自筆譜を読む

2014年2月20日 (木)

長い前置き【楽譜の問題】モーツァルト「ハフナー交響曲」(0)

0:前置き1:入手しやすいスコア2:新旧印刷譜の相違箇所3:20世紀の演奏から4:校訂者泣かせの自筆譜5:ブライトコップフ新版前書き(上)6:ブライトコップフ新版前書き(下)7:旧校訂系の楽譜成立への小さな推測  


まだ「ハフナー」交響曲の楽譜そのものの話は出てきません。
見て行くにあたって、どう進めたらいいか、考えておきたいと思います。

ふつうの書籍ですと、古典は
・いま印刷されているこの本の直接の先祖はいつの本か
・その先祖の本はオリジナルとどんな親子・兄弟関係にあるか
・そもそもオリジナルはどんなだったか
みたいなことを解説してあるのが現在では普通のことになっていますよね。

でも、古典の楽譜は、いまでもそんなことまで解説したものはほとんどありませんね。

そもそも楽譜は「演奏されてナンボ」の価値が出るものですしね。

オリジナル、に即して言うならば、演奏者の使っている楽譜がオリジナルにどれだけ近いか・遠いか、については、いまだに、聴くだけの人にとってはそんなに興味があることでもありません。趣味で演奏する人にも関心を持たれないことのほうが多いのではないかと思います。
また、「オリジナル楽譜を使っています」と謳われる演奏が、さて、「オリジナルに忠実に」演奏しているかどうかは、厳しめのお客さんにとっても結局は分からなかったりします。
解釈の問題があるので、優れた演奏でも細部が違って聞こえることは当り前にあります。・・・ただしこれは言語の場合でも、古語を現代語に訳すとき、訳者のとらえかたでいろいろ違ってきますから、音楽固有の問題とは必ずしも言えません。
あるいはしかし、演奏家の能力都合で(たとえばスラーのかかる範囲や、スタカートがついているかどうかなどについて)勝手に変えられていることも、なきにしもあらずです・・・が、愛好家としては、まさかそんなことはないだろう、と、なんとか信頼したい気持ちです。
さらに、楽譜とはまた別に使用楽器やピッチの問題も係わってきます。

こんな複雑で面倒なことを抱えながら、最近の演奏家さんは、なんで、使う楽譜や楽器やピッチにこだわるのか。

それは、最近の演奏家さんが、実にきちんと、音楽家としての大先輩たちの作品に敬意を払うようになったからではないか、と私は感じております。もともと、旧世代の感覚の中で音楽好きになった一素人の私には、縁のない発想でもありましたので、そんなかたたちがとても頼もしく見えます。

音楽に敬意を払う、という点では、19世紀20世紀の演奏家さんたちだっておんなじではあったのですけれど、以前は、悪く言ってしまえば、演奏するかた自身の中に勝手に湧き上がってくる響きや流れのほうが、作品が本来成り立ったときの響きや流れよりもずっと大事にされていた気がします。それがまた時代の嗜好に合ってもいたのでしょう。けれどもおかげで、オーケストラ曲ならば好きなように楽器を付け足したり音を加えたり、は、当り前に行なわれていたのでした。(細かくは単純に「好きなように」とは言えないことも少なくない【メンデルスゾーンによる『マタイ受難曲』蘇演の際の諸改編など http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/matt2.htm 音の例:http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/js-caba.html】かと思いますが、そうした話は省きます。)

そうではなくて、元を正そうじゃないか、とお考えになる方がようやく多くなった、というのが、私の最近の印象です。そして、そのことに非常に頭の下がる思いがしております。

さて、しかし、何が「オリジナル」なのか、とは、思ったよりも難しい話です。

作曲した人が自分で書いた楽譜が残っているとしましょう。
それが「オリジナル」なのか、となると、そうも言い切れません。
ベートーヴェンの第九交響曲あたりを例にとりますと、これは手書き譜が(終楽章は1頁欠落があるものの)残っていますけれど、最初に印刷されたほうの楽譜と(最初の印刷譜を目にしていないので確かめられていませんが、ベーレンライター版スコアの緒言を読みますと http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-1941.html)食い違っているところもあるそうです。食い違いは、手書き譜のあと校正の段階でベートーヴェンが「やっぱりこうしよう」と指示した可能性もありますし、実際そうだったことは、先の緒言でうかがえます。すると、ベートーヴェンが指示を加えたあとの最初の印刷譜が手書き譜に優先して「オリジナル」だということになります。
ところが、今度は印刷譜のほうに明らかにその元原稿である手書き譜を読み間違えたゆえの誤りがあったら、それをどう捉えたらいいのでしょうか。
これは、印刷を誤った部分については手書き譜に準じて最初の印刷譜を訂正したものが「オリジナル」と考えるのが自然なようにも思えます。
しかし、手書き譜自身が「こうも読める/ああも読める」みたいな曖昧さを持ってしまっていたら、万事休すです。

楽譜が印刷されるようになる前の時代でも、似たような、あるいは異なった問題はいろいろあって、オリジナルとはなにか、は意外と「こうだ」と決められないことが多い、という点には、よくよく気を付けなければなりません。

で、この次自分たちのアマチュアオーケストラで演奏することになったモーツァルトの「ハフナー交響曲」を材料に、楽譜の持つ<あんなこんな>を、これから見て行くことにしたいと思います。

とはいいながら、現状まだ自筆譜ファクシミリ未入手(入手見込)等、材料を揃えている途次で始めてしまいましたので、途中で二転三転の七転八倒をしましたら、どうぞご寛恕願います。

間で違うことに走ってしまうこともありますので、見出し後にリンクを付けて参ります。

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2013年8月10日 (土)

ヴァイオリン協奏曲でのベートーヴェンの思考過程【自筆譜を読む(3-3)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 


さて、児島新氏により、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲自筆稿は
・1806年12月にオリジナルの薄茶部分が大急ぎで書かれ
・1807年4月にクレメンティとの契約が成立してピアノ協奏曲への編曲が企図されて
・それにより鉛筆によるピアノ左手用のスケッチが書き加えられ
・それと同時か後に、濃い黒のインクで独奏部のヴァリアントが書き入れられた
というプロセスを経ていることが明らかになったのでした(3−2)

129131
以上はベートーヴェンが書簡などに用いているインクの使用歴が主な裏付けとなっていたのでした。

書き入れられた音符からベートーヴェンの思考過程を知ることは出来ないでしょうか?

