私撰近代詩

2018年9月29日 (土)

【私撰近代詩】高村光太郎

高村 光太郎
たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年(昭和31年)4月2日

白秋や杢太郎の「パンの会」に属したこの人の『道程』他の少なからぬ作品には、校歌や青春歌を読むような歯痒さをおぼえることもあるのですが、有名彫刻家だった父光雲の葬儀のときの周囲の目線に感じたむなしさ、狂人になって先立った妻、智恵子への負い目などに、なんとかしっかり向き合おう、と自らを鞭打ち続けた切なさも至る所に溢れているんですよね。そんな角度から読みなおされてもいい人である気がします。・・・まあ、専門家さんはやってるか。


   犬吠の太郎

太郎、太郎
犬吠の太郎、馬鹿の太郎
けふも海が鳴つてゐる
娘曲馬のびらを担いで
ブリキの鐘を棒ちぎれで
ステテレカンカンとお前がたたけば
様子のいいお前がたたけば
海の波がごうと鳴つて歯をむき出すよ


今日も鳴つてゐる、海が−−−
あの曲馬のお染さんは
あの海の波へ乗つて
あの海のさきのさきの方へ
とつくの昔いつちまつた
「こんな苦塩じみた銚子は大きらひ
太郎さんもおさらば」つて
お前と海とはその時からの
あの暴風(しけ)の晩、曲馬の山師(やし)の夜逃げした、あの時からの仲たがひさね
ね、そら
けふも鳴つてゐる、歯をむき出して
お前をおどかすつもりで
浅はかな海がね

太郎、太郎
犬吠の太郎、馬鹿の太郎

さうだ、さうだ
もつとたたけ、ブリキの鐘を
ステテレカンカンと
そしてそのいい様子を
海の向こうのお染さんに見せてやれ

いくら鳴つても海は海
お前の足もとへも届くんぢやない
いくら大きくつても海は海
お前は何てつても口がきける
いくら青くつても、いくら強くつても
海はやつぱり海だもの
お前の方が勝つだらうよ

太郎、太郎
犬吠の太郎、馬鹿の太郎

海に負けずに、ブリキの鐘を
しつかりたたいた
ステテレカンカンと
それやれステテレカンカンと---
(『道程』より)



   ばけもの屋敷

主人の好きな蜘蛛の巣で荘厳された四角の家には、
伝統と叛逆と知識の慾と鉄火の情とに荘厳された主人が住む。
主人は生れるとすぐ忠孝の道で叩き上げられた。
主人は長じてあらゆるこの世の矛盾を見た。
主人の内部は手もつけられない浮世草紙の累積に充ちた。
主人はもう自分の眼で見たものだけを真とした。
主人は権威と俗情とを無視した。
主人は執拗な生活の復讐に抗した。
主人は黙つてやる事に慣れた。
主人はただ触目の美に生きた。
主人は何でも来いの図太い放下遊神の一手で通した。
主人は正直で可憐な妻を気違にした。
夏草しげる垣根の下を掃いてゐる主人を見ると、
近所の子供が寄つてくる。
「小父さんとこはばけもの屋敷だね。」
「ほんとにさうだよ。」

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2018年9月10日 (月)

【私撰近代詩】木下杢太郎

木下杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)8月1日 - 1945年(昭和20年)10月15日。本名:太田正雄)

 知

知識はめでたし、人、知識を得むとて
精進し、年を老いしむ。
知識はうるさし、人、知識を得て
心を硬くし、其純粋を失はしむ。
凡ての人生は、ただ
彼が識認の一部となりぬ。
ああ覚者ゴオタマよ、
君が明鏡に映りし幾億の世相の影の、
如何にしてか、さは、巨いなる一の命とはなりしぞ。

われは廣く世界を旅し、
われは已に多くを見たり。
われはなほも見んと欲す、
わが心、日に日に虚し。

(『海ははるばる朦朧として
  女人の姿』(大正十年・・・十一年)所収)

