平曲・平家琵琶・平家

2010年12月20日 (月)

ど素人 平曲考(12)『横笛』鑑賞 【とりあえず一段落】

埼玉県立大宮光陵高等学校、恒例の年末の定期演奏会は12月23日です。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/25-4f53.html



(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌(11)本文から想像する曲節(12)『横笛』鑑賞


「クラシック」を謳っているからには、ヨーロピアン・クラシックのブログでなければならんのですが、平曲すなわち「平家」を採り上げて来た理由は、後で申し上げます。

で、ちと煩雑になりましたが、ここまで、「平家」(平曲、平家琵琶)の、とくに名古屋に残っていて今井勉検校が録音を出している8つを主な素材とし、「平家」の曲(句)構造、その要素である曲節について、いくつかの本を参考にしながらみてまいりました。前回は、それを要約した上で、文学としての『平家物語』本文から逆に曲節が推測できないかどうか、を試してみたりしました。ご興味に応じてトライしてみて頂けたら面白いのではないかと存じます。

平家琵琶、と俗に呼ばれるところから今日の私たちが描くイメージからすると、初めて聴く「平家」は、琵琶の手数(てかず)が結構少ないのが意外だと思われるかもしれません。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が採話し『怪談』で昇華させた「耳なし芳一」の話から私たちが現在想像しがちな激しい琵琶は、同じく平家物語を素材にするようになった薩摩琵琶の演奏のほうがよく聴かれるようになったところに由来するのでしょう。

とはいえ、本来の平家琵琶、すなわち「平家」でかき鳴らされる琵琶は、それを用いながら語られる言葉を引き立てる上で最も適度な手数と適切な調べになっているもの、と、私は思います。使われた琵琶は雅楽の楽琵琶に由来するとされています(ただし、単純にそうであると言ってしまうべきではないことについては、兵藤 裕己『琵琶法師—“異界”を語る人びと』【岩波新書】およびその記述に従い一遍上人絵伝をご覧下さい)。実際、楽琵琶単独を雅楽から抜き出したものや、琵琶単独の秘曲として引き継がれているもののテンポ感は、平家琵琶と類似するものを持っています。

「平家」を語った琵琶法師たちは、次世代に盛んになる「能」の世界とも活発に交流したらしく(山下宏明『琵琶法師の「平家物語」と能』塙書房 2006 など)、「平家(平曲)」の構成は、たしかに謡曲にかなりの影響を与えたことが、じつは曲節の名称や繋がれ方から充分に推測されます。
ですので、今回、「平家」の中の一句を、そのすべては掲載できませんので、ハイライトをいくつかネタにして鑑賞の手がかりとし、いったん「平家」の世界から歩を進め、「能」に注目して行きたいと思います。

鑑賞するのは『横笛』にいたします。
これが、「平家」に少し突っ込んでみたい、と思ったきっかけになった平曲でした。
大井浩明さんがPOC第2回で採り上げた松平頼則のピアノ組曲『美しい日本』のなかに、この『横笛』を素材とした章があったのですが、記憶の中の松平作品は、平曲の歌い語りのほうを軸にし、琵琶の手については平曲の原態よりもロマンチックなかき鳴らしを試みているように感じ、20世紀の洋楽系作曲家としては日本の素材にもっともこだわった松平氏が、果たしてどんな意図でどんなふうに日本の伝統を引き継いだのかを考えてみたかったのでした。ただし、『美しい日本』は市販の録音が存在せず、楽譜も現在入手不可能ですので、実際の対応関係を見ることは出来ません。

『横笛』本文の鑑賞は、啓蒙書としては、これも現在では新刊では手に入らない山下宏明編『平家物語の世界』(朝日カルチャーブックス 大阪書籍 1985、こちらは古書で入手可)の中で、平曲の実際にもお詳しい山下さんご自身がすばらしいお話をなさっています。こちらではそれを援用しきれませんので、実際にお手に取ってみて頂ければ幸いです。

ここでの鑑賞は、先に申し上げました通り、断片的に終わります。ただ、『横笛』は、名古屋伝来のものを録音(一部伝来や復元曲は含まれていない)した今井勉さんのCDのほか、現在唯一手軽に聴くことの出来るCDでは井野川検校のもので聴くことが出来ますので、完全な姿を耳にしたい場合、もっともそのチャンスが多いものでもあります。

『横笛』は合戦場面等がないので、活発な「拾」は全く登場しません。その曲節構造を単純化して見れば、

口説折声差声三重折声差声中音

と、山場の三重を中心にして「折声〜差声〜中音(初重)」を聴かせる<だけ>のものではあります。

が、実際に全編を聴くと、『横笛』は、この曲節の組み合わせの後半部に「上歌・下歌」を配して物語の余韻を強調する方法を採用していることで、この物語の持つ<意味>を絶妙に浮き出させているのが分かる、大変興味深い性質を生み出していることが分かって来ます。今井勉さんが『横笛』を習ったのは、8つの現存句のうちの最後から2番目だったことが、『横笛』の持つ微妙なニュアンスの演奏の難しさ、それゆえの味わい深さを物語っているようにも思います。

本文と、それに付された曲節を記し、間の部分をまとめてお聴き頂くことで、全編の鑑賞に代えることをお許し下さい。なお、括弧内の部分は覚一本『平家物語』の本文中で現行の平曲『横笛』では語られない部分です。その部分は覚一本の本文(講談社学術文庫のもの)に忠実に写しておきます(巻十)。現代語訳は文庫等の書籍でご確認下さいますよう。また、発音される読みも本来触れたいところでしたが、今回は省略します。

(さる程に、小松の三位中将維盛卿は、身がらは八島にありながら、心は都へかよはれにけり。故郷に留めおき給ひし北の方、をさなき人々の面影のみ、身にたちそひて、忘るるひまもなかりければ、「あるにかひなきわが身かな」とて、元暦元年三月十五日の暁、しのびつつ八島の館をまぎれ出でて、与三兵衛重景、石童丸と云ふ童、船に心得たればとて武里と申す舎人、是等三人を召し具して、阿波国結城の浦より小船に乗り、鳴門沖を漕ぎとほり、紀伊路へおもむき給ひけり。和歌、吹上、衣通姫の神とあらはれ給へる玉津島の明神、日前・国懸の御前を過ぎて紀伊の湊にこそつき給へ。「是より山づたひに都へのぼ【ッ】て、恋しき人々を今一度見もし見えばやとは思へども、本三位中将の生取にせられて大路をわたされ、京鎌倉、恥をさらすだに口惜しきに、此身さへとらはれて、父のかばねに血をあやさん事も心憂し」とて、千たび心はすすめども、心に心をからかひて、高野の御山に参られけり。)

【口説】高野にとしごろ知り給へる聖あり、三条の斎藤左衛門茂頼が子に、斎藤滝口時頼とて、元は小松殿の侍なり、十三の年本所へ参りたりしが、建礼門院の雑仕に横笛といふ女あり、滝口かれに最愛す、父この由を伝へ聞いて、いかならん世にある人の婿にもなして、出仕なんどをも心安うせさせんと思ひ居たれば、由なき者を見初めてなんど、あながちに【下ゲ】諌めければ、滝口申しけるは、

(以下、中音の部分までを、井野川幸次検校の録音からお聴き下さい。COLUMBIA COCF-7889)

【折声】西王母といひし人、昔はあって今はなし、東方朔と聞こえし者も、名をのみ聞きて目には見ず、老少不定の世の中はただ、石火の光に、異ならず

【差声】たとへ人長命といへども 七十八十をば過ぎず、そのうちに身の盛んなることはわづかに二十余年なり、【中音】夢幻の世の中に、醜き者を片時も見て、何かせん、思はしき者を、見んとすれば、父の命を背くに似たり、これ善知識なり、しかじ憂き世を厭ひ、実の道に入りなんにはとて、十九の年もとどり切って、嵯峨の往生、院に、行い澄ましてぞ、居たりける、

【口説】横笛この由を伝へ聞いて、我をこそ捨てめ 様をさへ、変えけることの恨めしさよ、たとひ世をば背くとも、などかかくと知らせざるべき、尋ねて今一度恨みばやと思ひ、ある暮れ方にひそかに【下ゲ】内裏をば紛れ出でて、嵯峨の方へぞ、あこがれける、

【三重】頃は二月、十日余りの、ことなれば、梅津の里の、春風に、よその匂ひも、なつかしう、大井川の、月影も、霞にこめて、おぼろなり、【下リ】ひとかたならぬ哀れさも、誰れ故にとこそ、覚えけめ、往生院とは聞きつれども、定かに、いづれの坊とも知らざりければ、ここにやすらひ、かしこに、たたずみ、尋ねかぬるぞ、無残なる、

【素声】住み荒らしたる僧坊に念誦の声のしけるを、滝口入道が声に聞きなして 様の変はりはておわすらんをも今一度見もし参らせんがために わらはこそこれまで参って候へと 具したる女をもつて言はせたりければ 滝口入道胸打ち騒ぎ浅ましさに障子の隙より覗いてみれば 裾は露 袖は涙にしをれつつ まことに尋ねかねたる有り様 いかなる道心者も心弱うやねりぬべし 人を出だいて 全くこれにはさることなし もし門違へにてや候ふらんと つひに会はでぞ【ハヅミ】返しける、

【口説】横笛情けなう恨めしけれども、さてしもあるべきことならねば、涙を抑へて帰り上りにけり、そののち滝口入道【下ゲ】同宿の、僧に語りけるは、

【折声】これも世に静かにて、念仏の障碍は候はねども、飽かで別れし女に、この有り様の見えて候はば、たとへ一度こそ心強くとも、またも慕ふことあらば、いとど心も、働き、候ひなんず、【初重】いとま申してとて、嵯峨をば出でて、高野へ上り、清浄心院にぞ、居たりける、

