音を読む

2014年10月15日 (水)

絵巻物のような〜「最後の望み」Letzte Hoffnung:シューベルト『冬の旅』第16曲

図形楽譜というのがあって、私らのように読み方が分からないと、ただの絵のように見えて仕方がありません。

こんど河合拓始さんによる図形楽譜講習会があるようだから、行ってみようかしら・・・
ちょっと時間がとれるかどうか分からないけど・・・
http://www.as-tetra.info/archives/2014/141024193000.html

そうではない、五線譜に書かれた楽譜でも、ときどき絵のように見えてビックリさせられるものがあります。

まさに絵に見えて、おお、と感心したのが、シューベルト『冬の旅』の第16曲(Letzte Hoffnung 最後の望み)です。

これ、詩を先に読んでいただきますと、こんなかんじです。
あんまりうまい訳じゃありませんが!

Hie und da an den Bäumen      ちらほらと 木々に
Manches bunte Blatt zu sehn,     色づいている葉
Und ich bleibe vor den Bäumen    とどまり わたしは
Oftmals in Gedanken stehn.      思いにふける

Schaue nach dem einen Blatte,     ひと葉を見つめて
Hänge meine Hoffnung dran,      望みをたくすも
Spielt der Wind mit meinem Blatte,   風のたわむれに
Zittr' ich, was ich zittern kann.       身震いがする

Ach, und fällt das Blatt zu Boden,   ああ、地に葉が落ちる
Fällt mit ihm die Hoffnung ab,     望みも潰える
Fäll' ich selber mit zu Boden,       くずおれるわたし
Wein' auf meiner Hoffnung Grab.     泣き伏すよ 望みの墓に 

詩のムードの悲しさは措きます。情景を見ましょう。
第1節は、木に葉っぱが残っている。
第2節で、葉っぱは風に吹かれて危機に瀕します。でもまだ木にくっついてる。
第3節の前半で、葉っぱがとうとう落ちます。ハラハラ、ホロホロ、って感じ?
第3節後半、がっかりした「わたし」が倒れます。

詩の情景がみえたところで、楽譜をご覧下さい。
こちらにPDFがありますので適宜。ただし『冬の旅』全曲です。
http://imslp.org/wiki/Winterreise,_D.911_%28Schubert,_Franz%29

Winterrise16_2

五線譜を読み慣れているかたは、区切り線と区切り線のあいだ(小節線にはさまれたあいだ)を1、2と数えるのは先刻ご承知でしょうが、読み慣れていない方は、そう数えるもんだと思って下さい。(ただ、これは弱起なので2/4と表紙が書かれて音符が1個入っている最初の箇所は数えません。ここは0だと思って下さい。)

20小節目・・・画像の左半分の、いちばん下の段の、左から数えて3つめの小節まで・・・は、木に葉っぱがくっついている。ドイツ語でmanches bunte Blattとあるので、色づいた葉がまだたくさん(manches)あるんですけど、色づくんだから広葉樹です。枯れ木にぱらぱらっと葉っぱがのこっている、あのまばらな感じをイメージすると、ここまでの音符の並び方は、ちょうどそれを絵に描いたように、私には見えます。

そのあと、風が吹いて・・・詩の中ではもうとっくに風は吹いているのですけれど・・・葉っぱがさらさらさら、と地面に落ちていきます。地面が近いほど、葉っぱの落ちるスピードも遅くなります。(ちなみに26小節〜28小節と32小節〜33小節の16分音符は、ベーレンライター版の新しい楽譜だと連桁になっています。)
これが、楽譜の右半分の、そのまた上半分。
最後の下半分は、それを見てがっかりした「わたし」の嘆き。

・・・うーん、こんな見え方するのは、ヘンですか???

楽譜はあくまで、どう響かせたいかを第一に考えて書かれているはずなので、それそのものが絵になるのだとしたら、とくに五線譜の場合は偶然だと言えるのかも知れません。
一方で、しかし、とくに歌曲の場合は、言葉の背景にあるものを伴奏側に書き込む意図もありますから、音の動き・流れが絵模様に見えるのは、あるいは自然なことであるのかも知れません。
この歌はとくに落葉のさまを詠い込んでいるので、五線を木の枝に、音符ひとつひとつを葉に見立てることも容易です。見立てによる主観が楽譜を絵に見せる可能性もあるのだと思います。

ただ、音楽には時間の流れが組み込まれているので、絵であるとしても静止した一場面の類いにはなりません。ですので、本当は楽譜を全部(3段1セットの)1行にまとめて、横長に繋げた方が分かりやすいのでしょう。すると、ちょうど日本の絵巻物のようになります。

西洋絵画でも、中世からルネサンスのものはとくに、ひとつのキャンバスに、上から順にとかしたから順にとか、中央から左巻きの螺旋状にとか、時間の流れを描いたものが豊富にあります。そういう絵の一貫として眺められる楽譜があっても、まあ自然で面白いことではないのかなあ・・・

と思う私がヘンだと思われるなら、ヘンでも結構ですヨ!
別に、ひねくれてそう言うのではなくて。

フィッシャー=ディースカウ晩年の映像がYouTubeにありました。
ペライアの伴奏。
さすがに老いの衰えがありますけれど。

http://youtu.be/jhr5mDlkAu4

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2011年12月 4日 (日)

【音を読む】古代の鳥はどう描かれているか?~雅楽「迦陵頻急」

初歩の「十二音」簡単なバランス崩し同じものをつかいまわす(能)・伸ばして重ねる畳んで開くいっそ絵にしてみる


20世紀の鳥はフランスのメシアンが音で描いていたのですが、古代の音ではどうだったのでしょう?

日本の雅楽の「迦陵頻急」というのが、想像上のものとは言え、鳥が舞うものです。この舞楽、舞のほうは子供が舞うシンプルなものですが、シンプルだけにかえって、鳥の悠々とした飛翔を見せてもらえるように感じられます。
では、楽の音はどうか、となると・・・う~ん、古代人は発想が違ったのかな? 音で鳥を描いているようでもあり、そうではないようでもあります。

私は実際の雅楽には縁がないので、舞はDVD(*2)で、成人したかしないかの若い女性が舞う映像で拝見しました。YouTubeには子供が舞ったものがありますので、そちらをリンクしておきます。


この調べから、鳥、あるいは鳥の飛翔をかたちに思い浮かべるのは、現代の私たちには無理でしょう?
それは、日本のものに限らず、「起こりが古い」と分かっている音楽すべてに言えることではないのかなぁ、と感じています。もし感じられるような調べがあれば・・・各地で収録された民族音楽・民俗音楽にはそのようなものもあるのですけれど・・・、どこかに近世の空気が混じり込んでいるんではなかろうかと勘ぐりたくなります。本当にそうなのかどうかは確かめる術はないのですが、怪しんでよいことではないかと考えます。

雅楽の笛がどんな音でどう吹くのかについては、譜ではカタカナで書かれる「唱歌(しょうが)」を口移しで教えてもらい、記憶することで、吹くべき調べを身につけます。
楽家の安倍季昌さんがご著書『雅楽篳篥 千年の秘伝』(たちばな出版、平成20年)の中で

「(篳篥などは)唱歌【しょうが】がしっかりできていないと、吹くことはむずかしいと思います」
と述べられています。
これは他の伝統邦楽にも通ずることでしょうが、本当は西洋音楽を演奏する際にも大変重要なことではないのかなぁ、と、最近感じております。

