クリスマス

2010年12月19日 (日)

【クリスマスの音楽】ではないのですが「エクスルターテ・ユビラーテ」

※ いざ来ませ異邦人の救い主よ
※ 生月島のオラショから
※ ジョスカンのアヴェ・マリア



毎度ながら八木沢涼子『キリスト教歳時記』のお世話になります。

待降節(降臨節、アドベント=11月30日の「聖アンデレの日」に最も近い日曜日が第1主日)の第2主日から第4主日までは、「グローリア」は歌われません。主の降臨を待つ心の準備の期間だから、ということのようです。正教会系以外のキリスト教諸派では、この期間、祭壇や聖書の朗読台に飾るカヴァー、司祭らの祭服に紫色が用いられます。

アドベント第3主日は、この日のミサが「主にあっていつも喜べ」からはじまるために、「喜びの主日」と呼ばれる由。

さて、キリスト教で「喜び」の言葉がつく、となると、安直に思い浮かぶのはモーツァルトのモテット "Exsultate, jubilate"K.165ですが、これはアドベント第3主日のための音楽ではありません。
初演が後掲の通り1773年1月17日(ミラノにて、モーツァルト17歳)ですから、この日付からも、作品の目的が別のものであったことが分かります。

なので非常に安直な採り上げ方なのですが、この「エクスルターテ・ユビラーテ」の自筆稿にまつわる話をだいぶ以前に綴りましたので、それを一部削除し再掲してお茶を濁します。音楽はYouTubeに上がっているものを援用します。

ちと派手派手なのを・・・

「エクスルターテ・ユビラーテ」の自筆譜は第二次世界大戦で逸失してしまった、と長い間信じられており、新モーツァルト全集編纂にあたっての典拠は、そのためザツツブルクにある筆者譜によらざるを得なかったかと推測されます。新全集でのこの作品の楽譜は1963年校了)。
ところが、1977年、ポーランドのクラカウに、戦時中多くの貴重な自筆譜類が疎開していたことが判明、かつそれらをポーランド政府が東ベルリン(当時)に移譲するという劇的事件があって(そのなかには「ジュピター」交響曲の自筆譜も含まれていました)、その中から運良く「エクスルターテ・ユビラーテ」の自筆譜も再発見されたのでした。
これにより校訂しなおした楽譜は2000年にシュトゥットガルトのCarusから出され、2006年、ポケットスコアのかたちで私たちも容易に手に出来るようになりました。
自筆譜再発見そのものからは、第1曲と、続くレシタティーヴォの歌詞が、新全集版を含む従来流布していた楽譜とは異なっていることが判明しています。
またCarus版と新モーツァルト全集版をざっと見比べただけでも、以下のような点に違いが確認出来ます。

・真偽不明だったスラーが、自筆譜によりほぼ確実に分かり、Carus版に反映されたこと。また、不自然だった第1楽章47小節目のフォルテッシモも、フォルテに是正されている。

・Carus版では作曲後に付け加えられたと思われる従来楽譜のスタカートを除去するとともに、新モーツァルト全集ではすべてダッシュ型で表示されていたスタカートを、ダッシュ型とポイント型に区別した(とくに第2楽章)。

・Carus版が自筆譜に忠実な数字付低音記載を行なっていると見なし得るならば(最初の頁のファクシミリしか掲載されていませんが、それと比べる限り、全部ではないが大部分が自筆譜で是正されたとみなして差し支えないように思われます・・・残念ながら、またもスキャナトラブルで、引用掲示できません)、自筆譜が低音に付した数字は新全集版の典拠とした楽譜よりはシンプルで、したがって即座の演奏にはより実用的であること。

・レシタティーヴォは新全集版は和音を補っているが、Carus版はバス音と数字のみを印刷しており、自筆譜では「ルチオ・シッラ」(や「ドン・ジョヴァンニ」)同様、もともと和声を補った書き方はとっていないこと