試みに、独奏呈示部を追いかけてみました。
すると、表のような結果となります。

Beetoven_violinconcerto1

独奏が参加する呈示部の小節数は、合奏だけになる部分を除いて81です。
そのうちの約8割にあたる67小節が、鉛筆ないし濃い黒インクでの補筆や改訂案の対象になりました。

この範囲での鉛筆スケッチ書き入れは48小節にわたります。
内容を見ますと、そのほぼ半分が、現行出版されているピアノ協奏曲編曲版に於いて、独奏ピアノの左手として採用されています。一方で、鉛筆スケッチがピアノ独奏右手(旋律部)ないしヴァイオリン独奏部として考えられている形跡は、極めてわずかしかありません(※1)。
したがって、鉛筆スケッチは、もっぱら「ピアノ協奏曲編曲版での独奏左手」のために書かれた・・・そのうちにもしかしたら独奏旋律部の書き換えの必要を感じ始めたのかも知れない・・・と捉えてよさそうです。

濃い黒インクによるヴァリアントは、対象範囲の中では33小節ほど書き入れられています(※2)。
この部分、ピアノ協奏曲編曲版では2割しか採用されませんでした。
ヴァイオリン協奏曲の独奏部には4割弱の採用となっています。
遺憾ながら作業のゆとりがないので数えていないのですけれど、事前に各独奏部への採用不採用を付箋を貼りながら検討した限りでは、この傾向は展開部・再現部でもあまり変わらないと思っています(※3)。

以上の数字は、この協奏曲におけるベートーヴェンの思考過程について児島氏がダイジェスト記述している結論を楽譜の上から補強するものになっているものと思います。
すなわち、児島氏の結論はこうでした。

「・・・ベートーヴェンは、ピアノ編曲用の左手スケッチを記入していくうち、しだいにスコア・ヴァージョン【注:自筆譜スコアの薄茶のオリジナル部分をさす】に不満を抱き始めたらしいのである。そこで編曲の途中で、今度は黒インクでスコア・ヴァージョンの改訂を始めた。」(下略、『ベートーヴェン研究』155頁)

ファクシミリには崇拝する故人の身近な記念物として恭しく本棚に飾って注連縄をめぐらしておくのも良いかもしれませんが、自筆譜そのものを親しく見られないとき、印刷がすぐれていれば、ファクシミリは活字化されたものからは窺いようのない作者のアイディアや苦悶を知る優れた教材になります。
実演による表現は結局は演者の情感や技術の制約を経るしかないのかも知れません。
あるいは、鑑賞という行為もまた、受け手が自らしたことのある極めて制約された経験を鑑としてしか対象を捕捉し得ないのかもしれません。
しかしながら、作者が本来どのように考えをめぐらしたかについて、その肉筆をなるべく詳しく追体験することは、私たちが人間として大切にして行くべき無形の「精神の結晶」を勝手気ままにせず、「伝言ゲーム」による歪曲を・・・これは残念ながら避けられないのでしょうけれど・・・最小限にとどめる上で、きわめて大切なことなのではないかと思っております。

児島氏が本協奏曲について得た結論の、入口にあたるものを、最後にご紹介しておきます。

「(最初に書かれた薄茶インク)のヴァージョンは、先に引用した研究者たち(※4)によれば、ヴァイオリン的効果、技巧や発想を全く欠いた非ヴァイオリン的ヴァージョンなのである。研究者たちの説はいずれも、ヴァリアンテ【注:濃い黒インクの書き入れ】は初演以前に記入されたという前提の上に立てられていたが、この前提が誤っていたことがわかった以上、彼らのクレーメント協力説は全く根拠のない憶測にすぎなかったと言える。彼らはベートーヴェンの作曲家としての実力を著しく過小評価していたことになる。」(同書 154頁)

このように、ベートーヴェンの能力の高さを明確にする優れた見解が、日本人研究者によってとっくに出ているにも関わらず、ベートーヴェンの真価がどこにあるかを省みる材料も提供出来ない旧態然としたエッセイの羅列本ばかりが、お書きになった大評論家さんのご満悦口調を唯一の付加価値として結構なお値段で出ていたりします。他に読めるベートーヴェンの本もあまりない現状、仕方なく売れてもいる、という日本のていたらくには、なんだかがっかりしてしまうのであります。

ファクシミリは決して安値ではありません。なんとか信頼出来る質のものになると、目ん玉が飛び出るような価格でもあります。
ですから、せめてお好きなささやかな曲のひとつでもいい、あるいは今ずいぶん便利になりましたのでネットでの閲覧でもいい、心ある鑑賞者のかたには、まず1冊1編をじっくり眺めて頂けるように、切に祈っている次第です。(冊子として手にとる方がより詳しく観察出来ますが。)


※1:ピアノ独奏のためには1小節だけ書かれ、ヴァイオリン独奏のためには2小節書かれただけです。

 ※2:半小節だけの書き入れをどう捉えるか、でカウントが変わりますので、少々迷いましたが、いまこの小節数として把握をしています。

※3:現行の印刷音符が正しく決定稿だったとすると、独奏呈示部では、濃い黒インクでのヴァリアント書き入れを行ったあと、やはり元の薄茶にとどまった割合は、ヴァイオリン協奏曲としては78%であるのに対し、ピアノ協奏曲版では68%で、ヴァリアント採用の割合をそのまま反映しています。

