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2019年10月12日 (土)

入谷~合羽橋【東京テキトー散歩11】

鷲神社から下谷・入谷方面へは、東へと国際通りを横断して、ほぼまっすぐ行けばいいのでした。迂闊なことに、『たけくらべ』に登場する三嶋様、下谷の三島神社がどこか分かってませんでした。横断した後、ほんのちょっと北へ戻ればよかったんだけど。あとで知ったところでは、この三島神社は、蒙古襲来絵詞にも登場する河野通有の子孫が今でも宮司をなさっているとのこと。もとは上野の山にあった河野氏の居館に祀られていた由。https://www.mishimajinjya.or.jp/ 

まず向かったのは、『たけくらべ』で三嶋様と並んで登場する小野照様。http://www.onoteru.or.jp/
日比谷線ですと、入谷駅の、千住寄りのほうから出てすぐなのですが、歩いて行った私は、北から回って横から入りました。
入るとすぐ社務所があって、人の気配がするので覗いてみたら、巫女さんがいてびっくり。大き目な神社でも、ふらりと立ち寄って巫女さんまでいるところは、そんなに多くないでしょう。
こちらのお社も、寛永寺造立にともなって上野照崎から移転していらしたとのことで。照崎ってどのあたりなんだろう?
祭神は小野篁というのが面白い。852(仁寿2)年創建との伝を信じれば、ちょうど篁の没年(亡くなったのは1222日)でして・・・年初から篁は病臥していたはずだから、なにか関連があったのでしょうか? 小野氏の荘園が武蔵国にでもあったのかどうだったか。祖父は征夷副将軍、父は陸奥守だったので、東国を経由して北日本とは縁が深くはあったのですけれど。
それはともかく、この小野照崎神社は、渥美清さんが仕事のない時分に禁煙の願掛けをしたら、寅さんの仕事が舞い込んで「これはやばい」と言ったかどうか、死ぬまで禁煙しなくては、と誓うに至った神様だそう・・で、誓いは生涯お守りになったのでしたね。あたしも本気でお祈りしに、もいちど出かけなくちゃいけません。かたい意志がないからなあ。どうしようかなあ。
重ねてびっくりしたのは、本殿の隣に富士塚があるのでした。別の時に石浜(白髭橋の西側)と文京区の白山神社に、富士山の溶岩を運んできて築いてあるのを見ましたから、富士山信仰がいかにお江戸に浸透していたかは感じてはいましたけれど、ここでもまた、なのでした。普段は開放されていないそうで、中には入れませんでしたが、神社のサイトでのご説明によると高さは6m。富士山の溶岩で出来ている点は他の富士塚同様です。6m、とひとくちに言ってしまいますけれど、これはかなりな高さです。

Onoterufuji

このあたりは、上野までを含めて、旧下谷区です。
下谷とくれば下谷神社、というのは、このときまだ知りませんで。知っていたとしても、ここから遥か(1.5㎞とな)南なので、またあとで。

恐れ入谷の鬼子母神さんなら、350m行くだけだそうなので、そちらへ。(「恐れ入谷の鬼子母神」は太田南畝の狂歌の文句だとは、有名な話だそうですが。)
江戸三大鬼子母神については、こちらに素敵な記事が。http://www.tokyo-kurenaidan.com/kishibojin1.htm
そちらから引用。

「入谷鬼子母神は江戸初期の万治2年(1659)に沼津の法華宗大本山徳永山光長寺第二十世高運院日融聖人が百姓利兵衛から入谷の土地を買い取って、この地に仏立山真源寺を開基するに当り、日蓮大聖人の御尊像と共に、鬼子母尊像を併祀したことから始まっています。この真源寺を中心にして、毎年7月6日からの3日間、『入谷朝顔市』が開催されます。「入谷から出る朝顔の車かな』と正岡子規にも歌われており、境内と寺院前の言問通りに120あまりの店が並び2万鉢の朝顔が売られています。」

YouTubeで見る、朝顔市の時の様子は、壮観です。近所に育った顔見知りは、毎年楽しみに出かけているんだと言ってたことがありました(埋め込みでは見られないようです、リンクからご覧ください)。

朝顔市ではないときに訪ねたら、静まり返っていました。左右の木鼻に、かわいい犬(狗)さん? 色鮮やかです。

Kishimojin

そのまま入谷をめぐると、美味しいお店とかも様々あるようですが、予算がないのでスルー。このあたりは、大変大きかった千束池(洗足池ではありません)の底だった場所で、池が埋め立てられたのは戦国時代との話をちらっと聞きましたが、その経緯は本格的に調べないと分からないのでしょうね。いつの日にか。https://ameblo.jp/machidaito/entry-12038007055.html

ここからはカッパ巡りしかありません。

浅草方面に戻る格好ですけれど、せっかくだから、鬼子母神さん前の言問通りを東へ行って、合羽橋道具街を覗きます。

その前に、「合羽橋」の呼称の由来となった「かっぱ寺」こと曹源寺を。https://www.sogenji.jp/kappa/

事前にご連絡すれば、河童たちの豊かな天井画などがある堂内を見学もできたかもしれませんが、思い付きで歩いている今はあきらめて、中をざあっと回るにとどめます。
境内のあちらこちらに河童の像があるとのことですけれど、じっくり見ないと分かりません。正門を入った右手のお堂には、河童の手のミイラもあるそうですが、あらかじめ調べてはいかなかったので、見ずじまいになってしまった・・・そのお堂の下にあるのが、次の話の主の合羽屋喜八の墓なのでしょうか。(暗くなっていてすみません、写真を拡大して右下のほうを見るとあります。)

