音楽史読書

2017年3月24日 (金)

【音楽史読書】1.シュメルの神話のなかの音楽(5) 演奏した人々のことなど

日本語で、わりと手軽に読める本などを通じて、人が音楽をどう捉えてきたか、を見て行けたら、と、まずシュメルを入口にしてみたのでした。テキストは『シュメール神話集成』(杉勇・尾崎享訳 ちくま学芸文庫 2015年)でした。テキストのオリジナルは紀元前2000年前後のもので、見てきたのは、その頃のメソポタミアの音楽事情ということになります。

(1)音楽に関係する文を抜き出し(2)内容を区分し、それから(3)楽器(4)様式、と見てみましたが、しめくくりに、ではどんな人が、を見たいと思います。
『集成』のテキストは実際には広い幅の年代に成立したもので、その内容を同一平面で見てきたために、「傾向が漠然と分かる」以上のことは出来ていません。
これは『人間と音楽の歴史 メソポタミア』(スービ・アンワル・ラシード 音楽之友社 1985【昭和60】年)の遺物写真と解説で少し補充できます。「どんな人が音楽を?」は、こちらによりたいと思います。『人間と音楽』はアッシリア~パルティア期までの遺物を掲載してくれています。そのうち古バビロニア時代まで(前1600年頃まで)によってみます。

音楽の担い手として『集成』から拾い出した人々は、これまで見てきたことをも併せて考えると楽手歌手男女の神官・そして自ら都市神の祭祀を行なえる市民(?)およびにまとめられます。

『人間と・・・』を、遺物の古い方から見て行くと、演奏する人の社会的位置づけまでは分からないものの、担い手や楽器・奏法の変遷を感じることが出来ます。感じたことは、解説によって補強が出来ます。

【奏者たちの変遷】
リラの現物が9台も発見されたウル王墓遺跡は前2600年頃のものです(小林登志子『シュメル 人類最古の文明』の年表による)。ここで幅も長さも1mを超える大型のリラがいくつも発見された傍に、シンバル[それ以外は解説になく分かりませんが]など楽器を携えた4人の女性楽手が眠っていました(『人間と・・・』図版1解説挿図)。別の墓にも女性楽手の遺骨があり、なかにはハープの弦に手を置いて亡くなっていて、死の瞬間までハープを弾いていたことが分かる遺骨も見つかっています。ちなみに、殉死は葬儀時に毒杯か麻酔薬をあおって行なわれたもののようです。抵抗のあとはまったくなく、おそらくすすんでなされたらしく、後年の私たちが抱くイメージとは精神構造が違っていたかと思われます。
Lira 大型のリラは、すわって演奏されたものらしく、また、支える人もいたかのようで、ロバがすわって指でリラを奏でている脇で、たった熊がそれを支えている図が残されています(『人間と・・・』図版8)。
大型のリラは作りの豪華さからも儀式用の特別なものだったようで、おなじ王墓地域から発掘された有名なウルのスタンダードの図では、人の背丈の半分くらいの中型リラが男性の立奏者に手持ちされています(→(3)楽器)。この大きさのものは、しかし、他の図版を見ると、立奏ではなく、椅子に腰掛けて演奏するのが普通だったようにも見受けます(『人間と・・・』図版41~43)。中型リラ座奏の図版はしかし、ウルのスタンダードより100年くらい時代が下るものとされています。神殿への古めの奉納板に描かれているのは、やはり立奏姿です。
王墓での楽手の発見状態やウルのスタンダード他に描かれた場面からは、楽手は王族貴族に属していたかのようです。しかしながら、ウル第Ⅰ期の文書によると、祭礼音楽に関わる女性はガラ神官やナル祭司という神職に就いていたことが分かっている、とのことです。ラガシュ市の俸給表には、176人もの女性ガラ神官の名前があらわれているとのことです(『人間と・・・』p.36)。ラガシュは前2500年頃から、初期王朝時代の中核となった都市国家です(『集成』解説p.264他)。
こうしたことから、祭祀の音楽は女性が大きな役割を担っていたこと、演奏の場は神聖な場に位置づけられていたことが推測され、音楽が神事と不可分だったかと考えさせられます。
ウルのスタンダードに見るとおり、しかし、楽手には男性もいました。その後ろの歌手とおぼしき人物は、『人間と・・・』では髪型から女性と見なされています。けれども小林『シュメル』によれば、カストラート(去勢歌手)で、これはマリ遺跡から出土したカストラート歌手像と類似の姿であるところから判明するもののようです。このカストラート歌手が「ガラ神官」と呼ばれていたのだ、と、『シュメル』では述べています(p.122)。

およそ300年後、ウル第3王朝が滅びる前の頃の遺物からは、まだ大型の祭祀用リラもあったものの、リラの小型化がだいぶ進んだことも窺われます(『人間と・・・』図版45~48、76~80)。中には全裸の女性が腕の長さ程度の小型リラを立奏している姿の浮き彫りもあります(同 図版59)。この図版の右下には、タンバリン上の枠太鼓を叩きながらコサックダンスのようなものを踊る男性ダンサーの姿もあります。古代の神事は性的なものとの深い関わりを指摘されることが多くありますが、この傾向は古いシュメルの時代の図像に発見例が無く、ウルがバビロニア等の台頭で衰退してから現われた風潮なのかな、と思わされなくもないところです。

リュートや角形ハープは、アッカド王朝期以降の図像に現われ始めるもので、リラや舟形ハープよりは新しく普及し、姿を整えていったものかと思われます。が、シュメルから古バビロニア(~前1600年頃)の遺物にリュートの明確な像は見出せません(円筒印章にある古い例は『人間と・・・』p.62にある)。

Harp1 明瞭に描かれた角形ハープは7弦で、椅子に座って弾くときいちばん手前になる弦は、いちばん向こう側の弦の半分の長さとして描かれていることから、オクターヴの響きが認識されていたように見て取れます。
椅子に座って弾くハープは女性が奏でており、なかには口を開けて歌っているさまを描いたものもあります(『人間と・・・』図版65)。ウルのスタンダードではリラ奏者が歌い手を別に従えていたのでしたから、その対比で興味を引かれます。ただし楽器がずっと小型化していることも関係しているでしょう。

この角形ハープはアッシリアに引き継がれ、それから千年を経て日本にも箜篌として伝わります。・・・箜篌のことは、また触れたいと思っています。

女性たちの神官的な地位について、それぞれの解説になお言及されていますが、図版との関わりが明確ではありません。ただ、角形ハープを弾く女性像の浮き彫りは量産されたもので、複数出土しています。出土の場所・状況が分かれば量産の意味も見えてきて、女性楽手と祭祀の関連がちょっとは分かったかもしれませんね。一切不明なのが惜しまれるところです。

