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2019年1月19日 (土)

今昔物語集の和歌説話群に見る詠歌場面

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今昔物語集の和歌説話群に見る詠歌場面
【百人一首はなぜ出来た?(2)】

(「百人一首」には、まだまだ到達しません。)

和歌は万葉集以後、とくに古今和歌集以来、勅撰という公的な編纂がなされる恩恵にあずかって、室町時代までの600年もの間、日本でもっとも流布した詩文学となりました。
とくに、前半の八代集と呼ばれる古今(905年)〜新古今(1205年)の時代には、社交の方便として、詠作の素養が非常に重視されていて、10世紀末成立の『源氏物語』でも最初の「桐壺」の巻から、登場する人々が和歌で応答し合う場面が生き生きと描かれています。

『源氏物語』での和歌の応酬は創作の中でのものですが、とくに上の300年の間、実際にはどんな場面で、どのような役割で、和歌が詠まれ、また受け止められていたのでしょうか?

勅撰集の他にもたくさん残されている平安時代の和歌集を、いちいちひもといて探るのが、本来は最も正しいのでしょうが、もっと手軽に俯瞰する方法はないものか、と思案すると、頼りになるのは『今昔物語集』です。
『今昔物語集』は巻第二十四、本朝、附世俗(技術、詩、和歌にまつわる説話を集めてある)の第三十一から最後の第五十七までに、27話の和歌説話を集中して載せています。これによって、この物語集が成立したと推定されている1120年頃までの詠歌場面の概略を観察しようと思います。

まずは、いきなり観察結果を記します。(表は記事の最後に載せます。)

歌集になると、春夏秋冬や恋、羇旅、哀傷などの部立てがありますけれど、そうではなく、和歌の機能に着目して、(結果的にこうなったのですが)
1)調度への記載や行事・旅などの記念〜屏風歌・行事歌・羇旅歌
2)人と人(あるいは霊)との交信目的〜哀悼歌・贈答歌
という具合に、各説話を分類してみますと、次のようになりました。

屏風歌説話〜31,33
行事歌説話〜32.34,46
羇旅歌説話〜35,44,45
哀悼歌説話〜38,39,40,41,42,43
贈答歌説話〜36,37,47,48,49,50,51,52,53,54,55,56,57

1)のタイプが30%、2)のタイプが70%です。

贈答歌説話が最も多いのは、恋をしても贈答、ウィットを伝えるのも贈答、言い訳するのも贈答、と幅が広いので、当たり前と言えば当たり前です。要は、「和歌とはコミュニケーションである」ということが、如実に伺えた、という、何の変哲もない結果ではあります。
とはいえ、それは「ごはんできたよ!」「じゃあ食べに行く」式のストレートなコミュニケーションとは異質なのではあり、「お米がウチにある幸せをあなたに味合わせせてあげる」「それって二人で味わうものだよね」みたいな、一歩間違うと鬱陶しい、でも洗練されている場合にはパッと輝く、心の調味料の利いたコミュニケーションではあったわけです。

例として、短い説話をひとつ上げてみます。亡き親と交信する部類なので、贈答歌説話と捉えておきます。

   七月十五日、盆ヲ立ツル(=盆供養する)女ノ和歌ヲ讀ミシ語 第四十九

 今ハ昔、七月十五日ノ□盆ノ日、イミジク貧シカリケル女ノ、親ノ為ニ食ヲ備フルニタヘズシテ、一ツ着タリケル薄色ノ綾ノ衣ノ表ヲトキテ、瓷(おほとぎ=かたい焼物)ノ盆ニ入レテ、蓮ノ葉ヲ上ニ覆ヒテ愛宕寺ニ持チ参リテ、伏シ禮ミテ泣キテイニケリ。其ノ後、人怪シムデ寄リテ此ヲ見レバ、蓮ノ葉ニカク書キタリ。
 タテマツルハチスノ上ノ露バカリコレヲアハレノミヨノ佛ニ
ト。人々コレヲ見テ皆アハレガリケリ。其ノ人ト云フハ知ラデ止ミニケリトナム語リ伝ヘタルトヤ。

