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2017年6月21日 (水)

【漢文】列子 黄帝 第二 十

誤りはどうぞご指導下さい。
この段は『荘子』達生編に殆ど同文があります。字が幾つか違うだけで、あとは『列子』の最後の二行がありません(老人が孔子に皮肉なお説教をするところ)。・・・あとの二行が『列子』のほうでは付け加えられたものなのか、と考えると、『列子』が『荘子』より後に成立した書物である証になるのかもしれません。『荘子』のほうが削ったのだとすると、『荘子』は穏健化したことになりますが、ふつうはあとの時代ほど皮肉が強くなるものだとすると、そうは考えにくいですね。
このあたり、専門的にどうなのか、は、私は知りません。


仲尼適楚,出於林中,見痀僂者承蜩,猶之也。
仲尼曰:
「子巧乎!有道邪?」
曰:
「我有道也。
 五六月纍垸二而不墜,則失者錙銖;
 纍三而不墜,則失者十一;
 纍五而不墜,猶之也。
 吾處也,若株駒,吾執臂若槁木之枝
 雖天地之大、萬物之多,而唯蜩翼之知
 吾不反側,不以二萬物一易蜩之翼,何為而不得?」
孔子顧謂弟子曰:
「用志不分,乃疑於神
 其痀僂丈人之謂乎!」
丈人曰:
「汝逢衣徒也,亦何知問是乎?
 脩汝所以,而後載其上。」


【書下し文】〜参照したテキストもしっくりこないんですが、知識がないので本当のところは分かりません。自分のダメダメ書き下しにしてみておきます。

仲尼、楚に適(ゆ)き、林中に出(のぞ)みて(【語彙】参照)、痀僂(くる)者の蜩を承(と)るを見(み)るに、猶ほこれを掇(ひろ)ふがごときなり。
仲尼曰く、
「子は巧みなるか。道有りや。」と。
曰く
「われ道有るなり。五、六月に垸(たま)二を纍(かさ)ねて墜ちざれば、則ち失ふ者錙銖(シシュ わづか)なり。三を纍ねて墜ちざれば、則ち失ふ者十に一なり。五を纍ねて墜ちざれば、猶(な)ほこれを掇(ひろ)ふがごときなり。
 吾が處(を)るや、株駒を橛するがごとく、吾が臂(ひ)を執るや槁木の枝のごとし。
 天地はこれ大なりて、萬物はこれ多なりといへども、唯だ蜩の翼をのみ(而)これ知る。
 われ反側(そむ)かず、萬物を以て蜩の翼に易へず、なんすれぞしかうして得ずや。」と。
孔子顧(かへりみ)て弟子に謂ひて曰く:
「志を用ひて分たず。乃ち神を疑ふ
 其れ痀僂丈人の謂ひか。」
丈人曰く:
「汝、逢衣の徒なり、亦た何か知りて是を問ふか?
 汝の所以を脩め、而る後に其上を言に載すべし。」と。


【和訳】(やってみます!〜合ってるかどうか分かりません!)

孔子が楚に出かけ、林の中に行って、背中の曲がった老人がセミを捕っているのを見ていると、まるで道に落ちたものを拾うような容易さでやっている。
そこで孔子がきいた。
「あなた、上手ですねえ。とくべつなわざがあるのでしょうか」
老人がこたえた。
「わしにゃあ特別技術があるんじゃ。セミ捕りの季節に、トリモチの玉を(竿の先に)二つ重ねて(トリモチが)落ちんようになったら、ミスはかなり少のうなる。三つ重ねて落ちんようなら、それが十に一というとこ。五つ重ねて落ちんようなら、セミも(地べたに落ちとるわけではないがのう)落ちたんを拾うのと同んなじくらい雑作なくとれる。わしの体のブレんのは、まるで切り株を立てたようで、わしが腕を延ばすんは枯れ木の枝を突き出すような感じじゃ。世の中は大きゅうて万物は文字通りたくさんなのじゃが、わしゃセミの羽んことだけ念頭にあるのじゃ。わしゃ心を乱さんで、たくさんの物じゃあなくセミの羽のことだけ考えているんじゃから、どうして捕れんことがあるかいな。」
孔子はふりかえって門人たちに言った。
「心に決めたことをつらぬいて他に気をとられないとは、もう、人知を超えた存在ではないかと思うのだが、それはこの背中の曲がったご老人をさすのではないかね。」
老人が言うには
「あんたはんは、礼儀かぶれの儒学者でんな。それがまた、なにかごぞんじでこんなことをお聞きになりはったんかいな。まずはあんたはんの心身をきっちりさして、それが出来てからもっとエラそうなことを仰るようになさったらええんちゃいまっか。」