Harp2 角形ハープは男性が歩きながら横抱きに抱えて演奏している姿も浮き彫りにされています(『人間と・・・』図版71~74)。行軍の姿だ、と解釈されています。(同 解説p.82)これは、指で、ではなく、プレクトルム(ピック)を使って演奏されています。古バビロニア期の遺物ですから、シュメル人たちにはなかった奏法かと思われます。軍楽はバビロニアででも起こったものなのでしょうか?
同時期の、弓形ハープを横にしてプレクトルムで演奏している浮き彫りもみつかっていますが、これはインダス文明との繋がりを示しているのであって、楽器自体はシュメルのものではないと考えられています(『人間と・・・』図版75)。・・・古代インドを覗くのが楽しみです。

ティンパニのご先祖さまに当たる楽器の図の、最初の例は、ちょうどウル第3王朝が滅びる頃のものです(『人間と・・・』図版60)。シュメル語でリリス、アッカド語でリリッスと呼ばれた楽器で、胴体は銅または青銅、皮は牛皮、重さは1㎏だった、とアッカド時代のテキストに書かれているそうです。この図ではリリッスが叩かれる隣でボクシングがなされていますが、ボクシングの場での奏楽はずっと遡った図にも描かれています(同 図版35)。何らかの神事と関わりがあったものなのでしょうか?

Lilis以上、きわめて漠然としているところから脱出は出来ませんでしたが、シュメルの音楽は神事と関わりの深い女性が重要な担い手であったこと、それはシュメルの文明が後継者に取って代わられても続いていたかもしれないいこと、時代が下ると性的な要素が強まったかもしれないこと(はっきりは分かりません)、を感じた次第です。
併せて、楽器は小型のものがだんだんに精巧になっていき、持ち歩かれることも増え、おそらくそれにより軍楽も形成されていったように思われます。


テキストにしたり参考にした本は、以下の通りです。こんな拙いブログ記事からでもシュメルに興味を持って下さるようでしたら、ぜひ私なんかより正確にお読みになって、楽しんで下さいね。

・杉勇・尾崎享訳『シュメール神話集成』ちくま学芸文庫 2015年
・スービ・アンワル・ラシード『人間と音楽の歴史 メソポタミア』音楽之友社 1985年
・小林登志子『シュメル---人類最古の文明』中公新書1818 2005年
・岡田明子・小林登志子『シュメル神話の世界』中公新書1977 2008年
・小川英雄『古代オリエントの歴史』慶應義塾大学出版会 2011年
・古代オリエント博物館編『シルクロードの響き』山川出版社 2002年

楔形文字については、この本が易しくて面白いのですが、アッカド語です。今回は勉強しきれませんでした。
・池田潤『楔形文字を書いてみよう読んでみよう』白水社 2006年

シュメル語についての日本語の本も出ているのですが、参照しませんでした。

もし後日メソポタミアの言葉を勉強する機会があり、それで新たに加えられることが出来るようなら、また加えてみたいと思います。
今回まで見てきたことのまとめもしなおしたいのですが、比較できる地域や時代が増えてからの方がいいと思いますので、また別途と致します。

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2017年3月17日 (金)

【音楽史読書】1.シュメルの神話のなかの音楽(4) 演奏スタイル

ブログですし、前回までを含め、お気楽に綴っているので、どうか硬くお捉えにならないで下さいね。あらかじめお願い致します。
んで、今回はまた文字ばっかりです。お退屈様ですが、せめて昔話のお好きな方におつきあいを頂ければ幸いです。


・シュメルの音楽に「調」はあったのか
・シュメルでは歌はどんなふうに歌われていたのか(器楽はさておき)
・歌はどんな「様式・形式」で構成されていたのか

を見てみたいと思います。


【調性などによるムードの伝達】
限られたものの収録とはいえ、『集成』に収められた文学には、「讃歌」・「哀歌」・「挽歌」・「悲歌」のようなジャンルがあって、訳文のタイトルは研究者が付けたものですが、多様ながら内容の類型があるために、こうしたジャンル分けも可能になっているようです。全部が歌われたものではなかったかも知れませんが、歌われたものであったならば、文学ジャンルの内容に応じて歌われ方が違ったのだろうか、というのが、次の関心ごとです。すなわち、近代の洋楽が長調と短調の差で、あるいはリズムや今日弱で気分の差を出したようなことは、シュメル人の王朝の時代にはあったのでしょうか?

使う楽器やその叩き方で、ある程度ジャンルの区分があったかもしれない、とは、『シュメル神話の世界』にある、ご研究者の次の記述から想像しています。
シェムもアラも打楽器の一種で、祭礼で盛大に打ち鳴らされティギは礼拝奏楽に用いられることが多い。」(p.314)
また、「ウル滅亡哀歌」の第2キルグ(『集成』では「幕」と訳す)に「哀歌が激しい」、第7幕に「激しく泣いた」、等々のリフレインがあること、「まるで浄らかな太鼓でもあるかのように、彼女は自分の胸を打ちたたき」の表現が見られることから、「哀歌」が歌われたときの様子は少し想像できます。
近代洋楽の長調短調的なものはなく、それ以前の、主音の位置の違う、いわゆる教会旋法的なもの、もしくは日本の雅楽の調のようなものならば、あったかも知れない気がします。
7音音階が使われていた、と仮定するならば、調の存在は絃楽器、とくに主要な楽器であったリラが7弦を基本としていることから類推されます。弦の数が11本のものもありますから、音域としては日本の雅楽の調に似たものをカヴァーはしていたかもしれません。日本の雅楽の場合は、旋律楽器である篳篥の音域が狭いものの、「調」は多様です。とはいえ、弦数の標準が7本だったらしいことを考慮すると、多様性を想像しすぎることは出来ないかも知れません。

文学ジャンルというより演奏様式を示すのではないかと思われる「ティンパニー歌」が、神の賛美に用いられたかと思うと(「イナンナ女神の歌」はティンパニー歌である、と、この歌の末尾に明記されています)、賛美の音楽も哀歌、嘆きの歌に転じることがあると受け止められている(「ウル滅亡哀歌」360行、初回の抜書きの(19))ことからも、歌の調性自体には、ムードなどに対して明示的なものは、なかったのではないでしょうか。このことは、むしろ調性の多様性があったことを疑わせる材料になるかと思います。