それは措いても、とりあえず雅楽の音を総合的に捉えるには、五線譜に置き換えるよりは篳篥と笛の対比を唱歌の仮名で目に出来るようにしたほうが、接し方としてはいいのかな、と思います。音程【音の高さ】や音価【音の長さ】、あるいは滑らかにするのか切り上げるのかなどの微細な部分は必ずしも五線譜に移しきれないからです(*1)。

ただし、パソコン上でベタのままで篳篥と龍笛の対比を細かいところまでをきれいにさせるのは難しいので、簡単に整理したものを、本文末尾に掲げます。 実際の雅楽譜は、こんなふうです。(*2)

それぞれを、上の映像の音声を聴きながら一巡目だけでも併せて読んでみているうちに、調べと譜の関係の雰囲気だけは何とか分かってくるでしょう。いちばん右の黒丸は洋楽で言う小節の区切りを表すもの、真中のカナは旋律を表すものすなわち「唱歌」、左の漢字みたいな記号が音程を表すもの、となっています。 唱歌は音程をもある程度表すものになっていますので、篳篥譜の唱歌を西欧式音名と対比させたものも載せようかと思っていましたが、スペースと時間とアタクシの能力の都合上、とりあえずやめました。ご容赦下さい。

龍笛譜

Karyobinnokyuryuteki

篳篥譜

Karyobinnokyuhichiriki

「迦陵頻急」でとられているのは壹越調という、D(固定ドで「レ」)を主音とした旋法【節の巡り】です。(*3)
こむずかしいのですが、本来、この壹越調を理屈通りに捉えると<ニ長調>に相当するものであるところ、実際に耳に入るのは、アバウトいわゆる「都節」音階で、(固定ドで)「ファ#」にあたる音がほとんど半音下がり、短調のような雰囲気を醸成しています。
すなわち、旋法の理屈では壹越調は「レ・ミ・ファ#・(ソ)・ラ・シ」なのですけれど、迦陵頻急ではどちらかというと「レ・ミ・ファ(シャープつかず)・(ソ)・ラ・シ」という音階の構成になっているのです。(これは理屈の上の呂旋法と律旋法が入り組んだものになっています。)
なおかつ、本当は理屈では「レ」が落ち着きどころにならなければならないのに、この調べで篳篥がならすいちばん高い音が「ラ」で、これが聴き手にも音楽の落ち着きどころと感じられるのが大きな特徴です。(すなわち、節は主音【宮(きゅう)】であるはずの「レ」よりも、ほぼ一貫して五度上【ドミナント=徴(ち)】の「ラ」のほうに強烈な引力を持っているのが、<迦陵頻急>の大きな特徴です。*3)

さて、細かい話。

雅楽譜の骨組みを舞の節と各楽器で重ねてみると、次のようになります。
ほんとうは雅楽譜の小さいカナまで含めないと旋律線が正しく把握出来ませんが、便宜上大きな仮名だけで代表させ、洋楽で言う一小節相当分を二文字までで収めてみることにします。(*2)


篳篥(大きな仮名だけ)
龍笛(大きな仮名だけ)

太鼓(CD「舞楽」の舞譜によるところだけ。
   実際には前に「百(ドン)」の前に「図(ず)」が入る。
   また、舞5節目からは加拍子となる。)

という並びにしています。

なお、笙の合竹の基音(迦陵頻急に使われているもののみ)はこのようです。
凢=D、乙=E、下=F#、十=G、乞=A、工=C#
これにより、笙は呂旋をきちんと保っていることが分かります。

舞               |2節
篳|チイ|チイ|引ラ|ロロ|チイ|引ラ|ロヲ|ホリ|
笛|タア|タア|ハア|チラ|リラ|ララ|チリ|アラ|
笙|乞 |引 |乞 |一 |乞 |引 |一 |下乞|
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

舞               |3節
篳|ヒイ|タア|リイ|チラ|リイ|チイ|ヒイ|引引|
笛|ア引|リラ|ラア|タラ|ラア|タア|ハア|引引|
笙|乞 |下 |乞 |乞下|乞 |引 |乞 |引 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

舞               |4節
篳|チイ|引イ|リイ|レラ|タア|ハラ|ラア|ラア|
笛|タア|ハア|チヤ|リラ|タア|ハラ|トヲ|ラア|
笙|乞 |乞 |十 |下 |下 |下乙|乙 |下 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

舞               |5節
篳|ラア|タラ|リイ|引タ|リイ|チイ|ヒイ|引引|
笛|ラア|タラ|ロヲ|リタ|ロヲ|トヲ|リイ|引引|
笙|下 |下乙|凢 |凢下|凢 |引 |凢 |引 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

                |6節
篳|タア|ロル|チイ|ロル|リイ|チロ|ラア|引ア|
笛|ラロ|ロル|トヲ|ロル|ロヲ|リロ|ラア|タア|
笙|凢 |一 |凢 |一 |凢 |凢乙|下 |引 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

                |7節
篳|ラア|タラ|リイ|チロ|ラア|タア|ラア|引引|
笛|ラア|タラ|ロヲ|リロ|ラア|タア|ラア|引引|
笙|下 |下乙|凢 |凢乙|下 |引 |下 |引 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

舞                |8節
篳|タア|ハラ|ラア|ララ|リ*イ|チタ|ハリ|チイ|
笛|タア|ハラ|トヲ|ララ|タ*ア|タタ|ロヲ|トヲ|
笙|下 |下乙|乙 |下 |乞* |下乙|凢 |引 |
太|  |  |  |  |百* |  |  |  |

舞               |退出の舞~入手へ
篳|ヒイ|チイ|ロヲ|チロ|リイ|チイ|ヒイ|引引|
笛|引引|トヲ|ロヲ|チヤ|ロヲ|トヲ|リイ|引引|
笙|凢 |凢工|乞 |一 |凢 |引 |凢 |引 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

CD「舞楽」収録の演奏では、三巡目で、*で舞が終わり、そのあと壹越調の定型の終止形が演奏されています。聴き流している分には不自然さはないものの、それまでの「ラ」を中心とした節のめぐりからすると、それは実はかなり唐突なことなのではないかと思います。
このあたりの、「節のめぐり」というものについて、あらためて考えてみる必要を感じます。

打物(太鼓)は最も基本となる打音は5塊目、すなわち八単位の後半が始まるところで打たれるのですけれど、管を主体に考えればそのような位置にきてしまうものの、舞を主体として考えた時には、舞の区切り目のところで打たれているのが、上の譜の対比から明確になります。つまり、雅楽(舞楽)の構成は、まず舞を主体として太鼓の鳴る位置が決まっており、管は舞が実際に始まるところからを主体にするため、譜ではその位置を調整することになっているのではないかと見て取れます。太鼓の最初の打音(正しくは1つ前に予備の打音が入りますが)は節の8塊の中間位置に入るのが原則となっていて、それが雅楽の【西洋音楽的な意味での】拍子・・・早四拍子だとか早八拍子だとか・・・を決定づけるのだろうと思われるのです。

譜づらについて、素人として興味深いのは、雅楽の管の譜は、篳篥・龍笛・笙のどれもが、能の八割譜のように、八つの単位をひとまとまりにして描かれていることです。とはいえ、これはおそらく近世~近代に整理され得たことだと思われ、能の譜の歴史と併せてきちんと見直されなければならないでしょう。

