たのくらしっく

2013年2月11日 (月)

化粧のあとさき(ストラヴィンスキー)(たのくらしっく8)

1)落語で聴く「ピーターと狼」 2)クリスマスのおとうちゃん(シュッツ) 
3)コップも鳴らしたモーツァルト  4)まずは何でもやってみよう(山田耕筰)
5)いたりや〜ん・ばっは 6)あれんじあるんぞ(グリーク/モーツァルト/ヘンデル)
7)挽肉ロマン、ロッシーニ


Pulcinellaん十年ぶりに中学時代の同窓会なんぞに行ったりしますと、女性はトクですね。

野郎共は、頭が見るカゲもなく一点の曇りもなく輝いていて、あんまりまぶしいので
「おめぇが誰だか、良く見えねぇ」
なんて始末になったりします。
でも、女性ってのは、歳を重ねれば重ねるほど、美しさが増したりするんですよね。
なんせ、化粧という武器があたりまえに使える。
「う、こんなにまぶしい美人、おいらの同級生にいたっけ?」
まぶしくても、女性はよく目に入るんですねこれが。
「なに言ってんのよ、あたしよ〜」
「え〜? うそ! お前、15でもうあんなババア顔だったのに!」
「大バカやろう、蹴っ飛ばすぞ!」
「いてぇ!」
なんて不躾も、いまのご時世では、かつての同級生だったから出来るんではあります。
まあしかし、普段スッピンの、年期の入った古女房なんかが分厚く白粉(なんて言い方自体が化石ですかね)を塗ったくって、真っ赤な口紅なんかして
「今日、同窓会なの、うふふ〜」
なんて出掛けて行こうとしているのを見た日にゃあ、背筋がどっと寒くなるもんです・・・って、あたくしのカカアは鬼籍に入りましたので、こんなことを言ったらこっちが地獄に行ったとき金棒で殴り倒されます。
いや、あんたは化粧しなくてもきれいだった。おいら好みだったんだよ。

なんてね。

すっぴんどころか、ずっと忘れられていた音楽に、最先端のお化粧を施すのが、20世紀以降のひとつの流行だったかな、と感じております。
イタリアの場合ですと、レスピーギという人は、詠み人知らずみたいなリュート曲をオーケストラで鮮やかに彩りましたし(「リュートのための古代舞曲とアリア」第1〜第3組曲、その他「鳥」など)、そうしたやりかたをさらに歪めて、とちゅうからドロドロに溶かしてみせるなんていうやりかたをベリオという人がやってみせたりしていて((シューベルトの未完の交響曲稿による)「オーケストラのためのレンダリング」他、多数)、化粧も極端になって来ると、もう、「東海道四谷怪談」の世界になってくるんですね。
もう、最先端のお化粧のなにがきれいなんだか、は、女心がわかんない無粋なおっさんには、理解しきれませんね。面白いからいいんだけどさぁ、って、開き直るしかありません。

ロシア、と言っていいのか、フランスと言うべきなのか、でも素材はイタリアに取って、「ふつうに奇麗」と「これってどうなの?」の境目のお化粧を施して見せてくれたのが、ストラヴィンスキーというおじさんでした。
「プルチネルラ」という、バレエ音楽です。「プルチネルラ」は、イタリアの伝承に良く出て来る道化師です(って、私はその伝承はパスタにまつわるものの他には知りません)。

この音楽、美しい「スタバート・マーテル」以外はほとんど忘れられていた天才、ペルゴレージ(1710〜1736)の作品だと信じられていたものを、ストラヴィンスキーなりに色付けし直したのでした。

たとえば第1曲の元ネタはこんな感じ。

Parnassi musici  (SWR 999 717-2 1999年録音)

ストラヴィンスキーがお化粧した後は、こんな具合。(ピッチの違いはご容赦下さい。)

ストラヴィンスキー指揮コロムビア交響楽団(CBSソニー)

楽譜を当たってみると、元ネタの素顔にはほとんど手を加えていないことが分かります。
ちょこっと広めな眉(リズム)の間隔をペンで描いて埋めてみたりして、新しいバランスを作ったのです。あるいは、古風で整った顔立ち(和声)に、キツめのアイラインを引いたりしているのです。
どっちがお好みか、は、聴き手の趣味によるのでしょう。

さて、ところが、いまでは、この第1曲を含め、元ネタの半分以上はペルゴレージの作品ではないことが分かっています。
結果的に、ペルゴレージなんかよりもっと忘れられかたが甚だしかった「隠れた美人」に光を当てることになりました。