【歌唱法】
「激しい」との表現からは歌唱法の具体像は描けません。
(17) 心を楽しませる(楽)器の太鼓やタンバリン、ティンパニー
の「心を楽しませる」も、奏法の具体像まで知らせてくれるものではありません。
唯一、格言に出てきた次の文だけが、具体的な歌唱法を窺わせてくれます。
(29) 歌い手がたった一つしか歌を知らなくても、
 彼の<顫音(せんおん)>がすばらしければ、彼はまさに歌い手だ。
「顫音」の原語が分かりませんから、日本語ではこれがトリルやトレモロを表わすのだということだけをヒントに、現在の民族音楽辺りにヒントを探しますと、クルド人の歌唱の中に、数種のトレモロ唱法を聴き取ることが出来たりします。クルド人はシュメルの直系の子孫ではないでしょうし(後のメディアの子孫だ、と称しているようです)、現在の音楽が直接に古代の歌唱法を示しているのではないでしょうから、想像の域を出ないのではありますが、西アジア地域にこのような歌唱法が残っていることを勘案すると、シュメルの声楽はトレモロをつけること、あるいはヴィブラートをかけることが上手の条件とされたのでしょうか。
歌が悲しいものであるときには
「(16)まるで浄らかな太鼓でもあるかのように、彼女は自分の胸を打ちたたき、「ああ、私の町よ!」と叫ぶ。」
のようなこともあったのであすから、直立不動で歌うというのではなく、内容に応じて演技的なふるまいをするのであったかも知れません。

器楽については、器楽のみの演奏があったのかどうか分かりません。
「(03) 三日三晩が過ぎ去ってから/彼女の使者ニンシュブルは/[2行略]/(丘の上で)彼女のために嘆き/玉座の間で太鼓を打ちならした。」
のような記述もありますから、打楽器は何らかの合図のためにそれだけで鳴らされることはあったようです。


【様式・形式】
文を拾い出したとき、併せて丸数字で拾った注釈を中心にして、様式・形式の観察ができます。

「不明な記号」
①~解説[この物語が書かれている粘土板文書の左欄(中略)この欄には、’a-a-a-a-a-a’とか’ku-ku-ku-ku’、’maś-maś-maś’などと楔形文字で書かれている。これが何を意味するのか、まだ不明であるけれども、おそらくは音符あるいは時には歌い方の指示であろう。](p.246)
ギルガメシュ叙事詩の粘土板にも何らかの記号がある、と別の本で読みましたが、どんな記号化の記載がなかったので比較が出来ません。この解説にあるものだけだと、せいぜい日本の謡本のゴマ点のようなものが連想される気もするのですが、何とも言えません。

「交互に歌う」
(09)      この物語は交互に歌い合うものである。 144行
②~解説[この物語の冒頭および末尾にある bal(-bal)-e(-dam) という術語によって、この物語は、登場人物に扮する人々が交互に歌い読む、ないしは演じたものであると思われる](p.272)
交互に歌い合うものである、とある「ドゥムジとエンキムドゥ」は、次の登場者が入れ替わりでセリフを述べる(歌う)作りであり、②は、それに対する自然な解説です。
語り手ウトゥ神(兄)~||:イナンナ女神(妹)ウトゥ神(兄):||(8セクション)〜語り手ウトゥ神(兄)イナンナ女神(妹)語り手牧人ドゥムジ語り手農夫エンキムドゥ牧人ドゥムジ農夫エンキムドゥ語り手
最高で5人、最低ではおそらく2人の歌い手が交互に演じることの出来る作りになっています。
日本の能のように、語り手が地謡であり、シテがイナンナ(前ジテ)とドゥムジ(後ジテ)を演じ、ワキが前半はウトゥ神を、後半は農夫エンキムドゥを演じる、のような構成であったとしても面白いなあと思います。もちろん、想像の域を出ません。

「サギッダとサガルラ」〜二部構成(④)
『集成』では「イナンナ女神の歌」と「ババ女神讃歌」にこの語が現われ、後者の解説にはぞれぞれ[サギッダ=「長い絃楽器?」 ここでこれが演じられたものであろう。]・[サガルラ=絃楽器の一つ。ここでそれが演奏されたのであろう。]との注があります。けれども『シュメル神話の世界』ではサギッダに「賛美歌」、サガルラ(サガラ)に「答唱」の訳語を当て、楽器との関連は述べていません。いずれにしても、「交互に歌う」式の延長線上にある形式のようです。ただし、入れ替わり立ち替わりになるのではなく、サギッダが前半、サガルラが後半、の二部構成です。「ババ女神讃歌」では「ウルビ」と称するコーダが付いています。

「イナンナ女神の歌」では、サギッダ、サガルラのそれぞれに明確な詩形式があって、解説でもこのことが述べられていますが、訳文でも形式感が充分わかります。
サギッダは、abab形式です。たとえば
冒頭4行の訳文が
 ・・・産んだお方よ。
 ・・・あたえられた。
 ・・・産んだお方よ。
 ・・・あたえられた。
最終4行の訳文は
 ・・・登ってくると、
 ・・・もたらす。
 ・・・登ってくると、
 ・・・もたらす。
という具合です。
サガルラはabcd形式です。
最初の4行の訳文は
 ・・・発するお方よ、
 ・・・歓呼して、
 ・・・打ちこわす。
 ・・・殺してしまう。
次の4行の訳文も
 ・・・発するお方よ、
 ・・・歓呼して、
 ・・・打ちこわす。
 ・・・殺してしまう。
終わりから8行目からの訳文は
 ・・・あなたのために闘う。
 ・・・身体をおおっている。
 ・・・産み給う。
 ・・・誉め称える。
そして最後の4行の訳文も
 ・・・あなたのために闘う。
 ・・・身体をおおっている。
 ・・・産み給う。
 ・・・誉め称えます。

しかしながら、「ババ讃歌」の訳文にはこうした定型はみられません。
サギッダの最初の8行はひとかたまりのようですし、以降は4〜3〜4〜3〜4〜4の行数ずつのかたまりのようです。それぞれ、神に捧げる褒め言葉になっています。
サガルラは神の行動を4〜3行で述べたあと、神の威信がより高まるようにとの祈りが重ねられ、最終3行が冒頭4行に対応するかたちで終わります。
ウルビはサガルラの冒頭を補強するような内容で短く終わります。ウルビの意味は注や解説からでも分かりません。
サギッダとサガルラの間に、サギッダへの返し歌と称する1行のみのセクションがあります。あたかも日本の万葉集の、長歌のあとの短歌形式の返歌のようです。サギッダ全体を締めくくる内容となっています。

「ババ女神讃歌」がサギッダ(・返し歌)・サガルラ(・ウルビ)と拡大しているものの、「イナンナ女神の歌」と「ババ女神讃歌」に共通するのは、骨組みがサギッダ・サガルラの大きな二部構成であることです。拡大形式は「ウルの滅亡哀歌」に見られるキルグとの関係が深いかと思われます。キルグのあとには最終の第十幕を除いて返し歌があるからです。2例だけでははっきりしませんが、言葉の展開の仕方に、サギッダは反復、サガルラは延長とでも呼んでいいような特徴があるのかも知れません。もっといろいろ見たいところです。原語を勉強しないと無理かな。

ここまで、能だの万葉集だのと挟みましたが、形式感が似ているというだけの話で、もちろん、直接関係があるとは言いませんし、思ってもいません。

「キルグ」〜拡大構成
③~解説[この哀歌は全体が十一幕に分けられている。今「幕」と訳してみたが、実はシュメール語ではキルグといって、たぶんこれは各章を歌い終わったあとで、それに対して答唱するグループに向けて、または何か、誰かに向けて軽く礼をすることをさしているのだろう。] p.278

