« 『楽しく学ぶラテン語』読解~第15課 | トップページ | 今昔物語集の和歌説話群に見る詠歌場面 »

2019年1月13日 (日)

新古今和歌集隠岐本識語

2 3 4


新古今和歌集隠岐本識語
【百人一首はなぜ出来た?(1)】

去年の暮れ、中公新書から『承久の乱』(坂井孝一 著、中公新書2517)が出て、ほとんど無知ながら日本中世史に野次馬根性いっぱいの私は、たいへん興味深く読みました。

承久三年(1222年)の、この乱は、「朝廷の最高権力者たる後鳥羽院(上皇)が鎌倉幕府を倒す目的で起こした兵乱、というのが一般的なイメージ」(『承久の乱』はじめに、p.i)です。が、坂井さんは、後鳥羽院が乱を起こした目的は倒幕ではなく、鎌倉の執権である北条義時を討って幕府を自身のコントロール下に置くことに過ぎなかった、それを義時個人の追討ではなく倒幕が目的である、と転化させたのは、鎌倉方首脳陣の真摯で迅速な結束と戦略だった、と述べています。
そのとおりだったのだろう、と思います。

乱で敗れた後鳥羽院は、隠岐に流され、京に帰ること叶わず、十八年後に隠岐で亡くなります。
島から出ることを許されなかった後鳥羽院の心境がどんなものだったか、は、ほとんど推し量ることが出来ません。ただその間、新古今和歌集の歌を二割ほど削除する試み(『隠岐本識語』が伝存しています。新日本古典文学大系11『新古今和歌集』付録、p.581-583 岩波文庫『新古今和歌集』p.317-318)を究極のものとする歌集編纂への意思や、その結果残された『時代不同歌合』などから、院が和歌を見つめなおす時間を大切にしたことが伺われます。

『時代不同歌合』は、後年藤原定家が成立させたとする百人一首と関連があるのではないかとされているそうで、この先の私の興味はそちらへ向かうことになるのでしょうが、その前に、隠岐で後鳥羽院がどう和歌に向き合ったかをよく伝えてくれる、新古今和歌集隠岐本識語を読んでおきましょう。

――――――――
(仮名・段落分けは新日本古典文学大系のテキストによります。)
(岩波文庫では仮名が通用の旧仮名遣いに訂正されています。)

いまこの新古今集は、いにし元久のころをい、和歌所のともがらにおほせて、ふるきいまの歌を集めしめて、そのうへみづからえらび定めてよりこのかた、いゑいゑのもてあそびものとして、三十あまりの春秋を過ぎにたれば、いまさら改むべきにはあらねども、しづかにこれを見るに、おもひおもひの風情、古きも新しきもわきがたく、しなじなのよみ人、たかきいやしきも捨てがたくして、集めたるところの歌、二千ぢなり。
数のをほかるにつけては、歌ごとにいうなるにしもあらず。そのうちみづからが歌をいれたること、三十首にあまれり。道にふける思(おもひ)ふかしといふとも、いかでか集のやつれをかへりみざるべき。
おほよそ玉の台(うてな)風やはらかなりし昔は、なを野辺の草しげきことわざにもまぎれき。沙(いさご)の門(かど)月しづかなる今は、かへりて森の木末ふかきいろをわきまえつべし。
昔より集を抄することは、その跡なきにしもあらざれば、すべからくこれを抄し出だすべしといへども、摂政太政大臣に勅して仮名の序をたてまつらしめたりき。すなはちこの集の詮とす。しかるをこれを抄せしめば、もとの序をかよはし用ゐるべきにあらず。
これによりて、すべての歌ないし愚詠の数ばかりを改めなをす。しかのみならず巻巻の歌のなか、かさねて千歌六百ちをえらびて、二十巻とす。
たちまちにもとの集を捨つべきにはあらねども、さらに改め磨けるはすぐれたるべし。
天の浮橋のむかしを聞きわたり、八重垣の雲のいろにそまむともがらは、これを深き窓にひらきつたへて、遥かなる世にのこせとなり。

――――――――
(現代語訳にしてみました。おかしなところはご指摘下さい。)

今この新古今集は、去る元久(1204-6)の時分に、和歌所の伺候者たちに命じて、新旧の和歌を集めさせて、その上で私自身で選定してからこのかた、家々で賞玩されるものとして三十余年が過ぎてしまったので、いまさら改訂できるようなものではないのだけれども、冷静にこれを見てみると、思い思いの味わいは古いのも新しいのも区別は難しく、様々な読み人は貴賎どちらも捨てがたくて、集めたところの歌は二千におよんでいる。
数が多いことについては、とりたてて歌ごとにすばらしいようだというのでもない。そうしたなかに私自身の歌で集に入れてしまったものが三十余首もある。歌の道に耽る思いが深いからだというにしても、どうして集の見苦しさをかえりみずにいられようか。
おおよそ朝廷が穏やかだった昔は、こうした見苦しさも、まだ野辺の草がたくさん生えているような状態に紛れてはっきりしていなかった。私が流謫の身になって砂浜に静かに月が照るだけの今は、かえって森の梢の深閑とした色合いをわきまえなければならない。
昔から歌集からの抄出は、それを行なった形跡がないわけでもないので、当然にこの集からの抄出をするべきであるところだが、新古今集は摂政太政大臣九条良経に命じて仮名序を奉らせたのだった。そうした序を載せたものをすなわち集の決定版としたのである。であるのにこれを抄してしまっては、元の序を通用することは出来ない。
こうしたことから、すべての歌ないし愚詠の数だけを改め直すことにした。それだけでなく、各巻の歌のなかからあらためて千六百首ほどを選んで、二十巻とした。
即座にもとの集を捨ててしまうべきではないのではあるが、さらに改めて磨いたものは、より優れていることだろうと思う。
国生み神話の昔を聞き及んでおり、「この八重垣を」を初源とする和歌の風趣を慕う仲間は、私の撰し直したこの集を一人静かに読み、将来の世に残してくれますように。
――――――――
私の主観的なまとめになるかも知れませんが、後鳥羽院のこの識語に込められた考え方には、以下のようなポイントがあるのではないかと思います。

・歌は深い情趣を湛えてこそ意義ある作となる
・意義ある歌を集めることにこそ集をなす価値がある
・それをわきまえきれず成してしまっても、勅撰の集はもう形を崩せない

百人一首のようなものがなぜ成り立ったかについて、これらのポイントはまだ直接的な契機を示すものではありませんが、それでも歌や歌集に対する新古今時代前後の詠み人たちの価値観は、後鳥羽院と大なり小なり似通っていた、と前提してよいかどうかを測る原器にはなるように、いまのところ思っている次第です。
当時の歌論によって確認して行くべきところであるかも知れません。
ただその前に、出来れば、和歌が当時どのような社会的価値を持っていたかを、少し観察できないかな、と思案しております。

またこの次に。

|

« 『楽しく学ぶラテン語』読解~第15課 | トップページ | 今昔物語集の和歌説話群に見る詠歌場面 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新古今和歌集隠岐本識語:

« 『楽しく学ぶラテン語』読解~第15課 | トップページ | 今昔物語集の和歌説話群に見る詠歌場面 »