組曲版で挙げておきますと、こんな感じです。

第1曲:ドメニコ・ガッロ:トリオソナタ第1番第1楽章
第2曲:ペルゴレージ:「イル・フラミニオ」第1幕第1場のアリア
第3曲:ガッロ:トリオソナタ第2番第1楽章
    〜ペルゴレージ:「イル・フラミニオ」第3幕第10場のカンツォーナ
    〜ガッロ:トリオソナタ第2番第3楽章
    ~ペルゴレージ:「妹に恋した兄」第1幕第17場のアリア
    〜ガッロ〜トリオソナタ第8番第1楽章
第4曲:ヴァン・ヴァッセネア:コンチェルト第6番第4楽章
第5曲:モンツァ:「クラヴサンのための当世風小品集」から
第6曲:同上
第7曲:ペルゴレージ:チェロとバスのためのシンフォニア
第8曲:ペルゴレージ:「妹に恋した兄」第1幕第2場
終曲:ガッロ:トリオソナタ第12番第3楽章
(典拠:"Stravinsky's Pulcinella  A Facsimile of the Sources and Sketches" edited by Maureen A. Carr, A-R Editions,Inc 2010)
・・・なお、第3曲はぜひ、ストラヴィンスキー自身の指揮による演奏をお聴き下さい。チェロのフラジオレットのピチカートでどんな効果が欲しかったのは、その録音以外ではおざなりにされています(技術的にむずかしいからではありますが、ちょっと残念に思っております。)

・・・全曲が演奏される時には、イタリア古典歌曲として有名な"Se tu m'ami"も入っていますが、これもペルゴレージの手になる歌ではありません。

ほとんどが、ガッロという人のトリオソナタだったわけですが、これは楽譜の出版自体が18世紀後半(1780年代)にロンドンでペルゴレージの名を冠してなされたことに由来しているそうです。これらのトリオソナタの真の作曲家だと判明したガッロという人については、残念ながら、1730年にヴェニスで生まれたヴァイオリン奏者だったという以外、ほとんど伝記的なことがわかっていません。彼の作品はいくつか、ちゃんと彼の名前で、ロンドンやパリで1750年代から60年代にかけて出版されていたそうです。

なお、バレエ音楽「プルチネルラ」はロシアバレエ団のために書かれた音楽で、初演時の舞台美術は、かのパブロ・ピカソが担当していました。

・・・そろそろ、同窓会、やらんかなぁ。。。

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2013年1月28日 (月)

挽肉ロマン、ロッシーニ。(たのくらしっく7)

1)落語で聴く「ピーターと狼」 2)クリスマスのおとうちゃん(シュッツ) 
3)コップも鳴らしたモーツァルト  4)まずは何でもやってみよう(山田耕筰)
5)いたりや〜ん・ばっは 6)あれんじあるんぞ(グリーク/モーツァルト/ヘンデル)


あたくしは今日、健康診断でした。
しかも、午後の部。
前夜も朝も食事が出来ず、お昼ご飯もしばしおあずけです。

おととしから血圧が少しだけ高くて、お医者に
「塩分と脂はひかえめにね。あ、脂を控えてもあなたの内臓の脂はとれませんがね」
と、朝1錠の薬を処方されています。血圧は上がらなくなる薬ですが、脂はとれません。

それから懸命に3キロ減らした体重が、暮れ正月に5キロ上積みされてしまい、1ヶ月弱、死ぬ思いで、また2キロ落としました。さて、私の体重は去年に比べて増えたのでしょうか? 減ったのでしょうか?
身長体重計測、心電図、聴力検査、視力検査、レントゲン、血圧測定に採血、を無難にこなし、最後の診察に。

カルテを見た老女医さん、見るなり絶句でした。

「体重だけは、やたらにあるのね」

・・・お相撲さんに比べれば、門前の小僧なんだけどなぁ。

「血圧も、お薬がそれで済んでるわりに安定してます。耳も目も問題無し。ま、どれも、なんかあったときは薬でなんとかなるもんです。でもねぇ、体重だけはダメなのヨ。あなたがひとりで頑張ってくれないと。」

はあ。そうですか。。。

「あら、おなかまわりも増えてますわ。内臓脂肪だわね。死亡フラグよ! なんちゃってね。あははは〜」

って、おちゃめなお医者さんであります。
おいら、ちっとも面白くないんだけど。

やっと終わって、待望の食事、と思っても、近くにお店がないので、ハンバーガーでありました。さすがに、こぶりで野菜多めのにしました。
ほんとうは、トゥルヌド・ロッシーニくらいのごちそうを食いたい気分でしたけど。

http://majin.myhome.cx/pot-au-feu/dataroom/dish/france/Tournedos_Rossini/Tournedos_Rossini.html

519cdg0dr2l_sl500_aa300_ 料理にまで名前が残り、いまなお美食家の代名詞になっている作曲家ロッシーニ。
美食に本格的に凝ったのは、「ウィリアム・テル」がヒットしたすぐ後、たった37歳の時に、それまで書き続けたオペラを突然作らなくなってしまった後のようです。
しっかり財産を築いてしまったし、存分に美食に埋もれる気になってしまったのだ、と言われる以外、なんでオペラ作りをやめてしまったのか、謎のままなんだそうです。
美食は事実ですが、しかし、食事に埋没してしまった頃のロッシーニの写真が残っているのを見ると、心を患ったような、芒洋とした顔をしています。オペラ作りを辞めた理由も心にあったのかもしれず、美食は病んだ心の裏返しだったのかもしれません。

たとえ心を病んでいたのであっても、たとえドラマ音楽は作らなくなったのであっても、ロッシーニはその後も宗教音楽の名作「スタバート・マーテル」を書きましたし、少なくはない数の歌やピアノ曲の佳品も生み出しています。