【差声】そののち横笛も様変へぬる由聞こえしかば、滝口入道高野の御山より一首の歌をぞ送りける、

【上歌】剃るまでは、恨みしかども、梓弓、実(まこと)の道に、入るぞ嬉しき

【半下ゲ】横笛の返事に

【下歌】剃るとても、なにか恨みん、梓弓、引きとどむべき、心ならねば

【中音】そののち横笛は、奈良の法華寺に行ひ澄まして、居たりけるが、その、思ひの積りにや、幾程なくて、つひにはかなくなりにけり、滝口この由を伝へ聞いて、いよいよ深う行ひ澄まして、居たりければ、父も不孝を許しけり、親しき者も、みな用ひて、高野聖とぞ、申しける、

(三位中将、是に尋ねあひて見給へば、都に候ひし時は布衣に立烏帽子、衣文をつくろひ、花やかなりし男なり。出家の後は今日はじめて見給ふに、未だ丗【さんじふ】にもならぬが、老僧姿にやせ衰へ、こき墨染に同じ袈裟、思ひいれたる道心者、うらやましくや思はれけむ。晋の七賢、漢の四皓が住みけむ商山、竹林が有様も、是には過ぎじとぞ見えし。)

文学としての鑑賞は意図しておりませんが、以上の文にはたらいている作為の傍証を少し申し添えておきます。
講談社文庫の注釈にもあり、先の山下さんのお話にもありますが、『平家物語』の異本(延慶本)では、滝口入道は尋ねて来た横笛に説教し、横笛はそれを聞いて出家したことになっています(講談社学術文庫に該当箇所の引用があります)。歌は延慶本では滝口入道と横笛のものは作者が逆になっており、上の文で入道が詠んだことになっている歌は横笛が出家の際に詠んだものとされています。また、横笛の籠った寺の名前も異なっており、出家した後の横笛は桂川に入水した、という話になっているとのことです。このあたりの機微については、山下さんのお話をお読み頂いたほうがよろしかろうと思います。

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2010年12月 6日 (月)

ど素人 平曲考(11)本文から曲節を想像する

大井浩明さんの第4回Portraits of Composers「平義久×杉山洋一」2010年12月15日(水)19:00開演(開場18:30)門仲天井ホールにて。

関連放送はラヂオつくば:FM 84.2 MHzで12/6(月) 18:00~18:30、再放送12/8(水) 24:00~24:30に聴けます。同時間帯に、インターネットのサイマル放送でも聴けます。聴取方法については下記の杉山作品解説記事リンクをご覧下さい。

杉山洋一さんの作品解説・プロフィールは大井さんのブログに掲載されました。たいへん心魅かれる解説文です。ぜひお読み下さい。

http://ooipiano.exblog.jp/15549738/

 

杉山作品が聴けるサイトへのリンクは、こちら。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-6321-1.html


(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌(11)本文から想像する曲節


きわめて大雑把でしたが、これまでみてきたことを簡単にまとめてみましょう。

・平曲すなわち「平家」は、<一部平家>〜<巻(12巻+灌頂巻)>〜<句(199伝来)>〜<段>〜<曲節>というふうに成り立っており、このうち1曲1曲にあたるものは「句」である(5)。

・句は「曲節」と呼ばれるものの集合からなっている。曲節はある程度決まったパターンを持つ。「琵琶の手」の最後の音から、次にくる曲節はある程度推測できる(3)が、なによりも曲節そのもののパターンや音域で班別し得る(2)。曲節の名称は聲明にその由来を求められるのではないかと思われる。(各曲節の文)

「曲節」からは、口説・初重・中音・三重・拾・折声・差声・上歌・下歌のみをみてまいりました。その組み合わせについては、名古屋系に現存し今井勉さんが録音されているものに限ってパターンを見て来ました。
それによると・・・

<句>

・「句」は一般には「口説(くどき)」をもって始められる(特殊例もあり、述べてきませんでしたが「素声(しらこえ)」という朗読調で始まるものもあります)と推測される。

・また、「句」は一般には「初重」または「中音」で閉じられると推測される(6)。

・合戦を語る句は「拾」を含み、その前半部は単純にみたときには「口説〜拾〜口説〜強声〜素声」等の組み合わせで構成されている(4)。これに含まれる「口説」は「強(こわ)リ下ゲ」で「拾」や「強声(こうのこえ)」に続く(5)。

・物語的(叙情的)な句は骨組みとして「〜折声・差声〜 三重〜初重〜」を持っている。これに含まれる「口説」は「(シヲリ)下ゲ」で次の曲節に続く(5)。

・記録的な句は構成に自由度が高く、合戦ものではなくとも「拾」を含む場合がある(「鱸」)。

<曲節>

・激しい情動(詠嘆・批判いずれも)を表わす部分では「三重」が用いられる。三重が用いられる部分は韻文が主であり、曲節と文(段落)の区切りが一致している(7)。

・「中音」は独立しても現れるが、他の曲節に接続して収束に向かわせる役割もある。三重に続く場合は「下リ」、初重に続く場合は「初重中音」と呼ばれる。「下リ」の場合は、中音の曲節の後半部のみとなる。中音の旋法は、中世まで一般的に好まれた「黄鐘(おうしき)調」によると考えられる(8)。

・「強声」と「拾」はふつう連繋して現れ、順は異動することがあるが、基本的には「(強声〜)素声〜口説〜拾」の順番で組み合わされている。「拾」の最終部分だけが用いられる曲節を「上音」と称する。「下音」は、曲節全体が「拾」で通すことに馴染まないと判断された場合、「上音」の前に持って来られた曲節であると見受ける(9)。

・「差声(さしこえ)」は「歌」の前に現れることの多い曲節で、七五調や五七調ではない語りの部分で、初重に代わって用いられるものと推測される(10)。

・「折声(おりこえ)」は仏典・漢籍あるいはそれらに関わる信仰的/道徳的なものを述べる部分で用いられる(10)。

・「歌」は一首だけの場合「上歌」、二首目が続く場合それは低音域の「下歌」、さらに稀だが三首目がある場合には「曲歌(きょくうた)」の曲節が用いられる。

くらいが、まとめられるところでしょうか?


さて、では、たったこれだけのことで、文学として読まれている『平家物語』(覚一本を前提とします)から「句」の曲節を再現・構成出来るのかどうか、まだまだ、さまざま不足があるのは承知の上で、ゲームのつもりでちょっと試してみましょう。

なお、ついでながら、平曲の「曲節」は能でいう「小段」に相当するのでしょうけれども、能の小段は、たとえば最初のワキの登場部では「次第〜名乗り〜道行(上歌【あげうた】)〜着キゼリフ」のようにある程度の規則性が見られるそうですが(三浦裕子『能・狂言の音楽入門』165頁 音楽之友社 1998)、これは能の方はしかるべき定型にそった戯曲(台本)があるため可能になっているのではないかと思います。
今回のお遊びは、『平家物語』のほうに、果たして、そうした戯曲性があるのかどうか、のお試しでもあります。

正式に聴ける8句その他以外のものでも、譜本があれば正解が分かるはずなのです。が、(高価なのと目を通すゆとりがいまないのとで)手元に用意がありませんので、鈴木まどか『「平家物語」名場面集』(講談社 2004)所載の文を題材にし、まず正解を参照せずに覚一本の本文(講談社学術文庫の杉本圭三郎訳註のもの)を抜き出し、次に素人としての推測を加え、最後に正解を参照してみます。・・・正解は予めにはまったく記憶をしていません。


「鵼(ぬえ)」の最後の部分(杉本訳注本四 271-2頁)

去(さんぬ)る応保(おうほう)のころほひ、二条院御在位の時、鵼(ぬえ)という化鳥(けてう)、禁中にないて、しばしば宸襟をなやます事ありき。先例をも(ッ)て頼政を召されけり。此(ころ)は五月廿日(さつきはつか)あまりの、まだよひの事なるに、鵼(ぬえ)ただ一声おとづれて、二声ともなかざりけり。目ざすとも知らぬ闇ではあり、すがたかたちもみえざりければ、矢つぼをいづくともさだめがたし。頼政はかりことに、まづ大鏑をと(ッ)ってつがひ、鵼の声しつる内裏のうへへぞ射あげたる。鵼、鏑のおとにおどろいて、虚空にしばしひひめいたり。二の矢に小鏑と(ッ)ってつがひ、ひいふつと射き(ッ)て、鵼と鏑とならべて前にぞ落としたる。禁中ざざめきあい、御感なのめならず、御衣をかづけさせ給ひけるに、其時は大炊御門の右大臣公能公これを給はりついで、頼政にかづけ給ふとて、「昔の養由は、雲の外の雁を射き。今の頼政は、雨の中に鵼を射たり」とぞ感じられける。五月闇名をあらはせるこよひかな と仰せられかけたりければ、頼政、たそかれ時も過ぎぬと思ふに と仕り、御衣を肩にかけて、退出す。其後伊豆国給はり、子息仲綱、受領になし、我身三位して、丹波五ヶ庄、若狭のとう宮河知行して、さておはすべかりし人の、よしなき謀叛おこいて、宮をもうしなひ参らせ、我身もほろびぬるこそうたてけれ


さて、上の本文をどう段落に分けるのかが難しいですね・・・適当にやって、それに既知の曲節を割り振ってみましょう。正解とどれだけずれるか、がお楽しみです。よろしければ、下をお読みになる前に、テキストエディタにでも本文を貼付けてお試し下さい。