 


【語彙】〜今回は、このセクションで赤く色を付けた語彙以外、はwebliro記載の意味をコピペしました。

仲尼:→孔子
適:行く。
楚:中国の国名。春秋戦国時代に長江中流域を領有していた国(?~前223)。
出:ある場所へ行く。その場所に臨む〜林中に「出る」はそぐわず、中國哲學書電子化計劃をなさった先生も「出て」の読みに疑問を呈しているので、ちょっとありえない読みかたをしてみました。
於:訓読み:あう、 より、 おいて、 おける、 ああ
林中:林の中。
見:人に会う。
痀僂者:ク(背骨の曲がる病気)+ル(背中が曲がっていること)僂は岩波文庫のテキストでは立心偏だが、注で人偏の字の仮借と説明。
承:う-ける、つぐ
蜩:せみ
猶:「…と同じようだ」の意を表す。さながら。
掇:タツ。訓読み:ひろう
之:訓読み : の、これ、ゆ-く
也:なり、か、また、し
曰:いう、 いわく、 のたまわく、 のたまう、 ここに
子:二人称。自分と同程度の相手をさす。古めかしい言い方。君。
巧:うまい。じょうず。
乎:か、ああ、かな、や、よ、を
有:何かが有る状態。対義語は無。
道:学問。技芸。その,やり方。
:ここでは文末の疑問の助字
我:われ。おのれ。自称の代名詞。
五六月:旧暦の五月〜六月。セミを捕るのに適した時期
纍:ルイ、 ライ。つづる
:カン、 ガン。まろぶ 漆と灰を混ぜて塗る意。ここではとりもちの玉の由(岩波文庫の注による)
墜:おちる。おとす。
則:のり、 の、 とる、 すなわち、 のっとる
失:あやまる。しくじる。
者:ある状態にある人。もの。
錙銖:シシュ。ごく少ない目方。わずかなこと。銖錙。
:処。その場所にいる。とどまる。
若:状態の意を添える。
橛:ケツ、 カチ、 ケイ、 ケ。くい。
株駒:シュ(きりかぶ)+ク〜この2文字で「枯れた切り株」の意の由(新書漢文体系)
執:とりおこなう。掌握する
臂:ヒ。ひじ。
槁木之枝:こう ぼく(枯れ木)の枝
(雖):いえど-も〜「中國哲學書電子化計劃」の本文では脱落。岩波文庫の本文や、ほぼ同文の荘子達生の本文(後掲)から補うが、書き下しはこの字がないことにしてやってみた。
天地:世界。
大:大きいさま。ゆったりしたさま
萬物:宇宙に存在するすべてのもの。ありとあらゆるもの。
多:数・量・種類などがおおい。
唯:ただそれだけ。
翼:つばさ。はね。
知:頭脳のはたらき。ちえ。かしこい。
反側:ひっくりかえる。横になる。変化の多いさま。心安らかでないさま。
以:おもう、 ゆえに、 も、 て、 もって
易:とりかえる。
何為:ナンスレゾ。どうしてからか、どうして
得:手に入れる。知識や能力を身につける。さとる。
孔子:春秋時代の魯の思想家。儒教の祖。名は丘,字は仲尼,諡(おくりな)は文宣王
顧:かえり-みる
謂:い-う、いい、おも-う、いわゆる、さす
弟子:ていし。特定の師について学問・宗教・技芸の教えを受ける人。門人。
用:つかう。役立てる。とりたてる。引き上げて,ある仕事をさせる。
志:こころざし。こころざす。心に決めて目指していること。
分:別々にする。
乃:すなわち。
疑:あやしむ。
神:人知ではかり知れない霊妙なはたらき。人間以上の不思議な力を持つもの
其:その、 それ
丈人:老人。年より。また,長老を敬っていう語。
汝:なんじ、 なれ、 い、 うぬ、 いまし、 し、 しゃ、 な、 なむち、 まし、 みまし
逢衣徒:儒教の服装をした人
亦:その上に。かつ。その上に。かつ。それから。ところで。しかし。
何:なに、なん
問:とう。たずねる。ききただす。とい。おとずれる。みまう。
是:これ。この。かく。
脩:おさめる。まなぶ。ただす。ととのえる。
所以:ゆえん。いわれ。わけ。理由。
後:のち。あと。
載:のせる、 しるす、 のる〜岩波文庫では「はじめて」と読むべきだとする。・・・はじめてそのうへをいはん
言:い-う、こと
上:関係すること。