そのピアノ作品の中には、12曲ほど、食べ物の名前を冠したものがあるそうです。
なかでも、「ロマンティックな挽き肉」という作品は、聴いていると、十六分音符がまさに挽肉そのもののように、ぽろぽろこぼれるという・・・タイトルなんか知らなければいい曲なんですけれど、タイトルを知ってしまうと、なんだか気持ちが悪くなってくるような、グロテスクな音楽です。


Paolo Giacometti (Pleyel 1858)  CHANNEL CLASSICS CCS 12398

世間が彼をどう見ていたか、を逆手に取ったのかもしれません。

イタリア生まれだとはいえ、ロッシーニ自身は、後半生を過ごしたフランスの、とりわけパリの、粋に斜めに構えた気風を、パリッ子以上に身につけていた人なのではないかなぁ、と、ふと思われてきます。

かたちだけでない食べ物を音楽に出来たのですもの。

【参照:水谷彰良『ロッシーニと料理』(透土社 1993)】
 http://www.amazon.co.jp/dp/492482822X/
 http://www.amazon.co.jp/dp/4924828688/ (新版)

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2013年1月17日 (木)

あれんじあるんぞ(たのくらしっく6)

1)落語で聴く「ピーターと狼」 2)クリスマスのおとうちゃん(シュッツ) 
3)コップも鳴らしたモーツァルト  4)まずは何でもやってみよう(山田耕筰)
5)いたりや〜ん・ばっは


あらんじあらんぞ、というブランド(?)がありまして。
http://www.aranziaronzo.com/

2013011721300000_2

こういうキャラとかそういうキャラとかああいうキャラとかあって、すごく気に入りまして、ここのキャラクター商品を買ってしまったことがあったのですが、ガラにもない似合わない、で、たとえば付箋を本に貼っているのを見つかると、
「あんた、何考えてんの?」
みたいな目で、うさんくさそうに斜めから見つめられてしまうので、人前では使えないまま、もうかれこれ2年経ってしまったのでした。
ちなみに、オンラインショップのリストにのってるのは、
・カッパ
・うさぎ
・ネコ
・パンダ
・わるもの
であります。ほかにもいろいろあるのどすえ。
あたくしの愛蔵品は、わるもの、にかたよっております。
年賀状をしまったはがき用ケース、付箋、携帯灰皿(欲しかっただけで、いまなお未使用状態!)。

コマーシャルしちゃった。
ちなみに、残念ながら関係者ではありませぬ。
ああ、お仕事だったら、堂々と使えるのに!

音楽には、あれんじがあるんでした。

クラシックにも、いっぱいあります。

ちょっとマニアな中身なので、話もマニアックになります。

クラシックジャンルの音楽は、とくに19世紀に入る前後に、ようやく庶民に近いものになったのでした。とはいってもまだまだ、ピアノが持てるくらいのお金持ちのあいだで流行ったのでした。
もちろん、ピアノが大きな役割を果たしたのでした。
録音だなんて想像もつかなかったからでしょう、オーケストラの曲でも歌曲でも、なんでもかんでもピアノ1台用にアレンジしちゃったものがたくさんあるようです。
なかでもフランツ・リストさんのアレンジは、リストさん自身がピアノの大名人で、若い時はとんでもない色男でもあったので、モテモテだったのも超ラッキーで、いまでもまとめて楽譜やCDが出ています。クラシックがお好きな方は先刻ご承知でしたね。失礼いたしました。

んで、リストのアレンジを眺めるのも一興ですが、後輩に当たる世代がやった、もそっと奇妙なアレンジがあるので、ちょっとこれを聴いてみて下さい。


レオンスカヤ/リヒテル Teldec WPCS-21226

どっかで聴いたことがあるような・・・
2台のピアノで弾いていて、その一人がスヴァトラフ・リヒテルなので、同じ人が弾いているオリジナルをYouTubeから載っけておきます。


モーツァルトの有名なピアノソナタ(ハ長調、K.545)なのでありました。
なんだか、ずいぶん違うふうにきこえますね。
もともとピアノ1台の音楽を、2台で弾くようにアレンジされたのです。
でもなんだか、こんなふうにいぢらなくても、よさそうなもんですよね。

アレンジしたのは、ノルウェーの作曲家、グリークです。グリークはチビだったようで、フランスを訪問したときの様子を、同時代に活躍したフランスの作曲家ドビュッシーが面白がって悪口を書きまくっています。

アレンジをするにあたっては、当時のピアノ音楽教育事情の絡みがあったようです。
ピアノは(今でもそうですけれど)先生が生徒の脇に座るか、教室に並んだり向かい合わせになって置いてあるもう1台に座って、生徒を教えるのが普通なんですね。
ただし、いまの生徒さんは、有名作品は、あらかじめ録音を聴いて勉強したりも出来るから、先生が補助で一緒に弾きっぱなしだったりすることは、そんなにない(全然ないわけではありません)。
グリークがこのアレンジをした頃は、たぶん、ノルウェーではモーツァルトのピアノ作品は、まだ広くまでは知られていなかったのかも知れません。
そこで、もう1台のピアノ用に音楽をくっつけて、おそらく当時のあちらの好みにムードを合わせて、生徒と「楽しく」練習しよう、と考えたのかも知れません。