私のへぼい答案を、先ず!・・・全然自信がありません。

[口説]去(さんぬ)る応保(おうほう)のころほひ、二条院御在位の時、鵼(ぬえ)という化鳥(けてう)、禁中にないて、しばしば宸襟をなやます事ありき。先例をも(ッ)て頼政を召されけり。

[差声]此(ころ)は五月廿日(さつきはつか)あまりの、まだよひの事なるに、鵼(ぬえ)ただ一声おとづれて、二声ともなかざりけり。

[口説]目ざすとも知らぬ闇ではあり、すがたかたちもみえざりければ、矢つぼをいづくともさだめがたし。

[拾]頼政はかりことに、まづ大鏑をと(ッ)ってつがひ、鵼の声しつる内裏のうへへぞ射あげたる。鵼、鏑のおとにおどろいて、虚空にしばしひひめいたり。二の矢に小鏑と(ッ)ってつがひ、ひいふつと射き(ッ)て、鵼と鏑とならべて前にぞ落としたる。

[口説]禁中ざざめきあい、御感なのめならず、御衣をかづけさせ給ひけるに、其時は大炊御門の右大臣公能公これを給はりついで、頼政にかづけ給ふとて、

[折声]「昔の養由は、雲の外の雁を射き。今の頼政は、雨の中に鵼を射たり」とぞ感じられける。

[上歌(前半)]五月闇名をあらはせるこよひかな 

[口説(?)]と仰せられかけたりければ、頼政、

[上歌(後半)]たそかれ時も過ぎぬと思ふに 

[口説]と仕り、御衣を肩にかけて、退出す。

[口説]其後伊豆国給はり、子息仲綱、受領になし、我身三位して、丹波五ヶ庄、若狭のとう宮河知行して、さておはすべかりし人の、

[中音]よしなき謀叛おこいて、宮をもうしなひ参らせ、我身もほろびぬるこそうたてけれ

(・・・だめです、センスがないなあ。惨敗の予感。)


では、正解は如何に?・・・本文は語られるものはちょっと変化するのですが、覚一本のままとします。・・・じつは、やったあとで、「曲節」が正解だったところは、答案で赤色を付けたものでした。後で記しますように、段落についてはほぼあっておりました。


[口説]去(さんぬ)る応保(おうほう)のころほひ、二条院御在位の時、鵼(ぬえ)という化鳥(けてう)、禁中にないて、しばしば宸襟をなやます事ありき。先例をも(ッ)て頼政を召されけり。

[三重]此(ころ)は五月廿日(さつきはつか)あまりの、まだよひの事なるに、鵼(ぬえ)ただ一声おとづれて、二声ともなかざりけり。目ざすとも知らぬ闇ではあり、すがたかたちもみえざりければ、矢つぼをいづくともさだめがたし。

[拾]頼政はかりことに、まづ大鏑をと(ッ)ってつがひ、鵼の声しつる内裏のうへへぞ射あげたる。鵼、鏑のおとにおどろいて、虚空にしばしひひめいたり。二の矢に小鏑と(ッ)ってつがひ、ひいふつと射き(ッ)て、鵼と鏑とならべて前にぞ落としたる。

[口説]禁中ざざめきあい、御感なのめならず、御衣をかづけさせ給ひけるに、其時は大炊御門の右大臣公能公これを給はりついで、頼政にかづけ給ふとて、

[折声]「昔の養由は、雲の外の雁を射き。今の頼政は、雨の中に鵼を射たり」とぞ感じられける。

[上歌]五月闇名をあらはせるこよひかな 

[差声]と仰せられかけたりければ、頼政、

[下歌]たそかれ時も過ぎぬと思ふに と

[初重]仕り、御衣を肩にかけて、退出す。

[中音]其後伊豆国給はり、子息仲綱、受領になし、我身三位して、丹波五ヶ庄、若狭のとう宮河知行して、さておはすべかりし人の、よしなき謀叛おこいて、宮をもうしなひ参らせ、我身もほろびぬるこそうたてけれ


「平家正節」では、この句は祝儀に用いられることになっていて、最後の中音の部分の「とう宮河知行して、」のあとは、「御坐(おわしま)しけるとぞ承る」に置き換えることも可能としているそうです。

んでもって採点しましょう!

[口説]で始まるのはよろしかったようですね。

次の部分は段落が区切れるんだろうな、と思った事自体は当たりましたが、次が「拾]のはずなので、迷いつつ差声を持ってきましたら、正解は[三重]でした。そのまま、次に分けてみた[口説]と考えた部分まで、そのまま一気に[三重]でいくのでした。(T_T)

[拾]の部分は、段落の区切りまで含め当たりました。続く[口説]・[折声]の部分も、当たりました。

歌は上の句下の句が別れただけでも[上歌]・[下歌]となり、口説ではなく[差声]で繋がれるのですね。

次は段落分けは合っていたのですが、当てはめるべき曲節を考えつかず、ええい、と安易に口説にしましたら、案の定、違う曲節〜[初重]でした。またも(T_T)

以降はいったん口説がくるのか、と考えましたが、そうではなく、最後まで基本は[中音]でまとめられていました。

正解の段の区切りが10ありますので、区切りが当たったら5点、曲節が当たったら5点、としますと、

1〜10点。2〜5点(いちおう区切りは見当違いじゃなかったという事で【汗】)、3〜10点、4〜10点、5〜5点、6〜10点、7〜5点、8〜5点、9〜5点、10〜大まけして10点、ということで、70点!!!

存外な高得点ではありませぬか!

じつは、答案は黙読で行ないました。[三重]であるべきところの曲節の間違いは、これに起因する気がします。

黙読でも、区切りは結構分かるものだなあ、というのが、実感です。
曲節の正答率は4割ではあったものの、これもけっこう思い浮かぶものですね。

『平家物語』本文を眺めただけでは、もっと難しそうな箇所がわりにある気していました。
それでも、とりかかる前に予想していたよりは、『平家物語』の本文そのものに、充分、台本としての要素を読み取ることが出来るものだ、とも、いまは思っております。

・・・どうぞ、おためしあれ! (^^)

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2010年12月 2日 (木)

ど素人 平曲考(10) 折声、差声、歌

ベートーヴェン「第九」ファクシミリ、アカデミア・ミュージックで特価販売中。11月末まで、とありますが、まだ継続かな? 入手のチャンスです!



大井浩明さんの第4回Portraits of Composers「平義久×杉山洋一」2010年12月15日(水)19:00開演(開場18:30)門仲天井ホールにて。

杉山作品が聴けるサイトへのリンクは、こちら。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-6321-1.html


(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌



平曲の曲節は専門的に細々立ち入るとまだあるのですが、素人の手に負えるものは「折声(おりこえ)」・「差声(指声・刺声、さしこえ)」・「(上【かみ】・下【しも】)歌」くらいかなあ、と思います。

これは「卒塔婆流」の中でまとめて聴けますので、その音声を挙げておきましょう。


[差声]康頼入道故郷の恋しさのあまりに千本の卒塔婆(そとわ)をつくり阿字の梵字年号月日(つきひ)仮名(けみょお)実名二首の歌をぞ書き付けける、
[上歌]薩摩潟、沖の小島に、我ありと、親には告げよ、八重の潮風
[下歌]思ひやれ、しばしと思ふ、旅だにも、なほふるさとは、恋しきものをと、
[下ゲ]これを浦に持つて出てて、
[折声]南無帰名頂礼、梵天帝釈四大天王、堅牢地神王城の鎮守諸大明神別しては熊野の権現、安芸の厳島の大明神、せめては一本なりとも、都へ伝へて、たべとて、・・・

経過的な[下ゲ]をも含め、各曲節の特徴が、ことばを記す文字面にも良く現れているのではないでしょうか?

差声と折声はよく似て聞こえるのですが、内容の点で異なる、と、金田一春彦『平曲考』に述べられています。・・・ただ、差声は本来、三重、もしくは音域の似ている初重との対比で捉えた方が良いのではないか、と、私には感じられます。

[差声]は折声の前後、歌物の前後に現れることが多い、とのことです。「卒塔婆流」の例では「歌」の前に来ています。
この、言葉に着目しますと、そのリズムが七五調になっていないことが分かります。
能の謡(うたい)にサシノリというものがありますが(「謡」については別途勉強したいと考え中です)、これは拍子不合(ひょうしあわず)の謡のほうでは、七五調・五七調のような定型に当てはめられる詠ノリ(えいのり)に対比されるもので、拍節感がぼかされる部分に使われます(三浦裕子『能・狂言の音楽入門』48頁参照、音楽之友社 1889)。謡のサシノリよりは平曲の「差声」のほうが音楽的な演出効果を大きく期待される部分に用いられていますけれど、「差声」という名前の由来については、言葉もリズムとの相似性から言うと、同根なのではないかと推測しております。
金田一さんが館山甲午氏からの伝授を踏まえて書いているところによりますと、この曲節は次のようなものです。
「差声はテンポの速い近代的な曲節である。不思議なことに、この曲節では途中で琵琶を弾かない。息を切るところはあるが、そこも声を長く引くことがないなどの点で異色がある。」(『平曲考』242頁)
音域は初重と重複し、さらに低音までを含みます。動きは初重のようなゆったり感はないものの、口説とは違って朗詠されたものとして聞き取り得ます。

