2015年4月23日 (木)

「能の学校」授業ノート〜今シリーズ仕上げ?:『鉄輪』鑑賞!

山中迓晶先生「能の学校」今シーズンのゴールは、先生の『鉄輪』本番を鑑賞することでした!

で、4月19日の梅若能楽学院会館での演能を拝見してまいりました。
上手に述べることは出来ないのですけれど、浅い感想を綴ります。

前の月にあった五十五世梅若六郎三十七回追善能と合わせ、私にとっては新婚当時(22年前!)以来の観能で、とても楽しみに伺ったのでした。

3月の追善能のときに比べると、わりと若年のかたが地謡に加わっていらしたり作り物を運んでいらしたりしていたので、若い人からベテランのかたまで幅広いプロ(とその卵)のかたの修練の場でもある催しなのでしょう。こういうのもいいなあ、と感じたのでした。

最初は川口晃平さんのシテで『巴』。補習の時の山中先生のレクチャーもあったので、謡本を開きながら見せて頂きました。・・・でも結局、面(おもて)に見とれて終わった気がします。好きな孫次郎の面だったのでした。
木曾義仲の最後を女武者ともえさんの霊が語る能『巴』は、修羅物では女武者を主人公とする唯一の能なのだそうで、とくに後半は戦いの場面を再現して長刀をふるったりするのですが、川口さんの舞いぶりはそんなところでも女性的な丸さを失わず素敵だったと思います。

狂言は『蝸牛』。山本則俊さん扮する「カタツムリと勘違いされて太郎冠者に連れて行かれる山伏」が名人芸で、カタツムリとはどんなものかも知らない太郎冠者の山本則秀さん、その主人の若松隆さんのすっとぼけぶりも堂に入っていました。山伏が太郎冠者に謡わせ、しまいに太郎冠者の主人もつられて謡わされることになる囃子の謡は、中世に子どもたちがカタツムリを(競争させようとしてだったのでしょうか)囃し立てるのに謡われていた俗謡だそうなのですが、中世が眼前に愉快によみがえるおもむきがありました。

次いで『西行櫻』ですが、西行を演じるワキが宝生閑さんなのが私にとっては目玉でした。宝生閑さんはDVD化されている能の映像にもお若い時からのお姿がたくさん登場なさっているので、じかに拝見出来るのにわくわくしたのでした。他の皆さんゴメンナサイ!
で、能を幾つか拝見していると、ワキのかたのお役って、名乗ってその場の状況を説明してシテの登場を期待するみたいなカタチがあるように思えてくる(『鉄輪』のようにそうではないものもいくつもあるのは承知をしている)のですけれど、宝生閑さんはカタチを意識させず西行さんという存在を自然に感じさせてくれるので、それだけでぐいぐい惹き付けられる思いがしました。
面は、詳しいかたに教えて頂いたら「白色尉」とのことでしたが、これが不思議に生き生きとした艶を放っていてビックリしました。掘り出されて久しぶりにつけてもらえたのだから喜んだのだろう、とのことでした。

休憩後に仕舞『賀茂』・『網ノ段』・『鵺』が舞われました。『鵺』では珍しい「流れ足」が見られるとのことでしたので、そればっかり一生懸命見てしまいましたが、もちろん『賀茂』も『網ノ段』も素敵でした。とくに『網ノ段』は能『桜川』のなかからとられた段物で、行方知れずの娘の桜子を探す母の情が舞に結晶して独特の美しさがあるのでした。その独特をどう表現すべきか分かりません。・・・舞いは情動を曲線で表すことはありませんから、あの凛とした線だけでなんで哀感がにじみ出てくるのか、私にはまだ不思議でなりません。

最後にいよいよ、われらが山中先生の『鉄輪』です。
観世喜正さんのDVDが出ているのですが、その映像は、断り書きはないものの、たぶん観世流の小書き「早鼓」にしたがっていて、特殊演出なのです。そのうえ橋掛りが後ろにもある特設舞台で、地謡は正面後方にいるし、最初に登場するアイが笛座前に座ったりするし、特別なことだらけです。それはそれで僕らのような何も知らないものが見るのには大変面白いのですが、特殊演出ではない『鉄輪』はどんな感じなんだろう、と思っていました。
予想していたのよりずっと静かで、そのぶん内にこもった激しさがあったのでした。
もちろん、激しさはワキの安倍晴明が念じるノットのところから後ジテが現れて呪う相手の男(と後ジテに錯覚されたヒトガタ)、後妻に襲いかかる場面には背筋が寒くなる凄みがしっかりとあります。前半で、アイ(貴船の神官)が様相の変わって行く前シテに恐怖を覚えて走り去るところでも空気は急に冷たくなるのです。様相はもちろん実際に変化する訳ではないのですけれど、手の運びのご工夫や(型としてあるものなのでしょうか、そうではないんじゃないかな、と考えながら眺めていました)体の急激な緊張に見ているこちらまで髪の毛が逆立ってしまった気がしたのでしたが、中入りで沈静化されたピリピリ感は気の滅入るような緊張を見るこちらに沈潜させるのでしたし、最後のトメでは復讐かなわず退散するシテが霊として気化して行く蒸発感を、煙を見送るような自然さで持たせてくれたように思います。
最後に救いがないので、すべてが終わった後でめでたい謡で締めるのでしたが、それでほんとうに見ているこちらの緊張もとけるのだ、と実感しました。凄いことでした。
面は「霊女」だったのでしょうか? 橋姫でも生成でもありませんでした。良い面でした。

ほんとに、へたな感想文ですみません。

全体を通じて、お囃子の人たちがなんであんなにピッタリ揃い、またシテの舞いにしっかりフィットするのか、理屈の想像がつきかねて圧倒されました。このことをもっと喋ってみたかったのですが、力尽きました。

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2015年4月17日 (金)

「能の学校」授業ノート〜6時間目:深大寺へ遠足

山中迓晶先生「能の学校」今シーズン、あとは迓晶先生の舞う『鉄輪』本番を鑑賞する日を残すばかりとなりました。

『鉄輪』本番は下記のとおりですので先に。

日時:4月19日(日)13時開演
場所:梅若能楽学院会館
演目:能 「巴」        川口昇平
   狂言「蝸牛」       山本則俊
   能 「西行櫻」(杖之舞) 角当行雄
   能 「鉄輪」       山中迓晶
料金:自由席7,000円 指定席8,000円 学生席3,000円
http://umewakanoh.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=23139214&i=201503/13/37/c0159437_17215538.jpg
http://umewakanoh.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=23139214&i=201504/02/37/c0159437_11326100.jpg

それぞれの能を舞う方のプロフィールは、こちら。
http://umewakanoh.exblog.jp/i12/

『鉄輪』については、他の能や狂言の見どころ(のちゃんと紹介になるかどうかは分かりませんが)と併せて、先生のレクチャーをこの前の授業ノートに記しました。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-92f1.html


さて、4月11日の「能の学校」は深大寺への遠足なのでした。
遠足とはいえ、しっかりと授業でしたので、簡単にノートをとります。 (;o;)

【深大寺の護摩祈願】
「深大寺そば」で有名な、東京都調布市の深大寺ですが、元三大師堂で護摩祈願をして下さいます。
で、「能の学校」生徒一同で祈願をさせて頂いてきたのでした。

Ganzandaisidou
http://www.jindaiji.or.jp/gomakigan/

始まると、正面で導師さんが元三大師像(秘仏で拝顔は出来ません)に礼拝して、列席のお坊さんたち(若い!)がそれに応答して、続いて声明(?)になりました。ここまではすべて梵語のようでしたが、どうなのでしょう? 続いて太鼓の連打を伴奏にした観音経の力強い大合唱です。全文なのではないかしらん? 抑揚がなく、太くてまっすぐな、ひとつひとつの点がどでかい点線のように唱えられるのでした。それから願主名と祈願が読み上げられ、さらに続けて般若心経がこれまた烈しく唱えられます。
観音経までの間に、護摩を焚く担当のお坊さんは祭壇に向かって別になにか唱え事をなさって、やがて炎が高々と上がって、般若心経が終わる頃には火は鎮まるのでした。
導師さん以外はここまでで退場で、あとは導師さんが分かりやすい説教をして下さいました。
以上、記憶違いがあるかも知れません。

元三大師については、後に記します。

【本堂での謡奉納】
特別のお計らいで、本堂で謡を奉納させて頂くことになりました。
なんと! ひとりひとりがやるのです!
あたしはひとりで謡ったことなんてありません!
謡を教えて頂いたのからして初体験でしたから、まあどうしましょうか、なのでした。
まあでも、聴いて下さるのはご本尊の阿弥陀如来様です。
生徒がひとりひとり「老松」を奉納。奉納に事寄せて、謡の簡単なお作法を教えて頂いたのでした。

これまた間違いがあったらお許し下さるとともに、ご指導下さい。
こんな手順だったかなあ。

・先生(師匠)に一礼して舞台に向かう・・・お寺の本堂なので脇の控えでしたが。
・入口になるところ、舞台なら切戸口から斜めに出て正面に向かう。
・正面に着座したら、左にさしてあった扇をまず右脇に置く。
・扇を正面に回してから膝にとって、先端を床に触れさせる。
・謡う。
・扇を正面に置き、右側に回してから左腰に差す。
・座ったまま、体を退場する方向に斜めに向ける。
・それから立ち上がって、入って来た方に向かって斜めに退場する。
・退場して師匠の前まで行ったらご挨拶する。

わたしの謡そのものは、緊張の初体験で、なんだかずいぶん速かったように思います。
出来なんぞ気にするレベルではございません。
どうせ基礎もなにもなくやるのだから別に何も気にしなくてもいいようなものですが、楽器をひとりで、というのと違って、聴いて下さる方の前でひとり、ということには、奇妙な照れがあるものだなあ、と感じました。ちゃんとやろうと思ったら、照れの克服からかな。でないと声も素直にならない気がしました。以上、ささやかな反省。

【深大寺散策】 http://www.jindaiji.or.jp/map/
肩の荷が下りたところで、深大寺を散策。
廃仏毀釈の影響だったのか、元三大師堂の床下に隠されていた白鳳仏がいらして、明治末に再発見され、今は境内の釈迦堂に祀られて誰でも拝むことが出来ます。東日本では唯一の白鳳仏だそうで、しかも倚像(椅子に座ったお姿)の釈迦如来なのが興味深く思われました。お釈迦様に気をとられて、その脇にあったはずの旧梵鐘(南北朝時代の鋳造)を拝み忘れました!