『集成』中では「ウルの滅亡哀歌」だけに見られるキルグですが、『集成』の中では③に引いた通り「幕」と訳されており、『シュメル神話の世界』ではキルグで区切られたそれぞれのセクションを順に第1歌、第2歌、・・・と呼んでいます(「シュメルとウルの滅亡哀歌」、『集成』の哀歌とは別のもの)。いずれも、キルグの語で区切られるまでの各セクションは、セクションごとにひとまとまりの歌になっていますので、第○歌、という捉え方は正しいものだと言えるでしょう。しかし、各セクションを近代演劇の幕に例えてみたくなるほうが面白く感じます。「ウルの滅亡哀歌」を読むと(あるいは心の中で自分なりの節で歌ってみると)、それぞれのセクションがそれぞれひとまとまりの内容を持ちながら、次のセクションと有機的に繋がっているため、作品全体のムードに緩急があり、クライマックスとその後の沈潜も見事にあるのです。
キルグ自体は③で言われているように返歌を答唱するために待つ群などに対し何らかの礼などをする仕草をさす言葉なのかも知れませんけれど、これを今『集成』の訳通り「幕」としておくと、「ウルの滅亡哀歌」は、ざっと次のような構成です(私の勝手な要約です)。
第1幕(歌)神々がウルの神殿を見捨ててしまった、その羊小屋が空になってしまった。
第2幕(歌)町には激しい哀歌ばかりが、いつ果てるとも泣く続くばかり。
第3幕(歌)ウルを襲ったのは(襲撃という名の?)嵐であり、ウルの人々は涙に沈んだ。
第4幕(歌)ウルの神の制止にも関わらず、神々がウルに破壊の運命を決めたのだった。
第5幕(歌)悪風の嵐がウルを席巻する。
第6幕(歌)嵐の後には、惨殺された人のたくさんの死体、廃墟となった町が残った。
第7幕(歌)ほろんだ町、失った家を思って泣く、ウルの都市神。
第8幕(歌)人々は都市神を慰める。
第9幕(歌)町を滅ぼした暴風への、合唱ふうな怨みの歌1。
第10幕(歌)町を滅ぼした暴風への、合唱ふうな怨みの歌2。
第11幕(歌)ウルの町の復活を願う祈り
直接の対比は出来ませんが、あるいはキリスト教のレクイエム曲の構成感に似ている、と言ってもいいのかもしれません。
「ウルの滅亡哀歌」、「シュメルとウルの滅亡哀歌」共に、最終歌を除き、各「幕」のあとに返歌(答唱)があります。これは、サギッダとサガルラから成っていた二部構成の考え方がが、さらに拡大されたものだと捉えていいように思います。

総じて、前2000年前後のシュメルの歌唱は、2人以上の人が交替して歌うことにより、演劇的な内容にまで立ち入ることが可能になっていた、との印象を受けます。交替して歌う人たちは、あるいは登場者を演じ分け、あるいは場面を演じ分け、あるいは前に歌われた内容に短く応答し、【歌唱法】のところで想像したように、それぞれの役割にかなったかたちで、演技的なこともしたのかもしれません。


ちょっと前ふりですが・・・
アッシリアなどの時代はシュメル人の活躍より遥かに後代ですから、シュメルの音楽と一緒くたに見ることは出来ません。けれども図版の他に庶民にお手軽な野次馬材料もなく、500年刻みで次を、というわけにもいきません。であれば、シュメルとその千年後の違いを、いずれ旧約聖書あたりに題材を求めてみて見るしかないのかなあ、と思っています。そして、旧約聖書の舞台となっている時代にメソポタミアと並んで大きな影響を与えていたのはエジプトです。後代を見るためには、次はエジプトを見ておくべきなのかな、という気がしてきています。

そちらへ移る前に見ておかなければならないこととして、シュメルの音楽をどのような人々が荷なったのか、が、とりあえずシュメルをめぐる最後の関心事です。
この次それを見るところまでやってみようと思います。

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2017年3月 9日 (木)

【音楽史読書】1.シュメルの神話のなかの音楽(3) 楽器

さて、前回の疑問を確かめていくと、驚きの実態も浮かび上がってくるのでした。

古代音楽関係の図像は、大型本『人間と音楽の歴史 Musikgeschte in Bilden』シリーズに掲載されていて重宝するはずなのでしたが、新刊当時はかなり高価でしたし、いまは古書でしか入手できません。『メソポタミア』の巻(スービ・アンワル・ラシード著 原著1984年 訳書昭和60年 以下『人間と音楽』)は新刊時8,800円、古書でも3,000円台でした。古い時代の編年が最近のものとズレていますが(*1)、日本語で読める啓蒙書としてはメソポタミアの音楽を荷なった楽器、歌手や奏者の社会的背景などについて、専門にまとめたものは、今でもこれしか見当たりません。
また、コンパクトながら、U.ミュルス編『図解音楽事典 dtv-Atlas zur Musik』(日本語版監修 角倉一朗 白水社 1989年)が、古代の四大河文明地域の音楽について、まとまった情報を提供してくれます(編年は『人間と・・・』と同じです)。これらを覗いてみますと、特に楽器について、前回コメントした推測が正しくないことが分かりました。

そこで、最初に、シュメルの楽器について見直しておくことにします。


【管楽器】
『集成』に登場したのは、「フルート」・「笛」でした。

「フルート」
01flauto フルートについては『人間と音楽』に言及があります。そのまま引きます。
「ウルクで発見され、近年、ハンス・イェルク・ニッセンによって公表された粘土製の容器状フルートは、ウルク時代末期(*2)のものである。このフルートは、中心に気道がある型のフルートの歌口を示しているが、上端は吹口まで折れてなくなってしまっている。また指孔は2つ開けられている。」(p.22)
指孔こそかなり少ないですけれど(そういう点では、土製であることからもオカリナのほうが幾分近いようでもあるのですけれど・・・オカリナのほうがまだ孔が多いですね)、音を出す原理が現在のフルート、日本の横笛(あるいは尺八)、もしくはリコーダーのいずれかと近かったことが窺われ、現代語でフルートと呼ぶのは錯誤ではないことになります。シュメル語ではなんと言ったのでしょうか? この拙い記事をご覧に頂いた中にご存知のかたがいらしたら、教えて頂ければ幸いです(*3)。
竪(たて)型のフルートについては鮮明ではないながら円筒印章の印影にその姿が確認できました。猿が竪型フルートを吹いているとされる図版(『人間と音楽』図版25)は、小林『シュメル』p.218に印影があります。