こんなところで。


*1:雅楽の調べを五線譜に移した優れた譜例は、私たち一般の者が手に出来る限りでは、増本喜久子『雅楽』に豊富に収録されています。これらは他の書籍が伝統邦楽を五線譜に移したものに比べて遥かに精度が高いものだと感じていて、尊敬すべきお仕事だと頭を下げる思いで読ませて頂いております。しかしながら、それだけきちんと拾ったものでも、やはりとくに音価については雅楽の持つ習慣を柔軟に記すことは出来ていません。そのあたりは五線譜の宿命なのだろうとも強く感じます。

*2:雅楽の譜は天理教道友社のものによりました。手に出来たのは、篳篥・龍笛が2009年、笙が1973年の出版のものです。CDは東京楽所【がくそ】『舞楽』(日本コロンビア COCJ-30793)を聴きました。舞、太鼓の区切りは、芝祐靖さん監修の同CDリーフレットによって把握をしました。

*3:「迦陵頻急」でとられているのは壹越調(宮【主音というより終止音というべきでしょうか】がDとされている)で「君が代」と同じ旋法なのですけれど、迦陵頻急はD音よりも五度上(徴【ち】)にあたるA音を中心にした節回しになっています。Aを終止音とするのは黄鐘調なのでして、黄鐘調は「迦陵頻急」が用いているような音の進行は全くしないので、これはヨーロッパのグレゴリオ聖歌でとられているものと対比すると<変格旋法>とでも呼べばいいのだろうか、と思われてきます。事実、壹越調の楽曲には迦陵頻急とは異なってA音を中心とはしないものもあります(「胡飲酒破」、あるいは歌謡の場合にはD音を落ち着きどころにしているのではないか、というのが、たとえば「春過」を耳にしての印象です)。といいながら、これは壹越調だけに限らず雅楽の調べは管絃では徴【宮から五度上の音】を軸に巡る傾向が強いとの印象も一方ではあり、簡単に結論づけないで数をたくさんきちんと調べる必要があります。
なお、黄鐘調と壹越調は前者が律旋、後者が呂旋ですが普通は(舞楽の場合)笙の和音のみに痕跡があるだけで管の旋律では使われている「音階」は区分が出来ないように思います(いずれもいわゆる都節音階の租型かと感じます。無理に「都節」だとか「イレギュラーな律旋」だという必要は無いと思いますが、それは学問をなさる方の世界では許容されそうにありません)。ただし、「迦陵頻急」の、明治神宮で収録された舞のバックで演奏されている楽は、管が呂旋の音程で吹かれる傾向が耳に留まります。DVD~『生きた正倉院 雅楽』Oldsea

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2011年11月19日 (土)

【音を読む】いっそ絵にしてみる~メシアン「鳥のカタログ」第1曲

初歩の「十二音」簡単なバランス崩し同じものをつかいまわす伸ばして重ねる畳んで開く


スキャナを使っていませんし、まともなデジカメもいま持っていません(子供たちに取られた【泣】)ので、ケータイで撮ったらピンボケ画像ばかりになりました。お許し下さい。

図柄になる楽譜の・・・手っ取り早いのは図形楽譜でしょうが、そうではないものとして・・・サンプルに、このまえはまたもウェーベルン作品を取り出してみたのでした。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-90f8.html

「いや、図を描くくらいならいっそのこと音の絵を描こう!」
とでもいえる試みをしたのが、オリヴィエ・メシアンの『鳥のカタログ』だ、ということにしておきましょう。

その最初の<絵>を眺めてみます。

00chocarddesalpes

・・・あ、これはメシアンの描いた絵ではありません。@MasakiKawamura

作曲家ですから、音で絵を描いたんですね。

こんな感じ。
←クリックで聴けます。(*1)

ウゴルスキというピアニストさんが録音したCDの日本語盤には、石田一志さんと村上美佐子さんがタイムテーブルに沿って絵の中身をまとめて下さったリーフレットがついていました(*1)。
これの大枠を引用させて頂き、楽譜例を幾つか掲載して、目で確かめてみましょう。上の演奏を追いかけながら、音も対応をとってみて下さると、よく分かると思います。

00"00 ラ・メージュの氷河への登り

01montant

以下、岩場を表すときは、これと類似のセットが出てきます。(A)(*2)

00"58 キバシガラス(の叫び声)・・・最初の絵の鳥です。

02chocarddesalpes1
03chocarddesalpes2

・・・こんな声で鳴く鳥なんでしょうか?(B)(*3)

01"22 イヌワシの飛翔(「音も立てずに堂々と」!!!)(C)(*4)

01"53 ワタリガラス(の、しゃがれた獰猛な鳴き声、だそうです)

07grandcorbeau2

05grandcorbeau1

・・・キバシガラスとは別なので、上下ともヘ音記号すなわち低い音域を使って、ちょっと音の色分けをしてあります。(D)(*5)

02"12 キバシガラスの飛翔(横滑りや宙返りや急降下)(E)(*6)

06vif

またキバシガラスが鳴いて(B)・・・(*7)
ちょっと洒落た鳴き方もしてみます。

03chocarddesalpes3

・・・基本の鳴き声(B)に比べて見た目もスッキリ(F)

で、もう一回飛び跳ねます。(E’)

02"52 また岩場が来て(A’)
サン・クリストフ山、だそうです。

04"28 キバシガラスは基本の鳴き方がひっくり返って(B’とでも言うべきでしょうか)

04"57 イヌワシさんがまた飛んで・・・と思ったらキバシガラスさんが悠々と、なのでした。

04ascension
・・・ここ、16分音符ですけど、とてもゆっくり。16分音符にしたのは、鳥の飛翔のあとを飛行機雲みたいに見せるためなのかしらん? (C’)

05"36 したらばまたワタリガラスがわめきます。(D’)

06"13 以降、またまたキバシガラス君の活躍。(B”)(E”)
・・・いい声の別ヴァージョン、「もっといい声」が出てきますが画像載せてませんスミマセン。

07"27 最後はまた岩場。(A”)
エクラン山塊・ボンヌ=ピエール圏谷

同じものが繰り返し現れるわけではないのですが、音型で「同じものの絵姿なのだ」と分かりますし、それは音になったときも明確に聴き取れます。

この第1曲が、『鳥のカタログ』の中では、絵としていちばんシンプルだと思っております。

どうでしょう、絵としてイメージできそうでしょうか?