[折声]について先に述べますと、譜の上では「上」の字と「中」の字が交互に現れるのが特徴的です(金田一著96頁の譜例等)。同書の説明によると、このうち「上」(1点ハ)のほうに装飾をつけて唱えるのが「折声」と称される由来だそうですが、この発声法は聲明の「折捨(おりすて)」や「折上(おりあげ)」との関連が聞き取れ(大栗道榮『よくわかる声明入門』付録CD・・・もし「折下」なる唱え方があるのであれば、それがもっともそぐうのですが! 加えられる装飾音は1点ホなのです)、名前の発祥を聲明に求めて間違いなかろうと思います。
折声は神仏に関する文章、中国に関する文章に用いられるそうですから、「卒塔婆流」の例はまさにこれに合致することが明確です。「横笛」の冒頭口説に続く折声もそうしたものです。(ただし、秘事である「祇園精舎」では、こんにち耳に出来る部分は中音で歌い語りされています。あとに続くのも(今日では一般に耳に出来ませんが)初重です。
文字譜のありようから推測できる通り、先に「差声に似ている」とされていながら、「折声」は差声よりも音の上下運動が激しく、音楽的な振幅が大きいと言えると思います。金田一氏の推測では、「覚一検校以来特に尊重されて伝えて来た曲節と考えられる」(『平曲考』247頁)とのことです。
なお、折声は音域も差声より高く、中音(聲明の「二重」に相当)とほぼ同じで、それより上下1半音ないし1全音分狭い程度です。

残る「歌」ですが、これは現在、宮中の歌会始などに伝えられている和歌の詠み方とはだいぶ趣を異にしています。

例をお聴き下さい。以下の詠じ方は、甲調は聲明(とくに真言聲明)に伝えられているところの呂旋、乙調は律旋であるようです。(この音声をCD付録に持つ書籍の、本文の説明では、残念ながら私のアホ頭には分かりませんでした。)


[甲調]花さそふ比良の山風吹きにけり 漕ぎゆく舟の跡見ゆるまで(宮内卿)


[乙調]いにしへのならの都の八重桜 今日九重ににほいぬるかな(伊勢大輔)

(財団法人日本文化財団 編『和歌を歌う』笠間書院 2005)

歌が一首だけあらわれるときは「上歌」、ふたつめが「下歌」で歌われます。
「上歌」は上二句までがロ音と1点ホ音を軸とした上行音型、三句目がホ音を軸にした下降音型うたわれたあと、あとの七七の部分は前半が下のホ音を軸としてやや落ち着いた趣となり、最後の句は「下ゲ」にかかります。
「下歌」はそれに対し、初句をホ音中心の下降音型、二句目を同じ軸の上行音型とし、三句目は
重心を後半ろ音に落とす下降音型、四句目はハ・ろ音を中心とした比較的動きの少ない音型で収め、「上歌」よりも地味にして対比感を出しています。
稀に歌が三つ続く例があり、このときは三つ目の歌を「曲歌(きょくうた)」と称して「上歌」に近い節でうたうようですが(金田一著422-423頁、歌い語りの例は鈴木まどか『「平家物語」名場面』付録CDに宇佐行幸の部分の例が入れられています)、動きが「上歌」と逆転するのが特徴なのかと思われます。

なお、歌会での詠じられ方との違いの理由については、いまのところ思い当たることがありません。
もう少し考えてみたいところです。

「平家」の音声の引用は、今井勉氏「琵琶法師の世界 平家物語」Ebisu EBISU-13~19からさせて頂きました。

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2010年11月27日 (土)

ど素人 平曲考(9) 拾・強(甲)ノ声など

ベートーヴェン「第九」ファクシミリ、アカデミア・ミュージックで特価販売中。入手のチャンスです!



(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌

「しんみり」の多い印象のある平曲の中で、この「拾(ひろい)」は、使用頻度の高い曲節としては非常に活気に溢れたものです。

金田一春彦「平曲考」では、「拾類」として五種の曲節が挙げられています。
・拾
・拾上音(拾下音の後に顔を出す。ただの「拾」とほとんど同じ)
・読物上音(譜面には「上音」とだけ記されているもの)
・ハコビ(読物だけに現れる。名古屋系には伝わっていない)
・音曲(前後は「拾」になっている、一部分の曲節。中音の中に現れる特殊例1例あり)

おなじ金田一さんの説明で、「拾」は次のような性質であると言われています。

「しばしば長大である。スピードあり、強弱の変化あり、勇壮活発(中略)現在、一般人にとって平曲の第一の聞きどころは、三重や中音ではなくて拾だと思うが、昔の人もそうだったようで、上杉謙信や佐野了伯の感動したのは、いずれも拾のある曲だった。/なお、拾は、戦闘の場面、勇者の登場の場面、炎上物【寺の焼き討ちを語るもので、現在手近に録音で聞けるものはありません】の火災の場面、捕物の人名が並ぶ箇所、その他、儀式の説明などにも用いられる。」(88頁)

その構成についての金田一さんの説明は以下の通りです(記譜法略)。

[1]第1次’第1部’ 基礎音ラの部
[2]第1次’第2部’ 基礎音ミの部
[3]第2次’第1部’ 基礎音ラの部。転調譜<下>まで
[4]第2次’第2部’ 基礎音ミの部
[5]第3部     基礎音シの部。最後まで。

妥当かどうかは難しいところで、私には判断できませんが、この構造図式から想像できます通り、「拾」はかなり長大な曲節です。

短めである「鱸」の中の、清盛の昇進の部分

[1]次の年、正三位に叙せられ、うち続き宰相衛府督、検非違使別当、
中納言大納言に上がって、[2]あまつさへ、丞相の位に至り、
[3]左右を経ずして内大臣より太政大臣、従一位に至る、
大将にはあらざれど、兵杖を給はって、随人を召し具す、
牛車輦車の宣旨をかうむり、乗りながら、[4]宮中に出入す
ひとへに、[5]執政の臣の、ごとし

(なお、この「鱸」の句の少し前の部分・・・音声としては非掲載・・・は江戸期の譜本では、覚一本のものと変更することがあったのを伝えているそうです。覚一本で忠盛が「五十八にて失せにき」とあるところを、江戸期の譜本は、祝言のときには「世をゆづり給ひしかばトモ」と付記している由。名古屋系では祝儀の曲として大事にされ続けて来たとのことで、このあたり、名古屋で生き延びた「平家」が、なぜ、残った8句を重視して来たのか、につながる興味深いものを持っているかと思われます。山下宏明『平家物語の成立』308頁、今井検校録音の解説14頁等参照)


それにしても、この曲節を、なぜ「拾」と呼ぶのでしょうね?
曲節には名前の由来が聲明と関係のありそうなものが多い中で、「拾」他のいくつかは、察しがつきません。もっと広く聲明について調べられればまた違うのかも知れませんが、いまはご教示を頂けるようでしたらそれを乞うしかありません。
ただし、唱法としての「拾」のなかには、聲明でいう「大ユリ(呂旋で使われる唱法)」や「ユリカケ」に似たものを耳にし得ますので、聲明との関係は反映されているとみるべきです。とはいえ、ユリとなると平曲の中には別に「中ユリ」という(部分的ながら非常に特徴的な)曲節もあります。ユリは、あたかも見栄を切るようなニュアンスを持ちますから、これによって「拾」は大きな起伏を持ち合わせることになります。
その一方で、素人耳には「音の高さを変えた口説」に聞こえる部分も多くあります。
起伏のある詠唱(ユリ唱法部分)が、高揚した語りとバランスよく混淆することで、「拾」は聴き手の胸を激しく揺さぶるに相応しい曲節たり得ているのではないか、と感じます。

なお、素人耳には、「拾」の最初の部分は「強ノ声(甲ノ声)」と非常に似て聞こえます。すっかり同じではないのですが、何故似ているのかは、「強ノ声」に先立つ琵琶の手「甲ノ撥」が、「琵琶の手」のところでは載せませんでしたが、「拾略撥」(拾撥の短縮版)とほとんど同じであることが理由を物語っているのではないかと思います。また、「強ノ声」は、武将の活動場面を描く「拾物」と呼ばれる句にのみ専ら用いられるとのことです。・・・名古屋に残る8句の中でも、「拾」の曲節は含みながら「拾物」ではない「鱸」には、「強ノ声」は現れません。

「強ノ声」と「拾」は、【(4)平曲の構成】を見直しますと、

・(強声~)素声~口説~拾

という順番で使われるのが普通であるようです。「鱸」では最初の「強ノ声」の部分を欠き、「那須与一」では拾が前に来ていて、口説を挟んで、強声~素声~口説~三重、という繋がりになっています。これらは上の基本形が句の性格に合わせて変容しているものと見なし得るでしょう。「生食」では口説の後は今井検校CDの解説では「拾上音」となっていますが、構造的には、金田一さんの説明の通り、「拾」そのものかと思えます(藤井採譜本参照)。

名古屋系に3つ歌い継がれている「拾物」は、どれも幸いにして有名な場面ですが、「那須与一」以外は曲節としての「拾」を序盤とクライマックス部の2ヶ所に持って来ています。
「下音」・「上音」の曲節もまた「拾物」に見える曲節ですが、「上音」の方は、上記の「拾」の構造中、[5]に似ています。「下音」は、長大な曲節である「拾」には共有されるようなフレーズのない音型ですが、上音の前に置かれる時、「拾」として<まとめられた>曲節では表現しきれない、より大きな落差を聴かせてくれ、「拾物」のスペクタクル性を高める働きをしているものと感じられます。

「下音」相当の音型は含まない(と私は思っている)「拾」は、以上から推察できるのは、曲節としては「強ノ声」([1]相当)や「上音」([5]相当)というより細かな曲節を、中間部で巧みに繋いだ、複合的なものであるように思われます。
琵琶法師たちは、場面に応じ、曲節としての「拾」を丸丸持ってくるのが相応しくない場合は、
・「下音」~「上音」と繋いで締めくくり感を出したり、
・「強ノ声」で予告感を醸し出したり、
といった工夫を凝らして来たのでしょうね。

拾物である「生食」・「宇治川」・「那須与一」を通しでお聴きになって、その辺りの機微を体感していただけるようでしたら幸いです。

音声の引用は、今井勉氏「琵琶法師の世界 平家物語」Ebisu EBISU-13~19からさせて頂きました。

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2010年11月19日 (金)

ど素人 平曲考(8) 中音

ベートーヴェン「第九」ファクシミリ、アカデミア・ミュージックで特価販売中。入手のチャンスです!



