CD・DVD

2016年8月18日 (木)

「魔弾の射手」序曲〜C.クライバーのリハーサル(3)展開部・再現部

1970年、カルロス・クライバー40歳の時の「魔弾の射手」序曲リハーサル1回目映像(当時の南ドイツ放送響 )の内容、3回目(最後)の掲載です。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00008Z6VA

(【序奏部】【呈示部】

譜例はウェーバーの自筆譜によります。
↓ここにあります。
http://imslp.org/wiki/Der_Freisch%C3%BCtz,_Op.77_(Weber,_Carl_Maria_von)

各箇条の数字は小節番号です。

【展開部】
159から~1つ1つの音符を確実に、細かい音が流れないように、すべての音をつかまえて。部分にもよるが、そう弾けることを見せて下さい。
165〜166:165の3つ前の八分音符からの弦は遅れる。管は(拍裏の)8分音符を明確に丁寧に
159170
(159〜170小節)

181〜190:基本的にピアニッシモなので勘違いしないで下さい。「亡霊が彼を瞬く間に暗闇で包み込む」部分ですからね。(181〜2の)フルートだけが強いままでいいんです。(その後)クラリネットとオーボエの入りだけがフォルテで、それ以外はピアニッシモで緊張感を保って
同箇所、チェロは最初の四分音符が短くならないように。その後が少し遅れて聞こえる(ので気をつけて)。八分音符4つを少し速めに弾いて、最初の四分音符は短くしないように。

「幽霊の存在を信じますか?」
「はい」
「よかった この曲には大切な要素だから・・・この曲の間だけでも信じて下さい」

同箇所:機会仕掛けの幽霊だと思って、時計のように正確な動きで(でないと管楽器をうまく乗せられない)。管楽器は自由に。
181185
(181〜185小節)

189〜190でのアチェランド気味の箇所が崩れることについて〜「私が手を出さない方が良いようです。指揮ではなく音楽自体が流れを作るから」
190〜:オーボエの問いかけに、トロンボーンは何も答えない。・・・今度は控えめに問いかけるが、(トロンボーンは低く小さく決然と)nicht!。弦の伴奏は相手を良く聞くように。
188201
(188〜201小節)

211〜:第1ヴァイオリン〜(オーボエといっしょに)答えを求めるように
213〜218:ピアノとピアニッシモの違いをうまく出すように
211221
(211〜221小節)

【再現部】
219からのクラリネットは、冷酷で頑強で融通の利かない地獄の掟を思わせる雰囲気がまだ足りないな。音楽で情景を描き出して。

229〜232はアチェルランド。呈示部の時より速くなる。指揮に従うのではなく、涌き上がるといいですね。皆が盛り上がって先に行くのなら、無理に抑えたりはしません。
229232
(229〜232小節)

(ここまで)

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2016年8月17日 (水)

「魔弾の射手」序曲〜C.クライバーのリハーサル(2)呈示部

1970年、カルロス・クライバー40歳の時の「魔弾の射手」序曲リハーサル1回目映像(当時の南ドイツ放送響 )の内容、2回目の掲載です。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00008Z6VA

(前回掲載の序奏部こちら

譜例はウェーバーの自筆譜によります。
↓ここにあります。
http://imslp.org/wiki/Der_Freisch%C3%BCtz,_Op.77_(Weber,_Carl_Maria_von)

各箇条の数字は小節番号です。

【呈示部】

57〜60:第1ヴァイオリン、トゥッティの直前はクレッシェンドの余地を残して(60小節1拍目裏から第2ヴァイオリンにも同じ音を弾かせることにした〜再現部も同様)
5760
(57〜60小節、弦楽器)

53〜60:「『天空が闇夜に変わり、嵐が来て、大地は炎を吹き上げる』〜漆黒の闇」漆黒の中の漆黒!(団員笑う)
5356
(53〜56小節、弦楽器)

61〜:低弦も軽く弾まないように、重々しく(上行音型)
6168
(61〜68小節、弦楽器)


93:ホルンのアウフタクトが聞こえない。聞こえるように。
96:クラリネットがソロではいるところは、絶望的な感じを出してほしい。表現に集中するあまり声が雑になる歌手のようにはならず、しかし心の叫びの表現は忘れない
103〜104:(伴奏の)クレッシェンドは控えめに
92106
(92〜105小節、クラリネット・ホルン)

109〜:(第2ヴァイオリン、チェロ)クラリネットへの気配りが足りない。伴奏がソリスティックでがっしり聞こえすぎる。1拍目はアクセントをつけず、3拍目もわずかなアクセントで、ソロに同調するように。クラリネットとの連携を大切に。ソロをよく聞きながらついていって下さい。
115〜119:ピチカートの動きが速い。少し待つように(ここは舞台上の場面転換です・・・気持ちの上でね)
109122
(109〜122小節 オーボエ・クラリネット・ホルン・ファゴット〜ファゴットの方が下に記譜されている〜・弦楽器)

145以降:第1ヴァイオリンはスラーのついた八分音符が滑らないように
145152
(146〜153小節、第1ヴァイオリン)

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2016年8月16日 (火)

「魔弾の射手」序曲〜C.クライバーのリハーサル(1)序奏部

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カルロス・クライバーには「魔弾の射手」全曲録音の他に、序曲を南ドイツ放送響 (現:シュトゥットガルト放送響)とリハーサルした映像があります。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00008Z6VA
1970年、カルロス40歳の時のもので、DVDには2回分おさめられていますが、1回目の内容を譜例とともにあげておきますので、どうぞ演奏のご参考になさって下さい。譜例でスペースを取りますので、2、3回に分けて掲載したいと思います。

譜例はウェーバーの自筆譜によります。
↓ここにあります。
http://imslp.org/wiki/Der_Freisch%C3%BCtz,_Op.77_(Weber,_Carl_Maria_von)

今回は、序奏部分。各箇条の数字は小節番号です。

【序奏部】
1:出だしが早すぎる(タクトを置いてすぐに音が出たとき)〜コンマ3、4秒くらい待って出たのを「Ja」とする。
3:第1ヴァイオリンの旋律は2回目がピアニシモだから弱くし過ぎないで。2回目で「希望の火が失われる」
長めのクレッシェンド(1〜2)も1回目に出し過ぎないで。2回目(5〜6)で倍にする。

1
(1〜8小節)

15〜16:ホルン3番、ここでブレス必要?(ブレスしてほしくない)〜その後、奏者は16小節まで吹いてブレスするようにしている(楽譜は1・2番がin F、3・4番がin Cです。)
1516
(15〜17小節、ホルン)

22:低弦が強すぎる
25:(ホルンの)旋律の終わりは1拍目だが弱く
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(22〜25小節、ホルン・弦楽器)


31:クラリネット頑張って。(33小節目の2拍目ではっきり出るよう指示している)〜この写真のいちばん上がクラリネット。
31
(31〜36小節)

・・・続く。(【呈示部】

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2016年7月 2日 (土)

【ディスコグラフィ】古典的前衛ベト8!〜(税抜)1,000円台のCD

この冬、所属アマオケでベト8〜ベートーヴェンの交響曲第8番をやることになりました。
んで、団内のかたへの資料提供をダシに、(消費税別)1,000円台のCDのご紹介をしたいと思います。

