ベートーヴェン

2014年8月 9日 (土)

20世紀ベト7指揮者色模様 トスカニーニ・ベーム・ショルティ

少し前、自分たちのアマオケがやるモーツァルト「ハフナー」交響曲の演奏史を垣間見たくてCDをいくつか探した中に、トスカニーニが1935年にBBC交響楽団と行ったライヴの録音がありました。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/20-d486.html
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-f4af.html

41vjrjm5stl20世紀前半の「ハフナー」録音としては聴くことの出来る最も古い例に属したのですが、クリアでよい演奏でした。
4枚組CDから成るこのときの録音集は、その年6月のイギリスでセンセーションを巻き起こした一連のコンサートの記録で、なかなか濃い内容なのですけれど、「ハフナー」以外はじっくり聴いていませんでした。しかし添付のリーフレットを読むと、どうやらどの演奏もなかなか凄みがあるようなのです。
当時はバロック期の作品をフルオーケストラで演奏するのもひとつの流行だったとみえ、たとえばフルトヴェングラーなどもさかんにヘンデルやバッハを指揮していたのでしたが、1935年6月のトスカニーニの選んだのはジェミニアーニのコンチェルト・グロッソ(作品3の2)というのがイタリア人らしくまたイギリスの演奏らしくて面白いのでした。
他に「エニグマ」やドビュッシーの「海」やメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」など、またワーグナー物としてはたぶんこの頃でも演奏されるのは珍しかっただろう「ファウスト」序曲がとりあげられていて、それぞれに興味深いのですけれど、ベートーヴェン作品は交響曲第7番を指揮していて、これがイギリスの各紙で「神のごとき活力の勝利」等々と大絶賛されているです。
トスカニーニのBBC交響楽団への招聘は5年越しの物語があって、1930年にこの指揮者がニューヨークフィルと行ったヨーロッパツアーの際にロンドンで強烈な印象を残したことに端を発し、34年に娘婿ホロヴィッツがBBC交響楽団と共演したのを直接の契機として実現したもので、トスカニーニの受け取った報酬は現在のお金にして4万ドルだった、と解説に書かれています。それが高かったのか安かったのか値踏みしがたいところですが、歓迎のことばで「最も偉大な音楽家」と持ち上げられたのを「いやいや、ただ真っ正直な音楽家だと言うだけです」と笑って一蹴したその精神の姿勢に寸分違わず、どの演奏も、いま聴いても大げさな作為のない素直な解釈に依っていて、同時期のドイツ系名指揮者たちとは一線を画しています。なるほどこのシンプルさが清新だったのだろうな、と思います。
で、当のベートーヴェンの第7を聴いているうちに、なるほど、これはオーケストラとしても、これだけ堅実でありながら活き活きとした演奏をさせてくれる指揮者に心底めぐりあいたかったのだろうな、と、ふと感じたのでした。実際、このコンサートにあたってトスカニーニが要求しオーケストラが応えて行われたリハーサルは20回にも及んだ(アマチュアが半年に1回の演奏会をやるのに要する練習回数とほぼ同じ、しかもプロなので期間はずっと短く時間の密度は濃い)とのことです。
35年の演奏はネットには上がっていないので、YouTubeにある4年後の同じ顔合わせでの演奏を引いておきます(Queen's Hall, London May 17th 1939)。トスカニーニの解釈は35年と基本的に同じです。

http://youtu.be/qN_24UUf_8k

トスカニーニによるベートーヴェンの第7は序奏の強奏の和音に余韻を求めずさっぱりと鳴らすところなどフルトヴェングラーらの重厚タイプと正反対なのですけれど、第2楽章の歌わせ方はかなり連綿としたもので、決してドライではありませんし、全体としては貫禄に溢れていて、まだ新しかったBBC交響楽団がもう充分に高いアンサンブル能力を手中にしていたことを知らしめさせられ、トスカニーニがこのオーケストラをたいそう気に入ったのもむべなるかな、と唸らされます。

20世紀の、と言っておいて間がすっぽり抜け、かつオーケストラはウィーンフィルに限るのですけれど、1975年・80年(国立歌劇場の出張公演のあいまに1回だけなされた)・94年の来日公演で、ウィーンフィルは都度ベートーヴェンの第7を演奏していて、そのときの録画がDVDになっています。
75年と80年はカール・ベームの指揮でした。ベームの無骨な棒のせいなのか、この2度の演奏はテンポも音質もたいへん重いものです。とくに80年の演奏は、翌年亡くなってしまうベームの体力的な衰えも強く感じさせられ、かつこのときの本命は歌劇の方であったために、管弦楽だけの方の1回きりの演奏会では訓練のためだったのかホルンに当時の若手を使っていて、そのホルンが第1楽章でミスをしてしまってベームが顔を曇らせる瞬間も映像に収められたりしています。しかしながらウィーンフィルは全体としてはベームの棒の意図をよく汲み取って、響きの豊かさを最後まで決して崩していません。

80年の1回きりの演奏会でのベートーヴェン第7

http://youtu.be/93Wamrwztow

当時の映像を見てもはっきり思い出されるように、ベームは75年の来日で私たちにたいへんな熱狂をもたらしたのでしたが、死後はいくつかの本で性格が悪かったのなんのと暴露されたせいか、急速に忘れ去られつつあるように思います。しかしながら、「商売根性剥き出しのカラヤンと好対照だからというだけで人気があるのだ」(カラヤンが好きな人ゴメンナサイ)と揶揄されることもないではなかったベームが75年の一連のウィーンフィルでの指揮で見せた実力は、日本人クラシックファンに火をつけるには充分すぎるものだったと私はいまでも思いますし、あらためて彼の自伝である『回想のロンド』を読みますと述べているところに嘘がなく(少なくとも自分自身に正直)、この人もまたすばらしい「ただ真っ正直な音楽家」だったとあらためて感じます・・・この話は75年の演奏会にかこつけてまたしてみたいと考えております・・・。

1994年、ウィーンフィルはゲオルク・ショルティと共に来日します。DVD化されているのはその初日の演奏会で、「トリスタンとイゾルデ」前奏曲・愛の死、「ティル・オイレンシュピーゲル」、ベートーヴェン第7、「マイスタージンガー」前奏曲のどれもが耳を驚かすような清々しさに溢れた名演です。
ショルティが本格的にウィーンフィルを振ったのはカラヤンの死後、1997年の自身の逝去までの短い間でした。しかしながらワーグナー録音などで組んだ若い時から気心は知れていたとみえて、94年来日の映像で終始にこやかであることもたいへん印象的です。
ベートーヴェン第7について言えば、とくに第1楽章のヴィヴァーチェに入ったところで、通常は指揮者も、そして聴き手も気に留めない木管の隠れがちなアンサンブルをきちんと意識して指揮していて、しかも木管アンサンブルがそれに応えてきれいな音で透かし模様のように浮き出るとショルティがニコッとするところなど、実に気持ちが良くなります。他の曲目も随所にそんな場面があって、実際に現場に行けなかったことが無念になるとともに、それでも映像だからこそいまこうして真摯ながらも暖かい場面を目に出来るのだとの喜びも湧いてくる、不思議な感覚に陥らされます。

これはウィーンでの演奏(該当箇所は日本でのように緻密には振っていない)

http://youtu.be/SZxBAc4xbpQ

DVD:http://www.amazon.co.jp/dp/B000FA4WQ8/

ショルティはベートーヴェン交響曲全集はシカゴ交響楽団と残しているのですけれど、全般に音が硬質で、ヨーロッパ風の余韻がありません。指揮姿のカクカクした人でしたから、ウィーンフィルを振っても似たようなものなのかなあ、と思っていたら、この94年の演奏はそんな先入観をしっかり裏切ったのでした。