*読みかたの一部
其=その
巨いなる=おほいなる
一=ひとつ
虚し=むなし

―――――――――――――――――
石川啄木や吉井勇、そして誰よりも北原白秋と親交の深かった木下杢太郎の、代表作でもないものをひとつ。
ことばの美しさが、さっと目にしただけだと、どうしても樋口一葉が小説に描いた風情の表面だけを追いかけたような印象で、なかなか胸に刺さってこず、選ぶのに時間を食ってしまいましたが、岩波文庫で一通り目にしたあとから、河盛好三さんの解説を読むと、ああ、なるほど、と心に入ってくる美しさがあったりしました。そういうものも選べば良かったのですけれど、今で言う東大卒で、様々な名門校の教授を歴任した皮膚科の権威だった彼の、インテリとしての感慨が、この作品からいちばん平易に伝わってくる気がしましたので、選んでみました。

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2018年8月 5日 (日)

【私撰近代詩】北原白秋(2)

きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)

岩波文庫の『北原白秋詩集』上巻から。
やはり『邪宗門』巻頭の「邪宗門秘曲」は抜きん出ているなあ、と感じます。「加比丹」や「越歴機(えれき)」が漢字、「でうす」・「びいどろ」なんて言葉が平仮名なのが、お江戸を引きずっているのも面白いですね。
「紅の夢」には「紅楼夢」がかぶっているのでしょうか?「あんじゃべいいる」とか「阿刺吉(あらき)」・って、何なんでしょう? 善主麿ってだあれ? どなたか教えて下さい!

それから、白秋は定型的なリズムの詩ばかり書いたとの印象が強いのですけれど、そうでないものを上げておきます。


(「邪宗門秘曲」では、漢字は独特な読みかたが多く、普通のテキストではふりがなが出来ませんので、印刷物や青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000106/files/4850_13918.html で確認下さいまし。ここでは字面だけでの面白さを見られればと思っています。)

   邪宗門秘曲

われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。
黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂鋭きあんじゃべいいる、
南蛮の桟留縞を、はた、阿刺吉、珍□の酒を。(※)

目見青きドミニカびとは陀羅尼誦し夢にも語る。
禁制の宗門神を、あるはまた、血に染む聖磔、
芥子粒を林檎のごとく見すといふ欺罔の器、、
波羅葦僧の空をも覗く伸び縮む奇なる眼鏡を。

屋はまた石もて造り、大理石の白き血潮は、
ぎやまんの壷に盛られて夜となれば火点るといふ。
かの美しき越歴機の夢は天鵝絨の薫にまじり、
珍らなる月の世界の鳥獣映像すと聞けり。

あるは聞く、化粧の科は毒草の花よりしぼり、
腐れたる石の油に画くてふ麻利耶の像よ、
はた羅甸、波留杜瓦爾らの横つづり青なる仮名は
美くしき、さいへ悲しき歓楽の音にかも満つる。

いざさらばわれらに賜へ、幻惑の伴天連尊者、
百年を刹那に縮め、血の磔脊にし死すとも
惜しからじ、願ふは極秘、かの奇しき紅の夢、
善主麿、今日を祈に身も霊も薫りこがるる。


(※□:た。酉に宀にヒ)

*読みかたの一部
 聖磔=くるす
 欺罔=けれん
 屋=いへ(いえ)
 大理石=なめいし
 天鵝絨=びろうど
 化粧の科=けはひのしろ(けわいのしろ)
 画く=えがく
 羅甸、波留杜瓦爾=らてん、はるとがる
 百年=ももとせ
 磔=はりき
 善主麿=ぜんすまろ


   二人

夏の日の午後……
瓦には紫の
薊ひとりかゞやき、
そことなしに雲が浮ぶ。

酒倉の壁は
二階の女部屋にてりかへし、
痛いやうに針が動く、
印度更羅のざくろの実。

暑い日だつた。
黙つて縫ふ女の髪が、
その汗が、溜息が、
奇異な切なさが……

悩ましいひるすぎ、
人形の首はころがり、
黒い蝶の断れた翅、
その粉の光る美くしさ、怪しさ。

たつた二人、……
何か知らぬこころに
九歳の児が顫へて
そつと閉めた部屋の戸。


*読みかたの一部
 午後=ひるすぎ
 奇異=ふしぎ
 蝶=チユウツケ(ちゅうつけ)
   〜方言なのでしょうか? 分かりませんでした。
 顫へて=ふるえて

◎ 他にも、やはり『思ひ出』の中の「夕日」が、自由律の作品です。

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2018年6月 2日 (土)