【前置き】〜また面倒になってしまいましたので、流して下さい。(>_<)Zap2_g1680226w

ベートーヴェンの交響曲第8番は、聴くと均整のとれた曲のような気がするのですが、どっこい、書法はなかなかの前衛です。
・第1楽章がppまでへのディミヌエンドで終わる(『田園』でさえそうではない)。
・そんなことよりもなによりも、最初に第2主題とか副次主題とか言われる柔らかなメロディが出てくるところの転調が複雑怪奇(前ふりは調性感の薄い変ロ長調〜登場1回目二長調〜登場2回目ハ長調)で、その後に続く無調感がじつにハンパない!
・んでこれまた、再現部がどっからかがうまいことボカされている
・第2楽章はバロック的なリズムぼかしを全然バロック風にでなくやりとげている。して、よく言われるように緩徐楽章ではない
・メヌエットもどきはトランペットとティンパニがすっとぼけたタイミングで入り、主部のおしまいのところでは木管群もすっとぼける
・ロンド形式だかソナタ形式だか、どっちにもとれるくせに、でもロンドソナタ形式ではない終楽章
などなど、もうマニアックに言い出したらきりがないのですが、詳しくは音楽之友社版のスコアの、すんごくむずかしい解説(沼口 隆さんによる)を頑張って読んで下さい。
あ、ただし演奏用楽譜はベーレンライター版になるので、練習用のスコアとしてはそちらが必要です。

ベートーヴェンの前衛ぶりは、ピアノソナタが最高に、次いで弦楽四重奏曲が際立っていて、ご存知の通り第1から第9まで前衛のネタは尽きないはずの交響曲は、聴いてみるとしかし、そんなふうにも思えません。後輩たちがこぞって真似をしたからなのかな。そうしたわけで、第8の前衛っぷりには、あまり気付かれてこなかったのではないでしょうか。どんなにこねくりまわした書きっぷりであっても、「歪み」のない構成が安定感を生み出していること、オーケストレーションが実に巧みであることが、私たちの目ならぬ耳をくらましてきたからなのかも知れませんね。

【聴く準備?】

で、アマチュアの演奏の手本には、この曲の場合、安定感のある演奏が望ましい気がします。
じっさい、いろいろ聴いてみると、第2楽章以降は、そんなにこねくりまわされた演奏はありません。
第1楽章には「やらかしポイント」が幾つかあるので、選ぶときには、そこがミソかな。そうでもないかな。とくに冒頭主題の「(移動ド読みで)ミソ・ド・ミレ・」でためてしまうのは、どうかなぁ、と思います。
第2楽章でわざとあんなに規則的で句切れの分からない均等リズムを採用した作曲法を考えあわせると、「やらかしポイントでやっちまう」ようなデフォルメはベートーヴェンは望まなかったのではないかと思います。「やらかす」なら第3楽章こそ、なのですが、これが面白いとまで思う演奏はないし、面白さを実現するのはかなり難しいと思うし、「やらかし」ていなくても、まあいいか、ではあります。

ベルリンフィルとウィーンフィルの録音を聴くと、この二つはオーケストラとしての性能がダントツだなあ、と感じます。これはとくに、木管アンサンブルの響きやトランペットの鳴らし方、とくに第3楽章のトリオ相当部分(「トリオ」とは書かれていない)の、ゴキブリがはうような低音(!)の伴奏の上に悠々と鎮座ましますホルンとクラリネットの音色の伸びやかさで、もう圧倒的です。
しかしながら、じゃあ他のオケでは話にならないのか、というと、まったくそんなことはありません。むしろ、上記二大オケでも、あかんもんはあかんかったりします。結果的には、いろいろ聴いてみると、二大オケではないところのもののほうに多角的な魅力を感じます。

それぞれに、必ず受ける印象であろうことを簡単に記しますので、選択の際の参考になさって下さい。

【演奏時間比較】〜値段と品番は個別紹介のところでします。
         PC以外ではレイアウトが崩れます。ごめんなさい。
  みなタワレコ新宿店で買いあさり、一昨日現在補充がないのを目撃してきました。
  他のお店で見つけるか、新宿店さんの補充を待ってね。(ToT)
  おのおおの、タワレコさんのサイトのリンクは載せておきます。

指揮者  プフィッツナー  カラヤン     アバド
オケ   ベルリンフィル  ベルリンフィル  ベルリンフィル
録音年  1933     1962     2000
第1楽章 07:49    09:18    08:42
第2楽章 03:55    03:54    03:56
第3楽章 04:16    05:54    05:32(ただし総リピート)
第4楽章 08:08    07:07    06:56
*プッフィッツナーは年代がかなり隔たるので、歴史的演奏がお聴きになりたければ、ですね。
 呈示部の反復がありませんので、第1楽章は上げた中での最速ではありません。

指揮者  バーンスタイン  ティーレマン   
オケ   ウィーンフィル  ウィーンフィル  
録音年  1978     2009     
第1楽章 09:42    10:22    
第2楽章 03:59    04:15    
第3楽章 04:48    05:24    
第4楽章 07:20    07:50
*ティーレマン盤は2枚組でなおかつ1,000円台ではありませんので番外です。

指揮者  ブロムシュテット       ブリュッヘン     
オケ   シュターツカペレドレスデン  18世紀オーケストラ
録音年  1978           1989
第1楽章 10:00          08:28
第2楽章 03:54          03:50
第3楽章 04:45          04:22
第4楽章 07:53          06:51

指揮者  サヴァリッシュ        パーヴォ・ヤルヴィ     
オケ   ロイヤルコンセルトヘボウ   ドイツカンマーフィル・ブレーメン
録音年  1993           2004
第1楽章 09:39          08:05
第2楽章 03:54          03:50
第3楽章 04:32          05:30(ただし総リピート)
第4楽章 07:39          06:43

      最速               標準
第1楽章  08:05(ヤルヴィ)      9分程度
第2楽章  03:50(ヤルヴィ)      3分55秒程度    
第3楽章  04:16(プフィッツナー)   4分30秒前後
第4楽章  06:43(ヤルヴィ)      7分30秒前後

こんな感じです。「総リピート」は、ダ・カーポ後の主部が反復記号を省略無しに演奏されている、という意味です。


【個別に】

ベルリンフィル

*ハンス・プッフィツナー/ベルリンフィル(1933年)UCCG-90307 1,650円+税
http://tower.jp/item/3279460/
クナッパーツブッシュ指揮による1928年録音のヴァーグナーの管弦楽とのカッUccg90307_2プリン グです。いずれも貴重な録音だといえますが、クナッパーツブッシュの連綿としたヴァーグナーに比べると、さっぱりしているのが面白いところです。曲の性質のせいかも知れません。とはいえ全楽章にロマン派まっただ中のテンポゆらしがあって、今の耳で聴くと違和感が大きいかも知れません。第1楽章の「やらかしポイント」を「やらかし」ています。第3楽章のトリオはなぜかホルンのリズムが楽譜と違います。理由を突き止めていません。音は意外にノイズが少ないです。ステレオ期以降の演奏のどれかと併せて聴くのがよいかと思います。

*カラヤン/ベルリンフィル(1962年2月)UCCG-5304 1,200円+税
http://tower.jp/item/3834911/
第7をフルトヴェングラー盤(モノラル)で聴いたとき、より新しいクリュイタンスUccg5304 盤(ステレオ、全集)のベルリンフィルの音とあまりに「同じ」だったのに仰天した記憶があります。それで、響き作りに伝統があるのかな、確かめてみたいな、と思って聴いたのが、これではなく1967年録音のカラヤン指揮盤の第8だったのですが・・・残念ながら、伝統の片鱗はあるものの音が濁っていて、ガッカリしました。より前の62年録音はどうだろうか、と、このチャンスにチャレンジしたのでしたが、これもダメでした。弦の人数をかなり多くしているのが災いしているのではないかなあ(『田園』は決して悪くないんです)。それと、カラヤンは端正な曲には向いていなかったようにも感じています。彼の指揮した古典派ものは個人的には気に入ったものがあまりありません(ロマン派ものはいいなあと思うのですよ)。カラヤン好きなら、ベト8は、もしかしたら67年盤のほうがいいかも。こちら(1,000円+税)は、記憶では第2楽章についてはたいへんきれいな音でした。