(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌

「平家」琵琶の曲節で、いわゆる地を語る「口説」以外でもっとも多く現れるのが「中音」です。

もっとも多く現れる曲節であるが故に、それをどうまとめるのかは、少々混み入ります。お許し下さい。

「中音」の呼び名の由来は、手持ちの貧弱な資料では分かりませんでした。ただ、前回見ましたように、「初重」・「三重」はそれぞれ聲明の低音域・高音域を指す用語に由来することが分かりますから、「中音」はその中間の音域の呼称に由来するのではないかとの推測は容易に出来ます。
今井検校CDの薦田解説では、実際、「中音」は聲明の「二重」すなわち中音域(聲明の音域の中で唯一すべての構成音が人声で歌えるとされている)に由来することがほのめかされています。中国から伝来して日本化した五調のうちイ音を主音とする黄鐘調(おうしきちょう)を用いた曲のみが、他の四つの調のものが呂律いずれかに属するのに対し「中曲」と位置づけられていますから、これもなにか呼称の由来に関係があるかもしれませんね。真言聲明の方の例でしか私は把握できませんでしたが、理趣経を唱えるときに「中曲」が用いられています。
(なお、「黄鐘」を「おうしき」と読むか「こうしょう」と読むかで言葉の持つ意味が変わってしまい、後者は笛の調律を指す用語となるようなのですが、詳しくは私は理解しておりません。また勉強してみます。)

なお、呂・律・中曲の旋法の違いは、おおむね次のようなものです。(壱・平・双・黄・盤各調には移動ドで当てはめる。増本喜久子『雅楽』132頁【7音音階で記述してある】と天納傳中『天台声明』巻末【伝統音名で五音音階を基本に記してある】、金田一春彦『平曲考』26頁【律旋のみ西洋階名で律音階として例示してある】を参考に整理しました。誤りある場合はご教示頂ければ有り難く存じます)

呂 :ソ・ラ・シ・レ・ミ
律 :ソ・ラ・ド・レ・ミ
中曲:ソ・ラ・シb・シ・レ・ミ・ファ

中曲の旋法のみが、複雑な音要素からなっていることが分かります。

ここで、藤井制心氏が採譜からまとめた「中音」曲節の基本形を再度参照し、音要素だけを音高順に拾いますと、

ミ・ファ・ファ#・ラ・シ(絶対音高)

となっており、これは移動ドで

ラ・シb・シ・レ・ミ

に読み替えが可能ですから、「平家」の「中音」は旋法の上で「中曲」を採用しているのではないかと推測することが可能になるのではないかと思います。
(箏の調弦と近代の旋法呼称の対比をした東川清一『旋法論』中の記事も参考にしたかったのですが、まだ消化しきれておりませんので、差し控えます。)
こうした音の要素と調子の関係をもう少し整理する必要があるのですが、調子そのものが、そもそも雅楽において中国本来のものから日本的なものへ変化する際に呂旋が律旋化していった、などの話が絡んできます(増本伎共子【喜久子さんが字をお変えになった】『雅楽入門』旧版36頁参照)ので、黄鐘調(律旋、理論上は固定ドで「ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ#・ソ」)が素直に中曲の旋法に読み替えが出来ません。藤井氏採譜の「ファ・ファ#」が、単なる「呂旋の律旋化」にとどまらない、日本の音感覚の変位の複雑さを象徴しているかのように感じられます。

いま仮に、「中音」について無理矢理まとめますと、

・鎌倉期以前の黄鐘調が聲明で用いられる中曲旋法で歌い語りされ、その音高要素が他よりも多いために、多様な詠唱に対応できるものとして、平曲の中で最も便利に利用された曲節

とでもなるのではないか、と、いちおう考えております。(金田一春彦氏は、「中音」もちいられているのは「古今調音階」・・・金田一氏が「ミ・ファ・ラ・シ・レ」からなる五音音階があると見なして名付けたもの・・・であると主張し、「中曲旋法」の呼称を否定しています。が、「旋法」と呼ぶかどうかまではともかく、「中曲」の音要素は金田一氏の「古今調音階」では全部を含みきれておりませんし、「中音」の呼称と「中曲」んは関連があると考えると無理が生じますから、金田一説は私は妥当ではないと考えます。)

現実に、「初重」が歌い収めに位置することが多いとか、「三重」が心理劇的な詠唱に用いられるとかいうある種特定の傾向を持つのに対し、「中音」は使用される場面がより公汎です。
薦田解説では、「中音」は
「優雅な場面や悲しい場面で広く用いられ」る、としてあります。

なお、これに続いて、薦田解説は
「『三重』の後に続く『中音』を『下リ』、『初重』に続く『中音』を『初重中音』と呼びます。」
と、金田一春彦解説よりも単純化しています。私たちにはこれで充分なのかもしれませんが、「三重」の項で金田一さんの言葉を参照しました通り、「下リ」は厳密には「中音」とは小差がある点は記憶しておきましょうか。

再度「下リ」について振り返りますと、こう述べられていたのでした。

・「中音」との違いは「一ノ声」があらわれない点

この「一ノ声」とか、「下リ」にも共通して登場する「二ノ声」とは、間に挟まれる琵琶の手です。
これは、「下リ」の例と「中音」の例を聴き比べて知るのが、私たちにとっては早道でしょう。

その前に、「中音」の構成がどうなっているかを知っておかなければなりません。

金田一『平曲考』の説明により「中音」をまとめますと、

・三つの’部’からなり、’第1部’は基礎音が「シ」の部分(2つの小部分からなる)、’第2部’は基礎音が「ミ」の部分(これも2つの小部分からなる)、’第3部’は基礎音が「し」の部分

である、ということになります。(なお、金田一説では、第1部と第3部が古今調音階(ただし名古屋系では第3部は4音音階)、第二部のみ律音階、と、音階の転調的なものを想定していますが、この点にも金田一説には少々無理を感じます。)

「下リ」はこうした「中音」の構成中の何を欠いているか、が、「中音」との聞き分けのポイントになってくる訳です。

・前回上げた「下リ(館山氏により下リ中音と説明された曲節)」の例(「鱸」から)
 その人にあらずは、即ち闕かよといへり(ここに「二ノ声」がダブって入る)、
 されば、則闕の官とも、名付けられたり(ここに「二ノ声」がダブって入る)、
 その人ならでは、汚すまじき官なれども、入道相国、一天四海を、掌のうちに、握り給ひし、
 上は、子細に、及ばず

・通常の「中音」の例・・・「紅葉(こおよお)」終結部
 上日(じょおにち)の者を、あまた付けて(「一ノ声」の手)、
 主(しゅう)の女房の、局まで(ここに「二ノ声」がダブって入る)、
 送らせましましけるぞかたじけなき、さればあやしの賤(しず)の男(お)賤(しず)の女(め)に、
 いたるまで(ここに「二ノ声」がダブって入る)、ただこの君、千秋、万歳の、宝算をぞ、祈り、奉る

「一ノ声」の手はアルペジォ奏法を持ちませんが、「二ノ声」の手にはそれがあります。で、実は、「一ノ声」の手は、藤井採譜を参照すると、「三重」が「下リ」に向かう際の、名付けられていない琵琶の手と同一であることが分かります。
ですから、少なくとも「下リ」は「中音」第2部以降が独立した曲節なのだ、あるいは「中音」とは「下リ」の前に特別な曲節が当てはめられない場合に選択される穏当な詠唱部を第1部として付加したものなのだ、と見なしてよいのではないか、という気がします。

今回はこんなところと致します。

音声の引用は、今井勉氏「琵琶法師の世界 平家物語」Ebisu EBISU-13~19からさせて頂きました。

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2010年11月15日 (月)

ど素人 平曲考(7) 三重

(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌


金田一春彦氏によると、「平曲」のなかで出てくる頻度が高い曲節は、最多の口説(803例)から次位の下ゲ(442例)までに比べ、他は大きく水があきますが、これは口説がいわば「平家」の地を語るものであり、下ゲはさまざまな曲節に附属する推移の役割を担うものであるからであろうかと思います(口説には、(5)で見ました通り、「シオリ下ゲ」というものが続きますし、初重はそれ自体が「下ゲ」的な性質を併せ持っています)。その他の曲節が、「平家」を語る際の音楽的性格をより強く特徴づける、と見るべきでありましょうし、実際、今回見ようとする「三重」は、歌い語りをもっとも劇的に演出する曲節としての役割を、「拾」と二分していると思います。