※4:オットー・ヤーンは、濃い黒インクのヴァリアントを、ヴァイオリン協奏曲の初演者クレーメントが行った提案を元にベートーヴェンが初演の前に書き直したものだ、と主張していました。ノッテボームはヤーン説を受けて、ベートーヴェンは初演時にあまりにクレーメントに譲歩し過ぎたので出版に際し元の薄茶インク部分をいくらか加味し、演奏しやすくしたのだと考えました。

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2013年8月 4日 (日)

ベートーヴェン自筆譜の日本人研究者【自筆譜を読む(3-2)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 


児島新(Shin Augustinus Kojima)氏は国際的にはクリスチャンネームが間に入って知られているようですが、日本生まれの日本育ちです。1954年に留学生としてドイツに渡り、1968年からボンのベートーヴェン研究所に入所ました。1979年から武蔵野音楽大学の教授となりましたが、肝臓を病んで1983年に53歳で生涯を閉じました。春秋社が児島氏の校訂でベートーヴェンのピアノソナタ全集の刊行を予定している矢先の死去でした。この死により、春秋社が児島氏にもちかけていた全20巻の「ベートーヴェン叢書」企画も頓挫の憂き目を見た由、『ベートーヴェン研究』(平野昭 編、1985 春秋社)に寄せた平野さんのあとがきに述べられています。
同じあとがきによると、児島氏はヘンレ社のベートーヴェン新全集(ペータース版は旧東ドイツでの企画)にむけて、帰国後も交響曲第6番・第7番・第8番などを手掛けていらしたようです。
ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」の児島氏による校訂スコアは今は入手することが出来ません。ヘンレ社も別の人の校訂での出版となっています。
が、とくにこの作品の校訂については、過去から累積していた様々な誤りを打ち消した児島氏の功績は、忘れられてはならないものだと思います。ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」自筆譜のカラー版ファクシミリは1979年にグラーツで出版されましたが、その別冊解説書(ドイツ語)には、児島氏がこの作品と双子のピアノ協奏曲編曲版について突き止めた事実の記述が登場します(p.42)。

作曲家の自筆譜や、そのファクシミリの意義、扱う上での問題点をいちはやく日本語で伝えてくれたのは児島氏で、生きていればこの点を含め<楽譜や付帯情報をどう見るべきか>の啓蒙で脚光を浴びる存在になっていたかもしれません。
いったん脇道になってしまいますが、そのご紹介をかいつまんでしておきたいと思います。


「ベートーヴェン自筆稿のファクシミリとその意義」1981・・・平野編『ベートーヴェン研究』所載

・(第二次世界大戦)戦前に出版されたファクシミリは数も少なく・・・もっとも有名な作品に限られていた。(略)これらのファクシミリは主として愛好家が記念のために手元に置いておきたいという願望に応じて観賞用に出版されたのであって、これを自筆譜の研究に役立てようなどとはほとんどだれも考えなかったに違いない。(158頁)

 ・それに対して、戦後ファクシミリのもつ意義は大きく変わってきた。戦争が終わってみると、幾多の貴重な自筆譜は焼失、散逸または行方不明になってしまい、そのなかにはファクシミリはおろか、写真さえ残っていない資料もある。こういう事態に直面して、関係者たちは改めてファクシミリのもつ資料的意義の重要さについて再認識させられたのであった。(158〜9頁)

 ・今日でもバッハの自筆譜は、マタイ受難曲を除いて、ほとんどが一色刷りでファクシミリ化されているが、それで十分にファクシミリの機能を果たしている。しかしベートーヴェンは一度自筆譜を書き上げた後にも、その作品の写譜が作られ、初演が行われる過程において、何段階にわたって、鉛筆、赤いクレヨン、濃淡の違うインクで訂正、補筆をする習慣があった。(略)したがって、自筆譜にこのような訂正が少しでも含まれている作品のファクシミリは、多色刷りであることが望ましい。(160〜1頁)

 
(「ヴァイオリン協奏曲」の1979年ファクシミリについて)

・(略)七色刷りで、地は多少黄色になり過ぎた感じだが、五線、二色のインク、鉛筆、クレヨンの区別はオリジナルに近い明晰さをもつ。ただし筆者の見た標準版では、分厚な紙質のせいか、黒インクののりがいくぶん悪く、また地の黄色のために、少し紫色がかっている点が気にかかる。(169頁)

わかりやすい部分のみ抜き出しましたが、自筆譜そのものの薬品洗浄による劣化の問題、研究者により無神経に消しゴムで消された鉛筆やクレヨンの箇所の存在の問題など、面白くもあり、もしこれから専門に研究を志すなら留意しておきたい点も、短文ながら豊富に述べられています。


このような慧眼の児島氏がベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」自筆譜とその周辺をどう見ていたかも、幸いにしてエッセイがあります。そこから抜粋しましょう。
ファクシミリからの掲載ページ(第1楽章の195小節目)は、以下の議論で出て来る
*当初記入の薄茶インク
*赤クレヨンによる訂正
*ピアノ編曲左手用の鉛筆スケッチ
*黒インクで書き入れられたヴァリアント
のすべてが見られる数少ない箇所のひとつです。

Btvn1195

「ヴァイオリン協奏曲について----独奏部の諸ヴァージョンについて」1980・・・平野編『ベートーヴェン研究』所載

今日一般に演奏されているヴァイオリン協奏曲のテキストは、1808年ウィーンの美術工芸社から出たパート譜原板にまで遡ることができる。この原板の版下に用いられたスコア写譜は現在ロンドンのブリティッシュ・ライブラリーに保存されている【注:以下、ロンドン写譜】。この写譜にはヴァイオリン独奏部と並んで、ピアノ協奏曲用に編曲したピアノ独奏部も含まれている。/さて(略)自筆稿とロンドン写譜を比較してみると、オーケストラ声部は確かに自筆稿に基づいているが、ヴァイオリン独奏部のテキストは両楽譜の間で著しく異なっていることが分かる。/自筆稿をさらに詳しく調べてみると、スコア内に書かれた独奏部以外に、スコア下部の使われていない五線システムにも独奏部のヴァリアンテ(異文)がいろいろと書き込まれている。(後略 144頁)