2013年の興福寺仏頭展の際に特別出典された由。そのサイトから画像を引かさせて頂きます。

Exhibition_img03

http://butto.exhn.jp/exhibition/

釈迦堂から、深大寺の寺名の由来となった深沙大王(砂漠を行く三蔵法師を守護した伝説があり、日本には砂漠がないので大王の居場所を水中だと思い込んだ昔の日本人は深沙大王のことをもまた水神だと思い込んでいた・・・深大寺開創の伝説参照 http://www.jindaiji.or.jp/about/history_03.php)を祀る深沙堂を回り、山上でおいしいおそばをいただいたあと、下ったらまた元三大師堂前に出たのでした。

みると脇に不思議な姿の小さな石仏。脇に「元三大師」と彫ってあるので、驚きました。

Ganzandaishi

あとで探して、元三大師の説明を見つけました。詳細はリンク先をお読み下さい。
http://tobifudo.jp/newmon/name/ganzan.html?hc_location=ufi
これによると、元三大師(=十八代天台座主の良源)はおみくじの原型を作った人で、伝説で「鬼の姿になって疫病神を追い払った」と言われているそうです。で、角があるけれどどことなく愛嬌漂う変相は「角大師」と呼ばれているのでした。
深大寺境内で分けて頂けるお札には「角大師」の他に「豆大師」が描かれていました。これは元三大師の(僧としての)姿が豆粒のように9段33個並べられたものだそうです。

ざっと、こんな遠足でした。
また行ってみたい深大寺でした。

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2015年4月11日 (土)

「能の学校」授業ノート〜補習:『鉄輪』のみどころ

山中迓晶先生の「能の学校」。
皆勤したかったのですが、4、5時間目に行けなくなってしまいました。
残念に思っておりましたら、補習の告知があり、仕事が終わってから、こちらに行くことが出来ました。大助かりでした。

4時間目相当の、4月19日に先生が舞う『鉄輪』を中心とした、当日のみどころなどのお話でした。
(チラシ画像はリンクからご覧下さい。)

http://umewakanoh.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=23139214&i=201503/13/37/c0159437_17215538.jpg

4月19日 梅若会定式能 午後1時開演(正午会場)
能   巴        (川口 晃平)
狂言  蝸牛       (山本 則俊)
能   西行櫻(杖之舞) (角当 行雄)・・・ワキ(西行)に宝生閑さん
   仕舞  鵺     (山本 博道)
       賀茂    (会田  昇)
       網ノ段   (角当 直隆)
能   鉄輪       (山中 迓晶)


以下、お話。復習のときに書籍を参照して補いました。*番号、で参照出来るようにし、末尾にまとめます。毎度ですが、間違いがありましたらご容赦・ご教示下さい。

【あらすじ・みどころ】

「巴」
 木曽出身の旅僧が粟津の神社で涙を流す女性に「ここは木曾義仲を祀った神社です、読経をお願いします」と頼まれる。女性は木曾義仲に従った女武将巴の幽霊だった。
〜ほとんどの部分が「仕方話」なので(*1)、ことばがわかったほうがいい。謡本を参照しながらの鑑賞を勧める。

「蝸牛」
 蝸牛をとってこいと主人に命じられた太郎冠者が、蝸牛とは何かを知らず、藪の中で休んでいた山伏を蝸牛だと思い込んで連れて帰る。
〜狂言としては謡の部分が多い(*2)。

「西行櫻」(杖之舞 の小書き)
 隠棲していた庵の桜を人々が見に来たのを拒めずに嘆く西行が「花見んと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける」(*3)と詠んだのを、老いた桜の精が聞きとがめ、桜の下で眠った西行の夢に現れて西行をやんわりと糾す。西行は桜の花の咎ではありません、と謝る。桜の精は桜の名所を数え尽くしながら(杖を持って)静かに舞を舞う(太鼓入リ序ノ舞)。
〜ゆったり、うとうとしながら鑑賞すると、案外、能の心が少し分かるかもしれない。

仕舞
 鵺〜常の演出で「流れ足」(能では他にない横への烈しい足運び)をする唯一の曲
 賀茂〜本来は最初の曲(脇能)。雷神が主人公(わけいかずちのかみ)
 網ノ段〜「桜川」の一部。段物(*4)子ども(桜子)を探す母親の思慕


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【鉄輪】
「鉄輪(かなわ)」〜謡曲全文を先生の解説で読みました。
(あらすじは追記)

・映画「鉄輪」(新藤兼人監督作品 1972年)中年の女=乙羽信子、中年の男=観世栄夫(!)
 (〜私語ですが、見ようと思っております。*7)

・仏が神より上位である(「鉄輪」では、女が貴船明神に成就させてもらった呪詛が、仏法保護の三十番神によって無力となる)ことについて(*6)
 廃曲「鶏竜田」(ニワトリタツタ、チキンタツタではない!)でも神の鶏だから捕えてははならない、とされる鶏が捕られてしまう。

・面(おもて)について
 後ジテの専用面はなく「橋姫」などを用いることが多いが、延岡の内藤家の「霊女(りょうのおんな)」の面は専用面だったか。(*5)

[以下、「鉄輪」本文を参照のこと〜末尾に掲載]
 主なもののみ記す。

・夜にもかかわらず、前シテは顔を隠すために笠を被って現れる。〜詞章から言うと(「日も数そひて恋衣」)薄衣を被って現れるのが本来かもしれない。

・蜘蛛のいへ(サシのところ):蜘蛛の巣

・シテ(丑の刻参りの女)の貴船神社への経路(*8)
 糾【の森】(ただす【のもり】)
 御泥池(みぞろいけ)
 市原野辺(いちはらのべ)〜当時の死体遺棄現場

・鉄輪=五徳
「身には赤き衣を着、顔には丹をぬり、頭(こうべ)には鉄輪を戴き、三の足に火をともし」(*9)

・下京辺(ワキツレ=浮気男):庶民の町、チャラい男のイメージ

・転じかへて(清明):死ぬべき命を、ひとがた(藁人形)に転じる(呪詛で死ぬのを逃れるために)

・めづらしや(後ジテ):おひさしぶりね

・玉椿の八千代、双葉の松(後ジテ):愛情が変わらないことにかける、めでたいことば
 女性の内面の葛藤
 「因果は今ぞと白雪の 消えなん命は今宵ぞ。痛はしや」〜呪詛を遂げて嬉しい、のではない。

・後妻を打って、「今さらさこそ悔しかるため。さて懲りや思ひ知れ」
 (演じ手の先生として感じるのは)ここで後妻は死んでるでしょうね。

・三十番神:法華経守護・天地擁護・王城守護など十種類ある由。「鉄輪」では仏法(法華経)擁護
      毎月三十日のあいだ日本の国家と人々を守る神。
      三十番神の本の姿(本地)は永遠不滅の釈迦仏である(本地垂迹説)との信仰による。

・目に見えぬ鬼:肉体は滅びる=呪詛の女は死んでしまったのだろう。

【実技】
後ジテの登場するところを先生からの口伝えで謡いました。
(等幅フォント前提で記します。)

(出端)
ヤオ・ハーでコイアイ(乞合)になって
拍子不合(ひょうしあわず)

                  →(引き)
それ花はしゃぎゃくの 暖ぷうにひらけて。

            →
同じく暮しゅんの 風に散り。

Λ(マワシ=きイっ いー)     オ(オチ)・・・下の中へ【本当はヲと書く】
月は東ざんより出でて、早くせい嶺に隠れぬ。
(つ「き」がきっかけでキザミになる。)

(コイアイでおさまる)
          オ
世情の無情、かくのごとし。

     ハネアゲ  オ 
因果は車輪のめぐるがごとく

我に憂かりし(キザミになって)人々に。

  ハネアゲ      オΛ
たちまち報いを 見すべきなり。

(コイアイ)
   →                  Λ    →
恋の身の。(囃子、打たなくなる)浮かむことなき、賀茂川に。
                        (「が」をコミにしてカシラを打つ)

【終礼】
先生が面をつけて、照明の下、照明を消して、と、ふたとおり、最後の場面を舞ってみて下さいました。

以上、お粗末様でございました。


*1:⑩【シテの立働キ】の長大な仕方話が後場の中心になる(「岩波講座 能・狂言 Ⅵ 能鑑賞案内」p.114)

*2:【蝸牛に成り済ました山伏が、勘違いしている太郎冠者に教え込む】「雨も風も吹かぬに・・・・」の囃子物は(略)京都の子どもたちが蝸牛【カタツムリ】に向かって囃し立てた囃し詞であった。(「岩波講座 能・狂言 Ⅶ 狂言鑑賞案内」p.295)

*3:『山家集』87
    閑(しづか)ならんと思ひける頃、花見に人々まうで来れば
   花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎には有ける
(謡曲の西行桜は嵐山の西行庵の花見を描くが、証菩提院【現西光院】と勝持寺【大原野】とに伝承が残る。「和歌文学大系21 山家集/聞書集/残集」p.417 補注。明治書院 平成15年)

*4:段物=謡曲を構成する小段の内、特定の一部分を抜き出して独吟・仕舞・一調等を演奏すべく定められたものに付けられた、特殊な名称。(略)一曲中眼目となる謡の一段。特殊な構造であり、節付けも派手である。(下略) 「能楽ハンドブック 第3版」p.256 三省堂
「網ノ段」は『桜川』の段歌の部分(新潮日本古典集成『謡曲集 中』p.103、「桜川」の10の部分)。観世流大成版仕舞型付p.81(昭和35年)

*5:延岡観光協会「内藤家ゆかりの能面・狂言面」http://nobekan.jp/culture/naitou_nou 59番が「霊女」

*6:山本ひろ子『中世神話』(岩波新書593 1998年)等参照

*7:見たら追記します。

*8:賀茂川沿いを北上(白竜社編『鉄輪』p.5に地図。2003年)

*9:『平家物語』剣の巻(覚一本にはない)〜「顔には朱を指し、身には丹を塗り、鉄輪を戴きて、三つの足には松を燃し」


「鉄輪」本文〜フリーのボランティア打ち込みによるものです。感謝。
 http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/utahi/
 行節約のため改行を大幅に削除しました。

狂言「かやうに候ふ者は。貴船の宮に仕へ申す者にて候。さても今夜不思議なる霊夢を蒙りて候その謂は。都より女の丑の時詣をせられ候ふに申せと仰せらるゝ子細。あらたに御霊夢を蒙りて候ふ程に。
今夜参られ候はゞ。御夢想の様を申さばやと存じ候。

