災害

2011年3月15日 (火)

流通麻痺への過程:埼玉県越谷市の4日間

流通を麻痺させることは人災です。
そしてそれを起こすのは、私たち一人一人です。

災害を2次3次と拡げないため、被害が自分に返って来ないようにするためには、被害を免れた地域の流通を健全に守る必要があります。

綴っていた日記をまとめます。
似たような思いをなさった方がたくさんいらっしゃると存じますが、一例として参考になさって下さい。

3月11日(金)地震当日、在さいたま市大宮区
昨日、娘の卒業式で、たいへん印象に残るよい式でした。
子供たちがみんな明るいことを喜ばしく思っておりました。
その楽しい話を綴るはずでした。
セ レモニーも終わって、妹の友人のご家族とバス停に向かって歩いているときに、なんだか妙に足下が揺れるなぁ、と思っていたら、それが長い横揺れの地震でし た。どれくらい続いたのか分かりません。まだ田畑が沢山残る地域で、目の前が空地を利用した駐車場ですので、そこへ退避しました。前の家から子供さんを だっこしたおばあちゃんが出てきて、おびえているお孫さんをなだめていました。
すぐバスがきて、最寄りの埼玉県の大宮駅までは到着出来ました。そ こでの次のセレモニー会場に、娘のクラスの子や親たちが集合しました。ここでも激しい余震があり、そごうデパートが歪むように揺れているのを数度目にしま した。ちかくの居酒屋さんが津波予報のラジオを大きく流してくれ、それを聞いて、波高のすさまじさに耳を疑いました。実際に到達した津波が予報をさらにこ えていた、と知ったのは、16時半ごろに駅前ビルの大きなモニタに映し出されたのを見た時でした。
バスの運行は止まりませんでしたが、JRに向かった人は戻され、駅は18時頃にはシャッターを閉めました。通路には、あきらめた人たちが隙間なく座り込んで夜明かしを決めていました。ちょっと先のホテルのロビーに行ってみましたが、こちらも人で溢れかえっていました。
揺 れが落ち着いて、JR全線ストップが明らかになった17時半頃、セレモニー予定だったお店の地下にみんな入れてもらえましたが、19時過ぎにはそこを出な ければならなくなり、親御さんと一緒ではない生徒さん4人はバスで学校に戻り、そこで夜を明かすことになりました。大多数の、帰れると判断した人たちが、 バスなどのルートを何とか探して戻っていきました。その時点ではすごい渋滞だっただろうと思います。残った6家族程度が別のお店で夜明かしの許しも得て過 ごしていましたが、最初に2家族が徒歩で帰ることにし、残り家族は順次迎えが来て(たどり着くまでに大変な渋滞だったということです〜別の人ですが、新宿 からタクシーに乗っても、1時間で1キロしか進まず、8時間かけて歩いて、埼玉の大宮まで戻ってきた、というかたもいらっしゃいました)、ウチも最後のお 迎えのご家族のかたに送って頂いて、午前3時に帰宅出来ました。
息子は一人で留守番、眠っていました。
家の中は西側の本とデスクトップパソコンあたりが散乱した程度で済みました。・・・まだ片付ける気力が湧きませんが、午後にはやらねばならんと思っています。
携 帯電話はメールは当初2〜3時間遅れでしか到着せず、送る方もひとつ送るのに2分程度かかりました。夜中まで同じ状態でした。通話は今朝方まで、近場のお 相手でもまったく繋がりませんでしたが、6時過ぎには回復しました。数少ない公衆電話でないとだめで、長蛇の列でした。
夜10時過ぎにやっと電話が空いてきて、職場にも電話を入れましたが、10人程度が帰宅手段がなく夜明かしを決めたようでした。今朝は留守番電話になっていたので、なんとか帰路に向かったものと思います。
実 家へは、役所勤めの上の妹からの電話で連絡がつき、家の中は仏壇が崩れるなどかなり酷い様子ではあるものの、無事であることが確認出来ました。我が家から はいまだに繋がりません。妹の方から避難を奨めているそうですが、地域的には地盤も高さも問題が少ない所ではありますが、父が病気だったりしますので、い ずれこちらへ連れて来なければならないかもしれません。妹の所には泊まれますので、そういう体制になるかと思います。
下の妹はその二人の子供たちと、津波の被害のひどかった地域の、海からはいちばん離れた地域に住んでいるのですが、連絡は全くつきません。今朝の情報で、妹の子供たちの母校が避難所になっているとのことなので、そこへ無事に避難してくれていることを祈ります。
東北地方へは普通の家庭からは電話がかなり通じにくくなっています。
災害伝言版サービスの利用がいちばん良いようですが、たとえば妹は携帯電話を持って出たかどうかも分からず、有効に使えるかどうかは不明です。
新潟でも夜中に大きな地震がありましたが、太平洋側と繋がりがあるのでしょうか?
帰宅してテレビをつけましたら、馴染んだ港町がどこもかしこも景色が激しく変わってしまっており、市域の殆どが火災になってしまった所あり、映し出されない所は壊滅状態と伝えられ・・・しばし言葉を失っていました。
仙台市で言いますと現在は電気もガスも止まった状態で、実家の最寄りの停電した役所が映し出されていました。そのはるか向うに、隣接する港町から上がっているらしい黒煙が見えました。
それでもライフラインの復旧は3日くらいで可能らしいと聞きました。
肉親はもとより、被災した皆様総てが、食料・トイレ・寒さからの保身を、なんとか上手くなさって下さるよう、心から祈っております。