「笛」
02pifa フルートではないものをさす訳語ですが、私は原語を知りませんので、蓋然性は分かりません。発見されている遺物からすると、『人間と音楽』が次のように述べている楽器のことかと思います。
「ウルの王墓で、指孔のある銀管の破片が発見され、それはシュメールの王ウルナンムの石碑の背面に描かれているような双管オーボエ・タイプの双管楽器と推定されている。」(p.22)
ただし、この遺物の図版の解説では、研究者の中に、これがフルートなのかダブル・リード楽器なのか確認することは出来ないと考える人もいると述べられています。シュメル人王朝時代の双管オーボエの図版は『人間と音楽』の図版には無く、アッシリア期のものが載っていました(図版122)。とはいえ、ダブル・リード楽器は古代ではほとんど例外なく2本一組で用いられたとのことですから、より以前とはいえ、シュメル人王朝時代も例外ではなかったのではないしょうか。

岡田明子・小林登志子『シュメル神話の世界』(中公新書1977)には、神を祝福して迎える場面に、ティギ笛という名称が登場します(p.118、『イナンナ女神とエンキ神』)。(26)にあらわれるティギ太鼓という聖歌用の太鼓は、別の神話にも登場しますので、この笛も聖歌用、そして場面から推測するに祝儀用の楽器だったと思われます。具体的にどんなものだったかは分かりません。(→「太鼓」)

05trmp 他に、トランペットと呼ばれている、ツィンク状の管楽器も図版に見出すことが出来ます(図版37)。また、シュメル人の記したものの中に、ホルンが公的広告のために使われたとあるとのことです。トランペットはメソポタミアでは前2600年には使われていたことが証明されていて、これはエジプトのどの例よりも古く、トランペットの発祥はメソポタミアに求められるべきだ、とのことです(同上図版解説)。第3ウル王朝の経済文書に、「(金や銀の)長い管」を表わすgi-gídという名称があり、これが裏付けとなる、と主張されています。


【絃楽器】

リラのみが『集成』のテキストに登場しました。

「リラ」
03lyra リラはウル王墓から9台分の残存部(『人間と音楽』による。古代オリエント博物館編『シルクロードの響き』では8台とされていました)が発見された上に、内5台が復元に成功していますし、シュメル人の残した奏楽の図版にも大量に登場します。
「リラはシュメールの国民楽器といえ、すでに前4000年紀末に描かれている。・・・弦の数は図像では4、5、7弦で、また出土品には8弦11弦のものもある。」(『図解音楽事典』p.161)
前1000年紀の楔形文字資料に見える、9本弦の楽器の弦(sa)の名前が、ひとつは7弦のみにとどまり、ひとつは5弦まで数えたところで「後ろから○番目」となるところから、専門家によって
メソポタミアの音楽が少なくとも前1000年紀以来7音の音組織に基づいており、第8弦は第1弦に対してオクターヴ音を形成しているという解釈」がなされているとのことです(『人間と音楽』p.20~p.21)。ウル王墓出土のリラの弦の数はこれに符合するように感じます。7音の音組織だったことについての資料には、もっと古く前2000年紀末のものもあるとのことです(同上)。
リラについてはいくつか細かい情報があります。
ウル王墓出土のものはすべて、縦1メートル程度・横1メートル程度、と大型です。中でも<黄金のリラ>は、楽器上部の横木の幅が1.4m、高さが1.2mあります。楽器下部の共鳴胴は横幅65㎝・高さ33㎝・奥行8㎝です。大型のリラは座って演奏したもののようです(『人間と音楽』図版8)。
有名な「ウルのスタンダード」で描かれているものは手で持っていますが、持っている人物の背丈の半分くらいと、決して小型とは言えません。この「ウルのスタンダード」のリラの絵には、楽器下部の響版前部に小さな三角が描かれており、これは響版で音をより響かせるために開けた孔ではないか、と推測されています(『人間と音楽』p.30~p.32)。
リラは、楽器上部の横木には、調律のためと思われるレバーがあります。楽器前部に、雄牛・雌牛・仔牛・鹿など動物の顔の像が付けられていますが、この動物の違いがそれぞれの楽器の音域を特徴付けていて、シュメル人が高度な和声法を持っていたのではないか、との推測もあるそうですが、証明するものはありません(『人間と音楽』図版45の解説)。最古の音楽の楽譜として発見され、1972年に解読されたという粘土板について、その音を再現したというものがあって、3度、4度、もしくは6度をとる2声部になっていることでよく知られていますが、とりあえず私は読めませんので、何とも言えません。 http://commonpost.info/?p=97555

絃楽器としては、リラの他にハープ、リュートの類いもあったとのことです。

04arpa 『人間と音楽』掲載の<プー・アビーのハープ>(ウル王墓出土、図版9)は11弦です。ウル第1王朝期のテラコッタに描かれた、ロバの楽隊が持っているハープは、7弦の楽器であると分析されています(図版30)。図版に横型(弓形)のハープもありますが、これはシュメルのものとは異なり古バビロニア(前2000年前後)のもので、しかもインダス文明との交流を証するものだそうです(図版75)。ついでながら、テラコッタに描かれている古バビロニアのハープの弦数は7弦に見えます。ハープの、シュメルでの呼び名は balag (バラグ)だったようです(p.12)。

テラコッタに見える像からは、リュートについては、古い時代のものについては、おおまかな形と演奏の仕方以外は何も分かりません。前14世紀とされているテラコッタの浮き彫りのもの(図版105)では4弦くらいに見えます。
サギッダ・サガルラの語が『集成』では絃楽器と関連づけられていましたが、ポテロ『最古の宗教』や岡田明子・小林登志子『シュメル神話の世界』(中公新書1977)の中では歌唱の様式を指すと捉えられています。サギッダとサガルラは絃楽器の伴奏を伴う歌唱様式だったのかとも思われます。これは、原語を知らない私には、推測以上のことは出来ません。


【打楽器】
『集成』には太鼓・タンバリン・ティンパニーが登場しましたが、ティンパニーと訳されたものに当たると思われる楽器のことから始めます。

「ティンパニー」
06drums 古代にティンパニはさすがになかっただろう、と思っていたら、『図解音楽事典』の古代メソポタミア関係のイラスト(おそらくテラコッタからの模写)に「ティンパニ」と称しているものがあったのでした(p.160)。金属製の鍋型ティンパニ、と、ひとこと説明されています。しかし調律が出来たものとは思えません。解説にも調律が出来たとは書いていません。
イラストで、この楽器を叩いている人物は禿頭に見えますので、現物のテラコッタは古い時代に属するものではないかと思われます。模写の元となったものの写真は、こちらに掲載しておきます。

「タンバリン」
『図解音楽事典』では、小さな枠太鼓をこう呼んでいます。現代の私たちがタンバリンと言っているような、回りに小さなシンバルがついていたものではないようです。
他に詳しい記述は見出せませんでした。
旧約聖書で、「出エジプト記」などにタンバリンと訳されている楽器が登場しますが、メソポタミアとの関係を含め、旧約聖書の中の音楽をみる際にでもまた振り返ろうかと思っております。