【私撰近代詩】北原白秋(1)

白秋の甥(妹の子)に、詩人となった山本太郎(1925〜1988、存命の政治家とは無関係)という人がいて、詩の書き方みたいな本で、白秋は「二人デ居タレドマダ淋シ」と言ったからいけないんだ、二人でいたら一人よりもっと淋しいんだ、というようなことを仰っていた記憶があって、たしか中学生くらいでそれを読んだ私は、ああ、そういうもんか、と思って白秋を軽んじてしまっていました。
とんでもないことでした。
あらためて白秋を読むと、その、もの凄さを思い知らされます。
もちろん、ご自身が優れた詩人だった山本太郎さんは、そんなことはよく分かって仰っていたんだろう、とも、今になって思い当たります。・・・この山本太郎さんの詩も、追々読もうと思います。
ともあれ、白秋については、2回に分けて詩を選んでも、まだ足りないかも知れません。
甥の山本さんから「二人デ居タレドマダ淋シ」ではいかん、と言われて、たしかにそう言われても仕方のない作品も少なくはない白秋伯父さんが、苦笑いして「はいはい、そうだよね」と応えているような、そういうものを選ぶつもりですが、どうでしょうか。

最初の詩集『邪宗門』巻頭の詩「邪宗門秘曲」に散りばめられた、目新しくて怪しげな詩語が、白秋の真骨頂のように見られがちですけれど、「邪宗門秘曲」も含め、むしろ白秋の詩は、ひねくりまわされたものではありません。素直に目耳に入る言葉を、多彩に、陳腐スレスレに操る綱渡り芸をするところが、白秋詩の面白さ、驚異であるように思います。
そんなきわどさゆえに、一編一編を抜き出すと、連綿と並んだ作品を眺めるときよりも、白秋の凄さは薄れてしまうかも知れません。
テキストは岩波文庫の『北原白秋詩集』上下巻で得ましたが、まずは下巻収録の、後半生に編まれた詩集から。


  嘘

二人手ヲ取リ語ルコト、
皆イチイチニ嘘ゾカシ。
一人デ居テスラ、コノ男
己レト己レヲタバカリヌ。

(『白銀之独楽』)


  城ヶ島の落日

太陽が落ちかゝつた。大きな大きな大火輪が、
炎々と思ひあまつて廻転する。
雲は微塵気も無いが、虚空にはたゞ、
渦まく黄金色の光ばかりが響き廻る。     (黄金色=おうごんしょく)
その下に真碧な海が波うつ。輝き返る。
無窮に無辺際に、円く円く遥かに。

さく/\、さく/\、閲寂するとまた、    (閲寂=ひっそり)
さく/\、さく/\、……
山の下では一心に誰かゞ草を刈つてゆく。
波の音にもうち消されないで、その音が
四辺に響き返る、さく/\、……       (四辺=あたり)
刈らずにゐられないで刈る、鎌が
触りさへすれば火が出さうに動いてゆく。
夕方だし、外に人間はゐないし、全く     (外に=ほかに)
心の底から、力いつぱいに動いてゆく。さく/\、……

『凪だね、まるで海がならした地面のやうだ。 (地面=ぢべた)
こんな上天気はこの城ヶ島にも滅多に無え。
彼岸だといふのに、暑いことはこれ、
腕も両足も朝でびつしよりだ。
やあ、えゝら、大かいお天道さんだなあ、   (大かい=でっかい)
何の事、まるで朱盆をぶん廻すやうだぞ。』
男が網小屋の横から手を翳す、と海には
鵜の鳥が数百羽、
雌鶏を追つかけて一直線に翔けてゆく、
たちまち、朱の波の間に吸はれる。      (間=なか)
くわつと四方八方が明るくなる。