【参考】荘子 外篇 達生 3
仲尼適楚,出於林中,見痀僂者承蜩,猶掇之也。
仲尼曰:
「子巧乎?有道邪?」
曰:
「我有道也。
 五六月累丸,二而不墜,則失者錙銖;
 累三而不墜,則失者十一;
 累五而不墜,猶掇之也。
 吾處身也若厥株拘, 吾執臂也若槁木之枝,
 雖天地之大,萬物之多,而唯蜩翼之知。
 吾不反不側,不以萬物易蜩之翼,何為而不得!」
孔子顧謂弟子曰:
「用志不分,乃凝於神,
 其痀僂丈人之謂乎!」


テキストは「中國哲學書電子化計劃」サイトによりました。
http://ctext.org/liezi/zh

日本の書籍にはない区切りの入れ方で文が理解しやすくなっていますが、前回もそうでしたけれど、日本の書き下し文と区切りが違う所があります。(今回は「豊」の次に;があります。新書漢文体系の書き下し文ではここは区切れておらず、「豊かにして」と次に続いていました。使用テキストの方の区切りに従ってみました。)

他に参照したテキストは次の二つですが、主に岩波文庫によりました。

・岩波文庫『列子』上(小林勝人 訳注)33-209-1

・新書漢文体系24『列子』(小林信明著 西林真紀子編 明治書院 平成16年)
後者には書き下し文しか載っていません。書き下し文は二著間で異なるところがあります。

語彙は『新選漢和辞典』で調べることを基本としたうえで、この二書の註により意味を記しました。

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コメント

疑問の助字の読みかた(書き下し)について、ご専門のかたから以下のご教示をいただけました。とてもうれしいです!

(以下、転載)

疑問文の文末を「や」とするか「か」とするかは学者によっても意見が分かれます。私が絶対正しいと言うつもりはないです。ただ、「道あるか」これはイエス、ノーで答える質問ですよね。その時は文末を「か」としてイエスノーで答える質問と明確にする。
逆に「何か知りて」のように何か、誰か、どこかのいわゆる5w1hの質問は最後、「や」で結んで、そういう質問だと明確にする。経験則上、この説が100%ではないものの一番正確なような気がします。
「邪」は「か」と読めると言うかが文法的にそうなっている場合は「か」と読むべきですが、形に惑わされて、「や」と誤読なされている方が多いです。
「邪」「乎」「耶」「歟」など、何で文末を結ぶことになっても「お前は行くのか?」「昨日、お酒を飲んだのか?」「彼女を好きなのか?」みたいなイエス、ノーで答える質問の場合は「か」で結ぶのです。
それに対して文章の中に「誰」「何」「どこ」「安(いづくんぞ)」「なんすれぞ」などがあれば文末は「や」にして、そういう疑問文だと言うのを明確にします。

投稿: ken | 2017年6月22日 (木) 22時12分

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