・(略)研究家たちの諸説は、いずれも一見筋が通っているように思われるのだが、よく調べていくと、どれもその根拠が薄弱で、実証的な基盤に支えられない憶測や思いつきに過ぎないことが判明した。例えば次のような重要な問題が何一つとして解明されないままにされている。
(1)ヴァイオリニストのクレーメントは、果たして本当にベートーヴェンに独奏部作曲上の助言を与えたのか。
(略)
(2)クレーメントが1806年12月23日にアン・デア・ウィーン劇場の演奏会で初演したのはいったいどのヴァージョンなのか。【注:自筆稿では当初は薄茶のインクで記入、続いて鉛筆によるスケッチ、濃い黒インクでの記入がされている。後2者の前後関係はさしあたって不明とされて研究が進められた。】
(3)ベートーヴェンが自筆稿の下部にヴァリアンテを書き入れたのはいったいいつのことか。

(4)(5)は本文で直接には扱われていないので省略します。
以降の記述で、まず、当初の薄茶のインクでの記入は1806年11月下旬以降、すなわち初演前に大急ぎで書かれたことを、ベートーヴェンのインク使用歴から帰納的に突き止めています。これにより、クレーメントによるベートーヴェンへの助言の余地はなかったこと、初演で弾いたのが薄茶記入の独奏部であったことも、併せて証明しています。後者は次のヴァリアンテ成立についての考察からより明確に導かれます。

(スコア下部のヴァリアンテの成立)
自筆稿の一番下のシステムには(略)ピアノのピアノ独奏部左手のスケッチが所々に記入されている(※1)。そもそもベートーヴェンがヴァイオリン協奏曲をピアノに編曲する気になったのは、ムッツィオ・クレメンティが1807年4月にウィーンを訪れ(略)た際、クレメンティに編曲を頼まれたからである。この契約は4月20日に成立したので、自筆稿の鉛筆スケッチも同日以後に記入されたことは間違いない。(150頁)

自筆稿には鉛筆スケッチの上からヴァリアンテを書いたり、また同じ黒インクでスケッチを抹消している箇所が九頁ほどある。(略)観察から、ベートーヴェンはまずピアノ編曲用のスケッチを記入し始めたが、しかしまだスケッチを書き終えないうちにヴァリアンテ【注:濃い黒インクの記入】を書き入れ始めたことがわかる。事実、完成したピアノ編曲にはヴァリアンテが何ヶ所か取り入れられている(※2)(151頁)

・(諸考察から、ベートーヴェンがヴァリアンテ記入に用いた)黒インクを使い始めたのは、1807年4月26日と5月11日の間であることが判明した。(152頁)

自筆稿はオーケストラ声部にも赤いクレヨン、黒インクや鉛筆による補足訂正を数多く含んでいる。このオーケストラ声部のテキストをクレメンティ版と比較してみると、この版のテキストにはクレヨンの補足は含まれているのに、黒インクや鉛筆の補足は取り入れられていないことがわかる。(略)クレメンティがロンドンの支配人コンラードに送った1807年4月22日の書簡によると、ベートーヴェンは同じ日、つまりクレメンティと契約を交わしてから二日後に版下用楽譜をロンドンに発送している。この事実から、ベートーヴェンが当時クレメンティ版のために新しい写譜を作らせる時間はなかったこと、したがって当時彼が所有していた唯一の写譜である初演用のパート譜を版下としてロンドンに送ったものと推測される。(略)このことから、ベートーヴェンは1807年4月22日の時点では、ヴァイオリン協奏曲を改訂する意図はなかったこと、したがってまた先述の【注:鉛筆や黒インクによる】オーケストラ声部の補足(※3)も、独奏部のヴァリアンテもピアノ編曲用の鉛筆スケッチも、すべてこの時点以後に初めて自筆稿に書き入れられたとうことがわかる。

・・・以上の後、結論で佳境に入るのですけれど、長くなりましたし、さらにそれは独奏部の検討と併せて見るべきかとも考えますので、またあらためたいと存じます。


私自身がファクシミリで実際に第1楽章について確認した箇所を例示しておきます。

 ※1:鉛筆スケッチはたとえば111、172、209(完成時不採用)、214、216、218、316-318、331、333、337各小節

 

※2:ピアノ編曲へのヴァリアンテ採用箇所は、たとえば、128、222後半〜223、338〜392、440〜441各小節

 

※3:オーケストラ声部の鉛筆による補足は、たとえば178小節の"tutti"とディナミーク"p"、182小節の"Solo"

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2013年7月29日 (月)

ベートーヴェンの第6ピアノ協奏曲? 【自筆譜を読む(3-1)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 


ベートーヴェンは1809年、38歳のときに5番目のピアノ協奏曲を書き、以後、ナポレオンとの戦争によるウィーン社会の急激な変化と自らの耳疾のいっそうの悪化で独奏活動を完全に停止したことに伴い、協奏曲を創作することはありませんでした。

それなのに、第6番目のピアノ協奏曲が存在するのでしょうか?
それは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の第6番や第7番が偽作であるのと同様、ベートーヴェンの真作ではないのでしょうか?

