百人一首はなぜ出来た

2019年3月21日 (木)

「百」について〜堀川院百首和歌

「百」について〜堀川院百首和歌
【百人一首はなぜ出来た(12)】

『三十六人撰』などで歌人の人数になぜ「三十六」という数が選ばれたのか、は、ちょっと分からない、ただ易(えき)で縁起のいい「坤」の卦が数で言うと三十六(卦辞は「元亨(おおいに通る=万事順調)」)であることと関係があるかも知れない、と、この前はそこまででした。この卦のプラスα(用六)には、さらに「利永貞(永き貞[と]ひに利あり〜長期にわたる占問には吉)」ともあります。易占が関係あるかも、と思ったのは、公任の時代の貴族は具注暦に日記を書く習慣があり、それを編纂した陰陽寮に属していた陰陽師は占筮も仕事にしていたこと、陰陽師といえば、公任と同時代の有名人、藤原道長を呪詛から救った安倍晴明の説話があったりする(宇治拾遺や古事談)ことから、もしかしたら公任にも陰陽師、ひいては易占が身近なものだったのではないか、あるいは貴族たちの間でもそうであって、「坤」の示す三十六は縁起のいい数と感じられていたのではないか、と憶測してのことに過ぎません。・・・後日また考えられたらいいな、と思っております。
『百人一首』にも結びつく「百」のほうは、万葉集に現われる枕詞「ももしき(百石城)の」などでも見られるように、日本では古来から身近な数だったかと思われます。和歌については、古今集の歌人である源重之が残した百首歌もあります。これから触れる『堀川院百首和歌』の、和歌文学大系での解説には、次のように書かれています(久保田淳 筆)。
「(略)三十一文字の短歌一首ではどうしても歌いおおせたという満足感が得られないという思いを抱く歌人は少なくなかったに違いない。ここに短歌を百首まとめて詠む百首歌という方法が考え出されたのだろう。」(『和歌文学大系15 堀川院百首和歌』解説、p.324 明治書院 平成十四年)
この解説で例示されているのは、源重之のほか、曽禰好忠、恵慶、相模、と、いずれも個人の百首で、これらが『堀川院百首和歌』に先行する、百首、と冠したものたちの主要なものでしょう。
そしてまた、上の解説が言うような百首歌の「歌いおおせた」感、略したところでいうと「複雑な思想内容を盛りうる器」としての長歌を詠まなくなった代償としての営みである百首歌は、個人にひもづく感覚でもあるでしょう。
『堀川院百首和歌』は、しかし、先行する個人の百首歌たちとは一線を画すことになります。百首と冠しながらそれは個々の歌人にとっての百首であるところの16人の百首歌の、ばらされてまとめ直された集合体であるからです。
16人の歌人は、個々が予め決められた百の題につき一首ずつ詠むのであり、書物となった『堀川院百首和歌』は16人の歌は題の下に各一首の合計16首としてまとめなおされているのであり、この詠まれ方と集の形態からして、個々人の感慨だの思想だのというところから、すっかり切り離された世界を繰り広げているさまを見せています。
あらかじめ題を決める、というのがどういうことか、というと、和歌についてのみ言えば、歌会、歌合の延長だったのでしょう。歌会や歌合こそ、人々があらかじめ決められた題で歌を詠み合う(現実だったり仮想だったりする)場だったのですから。藤原清輔『袋草紙』(1158[保元三]年頃成立)の最初の部分は和歌会の次第について書いていますが、その記述から、和歌会で詠むには題が必須だったことがうかがわれます。歌がお披露目(披講)されるときの題目の読みようについて『袋草紙』では説明されており、とくに題必須とは断られてはいないものの、「探題(さぐりだい、たんだい)」という、詩や歌の会で各人がくじ引きなどで題を選んで詠むことについても述べられています(新日本古典文学大系『袋草紙』p.11 岩波書店 1995年)。歌合ならば、もともと百首という数自体が、寛平(889〜898)に遡って、まとまりの数として採られていたりしますので、『堀川院百首和歌』が歌合の延長線上にあることは、いっそう明確なのではないかと思います。
では、『堀川院百首和歌』で決められたのは、どんな題だったのか。
列挙すると、かなり縦長になりますので、記事の後に記します。
その題は、実は公任が漢詩と和歌をないまぜにして編んだ『和漢朗詠集』が先鞭をつけたものだったのでしたから、その対比も併せて見られるようにします。公任さんの影響はこんなところにも及んでいるのでしたが、いま、これについてはこれ以上は考えません。かつ、対比で見て行くと、『和漢朗詠集』はおそらくまだ漢詩主眼で題を選んでいたのに対し、『堀川院百首和歌』は、さすがに和歌だけの集成なので、和歌向けにこなれた題に変わっているのが明瞭になります。
「恋十首」のそれぞれの題が、このことをはっきり知らせてくれます。
