シューベルト

2011年3月10日 (木)

シューベルトの交響曲(5)歌謡的な緩徐楽章〜モーツァルトとの比較

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交響曲に限らないのですが、シューベルトの器楽曲は、弦楽四重奏が歌曲からの主題を使用していることからも察せられるように、歌謡的であるため聴 きやすいのが特徴です。・・・ただし、聴きやすさとは裏腹に、演奏には高い技術力を必要とするのもまた、忘れてはならないことではあります。
シューベルトが生前メジャーになりきれなかったのは彼が「独奏に秀でていたわけではなかったために」協奏曲的作品を書いたり自ら演奏したりしな かったからだ、と、シューベルト語りには必ず言われているのですけれど、言っている人がシューベルトの器楽作品を演奏した経験があれば、もう少し言いかた は違ってくるのではないでしょうか。八重奏曲で超絶ヴァイオリンパートを書いたシューベルトが、書こうとすれば協奏曲を書けなかったはずはないと思います し、「さすらい人」幻想曲は後にリストが素晴らしい編曲をして、協奏曲に匹敵する作品であることを鮮やかに証明しています。
独奏では自分の書いた「さすらい人」幻想曲で失敗したりし、

「しかも、はにかみ屋の彼は人前に出ることをあまり好んでいなかった。したがって、協奏曲を演奏して喝采を浴びるということにはさほど興味を示さず、協奏的作品だけは彼の作品リストから事実上、抜け落ちることになった」(村田千尋『シューベルト』115-116頁、音楽之友社 2004)

とも伝記作者によって述べられていますけれど、前半の部分の人間的な性格からだけで彼が協奏曲を書かなかった、ということではなく、作曲家として の資質がそもそも協奏曲を欲しなかった、と考えるべきなのでしょう。独立した声部が際立つような音楽は、彼のイデーの中にはなかった、とでも言うべきなの でしょうか。
それは、実は彼の有名歌曲についてもほとんど当てはめ得ることで、「魔王」のようなストーリー性の強いものに限らず、有節歌曲である「ます」や 「野ばら」においてさえも、そして『美しき水車小屋の娘』や『冬の旅』に含まれる諸歌曲はなおさら、伴奏部が歌の個性を高める上で歌と切り離すことが絶対 に出来ない、歌と密接した構造になっていることは、いまさらあらためて言うまでもないでしょう。

(完成した)交響曲においては、彼のイデーのそういう特徴がもっともよく出ているのは、緩徐楽章・・・すべて第2楽章・・・です。

ウィーン古典派で教科書的に名前を挙げられるハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの3人の中では、モーツァルトが最も「歌謡的」な緩徐楽章を 量産したものと思いますが、そのウィーン時代の交響曲における主題の、とくに冒頭部の特徴を観察し、シューベルトのものと比較しましょう。立体構造全般を 視野に置かなければならないことからすると、これだけでは片手落ちなのですが、それでも各々の個性が何に由来するかは、けっこうはっきりさせてくれます。

まず、「ハフナー」の第2楽章は最初の4小節、次の4小節、さらに次の8小節の3つの部分で冒頭主題を構成しています。それぞれが動機としては直接に関連性のない3つの部分です。

「リンツ」の第2楽章もまた、冒頭は4小節のまとまりであり、ついで現れる4小節間の動機は最初のまとまりの終了音からオクターヴと五度上という 広い跳躍をもって奏で始められます。締めは、最初のまとまりと関連性の強い動機を用いた4小節ですが、これは2番めのまとまりの終了音から7度下がってい て、旋律上は中央部分と分離しています。

「プラハ」の緩徐楽章は8小節間、ひとまとまりのなだらかな旋律で続きますが、8小節目に入ると、それまでの詠唱がはたと絶え、まったく性質の違 う、スタカートの八分音符となります。14小節め以降で、五度下降と四度上昇を交互に繰り返しながらなだらかに最初の主題を終えますが、次に現れる19小 節めからの主題は、最初のト長調で安定した主題とはまったく相貌を変え、厳しいホ短調、輪郭をぼかしたニ短調、欺瞞のような変ロ長調から再びニ短調・・・ と言う具合に、カメレオン的な性格を示してます。

39番はとト短調はウィーン時代の交響曲の中では緩徐楽章の主題が同一動機の連続で示されるものですが、39番はそれが旋律的に構成されて輪郭が始終明確である点で、ウィーン時代唯一の例外となっています。

ト短調交響曲では、緩徐楽章は、ヴィオラ、次の小節で第2ヴァイオリン、さらに次の小節で第1ヴァイオリンが、八分音符を積み重ねて次第に和声が明らかとなる作りで、この4小節まできてはじめて聴き手に初めて正体が露わにされるわけです。

「ジュピター」の緩徐楽章は冒頭動機が非常に印象的であるにもかかわらず、それは5小節めで旋律のきっかけを形作るだけで、以後主題の主体に用いられることがありません。

モーツァルトのウィーン時代の交響曲は、最初に示されるものと次に示されるもののあいだに、動機的には分離があるのが、「プラハ」までのおもだっ た特徴だと言っていいでしょう。あるいは、ト短調は最初に正体を現しきらない(その点では「ジュピター」も同趣向)ことによって、冒頭部は、主題が明確に 形成されたあとの流れとは分離したものとして存在していると見なし得るでしょう(音楽的に分離している、ということではありません)。39番だけが例外で す。

シューベルトは、どうでしょうか?

ひとことで言ってしまえば、モーツァルトにみられるような分離はいっさいない、のです。

それぞれの第2楽章の冒頭部。技法的には、ばらばらに述べるほど異なってはいないのです。

・第1番〜主題の前半部と同じ動機で主題の後半部が構成されている。

・第2番〜基本的に2種の動機が4度繰り返される(音程は変化していく)ことで主題の前半部が構成され、後半部も動機の関連性が強い反転型の経過句を挟んで最初の動機へと回帰する。

・第3番〜八分音符4つの動機と付点八分音符+十六分音符+八分音符2個の動機の2種が主となって一貫して主題を構成している。

・第4番〜3度ずつ上昇する同一動機で主題を構成して2度繰り返すことで前半部が出来上がり、後半部はその上り詰めたところから下降する同一動機により構成される。

・第5番〜主題は4つのまとまりに括れるが、第1と第3、第2と第4の括りはそれぞれ同じ動機に由来している・・・すなわち、有節歌曲によく見られる作りである。

・第6番〜主題は、4種の動機ひとまとまりが表情を変えていくだけの、リズムとしては素朴な構成(巧みな音程誘導とオーケストレーションで、その単純さが表面化しない)。

・「グレート」〜主題の前半3小節は、その終了音が後半部開始音より2度高いだけに留まっていて、動機も前半部の第2動機(オーボエの第1小節の後半部)を主要要素としている。

・・・こんな具合です。

モーツァルトのものも、シューベルトのものも、いずれも声楽的である、と言う場合、モーツァルトの方は異なる動機へと頻繁に変わり身を遂げるか、 あるいは輪郭を順次明確にしていくという複雑な手法により、コンサートアリア的色合いを強く持たせているのに対し、シューベルトの方は、同一あるいは類似 動機を積み重ねる、有節歌曲と似た構造をした主題を持っているのだ、と、その違いを表現することが許されるのではないかと思います。

もう一点、シューベルト側には、「未完成」を含め「グレート」を除いて、主題の動きと対旋律的な動きが楽章の幕開けからさほど経ぬうちに絡み合う 特徴があり、それはまたモーツァルトのト短調交響曲のように小出しに重層化されることが全くありません。和声で言うところの四声が、どの交響曲の緩徐楽章 でも冒頭からきちんと響き、しかも相互に半独立的キャラクターを持っているため、表現が単調になることも回避されています。これはベートーベンがやや似る ものの、そういう場合のベートーベンが旋律を他声部と連綿と絡めているのは第二、第八のみです。