グリークによるアレンジは、19世紀後半に好まれた音楽のムードが、いかに今と違っているか、を、とてもよく知らせてくれるように、私は感じます。

「今聴かれているようなモーツァルトの演奏こそが正しい」
・・・だから、グリークのアレンジはけしからん、と怒ってしまうと、ちょっとした不都合があります。

実は、モーツァルトその人も、前の時代を生きたひとさまの作品を無手勝流にアレンジしているからです。

これ。

マッケラス/オーストリア放送合唱団/オーストリア放送響
DECCA  UCCD-4011

ヘンデル(男なのに「音楽の母」なひと)の、これまた有名な「ハレルヤ・コーラス」です。オリジナルは英語ですけれど、歌詞もドイツ語になっています。
(モーツァルトはこのコーラスを含むヘンデルのオラトリオ「メサイア」全体をアレンジしていて、実はその中では、ハレルヤコーラスはオリジナルとの落差が少ない方のものなのではあります。他ので比べてみた方が良かったかな。同じくヘンデルの「アチスとガラテア」にもアレンジをほどこしてます。)

いま「オリジナルはこうなのよ」と演奏されている例を、これもYouTubeから埋め込んでおきますので、聴き比べて下さい。


モーツァルトだって、けっこう、とんでもなかったわけです。

まぁ、その時その時で、世の中には「事情」というものがあるのでしょう。

そのあたりの詳しい話は、ご興味に応じてお調べになって頂ければと思います。

カール・リヒターがドイツ語版で録音したもの(モーツァルトとはテキストが異なる)もありますから、機会があったらお聴きになってみたらまた面白いので、マニアなかたは、どうぞ。(私にとっては思い出深いレコードでした。いまCDになっています。 http://www.amazon.co.jp/dp/B00005FHJX

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2013年1月12日 (土)

いたりや〜ん・ばっは(たのくらしっく5)

1)落語で聴く「ピーターと狼」 2)クリスマスのおとうちゃん(シュッツ) 
3)コップも鳴らしたモーツァルト  4)まずは何でもやってみよう(山田耕筰)


学校は、新学期が始まって早○日、でしょうか。
学校に行かなくなって30年以上経ちましたので、分かりませんが。
音楽室には、いまも「大音楽家の肖像画」なるものが飾ってあるのでしょうか。
んでもって、音楽の父とか母とか、いまも先生が教えて下すってるんでしょうかしら。

母といわれる人は、絵の中でも髪が長くて柔らかなお顔立ちなので、私はずっと女の人なんだと信じて疑わずにいました。
「本当は男の人なのよ。名前に『ヘン』が付くから、そうなったのかしら?」
と、真相を知らされた時には、ショックで熱を出して3日寝込んだ、ウブな私でありました。

嘘です。

母の話は、とりあえずこれだけです。

父、の話。

Bach 父の方は、ヨハン・セバスティアン・バッハという名前で、ヘンはつきませんし乳も大きくありませんが、つくものがついていたので、父になれたのでしょう。・・・失礼。
実際、子供はたくさんいたのでしたよね。全部で10人(夭折した子を除く)。いちばん上の子といちばん下の子は、33歳差でありました。絶倫、であります。
でも、このことは教室では教えてもらえないのでありました。禁令が出たのでしょうかしら。

音楽室に飾られている絵では、父バッハのお顔はたいへん厳しいのです。
「バッハちちぎみが作った音楽も、やっぱりきびしいのよ〜」
なのでして、受難曲やら教会カンタータやらパイプオルガンの曲やら、聴かされる方も皆、厳かな顔で聴いていないと、絵から怒鳴られるんじゃないか、と震えたものです。

嘘です2。
つまりませんでしたね、すみません。

バッハ父さんは、それでもやっぱり、がっちりした大きな作品で有名で、作った音楽にも、がっちりイメージが強いんですよね。

ですから、お気軽な曲も作ってたのね、と知らされたときのショックは、音楽の母が男性であることと、ひけをとりません。

農民カンタータと呼ばれている「わしらの新しい御領主に Mer hahn en neue Oberkeet」BWV212は、私にとって、とりわけ衝撃的でした。

たった3つプラス1(ヴァイオリン、ヴィオラ、バスと、通奏低音と呼ばれるチェンバロ)による、小さな序曲〜シンフォニア〜で始まるのですが、これが謹厳父さんバッハのイメージをまったく崩してしまうほど、この人の作った中では例外的に支離滅裂な出来なのであります。


(ホグウッド/エンシェント室内管 DECCA POCL-4780)

速いワルツ風で始まったかと思ったら、あっという間に2拍子〜ゆっくりした6拍子〜また速い2拍子〜またまた遅い、落ち込んだふうな3拍子〜になったと思ったら掌返しの陽気な速い2拍子(短調)、と、曲の調子が目まぐるしく変わって、また最初と同じワルツ風に戻って終わります。ダンス曲の寄せ集めでもあるようです。
クラシック作品の数は海の真砂の如し、とはいっても、7つの部分がチマチマと繋ぎあわされた、こういうつくりの序曲は、今なお大変珍しいのではないかと思います。