ちなみに、楽譜の表紙にはこんな(目で見る)絵が描かれています。

Picture

音楽のほうの情景の順番をまとめて確認しますと、

(A)(B)(C)(D)(E)ー(B)(F)(E’)

(A’)(B’)(C’)(D’)(B”)ー(E”)

(A”)

という具合になるでしょうか?
これを、それぞれの情景音から受けたイメージに基づいて、視覚的な絵画に置き換えてみることが出来るかも知れませんね。ちょっと、絵巻物的にかなりの横長になるかも知れませんが。
音楽としては響きが古典から逸脱していますけれど、「形式」は上に見た通り、岩場を表すモチーフ(Aの系列がそれ)を枠にしている点、続く鳥の鳴き声や動作を表すセットの順番がほぼ同じように反復して現れる点で、案外古典的なのがはっきり浮かび上がると思います。

『鳥のカタログ』は全7巻13曲で、第1曲はカラス属の声だけだし、まだ作りがシンプルなほうです。2曲目以降にきれいな鳴き声の取りが登場しますから、それをお聴きになってみて下さいね。


蛇足の余談です。

音楽は、良く言われることですが、音が流れてなんぼの世界です。ですから、音で描いた絵なるものは、目で見ることの出来る絵とは違って、一瞬で
「おお、こういう絵なのか!」
なんて捉えることは不可能です。
耳に聴こえた印象を記憶して、そこに視覚イメージその他の経験から
「まぁ、こんなカタチや手触りや色合いだろう」
なる類推を加えることで初めて、音の絵は私たちの胸の中で像を結びます。 で、17世紀から21世紀の今に至るまで、音で絵を描いた(つもりになった)作品はいっぱい出来ました。

ヴィヴァルディの『四季』やラモーの『めんどり』やベートーヴェンの『田園(交響曲)』なんかは有名な例ですね。(このなかで『田園』だけは、な ぜか「標題音楽ではない」つまり「音の絵ではない」と学者さんたちに言われ続けて来ています。なんでそうなるのか私には分かりません。)そのものズバリ 「音の絵」なんてタイトルがついた作品まであります。

けれども、そうした「音の絵」は、だいたい、物語的な要素がくっつくのが常ですから、管弦楽の場合は、だんだんに「交響詩」と呼ばれるジャンルを形作っていたのでしたね。

 

メシアンの『鳥のカタログ』はピアノソロ作品ですし、交響詩にあるような物語性は帯びていません。視覚的な絵だってストーリーがある場合も少なくはありませんから、純粋に絵画的、と言うのは語弊があるかも知れませんけれど、それでも風景画的ではあるかと思います。

 

ではこの音の絵を目で見られないのか、となると、それは可能です、となるわけでして、そうです、楽譜の書き方がやっぱりどこか絵のようなのです(独断)。ただし、絵の具に当たるものは響き具合なので、それは模様から読み取るしか術がない、との話ではありました。


この作品自体は「総音列」ではないでしょうけれど、楽劇におけるヴァーグナーが主観的な要素をリズムと 旋律線で定型的に記号化したのに対し、メシアンは本来具象であるものを準定型的可変リズムと和声とディナミークの総合で記号属とでも言うべき系列的なもの を使用することで描こうと試みているところに、ロマン派音楽に比較した場合・・・ひいてはバロック期に遡っての記号化にはなかった「視点」を持ち込んだ新 奇さ、面白さがあると思います。

楽譜はAlphonse Leduc。

以下、上っ面な読みであることに予めお許しを請いますが・・・

*1:Anton Ugorski(Pf.) Deutsch Gramophone POCG-1751(1994)
日本語盤は現在入手出来ませんが、日本語盤附属のリーフレットが有用です。
   http://www.amazon.co.jp/dp/B00005FI0L
リーフレット中のテーブルの項目は、楽譜にフランス語で書き込まれているものが大半で、あとはストロフ【各曲の前に付いた標題的詩句】から情報を 付加したものではありますが、楽譜は高価なので、鑑賞する際にはとても助かります。なお、同盤には、楽譜の各曲の冒頭についたストロフの翻訳が鳥のイラス トに添えて訳されている冊子もついています。
メシアンの奥さんイヴォンヌ・ロリオが演奏した録音もありますが、輪郭の明確なほうの演奏で引いておきます。・・・なお、音声はモノラル化してあります。

*2:この音型は原則として1小節(2/4拍子)に12音すべてを使用しています。(A')のところでは小節あたり(16分音符を1拍と見た場合 に5拍子や7拍子9拍子11拍子など奇数拍子になるように・・・ただし1音符あたりの速度は4分音符を1拍と見た場合の4倍)の単位を16音ないし20音 に延長しています。その際、小節内で12音を一巡した後は新しいセットを次の小節とまたいで使用しています。(A")も同様です。

*3:キバシガラスの鳴き声の根底アイディアは完全5度と減5度もしくは完全5度同士の累積でしょう(その反転としての各4度音程を含めます)。 それを、上声部と下声部で短2度でぶつけあう作りになっているかと思います。上声部下声部に見かけ上の長2度や完全4度、長6度その他がみられたりします が、これはどこまでいっても見かけ上のものにみえます。これは、鳴き声のパターンが変わっても基本的に変化していないことです。メシアンはこの鳥の鳴き声 成分をそのように分析したということなのでしょうか。

*4:飛翔は、さまざまな3度音程を基本色として、あえて拍節を感じさせたい(それは飛翔が直線ではなくて曲線を描くのだということを主張した かったのかどうか)箇所では、音が低音域にあるあいだは4度ないし5度で上昇したあと3度下降するようにし、高音部に上昇しきると、拍節感を薄めるべく、 5度跳躍の後に2度下降する等により、線をなだらかにしていきます。聴覚絵画的であると言えるかと思います。

*5:ワタリガラスは、キバシガラスよりも狭まった4度ないし3度を使用しますが、*7と同様になる印象を避けるため、ひとつには音域を低めに集 中させ、もうひとつには(リズムパターンそのものは共用しながらも)ワタリガラスよりも細かい音価での動きや刺繍音的パターンへの変更、同一和音の3連続 以内での連打(あとに必ず8分休符が続く)を採用しています。パターンのヴァリエーションはキバシガラスよりも少なくし、骨太の構成にしています。

*6:「横滑りや宙返りや急降下」の表現は、譜づらの如何によらず、拍節的な書法によっていて、リズミカルな印象を意図的に創り出していると考えられます。即ち、とくに最後の登場時にはわざと崩してもありますが、登場箇所すべてで基調として3/16拍子をとっています。

*7:*3参照。なだらかな連打の中に、3度を交えることで、艶なり愛嬌なりを出している、とでも言えるでしょうか?

 

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2011年11月 3日 (木)

【音を読む】まんなかで折って開いてみる(ウェーベルン「変奏曲」第1曲)

初歩の「十二音」簡単なバランス崩し同じものをつかいまわす伸ばして重ねる


15世紀からまた時計を400年ちょっと戻して、ウェーベルンに還ってみます。

(楽譜の不揃いなのはお許し下さい。ソフトの使い方に不慣れでヘタでありながら、あんまり時間を割けないものですから。*のついたところは、面倒な話は下のほうに綴りました。興味がない場合はスルーでどうぞ。)

これは、ひとつの絵だと思って下さい。
音符を読もう、と思わないで、模様として横の位置の高さだけを眺めるのがミソです。ホントです。

【1】

Variation11_2
掲載した絵(=楽譜。少しでも分かりやすくしたいので、元の通りではなくて変形してあります。以下同様・・・注の*0に続く部分を参照)、真中の小節で二つ折りすると、音符がピッタリ重なることがお分かりになりますね?