「太鼓」
『図解音楽事典』のひとこと解説には、メソポタミアの打楽器の中に、
「腹の上に〈直立〉に持ったり、または両面太鼓として〈水平〉に持って両面を両手で叩く小さな円筒太鼓」
「2人の奏者で演奏する両皮の大きな枠太鼓(直径約1.50~1.80m)」
が登場します。前者のイラストはありません。
岡田明子・小林登志子『シュメル神話の世界』(中公新書1977)に紹介されている神話には、次のような太鼓の名称と用途が現われます。
・哀歌用のシェム太鼓(から覆いをはずさせよう。)(p.94『エンキ神の定めた世界秩序』)
・聖歌用のティギ太鼓(を家にしまわせよう。)(同上 →「笛」)
シェム太鼓アラ太鼓(p.118 『イアンナ女神とエンキ神』)
めでたい場面にも登場することから、シェム太鼓の用途は、哀歌用とは限らなかったことが分かります。しかしたとえば、初回の引用文の(03)に登場したのは、もしかしたらシェム太鼓だったのではないかな、と想像してみています。
残念ながら、具体的に、テラコッタの浮き彫りの中に姿の描かれたどの太鼓と、それぞれの名称の太鼓が一致するのかは、知る手がかりはありませんでした。
『人間と音楽』の図版に見る太鼓は、手持ちのものから地面に据える大型のものまで、じつに様々です。

『シュメル神話の世界』には、次の記述もあります。
「シェムもアラも打楽器の一種で、祭礼で盛大に打ち鳴らされ、ティギは礼拝奏楽に用いられることが多い。」

打楽器等としては、他に拍子木(日本の今のそれとは違って屈曲しています)やシストラム類の図版が見られました。シンバルは、全9世紀まで時代が下ったものの図版でした。シュメル王朝時代の存否は私には確認できませんでした。


以上、『集成』の訳文などのテキストから知ることの出来るシュメル王朝期の楽器は多様であるにもかかわらず、テキストに対して遺物から具体像がなんとか描ける楽器は、
(07) フルート〜竪型のもの
(13) ・(28) リラ
(17)・(25) ティンパニー〜現代のティンパニとは異なりますが
くらいでした。
時代の遠さを実感します。

この次は、音楽・・・歌に限られてしまうでしょうけれど・・・の形式や演奏スタイルが、どれだけ訳文から窺えるか、を探ってみようと思います。音楽を演奏した人々の社会的なありかたにまで視野が届けば、そこまでを見てみたいと思いますが、回を分ける必要があるかもしれません。


*1:小林登志子『シュメル』と比較するとウル王朝滅亡からバビロン第1王朝滅亡あたりまでは60年程度遅い時期となっている。カッシート王朝滅亡以降は一致
*2:ウルク時代末期~紀元前3100年頃
*3:「限定文字ギ gi(管)は気鳴楽器のために使われた・・・」(『人間と音楽の・・・』p.12)

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2017年3月 3日 (金)

【音楽史読書】1.シュメルの神話のなかの音楽(2)

まずは、この前引いたシュメルの神話の中の、音楽に言い及んだ文を眺めて、そこから見えてくるもの・こないものを、簡単にまとめてみます。(文そのものは前回をご覧下さい。)

シュメルの人たちの頃から1000年あとを扱ったものになりますが、小板橋又久『古代オリエントの音楽 ウガリトの音楽文化に関する一考察』(以下、『考察』)では、分析に際して、章立てを「音楽家」・「歌唱形態」・「楽器」・「記譜法」・「歌のジャンル」・「音楽の宗教的機能」としています。
先に『集成』から拾い出した文では、材料も限られますけれども、『考察』が章立てしたようなことを、シュメルについてもある程度まとめることは出来ます。ただし、歌う人や楽器を奏した人については、「音楽家」とは言わず【演者・奏者】とし、「音楽の宗教的機能」を【奏楽の場】と捉えて、ひとまとめにします。「歌唱形態」と「記譜法」と「歌のジャンル」は、ひとまとめにして【演奏スタイル】とします。
注釈から拾った分は含めません。それらは具体的なことに立ち入るヒントになるものでもあり、今回のまとめを元にしながら、あとで考えることとします。


引用文からのまとめは、各括りでは、登場順に、以下のようになります。


【演者・奏者と奏楽の場】
・楽手[宗教儀式等の際の聖歌隊] (01)
・彼女(女神イナンナ)の使者は・玉座の間で (03) 〜女性の神官にあたるか?(ジャン・ポテロ『最古の宗教』りぶらりあ選書 を参照)—>(02)・(05)
・ガラトゥル[祭儀で聖歌を歌う人] (04)
・歌を唄う人、私のシャラ (06)
・牧人[イナンナの夫の牧神ドゥムジ]に・彼女(女神イナンナ)の前で (07)
・主 (12)
・人々 (17)
・(シュルギ王)(26)
・歌い手 (29)・(30)・(31)・(32)
・ガラ神官[儀式で聖歌を歌う神官] (32)
・フルート奏者 (32)


【楽器】
・太鼓 (02)・(03)・(16)・(17)・(25)
・ティギ太鼓 (26)
・フルート (07)
・笛 (07)
・リラ (13) ・(28)
 〜 『(シュメールの)国土のドラゴン』(あるリラの固有名詞)=大きな音を立てる有名な(楽器)=<彼とともに熟考する>[神託を与える]もの
・タンバリン (17)・(25)
・ティンパニー (17)・(25)
・サギッダ[「長い絃楽器?」] (21) 〜ただし、歌唱の様式のようなものではないか、との推測をしている記述もある(ポテロ『最古の宗教』)。
・サガルラ[絃楽器の一つ。ここでそれが演奏されたのであろう。 (23) 〜~ただし、歌唱の様式のようなものではないか、との推測をしている記述もある(ポテロ『最古の宗教』)。


【演奏スタイル】
・(葬送)曲 (01)
・讃歌 (08)
・物語を交互に歌い合う (09)
・返し歌 (10 )〜〔その〕サギッダに対する返し歌 (22)
・哀歌 (11) ・(12)
・悲歌 (14)・(15) 〜まるで浄らかな太鼓でもあるかのように、彼女は自分の胸を打ちたたき、「ああ、私の町よ!」と叫ぶ。(16)
・(楽し気な)歌 (18)
・嘆きの歌 (18) ・(19)
・ティンパニー歌 (19)・(20)
・ウルビ[サガルラを受けて内容をまとめて強調する意?] (24)〜[神々の讃歌に多い類]
・<小さな>唄 (27)
・彼の<顫音(せんおん)> (29)〜「顫音」は、トレモロもしくはトリルの意味。