で、このあと、節つきのしゃべり(レシタティーヴォ)を除くと11の歌が続くのですけれど、当時のドイツの田舎世間で流行っていたメロディをふんだんに採り入れているんだそうです。

中でも第8曲(歌としては4つ目)は、「ラ・フォリア」という、長くスペインを代表する節として名高かったものを使っています。


(カークビー/ホグウッド/エンシェント室内管 DECCA POCL-4780)

この節【というより、本当は、くっ付いている低音部が音楽を作る人たちの宝物だったのですけれど】は、イタリアのコレッリさん(1653〜1713)がヴァイオリンのソナタに仕上げたものや、イギリスに渡ったジェミニアーニさん(1682〜1762)が合奏協奏曲なる曲種に仕立てたものが有名で、モーツァルト毒殺のぬれぎぬを着せられたサリエーリ先生もオーケストラ用の変奏曲にしていて、寿命の長い流行メロディです。

まだ生きている間に、若手の元気な評論家から
「あんたは古い!」
とけちょんけちょんにけなされたバッハ父さん。

決して「古くさい」頭の人ではなかった、と、私たちに知らせてくれる、この「農民カンタータ」は、貴重な作品だ、と、私は思っております。

理屈を少しだけ言うと、バッハがイタリアの作品を編曲したり真似たりしたどんな作品よりも、この「農民カンタータ」は、ずっと純粋に、当時のイタリアの音楽と同じ響きがします。そこが、この作品を私が貴重だと考える由縁です。
デタラメに聞こえる最初のシンフォニアの精巧な「デタラメ」には、モーツァルトの「音楽の冗談」では崩されている気品がしっかり保たれているのも、気づくと背筋がぞっとする凄さを持っています。
・・・が、そんな理屈を言うと、曲そのものの面白さが損なわれます。

どうぞ、ここを覗いて下さった方には、手放しでお楽しみ頂ければと存じます。

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2013年1月 4日 (金)

たのくらしっく4:まずは何でもやってみよう(山田耕筰の長唄交響曲)

1)落語で聴く「ピーターと狼」 2)クリスマスのおとうちゃん(シュッツ) 
3)コップも鳴らしたモーツァルト


山田耕筰:長唄交響曲「鶴亀」本調子の部分

湯浅卓雄 指揮/東京都交響楽団/長唄東音会
NAXOS 8.557971J

51fllkbgzzl_sl500_aa300_ 新年はめでたい見物で明かす、というのが日本古来の伝統だそうであります。
それは一つにはお笑いで、昨年亡くなった小沢昭一さんが「日本の放浪芸」というシリーズで記録を残して下さった中に、映像編の方で「三河万歳」があったりして、
「笑う門には福来たる」
に従ってかどうか分かりませんが、マンザイをやる人が「門付け」というのをやる。
こうしてもたらされた呵々大笑にお施物を渡して(というからには門付けしてもらったお家の方が位が高いことになるのですけれど)、福をものにした。
いまも正月番組はお笑いが主ですけれど、テレビにお施物を渡す必要はないし、芸人さんも笑いを振りまいてへりくだる必要もない。身分意識が必要でなくなったのと交換に、お客の顔を見ながらの芸でもなければ、福を願って待ち望んで受け入れる笑いでもないものになっている。
それでいい、と思うか、良くない、と思うかは価値観の問題なのかな、とも感じますので立ち入りませんが、せめて舞台に出掛けて以心伝心を味わいながら笑える方が嬉しいかも知れない、という気もするのであります。

儀式的な舞台を拝見して祝う、というのもありまして、笑いそのものではないけれど、囃子の調べの華やぎで心がぱあっと明るくなるのはまた、格別なのではないでしょうか。
そんな明るさは、江戸期には武家方は格式のある謡いを通じて味わったのでしたけれど、町方は長唄によったのでした。

明治以降、洋楽=ヨーロッパの音楽が日本に入ってきてから馴染まれるようになるまでは、次第に増えて行った洋楽畑の音楽家たちは、300年近い時間をかけて整ってきたこの伝統の中に洋楽をどう溶け込ませるか、で、いろんな工夫を重ねたのですね。琴の「さくら、さくら」を洋楽の形式である変奏曲にしたのなんかも、そんな工夫の一つです。
中でも、飛び抜けてびっくりするような試みをしたのが、山田耕筰ではなかったかと思います。

冒頭に引いた音声は、長唄交響曲というもので、長唄そのものの背景に洋楽オーケストラの音が絶えず鳴り響いています。和楽器が洋楽の中に組み込まれた作品は当たり前に耳にしますけれど、長唄そのものがオーケストラと一緒に鳴る、だなんて楽譜を書いたものは、私はこの「鶴亀」で初めて聞きました。
もっとも、山田耕筰はこの「鶴亀」につけたオーケストラ音楽に先だって同様の試みを2作行なっていたとのことで(楽譜は残っていない由)、山田がこのような作品を書いた前年には東京音楽学校(現:東京芸大)のひとたちが西洋管弦楽を伴う長唄の新作・・・「曙」という曲・・・を共作したりしていたそうではあります(音源を引いたCDの解説から)。