完成されなかった第6番は、自筆の総譜が60頁ほど未完で残っている、と、私の手元ですと1962年刊行の日本語の伝記図書に掲載された作品表に、WoO45の番号が付されて明確に記されています。すなわち、真作のピアノ協奏曲第6番は未完である、とはキースン/ハルムによる作品番号無しの作品の整理研究が終わったときにははっきり分かっていたのだと知りうるわけです(キースン/ハルムの目録は1955年刊)。

ところが、現在、第6番全曲版を謳った録音が数種類出ています。
そして、これは間違いなくベートーヴェンの真作です。

実は、いま第6番と称されて出ている作品は、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲Op.61の、彼自身の手による改変版です。ただ、番号を付されるようになったのはそんなに古いことではない気がします。以前は番号は付けられず、単に「<ヴァイオリン協奏曲>のピアノ編曲版 Op.61-a」(以下、Op.61-a)とか言われていたのではなかったかな?
編曲、とされていますが、楽譜そのものを点検出来ていませんけれど、聴く限りオーケストラ部に何の変更もなく、ソロだけがピアノに差し替えられたもののようです。

自筆譜はOp.61とOp.61-aが独立に存在しているわけではありません。ソロ部が、初めは薄茶のインク(1806年8月〜1807年5月11日以前)で書かれ、後で黒インク(1807年4月26日以降)で別の段に訂正されています。ヴァイオリン協奏曲としての初演は1806年12月23日ですので、初演以後も手を加えられたことになります。

ところで、このソロ部、初めに書かれたものが現行のヴァイオリン協奏曲の独奏と完全に一致しているわけでもなく、黒インク部もまた同様であり、かつOp.61-aとも違っているのです。

ヴァイオリン協奏曲は1808年にパート譜が印刷されています。このヴァイオリン協奏曲印刷版の独奏部は現行のものと一致しているそうです。
一方、Op.61-aは1810年に出版されています。
ヴァイオリン協奏曲とOp.61-aの現行ソロを念頭に自筆譜のソロ部を観察してみると、ヴァイオリン協奏曲の現行ソロは後で加えた黒インクの訂正に一致するものが多く、Op.61-aのソロは最初に記入された薄茶インクの音型のままである場合も見受けます。すなわち、出版の新しいOp.61-aの方が、ベートーヴェンの自筆の、より古いかたちをとどめている、という、時間的な転倒を引き起こしているのです。

このようにインクやソロ部の音楽に錯綜した事情があり、かつ、インクの使用年次については後から明らかになったものでしたので、時間的経過をきちんと考慮したものではなかったものの、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の当初の版はベートーヴェンの真作とは言えない、との説が1962年に出されたのだそうです。この説はウィリ・ヘスによって旧全集補足版第10巻に採用され、自筆譜の混乱した独奏部が印刷されて1969年に出版されたとのことです。

ヘスの犯した誤りを是正し、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の真正性に決定的な折り紙をつけたのは、日本人、児島Augustinus新でした。1929年に生まれ、1983年に癌で亡くなった人で、ベートーヴェン・アルヒーフの優れた研究者です。ベートーヴェン新全集のヴァイオリン協奏曲は児島氏の校訂によるものであり、この作品が現在聴かれるかたちで安心して演奏されるのは、児島氏のおかげだと言うべきでしょう。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲およびその改変版であるOp.61-aに関しては、児島氏の研究のご自身によるダイジェストが、死の死後に平野昭氏によって『ベートーヴェン研究』(児島新著、春秋社 1985年)として編まれた書籍に収められています。この中にはまた、ベートーヴェンの書いたスタッカートの奏法についてや、第五・第六・第九交響曲の資料批判に基づく研究、カラーで出版されるようになったファクシミリの意義についての知見など、現在なおもっと知られてよい業績がコンパクトに収められています。

http://www.amazon.co.jp/dp/4393931742

ヴァイオリン協奏曲の自筆譜の諸問題については素人の私が四の五の言う筋合いではない(他のものもそうか!)のですけれども、大変に面白いので、ファクシミリの一般的な価値についてを含め、この次あらためて児島氏の研究結果を紹介したいと思います。

今回は、ヴァイオリン協奏曲自筆譜の最初の頁だけを掲載してご覧頂いておきます。
モーツァルトやハイドンで見て来たものより段数の多い16段の五線紙に書かれ、上からヴァイオリン2つ、ヴィオラ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、ティンパニ、ソロヴァイオリン、チェロ、バス、トランペットの順で記入されていて、後でソロに施した訂正は残った下3段に記入されることになりました。(あいかわらず粗悪画像ですみません。)

Btvn1_1

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2013年7月21日 (日)

ハイドン「告別」【自筆譜を読む(2)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 

 


ウィーンフィルのニューイヤーコンサートも最近はワルツの迫間に記念年作曲家の作品をはさみこむようになりました。2009年には没後200年だったハイドンの「告別」シンフォニーの最終楽章が演奏されましたね。この作品のエピソード通り、楽員が一人去り二人去り・・・最後にヴァイオリン2人だけになる。・・・視覚的にこの場面を楽しむ機会はそうそうありませんから、(指揮しているバレンボイムの最後の演技過剰は措いても)嬉しいひとこまでした。

YouTube
http://youtu.be/vfdZFduvh4w

この箇所、ハイドンは実際にどう書いたのでしょうか?
自筆譜のファクシミリは1959年、これもハイドンの没後150年を記念して出版されているため、身近に見ることができます。

他作品は知らないのですが、モーツァルトが横長を愛用したのとは違い、ハイドンはこの作品では縦長の五線紙を使っています。段数は12段で同じですが、パートの割り振りかたも違います。
モーツァルトは最上段にヴァイオリン2つとヴィオラを置き、ジュピターの例で言うとその下にフルート、第1オーボエ、第2オーボエ、第1ファゴット、第2ファゴット、ときて、ホルン、トランペット、ティンパニ、チェロとバス、でした。これは違うオーケストラ作品(声楽を伴奏する作品を含む)でも基本的に変わりません。
ハイドンの「告別」シンフォニーでは、最上段から第1ホルン、第2ホルン、第1オーボエ、第2オーボエ、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ヴィオローネ(最低音弦楽器)となっています。
これで12段は埋まりませんので、第1楽章は下4段をあけたまま書かれています。(あいかわらず携帯電話写真ですみません。それぞれクリックで拡大します。)
(第1楽章冒頭部)
1_1istmov_2

