2楽章にソプラノ独唱が入る変わった作品ですが、長野羊奈子さんが歌で加わっています。
充分に厚みのある響きのカテドラルが築き上げられていて、1970年代にこんなに優れた四重奏団や弦楽演奏家、声楽家が活躍していたのだ、と、あらためて懐かしさに強くとらえられます。そしてまた、今もたくさんの人に記憶しておいて頂きたいと感じる演奏でもあります。

http://www.amazon.co.jp/dp/B001VE7WJG/

「アメリカ」あたりだと、厚みを出す意図がやや災いして現在の志向からするとヒステリックに聞こえるきらいがあるのですけれど(これはたとえばヴァイオリンだとオイストラフのような名演奏家のものでも、いまはそう聴かれてしまうのではないでしょうか)、こちらは取り上げられている作品がシェーンベルクの、まだ無調に至る前のロマンチックな作品だということもあって、これから先も20世紀前半曲の規範的演奏として長く通用するものになっています。

では、弦楽四重奏をやるうえで肝心なことはなんだったのでしょう?
僕程度ではそれを言ってしまうとただの生意気になるので、よします。
そのかわり、hatenaで見つけた記事から、真理さん、いっしょにやっていた黒沼さんが話している肝の部分を、少しだけ引用しておきます。

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690712

── 四つの楽器は それぞれ異なった活躍をするわけですが 各奏者の奏法はすっかり統一した方がいいのか あるいはむしろ てんでばらばらの方が演奏効果がいちじるしい

黒沼 それは非常に具合が悪いんです ヴィオラが出てきた チェロがでてきた というようじゃいけないんで 第1と第2のヴァイオリンの区別がつかない というのが最高の状態なんです

巌本 ですからヴィブラートなんかもそろえるわけね

・・・芯の部分をごくあっさり喋っているだけですね。

弦楽四重奏曲には故あって僕自身が後年それを通じていじめられ(鍛えてもらった、という意味です!)、いろいろ悩み、何団体かを聴きに行った思い出もありますので、また別にお喋りすることもあるでしょう。

シェーンベルク作品と言っても誤解してはならないのは、真理さんたちが録音したのはまだ、いわゆる後期ロマン派からの脱皮が終わる前のものである点です。・・・まだなかなか馴染まれてはいなかったものだったのではありましたが、決して「現代曲」ではなかった。
それでも発表当時(作曲年ではなく。「浄夜」は1903年、第2弦楽四重奏曲は1908年の発表)には、発表の場だったウィーンで強烈な反感をかったのでした。

伝記『シェーンベルク』(E.フライターク著 宮川尚理訳 「大作曲家シリーズ」 音楽之友社 1998年)から、それぞれの時代の様子が分かる部分を引いて、今回の雑談を終わりにしましょう。

「『浄められた夜』の響きにはヴァーグナーの影響が色濃く感じられるが、音楽家協会の審議員たちは、それまで禁止されていた属九の和音の転回形が使われているのを知って、憤慨してこの総譜を孤絶した。(略)お情け程度にほんの少しだけの才能をシェーンベルクに認めておいて、シェーンベルクの試み【リヒャルト・デーメールの詩を総譜の巻頭にかかげ、そこからライトもチーフを取り出した、まではいいとして、そのライトモティーフを禁則だらけの複雑な対位法を使って仕上げたこと、とでもまとめ得るでしょうか?】はそもそも根本的に誤った道であったと結語することは容易なことだった。」(p.022)

非難はシェーンベルクが巻頭に掲げた非道徳的な(!)デーメールの詩のほうに衝撃を受け詩にこじつけて行なわれたものがこの本で紹介されています。詩の内容は、その非難の文章によれば
「一人の女が彼女の精神の夫に出会う。しかしそれはすでに彼女が彼女の肉体の夫の子供を宿してからのことだった。精神の夫は、美しい月夜に感銘を受け、自分が子供の父親になろうとすすんで申し出るのである」
というもので、これに
「こうした経過が音楽によって、言葉の助けなしに描き出させるとでもいうのだろうか?【そんなはずはない】」
との非難が続いています(p.24)。要は、言葉に助けられての標題音楽なんか安易だ、というのです。それをもっともらしく複雑に潤色するとは何事だ、みたいな、理不尽な非難だったようです。
(訳詩の一部はp.020に載っていますが、その最初の「あなたの身籠っている子供を/あなたの魂の重荷としてはならないのです」は、僕にはとてもいい言葉に感じられます。ただし、音楽作品としての「浄夜」は詩の内容は乗り越えたものだ、と、こんにちは評価されているようです。)

第2弦楽四重奏曲は器楽のみの第1楽章、第2楽章に続いて、シュテファン・ゲオルゲという人の詩「連禱」を第3楽章に、「恍惚」を第4楽章に、それぞれ声楽で加えたものです。