3月12日(土)
息子はノーテンキ。
娘は、ミクシイとツイッタで分かるかぎり、友人やその親御さんの無事帰着を確認し尽くした模様。
妹 親子の安否は依然確認出来ない。津波が、ちょうど住んでいたあたりまで到達したとかしなかったとか、浸水したとかしないとか、情報が錯綜しているけれど、 水の経路がそれだけ入り組んでいたことの現れらしい。住所付近は浸水しなかった、と、地元の方の情報もあり、子供たちの通っていた学校は避難所として機能 しているのが判明しており、特別なことがなければ無事であろうかと思う。すぐ近所の高齢の親戚も気になるが、いまは如何ともし難い。
実家のあたりは病院が麓から岡のほうまでみんな診療可能で機能しており、その辺にそのまま住んでいた幼なじみたちも無事だろうと思っている。
埼玉県も震度1〜3の余震は続いている。部屋は、もともと散乱していたリビングだけが、さらに散乱した、という程度でもあり、気力も湧かず、結局ほとんど手がつかなかった。
昼と夜は外食にした。
昼 はついでにスーパーに出向いたが、パンやおにぎり、手軽なおかずのコーナーは、ほぼからっぽになっていて呆れた。それでも巻き寿司2本、食パン6枚切り1 つ、水2本に、のこっていたおかず少々は念のため買ってきた。米は、大きくない別のスーパーではまだけっこう残っていたので、これも仕入れてだけおいた。 でも、万が一電力もガスもダメ、というときに食べられるものでなければ無意味だとは思う。それに、このあたりでは、ある程度食料を持っていれば、そんなに 買い占める必要はないのであって、人間の占有欲というのには、やはりなんだか失望を感じている。・・・昨日の一部の大人の「避難」の仕方にも、周りの人の ことまでは考えていられないエゴが露骨に出ていて、まあ、こんなもんなんだろうな、と思た。
気力が萎えたのは、津波の被害状況をテレビで見たのが大きかった。
子供の頃から、南東北の港は親に連れられてほとんど行ったことがあったし、親戚の居るところも点々とある。仕事についてから営業に回った地域も少なくない。そのほとんどすべてが、街の景観をすっかり失ってしまっていて、頭を抱えてしまった。
人が無事かどうか、が、いまは誰でもいちばん知りたいことなのだろうとは思う。
でも、僕にとっては、これらの町が、これからどれくらいあとに片付けを始められるようになるのか、そのあと復旧にどれだけ時間がかかるのか、が、もっとも気がかりである。
ただし、たとえ親兄弟や知り合いが沢山いるにしてもその消息を求め続けてみたり、あるいは被害の様子を見て涙してみたところで、所詮は野次馬と何も変わらないのだろう、むしろジタバタしないのが最良の気の持ちかただ、と、なんとか思いを切り替えていきたいと思っている。
・・・それにしても、気を紛らわせるために呟き過ぎた!
夕食の後は、市内を少しドライブした。そこで子供たちと冗談を言いあって、やや落ち着いたかも知れない。
い ま、表は、節電の呼びかけが効いたのか、コンビニとラブホと、マンションの非常灯、街灯、信号機を除くと、外の明かりがみんな消えている。東京方面の高層 ビル街も、灯りはどうやら最小限に絞られているようで、いつもはビルの中でも点灯しているのが分かるのに、今夜見えるのはほとんど赤い非常灯だけである。
本当に節電が必要なのは、しかし、夕方の時間帯なのだそうである。
ニュースも、物的被害についていま分かることはほぼ出尽くしたようで、目新しいものは無くなった。映像も同じものが繰り返されるようになり、実況はほとんどない。
さすがに、朝起きたらちょっとは片付けようかと思う。