シテ次第「日も数そひて恋衣。/\。貴船の宮に参らん。サシ「げにや蜘蛛のいへに荒れたる駒は繋ぐとも。二道かくるあだ人を。頼まじとこそ。おもひしに。人の偽末知らで。契りそめにし悔しも。たゞわれからの心なり。余り思ふも苦しさに。貴船の宮に詣でつゝ。住むかひもなき同じ。世の。うちに報を見せ給へと。下歌「たのみを懸けて貴船川。早く歩をはこばん。上歌「通ひなれたる道の末。/\。夜も糺のかはらぬは。思に沈む御泥池生けるかひなき憂き身の。消えんほどとや草深き市原野辺の露分けて。月遅き夜の鞍馬川。橋を過ぐれば程もなく。貴船の宮に着きにけり。/\。
詞「急ぎ候ふ程に。貴船の宮に着きて候。心静かに参詣申さうずるにて候。

狂言「いかに申すべき事の候。御身は都より丑の刻詣めさるゝ御方にて候ふか。今夜御身の上を御夢想に蒙りて候。御申しある事は早叶ひて候。鬼になりたきとの御願にて候ふ程に。我が屋へ御帰あつて。身には赤き衣を着。顔には丹をぬり。頭には鉄輪を戴き。三つの足に火をともし。怒る心を持つならば。忽ち鬼神と御なりあらうずるとの御告にて候。急ぎ御帰あつて告の如く召され候へ。なんぼう奇特なる御告にて御座候ふぞ。

シテ詞「是は思ひもよらぬ仰にて候。わらはが事にはあるまじく候。さだめて人違にて候ふべし。

狂言「いや/\しかとあらたなる御夢想にて候ふ程に。御身の上にて候ふぞ。か様に申す内に何とやらん恐ろしく見え給ひて候。急ぎ御帰り候へ。

シテ「これは不思議の御告かな。まづ/\我が屋に帰りつつ。夢想の如くなるべしと。地「云ふより早く色かはり。/\。気色変じて今までは。美女の形と見えつる。緑の髪は空ざまに。立つや黒雲の。雨降り風と鳴る神も。思ふ中をば避けられし。恨の鬼となつて。人に思ひ知らせん。憂き人に思ひ知らせん。

中入。

ワキツレ詞「かやうに候ふ者は。下京辺に住居するものにて候。われこの間うち続き夢見悪しく候ふ程に。晴明のもとへ立ち越え。夢の様をも占はせ申さばやと存じ候。いかに案内申し候。

ワキ「誰にて渡り候ふぞ。

ワキツレ「さん候下京辺の者にて候ふが。此程うち続き夢見悪しく候ふ程に。尋ね申さん為に参りて候。

ワキ「あら不思議や。勘へ申すにおよばず。これは女の恨を深くかうむりたる人にて候。殊に今夜の内に。御命も危く見え給ひて候。もし左様の事にて候ふか。

ワキツレ「さん候何をか隠し申すべき。われ本妻を離別し。新しき妻をかたらひて候ふが。もし左様の事にてもや候ふらん。

ワキ「げにさやうに見えて候。彼の者仏神に祈る数積つて。御命も今夜に極つて候ふ程に。某が
調法には叶ひ難く候。

ワキツレ「これまで参り御目に懸り候ふ事こそ幸にて候へ。平に然るべきやうに御祈念あつてたまはり候へ。
ワキ「この上は何ともして御命を転じかへて参らせうずるにて候。急いで供物を御調へ候へ。

ワキツレ「畏つて候。

ワキ「いで/\転じかへんとて。茅の人形を人尺に作り。夫婦の名字をうちに籠め。三重の高棚五色の幣。おの/\供物を調へて。肝胆を砕き祈りけり。謹上再拝。夫れ天開け地固つしよりこのかた。伊弉諾伊弉冊尊。天の磐座にして。みとのまくばひありしより。男女夫婦のかたらひをなし。陰陽の道。永く伝はる。それになんぞ魍魎鬼神妨をなし。非業の命を取らんとや。地「大小の神祇。諸仏菩薩。明王部天童部。九曜七星二十八宿を驚かし奉り祈れば不思議や雨降り風落ち神鳴り稲妻頻にみち/\御幣もざゝめき鳴動して。身の毛よだちておそろしや。

後シテ出端「夫れ花は斜脚の暖風に開けて。同じく暮春の風に散り。月は東山より出でて早く西嶺に隠れぬ。世情の無常かくの如し。因果は車輪の廻るが如く。われに憂かりし人々に。忽ち報を見すべきなり。恋の身の浮ぶ事なき加茂川に。地「沈みしは水の。青き鬼。シテ「我は貴船の川瀬の蛍火。地「頭に戴く鉄輪の足の。シテ「炎の赤き。鬼となつて。地「臥したる男の枕に寄り添ひ。如何に殿御よ。めづらしや。
シテ「恨めしや御身と契りしその時は。玉椿の八千代。二葉の松の末かけて。かはらじとこそ思ひしに。などしも捨ては果て給ふらん。あら恨めしや。捨てられて。地「捨てられて。おもふ思の涙に沈み。人を恨み。シテ「夫をかこち。地「ある時は恋しく。シテ「又は恨めしく。地「起きても寐ても忘れぬ思の。因果は今ぞと白雪の。消えなん命は今宵ぞ。痛はしや。
地「悪しかれと。思はぬ山の峰にだに。/\。人のなげきはおふなるに。いはんや年月。思にしづむ恨の数。積つて執心の鬼となるも理や。シテ「いで/\命を取らん。地「いで/\命を取らんと。しもとを振り上げうはなりの。髪を手にからまいて。打つやうつの山の。夢現とも。分かざるうき世に。因果はめぐりあひたり。今さらさこそくやしかるらめ。さて懲りや思ひ知れ。シテ「ことさら恨めしき。
地「ことさら恨めしき。あだし男を取つて行かんと。臥したる枕に立ち寄り見れば。恐ろしや御幣に。三十番神まし/\て。魍魎鬼神は穢らはしや。出でよ/\と責め給ふぞや。腹立や思ふ夫をば。取らであまさへ神々の。責を蒙る悪鬼の神通通力自在の勢絶えて。力もたよ/\と。足弱車の廻り逢ふべき時節を待つべしや。まづこの度は帰るべしと。いふ声ばかりはさだかに聞えていふ声ばかり聞えて姿は目に見えぬ鬼とぞなりにける目に見えぬ鬼となりにけり。

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2015年3月25日 (水)

「能の学校」授業ノート〜3時限目「和の発声道場」

毎度ですが誤りご容赦下さい。
お読みになるかたは誤りがあるかもしれないと思ってご用心下さいませ。

山中迓晶先生「能の学校」3時限目。

先生が事前に仰っていた、このお話のことから授業が始まりました。

「発声で悩む私に、先代の観世鉄之丞先生がこんなお話をしてくださいました。それは自分の身体を楽器のように使って発声するという理論でした。『筒』と例えられた自分の身体の『5つの器官』を調え、それを共鳴させるように声を出し、増幅させるという考え方です。これは『腹から声を出す』みたいな大雑把な例えではなく、イメージを凄く体現しやすい理論でした。しかも5つの器官のうち、自信の弱い部分を意識してトレーニング出来るので、発声のバランスも自然と調えられていきました。その甲斐あって少しずつ落ち着いた能の声が出るようになってきました。」

【5つの器官】
・クチ・・・・・・口の開け方などを意識することで口内の筋肉の使われかたが自覚される
・ノド・・・・・・声帯(小指ほどの大きさしかない)。声を出せば自然に分かる
         あまり意識する必要は無い
・ムネ・・・・・・まろやかに響かせる
         胸骨は少し開くことが出来る構造、でも限界がある。
         「ア」を長くのばして苦しく痛くなったときに分かる。
・オナカ(横隔膜)胸骨に限界があるのを補うように(体の)縦の容積を稼ぐ
         「オ」を長くのばすことで分かる。
・ハラ・・・・・・上の四つの器官を支える土台。<---->コシ

*男性の方が、クチ・ノドの発生が多い。〜子供の頃から(スポーツなどで)大きな声を出すのに慣れているが、それがノドからの発声になっている
*女性の方がオナカ・ハラが使える〜骨盤が開く体の構造で使いやすくなっている〜大きな声を出す生活上の習慣が(とくに年配世代のかたは)なかったので、大きな声を出せるようにすればよい

*声は、クチのすぐ前ででは無く、少し先のところで出ている(共鳴している)。
 声を凧としてとらえるとよい。息に乗せてやれば飛ぶ。
 ハラで糸を握っておいて引くことで、飛ぶ姿をコントロールできる。
 声と、ハラで握っている糸の関係を意識していること。

*うたに心を乗せる(感情の乗せかた)は、次の機会に。

・・・充分に文にしきれておらずスミマセン。
・・・お話は、けれど、すっきりまとまっていらしたと思います。

【実習】
ゴマ点や、それを分かりやすい記号にしてのレクチャーでしたが、記号等は埋め込みにくいので、載せずに綴ってすみません。

自由に大きな声でうたう(地謡でなければいわゆるピッチ[音程]が他の人と一致している必要は無い。
*能の笛(能管)は雅楽の龍笛と同じ形と大きさだが、ノド(喉)と呼ばれる細い管が笛の頭と吹口の間に入れられてその部分の内側が狭くなっている。それによってなのか、ドレミのような(音程の定まった)音階にならない。また一本一本がチューニングされていないので、笛ごとに高さなどが違った音が出る。したがって合奏するようなものにはなっていない。一本一本個性がある。〜こういうところにも能のおおらかな音程感が垣間みられる。

*謡は拍を八つに数えるが、等間隔ではなく詰まったりする場合も少なくない。

 以下、フォントが等幅でないと表示が狂うかも知れませんが、等間隔の前提で記しておきます。

1)「老松」の最後の部分(キリ)〜特別な言霊の載った謡、ツヨ吟、大ノリ(拍子合)。
  ※拍子合(ひょうしあい)=リズムに合っている、ということ

  よわいをさずくる〜
  こ〜のき〜み〜の〜
  ゆくすえまもれ[っ]と
  わがしんたくの〜
  つ[ぅ]げ[ぇ]を〜し〜らする【らする、はハシリ】
  ま〜つかぜ【ここまでハシリ】もんめも〜(下)
  ひさしき〜は〜るこそ【るこそ、はハシリ】
  めで[っ]た〜け⇨れ⇨(けれ、でおさめる)

