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2019年11月17日 (日)

本郷三丁近辺を駆け足で【東京テキトー散歩16】

司馬遼太郎『街道をゆく』の「本郷界隈」に誘われての散歩も良いのですが、明るくないとつまらないので、いつかじっくり回りたいなと思っています。
それはそれとして、湯島天神から切通坂を上がって本郷三丁目駅近辺までは行っておきます。

天神さんは、以前、身近にいた高校生たちに、ここのお守りを渡していました。
泉鏡花の「湯島の白梅」のセリフは、祖父母が映画で見て覚えていたり、子供時代には笑劇でとりあげられたりしたものでした。けれどもその原作は、こんど青空文庫で初めて目にしました。正しくは「湯島の境内」という戯曲で、長編小説『婦系図』から一場面をとりだしたもの。なおかつ元の長編にはなかった湯島天神を舞台にする設定も戯曲でなされた由。
「俺を棄てるか、婦(おんな)を棄てるか」
って、出てくる男の人の方が女の人に向かって言ったのだ、とばかり思いこんでいましたが、そうじゃないんですね。よく分かっていない私が話すと長くなるから、やめときますけど。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/3578_19568.html

 神田明神もそうでしたけれど、湯島天神も崖上にあります。もっとも、その崖は社務所などですっかり覆われている。こういう立地が面白いな、と感じます。
下谷神社や小野照神社、千束の三島神社も、上野になった忍が岡にあった時分は、もしかしたら似た立地だったのかな。まだ巡っていませんけれど、板橋区の志村三丁目駅近くの熊野神社も、城跡に建っているとはいえ立地としては崖上です。そういう場所を好む神たちもいるのかな。このあたり、民俗的なことを知りたいなと思っています。山岳信仰ほどではないけれど、人間の側は、上ったところに聖なるなにかがましますという感覚が、もしかしたらあるのではないかな。

天神さんの先、湯島台の上底にたどり着くと、平らになった道筋に、しゃぶしゃぶの江知勝があります。明治四年創業で、行ってみたい憧れの店でしたが、お値段もいいので「いずれ」と思っているうち、来年(2020年)1月でたたんでしまわれるそうで、残念です。そういう東京老舗が増えました。
もう少し先に行ってからではありますが、本郷三丁目駅の角の、「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」の雑貨店かねやすも、いつのまにか店をたたんでいました。有名な川柳はもちろんですが、「かねやす」は、例の根岸鎮衛の『耳嚢』にも登場する老舗でした。

Kaneyasu
江知勝さんや「かねやす」さんの閉店は現代の流行のせいでしょうか、はたまた後継の問題でしょうか。物語る資料はありません。店主さんとそのご家族にしか分からないのでしょう。ただ、どんな加減なのか、第二次大戦後は「継承する」ことが難しい制度・世相にはなったのかとは思います。それは戦後当初は大地主や財閥の話だったけれど、時間が七十数年たってみると、それほどでもない「家」にも確実に及んでいる気がします。

「かねやす」さんのあたりでの『耳嚢』でのエピソードには、あとで触れます。

江知勝さんの前で、切通坂の延長の春日通はやや右に曲がり、それをまっすぐ行くと、左手に立派な教会建築があります。中央会堂、本郷中央教会です。建物は昭和四(1929)年建築のもの。鉄筋コンクリート造で、登録有形文化財です。その共同設計者に名を連ねている川崎忍は昭和初期の名設計者だったのであろうかと思いますが、私は調べるすべを持ちません。神戸の貿易商であった土井内蔵という人が川崎の叔父で、川崎が叔父のために昭和11年に設計し宝塚に建った邸宅は、土井の娘婿の松本氏が住んだために「旧松本邸」と呼ばれて、これも国の登録有形文化財になっています。

Chuoukaidou

中央会堂まで行く少し手前を右手に入ったところには、春日局の墓所である麟祥院があります。訪ねるのが夜ですから当然閉門。こぶりながら山門はなかなか威厳がありますが、戦後の再建なのだそうです。苔の庭が美しいと聞いています。また明るい時にやねぇ。

http://www.visiting-japan.com/ja/articles/tokyo/j13bu-rinshoin.htm

Rinshoin

建物のおもてづらばかりに見とれているうちに、問題の(なんの問題?)本郷三丁目駅の交差点に着きます。右の上りは見返り坂。東大の赤門に至ります。赤門のほぼ向かいが、樋口一葉が幼少時代(5歳から9歳の時)住んでいた家のあたり。明治9年にここにきた由。いまは説明板があるだけですが、路地を入ったところの法真寺さんが文京一葉会館を設けています。・・・ちょっと不思議なお寺さんで、建物にびっくりしますけど。和と洋の融合にこだわられたそうで、ステンドグラスの窓があったりします。