3月13日(日)
母親の声は電話をもらって直接聞くことが出来、いちばん心配だった妹とは3度メールが繋がって、姪たちの無事も確認した。それは今日最大の喜びだった。
親戚も、近場から順に安否の確認がとれ始めた。
浦和の叔父は品川区荏原から9時間かけて歩き、途中で板橋勤務の娘さんと奇跡的に合流出来て、一緒に帰れたそうである。仙台市のきたに隣接する町にいるその弟さんの無事も分かった。
埼玉の近所の親戚のところでは、奥さんのほうのお母様が病気がちでたまたまこちらにいて、仙台での被災を避けられた。・・・この親戚の、高齢のお父さん夫婦(祖父の弟)の行方は、いちばん身近にいた僕の妹にも分からずにいる。
津波で壊滅が伝えられる集落の親戚も、仙台在住のその妹たちの安否も分からない。いちおう高台に家があるので、津波は被らない地域ではあるはずだから、なんとか無事と信じたい。
いわきの、兄姉のようにしてくれている知人も安否不明。
日立のいとこは、帰宅出来ず横浜の息子宅にいて、奥さんだけが日立にいる。給水を受けに行ってもクルマが一杯でたどり着くのが大変だし、いまのところなんとかなるので、お菓子で命を繋いでいる。
とにかく、ここまでの確認はした。
一方で僕の地元。
駅前で募金活動をしていたのは、民主党と共産党だけだった。どちらにも、少しだが同じ額を委ねて
「お願いします」
と頭を下げてきた。
スーパーでは、飲料水、パン、米、弁当やオニギリ、トイレットペーパーの順で、どこに行っても売り切れ状態になった。インスタント麺も無くなってきている。電池もほぼ売り切れ。お菓子類だけが異様にたくさん残っている。
明日からは物資の流通が確実に悪くなるのだが、消費者責任も大きい。
時差で夜中にコンビニに行ったら、オニギリと弁当は入荷していたのである。
ガソリンスタンドは、夕方、文字通り長蛇の列だった。
友人情報では、すくなくとも山梨・千葉では2000円までの制限給油になるとのことだったが、埼玉南東部のウチのあたりでは
「もう売り切れなの?」
という声を上げている人を見た。
ガソリンはまだ供給量は確保出来ているとの情報もあるが、物流が悪化すればどうなるか分からない。
ウチのクルマはこないだ満タンにしたばかりだし、あまり走行しないから、ひと月はもつ。
水と米のストックもあるので安心しきっていたら、夜になって娘が
「そういえばトイレットペーパーが残り少ない」
・・・手遅れである。
明日は計画停電初日で、ウチのあたりは第2フループとのことで、午前と夜6時〜10時の2度停電する。懐中電灯はあるが電池の残量は危うい。明日出勤してみて、そちらで入手出来なければ、もう腹をくくって過ごすしかない。
先の見通しなんてモノを考えても、停電すれば冷蔵庫もダメだから、仕方がない。
ほんとうに、人間のあさましさを見る思いがする。
夕方は親子三人、息子の好きな野良猫君たちがいる公園で気を紛らわせた。
まだ妹の安否が分かる前で気が張っていたが、娘は仙台の祖母と話が出来たことでやっと少し緊張が解けたところだった。
猫たちと過ごしていると、自分達も猫だったら良かった、と、つくづく思う。
昼に、朝をも兼ねて、パン屋さんでたらふく食ったので、晩飯は遅かった。
災害情報が入り組み過ぎて真贋見極めにくいのがもっとも困る。
自力でまとめようと思ったが、自分に関係の深い宮城県の、ほんのいちぶまでで終わってしまった。仙台は問い合わせ情報が多過ぎて肝心の地元情報を拾う労力が追いつかず、断念した。
明日は夜10時まで停電だから、作業はそれまで不可能だろう。
作業が出来ても、仙台で終わるかも知れなければ、仙台だけのこって宮城の他地域まで、ということになるかもしれない。
安否が分かっても、その先が長いのである。いま、そのことをきちんと考えている人は、どれくらいいるのだろうか?
まず片付け。
それから復興。
いったい何年かかるんだろう?
また余震があった。
小さい頃の十勝沖地震の経験でも、公式発表と同じく、1ヶ月くらいはこの状態が続くのだろうと思う。
1ヶ月過ぎたら・・・そこから本当の勝負が始まる。
だから、その前に、被害の少なかったりなかったりした地域の物流がダメになるなんてことは、決してあってはいけないのに・・・
これが「礼儀正しい」国民のやることか?
信じ難い。
関東人の振る舞いは、阪神淡路の時よりはるかにひどいのではないだろうか?