  クリ—つ—      ―げ―
 上音———ぅ(ウミ字)―――ぇ(ウミ字)

2)「高砂」(上ゲ歌)ツヨ吟、平ノリ

  とおくなるお[っ]のおきすぎて
  は【マワシ】やすみよしにつきにけり【り、はオチ】
  はやすみ[ぃ]の[っ]えに〜つきにけ⇨り⇨(けり、でおさめる)

  クリ
  上音 つきにけり   ぁ やすみ  っ
  下音 ーーーーーぃ は あ   ぃの えに〜つきにけ〜〜〜れ〜〜〜

3)「もしもしかめよ」に先生が能の謡風の作曲をしました(写真参照)。
  七五調を八拍におさめる実際の実演、というところで、大変面白かったです。

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授業終了後懇親会。よいひとときでした。

次回は3月28日(土)17時〜 梅若能楽学院にて。
4月19日(日)に山中先生が「鉄輪」をなさるのですけれど、それを面白く見るためのさまざまを、とても面白く話していただけるようです。
FaceBookでまた告知なさると思います。

【補足】

※濁音と鼻濁音〜近年鼻濁音が消えつつある。能の謡では鼻濁音が重要なのだが。
 (参照:http://www.asahi.com/articles/ASH2W5751H2WUCVL00X.html
 西日本方面はもともと鼻濁音は使われない。金沢は関西的アクセントだが鼻濁音がある。

※「ヨワ吟」は弱くうたうということではない。能で弱くうたうことはない。
 「ヨワ吟」はメロディになる。

※「ツヨ吟」では、音が次のようになる。
 下音=下ノ中音
 上音=中音

※よわいをさずく「る」のところなどのゴマ点=音を長く謡う
 (二ツ引キとか三ツ引キがあるんですすね)
 「こ」の「き」「み」の、で「」内のところのゴマ点も同じ。

※老松〜ゆくすえまも「れ」と・・・と、に下ゲのゴマ点
 「と」で下がるのだが、約束事でその前の「れ」は突き上げて
  小さい「っ」が入るように謡い、「と」で下の音に下がる
  実習の例で小さい「っ」が入るところは、同様。

※傍線の部分はハシリ(「老松」の「知らする」等)
 大ノリで一音一拍のところ、ハシリの間は半拍となる。

※「下」(下音と区別するために節譜の記号では上部の蓋の右半分がないように書いてある)
 能の音程で一音下げる

※老松〜「つげ」の「つ」の上に棒線のある「クル」と「入」は(初心では)同じ謡いかた
 クリ音(上音の上)まで上がってから戻ってウミ字(母音)を謡う。

※マワシ
 二音分に謡う。

・・・ちとくたびれたので、補いきっていません。
・・・後日追記かな?

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2015年3月 2日 (月)

「能の学校」授業ノート〜2時限目「能の運動力学/型のinterpretation(解釈)」

山中迓晶(がしょう)先生、「能の学校」2時限目は
「能の運動力学/型のinterpretation(解釈)」
〜モノノフの振る舞い、スリアシの呪縛
というテーマでした。

で、実際になんかやるらしくって、白足袋持参とのことでした。
う〜ん、運動音痴だし、なによりおいら足袋ってもんを履いたことがないし!
とりあえずあわてて白足袋を売ってるお店を見つけて買い帰って、1週間、酔って帰っても用事で遅くなっても、足袋を履く練習。
これだけでもう充分収穫があったような気がしましたが気のせいでした。

先生の仕舞を手本に実際に舞ってみる、という、運動音痴な身には、げに恐ろしき授業内容。

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この授業後半の仕舞実習は「ダンサー組」・「ど素人組」←あたしココ・「能経験者組」にグループ分けして教えて下さったのでした。いやはや扇の持ちかたも開きかたも分からんし、上げる手は先生と逆になってばっかりだし、重心の取り方が分からなかったので体はフラつくし、で、さんざんでしたけれど、なんだかやっててとっても楽しかったのでした。「ど素人組」のほかに「ガキも同然組」を設けていただければ、そこに入れていただきたかったです。
授業終了後に希望者は能舞台に連れて行って頂いて、ハコビをさらに教えていただいたのでした。フラつかないバランスの考え方みたいなものは、そのときなんとかちょっとだけ分かって、本当に嬉しかったです。

以下、ノート。今回はメモをとったのですが、ペン先に気が行くとお話がきけていなかったりするのを思い知りました。しかも、どこが最初でどこが最後だか分からないぐちゃぐちゃなメモになりました。1時限のもの以上に誤りが多いかも知れません。誤りがあったらそこはすべて、あたくしという生徒の出来の悪さに起因します。どうぞお許し下さい。
(よく分かるレポートをお書きになったかたのものを参照して補いました。体の使い方が分かっていないと、大切なところを落としてしまうんだな、と痛感しました。)

・能は歌舞劇である。狂言と双子の兄弟で、次のような性格の違いがある。
 〜能はシリアスにつきつめている。狂言は大きな立場から見ている。
 〜能はウタ8割セリフ2割。狂言は逆(セリフ8割ウタ2割)
 〜能の主人公は「アドレス知らない」系。異界や貴人の所属
 〜狂言の登場人物は「アドレス知ってる」系。社長〜部長(太郎冠者)〜係長(次郎冠者)

・能は武家との強いつながりの中ではぐくまれてきた(お話は「羽衣」と「老松」で前後あり)
 〜足利義満は貴族と違う式楽を持ちたかったのではないだろうか?
  雅楽・舞楽=貴族 義満時代、武家は能楽(申楽の能)に。
 〜能楽は田楽・幸若等の芸能もパクり、いつのまにか「あ、これ能だから」と囲い込んだ。
  乃木坂46の歌をAKB48が勝手に「これ私たちの歌です!」と歌っちゃったようなもの。
 〜武家的動作が能の中に様々に生きている。
  ヒラくときも体重が後ろに逃げてしまわないようにやや前屈
  右の膝を付く姿勢=相手に敵意がないことを示す(帯刀していても刀が抜けなくなる)
  ・・・(室町将軍4代目の義教が能を見ているときに暗殺された)嘉吉の変に由来するのかも
  ・・・歌舞伎はあえて逆をやる。〜女形のしなのような魅力が生まれたりした(余談)。
【追記〜他のかたのレポートから】
・キヲツケは軍隊から生まれたどこにも行けない姿勢、一方能の基本姿勢はどこにでも動ける姿勢です
・UFOキャッチャーのアームが降りていくように座り、ぬいぐるみの形が変わらず、落ちないように立ち上がります

・「羽衣」キリの実演~説明をしないで一度。そのあと説明して下さってもう一度
 東遊(古謡)の起源潭みたいなお話。
 *「東遊の数々に 東遊の数々に」で立って
 *「その名も月の色人は」〜ヒラキ
  「三五夜中の空に又」〜右前に進んで、「月の扇」
   天女は白衣15人黒衣15人がいて15人が輪番で勤務して月の満ち欠けを司るのだそう。
   3×5=15
  ~右の上を見て顔の左下から顔を照らすようなポーズはレフ版みたいな役割。月の光を映す
 *「満月真如の影となり」〜左に向きを変えて一周
 *「御願圓満」〜正面に向いて、サシてから、「国土成就」ヒラキ
 *「七宝充満の宝を降らし」〜扇で、降る、積る、・・・
 *「国土にこれを施し給う」〜差し出して皆に施す(ほどこし扇)
  〜ここの山中先生はかがんで扇を前に平に出して、目線が本当に「施す」感じだった。
 *「さる程に時移って」
 *「天の羽衣浦風にたなびきたなびく」羽根扇~離陸、鳥が飛び立つように
 *「三保の松原浮島が雲の」
  〜(扇ヲ折返シツツ角ヘ向開〜直ニ扇ヲ右ニ持直シ乍ラ角ヘ行左ヘ回リ)
 *「愛鷹山や富士の高嶺かすかになりて」~かざした扇は空の上から富士を見ているポーズ
 *後ろに下がって「霞にまぎれ」る。

・「老松」でワークショップ・・・子供用のテキストで
 めでたい演目。「あしたはあおい猩猩」で覚える
 嵐山・し?・高砂・は?・淡路・老松・い?・猩猩・・・メモ読めへん! (>_<)
 ・・・「は?」は白楽天ですね。 
 扇は魔法の道具。
 昔は空気なんて分からないから扇であおぐと風(=何か)がくる、は、魔法に感じられたのだろう
 だから扇はふらふらさせない。魔法が散らかってしまう!
 *「よわいをさずくるこのきみの」
  〜右ひざをついて立て膝~扇ひろげ~立ち上がってカマエ 
  ・・・扇を広げるにも序破急がある
Oimatsufirst
 *「ゆくすえまもれと」
  〜肘の裏を天に向けるように両手を返す
  〜「サシ」とは文字通り「差す」ので、前でまっすぐ腕をそろえる
 *「わがしんたくの」
  〜右足から進む・・・角まで進んで、左足をそろえてとまる
 *「つげを」で扇を上げる
 *「しらするまつかぜもんめも」
  〜左~右~正面で元の位置(大小前)に戻る
 *「ひさしきはるこそめでたけれ」〜右ひざをついて立て膝、扇をたたむ。
 *扇を両手で持って立ち上がる
 ・・・あってるのかなぁ。。。

・能は「すり足」ではない。「ハコビ」という。
 相撲の足の運びが「すり足」。つま先が上がらない。
 能は体重がぶれないよう体幹を芯のように保つ結果足が板につくように運ばれていく。
 歩きかたが身に付く=「板につく」
 〜授業終了後、時間の取れる人は能舞台の見学に残り、
  そこで「ハコビ」をさらに教えていただいた。
  前から何かに引っ張られて進むのであって、「自分で歩く」のではない。
  同時に後ろからも引っ張る力が働いている。あらゆる方向から力がかかってきている
 〜幕の五色は五行。
 〜鏡の間から橋懸かりに出るときは、橋懸かりの中央は決して歩かない(「翁」のみ例外)。
 〜橋懸かりから鏡の間に戻るときは、橋懸かりの中央を歩く。(不思議!)

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次回は3月22日。「和の発声道場」かな?