*アバド/ベルリンフィル(2000年3月)UCCG-50004 1,800円+税
http://tower.jp/item/2852169/
クリュイタンス盤(1967年)から30年以上隔たっているにも関わらず、こちらのほUccg50004 うがカラヤンとの演奏に比べてクリュイタンス、ひいてはフルトヴェングラーと共通の音色を持っています。この音色の維持には舌を巻くよりほかありません。とはいえ指揮しているアバドは、勉強熱心な人だったのでしょう、彼の指揮したベートーヴェンの交響曲は古楽スタイルなどを意識したもので、スコアの指示に対しても古楽畑の人たち同様極端なほどに「忠実」を誇示するところがあり、それがベルリンフィル伝統の音響の中でなされることは聴き手に強烈な違和感を呼び起こすことがあるかも知れません。かつ、古楽の成果を取り入れたという意味では、そちらのスペシャリストと目しても良いパーヴォ・ヤルヴィたちの演奏にお株を奪われてしまっているようにも思います。第1楽章にバラけを感じますが、全般にはアバドの指揮らしい、飛び跳ねるようなイキイキさをもった演奏です。


ウィーンフィル

*バーンスタイン/ウィーンフィル(1978年11月)UCCG-90526 1,500円+税
http://tower.jp/item/3917723/
ティーレマン指揮のものは2枚組でしか見当たらず番外としましたが、これが第1楽Uccg90526 章の「やらかしポイント」をやらかしているうえに、全楽章にテンポの揺れがあるので、新しめ(7年前)でこんな20世紀前半的なことをいまどき・・・ウィーンの人たちはこういうのを喜んでいるのかしら、と、ビックリしたのでした。ライヴのようですが、演奏の集中度は若干「?」でした。
ラトルの旧全集(2,000円!)の中のベト8はYouTubeで聴け、わりとノーマルで締まりも良くて素敵なのですが、第1主題後半で1回目はわざとディナミークを落としてクレッシェンドを聴かせたりしています。ナマで聴いたら面白いのかも知れませんが、この音声ではちょっと作為的に聞こえて面白くありませんでした。
とはいえウィーンフィルも長い時代を経て昔ながらの音色を維持していて、これも驚嘆に値します。それでやはり長期間の演奏の比べっこをしたい誘惑に駆られたのでした。
バーンスタインがライヴで残した演奏が、もう40年近くも前なのですが、これはノーマルでありながら伸びやか、伸びやかでいながら丁寧なものなので、ウィーンフィルならこちらが断然いいかも、と思っています。バーンスタインのベートーヴェンは時に歌い過ぎだったりゆったり過ぎだったり、で、たぶん聴き手には賛否両論なのですが、この第8に関しては、演奏時間も見てのとおり割と平均的で、極端さが影を潜めています。


古楽系

*ブリュッヘン/18世紀オーケストラ(1989年11月)PROC-1751 1,200円+税
http://tower.jp/item/3896360/
 歴史的演奏法をモダンに取り入れたノリントンを含め、古楽系としてのアーノンProc1751 クール、ホグウッド、インマゼールらの全集のものも聴いてきたことがありましたが、ブリュッヘンのこの演奏が、いちばん安心して聴ける気がします。古楽系は管打が相対的に良く鳴っていて、大型オーケストラに比べて本来の正しいバランスはこうなのかな、と思わされる反面、弦楽器の荷なっている重要なパラフレーズまで管打が隠してしまうこともままあり、その点は疑問に思っています。ブリュッヘン/18世紀オーケストラの録音も、とくに第1楽章にそのきらいがあります。それでも終楽章はとくに、圧巻のクレッシェンドの最中に楽器間のバランスをよく考えていて、なかなか小気味良い演奏となっています。弦楽器も、古楽系の大曲録音では思いのほか巡り会えない「しゃりん!」という響きが、ブリュッヘン盤では随所で聞かれ、奏法のスジの良さに感服させられます。ブリュッヘンの指揮する演奏は、曲の最後の音を他の人なら「ふゎん。」と置くところを「ぽん、」と軽く置くので、そのニュアンスだけは好き嫌いの分かれるところかな。第8では第1楽章、第2楽章の最後の音がそうなっています。


N響の指揮者たち
・・・1,000円台を漁ったら、奇しくもこのような取合せになったのでした

*ブロムシュテット/シュターツカペレドレスデン(1978年2月)KICC 3645 1,000円+税
http://tower.jp/item/3666902/
シュターツカペレ・ドレスデンは技術力も非常に高く、鋭角な響きがし、かつ指揮者Kicc3645 が変わると響きの質まで変えてしまうので、これまたすごいなあ、と、日頃から尊敬するオーケストラのひとつです。ブロムシュテットの指揮はN響を指揮したものは時に淡白すぎてつまらないんじゃないか、と思うこともあるのですが、ノーマルを聴きたいと思ったらこの人、という側面もまたあります。で、この曲に関してはオケと指揮者の相性が抜群ではないかと思いました。ときに発揮され過ぎるシュターツカペレドレスデンの極端な鋭角さがなく、きわめてノーマルでオーソドックスな音響、テンポ、ニュアンスをかたちづくっています。第3楽章のホルンの音が、このオケならではの「いかにも(旧)東独」の、サックス系のヴィブラート豊かなものですので、好みはそこで分かれるかな。あとは終楽章のファゴットとティンパニのオクターヴ音型のユニゾンで両楽器の音色がしっかり混じりあっているのを、この録音でのみ耳にして、これは驚きました。これも好みに反映するかも知れません。

*サヴァリッシュ/ロイヤル・コンセルトゲボウ(1993年12月)TOCE 90272 1,800円+税
http://tower.jp/item/3242021/
ひとことでいうなら・・・もっとも規範的な演奏です。(現在の通常のアマチュアの編成でのモダンの)フルオケにとっては、これ以上の「正しいお手本」は見当たらないのではないかな。例の「やらかしポイント」である第1楽章「(移動ド読みで)ミソ・ド・ミレ・」は、どんなに良い演奏でも丁寧さが失われがちで、それがまた「やらかしたい人はやらかしちまう」理由・・・ここをなんとかしたい良心からなのです・・・になるのですが、「やらかしポイント」の見事な解決法はサヴァリッシュのこの録音でしか出会えませんでした。テンポ内できちん、きちん、きちん、と音を弾ませる。この弾力がたいていおろそかにされるんですよね。アンサンブルもたいへんしっかりしています。ニュアンス作りも微に入り細にわたりたいへん丁寧になされています。すべてきっちりしていながら、しかし窮屈な感じがこれっぽっちもしません。コンセルトゲボウがまた、重厚濃厚。ライヴ録音で、終楽章のコーダ前までおしつまったあたり(調べたら452小節目でした)で第1トランペットさんが音の入りをはずしてしまっているのがご愛嬌。それまでしかし、メンバーがこれだけの集中を保っているのは、見事というほかありません。
地方のテレビで食い入るように見つめさせてもらっていた、サヴァリッシュさん壮年期の凛とした指揮姿が思い出されて、ちと涙ぐみながらこれを綴っているという、とんでもないオマケ付きであります。・・・これは人には貸せないので、聴きたかったら自分で買ってね。

*パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン(2004年8月)SICC 30022 1,890円+税
http://tower.jp/item/3148208/
ヤルヴィ盤は高音質の2,000円超盤もありますが、ぎりぎり税抜1,000円台のこれもSicc_30022 あります(消費税8%では税込2,000円になるのは1,850円までですので、お財布からの出費は2,000円を41円ほど上回ってしまいますが、まあ良しとしましょう!)
とにかく硬派で快速で、ベルリンフィルがアバドのテンポ作りで露呈してしまったような戸惑いがまったくありません。若々しくて斬新な音色は、まだ耳新しかった時期のノリントンに感じさせられたある種の極端さをも、凌駕してしまっています。古典の演奏が、まだこんなに刺激的な開拓の余地をもっていたことに、感嘆の念を禁じ得ません。それでいて解釈には別段奇をてらったところはありません。ベーレンライター新版が出て以降、ベートーヴェンのメトロノーム記号を尊重しようというので、やたらに快速を標榜する演奏が増えたのでしたが(アーノンクール、ノリントン、アバド、ブリュッヘンらの名誉のために言うと、彼らはベーレンライター新版の出る前に独自の研究からそうしたのでした)、ただ軽く荒くなっただけで、あまり感心できるものではありませんでした。そうではなく、速さのいかんに関わらず、丁寧にやらなければならないものは丁寧に、を貫いた新鮮な演奏がこうして聴けるようになったことには、安堵の念を抱かずにはおれません。

・・・とまあ、また冗長になりました。
・・・こんなところで。

ベートヴェンの第8の第1楽章のコーダは、先に上げた音楽之友社版スコアの解説に丁寧に記されている通り書き直されているのですが、書き直し前の自筆譜の写真がこちらで見られますので、よろしければご覧下さいまし。
http://www.beethoven-haus-bonn.de/sixcms/detail.php?id=15288&template=dokseite_digitales_archiv_en&_dokid=wm174&_seite=1-1

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2016年2月 6日 (土)

ペーター・シュヴァルツと札響のモーツァルト【日本のオーケストラのCDを聴く】

あいだに神奈川が入りましたけれど、北日本に戻るのであります。

札幌交響楽団は尾高忠明さん(現 同交響楽団名誉音楽監督)とのペアで昨年とうとうシベリウスの交響曲全集を完結させ、掉尾を飾る第6番第7番で実に印象深い演奏を録音しています。
そちらにも、とても心を打たれています。

4988065900052 が、まずは、やはり札響が昨年出したアーカイヴシリーズから、ペーター・シュヴァルツさん指揮の1970年の演奏(第91、92、94回定期演奏会 fontec TWFS90005)の印象を述べます。

http://tower.jp/item/3968920/

たぶん、自負の強かった大学オーケストラは、少なくとも80年代頃までは、自分たちも後発の地方プロオーケストラになら比肩しうる演奏は出来ている、と信じていたのではないかと思います。
実際に、1970年代でしたら、クラシックを聴き始めた私の耳には、うまい大学のオーケストラと地方のプロオーケストラに、さほど違いがありませんでした。
最近軒並み素晴らしい演奏を聴かせて下さるプロオケを(主に録音でではありますが)拝聴するようになりますと、1970年代あたりが、アマチュアでもプロを超えうると信じられた、最後の時代だったのかもしれない、と感じていました。

では本当に1970年の頃は、とくに地方のプロはたいしたことがなかったのでしょうか。

札幌交響楽団(1961年創立)を1969年から指揮したペーター・シュヴァルツさんは、客席を向いたときの笑顔が静かで「大人っぽ」くて、それが指揮なさっている最中は派手なアクションもなくぴりっとしていて、じかに見た小学生時分の私には、何人か見た指揮者の中で最も大人の魅力を感じさせてくれました。
日本でお噂を聞かなくなってから、どうしていらっしゃるんだろうな、と思っていたら、このCDの解説で初めて確かに、1998年にウィーンで亡くなっていたことを知りました。
これまた知らなかったことながら、CDの解説によりますと、シュヴァルツさんは指揮者としては力が未知数のまま、岩城宏之さんに「失敗すればいいと思」われながら札響のタクトをとるようになったのでした。岩城さんが「失敗すればいいと思った」のは意地悪からではなくて、チェロのソリストとして世界屈指の技術力を持つシュヴァルツさんが脇道に逸れるのを惜しんだからだったと推し量られますが、けれどシュヴァルツさんは岩城さんの期待も空しく、赴任早々真摯に札響を素晴らしいオーケストラへと育てて行かれたのでした。CD解説に経緯が書かれていますけれど、1974年に初めて札響に客演した小澤征爾さんが、札響の出すハイドンの音を聴いて「ああ、これはシュヴァルツの功績だなあ」と言った、というところ、シュヴァルツさんの面目躍如ではないかと思います。

今回、シュヴァルツさん指揮札響1970年のモーツァルトの録音を繰り返し繰り返し聴きましたが、こんな熱心な人の、たぶんかなりキツかった要求を受け入れながら練習を重ねた札響の方々の示している成果は、1970年には地方のプロはたいしたことがなかった、などと思い込んできた私の主観を、がらがらと崩壊させました。

CDの最初には、若くして既に強烈なインパクトを持ってプロコフィエフ(ピアノ協奏曲第3番)を弾くマルタ・アルゲリッチとの共演が収録されています。「10年足らずでよくぞこのアルゲリッチと、まがりなりにも渡り合うまでに成長したものだ」と述べている解説の藤野竣介さんが、「そしてCDの曲がモーツァルトに移ると、その思いは驚きに変わる」と続けている通り、「ハフナー」と「プラハ」の演奏は驚異的です。
モーツァルトが大好きだったらしい山田一雄さん(1991年逝去)指揮でのモーツァルトは1985年のN響とのものが映像で、1990年の新日フィルとのものがCDで聴けますが、テンポが幅広めのスタイルのものです。日本で演奏されるモーツァルトの一般的なスタイルでしたが、山田一雄指揮のモーツァルトは中でも抜きん出て素晴らしいものでした。
が、ペーター・シュヴァルツ/札響は1970年にすでに、キリリと締まったテンポでのモーツァルトを聴かせてくれます。解説の藤野さんが「明らかにウィーンの演奏スタイルが流れ込んでいる」と言っている通りです。
音にはまだツヤツヤさが幾分足りない印象がありますけれど、この「キリリと締まった感」は1970年と言えど既にアマチュアなんか足元にも及ばなかった域に達しています。旧版を使用したものではありますが、「ハフナー」の演奏の方が、シュヴァルツ/札響ペアのモーツァルトの見事さをはっきり伝えてくれる気がします。

残念ながら、これ以上どう表現していいのか、言葉が見つかりません。

最近は古楽風潮に乗ったモーツァルト演奏の方が内外で多く流通しており、日本にも先に聴いた飯森/山響の他に井上道義/OEKの優れた演奏がありますけれど、そちらが一般化して来ると、ロマンスタイルとでも言うべき20世紀のモーツァルト演奏もなつかしくなります。
日本のオーケストラ演奏の歴史を辿って聴くことに興味がある人は、この録音を漏らさず聴いてほしいと思います。

ああ、おいらも生意気なアマチュアやってたなぁ。。。

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2015年12月27日 (日)

川瀬賢太郎・神奈川フィル:ローマ三部作(レスピーギ)【日本のオーケストラのCDを聞く】

素晴らしい若手指揮者とくれば、川瀬賢太郎さんを聴いておかなくちゃなりません。

本2015年のライヴからといっても、春のものがようやく年後半に発売されるので、その中から僕が手にとったのは
・パーヴォ・ヤルヴィ&NHK交響楽団:R.シュトラウス「英雄の生涯」(2月~発売9月23日)
・尾高忠明&札幌交響楽団:シベリウス第6・第7(2月〜発売11月4日)
・川瀬賢太郎&神奈川フィルハーモニー管弦楽団:レスピーギ(4月〜発売12月9日)
・飯森範親&日本センチュリー交響楽団:マーラー「大地の歌」(4月〜発売12月18日)
でした。
どれもいい演奏で、日本のオーケストラによるCDには「買って損する」ものはない、と、すっかり信じさせてもらっています。クラシックがようやく輸入音楽ではなくなったんじゃないかな、とも感じます。

とくに、山田和樹さん(1979年生)や川瀬賢太郎(1984年生)さん世代が確固とした自己をもう築き上げながら、邁進への意欲で脂ぎっているダイナミックさには、頭が下がる思いです。まだ録音でしか拝聴出来ていないのが残念です。