ベートーヴェン第7で話をする必要もないようなことでした。
が、映像のないトスカニーニも含めて、こんな聴き比べ見比べで、優れたオーケストラというのは弦楽器のヴィブラートの数やら管楽器の息のスピードやらが各自意図することなく自然に一致しているし、間のとり方も絶妙にコンタクトがとれているものなんだよなあ、とあらためてその当り前さを思い知らされたのでした。少なくともベームやショルティの映像では「この指揮でどうやってタイミングをとるんだ」という箇所が多々あるにもかかわらず、メンバーはなんの迷いもなく全員で合ってしまっているし、そこに「合わせている」らしき気配は毛ほども見せていないのでした。フルートとオーボエのユニゾンがどの演奏でも例外なく一本の楽器にしか聞こえない(完全に一致するディナミーク、アゴーギク、タイミングで鳴っている)のには、アマチュアとして心底あこがれと自分たちへの諦めをふたたび強く感じさせるのに充分な威力がありました。彼らが指揮から読み取るものは「拍」ではなくて音楽の流れや高さ深さなのでした。

ついでながら、第1楽章ヴィヴァーチェの付点リズムを一貫して正しく演奏させていたのはかのフィレンツェ・フリッチャイだけだった、と、尊敬するある人に窺ったことがあり、過去はそればかり気にしてこの曲を聴いて来たのでしたが、それはそうだったにしても、他に演奏不能だと教えられて思い込んでいた第2ヴァイオリンやコントラバスのパッセージをどの演奏も実は見事にきちんと演奏している(音を拾っているだけではなく、音楽の部品として、あるいは表の顏として、きちんと役割を発揮している)のにこの歳になって気がついて、いまあらためて愕然としているところでもあります。アマチュア諸兄は埋め込んだ諸例からぜひ聴き取り見て取っていただいて、肝に銘じてほしいところです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月10日 (土)

ヴァイオリン協奏曲でのベートーヴェンの思考過程【自筆譜を読む(3-3)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 


さて、児島新氏により、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲自筆稿は
・1806年12月にオリジナルの薄茶部分が大急ぎで書かれ
・1807年4月にクレメンティとの契約が成立してピアノ協奏曲への編曲が企図されて
・それにより鉛筆によるピアノ左手用のスケッチが書き加えられ
・それと同時か後に、濃い黒のインクで独奏部のヴァリアントが書き入れられた
というプロセスを経ていることが明らかになったのでした(3−2)

129131
以上はベートーヴェンが書簡などに用いているインクの使用歴が主な裏付けとなっていたのでした。

書き入れられた音符からベートーヴェンの思考過程を知ることは出来ないでしょうか?

試みに、独奏呈示部を追いかけてみました。
すると、表のような結果となります。

Beetoven_violinconcerto1

独奏が参加する呈示部の小節数は、合奏だけになる部分を除いて81です。
そのうちの約8割にあたる67小節が、鉛筆ないし濃い黒インクでの補筆や改訂案の対象になりました。

この範囲での鉛筆スケッチ書き入れは48小節にわたります。
内容を見ますと、そのほぼ半分が、現行出版されているピアノ協奏曲編曲版に於いて、独奏ピアノの左手として採用されています。一方で、鉛筆スケッチがピアノ独奏右手(旋律部)ないしヴァイオリン独奏部として考えられている形跡は、極めてわずかしかありません(※1)。
したがって、鉛筆スケッチは、もっぱら「ピアノ協奏曲編曲版での独奏左手」のために書かれた・・・そのうちにもしかしたら独奏旋律部の書き換えの必要を感じ始めたのかも知れない・・・と捉えてよさそうです。

濃い黒インクによるヴァリアントは、対象範囲の中では33小節ほど書き入れられています(※2)。
この部分、ピアノ協奏曲編曲版では2割しか採用されませんでした。
ヴァイオリン協奏曲の独奏部には4割弱の採用となっています。
遺憾ながら作業のゆとりがないので数えていないのですけれど、事前に各独奏部への採用不採用を付箋を貼りながら検討した限りでは、この傾向は展開部・再現部でもあまり変わらないと思っています(※3)。

以上の数字は、この協奏曲におけるベートーヴェンの思考過程について児島氏がダイジェスト記述している結論を楽譜の上から補強するものになっているものと思います。
すなわち、児島氏の結論はこうでした。

「・・・ベートーヴェンは、ピアノ編曲用の左手スケッチを記入していくうち、しだいにスコア・ヴァージョン【注:自筆譜スコアの薄茶のオリジナル部分をさす】に不満を抱き始めたらしいのである。そこで編曲の途中で、今度は黒インクでスコア・ヴァージョンの改訂を始めた。」(下略、『ベートーヴェン研究』155頁)

ファクシミリには崇拝する故人の身近な記念物として恭しく本棚に飾って注連縄をめぐらしておくのも良いかもしれませんが、自筆譜そのものを親しく見られないとき、印刷がすぐれていれば、ファクシミリは活字化されたものからは窺いようのない作者のアイディアや苦悶を知る優れた教材になります。
実演による表現は結局は演者の情感や技術の制約を経るしかないのかも知れません。
あるいは、鑑賞という行為もまた、受け手が自らしたことのある極めて制約された経験を鑑としてしか対象を捕捉し得ないのかもしれません。
しかしながら、作者が本来どのように考えをめぐらしたかについて、その肉筆をなるべく詳しく追体験することは、私たちが人間として大切にして行くべき無形の「精神の結晶」を勝手気ままにせず、「伝言ゲーム」による歪曲を・・・これは残念ながら避けられないのでしょうけれど・・・最小限にとどめる上で、きわめて大切なことなのではないかと思っております。

児島氏が本協奏曲について得た結論の、入口にあたるものを、最後にご紹介しておきます。

「(最初に書かれた薄茶インク)のヴァージョンは、先に引用した研究者たち(※4)によれば、ヴァイオリン的効果、技巧や発想を全く欠いた非ヴァイオリン的ヴァージョンなのである。研究者たちの説はいずれも、ヴァリアンテ【注:濃い黒インクの書き入れ】は初演以前に記入されたという前提の上に立てられていたが、この前提が誤っていたことがわかった以上、彼らのクレーメント協力説は全く根拠のない憶測にすぎなかったと言える。彼らはベートーヴェンの作曲家としての実力を著しく過小評価していたことになる。」(同書 154頁)

このように、ベートーヴェンの能力の高さを明確にする優れた見解が、日本人研究者によってとっくに出ているにも関わらず、ベートーヴェンの真価がどこにあるかを省みる材料も提供出来ない旧態然としたエッセイの羅列本ばかりが、お書きになった大評論家さんのご満悦口調を唯一の付加価値として結構なお値段で出ていたりします。他に読めるベートーヴェンの本もあまりない現状、仕方なく売れてもいる、という日本のていたらくには、なんだかがっかりしてしまうのであります。

ファクシミリは決して安値ではありません。なんとか信頼出来る質のものになると、目ん玉が飛び出るような価格でもあります。
ですから、せめてお好きなささやかな曲のひとつでもいい、あるいは今ずいぶん便利になりましたのでネットでの閲覧でもいい、心ある鑑賞者のかたには、まず1冊1編をじっくり眺めて頂けるように、切に祈っている次第です。(冊子として手にとる方がより詳しく観察出来ますが。)


※1:ピアノ独奏のためには1小節だけ書かれ、ヴァイオリン独奏のためには2小節書かれただけです。

 ※2:半小節だけの書き入れをどう捉えるか、でカウントが変わりますので、少々迷いましたが、いまこの小節数として把握をしています。

※3:現行の印刷音符が正しく決定稿だったとすると、独奏呈示部では、濃い黒インクでのヴァリアント書き入れを行ったあと、やはり元の薄茶にとどまった割合は、ヴァイオリン協奏曲としては78%であるのに対し、ピアノ協奏曲版では68%で、ヴァリアント採用の割合をそのまま反映しています。