今井検校CDの薦田さんの解説では、分かりやすさのために、三重の音程に関しては、その基礎音が「初重」のオクターヴ上である(ミ'シミ'シ)であることのみを記しています。が、ここで藤井制心氏の採譜に戻って観察しますと、さらに高音のラ'やシ’が当たり前に登場するのがはっきりわかります。さらに、かなりの低音まで(名古屋系では「み’」までと)音域が広いのが三重の特徴です。
「三重」については、従って「基礎音はミ'・シ」というこだわりで眺めてしまうと、曲節の最大の特徴を見失ってしまいはしないだろうか、と感じます。
(いちおう、平曲文字譜上はミ'を中心とする部分は「甲」、シを中心とする部分は「上」と記され、「甲」・「上」・「甲」・「上」という順に並んでいるのが普通だそうです【金田一『平曲考』、以下にも使用】。)
「甲」の部分が三重の第1部に当たり、「上」の部分が第2部に当たるそうですが、「上」はさらにシを中心とする前半部、中心音がミに下がる後半部から成立している由。
先ほどの最高音が登場するのは「甲」の部分です。
なお、金田一著は「甲」の部分は上行が律音階で下行が都節音階、「上」の前半部は古今調音階だと述べていますが、これはもう少ししてから再検討しますけれども、私はそうした複合的な旋法が三重のなかに入り交じっているとは感じておりません。
また、これまでに出てくる「基礎音」という用語も用心すべきもので、「平家」に耳を傾けてみると、これは(「三重」に限らないのですが)あくまで吟唱される際の中心音(西欧の聖歌で吟唱音corda di recitaと呼ばれるもの)であり、終止音ではないのです。「三重」は、後述のように「下リ」という曲節を後に伴うのが一般的であるため、「三重」で完結することがない(「三重」は割り当てられるのが七五調の美文のところであって、文の始まり~終わりと曲節の始まり~終わりがきっちり一致するため、部分としての「三重」には<終わり>はハッキリ存在するのですが・・・)ので、その点が見失われている気がしてなりません。その点では、平曲の曲節を音階で枠組もうとした金田一さんのやり方のほうが、まだ正解に近いと言えるかもしれません。とりあえずは「気がする」ということだけで、断定しないでおきます。「下リ」は、いちおう「し」で終止するので、吟唱音・終止音の関係、さらにもっと大きく、三重と下リの関係を整理し直さないと、明確なことは言えないと思うからです。

三重は「平曲の花」と言われ、「天空を舞うが如し」と形容される、ともあります(金田一著73頁)。

もともと、「初重」とか「三重」という呼び名は聲明の理論の音域の定義に基づくもので、それが天台か真言かで差異があるのかどうかまでは私は確認していませんが、真言聲明の方の『よくわかる声明入門』(大栗道榮、国書刊行会、平成13)には初重=低音(どれみそら)で人が歌えるのは「そ」から上、二重(にじゅう、「平家」では中音が対応する)は基礎音のドレミソラ(初重のオクターヴ上)、三重=高音(ド’レ’ミ’ソ’ラ’)で人が歌えるのはソ’まで(35頁)と説明されています。
(なお、ドレミソラの音名は聲明のみならず古来の理論では宮商角徴羽と呼び、実際には半音下がったり上がったりします・・・お詳しい方はご存知でしょうし、今はそれ以上は立ち入りません。)
してみると、初重にしても三重にしても、「平家」でその呼称を用いる場合は、聲明のように音域そのものを指すのではなく、節回しの性格をも併せて示しているのが明らかだと言えるでしょう。

後日みます「拾」が主に陣立てや合戦を表わす景観劇の詠唱とでも言うべきものであるのに対し、「三重」は情動の激しい起伏を表わす心理劇の詠唱の役割を果たしています。

「三重」には「下リ」と呼ばれる曲節が後接するのが一般的で、まだ採り上げていない「中音」と似たものであり、金田一氏は(おそらく館山甲午氏から)「下リというのは『下リ中音』の略だ」と聞いた、としています(金田一著85頁)。「中音」との違いは「一ノ声」があらわれない点だとのこと。この「一ノ声」や、「下リ」で使われる「二ノ声」(文字譜で<引つ>【類似文字使用】と記される)については、「中音」を観察する際に触れることにします。ただし、金田一氏はまた、「中音」の「二ノ声」と「下リ」は別物のようだ、と述べています。

長い曲節ですので、<鱸>からのみ例を採り上げます。(今井勉さん)

・三重(区切りに関して注記すべきですが、余力なく、とりあえずお許し下さい。)
 太政大臣は(だいじょおだいじんな)、一人(いちじん)に、師範として、四海に儀刑せり、
 国を、治め、道を論じ、陰陽を、和らげ、治む

・下リ(上の「三重」に直結します)
 その人にあらずは、即ち闕かよといへり、されば、則闕の官とも、名付けられたり、
 その人ならでは、汚すまじき官なれども、入道相国、一天四海を、掌のうちに、握り給ひし、
 上は、子細に、及ばず

音声の引用は、今井勉氏「琵琶法師の世界 平家物語」Ebisu EBISU-13~19からさせて頂きました。

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2010年11月10日 (水)

ど素人 平曲考(6) 初重

(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌



私たちが一曲一曲として耳にする「平家」は<句>と称するのだ、ということを前回(5)で知りました。

今井勉が録音している伝世の<句>の一般的なもの(8つ)は、(4)を参照して頂ければ分かりますように、次の曲節で終えられています。

初重~《鱸》・《卒塔婆流》・《生食》・《宇治川》
中音~《紅葉》・《横笛》
初重中音(初重に中音が続くこと)~《竹生島詣》
上音~《那須与一》

母数は小さいものの、半数が「初重」、4分の1が「中音」であるところは、現在では語られなくなている「平家」の曲節をも勘案した研究である山下宏明『琵琶法師の「平家物語」と能』(塙書房 2006)の記述と合わせて、注目してよいことのようです。
このうち、まずは、初重(しょじゅう)の方をみておきましょう。

今井勉氏CDに付せられた薦田治子さんの解説では、初重について、

「(仏寺の)講式で地の語りに用いられていた曲節なので、平家の[初重]もいくらかその性質を受け継いでいます。基礎音は『ミし』あるいは『ミ』です。詞章の内容との対応はさまざまで、段の開始や終わりに用いられます。[初重]が二回連続するときは、後の初重を[重初重(かさねしょじゅう)]と呼びます。」(リーフレット84頁・・・寺院の、とくに声明との関係については別途観察をしたいと思っております。)

と説明してあり、これが目にしたうちではもっともきれいにまとまっています。ただ、「段」の始めに位置する初重は、今井録音の8句の中では《宇治川》くらいかと思います(毎度のことですが間違っていたらご教示下さいね)から、これは譜に残っているものから導かれたお話なのかも知れません。(かえすがえす、ご著書を拝読したかったと思います。そのうち市場に出てくるかしらん?)

「初重」の成り立ちについては、山下さん(文学との関連面の大家)薦田さん(音楽面での徹底した観察者)らに先だって、自らも平家琵琶を演奏した金田一春彦氏が「平曲考」のなかでまとめています。

「初重は<ミ>を基礎音とする’第1部’と<し>を基礎音とする’第2部’とで出来ている。この点は’シヲリ下ゲ’と同じであるが、’第1部’は’シヲリ下ゲ’と違い、無譜の音節もいつも<ミ>で、つまり’オモテ’の部分しかない。’第2部’は’シヲリ下ゲ’同様、無譜の音節は<ら(し)>という’ウラ’の部分だけであるのが原則である。ただし、稀に無譜の音節が<し>という’オモテ’だけのものがあり、それは最後の墨譜が(ろ引)ではなく(へ)になっている。』(182頁、ただし音高の表記を変え、墨譜は類似の文字を使いました)

以下にさらに詳しい記述がありますが、鑑賞入門者としては以上で充分でしょう。・・・続く部分では「宇治川」と「横笛」の例から第1部の終わり方のヴァリエーションについて説明してありますが、私たちは実際に聞いてみなければ分かりませんから、音を引いてみましょう。

・《宇治川》(今井勉さん)
 夜はすでに明けゆけど、川霧深く、立ち込めて、馬の毛も、鎧の毛も、定かならず
「馬」の「マ」のところまでが第1部

・《横笛》(今井勉さん)
 いとま申してとて、嵯峨をば出でて、高野へ上り、清浄院にぞ、居たりける 
「上(のぼ)り」の「ボ」のところまでが第1部

さらに、第1部だけで終わってしまう初重が《竹生島詣》 などに例がある旨を述べています。
「重初重」は《月見》にその例があるとのことです。(私は譜を持っておらず、確認できていません。)

音声の引用は、今井勉氏「琵琶法師の世界 平家物語」Ebisu EBISU-13〜19からさせて頂きました。

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2010年11月 6日 (土)

ど素人 平曲考(5) 口説

(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌



さて、前回見ましたように、いまも歌い語りされている「平家」は、掲載しなかった特殊なものを除いて、すべて「口説」で始まっています。かつ、「口説」(ないし「素声」)で終わっているものはありません。
このように構成がある程度明確に決まっていながら、言葉の方について『平家物語』のテキストと照らし合わせると、物語としては半端なところから始まっています。テキストの問題には触れませんが、これは、今井勉検校の録音「琵琶法師の世界 平家物語」に付けられた薦田治子さんの解説から事情が判明します。

本来、平家物語全編を語ることを「一部平家」と称したのですが、だんだんに区切りのいいところが決まって来て、まとまりとして定着したとのことなのです。このあたりは薦田さんの2003年のご著作に詳しいようですが、いまはネットで探してもそれを入手出来ませんので、上記解説の教えて下さるところに留めて記しておきますと、「平家」の語りは