緩徐楽章で最初から和声をしっかり示す姿勢が一貫していることは、先のシューベルトのイデー推測の裏付けとはならないでしょうか?
他の楽章にしても、彼が和声を明示しない開始を試みるのは「未完成」と「グレート」の冒頭楽章において、であって、早い晩年が訪れてからのことです。

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2011年2月23日 (水)

シューベルトの交響曲(4)終楽章のもつ傾向

面白そう!<落語で観るオペレッタ「メリー・ウィドー」>は、2月27日(日)


ハイドン コレギウム第2回演奏会は3月6日(日)
ハイドンの交響曲第2番、10番、ヴァイオリン協奏曲第1番など。貴重な演奏会です。


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シューベルトの交響曲群の中で、もっとも「歌謡」的でないのは、最終楽章でしょう。第3楽章も器楽的ですが、第4を除けば、彼には珍しく、メロ ディラインを描くことに没頭するよりは、あるモチーフを展開させることのほうに興味のウェイトがあるようです。とはいえ、その展開のさせかたが「歌曲」的 な場合があり(第5が典型)、ここでも彼の発想が「ベートーヴェン的」ではなかったこと、それは《グレート》のフィナーレについても同様にいえることが、 明瞭に聴き取れるはずです。

また某書に感じるひっかかりの話になるので恐縮ですが、

《グレート》全曲の重心は明らかに第1楽章にある。《第九》のように、フィナーレがすべての結論であるような曲ではない。つまり《グレート》は交響曲の古典に立ち還ったといえるだろう。

と、常に《グレート》をベートーヴェンの《第九》と対比したがる視座には疑問と不快を覚えざるを得ません。
ベートーヴェンの交響曲の中でも《第九》は極端に特異な例なのであり、それはやはりフィナーレを派手に飾ってきた《第3(エロイカ)》・《第5》 なる特殊作を創作した経験がもたらした、ベートーヴェンなりの帰結なのであって、少なくともその評価が確立していなかった同時代人の創作をベートーヴェン と対比すること自体が第1に間違っているはずです。第2には、ベートーヴェン自身の交響曲でフィナーレにウェイトのかかった(しかしながら、理屈としての 「結論」めいたものが明確だと断言できるのは《第九》以外には《第5》しか該当がない)作例は、上記2つに次ぐのは《第6》だけであって、都合4作。残り 5作はハイドンやモーツァルト、シューベルトの作例と意味が異ならないフィナーレを持っています。
だいたい、交響曲が19世紀初頭には既にストーリー性を持った創作だった、と言わんばかりの「結論」なる語彙の持ち出し自体が、「市ヶ谷の切腹 事件」をスタートラインにしか三島由紀夫文学を論じないのと同じようなナンセンスさがありますし、さらには個人ではなく時代を主体としてみなし得るメリッ トが潜在している音楽作品について横並びに見るとき、この時期に明確な「ストーリー」性をもって「交響曲」と題した作品を書いたのは、ひとり、フランスの ベルリオーズだけだった(それも1930年になってから《幻想交響曲》をものにしたのが最初であり、他に同様の試みをしているものの、成功したのは《幻想》一作だけだった)・・・ベートーヴェンにとってもシューベルトにとっても他国人だった、なる点を、同書はフランス革命期のメユールからベートーヴェン が受けた感銘や、ひるがえってベルリオーズが、他国ではまだ認められていない時期に自国のアブネックの指揮で演奏されたベートーヴェンを高評価したこと (入手が大変ですがベルリオーズ自身が『回想録』で語っています)などからの背景をきちんと追求せず、ベルリオーズが《幻想》を創作できたのは

フランスだからこそ可能だったのかも知れない

とお茶を濁しているのが笑止でなりません。
こういう人が大学の、しかも「音楽学」の教授なんですか?・・・とは、ちと私も興奮しすぎかも知れませんし、話もだいぶ脱線してしまいました。

ベルリオーズは、いまは関係ないのでした。

が、ストーリー的な「結論」が、19世紀初頭にあってもなお交響曲のフィナーレに望まれるものでは決して無かったことは、その後のメンデルスゾーンやシューマンという、一般的に聴ける範囲の作例だけからでも十分に伺われます。
では、たとえばメンデルスゾーンが《イタリア》で書いたフィナーレのサルタレッロが、フィナーレの意味にふさわしい「大団円」に聞こえないか、と いったら、そんなことはないでしょう? ハイドンの一連のパリシンフォニーあたりまでは、重いフィナーレに慣れた耳には軽く聞こえすぎるかも知れません。 70年代までの録音は、現にそういう演奏がほとんどを占めるのではないかと思います。・・・であれば、ハイドンについては、なるべくいわゆる「古楽」オー ケストラによる演奏でお聴き直しいただければよろしいでしょう。そこから聞き取れる、
「ああ!今日はいっしょに楽しんでくれてありがとう!」
ムードを、解釈をみなおした演奏で、どんなかたがどのように受け止めるか、は、私にとって甚だ興味深いことですが、クラシックで有意な統計がなしうるアンケート出来るくらいのサンプリングは大変に難しいかも知れませんね。

で、これも言葉でこう言っただけでは無責任なのですが、シューベルトのフィナーレは、基本的に、ハイドンに聴き取れるような
「楽しかったね、さあ、これでオシマイだ! 最後まで楽しんでくれ!」
的なポップなニュアンスをふんだんに持っています。

「楽式」を重視するかたが、シューベルトの交響曲たちのフィナーレをどう「分析」なさるのかは分かりませんが、耳に聞こえるものを追いかけていく と、彼は現在の「クラシック音楽分析ご担当学者様各位」が仰るもののなかでは「ロンド・ソナタ形式」的な音楽を一貫して書き続けていることがはっきりして いると感じるほかはありません。そういう意味で、また引用しますが、

シューベルトは自分の記念碑的な交響曲に、ベートーヴェンの名を刻 んでおきたかったのだろう。これが「(第九の歓喜の歌の主題の)引用」につながった。そうすることで、《第九》への思いを吐露し、ベートーヴェンへの深い 感謝の念を表明しておきたかったのだろう。なぜなら《第九》は交響曲と音楽がもつ可能性の啓示であり、シューベルトにとっての交響曲のあり方を示す指標で あり、目標となっただろうからである。

は、タイムマシンでも発明なさってシューベルトの書斎でシューベルトの苦悶を覗いてきた人でなければ仰れない「素晴らしすぎる」ご発言であり、そ んな超常的手段をあわせもたない凡庸以下で卑俗な私などは平伏するしかないほどキラキラ輝くありがたい言葉だと申し上げざるを得ません。

まず、「引用」とされる旋律は、聴く人すべてが「ああ、似てるねぇ」と思うものではありますが、そのすべての人が理解しているとおり、「でも、同 じじゃないねぇ」というものです。かつ、旋律としては断片的なものに過ぎず、すぐに転調して簡単な展開を行い、あまりたたないうちに、トロンボーンが主体 の勇壮な、別のモチーフ(既に先に現れている第二主題)に席を譲ります。
かつ、この部分が《グレート》既存の主題を使っていないために、よく第3主題扱いされるのですけれど、上記のような推移からすると、「ソナタ形 式の中の一主題」とはとうてい言い切れないことは明白でしょう。これについてはベートーヴェンの《エロイカ》第1楽章の展開部にある新主題についても同様 に言えるかと思いますが、ではこれがベートーヴェンやシューベルトの新機軸か、というと、むしろハイドンやモーツァルトにときおりみられる教科書的な「ソ ナタ形式」が成立する以前のエマヌエル・バッハ、クリスチャン・バッハ兄弟らのシンフォニーには常態的に採られていた手法であって、とくにエマヌエル・ バッハはベートーヴェンはよく研究していましたので、そのあたりの影響関係を慎重に調べなければならないという課題が横たわっています。
また、シューベルトの方の「歓喜の歌」類似モチーフ(もう、旋律とは言いません)が「引用」だと言うのなら、彼の第1交響曲の第2楽章はモー ツァルトの《ハフナー》第2楽章の引用、第2交響曲の冒頭は同じく《第39番》冒頭あたりの引用、だという牽強付会も成り立ちます。どうぞ、該当作を一度お耳に なさってみて下さい。

