能書き

2017年6月 3日 (土)

【能書き】「ど素人古典答案」やってみます!

 ここ数ヶ月、メーリングリストでラテン語を教えて頂くようになりました。
 先生に実際にお会いするチャンスはなかなかありません。
 なんとか一度だけ参加できた講習会で、先生に
 「古典は自分のペースで焦らずに読めるのがいいんです。今の話し言葉ではないから、発音がダメだ、滑らかに聴き取れない、流暢に話せない、なんて心配することもない
と伺って、なるほどそうだな、と思わず膝を打ちました。
 先生が教えて下さる勉強法は、語彙をとにかくひとつひとつ辞書で引き、文法ではどの法(欧米語には古典期以来、直説法と接続法がありますし、命令法、不定法というのも)・態(能動態か受動態か)・時制(単純化すれば過去か未来か現在か)・人称(わたし? あんた? やつ?)・数や活用にあたるのか、を調べ、考えるやり方なのです。
 そのとおりにやると、短文でも辞書調べだけで1時間はかかりますし、文法なんかすぐ忘れますから、文法表を目を皿にして探し当てなければなりません。けれども、世の中に出回っている翻訳なんかと照らし合わせて分かった気になるよりはずっと本質的な理解が出来ますし、間違ったら間違ったで、間違いの理由を知るのも面白くなったりします。

「自分のペースで」
調べられることは、思いのほか楽しいのです。

 先生が世に出されている教材も、私たちに教えて下さっているこの方法の実践で貫かれています。このことは自分が教わってみて、初めて体感し唸らされたことでした。

 先生ご自身は原典からの翻訳をいくつもしていらっしゃいます。いくつか拝読して、どれも名訳だと感じております。
 けれど、その原典からの文が宿題に出たりすると、あとから
「私の翻訳、ずいぶん意訳ではしょっていましたねえ」
なんて・・・メールだからお顔が見えず本当にそうかどうか定かではありませんが・・・先生、ニコニコ笑っていらしたりする。「意訳」がいかにクセモノか、というのも、先生のそんな笑みから思い知らされたりしています。

 一方で、お友達のあいだから、
「このごろ古典ってなおざりにされてるんだよね」
との声が、ちらほらあがります。
「言葉(の、使われるべき使い方)が軽んじられるって、よろしくないよね」
 私自身は政治・経済いっさい音痴ですが、世の中を双肩に担うお偉いかたたちが、
「あれ? こんな言いかた、許されたっけ?」
みたいなお言葉遣いを連発し、それでまたバカみたいに大騒ぎになり、大騒ぎするほうにたいしてまで
「それ、どうなんよ?」
とツッコミを入れたくなるとも枚挙にいとまがなく、ヤバいんじゃないの、と感じたりしております。
しかしさらに、言葉だって数式に負けない(数式になるものも、数式では語れないけれどたしかにあるものも)ルールがあるのよ、とのツッコミもひとつにはあるはずなのですが、とても初歩的であるはずの、こうした点に、いろんなツッコミは、まだまだしっかり応えられていない気がします。
 かく言う私だって、ど素人でありますから、突っ込まれるかたがた・突っ込むかたがた、双方の弱みを日常平気で体現しています。

 冷やかす前に、まず自分が自分をたださなければ・・・と、いちおう偉そうなことを考えてもみたのでありました。

 などという前口上は、実は
「まあ、野次馬根性でやってみたいから」
なる、下手の横好きの嘘八百の看板に過ぎないんですけれどね。

 いまラテン語で教えて頂いている方法で、日本の古文や漢文も読んでみよう、ということだけが、本来の主旨です。

 生活の合間を見ながら、ゆるゆるやってまいります。
 あくまで、一素人が、古典を読むときの答案として綴るのです。
 不正解をお見つけになられたあかつきには、どんどん突っ込んで、ご指導頂けましたら幸いです。

 ・(私でも読めそうな)日本の古典から
 ・(私でも読めそうな)漢籍から
 ・(私でも読めそうな)ラテン語の古典から

 上記の、先生に教えて頂いた法式で、基本は辞典を、それでどうしようもなければ手近な文法の手引きの類いを参照しながら、気まぐれに不定期にすすめます。

 お手柔らかによろしくお願いいたします。

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