書籍・雑誌

2015年3月19日 (木)

どなたにも読んでほしい『小学校からの英語教育をどうするか』(柳瀬陽介・小泉清裕 共著)

芸ごと系ではない記事を。

私は英書を読む時もわからない単語はすっとばして・・・20〜30%はすっとばしてるんじゃないでしょうか?・・・読む、人がしゃべってる英語はほとんど分からない、しゃべるとなるとテキトーでたらめ、という、トンでも英語なやつです。
だのに、なんでだかよくわかりませんが、よく英語で道を聞かれます。
「where, Washington Holtel?」
「うーん、あ、そうだわ、ゴーストレイト! んでつきあたったらターンライト! ユールックアップゼア、したらばユーファインドシップライクホワイトビルディング、ザッツワシントン!」
「Oh, Thank You !」
ってな具合で、なんでこれで通じてるんだかこれまたよく分かりません。
あ、でももともとの質問の英語が文法的な形にはまっていないことから分かりますように、聞いてくるかたは英語のネイティヴスピーカーではありません。中国や東南アジアや、インド系でもヒンドゥじゃないんじゃないかな、と思われるかた、という感じかな。

まあ、こんな状況下でこんなデタラメで、思い出し笑いするくらい楽しかったりするのですが、じゃあこれでいいのか、と思っているかというと、まったく思ってはいないのです。もう少しちゃんとしゃべれる力があったら、もっと楽しいコミュニケーション、あちらのかたにきちんとお役に立つトークが出来るんですよね。

折しも「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」なるものがあって、次の東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年には、英語教育は小学三年生から始まって、教科としては小学五年生から取り組まれることになるのだそうです。英語ダメダメの私なんかから見たら「スゴいじゃないか! 素晴らしい!」となっちゃいます。

Dousurueigo 「いや待ちなさい」
の声が、このささやかな本のスタートです。
目次を目安にこの本の警告を私なりの言葉にしますと(不適切または私の理解不足があるかと思いますので、あらかじめお許しを乞います)、

・これまでの英語教育は「引用ゲーム」つまりお手本のおうむ返しを強いるものが多く、柔軟なコミュニケーション力をつけられる代物ではなかった

・反復的トレーニングが中心だったため、言葉本来のもつ情感を体得し得ない場合がほとんど

・テストの点数のような数値で習得の達成度が測られる傾向により個々人の主体的人格が見失われることにもつながりやすい危うさがある

このようなひとつひとつの問題点を、日本の現状や国政の動向に即しながら炙り出して、これでいいのか教育、を読者に深く考えさせてくれる。

私が勝手に、これが柱かなあ、と受け止めたのは

「こころ」とは「からだ」を感じていることであり、その「こころ」を言語(私注:英語、ではなく、私たちが使うことば、という広い意味でのもの)によって拡張したものが「あたま」(p.12)

という視点です。
私が学生の頃の心理学では「こころ」は「あたま」にある、との説が最有力で、私なんかそんな本ばっかり購読で読まされてうんざりしちゃって勉強を投げ出したのでした。あのころこの発想を自分が持って、自分自身の目をひっくりかえすだけの熱意をきちんと持っていたら良かったなあ、と、このことばを前にして大いに反省してしまったのでした。

「こころ」とは「からだ」を感じていること

とてもいい命題です。

英語教育をめぐる諸問題は、この「こころ」が「からだ」を感じられていないこと、「こころ」に「からだ」を感じさせられないことから発しているのだ、との豊富な例を、本書は小著ながら濃縮して豊富に私たちに見せつけてくれます。
英語関係者ではない私のお友達に、是非読み取ってほしいのは、そこのところの機微です。
機微に「ははあん」と頷けると、あげられている英語教育例が別のジャンルにもはびこっていることにまで視野が広がると思います。

先に私の例であげたとおり、私たちが日常英語で接する「外国のかた」は英語を母語にする人たちだ、とは限らず、そうでない人の方が圧倒的に多い。
そういう現実を見据えないまま、外国語と言うと英語一辺倒になりつつあることについての危惧も、本書ではちょっと述べられています。そもそも英語を学ぶ、英語を話す人格だって画一的なものではあり得ない。
こうした多様性の中で、いよいよ本格的に小学校から始められることになりそうな英語教育を、失敗に終わらないようにするためには何を考えなければならないか。

取り組みかたの答えの数例が、最後の章で著者の豊富な経験から述べられているのですけれど、それはまさに「からだ」を感じられる「こころ」を子供たちがそれぞれのアイデンティティの中でそれぞれなりに育んでいくにはどうすべきか、を、著者が真摯に見つめて来た結晶を覗き見させてもらえるものになっています。

私の変なご紹介より、どうぞぜひ、本書を手に取ってじっくりお読みになっていただければと思います。

岩波ブックレットで520円プラス消費税、60ページほどの冊子ですので、手軽です。

もうすこし多様な具体例、細かな問題提起は、著者のお一人柳瀬さんも監修に携わられた『英語教師は楽しい』で27人もの現場の先生方がお述べになっています。英語関係者でも教育関係者でもない私は先にこちらを涙しながら拝読して・・・それぞれの先生がそれぞれの環境(普通中高だったり実業系だの定時制だのだったりもろもろ)で苦しみつつ探し出した「楽しい」は、全然別世界に生きていても、ヘタな小説より心打たれます・・・、いっぽうで、それを違う立場なりにどう消化したらいいのかに戸惑いも覚えていたのですが、今回出たブックレット『小学校からの英語教育をどうするか』を読むことでやっと少し入り口が見えて来た気がして来たところです。

ほんとうにへたくそなご紹介で汗顔の至りです。
が、私たちが「考える人」であるために、本書は大変有効な一冊になります。
かさねて、ご一読を強くお勧め致します。

小学校からの英語教育をどうするか (岩波ブックレット)
http://www.amazon.co.jp/dp/4002709221/

英語教師は楽しい―迷い始めたあなたのための教師の語り
http://www.amazon.co.jp/dp/4894767074/

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2011年8月31日 (水)

本作りへの危惧として・・・『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしはおしまいにします

序章第1章第2章第3章第4章もうおわり


気づかせて頂いたのですけれど、粗捜ししながら本を読む、というのも、実に勉強になるものです。
ですが、減糖者親書『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』については、一介の素人で費やせる時間に制限のあるサラリーマンには、ここまででもう充分かな、と思いました。

ひとつには、書誌にお詳しいかたならば(それがお仕事だったりすればなおさら)もっとたくさんのことが見つかるでしょうし、まして、今度別記事でコンサートをご紹介する時にも言おうと思っていますが、本書にこれ以後頻出する20世紀後半事情となると、私は門外漢です。新鮮な響きそのものは大好きですから懸命にそれらの本質にも迫りたいと考え続けてきましたが、それをするには、私にとっては20世紀後半以降の音とはやや年嵩を食い過ぎてからの出会いになってしまっていた。ある意味で「閉鎖空間」の中で音楽を味わってきた時間のほうが長過ぎた、と痛感しております。ですから、そういうことは、あとはお詳しい方から教えて頂ければもう良しとすることにしたからです。他にもあるいは、楽器学的なことは、非専門の私には、あるラインから先は興味の対象外です。この楽器がこういう構造だから、ということは私にとって音楽の入口にはなり得ません。したがって、これもまた語る資格も資質もありません。

もうひとつ、さらに自分にとって本質的には、(これは良心的な方がとっくにお感じの通り・・・そして私はマヌケ故にようやく気がついたお粗末さでありながら)これまで序章と本編4章についてリストアップしてきたような錯誤(や、もしかしたらそうとばかりは言えないもの)は、第一義的にはそれそのものが問題なのではなく、どうしてそのような錯誤が印象としては無秩序に本書の中に登場するのか、を考えておくほうが、より大切だ、と、ここに到って思うようになったからです。

錯誤の項目をあげつらうだけなら、ここまでの連続した記事の通り、たいしたこともないくせにちょっとイカれたマニアであるような私ごとき素人でも充分可能だった訳です。ということは、本当に真摯に史的なことに取り組んでいらっしゃる方なら、もっと容易に出来てしまうでしょう。

問題は、しかし、素人でも、本編の半分の量の中だけで既に50項目以上もの疑念点や錯誤点を見いだせてしまうようなかたちで本がでてしまったことにあります。
なぜそんなことになってしまったか。

本書にある<ご著者>の謝辞に、本書は30時間以上もの(・・・読者にしてみればたかだか30時間足らずの)語りおろしの録音から原稿起こしされたことが語られています(252頁)。推敲にはかなりの時間を費やした、ともありますが、その推敲が「語りおろし」の単純に忠実な再現であったとすれば、語った人がおかしてしまっているかもしれない錯誤に対するチェック機能が全く働かないことになり、これは指摘しているかたもいらしたかと思いますが、「語りおろし」で本をまとめる際の編集者のほうのありかたとしては、語った人のキャリアだけをストーリーにするもの、ではない以上、まず大いに責めを負うべき失敗ではないかと考えます。
・内容の相談
・話題に対するアイディア
を先行させがちなのは一般ビジネスでも多いことなのですけれど、相談やアイディア提案が何らかの裏付けをしっかりとった上でなされてから採り入れられるのでなければ、そのビジネスは偶然の要素で花咲く可能性はあっても、持続するかとなると、「早晩、多大の負債を抱えて倒産に陥る」結果をもたらす確率が非常に高くなるでしょう。まして、人名や歴史的・現在的事実について「述べた通りか?」なる調査をしっかり行なわなければ、本そのものも、語った「著者」も面目丸つぶれになることがある、というリスクに目が向かないとなると、編集者はいったい何を責務としているのか、表に出ることがないからそこから逃れられる、と甘く考えているのか、と、まずそのことに不審の念をいだかざるを得ません。

「入門」と付すからには、まず、語られた中身が入門に相応しいかどうかの検証も必要であるはずです。
学者さんがご自身のペンで入門書を書く時には、ご自身がそのような吟味を厳しくなさっていたと記憶しています。
ある漢文入門の文庫(ご著者の逝去後に発売となりました)に、本文どおりではありませんが、ご家族があとがきでこのように述べていらしたのを、いつも思い出します。