なお、曲の構成は以下の通りです。(なお、Carus版の修正を反映した演奏の実施ないし録音のCD化については、私は情報を持っておりません。ご教示頂ければ幸いです。)

・第1楽章(アリア1): Allegro ヘ長調、129小節
・レシタティーヴォ 12小節
・第2楽章(アリア2): Andante イ長調 115小節
・第3楽章(アリア3):アタッカで。 Molto allegro ヘ長調 159小節

初演は1773年1月17日、ミラノのサンタントーニョ・アバーテ教会にて。初演歌手は「ルチオ・シッラ」のプリモ・ウォーモであったカストラート、ヴェナンツィオ・ラウッツィーニ(当時25歳)。

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2010年12月12日 (日)

【クリスマスの音楽】ジョスカンのアヴェ・マリア

http://ooipiano.exblog.jp/15549738/

杉山作品が聴けるサイトへのリンクは、こちら。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-6321-1.html

前回大井さんが作品を演奏した伊左治直さんによる杉山洋一エッセイ<
http://ooipiano.exblog.jp/15568547/

第4回POCについてのラヂオつくば放送の際のトゥゲッターのURLはこちら。
http://togetter.com/li/76851



12月8日は「無原罪の聖マリアの日」、12日は「聖母グアダルーペの日」と、いずれもカトリック固有の、聖母にまつわる記念日だそうです。

「無原罪の聖マリアの日」とは、聖母マリアが無原罪のまま、そのまたおかあさんのアンナの胎内に宿った日とのことで、マリアの誕生日は9月8日に当てられているので、その9ヶ月前、だそうです。

「聖母グアダルーペの日」は、メキシコの守護聖女グアダルーペの大祭の日とのことです。グアダルーペとは、メキシコでの聖母の呼称のようです。
こちらの記念日の謂れは、アステカ帝国滅亡の10年後、1531年の12月に、メキシコのインディオであるテペヤックという人の前に褐色の聖母が出現し、聖堂の建立を命じた、なる奇跡が起こったことにあるとされています。
(いずれも八木沢涼子『キリスト教歳時記』平凡社新書203 による。)

アステカやインカについては日本語でその様子を読むことの出来る本が、近年ようやく、岩波文庫を中心に大幅にその豊富な内容を覗けるようになりました。独断と偏見の「曲解音楽史」に記したことがありますので、重複しては触れません。

聖母マリアを巡る声楽作品はたくさん残されています。
佳品もたくさんあります。

そうした中から、ルネサンス期最大の作曲家、ジョスカン・デ・プレの『アヴェ・マリア』を聴いておきたく存じます。

ヒリヤード・アンサンブル、EMI CLASSICS CHIL-1004

ジョスカンはラテン語の宗教作品だけでなく、フランス語の洒脱なシャンソンやイタリア語の世俗歌曲をも多く残しており、いずれもたいへんに美しかったり楽しかったりして、その価値はいまなお衰えていません。

ジョスカンは、1450年から55年頃、崩壊直前のブルゴーニュ公国領で生涯の後半には北フランスとなったピカルディの生まれとみられています。彼についての記述は、いまのところの研究成果では1477年が初めてであり、フランスのアンジュー公ルネに仕えていたこと、その死後(1480)、おそらく他の仲間とともにルイ11世の宮廷音楽家となったこと、が推測されています(ここでオケゲムのもとで活躍したと考えられています)。ルイ11世がすぐまた1483年に死去すると、ミラノでの奉公を経て1486年-1494年はローマ聖歌隊の歌手となり、さらにフランスとイタリアを行き来していましたが、1504年にフランドルのコンデ・シュル・レスコーにあるノートルダム協会主任司祭となり、1521年8月21日にその職にあるまま死去したそうです。

非常に名作の多い作曲家であることは、既にご承知かもしれません。
この歌がどういう機会用のものなのか、私は知らないのですが、歌詞の内容が聖母マリアの貞節・清廉にふれていますので、もってきてみました。