ほんと、もうちょっと早くから日本のオーケストラのおっかけをすればよかったなあ・・・って、いまもまだおっかけするほどお金も時間もないのですが(泣)。

61pa1ooounl_sy355_ 川瀬さんに強い印象を受けたのは、ソプラノの半田美和子さんと共演しているテレビマンユニオン チャンネルにあるリゲティ「ミステリー・オブ・マカブル」の映像で、10分弱ですがたいへん面白い。
定番の曲では定番的な指揮しか見えませんけれど、このリゲティだと、ジャズオーケストラを振るような「ノリ」の良さがくっきりして、コミカルなセンスもよく分かる。
「うるさいんだよおばさん!」と半田さんに向かって言って、半田さんに平手打ちを食うシーンがあるのですが、そこでのふるまいの自然さが川瀬さんのすべてではないか、と思ったほどです。
・・・なんぼスコアの指示であるにせよ、おきれいな半田さんに「おばさん」を、こんなにストレートに言ってしまっていいのだろうか! というくらいのまっすぐさ。

http://tvuch.com/social/166/

神奈川フィルハーモニー管弦楽団(1970年創立、1978年財団法人)は、東京に優れたプロオーケストラが林立し、県内には他に横浜シンフォニエッタが存在する中、たいへん長く地道に活躍していらしてきたオーケストラなのですね。
そこへ若い川瀬さんを昨2014年から常任に、と迎えた英断も素晴らしいと思います。
そして、川瀬さんも見事にそれに応えている。
山田和樹さんが線と線を執拗に浮きだたせ絡めながら音楽を構築して行くタイプだとすると、川瀬さんもデリケートながら、むしろ色合いのような面的なものを大切にしているように聞こえます。

川瀬さん&神奈川フィルの新譜は、レスピーギのいわゆるローマ三部作。日本のオーケストラによるライヴァル盤が出ているだけに、どんなふうに聴かせてくれるのかが、大変楽しみでした。

最大のライヴァル盤だと思うのは、イタリアのたいへんすぐれた若手アンドレア・バッティストーニ(1987年生)が東京フィルハーモニーと行なった2013年5月の演奏のライヴ録音で、これが非常に力強い演奏です(DENON COGQ-68)。これは曲順が「ローマの祭」・「ローマの噴水」・「ローマの松」となっていて、「祭」で僕らの度肝を抜いておいて、「噴水」を豊かに聴かせ、「松」で華麗にしめくくる、と、盛り上げかたも巧みですし、オーケストラも重厚です。

川瀬&神奈川フィルの響きは、うーん、どうでしょう、バッティストーニ&東フィルに比べてしまうと、重みには欠けるかな。極彩色でもありません。
けれども、いい持ち味があります。
曲順を「噴水」・「松」・「祭」としているのも、神奈川フィルの特徴を浮き出させるには適切である気がします。
優れて日本的、とてもいうべきなのでしょうか、「噴水」は霧のかかった夜明けの後に、まだやわらかさを残した朝が来る風情で、昼の日差しもギラギラし過ぎず、黄昏はふうわりとした美しさに包まれている。
「松」終曲は録音の方法のためなのか打楽器偏重に聞こえるのがやや残念でしたが、最初のボルゲーゼ荘の松の繊細さは、他の演奏では気がつかなかった音楽の糸の織り上げかたに感心をさせてくれたりします。カタコンブの松やジャニコロの松のやさしさも、いいなあ、と思います。
「祭」は、川瀬さんが単純な熱狂ではなく、ストーリー性を大切になさっていることが、くっきりと浮き出るものになっているように感じます。チェルチェンセスの残忍さはやや薄い気がしますが、以降、主顕祭まで運ばれて行く流れには、どこにも適度な陶酔感を保ちながら、充分なゆとりを持って最終の戯画的喧騒をしっかりとらえる、きちんとした意思を感じます。

・・・まあ、あたしのような素人は、言いたいことばっかり言うわな。なのですけれど、主顕祭に至って陽気さがはじけまくるのには、とっても嬉しくなってしまうのです。そこへのプロセスがじわじわ楽しめる点では、この演奏は出色なのではないかしらん。

川瀬&神奈川フィル、次は何をリリースなさるのでしょう。是非楽しみに拝聴させて頂きたいと思っております。

fontec FOCD9698

http://www.amazon.co.jp/dp/B017TYT2IU/

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2015年12月 5日 (土)

山田和樹・仙台フィル:ラフマニノフ交響曲第2番【日本のオーケストラのCDを聞く】

まいどのばかばなしでございます。

山形交響楽団の名演を拝聴しましたので、あ、仙台はどうなっているだろうか、と、あいなりました。

仙台フィルハーモニー管弦楽団の前身、宮城フィルハーモニー管弦楽団がプロになったばかりの頃、高校生で入れてもらっていた地元の若もんアマチュアオーケストラで、宮フィルの初期メンバーのかた数人が教えたり手伝ったりして下さって、お世話になったのでした(ヴァイオリンの山本先生お元気かしら)。大学生になってからは、アルバイトの一人として演奏旅行についていったこともありました。・・・学生なのにバイト代がしっかり源泉徴収されて、がっかりした記憶があります(笑)。瑞々しい小山実稚恵さんによるショパンのピアノ協奏曲第1番を伴奏する端っこにいて、あとはベートーヴェンの第5をやったのだったな。序曲は覚えていません。
・・・と、個人的にそんな思い出があります。

仙台フィルと少し前に共演なさったかたから
「仙台フィルうまいですよ」
と聞かされたことがあって、元地元民として密かに狂喜していたのですが、仙台を離れて久しいので、仙台フィルになってからの音を知りませんでした。

ショップをあさったら、『つながれ心、つながれ力』(fontec FOCD9524)と銘打ったCDが出ていました。2011年の東日本大震災で自らも壊滅的な打撃を受けた仙台フィルが、震災直後の3月26日に懸命の臨時演奏会を催し、それを契機に5月15日までになんと、メンバーさんやそのお仲間で125回もの復興コンサートを行なったのだそうですが・・・噂は耳にしていたものの、そこまでとはCDのリーフレットを読むまで知りませんでした。そうやって被災地の人たちとお互いを励ましあってきた仙台フィルが、その売上を震災復興の助けに、と出したのが、この『つながれ心、つながれ力』だったようです。これも知らなかった! 元地元民失格だわ(泣)。
このCD、内容は2006年〜2010年の演奏です。
最初の収録曲、ベートーヴェンの交響曲第8番(小泉和裕さん指揮、2007年)の、初めの音がなるなり、びっくり仰天してしまいました。なんて威勢がいいんだ!
続くシューマンの交響曲第4番(山下一史さん指揮、2010年)も、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」(パスカル・ヴェロさん指揮、2006年)も、わりと情緒連綿な気がするのだけれど、なんでか聴いたあと気分がさっぱりする。

これだったら、後期ロマン派あたりが、たぶんダレたりしなくって、ぴったんこなんじゃないかなあ。
そういうのはないのかなあ、と思って探したら、これが、あったのでした。R.シュトラウスもあるんですけどね。

51nzqlrjkbl_sy355_ 選んだのは、ラフマニノフの交響曲第2番。

2013年9月のライヴで、指揮は山田和樹さん。EXTON OVCL-00532
僕らが学生の頃までは、ヤマカズと言えば山田一雄だったんですが、いまやヤマカズと言えば山田和樹なんですよね。