不思議な日だ、たつた舟が一つ、
前面を一心に漕いでゆく。波が飛沫をあげる。 (飛沫=しぶき)
大きな大きな人間が
くつきりと黒く、金色に浮きあがる。と、   (金色=こんじき)
遥かに目路から細い岬が尖りだす。      (目路=めじ)
日輪が廻る、廻る、廻る、恐そろしいほど真赤な太陽が
今こそ心の心から輝く。三つ四つ五つ、    (心=しん)
二十、三十、五十、
はては空いつぱいに飛び廻る真蒼な太陽の幻覚。
海を見れば海にも団々。
山を振りかへれば山には更に緑色の大火輪が団々、閃々、
輝く草の傾斜を転がり廻る。何たる壮観。

男はやつこらさと、刈草を背負った。
幻覚が納まると、朱紅のやうに
落つきかへつた太陽がまん円く、平べつたく、
大きく大きく、伊豆の岬へ落ちる。
今まで輝き狂つてゐた空の下から
在る可き山が在る可き処に確乎と姿を曳きはへる、
太陽が紅く/\、その向ふには入つてゆく。……
悲しい悲しい底光の赤金光、         (赤金光=しゃっきんこう)
三角の頂点。
波が一時に騒めいて渚に寄せる。……     (騒めいて=ざわめいて)
而して何時かしら何かを計画むでゐたある力が
周囲から暗く、鼠色に圧し寄せる。
灰と赤の鋸のギザ/\雲が一線、       (一線=ひとすぢ)
遠い岬に曳きはへる、と余光の火焔が
更にパツと虚空の八方に反射する。
『愈々沈まつしやつたゞ、南無阿弥陀仏。』
男が丘の上へ登りきつて了ふと、
今まで目にも見えなかつた沖の小舟が、
黒胡麻のやうにチラ/\、チラ/\、
遥かに一列綴られてゆく、千も万も、幽かに幽かに、
−−生活むきが立たねば、夜も遅くまで、
泣いて烏賊つる、その舟の火の、やゝありて、イルミネエシヨン。

(『畑の祭』)


  月夜の池

わしは観た、月のおもてに
げつそりと痩せた笑を。

尖帽のしろい人かげ、
夜はふけて池をまはるを。

リンデンの枝は枯れ、
冬はまた貧しくなるを。

光れ、鶴、
雲が軋つた。

(『海豹と雲』)

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2018年5月17日 (木)

【私撰近代詩】三木露風

三木露風:1889年(明治22年)6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日)

永井荷風『珊瑚集』のストレートな影響下に詩を書いたのが、「赤とんぼ」の詩人、露風だったのですか。私は本当に物知らずです。しかしWikipediaにある「若き日は日本における象徴派詩人でもあった」というのは、ズレているようです。
「露風の仕事は、少なくともフランスで流派として確立された象徴主義とはそれほど関係ないのである」との、村松剛の解説(『日本の詩歌』2 中央公論社)のようなものは、いまはあまり省みられないのでしょうか。露風が『象徴詩集』を発行していることが、真正の象徴派であることとはまったく別だということくらいは、肝に銘じてその作品を味わうべきなのかな、くらいは、私も感じますけれど。
露風の詩は、短いですけれど、次にあげたものが、私は飛び抜けて好みです。


   村   村

日の落つるところに
村村は紫の微塵となり
空に、声なく、環を描きつつ立騰りぬ。

されど焼けのこりの村村は
尚あかるき黄金の縁をもち
褪めゆける血潮の澱を嘗む。

さて何者の老いたる手か
このとき熱灰の中を掻き探す
不断にはたらきつついそがしく。

(『幻の田園』所収)


立騰り=たちのぼり
褪め=さめ
澱=おり
熱灰=ねっかい(ねっくわい)

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2018年4月28日 (土)

【私撰近代詩】永井荷風(訳詩)