Ave Maria, gratia plena;
Dominus tecum, Virgo serena.
Ave cujus conceptio,
Solemni plena guaudio,
Caelestia, terrestria,
Nova replet laetitia.
(以下略)

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2010年12月 7日 (火)

【クリスマスの音楽】生月島のオラショから

大井浩明さんの第4回Portraits of Composers「平義久×杉山洋一」2010年12月15日(水)19:00開演(開場18:30)門仲天井ホールにて。

関連放送はラヂオつくば:FM 84.2 MHzで12/6(月) 18:00~18:30、再放送12/8(水) 24:00~24:30に聴けます。同時間帯に、インターネットのサイマル放送でも聴けます。聴取方法については下記の杉山作品解説記事リンクをご覧下さい。

杉山洋一さんの作品解説・プロフィールは大井さんのブログに掲載されました。たいへん心魅かれる解説文です。ぜひお読み下さい。

http://ooipiano.exblog.jp/15549738/

 

杉山作品が聴けるサイトへのリンクは、こちら。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-6321-1.html

前回大井さんが作品を演奏した伊左治直さんによる杉山洋一エッセイ

http://ooipiano.exblog.jp/15568547/


このテの話のときにいつも助けてもらう、八木谷涼子『キリスト教歳時記』(平凡社新書 2003)を参照しますと、12月3日は聖フランシスコ・ザビエルの日、12月6日が聖ニコラウス(いわゆるサンタクロース)の日、となっているのがまず目を引きます。いずれも過ぎてしまった日なので、すみません。
サンタクロースの日がクリスマス・イヴではないのが面白いといえば面白いのですが、そっちの話題は機会があれば、ということにしましょうか。ちょっと別の日との兼ね合いもありそうだし。

ザビエルの日を祭日とするのはカトリックと聖公会、それに準ずるのはルター派だけのようです。 この日は、日本を含むアジア地域に広くカトリックを宣教したザビエルが、広東沖の上川島というところで亡くなった日なのだとのことです。 八木沢著によりますと、1999年にもザビエルの聖腕(遺体のうち、右腕の一部)が日本を巡回したそうですが、私の母が子供のときに見た、と訊かされています。1949年のことだったようです。1999年の際については、下記リンクのようなwebページを見つけました。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/a-kgs/seiwan.htm

ザビエルの言葉は、講談社学術文庫『ザビエルの見た日本』など、いくつか手軽に読むことが出来る本があります。

ザビエルが伝えようとしたキリスト教が、結局日本に定着しえなかったのは、周知の通りです。 が、ザビエルの来日6年後の1555年には、大分に日本人聖歌隊が生まれていたことなどが記録に残っているそうです。以後、1614年(禁教令なるものが発せられた翌年)頃に始まったとされる大弾圧まで、途中に豊臣秀吉によるバテレン追放令(1587)があったりしても、とくに九州には根をおろしかけており、1600年には天草地方で竹筒パイプのオルガンが何台も製造されていたそうです(團伊玖磨『私の日本音楽史』65頁)。また、1605年には有名な『サカラメンタ提要』日本語版が長崎で印刷されています。これに記載してあったのは、カトリック教会の洗礼・告解・聖体・婚姻などについてのルール(秘磧マニュアル)で、1585年にスペイン、1560年にメキシコで発刊されたそうです。その中には聖歌(葬儀と協会訪問のものに限られる由)も収められているものの、聖歌の旋律と記譜法は印刷された国により違っているとのことです。日本のものには葬儀向け13曲・高位聖職者の教会訪問のための聖歌6曲が、大型の定量音符を使った五線のネウマ譜で載せられています(團著53頁に写真の記載がありますが、竹井成美『南蛮音楽 その光と影』からの転載であると断られています)。
1614年に始まった弾圧の後、九州に築かれたこうしたキリスト教音楽の芽はことごとく摘まれてしまったのですが、長崎県の島々には、いわゆる「かくれキリシタン」がずっと存在し、祈りの言葉(オラショ)を小声で唱え続けていたそうです。
ここまでの文の資料にしている皆川達夫『洋楽渡来考』CD解説によると、 「かくれキリシタン」とは、