Sougenji

「(いまの合羽橋道具街のあたり一帯は)たびたび水害に見舞われたため、雨合羽商の川太郎・・・本名は喜八・・・が私財を投じて排水工事をした。それを近くの隅田川の河童たちが助けた。」

川太郎という通称自体がカッパの異称であることを考えると奇妙ですが、河童たちが手伝いに来た、とはまたどうしたことだったのでしょう?
漁ってみると、こんなのがありました。

「ここ(曹源寺)で工事を手伝ったのは、神田の山をけずり、日比谷の入江を埋め、江戸城を中心に『の』の字を描く堀と、入り組んだ水路を整備して江戸の町を作った際に全国から動員された水利専門家集団の一部であって、開発事業終了後に隅田川周辺に川仕事をしながら住み着いていたのではないか(中略)これを民間人が私財を投じてやるというのは役人からみれば都合が悪い。そこで河童がやったということにしたのではないか」(椎名慎太郎「河童の姿を追って」p.90pdf上では14ページ目。この説を述べたのは斎藤次男 https://ci.nii.ac.jp/naid/110009586527 ←こちらからPDFを見ることができます。)

これより前に見つけた「河童の民話における土木技術者の位置づけに関する民俗学的研究」(https://policy-practice.com/db/2_45.pdf)によれば、河童は差別されていた土木工事従事者たちだ、と見たうえで、

「話の世界では、ケガレを背負った人間を河童と表現し、こうした民話は差別を追認するような形で伝承されてきたことが考えられる」(p.50pdf6ページ目)

のだそうです。こちらの論文は、産婦人科医をつとめながら民俗学研究をしていた若尾五郎という人の『河童の荒魂 河童は渦巻である』(星雲社 1989【平成元】年)を参考にしているのが分かったので、この若尾さんの本も読んでみたのですが、なかなか面白い。全体像は措くことにして(古書でしか手に入りませんがユニークですからご興味があったら読んでみてください)、いまはその考証の一角に「河童と人形=非人」なる節があるとだけ言っておきます(p.34~)。

幕府の都としての江戸草創期からの土木従事者の子孫が、果たして曹源寺の近くにずっと住んでいたのかどうか。参照し続けてきた『東京古地図散歩 浅草編』を見ると、曹源寺の西北西に黒鍬組の文字が見えます。黒鍬とは、たしかに戦国時代の築城での実績を経て、江戸城築城がらみでは土木工事に従事し、平和な時代になると、作事奉行の配下として江戸城の警備や作事・防火などを担った人々です。年功で名字を許されることもあったそうなので、今戸に弾左衛門支配下で集住していた人々のような非人というまでの差別はなかったのかもしれませんが、身分は極めて低かった由。そうした黒鍬の人々を動員できたとなると、呼び名が川太郎とカッパそのものだった、合羽屋喜八という人の素性も気になります。

ほんとに、隅田川周辺は、なんだか不思議なところだなあ。

合羽橋そのものの話ではなく、舞台は関西ですけれど、黒鍬組の登場する『狸の化け寺』なる上方落語が、ひょっとしたら、喜八と河童の関係を考えるヒントになるのかもしれません。http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/tanukinobakedera.html

 

曹源寺の周りにもまた、河童像がいくつもあります。極めつけは何といっても、東にまっすぐ行ってぶつかる合羽橋道具街の、ほぼ真ん中に位置する、金ピカピカのカッパさん。見た瞬間、呆然。この「カッパ河太郎像」は、合羽橋道具街90周年記念で平成15年に建てた由。http://www.kappabashi.or.jp/home/kawataro.html

Goldkappa

この道具街に、果たしてどれくらいの道具店があるのか、ちょっと分かりません。とにかく、たくさん。

サラリーマンにとっては日曜日は休んでいるお店も多いのが、ちょっと悔しい。

それでも、どこを眺めていても、なんだか気持ちがぱあっと晴れます。

プロのキッチン用具が圧倒的に多い印象ですが、食品サンプル・・・レストランのウィンドウを飾っているようなやつ・・・のお店では、一般のお客さん向けの作り方講習もやっていて、これが人気で、予約がいっぱいでした。

その斜め向かいに、なぜか赤ちょうちんがズラリと並んでいる。居酒屋さんなのではなくて、居酒屋さん用の赤ちょうちんとか、レストラン用の据え置き小看板なんかを商っていらっしゃるのです。こちらは表は興味津々のお客がたくさん立ち止まって眺めているのですが、中にまで入っていく人が少ない。それで入る勇気がわかないでしまったけれど、覗いてみればよかったなあ。

Kappabashi

公式ページとやらをチェックしておくことにします。

http://www.kappabashi.or.jp/

 

道具街北端にある、台東区生涯学習センターには、入場無料の池波正太郎記念文庫があります。https://www.taitocity.net/tai-lib/ikenami/annai/annai.html

こんどはここだけのために、ゆっくり訪ねてみたいな。

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