で、これに限らず、ここに27ある話は説話だから創作ではないのか、と疑われる可能性もあります。
これについては、しかし、ほとんどの場合、少なくとも事実に基づいたものだ、と言える裏付けがあります。和歌に付随する詞書が、それです。
話中の和歌全72首のうち、勅撰集に掲載されている44首(61%)は、一首を除き勅撰集上では詞書と共に記されています。しかも、おおむねすべての詞書が、『今昔物語集』上の説話と場面が一致しています。
一首だけ勅撰集上で詞書のない歌がありますが、作者の家集(具体的には『伊勢集』)のほうでは詞書があって、そちらで詞書と説話の場面の一致が確認できます。
例外は(贈答歌説話と見ましたが)第五十三で、藤原道長の部下が歌で機知を披露した説話になっているものの、本当は屏風歌であったことが勅撰集側の詞書から分かるもののみです。
(以上、詳細は省きます。後の表で勅撰集の掲載箇所を確認していただければと思います。)

説話中の歌が勅撰集には見当たらないものが28首ほどあります。そうした歌ばかりの説話はおおむね6話だけです(勅撰集歌とそうでない歌の混じっている話が他に数話あります)。
そのうちの2話は『伊勢物語』を引き写したものに少しだけ潤色してあります。これだけが明確に創作性が強いかと思われます(ただし『今昔』の作者によるのではなく、『伊勢物語』の作者による創作。具体的には羇旅歌説話と見た第三十五、贈答歌説話とみた第三十六です)。
他に、紀貫之『土佐日記』にオリジナルのエピソードがある(ただし『今昔物語集』は異文となっている)第四十三があります。『土佐日記』が事実をもとにしたものだ、と前提すれば、これはまるきりの創作にはあたりません。
残る4話は典拠がまったく分かりません。中に、上の第四十九も含まれます。が、これらの説話は、この和歌説話群のなかで、最も具体的場面を胸の内に浮かべやすく、イキイキしている気がします。

『今昔物語集』和歌説話群の各々が(おそらくは和歌に付いていた詞書をもとに)作者(編者)の手でどのように潤色されたのか、を考えるのは、非常に面白い作業になりそうです。でも、そちらに走ると、今の主目的から逸れてしまいますので、ひとまず断念します。印象だけを言っておきますと、
・詞書を少しだけ加除した、あるいはそれを幾つか連ねた
(34、38、39、46、47、51、52、57)
・詞書から連想を膨らませた
(37、44、45、50、55、56)
・詞書以外の資料を駆使して話を詳しくした
(31、32、33、40、53、54)
の三種に分けられる気がしています。これはいつかの楽しみにとっておきます。

ついでですが、和歌説話群で、どの勅撰集の歌が何首あるかを数えると、次のようになります。
 古今5、後饌0、拾遺13、後拾遺24、金葉1、詞花1
圧倒的に後拾遺和歌集掲載のものが多く(55%)、あとは拾遺和歌集掲載のものが目立ち(30%)、古今和歌集からの5首は説話の成り立ちから古今集との直接的な関係が推測される特殊な立ち位置にあり、残り2首は『今昔物語集』の成立時期を暗示しているように見えます。