3月14日(月)
計画停電の第2グループにかかり、時間帯が朝9時20分からと夕6時20分からの2回の予定だったので心配で夜明け近くま でテレビにはりついていたが、案の定、最寄りのJRは全面運行停止を告げていた。私鉄の方はなんとかなるかも、と希望を繋いだが、こちらも、バスでさえ到 底たどり着きようのない駅から都内までの折り返し運転だということで、諦めた。朝7時半に上司の携帯電話に架けて、出勤出来ない旨を連絡した。
そ れからは数度、コンビニやスーパーを見て回った。トイレットペーパーも電池も、やっぱりない。それだけでなく、昨日を上回る主婦、たぶん出勤しなかった オッサンたちが、自転車だのカートだのに袋を3つも4つも買い物をしていた。水はもう売っていないので、お茶類を買い占めているようだった。・・・とても 悲しい光景だった! これはほんとうに人災だ。
あとで聞けば株価も大下落。みんながみんなおかしくなってしまっている。
帰宅して、停電になるとウチの建物は給水が止まるというので、それから急いで、洗濯機とバケツ2つと鍋3つと薬缶に水を張った。
洗濯は夕べのうちに済ましてあった・・・今夜も、洗濯機に溜めておいた水がちょっと余分めだが、それでやっておこうと思っている。で、子供たちを順次先に風呂に入れている。
時間は戻るが、第1回めの停電は実施されず、そのあいだミクシイのコミュからの情報をまとめてブログに順次アップした。
今日も昼は子供たちの気分転換も兼ねて外を歩いた。
駅は私鉄・JRともシャッターが閉まっていて、私鉄の5階建て駅ビルは店舗もすべて休業していた。松屋で昼食にして、それからずっと街中を歩いてみた。小さなお店はほとんどが普通に営業していた。南方面の大型スーパーは休業だった。
街の中央駅の方まで行ってみた。こちらの大型店は営業していた。やっぱり買い物客は長蛇の列だった。
娘に言わせれば、
「そんなに余分を持ったってしかたがないのに」
で あった。物流は過剰な消費に追いつかないので麻痺が確実になっている。いいや、こういう欲のない子供に育ててしまったんだから、飢え死にする時は一緒で構 わん、とも思った。・・・とりあえず、しかし、今回買い占めをやった連中くらいの食料や飲料のたくわえは、地震前に既にウチにあったんだから、まだ飢える ことはない。明日は息子の卒業式だからまだいいが、明後日からは子供たちだけウチにおいて行かなければならない。そのとき子供たちが買い物に行っても何も 仕入れられないんじゃないか、と思うと、胸が痛む。
はしゃぐ弟に
「そんなにしちゃいけないよ」
とたしなめた娘が、べそをかき始めた。
「自分の小さい頃に、ああいうふうにはしゃいだのとダブルんだ」
そうだった。僕は僕で、娘を保育園に連れて行き、置いてくるときに大泣きされ、涙をボロボロこぼしながら駅に向かったのを思い出した。娘曰く、
「保育園とか幼稚園とか、行きたくなかったんだよね。おかあさんとずっといっしょにいたかったから」
と、追い討ちみたいにまたべそをかかれた。・・・いや、時系列では、こっちのほうが先だったか。
その大型店の向かいの喫茶店で、ゆったりお茶を飲んで帰った。
夜 は別の地区の本の一部が計画停電実施にかかった。が、テレビに映し出された会見で、電力屋の担当が地域名を絶対にはっきり言おうとしなかったのには腹が 立った。明言した方がみんなちゃんとあきらめもつくのに、こんなことでは協力しようと思っている人たちを裏切っているとしか思えない。
明日はウチの地区は夜6時20分からの割当になっている。
ニュースは目新しいものは今日は原発関係以外は皆無であり、救助活動を含め、局面が次に変わりつつあるのだということが浮き上がってくる。