《グレート》のフィナーレが、分析者の言う「第3主題」だの「第2展開部」だのを持つように「聞こえる」のは、彼自身の交響曲との対比で見るなら ば、シューベルトはフィナーレを「ロンド」的感覚で、しかもおのれに可能な限り(それは作曲家全てにとっての良心であるはずですが)堅牢に書き上げたいと の意識で創作したことが、結果的に直近の、なんでも「形式」でものをまとめたほうがいいと考えた学者からみて「ソナタ形式」と「ロンド形式」の折衷、ある いは「それ以上に両者が緊密に融合して発展的なソナタ形式に集約された新形式・・・でも呼び名がないから、やっぱりソナタ形式!」に当てはまって聞こえ た、というだけの「からくり」である気がしてなりません。

《グレート》フィナーレの、とくに最初の主題のリズムと上昇、分析上で言う「第2展開部」の原型は《第3》フィナーレに存在しています。主題が多 様に入れ替わるのは《第5》フィナーレにもっともよく聴き取れるかと思います。《第1》・《第2》・《第6》は、結尾に向かっての高揚を意識的に設計して いるもので、これは先輩たちのオーソドックスな手本に倣っていると言えるでしょうが、後ろに行けば行くほど「形式」としてととのっていきます。面白いこと に、《第1》のフィナーレが、その点では最も「天国的な長さ」を感じさせます。ある意味では、後ろに行くほど、技術が短期にものすごい勢いいで成熟した 分、創作したいというだけの純粋な心理から遠ざかるのも早かった印象があります。(第1は16歳の1813年に書き上げ、以降、第6まで書くのに5年間し かかかっていません。)それは、シューベルトにしては珍しく「旋律的につながっている」《第4》のフィナーレについても言えることで、それが、両端楽章だ け短調であることから付けられた第4のニックネームである《悲劇的》を、あまり悲劇的ではないものにしています。
なお、《第2》だけは、第1楽章もシューベルトにしては動機労作的だったことを前に申し上げましたが、フィナーレもまた同じような性質が強く、 シューベルトの交響曲の中では唯一、ベートーヴェン的な色合いを持っている(それも奇しくもベートーヴェンの《第2》に似ている)ように思いますが、これ はいまのところ主観です。

フィナーレ、というものの輪郭を喋るにしては、ちょっと風呂敷を広げすぎたかも知れません。

・・・反省。

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2011年2月18日 (金)

シューベルトの交響曲(3)冒頭楽章の特徴について

いきなりいっても聴けるみたい・・・です。保証人ではございませんが。(^^; ↓

Ooibanner


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「交響曲」と呼ばれる作品群で、とりわけのものとされてきたドイツ・オーストリア系のもののなかでも、シューベルトの初期交響曲は、メンデルスゾーンの3・4番以外やシューマンの交響曲同様、ハイドン・モーツァルトの後期交響曲、ベートーヴェン、そして間を置いて成立したブラームスの交響曲からすると1ランク下とみなされる傾向があったのでしょうか? 日本の某オーケストラを長年指揮したドイツ人指揮者S氏が、まだ中堅時代にシュターツカペレ・ドレスデンを振った「シューベルト交響曲全集」・「メンデルスゾーン交響曲全集」・「シューマン交響曲全集」をだしていましたが、そのどれだったか分からなくなてしまっているものの、S氏の述懐として、
「ほんとうはもっとメジャーな交響曲を指揮させて欲しかったが、なかなかさせてもらえなかった」
なる意味合いの言葉があり、メジャーとはベートーヴェンやブラームスを指すのであって、そうでないのがシューベルト、だと補説されていたように記憶しております。

「交響曲」が、20世紀以後のクラシックにおいて特別扱いを受けたらしいことの傍証でもあり、とりわけ、楽譜を読めば理屈が見えるような二大Bが別格扱いをされていたのは興味深いことです。
・・・他の作曲家の交響曲にそれが見えない、というわけでもないのですが。

モーツァルトやハイドンの初期・中期作品はメンデルスゾーンやシューマンとは明確に構造が異なる上に、管楽器の編成も小さいですから、メンデルスゾーンらがBBとランク分けされることの是非はともかく、ベートーヴェン以後をメインにしてきた20世紀オーケストラの主要ジャンルがとりあえずトロンボーンがなくても二管編成を基本として演奏会を行なううえで取り上げられにくかったことは感覚としてわかります。

シューベルトは第1番から第6番にかけて過渡期にあるとみなし得る要素が強く(後述)、かつ、トロンボーンを編成に加えている《未完成》と《グレート》を標準レパートリーとされてしまった(シューマンの影響でしょうか?)ことも手伝ってか、こちらはメンデルスゾーンの3,4番やシューマンの4曲よりさらにいっそう、第1〜第6が演奏される機会を持てずにいたかと思うのですが、史料的な裏付けはありません。

作品構造としては、シューベルトのものが、ハイドンやモーツァルトに比べても、いちばん単純明快ではあるかと思います。
ただ、そのことをもって、シューベルトの、とくに(第5を除き)演奏回数が少ない1〜6番の交響曲は「若書きの未成熟音楽」と断定するのでしたら、間違いだと考えます。
シューベルトの交響曲の単純明快さは、《未完成》も《グレート》も同様ですし、それは《グレート》について某書がその第1楽章の末尾で序奏主題を盛大に再提示していることをさして

これは序破急を思わせるドラマティックな形式であり、終局へ向けての強い志向を貫く。しかもその最後をシューベルトは劇的に演出した。

そのことが

《グレート》においては「出発点」は「結論」でもあったということなのである。

とするのは、ご著者がシューベルトをベートーヴェンと同列、またはベートーヴェンと違うことを新機軸として提示しようと試みていた、なるあたりを強調したいがための「大袈裟」な言い方に見えて、私は好きではありません。

シューベルトが、完成した8つの「交響曲」のうちの6つまでもで冒頭楽章に「序奏部」を持っていることについては記述しました。
本当は、シューベルトの完成版「交響曲」には、冒頭楽章に序奏のないものはひとつもありません。

序奏部のない第5番第1楽章には、主題が歌いだす前に短い序奏がありますし、《未完成》冒頭も、オーボエとクラリネットのユニゾンによる主題の前に、まずチェロとバスのユニゾンの、続いてそれがピチカートに転じた上で鳴る上三声の弦の細かいリズムの、二重の前奏があります。
したがって、シューベルトが完成させた(およびそれに準じるとみなされている《未完成》)「交響曲」に序奏のないものは皆無なわけです。その点で、シューベルトは《グレート》に到るまでの生涯に書き終えた『交響曲』で、前掲引用と同じ某書のいう

「エロイカ」の飛躍

は、同書がそうだと言う《未完成》以後においても、全く持たなかったわけですし、第1から第6を《未完成》以後と繋げて聴いてみますと、シューベルトには<「エロイカ」の飛躍>などというものが必要になったこともなかったと信じていいのではないかという気がしてきます。

ベートーヴェン、あるいはあとの時代のブラームスのような、動機や和声的対位法の技術の積み重ねによる書法には、シューベルトはモーツァルトやハイドン以上に無縁でした。だからそれで彼の初期交響曲の価値が劣るのか、となると、そんなものは主観と嗜好に過ぎないかと感じます。
その歌謡的な、おそらく浮かぶままに書き留められた音楽は、各交響曲の第2楽章で最も真価を発揮しているのですが、それはまた見てみるにしても、冒頭楽章も第2楽章に劣らず、連なる歌で構成されていて、とくにベートーヴェンとは反対側の極に立っているのは既に第1番から明白です。

過渡的な要素、とは、まさに彼の「交響曲」の冒頭楽章がすべて序奏を持ち、そのうちの6曲までもが、主要部と明白に区別できる、ゆっくりしたテンポで長い「序奏部」となっているところです。この「序奏部」は、かつ、すべて第1楽章が書かれている調そのもので書かれているところも、じつは本来注意されてしかるべきことです。主調で書き通して「まっとうに聴ける」交響曲だけを書いたのは、有名作曲家の中ではシューベルトのみではないでしょうか?