じつは、講談社学術文庫で『今昔物語集』全巻に註を施されていた国東文磨さん(2012年ご逝去の由)に『今昔物語作者考』なる面白いご著作があり、今昔物語集の作者は、金葉和歌集の撰者である源俊頼だ、との説を唱えていらっしゃいます。その冒頭のお話が『今昔物語集』中に不意に現われる地名と俊頼の活動範囲の照合にあてられていて説得力があります。間違いない説だ、と強く感じさせられてしまいます。ところが和歌説話群も含め各話での考証になると曖昧さが増してしまい、確証に至らずに終わってしまっています。
それでも、和歌説話群と照応する勅撰集掲載和歌をざっと眺めてみると、少なくともこの説話群については「俊頼が作者〜編者でいいんじゃないかな」と、じわじわ思われてきたりします。
作者が誰かを一旦おいて、類話のかたまりから『今昔物語集』の特徴をあらためてあぶり出したら、また面白かろうと思っております。
・・・惜しいですが、そちらへの脱線は、いまは諦めておきます。

ともあれ、『今昔物語集』の和歌説話群は、もとの和歌に添えられている詞書を根拠に(潤色が多々あるとしても)事実起因性がほぼ明確であり、和歌が当時の人々のコミュニケーションに欠かせないものとしてあったことを如実に示していると言えるのは確認できたかと思います。

古今集と直接関係するだろう第四十五を、古今集と対比しておしまいにします。

(今昔)
   小野篁、隠岐國ニ流サルル時、和歌ヲ讀ミシ語 第四十五

 今ハ昔、小野篁ト云フ人アリケリ。事アリテ隠岐國ニ流サレケル時、船ニ乗リテ出デ立ツトテ、京ニ知リタル人ノ許ニカク讀ミテ遣リケル。
 
ワタノ原ヤソ島カケテ漕ギ出デヌト人ニハツゲヨアマノ釣舟
ト。明石ト云フ所ニ行キテ、其ノ夜宿リテ、九月バカリノ事ナリケレバ。曙ニ寝ラレデ眺メヰタルニ、船ノ行クガ島隠レスルヲ見テ、アハレト思ヒテ、カクナム讀ミケル。
 
ホノボノトアカシノ浦ノ朝霧ニ島ガクレ行ク舟ヲシゾ思フ
ト云ヒテゾ泣キケル。コレハ篁ガ返リテ語リケルヲ聞キテ語リケルヲ伝ヘタルトヤ。

(古今集)
古今和歌集巻第九
 羇旅歌

406(略、安倍仲麿 天の原 前に短い詞書、後ろに長い詞書〜今昔24-44参照)

  隠岐の国に流されける時に、船に乗りて出でたつ
407 
わたの原八十島かけて漕ぎ出ぬと人にはつげよ海人の釣り舟

  題知らず                   よみ人知らず
408 都出でて今日みかの原泉川川風寒し衣かせ山
409 
ほのぼのとあかしの浦の朝霧に島がくれゆく船をしぞ思ふ
    この歌は、ある人のいはく、柿本人麿が歌なり

 以下略

参照した古典原文は以下のテキストによりました。念のため。
*『今昔物語集』本朝世俗部上巻 佐藤謙三校注 角川文庫 平成11年 41版
 〜ただし平仮名本文
*『新版 古今和歌集』高田祐彦訳註 角川文庫 平成27年 8版
*『拾遺和歌集』武田祐吉校訂 岩波文庫 1994年 第5刷
*『後拾遺和歌集』西下経一校訂 岩波文庫 1994年 第4刷
*『金葉和歌集』松田武夫校訂 岩波文庫 1983年 第2刷
*『詞花和歌集』松田武夫校訂 岩波文庫 1994年 第4刷
*『小町集/業平集/遍昭集/素性集/伊勢集/猿丸集』和歌文学大系18巻 明治書院
*『伊勢物語』大津有一校注 岩波文庫 2002年 第50刷
*『栄花物語』三条西公正校訂 岩波文庫 上巻 1997年 第8刷
*『土佐日記 貫之集』木村正中校注 新潮日本古典集成 平成24年 5刷


(長くなりますが、下調べ時のメモを以下に貼っておきます。)
(作者考=『今昔物語集作者考』国東文磨 武蔵野書院 昭和60年初版)