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放射性物質から身を守るには(ツイッタから)付リンク集

フォローしているかたのツイートから。
http://t.co/9Ae4oJh 原子力資料情報室 随時解説あります

Asahi shakai ツイートにありましたので、まとめておきます。

【1】室内退避の指示が出たら、「ドアや窓を完全に閉める」「換気扇などを止める」「帰宅時に顔や手を洗う」「食品にフタやラップをかける」「防災行政無線などで正しい情報を」(原子力安全・保安院HPの「防災のしおり」から)

【2】コンクリート屋内退避や避難の指示が出たら、「マスクや外衣を着用し持ち物は最小限に」「フード付きコートなど肌をさらさない服装で」「徒歩で集まって係員の指示に従う」「必要に応じてヨウ素剤を服用する」(原子力安全・保安院HPの「防災のしおり」から)

【3】万が一、放射性物質に身をさらされてしまった場合、身体などに付着した放射性物質を除去したり減らしたりする必要があります。放射性物質をほかの場所に広げたり、体内に取り込んだりしないよう、できる限り早く取り除くことが重要です。

【4】まず、衣服に放射性物質が付着していないか測定して、汚染が確認されれば服を脱ぎ、服はポリ袋などに密封します。体の表面に物質が付着していた場合には、タオルを使って生ぬるい場で洗い流すのが基本だと専門家は言います。

【5】専門家によると、せっけんと水でよく洗えば、皮膚表面の汚染は除くことができます。肌を傷つけないよう、皮膚が赤くなるほどこすったり、爪を立てたりしてはいけません。除染をしたら、放射性物質が取り除かれたかを測定して確認することが重要です。

【6】被爆に詳しい長崎重信・長崎大名誉教授は「避難所にいるような場合、不安になって自分の判断で衣服を全部脱いでしまう必要はありません。検査で汚染が確認されてからで十分です。冷静に対応してください」と話しています。=完