徳川幕府のきびしい詮議をもと、キリスト教を棄てたとして踏絵をふみ、しかし潜伏して心のうちの信仰を守ってきた人々

であり、

1873年(明治6年)の禁教令撤廃の後もキリスト教会に戻ることなく、潜伏時代から伝承されてきた独特な信仰----正統的なキリスト教からいちじるしく変容した一種の汎神的な信仰を今なお受け継いでいる

とのことです。

「かくれキリシタン」でも、大きな平戸島の北西に身を潜めるように浮かぶ生月(いきつき)島の人々が伝えるオラショは、地図に見る島のささやかなたたずまいとは全く印象が異なり、これが「かくれキリシタン」なのか? と耳を疑いたくなるほど大声で豪勢に唱えられるものです。これは、皆川さんの私見によれば、次のような事情が推測されています。

「弾圧の時代に生月の島民の多くが捕鯨業に従事していたことによって詮議の手は他地域と比較して多少ゆるく、いささかの目こぼしがあった故と思われる。」

祈りの大半は言葉を唱えるもので、しかも独特の訛りのために元のラテン語がどんなであったかが、皆川さんたちによる解明までほとんど分からなくなっていました。 その祈りを唱える部分が、民が集まって仏教のお経を唱えるのとイントネーションが似ていたりするので、そちらもお聴かせしたいところだったのですが、いちおう、「歌オラショ」のほう・・・メロディをもつもの・・・の方を聴いてみましょう。

(『洋楽渡来考』CD3から:「らおだて」)

面白いのは、歌が五音音階化(実際にはソラドにあたる3音のみ)していることで、これは元からそうだったのか、伝承の過程でそうなったのか、分かりません。
もうひとつ面白いのは、耳にした限りの他の歌オラショにはなかったことなのですが、今回挙げた例では歌が終始ほぼしっかりと完全五度で歌われ続けていることで、これは歌っているかたの声の高さの都合なのかどうなのかもまた、分かりません。

團さんと皆川さんが当時の日本人の歌唱技術をみる目が対照的なのも、実はベースを同じくしているのではないかと感じられるところがあり、このあたりを考えるときに念頭に置きたいところです。

皆川見解:(提要中の聖歌は)一般信徒が歌うことは不可能で、専門的な訓練をうけた聖職者ないし聖歌隊、またコレジョやセミナリヨで音楽を修得した神学生たちによって歌われたものである。逆にいえば、洋楽を習得していた当時の日本人たちの音楽的水準は相当程度に高かったことを証明している。(『洋楽渡来考』CD解説8頁)

團見解:・・・日本人の和音、あるいは重唱・合唱に代表される各声部の対比的進行に無自覚であることは、現代でも一般の日本人の感覚として残っています。・・・当時の日本人の洋楽技術では、鍵盤楽器に比べて弦楽器演奏のレベルはずっと落ち、声楽はさらに落ちたということになるでしょう。もちろん、声楽については言葉のハンディも加わっていたと思います。・・・やはり、日本語の歌には日本語のための発声が一番合っています。つまり言語と発声とは一体のものだから、よく理解していないラテン語で歌っても、うまくいくはずはないのです。(團著69頁)

クリスマスには直接関係ないのですが、こういうものも知っておいて頂くのは悪くないことだと思いましたので、ご寛容に願います。

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2010年12月 1日 (水)

【クリスマスの音楽】「いざ来ませ異邦人の救い主よⅠ」BWV.61(J.S.Bach)

ベートーヴェン「第九」ファクシミリ、アカデミア・ミュージックで特価販売中。入手のチャンスです!