「『泣下と書いて『なんだくだる」と読む。なんだくだらん、と言うなかれ』とは呆れられる一節ではあるかも知れませんが、著者が発想に詰まって風呂でくつろごうとしながらも、やっぱりどう書くべきか頭から離れなくて、のぼせるまで苦吟し続けた一節なのでした。」(私の記憶に少々誇張があります。趣旨はこの通りだと信じています。)

『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』(の呼称で通させて頂きます)は、本来ならば推敲時の本当の苦吟に値する、純真でよいではないかと感じられる発想が、後半になってようやく散見され始めます。入門をメインにするなら、まずそちらを先に持ってくるべきだ、という「推敲」もあってもよいはずなのですが、現実に出来上がった本の構成は、語られたものを機械的に時系列に本文に流し込む以上の発想があったとは推測しにくくなっています。
「語りおろし」であるが故の<言い過ぎ>に対しても、読者がどんな気持ちで読むだろうか、なる配慮が欠けていはしないだろうか、と疑う箇所が少なからずありました。
たとえば終章の「ライナーノートは読まなくてもいい」なる小見出しのもとに書かれた部分ですが、音楽を初心で聴く者にとっては、実際にはライナーノートは、人によっては、その中身が分かっても分からなくても、手にとる時に「ああ、ようやくこのCDを手に出来た・・・でもいきなり音楽を聴いて、それを心から楽しめるだろうか?」なる不安を抱いた時に拠り所になるものだったりします。分からない部分があっても、そこに書かれた「物語」によって、昔ならLPに針をおろすワクワク感が高まったりしたものでして、それは別にクラシック音楽に限ったことではありません。ロックなりジャズなりポップスなら、そこからプレイヤーとの精神的中退が得られる気がして、むしろ必ずライナーノートを読むのではないでしょうか? まあ、この話の正誤や可不可を言うつもりは荒りませんが、たとえばそういう可能性についても、語りおろしの録音を聴いた編集者が充分に考えたかどうか、は書物の価値を決める上で大切なことではないかと考えます。

さらにまた『入門』なるレッテルをタイトルに貼るなら、大前提は
「読者は(この書物の場合)クラシックをほんの少し、または、まったく知らない」
であるべきでして、音楽史的なこと、作曲家の名前やその作品の羅列で始まってしまってはターゲットであるはずの読者にはまったく寄り添っていないことが自覚されなければなりません。これは、著者に読者層を自覚させる役割を全く果たしていない編集者も当然責めを負わねばなりませんが、『入門」ですよ、と注文されながらまったくそのことに思い至らない著者が最大の責任者であろうかと考えます。なぜなら、本は著者の名前で出版されるからです。

クラシック音楽<だけ>がことさら難しい、だからくだいて書かれた本でなければならない、と言いたいわけではありません。このジャンルの「入門書」には、過去にも難しいものはあり(伊福部昭や芥川也寸志のもの・・・したがって本書が考えるべきだったと思われる読者とはターゲットが違う)、易しいものもあります(近衛秀麿)けれど、難しければ難しい、易しければ易しいことで一貫しているのを、是非これからこの手の本を書こうと思っている人には学んで頂きたいものです。
人名や歴史がほぼ冒頭から乱立し、でありながらおしまいのほうでは「調とか主題とか分からないから、なんて気にしなくていい」なんて言われてしまったら、読むものとしては目を白黒させる以外になす術がありません。

たまたま私が「クラシック音楽好き」だから本書に対して感じたことを言ってはみたのですが、これはことさらクラシック音楽の本に限ったことではないでしょう。ロックだろうがジャズだろうが、そっちについて好きになっていいかどうか分からなくて「なにか分かりやすい本はないか」と探した際には必ずぶつかった問題でもありました。さらには音楽の本に限った話でもありません。もっとも手っ取り早い例を探すなら、勉強が分からなくて易しい参考書を探そうと思ってタイトルに「初心者のための」「分からない人のための」とあってとびついたら、説明がちっとも分からなくて、ますます勉強ができなくなる、なんて思いは誰でも味合わされているはずです。編集者の方はわかりませんが本書の場合ご著者は某T大准教授でいらっしゃるから、そんなアホなご経験は皆無だったのでしょうか。

いずれにせよ、もっとも危惧されるのは、これからは書籍の世界では学習参考書だけでなく一般の新書にも「羊頭狗肉」の書物が蔓延するのではないかという点でして、なにも今回続けて取り上げてみたこの本に限ったことではありません。

ご著者にも編集者にも、口先ではない「ノーサイド」、日ごろのプライドをちゃらにした物書きに勤めて頂き、日本の良識が凋落しないようにする努力を怠らずにいて下さるよう、切にお願い申し上げたい次第です。

これまで、と致します。

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2011年8月29日 (月)

『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第4章編

序章第1章第2章第3章第4章もうおわり

 


20世紀後半事情は「?」と感じても私はよく知らなかったり、当事者の方もいらっしゃって真実はご存知だろうなと思ったりするので触れていません。
それにしても、各章にいちいち西洋音楽史上の人名や曲名、あることないことの話がちらかされていると、この本が何故「入門」などと冠したのか首をひねりたくなります。
『ホントを当ててねくわしっく!』
みたいなタイトルにしたほうが、マニアがたくさん飛びついて大当たりになったんじゃないでしょうか?

メンデルスゾーンにとって大切だった様式感、すなわち最初の主題が最後に回帰してくる、といった音楽のつくりがドビュッシーにはありません。(117頁)
【参考】
「フィンガルの洞窟」と三章ある「海」とを単純に対比することが先ず疑問です。ドビュッシー「海」は第1章では「回帰」はないと言うのでしたら、最後に至るまで利用される動機が生成しては集積していくので回帰など無いのが必然というべきですし、この第1章の動機は第3章では明確に再利用されています。
あるいは、全体をと言うなら、たとえばドビュッシー「ベルガマスク組曲」各曲や「子どもの領分」各曲には「回帰」は手法として見られます。メンデルスゾーン側に「回帰が無いもの」があるかどうかは未検証ですが問題になることは無いでしょう。

フォン・メック夫人はかつてはチャイコフスキーのパトロンでした。チャイコフスキーをサポートするにあたって、絶対に彼女と会わない、という条件をつけたことで有名です。もっともドビュッシーにはそのような条件はつけず(118頁)
【参考】
ドビュッシーは仕事としてメック夫人のヴァカンス旅行に同行してその子供たちにレッスンをつけたり夫人の連弾の相手をしたのでして、条件が違うのは当然です。チャイコフスキーと会うことが無かったことについては現在では諸説あるかと思います。なお、メック夫人はドビュッシーのピアノ曲(ボヘミア風舞曲)をチャイコフスキーに送って意見を求めたことがあるそうです。返事は手厳しかったとのことです。(平島正郎『ドビュッシー』音楽之友社 1966 p.27)

・(ストラヴィンスキーは)ロシア・バレエ団とともに育ち(119頁)
【参考】
ストラヴィンスキーがディアギレフから初めて作品の委嘱を受けたのは26歳のときで、すでに長男長女をもうけていました。「開花」と仰るなら分かりますが・・・

ロシア・バレエ団の第三弾《春の祭典》
【参考】
ロシア・バレエ団の全演目は私は知りませんが、「火の鳥」が第一弾だったわけでもなく(「火の鳥」より前に既に《レ・シルフィード》等複数の演目で興行しています)、《春の祭典》が第三弾だったわけでもありません(1911年にはストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》の他にもヴェーバーの音楽をベルリオーズが編曲したものをベースにした《ばらの精》が演じられているのは確認していますし、ラヴェルの《ダフニスとクロエ》は《春の祭典》より前の上演です)。その他、ロシアバレエ団関係については検証を省略します。(デームリング『ストラヴィンスキー』訳書 音楽之友社1994 原著 1982)

・(シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》に)影響を受けたモーリス・ラヴェル(125頁)
【参考】
ラヴェルが触発された事実はあるかも知れませんが影響は受けていません。併記されているストラヴィンスキーについても同様です。なお、シェーンベルクによる十二音技法の使用開始は1921年で《月に憑かれたピエロ》の9年後(完成と見なせるのはもっとあと)であり、この項目にあるラヴェルやストラヴィンスキーの作品よりもあとになります。ラヴェルは十二音技法を使ったためしは無いと思います(わざわざ確認はしていません)。ストラヴィンスキーはシェーンベルクの死後になって十二音技法を使用したのでした。

ブラームスとワーグナーという伝統を一つに統合する上で「一二音」という旗印が存在したことは大きな意味を持ちました。(126頁)
【参考】
・・・の前に。漢字表記なら「十二音」とすべきでしょうね。一足すニの三音で実現する技法ではありませんから。
ブラームスとヴァーグナー、なる作曲家を象徴としてドイツ音楽が二分法的に把握されたことがあったなどとは私は知りません。ご教示を乞います。両者とも信奉をしていたのは師のツェムリンスキーで、シェーンベルクもそれによりいずれにも愛着を抱いたことは本人の言として残されているそうなので、異議はありません(フライターク『シェーンベルク』音楽之友社1998 p.16参照 原著1973)。

ベンジャミン・ブリテンは、ベルクの元に留学したいと切望しましたが、当時のナチス・ドイツとイギリスは緊張関係にあり・・・(130頁)
【参考】
ブリテンがベルクの元に留学したがったのは1930年ごろ。ドイツとの緊張関係云々は当時のイギリスにはありません。ナチスのドイツ独裁確立は1934年。そのころにはブリテンにはすでにドイツ留学を希望する気持ちは無かったかと思います。ベルクは1935年に死去。

録音は空間をも超えます。ドビュッシーやラヴェルは、自分自身では行くことのなかった遠いインドネシアや、アフリカのマダガスカル島の民族音楽に触れ、影響を受けました。(131頁)
【参考】
両者とも、インドネシアのガムランはパリ万博(1889年)に、録音でではなく実演で聴いて影響を受けました。録音は当時手軽に再生して聴ける環境にはありません。マダガスカル島云々については私は知りません。