また、シューベルトは、第1、第2、第3、《未完成》、《グレート》の5曲では、冒頭楽章の主部でも「序奏」に使ったモチーフのほうを、そっくりそのままの旋律で大切にアピールしています。これもまた有名作曲家の中ではシューベルトに際立った特徴です。

《グレート》は末尾で朗々と序奏部主題に再帰する点で明快でもあり、アピール効果も明確ですが、これは狙った線が異なるものの、第1交響曲で既に取られた手法の「成熟化」であって、エロイカ的飛躍でもコペルニクス的転回でもコロンブスの卵でもありません。
第1の冒頭楽章序奏部は、楽章のいわゆる「再現部」の最初にも現れて、「再現部」の華やかさを際立たせます。(再現部に登場する際は主部のテンポの中で書かれているため、たとえばネヴィル・マリナー指揮の演奏では主部のテンポに乗せ、冒頭より速く演奏されています。ギュンター・ヴァント指揮の演奏では、再現部のその箇所では序奏のテンポに戻しています。)第1の序奏部の面白さは、通常バロック期の作品でなければ聴けないトランペットの高いC音が高らかに鳴り響くところで、シューベルトの序奏はバロック以来の伝統をひきついだものであることを宣言しています。このことは再現部での序奏回帰にもおそらく関係があって、シューベルトは「交響曲」を、意識していたにせよしていなかったにせよ、伝統的なフランス風序曲として企画したのではなかろうか、と勘ぐりたいところです。それを断言するには、シューベルトが10代までにどんな音楽を聴いたり演奏したりしていたのかを把握しなければなりませんが。・・・有名作曲家だけとの比較で有名作曲家を語ること自体が何か誤謬の元をはらんでいるのではないか、との疑いは、私たちは常に持つべきではないかとも思います。
第3の冒頭楽章も主部に入って魅力的な旋律主題をクラリネットが奏で出すのに、これがすぐ、序奏部で使われていた音階上昇型に主役の座を奪われます。
《未完成》冒頭楽章はオーケストレーションの妙で「聴かせる」作品になっているのであって、旋律にそぐう暗い音色の魅力が聴き手をずっと捉えていているものの、構造としては第3のほうの発展形であり、低音の序奏主題が本来の「ソナタ形式」の第1主題であるオーボエ・クラリネットユニゾンの主題を差し置いて「展開部」の主役をつとめているところに、もっと気が回されるべきではないかと思います。そして前にも述べましたように、作りは極めてシンプルであって、音楽形式からだけではそれが「初期交響曲」群より進展しているとは、言える根拠が全くありません。
第2の冒頭楽章だけが、序奏部を活用するという意味ではやや特異でして、主部の主題が序奏部主題と類似性が高い、すなわち楽章全体がシューベルトには珍しく「動機労作」に近いものだとみなせます。

シューベルトの交響曲は、《未完成》・《グレート》を味わう上でも、第1〜第6をも、ひとつは序奏もしくは序奏部に傾注して聴き直され、意義を考えなおされるべき価値の高さを十分に備えているのではないでしょうか?

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2011年2月12日 (土)

シューベルトの交響曲(2)「グレート」周辺をめぐって

入場の締切は過ぎましたが・・・まだはいれる余地はあるのかっ? ↓Ooibanner



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Schubertsymphonies まだ余談の類です。ただ、普段はあんまりしない(つもりでいる)悪口づくしですので、悪口がおきらいなかたは、どうぞお読みにならないで下さい。

ちょっとした<憤り>からシューベルトの交響曲巡りをしようと思い立つにあたって、さて何がそんなに自分を憤慨させたのか、を考え直してみますと、ちっともたいしたことではありませんでした。

クラシックが今になっても「交響曲」関連本ばかり出している・・・というのは、ちょっとはハズれているようですけれど、目立つのが「交響曲」関連本(オーケストラの小史や指揮者伝のようなものを含めて)ばかりである、というのは間違った感覚ではないとおもっています。
でも、どうやらそのことや、それぞれの書物に立腹したのではない。
最近リニューアルされた諸井誠さんの「交響曲の聴きどころ (オルフェ・ライブラリー)」をあらためてチラ見しましたけれど、(古典派的あるいはロマン派的)交響曲が現代においては役割を終えたこと、ただし未来がどうなるかは分からないこと、などについて的確に述べていらっしゃるのは良いことだと思い、おかげでちょっと無駄に上がったテンションが下がりました。

問題なのは、「分析」を売り物にする人たちのご著作の中に、結局は主観の開陳のウェイトが高くて「分析」の姿勢を貫いていないものが散見されることです。それも、これまでは別段カッカして目にするほどのものではありませんでした。
癇癪を起こしたのは、ただ1冊にあった、次のような趣旨のことばでした(著作を特定するのが目的ではないのでことばを改変します。)

交響曲を修辞学的に論じて欲しい、音楽そのもので記述して欲しい、との要請でこの本を書いたが、「クラシックの幅広いファンのために開かれた本」にするために専門的な著述は「これだけは必要」に留めた。

ほんとうにそれで本が書き進められているのならよいのですが、まったくそうなっていないのに甚だ失望もし、それを通り越してしまったので怒りさえ覚えてしまったのでした。

「開かれた本」であるためには、そもそも掲載された作品を聴いたことがなくても中身が分からなければならないはずですが、この本は作品そのものを耳にしたことがなければ、まず読めません。「分析」のためには、手元に必ず楽譜(スコア)が必要です。当然、スコアを読む素養も必要です。・・・そんなことをしなくても読める「分析本」がありますし、仮にも「分析」を標榜するのであれば、そうでなければならないと思います。かつ、<ソナタ形式>という、少なくともシューマン時代までは決して浸透していたとは言えない形式概念で読む・・・私たちはその読み方にずっと慣れてきましたから、それ自体は支障が大きいわけではないかもしれません・・・と著者が言っていながら、どこでその読みを展開しているのか、これは私の知能が低いから仕方ないのかもしれませんが、さっぱりわからない。

勘弁して欲しい、の頂点が、たまたまシューベルトの記述のところに出て来ました(その前の部分にも耐えかねたのですが)。

その時点で放り投げてかえりみなければ済んだ話でしたが、おかげでかえってシューベルトの「交響曲」もきちんと聴き直そうか、と考え始めることが出来たのですから、これはむしろ恩恵だったのかもしれません。

そのような次第で、今回だけ、私が気に障ったその本の、シューベルトを扱った章の記述にみられる問題点を、幾つか述べておきます。・・・というわけで、その本を買ってしまいました。(アホやん!)