追記:放射線から身を守るには(重複内容あり)

【1】放射線の影響について詳しい国立病院機構北海道がんセンターの西尾正道院長(放射線治療科)は「避難所に水が無い場合、タオルで肌を軽く拭きとるだけでも効果があります」と言います。 #jishin

【2】ただし、皮膚が赤くなるほど強くこすってしまうと逆効果だとか。軽く拭き取る程度にしたほうが良いそうです。また、「衣服への汚染と被曝は別です。なるべく肌の露出が少ない服を着て、マスクや帽子をすれば被曝量を減らすことができます」とのこと。 #jishin

【3】目張りなどをすればより気密性が高まり、効果的ですが、あまり神経質になる必要はないということです。 #jishin

【4】避難などでどうしても外にでなければならない場合は、帽子をかぶったり、ぬれたマスクやハンカチで口や鼻を覆ったりするとよいそうです。雨に濡れないようにすることも大切です。 #jishin

【5】専門家によると、大切な三つの大原則がある。①放射線に近づかない②放射線から遮蔽された場所にいる③時間の経過を待つ。 #jishin

【6】傷口や口を通じて、体の内部から放射線を浴びることを「内部被曝」といいます。体に付いたり、吸い込んだりしないようにするためにも、なるべく屋内にとどまることが大切なのです。 #jishin

【7】専門家によると、うがい薬やのどスプレーなどヨウ素が含まれている市販薬は、飲んではいけないそうです。ヨウ素以外の成分も多く含まれているため、体に有害な作用を及ぼす可能性があるからです。そもそも、ヨウ素が少なくて予防効果はないそうです。 #jishin

【8】専門家に聞くと、放射性物質は遠くなればなるほど放射能が薄まるそうです。ヨウ素131の場合は空気より重いので、風が弱ければあまり遠くまで拡散しません。現段階では、たとえば200キロ以上離れた東京の人がむやみに心配する必要はないそうです #jishin

以下、知り合いの方がまとめたリンク集
(冷静に・・・が難しいですが、冷静にお読み下さい。)

経済産業省 原子力安全・保安院 緊急時情報ホームページ
http://kinkyu.nisa.go.jp/

放射線 人体への影響や致死は
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1535950&media_id=4

旭川医科大学病院
放射線科
Q&A
http://www.asahikawa-med.ac.jp/hospital/hoshasenbu/qa.html

新・?を!にするエネルギー講座
放射線の人体への影響
http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data3040.html

サイエンス・メディアセンター
原発に関するQ&Aまとめ
http://smc-japan.sakura.ne.jp/?p=752
ミラーサイト
http://smc-japan.sakura.ne.jp/wordpress/wp-content/uploads/2011/03/info1.jpg
[2010/3/13 03:00-JST]までのpdf
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/files/qascience_media_centre_of_japan___science_media_centre_of_japan.pdf

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2011年3月13日 (日)

東北地方太平洋沖地震でご心配のみなさま

mixiでもツイッタでも、流れがはや過ぎご心配も大きいかと存じますが、書き込みは最小限にとどめる心づもりがいちばんだと考えております。

とぴっくに
何もしない勇気も持ってください。http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=60764223&comm_id=5522501

とありました。
現地はみなさんかなりご苦労なさっているかと存じますから、これは仰る通りだと感じます。
辛いですが、しばらく辛抱しましょう。
動きが確実にとれるようになったら、私たちはまた頑張らなければなりません。

また、余震についても、怖がらずにいきましょうね。
頑張りましょう。
たくさんトピックやツイートがありますが、信頼出来ると思ったものを2つだけ。ただ、すみませんが2つめは宮城県限定です。
とっくにご存知かと存じかもしれませんが、ご容赦下さい。
個別情報は、なかなか難しいですけれど、お知りになりたい方の近隣についての情報は伺えます。