『和漢朗詠集』では単に「恋」とひとくくりであったところを、十の題に細分化していることが、その第一。
十の題がまた、『古今集』では題として明示されてはいなかったものの、『堀川院百首和歌』で分たれることとなる恋の変遷の過程に沿って並べられていることが、その第二と言えるでしょう。その『古今集』での隠れた題を、鈴木宏子『「古今和歌集」の創造力』(NHKブックス 2018年、p.107)によって掲げ、『堀川院百首和歌』の恋十首の題と順番に対比しますと、若干の不整合はありますが、
『古今集』           『堀川院百首和歌』
 恋一〜逢わざる恋(その一)    初恋、不被知人(ひとにしられざる)恋
 恋二〜逢わざる恋(その二)    不遇恋
 恋三〜初めての逢瀬とその前後   初逢恋、後朝恋
 恋四〜熱愛から別離まで      会不逢恋、旅恋    
 恋五〜失われた恋の追憶      思、片思、恨
という具合で、後者が『古今集』(ひいては『後撰集』・『拾遺集』)の伝統をよく継いでいることが垣間みられます。かつ、時間の連続、推移が、『堀川院百首和歌』では題に結晶化していることも分かります。
伝統に沿ったものだけでなく、夏の「蚊遣火」などのように新しい趣向の題もあるのが面白いところでもありますが、時代の変遷による風物の変化がある以上、これは必然だったことでしょう。これがまた、あとで一覧を見て頂けば、夏の時間の推移の中にうまく溶け込んでいることが分かるかと思います。
『堀川院百首和歌』が、公任の『十五番歌合』や『三十六人撰』では保持がはかられていた「連続体としての個々の歌」の世界とはいかにかけ離れているか、を、「立秋」の題の箇所を引いて見て頂いて、今回も長くなってしまった記事の最後とします。
                         公実
とことはに吹く夕暮の風なれど秋立つ日こそ涼しかりけれ
                         匡房
朝まだき秋の初風立ちぬれば思ひなしにぞ涼しかりける
                         国信
待ちわびて片敷く袖の寒き哉わがねやよりや秋は立つらん
                         師頼
昨日にはかはるとなしに吹く風の音にぞ秋は空に知らるる
                         顕季
朝まだき袂に風の涼しきは鳩吹く秋になりやしぬらん
                         顕仲(源)
夏の夜のあだ寝の床にふしながら身にしむ秋の風ぞ吹ける
                         仲実
秋立つと伊吹の山の山颪(おろし)の袂涼しく吹つなるかな
                         俊頼
千年経る御祓は昨日せしかども今朝は憂き世に秋立にけり
                         師時
これを聞け荻の上葉に風吹て秋なりけりと人に告ぐなり
                         顕仲(藤原)
吹く風の荻の上葉におとづれてけふこそ秋の立つ日なりけれ
                         基俊
ひとりゐてながむる宿に秋来ぬと荻の上葉のおどろかす哉
                         永縁
夕暮の物のあはれをいかにせんけふより秋に成ぬと思へば
                         隆源
秋立つと人に知らする風の音に涼しや今朝は衣かさねつ
                         肥後
朝まだき秋立つ空のしるしには風のけしきぞ先かはりける
                         紀伊
秋の立つしるし成べし衣手に涼しきけしきことになりゆく
                         河内
いつしかと今朝は身にしむ風にこそ秋来にけりと思ひ知らるれ
どの題でも歌人はこの順番で現われます。
この『堀川院百首和歌』、立秋の題の歌には見られませんが、全体では万葉風のことばをもちいた歌が目立つなど、細部に興味を引かれるところもあります。
それが面白くもある一方、しかし一首一首に情趣はあるかもしれませんが、並んでいるとみなどこか似ていて、印象が平板です。この立秋の例だけでも、いかに各人が各人の考えから歌を詠んでいて、次に現われる歌人と示し合わせて歌としての連続体を作るみたいな発想は持ち合わせていなかったのが分かるかと思います。これはまあ、実際に顔を合わせて詠み合ったのではないのですから当然なのでしょうが。
そもそも、連続体であることが、ここでは和歌そのものに求められることから奪い去られて、題のほうに、ある意味、抽象化されて移行しているのが、一番大きな特徴ではないかな、と、私は感じているところですが、いかがでしょうか。