各項目について、これだけで気がつくことをコメントしておきましょう。

『集成』は宗教に関わる讃歌等のみ載せているため、【演者・奏者】には神官もしくは祭儀の関係者が目立ちますし、【奏楽の場】も、唯一具体的に記されていた「玉座の間」の玉座とは女神のものですので、祭祀の場です。


【楽器】では、フルート、タンバリン、ティンパニーの訳語が当てられているものは、実際には近代その名で呼ばれるそれぞれの楽器とは機能の異なるものだったのではないかと思います。
フルートは「笛」と称しているものが縦笛なので、横笛を区別するためにあてた訳語なのではないかと推測しています。→ハズレでした(縦笛のようです)。
タンバリンは、なにかしら類似の枠太鼓だったのではないでしょうか。現在その名で呼ばれるものには枠に鈴がありますが、シュメルの枠太鼓が鈴付きだったものかどうか、分かりません。
ティンパニーは、太鼓がある程度小型のものを指しているのであれば、やはりそれとの対比で大型のものを指しているのではないかと推測しています。古代オリエント博物館編『シルクロードの響き』(山川出版社 2002年)には、「膜鳴楽器には小型の枠太鼓や大型の両面太鼓があった」と述べられています(p.7)が、この後者ではないかと思っています(シュメル語との対比が出来ない以上、確かではありません)。→これも違うようです。楽器のまとめをご覧下さいまし。
これらについては、照合できる図像を探してみたいと思います。→探してみました。
『集成』の注で絃楽器とされているサギッダ・サガルラは、楽器のことではなく歌唱の様式をさすものかもしれず、実態が分かりません。リュートの祖型を奏でる人物像は出土例がありますので、あるいはそうしたものを弾きながら歌う、等のことを指しているものでしょうか。
なお、DSRミュージックのサイトに次の記述があります。(http://dsr.nii.ac.jp/music/02persian.html
「前3千年紀の初期王朝時代のウルの王墓(前2600)から楽器の実物が発掘された。二張の弓形ハープ、八台の牛頭の飾りをもつリラ、八本の銀製の管の断片(その中には明らかに指孔をうがったものもある)、そして一台の舟底形共鳴胴をもつリラと青銅のシンバルの残欠などである。ハープとリラの一部は復元されてロンドンの大英博物館(「王妃のハープ」「王妃のリラ」と名づけられている)や、フィラデルフィアのペンシルヴァニア大学博物館、そしてバグダードのイラク博物館に展示されている。きらびやかな装飾がほどこされた見事な楽器であり、奏楽がいかに重要な役割を担っていたか想像される。楽器は単に奏楽のみならず、祭祀のための法器でもあった。王墓からは何十人もの殉死者の遺骨が発見され、その中の数人は息絶えるまで楽器を奏でつづけていた。」


【演奏スタイル】のなかで、ジャンルを指すものではない「交互に歌い合う」(09)は、後日、注部分から引いたものを考え合わせ、テキスト(訳文ではありますが)から少し具体的に見たいと考えています。読み取れる何かがあればいいなと思います。
悲歌を歌う「自分の胸を打ちたた」く姿(16)、「顫音(せんおん)」(29)が、当時の歌い方・演じ方を僅かに垣間見せてくれる点、面白いと感じています。


このあと、楽器と演奏スタイルを中心に、具体像を少し見ておくところまでやっておきたいと思います。

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2017年2月27日 (月)

【音楽史読書】1.シュメルの神話のなかの音楽(1)

ブログでリハビリに夢中になっていた頃、世界音楽史のようなものが知りたいと毎日調べては懸命に綴っていたこともありました。ずいぶん慌ただしかったので、満足な中身ではありませんでした。

それで、仕切り直しをしたいと思っています。
出来れば概説書ではない資料・史料を、月1冊程度読みながら考えて行くことにします。
時代の古いものから順に、なるべく洋の東西を問わず目を通していきますが、読めるものの制限から、偏りはできるかもしれません。

なぜ音楽史なのか、の能書きは、いずれあらためてとします・・・もしそんなものがあれば!


文字で歴史を記した人たちをベースに、人間は音楽をどう捉えてきたか、を、素朴な目線で読み取って行きたいと思います。音楽の起源までにはとうてい遡れないのですけれど、読み取っているうちに、いままで漠然と感じたり思い込んだりしていたことに、少しは、はっきりした答えや展望も産まれてくるのではないか、と期待しつつ、進めて行きます。

手始めは、紀元前2000年前後に文明を拓いたシュメル、ということになろうかと思います。

使った言葉が分かっている世界最古の民族、シュメル(※)の人々が粘土板に記していた神話に、音楽に関わる文が豊富にあります。杉勇・尾崎亨訳『シュメール神話集成』(2015年 ちくま学芸文庫)に頼り、それを見ることによって、人間の文明が音楽をいかに産み出したのかを推測できればと思います。

起源が未だに不明なシュメル人は、ペルシャ湾河口から北西に広がる肥沃な三日月地帯で灌漑農業を大きく発展させ、紀元前3000年紀には王朝を拓き、「神殿共同体から都市国家に至る政治形態、法典に基づく司法と行政、楔形文字、宗教生活の形態」(小川英雄『古代オリエントの歴史』29頁)など、メソポタミア文化のほとんどを創造しました。シュメル人の王朝は前2004年(前2006年?)にすべての都市を破壊されて終焉を迎えましたが、後続の国々が、その崇めた神々を同化吸収し、文字を独自に引き継ぎ、言葉を聖なるものとして秘伝的に継承したのでした。
『シュメール神話集成』(以下、『集成』)の解説によると、シュメル語で書かれた膨大な粘土板文書の95%以上は経済行政文書で、残りが王碑文、語彙集、文学テキストなのですが、それでも文学テキストは一万点近く出土しているとのことです。『集成』は、そうしたテキストから碩学の故・杉勇さんが1978年に全集本のなかで刊行した翻訳を尾崎さんが若干訂正して文庫化したものです。

原語に初歩的な知識すら持ち合わせませんので、この『集成』の日本語訳が頼りです。

『集成』の訳文から、音楽に関わると見られるものを拾い集めます。
長くなるので、今回はまず収集までにし、そこから垣間みられるシュメル人の音楽については次回(一週間後かな?)まとめたいと思います。

抜き出した文は、以下の約束事にしたがって記します。
分かりやすさ等、参考のために注や解説を参照して補ったことは[]内に示します。
()は原訳文にあるものです。
<>は原文難読部分の原訳文における翻訳です。
〔 〕は原文に欠損のある箇所です。欠損部分に音楽に関わる語のみがある場合は拾い出しません。(「ウルの滅亡哀歌」102行〔哀歌〕のみ。)
「○行」は、その物語等の訳文の何行目にあるかを示します。原文の行番号に忠実なものだと思われます。同じ表現が複数現れるときは、最初に現れる行の文のみを拾い、他は行のみを記します。