録音機械をもっと活用して、音楽を決定的に進歩させた音楽家(略)ベラ・バルトークとゾルタン・コダーイ(131頁)
【参考】
「(バルトークによる民謡の)記録の主な手段は、採譜と録音である。録音は、当時実用になり始めた蝋管録音機によるものだった。(中略)当時この蝋管はかなり高価であり、すべての歌が録音されたわけではない。」(伊東信宏『バルトーク』中公新書 1997 p.62)
引用書のこのあとに、バルトークの民謡記録方法の手順が記されています。

以降、現在もご存命中だったり、そうしたかたの直接の師でいらしたりして書籍では充分な情報が得られる状況ではないし、私自身よく分かりませんので、検証は省かせて頂きます。ひとつだけ、検証ではありませんが。

ショスタコーヴィチの交響曲・・・《交響曲第14番「死者の歌」》と最後の《交響曲第15番》・・・いずれも演奏すると人が死ぬなどの逸話があり・・・(141頁)
【参考】
かれこれ40年前にオカルト本にチャイコフスキーの作品を演奏すると死ぬなる話が載っているのを読んだことはありますが、音楽関係の本でそんなことを言っているものは見たことがありませんでした。
ショスタコーヴィチのこれらの交響曲では、まして、そんな「逸話」は、耳の悪い私は、一切、耳にしたことがありません。

えっと・・・この本、あと4章あるのですが、もういいかなぁ。
勉強しなおすためにはいい材料ではあるのですけれど、本の構成そのものの「パズル」をどうにか整理する道筋を見つけることのほうが、まだずっと価値があるのではないか、という気がしてきてなりません。時間ももったいないし。
まあ、おもろいネタもなかなかありませんから、ちょっと考えよう。。。

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2011年8月28日 (日)

『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第3章編

序章第1章第2章第3章第4章もうおわり


「もし建築家が尊敬に値しない人物であるならば、建物も決して高貴なものとはならないであろう」
(佐藤達生・木俣元一『大聖堂物語』引用の12世紀フランスの言葉、出典不明。河出書房新社ふくろうの本 2000 p.47)

まさに高貴と反対の行為でありますが・・・
減糖者親書『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』第3まいります。
めんどうくさい、が頂点に達するような部分はリストアップを省略します。

《第九》はすでにロマン派の音楽だったと見てもよいでしょう。ですが、実際に作曲したり演奏したりする私たち楽隊にとっては、レッテルなどどうでもいいところがあります。(92頁)
【参考】
楽隊は作曲しません。
「派」ではありませんが演奏者には(自分がどう演奏を設計するかを考える上での)レッテルはそれなりに重要ではないのかしら。
聴き手がどうでもいい、というんならそれはそれでよいかも知れませんけど。

ロマン派時代の音楽家・・・ヨハン・シュトラウス(略)(92頁)
【参考】
視野の狭い私には、ワルツ王ヨハン・シュトラウスをロマン派の音楽家として取り上げた音楽史の教科書や副読本は目に入っていません。あるのかな?

(ロマン派の)語源はRoman、つまり「ローマの」です。(93頁)
【参考】
ラテン語が方言化したロマンス語系言語がゲルマン系より早く文学で活躍したから、ではありませんでしたっけ?
それにしても・・・まあいいや。

教会や貴族が主要なパトロンだった時代の音楽は、ゲゲゲの鬼太郎が活躍するほどお化けに寛容ではありませんでした。(94頁)
【参考】
ゲゲゲの鬼太郎は当然オペラでは活躍しません。が、キリスト教的題材がバロックオペラに用いられた例はあまりないんじゃないでしょうか?(そちらはたいていオラトリオになるから。)バロックオペラの台本はギリシャ神話やローマ史劇に題材をとったものが圧倒的に多いですが、悪魔なら、たとえば『聖アレッシオ』(ランディ作曲)・『アルミード』(リュリ作曲)の台本なら悪魔が登場します。ヨンメルリの作曲した『アルミーダ』ですと幽霊が登場するそうです。寛容だったかそうでなかったか、なる問題は無いと思うのですが。まあ、『オルフェオ』を題材にしていれば、亡霊はもれなく現れますけれど。(戸田幸策『オペラの誕生』東京書籍1998〜平凡社ライブラリー2006 で網羅)
魔女狩りのお話自体は、長い期間続いたようなので肯定的に読んでおきます。ただ、それがオペラの台本内容のどの程度の制約条件になったかは明らかではないとしか言えません。

・(メンデルスゾーンの《フィンガルの洞窟》は)ハイドンや初期モーツァルトなどの典型的な古典派作品と異なり、明らかにキリスト教的な規範と一線を画します(もっともメンデルスゾーンはユダヤ人でしたが)。(96頁)
【参考】
ハイドンや初期モーツァルトの作品がキリスト教的な規範で書かれている、とは初耳です。
メンデルスゾーンがそれと一線を画していると言うのも初耳です。
ここの部分を、ユダヤ人であることと作品の性格に密接な関係がある、と読まなければならないのだとしたら、お述べになった方は反ユダヤ主義なのですか? と問いたいですね。ちなみに、メンデルスゾーン家はキリスト教社会に同化の努力をしてきた家で、作曲家フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディはキリスト教会音楽を少なからず作曲しています。(ハンス・クリストフ・ヴォルプス『メンデルスゾーン』尾山真弓訳 音楽之友社 1999等参照)

ヴェルディの場合、「ロマン性」はちょっと違った意味合いを持っています。というのも「このオペラは夢物語ですよ」と断ることで、実は歌舞伎と似た知恵を働かせているのです。(97頁)
【参考】
ヴェルディが「このオペラは夢物語ですよ」と断った、というのは浅学にして初耳です。出典をご教示頂きたいです。それなら先行する他のイタリア人オペラ作曲家もそうでなければならなくなります(私の主観ではドニゼッティがもっともそうでなければなりませんし、また、先行するオペラに、舞台で上演されるという意味での「夢物語」ではなかったといえるものが一つでも存在するだろうか、と反問もしたく思います・・・舞台を駆け抜けた後では「夢」であっても、それらは舞台の上ではリアルなのであり、こうした状況は能でも歌舞伎でも新劇でも現代戯曲でも何ら変わりはありません)。ヴェルディのとりあげた台本は前代からの路線を継承したものから始まって、イタリア解放闘争と関連したものへと遷移し、さらにそこから脱して、検閲を乗り越えながら斬新なものを目ざし続けた、とされています(水谷彰良『イタリア・オペラ史』音楽之友社 2006)。ヴェルディの手法についてはジル・ド・ヴァン『イタリア・オペラ』(白水社 文庫クセジュ)がたくさんのことを述べていますけれど、たとえばこれを上げておきます。
「アッフェット、人物を表象する術、さまざまな態度を対比的に表現し、なおかつそれらを変化させる術をすでに収めていた音楽は、ヴェルディにいたって、厳密に音楽的手段によって実現される劇の一貫性を手に入れることになる。」(p.152-153)

・(略)ブラームスには、コンサートホールで演奏するドイツ語の宗教音楽《ドイツ・レクイエム》という作品があります。(98頁)
【参考】
ドイツ・レクイエムのテキストはルター派聖書、6曲版の初演は1868年にブレーメン大聖堂で行なわれています。(西原稔『ブラームス』音楽之友社 2006 p.101-103参照)

ベルリオーズはカトリック圏のフランスで、大革命のさなかに生まれました。(99頁)
【参考】
「カトリック圏の」とこだわらなければならない理由はなんだかさっぱり分かりません。
ベルリオーズは1803年生まれ、いわゆる「大革命」の終焉は1799年。
なお、幻想交響曲初演の経緯は(古書でしか読めないのが残念ですが)ベルリオーズ自伝に詳しく語られています。これを読むと、たとえばWikipediaにも掲載されているような流布した話と異なった面も見えるのですが、すみません、いま、どこにしまいこんだか、見つけられません。)

ワーグナー自身、歌手や美術家など協力者にまず前奏曲を聴かせてから舞台制作の準備を聴かせてから舞台制作の準備を進めていました。ピアノでも演奏できるダイジェスト版があることで、打ち合わせなどにも大いに役立ったわけですね。(104頁)
【参考】
ヴァーグナーの伝記や作品論を数冊ひっくり返しましたが、対応する事実についての記載はこの節穴の目には止まりませんでした。素朴な疑問として、第一に、「指輪」を除く彼の歌劇・楽劇の序曲・前奏曲は劇中のモチーフを巧妙に活用したものであり、初演の稽古を始める段階では完成していなかったケースも多々あるのではないかと思うこと、第二に、「指輪」は前奏曲だけ聴かせても楽劇の内容は全く想像がつかないからそれだけ聴かされても歌手や美術家は困っちゃうだろうこと、を感じるのですが、ともあれ、「否」の証がどこにあるかごく応じ頂きたいと謙虚に思っております。なお、「ダイジェスト版」の意味が分かりません。

現在、職業作曲家は指揮の専門的な経験を持たず、職業指揮者は楽譜をゼロから書いて演奏する経験など持っていない人が大半です。(107頁)
【驚き】
<聴衆の前では自ら音を出さない音楽家>って、そんなにお粗末に養成されているのですか?