永井荷風『珊瑚集』から

 あまりに泣きぬ若き時
          フェルナンデス・グレエ

わけなき事にも若き日は唯ひた泣きに泣きしかど、
その「哀傷」何事ぞ今はよそよそしくぞなりにける。
哀傷の姫は妙なる言葉にわれをよび、
小暗きかげにわれを招ぐもあだなれや。
わがまなこ、涙は枯れて乾きたり。
なつかしの「哀傷」いまはあだし人となりにけり。

折もしあらば語らひやしけん辻君の
寄りそひ来ても迎へねば
わかれし後は見も知らず。
何事もわかき日ぞかし。心と心今は通はず。

―――――――――――――――――
永井荷風:1879年【明治12年】12月3日 - 1959年【昭和34年】4月30日

近代詩に影響を与えた訳詩集として見過ごしてはいけないものが荷風の手で編まれていたんですね。しかしその『珊瑚集』は、当初は散文も含まれていて、その後訳詩は昭和13年まで手を加えられていたそうです。ボードレールの作品はグロテスクなものに偏って訳されているのも特徴かなと思います。今回引いてみた訳詩は、いちばん荷風に似つかわしい気がしたのでした。ただし小説の苦手な私は彼の作品をまっとうには読んでいません。

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2018年4月21日 (土)

【私撰近代詩】森 鷗外

森鷗外『沙羅の木』から


       Dehmel(デーメル)

お前は己に鎖をくれた。
己はそれを首に懸けよう、
屈したことのない項から懸けて、
誰にも見えるやうに胸に垂れよう。
お前のくれた鎖だからね。
そして己はハアトをもそつとそれに吊さう。
そのハアトだがね、もう随分いろんなものに吊さ
 つてゐるよ。
貞實な己の女房の目附にも、
浮氣な女達の髪の毛にも、
クリスマスに女達に遣つた粧飾品にも、
夏の盛に摑まへやうとした蝶蝶にも、
今己達の頭の上を飛んで行く渡鳥にも、
海のあなたの樂園の木の上に
ゆらめいてゐる異様な花にも、
己の故郷の忘れられぬ地平線にも、
まだ見ぬ空の高いところに燃えてゐる星にも、
どれにも、どれにも己のハアトは吊さってゐる。
気の毒なハアトぢゃないか。星よ。己に言へ。
どうしたらこれ程の富が一しよにせられよう。
お前は己に鎖をくれた。


森鷗外:1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)

初期の近代詩に大きな影響を与えた訳詩、となると、ほんとうに落せないのは森鷗外なのですよね。上田敏も大いに敬意を払っていたのでしたね。しかし『うた日記』以外はいま文庫で手軽に読めません。
『於母影』は、西欧の詩を漢詩に訳したものもあり、他は一般に語彙が平易で、すてきな訳詩集ですが、まだ文語体ですね。
その点、大正四年刊の『沙羅の木』は、訳詩・鷗外の自作詩と和歌からなる、面白い構成の書物です。鷗外の自作近代詩は、訳詩の内容に比べると、主題も対象もささやかなものばかりです。詩の魅力をとても良く知っていた印象のある鷗外ですが、本人自身は大仰な情感には身を任せられない挟持でもあったのでしょうか。ただし、ささやかとは言っても、良い詩ばかりだと思います。
翻訳詩は、こなれた口語体が多くを占めます。
中にオペラ「オルフェオ(オルフェウス)」の台本の訳(文語体)も収められていますが、これはこのオペラを日本語で上演するために訳を頼まれたものだったものの、鷗外がシラブル数まで徹底的にこだわって訳したにも関わらず、楽譜と合わないことが判明して採用されず、オペラの上演もかなわなかった、とのエピソードで有名です。作曲者グルックは『オルフェオ』をウィーンで上演した後、パリでの上演に合わせ改訂を加えていたのでしたが、日本語で上演しようとしていたのはパリ上演用の楽譜だったことが、『漱石の聴いたベートーヴェン』のご著者の瀧井先生によってつきとめられています。鷗外が手元に持っていたのは、彼がドイツ留学中に『オルフェオ』を聴いたときのリーフレットで、これはおそらくウィーンで上演されたほうの楽譜に伴った台本だったのでしょう。楽譜と対照仕切っていませんが、構成は一致していることは、前に確認しました。さらに追加しておくなら、日本語上演しようとしていた楽譜はグルック生前にパリで上演されたものではなく、後年ベルリオーズが時代に合わせて改訂したものです。これは実際に楽譜で音域を比較確認すれば分かります。
(『オルフェオ』のヴォーカルスコアは、幸いにして、ウィーン版、パリ版、ベルリオーズ版とも、ベーレンライターから出ています。)
蛇足が長くなりました。