引用誤りや、拾い漏れもあるかと思います。ご興味のある方は、ぜひ『集成』そのものをお手にとってみて下さいね。


「人間の創造」
①~解説[この物語が書かれている粘土板文書の左欄(中略)この欄には、’aa-a-a-a-a’とか’ku-ku-ku-ku’、’maś-maś-maś’などと楔形文字で書かれている。これが何を意味するのか、まだ不明であるけれども、おそらくは音符あるいは時には歌い方の指示であろう。](p.246)

「農牧のはじまり」~とくになし。

「洪水伝説」~とくになし。

「エンキとニンフルサグ」
(01) 楽手[宗教儀式等の際の聖歌隊]が(葬送)曲を演じることもない 29行

「イナンナの冥界下り」
(02) 玉座の間で太鼓を私のためにたたきなさい。 35行 [嘆きの行為? 神々の招集のため?]
(03) 三日三晩が過ぎ去ってから/彼女の使者ニンシュブルは/[2行略]/(丘の上で)彼女のために嘆き/玉座の間で太鼓を打ちならした。 169〜174行
(04) 彼[エンキ神]は彼の爪から垢を取り出してクルガルラ[泣き女?]を作り/彼の赤く(そめ)られた爪から垢を取り出してガラトゥル[祭儀で聖歌を歌う人]を作り出した。 219〜220行
(05) [ニンシュブルは]太鼓を玉座の間で私のために打ちならしてくれたし 303行
(06) 歌を唄う人、私のシャラは 319行
(07) 彼ら[冥界の手先のガルラ霊たち]は牧人[イナンナの夫の牧神ドゥムジ]に彼女の前でフルートや笛を吹かせない 337行
(08) 浄らかなエレキシュガル[冥界の女王神]よ/あなたの讃歌(を歌うこと)はすばらしい 断片B 14〜15行

「ギルガメシュとアッガ」〜とくになし。

「ドゥムジとエンキムドゥ」
(09)      この物語は交互に歌い合うものである。 144行
②~解説[この物語の冒頭および末尾にある bal(-bal)-e(-dam) という術語によって、この物語は、登場人物に扮する人々が交互に歌い詠む、ないしは演じたものであると思われる](p.272)

「ウルの滅亡哀歌」
(10) それへの返し歌である。 39行、136行、172行、207行、253行、330行、387行、399行、417行
(11) ああ、町よ、お前を嘆く哀歌が激しい。 40行 
 以下62行まで毎行、及び75行に「哀歌が激しい」
(12) お前を嘆く激しい哀歌を、涙する主は、いったいいつまで続けるのだろうか。 63行
 以下、64行、71行、72行に「お前を嘆く激しい哀歌を・・・いったいいつまで続けるのだろうか」
(13) その婦人は、彼女の〔 〕、涙のリラを大地に立ててから 86行
(14) みずからうたう、破滅した家のための悲歌を静々と 87行
(15) 『嵐が私を訪れて----悲歌が私を満たした。 88行、91行
(16) まるで浄らかな太鼓でもあるかのように、彼女は自分の胸を打ちたたき、「ああ、私の町よ!」と叫ぶ。 300行
(17) あなたの祭りの(おこなわれる)家、アウでは人々はもはや全然祭りを祝わなくなった。/心を楽しませる(楽)器の太鼓やタンバリン、ティンパニーを人々はもはやあなたのために奏しなくなった。 355〜356行
(18) あなたの(楽し気な)歌はあなたにとって嘆きの歌になってしまった。いつまで〔 〕。 359行
(19) あなたのティンパニー歌は、あなたにとって嘆きの歌になってしまった。いつまで〔 〕。 360行
③~解説[この哀歌は全体が十一幕に分けられている。今「幕」と訳してみたが、実はシュメール語ではキルグといって、たぶんこれは各章を歌い終わったあとで、それに対して答唱するグループに向けて、または何か、誰かに向けて軽く礼をすることをさしているのだろう。] p.278

「イナンナ女神の歌」
(20)      サガルラ。イナンナ女神の、ティンパニー歌である。 54行
④ 〜解説[この歌は sa-gid-da と sa-gar-ra との二つの部分に分れている。これらは a-da-ab 歌と呼ばれるものに多く現われるものであるが、はっきりその内容は理解されていない。] p.283→「ババ女神讃歌」参照
 *私注:この文以降に様式(ことばの繰り返しかたのパターン)の説明がある。

「ババ女神讃歌」
(21)      サギッダ[「長い絃楽器?」 ここでこれが演じられたものであろう。] 31行〜[私注:器楽独奏?]
(22) 〔その〕サギッダに対する返し歌 33行
(23)      サガルラ[絃楽器の一つ。ここでそれが演奏されたのであろう。「イナンナ女神の歌」にも現われる。] p.228
(24)      ウルビ[サガルラを受けて内容をまとめて強調する意?]。ババの〔アダ〕ブ歌[神々の讃歌に多い類]。 65行

「シュルギ王讃歌」
(25) そこで牛を屠り、多数の羊を<殺した>。
 (そして)太鼓とティンパニーを打ち鳴らさせ 52〜53行
(26) (シュルギ王は)ティギ楽器を楽しく演奏させた。 54行(26) 私の楽手たちはティンパニーとタンバリンを私のために奏した。 81行
(27) <小さな>唄の中で(私の名を)歌って  94行

「グデアの神殿讃歌」
(28) 『(シュメールの)国土のドラゴン』(と呼ばれている)彼愛好のリラを持って----(それは)大きな音を立てる有名な(楽器)であって、<彼とともに熟考する>[神託を与える]ものですが---  Ⅵ24行、Ⅶ24行

「ダム挽歌」〜とくになし。

「悪霊に対する呪文」~とくになし。

「ナンナル神に対する『手をあげる』祈祷文」~とくになし。

「シュメールの格言と諺」
(29) 歌い手がたった一つしか歌を知らなくても、
 彼の<顫音(せんおん)>がすばらしければ、彼はまさに歌い手だ。  p.191
(30) 歌い手の<声>がよければ、彼はまさに歌い手だ。  p.191
(31) <声>のよくない歌い手----彼は並みの歌い手だ。  p.191
(32) 面目を失った歌い手は笛吹きになる。
 面目を失ったガラ神官[儀式で聖歌を歌う神官」はフルート奏者になる。  p.192
 *私注:フルート奏者の方がお気を悪くなさいませんように!
     古代人の言ったことですし、フルートと言われているものも
     たぶん現代的なフルートではありません。


※ シュメルがシュメールと長音になっていることが多いのは、「第二次世界大戦中に(中略)天皇のことを『すめらみこと』というが、それは『シュメルのみこと』であるといった俗説が横行した。そこで、中原与茂九郎先生(京都大学名誉教授)が混同されないように音引きを入れて、『シュメール』と表記された」からだそうです。(小林登志子『シュメル 人類最古の文明』はじめに・・・中公新書1818)

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