・・・ハタや記号も裏返しに出来たら、もっとよかったんですけど・・・

「同じ線の上や同じ線の間の場所にある音が同じ高さである」ことだけ分かっていれば、すくなくとも、グラフとしてみることは出来ます。(*0・・・*2も参照)

まるで、紙半分に絵を描いて、絵の具が乾かないうちに真ん中で折って、そぉっとひろげてみたようです。

ウェーベルン(Anton Webern 1883-1945)は、この、二つ折りにすると重なる像だけを組み合わせて1曲仕上げました。
全体は3つの章からなる「変奏曲」という作品の第1曲です。
知る人ぞ知る。知らない人は知らない。知ってて得するわけでもないけど、知ってると楽しいかもしれません。(あたしは知りませんでした。weep )
・・・「変奏曲」なのに3章あって、昔ながらの意味での変奏曲は最後の3章目だけです。そのあたりは、今回は観察しませんので、スルーします。(*1)

これも「子供のための小品」同様、12音技法というやつで書かれていて、さらにもっと複雑なことをしているのですけれど、そのへんは押しやっておいて、絵柄だけ見ましょう。(*2)

先に上げた楽譜が、「変奏曲」第1曲の最初の部分です。(*3)

続く部分も、同じように二つ折り出来ますが・・・

【2】

Variation12_2

ちょうどまんなかのところが分厚い和音になっていて、そこの左と右で絵姿がちょっと違っています。まちがいさがしみたい。

で、その次はまた二つ折りに出来ます。(*4)

【3】

Variation13

・・・この部分、ただ折って重ねておんなじ~ぢゃあつまんねぇ、とウェーベルンが(たぶん)思ったので、実際の曲では、最後のほうは音の位置をオ クターヴ単位で変えちゃってます。音程は同じです。【6】も同様です。(こちらでは描きませんでしたが、【6】のほうは音を移動したあとの譜例も描きまし た。)

で、次で一旦締めくくられますが、これは【2】とまったく同じです。(*5)

 

【2’】

Variation14

・・・うそです。 happy01
・・・最後の小節に、休符が1個余計にあります。

このあと、曲はちょっと細かい動きになります。ここでは複数の折り重ねられる部分が糊付されたみたいになっていたりして、上で見て来たようにすっ きりいかない作りになっているのですけれど、基本はやっぱり二つ折りで重ねると重なるものばかりの連続です。見た目がぐちゃぐちゃするので、省きます。ぜ ひ原曲の楽譜を見て下さい。

で、また、上で見た、最初の部分と似た感じに戻ります。(*6)
ここからの骨組み自体は、最初の部分と同じです。ですから、「再現部」と呼びます。(現にそう呼ばれています。)

はじまり。

【4】

Variation31

最初となにかが違うでしょう?
実は、最初のときと、音の動きの関係を上下ひっくり返してあったりします。(*7)

2番目の部分

【5】

Variation32

つづき。

【6】

Variation331

3と同じような、音の配置換えをしています。こちらは譜例も載せておきます。

【6’】

Variation332

しめくくりも二つ折りではつまらないので、折り返してからは音の場所をちょっとズラしてみたりしています。音の高さ(いまはこのことばを音程の意 味で使っています)は変わっていませんが、絵柄としてみる時には違って見えてしまいます。それは、絵ならば色合い(彩度のほうでしょうか?)を変えてみ た、ということになろうかと思います。

【7】

Variation34

「え~? こんな《お遊び》で、本当に曲が出来るの~???」

で、こんなふうに聞こえます。

(高橋 悠治)

面白いでしょう?
そうでもない? (><)


*0:厳密には#だとかbだとかも同じについていれば同じ高さの音ですね。

以下、音の配置は楽譜の対称性をみるために変更している箇所がいくつもあります。さらに、音符はすべて16分音符にしてしまっています。ウェーベルンは実際には響きを考慮して音を長く引き伸ばしたりしています。

*1:ウェーベルンの「変奏曲」作品27(1937年初演)は基本音列とその反行(音度の移動を反転させたもの)、それぞれの逆行の4つの音列を用いた3曲からなり、第1曲は上例のようにそれを線対称点対称・・・この場合の点対称とは数学的な厳密さを持たず、ある点を中心に正負の領域を異にして音響の同一フォルムがおかれていることを指します、以下同じ・・・に配置したものの列挙で構成、第2曲は強弱とアーティキュレーションをも音列化し(「総音列主義」の嚆矢)、第3曲が「基本音列~反行音列~基本音列の逆行」の連なりを主題とした<5つの変奏曲>となっています。第3曲の変奏は、しかし、変奏部で音列の入れ替えを行なったりしているため、実際には古典的な意味での変奏曲ではありません。

*2:音列については末尾の図参照。中に反行・逆行・移高が現れますが、これらは五線譜にではなく12×12升のマトリックスに書くと読み取りがラクになります(慣れないとしんどいことに変わりはありませんけれど)。その際、マスを音名で埋めるより、基本音列の開始音を基準にして数字化(ピッチクラスとして読むために)したほうが、より便利です。五線譜は、とくにE-F音、B-C音(ただしBはドイツ音名のHに相当する)の半音音程も他の全音音程と同様に描かれるため、ピッチ関係の読み取りに苦労する場合があり、数字化することで五線譜の欠点が解消されます。このあたり、やり方はコープ『現代音楽キーワード事典』(石田・三橋・瀬尾訳 春秋社 2011年9月・・・タイトルの直訳は「音楽における新しい方向性」で記述もこのタイトルに沿っていますし、ちっとも事典じゃない気がするんですけど、事典との邦題がついています)第2章参照。

*3:冒頭部は最初の1拍分の休符を省略して描きました。ちなみに、古典的な拍節感で言いますと、冒頭部7小節は最初の休符を加味しなければ5拍子で、そこからあとようやく3拍子となります。・・・なお、ディナミークは全く無視しています。これは【1】~【3】までのセクションでは7小節目までpp、8-10の3小節間はp、11-14の4小節間はf、15-16小節がp、17-18小節がppとなっています。ディナミークについては非対称であるものの、第2曲のディナミークの音列化をちょっとだけ伺わせるようになっています。これは中間部がfないしffをメインのでディナミークにするために、【4】以下の部分(すなわち再現部)では同じセットとしては再現されませんけれど、【4】以下では46-47小節目を境界にpp-pが線対称的に配置されています。

*4:本当は2拍目から始まります。1拍ズラして描いてあります。

*5:本来は2拍目から始まります。

*6:以下、リズムの読み替えは、最終部分を除いて第1部と全く同じ

*7:下図を見て分かるように、再現部は音列の配置を冒頭部(17小節目まで)とは全く変えておらず、ただ音列の位置(ピッチ)を変えているだけです。ただ、これは曲そのものの楽譜を見れば一目瞭然である通り、冒頭部が右手でやっていたこと左手でやっていたことの役割分担をすっかり入れ替え、運動も上向きだったものを下向きに反転させていて、音列とはまた違う「反行」をとりいれています。全体に、楽句の始まりと終わりを7度で、音が広がって行く部分を9度で統一した響きにすることが曲の一貫性を保たせるとともに、9度から音程が狭まった7度で終結させることにより段落感を明瞭にし、さらにこの再現部での運動の反行で曲が落ち着いて終わるように、巧みに設計されているのが分かります。こんな音列・・・どんだけ時間かけて考えついたんでしょう? おもろいです。

<図>「変奏曲」第1曲の音列
・1段目~基本音列とその反行
・2段目~基本音列の逆行とその反行
・3段目~【1】(曲の7小節目まで)での基本音列の使われ方
・4段目~同じく【1】での基本音列の逆行の使われ方
・5段目~【4】以下の基本音列とその反行。長3度上に移動(移高)。
・6段目~【4】以下の基本音列の逆行とその反行

Variation1reihe

3段目と4段目が点対称になっています。
即ち、第1セクションは基本音列とその逆行で出来ておりさらに、それが点対称的になるよう配置されています。以下のセクションにおいても同様の観察が出来ます。
5段目6段目は長3度上に移高していますが、じつはこちらがこの作品全体をみたときの正式の音列のピッチだそうです。