リストの交響詩《レ・プレリュード》は「人生とは死に向かって進んでいく前奏曲のようなものに過ぎない」という詩にヒントを得た哲学的な作品で、《第九》のすぐ隣にあるような音楽です。(109頁)
【参考】
この作品はフランスの詩人オーラントの詩による合唱曲《四大元素》の序曲として作曲されたものであることが近年明らかになったそうです。すなわち、単独で完結する作品ではありません。(福田弥『リスト』音楽之友社 p.212)
また、《第九》は
「死に向かって進んでいく」人生観は終楽章に用いられた詞には全く登場しません。

国民楽派を代表するイーゴリ・ストラヴィンスキー(110頁)
【参考】
国民楽派、という言い方で括られる作品群は、19世紀ヨーロッパ諸国に勃興した国民的・政治的意識の高まりを反映したものとされるのが通例です(例えば白水社『図解音楽事典』423ページの「国民オペラ」についての記述)。
そのことからしても、まあ、教科書でも、ストラヴィンスキーは国民楽派には該当しません。

マーラーもまたフォン・ビューローの副指揮者を志望しましたが、自作の第二交響曲の一部をピアノで演奏したところ、酷評の上、落とされてしまいました。(111頁)
【参考】
マーラーがビューローに弟子入りを断られたのは1884年、第二交響曲の原案の一部(冒頭楽章)となった交響詩"Totenfeier"を作曲したのは1888年。1892年にはビューローの信頼を得て代役を務めるようになっていて、第二交響曲の冒頭を酷評されたのはこの時期ですが、指揮者としてのビューローからの高評価はそれによって失うことはありませんでした。

マーラーの音楽は常に深い苦悩とともにありましたが、リヒャルト・シュトラウスの交響詩やオペラは非常に娯楽性が高い音楽です。(111頁)
【参考】
少なくともマーラーの第四交響曲に深い苦悩はありません。少なくともR.シュトラウスの『バラの騎士』終幕には、包み込まれた大人の女の苦悩があります。その他、どっちの作曲家の作品が娯楽性が高いか低いかは受け手の感性の問題でしょうから、まあいいや。興行に乗せ得る作品を書けたと言う点ではR.シュトラウスは娯楽的なんですかね。
なお、マーラーの暗さはユダヤ人故でありR.シュトラウスはそうではなかった、と読めるような文がこの箇所にありますが、R.シュトラウスの主要な台本作者ホフマンスタールはユダヤ人ですし、R.シュトラウスがナチスに苦しめられる元となった作品『無口な女』の台本作者ツヴァイクもユダヤ人です。ツヴァイクとの関係については次項。

圧倒的な説得力を持つ彼(=リヒャルト・シュトラウス)の音楽は、ナチス・ドイツの時代、民衆煽動に利用されました。・・・戦後は戦争協力を断罪されて失意のうちにこの世を去りました。
【参考】
死後の評価状況がどうかの問題はありますが、R.シュトラウスは第二次世界大戦が終わって数年経った1949年に生誕85年祝賀記念式典をミュンヘンやガルミッシュ(R.シュトラウス晩年の居住地)で大々的に開いてもらってから亡くなっています。
本書の小見出しに「ナチス協力者ながら今も愛されるR.シュトラウス」とありますが、もし彼がナチス協力者なら、戦後少なくとも祖国で誕生日を大々的に祝ってもらうなどということがあり得たでしょうか?
この点については、
社会史的には山田由美子『第三帝国のR.シュトラウス』(世界思想社 2004)
創作活動等との関連からは広瀬大介『リヒャルト・シュトラウス「自画像」としてのオペラ』(ARTES 2009 とりわけ第3章)〜彼の作品が果たして「煽動」に使われたのかどうかについても本書の記述が参考になるでしょう〜
にお目通し下さい。
全体像という点では私は山田著のほうに好感を持っていますが、広瀬著の引く書簡文の訳の数々は良質で感動的です。R.シュトラウスはナチス政権が実権を掌握していく過程でなお自分のオペラの台本作者としてツヴァイク(ユダヤ人)以外考えられないとの姿勢を貫き、結果的に彼がツヴァイクに宛てた手紙がナチスの検閲にひっかかったことで不幸な事態に陥っていきます。検閲に引っかかって不幸の始まりとなった書簡の訳の一部を、広瀬著から、ほんの少し引用しておきます。
「私がかつて、自分がゲルマン人(そうかもしれない、という程度のことです)であるという自覚から自分の行動を律していたなどとお考えですか? モーツァルトは自分を「アーリア人」などとみなして作曲していたとお考えですか? 私にとって、人間は才能のあるものと才能のないものの2種類しかいません。」(広瀬著 p.128から)

・・・第3章はあと2頁半あるのですが・・・もういいや。

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2011年8月24日 (水)

『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第2章編

序章第1章第2章第3章第4章もうおわり


時間のあるときでないとできませんので、第2章に参ります。
第1章が【参考】過多となりましたので、気をつけます〜。
ってか、拾い出すだけで疲れるので全部はリスト化しません。【参考】はホントは端折りたい・・・

コーランの朗唱は初期《グレゴリオ聖歌》と同時代の、古代アラブ語キリスト教聖歌と密接な関係があります。(56頁)
【参考】
というか、古代アラブ語キリスト教聖歌なるものを私はまったく知りません。何冊も本をめくりましたが出てきませんし。。。
第1章編でも記しましたが、コーランの朗誦はキリスト教聖歌との類似点は全くありません。だってコーランのテキストそのものを唱え聞かせるものなんですもの。

聖アンブロジウスの作詞による《アンブロジウス聖歌》(57頁)
【参考】
たとえば
http://2style.net/misa/kogaku/early022.html
アンブロジウスが作詞した保証のある「アンブロジオ聖歌」も、探せば中にはあるのでしょうかね? アンブロジウスが作詞した、と明記されたアンブロジオ聖歌は私は見つけておりません。

残響の少ない巨大なゴシック教会ができたおかげで、より複雑な構造を持つ、「白けない音楽」が誕生した(62頁)
【参考】
教会建築の音響効果については
http://www005.upp.so-net.ne.jp/kensoken/ken3103-2-22.html
(武蔵野音大 溝口武俊名誉教授・・・音楽・音響空間論)
省略した本文にはロマネスク建築よりゴシック建築のほうが響きが少ないと繰り返し言われているのですが、このサイトを拝読するかぎり、残響についてそのような傾向は窺われません。反響と残響の混同があるのではないでしょうか?(疑問は言わないんだったな!)

ヴィヴァルディをはじめとするイタリアのバロック音楽には「転調」が少ない。(66頁)
たとえば(略)ヴィヴァルディの(略)「春」とバッハの《ブランデンブルク協奏曲第三番ト長調》(を聴き比べてみて下さい。・・・67頁)
【参考】
・・・のまえに、ソロコンチェルトである「春」とそうではないブランデンブルク協奏曲第3番が何故聴き比べの対象になるのか、と素朴に奇妙に思っております。(意見は言わないんだったな!)
試しにソロコンチェルト同士で楽譜を「見比べ」ます。
ヴィヴァルディL'Estro armonico Op.3-6(イ短調)とゼバスティアン・バッハのイ短調ヴァイオリン協奏曲なら、ヴァイオリンのソロコンチェルトである点でも調性でも同じですから、少しはバランスのとれた比較が可能でしょう。その冒頭楽章についてだけ簡単に記しておきます。
ヴィヴァルディのほうは4分の4拍子79小節、バッハのほうが4分の2拍子171小節ですから拍子を前者と等価にすれば85小節相当で、これなら作品規模もさほど変わりません。
バッハの最初のトゥッティ部分が独奏前にホ短調(属調)に転調する点ヴィヴァルディより凝っていますし、音の動きには調を一時的に変えたと見せかける動きが目立ちますが、大きな固まりとして部分部分を支配する調を観察しますと、全体の構造としては(区分点はアバウトこのあたり、です)
ヴィヴァルディ:1)31小節まで【イ短調】2)57小節まで【ホ短調】3)最後【イ短調】
バッハ:1)58小節まで【イ短調】2)98小節まで【ホ短調】3)122小節まで【ニ短調】4)最後【イ短調】
で、バッハのほうが1セクション多いかと思います。
それでもせいぜい1セクション多いだけ、と言えば言えます。
擬似的な転調(本格的な転調ではないから、そのセクションを支配する調に味を加える役割をしていると見なすべきでしょうか)がバッハに目立つのはバッハという個人の個性であってイタリア全般と対比されるものであるとは思えないのですが、まあ、第1章編に引き続き、主観です。ただ、擬似的な転調を孕みながらも、各セクションを支配する調への「しがみつき度」は、バッハのほうが強いと感じます。
ヴィヴァルディも第2のセクションは明確に属調に転調しています。また、第2のセクションの後半と最終部分は擬似的な転調で飾っており、ほぼ似た遷移を見せますが、最終部分のほうについてみるならば、イ短調〜ニ長調〜ト長調(部分的にハ長調)〜イ短調(部分的にイ長調)というぐあいに凝っています。
擬似的な転調に使用されている調はバッハの作例も全く同じ範囲に収まっています。

イタリアとドイツでは、そもそも低音の呼び名からして違います。イタリア語では「バッソ・コンティニュオ(basso continuo)、通奏低音と呼ばれます。コンティニュオは英語の「コンティニュー(続く)」と同じですから、まさに「通奏」です。それに対して、ドイツ語は「ゲネラルバス(Generalbass)」ジェネラルつまり「一般的な低音」です。では、実際にはどこが違うのでしょうか?(68頁)
【参考】
Generalbassの日本語訳は新たなご提案でしょうか・・・
英語を使って分かりやすいご説明痛み入ります。ところで、論じられている「低音」の呼び名は英語の場合はthrough bassですけれど、これはまた何か違うのでしょうか? イギリスバロックでは低音はスルーされる?
いろんな辞事典でも本でもそうですが、たとえば橋本英二『バロックから初期古典派までの音楽の奏法』(音楽之友社 2005)の230頁では日本語の「通奏低音」に対してイタリア語はbasso continuo、ドイツ語はGeneralbass、フランス語はbasse continue、英語はthrough bassが当てられています・・・ってか、それらの外国語の日本語訳が「通奏低音」なんですね。
また、先のイ短調ヴァイオリン協奏曲の冒頭楽章同士ではヴィヴァルディとバッハの書法に大きな差があるとは、節穴の目の私には全くその影もかたちも見当たりません。

何と言ってもドイツ的ポリフォニー、多声楽の特徴は「各声部の平等」です。(69頁)
【参考】
・・・になるようなものを知りません。ドイツ的ポリフォニーと典型的に呼べるものをも私は知りません。大バッハより後の世代でご勘弁願えるなら、ハイドンやモーツァルトの弦楽四重奏曲を例にとっても、それぞれの初期作品での第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの扱いがせいぜい対等だというくらいで、同じ初期作品の中でヴィオラやチェロがヴァイオリンたちと対等な書法で書かれているだなんてお世辞にも言えません。弾いてミソ。

そんなプロテスタントの多声楽での「低音」ゲネラルバスは、さまざまな転調を含め、ニュアンスと表情を次々と変えながら動く、いわば「歌う低音部」なのです。(69頁)
【参考】
・・・のちほど。