※4:オットー・ヤーンは、濃い黒インクのヴァリアントを、ヴァイオリン協奏曲の初演者クレーメントが行った提案を元にベートーヴェンが初演の前に書き直したものだ、と主張していました。ノッテボームはヤーン説を受けて、ベートーヴェンは初演時にあまりにクレーメントに譲歩し過ぎたので出版に際し元の薄茶インク部分をいくらか加味し、演奏しやすくしたのだと考えました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月 4日 (日)

ベートーヴェン自筆譜の日本人研究者【自筆譜を読む(3-2)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 


児島新(Shin Augustinus Kojima)氏は国際的にはクリスチャンネームが間に入って知られているようですが、日本生まれの日本育ちです。1954年に留学生としてドイツに渡り、1968年からボンのベートーヴェン研究所に入所ました。1979年から武蔵野音楽大学の教授となりましたが、肝臓を病んで1983年に53歳で生涯を閉じました。春秋社が児島氏の校訂でベートーヴェンのピアノソナタ全集の刊行を予定している矢先の死去でした。この死により、春秋社が児島氏にもちかけていた全20巻の「ベートーヴェン叢書」企画も頓挫の憂き目を見た由、『ベートーヴェン研究』(平野昭 編、1985 春秋社)に寄せた平野さんのあとがきに述べられています。
同じあとがきによると、児島氏はヘンレ社のベートーヴェン新全集(ペータース版は旧東ドイツでの企画)にむけて、帰国後も交響曲第6番・第7番・第8番などを手掛けていらしたようです。
ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」の児島氏による校訂スコアは今は入手することが出来ません。ヘンレ社も別の人の校訂での出版となっています。
が、とくにこの作品の校訂については、過去から累積していた様々な誤りを打ち消した児島氏の功績は、忘れられてはならないものだと思います。ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」自筆譜のカラー版ファクシミリは1979年にグラーツで出版されましたが、その別冊解説書(ドイツ語)には、児島氏がこの作品と双子のピアノ協奏曲編曲版について突き止めた事実の記述が登場します(p.42)。

作曲家の自筆譜や、そのファクシミリの意義、扱う上での問題点をいちはやく日本語で伝えてくれたのは児島氏で、生きていればこの点を含め<楽譜や付帯情報をどう見るべきか>の啓蒙で脚光を浴びる存在になっていたかもしれません。
いったん脇道になってしまいますが、そのご紹介をかいつまんでしておきたいと思います。


「ベートーヴェン自筆稿のファクシミリとその意義」1981・・・平野編『ベートーヴェン研究』所載

・(第二次世界大戦)戦前に出版されたファクシミリは数も少なく・・・もっとも有名な作品に限られていた。(略)これらのファクシミリは主として愛好家が記念のために手元に置いておきたいという願望に応じて観賞用に出版されたのであって、これを自筆譜の研究に役立てようなどとはほとんどだれも考えなかったに違いない。(158頁)

 ・それに対して、戦後ファクシミリのもつ意義は大きく変わってきた。戦争が終わってみると、幾多の貴重な自筆譜は焼失、散逸または行方不明になってしまい、そのなかにはファクシミリはおろか、写真さえ残っていない資料もある。こういう事態に直面して、関係者たちは改めてファクシミリのもつ資料的意義の重要さについて再認識させられたのであった。(158〜9頁)

 ・今日でもバッハの自筆譜は、マタイ受難曲を除いて、ほとんどが一色刷りでファクシミリ化されているが、それで十分にファクシミリの機能を果たしている。しかしベートーヴェンは一度自筆譜を書き上げた後にも、その作品の写譜が作られ、初演が行われる過程において、何段階にわたって、鉛筆、赤いクレヨン、濃淡の違うインクで訂正、補筆をする習慣があった。(略)したがって、自筆譜にこのような訂正が少しでも含まれている作品のファクシミリは、多色刷りであることが望ましい。(160〜1頁)

 
(「ヴァイオリン協奏曲」の1979年ファクシミリについて)

・(略)七色刷りで、地は多少黄色になり過ぎた感じだが、五線、二色のインク、鉛筆、クレヨンの区別はオリジナルに近い明晰さをもつ。ただし筆者の見た標準版では、分厚な紙質のせいか、黒インクののりがいくぶん悪く、また地の黄色のために、少し紫色がかっている点が気にかかる。(169頁)

わかりやすい部分のみ抜き出しましたが、自筆譜そのものの薬品洗浄による劣化の問題、研究者により無神経に消しゴムで消された鉛筆やクレヨンの箇所の存在の問題など、面白くもあり、もしこれから専門に研究を志すなら留意しておきたい点も、短文ながら豊富に述べられています。


このような慧眼の児島氏がベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」自筆譜とその周辺をどう見ていたかも、幸いにしてエッセイがあります。そこから抜粋しましょう。
ファクシミリからの掲載ページ(第1楽章の195小節目)は、以下の議論で出て来る
*当初記入の薄茶インク
*赤クレヨンによる訂正
*ピアノ編曲左手用の鉛筆スケッチ
*黒インクで書き入れられたヴァリアント
のすべてが見られる数少ない箇所のひとつです。

Btvn1195

「ヴァイオリン協奏曲について----独奏部の諸ヴァージョンについて」1980・・・平野編『ベートーヴェン研究』所載

今日一般に演奏されているヴァイオリン協奏曲のテキストは、1808年ウィーンの美術工芸社から出たパート譜原板にまで遡ることができる。この原板の版下に用いられたスコア写譜は現在ロンドンのブリティッシュ・ライブラリーに保存されている【注:以下、ロンドン写譜】。この写譜にはヴァイオリン独奏部と並んで、ピアノ協奏曲用に編曲したピアノ独奏部も含まれている。/さて(略)自筆稿とロンドン写譜を比較してみると、オーケストラ声部は確かに自筆稿に基づいているが、ヴァイオリン独奏部のテキストは両楽譜の間で著しく異なっていることが分かる。/自筆稿をさらに詳しく調べてみると、スコア内に書かれた独奏部以外に、スコア下部の使われていない五線システムにも独奏部のヴァリアンテ(異文)がいろいろと書き込まれている。(後略 144頁)

・(略)研究家たちの諸説は、いずれも一見筋が通っているように思われるのだが、よく調べていくと、どれもその根拠が薄弱で、実証的な基盤に支えられない憶測や思いつきに過ぎないことが判明した。例えば次のような重要な問題が何一つとして解明されないままにされている。
(1)ヴァイオリニストのクレーメントは、果たして本当にベートーヴェンに独奏部作曲上の助言を与えたのか。
(略)
(2)クレーメントが1806年12月23日にアン・デア・ウィーン劇場の演奏会で初演したのはいったいどのヴァージョンなのか。【注:自筆稿では当初は薄茶のインクで記入、続いて鉛筆によるスケッチ、濃い黒インクでの記入がされている。後2者の前後関係はさしあたって不明とされて研究が進められた。】
(3)ベートーヴェンが自筆稿の下部にヴァリアンテを書き入れたのはいったいいつのことか。

(4)(5)は本文で直接には扱われていないので省略します。
以降の記述で、まず、当初の薄茶のインクでの記入は1806年11月下旬以降、すなわち初演前に大急ぎで書かれたことを、ベートーヴェンのインク使用歴から帰納的に突き止めています。これにより、クレーメントによるベートーヴェンへの助言の余地はなかったこと、初演で弾いたのが薄茶記入の独奏部であったことも、併せて証明しています。後者は次のヴァリアンテ成立についての考察からより明確に導かれます。