 

楽譜は大竹道哉校訂「ウェーベルン ピアノ作品全集」(ヤマハミュージックメディア 2011)を参照しました。

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2011年10月29日 (土)

【音を読む】のばしてずらして重ねてみる~オケゲム「ミサ・プロラツィオーヌム」のKyrie

初歩の「十二音」簡単なバランス崩し同じものをつかいまわす


(音声プレイヤーの位置がバラバラですみません。)

こないだ、日本の能の例で、同じものが「有効活用」されているのを見てみました。 
譜例に掲載はしませんでしたが、能では、同じ節(メロディ)が笛で繰り返される時に、打楽器が叩くパターンを変えることでメリハリをつけていました。 
ご存知のことだろうとは思いますけれど、ヨーロッパでは、低い音で鳴る一定の旋律を何度も繰り返し、その上に乗せる高い音の旋律(メロディ)や響きを変えるものが作られていました(パッサカリア)。 
あるいは、一つの旋律をいく通りにも姿を変えさせる、変奏曲という形式も発達していきます。 
いずれにしても、ヨーロッパは高い音のほうの旋律はどんどん姿を変えさせるのが好きなようで、日本の能の舞囃子とは対照的です。 

探すと他の世界にもこれらに似た発想のものがあるのかもしれませんね。あったら面白いですね。ご存知でしたら是非ご教示下さい。 

さて、同じ一つの旋律をそのまま繰り返すのではなくて、ずらして重ねるテもあります。最近はどうか知りませんが、キャンプというとつきものだった「静かな湖畔」みたいな、「輪唱」ってやつがふつうです。カノン、と呼ばれるこの種類の音楽は、たくさんの作曲家によってたくさん作られています。(*1) 

ふつうでない、こんな例もあります。 
1497年に亡くなったフランドルの巨匠オケゲムの作曲した、とあるキリエです。 

まずこれがメロディ。

Kyriesop
 


これを、ちょっと間延びさせてみます。(*2) 

Kyriealto
 

で、もとのやつと、ちょっと伸ばしたりしてみたものを一緒にくっつけると・・・

 

あら不思議、なんだか面白い響きが出てきました。

でもまだ何だか物足りない。 

最初のメロディに組み合わせる、もう一つのメロディを考えます(って、オイラが考えたわけじゃないですけど【爆】)。 

Kyrieten

で、これを最初のメロディと組み合わせたら・・・ 
 

う~ん、なんだかまだまだ中途半端だ! 

で、こっちも間延びさせてみます。 

こうだったのを・・・ 

Kyrieten_2

こんくらい。(*3) 

Kyriebs

で、これも、最初のメロディみたいに、同じものどうしくっつけてみます。

 

まだなんだかピンと来ません。 

で。 

全部くっつけてみちゃいます。 

即ち、(【1】+【2】)+(【3】+【4】) 

・・・すると、あら不思議!!! 

 

響きがすっかり充実しました。 

Kyrieall

数字があるところを区切りにして、2分音符1拍の3拍子に割り当てて線を引くと、どういうタイミングで合わせてあるのかが分かります。・・・ただし、この音楽は三拍子ではありませんから、注意が必要です。(*4) 

ちゃんとした演奏で聴いたほうが、すごさが良く伝わってきますので、それを最後に掲げます。・・・音が1全音分くらい低いのですけれど、お許し下さい。

(ヒリヤードアンサンブル)
 

このキリエを含む "Missa Prolationum" は、他の章もこのような組み合わせを大変に興味深い方法でやっていることで有名です。 
(楽譜はオンラインではIMSLPにあるのをご教示頂きました。同じご教示で拝読した資料に、オリジナルの指示で上声部に2/2と3/2、下声部に4/2と6/2【3/1か?】が記入されていることも確認出来ました。深く御礼申し上げます!)


*1:モーツァルトやベートーヴェンの例からは、カノンが気軽な、あるいは心のこもった挨拶代わりにやりとりされた様子が伝わってきます。

*2:【1】の最初の二単位相当分を近似的に1.5倍くらいにしています。 

*3:【3】の最初の
二単位相当分を、近似的に1.5倍くらいにしています。・・・【1】・【2】の関係と基本アイディアが同じです。 

*4:全体を組み合わせた上で旋律線を眺めると、2分の3拍子で通っているパートはありません。ソプラノ(【1】)は基本は2分の2拍子ですが計量上は2分の1拍子とでも言うべきものです。あくまで計量上のものだという点に気を付けなければならないでしょう。近代的な拍子に完全に置き換えてアクセントを考えるのは誤りのもとかと思います。アルトは一貫性のある拍子として眺めた場合には4分の6拍子ですけれども、小節を割り振ってしまうと、強弱アクセントは小節ごとにかなり変動します。とはいえ、そのアクセントのズレて行き方は、五線譜表に書かれたバロック期のものに似通っているのが興味を引きます。テノールは最初の2小節は付点四分音符を1拍とした4拍子、3小節目は4分の6拍子、以下は2分の3拍子。バスは、小節を割り振った時には、最初の3小節は付点二分音符を1拍とした3拍子、残りの6小節は付点無しの二分音符を1拍とした3拍子(2分の3拍子)となるかと思います。・・・あくまで音符の長さをはかる単位としてだけ全体を2分の3拍子と決めつけて眺めるようにすると、全体が9小節、すなわち3×3になる(歌詞の区切りとは一致していませんけれど、キリエは3回繰り返される、ということ、カトリックにとって3は聖数であることにつながります)のですが、オケゲムがそんなことを意識したかどうかは全く分かりません。オリジナルには小節線がありませんから。

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2011年10月21日 (金)

【音を読む】同じものを使い回す(日本の能)

大井浩明さんPOC#7「リゲティ」は明日10月22日(土)ハクジュホールにて。
会場地図、情報リンクはこちら
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/map1022poc-a45e.html


初歩の「十二音」簡単なバランス崩し


ウェーベルンの「子供のための小品」をとっかかりに、まずはそこに感じられた「バランスを崩してみる」例が古典だとどんなふうな現れかたをしていたか、について、ハイドンの弦楽四重奏曲を例にとってみたのでした。(*1) 
で、他にまたまた十二音技法の初歩を大雑把に言いますと、この技法、半音12個の音の並び方をひとつ決めて、それを「使い回し」するのでした(すげ~大雑把!)。 
でも、この20世紀初めにドイツ圏で使われるようになった方法では、12の音程がみんな別々です。 

同じものを「使い回し」する、と言う点では、日本の「能」の舞のお囃子が、実は大変な優れものです。 
音程は同じものが何度も現れるとはいえ、節は4つの定型で、一噌流(いっそうりゅう)の唱歌でいきますと、次のようになります。 

(呂)  ヲヒャラーイ|ホウホウヒ    A/B 
(呂ノ中)ヲヒャヒュイ|ヒヒョーイウリ  A'/C 
(干)  ヲヒャラーイ|ヒウヤ      A/D 
(干ノ中)ヒウルヒュイ|ヒヒョーイウリ  A"/C 

笛の唱歌と合わせて演奏したものの例を聴いておきましょう。 

笛:呂・呂ノ中・干・干ノ中
 
(日本伝統文化振興財団「能楽囃子体系(四)」から。笛:寺井政数) 