平均律は、プロテスタントの音楽が大いに工夫して発展させた新しい音楽音響の世界(70頁)
【参考】
ヨーロッパにおける「12等分法」はルネサンス期のイタリアにはもう見られていた、と承っております。12等分律を算出しやすくする音程の現行の単位「セント=1オクターヴの1200分の1」の考案者は、イギリスの音響学者アレグサンダー・エリス(1814-90)です。(1880年代の考案)

バロック時代の鍵盤楽器の多くは、純正律そのものではありませんが、「中全音律」(ミーントーン)などの(綴り手補:平均律に比べて、と仰りたいらしい)「より純正律的なチューニング」で調律されていました。(72頁)
【参考】
まあたとえばこれなんか読みましょうか・・・
http://www.amazon.co.jp/dp/4393930223
高い本ですね〜(><)
中全音律たちが「純正律により近い」のはいわゆる平均律(12等分律)が普及した後の結果論に過ぎないことについては、このキルンベルガー著作などをベースにしたうえで音律について触れた書籍を読めば切に感じられることかと思っております。

バッハが愛用した「平均律」的な調律(73頁)
【参考】
いちおう「平均律《的》」と《的》がついていますね。んじゃこれ以上はやめようか。
と思いましたが、これもあちこちで注意を促すのを目にできますけれど、先の橋本著214頁の脚注にこのようにあります。
「バッハの《Das Wohltemperierte Kliver》2巻が『平均律クラヴィーア曲集』と訳されているのは不正で誤解を招きやすい。等分した平均律の意味はどこにもなく、wohlは『よい』、したがって『よい調律のクラヴィーア曲集』と理解すべきである。」
なお、バッハがどのような「良い調律」を愛したかについては何も分からないというのが正解だと私は思っております。

プロテスタントの世界では、「宗教家」と「音楽家」の区別もあいまいでした。つまりバッハは、音楽を通じて信仰する宗教家として、神の創造した「調和」の素晴らしい秘密を音楽で解き明かそうとしたのです。(75頁)
【参考】
「宗教家」とは何をさすのか、が根本的には問題かと思いますが、いちおう「聖職者」と同義だとの前提に立つならば、ヨハン・セバスティアン・バッハや音楽家になったその息子たちが「聖職者」だと解された伝記的事実があったかどうかは全く確認がとれませんでしたので、取り急ぎここにご報告申し上げます。

長く天動説を捨てなかったカトリックに対して、プロテスタントは地動説と相性のよい宗派です。(75頁)
【参考】
・・・になるもんなんてあるんかいな。

クラシック音楽はキリスト教抜きに語ることができません。(77頁)
【参考】
雅楽は神道抜きに語ることは出来ません。
能楽は鎌倉期の日本仏教抜きに語ることは出来ません。
京劇は道教抜きに語ることは出来ません。
ガムランはヒンズー教抜きに語ることは出来ません。
・・・ってか?

バッハ自身はプロテスタントですが、カトリック教会からの作曲依頼も受けました。なかでも一番有名なのは《ロ短調ミサ》でしょう。(77-78頁)
【参考】
もう、どうでもいいや・・・
と言ってはいけませんね〜
第1章編であげたヴォルフ『ヨハン・ゼバスティアン・バッハ』(春秋社)にある次の記述だけをあげておきます。
「私たちの知る限りでは、《ロ短調ミサ曲》は、バッハが何か特別な機会のために書いたものではなく、パトロンに委嘱されたものでもなく、また、1750年より前に全曲演奏されたことはない。」(p.692)
なお、ルター派においてはラテン語テキストによるミサ等も許容されたとの記述はあちこちで見かけるはずですけれど、面倒なのでいまは探しません。
カトリックと対峙するものを「プロテスタント」という一語に集約して捉えることの是非は、日本の仏教を平安仏教と鎌倉仏教に二分して捉えることが何を引き起こすかについて類推してお考え頂ければよろしいかと思います。

(ここからしばらくはとばします。西ヨーロッパがどうのカール大帝がどうのについても、すんなり行く話ではないし、参考を並べ立て出すとかなりぐちゃぐちゃになりますから、同様と致します。)

ハイドンは生涯に104曲、モーツァルトは41曲の交響曲を書いています。(83頁)
【参考】
それぞれ、最初にホーボーケン番号なりケッヘル番号がけられた当時に判明していた数です。現在はそれぞれもう少し多めに作られたと思われていたり、欠番が生じたりしています。

ハイドンやモーツァルトが毎年何曲もの交響曲を書くことができたのは、彼らがソナタ形式を含む一定のパターンを持っていたおかげです。(84頁)
【参考】
ゼバスティアン・バッハだとかエマヌエル・バッハなんかも「一定のパターン」があったから多作だったのかどうかは一切判明していません。

・(ベートーヴェンの交響曲は)全部でたった九曲、ハイドンやモーツァルトに比べるとかなり寡作(89頁)
ピアノソナタに関してはモーツァルトよりベートーヴェンのほうが多作。あるいは、仮に作品番号ベースで数えられるものが多作寡作を判別する要因になるのであれば、ベートーヴェンのほうが総合的にはハイドンやモーツァルトより多作。あるいは交響曲だけについて言うなら20世紀のミャスコフスキーはモーツァルト並マイナスちょこっとくらいには多作。あるいは作品が有名ではない人たちにはチェルニーやライネッケのようにとんでもなくたくさん作品番号を付けていた人たちもいる。あるいは、シューベルトはベートーヴェンよりさらに後輩だが多作(ただし交響曲の数はベートーヴェンよりちょっとだけ少ない)・・・等々。

イエス・キリスト名歌手説問題、山田一雄さんの名前の表記問題については触れないでおきます。

あいだがあくと思いますので、ちょっと言ってしまうと、ハートメッセージを大切にしたかったのなら、「知識の披瀝」みたいな本になさらなければ良かったのに、と、この種の書籍を覗くたびに残念に思います。小泉純一郎・高嶋ちさ子・宮本文昭諸氏のような本にしてしまえば、充分だったんじゃないでしょうか?

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『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第1章編

序章第1章第2章第3章第4章もうおわり


序章からリストを作る前には前置きが長過ぎましたので、さっそく、第1章に参りたいと存じます。
指針は序章の際と同じです。
ホントもあるかもしれませんから・・・って、嘘もあるかもしれないってことですか?・・・よ〜く眺めて下さいね〜!

減糖者親書『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』第1章から。体力的にパズル焙り出し全部は無理です。

一般的な西洋音楽史の本を開けば、その歴史は《グレゴリオ聖歌》から始まったとされます。(34頁)

【参考】
http://ow.ly/6ante
そうだったんですか・・・知りませんでした。(T_T)
音楽科のある高校なんかでも副読本によく使われている、岡田暁生『西洋音楽史』(中公新書)の小見出しにも
「初めにグレゴリオ聖歌ありき」(p.7)とありました。勉強になるなぁ。
ちなみに、皆川達夫『中世・ルネサンスの音楽』(旧版 講談社現代新書 1977)は、ヨーロッパ音楽の古代との断絶を概説した後、東方教会聖歌(シリア、アルメニア、コプト、アビニシア、ビザンツ)から具体的記述を始めています。皆川さんのご説明の通り、以後の時代のアラブやトルコの影響が推測されるものの、これらのほとんどは、実際に歌われている録音がCDで出ています。また、グレゴリオ聖歌は「古代末期から中世全般という長い年月をかけて、ひろい地域のもろもろの音楽的要素を同化し融合しつつ、徐々に形成されていった結晶体」(p.35)であると述べています。
「一般的な西洋音楽史」ではないかもしれませんが、ゲオルギアーデス『音楽と原語』(木村敏 訳、講談社学術文庫 訳書1994)では、古代ギリシャの押韻の規則と中世ヨーロッパ(カロリング朝期)音楽の連環を探る試みを具体的記述の最初に持ってきています。いずれの書も、岡田著のように「グレゴリオ聖歌こそ後の西洋音楽に直接つながっていく、その最古のルーツ」(p.7)のような断言は(おそらく注意深く)避けています。それは、記譜された音楽が中世期には教会のものに限られたとの事実を踏まえているからだろうかと思いますが、これは私の主観です。いずれにしても、皆川著作・ゲオルギアーデス共に、グレゴリオ聖歌を通じて、そこに見られる特徴のほうに注目しているのであって、グレゴリオ聖歌そのものを「目的」にした記述はしていませんので、御興味がありましたら覗いてご覧になって下さい。(あ、取り上げたのは勇み足だったかな? 本書第2章ではこの点補足がありますね〜)

もし《グレゴリオ聖歌》を聴かれるなら、私はマルセル・ペレスたちアンサンブル・オルガヌムの演奏を圧倒的にお薦めします。初期の聖歌がイスラムとも深い関係にあったことがイスラムとも深い関係があったことがはっきりわかる、屈指の名演です。(35頁)

【参考】
そもそも信仰を歌うのに屈指の名演が特定出来るのかどうか・・・私にはなんとも申しようがございません。
なお、キリスト教聖歌の歌われ方の古態がどのようであったかは知りようがありませんし、イスラーム関連の朗誦の古態についても同様です。これが古態だ、と確実に言える歌い方の録音が存在するのでしたら、ぜひご教示下さい。なお、上記録音に限らず、イスラム的かどうかは分からんがアラブ的だなぁ、と感じられる録音は、案外豊富にあります。
また、キリスト教聖歌の成立はコーラン(クルアーン)の朗誦よりも当然古く(皆川著では紀元400年頃のアウグスティヌス『告白』からの記述を傍証に引いていますし、聖書にも、さらに先立つ歌唱の記述があることはご存知の通りです)、影響関係を言うなら時系列が逆ではないかという気がします・・・あ、言っちゃった。
(><)
まあ、それもまた先行する東方聖歌があったのがアウグスティヌスの記述から判明するので、所詮、ニワトリが先か卵が先か的な話にしかならないのですが。この点は、先に皆川著に「以後の時代のアラブやトルコの影響が推測されるものの」といったような類の記述があるところから推して知るべしです。
ただし、各種のキリスト教聖歌は、クルアーン朗誦の音声を聴くかぎり、クルアーン朗誦とは全くの別物であるとしかお感じにならないだろうと思います。これもCDで聴くことができますし、幸運にもイスラムの信者のかたをお友達にお持ちでしたら、実際に拝聴するチャンスに恵まれるかも知れません。