(スコア下部のヴァリアンテの成立)
自筆稿の一番下のシステムには(略)ピアノのピアノ独奏部左手のスケッチが所々に記入されている(※1)。そもそもベートーヴェンがヴァイオリン協奏曲をピアノに編曲する気になったのは、ムッツィオ・クレメンティが1807年4月にウィーンを訪れ(略)た際、クレメンティに編曲を頼まれたからである。この契約は4月20日に成立したので、自筆稿の鉛筆スケッチも同日以後に記入されたことは間違いない。(150頁)

自筆稿には鉛筆スケッチの上からヴァリアンテを書いたり、また同じ黒インクでスケッチを抹消している箇所が九頁ほどある。(略)観察から、ベートーヴェンはまずピアノ編曲用のスケッチを記入し始めたが、しかしまだスケッチを書き終えないうちにヴァリアンテ【注:濃い黒インクの記入】を書き入れ始めたことがわかる。事実、完成したピアノ編曲にはヴァリアンテが何ヶ所か取り入れられている(※2)(151頁)

・(諸考察から、ベートーヴェンがヴァリアンテ記入に用いた)黒インクを使い始めたのは、1807年4月26日と5月11日の間であることが判明した。(152頁)

自筆稿はオーケストラ声部にも赤いクレヨン、黒インクや鉛筆による補足訂正を数多く含んでいる。このオーケストラ声部のテキストをクレメンティ版と比較してみると、この版のテキストにはクレヨンの補足は含まれているのに、黒インクや鉛筆の補足は取り入れられていないことがわかる。(略)クレメンティがロンドンの支配人コンラードに送った1807年4月22日の書簡によると、ベートーヴェンは同じ日、つまりクレメンティと契約を交わしてから二日後に版下用楽譜をロンドンに発送している。この事実から、ベートーヴェンが当時クレメンティ版のために新しい写譜を作らせる時間はなかったこと、したがって当時彼が所有していた唯一の写譜である初演用のパート譜を版下としてロンドンに送ったものと推測される。(略)このことから、ベートーヴェンは1807年4月22日の時点では、ヴァイオリン協奏曲を改訂する意図はなかったこと、したがってまた先述の【注:鉛筆や黒インクによる】オーケストラ声部の補足(※3)も、独奏部のヴァリアンテもピアノ編曲用の鉛筆スケッチも、すべてこの時点以後に初めて自筆稿に書き入れられたとうことがわかる。

・・・以上の後、結論で佳境に入るのですけれど、長くなりましたし、さらにそれは独奏部の検討と併せて見るべきかとも考えますので、またあらためたいと存じます。


私自身がファクシミリで実際に第1楽章について確認した箇所を例示しておきます。

 ※1:鉛筆スケッチはたとえば111、172、209(完成時不採用)、214、216、218、316-318、331、333、337各小節

 

※2:ピアノ編曲へのヴァリアンテ採用箇所は、たとえば、128、222後半〜223、338〜392、440〜441各小節

 

※3:オーケストラ声部の鉛筆による補足は、たとえば178小節の"tutti"とディナミーク"p"、182小節の"Solo"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月29日 (月)

ベートーヴェンの第6ピアノ協奏曲? 【自筆譜を読む(3-1)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 


ベートーヴェンは1809年、38歳のときに5番目のピアノ協奏曲を書き、以後、ナポレオンとの戦争によるウィーン社会の急激な変化と自らの耳疾のいっそうの悪化で独奏活動を完全に停止したことに伴い、協奏曲を創作することはありませんでした。

それなのに、第6番目のピアノ協奏曲が存在するのでしょうか?
それは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の第6番や第7番が偽作であるのと同様、ベートーヴェンの真作ではないのでしょうか?

完成されなかった第6番は、自筆の総譜が60頁ほど未完で残っている、と、私の手元ですと1962年刊行の日本語の伝記図書に掲載された作品表に、WoO45の番号が付されて明確に記されています。すなわち、真作のピアノ協奏曲第6番は未完である、とはキースン/ハルムによる作品番号無しの作品の整理研究が終わったときにははっきり分かっていたのだと知りうるわけです(キースン/ハルムの目録は1955年刊)。

ところが、現在、第6番全曲版を謳った録音が数種類出ています。
そして、これは間違いなくベートーヴェンの真作です。

実は、いま第6番と称されて出ている作品は、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲Op.61の、彼自身の手による改変版です。ただ、番号を付されるようになったのはそんなに古いことではない気がします。以前は番号は付けられず、単に「<ヴァイオリン協奏曲>のピアノ編曲版 Op.61-a」(以下、Op.61-a)とか言われていたのではなかったかな?
編曲、とされていますが、楽譜そのものを点検出来ていませんけれど、聴く限りオーケストラ部に何の変更もなく、ソロだけがピアノに差し替えられたもののようです。

自筆譜はOp.61とOp.61-aが独立に存在しているわけではありません。ソロ部が、初めは薄茶のインク(1806年8月〜1807年5月11日以前)で書かれ、後で黒インク(1807年4月26日以降)で別の段に訂正されています。ヴァイオリン協奏曲としての初演は1806年12月23日ですので、初演以後も手を加えられたことになります。

ところで、このソロ部、初めに書かれたものが現行のヴァイオリン協奏曲の独奏と完全に一致しているわけでもなく、黒インク部もまた同様であり、かつOp.61-aとも違っているのです。

ヴァイオリン協奏曲は1808年にパート譜が印刷されています。このヴァイオリン協奏曲印刷版の独奏部は現行のものと一致しているそうです。
一方、Op.61-aは1810年に出版されています。
ヴァイオリン協奏曲とOp.61-aの現行ソロを念頭に自筆譜のソロ部を観察してみると、ヴァイオリン協奏曲の現行ソロは後で加えた黒インクの訂正に一致するものが多く、Op.61-aのソロは最初に記入された薄茶インクの音型のままである場合も見受けます。すなわち、出版の新しいOp.61-aの方が、ベートーヴェンの自筆の、より古いかたちをとどめている、という、時間的な転倒を引き起こしているのです。

このようにインクやソロ部の音楽に錯綜した事情があり、かつ、インクの使用年次については後から明らかになったものでしたので、時間的経過をきちんと考慮したものではなかったものの、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の当初の版はベートーヴェンの真作とは言えない、との説が1962年に出されたのだそうです。この説はウィリ・ヘスによって旧全集補足版第10巻に採用され、自筆譜の混乱した独奏部が印刷されて1969年に出版されたとのことです。

ヘスの犯した誤りを是正し、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の真正性に決定的な折り紙をつけたのは、日本人、児島Augustinus新でした。1929年に生まれ、1983年に癌で亡くなった人で、ベートーヴェン・アルヒーフの優れた研究者です。ベートーヴェン新全集のヴァイオリン協奏曲は児島氏の校訂によるものであり、この作品が現在聴かれるかたちで安心して演奏されるのは、児島氏のおかげだと言うべきでしょう。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲およびその改変版であるOp.61-aに関しては、児島氏の研究のご自身によるダイジェストが、死の死後に平野昭氏によって『ベートーヴェン研究』(児島新著、春秋社 1985年)として編まれた書籍に収められています。この中にはまた、ベートーヴェンの書いたスタッカートの奏法についてや、第五・第六・第九交響曲の資料批判に基づく研究、カラーで出版されるようになったファクシミリの意義についての知見など、現在なおもっと知られてよい業績がコンパクトに収められています。

http://www.amazon.co.jp/dp/4393931742

ヴァイオリン協奏曲の自筆譜の諸問題については素人の私が四の五の言う筋合いではない(他のものもそうか!)のですけれども、大変に面白いので、ファクシミリの一般的な価値についてを含め、この次あらためて児島氏の研究結果を紹介したいと思います。