【今昔物語巻第二十五の和歌説話(概略)】
31 屏風に書く和歌 伊勢御息所(延喜帝) 拾遺集49(春)
  斎院の屏風に山道ゆく人ある所
 散り散らずきかまほしくを故郷の花みてかへる人もあはなむ
  角~77行、詳細話

32 花見の際の和歌 中納言藤原敦忠 拾遺集1055(春雑)
  延喜の御時、南殿にちりつみて侍りける花をみて 源公忠朝臣(作者違い)
 殿守の伴のみやつこ心あらばこの春ばかり朝ぎよめすな
  角~27行、詳細話

33 屏風に書く和歌 公任 拾遺集1070(春雑)作者考p.281
  左大臣のむすめの中宮の料に調じ侍りける屏風に  右衛門督公任
 紫の雲とぞみゆる藤の花いかなる宿のしるしなるらむ
栄花物語「かがやく藤壷」岩上p.173
(6行)・・・又四條の公在(任の誤りか?)の宰相など詠み給へる。
藤の咲きたる所に、
  紫の雲とぞみゆる藤の花いかなる宿のしるしなるらん
  角~33行、詳細話

34 白川の家での遊び 他(短い8話の列挙) 公任 
 拾遺集~春きてぞ・・・・1015(春雑、詞書あり)右衛門督
 詞花集~古を・・・・・・389(雑下、詞書あり)前大納言
 後拾遺~すむとても・・・257(秋上、詞書あり)前大納言
 後拾遺~落ちつもる・・・377(冬、巻頭歌、詞書あり)前大納言
 後拾遺~降る雪は・・・・417(冬、詞書あり)前大納言
 後拾遺~おしなべて・・・983(雑三、詞書あり)前大納言
 拾遺集~思ひ知る・・・・1335(哀傷、詞書あり)右衛門督
 後拾遺~山里の・・・・・359(秋下、年次入り詞書あり)前大納言

栄花物語「ゆふしで」(岩中p.151)~屏風歌のくだり(p.150~152)
 四條の大納言、別に二首奉らせ給へり。(略)
  山里の紅葉見るとや思ふらん散り果ててこそ訪ふべかりけれ
 角~31行、詞書に補足的な話が付く

35 東国下りの旅の和歌 業平 古今集、伊勢物語9
  伊勢物語9に一致、言葉をやや改変~古今集にはよらないであろう
  (伊勢物語のほうが、古今集の詞書を参照しつつ編まれたかと思われる)

36 女性との贈答の和歌・花見の際の和歌 業平 古今集、伊勢物語
  伊勢物語99、82、83の複合
  99~潤色
  82~後半のみ、説明的短縮
  83~後半のみ、説明的短縮

37 東国下りの旅の和歌 実方中将 後拾遺集、古事談第二 作者考p.125
  やすらはで=後拾遺1137(雑五)~詞書あり
  見むといひし=後拾遺570(哀傷)~詞書あり
  うたた寝の=後拾遺563(哀傷)~詞書あり
 詞書に説明を加えたものを3つ繋げた感じ

38 藤原道信が父を悼む和歌 拾遺集・後拾遺集・玉葉集 作者考p.288
(清原元輔作が混じる)
  限りあれば=拾遺集1293(哀傷)~詞書あり、膨らましてある
  あさがほを=拾遺集1283(哀傷)~詞書あり、膨らましてある
  みるひとも~勅撰集に対応なし
  よそなれど~勅撰集に対応なし
  わが宿の~勅撰集に対応なし
  桂川~~勅撰集に対応なし
  思ひいづや=玉葉集~勅撰集に対応なし
  おいのきく~勅撰集に対応なし
  吹く風の~勅撰集に対応なし
  秋深み~勅撰集に対応なし
  君がへむ~勅撰集に対応なし
  そむけども~勅撰集に対応なし
  天の原遥かに照らす=後拾遺969、詞書あり
  別れぢの=後拾遺(わかれての)465、詞書あり
  たれが世も=後拾遺470、詞書あり
  あかずして~勅撰集に対応なし
  行く先の=拾遺集499元輔(行くすゑの)詞書あり
  何方を~勅撰集に対応なし
  あさぼらけ~勅撰集に対応なし
  流れ来る~勅撰集に対応なし