「『第二弦楽四重奏曲』の中でシェーンベルクがこの敬愛する詩人の詩句を導入したのは、次のような目的のためでもある。すなわち「聴衆にとってはこの曲を方向づけるための手引きとして、そして作曲家自身にとっては形式の段落分けの手引きとして」である。(略、初演の時の)その際に起こったスキャンダルは、以前のどの作品の際のスキャンダルをも凌ぐものとなってしまった。波のような笑い声と野次と口笛とが巻き起こり、演奏は聴こえないほどだった。」(p.063-064)

残念ながら巌本真理弦楽四重奏団の演奏ではありませんが、ラサール弦楽四重奏団による良い演奏はYouTubeにありましたので、そちらを埋め込んでおきます。

https://youtu.be/QSa8qW4Fdg8

2015年3月28日 (土)

魔法の清らかさ〜コレルリ:合奏協奏曲第10番

はじめて、ばかりですが、高校一年生でアマチュアオーケストラというものに入って、それだけでもワクワク状態だったところへ、あるときコンマスさんに誘われて「室内楽」とやらをやる合奏団の練習に行きました。
練習は夕方からで、場所はお寺なのでした。片岡良和さんという、仙台でも有名な作曲家さんがお坊さんで、練習場を貸して下さっているのだ、と聞きました。ただ片岡さんにはその後もお目にかかったことはありません。
メンバーは大学生や高校生だったようです。
私は2、3回は、夕方からの練習に参加したでしょうか。水曜日だったっけ。
残念ながら、バス便主流の仙台で、わりと郊外だった私の家から行くのでは帰りが遅くなり過ぎ、楽器を弾いていることはとくに父にはいい顔をされていなかったので、それくらいで通うのをあきらめなければなりませんでした。
けれども、そんなたった数回の練習参加でくぐったお寺の門・・・といっても門構えがある訳ではなくてすうっと入って行けるところだったように記憶しています・・・の、夕暮れて桃色に染まった道や、その向こうの白熱灯でぼおっと明るくなったお堂の様子が、絵本の場面のように思い出されます。

長っ話出来るほどのネタはなくて(最近なんでもネタ切れ状態!)、このとき練習した曲のひとつがバッハのブランデンブルク協奏曲の第3番とコレルリの合奏協奏曲の第10番だったこと(チェンバロはいませんでした)、とくにコレルリの合奏協奏曲は、なぜか私にとって忘れがたい曲になったこと、くらいです。バッハについては、そのうち小さな思い出話をまたぶつぶつ言いたいと思います。

Corelli バロック期といえば「音楽の母(!)」ヘンデルさんが男だった、という出会いはもうずいぶん前にしたのでしたし(こちら http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/okiraku/2014/11/post-cd78.html)、バッハの名前くらいは知っていましたが、コレルリは名前も作品もこのときが初耳でした(ヴァイオリンを習う人はこの人の「ラ=フォリア」(作品5の第12番)は早くに教わるのですが、私はさっさと独学になったので、「なにこの変な曲」・・・変じゃないんですけどね・・・くらいな感覚でスルーしていたのでした)。
こんなにすっきりした音楽があるだろうか、と驚いたのが、記憶に残ったいちばんの理由だったかも知れません。

アルカンジェロ・コレルリ(1653〜1713)は地主の息子として生まれてローマで一世を風靡した音楽家でしたが、奢りのない人だったらしく、作品は自分の納得の行くものだけを出版したと言われています。作品1の2つのヴァイオリンとヴィオローネ(またはアーチリュート)のためのソナタには、お世話になっている合奏の初学者もいらっしゃるだろうと思いますが、ひところより弾かれていないのでしたら残念です。
イタリアに渡った若き日のヘンデルの作品(時と悟りの勝利 HMV46a、1707年)の演奏にも関わったことがありましたが、その頃もう晩年にさしかかっていたコレルリはヘンデルの新しくて難しいヴァイオリンパートの演奏についていけず、ヘンデルの要求よりも弱々しく弾いてヘンデルに怒鳴りまくられ、それでも優しい人柄だったので、ヘンデルに
「でもねえ、ザクセンのおかた、この音楽はフランスのスタイルで書かれてるんで私にはよく分からないんですよ」
と許しを乞うた、という、真偽不明のエピソードが残されています(ヘンデルはそれでこの難しい音楽〜序曲を書き直したのだとも言われています)。
これは本に書かれているエピソードなのですが、もっとものすごいのでは22歳のヘンデルに楽器を取り上げられて
「じいさん、こう弾くんだよ!」
と目の前でやられて、54歳のコレルリ(いまのおいらと似たような歳だ!)が涙にくれた、なんていう話も聞いたことがあります。
・・・ほんとかなぁ。