今回は、ヴァイオリン協奏曲自筆譜の最初の頁だけを掲載してご覧頂いておきます。
モーツァルトやハイドンで見て来たものより段数の多い16段の五線紙に書かれ、上からヴァイオリン2つ、ヴィオラ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、ティンパニ、ソロヴァイオリン、チェロ、バス、トランペットの順で記入されていて、後でソロに施した訂正は残った下3段に記入されることになりました。(あいかわらず粗悪画像ですみません。)

Btvn1_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月18日 (日)

「第九」終楽章オーケストレーション(Seit umschlungen… 595-654小節):ベートーヴェン

ベートーヴェン「交響曲第9番」の終楽章、声楽が入る部分のオーケストレーションは、歌詞の意味に寄りかかるのではなくて、意味を強調する・・・あるいはドイツ語をあまり知らない人でも翻訳を手にすれば今どんな意味の部分を歌っているかが分かりやすくなるようにする・・・ために、大変な工夫がされています。そこを知っておくと、合唱する人たちにも役に立つことがあるのではないかと思っております。

声楽が参加してからの、後半の幕開けとなる Seid umschlungen(595小節)から über Sternen muß er wohnen(654小節)について、概略をご紹介しておきます。

Bt9595598_2

ご承知の通りのことですが、終楽章ではトロンボーンはこの箇所になって初めて加わります。ベートーヴェンにおいても第5や第6(田園)の例外があるくらいで、「第九」作曲当時はトロンボーンが交響曲に参加することはまだあまりない時期だったと思われますが、「第九」終楽章は声楽が加わるため特別に参加することになったのだと考えてよいのでしょうね? でも、なんでこの部分から参加することになったかのほうが、もっと大きな意味がありますよね?
ここより前の部分にも、神々だとか天にあたる語彙は登場するものの、この箇所以降で初めて、詞は神そのものに眼と心を向けます。トロンボーンの起用は、ですから、当時もドイツ・オーストリアの宗教音楽では歌を補強するためにトロンボーンを用いていたことと無縁ではない、ということになります。
極端に言っても差し支えなければ、トロンボーンの登場=この楽章に於ける「神の降臨」なのですね、って、これじゃ漫画か。

595-610小節:
「(数えきれないほど多くの)みんな、抱き合おうではありませんか! 全世界に向けてこのキスを!」

なんですものね〜、いまの人の感覚だと漫画的かもしれませんね。。。
でも、みんなの自由のためには心の共有が大切、というのが19世紀初頭の精神だったのだと思いますし、それは軽んじられない・・・と脇道にそれるのはよしましょう。

男声のユニゾンはトロンボーンとバス(自筆譜では1本にまとめて書いてあります)で、モーツァルトになぞらえればフリーメーソンちっくに強い呼びかけをする(595-602小節、611-617小節)のですけれど、ベートーヴェンはその呼びかけを女声に拡げてエコーさせます(603-610小節、618-626小節)。ここはトロンボーン以外の金管楽器は(通常の世俗的管弦楽曲では木管楽器と一体化しているホルンも、この楽章では金管楽器としてとらえらえていて、トランペットとともに)すべて沈黙していることに注意をしておかなければならないと思います。ついでながら、それまでのト長調が、618小節からは1度低いヘ長調に和らげられている点も留意が必要でしょう。(これがあるので、その前のBrüder!からの男声斉唱で表現を既に和らげてしまう演奏は何らかの誤解があるのではなかろうか・・・フルトヴェングラーのルツェルンでの1954年第九など・・・と考えております。)

611-626小節:
「仲間たち! 星の彼方にこそ、神様は住んでいるのかもしれませんよ」

でも、オーケストレーションに星が出てくるのは、この一連の部分(595-654小節)の最後の最後になってからです。

627小節からはテンポがさらにゆったり指示をされて、ト短調に転調し、弦楽器ではヴァイオリン2部とコントラバスが沈黙し、木管セクションではフルートは643小節のフォルテシモまではずっとユニゾンとなり、その箇所までオーボエが鳴ることは全くありません。この部分は20世紀の作曲家ですとオリヴィエ・メシアンの木管楽器の用法に非常に似た響きがするなぁ、と実感しておりますが・・・理屈で追っかけてみてはおりません。ただ、鳴り響き方は時代を考慮すると非常に「新しい」ものである気がしていて、調べる価値もあるかも知れないな、と思ってはおります。
トロンボーンは最後(643小節から)のフォルテシモに至るまでは、weltとzeltという語の来る箇所でディナミークの補強のためにフォルテで朗々と和音を響かせるにとどまっています。

627-646小節:
「ひざまづきませんか、みなさん? 神を感じることは出来ますか?(私語:でいいのかな?) 世界よ!(私語:・・・と切り離されて訳されるのが通例ですが違和感があるんですよね) 星々の彼方に神を見いだしましょう! 星々の上に、まちがいなく神はまします!」

フォルテシモまで盛り上がるこの箇所(627-646小節)で楽器を上記のように減らしていながら(コントラバスはこの区間では最後のフォルテシモまでまったく音を出しません!)、次の箇所(647-654小節)では、なんと、ホルン・トランペット・ティンパニを省いた全編成(フルートも和音になり、オーボエ、トロンボーン、ヴァイオリン2部、コントラバスも加わります)でピアニシモを鳴らす、などということには、どうでしょう、演奏なさる方は本当に全く違和感はお抱きにならないのでしょうか?
絵的には646小節までスッキリしていたのに、647小節からは低空(スコアの配置では弦楽器が来るところ)になんだか雲が立ち込めて、上空(木管楽器)がその2小節後からなんだかキラキラしている。印刷譜ですと四分音符で真っ黒けなんで、ちょっと上が重たいイメージになっちゃうんですけれど、ここの木管が星々なのでしょうね。でもって、その上にましますはずの神は描かれていない。この部分の自筆譜は現在見つかっていないそうです。別紙であとから付け加えたものだったろうか、と推測されているようです。

647-654小節:
「(ピアニッシモで)星々の上に、まちがいなく神はまします!」

星がリアルになるのは、やっとこの箇所になってからでしょう。

主観による錯誤につきましては、乞御容赦。

(付記)
627小節のフルートとヴィオラが最終の四分音符にはスラーで向かっているのに対し、同じ音型が5小節後で合唱と一緒になる時には四分音符はスタッカートになっていますね。スタッカートになるのは単純には言葉の都合であることはたしかなのですけれど、最初の器楽だけの時にスラーなのは、締めくくり(650小節以降)の朦朧とした音響を「結」とする「起」であるがゆえに、文脈的に首尾一貫させる狙いがあったのではないか、と、私は下衆の勘ぐりをしております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月11日 (土)

「第九」ファクシミリのみどころ〜第4楽章中盤まで

http://ooipiano.exblog.jp/15549738/

杉山作品が聴けるサイトへのリンクは、こちら。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-6321-1.html

前回大井さんが作品を演奏した伊左治直さんによる杉山洋一エッセイ<
http://ooipiano.exblog.jp/15568547/

第4回POCについてのラヂオつくば放送の際のトゥゲッターのURLはこちら。
http://togetter.com/li/76851



第1楽章呈示部展開部

「第九」ファクシミリは、アカデミアミュージックで特価販売中です。
電子データではわからない肌合いが、よい印刷で重層的に伝わってくるのが、冊子出版の最大の魅力です。従来版の4分の1という価格が、また奇跡的です。お手元に置かれることをお勧め致します。

あいかわらずケータイの不鮮明な画像なのをお詫び致します。

まだそれぞれに興味深い箇所のある第1楽章の残り・第2楽章・第3楽章をひとまず措いて、第4楽章を見ておきます。ベートーヴェンの創作が、スケッチより後に至っても、最後の最後まで重層的だったことが窺える部分を含みます。(余談ですが、じつはモーツァルトの、とりわけ「ジュピター」の終楽章にも似たものが読み取れるのですが、そのことについてはだいぶ前に綴りましたし、別の機会にまた見て頂こうと思ってもおります。)