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なお、私なんぞは授業をさぼってテストだけ受ける生徒にまわして小遣い稼ぎをしなければならないのでこんな分からんノートをつけていますが、劣等生の私のつまらんレポートより下記がおすすめです。

「能の学校」優秀生徒さんの素敵なレポートへのリンク
 
「650年前の想像力」
 http://ameblo.jp/daney/entry-11996190146.html
「キラキラ扇は魔法の道具」
 http://ameblo.jp/daney/entry-11996319727.html?timestamp=1425254517

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2015年2月11日 (水)

【素人鑑賞】「安宅」と「勧進帳」〜(1)

先日、山中迓晶先生の「能の学校」(6回予定)に入学させていただきまして、見る目を楽しく育てるための第一歩として、なんと能面をつけさせて頂けて、その晩は興奮がさめず眠れなかったりしたのでした。もう、子供がはしゃぐのといっしょです。

授業を受ける前に入門書を2冊手に取ったのでしたが、これがまた、たいへんにいい本でした。

ひとつは山崎有一郎・葛西聖司『能・狂言 なんでも質問箱』(檜書店 2003年)で、こんなに親切で楽しい本があったんだ、と、これまで知らなかったのがもったいなかったことに思われました。横浜能楽堂で実際にお客さんを前にした対談をまとめたものだからなのですね。

もうひとつは観世銕之丞(八世、1931〜2000)『ようこそ能の世界へ 観世銕之亟能がたり』(暮しの手帖社 2008年 第三刷)でした。
Youkosonou 「よく、能はどうみるのですか、ときかれるのですが、私はいつも、はじめはふつうのお芝居のようにみて、そして楽しんでくださいと申し上げるのです。」
と始まり、すぐあとに
「たとえば、シンフォニーなんか聴きにいったときでも、ベートーベン、ベートーベンと思いながら一時間聴いている人は、まず、ないのではないですか。コントラバスの音なんか感じたり、また自分の日常のことなど思ったりしながらいい時間をすごす、能もそれとおなじことだと私は思うのです。」
と続くことに励まされ、途中
「生命力が宇宙的スケールまで広がったからこそ、人間関係の葛藤、こまやかな情、内面の痛みのような人間ドラマが、本当に表現できるようになるのです。その段階を踏まず、生命力の発露みたいなものもなくて、いきなり情緒的にメソメソした芝居をしたって、細った演技になってしまうんですよ。」(p.179)
にドキッとさせられたりしながら、夢中で読み進めたのでした。大変素晴らしい本でした。

まあ読んだだけで何も理解出来てはいない気がします。でも、読むことが面白く充実していたことだけでもおおきな意味がありました。

中に「能と歌舞伎」という一章があって、銕之亟さんが市川団十郎さんと能『安宅』・歌舞伎『勧進帳』の演じ比べをなさったお話が出てきます。それで、能と歌舞伎の違いをこんなふうに説明なさっているのでした。
(能は)面をかけない能役者が弁慶を演る。安宅の関を越えるために富樫と丁々発止とわたりあい、何も書いていない巻物を勧進帳と偽って読み、山伏を制止し、主人である義経を打ち、弁慶がその場を逃れるためにすることを見ていたら、表情を変えない役者の素顔がだんだん弁慶に見えてくる。表情先にありき、じゃないんです。表情は後からくるんです。
 そういう点からいうと、歌舞伎は、舞台に出てきたときには、すでに装束も化粧した顔も弁慶そのものになっているんです。そして顔の表情いっぱいに、すごんだり、笑ったり泣いたりするし、大きく見得をきったりして、動作も派手ですね。そして最後は豪快な飛六方で花道に入る。能にくらべて表現の仕方は派手だし、面白くなりすぎているという点でも、能とはかなり違うんですね。

残念ながら私は能『安宅』も歌舞伎『勧進帳』も、どちらも実際の舞台で見たことがありません。
ただ幸いにして、まずどちらも映像がDVDで商品化されています。さらにテキストを書籍で読むことが出来ます。
そうか、それじゃあひとつ、銕之亟さんの仰るところをせめて映像とテキストを通じてもう少しよく感じてみたいものだ、と思ったのでした。

『安宅』は栗谷菊生さん(2006年逝去)が弁慶をなさっているDVDが出ていました。
『勧進帳』は手持ちに市川団十郎さんのもの(パリ公演のときの者もあります)と七世松本幸四郎のものがあります(他に今の幸四郎さんの映像も出ているのですが未見です)。
団十郎さんの方の映像を、『安宅』と見比べました。

八世銕之亟さんのご説明は、まったくその通りでした。

『能・狂言 なんでも質問箱』の最初のほうの対談で、山崎さんが
「〈安宅〉で武蔵坊弁慶が出ると、芝居だったら弁慶らしい顔作りをするかもしれないけれども、能の場合は直面(ひためん)を付けている。つまりあなたがやれば、葛西(対談の相手の葛西アナウンサー)の顔じゃなくて、弁慶の顔にならなきゃいけないわけだ。それが能の直面なんだね。」
と仰っています。こういうのを読んでしまってから見ると意識過剰になって良くないのかも知れません。
それでもたしかにこんな具合でした。『安宅』の栗谷さんは顔に化粧もしていないし、表情が(微妙に動くのですが)ほとんど変わりませんが、終始緊張感にあふれていて、ニセ勧進帳を読み上げる場面も、山伏の面々を押さえる場面も、弁慶の貫禄をしっかり感じさせてくれるのです。
いっぽう歌舞伎の方は、装束も顔も声も、弁慶のみならずみな作り物です。ただし作り物だということが粗末なのでは決してなくて、ああ、作られている、と思って眺めながらぐいぐい引き込まれる凄みが、やはりあると思いました。

歌舞伎は基本的に音楽が場面場面の情緒を作ってくれています。面白いことに、それがセリフのイントネーションを役者さんの自由にすることを許してくれるのです。ちなみに歌舞伎は「歌」という字を含んでいるけれど、役者さんが歌うのはたいへん稀なんですよね。

能の方は私たち素人からみるとセリフにあたるものがほとんど全部「謡い」になっていますので、セリフまわしに自由はなさそうにみえます。そのぶん「謡い」にすべてがこもるのかなあ、と思いながら見、聴きました。『安宅』はほとんどが力感に満ちた場面展開なので、「謡い」も強い声で太い線を描きます。その中で弁慶が関所を通る方便とはいえ義経を杖で打ったことを後で悔やむ場面になると、「謡い」が柔らかく旋律的になるのです。このとき、弁慶を演っている栗本さんの表情はその前後とまるで変わりません。それでいて、謡い方が変わることで情緒の変化がびんびんと伝わってくるのだから、これは面白いなあ、なのでした。
面白い、と言えば、弁慶が読み上げている勧進帳の巻物はもしかしたら偽物ではないか、と、関守の富樫が覗き込もうとする場面は歌舞伎にも能にもあるのでしたが、ここで弁慶が見破られまいと巻物を隠すところが歌舞伎と能とで違います。歌舞伎の方は、気づいた弁慶が富樫に対して大げさに見得をきるのですが、能の方だと巻物の裏を富樫の方に向けるだけ、富樫もそこで弁慶から視線をそらすだけ、と、淡々としたものなのでした。
起伏が頻繁すぎるほどには演出されていないために、能『安宅』のほうには最初から最後まで張りつめたものを感じて目が離せませんでした。かたや歌舞伎は途中でお弁当を食べるのを許してくれそうです。そういう違いなのかなあ。どうなのでしょう。

と、おおざっぱな感想を記してみたのですけれど、歌舞伎と能が感じさせるムードの違いは、まずはテキスト(脚本)の構成によっても生まれてくるのではないだろうか、とも思ったのでした。
歌舞伎『勧進帳』のテキストは能『安宅』にずいぶんおんぶしているのですが、組み替えや付け足しがいっぱいなされています。その細かいところに立ち入って野次馬したいのですけれど、いちばん大きな差は、後段で酒を振る舞いに来た富樫一行に対する弁慶の精神的な態度です。
歌舞伎の方は囃子方の歌に「ああ、悟られぬこそ浮世なれ」と暗に富樫たちが自分たちを偽山伏だと気づいていないことを示させて(ここは最後の場面と首尾一貫しないので演出で富樫は本当は気づいていたとか弁慶はちゃんと警戒していたとかカヴァーされているものの、それにしたって弁慶が富樫の家来から鷹揚に酒を振る舞われるのです)、もう富樫一行に心を開いてしまっているのですが、能の方は「げにげにこれも心得たり 人の情けの盃に 浮けて心を取らんとや」と警戒の緊張を決して緩めず、他の者へも油断するなと呼びかけるのです。『安宅』はこのあたり能の演じられ方にぴったり合うようにうまく考えられているんじゃないかと思っています。

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2015年2月 8日 (日)

「能の学校」授業ノート〜1時限目「能面の取扱い説明書」

山中迓晶(がしょう、ガ=シンニュウ+牙)先生の「能の学校」第1時限めに出席しました。
先生お手持ちの能面を授業の題材になさって、能の面白さの入口を面白く教えて下さって、とても楽しく授業を受けてまいりました。
へえ、こんなに面白いものなのだ、と、さまざま発見も感心もし、有意義な2時間を過ごさせていただき、たいへん感謝しております!
なるべく皆勤したいと思っています。楽隊の皆様、どうぞ、大目に見てやって下さい!
きっとお役に立つことを勉強してまいります!