第2楽章と第3楽章ではではホルン2本とオーボエ2本を一段ずつにまとめて6段1セットとして紙を節約しています。
(第2楽章冒頭部)
2_2ndmov

ところがまた最後の第4楽章は第1楽章と同じように8段記入下4段あけ、で書き始められています。
そしていよいよ問題の箇所。
(第4楽章途中)
3_finale1

各パートを個別に減らして行く目論見があり、かつヴァイオリンを4部にするので、それまで8段で書いていたものを12段に拡大、弦楽器はパート名を改めて記入しています。

以下、ちょっとぎゅっと詰め過ぎましたし、画像ソフトを使い慣れないので整列させきれませんでしたが、クリックすれば拡大すると思いますので、ご覧下さい。(陰はお許し下さい。)
(第4楽章最後)

6_finale4

印刷譜に直したスコアですと、まず休符で退場するパートが埋められ、ページが改まるとまだ残っているパートだけが引き続き書かれますので、楽器が減って行く印象が少し薄くなります。
ハイドンの手書き譜では、退場するパートがページ末尾で打ち切られ、次のページには減ったあとのパートが徐々に上に詰めて書かれているので、楽器の減るのを如実に感じ取ることが出来ます。

ところで、この手稿譜には、モーツァルトに見られたような訂正がまったくありません。
音符や発想記号が書き改められた痕跡がないのです。

二ヶ所だけ、黒く塗り潰しているところはあります。
第2楽章のオーボエパートに4小節間、終楽章のホルンパートに4小節間です。
和声を彩らせるつもりで書いた長い伸ばしの音を抹消したもののように見受けます。
2013072018270000_2
訂正はこれだけです。

ミスがないので、曲の解釈をめぐる謎も何もなく、その点では面白くも何ともないものです。

けれども、ミスがないことを含め、実際にはこの手稿譜からは興味深いことが幾つでも読み取れます。

(1)ミスがないということは、ハイドンはこの楽譜の上では「考える」作業は一切していないということであろうと思われます。これは、①作曲に当たって下書が存在したか、②下書などというものはハイドンの頭の中にしかなかったか、のどちらかを示していると考えるべきなのかも知れません。②だとしたら、驚異的なことです。

(2)しかも清書譜にしては音符はかなりラフに書かれていて、臨書にあたってハイドンに特別な思い入れはまったく無かったのだろうとの印象を受けます。仕事のために急いで書く必要はあったかもしれませんが、ミスがないところから、それでも慌てふためくような態度なり慌てなければならないような状況下だったりではなかったことが分かります。

(3)訂正はオーボエ、ホルンそれぞれに4小節連続のものが1ヶ所あるだけに限られているところから、書く前に曲は完成していたものの、楽譜を書きながら考えることが全然なかったわけではないことも判明します。となると、もし下書きがあったとしても、オーケストレーションを完全に終えたものであったとは考えにくくなります。管楽器パート(ホルンとオーボエのみですが)についてはハイドンの頭の中だけだった可能性が大きいのではないかと思います。(前掲は第4楽章のホルン抹消部)

(4)この手稿譜自体が下書き譜ではありえない、ということについては、状況証拠とこの譜面に自ら書き入れた証拠の両面から確言出来るようになっています。状況証拠の方は、このスコアの来歴です。第1ページ目、すなわち第1楽章の開始部の、タイトル部分にある書き入れ(ハイドンではない人の手による)、青い「fol.13」と黒鉛筆の「N.139」は、旧エステルハージライブラリでの整理番号で、おそらく19世紀中のものだろうと考えられています。いうまでもなく、エステルハージ家はハイドンがこの曲を提供した先であり、そのライブラリがそのまま19世紀のハンガリーに引き継がれていたそうです。

(5)ハイドン自らの書き入れによる証拠は、手稿譜のところどころにある、小節数を示す数字です。
(第4楽章の場面転換箇所の例です。)
2013072018270001これらの数字は、各楽章の前半(呈示部)が終わったところ、途中でフェルマータが付されたところ、全ての楽章の最終小節に付けられています。

しかも、数字は冒頭小節から通して数えられた全小節数ではなく、前に小節数を書いた箇所からいまここに書かれた箇所までの小節数になっています。すなわち、第1楽章ですと、まず前半が終わるところに「74」(最初からそこまで74小節)とあり、次にはフェルマータが付されている箇所に「35」(1小節多くかぞえまちがっています)と書かれているのですが、この「35」はまえに「74」と書いたところの次の小節からフェルマータの付されたところまでの小節数です。以下、同じように全部で14ヶ所書かれています。
これは何を表しているか。
ハイドン自身に数えなければならなかった事情があるとは考えにくく思います。
(4)からも、この手稿譜が本作品の最終形を間違いなく書き留めているだろうと推測出来ますから、これらの数字は、これからすぐに演奏に供するパート譜を作成しなければならない写譜屋(係)の便宜を図ったものではないだろうか、と思われます。すなわち、作品完成後さほど時間を経ずに演奏しなければならない状況下にあるため、パート同士の整合性を検証する際に目印にしやすい箇所までの小節数を書いておいたのだろうと思うのです。通しの小節数を書くより、分かりやすい目印から次の目印までの小節数を書いておいた方が、実務的には照合がラクになるのは、手書きでパート譜を作ったことのあるかたなら容易に合点がいくでしょう。

以上、ハイドンは作曲にあたって下書をしたかどうかは分かりませんが、曲の仕上げはスピーディに、しかし冷静にすることの出来る高い能力を持っていたこと、そうして出来上がった作品はまた急ぎ演奏にかけられるので即時写譜屋(係)に回されたであろうこと、が、他になんの断り書きもない手書きスコア1冊から感じ取られるのですから、やっぱり面白いなぁ、なのであります。