・第4楽章冒頭部。ベートーヴェン名物、「訂正のグチャグチャ渦巻き」はありますが、略記をしているので、印刷スコアよりはスッキリして見えます。

41


・第4楽章116~119小節、ヴィオラの主題の出。上部のファゴットは第1しか書いていません。で、長らくこの部分は第1ファゴットだけが吹かれていたのは古いクラシックファンならご承知の通り。が、ファゴットの音符の下に「第2ファゴットはB(バス)と共に」と、明らかにベートーヴェンの手になるエンピツ書きがあるのです。

4116119


・第4楽章187~190小節。このページ(ファクシミリ冊子第273頁)の裏面には何も書かれておらず、新たに書かれた次葉では弦内声部の内声部のこのスッキリした筆跡が、太く荒々しいものへと変貌します。

4187190


・バリトンソロの終わったあとから、テノールソロの部の前(フェルマータによる合唱第1部の終了)までは23段の五線紙が使われるようになります。これは314-315小節ですが、ページがかわった最初に先に315小節を書いてしまっており、それを抹消して314小節から書き直しています。本稿が出来る前に(この筆跡であってもなお!)下書があったことを、この抹消が物語っているわけです。

4314315


・第4楽章331-317小節、6/8拍子に変わるところで、いったんは一葉だけ12段の五線紙に戻ります。このあと3枚だけ再び23段の五線紙が用いられ、379小節からまた12段の五線紙となります(まったく記入のないものを含め37葉、762小節まで)。

4331317


・第4楽章、テノールソロの手前の器楽部を342小節目まで書いたあと、最初はすぐにテノールソロを入れる考えだったようですが、ベートーヴェンはそれを抹消して(現行の375-377小節、ファクシミリ譜には376-378小節とあるのですが・・・)器楽部分を延長しました。これは「下書」にはなかった新たなひらめきだったのだろうと思われる。343小節からは23段の用紙を3枚使用。大きさがこんなに違う!

4342

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月30日 (火)

「第九」ファクシミリのみどころ〜第1楽章展開部

ベートーヴェン「第九」ファクシミリ、アカデミア・ミュージックで特価販売中。入手のチャンスです!



大井浩明さんの第4回Portraits of Composers「平義久×杉山洋一」2010年12月15日(水)19:00開演(開場18:30)門仲天井ホールにて。

杉山作品が聴けるサイトへのリンクは、こちら。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-6321-1.html



「第九」自筆譜、第1楽章呈示部の見所は、こちら。

ベートーヴェン「第九」の、第1楽章展開部から、彼がどう書いたかを拾ってみました。
ケータイ写真ですので、小さくて不鮮明なのをご了承下さい。
また、電子データではやはり伝わらないものがあるとの思いを強くしています。・・・ファクシミリも良質の印刷物でないと、やはり電子データと似たことが言えます。

「第九」第1楽章展開部は、まさにそれを実感させてくれる代表例です。

・180-181小節:前の小節から、クラリネットとファゴットがあるべき段では乱暴にかき消されています。

1mov180181

・それが下段に書き直されています。これは189小節まで続きます。

1mov1801812

・200-201小節:第1楽章ファーストヴァイオリンとヴィオラは消した上に書き直され、ヴァイオリンの方はそれで済まずに下段に書き直されています(判読不明になってしまったためでしょうか? 後の書き足しなのか、筆跡がまた違って細くなっています)。

1mov200201

・204-207小節:フルート・ヴァイオリン・ヴィオラに激しい書き直しが見られます。

1mov204207

・239-245小節(と読んだのですが240-247小節なのか?):このあと253小節までホルンが激しく抹消され、最下段に書き直されています。ヴィオラはちょうどこの頁だけ(ファクシミリ冊子上は48頁)消した上から新たに書かれています。

1mov239245

・ファクシミリ冊子の53頁目。255-258小節に当たる部分ですが、裏面はもともと音符が何も書かれておらず、長年スケッチと見なされていた紙とのことです。(裏面である54頁には他者の手になる1841年のメモ書きがあります。ファクシミリ冊子51頁には、やはり最上段に他人の鉛筆メモがある他は何も記入されていません。)この頁と全頁に配された紙にはベートーヴェンの手になるメモがあります。第53頁は、そうした性質にも関わらず、こんにちでは先ほどの荒々しくホルンをかき消した頁の墜の次(冊子50頁)で「×」で抹消された部分に挿入されるべきものの「決定稿」であることが判明しています。第53頁のメモはファクシミリ冊子付録の解説で判読されています・・・ここでは省略します。

1mov255258p53

・・・「第九」を仕上げた頃のベートーヴェンは、初演でのエピソードから推測するに、骨導音すらもどの程度聞こえたか分からない状態だったはずですから、これらの修正はピアノなどを用いて「耳で」なしたもの、とは考えにくいかと思われますが、そこは分かりません。
いずれにしても、最後の最後まで「より良い響き」を求め続けた真摯な姿勢がにじみ出る部分ばかりでして、もしそれがイマジネーションの中での改訂であったのならば(仮にピアノを使えたとしても、この点はやはり変わらないのかもしれませんけれど)、凄まじい「プロ」根性に圧倒されずにはいられません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月22日 (月)

「第九」ファクシミリのみどころ〜第1楽章呈示部

ベートーヴェン「第九」ファクシミリ、アカデミア・ミュージックで特価販売中。入手のチャンスです!



さて、入手しやすくなったおかげで目に出来たベートーヴェン「第九」の自筆譜ファクシミリですが、やはり見どころ満載です!

性能の低いケータイのカメラでの撮影ですし、スコア全面を捉えることは不可能ですので、詳細は是非、現物でご覧になって下さい。もっとたくさんのことが見えてくると同時に、既存の日本語刊行物だけで考えてよいかどうかを振り返らせてくれます。

第1楽章の呈示部から拾ってみたものをご覧頂いておきましょう。

1)冒頭部に指示されたメトロノーム速度
  ベートーヴェンは108から120としています。
  この速度については、印刷されるまでに、書簡等により指示が変遷しています。

1movfront

2)19-20小節に記譜されたスタカート記号(弦楽器部分)
  最近の印刷譜で楔形で表示されるようになったものは、このような縦長の「点」です。

1mov019

3)24-26小節のポルタート指示(ヴァイオリン〜ヴィオラ)
  20世紀中葉まで、これを「長め」に演奏した例は稀なのではないでしょうか?

1mov025026_2

4)74-75小節のホルンの訂正
  ホルンは当初はフルートと組み合わせようと考えられた模様です。
  インクの色合いから、これが消されたのと、
  フルートがクラリネット・ファゴットと組み合わされたのは同時点のことかと推測されます。

1mov074077

5)81-82小節、自筆稿での記譜は「d」。
  ベーレンライター版がこれを採用していることの是非判断には、
  他の初期資料との対比が必要です。
  なお、マインツのショット社が1826年に出したスコアでは「d」になっています。
  1863年のブライトコップフ&ヘルテル版では「b」になっています。

1mov081

6)108-109小節のフルート訂正
  いまの印刷譜にある対旋律が、訂正した上に書き直されています。
  訂正前はどんなであったか、は、校訂報告書などを参照したいところです。
  
1mov108109

7)116-117小節のsemple pp記入例〜読めません!
  この周辺は第2ヴァイオリンが第1ヴァイオリンと同じなので省略されたり、
  ヴィオラは途中から「チェロとユニゾン」と記されてまた省かれたり、と、
  それがまた強烈な書き癖で記入されているので、
  清書する人を泣かせたんじゃないかと思いやられます。
  スコア全面で見て頂きたい箇所です。

