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2019年10月19日 (土)

下谷~お墓参りになっちゃった【東京テキトー散歩12】

三ノ輪から入谷、上野のあたりは、旧下谷区。明治11年(1878年)から昭和22年(1947年)までそうだったとのこと。
下谷と言っても広うござんす。

 合羽橋から西へ反転して上野に向かうのですが、それならせっかくだから行きたいところがあります。

道具街の、例の赤ちょうちん(居酒屋ではない)の合羽橋装飾さんから、南に二本目の道を西に向かうと、源空寺というお寺さんがあります。
本堂と道を挟んで南側が墓地です。
ここに、錚々たる人たちが眠っているのです。

まっすぐ入って左手、二体の、お顔が削れてしまっているお地蔵さんは、幡随院長兵衛夫妻の墓だそうです。歌舞伎でお馴染み。
右隣に、江戸時代後期の天文学者、高橋至時(よしとき)。日本初の、西洋天文学を導入した暦を監修した人。
その右隣に眠るのが、伊能忠敬。遺言で、師であった至時の隣に埋葬されたのだとか。

 伊能忠敬が高橋至時に弟子入りしたとき、忠敬は50歳。至時は19歳年下だったとのことですから、なんと31歳。しかし至時はたいへんな俊英でした。若年にもかかわらず、しかも学者の家ではなく大坂城を警備する同心の子として生まれながら、幼い時から算学に秀で、15歳のとき父の跡を継いで同心となるも、24歳の時に、市井の人ながら当時最も優れた天文学者だった浅田剛立に弟子入りして頭角を現しました。幕府から請われた師が出仕を断ったかわりに、江戸に出て天文方で改暦に携わるようになったのでした。

忠敬が至時に弟子入りしたのは、暦学を極めたかったからでしょう。しかし学ぶうちに、師が地球の大きさを知りたいと思っているのを知りました。もともと師に「推歩先生」と冷やかされたほど暦・天文関係の計算(すなわち推歩)に夢中だった忠敬さん、この話に好奇心を相当くすぐられたのでしょう。

地球の大きさを知るには、地球の大円(球面上の最も大きな円で、球の中心と球面を通る平面上にあります)の円周を知るのが手っ取り早い。ならば円周の距離が分かればよい。円の角は360度。全部の距離が分からなくても、1度分の距離が分かれば、あとは360倍すれば済む。そう、垂直すなわち南北方向の大円の円周~子午線で測ってみようか。お江戸浅草の天文台歴局から緯度が1度違うところまでの距離を知りたい。

それまでに得た知識で、忠敬さん、歴局から自分ちまでを歩測して、それを平面かつ南北に補正して緯度1度分の数値を出してみたけれど、誤差が大きいだろうと思われる(実際に後年大きな誤差が判明した由)。長い距離を測らなきゃだめだな、と、至時先生と話したそうな。
でも、なにせ当時は治外法権色の濃い藩領続きですから、距離を測る許可を得るのは面倒くさい。
北海道、当時の蝦夷地を測る口実なら、幕府領関連だから面倒は少ない。
お金持ち隠居の忠敬さん、これをまず自費で実行したのでした。

 数人の測量隊を編成し、がらがらと車を引っ張りさえすれば距離が分かる「量程車」というのを引きずって出かけたものの、道は凸凹があるので案外役に立たない。で、黙々と歩測。その距離往復3,200㎞。日数180日。この距離をどうやって真南北に補正するか。(以下、間違ったことを言ってたらごめんなさい。)

ものすごくざっくり言うと、その土地その土地で見える北極星が地上の子午線つまり真南北の線上から何度の仰角にあるかを知ればよい。北極星は真北に静止して見えるので、地上の子午線から仰角33度に見えれば、[北緯]33度となるわけです。(厳密には北極星は真北ぴったりにはないので動いて見えます。また、実際には忠敬さんたちは他の星も観測しました。ほかに真北と磁北のずれもあります。)

あとは、南北の坂道なら、三角関数の原理で角度から割り出して距離を出せばいい。忠敬さん当時は三角関数は日本に導入されていないので、中国伝来の割円八線対数表なるものを使ったそうです。

単純に、真の南北で測った距離が10m、勾配は30度だったなら、高低差を補正した距離はcos30°=(√3÷2)で出せるので、10×(√3÷2)≒8.66m。実際は真の南北でない直線が圧倒的に多いのですから、南北の距離は、測った直線距離が真の南北から何度ズレているかで補正をするのですね。

そんなこんなで、測ってみると、お江戸の歴局の緯度は北緯33度、蝦夷でたどり着いたニシベツ(根室半島の北側の付け根)は北緯40度、平面に補正した真南北の距離は743㎞。すると1度の距離は106.1㎞。

2回目の本州東岸測量からは、歩測ではなくて間縄(鯨のヒゲを割いたものがいちばんよかったとのこと)、3回目からは鉄鎖でも距離を測って精度を上げます。いまニシベツまでの南北の距離をそれで見直すと、江戸歴局からは776㎞。1度の距離は110.8㎞。これは現在の測定値に比べて0.2%だけの誤差だそうですから、すごいことです。