 このファクシミリは印刷の通し番号があり、私の所持しているのは「103」番です。
PUBLISHING HOUSE OF THE HUNGARIAN ACADEMY OF SCIENCES 1959

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2013年7月15日 (月)

モーツァルト「ジュピター」【自筆譜を読む(1)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 

(各注釈は末尾に掲載しています。)

数少ない手持ちのファクシミリを通じて、作曲家たちが考えたことを垣間見たいと思います。

まずは、モーツァルトの「ジュピター」からまいります(※)。


モーツァルト生誕250年の2006年には日本の民放でもその天才を称える番組がいくつか放映されました。
そのひとつで「ジュピター」交響曲の自筆譜ファクシミリからの数頁を放映したのでしたが、それを眺めた人が
「モーツァルトの楽譜にはミスがありませんね」
云々したのに対し、ファクシミリを持参した音楽家さんがあっさり
「そうですね」
と相槌を打ったので、私は深い失望を味わったのでした。

最近ではNHKで平成24年に放映した『名探偵アマデウス』で
「ジュピターはモーツァルトには珍しく書き直しのあとが多い」
と紹介されたこともあり、モーツァルトでも<手直し>をした[!]ということが日本のファンに認識されていることを幾つかのブログ記事で確認出来ます。(*1)
<手直し>はしかし、珍しく多いのではありません。
5作品に限られるとはいえ私自身モーツァルトの自筆譜ファクシミリを好んで覗き見ましたが、初期の弦楽四重奏を含め、彼が<手直し>を加えていないスコアには、 不幸なことに[!]1冊も出会えませんでした。新モーツァルト全集をめくっても、<手直し>の加わった自筆譜の写真をわりとたくさん目撃することが出来ます(*2)。

いまは「ジュピター」の楽曲分析だの解説だのは手に余ることですので(*3)、専らモーツァルトが「ジュピター」上で行なった<手直し>に注目します。
音楽作品はとくに、楽譜が印刷譜となり、演奏され、録音となって、ついには前提となっていたもの、背景にあったものが全て隠れてしまいます。究極は耳の印象や心の中だけのイメージにいとも簡単に集約されてしまうからです。近年は絵画作品は創作過程を目で確認出来る機会が増え、鑑賞者は真相にいくらかでも近づくことが可能になりましたけれども、音楽はまだまだです。このことを実感するため、<手直し>に注目するわけです。

映画「アマデウス」には、作品が書き上がらず
「楽譜はどこにあるんだ!」
と詰め寄られたモーツァルトが、皮相な笑いを浮かべて自分の頭を指さし
「・・・ここに。」
と言ったシーンがありました。
こんなシーンが生まれるほどに、モーツァルトが楽譜を訂正無しに書いた、それは書く前に頭脳にすべてが存在したからだ、との迷信がいまだにあるように感じています。
ですが、そうした迷信が生じたのはいつどこからなのか、を、今は確認しきれません。少なくともアルフレート・アインシュタインは一切そんなことは述べていません(*4)。

書き直しがどれほど多かろうと、それが作曲家の真価を貶めるものではありません。
むしろ、<手直し>を通じて、私たちはその人がどのように努力したかを親しく知ることができます。<手直し>は、天才ならば天才たる由縁がどこにあるかを知る拠り所ともなります(*5)。

能書きはこれくらいにします。
携帯電話での写真で大変申し訳ないのですが、「ジュピター」中でモーツァルトが行なっている訂正の主立ったものを、どうぞご覧下さい。それぞれの<手直し>の意味については簡単に記します。意味の捉え方に誤り等ありましたら、ご覧になった方からご指摘ご指導を是非頂きたく、あらかじめお願い申し上げます。
以下、異様に縦長になってしまいますがご容赦下さい。
演奏の引用は、C.Hogwood/The Academy of Ancient Music ”Mozart The Symphonies" disc16(L'Oiseau-lyre 452-496 2)のものです。

【第1楽章】
24小節〜響きを再考したのでしょう、ファゴットに与えようとした「ドミソミド」を消してホルンに持って行きました。

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92小節〜シンプルに考えていた第1ヴァイオリンを抹消、細かくきらびやかに変更しています。

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131小節〜このあとの厚みを印象づけるために、オーボエ・ファゴットとともに第1ヴァイオリンにも与えようとしていたEs-G-C-As楽句をヴァイオリンからは削除。オーケストレーションの整理は第3楽章28〜29小節でのファゴットの抹消にも見られます。

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272小節〜発想としてはFbと書くのが間違いではないバスですが、後続の進行を考えて異名同音のEに書き直し。平均律的発想では音響的にはなんの差もないのですけれど、わざわざ書き直しているのは、彼が平均律的発想などしていなかったことを裏付けるご同時に、平均律的発想が浸透しつつあったことをも示しているのではないかと思われます。同類の修正は第3楽章9、11小節のファゴットにもあります。

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【第2楽章】
25葉目、92小節以下の発想をまったく変更するため抹消、現行のように変更したものを26葉目に25葉目裏面の楽想に続くよう作曲し直しています。この書き直しは全体の作曲をいったん終えてから、そうでなくても最初の三楽章を作曲してから行なわれた、とみなされています(*5  解説日本語訳53頁)。上から25葉目表、26葉目表、25葉目裏

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【第4楽章】
このフーガ楽章は全体の書き方から別に草稿があってそれを筆写したものではないかと推測されています(*5 解説日本語訳54 頁)。その最も明確な証拠は83小節目に見られるファゴットの誤記の消去です。・・・フーガに取り組むに当たってモーツァルトが作曲の万全を期したことの現れなのでしょう。

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(すみません、引用箇所を間違えています。)

もうひとつ筆写ミスに起因するかも知れないのは121小節の第1ヴァイオリンで、連桁の16分音符を書いてしまってから(deeaに見える)、書き直すスペースがないため音符の下に正しい音名をdchaと補っています。