これを覚えていると、舞の音楽の殆どが聴き取れます。これを繰り返す方法を「呂中干(りょちゅうかん)形式」と言います。 
この形式で演奏されるものは、 
・序ノ舞、中ノ舞、破ノ舞、急ノ舞、早舞、男舞、神舞 
などがありますし、部分的に取り入れたものには 
・羯鼓、神楽、猩々乱 
などがあります。 

・・・で、実際に聴いてみると・・・(「能楽囃子体系」所載のもの)

イロエ掛り破ノ舞
(藤田流) 

太鼓入り破ノ舞
(一噌流)(*2) 

あれ? 
同じような、違うような・・・ 

呂中干形式がくる前に、カカリという導入がありますが、上掲二例のその部分の違いは問わないことにしましょう。 
で、「破ノ舞」では呂中干形式は最初のほうで二巡して後半一度登場する(初段目)だけで、「トメ」という終結部に進みます。この終結部分も問わないことにしましょう。 

さっきの「呂~呂ノ中~干~干ノ中」の組み合わせを思い出しますと、「破ノ舞」本体部分とでも言うべきとくに「段」の部分の呂中間形式の部分は、確かに同じようだ、とまでは感じられると思います。 
ところが、節回しがどこか違う気がする。 
(舞の速さが違うと、また違って聞こえます。) 

まず、能で使われる笛(能管)は、指を順番にあけていっても、いわゆる「ドレミファソラシド」にはなりません。それより狭い音程になります。ですから、運指表で拾ってみても西欧音階のどの音に当てはめたらいいかは聴き手の耳次第ということになるでしょう。また、笛を吹いたものを西欧音楽の耳で五線譜に書き落とすと、聴き取った人によって違ったものが書かれてしまうし、西欧音楽に詳しい能のご関係の方がそれを点検しても「どれも正しい」となってしまうようです。(金春惣右衛門・増田正造監修「能楽囃子体系」の解説に掲載された舞の音楽の五線譜化【*3】したものと、浅見眞高編著「能の音楽と実際」【*4】での舞の音楽の五線譜化されたものとでは、拾われてい笛の音程が全く違っています。) 

もう一点、「呂中干形式」の笛の唱歌を確かめてみますと、先の一噌流のものと、他の森田流・藤田流のものでは微妙に異なっています。とは言っても、A/B・A'/C ・A/D・A"/Cという構成は共通です。 

・・・かたちが共通でも少しだけ違って聞こえるものを大雑把に「同じ」と言ってしまって良いのかどうか、疑問が湧くかもしれません。 

しかしながら、いわゆる「ドレミ」の音楽でも、能楽ほど極端ではないにせよ、実は時代が変わると響きは変わるのが最近明らかになっているにも関わらず、それによって(やはり能楽ほど極端ではないにせよ)違って聞こえるものを「同じ」と聴いている。多少強引に言ってしまえば、流派の違い、速さなどによる聞こえ方の違いがあっても、これらは「同じ」ものの使い回しと見なすのが、捉える耳のあり方としては正しいのではないのかなぁ、と、私は考えております。 

あえて短くて比較しやすい例だけをお聴き頂くようにしましたが、どうぞ、あとは世間の「能の囃子」の類のCDなどで、とくに「序ノ舞、中ノ舞、急ノ舞」などとタイトルがついたトラック、あるいは「羯鼓、神楽、猩々乱」などをお聴きになり、 
「あ・・・同じだ」 
を実感して頂けるのがよろしいのではないかと存じます。 

日本人でありながら、私も伝統邦楽の理屈などについてはまるで疎いのですけれど、こんなあたりに面白さを感じてたくさん聴いていくようになるのはきっと新鮮な面白さをたくさんの人に覚えさせてくれるものと信じております。


 

*1:ウェーベルンはもっと分かりやすい「バランス崩し」を、作品番号21を当てた変奏曲の第1曲でやっている。そこでは、記譜上は最初から三拍子なのですけれど、開始からちょっとのあいだを五拍子にすることで、「あれ? ちょっとちがうぞ」と聴き手に感じさせるように仕組んでいる。 

*2「太鼓入り破ノ舞」の、太鼓の手の名称と笛の唱歌のみ 
  太鼓 
カカリ~打込    : 
地  ~頭     :ーヲヒャーーーーラ 
    付頭    :ーヲヒャヒュイ|ヒョーイウリ【呂ノ中】 
    ヲロシ   :ーヲヒャラーイ|ホウホウヒ(呂) 
    高刻    :ーヲヒャヒュイ|ヒョーイウリ(呂ノ中) 
    ハネ    :ーヲヒャラーイ|ヒウヤ(干) 
    刻四ツ   :ーヒウルーイ|ヒョーイウリ(干ノ中)
 
    刻2    :ーヲヒャラーイ|ホウホウヒ(呂) 
    刻3    :ーヲヒャヒュイ|ヒョーイウリ(呂ノ中) 
    刻4    :ーヲヒャラーイ|ヒウヤ(干) 
    上ゲ・打切 :ーヒウルーイ|ヒョーイウリ(干ノ中)
 
    頭     :ーヲヒャラーイ|ホウホウヒ【呂】 
初段目~付頭    :ーヲヒャヲヒャーリヒウヤラ (テンポが遅くなり、気は張る)
    ヲロシ   :ーリ|ヲヒャヒュイ|ヒョーイウリ【呂ノ中】
    刻三ツ   :ーヲヒャラーイ|ホウホウヒ(呂) 
    刻2    :ーヲヒャヒュイ|ヒョーイウリ(呂ノ中) 
    刻3    :ーヲヒャラーイ|ヒウヤ(干) 
    上ゲ・打カケ:ーヒウルーイ|ヒョーイウリ(干ノ中)
 
地~  打込    :ーヲヒャラーイ|ホウホウヒ【呂】 
地頭~ 頭     :ーヲヒャヲヒャーリヒー 
トメ        :(イヤア) 
・・・太鼓の手の名称の同じものは同じ叩き方。すなわち、笛の一定の旋律に対し太鼓の違う手を組み合わせることによって、旋律の趣を異なったものに聴かせる(あるいは逆もまた言えるのであって、太鼓の一定のリズムに対して笛の違った旋律を組み合わせることによって、リズムを違った趣のものに聴かせる)、という「響きの多様化手段」もあるのだということを、能の舞囃子は示唆している。平家琵琶はまたいくつかの定型を物語の文の趣旨に沿った組み合わせに多様に変えることで多様さを実現していることが思い起こされる。->「平曲・平家琵琶・平家」カテゴリ参照 

*3:「太鼓入り破ノ舞」はCD版同梱冊子では63頁、LP版同梱冊子では45頁。上掲の笛の唱歌はそれによる。その他にも所載あり。録音に収めてあるものを譜にしている。その演奏では、笛は一噌幸政、小鼓は北村治(大蔵流)、大鼓は安福建雄(高安流)、太鼓は観世元信(観世流)。 

*4:音楽之友社、1993年刊。258頁から「羽衣」全曲を五線譜に採譜したものを掲載しており、287頁から「序ノ舞」、299頁から「破ノ舞」の譜となっている。点検してもらったかたが観世流なので観世流のシテで演じられたものを採譜したのであろうと思われるが、来歴が分からない。すくなくとも、観世寿夫の残した録音とはいくつもの大きな差がある。

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2011年9月30日 (金)

【音を読む】12音音楽の易しい創りかた~ウェーベルン「子供のための小品」

12音技法による音楽がどんなふうに作られているか、なんて、正直言ってちっとも分かりませんよね。もう90年近く前のものですのに!