(ついでながら、すでに21世紀に入って10年以上経つのに、20世紀初頭、明治時代につくられた音楽を「現代音楽」と呼ぶのもおかしな話ですね。)(37頁)

【参考?】
次の作曲家の作品のうちに「現代音楽」と呼ばれているものがありますかしら・・・ご教示下さいませ。
明治より後も含みます。
マーラー、リヒャルト・シュトラウス、フォーレ、サティ、ドビュッシー、プッチーニ、レスピーギ、プロコフィエフ、ミャスコフスキー、ショスタコーヴィチ、コープランド、エルガー、ブリテン、瀧廉太郎、山田耕筰、橋本国彦、諸井三郎・・・

(略)ハンス・フォン・ビューローや、(略)エドゥアルト・ハンスリックなど(略)が、1世紀ほど前につくられたドイツ語圏の音楽を「古典」と称したのでした。(38頁)

【参考】
フリードリヒ・ブルーメ『西洋音楽史3 古典派の音楽』(白水Uブックス 1992、原著1974)から
「『古典』という語がいつ、どこで音楽史の語彙に登場したか、それを正確に述べることはできない。・・・ダメリーニ【1942】によると、この言葉を音楽に対してはじめて使ったのはアンドレ=エルネスト=グレトリの『回想録または随想』(Memoires ou Essays, 1789)【綴り手補:フランスです】で・・・音楽史に『古典的』様式期なるものは存在しない。」(p.12-14)
ハンスリックにつきましては『音楽美論』(訳書は岩波文庫 1960のp.28)で
「ハイドンの有したオリンピア的古典性」
なる表現をし、モーツァルト、ベートーヴェンと併置していますけれど、「古典派」云々というレッテルでこの3人を定義づけることはしていないと思うのですが・・・かつ、『音楽美学』はドイツにおける当時の音楽に対する見解は述べているものの、それを他国と対比することはしていません。あえて対比しているとすれば、それは(理想の中の)古代ギリシャです。・・・読み違いがあるようでしたらご教示下さい。
ビューローが古典派云々やそれに対する発言をしたかどうかは私は知りません。

長年ドイツ語圏を支配してきた神聖ローマ帝国は、「ローマ」の名から明らかなように、ラテン語文化がエラいとされるカトリック文化の国でした。(38頁)

【参考】
ルターによる宗教改革は(教科書的に言うと)1517年。
なお、「神聖ローマ帝国」の呼称には変遷があり(菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社現代新書 2003 巻末年表参照)、オットー1世が戴冠した962年はたんに定刻、もとい、帝国となったのであり、1034年の公文書で「ローマ帝国」が使われ、1157年に招集状で「神聖帝国」と使われたとのことです。公式文書に「神聖ローマ帝国」が初出するのは1512年の由。その解散宣言は1806年ですが、実質的には1648年のウェストファリア条約で解体しています。

独立心旺盛なドイツ人にとっては、「ローマより古いギリシャ」という要素が重要でした。ギリシャ文化を後ろ盾にすれば、「神聖ローマ帝国」に対して、自分たちのほうが、より深いヨーロッパ文明の源流だと誇ることができます(ちなみにこれがおもしろくなかったフランスは、ギリシャ文化に対抗すべく、ナポレオンのエジプト遠征でピラミッドやオベリスクなどを持ち帰ってきます・・・以下略)(39頁)

ピラミッドも持ち帰ったんですか???
【参考】
その1
ナポレオン遠征当時までにドイツ圏にギリシャやローマから運ばれた古い何か、あるいは模造した何かがあったかどうかは全く知りません。
フランス〜パリにはエジプトのものばかりではなく、1797年には古代ギリシャやローマの美術品が運び込まれています。
ナポレオンのエジプト遠征の政治的目的はイギリス牽制であったことは周知の事実です。
その2
古代ギリシャネタの歌劇とその作曲者・・・を並べようと思いましたが疲れるのでやめました。ドイツ圏の作曲家が他地域に比べて著しくギリシャネタに偏向しているわけではありませんし、ギリシャネタにしてもイタリアやフランスの作品の、むしろ二番煎じだったんじゃないかと主観的には思うし、そもそも、オペラ誕生当時のオルフェウスネタを除くと、ギリシャネタが「文明の源流だから」という意識で当時の歌劇の台本が書かれたとは思えないし、日本の歌舞伎の神話ネタと変わらん気がするのですが・・・はい、主観です。

フランス音楽ではドイツで見られたような古典派的なスタイルは大きく発展しませんでした。イタリアも同様です。(40頁)

【鍵】
そもそもそんな必要があったのか?(お考えにお委ねします。)

ブラームスはベートーヴェンの後継者という意味で「新古典派」とも呼ばれていました。(40頁)

純粋に、ご教示を乞いたいところです。ブラームスの作品に「新古典派」なる呼称を最初に用いたのは誰で、定着させたのは誰なのでしょう? 三大Bはビューローの造語ではありますが、新古典派なる言葉でブラームスを形容したことはなかったはずです。また、ブラームス自身は反リストではあっても反ヴァーグナーではなかった、と、最近では繰り返し言われています。

創立の瞬間から世界一であることを宿命づけられた国策オーケストラ(略)それが、新しく誕生したドイツ帝国の首都ベルリンで結成された、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団です。(42頁)

ドイツ帝国って、いつ新しく誕生したのですか?

【参考】
残念〜。
ベルリンフィルは国策で誕生したのではないことは幻冬舎新書『世界の10大オーケストラ』を参照すれば分かりますよね〜。面白い読物としては菅原透『ベルリン・フィル その歴史秘話』(アルファベータ 2010)があります。なお、1882年に雇用問題を発端にベンヤミン・ビルゼの楽団を退団した連中が結成した「旧ビルゼ楽団あらためベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」は5年後までには人員が当初の団員がかなり退団したとのことです。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は(略)1842年、神聖ローマ帝国の都ウィーンに、シュトラウス一家の率いる民間楽団として誕生しています。(43頁)

【参考】
これも残念でしたね〜。ただしいかただしくないか簡単に分かっちゃいますね〜。
神聖ローマ帝国の1806年解散は前述の通り。
ウィーンフィルの成立についてはベルリンフィルと同じ書籍参照。
設立前史についてはクレメンス・ヘルスベルク『王たちの民主制 ウィーン・フィルハーモニー創立150年史』(文化書房 博文社 1994)に詳しく記載されています。ちょっとだけ言っておけば、残念ながらシュトラウス・ファミリーは全く関与していませんけど・・・ウィンナワルツでのニューイヤーコンサートなんてず〜っとあとに始まったのも周知の事実でしたね〜

なお、これらのオーケストラと対比してロンドン交響楽団を「自由なタイプ」と形容していますが・・・なして? 「そこには、徹底的に統率されたベルリンフィルの音色とは違うやわらぎがあります」(44頁)・・・ロンドン交響楽団は徹底的に統率されていないのでしょうか? あんなに緻密なアンサンブルをするオーケストラが?

レオポルド・モーツァルトは、わが子の「神童」ぶりをあちこちで積極的にアピールします。教会と貴族が相手だったバッハの時代とは違って、一般市民の人気を得るためには、そういう、ややアヤシゲな売り方が効果的だったんですね。(48頁)

【参考】
子ども時代のモーツァルトが父と出向いた先は一般市民の中ではありませんでした。
手近な年表から、15歳までに訪ねた主な相手先を拾ってみます。
1762年〜バイエルン選帝侯、皇帝フランツ1世&マリア・テレジア
1764年〜フランス国王ルイ15世、イギリス国王ジョージ3世と王妃
1766年〜デン・ハーグのヴィレム5世
1768年〜マリア・テレジア
1770年〜フィレンツェのトスカーナ大公他、ローマの枢機卿

カントも、大学では物理学の教授で(49頁)

【参考】
カントが物理学教授であったことはありません。・・・まあ、ニュートンもそうだったことはなかったかとは思いますが。ニュートンは後年物理学と言われるようになった方向に貢献を深めましたが(それにしても、物理学って呼称はいつ定着したのでしょうね?)、初期には自然哲学にのめりこんで宇宙論もものした、とされている(宇宙論は入手が大変なんで買っても読んでもいませんが)カントは結局そっちにはいきませんでしたものね。

ベートーヴェンは(略)《第九》の第四楽章に(略)オスマン・トルコの軍隊行進曲の楽器であるシンバルやトライアングルなどを鳴り響かせました。《第九》の初演はカトリックの都ウィーンで行なわれましたが(以下略、51頁)

【参考】
トルコの楽器を使った先行有名作はいうまでもなくモーツァルトの「後宮からの誘拐」ですが・・・「カトリックの都」ウィーンで初演されていますが。。。
ご著者はベートーヴェンをそんなにカトリックと戦わせたいのかなぁ?
なお、ベートーヴェンの第九終楽章のマーチ部分は、「エロイカ」が革命時のフランスで流行した葬送行進曲と同様の精神的背景の延長にあると仮定するなら、すでにトルコ音楽としてではなく、やはりフランス革命とともに流布した行進曲の一種だと見なすべきかと思うのですけれど・・・はい、主観です。

事前には、もう少しリストアップしたのですが、まじめなはなし、本当に力つきました

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2011年8月22日 (月)

『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト〜序章編

序章第1章第2章第3章第4章もうおわり


地味〜な記事で申し訳ございません。

かねてから、本というのはご著者がさまざまご研究なさり、さらに熟考なさったご自分の脳みそを漬物石で潰していい塩梅になったのを見計らってお書きになる、恐れ多いものだと思っておりました。だから敷居が高いのかな〜、という具合にです。
ですが、昨今、本は大変お気軽に出来上がり出版される、そしてそのスピードの鮮度が大事なものになったようで、活き活きしたものを読めるのは大変に喜ばしいことであります。
で、急いでかかれるが故に、読者にもまた新たな楽しみを提供する「おまけ」がつくようになりました。
書かれていることが果たして本当なのかどうなのかを当てる、というのは序の口であります。序の口には危険もいっぱいで、たとえばクラシック音楽についてのその類の本に
「レクイエムを葬儀で流して涙を流す人たちはバカに見える」
なる記述があったとしても、決して怒ってはなりません。
レクイエムが歴史的にはヨーロッパでも葬儀で用いられたことの傍証は、たとえばず〜っと前に日本語訳も出た『音楽都市ウィーン』(音楽之友社)などに目を通せばあっさり分かります。が、「バカに見える」記述に対し正義感に溢れて「ふざけるな!」と頭に血をのぼらせて文を綴ろうものなら、そんな文はこの世から抹殺されます。くれぐれも、クレーマーにならず、辞を低くして丁寧にご指摘申し上げなければなりません。いや、事実がどうであるか以前に、どんな音楽を背景にしていようが関係なく葬儀で涙している人を「バカ」と決めつける感性が変態である訳ですが・・・いかんいかん、そんなことは絶対に文にしてはいけないわけです。ご指摘申し上げようが黙っていようが、ご著者様にはなんの影響もございませんので、このことは、記事削除のやむなきに至ったことのあるブログの綴り手として、強く強く御警告申し上げておきたいと存じます。

じゃあ、序の口から発展して、ホントがどこにあるかわからないくらい渦を巻いてしまっているのを目撃したら、私たちはそれをどうすればいいのでしょう?