悪い生徒で筆記用具を持参しなかったので、思い出し思い出しノートを付けます。
・・・間違ってるところもあるかもしれません。1507737_1577131209167940_3232374954

・面=めん、ではなく、おもて。「つける」と言う。人の顔と同じ。その「人」を身につける。
・(あとからのお話だったけれど)面を上向きにすれば(てらせば)笑い、下向きにすれば(くもらせれば)泣く、と言われますけれど、上を向ければ上を向くだけ、下を向ければ下を向くだけ、というのが本当のところでしょう。面の表情はあくまで鍛錬を積んだ能楽師がどう演技するかで生まれるのです、とのこと。観世寿夫師の文章を教材で配って下さいましたが、そんな趣旨のことがきりっと綴られているのでした。
「・・・能面は無表情ではないのだ。手に取ってみればいかに無表情でも、名手によって舞台にかけられたとき、その豊かな表情に驚かされる筈である。だがその豊かな表情に関して私はこう思う。面自体がたくさんの表情を持っているわけではない。・・・面の角度と光りとの関係も勿論作用するであろうが、それだけでなく、舞台上の行為のすべてが一つに溶け合って喜びなり哀しみなりを表出するのではないかと。」

・女面=小面・小姫・孫次郎・増女
 小面は髪がすっきり三本かかる。キューティクルがしっかりあるから。丸顔だがメタボにあらず(浅田真央ちゃんだって丸顔だが太っている訳ではない)。口元が上に上がって微笑んでいる。
 増女になると口元は下がる〜歳でたるんだのではなく、年齢を少し重ねて理知的な美人になってくるのである。髪もからまってくる。
 孫次郎には金剛孫次郎が亡くなった細君の面影を映したとの伝説がある。三井記念館にある本面の裏にはカタカナで「オモカゲ」と書かれている。先の展示では裏面は見られなかったのだが

・「班女」から中ノ舞の実演。多数決で増女をつけて。使った中啓は表裏同じ絵〜次の謡にかかわらず人の心はほんとうは表裏なし、ということにしましょう!
 恋に恋してしまって、目の前に恋人がいるのに気づかないで舞う。
 恋人と交換した扇が恋の対象になってしまっている。
 〜形見の扇より なほ表裏あるものは 人心なりけるぞや
 〜あふぎ(扇・逢う儀)とは虚言や

1375981_918351838197629_439834106_3 ・男面=童子・喝食(若男とかもありましたけどとくに用いず)
 童子も神がかった感じのもの(がある)。喝食は禅寺の給仕の侍童
 翁(父の尉、白色尉があった)は切り顎の特殊な面。神様をあらわすのだがなんの神様か正体不明。宮崎駿『千と千尋』の中で川の神が綺麗さっぱりしたときに竜身の翁になって飛び去るのは翁の適切な登場の仕方であってなかなか深い!
 小鍛冶の後段で使う小飛出や猩猩の面は赤い〜六道(天・人・修羅・餓鬼・畜生・地獄)のうちの畜生をあらわす色が赤だから。ちなみに地獄の色は黒。
 修羅〜酒を水で割って売っても修羅道に落ちると言うから、いまごろは銀座のママがたくさん修羅道に落ちているはずで・・・なんか、修羅も案外いいんじゃないか? なんだそうです。いいかも知れない。

・「小鍛冶」からの実演。多数決で童子をつけて。
 草薙の剣の物語を語るうち興奮して狐=稲荷明神の正体をあらわしそうになり、また冷静に戻る面白い演技

・面をつけてみるワークショップ
 面はひもを通す穴のところのみ持つ。
 面がいい位置になるように頬と額にアテを付けますが、簡便のため額のみで。先生がやって下さいました。
 アテがうまく行っていないと面が不適切に上向きだったりしました。それを下向きにするときに先生が「もう少しくもらせなければ」とおっしゃいました。
 耳のない面は外側から面紐を通す。耳のある面は(面を破損から守るため)内側から面紐を通す。
 面は一礼して(敬意をこめて)からつける。
 ・・・面紐はかなりぎゅっと縛るのでした。ちょっと驚きと感激。
 ・・・顔が大幅にはみ出るのもいとわず女面(孫次郎)をつけさせていただいたのですが、目の穴のところからはほとんど何も見えません。視界95%カットだと事前のご説明でしたが、その通りで、足元が分かりません。写真を撮っていただくときに面の内側で無意味ににっこりしてしまいました。
 ・・・弱法師は目の見えないキャラのはずなのに、切れ長の目の穴からは女面よりはよく見えるんだそうです。
 ・・・怪異な面(獅子口というのでしょうか)だとよく見えるらしいです。でもこの面はありうべからざるものになってしまうキャラらしいです。

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・般若〜偶然の縁で見立てを頼まれた面が般若坊作のオリジナルを大変忠実に写した優れもので、それをお買い取りになった由。桃山期のもの? 毛書きはまず細く彫ったところにしているので繊細さを失わないものになった。大名家にあるオリジナルなど滅多に借り出せるものではないので、修理かなにかを依頼されたときに写して、これを次のモデルにして、後日流布した般若の面を作っていったのかもしれない、という夢のあるお話をあとで質問者の方になさっていました。
 般若はインパクトの強い面なのでずいぶん知られているけれど、使われるのは「葵上」・「安達原」・「道成寺」の三つだけ、なのだそう。これもビックリですよね!

・「葵上」の「祈リ」の実演。かの般若の面は三年前のワークショップで実演に用いたとき、突然まわりが広く見えるようになってスゴいとお思いになっていたら、あとで外そうと思っても吸い付いてとれなくなった由。そのときは被り物と併せて無理矢理脱ぎはがすようにしてやっととれたとのこと。不思議ですが真実なのでしょう。

・山姥(やまんば)〜お持ちだったより古い方のものではなく、「銀座のビルを解体したら偶然出てきた」というこれも古い(やはり桃山期? 江戸初期?)の面を用いて世阿弥作の「山姥」から実演。
「山姥」は世阿弥がキャラクターを大きく作りすぎて悩んでしまい、一休さんに相談に行って、悩んでいるその姿もまたいいんではないかい、みたいなアドヴァイスで拓けて仕上げた作品だというお話(事後『新潮日本古典集成』の解説を見ましたがこのエピソードは載っていませんでした、でもなかなか興味深い話だと思います)。
山姥は「となりのトトロ」のトトロみたいなキャラクター。季節の移り変わる空を自在に行き来する。が、それは苦しみなのだと云う。(ここで先の修羅の話。)六道輪廻から逃れられない我が身を嘆く。

・「山姥」から立回りの実演。銀地に雲の扇。
 〜春は梢に咲くかと待ちし花を尋ねて山廻り
 〜秋はさやけき影を尋ねて月見る方にと山廻り
 〜冬は冴え行く時雨の雲の雪を誘ひて山廻り
 〜廻りめぐりて輪廻を離れぬ妄執の雲のちり積もって
 〜山姥となれる鬼女がありさま 見るや見るやと峰に翔り
 〜谷に響きて今までここにあるよと見えしが
 〜山また山に山廻り 山また山に山廻りして
 〜行方も知れずなりにけり

復習がこれまた楽しゅうございました。

これからの日程を自分の備忘のために記しておきます。
・3月1日(日曜日)15時より/会場未定~「能の運動力学/型のinterpretation(解釈)」~武士の振る舞い、摺り足の呪縛
・3月22日(日曜日)15時より/会場未定~「和の発声道場」~能のあの声、出しましょうね
・3月28日(土曜日)(自分だけの謡本をつくる由)
・5時限目「大人遠足」詳細未定 6時限目~4月19日(日)先生の「鉄輪」を鑑賞!

Aoinoue

http://umewakanoh.exblog.jp/i12/

山中 迓晶(ヤマナカ ガショウ)
昭和45年1月14日生れ。父山中義滋、現梅若六郎に師事。
山中義滋(重要無形文化財総合指定)長男。
昭和47年、2歳で初舞台「老松」。幼少より子方として舞台に立ち現在に至る。
平成5年より2年間、京都造形大学の非常勤講師を務め、同大学に初めて能学部をつくり、生徒と共に学園内での公演などを行う。平成7年、梅若 六郎家に入門し4年間の修行期間を経、平成11年春、卒業する。
現在、能の公演以外にも、「能へのいざない」と題して、誰にでも解りやすく能を紹介するレクチャーを数多く催している。
また、幼稚園・小中高・大学や専門学校での講座も積極的に行っている。
緑蘭会(りょくらんかい)主宰。

重要無形文化総合指定保持者。

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2011年10月21日 (金)

【音を読む】同じものを使い回す(日本の能)

大井浩明さんPOC#7「リゲティ」は明日10月22日(土)ハクジュホールにて。
会場地図、情報リンクはこちら
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/map1022poc-a45e.html


初歩の「十二音」簡単なバランス崩し


ウェーベルンの「子供のための小品」をとっかかりに、まずはそこに感じられた「バランスを崩してみる」例が古典だとどんなふうな現れかたをしていたか、について、ハイドンの弦楽四重奏曲を例にとってみたのでした。(*1) 
で、他にまたまた十二音技法の初歩を大雑把に言いますと、この技法、半音12個の音の並び方をひとつ決めて、それを「使い回し」するのでした(すげ~大雑把!)。 
でも、この20世紀初めにドイツ圏で使われるようになった方法では、12の音程がみんな別々です。 

同じものを「使い回し」する、と言う点では、日本の「能」の舞のお囃子が、実は大変な優れものです。 
音程は同じものが何度も現れるとはいえ、節は4つの定型で、一噌流(いっそうりゅう)の唱歌でいきますと、次のようになります。 

(呂)  ヲヒャラーイ|ホウホウヒ    A/B 
(呂ノ中)ヲヒャヒュイ|ヒヒョーイウリ  A'/C 
(干)  ヲヒャラーイ|ヒウヤ      A/D 
(干ノ中)ヒウルヒュイ|ヒヒョーイウリ  A"/C 

笛の唱歌と合わせて演奏したものの例を聴いておきましょう。 

笛:呂・呂ノ中・干・干ノ中
 
(日本伝統文化振興財団「能楽囃子体系(四)」から。笛:寺井政数) 

これを覚えていると、舞の音楽の殆どが聴き取れます。これを繰り返す方法を「呂中干(りょちゅうかん)形式」と言います。 
この形式で演奏されるものは、 
・序ノ舞、中ノ舞、破ノ舞、急ノ舞、早舞、男舞、神舞 
などがありますし、部分的に取り入れたものには 
・羯鼓、神楽、猩々乱 
などがあります。 

・・・で、実際に聴いてみると・・・(「能楽囃子体系」所載のもの)

イロエ掛り破ノ舞
(藤田流) 

太鼓入り破ノ舞
(一噌流)(*2) 

あれ? 
同じような、違うような・・・ 

呂中干形式がくる前に、カカリという導入がありますが、上掲二例のその部分の違いは問わないことにしましょう。 
で、「破ノ舞」では呂中干形式は最初のほうで二巡して後半一度登場する(初段目)だけで、「トメ」という終結部に進みます。この終結部分も問わないことにしましょう。 

さっきの「呂~呂ノ中~干~干ノ中」の組み合わせを思い出しますと、「破ノ舞」本体部分とでも言うべきとくに「段」の部分の呂中間形式の部分は、確かに同じようだ、とまでは感じられると思います。 
ところが、節回しがどこか違う気がする。 
(舞の速さが違うと、また違って聞こえます。) 