緊急情報
東北地方太平洋沖地震  http://bit.ly/gORiDG

宮城県関係限定ですが
「ウォッチン!みやぎ」スタッフ
@watchinstaff 仙台
TBC東北放送にて、月曜〜金曜放送中の「ウォッチン!みやぎ」の公式twitter
(更新は止まっていますが、地域ごとの様子を窺えます。)

なお、携帯電話はいまはどの会社も基地故障で使用不可です。こちらも御辛抱下さい。

以下、引用。

何もしない勇気も持ってください。

3月11日の夜は、長い長い夜でした。
一晩、私もいろんなことに協力させて頂きました。
現地の方々ともお話ができました。
そこで感じたことです。


『良いことをしよう』という純粋な善意だけで、安易にトピを【アゲ】たり、流れてきた情報を『助けなきゃ!』と必死に拡散したりしてる人がいますが余計に秩序がなくなっています。

この地震は被災規模・被災者数があまりに多く、ただでさえ混乱を招きやすい状況です。

正しい知識がなく、冷静に判断できないなら、むしろネットでは何もしないでください。

献血・募金でも十分です。

考えなしの善意は混乱を生むだけです。


特に、不確定なトピックを正しい情報と勝手に思い込んで、それを拡散したりアゲたりする行為は、いろんな悪循環を生み出します。
被災者へ注意を促すトピック(人災など)も、警戒するのは良いことですが、必要以上に恐怖をあおったり現地の方々の信頼関係を損なう恐れがあります。

状況は当事者じゃなければ分かりません。
何もできない歯がゆさから、情報を回したりして少しでも役に立ちたいという気持ちは分かります。
でも、地震発生から間もなく24時間。
状況は変化し、対策も変化し続けています。

ネットであっても安易に行動しないでください。

『励まし』
『避難場所などの地域情報』
『ニュースから被災状況の引用(根拠のある情報)』
『被災した家族・友人などの現在の様子』
などは、被災者の力になれると思います。

『火災に関わること』
『津波に関わること』
『余震について』
『水・火・食事について(米を炊く炊かない等)』
今は既に多くの情報が出回り、被災者の方々も何が正しいのか分からなくなっています。
地域や被災状況によりまったく違います。
被災した皆さんは、自分の状況をよく理解した上で、何をすべきなのかをそこにいる皆さんで声を掛け合ってください。
厳しく困難な状況だと思いますが、ネットに助けを求めるときは、なるべく【地域・状況・欲しい情報】を具体的に記入してください。

専門知識のない方々は、決して軽い気持ちで発言したり拡散しないでください。
間違った情報による犠牲者を出すのを防いでください。
本当の善意であれば、絶対に安易にトピをアゲたりしないでください。


避難方法については、必ずニュース・各避難場所の責任者の話を参考にして、いい加減な情報に惑わされないでください。

 

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2011年3月12日 (土)

卒業式と重なった地震

昨日、娘の卒業式で、たいへん印象に残るよい式でした。
子供たちがみんな明るいことを喜ばしく思っておりました。
その楽しい話を綴るはずでした。

セレモニーも終わって、妹の友人のご家族とバス停に向かって歩いているときに、なんだか妙に足下が揺れるなぁ、と思っていたら、それが長い横揺れの地震でした。どれくらい続いたのか分かりません。まだ田畑が沢山残る地域で、目の前が空地を利用した駐車場ですので、そこへ退避しました。前の家から子供さんをだっこしたおばあちゃんが出てきて、おびえているお孫さんをなだめていました。
すぐバスがきて、最寄りの埼玉県の大宮駅までは到着出来ました。そこでの次のセレモニー会場に、娘のクラスの子や親たちが集合しました。ここで も激しい余震があり、そごうデパートが歪むように揺れているのを数度目にしました。ちかくの居酒屋さんが津波予報のラジオを大きく流してくれ、それを聞い て、波高のすさまじさに耳を疑いました。実際に到達した津波が予報をさらにこえていた、と知ったのは、16時半ごろに駅前ビルの大きなモニタに映し出され たのを見た時でした。