・・・すみません、どうすればいいのでしょう、ではありません。

どう、楽しめばいいのでしょう?

ほんとはどこにあるのかな〜 (^^)」
と、笑顔いっぱいに探せばいいのです。

恰好の書物が出版され、マニア(?)のあいだで重宝されているようですので、小分けにしてご紹介していこうというのが、本記事の趣旨でございます。

ストレートにタイトルをご紹介してしまいますと、マニアックな価値が減少しますし、かつは決してこれを「クラシック音楽」入門として読んではいけません・・・初歩者が読むにはパズルが難解ですし、私も実はそこまでの資格がありません・・・から、仮に本記事標題のようにさせて頂きました。

このタイトルの前半部は幾通りにも読めるのですが、ちと遠慮しておきます。
出版社はこんなスピーディ仕上げの本ばかり出していらっしゃる訳ではなく、丁寧な記述の本も少なくありませんので、もしかしたら今回のはご出身者かどなたかがのれん分けしてもらったのかもしれないと勘ぐっております。ですので、その前の名称を推測で申し上げますと、減糖者親書という、ある病気の方の故人もとい個人版元さんではないかと思っております。

初回でもあり、前置きが長くなりましたので、序章から幾つか。
どれがただしいか、ただしそうか、ただしくなさそうか、ということは申しませんので、どうぞご自由にイメージを膨らませて下さい。
なお、今回のリストにつきましては、文句をつけると「難癖」になるきわどいラインのものが多ございますので、イマジネーションの過大な膨張にはくれぐれもお気をつけ下さい。どこの頁に記載があるかは念のため注記します。また、確かな研究等で参考になることがある場合は、その一部のみ、今回に限らず併記して参ります。もうすでに実物を手に取っていらっしゃるからからすれば拾い落としもあるかと存じますが、ご容赦下さい。

あ、「ほんとだね〜」というものには、別にマイナスイメージを持つ必然性はまったくございません。・・・って、マイナスイメージを推奨する訳ではございませんです、はい。

<序章>から

私の場合は、クラシック音楽を聴いて心が安らぐというのではなく、作曲家・指揮者として音楽を実際につくるにあたって、どんなときでも沈着に最善の対策をとれる心のトレーニングを、長年積み重ねてきました。(16頁)

少なくとも私自身は、心に音楽があることで、混乱のなかでも正気が保て、冷静な判断や的確な行動をとることができました。(同)

いわゆる「ポップス」だけでは、人間が抱える複雑で奥深い心のヒダを、広くカバーしきれるでしょうか?(20頁)

ポップスだけでは手の届かない痒いところが八割か九割残る、そんな感じがします。たとえば、災害のさなかにある人、大切な人を失った人、そんな人たちの力になる音楽は、大半のポップスの射程より遠くにある。(21頁)

【注意】ご著者は別段ポップ等を軽く扱う意図はないことは29-30頁の記述から伺えますので、そこは勘案してイメージを描かなければなりません。

ポップスと違って、クラシック音楽の多くは歌詞がありません。(24頁)

【参考】
ざっとしたことで精密でないことを予めお詫び致します。
まず、ここに記載のモンテヴェルディの作品表に器楽曲は見当たりません。
http://www.interq.or.jp/classic/classic/data/perusal/saku/Monteverdi.html
バロック以前には器楽曲は一般的ではありませんでした。1960年代までならバロック以前はクラシックとは別に聞かれていたかもしれませんから、まあ、上文もその延長だと見れば良いのでしょうか?
それ以後になりますと、単独作曲家の例では不足、かつ極端なのもいけませんが、たとえばリヒャルト・ヴァーグナーの器楽作品は普通には聴く人はいません。ヴェルディ作品とプッチーニ作品は弦楽四重奏しか聴かない、ってかたは、希にはいらっしゃるでしょうか? 希でもなかったらごめんなさい。
聴かれている聴かれていないに関わらず、一般に、大バッハ以降の作曲家の作品の実数は器楽曲のほうが多く見えますが、作品の編成などについてはその作曲者の職掌と密接に関わっているのではなかったでしょうか? 比較的そこから逃れた最初のほうの例であるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトについては、その交響曲(幼時から没する数年前まで書き重ねられました)の演奏を録音全集にまとめても、嚆矢のひとつベーム盤でCDは10枚で完結、これは彼のウィーン時代「だけ」のオペラをCD化した場合より少ない枚数に過ぎません。このウェイトをどう考えたら良いのか、是非教えて頂きたく存じます。シューベルトはドイッチュ番号が990までの作品表を参照しましたが、A、B等の符号をつけた同番号作品もあるとはいえ、この中で器楽曲は管弦楽25、室内楽41、ピアノ曲134の計200作です。シューマンやブルックナー、ブラームスの作品の内訳なども数えてみて下さい。・・・わぉ、ほとんどドイツ系ばっか!

過去につくられたクラシック音楽が未来志向になる理由の一つは、オリジナル音源にとらわれない音楽であることにあります。(26頁)

クラシック音楽は常に「いま誕生した音楽」「生まれたての音楽」として私たちの前に現れます。(28頁)

バッハの《ゴールドベルク変奏曲》は、もともと、不眠症の王侯貴族が安眠用に作曲させたものでした。(31頁)

【参考】
バッハの弟子フォルケルによるゴールドベルク変奏曲についての記述(クリストフ・ヴォルフ『ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 学識ある音楽家』日本語訳585頁から引用、春秋社)
(依頼者であるドレスデンのヘルマン・カルル・フォン・カイザーリンクが)「ある時、バッハに、『私の(お抱えのハープシコード奏者ヨハン・ゴットリープ・)ゴルトベルクのためにクラヴィア曲を書いてほしい。私が眠られぬ夜に、それを聴いて少し陽気になれるような、静かで、幾分生き生きとした性格の曲を』と言った。」
この記述が上文の説の元になったものです。ただし、ここには安眠のため、とは全く記されていません。また、この記述が真実だとするとハープシコード奏者ゴルトベルクはこの当時14歳でちょっと都合が悪く、また作品自体にカイザーリンクへの個別の献辞がないことから、この「変奏曲」は個別に委嘱されたものではなく、「クラヴィーア練習曲」シリーズ全体の概念に統合されていたもの(ヴォルフ)との見解が、現在では受け入れられています。

・・・序章からは、これくらいにします。

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2011年7月10日 (日)

屋根の上のギター弾き、森田茂

菊地雅樹さんリュートリサイタルは8月13日、川口リリアにて。


私の大好きなギタリスト、森田茂さんへのインタヴュー記事が、明日7月11日発売の『ギタードリーム』誌に掲載されるとのことです。
一部、内容をキャッチしましたのでご紹介致します。
全体像は、ぜひ『ギタードリーム』誌をご購入の上お読み下さい。
面白さは請け合います。
ここでご紹介しない「中国事情」などについても興味深いお話が載っているはずです。

http://www.homadream.com/
(本7月10日時点では当然最新号についての掲載がありません。)

Amazonでも購入出来るようになるはずです。
http://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0&tag=googhydr-22&index=aps&field-adult-product=0&hvadid=4802923847&ref=pd_sl_4kdcw2u807_e

ともあれ、さわりだけ。

Shigerumorita_2

「もともと東京でギタリストとして活動していたのですが、東京がイヤになって和歌山県那智勝浦町に行き、瓦職人をやっていたんですよ。・・・私も 最後は棟梁として若い職人を5~6人使って、寺社仏閣を専門にやっていました。でも、5年くらい過ぎて気持ちも落ち着いてきた頃に、やっぱりギターを弾き たくなっちゃったんです。」

「それで、楽器屋でヤマハのギターを取り寄せてもらって、もう1回始めたんですよ。・・・すると、『今まで日焼けした真っ黒い顔して工事をしてい た瓦職人のおじさんが、夜な夜なギターを弾いている』って、田舎だから評判になって、地元の新聞社から早稲田大学のギター部出身だという新聞記者が取材に 来た。それで『屋根の上のギター弾き』って見出しで、記事がドーンと新聞に出ちゃった。」

「ちょうどその頃に、南京芸術大学と上海音楽院の人たちがギター科を作る準備で日本に来ていたんですよ。彼らが私の演奏会を聞いて、中国に渡らないかと誘われて渡ったんです。」

「私が中国でデビューコンサートをしたのは1500人入るオペラハウスでしたが、弟子たちに『生徒連れて来い』と言ったら満員になりました(笑)。・・・向うではビックリするほど可笑しくて楽しい話が一杯ありますね。」

「最初はお客様として歓迎してくれるけれど、向うに住んで仕事を始めたら嫌われます。商売敵になるから。それを乗り越えて、お互いに腹を割っ て話し合って、認め合える間柄になったら本当の付き合いが始まります。だから、今は一番良い付き合いができるようになった時期ですね。私は音楽が好きで人 間が好きだから、やっていられるのかな?」

「(今は)中国琵琶のパオ・ジェさんと二重奏をやっているんですが、それをもとにしてフラメンコギターの瀬田彰さん、リュートの菊地雅樹さんに加 わってもらって、4人で何か新しい音楽ができないかなと思っているんです。何かの曲をアレンジするのではなくて、オリジナル曲を、ペンタトニックを取り入 れたりして、これから作っていきます。きっとすさまじい音楽になりますよ(笑)。」

・・・う~ん、もっといっぱい表に出したいところですが、こらえます。
・・・『ギタードリーム』最新号、私は2冊予約済みです!