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2018年4月14日 (土)

【私撰近代詩】上田 敏

上田 敏:うえだ びん、1874年(明治7年)10月30日 - 1916年(大正5年)7月9日

近代詩の草創を見ていて、森鴎外に始まる訳詩の試みを省みるのも非常に大切なことが分かってきました。
そこで、まずは泣菫や有明に直接影響を与えた上田敏の訳詩を、あらためて、というか、本当に初めて良く読みました。
岩波文庫『上田敏全訳詩集』で読んだのでしたが、敏さんが校正にまで関与しながら、その急死で刊行が四年後になったという、ふたつめの訳詩集『牧羊神』には、敏さんの自作詩五編が巻頭に載せられていた、ということも、初めて知りました。残念ながらこれは岩波文庫版には載っていません。全「訳詩集」と銘打ったからには、仕方なかったのでしょうか。けっきょく青空文庫で読みましたが、構成も面白く、オノマトペが当時としてはおそらく先駆的で、たいへん良いものです。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000235/files/51173_42027.html

しかし敢えて自作詩ではなく、訳詩のほうに、気に入ったものを見つけました。『牧羊神』には素晴らしい口語訳の詩もありますし、『海潮音』にあるプリュドンの「夢」など内容的にたいへん好みに合うのですが、小さなもの一つを。
これもブッセのものやサッフォのもの(『海潮音拾遺』というほうに収録)同様、人口に膾炙しているのかも知れませんが、上田敏の「優しい」語彙の選択の巧みさが分かるように思いましたので。


  わ か れ

      ヘリベルタ・フォン・ボンシゲル

ふたりを「時」がさきしより、
晝はことなくうちすぎぬ。   :晝=昼(ひる)
よろこびもなく悲しまず、
はたたれをかも怨むべき。   :たれ=誰

されど夕闇おちくれて、
星の光のみゆるとき、
病の床のちごのやう、
心かすかにうめきいづ。


・・・もっとたくさん拾っておきたいところですが、あえてこれだけで。

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2018年4月 5日 (木)

【私撰近代詩】蒲原有明

蒲原 有明:かんばら ありあけ、1875年【明治8年】3月15日 - 1952年【昭和27年】2月3日

蒲原有明の詩は、なんだか馴染みにくかったです。
私には、どこかで出会った現代詩に興味津々だったのか、奇妙に詩に凝って、本屋を探しまわっては詩集ばっかり読んだ十代前半の一時期がありました。でも本屋で目に出来るのは同時代よりずっと前のものの方が多く、そういうのを読んだ後で、たまに同時代に近いものに出会うと、もうわけが分かんなくて、最初に感じた新鮮さが失せて、それ以前のものは今度はなんだか言葉がきれいすぎて身近じゃない気がして来て、「もういいやぁ」になっちゃって、以後、さっぱり読まなくなっていました。
有明の詩は、「詩」という点では、先の藤村や透谷、有明と併称される泣菫なんかより、ずっと詩らしい印象があります。それが、綺麗すぎて、十代の頃の「もういいやぁ」がよみがえってくるのです。美しい、だけど私には遠い。
それであまりたくさん読まないでしまったのでしたが、一編、だからこそかえって強く魅かれる作品に出会いました。大正四年に発表されたというもので、口語詩です。この作品にも周辺のものにも、旧作の「魂の夜」(『春鳥集』)に通ずる世界があるのですけれど、泣菫と違って詩を長く編み続けた人ならでは、の響きがありました。・・・とは、私の受け止めかたですが、いかがでしょうか?