題の対比
和漢朗詠集      堀川院百首
春           春廿首
 立春          立春
 早春          子日
 春興          霞
 春夜          鶯
 子日 付若菜      若菜
 三月三日        残雪
 暮春          梅
 三月尽         柳
 閏三月         早蕨
 鶯           桜
 霞           春雨
 雨           春駒
 梅 付紅梅       帰雁
 柳           呼子鳥
 花 付落花       苗代
 躑躅          菫菜
 藤           杜若
 款冬          藤
             款冬
             三月尽
夏           夏十五首
 更衣          更衣
 首夏          卯花
 夏夜          葵
 端午          郭公
 納涼          菖蒲
 晩夏          早苗
 橘花          照射(ともし)
 蓮           五月雨
 郭公          蘆橘
 蛍           蛍
 蝉           蚊遣火
             蓮
             氷室
             泉
             荒和祓(なごしのはらえ)
秋           秋廿首
 立秋          立秋
 早秋          七夕
 七夕          萩
 秋興          女郎花
 秋晩          薄
 秋夜          刈萱
 八月十五夜 付月    蘭
 九日 付菊       荻
 九月尽         雁
 女郎花         鹿
 萩           露
 蘭           槿(あさがほ)
 槿(あさがほ)     駒迎
 前栽          月
 紅葉 付落葉      擣衣
 雁 付帰雁       虫
 虫           菊
 鹿           紅葉
 露           九月尽
 霧
 擣衣
冬           冬十五首
 初冬          初冬
 冬夜          時雨
 歳暮          霜
 炉火          霰
 霜           雪
 氷 付春氷       寒蘆
 雪           千鳥
 霰           氷
 仏名          水鳥
             網代
             神楽
             鷹
             狩
             炭竈
             炉火
             除夜
           恋十首
 風          初恋
 雲          不被知人恋
 晴          不遇恋
 暁          初逢恋
 松          後朝恋
 竹          会不逢恋
 草          旅恋
 鶴          思
 猿          片思
 管絃 付舞妓     恨
 文詞 付遺文  
 酒         雑廿首
 山          暁
 山水         松
 水 付漁夫      竹
 禁中         苔
 故宮 付破宅     鶴
 仙家 付道士隠倫   山
 山家         川
 隣家         野
 山寺         関
 仏事         橋
 僧          海路
 閑居         旅
 眺望         別
 餞別         山家
 行旅         田家
 庚申         懐旧
 帝王 付法皇     夢
 親王 付王孫     無常
 丞相 付執政     述懐
 将軍         祝詞
 刺史
 詠史
 王昭君
 祇女
 遊女
 老人
 交友
 懐旧
 述懐
 慶賀
 祝
 恋
 無情
 白

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