大井浩明さんの第4回Portraits of Composers「平義久×杉山洋一」2010年12月15日(水)19:00開演(開場18:30)門仲天井ホールにて。

杉山作品が聴けるサイトへのリンクは、こちら。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-6321-1.html



そんなに持ち合わせがある訳ではないのですが、クリスマスやその前後にまつわる音楽を、少し聴いて行きたいな、と思っております。

有名作品もあるでしょうし、そうでないものもあるでしょうが。

キリスト教の教会暦は「アドベント」(ラテン語のadventus=降臨に由来、ローマ・カトリックやルター派教会では「待降節」、聖公会では「降臨節」)から始まるそうですね。
その「第1主日First Sunday」は、早い年で11月27日、遅い年でも12月3日で、12月25日のクリスマスの前に必ず4回の日曜日がくるように定められていますから、今年は11月28日でした。
(11月30日の「聖アンデレの日」にいちばん近い日曜日が「アドベント第1主日」となる、と定めてあるのだそうです。聖アンデレは、シモン・ペトロの兄弟で、十二使徒の1人で、小アジア~ギリシャに伝道し、アカイアでX型の十字架で刑に処せられたとの伝説を持ちます。以上、八木谷涼子『キリスト教歳時記』平凡社新書Y860 2003による。)

J.S.バッハがこの主日のために2度にわたり、カンタータ「いざ来ませ異邦人の救い主よ」(BWV61、BWV62)を書いたことは有名ですね。

BWV62のほうは1724年12月3日の演奏を目的に書かれたものですから、ライプツィヒ時代の初期の作品です。

BWV61は、ヴァイマール時代の作品としては珍しく自身の手で作曲年が書き込まれている4作の内のひとつで、1714年12月2日に演奏されたものです。ただし、このカンタータの第1曲だけは同年6月17日以前に書かれたと推定されている由(クリストフ・ヴォルフ『ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 学識ある音楽家』秋元里予訳、春秋社2004)。この前年か前々年に、彼は1708年から手掛け始めていた「オルガン小曲集」の第1曲(やはり「いざ来ませ異邦人の救い主よ」)を書いています。

ヴァイマール時代のカンタータであるBWV61のほうから、ヴォルフの著書で
「序曲風のコラール編曲といった非常に革新的な作品」
と評価されている第1曲を、カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ合唱団および管弦楽団の演奏で聴いておきましょう。(ARCHIV 439 369-2)

大バッハ音楽の演奏はさまざまな変遷を経て(メンデルスゾーンによる『マタイ受難曲』蘇演が大バッハの名を不朽にしたとはいえ、演奏の変遷は鍵盤作品を通して、メンデルスゾーンよりも前から醸成され継続していたものと考えてよいのだろうと思います・・・息子エマヌエル・バッハや弟子キルンベルガーの著述、要約としては小林義武『バッハ 伝承の謎を追う』38-92頁、春秋社1995 を参照)、こんにちではこのリヒターの演奏も、もはや非正当のものとみなされるようになりました。そのいっぽうで何故グールドのバッハが以前もてはやされるのか、私は別にグールド嫌いではありませんが、たいへん訝しく思います(・・・などと言ってしまうのは、クリスマスには似つかわしくないか)。

ステレオ録音がようやく普及し、LPの時代に最も敬愛されたバッハの演奏は、カール・リヒターによる、このようなものだったことを、回顧しておきましょう。
今聴くと、これでも重過ぎるように聞こえるかもしれません。
が、リヒターによる普及がなければ、バッハのカンタータは、その器楽作品や大規模な劇的宗教作品の陰に埋没してマニアだけのものになっていたかも知れない、という点は、(少なくとも日本の)愛好家としては肝に銘じておくべきではないでしょうか。

ただし、念のためですが、その後の考証による良い演奏もどんどん出ています。今後はそちらがいっそう聴かれるようになって行くべきなのではあろうな、と感じております。

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