でも、どうでしょう・・・面白いのですけれど、私はどうしても、長唄の方に注意すると管弦楽の方が聴けず、管弦楽の方に注意すると長唄が分からなくなる気がします。この方法が日本の伝統と洋楽を結びつける上では結果的に埋もれてしまったのも無理はなかったのではないかと感じます。

とは言っても、
「とにかくまずは何でもやってみよう」
精神が、こんなふうにむき出しになっていなければ、
「じゃあ次はどうしてみようか」
も生まれてこない。

山田耕筰の七転八倒は、あらためてみなおされていいのではないかなぁ、と感じる次第です。

「鶴亀」自体は、幕末期に出来たオリジナルの長唄です。
引用部の、長唄の方の詞を、参考までに記しておきます。

めでたい内容なので、山田耕筰のこの長唄交響曲も、初演から4年後の1938年には元旦に演奏されたのだそうです。

月宮殿の白衣のたもと 月宮殿の白衣のたもと
いろいろ妙なる花の袖
秋は時雨の紅葉の羽袖 冬は冴えゆく雪のたもとを
翻へす衣も薄むらさきの 雲の上人の舞楽の声々に
寛裳羽衣の曲をなせば
山河草木国土豊に 千代よろづ代と舞ひたまえば
官人駕輿丁みこしを早め
君の齢も長生殿に 君の齢も長生殿に
還御なるこそ目出度けれ


 

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2012年12月28日 (金)

たのくらしっく3:コップも鳴らしたモーツァルト

1)落語で聴く「ピーターと狼」 2)クリスマスのおとうちゃん(シュッツ)


51let2vfil_sl500_aa280_ 忘年会のシーズンもようやく終わりが近づき、一発芸も持たない、こてこてのクラシックマニアは、ほっと一息なのであります。
でも、まだ新年会があるのでございます。
「まぁ、おめぇにナンニも出来ねぇのはわかっちゃいるんだがな」
と言われて、
「はい、そのとおりで」
と、新たな年もまた頭を下げて小さくなっていたんでは、ホントに芸がありません。
「クラなんとかいう音楽っちゅうのが好きだとぬかしちょるけんどよぅ、そんなのお蔵入りばっかりしたもんばっかりだろ。悔しかったら懐メロのカラオケの一つも歌ってみろよ」
「いぇいぇ、あの、歌はからきしダメなんでして・・・あ、でも、そうだ、ここにビールのコップがひとつ、あるでげしょ?」
そう、ビールのコップがひとつあれば、ちょこっとした芸がやれるんですね。
あ、くれぐれも間違えちゃいけません。
コップは、ガラスじゃなけりゃダメですからね。

ガラスのコップに適当に水を入れます。指を濡らすんで、飲むのとは別に、口を付けないやつを用意しましょうね。

「よござんすか?」

と、おもむろに、コップの中に人差し指を突っ込みます。中の水に指をひたしてタップリ濡らし、それでコップの縁を撫でて、まず縁を濡らします。

「こっからでげすよ!」

もう一回、コップの中に指を突っ込みます。指先を濡らします。
あらかじめ濡らしたコップの縁を、いま濡らした指で、丸くたどるようにゆるゆる撫でます。
そうすると、UFOがやってくるときのような(?)、すんだキーン、という音が、ふわんふわんと鳴り出します。
少し練習がいりますけれど、
「ふ〜ん、おめぇもひとつくらいは面白いことが出来るんじゃねぇか」
と、感心してもらえ・・・るかどうかは、分かりません。

ご健闘をお祈りしております。

ビールのコップだとそこまでしか出来ませんが、ガラスのコップ・・・というよりワイングラスやブランデーグラスみたいなものをたくさん揃えれば、曲も演奏出来ます。
モーツァルトもグラスを鳴らす曲を書いているのは有名ですね。
こんな曲です。


(Bruno Hoffmann  1987  VOX ACD8174)
http://www.amazon.co.jp/dp/B0047ZJ46K/

モーツァルトも、コップを鳴らす一芸を披露してたんでしょう・・・かというと、そんなわけではなかったんですけど。

グラスをたくさんならべて鳴らす(このときはグラスハープというふうに呼ばれるそうです)のはたいへんなので、ベンジャミン・フランクリンがさまざまな直径のガラスの輪をならべてグルグル回すアルモニカ(グラスハーモニカ)というものを1761年に発明したんだそうです。


そのアルモニカのために、モーツァルトや同世代の作曲家さんたちが、いくつも曲を書いています。

でも、このアルモニカは60年後にはいったんすたれてしまいましたので、モーツァルトのこのシンプルで美しいアダージョは、いまはピアノの曲集に収められています。ピアノですと演奏がそんなに難しくありませんので、お弾きになってみてはいかがでしょうか?