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草稿があったとしても、モーツァルトにとってはそれで終わりではなかったと判明する修正もあります。

72小節のオーボエは、最初、第1と第2でCのオクターヴをとるように書かれていました。が、重要な音程であるFisを吹くのはフルート1本です。こちらの補強をした方が、オーボエの音域としても、全体の響きとしても、安定すると判断したものと思われます。

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もう一ヶ所、196小節のバスは最初は下降音型で発想されていたのではないかと思われますが、それを抹消して現在聴くことの出来るものに変更しています。

2013071500000000

以上、大きく目立つところを拾ってみました。


*1:たとえば
   http://d.hatena.ne.jp/bravi/20120826/p1
   http://dainashibekkan.cocolog-nifty.com/music/2012/01/201211841-7a98.html
 とくに後者の、
「(第2楽章19小節目の)突然に影がさす部分の挿入は、モーツァルトの天才のなせるワザで、自然とスムーズに書いたのだろうと従来言われていたが、自筆譜の発見により、必ずしもそうではないことが分かってきた、とのことで、自筆譜の写しを見せてくれた。この部分、実は何度も書き直した跡があるのだ。/千住明は、ここについて、『自分は、サッサと書き飛ばすような作曲家ではない、との自己主張を感じる』と言っていた。」
 と記した部分は、千住さんの感想はともかくとして(感想自体はその通りだと思いますので)、数点気になります。自筆譜の発見、とありますが、ジュピターの自筆譜は来歴が比較的はっきりしていて、「発見」されなければ分からなかった事実はありません。(1841年の目録にこの自筆譜の記載がある由。ブラームスが一時期所有していたとの話も別に見かけましたが、40番について以外は確認出来ませんでした。いったんポーランドに極秘裏に隠されたのは1941〜1944年で、以後1977年まで行方不明ではありました。自筆譜研究がその後初めてなされたのなら「必ずしもそうではない」は1977年以降に分かったことになりますし、ザスロウの 1989年著書まで<発見>を待たなければならないことになります。)
 たしかに「ジュピター」研究の進展はこれ以後であるような記述が、 Bärenreiter原典版スコア【2005年、ISMN M-006-20466-3、XIX頁】の解説にはあります。1957年に新モーツァルト全集上の校訂を完了したロビンズ=ランドンは自筆譜を写真版でしか参照出来なかったようですから(39番について前掲解説が述べているところですが、41番についても当てはまるものと読んで差し支えなさそうです)、書き直しの痕跡について必ずしも全容は掴めなかったかも知れず、したがって発見云々はそれはそれでもよいとすべきなのかも知れません。
 が、それで あってもなお、上の記述の該当箇所、すなわち第2楽章の19小節目周辺には、書き直しのあとはありません。インクの用いかたから見ると、少なくともヴァイオリンとバスのラインは最初からきっちり決まっていたことが読み取れます。むしろ、他のパートもきっちりと書かれているが故に、校訂上は彼の書き記した fpをどう読み取るか問題提起しているくらいです(新全集第12巻 通し番号で493頁)。
 また、基本的に書き直しが「何度も」されていることは、他の手稿譜も含め、ありえません。紙が耐えられないからです。
 おそらく伝言ゲーム的な聴き取り問題に起因するところが大きいのでしょうけれど、ライブラリで録画を見て確認したいところです。

*2:新モーツァルト全集は幸いにして現在web上で見ることができます。
   http://dme.mozarteum.at/DME/nma/start.php?l=3 (日本語表記です。)
   http://mozarteum.blog89.fc2.com/
個人的な印象では、それでも紙ベースでの閲覧の方が便利です。購入するとけっこうがさばりますが。

*3:ニール・ザスロー/ウィリアム・カウデリー編『モーツァルト全作品事典』(邦訳2006年 音楽之友社、264〜270頁参照。原著は1990年)

*4:アルフレート・アインシュタイン『モーツァルト その人間と作品』浅井真男訳 白水社 1961年、新装復刊1997年 特に194頁からの「8 フラグメントと創作過程」参照

*5:Bärenreiter Facsimile Wolfgang Amadeus Mozart Sinfonie in C KV 551 »Jupiter« (2005年刊 ISBN 3-7618-1824-6)
解説の日本語訳46頁
「モー ツァルトの具体的、実際的な作曲目的や芸術的指針については、学問的研究に基礎を置いた認識がまったく不足している。/《ジュピター・シンフォニー》につ いて、ちまたに氾濫しているモーツァルト関連書の大部分は、循環論法を用いた仮定、推定、空理といったものが”避けがたい特徴”になってしまっている。 /(中略)たとえば、この作品が交響曲ジャンルで遺言のようなものだとして作曲されたという私論、ドイツ音楽の伝統を継いだ終楽章についての不当な協調。 それどころか、数音にまで削減された小さい素材ストックが、この作品全体を支配しているという主張まである。/音楽史、文化史的なつり上げや、エソテリックな作品構造の秘密が、この作品のまったく衰えることのない不変の魅力の基礎になっているのではない。その魅力は作品自体から生み出されるもので、計り知 れないほど豊かな音楽的ゲシュタルト、他にない詩的なキャラクター、言葉では表せない美しさなどなのである。」
この指摘には*2のザスロウの記述でさえも当てはまってしまいますし、日本人が出している書籍の記述も該当してしまいます。素直な問題提起ながら、じつに難しいものだなぁと感じます。

※ モーツァルトは全作品を追いかけようと思っていましたが、いま、ウィーンに住むようになり始めたところで中断しています。ザルツブルク期はいち おう終わっています。『モーツァルト全作品事典』が容易に入手出来るようになった現在、見直したい点が多々ありますが、アマチュアの主観の方が当たらずと 言えども遠からずだったりすることもありますから、冷やかして頂けましたら幸いです。
http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_4966.html

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