ベートーヴェンの《第九》は交響曲の歴史に金字塔を打ち建てた。後世への影響は必至であり、交響曲制作への重圧は地下水のように浸透していった。しかし《第九》発表後の早い段階で、すでに特筆すべき重要な作品が現れていたのである。

第九はベートーヴェンの生前は初演と再演の後故国では葬られたも同然で、少なくともシューベルトの交響曲について述べる場所でこう語るのは、本段の最後(シューベルトの「グレート」をさす)を述べたいが為の恣意であり、お門違いもいいところです。「第九」の認知度はリストの努力でもドイツ圏ではなかなか一般的にならず、むしろフランスで注目されたほうが早くて(アブネックによる初演・・・ベルリオーズがその際のパリ音楽界の受け止めかたを皮肉っぽく観察しています)、ドイツ圏への浸透が確実になるのは、崇拝者ヴァーグナーが確固たる地位を築いて後のことです。ですから、ベートーヴェンの交響曲が、交響曲制作の本場であったドイツ圏(シューベルトを最後にオーストリア方面で良い作家をみかけることが出来ない不審が残りますが)では重圧を残した、ということばが仮に真実であったとしても(他のかたの著作にも同趣旨が述べられていることからして、私はこれは3分の1はほんとうかもしれない、とは靡きかけています。ただし、歴史的な記録を鑑みますと、残り3分の2は経済事情と世間の嗜好という別の要因ではないかと考えております)、それは《第九》が生み出したものではないでしょう。交響曲に限って言っても、後輩作曲家陣の《第九》への追随はメンデルスゾーンには当然のように、シューマンにもブラームスにも全く、見られません。創作方法からそれらしい痕跡がうかがえるのは、ブルックナー(ブラームスと時期が被りますが)やマーラーからです。
シューベルトの「グレート」が、この文脈上で「特筆すべき」と語られるおかしさについては後述します。

シューベルトはベートーヴェンの作品に対して最大限の賛辞を惜しまなかったというが、みずからの音楽は《エロイカ》の飛躍を体験していなかった。

「ベートーヴェンの作品に対して最大限の賛辞を惜しまなかった」なる典拠が不明です。これはベートーヴェンの伝記(これが最近さっぱり出ませんねぇ)にシューベルトが見舞いに来た際のエピソードが必ず出てくる場面、シューベルトは内気で何も語れずに飛び出した、なる話を、往々にして拡大解釈して述べているのを目にして来ましたから、その延長線上にあることだろうと推察されます。シューベルトが
「心の底では自分でも、何らかの人物になれるかと期待はしているのですが、しかしベートーヴェンの後でまだいったい誰に、何らかの人物になることが出来るでしょうか?」
と述べていた(村田千尋『シューベルト』p.156に引用)ことから、ベートーヴェンの存在に畏怖の念を抱いていたことは明白ですが、その創作に対しては決して素直に賛辞ばかりを呈していたわけではないのが、前回みた発言から察せられます。再度引用します。
(シューベルトら、サリエーリの)弟子達のすべてが打ち込んでいる作曲活動においては、あらゆる好奇趣味から解き放たれて、ありのままの自然が持つ表現力のほうに素直に耳を傾けることが目標となっている。(問題の)好奇趣味は今たいていの作曲家たちの精神をとりこにしてしまっているのだが、その責任は、我らが祖国ドイツの最も偉大な作曲家の一人(=ベートーヴェン)が唯一負うのだと言ってもいい。この好奇趣味は悲劇的なものを滑稽なものに・快適なものを下品なものに・至高の神聖を荒唐無稽に一緒くたに混ぜこぜにして区分けもせず、人間をして、愛の内に霧消させるべきところを興奮の渦に投げ入れてしまい、神の高みに至らせる代わりに爆笑へと誘導する。この好奇趣味を自分の弟子達のサークルから追放して、代わりに純粋な聖なる自然に目を向ける(べくいざなう)ことは・・・それを守り続けて来た芸術家にとって、最高の満足であるに違いない。(1816年6月16日。實吉晴夫訳『シューベルトの手紙』p.35訳文改変。)
なお、《第九》で始めた一節にいきなり<『エロイカ』の飛躍>なる表現が出てくる飛躍にもぶっとんでしまいます。それは割り引くとしても、ベートーヴェンとは違う人格であったシューベルトが、ベートーヴェンと同じ形での「飛躍」を経なければならないはずだったわけがありません。(筆者によれば、それはシューベルトには《未完成》交響曲で訪れた・・・となっていますが、理由が「分析的に」明示されていません。もっと立ち入れば、「未完成」でとった書法は「グレート」には全く引き継がれておらず、むしろ「グレート」と同年のイ短調ピアノソナタで展開がなされています。)ベートーヴェンはベートーヴェンで、死の床でシントラーに見せてもらったシューベルトの《美しき水車小屋の娘》その他の歌曲・歌曲集に「シューベルトには神の火花が宿っている」と言った話は有名ですが、まあ、それは、おまけ話か。

続いている《未完成》をめぐる部分については、とばします。ここもおよそ分析的とは言えない主観的記述が続いています。《未完成》のなにをもって、「そこにあるのは外から内への転換であろう」などと推測しているのでしょう? 分析を標榜するなら、いかに素人向けとはいえ、きちんと明示して欲しいものです。書法的には、交響曲をだけ対象に《未完成》を「聴く」と特異性がある(冒頭楽章に独立した序奏がなく、序奏の主題は楽章中で【ソナタ形式なるものの公式的・形式的な】第1主題本体を飛び越えて重要な位置づけをもたされている)ように感じられるものの、それはシューベルトの交響曲の中で唯一遅い冒頭楽章であり、それゆえに短調の暗色が際立つからであって、序奏音型をなんらかのかたちで重視した作法は既に第1交響曲で用いており、成人してそのアイディアが【いわゆる展開部で序奏主題を最優先する試行をするかたちで】発展したのだ、と捉えても不自然ではなく、むしろそうみたほうが彼の人間としての一貫性を確かめ得るはずです。

次の部分は《未完成》云々に先行して出てくるものです。

彼はある時「大交響曲への道」(1824年3月31日付、レオポルト・クーペルウィーザー宛の手紙)を熱く語ったことがあった。

シューベルトが熱く語ったのは、該当書簡を参照すると、交響曲について、の思いも確かに欠けていないのですが、その部分は熱いというよりもむしろ創作家らしい慎重さがあり(そのへんは受け止めかたで左右される感想かもしれませんが、モノを作るかたなら、シューベルトの「のぼせていない」アタマを覗けると思います)、究極の情熱を向けていたのは演奏会を開くことについてであったものであることが分かります。
「リートの方では、あまり新しいものは作らなかったけれど、そのかわり器楽曲をたくさん試作したよ。弦楽四重奏曲を2曲、八重奏曲を1曲。それにもう1曲、四重奏を作ろうと思っている。ともかく僕はこういうふうにして、大きな交響曲への道を切り拓いていこうと思っている。----ウィーンの一番新しいニュースは、ベートーヴェンがコンサートを開いて、彼の新しい交響曲、新しいミサから3曲、それに新しい序曲を一つ披露するという事実だ。----もし神の御心ならば、僕も来年には似たようなコンサートを開催しようかと考えている。」(「シューベルトの手紙」p.135)
経済的事情からでしょうか、交響曲を盛り込むことは出来ませんでしたが、シューベルトはこの手紙から四年後にようやく、生涯ただ一度の自作コンサート開催にこぎ着けます。それはこういう内容でした。(村田著p.114)
1828年3月26日(ウィーン、楽友教会ホール「赤い針鼠」)
1)弦楽四重奏曲
2)4つの歌曲(「十字軍」・「星」・「漁師の歌」・「アイスキュロスよりの断片」
3)グリパルツァーの詩による「セレナーデ」
4)ピアノ三重奏曲
5)歌曲「流れの上で」(ホルンとピアノにより伴奏)
6)歌曲「全能の神」
7)二重合唱「戦いの歌」