人気作ながら、メランコリックでムードミュージック的だ、と、渋好みのクラシックファンからは格落ち扱いされることもあるラフマニノフ作品。交響曲第2番はピアノ協奏曲第2番とともに、そう見られる代表的なものではないかと思います。交響曲第2番の演奏には、たしかに甘ったるいものが多い気もします。わりとがっちり出来た曲だと思うんだけどなあ・・・
何を隠そう、僕はこの交響曲は大好なのですが、しかし演奏の甘ったるいのはいやでした。それで、初のノーカット演奏録音として名高いアンドレ・プレヴィン−ロンドン交響楽団の、情に流されない絵画的な美しさのあるものだけを偏愛して聴いてきました。
ですから、今回、山田和樹さん指揮のものに手を出すのには、ちょっとためらいもありました。

いやいや。ためらいっぱなしでなくて、よかったのでした。

うーむ、日本人の求める、日本人らしい緻密さって、こういうものなのではないだろうか、と、国粋主義的陶酔に陥らせて頂きました。プラスの方の期待を遥かに超えて、山田さんの優れた資質もだけれど、仙台フィルの特性もまた充分に生きた、スゴい演奏なんじゃないかな。

とにかく『つながれ心、つながれ力』の各演奏がそうだったのと同じように、いや、いっそう爆発力を増して、ラフマニノフでの仙台フィルの演奏は、きっぱりとしている。それでいて、たっぷりとした情緒も供えている、という不思議さがある。
でもって、これは山田さんのしわざなんでしょうか、情緒的きっぱりの嵐の中で、とくに弦楽器の音像が細かいところまで解剖学的な浮き出しかたをしている。飯守・都響の「タンホイザー」みたいな正確さとはまた違って、なんと言いますか、音楽という肉体の動脈が浮き出している感じ・・・なんて表現だと気持ち悪いのですが、それは僕の言い方がよろしくないのであって、動脈の浮き出る運動性が、60分間もの長時間作品にイキイキさを貫かせ、聴き手を飽きさせない。

構成を主眼にしたプレヴィンの行き方は、実は高名なロンドン響盤以外にロイヤルフィルを指揮した録音でも確認出来るのですが、ああ同じプレヴィンだ、と分かっても、オーケストラの実力の差なのか、ロンドン響の演奏にあった重厚感が消えてしまっているのです。似た例はルドルフ・ケンペによるベートーヴェン「エロイカ」でもあって、ベルリンフィルとミュンヘンフィルとを比べると、指揮者のヴィジョンは確実に同じなのだけれど、仕上がってくる響きの厚みがまったく違っています。・・・ちょっと脱線なんですけど。
で、山田さんが他のオーケストラでラフマニノフの第2交響曲をやっても、同じようなことになるのではないかしらん? それが仙台フィルとのより優れた演奏になってしまったら、僕はちょっと妬けるだろうと思います。

でも、心配無用だとも思っています。
各楽章での、仙台フィルメンバーの音の勢いや色の出しかたの本気度、取り組む技術の確かさが、浮き出た動脈の各所から透けて見えるからです。
そこまで山田さんの意図なのかどうかは分かりませんが、前半の2つの楽章では、以前聴いたことのあるシベリアの民族音楽で響いてくるようなぶんぶんした音が、これでもか、これでもか、と鳴る。
そしてこれまた分かりませんが、こんな音を実現してみる奏者さんに、民族音楽じゃこんなふうに音出してるんだぜ〜、みたいな見識の深さと豊かな再現力がなければ、ここまで耳を惹き付ける音楽作りは不可能なはずです。
第3楽章はたるまない美しさですし、第4楽章は熱狂的に聞かせながら最後まで緻密さを崩さないアンサンブルが見事です。終結に向かってオクターヴで重ねた旋律が動きも音程もピッタリ寄り添ったものでありながら熱いというのは、ちょっと信じがたい離れ業だわ。

先に「日本人の求める、日本人らしい緻密さ」を演奏に感じる、と言ったのは、熱も精一杯こめるけれど、その熱をどうやったら発することが出来るか、が、ある意味数学的とも言える突き詰めかたをせずにはいられないところが日本人的なのではないか、それがここに体現されていると感じる、という、まあ独善的な素人解釈です。
そんなちっぽけな国粋主義・自民族主義は、実際には、この演奏はまったく乗り越えているのですから、僕の耳は、たぶん偏狭なのです。

この交響曲をお好きなかたにも、いままで嫌いだったかたにも、山田・仙フィルであらためてお聴きになれば、作品の評価をまた変えざるを得ないんじゃないかな。。。
聴いたご感想を是非教えて頂きたいと思います。いろんな人にこれがどう聴かれるのか、に、とても興味があります。

Amazon http://www.amazon.co.jp/dp/B00IWYMREI
公式サイトのCDページ https://www.sendaiphil.jp/goods

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2015年11月28日 (土)

飯森範親・山形交響楽団のモーツァルト【日本のオーケストラのCDを聞く】

日本のオーケストラのCDを探すと、案外多いのがモーツァルトなんですね。
日本人のモーツァルト好きが反映されているのかな。
それも、1970〜80年代と2000年代のが入り交じって出ている。

まだ数少ないものを聴いただけですが、新旧で演奏の仕方が大きく違う。
前世紀になってしまった演奏についてはまた別途にしますけれど、僕が子供の頃はみんなこうだったな、と感じる、どっしりとした響きです。
今世紀に入ってからの新しい方は、「古楽」の影響が大きくて、軽やかです。
オーケストラの演奏では、モーツァルトがいちばん大きな変化をとげているようです。

Mozart1bigbigthumb380xauto234 飯森範親さん指揮、山形交響楽団によるモーツァルトは、とりわけ注目すべきものでした。
2007年になされた、交響曲『パリ』・変ホ長調(39番)・初期のヘ長調交響曲のライヴ録音です。
もっと早く知るべきでした。

ここでなされている演奏の方法について、CDに寄せられた萩谷由喜子さんの文章に述べられていますので、そこから引きますと、
「楽器は基本的に現代楽器ですが、ホルンとトランペット(中略)に時代楽器が使用可能となったほか、弦も管もヴィブラートをほぼ排してピュアな音で勝負する(後略)」
もので、山響メンバーのかたの集合写真を見ると、たしかにナチュラルホルンや長管トランペットを手になさっていたり、ティンパニも革張りの小型のものだったりしています。

これで「モーツァルト存命当時の響きを可能な限り再現する」コンセプトだったそうなのですが、響いてくる音は、良い意味で・・・「良い意味で」というのは、くどいほどにでも強調しておかなければなりません!・・・ちょっと違うんじゃないか、との印象を与えてくれました。

楽器の選択やノンヴィブラートは、たしかに「モーツァルト存命当時」を彷彿とさせるものなのでしょう。けれども、この点で先駆的なホグウッドによる全集や、もう少しソフトなピノックの全集が醸し出している古雅な音色とは、飯森・山響の作り出した世界は、全然違う。あるいは、モダン楽器でノンヴィブラートの音響を徹底的に追及したノリントンの演奏の持つ緊迫感とも、一線を画している。
内容のしっかりした演奏なので、これらの差は、飯森・山響が素晴らしい個性の輝きを放つ大きな要因となっています。

古楽やノリントン方式とは、どう違うのか。

このCDの演奏が、あくまでも「基本的には現代(モダン)楽器による現代の演奏」になっている、というところかと思います。・・・これは山響が公式にうたっているコンセプトに対する素直な聞き方ではないかもしれませんけれど(そして山響の指揮者には鈴木秀美さんもいらっしゃるので仰天したのですけれど!)、こんなふうに聴くのも決して悪いことではないはずです。

なぜなら、山響の演奏では、とくに現代の弦楽器のノンヴィブラートが、古楽器に比べるといかにつやつやした響きを放つか、が、理屈抜きの素直さで十分に発散してくるのだから。
ノリントンの方法も、僕は決して嫌いではないのですが、もう少し約束事が多く聞こえるのです。
飯森・山響ペアのほうが、はるかに素直だと思います。