<一部平家>~<巻(12巻+灌頂巻)>~<句(199伝来)>~<段>~<曲節>

となるそうです。

前回上げたそれぞれのまとまり(仮に「曲」と呼んでいました)は、この構成の中の<句>に相当するのですね。
<段>については、曲節について理解したのちにでなければ何とも言えません。

で、<句>を構成する曲節がどんな調べをもっていて、それはどういう役割を果たしているのか、を見て行くことになります。
かつ、役割の方については、曲節の主なものをひととおり知ってから考えた方がよさそうです。

<句>の最初に置かれる曲節「口説」は、基本として「ミ」と「ラ」だけからなる単純なものですが、二つの特徴があります。

ひとつめは、ある言葉、もっと絞って、その言葉の中のひと文字が「ミ」と「ラ」のいずれをとるかは、(「平家」が語られた当時の京都の)言葉の高低アクセントによって決定され、言葉の抑揚が二音で表わすのでは不足な場合、下は「レ」に向かい、上は「ファ」に向かって、滑り降りたり滑り上がったりすることです。

「ミ」は口説の基本音であるため、「平家」の譜では何も記号が付されず、「ラ」には「上」の字が記されているとのことです(ただし、館山甲午氏が語っていたもの、現在の今井勉検校が語っているものと譜の示しているであろう音高とは必ずしも一致しないようです)。滑り降りる方の記号については私には分かりませんでしたが、滑り上がる方については「上」にカタカナの「コ」が小さくくっついた記号が付せられています。(「祇園精舎」と「延喜聖代」には位口説というのがあって、それは決まり事が少々違うらしいのですが、これは私には分かりません)。

で、「上コ」が「ファ」の音程を示すのかどうか(これから比べてみる歌い語りがそのような譜になっているのかどうかは見ていないのですが)は、随分微妙であるように思います。
「横笛」の最初の口説を井野川幸次さんが語っていたものは、今井勉さんが語っているのと聴き比べるまでは、よく聴かないと「ファ」の存在に気付かないままになります。いまこう綴ってしまうから耳を凝らして「分かるじゃないか」と指摘されてしまうかもしれませんが、何も知らないで聴くと本当に分かりません。

・井野川検校

・今井検校

ここには、井野川さんと今井さんの世代の音程感の違いが反映してはいないだろうか、というのが私の疑問です。
戦後いっそう大量に欧米音楽が流入した中で育った私たちには、戦前の人たちより広めの音程感覚があるように思います。今井さんのほうに「ファ」が明確に聴き取れるのには、そうした時代背景はないでしょうか?

口説のふたつめの特徴は、次の曲節に移る前に「下ゲ」なるものが続くのですが、この続き方が、前回分けてみた「記録・物語」のときと「合戦」の時では異なっているところにあります。

前者は、金田一春彦さんによれば「シヲリ下ゲ」と呼ばれるものだそうですが、譜にはふつうに「下ゲ」と記されています。口説をリタルダンドさせて、次の曲節(口説より高い音で始まる)を効果的に聴かせることに備えて音域を下げていきます。「/シ(本当はスラッシュは逆向きで、「シヅミ」という記号です)」と譜に記されたところでは、かなり極端な低音にまで下がりますので、上手い人の語りでないと、ちょっと聴けたものではないというていたらくになります(そんなに数を聴いていない私の印象ではあります)。通常、「コマハシ」と呼ばれる下向きのへの字のような記号のところから、より長く引き伸ばされた感じになって行きます。

・「横笛」から2例(井野川検校)

後者は「強(こわ)リ下ゲ」と言われて、「拾」や「強ノ声」の曲節につながるものです。そうした性格からでしょうか、「シヲリ下ゲ」が割と単純で、「コマハシ」を境に2部に分かれて聞こえるのとは違い、劇的な抑揚をもって息の長いリタルダンドをして行く印象があります。

・「生食」から(今井検校)

・「那須与一」から(今井検校)


ひとつ申し上げておきたいのは、少なくとも私は、「口説」の背後に基本として4分の4拍子を感じる、という点です。これが言葉の都合で、いままでの記譜を拍子で区切る場合には八分音符一個分の不足や超過があったりするために、拍子を書いていないことを大変遺憾に思います。そのような部分は4分の5なり8分の3なり8分の5なり8分の7の拍子を当てはめなければ、日本語にもある「強勢アクセント」を表現出来ない、したがって楽節の単位を明確にし得ないという課題を残している結果につながっているのではないでしょうか? 但し、本来はもっと単純であるはずの拍子をいたずらに複雑にした戦後の民謡採譜もまた是であるとは思っておりません。余談になりますが、津軽山歌はよく耳を傾ければ5拍子です。テンポに伸縮がある故に、無理な採譜をしようとするとその拍子感を見失います。同じことが平曲の口説にも当てはまるのであって、それは引いてみた録音の音声をお聴き頂いたら是非ご考慮頂きたいことであると感じております。

・・・以上、毎度のお願いですが、誤りについては情報を頂ければ幸いに存じます。

音声の引用は、
・井野川幸次氏のもの:「平家物語の世界」COLUMBIA COCF7889
・今井勉氏のもの  :「琵琶法師の世界 平家物語」Ebisu EBISU-13〜19
からさせて頂きました。

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2010年11月 2日 (火)

ど素人 平曲考(4) 「平曲」の構成

(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌



曲節の特色、それぞれの曲節が登場する際に前奏として用いられる琵琶の手について記してきましたので、次は「平曲」の構成を眺めておきます。名古屋に残っている8曲(今井勉検校が録音しているもののうち「祇園精舎」・「吾身栄花」を除きます)につき、詞を捨象したとき、曲がどのような順番で曲節を組み合わせているか、を、今井さんのCDについたリーフレット(武蔵野音楽大学教授:薦田治子氏 解説)にある詞章の註から抜き出してみます。(字はこれまで綴ったところに合わせて変更しておきます。また、「下ゲ」や「ハヅミ」といった、次へのつなぎの部分については、重要な要素ではあるのですが、まずは煩雑さを避けるために省略をしています。「平家物語」の対応する巻は、一般的な古典集成や文庫本で入手出来る覚一本のものです。)

《鱸》(「平家物語」巻一から)
口説~上歌~差声~口説~上歌~初重~素声~口説~拾~三重~下リ~素声~口説~初重

《卒塔婆流》(「平家物語」巻二から)
口説~中音~折声~素声~口説~上歌~差声~上歌~下歌~折声~初重~中音~口説~折声~差声~中音~素声~口説~初重~口説~三重〜下リ〜初重

《紅葉》(「平家物語」巻六から)
口説~中音~口説~折声~初重~初重中音~差声~三重~下リ〜素声~口説~折声~差声~口説~峰声~中音

《竹生島詣》
口説~三重~下リ〜初重~初重中音~差声~折声~口説~中音~差声~上歌~初重~初重中音

《生食》(「平家物語」巻九から)
口説~拾~口説~強声~素声~口説~拾上音~(呂)~下音~上音~素声~口説〜初重

《宇治川》(「平家物語」巻九から)
口説~拾~(呂)~下音~初重~三重~下リ〜初重~口説~強声~素声~口説~拾(~音曲~拾)~(呂)~初重

《横笛》(「平家物語」巻十から)
口説~折声~差声~中音~口説~三重~下リ~素声~口説~折声~初重~差声~上歌~下歌~中音

《那須与一》(「平家物語」巻十一から)
口説~素声~口説~拾~口説~強声~素声~口説~三重~下リ~(呂)~下音~上音~(呂)~上音~走三重~上音

まとまりとして歌い継がれ生き残ってきたのが何故この8つなのか、という非常に魅惑的な問題もあるのですが、素人推測では与一とは違って扇の的を射止められないかとも思います、それを含め、文学作品としての「平家」については後ろにおいておきます(必要に応じ断片的に深追いすることはあるかもしれません)。

研究的な啓蒙書としては古典になった石母田正『平家物語』(岩波新書 E28、1957)では、「平曲」と接点があると見なせる話題が後半の第三章・第四章で展開されてます。
つっこんだ第四章にはとりあえず立ち入りません。
第三章の方に、示唆的な記述があります。素材は巻六なのですが、この
「巻六のなかに、記録的なもの、説話的なもの、物語(ロマンス)的なもの、合戦的なものというように、性質の違うものが雑多にふくまれている」(128頁)
点の指摘です。そのあとの部分が面白い上に、「平曲」を感じる際のポイントにもなってくるかと思うのですが、それはまた別のかたちで観察したいと思っております。

上のリストに話を戻します。
たった8つの例から・・・しかも、それぞれは実際には『平家物語』(覚一本)というテキストを前にしたとき、テキストの区切りを完全に含まず、一部を歌い語りするに過ぎないのですからなおさら・・・集約するのは本来は論外とすべきであり、きちんと試みるなら『平家正節』に載っているという199曲全部を当たってから結論づけるべきことですが、ここでは興味の方向を見定めていけば良いかと思っておりますので、ちょっと無謀をしておきます。

『平家物語』の構成要素として石母田さんの見いだした「記録・説話・物語(ロマンス)・合戦」のうち、8曲の中に見いだされるのは、
・記録=「鱸」
・物語=「卒塔婆流」「紅葉」「竹生島詣」「横笛」
・合戦=「生食」・「宇治川」・「那須与一」
となろうかと考えます。説話の要素はどの曲にも含まれています。
実は、どの曲が(暫定的であるにせよ)どれに属し、説話の要素がどこに盛り込まれているか、が、それぞれの曲の構成を決めているのではないか、という仮説を呈示しておくことを、今回の目的としておりました。