バスの運行は止まりませんでしたが、JRに向かった人は戻され、駅は18時頃にはシャッターを閉めました。通路には、あきらめた人たちが隙間なく座り込んで夜明かしを決めていました。ちょっと先のホテルのロビーに行ってみましたが、こちらも人で溢れかえっていました。

揺れが落ち着いて、JR全線ストップが明らかになった17時半頃、セレモニー予定だったお店の地下にみんな入れてもらえましたが、19時過ぎにはそこを出なければならなくなり、親御さんと一緒ではない生徒さん4人はバスで学校に戻り、そこで夜を明かすことになりました。大多数の、帰れると判断した人たちが、バスなどのルートを何とか探して戻っていきました。その時点ではすごい渋滞だっただろうと思います。残った6家族程度が別のお店で夜明かしの許しも得て過ごしていましたが、最初に2家族が徒歩で帰ることにし、残り家族は順次迎えが来て(たどり着くまでに大変な渋滞だったということです〜他のかたですが、新宿からタクシーに乗っても、1時間で1キロしか進まず、8時間かけて歩いて、埼玉の大宮まで戻ってきた、というかたもいらっしゃいました)ウチも最後のお迎えのご家族のかたに送って頂いて、午前3時 に帰宅出来ました。
息子は一人で留守番、眠っていました。
家の中は西側の本とデスクトップパソコンあたりが散乱した程度で済みました。・・・まだ片付ける気力が湧きませんが、午後にはやらねばならんと思っています。

携帯電話はメールは当初2〜3時間遅れでしか到着せず、送る方もひとつ送るのに2分程度かかりました。夜中まで同じ状態でした。通話は今朝方ま で、近場のお相手でもまったく繋がりませんでしたが、6時過ぎには回復しました。数少ない公衆電話でないとだめで、長蛇の列でした。

夜10時過ぎにやっと電話が空いてきて、職場にも電話を入れましたが、10人程度が帰宅手段がなく夜明かしを決めたようでした。今朝は留守番電話になっていたので、なんとか帰路に向かったものと思います。

実家へは、役所勤めの上の妹からの電話で連絡がつき、家の中は仏壇が崩れるなどかなり酷い様子ではあるものの、無事であることが確認出来ました。 我が家からはいまだに繋がりません。妹の方から避難を奨めているそうですが、地域的には地盤も高さも問題が少ない所ではありますが、父が病気だったりしますので、いずれこちらへ連れて来なければならないかもしれません。妹の所には泊まれますので、そういう体制になるかと思います。
下の妹はその二人の子供たちと、津波の被害のひどかった地域の、海からはいちばん離れた地域に住んでいるのですが、連絡は全くつきません。今朝の情報で、妹の子供たちの母校が避難所になっているとのことなので、そこへ無事に避難してくれていることを祈ります。

東北地方へは普通の家庭からは電話がかなり通じにくくなっています。
災害伝言版サービスの利用がいちばん良いようですが、たとえば妹は携帯電話を持って出たかどうかも分からず、有効に使えるかどうかは不明です。

新潟でも夜中に大きな地震がありましたが、太平洋側と繋がりがあるのでしょうか?

帰宅してテレビをつけましたら、馴染んだ港町がどこもかしこも景色が激しく変わってしまっており、市域の殆どが火災になってしまった所あり、映し出されない所は壊滅状態と伝えられ・・・しばし言葉を失っていました。

仙台市で言いますと現在は電気もガスも止まった状態で、実家の最寄りの停電した役所が映し出されていました。そのはるか向うに、隣接する港町から上がっているらしい黒煙が見えました。
それでもライフラインの復旧は3日くらいで可能らしいと聞きました。

肉親はもとより、被災した皆様総てが、食料・トイレ・寒さからの保身を、なんとか上手くなさって下さるよう、心から祈っております。

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