まず、能で使われる笛(能管)は、指を順番にあけていっても、いわゆる「ドレミファソラシド」にはなりません。それより狭い音程になります。ですから、運指表で拾ってみても西欧音階のどの音に当てはめたらいいかは聴き手の耳次第ということになるでしょう。また、笛を吹いたものを西欧音楽の耳で五線譜に書き落とすと、聴き取った人によって違ったものが書かれてしまうし、西欧音楽に詳しい能のご関係の方がそれを点検しても「どれも正しい」となってしまうようです。(金春惣右衛門・増田正造監修「能楽囃子体系」の解説に掲載された舞の音楽の五線譜化【*3】したものと、浅見眞高編著「能の音楽と実際」【*4】での舞の音楽の五線譜化されたものとでは、拾われてい笛の音程が全く違っています。) 

もう一点、「呂中干形式」の笛の唱歌を確かめてみますと、先の一噌流のものと、他の森田流・藤田流のものでは微妙に異なっています。とは言っても、A/B・A'/C ・A/D・A"/Cという構成は共通です。 

・・・かたちが共通でも少しだけ違って聞こえるものを大雑把に「同じ」と言ってしまって良いのかどうか、疑問が湧くかもしれません。 

しかしながら、いわゆる「ドレミ」の音楽でも、能楽ほど極端ではないにせよ、実は時代が変わると響きは変わるのが最近明らかになっているにも関わらず、それによって(やはり能楽ほど極端ではないにせよ)違って聞こえるものを「同じ」と聴いている。多少強引に言ってしまえば、流派の違い、速さなどによる聞こえ方の違いがあっても、これらは「同じ」ものの使い回しと見なすのが、捉える耳のあり方としては正しいのではないのかなぁ、と、私は考えております。 

あえて短くて比較しやすい例だけをお聴き頂くようにしましたが、どうぞ、あとは世間の「能の囃子」の類のCDなどで、とくに「序ノ舞、中ノ舞、急ノ舞」などとタイトルがついたトラック、あるいは「羯鼓、神楽、猩々乱」などをお聴きになり、 
「あ・・・同じだ」 
を実感して頂けるのがよろしいのではないかと存じます。 

日本人でありながら、私も伝統邦楽の理屈などについてはまるで疎いのですけれど、こんなあたりに面白さを感じてたくさん聴いていくようになるのはきっと新鮮な面白さをたくさんの人に覚えさせてくれるものと信じております。


 

*1:ウェーベルンはもっと分かりやすい「バランス崩し」を、作品番号21を当てた変奏曲の第1曲でやっている。そこでは、記譜上は最初から三拍子なのですけれど、開始からちょっとのあいだを五拍子にすることで、「あれ? ちょっとちがうぞ」と聴き手に感じさせるように仕組んでいる。 

*2「太鼓入り破ノ舞」の、太鼓の手の名称と笛の唱歌のみ 
  太鼓 
カカリ~打込    : 
地  ~頭     :ーヲヒャーーーーラ 
    付頭    :ーヲヒャヒュイ|ヒョーイウリ【呂ノ中】 
    ヲロシ   :ーヲヒャラーイ|ホウホウヒ(呂) 
    高刻    :ーヲヒャヒュイ|ヒョーイウリ(呂ノ中) 
    ハネ    :ーヲヒャラーイ|ヒウヤ(干) 
    刻四ツ   :ーヒウルーイ|ヒョーイウリ(干ノ中)
 
    刻2    :ーヲヒャラーイ|ホウホウヒ(呂) 
    刻3    :ーヲヒャヒュイ|ヒョーイウリ(呂ノ中) 
    刻4    :ーヲヒャラーイ|ヒウヤ(干) 
    上ゲ・打切 :ーヒウルーイ|ヒョーイウリ(干ノ中)
 
    頭     :ーヲヒャラーイ|ホウホウヒ【呂】 
初段目~付頭    :ーヲヒャヲヒャーリヒウヤラ (テンポが遅くなり、気は張る)
    ヲロシ   :ーリ|ヲヒャヒュイ|ヒョーイウリ【呂ノ中】
    刻三ツ   :ーヲヒャラーイ|ホウホウヒ(呂) 
    刻2    :ーヲヒャヒュイ|ヒョーイウリ(呂ノ中) 
    刻3    :ーヲヒャラーイ|ヒウヤ(干) 
    上ゲ・打カケ:ーヒウルーイ|ヒョーイウリ(干ノ中)
 
地~  打込    :ーヲヒャラーイ|ホウホウヒ【呂】 
地頭~ 頭     :ーヲヒャヲヒャーリヒー 
トメ        :(イヤア) 
・・・太鼓の手の名称の同じものは同じ叩き方。すなわち、笛の一定の旋律に対し太鼓の違う手を組み合わせることによって、旋律の趣を異なったものに聴かせる(あるいは逆もまた言えるのであって、太鼓の一定のリズムに対して笛の違った旋律を組み合わせることによって、リズムを違った趣のものに聴かせる)、という「響きの多様化手段」もあるのだということを、能の舞囃子は示唆している。平家琵琶はまたいくつかの定型を物語の文の趣旨に沿った組み合わせに多様に変えることで多様さを実現していることが思い起こされる。->「平曲・平家琵琶・平家」カテゴリ参照 

*3:「太鼓入り破ノ舞」はCD版同梱冊子では63頁、LP版同梱冊子では45頁。上掲の笛の唱歌はそれによる。その他にも所載あり。録音に収めてあるものを譜にしている。その演奏では、笛は一噌幸政、小鼓は北村治(大蔵流)、大鼓は安福建雄(高安流)、太鼓は観世元信(観世流)。 

*4:音楽之友社、1993年刊。258頁から「羽衣」全曲を五線譜に採譜したものを掲載しており、287頁から「序ノ舞」、299頁から「破ノ舞」の譜となっている。点検してもらったかたが観世流なので観世流のシテで演じられたものを採譜したのであろうと思われるが、来歴が分からない。すくなくとも、観世寿夫の残した録音とはいくつもの大きな差がある。

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2011年3月 6日 (日)

「弱法師」の世界

能の二番目物をとりあげるつもりで、「頼政」の映像を見直していましたら、同じDVDに収録されている「弱法師」に引きつけられてしまい、そっちを一生懸命眺めてしまいました。

「弱法師」は、説教節「しんとく丸」と同じ素材の説話から題材をとった四番目物です。浄瑠璃にも同じ素材で「摂州合邦辻」があります。現代では寺山修司の戯曲「身毒丸」があり、映像も出ています。

能での物語は、説教節「しんとく丸」が説話の全体を語っているのだとすると、そのほんの一部です。

説教節「しんとく丸」は、私は一昨日やっと、文字化されたものを読むことが出来ました。(荒木繁・山本吉左右編注『説教節』東洋文庫243 昭和48年 平凡社)
音楽的な興味からは、説教節としての「しんとく丸」を、そのことばから追いかける方が面白いのですが、それはもう少し説教節の世界をも理解し、機会もあれば、ということにします。上掲『説教節』の解説に、その構成の面白さを知るためのヒントが、たいへんよくまとめられています。

物語の方を申し上げますと、「摂州高安の庄の長者夫婦が京の清水の観音様に参籠して、なぜ子宝に恵まれないのかを《前世の因縁のせいだ》と告げられ、なおも粘って、夫婦どちらかが七年後に命の危険に迫られることと引き換えに、信徳丸を授かります。しかし、十三年経っても命に別状のなかったことから清水の観音様をみくびった発言をした母親は観音様の罰で急死し、高安の長者は後妻を迎え、やがて後妻にも息子が生まれます。後妻のたくらみと呪いで信徳丸は視力を失い、父によって天王寺に捨てられ、《弱法師(よろぼし)》となり、身を恥じて過ごすことになります。それをいいなづけの乙姫が探し当て、恥じる信徳丸を抱えるようにして喜捨を受けながら熊野に参り、そこで信徳丸は視力を回復し、高安の里に戻って栄えます。父や後妻、その息子は、信徳丸への行いの罰が神仏から下って、零落します」といった内容です。(テキストそのものは江戸時代初期のもので、文字化は能の「弱法師」よりあたらしいことになるのですが、物語じたいは「弱法師」よりも古いものとみなしてよいであろうことについての根拠は後述します。)

能の「弱法師」では、捨てられた後の信徳丸が天王寺を徘徊している所を迎えにくるのは父親その人です。物語も、その部分だけが切り出されています。古形では信徳丸の弱法師は妻と同行していたとのことです。

物語がなぜそのように絞られ、また、父がいい役割を与えられたのか、を考えるのも面白いのですけれど、それはおそらく永遠に分からないでしょう。

いま、「弱法師」の面白さは、私にとっては、物語の由来と、能としての演技にあります。

『説教節』の解説によりますと、「しんとく丸」すなわち「弱法師」の物語は、今昔物語巻四の、インド由来の説話と同根で、この説話は玄奘三蔵の「大唐西域記」巻三にも載っており、それはさらに「阿育王経」とか「六度集経」といった経典にまで遡る話だとのことです。今昔物語での対応する説話の題は、「くなら太子、眼を抉り法力に依りて眼を得たる語」となっています。

ところで、「しんとく丸」および「弱法師」に出てくる地名「高安」(現在、八尾市内)は、古代においてはいわゆる渡来人の居住地であり、その渡来人の姓でもありました。そのことと、インド渡りの説話でありこととが、何か関係ありはしないのでしょうか?
あるいは、天王寺(四天王寺)が舞台になっていることも、天王寺の草創に渡来人たちが大きく関わっていただろうこと、天王寺が視力を失ったり重度の皮膚病を患った人々が施行を受ける場所だったと言われていること・・・さまざまなものがないまぜになって「弱法師」が成立した背景にありはしないのでしょうか?
それらについての興味が尽きないのですが、いまのところ、切り口となる視点をどこに見つけたらいいのか、皆目見当がつかずにおります。
また、「太平記」に「妖霊星」と誤って解釈されることになった「てんのうじの、や、ようれいぼし(よろぼし)の・・・」の「ようれぼし」が「弱法師」のことをさすのだ、ということについては、手近には天野文雄『能という演劇を歩く』に説明があり(190頁、2009年刊 大阪大学出版会)、「弱法師」が室町期に能になる以前、遅くとも鎌倉末期には田楽の定番になっていたことを示唆してもくれるのですけれど、「弱法師(よろぼし)」がどうして「妖霊星」なる不吉な星と誤解して受け止められるようになったのか、も、上の背景と関連した事情が潜んでいるからではないか、と勘ぐりたくなります。