でも、作った作曲家さんだってとても迷ったんだろうなぁ、と思います。

ウェーベルンはそれを子供にも分かるようにしたいと思ったのか、「子供のための小品」なるものを1曲だけ書きました。師シェーンベルクが12音技法により創作を始めた次の年、1924年のことです。
12音音楽の最もシンプルな例であるこれを用いて、その創りかたを見ておきましょう。

出来上がりは、このような曲です・・・

「子供のための小品」高橋悠治(2回弾かれています。)

まず、音階に代えて、半音階を形作る音程12音を、半音階そのままではないように、好きなように並べた音列をひとつ作ります。
そのあと、この作品ではウェーベルンは難しいことをしてはいなくて、同じ音列の音の高さ(オクターヴ上の位置)を変更したものを6通り用意して、順に並べているだけです。

ただし・・・同じ<音列>を6回繰り返している、と、書籍・楽譜の解説にありますが、同じ<音列>を6回繰り返しても、12音音楽にはなりません。

たとえばこれは同じ音をひとつも含まない12の音を並べて、6回繰り返したものです。

12音にならない例

3和音を並べたように聞こえるこれは、明文化されたものがあるのかどうかは知りませんが、いちおう、十二音技法と呼ばれるものの上では「禁則」で(あるはずで)す。調性感(長調とか短調とか)をイメージしてしまうからです。(*1)
でも思いがけずミニマルっぽい・・・ってのは措いとこう。

ウェーベルン「子供のための小品」に用いられている<音列>は次の通りです。

Kinderstucktone_2

・・・で、この音列の、音の高さをバラす。
音列を単純に6回繰り返すのではなくて、6通りに音高を変えたものをならべる。(*2、※)

「子供のための小品」の音列の音高配置変更1

さらに、同時に鳴らしちゃう音は、ぐしゃっ、とまとめる。(*3)
以上で、どれがその中の「文節」を決めるかも明確にする。

「子供のための小品」の音列の音高配置変更2

ここまでのプロセスで、音に色彩感が増していくのがお分かり頂けると思います。

音列は4小節に1、1、2、2の扱いでまとめて、エンディング用に最後の2音をとっておいて、1小節付加したところに用いています。全体で16小節+1小節、という、けっこう「古典的」な収め方にしています。

それにリズムを与えます。第1段を除き弱起で始まり、第2段は特殊で、<音列>の最初に位置づけられているはずの音で終わります。第3段は音列の第2番目の音で開始します。
曲のリズムはそのままに、もとの音列がどんなだったかを思い出すため、音をなるべくベタに配置すると、こんなふうになります。(段落が分かるように、各段のあいだに長めの休止を配置してあります。)

「子供のための小品」リズム付け

段落が分かる状態で、ウェーベルンのした通りに音を配置しなおします。
音色効果で印象が豊かになるのが分かります。

「子供のための小品」段落分け

で、ニュアンスちゃんとつけて、出来上がり。

再掲)「子供のための小品」高橋悠治

楽譜つきYouTube

・・・実際にはこの順番で曲が作られたわけではありません。
・・・ウェーベルンの、このシンプルな例を真似してみて下さい。まず12音の音列をどうしようか、と考える時に、それがデタラメに作れるものではなくて、これから響きをどんなふうにしたいのか、と音列作りとが、かなり密接に関わっているのを最初に痛感することになるはずです。

とってもヘタな自作例

ウェーベルンの作例とは逆に、最初に和音を鳴らしたい、おしまいは単音で終わりたい、というだけで音列を組みました。
才能豊かな方がおやりになるなら、もう少しいいサンプルも出来るでしょうが、そこはご容赦下さい。
にわか作りであることは言い訳になりませんで、凡人は「古典的」な見本から自由な自由な発想をどれだけ持てないか、の<好例>としてあげさせて頂いた次第です。・・・なんだかおかしいなぁ、と、あとで確認したら、音間違っとった!sweat01 ま、あかんほうの見本やからそのまんまにします。
さらに、ウェーベルンの例を改めてお聴き頂ければ、彼がいかに周到に
「同じように聞こえるものを排除する」
ことに腐心したかをはっきりお感じ頂けるのではないでしょうか?

「音列は、自動的には作れない。(中略)作曲家は、自ら、音列を創り上げねばならない。あるいは(中略)特別な音列を『見出す』ことが求められているのだ。そこには、明らかに作曲者の意志が反映する。」(岡部真一郎『ヴェーベルン』153頁)

なお、掲載できず申し訳ないことながら、この作品の楽譜は、すべての音にシャープかフラットかナチュラルの記号が必ずついています。これは後の世代、たとえばブーレーズが踏襲する方法となりました。

12音技法はもっといろいろなルールでいろいろな運用が出来るもので、シェーンベルクはもっと多様なものをそこに持ち込んでいますが、それはまた別な作品に応用例で見ていくことにしたいと思います。(*4)


【参考】
松平頼則『近代和声学』(音楽之友社 1655)
岡部真一郎『ウェーベルン』(春秋社 2004)
大竹道哉『ヴェーベルンピアノ作品全集(楽譜)』(ヤマハミュージックメディア 2011)

*1:クシェネック Ernst Krenek が「二つ以上の長または短三和音を三つの連続音によって構成することは避けなければならない」と述べているそうです(上掲 松平頼則『近代和声学』ドデカフォニズムの項、323頁)。

*2:音列の順序を入れ替えさえしなければ、音はどのようなオクターヴ位置でも使うことが出来る、というルールに則ります。これもクシェネックの述べている原則のひとつです。

*3:シェーンベルクが加えたルールで、音列を任意の群の集合と見なしうる、というものに則ります。ウェーベルンは「子供のための小品」で、6回用いられる音列を順に音列1、2、3-4、5-6(3-4、5-6は2つが融合)とみたとき、音列1の最後でおしまい2音(11/12)を1群とし、音列3-4では4の7/8/9音を3音1群・10-11音を2音1群、音列5-6では5の最初の2音(1/2)を1群・4/5音を1群・7/8/9音を1群・10/11/12音と6の1を1群・6の2/3/4/5/6音を1群・最終2音(11/12)を1群として扱っています。すなわち、見なし群を連結部にまで延長して導入しています。

*4:音列の逆行(最後の音から反対に始まる音列)、展開(転回、同等の音程による置き換えをした音列、反行)、逆行の展開(転回・反行)、が認められています。また、伴奏には、主旋律(と呼んでいいなら)としてその場所で鳴っている音以外の音を用いることになっています。また、同じ音程関係を保ったまま位置を半音単位で12通りに上下することも認められています(トランスポジション)。

※音列上のオクターヴ配置は、ある種の規則を設け、それに「ぼかし」を入れて変更しています。原型アイディアにあたるものを最初の2音列について述べますと、偶数位置音のオクターヴ上下についてまず基本ルールを設けています。音列1は偶数位置音をオクターヴ上げ(もしくは4音までは奇数位置音をオクターヴ下げ)、5-6音は位置不変更、9-10音は最初の規則に戻し、7-8と11-12は偶数位置音をオクターヴ下げする。音列2は6音までは偶数位置音をオクターヴ下げ、7-8は元位置を保ち、9以降は奇数位置音をオクターヴ下げ。そこにまた手を加えています。
音列4は4音1群ですが、この音列以降は上記*3により2音列ずつが融合しています。

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