コレルリの作品ではヴァイオリンは基本的に第3ポジションまでしか出てこず、第7ポジションも平気で出てくるヘンデルの作品に比べて演奏に要求される技術が容易です。バスパート(チェロ)にはけっこう厳しいことを強いているのが、たぶんコレルリ当時の一般的な器楽レベルの実態を反映しているかも知れません。
技術が容易だ、ということは、けれども、つくりが甘い、と同じことではありません。
合奏協奏曲集(当時からハイドンやモーツァルトの時期まで続いた習慣で12作セットでまとめられています)作品6は、どれをとっても響きが美しく、曲のつくりも安心して聴ける落ち着いた姿をしていると思います。
第8番までは日本語で教会ソナタと訳される構成で書かれ、のこり4つは室内コンチェルトと呼ばれる構成で書かれたものだそうです。どんな解説にもそのことが書いてあるので、この雑談では知ったかぶりしてどうのこうのは言わずにおきます。
出版されたのはコレルリの死の1年後ですが、生前には出版準備まで整っていたようで、かつ、12の合奏協奏曲は30歳頃からの自作から取捨選択された、コレルリ自身の眼鏡にかなったものばかり集められたのではないか、と推測されています。
大きな特徴のひとつに、こんにち私たちが「ハ長調」とか「イ短調」とかいう、その調の確立に一役かったことをあげてもいいと思います、が、素人の誤解かも知れません。それでも、コレルリの時代はいまバロック後期に括られるのですけれど、それ以前のバロックには調を明確にする習慣はまだ薄かったのではないかと思います。
合奏協奏曲群の中で、コレルリはこの調性それぞれの持つ個性を遺憾無く際立たせています。
ベートーヴェンが悲劇的な調として活かした「ハ短調」が、コレルリの合奏協奏曲第3番の調として、とてもいかめしく響くさまは、聴く人々に強い印象を残したようで、真偽は分かりませんがこれはコレルリの葬儀で演奏されたとも伝えられています。
あるいはもっとも有名な第8番(クリスマス協奏曲)では、それまでのト短調が最後のパストラール(キリスト降誕を祝う羊飼いの象徴的音楽ですよね)で、おだやかなト長調に変貌します。本来はヘ長調がパストラールの調なのではありますが、クリスマスミサで演奏されるために書かれたために峻厳さの際立つト短調を先立つ楽章で用いたための結果でもあり、また通常のパストラールよりも光をまばゆく放つ効果を発揮していると言っていいと思います。もっとも、ヘ短調というのはたいへん用いにくい調でもあったからでしょうけれど。(ヴァイオリン族の楽器はシャープ【#】の調の方が得意ですが、ヘ短調はフラット4つですしね。)

十代半ばの私の心をとらえた第10番は、ハ長調です。
ハ長調の伸びやかさが存分に発揮されていることから、高校生だった私に「ハ長調」とはどんなものか、をさわやかに教えてくれたのだ、と、今になって感じます。
エコー効果を活かしつつ中間部に短調でかげりを持たせたアンダンテ・ラルゴの第1楽章は、アンダンテ(歩む)にラルゴ(幅広く)をくっつけたのにふさわしい、幅広い歩みの音楽になっています。
第2楽章は軽快なアルマンドで、シンプルな響きながら、本来低音部分に置かれてもおかしくない安定したリズムの独特の旋律が第2ヴァイオリンに書かれていることで、少女的な軽やかさを持つ第1ヴァイオリンが好青年にしっかりエスコートされているような印象をもたらしてくれます。
折り返し点の第3楽章は短い短調の楽句で、続く第4楽章のクーラントへの序奏となっています。このクーラントがまた長調でありながら響きにどこか悲壮感があって、これはまかり間違うとヒステリックに演奏してしまいますので、弾く立場としては要注意な、性格の強い音楽です。
これに間髪入れずに速い動きのアレグロが続き、聴く人の緊張をもっとも高めるのですが、最後にゆるいメヌエットを・・・どうしてこんなによいバランスでこんなことが出来たのか!・・・控えめな華やかさで響かせて、全曲が締めくくられるところ、作曲技巧もなかなかのものです。

この第10番に限らず演奏技術が容易である分、響きにも混じりけなさが要求され、演奏者の過度の思い入れも禁じられることになりますから、演奏側にはそれなりの心の準備も要るには要ります。それでも、他の作曲家、とりわけバッハやヘンデルの合奏をするときに初心では強いられるような肉体的緊張とは無縁で、弾き手を苦しめずに「いい曲だなあ」と導いてしまうところが、後輩作曲たちにはまったく実現出来なかった魔法のように私には思われてなりません。

コレルリをいじめまくった(らしい)ヘンデルですが、彼の合奏協奏曲には、この善良な先輩の影響が色濃く見られる、と、世間では言われていて、なんだかちょっと愉快な気持ちになります。

古楽的でない演奏の一例

https://youtu.be/iaQ67P19ai8

古楽的な演奏の一例

https://youtu.be/OhAJZF43OF8

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