・・・「弱法師」には、かく、ミステリアスな要素があります。

映像はNHKエンタープライズの能楽名演集に友枝喜久夫のシテ、松本謙三のワキで1980年に放映されたものが収録されています。

ここでの友枝師は、ほんとうに視力を失っているのか、と信じ込まさせる見事な登場ぶりを見せてくれます。橋掛りからシテ柱まできた所で、杖のおかげでやっと柱の存在を知っているていで、照明のためだったのでしょうか、柱の後ろに垂らされていた電気のコードが友枝さんの体にひっかかってぶらぶらとゆれ、アイ座に控える役者さんが心配げな視線を送っています。さらに、常座から脇正に歩み出るところでも、杖が舞台からはみ出して、まかり間違うと友枝さんは能舞台から下に落ちてしまいそうです。
クセの部分で友枝さん扮する弱法師を見守る父、すなわちワキの松本師もまた、見守っている間、またたきをひとつもせず、切々とした視線をじっと我が子に送り続けているのでして、これは、友枝さんの足取りが危うく見えたりするとこれまた心配げに覗き込む若手(といっても壮年期の方ではあります)後見のかたと好対照を成していて、この映像の上で繰り広げられている情景への、見る者の思い入れを、いやがうえにも高めてくれます。
友枝さんの、日想観を行なうさいの舞ぶりは、ここでは視力が戻ったように活き活きし、であるが故に、結局は往来の人につまづいて目の見えぬ悲しみによろめく部分がまた非常に活きてきています。

なお、三島由紀夫が、出色な小説「美しい星」のなかで、金沢の人々が法事の時などに「弱法師」からの謡を謡うのが常だったように読み取れる表現があり、ご示唆頂いて確認しました。金沢にそういう習慣があったのかどうかは、残念ながら、まだ定かに確かめられてはいないそうです。小謡の本では現行の観世流のものには、法事で謡える小謡が「弱法師」からも取り上げられていますが、宝生九郎が大正年間に著した小謡集では法事の小謡には「弱法師」はなく、「梅」の部に掲載されていて、そのうえそれがまた観世の法事の小謡と同じもの(花をさへ)であるのが謎です。「梅」のほうは、当然、春を愛でるものとしての小謡なのです。
ご専門のかたがご調査なさると思います。・・・でも、たいへんそうです!

以上、なにかお分かりのことがおありでしたら、情報を頂ければありがたく、記事にしてみた次第です。

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2011年2月14日 (月)

でたとこ能見物(6)「高砂」をめぐる鬼

(1)能の大まかな構成(2)小段構成の具体例(3)能の始まりかた(常座・ワキ座・狂言座)(4)能の臍(5)能のクライマックス・(5)『高砂』


さて、能の大枠・・・始まり、臍、クライマックス・・・がだいたいどのようなものかをみておいたところで、具体的に一番の能楽を材料に、少し立ち入っていくことを試みましょう。

まずは(2)小段構造の具体例で最初に挙げた「高砂」を材料にしましょう。ただし、小段のことにはまだ触れませんで、雑談みたいなものです。・・・あ、おいらはなにやっても雑談か。

能にはよく「鬼」が現れますが、『高砂』は別段、鬼が登場したりしません。
ですのに、なんで「鬼」か?

『高砂』は脇能【初番目物】で、めでたいものの代表です。いま実際に謡われることは少なくなっていると思われますが、時代劇ですと、祝言(婚礼)の場面でよく、

たかさごやぁ〜 このうらぶねに〜 ほをあげ〜てぇえ〜(第7小段、上ゲ歌)

と謡われます。
無理も無いことで、江戸期を通じ、『高砂』は神に捧げるために最初に演じられる『翁』に続いて必ず舞われる脇能だったこともあり、江戸幕府の将軍家の謡初では観世大夫が同じく『高砂』の中の

四海波静かにて 国も治まる時津風 枝を鳴らさぬ御代なれや(第3小段最後の上ゲ歌)

を謡う習わしだったそうです。(「岩波講座 能・狂言 VI 能鑑賞案内」p.30)
婚礼で謡われるのは、『高砂』のストーリーが、高砂・住吉の相生の松の精が睦まじい老夫婦(前シテ・ツレ)として前半を仕切るところから来ているのでしょうか。

ですが、『高砂』は誕生当初、極めて時事的な能だった、ということが、天野文雄「世阿弥がいた場所」(ぺりかん社 2007年 509−547頁)で詳しく考証されています。

キーになるのは、最初に登場するワキの、「九州肥後の国 阿蘇の宮の神主 友成」という人物で、この人は平安期の延喜三年二月、外従五位下に叙せられた実在の人物です。世阿弥がこの人物を登場させたのは、『高砂』が創作されたと推測される応永三十年(1423)に、それまで南朝方・北朝方として分立していた阿蘇氏(双方とも友成の子孫)の雑掌(主人の代理人として重要な役目を担っていた)が、いずれが正統かを訴訟で争うために上洛し、いずれも室町幕府(足利義持)に相次いで忠誠を誓おうとしていたところに便乗したらしい、なんてまとめてしまうと正式にご研究なさっている方からは叱られる表現ですが、まあ、そんな背景があったとされているのです。

この阿蘇氏が宮司を務める阿蘇神社というのがまた面白くて、ここの神が鬼八法師という鬼の無作法に怒ってその首をとった、という伝説があり、いちおう別の神社ですが、阿蘇霜神社というところで行われていた火焚神事(最近復興の試みが続けられているようです)は天に昇って星になった鬼八法師の首が霜を降らせるのをやめてもらうために行われるようになった祭りである旨、「日本の鬼」(近藤喜博著 現在、講談社学術文庫 2010)で語られています。

つまり、阿蘇宮司は鬼を退治した神に仕えていたわけで、その家同士が争っていたところに、ストレートにではありませんが、能にたくさん現れる「鬼」と繋げてイメージすると、素人には興味深く思われてくるわけです。

『高砂』(元の題は「相老(あいおい)』だった由)が成立した当時の室町期の人のは、平安期の「鬼を恐れる」のとは違った心性を持っていたようで、室町時代史の入門書籍のひとつのまえがきには、横死した人物が子孫の頼みで霊媒に呼び出されたとき、
「恨みをはらすことより、家を存続させることを大事にしてくれ」
みたいなことを言った、なるエピソードが掲げられています。(「室町人の精神 日本の歴史12」 現在 講談社学術文庫。)

そんなあたりからの目で『高砂』を眺めますと、能に描かれた室町期の「鬼」が、その後の時代の解釈の変遷で「恨みはらさでおくものか」式に性質を変えてしまったのではないかと思わされ、むしろ『高砂』のように鬼そのものが登場しない能の背後の方に、能が現在に通じる形に整ったばかりのころの、もっと現世的・実利的だった当時の「鬼」のありかたを気付かされるように感じる次第です。
この「鬼」の見方をとると、四番目物五番目物に多く現れる鬼が、たとえば現代人の目を通じた「今昔物語」的な、あるいは「伊勢物語」や「源氏物語」的な、通常人より高い位置から祟をなす怨霊的なものではなく、もっと通常人と水平位置にいて、生きた人間と共にいがみあい、争い、嘆きあい、あるいは喜び合う、いわば日常的な存在であることが、なんとなく分かってくるように感じられはしないでしょうか?

『高砂』はいまでも演じられることの多い能だと思いますが、映像は見当たりませんで、CDで全編を「聴く」ことが出来るものがあります。音響的にも非常に面白いので、お聞きになって損はないと思います。今回、そこからの音声例は挙げませんが、

シテ:武田太加志、ツレ:野村四郎、ワキ:森茂好、ワキツレ:鏑木岑男
笛:寺井政数、小鼓:幸円次郎、大鼓:亀井俊雄、太鼓:柿本豊次
地謡:観世寿夫、観世静夫(当時)、野村四郎

という、なかなかにたいそうな顔ぶれの録音です(昭和38年? CDはVictor VZCG-537

詞章が一部省かれ((5)で引いた梅若実さんの説明にある「二の句」など)、伝承的に問題をはらむアイ語りの小段である6段目も省かれたりしていて、真面目に全貌を聴きたい、となると不足に思われるかも知れませんが、録音も優秀で、リーフレットの参照は少々必要かもしれませんが、先に読んでおけば言葉もたいへんよく聞き取れます。長さとしても、最初に通しで見聞きするのにちょうどいいのではないかと思います。(別の記事に記しましたが、演能の所要時間は室町期には現在の4割程度しかかからなかったそうで、現在の平均が約80分なのですが、この録音では50分程度ですから、少しは短いわけです。)

内容を追いかけてクドクド綴ることもできないわけではありませんが、前に掲げた小段をそのまま再掲載し、トラックのだいたいどの辺の時間からその小段が始まるかを記しておきますので、ご興味があったらぜひ、音声を味わってみていただければと存じます。

なお、ワキが登場するところは「真ノ次第」、前シテが登場するところでは「真ノ一声」というものになっているのですけれど、「真」がつくのはその能が儀礼上重要な演目であったことを示しているようです。「真ノ一声」は神性を持つシテが現れることを示しているのですが、「真ノ次第」は、

まず幕際でいきおいよく両腕をあげるようにして広げて爪先立ち、その腕をすぐにさっとおろしつつ、かかとをドンと落とす。そのあと橋掛かりを進んで舞台に入ったところで、ワキは再び同じ所作をくりかえして、「いまをはじめの旅衣」という次第を取る。(天野文雄「能という演劇を歩く」59頁 大阪大学出版会 2009)

もので、「室町将軍にたいする恭礼だったのではないかと思われる」とのことです(次頁)。

なお、『高砂』の謡は、すべて<強吟>です。<強吟>は能を音楽として解説する場合も、謡の説明にも、洋楽的に相対的な音程を当てはめられていますが、実際のには晴れやかな語りの抑揚が聞こえる感じです。これについてはいずれあらためたいと思っております。

00:00~ 1.(真ノ次第)~次第~名ノリ~上ゲ歌~着キゼリフ 
07:20~ 2.(真ノ一声)~イッセイ~(アシライ)~サシ~下ゲ歌~上ゲ歌
18:51~ 3.問答~上ゲ歌
23:12~ 4.問答~クリ~サシ~クセ
33:42~ 5.ロンギ
(省略)   ~ 6.問答~語リ~問答
37:30~ 7.上ゲ歌
39:00~ 8.(出端)~サシ
41:26~ 9.上ノ詠~一セイ~神舞
46:47~ 10.ロンギ

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