楽譜
http://imslp.org/wiki/Adagio_in_C_major,_K.356/617a_%28Mozart,_Wolfgang_Amadeus%29

以下、リンクをクリックしてご覧下さい。

クラヴィコードという楽器で弾いた演奏例(筒井一貴さん)
http://youtu.be/aqUwr7cz8JA

現代のピアノによる演奏(今井顕さん)
http://youtu.be/0bpOwwhtZF8

モーツァルトによる、もうすこし大規模な、グラスハーモニカのための作品(K617)の一部。これはグラスハーモニカでの演奏です。
http://youtu.be/N7_SjIlmtIw

今回載せたアダージョをグラスを並べた状態で、お二人で演奏している動画もありました。施設のお子さんたちでも対象にしてなさった演奏会だったのか、声が入っていますけれど、とてもいい演奏だと思いますので、載せておきます。・・・ずいぶんたくさんのグラスが必要になるのが分かりますね。
http://youtu.be/GsTZJN3_yg0

こんなところで。

よい年をお迎え下さい。(2012年暮)

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2012年12月21日 (金)

たのくらしっく2:クリスマスのおとうちゃん

1)落語で聴く「ピーターと狼」


時節柄ですからクリスマスの音楽を聴きたいのですが、そのまえに、クリスマスにおとうちゃんは何をするのかを振り返っておきましょう。

51ptj3e10wl クリスマスイヴのお祝いでおかあちゃんと子供たちがウチで盛り上がっている時に、おとうちゃんは混じってはいけない、みたいなのが、昭和の後半からずっと、日本のサラリーマン家庭のしきたりのような具合だったんじゃないかなぁ。
追い出されたおとうちゃんは、中年オヤジ集団で飲んだくれて、赤い三角帽子なんか被って首に金モールをかけたりして、飲屋街を行く若者たちに白い目で見られても、表向きはなんのその、で生きていた。
で、子供が寝静まった頃、ようやく帰宅許可が出るのですけれど、帰れば、サンタさんの名代というかお手伝いというか、とにかくプレゼントを担いで働きなさい、みたいな、おかあちゃんの命令が待っているのです。
「プレゼント運んでるとこは絶対に気づかれちゃダメよ!」
と釘を刺され、酔いでふらふらになって、ついドアなんかに勢いよくぶつかって
「ばたん! ドタ!」
なんて音を立てようもんなら、厳しくにらまれる。
・・・恥も外聞もないくらいいい気分だった酔いが、一気にさめるのであります。

でもって、プレゼントの届け手は、あくまでサンタさんなのです。
朝目が覚めた子供たちは、
「わ〜い、サンタさん、ありがとう!」
と満面の笑み。
日向の無い陰で働いたおとっちゃんが、日の目を見ることは、永遠に無いのであります。

キリストになったイエスさまが生まれた本家本元のクリスマスのときも、イエスさまのおとうちゃんであるはずのヨセフさんも、同じでありました。いや、飲んだくれはしなかったし、イエスさまへのプレゼントは他の人が持ってきたんです。
でも、イエスさまのおとうちゃんは、あくまで「神さま」だったし、いまでも誰でもそう信じています。
今の世のおとうちゃんより、分が悪い。

しかも、ヨセフおとうちゃんには、もっと大事な仕事が待っていたのです。

ドイツで昔々りっぱな音楽をたくさん書いたシュッツおじさんの、「クリスマスの物語」という作品の中で、「イエスさまがうまれましためでたいね」事件がようやく落ち着いて、やっと眠れたばっかりのヨセフおとうちゃんは、天使に起こされます。

Stehe auf, Joseph,                 起きなさい、ヨセフ
und nimm das Kindlein und seine Mutter zu dir,  そして御子とその母を連れて
und fleucht in Ägyptenland,             エジプトの地に逃れなさい
und bleibe allda, bis ich dir sage,         そして私がいいと言うまでとどまるのです
dann es ist vorhanden,                なんとならば
daß Herodes das Kindlein suche;         ヘロデ王が御子を探しているのです
dasselbe umzubringen.              殺そうとして。
(訳は多少多々いい加減ですがお許し下さい。)

Oxford Camerata(1995)
Naxos DDD 8.553514 http://www.amazon.co.jp/dp/B00005F4QS/

・・・新約聖書のお話です。イエスの誕生は預言された「ユダヤの王の誕生」だったので、脅かされることになった時の実際の(世俗の)王だったヘロデは、イエスの居場所を見つけて殺そうとした。
そんな大きな危険から、自分が養わなければならないこの生まれたばかりの男の子を守りなさい、と、ヨセフは天使に命じられる。それで、休む間もなく、ユダヤの人たちから遠く離れたエジプトへと、赤ん坊とその母親をいのちがけで連れ出したのでした。

世のおとうちゃんすべてにとって、子供は、たしかに自分の腹から生まれることはない。
本当に我が子か、と疑えば疑える。
俺の子にしては、なんだか顔立ちが整い過ぎてて、足も長そうだ・・・赤ん坊の足が自分より長いなんて、どうして分かるのか分かりませんが、そんな疑いを持とうと思えばきりがない。
でも、かわいいんですよ。
守ってやりたいんですよ。

だから、クリスマスは、
「子供たちを大きな危険から守りなさい、欲張らないで、まずは自分の傍にいる子を一人でも守れればいいのだけれどね」
と、天使様が、おとうちゃんすべてに、年に一度あらためて命じる日なのかも知れません。