1mov116117

8)120小節ヴィオラは、当初は現行よりやや複雑な動きを考えていた
  以降、129小節まで同様の修正が施されています。
  赤のCresは浄書者に「クレッシェンドを書いてね!」の意図で強調して加筆したもの。
  この手の加筆は随所にあります。

1mov120vla

9)130-131小節ヴィオラは、先行する部分の変更により、下を消して新たに書きかえています。

1mov130131vla_2

10)132小節の、オーボエであるべきところに、
  現行の印刷譜に見られない音が書き込んであります。
  最下段に、関連する書き込みがあり、抹消されているのを目にすることも出来ます。
  以降、6小節間続きます。
  これが現行のかたちになった理由は、浄書稿等を参照しないと分かりません。
  校訂報告が読みたいところです。

1mov132woodwind_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月16日 (火)

ベートーヴェン「第九」ベーレンライター原典版緒言の日本語訳

先日、アカデミア・ミュージックから特価でベートーヴェン「第九」のファクシミリが特価販売されている件をご紹介しました。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-68b6.html

それに関連し、こちらは印刷スコアである、ベーレンライター原典版(1996刊行?)の緒言を以前(2004年)アマボケ(ちゃう、アマオケ)仲間向けに抄訳しておりましたので【多分あんまり読んでもらえなかったでしょうが】、参考までに掲載させて頂きます。このスコアには、第九作曲の歴史的経緯とこの版の特徴の概略を述べた序文、校訂情報の要約である緒言(こちらはデル・マーによるもの)があります。序文も実に面白い(過去の読み物と相違点もあり興味深い)のですが、読譜に当たって役立つと思われる緒言のほうを、いらんと決めてかかったところは激しく省略して翻訳してみました。ご参考になれば幸いです。(訳したとき見てもらって指摘されたところは修正してありますが、なお誤訳がある場合はご容赦下さい。)


緒言

<原典>

(註:今回アカデミア・ミュージックから販売されたファクシミリに含まれるのは、以下の記述から、A・J【ファクシミリ版53頁、ベーレンライター原典版スコア39-40頁】であることが分かります。(他に第4楽章にはパリ国立図書館蔵の23段譜3葉6頁も含まれています。)

A)自筆総譜、1823−4年に書かれ、大部分はベルリン国立図書館ープロイセン文化財(音楽分室)所蔵。
自筆のコントラファゴットパート譜も共にある。
2,3の断片、ならびに自筆のトロンボーンパートが、別のさまざまな場所に保存されている。(註:ファクシミリ版425-436頁所収、コントラファゴットパートはベルリン国立図書館蔵、トロンボーンパートはボンのベートーヴェンハウス蔵)

PX)9つの弦パート手写稿で1824年5月7日の初演に使われた最初の物に由来するもの。ウィー
ン楽友協会図書館所蔵。すべてにベートーヴェンの手になる二、三の修正が施されている。

B)写譜師による総譜でベートーヴェンの修正があるもの。1824年12月ロンドンに送られ、ロンドンの英国図書館所蔵。

C)写譜師による総譜で、E、P、V(後述)の版下屋用の写し(版下案)として使われたもの。1825年1月にショット社に送られ、マインツにあるショットミュージックインターナショナルの図書館所蔵。Aを元に複写された最初の総譜であり、ベートーヴェンの改訂、修正が大量に含まれている。数ページが写し直され、C’として参照されているが、こちらのベートーヴェンによる修正はわずかである。

X)もともとCに属していたがC’と取り替えられたページ。最も重要なのは、これにはベルリン市
立図書館プロイセン文化財にある12葉も含まれるという点だが、Xの大部分は散佚してしまっている。

CP)トロンボーンセクションと声楽パートの手写稿、ショットミュージックインターナショナル図書
館蔵。もとはPXの一部。トロンボーンパートにはベートーヴェンによる修正がある。

D)写譜師による総譜、アーヘン市立図書館蔵。最初の3楽章を含む巻はベートーベンの修正が施れ、1825年3月にアーヘンへと贈られた。

DC)写譜師による総譜、アーヘン市立図書館蔵。ベートーヴェンの修正がある。

F)ベルリン国立図書館ープロイセン文化財蔵の、ベートーヴェンの修正がある、写譜師による総譜。贈呈用総譜で、国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世への献辞が自署されている。1826年9月に、国王に送られた。

J)自筆単葉。ベルリン市立図書館ープロイセン文化財所蔵。Aにはなかった新たな4小節(第1楽章 255ー8)を含む。

K)自筆の修正リスト。1988年にロンドンのSotheby 's社がオークションにかけ、現在個人蔵。

L)Kの修正版。写譜業者の手によるもの。ボンのベートーヴェンハウス蔵。

E,P,V)フルスコア・パート譜・ヴォーカルスコア初版。それぞれ1826年8月にショット社から出
   版された。

これらのスコアについて、およびそれぞれの関係についての詳説は、Critical Commmentary to BA9009を参照のこと。

Bt9<編集上の特殊な問題>(校訂の結果採用した記載上の約束事に関する記述なので、省略)

<装飾音から及び装飾音へのスラーについて>

ベートーヴェンは装飾音と主要音の間にスラーを描くことは決してなかった。しかしながら実演上は変わることなく、こうしたスラーはあってしかるべきだと想定されている。我々校訂者はこうした慣習を保持したが、そのことはop.125(第九)原典すべてが一貫してしたがっていることである。また、トリルに続く後打音についても、同様に取り扱った。第4楽章297−319小節の装飾も、同じ考えに従って(訳者補:スラーなしで)表記している。ここでは後打音は装飾音としては描かれておらず、事実上連桁で結ばれた二つの32分音符(訳註:原文では音符で記されている)なのだが、従来トリルと一連をなす音として理解されており、したがって当然のようにスラーを付けて演奏されているのである。

<木管楽器譜の分岐した符尾に付けられたスラーなどについて>

このたびの原典版では、我々校訂者は現代流に従った。上下それぞれの符尾には各々の奏者のために別々のスラーが必要となるのだが、2音に一つだけの符尾が付されている場合は、2奏者には1つのスラーで十分である。スタッカートも同様に扱っているが、ひとつだけ例外がある。2奏者がユニゾンであるとき(第1楽章65小節目のホルンなど)は、2つの符尾を付すことなく一つのスタッカートを付けることで十分だということにした。
 しかしながら、期待されるかも知れない通り、op.125の初期原典では、こうした慣習的なことの扱いについては、よりいっそうルーズな様相を呈している。さらに、AやC文献での分岐した符尾は、セカンド奏者のスラーがどうであるかを曖昧にする原因をなしていたりするのである(第4楽章196小節の2番フルートなど)。(訳注:ここの記述はブライトコップフ系のスコアを参照すると良く分かる。ついでだが、この個所の2番フルートは四分音符4つで、他のパートすべてとリズムが異なっている。)