とくに弦楽器は、現代奏者が現代奏法のまま、ただヴィブラートをやめている。ただし、出て来る音色が美しく良く響く、ということには細心の注意を払っている。左手で言えば、どうやって指に体重を自然に乗せるか、を、奏者の方々がほんとうによく心得ていらっしゃる気がします。右手なら、弓はやはりモダン弓の長さを存分に活かした全弓たっぷりの奏法のように聞こえます。
モダンの楽器が内在させている素の美しい音が、こんなにちゃんと伝わって来るのは、珍しいことではないかと思います。

少人数の山響(モーツァルト演奏での編成をCDの写真で数えると、この場合は40人もいらっしゃらないようですね、弦楽器は20人いらっしゃらない?)では、こんな弦楽器に管楽器が古楽器であることがまた、たぶん思いがけず、優れた効果を発揮しているのです。管楽器はメカニズムが古い方が、音が柔らかいからなのでしょうね・・・違っているのでしたらご教示頂ければ有り難いですけれど、僕はそう感じました。

モダンと古楽器の入り交じった編成でありながら、演奏はけっして折衷的ではありません。
バランスがよく整った、のびのびと明るい仕上がりです。
これはCDで聴いて頂ければ絶対はっきり分かることです。

ちょっとでも多くの、同好のお友達に聴いて頂きたい、大好きになって惚れ込んでしまった1枚になりました。とりわけ「パリ」が見事です。

蛇足ですが、山形交響楽団は、たしか北日本では最も古いプロオーケストラのひとつではなかったかと思います。
ネットで見ましたら、1972年創立だそうです。
隣県に育ちながら、僕は拝聴したことがありませんでした。
今回お店でCDを発見して拝聴し、そのことがとても悔やまれました。
メンバー表に載っているかたは53人(ステマネさん、ライブラリアンさんを含む)、と、小ぶりなのですね。CDのラインナップにブルックナーも含まれていて、興味を引かれています。
いずれ幸いに実際に拝聴する機会を、なんとかもてたらいいなあ。

YSOライヴ モーツァルトシリーズ Vol.1
交響曲第31番「パリ」(第1稿のアンダンテを含む)・交響曲第39番・交響曲へ長調k>Anh.223(19a)、Ave verum corpus
(合唱は、山響アマデウスコア)
2007年8月〜10月収録 ovcx-00045
http://www.amazon.co.jp/dp/B001IVU79E/

飯森・山響のCD http://www.yamakyo.or.jp/goods/

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2015年11月23日 (月)

飯守泰次郎・都響「ワーグナーの森へ」【日本のオーケストラのCDを聞く】

Cd_f9203_wagor 家内死後9年、まだまだ完全に手離れとは行きませんが子供たちも成人にいたり、ここ二、三年で、主に信頼する友の好意で、プロオーケストラの演奏会を聴きに行く機会も少しずつ出来るようになりました。

行けずにいる間、日本のプロオーケストラは長足の進歩を遂げた、と、強く感じる幸せを、都度味わいます。

これは、日本のオーケストラの最近の録音を、もっと聞かなければいけないな、と思いました。
その聴体験のなかで、何が進歩したのかをしっかり聞き取りたいのです。

別の縁で、過日、新国立劇場で、飯守泰次郎さん指揮東京フィルハーモニー管弦楽の『ラインの黄金』を観劇し、大満足で帰りました。
このペアでのヴァーグナーをCDで聴けないかな、と探したら、オーケストラは違うのですが、飯守泰次郎さん指揮東京都交響楽団のものが2つあるのを知りました。
ひとつが、そのものずばり『楽劇「ニーベルングの指環」ハイライト』(fontec FOCD9274 2005年4月22日のライヴ)だったのですけれど、むしろその1年前にやはりライヴで収録された『ワーグナーの森へ』にいっそう驚きと感銘を覚えましたので、そちらのことを少し申し上げます。

この『ワーグナーの森へ』、最初の収録曲である「タンホイザー」序曲からして、もう強烈なインパクトを持つ演奏でした。

ご存知の通り、この序曲では最初と最後の「巡礼の合唱」旋律の背後をヴァイオリンが細かく短いリズムの反復で飾ります。それが
・拍の頭にしっかり揃っている
とか
・旋律とのタイミングがきっちり合っている
とかいう演奏は、録音に限っても、なかなかありません。このこともご承知の通りかと思います。
まず「へぇえ!」と思ったのは、この二つともしっかりクリアされていたことでした。
けれども、それだけなら驚くには足りません。
拍やタイミングがきっちりそろうことだけに腐心した演奏は、往々にしてただ不器用に重く、音楽の流れがせき止められがちです。
ほんとうに驚嘆に値したのは、飯守ー都響の「タンホイザー」序曲が、「きっちり揃いながら、否、揃っているからこそ、威厳のある響きを築き上げている」ところにあるのでした。

あらためて、ウィーンフィルの1960年代・70年代の録音2種を引っ張り出して比べて聴いてみました。

ゲオルク・ショルティと録音した1962年のものは、タイミングの揃いに対してはおおらかですが、幅が広く、華やかで色彩豊かな演奏です。当然、飯守ー都響のような「リズムとタイミングの正確さ」はありません。それが、楽譜の模様通りにピッタリ揃うことが必ずしも音楽を豊かにするものではないことを雄弁に証明してくれてもいます。
カール・ベームと録音した1979年のものは、最初の部分ではヴァイオリンがリズムの正確さをかなり意識しているのがよく分かります。そしてまた全体が、最初の部分は揃うことの律儀さを曲の大事な性格と考えているようで、ショルティとの録音に比べ、ディナミークの起伏に関わらず、静謐感のある序奏をかたちづくっています。ただし、中間の盛り上がりを経た後奏部は序奏部とキャラが異なり、こちらでは、揃うこと自体にはもう意味を求めていない演奏になっています。
二つの演奏とも好きなものだし、素晴らしいものだと思っていますが、曲を捉える上で「これを貫かなければならない」みたいな強烈さは持っていません。そのぶん、おおらかだと言えるかもしれません。

飯守ー都響の「タンホイザー」序曲では、リズム的な正確さ、タイミングの正確さ、が、徹頭徹尾貫かれています。それでいて、音楽が絶対にせき止められることがない、常にいきいきと流れている・・・だから、聴いているほうも、重さに足止めを食らうことは絶対にない。

面白いことに、この『ヴァーグナーの森へ』で都響の作り出している音色は、明るくツヤツヤしたものではないのです。これがまた、アルバムのヴァーグナー演奏を非常に個性的なものにする上で、たいへん大きな意味を持っていると思いました。言ってみれば、「渋い!」のであります。

とくにショルティーウィーン・フィル’62の演奏と比べたとき、飯守ー都響のヴァーグナー演奏は、こうした特徴から、際立った個性で光を放っています。

他の内外の演奏は、先のショルティかベームかの、おおむねどちらかの類型ではないかと思っていましたので、飯守ー都響は私の耳に、たいへん新鮮な驚きでした。
これは、例であげた「タンホイザー」序曲にとどまりません。

古典の演奏で、一つの規範と言うか記念碑的というか、そう呼ばれてしかるべき演奏が21世紀早々の日本でなされたこと、それがしっかり録音に留められ、感銘を与えてくれること、は、私たちの記憶にしっかり刻まれておくべきではないかと思っております。

・・・あ、言い落としていましたが、この演奏の音程の作り方も特筆すべきだと感じています。はじめて聴いたとき、記憶しているショルティーウィーンフィル盤の音程・和声感とピッタリだったので、これにも驚いてすぐ比較したのでしたが、記憶に誤りはありませんでした。こういうことは、意外にあまりないのです。

この次はまた別の、日本のオーケストラの妙技への驚きをお喋りしたいと思っております。

『ワーグナーの森へ』は、Amazonでは出てきませんでした。(;o;)
私はタワーレコードの店頭で現物を見つけたんでしたが、タワレコさんのサイトでも出てきません。(ToT)