森田さんHP、森田さんのギター教室のHPは下記URL。

http://shigeru-m.com/
http://shigeru-m.com/school/info/index.htm

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2010年11月 7日 (日)

書籍:塩見允枝子『フルクサスとは何か』

大井浩明さん"Portraits of composer"第3回は11月13日、いつもの門仲天井ホールにて。リンク先をご覧下さい。
演奏する作曲家さんたちについて、平凡社「日本戦後音楽史」にある記載を下記リンク記事に抜き出しましたので、ご参照頂ければ幸いです。
・塩見允枝子さん http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-b8cc.html
・伊左治直さん  http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-176e.html



Shiomibook塩見允枝子さんについては、ご存知のかたはご存知なのでしょうね。
とても活動的なかたなんですね。

世間に疎い私は、存じ上げませんでした。もったいないことでした。

第3回POCで大井さんが採り上げる塩見さんの作品については、大井さんのブログに既に解説がアップされています。
で、伊左治さんの場合のように(そして他の日本の作曲家さんの作品に新鮮に触れてみられた時同じことを繰り返して来たように)録音への@素人オバカ感想を綴っていけばいいのかな、それが自分流の楽しみ方かな、と思っておりましたが、塩見さんにはご著作があります。この中に、CD『音と詞の時空』fontec FOCD2568 に収録された曲についての塩見さんによるお話が、周辺のことがらと合わせてご本の方に出てきます。

上記CDはたいへんに素晴らしい集成で、心躍ります。是非にとお勧めします。

とはいえ音だけ拝聴しても何か視覚的なものを思い描くこと無しにはいられない、深い夜の中の華やかな母胎を思わせる塩見作品は、ご本の方を拝読すると、やはりその「胎動」を赤子として享受することなしには、その豊かさの半分にも触れ得ていないのだな、との感を強くします。

駄弁はこれくらいにして、塩見さんの魅力的な思考には、ご著著『フルクサスとは何か』(フィルムアート社 2005)から少しばかりの抜き出しをすることで包まれておきたいと思います。

なお、「フルクサス」は創作と発表を一括りにしたイヴェントを表わす語彙にもなっていようかと思いますが、れっきとしたグループ名でもあります。「フルクサス」のメンバーであることの要件は、「フルクサスとは何か』の18-20頁に掲載されています。「フルクサス」を記述するのが本記事の目標ではありませんので、「フルクサス」については塩見著でご確認下さいますようお願い致します。

以下、魅力的な本文の、僅かばかりの抜粋です。


このとき【1987年のイヴェント「再現・草月アートセンター」】のパフォーマンスは、後でNHKのテレビ番組でも紹介されました。インタヴューを受けたある青年が、「へぇー、これが60年代の前衛ですか。今でも結構、前衛なんじゃないですか」とコメントしていたのが印象的でした。というのは、その頃はもう、前衛なんて意識は、まったくありませんでしたからね。(中略)前衛が成り立つのは、蹴って跳び上がるべき、しっかりとした地盤があるときです。60年代のそうした地盤というのはアカデミズムや伝統でした。反発すべき地盤が軟弱になったり、砂地のようにサクサクと崩れやすくなると、前衛という意識は意味をなさなくなり、消滅します。現代はどうなんでしょう? 物は豊富で表現も自由、何でもありでほどよく共存でき、立ち向かうべき相手が見えない時代と言えるのではないでしょうか? 現在では、前衛なんて言葉はおそらく死語に近いでしょうね。しかしどんな時代にも、人間を抑圧している要素は存在するはずで、それを意識するかしないかの違いに過ぎないのです。IT革命は、文明としては前衛と言えるでしょうが、それは技術と企業の競争原理から生まれたもので、人間の側からのものではありません。芸術における前衛というのは、人間の復権の声として出てくる行動なのです。もし今の時代に前衛が、つまり時代の最先端で問題点を捉え、時代をリードしていく動きがあるとすれば、それはかつてのように、エネルギッシュな破壊力に満ちたものではなくて、もっと性質の違ったものになることでしょう。若い世代の皆さんのなかに、それを見たいものです。(139-140頁)


今の若い人たちはパフォーマンスが好きですね。見るにしろ演ずるにしろ。この積極性はどう解釈すべきなんでしょうか? 人間のコミュニケーションが次第に間接的になり、街へ出ても黙って機械の間を通過するだけで目的が達成できたり、どこにいても液晶画面を覗くだけで事足りることの多い時代に、これは一種の危機感からくる反動なのか、と思ってみたりもするのですが、パフォーマンスは人間が人間であることをプリミティヴに、かつクリエイティヴに自覚できる機会ですから。人々がこれに集うのは健康な現象であると言えるでしょう。(218-219頁)

フルクサス作品のパフォーマンスに限って言えば、専門的な技術はいりませんが、むしろ精神的な態度が重要になるのです。パフォーマンスに入ると同時に、行為の抽象化、つまり日常的な自意識を捨て去って、自分が行なうべき行為に没頭できることが重要なんです。(219頁。以下のメッセージが示唆的ですが抜ききれませんので、是非本書を手に取ってお読み頂きたく存じます。)


たとえば、「具体主義 concretism」。マチューナスが言うには、古典的な絵画での具象主義や写実主義は本当はイリューショニズム、幻影主義だというのです。つまり、いかに本物らしく穴が描かれていたとしても、それはそれらしく見えるだけで、本当は、穴の形にこびりついている絵の具の塊に過ぎない、という即物的な考え方です。もし、本物の穴が開いていれば、それが本当の具体主義だというわけですね。(234頁)


普通、創造というと、無から有を生み出すとか、自分のなかにある何かを表現するというように考えられていますが、私はむしろ、すでにどこかに存在するのだけれど、まだ誰も気付いていないものを発見し、発掘する行為だというふうに考えています。だから、自分は表現する主体というより、たんなる媒体に過ぎないんだと。(中略)結果も、もちろん大事なんだけれど、この「日毎に自分は新しい」という感じが、行動するエネルギーの源になっているような気がします。この感覚があって初めて、日々、自分が生きている意味を納得することが出来るし、他人に対しても寛大になれるような気がするのです。このことは、どんな仕事に就いている人でも、おそらく同じでしょう。(248頁)

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2010年11月 4日 (木)

松平頼則「近代和声学」(3)目次紹介【第二篇】

大井浩明さん"Portraits of composer"第3回は11月13、いつもの門仲天井ホールにて。リンク先をご覧下さい。
演奏する作曲家さんたちについて、平凡社「日本戦後音楽史」にある記載を下記リンク記事に抜き出しましたので、ご参照頂ければ幸いです。
・塩見允枝子さん http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-b8cc.html
・伊左治直さん  http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-176e.html



(1)(2)(3)


松平頼則『近代和声学』第二篇の目次は、第一篇に比べると地味に見えます。しかしながら実際には内容に立ち入れば斬新な点が多くある点では、第一篇以上です。
発行された昭和三十年頃に、「和声学」を銘打っているわりには338頁の小著に「九の和音」だとか「連結と不規則解決」(連続八度や連続五度を扱っています)、「線的多声法」なる章を設けているのが、似た規模の下総皖一『対位法』ではフーガを取り入れるまでに至らなかったのと対比すると、下総著が独習者の入門書として長く生き残った一方で松平著が消えた理由・・・啓蒙書であるためには難解である・・・を物語っているのではないかという気がします。その難解さは第三章以降の節の名からも充分伺えるのではないかと思います。また、「転調」の章の展開方法が彼独自のものであることも感じ取れるかと思います。「複調」なる話題を積極的に採り上げた本は類書がなかったのではないでしょうか?
また、12音技法についても、節こそ設けていませんが、17頁の紙数の中に、当時としてはおそらく最も早く最も凝縮した情報を盛り込んでいるのではないでしょうか?

松平は、こうした豊かな知識と邦楽への造詣を自身の中で強く結びつけたが故に、晩年までヨーロッパで通用する存在たり得たのでもあろうと感じます。

カタカナ語がフランス風なのも松平らしい特徴です。

第二篇 応用

 第一章 序説

 第二章 種々な和音の構成と建設

 第三章 和声の自由な進行
    第一節 音階上のIIおよびIIIの使用
    第二節 並行進行

 第四章 カダンス

 第五章 七の和音(その発展)
    第一節 準備なき不協和音
    第二節 ”交替”による準備と解決
    第三節 例外的な種々の解決

 第六章 九の和音
    第一節 九度の配置の新しい方法
    第二節 他の種類の九度
    第三節 九の和音の例外解決
    第四章 並行法による九度の連続

 第七章 経過音
    第一節 交替による解決(この節しか存在しない)

 第八章 アポジアチュール

 第九章 保続音

 第十章 連結と不規則解決

 第十一章 不協和音の発展

 第十二章 転調
     第一節 異なる調に属する完全和音によるもの
     第二節 複調又は多調によるもの
     第三節 多様な転調

 第十三章 多声法
     第一節 対位法的手法の発展
     第二節 多声的手法による作品の分析

 第十四章 線的多声法(作品例)

 第十五章 インテルプンクト

 第十六章 ビトナリテーポリトナリテーアトナリテ
     第一節 複調の起源
     第二節 和声的複調
     第三節 対位法的多調
     第四節 アトナリテ

 第十七章 ドデカフォニズム

・・・以上。

ご興味のあるかたはぜひ古書にて検索のうえご入手になってみてはいかがでしょうか?

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