  あれ野

見とほしもきかぬあれ野のなかで、
うまずに樹がのび、樹が嘆くよ、
まばらなねずみいろの枝に、
ねずみいろの葉がかかり
いつもまばらな色ざめた葉と葉とが、
おごそかなひとつ調子で、
絶えず絶えず、あれ野の歌をうたふ。

絶えずうたふ、ーーああ歌ふといふのか、
見よ、今、その樹のかげにおごそかな
まじろがぬもののかげが纒ひつく、ーー
永劫の、悲哀の菩提の座よ、
わが身はいつしかその樹のかげで、
滅のうたげに入り、否定の夢に酔ふ、
あれ野の歌におぼれながら。

見よ、また、忍辱の樹のまばらな
葉と葉とが合掌する、合掌する、
影もなく音もなきつむじ風のなかで、
ひとつ調子のおそろしいちからが、
あはれ、あはれ、光明がそこに飛ぶ、
永劫の荘厳をあれ野として、
すすどい光明がきららのごとく、
ねずみいろの悲哀のうちに飛びゆくよ。

思想のおごりに過ぎぬ滅のうたげ、
ぜいたくな否定の夢のためにも、ーー
わが身のためにも、おごそかに、
合掌するもののかげがある、
眼も迷ふ大象徴のあれ野のただなかで、
われも、また、おのづからに合掌する、ーー
永劫の荘厳を絶えずうたひつつ、
わが身はのびる、また合掌する。


*語の読みかた注
 ・樹=き
 ・纒ひ=まとい
 ・滅=めつ
 ・忍辱=にんにく(大蒜ぢゃないよ〜)
 ・荘厳=しゃうごん=しょうごん

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2018年3月30日 (金)

【私撰近代詩】薄田泣菫

薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん、1877年【明治10年】5月19日 - 1945年(昭和20年)10月9日 本名、淳介【じゅんすけ】)

藤村、透谷、泣菫、と読み進んでみてくると、ああ、明治の人は詩を知っていたんだな、と思います。漢詩の世界が主なのかも知れませんが、こちらが漢詩をちゃんと知らないので分かりません。しかしたとえば上田敏『海潮音』の序文を読んでも、外国詩の紹介者であった上田敏にも、日本の古典と結びついた漢詩の知識が身体にしみついていたと思い知らされます。明治の詩を読み解くには、江戸期以来の漢詩も見直さなければならない、と切に感じます。これは大きな宿題だな。
泣菫は、二千部売れればベストセラーだった時代に最初の詩集が五千部売れた、凄い人だった、と、今回知りました。それでもやはり藤村や、不幸な早死にをした透谷のように、詩作の時期は短くて、二十一歳にデヴューしてから三十歳で『白羊宮』を出したあたりまでのことでした。結婚が泣菫の詩を枯らしたみたいな話が一般的ですけれど、野心作だった第四詩集の『白羊宮』に寄せられた文壇知友の親切な批評にうんざりした、なんてことはなかったのでしょうか。そんなことはどこでも言われていないようですけれど。
その後の泣菫は世間話を『茶話(ちゃばなし)』にたくさん綴っていて、少しだけ読みましたが、たいへん愉快です。愉快なものを書ける素質は天性のものだったようで、自撰の岩波文庫『泣菫詩抄』の巻頭は、彼の作った軽妙な童謡二十八編が飾っています。
童謡はしかし省いて、短いものからひとつ、長いものからひとつ、読んでおきましょうか。
中公文庫『日本の詩歌』と岩波文庫とで、同じ詩でも中身がだいぶ違っていたりするのですけれど、岩波文庫のテキストによっておきます。漢字は現在の常用漢字にします。
「鶲の歌」は読みも難しいし、おいらわかってるんだかどうだかさっぱり分からないんですけどね、綺麗だと思いましたので。これはもし気に入って下さったら、仮名の振ってある書籍で読みなおして下さいね。・・・スマホではレイアウトが崩れてしまいます。お許し下さい。