HMVではこちら:http://qq2q.biz/poTX

飯守さんのディスコグラフィ:
http://www.taijiroiimori.com/04disc/discf.html

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2015年4月 1日 (水)

【嬉しい発売!】linea-respiro 田中吉史(現代日本の作曲家)

待ちに待った田中吉史さんの作品集がCDで出ました。

http://www.fontec.co.jp/blog/2015/02/new2015325-linea-respiro.html
http://www.amazon.co.jp/dp/B00T6LIBG4

41coytdhvhl_sy355_
FOCD2578 定価¥2,427+税

初めて田中さんの作品に出会ったのは、他の現代作品に出会わせてもらったのと同じく、大井浩明さんのPortlaits of Composers 2010〜2011年のシリーズの最終回で、でした。そのとき演奏されたひとつに『松平頼暁のための傘』というのがあって、これは作曲家の松平頼暁さんと西村朗さんがラジオ番組で対談した、その対談をすっかり器楽に置き換えたものでした。
お聴きになっていた松平さんが
「わしはこんなしゃべりかたはせん!」
と怒ったとか怒らなかったとか、いやそんな根も葉もないことを書いたら怒られるかもしれないけれどこんなマイナーブログだからええやん、とか、もろもろあったりなかったりするのですが、とにかくこれが妙に面白かったのでした。

で、今回新しく出たCDを聴いてみましたら、もう2006〜2008年に、インタヴューの中のルチアーノ・ベリオやブルーノ・マデルナの喋りまくりが器楽音に置き換えられていたのでした。(『ヴィオラとピアノの通訳によるL.Bへのインタヴュー』・『ブルーノのアウラ、あるいはチューバとピアノの通訳によるインタヴュー』)
面白いことに、楽器で奏でられると、元が喋くりだったなんて思えないほどこれらのインタヴューが「音楽」に聞こえるのです。
ベリオの方はヴィオラとピアノで、声が低かったらしいマデルナの方はチューバとピアノで書かれていて、とくにマデルナは「快活で人懐っこい話しぶりだが、不器用な英語で、また病気のせいか(略)時折声がかすれたり、息が乱れたりしていて、どこかぎこちない」話し方の特徴が、高音域のチューバの艶っぽくかすれた色合いにぴったりしていて、そのことにちょっとビックリしてしまったのでした。

そもそも音楽とは何で規定されるのでしょうか?

『二面の二十絃箏のためのつむぎ歌』(2005)の解説で、田中さんは
「いわゆる西洋音楽の延長上にある多くの音楽では、演奏家は音楽そのものの中には存在しない等間隔の拍なり拍子を想定して、それにあわせて音楽を作っていく。(・・・略・・・)『つむぎ歌』では、それとはかなり違った音楽を作ることを試みた」
と述べ、この曲では二人の演奏家がお互いの出す音のタイミングにお互い注意を払い続けなければ演奏出来ない仕掛けを施した、と明かしています。
そもそも今の作曲家さんには「等間隔の拍」を消し去る意図をお持ちの方は少なくないはずなのですが、それをどこに昇華させるか、を明確にお考えの方がどれだけいらっしゃるかまでは、門外漢の私には分かりません。少なくともこれだけ明確に意図して作品をお書きになっている例を聴いたことがありません。
また、お互いを聴きあうアンサンブルにしても、拍や拍子というものは通常、合わせやすくするために必須の道具です。
最初に田中さんの作品を拝聴したとき、どこか邦楽的だな、と感じたのでしたが、それはこの「等間隔の拍」を否定したところからだったのかも知れません。日本の「音楽」は雅楽の舞楽などの例外はあるものの基本的に日本語と付かず離れずの関係にあり、したがって見かけ上「等間隔の拍」的ではありません。
しかしながら、では実際の邦楽はどうなのかを考えますと、日本語のシラブルの性質に由来するのでしょうが、雅楽の歌い物は等拍すなわち等間隔の拍ですし、平曲(平家琵琶)もまた、そうでないような見かけが散在するにもかかわらず、等拍です。能の謡のみ、不等拍があります。ただし私たちのように嗜んでいないものが体得するのはかなり難しくはありますけれど、構造的にはたとえば前半の等拍を後半は半分に詰める等々(違うやり方もあるのでしょうね)という方法ですから、体得者が経験的に合わせる上で予想されない類いの困難はありません。
・・・なお、「拍子不合」であってもそれは拍子上の話であって、音と音の間は等拍が原則・・・むしろ「拍子不合」という考え方を明記することによって、能は「拍子」を日本の歌唱の世界に再生させたのだとみてよいでしょう。今は深入りしません。
これらのことと対照すると、『二面の二十絃箏のための・・・』は邦楽器の作品ではありますが、拍をもっと根源的に否定しているのですから、伝統邦楽の延長線上にあるものでは決してないことが分かります。
これは、さきのインタヴュー2作で、既定的な拍にハマらない音の流れを素材にしたのと同平面の発想に由来することを意味するのでしょう。
そもそも洋の東西を問わず、等拍的な歌唱が音楽とそうでないものを区分して来たのではないかな、と、ここでふと感じるのですけれど、音と音の間が等間隔であっても、それがワルツやマーチのような拍子を構成したのはヨーロッパ世界でも(世俗的な舞曲を除くと)バロック以後(16世紀)のことです。田中さんの方法は洋楽としてもそれ以前に立ち返っていて、しかも等拍を崩すというところで、もしかしたらさらにもっと人間の根源世界の近くまで戻って行っている。だから田中さんの方法は<ルネサンス再び!>・・・過去の史上のルネサンスと同じではないからこそ、畳語になってしまうのですが、私たちに問い直される<再生>であるととらえて良いのではないかしら。

いっそ、<ルネサンス>を、物ごとの根っこに立ち戻って素直に見直そうとする営みだ、と普通名詞化できるのであれば、田中さんの創作姿勢は、この普通名詞的な<ルネサンス>と言ってもいいのではないかな、と思うのです。
その裏付けとしてあげたいのが、タイトルともなった1997年作の「17人の奏者のためのlinea-respiro」で、イタリア語部分は「線-呼吸」の意味です。ここに聴き取れる、古典美とはまったく異なる、最初の印象が奇異であるかもしれない、でも数度聴くうちに呼吸の糸のミクロを高倍率の眼で見ていると錯覚させられてくるような、自らは光を持たず外光に反映しているような色彩感は、聴く自分もこのイメージと一緒に根源に還ってみたくなる不思議な衝動を起こさせてくれる気がするのです。

と、なんだかやたらとしちめんどくなってしまったのを、いま深く反省しております。

後日、もそっと素直に、それぞれの作品の面白さが喋れたらいいなあと思っております。

取り急ぎ、興奮状態の感想ですみません。

ひとつだけことわらせて頂くなら・・・ヴァイオリンの奏法としては(ピアノの内部奏法同様)ちょっと許しがたいと思われそうなものを用いている作品が1曲あります。古典的ヴァイオリンがお好きな方はそれだけご了承下さい。
私はといえば・・・どっかの子供のを取り上げてやるのはやぶさかじゃないけれど、自分のヴァイオリンではやりたくないなぁ(笑)。

収録作品:
・アルト・サクソフォンとピアノのためのAttributes II (1995〜6)
・17 人の奏者のためのlinea-respiro (1997)
・6人の奏者のためのΦ (1998〜9)
・ヴィオラ、ピアノとテープのためのLessico famigliare (2000)
・二面の二十絃箏のためのつむぎ歌 (2002)
・ヴァイオリン・ソロのためのbogenspiel I (2003)
・ヴィオラとピアノの通訳によるL.B.へのインタビュー (2006)
・ブルーノのアウラ、あるいはチューバとピアノの通訳によるインタビュー (2008)

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