長話になって恐縮ですが、シュッツおじさんの「クリスマスの物語」は、全体で聴くと、いろいろ面白いんです。お話がドイツ語で歌われるんですけれど、ドイツ語がわからなくても面白い(ちとむりやりか? でも、おいらだってドイツ語ちゃんとは分からんし)。

「ピータと狼」では、フルート(きらきらした横笛)が小鳥、オーボエ(チャルメラを上品にしたみたいな音のやつ)がアヒル、クラリネット(なんか色っぽいねいろの縦笛)が猫・・・というぐあいに、ある楽器の音色がある登場人物(登場動物)をあらわしていました。

シュッツおじさんも、「クリスマスの物語」のなかで、似たようなことをしています。

音楽の引用はしていないので、末尾につけたリンクで試聴出来ますから、それで確かめてみてくださいね。

笛があらわすのは羊飼いたちです。
トロンボーンがあらわすのは、お坊さんたち。
トランペット(コルネット?)では俗世間の王様をあらわしています。
ただし、350年くらい前(2012年現在値)のおじさんなので、シュッツおじさんの方が、じつはずっと先輩です。(トロンボーンとかトランペットとかは、シュッツおじさんの時代にはそれそれサックバットとかツィンクという名前の、ちょっと違う楽器だったかも知れません。)

もうひとつ面白いことをやっています。
笛とかトロンボーンとかトランペットであらわされる「世の中の一般人」が主役の部分の音楽は、2拍子系・・・「1、2、1、2」っていうかんじです。
で、天使の音楽のところは3秒死刑・・・違う!(トンデモナイ誤変換もあるんですね!)3拍子系で、「1、2、3、1、2、3」みたいになっています。
これについては学者さんなら理由が分かっているので難しいことを言うのでしょうけれど、ここでは、
「なんでそうなったかと言えば、3拍子の方が2拍子とか4拍子より<完全な>リズム、と考えられていたから」
くらいのお話にしておきます。
(間違いだったりして!)

拍子、リズムで特別ななにかをあらわすのは、行進曲だのラヴソングにもありますけれど、楽器の音色でキャラを表現する、なんてあたりは、ほぼクラシック独特の楽しみなんじゃないかなぁ。

・・・喋り過ぎました。

引いたのとは別のCDですが、こちらで試聴が出来ます。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005EH4M
このの、「1. クリスマス・オラトリオ「イエス・キリスト降誕の物語」(クリスマス・ヒストーリエ)SWV435」のところをクリックしてみて下さい。

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2012年12月15日 (土)

たのくらしっく1:落語で聴く「ピーターと狼」

マニアはごたくをならべるのが大好きなので、それはそれとして許してもらいましょう。
「たのくらしっく」とタイトルに冠する時は、無条件に楽しむ、というのを条件に行ってみたいと思います。


さて、あたくしは、とりわけクラシックと呼ばれている音楽が大好きで、今日まで生きてまいりました。

ところが、兎角「クラシック」というと、高級だとか、堅苦しいだとか、そういう評判のほうがたかくて、
「貧乏人のあたいには似合わない種類のものなのかなぁ」
と頭を悩ませることも、始終ございました。

それでもこりずに、素人の楽隊なんぞに入れてもらって、口三味線を弾かせてもらったりしとるんではございますが、クラシックの楽隊に行くと
「俺ぁ、演歌なんてもんは音楽じゃねぇと思ってる」
とぬか・・・おっしゃる先輩なんぞもおいでになりましたし、妙齢のご夫人が色っぽく
「わたくし、カラオケというものに出掛けたことがございませんの」
とお誘い下さったのでお連れしましたら、中に入ったとたん
「なによ、ここ!」
と飛び出られたこともございました。いえ、ただのカラオケやさんだったんですよ。いまみたいにボックスにもなってませんでしたけれども。

そういうひとたちに聴かせたら、目くじらたてて、頭から湯気出されそうな一品が、こちらでございます。

「ピーターと狼」キャラクター紹介場面

語り:古今亭志ん朝
山本直純指揮・日本フィルハーモニー交響楽団
1967年7月25日収録
(Columbia Music Entertainment COCQ83645)

引いたのはキャラクター紹介の部分ですが、この前に「前口上」があり、後に本編が続きます。

お聴きになって、こりゃあイケる、と思って下すったら、どうぞCDをお買い求め頂けますようにお願い申し上げます。

「抜き衣紋に着物を着て」なんて、今じゃあそうそう聞けない、いい言葉ですねぇ・・・「はりみせ」だとか「おいらん」だとか。。。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00008NX1E/

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ところで、この音楽を書いたプロコフィエフ、って人はたいへんにくッたらしい物言いをしていたお人のようですが、ソ連当時にはショスタコーヴィチさんのおうち(別荘)のご近所さんで(こちらも別荘)、ショスタコーヴィチ家の子供たちがときどき覗きに行っては怒鳴られるので、かえって子供たちが面白がって、しょっちゅう覗きに行っては怒鳴らせて大笑いしてた、ってお話もあったかと記憶しております。いま、我が家が工事中で、書いてある本を引っぱり出して来れません。
子供好きでもなかったらしいプロコフィエフさんが、なんでこんな曲を書いたのか、は、全然分かっていないようでございます。

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