<ディナミークについて>

言うまでもなく知れわたっていることだが、ベートーヴェンにおいては、f(フォルテ)を続けて幾つも記しているのはアクセントの反復をあらわしており、実際にこうしたケースではfは文字通りsfを速記したものと言ってしまっても、事実上まちがいはない。現実に、ベートーヴェンは(このような記譜をしたところでは)写譜師がfをsfと書いてしまっていても、あるいはその逆の場合でも手直しをしなかったので、これらの違いは些細なこととしてそのままにしておかれるのが当たり前となっている。そうは言っても二者間には気分的な違いがある。そこで我々は、出来るだけ厳密に、この相違点を保持することにつとめた。それでもなおいくつかのパッセージ(第4楽章463-70小節など)では二者のいづれなのか、オリジナルの記譜に一貫性がなく、そうした場合には代わりに論証的な処置を施し、fが一貫性を保っている箇所についてだけ、同様の小節についてsfには変えずにおくようにした。
 ベートーヴェンは時々、音楽理論ではほとんど述べられていないような術語を用いている。cresc...il forteとか、(これまたもっとしばしば)il forte piu forte、ときにはil forte...piu forte...と書かれているのである。我々はベートーヴェンのil forteをfに置き換えたが、この術語の統一は、第2楽章171小節で原典Bではベートーヴェンがヴィオラにfと記しているのがみとめられる一方、A(自筆譜)とCの弦楽器セクションを見るとil forと読みとれることからも確かなものだといえる。
 特別な問題があるのはピチカートの場合である。いくつかの理由から、ピチカートのパッセージはディナミークを要しないものとして、ベートーヴェン(そして一般的に、同時代の作曲家たちも当然同様に、ただしベルリオーズは例外だが)は扱っている。実際、ディナミークの欠如は国際的に顕現していることであり、ベートーヴェンにおいてもp(アルコでの)がpizz.に変えられてしまっている例が多く見られるのである。とはいえフォルテのピチカートの例も、ベートーヴェンにおいてはまれではあるものの、確かにあるのであって、ピチカートにクレッシェンドやディミヌエンドを施す例になると、これはふつうに見いだせる。(op.125すなわち第九では)第2楽章322小節、第4楽章787小節、(原典Cのベートーヴェンの手跡では)第1楽章266小節のコントラバスなどが、その例である。ただ同時に、ベートーヴェンが第3楽章99小節の低弦をsub.p(スビト・ピアノ)としていることは、クレッショエンドの後なのであるから実現が困難なのではないか、という一般的な(しかしそれほど注目されてはいない)疑問もある。第4楽章の238・40小節は原典Aにおいてはもともとfであったのがpizz.に変更されたと読めるのだが(Critical Commmentary to BA9009を参照)、241小節ではpizz.pという記入が残されたままであるので、238・40小節はやや大きめに演奏されることを意図したのであろうと思われる。ベートーヴェンにおける最も難解な箇所は、ふつうにはディナミークがfだと見えながら、ピチカートの方でディナミークの表示を頑固に拒んでいるようなところである(交響曲第5番第2楽章7小節[訳注:ここではアルコの低弦はそれまでのピアノからフォルテになる]や、ピアノ協奏曲第4番第3楽章61小節など)。明らかに、こういう極端なあいまいさは現代の演奏向けの版では受け入れられないので−−−この数十年、もちろんたとえば第3楽章157(最終)小節のピチカートはベートーヴェンはフォルテで演奏されることを意図していたのではないか、などといった論争点もあったのではあるが−−−我々は編集上の追加事項として必要に応じこうしたディナミークを補足した。
 ベートーヴェンのディミヌエンド・ヘアピンは、シューベルトのそれほどではないにせよ、劣らず難解である。シューベルト同様、長く描かれたものもあれば、アクセントと見まごうほどのものも、しばしばある。シューベルト(一般的に音符の上または下の真ん中にヘアピンを置いている)と異なるのは、ベートーヴェンのヘアピンは音符の真下に始点がある傾向にあり、そのためとくにディミヌエンドに似て見える、という点である。こんにちではこうした、本来的に不明瞭な性質を持つ記号について、明瞭に注記する適切な方法がない。前後関係によって、アクセントかディミヌエンドかの相違の度合を示して行くべきなのであろう。我々はこうしたものをアクセントとして扱ったが、強調しておかなければならないのは、かなりしばしば(たとえば第4楽章254,753,810−1、833-4小節 訳注:いずれも声楽パートにおけるものを言っている)こうしたアクセントは本質的にはディミヌエンドの要素を兼ね備えているものと見なしうる、ということである。(Critical Commmentary to BA9009を参照)

<点とダッシュ>

ベートーヴェンは、(訳者補:スタカートを示す)点とダッシュの違いについて厳密だった(Nottebohm,op. cit.,pp.107-25参照)と言われてきたが、その証拠としては1825年8月のカール・ホルツ宛書簡(Emily Anderson, The letters of Beethoven(1961),No.1421:訳者コメント−邦訳の書簡選集では該当の書簡は発見できませんでした)の中でベートーヴェンが「四分音符の下にダッシュを記したもの(訳注:原文は音符表示)と点を記したもの(訳注:原文は音符表示)は同じではない」と明確に教示していることが引き合いに出されている。しかし、こんにち一般的に賛同されているところでは、ベートーヴェンの原典にある二者間の相違はあまりに偶発的であって、同一視しうるという以外にどんな論理性や蓋然性をもってしても新版に反映し得ないのである。これには例外が一つある。ポルタートは当然つねに点を伴わなければならないわけだが、しかるにポルタートを出た箇所では、ベートーヴェンのスタッカート表現はいつもダッシュであり、しかもこのことは第7交響曲(作品92)の初演パート譜への彼のおびただしい修正(Nottebohm, op. cit. pp.107から9にもまた引用されている)によって間違いなく確かめうる。すなわち、第2楽章のテーマの、2,3番目の八分音符はスタカートのダッシュが、その後の二つの四分音符にはポルタートとしてのスラーと点が記されている、といった類である(訳注:原文は音符で表記)。

<フィナーレ固有の問題:シラーのテキストの綴りと句法について>
(テキスト的な校訂問題なので省略)

<声楽パートのスラーについて>

ベートーヴェンが声楽部分に付けたスラーは、シラブル(訳注:語彙の音節)の変化にいつも一致するなどということは決してないばかりか、より短いことがしばしばである。実際には(これらのスラーは)フレージングを考慮するためには重要なのであって、結果的に(通常の慣習とは相反するが)背景(訳注:シラブルなどのこと)とは別個のものだと見なす必要がある。ひとつの典型例は、(訳者補:終楽章の)895−8小節である。しかるに、大変わずかだが、彼のスラーがシラブルより長いという例もあるにはあって、これらはすべて実質的に誤りであるとしてしりぞけてよいものである。これらはふつうは、言葉が(訳者補:器楽よりも)後から入ってくる場合に起こっている。もちろん、(訳者補:こうしたミスの)ほとんどはA(訳注:自筆スコア)にのみ現れるのであって、X(訳注:写譜師の手になるスコアから校正の結果取り除かれた稿)において除去されたのだろうと思われる。ところが、本当に1箇所だけ、実際的な目的があり、かつ除去されずにある長いスラーがある。それは840小節である(ソプラノソロ:訳注 sanfterのterまでスラーがかかっていることを指す。ブライトコップフ版ではこのスラーは除去されている。日本の出版社が出しているヴォーカルスコアも同様のようである)。

<声楽パートのディナミークについて>

A(訳注:自筆スコア)では、ベートーヴェンはしばしば、ソプラノの段にだけディナミークを記入している。それで全声部のディナミークとするのだと意図していたことは、はっきりしている。しかも、彼はほとんどいつも、C(訳注:写譜師の手になるスコア)での声楽パートのディナミーク省略を手直ししていた(たとえば282小節)。とはいえ、たまに彼は修正を失念している(たとえば280小節)のだが、我々はこうした明白な場合には注記することなく修正するという原則を許容した。しかしながら、798-800小節(ソプラノソロ)には明示的に、この原則を採用しなかった。また、疑わしい場合(すなわち797小節や742小節などのような箇所)には、厳しく原典に依拠することにこだわった。(訳注:文中の個所ではソプラノソロにfやsfが記入されているが、それらを他のパートにまで敷延させることはさけており、「厳しく原典に依拠する」とはそのようなことを指して言っている。)

<練習記号について>(使用の便宜を図り従来普及通りとした、という記述なので、省略)

謝辞(省略)

(ジョナサン・デル・マー筆)

| | コメント (0) | トラックバック (0)