  秋 懐

山、森、畑、寺、遠き牧場、
落つる日、ゆく雲、帰る樵夫、
いと似つかはしき色を帯びて、
ゆふべの心に溶けぞあへる、
たとしへもあらぬ静こころの
かすけき響を胸につたへ、
わが歌ごころぞ温めましと、
田の畦踏みきて草に伏しぬ。
若し夜の幕の落ちむ迄も      (幕=とばり)
歌もあらでここに迷ひ居らば、
げに言ふがひなき才ならめど、   (才=ざえ)
さもあらばあれや、この夕の
えならぬ気持にひたり得つる
思はだにあらば、歌はなくも・・・・。

(『暮笛集』より)


  鶲の歌                  (鶲=ひたき)

うべこそ来しか、小林の
法子児鶲ーー                 (法子児=ほふしご)
そのかみ(邦は風流男の代にかもあらめ、)   (風流男=みやびを)
豊明節会の忌ごろも、童男のひとり、      (豊明節会=とよのあかり、忌=をみ)
日蔭かづらや曳きかへる木のした路に、     (童男=をぐな)
葉染の姫に見ぞ婚ひて生れにし汝、       (汝=いまし)
黄櫨のうは葉はくれなゐに、
また榛樹の虚の実は根に落ち鳴りて、      (虚=うろ)
常少女なる母宮の代としもなれば、       (常少女=とこおとめ)
すずろありきや許されて、
さこそは独り野木の枝に、
占問ひ顔にたたずみて、            (占問ひ顔=うらどひがほ)
初祖の人や待ちつらめ。            (初祖=うひそ)

ひととせなりき、
春日の宮の使ひ姫秋ふた毛して、
竹柏の木の間をゆきかへる小春日和を、     (竹柏=なぎ)
都ほとりの秋篠や、
「香の清水」は水錆びて古き御寺の、      (香=かぐ、水錆び=みさび)
頽廃堂の奥ぶかに、              (頽廃堂=あばらすだう)
技芸天女の御像の天つ大御身、         (御像=みすがた、大御身=おほみま)
玉としにほふおもざしに、
美し御国の常世辺ぞ              (美し=うまし)
あくがれ入りし帰るさを、
ふとこそ、荒れし夕庭の朽木の枝に、
汝が静歌を聞きすまし、            (汝=な)
心あがりのわが絃に、             (絃=いと)
然は緒合せにゆらく音の歌ぬしこそは、
うべ睦魂の友としも、             (睦魂=むつたま)
おもひそめしか、

またひと歳は神無月、
日ぞ忍び音に時雨つる深草小野の
柿の上枝に熟みのこる美し木醂、        (上枝=はづえ、木醂=きざはし)
入日に濡れて面はゆに紅らむゆふべ、
すずろ歩きの行くすがら、
竹の葉山の雨滴りはらめく路に、        (雨滴り=あまじたり)
汝を、ひとり黄鶲の              (汝=いまし)
黙の俯居をかいまみて、            (黙の俯居=もだのうつゐ)
ありし掛想のまれ人の
化か、雨じめる野にくゆる物のかをりに、
そのかみの夜や思ひいでて、
涙眼に鳥は歎くやと、             (涙眼=いやめ)
日ぞ留りにし、

ああ汝こそ、小林の、
法子児鶲ーー人の世の注くさ来るさに、
ともすればまためぐり会ふ魂あへる子や、ーー
実にいささかの縁ながら、空華にはあらじ、   (実に=げに、縁=えに、空華=くけ)
わが魂の小野にして、
「努力」の湿ひ、「思慧」の影おほし斎きて、  (努力=ぬりき)
さて咲きぬべき珍の花、            (珍=うづ)
そのうら若き荅みこそ、            (荅み=あつみ)
さは龕の戸と噤みつれ、            (噤み=つぐみ)
まだき滴る言の葉の美しにほひは、
生命の火をも斎はふまで
香にほのめきぬ。

(『白羊宮』より)

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