《未完成》から《グレート》の間に創造の飛躍があり、グレートの前年にベートーヴェンの《第九》が初演されていること、そして《グレート》に《第九》の引用があること【綴り手注:これは演奏する人が必ず気付く終楽章のほぼ中間の部分です】は何を意味するのか。この方程式を解くことはそれほどむずかしくはなかろう。明らかに《第九》体験は、シューベルトの交響曲創作の飛躍のバネとなったのだ。もうちょっと現実的な書き方をすれば、シューベルトは《第九》の圧倒的な感銘のうちに《グレート》創作の筆を執ったにちがいない。だからこそ、シューベルトは自分の記念碑的な交響曲に、ベートーヴェンの名を刻んでおきたかったのだろう。これが「引用」につながった。そうすることで、《第九》への思いを吐露し、ベートーヴェンへの感謝の念を表明しておきたかったのだろう。なぜなら、なぜなら《第九》は交響曲と音楽が持つ可能性の啓示であり、シューベルトにとっての交響曲のありかたを示す指標であり、目標となっただろうからである。では《第九》がシューベルトに啓示したものとは何だったのか。

・・・ん? 筆者は19世紀末のお生まれなのでしょうか? 某評論家のようなご長寿のかたの見解をはるかにとびこえて、非常にロマンチックな無根拠記述をなさっているのは、重要無形文化財に推挙すべき功績ではないでしょうか!!!
まず、ベートーヴェンとシューベルトの晩年当時の社会において、ベートーヴェンの《第九》は決して交響曲の規範扱いされていたわけではないことは、最初の引用文の後で述べたとおりです。では、シューベルト故人にとっては例外的に交響曲創作の規範となったのか、と考えてみると、《グレート》のつくりとベートーヴェン《第九》の作りにまったく共通点がないこと、あわせて、これは補作のかたちで耳にすることしか出来ませんけれど、《グレート》の後に書かれ(1828年?)、未完で終わったD.936aのニ長調交響曲断片の楽想と構成にもベートーヴェンの交響曲全部と共通する何ものをも聴き取ることが出来ません(この断片はBrian Newbouldの補作で、マリナー/アカデミーの演奏で録音されています newton classics 8802033 6枚組 同じ人物の《未完成》補作同様、おそらく補筆した部分の後期ロマン派的なオーケストレーションや楽想にシューベルト本来の意図が隠れてしまっているきらいはありますが、それを割り引いても、このことは言えると思います)。シューベルトがベートーヴェンの記憶を留めたい意図がほんとうにあったとしても、「作品分析」を標榜して作品を読むのでしたら、ベートーヴェンが音楽の上までを支配することはなかった、なる点を正面から見据えるべきであり、それに逆行する記述法は「今の」学者さんとしてはお粗末なのではないか、と強く言いたくなるところです。
以下の記述で作品「分析」がようやくちょっとだけ顔を出すのですが、4ページ足らずであり、これまた楽譜を参照して小節を数えたりしながらでないと決して読めない書き方であり、「開かれた」態度の話し振りとは思えませんから、ここで本をゴミ箱に送ることにします。《グレート》の分析をどうしてもしたい、というのなら、冒頭に掲げた諸井さんの本や、『名曲解説全集』でも読んだ方が、よっぽど役に立ちます。

・・・ああ、ゴミ箱送りにするんだったら、本を買った金額分、なんか食った方が良かったな!
・・・ブックオフに売ったって10円にもならんもんな。

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2011年2月 9日 (水)

【予備として】西ヨーロッパの管弦楽演奏会内容の変遷(19世紀末まで〜ドイツ圏に偏りますが)

Ooibanner

以前にも「リスト考(5)」で試みたことがあったのですけれど(「リスト」のカテゴリ参照。8例まで重複、シューベルト唯一の公的演奏会だった室内楽的なものを省略)、若干補強して、ちとあることの予備調査です。

エマヌエル・バッハの一例以外は、教会での演奏は除きます。また、詳細はわからなかったところばかりなのですが、ヘンデル〜エマヌエル・バッハの世代までは演奏会は声楽中心とみられ、器楽の「公式演奏会」的なものの存在は邦文献では確認出来ませんでした。したがって、掲載例は管弦楽演奏会ではありません。
以前掲載したものは重複して載せますが、日付の明らかなものに限ります。
作曲家の伝記類に掲載のものは断片情報が多く、演奏会の全貌を記していることが少ないのは、はなはだ残念です。・・・ベルリオーズやシューマンやドビュッシーの評論でもそうだから、やむをえないといえばやむをえないのですが。あるいは、ゲヴァントハウスについてあるはずと推測したい豊富な記録でも垣間見れたら嬉しいのですけれど。
また、文献の参照の仕方がいけないのでしょう、メンデルスゾーン、マーラー、(以降、20世紀ですが)ヴェーベルンの立てたプログラムなどについては内容・曲順が明確に出来ず、掲載を断念しました。それぞれ、各々の時期のコンサートのあり方を規定する上で大きな役割を果たした「指揮者」であったことを思うと、遺憾なことです。
ただ、そうした断片類から推測するに、以下の例はそれぞれの当時のコンサート・プログラムとしては悪くないサンプルではあると考えております。


ジョージ・フレデリック・ハンデル(ヘンデル)のための顕彰演奏会(伝記【三澤寿喜】p.116)
【A】1734年3月28日(ロンドン、ヘイマーケット劇場)
   第1部:アンセム「鹿が冷たい谷川を慕いあえぐように」
   第2部:オラトリオ「デボラ」のアリア
   第3部:戴冠式アンセム、アリア、二重唱


カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(伝記【久保田慶一】p.236)
【B】1779年三位一体後の第二日曜日(ハンブルクの教会)
   第1部〜フリーデマン・バッハ:カンタータ「地獄の罪業を我らから取り除き給え」
   第2部〜テレマン:カンタータ「私につねに優しくあられますように」
   第3部〜ヴァイオリンソロを伴う小曲、ドイツ語合唱楽章


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(ドキュメンタリー【ドイッチュ・アイブル】p.169)
【C】1784年4月1日(ウィーン、帝室王室国民宮廷劇場)
   1)トランペットとティンパニ付きの交響曲
   2)アリア(男声)
   3)フォルテピアノ協奏曲(新作)
   4)交響曲(新作)
   5)アリア(女声)
   6)管楽器とピアノのための五重奏曲K.452
   7)アリア(男声)
   8)フォルテピアノによる幻想曲
   9)交響曲


フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(伝記【大宮真琴】p.127)
【D】1790年のザロモン・コンサートから、規模の大きい記録でおそらくフルのコンサートだったもの
   第9回 5月13日
   1)交響曲(第92番以前のもの?)
   2)弦楽四重奏曲(作品64のうちの1曲)
   3)カンタータ "Ah, come il core"


【E】1801年12月4日「愛好家コンサート」(ミュンヘン、『オーケストラの社会史』p.54)
   1)ヨーゼフ・ハイドン氏のシンフォニー
   2)ヴィンター氏のヴァイオリン・コンチェルト
   3)ガッツァーニガ氏のアリア
   4)ダンツィ氏のクラヴィーア・コンチェルト
   5)リチェント・グラーツ氏のフルートのためのコンチェルタント(二本のフルート?)
   6)モーツァルト氏のオブリガート・ヴァイオリンに伴われて(?)アリア(記述不詳)
   7)(作者不明の)シンフォニー


ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(伝記【大築邦雄】p.89)
【F】1808年12月22日(アン・デア・ウィーン劇場)
   第1部
     1)「田園」交響曲
     2)アリア「ああ、不実なる人よ」作品65
     3)ハ長調ミサ抜粋
   第2部
     4)ハ短調交響曲
     5)ラテン語讃歌
     6)ピアノ独奏の幻想曲
     7)合唱幻想曲作品80


ウィーンフィルハーモニー第1回演奏会(「王たちの民主制」p.79)
【G】1843年4月3日
     1)ベートーヴェン:第7交響曲
     2)ベートーヴェン:アリア「裏切り者」
     3)モーツァルト:「劇場支配人」序曲
     4)ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第2番
     5)モーツァルト:コンサートアリア
     6)ケルビーニ:「メデア」からの二重唱


ウィーンフィルハーモニー演奏会(同上p.215)
【H】1870年11月13日
     1)ウェーバー:「オイリアンテ」序曲
     2)ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
     3)ルードルフ:「金髪のエックベルト」への序曲
     4)シューマン:交響曲第3番


ブラームスがウィーン楽友協会音楽監督として組んだプログラム(伝記【西原稔】p.112)
曲数の多いもの
【I】1873年12月7日
     1)シューベルト『ファエラブラス』序曲
     2)フォルクマン『コンチェルト・シュトゥッケ』
     3)バッハ:カンタータ第60番からのコラール『満ち足りて』
     4)ベートーヴェン:合唱幻想曲

1874年4月19日
【J】
     1)ハイドン:変ホ長調の交響曲
     2)ディッタースドルフ:ヴァイオリン協奏曲
     3)ブラームス『運命の歌』
     4)バッハ:パストラーレ
     5)ヘンデル『ソロモン』からの合唱曲

1874年11月8日
【K】
     1)ルビンシュテイン『ドミトリ・ドンスコイ』序曲
     2)ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番
     3)ベルリオーズ『イタリアのハロルド』

1875年1月10日
【L】
     1)メンデルスゾーン『カラマーチョの結婚』序曲
     2)ヨアヒム:ハンガリーの旋律による協奏曲
     3)ブラームス『アルトラプソディ』
     4)シューマン:ヴァイオリンとオーケストラのための幻想曲
     5)バッハ『おお、永遠の炎』


12例では心細いのですが、これでも
・「交響曲≦シンフォニー」は18世紀中葉以降コンサートの初めに置かれる傾向が強く
・それがだんだん「(明白に)序曲(と称されるもの)」に地位を譲って行き
・コンサートの最後もまた、むしろ協奏曲的なもの、声楽を伴う大規模曲である割合が高く
・19世紀中葉から「交響曲」がコンサートの締めくくりにも使われ出した
なる一般的傾向は垣間見られます。
もう少し数を集めたかったのが正直なところですね。(T_T)

なお、19世紀オーケストラの運営事情やその社会的背景については日本語しか分からん私のような者にはいまだに

Chr.-H.マーリンク/大崎滋生『オーケストラの社会史』(音楽之友社 1990)

に勝る好文献がありません。古書でしか入手出来ないのが残念ですが、探せばむしろ安く入手出来るかもしれないのだから(新刊では3,500円でした・・・古書では半値にはなっています)、いいのかなぁ。

このなかのいくつの文には注目しておく必要があります。

ヴュルツブルクでは、司教座が廃止される前の最後の二人の公爵司教のもとで(1779-1801)、それまで宮殿内で教会音楽のみを行なっていた宮廷楽団は、1786年から始まった愛好家によつ公開コンサートにも、また1797年に設立された”大学合奏団”(Collegium musicum academicum)”にも参加するようになった。・・・ヴュルツブルクの教会資産は1802年に世俗化されたために、こうした音楽活動は重要な支えを失ったように見えたが、1804年に設立された市立劇場が代わって活動の継続を保証した。(p.42)

「(ミュンヘンのパン屋のパウル・フッター)の企画と支援により、かつて修道女教会であったところに音楽を愛好する人々が集った。楽器と大作曲家の作品(これはみな我々のパウルの出費で入手された)を集めて、ハイドン、モーツァルト、その他たくさんの人々の有名な作品を演奏できるようになった。当地の宮廷楽団のメンバーでもあるヨハン・モラルトがこの企画の音楽上の指導者で、彼は愛好家に練習させ、聴衆に快い時間を与えられる唯一の人である。」(1811年記事の引用、p.50)

コンサートの質の向上に対する社会的要請から、すでに19世紀初めにディレッタントたちは次第にオーケストラに加わって演奏することから排除され、その運営面を担当したり、聴衆としてのみコンサートに参加する傾向が顕著になってくる。(p.55)

18世紀においては作曲家は自分がよく知っているオーケストラのために書くことが普通であった。その作品が演奏されるオーケストラについてよく知らない場合には、情報を集めるか、経験に基づいて編成の変更を提案したりした。・・・(ハイドンとモーツァルトのケースを例示)・・・18世紀前半から中盤にかけて、音楽の発展全体と関連して、オーケストラのおそらく・・・(以下、その経過についての記述)・・・18世紀後半にはトゥッティ楽器群から通奏低音担当グループが抜け落ちて、ソロ楽器群においてのみ、それはレチタティーヴの伴奏役として残った。(中略)それぞれの楽器には新しい機能が割り当てられ、たとえばホルンにはオーケストラを和音によって支えるという役割が課された。オーケストラのサウンドに対する概念も大きく変化して、それがオーケストラの生まれ変わりを決定づけ、18世紀の終わり頃にオーケストラからチェンバロが最終的に消えていった。(p.75-76)

チェンバロの残存がいつまでだったかは明確ではありませんが、19世紀初頭には確実に消え失せていましたから、最後の文も妥当だとみなせます。
ハイドンやモーツァルトは最後の引用文(p.75-76のもの)の時期のオーケストラを念頭においていたのであり、ベートーヴェンは最初の引用文(p.42のもの)の時期のオーケストラに依存していたこと、シューベルトはまさにそういうオーケストラの直中にいたこと、等は留意しておかなければならないでしょう。
これは、ハイドン以降の「交響曲〜シンフォニー」の内容・創作数の変貌と相関関係にあるものと感じられます。
であれば、日本ではこのところそればかりしか書かれない「交響曲」の本が、以上のようなオーケストラの変貌を念頭に置いていないのは、他のジャンルに比べ、本をお書きになった人々の視点の置き方には、かなりの「錯誤」があるものと思いながら読まざるを得ません・・・が、別段それをどうのこうの言うのが目的ではありませんので、直接どの本がどう、という話はするつもりは今後もありません。ただ、「一般人」が感じる、書籍の論点の奇妙さについては、まずはシューベルトの交響曲に関連づけて、これから少し疑問を呈させて頂きたく思っております。

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2011年2月 2日 (水)

シューベルトの交響曲(1)能書き

Ooibanner


 

(1)(2)(3)(4)(5)


ヨーロッパのオーケストラ音楽を享受にするあたって、日本は、とくに「交響曲」と呼ばれる曲種を偏重してきたのではないか、自分もそうではないか、という思いが、このごろ強く湧いて来ます。ですから、「交響曲」もしくは「交響詩」と称された古典以外の管弦楽曲についてはほとんど知らない。アマチュアオーケストラの選曲をするときに、詳しい人が持ち寄って来たもので、かろうじて違う種類の作品を認識し始めたようなものだったのではないかなあ、と、今にして感じます。まして、豊富なオペラやオペレッタについては、私たち、と言って語弊があるのでしたら、少なくとも私は、あまりにもその僅かな片鱗しか知りません。
そこで本当はせめてロッシーニやらオッフェンバックやらから改めて覗いてみたいところなのですが・・・ロッシーニについてはこないだ、何故突然オペラを書かなくなったかを妄想して綴りました・・・舞台や映像にかかるドラマは、鑑賞を綴るにもなかなか相手にしづらいところがあります。(モーツァルトがいま『後宮よりの誘拐』を目の前にして鑑賞ストップに陥っているのも、似た理由からです。)