例えば「祇園精舎」(復元曲、かつ全体の幕開けでもある)特別なものを予め除きましたし、本文でもそのようなものは希少ですので、8つの曲がすべて口説から始まっているのは「平曲」の一般系なのだ、と考えるのは、まず間違ってはいないだろうと思います。

そのあとの続き方に、帰属する暫定分類の特徴が明白に現れているところに着目してみましょう。

「合戦」は、
1)《那須与一》の冒頭部がテキストの都合上延長されている
2)《宇治川》は前半部に説話的要素が長く入っている
のだと了解すれば、その前半部は

・口説~拾~口説~強声~素声(ここで段落)

と続くのがその枠組みであると見なし得ます。
合戦に居並ぶ将兵のリストなり(「鱸」では昇進する役職についてそうしています)、活動的な場面の描写には「拾」が使用されており、長編構造となっている《宇治川》だけが後半でも「拾」が使われますが、原則として「合戦」では早いうちにこの「拾」によるリストアップを行って一気に曲の緊張度を上げています。
後半部は詞章の特徴によって変動しますが、説話的なものを後半においているのだと明示しているかのように、《生食》は「下音~上音(~素声~口説、この部分は後に接続するものがあったことの名残でしょうか?)」《宇治川》は「初重」、《那須与一》は「走三重~上音」と詠唱的な締めくくりをしています。

「物語」は、盛り上がりを早めにもってくる《竹生島詣》(「~三重~初重~初重中音~差声~折声~」)・《横笛》(「~折声~差声~中音~」)と、波を少し遅らせ気味にもってくる《卒塔婆流》(「~中音~折声~」)・《紅葉》(「~中音~」)の2種があり、後者の方が曲のテキストは起伏に富んでいるといえます。いずれにせよ、「物語」については、冒頭部は詞章によって左右されるものの、骨組みは、次のような核に適宜変容を与えて成立しているかに見えます。

・~折声・差声~ 三重~初重~

「記録」に当たるものは《鱸》一例しか見られません。これは『平家物語』の「記録」テキストを洗ってみた上でなければ分かりませんが、《鱸》から推測する限りでは、テキストの構成によってかなり自由に曲節を組み合わせつつ、歌い語りの段落となるところに朗誦(素声【白声】すなわち普通の語りの口調)を挟む際、あるいは曲を締めくくる場合には、必ず最も効果的な曲節を選択しているのではなかろうかと思われます。

以上、はずれでしたらごめんなさい。

今後は、では実際に曲節は種類ごとにどんなニュアンスをもっているのか、を、いったん曲節ごとに見てみたいと思っております。

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2010年10月30日 (土)

ど素人 平曲考(3)琵琶の手

(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌



「平曲(平家)」は前回述べましたように、数種の曲節が組み合わされて成り立っているのですが、それぞれの曲節は必ずしも耳にするまで判別出来ないわけではないのですね。

前の曲節と次の曲節が声で連続している場合には聞き慣れないと分からない・・・私は分かっておりませんから正直にそう申し上げておきます・・・のですけれど、各曲節の前には、琵琶で「○○撥」と称される前奏がつくのが殆どで(初重のものは私は見つけられず、下音については性質上存在しないものと思います)、それは原則、これからお聴き頂くような定型的なものになっています。ですから、これを覚えてしまうと、
「あ、次には○○という曲節で歌い語りがされるのだな」
と予め知ることが出来るわけです。
一例ずつしか上げませんが、名古屋に残っている8つの「平家」・・・鱸/吾身栄花/卒塔婆流/紅葉/竹生島詣/生食/宇治川/横笛/那須与一・・・すべてに、これらの定型的な「撥」が登場します。それぞれの曲の特徴から、現れない手もあります。そのあたりは是非、「琵琶法師の世界 平家物語」(今井勉検校、EBISU-13~19)でご確認頂ければと存じます。どんな曲節が現れるか、は、解説中の各曲の台詞中に付記されています。その間で殆どの場合、今回お聴き頂く琵琶の手が使われています。

それぞれの琵琶の手は、曲の緊迫感・場面転換を考慮したと思われる(そしてこちらのほうが古形だとも言われている)合の手もあるのですが、それはだいたいこの基本形(前奏・間奏として用いられる)を覚えてしまうと、類推で聴き取れるようになる気がします。

それぞれの手の後に曲節がどのように続くかをも、聴く時のイメージを作っておけるように、少し付け足してあります。

音声はすべて、「琵琶法師の世界 平家物語」(今井勉検校、EBISU-13~19)から引かせて頂きます。

なお、実際に聴いてみると、これらの手は藤井制心氏が16年の苦心の末に出版した「採譜本 平曲」に書き留めたものと、微妙な、ところによってはかなりの違いがあります。これは、五線譜をもって「平曲」(もしくは他の邦楽、あるいは世界のさまざまな伝統音楽)を書き留めることの限界を示しているのではないかと思われます。
藤井氏の採譜はたいへん良心的なものなのですが、それをもってしても、音程だけでなく、テンポの変化、あるいはオペラのレシタティーヴォ的な無拍子での記譜故に、言葉のまとまりによってもたらされる「拍節感」・・・これは具体的にひとつの曲について突っ込んで行く際に触れたい話題なのですが・・・を捉え損ねています。おそらく藤井氏はそうしたことはご自身痛感していらしたのではないかと思いますし、そうであってほしいとも思います。それでも、この記譜がなければ、こんにちの私たちは「平曲」の輪郭を容易に捉えることが出来なかったのであり、その価値は重んじられるべきかと思います。そう考える理由はまた別の回に申し上げます。なお、五線譜の例は、必要を感じませんので記しませんが、短めのものの代表としての口説撥と、眺めのものの代表として拾撥についてのみ、ニュアンスを併記します(和音は最高音のみ)。きいた感じとの違いを把握して頂ければと思います。(他も載せてしまうとくどくなる気がしたので、やめました。)段落感が実際には耳に出来るのですが、記譜にはないこともお分かりになると思います。)

琵琶の手をお聴き頂く順番は、前回挙げた曲節の順番と致します。サンプルは「宇治川」と「横笛」から採りました。「横笛」については井野川検校の音声も聴いておりますが、やはり藤井記譜と異なっており、今井検校とほとんど変わりません。


<口説(くどき)撥>(「宇治川」冒頭)

ラーーーラーーードーーーミミーーそーーーらミーー

<中音撥>(「横笛」)

<三重撥>(「宇治川」)

<拾撥>(「宇治川」)

ラーーーラ・ラーーーラ・ラーーーラーララーーー|ラーラララーラ・ラーラララーララーラーラーラー・ラらーミーらミミーらド#・ララらら(演奏ではド#)・ミラ・らド#・ラシファ#ララーーーラーミラーラーラソ#ラーラソ#ラーラー

<差声(さしこえ)撥>(「横笛」)

<折声(おりこえ)撥>(「横笛」)

<甲【強、こう】の撥>(「宇治川」)

<歌撥>(「横笛」)

金田一著(「平曲考」の中篇には289頁以下に琵琶の手の考証があり、これは藤井著と違いがあるとともに、調号に#二つを使用していますのでC#については合理的に捉えられています。ただし、「平家」の実際の調は、欧風に言えば「ニ長調」と「ニ短調」のあいだを揺れ動くもののようです。いや、ヨーロッパの旋法と対照するなら、「平家」の旋法の基本は教会旋法の「フリギア」に対応するものなのであって、Eを終止音、Aを吟唱音としているものと見なすべきかと思います(デウテルスの第4調の方。・・・ここは邦楽に精通したかたからのご示唆をヒントに綴り改めました)。そう捉えますと、前回、金田一さんが「平曲」から拾い出したさまざまな「音階」については、金田一さんのお考えよりシンプルに、あるいは詠じる中で自然に生じた音程の上り下がりについては・・・洋楽的旋法論によるのではなくて・・・もっと「生理的」に見つめ直す必要があるのかと思われます。
金田一さんは平曲の実践者でもいらっしゃったので、五線譜の他に「チントンシャン」の類いとか
漢数字の「一二三四」を併記しているので、拍節感が把握出来るようになっています。「初重」の手についても記されています。(「平曲」は歌う人の声域で基本ピッチは自由に変更されていて、たとえば井野川検校は今井検校より半音高い基本ピッチになっています。)
ただし、金田一著は藤井著のようにそれぞれの全曲を譜にしたものではありませんから、イメージを掴むのには使えないということになります。読むために、予め邦楽の実践的な知識もないと、やはりどうしても分からないところがあります。索引が親切なところが非常に助かるのですが。

金田一著で、該当の詳説ではなく、琵琶の手についての概論とでも言うべきものが、先立つ上篇の117-120頁に記載されていますので、そこから「前奏の手」について述べた部分を合わせて引用しておきます。上例と合わせて参考になると思います。
これは、それぞれの琵琶の手で最後に何の音で終わるかによってまとめたものですが、館山甲午氏の演奏をもとにしてあり、名古屋系とは差がある点をあとで注記していますけれど、名古屋系ではこうだ、というものについては断らずに変更を加えておきます。

・ミ’を最後に弾くもの:三重・折声・峰声・上歌・走り三重
・シを最後に弾くもの:中音・下り・初重中音・中ユリ・強ノ声
・ラを最後に弾くもの:拾・曲歌
・ミを最後に弾くもの:口説・初重・下歌・散ラシ
・ドを最後に弾くもの:呂
・ラを最後に弾くもの:素声・差声(館山氏の演奏では「拾・曲歌」とは別の種類になっている)

金田一さんのこの、それぞれの手における最後の音についての記載は、「固定ド」としてのものになっていますので留意が必要です。

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