この測量で書き上げた地図の精密さが、時の人々を感嘆させます。
3回目、4回目と重なるにつれて、忠敬さんの地図は幕閣の目を驚かせ続け、5回目の畿内・中国地方測量にいたって、事業は、やっと幕府直轄の公的なものに昇格します。
師の至時先生は、悲しいかな、41歳で結核で死去。その後、忠敬さんは至時先生の長男、高橋景保の配下になり、10次にわたる測量・・・うち第9次の伊豆七島測量は危険を伴ううえ高齢であるため不参加・・・で日本全国を測量し、その集大成である「大日本沿海輿地全図」を仕上げる作業の途上、文政元年(1818年)、至時先生の死から14年後に、74歳で亡くなりました。
忠敬さんのお墓を遺言に従って至時先生の右隣に建ててやったのは景保さんでしたが、見るとこれが景保さんの父の至時先生のものよりはるかに立派なのです。役職上は配下だったとはいえ、景保さんは忠敬さんを心から敬っていたのでしょうか。篤志と言うべきです。

Inoutadataka

 景保さんのお墓は、父・至時の左手にあります。

景保さんは、忠敬さんが亡くなって10年後、文政111828)年に、シーボルト事件に関わって悲劇の最後を遂げました。交流のあったシーボルトの持つ『世界一周記』なる地理の最新知識の書物などを、職務の上でもどうしても欲しいと考え、交換に、と、幕府の機密であった伊能図「大日本沿海輿地全図」の写しをシーボルトに渡してしまったのです。それが露見し、景保は10月に投獄され、翌年2月に獄死します。その亡骸はさらに塩漬けにされて、1年後に斬首されるという、残虐な扱いを受けました。

いま、父の高橋至時と伊能忠敬の墓は国指定史跡になって、前に案内板が立っています。都の史跡にはなっている景保さんの墓の前には、案内板はありません。でも、この三人の墓の中で最も印象的なことに、墓石の後ろに大きな碑が立っています。三つにひび割れてしまっていますが、裏に回ると、ドイツ語か何語か(オランダ語なのかな)が彫られ、その下に翻訳らしいものが書かれています。あとでネットに挙げてくださっている写真で、下半分の訳文を読みましたので、写しておきます。

 http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Jinbutsu/TAKAHASHI/

 「余が此海路の詳細なる形図と 多少水路学的観察とを報ずるを得たるは 吾等に同行せる日本人の好意と 下関の余の友人の援助 殊に余の忘れ得ざる援護者たる幕府天文方 高橋作左衛門(景保のこと)に感謝せざるを得ず  シーボルト」

Kageyasu1 Kageyasu2

ほかに、この一角には谷文晁の墓もあることを申し添えておきます。こちらも都の指定文化財です。

 

さて、これで下谷のことはめいっぱいになってしまいました。あとはざっくり。

一帯は東端を東本願寺とみなすと、東本願寺周辺にはその子院だった浄土真宗のお寺さんがたくさんあり、また通りに出れば仏具屋さんが立ち並んでいて、西に向かうと下谷神社の大きな鳥居にびっくりさせられます。ここは、駅名ともなっている「稲荷町(いなりちょう)」起源の地。

Sitayajinja

神社のHPによる「ご由緒」を転載します。

http://shitayajinja.or.jp/history

「当神社は、人皇第45代聖武天皇の御代天平2年(西暦730年)に峡田稲置らが、大年神・日本武尊の御神徳を崇め奉って上野忍ケ丘の地にこの二神をお祀りしたのが創めであると伝えられています。第61代朱雀天皇の天慶3年田原藤田秀郷が相馬に向かうとき当神社に参籠して朝敵平将門追討の祈願をなし、その平定の後報恩のため社殿を新たに造営しました。降って寛永4年寛永寺を建立するに当たり、社地を上野山下に移されましたが狭いので延宝8年更に広徳寺門前町に替地して社殿を造営しました。当神社は昔から『正一位下谷稲荷社』と称し祀られていたので、この時からこの町を稲荷町と呼ぶようになりました。5年に神社名を『下谷神社』と改め、翌6年郷社に昇格いたしました。」

 

うーむ、上野から移転してきた寺社が、このへんはホントに多いな。江戸開府前の上野はどんなところで、幕府を開いた徳川氏にとってはどんな目で見られた場所だったのでしょうね。
そこまでは分かりそうにありませんが、とにかく上野に向かってみましょうか。

 

参考)
渡辺一郎・鈴木純子『図説 伊能忠敬の地図を読む』改訂増補版(河出書房新社 2010年)
包国勝・茶畑洋介・平田健一・小松博英『絵とき 測量』改訂3版(オーム社 平成22年)
嘉数次人『天文学者たちの江戸時代』(ちくま新書1198 2016年)~書店で覗けずAmazonで仕入れましたが、まだ第1刷なのがもったいない! とてもおすすめの1冊です。

 

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