そこでちょっと、シューベルトの交響曲さんたちに前座をしてもらおうと思います。

前座、などというのは、しかし、まったく失礼な話でして、彼の交響曲は1813年から18年までに完成された1〜6番と称されている初期作品(シューベルトの16歳から21歳の時期に当たります)も、よくよく見直されるべき作品である、と考えております。

主にドイツ・オーストリアの交響曲の(日本で書かれた)歴史は、ベートーヴェンより後の世代の作曲家が書いた交響曲について、近刊の講談社選書メチエのものまで、「ベートーヴェンを強く意識し、克服しなければならなかった」みたいなことをしたり顔で語り続けています。
本当にそうだろうか、という問いかけが、シューベルトの完成した交響曲7曲&「未完成」からはなし得るのではないでしょうか?
あるいはブラームスの交響曲もまた然りなのであって、活字なんか脇においてブラームスの交響曲に耳を傾けるとき、私たちは決してそこにベートーヴェンを重ねあわせることはありません。ブラームス自身、自分の第1番を「ベートーヴェンの第十」と呼ばれることにあまりいい気分ではなかったと記憶しております。
マーラーの交響曲も9番までしか完成せず、ブルックナーは9番の完成まであと一歩のところで没したりして、それにベートーヴェンも交響曲を9番までしか完成し得なかったことを重ねあわせて、いたずらにベートーヴェン神話を作り上げたのは、ブルックナーもマーラーも組していたヴァーグナーが強烈な「ベートーヴェン賛美」を繰り返したことが投影しての「迷信」であることは、こんにちでは明白であろうかとも思います。

私自身はベートーヴェンの交響曲は20代の頃は2番を除き全曲、主要旋律を落とさず鼻歌で歌えたくらいに大好きです(記憶力がダメになって来て、いまはもう出来ませんが!)。が、それはそれです。

シューベルトの「グレート」の一隅にベートーヴェンの「歓喜の歌」の断片が聞こえるからと言って、それが本当にベートーヴェンを「克服」しなければ出来なかった交響曲なのか、その決め手になるとも思えませんし、書籍にそんなことを綴った方がどの程度この点を強調したくていらっしゃるのかも、私はせいぜい立ち読みしかしておりませんので理解出来ておりませんから、書籍がどうの、ということは抜きに、自分なりにシューベルトの交響曲を見つめておきたいのです。

立ち読みとはいえ、ある交響曲関係の書物で奇異に感じる一例は、シューベルトが「未完成」や「グレート」で、ベートーヴェン経験を通じたが故に飛躍した、とのこだわりを、ご著者がどうしても繰り返し述べずにいられないところなどにあります。とくに「グレート」終楽章がいくらベートーヴェン第九終楽章主題のパスティッチョを意図していたかもしれないからと言って、そのパスティッチョを形成するに至る構成の仕方があたかもこの作で初めて現れたように語っているのは、私にはまったく理解出来ません。他者の主題のパスティッチョがどうの、という前に、主題を登場させるまでの修辞法はシューベルトは既に第1交響曲で用いているからです。作品を「啓蒙的に分析」してみせようとする書籍は、どうしても何かしら立派なこじつけをせずにはいられないようで、正直のところ手にするのも不愉快です。が、気分のことは措いて、それはそれで、シューベルトの交響曲を見ていく上では落ち着いて読まなければならないのかも知れません。努力はしてみましょう。

そのへんはまたの課題としまして、シューベルトの交響曲そのものに見られる特徴の一つだけ、綴っておきましょう。

シューベルトの交響曲は、5番と「未完成」を除き、すべて冒頭楽章に緩いテンポの序奏を持っています。
ベートーヴェンの交響曲でゆっくりした序奏を持つのは、1、2、4、7番、と、第9を除いて観察すれば半分です。交響曲を作りかけては断念したシューベルトですが(作品表上、断片は少なくとも4つあります)、序奏のある割合はベートーヴェンより高い、と言っていいでしょう。
さらに序奏の質について言えば、ベートーヴェンのものとシューベルトのものに共通した性格を見てよいのはベートーヴェンの第2番とシューベルトの第4番だけでしょう。後者が短調なので、分かりにくくはありますが。
また、シューベルトの作った序奏はすべて主調で堂々と開始され、速い主部に向けて掛け入っていくような書法をとっているのは「グレート」のみです。ベートーヴェンの序奏で明確に主調で始まるのは2番と7番ですが、7番は主部に向けて主部の動機を新たに生成するため一旦鎮静する性格を持たせた序奏であって、シューベルトと共通する性格はありません。

以上の事実だけを見ても、シューベルトにおいては「グレート」ですらベートーヴェンとの単純比較で評価することに危険性が孕まれているのではないかと推測されるに足るはずです。

また作品ごとにおおまかにみて行きますけれど、シューベルトの作り上げた音響は、当初はまずモーツァルトのオーケストレーションや旋律作法に近似したものがあり、構成はハイドンに近く、さらに和声はドイツのメンデルスゾーン、シューマンを感じ取らせるものが徐々に生まれていきます。あまり細かく見ていくわけではありませんが、「ここはこんなでしょ?」との例示はしてみたいと思っております。
また、「天国的な長さ」と評されることになる「グレート」の特徴も、先にちらりと述べましたとおり、第1番にすでに見られる点は留意しておくべきであろうとも考えております。

なによりも、シューベルトがベートーヴェンをどう見ていたか、がはっきりしている次の日記文には、もっと注意が払われるべきでしょう。

「(シューベルトら、サリエーリの)弟子達のすべてが打ち込んでいる作曲活動においては、あらゆる好奇趣味から解き放たれて、ありのままの自然が持つ表現力のほうに素直に耳を傾けることが目標となっている。(問題の)好奇趣味は今たいていの作曲家たちの精神をとりこにしてしまっているのだが、その責任は、我らが祖国ドイツの最も偉大な作曲家の一人(=ベートーヴェン)が唯一負うのだと言ってもいい。この好奇趣味は悲劇的なものを滑稽なものに・快適なものを下品なものに・至高の神聖を荒唐無稽に一緒くたに混ぜこぜにして区分けもせず、人間をして、愛の内に霧消させるべきところを興奮の渦に投げ入れてしまい、神の高みに至らせる代わりに爆笑へと誘導する。この好奇趣味を自分の弟子達のサークルから追放して、代わりに純粋な聖なる自然に目を向ける(べくいざなう)ことは・・・それを守り続けて来た芸術家にとって、最高の満足であるに違いない。」(1816年6月16日。實吉晴夫『シューベルトの手紙』35ページ掲載の訳文を、そのままでは意味がとりにくいので、シューベルトの原文に忠実に読めているかどうか不確かではありますが、私の<読み>に改変したものです。その点はご容赦下さい。1816年はベートーヴェンは45歳、作曲は3年前の第8、第7や戦争交響曲でほぼ休止状態となっていた頃です。)

これが仮にシューベルトの中でその後も持続した感じ方ではなかったにせよ、「グレート」や「未完成」の創作までには6年〜9年しか間がないことを考慮すべきでしょうし、ベートーヴェンの作風への感じ方とベートーヴェンへの敬意を、それこそ「一緒くた」にして考えなければならない理由もまた、どこにもないということも注意しておくべきかと思います。

このつぎに取り組むときから、シューベルトの交響曲の特徴のなかで際立っているものを拾い出して観察してみたいと思います。

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