http://www.hoshinji.jp/temple/

Ichiyokaikan

ここから先へ進むと根津神社までいっちゃいますが、踏みとどまります。本郷三丁目までとってかえします。

交差点の西側に「本郷薬師」の赤い提灯が並んでいます。
覗くと、奥に小さなお堂が見えます。これが、お薬師さん。きれいなお姿の、小さな薬師如来がお祀りされています。
お堂を過ぎて右手に入ると、露座の仏さんが、みずみずしく青さびて、連弁にきりっと座っていらっしゃいます。十一面観音像です。
薬師如来も十一面観音も、もとこのあたりにあった真光寺の境内の仏さまだったそうです。真光寺そのものは東京大空襲で焼け落ちたあと世田谷(仙川駅の近く)に引っ越し、二像だけがここへ残されたもののようです。しかし、焼けなかった薬師如来像は世田谷の真光寺さんのご本尊になっている、とあり(この寺社サイトは、どんなときに参考にしてもよく突っ込んでらして、感嘆するしかありません https://tesshow.jp/setagaya/temple_kyuden_shinko.html ご制作者については https://tesshow.jp/profile.html )、ならばいまの本郷薬師の小さなお堂にいらっしゃる美しい薬師像はなんなのかとなるのですが、これまた私には分かりません。薬師堂そのものは現在はコンクリート造ですが、寛文十(1670)年には建っていたものだとのことですから、真光寺のご本尊の薬師如来とはまた別に作られた像なのかもしれませんね。

Hongouyakushi Hongouyakushisama

見返り坂から本郷薬師に至る通りは中山道、国道17号線で、南に進むと御茶ノ水のお堀の一本北側を通って湯島聖堂と神田明神前に戻るのです。
西に行けば後楽園方面だったり、ちょっと北に折れて菊坂をのぼれば樋口一葉の使った井戸や通った質屋さんが残っていたりします。
本郷薬師のところの交差点、惜しくも店をしめてしまった「かねやす」さん(元は交差点の東南角)までが「江戸のうち」だった感覚は、北の先に加賀藩邸の赤門があることを思うと周辺は武家地で庶民の騒ぐ界隈ではなかったわけですから、それでなんとなく感じ取れます。こうした空気の機微は、付近を江戸期の切絵図で見ても、次の『耳嚢』の話を読んでも、なるほど、と思われてきます。

知る人の語りけるは、小日向小身の御旗本の二男、いづち行きけん其の行方知れず。其の祖母深く嘆きて所々心掛けしに終(つい)に音信(おとずれ)なかりしが、或る時彼の祖母本郷兼康(かねやす)が前にて与風(ふと)彼の二男に逢ひける故、「何方へ行きしや」と、或ひは歎きあるひは怒りて尋ねければ、「されば御歎きを掛け候も恐れ入り候得共、今程は我等事難儀なる事もなく世を送り候へば、案事(あんじ)給ふべからず。宿へも帰り懸御目(おめにかかり)たく候得共、左(さ)あつては身の為人の為にもならざる間、其の事なく過ぎ侍る。最早御別れ可申(もうすべし)」といふに、祖母は袖を引き留めて「暫し」と申しければ、「左思はば来たる幾日に浅草観音境内の念仏堂へ来たり給へ。あれにて可掛御目(おめにかかるべし)といゝし故、立ち別れ帰りて、かくかくの事を語りけれど、「老いにや耄(ほ)れ給ふなり」とて、家内の者も取り合はざれど、其の日になれば、「是非浅草へ可参(まいるべし)」とて、僕壱人召し連れて観音境内の念仏堂へいたりければ、果して彼の二男来たりて彼是の咄をなし、「最早尋ね給ふまじ。我等も今は聊(いささ)か難儀に成る事もなし」と語り、右連れにもありけるや、老僧など一両輩念仏堂に見へしが、祖母の物語りと同じ事なるよし。天狗と云へる者の所為にやと、祖母の老耄の沙汰は止みしなり。(根岸静衛『耳嚢』巻之四 岩波文庫 中巻p.83 フリガナを補いました。)

まあ、駆け足で、見てきたような観光案内になってしまった。
いちおうどこも直接見てるんですけどねぇ。

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