39 死後に人の夢の中で詠む和歌 藤原義孝 後拾遺集、大鏡
  時雨には=時雨とは、後拾遺599、長めの詞書あり
  きてなれし=後拾遺600、長めの詞書あり
  しかばかり=後拾遺598、長めの詞書あり
 歌を物語用に並べ替えたか

40 円融院葬送の和歌 行成 後拾遺集、栄花物語(見果てぬ夢)
  後拾遺541、542。詞書は541の前。
  栄花物語本文(岩上p.114)本文のほうが似ている

41 一条院を悼む和歌 上東門院 
  ・後拾遺集569(詞書あり)
  ・あとの二首~栄花物語(岩上p.187)

42 朱雀院の女房が常陸守となり下向、主の女御を悼む和歌

43 子の死を悼む和歌 貫之 土佐日記・宇治拾遺
  土佐日記とは異なる本文、宇治拾遺・古本説話集とほぼ同じ

44 唐から故郷を思う歌 安部仲麻呂 古今集、土佐日記 作者考p.296
 古今集406(羇旅歌巻頭歌)
   もろこしにて月を見てよみける
  天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
   (長い詞書あり、史実的)
  土佐日記(新潮p.28参照)

45 遠島になり詠んだ和歌 小野篁 古今集、撰集抄
 古今集407
   隠岐の国に流されける時に、船に乗りて井で立つ 小野篁朝臣
 古今集409(よみ人知らず)
   この歌は、ある人のいはく、柿本人麿が歌なり

46 河原院訪問和歌 貫之・能因・道済 古今集・拾遺集、貫之集 作者考p.252

47 男に遣る和歌 伊勢御息所 古今集、伊勢集 作者考p.273

48 鏡売りの女持参した和歌 拾遺集、十訓抄 作者考p.246

49 盆に親を供養する和歌 作者考p.296

50 旧夫へ辞世の和歌、旧夫は主に見損なわれる(教訓) 後拾遺集1007
  (詞書あり)
  京よりぐして侍りける女を筑紫にまかり下りて後、
  こと女に思ひつきて思ひいでずなりにけり。女たよ
  りなくて京に上るべきすべもなく侍りける程に、煩
  ふ事ありてしなんとしけるをり、をとこの許にいひ
  つかはしける                  よみ人しらず
 とへかしな幾夜もあらじ・・・
  (以下にも詞書あり)

51 心移りした夫への和歌 赤染衛門 後拾遺集
  後拾遺1070(赤染衛門)~歌なし
  詞歌集360(赤染衛門)
  勅撰集に対応なし~赤染衛門集
  勅撰集に対応なし~赤染衛門集  

52 からかわれての機知の和歌 大江匡衡 後拾遺集、十訓抄 作者考p.126
  後拾遺938(詞書あり)
  後拾遺974(詞書あり)
  後拾遺1139(詞書あり)

53 道長に問われての機知の和歌 実際は屏風歌 大中臣輔親 
 拾遺集1076(詞書あり)
   延長七年十月十四日もとよしのみこの四十の賀し侍りける時の屏風に
  あしひきの山時鳥里なれてたそがれどきになのりすらしも
 後拾遺962(長めの詞書あり)
 後拾遺1061(長めの詞書あり)

54 懸想の和歌 元良親王 続古今集
  (前話からの連想)

55 釈明の和歌で許された郡司(教訓) 拾遺集、宇治拾遺

56 郡司の娘の和歌がわからず主に見捨てられる(教訓) 宇治拾遺 作者考p.224

57 女への訪問を和歌で許される 藤原惟規 金葉集、十訓抄 作者考p.75

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