ショパン・リスト・シューマン

2016年1月31日 (日)

フランツ・リストの管弦楽曲について(メモ)

お仲間の皆様へ

交響詩『レ・プレリュード(前奏曲)』をとりあげることになりましたので、フランツ・リスト(1811〜1886)の管弦楽曲についてのメモを載せておきます。Liszt_2

幸いにしてリストの伝記は日本の研究者による新しめのものが出ています(福田 弥『リスト Franz LIiszt』作曲家◎人と音楽シリーズ、音楽之友社 2005)ので、ぜひご一読下さい。(Amazonではもう中古品出品となっているのですね! http://www.amazon.co.jp/dp/4276221803/
このメモは、上記伝記の作品表から手短にまとめたものです。

リストの管弦楽作品を網羅的に修正したCD等は、現在なかなか入手出来ません。しかしながらリストの(ピアノとの協奏的作品を含む)管弦楽作品は優れたものが多く、この機会にぜひお探しになってみて下さることをお勧めします。

【交響詩】
「交響詩」をリストが創案したことはご存知の通りですが、『レ・プレリュード(前奏曲)』以外にはあまり馴染まれていないのではないかと思います。私も4、5作しか聴いたことがありません。
リストの交響詩は全部で13あるそうです。
完成年順に並べると、次の通りです。
・『タッソ 嘆きと凱旋』(G2)稿1849、第2稿1854
・『プロメテウス』(G6)初稿1850、第2稿1857
・『人、山上にて聞きしこと』(G1)初稿1850、第2稿1856
・『英雄の葬送哀歌(英雄の嘆き)』(G4)初稿1850、第2稿1856
・『マゼッパ』(G7)1854
・『オルフェウス』(G9)1854
・『ハンガリー』(G13)1854
・『レ・プレリュード』(G3)1855
・『理想』(G15)1857
・『フン族の戦い』(G17)1857
・『ハムレット』(G22)1858
・『祝宴の響き』(G10)1853〜61、第2稿1861?
・『揺り籠から墓場まで』(G38)1882
最後の作を除き、わりあい集中的に創作された様子が、完成年代から伺われます。このあたりの経緯は上記伝記の作品解説(p.208以下)を参照下さい。
なお、オーケストレーションについてはリストの弟子によるものだったのではないか、と言われていましたが、福田著の伝記によれば、この点は弟子に管弦楽法を学んだとはいえ最終的にリスト自身が修正を加えたものが初版として出版されたことが明らかになった、とされています(p.208参照)。

【標題交響曲等】
・『ダンテの神曲による交響曲』(G14)1856
・『ファウスト交響曲』(G12)初稿1857、第2稿1861
・『レーナウの「ファウスト」から二つのエピソード』(G16)1861
  第2曲が「メフィスト・ワルツ」として有名なものです。
・『ふたつの伝説』(G27)1863・・・残念ながらこれも私は未聴です。
  1)波の上を渡るパオラの聖フランチェスコ
  2)小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ

【ピアノ独奏との協奏的作品】
・ベルリオーズの『レリオ』の主題に基づく交響的大幻想曲(H2)1834
・ピアノ協奏曲第1番(H4)1835〜56
・ピアノ協奏曲第2番(H6)1839〜61
・ピアノ協奏曲 遺作(Q6)1839
・『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』演奏会用大パラフレーズ(H7)1841
・死の舞踏(H9)初稿1847?、第2稿1862?
・大幻想曲『さすらい人幻想曲』(H13)1851
・ベートーヴェン『アテネの廃墟』による幻想曲(H9)1852
『さすらい人幻想曲』はシューベルトの歌曲の主題によるもので、リストのこの作品はたいへんな傑作だと思います。

これで全部ではありませんので、上記伝記の作品表で確認下さいませ。

リストが「標題」をどう考えていたか、は、かなり前に綴りましたので、ご興味に応じてご参照下さい。でも、自分でもあんまり読み返したくない、くどい文章です!(笑)
・・・リスト考11 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/11-6eba.html

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2010年10月 5日 (火)

静かな振幅〜筒井一貴プレイエルピアノによるショパンリサイタル(2010.10.5)

筒井一貴さん

「蘇るショパン時代の音色」--当時のプレイエルピアノ(1841年製)で味わう--

を拝聴して参りました。

事前には1844年の楽器だと思い込んでおりました。3年早い時期のものなのでした。
構造上、ハンマーが見えず、ダンパーが小さめの楽器です。

たくさんは、述べられません。述べる言葉がありません。一貫して感じられた、そのことのみ綴ります。

マズルカ14曲、ノクターン6曲、というプログラムでしたが、マズルカはそのリズム感--マイヤーベアが二拍子だと言い張ってショパンを怒らせたエピソードがあります--を、筒井さんご自身なりに大変吟味なさっていて、ノクターンもパラフレーズになる部分の伸縮が決して不自然にならないように消化しきっていらっしゃり、楽器そのものだけでなく、演奏自体が、そんじょそこいらに出回っているものとはまるで違った、マンネリズムに陥らないものでした。

しかも、全編、「静かなショパン」でした。

おそらく、楽器のせいではなく、タッチの制御で音量も抑制気味になさっており、これはショパン自身の演奏に関するミクリらの情報をたいへんに勉強なさったのだと思われますが、それでいながら、ディナミークレンジはpからffまできっちりとつけていらっしゃる。

「ショパンの曲は弱々しく弾きさえすれば正しい、と思い込んではならない」

と、プログラムノートにご自身が記していらしたことを、ご自身の戒めとしてこられたのを強く感じさせられました。

お人柄そのままの暖かい演奏、会場も暖かい静けさにつつまれていました。

このときにだけしか聴けなかったショパン、でありました。

アンコールは、ベルクルーズ。

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2010年10月 4日 (月)

【明10月5日】筒井一貴ショパンリサイタル(1844年製プレイエルによる)

筒井一貴さんによる、「1844年製プレイエルピアノによるショパン:マズルカ&ノクターン」演奏会

いよいよ明10月5日です。

日時:2010年10月5日(火)18:30〜
場所:自由学園明日館講堂(池袋駅メトロポリタン口から歩5分、駐車場無し)
料金:一般3,500円、学生3,000円(未就学児童入場不可)

問い合わせ先:03-5225-1353(ピアノパッサージュ)
e-mail:hassel★pianopassage.jp(★を@に置き換えてメールして下さい)

Myonichikanmap

84d30a5f

筒井さんのHPはこちら。
http://www.h3.dion.ne.jp/~bergheil/

曲目は、

マズルカ op.41-1
マズルカ op.30-1
2つのノクターン op.37(11,12番)
4つのマズルカ op.17
ノクターン op.62-1(17番)
2つのノクターン op.55(15,16番)
マズルカ op.33-1,2,4
ノクターン op.48-2(14番)
マズルカ op.6-2,3
3つのマズルカ op.50

ショパン生前の、ショパンが愛したプレイエルのピアノの音を、是非お聴きになりませんか?

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2010年9月26日 (日)

プレイエルのピアノによるショパンリサイタル(2010.10.05)

さて、10月も面白い演奏会がいくつかあります。

これは7月にご紹介したもので、だいぶ間が空きましたので、再度掲載させていただきます。

84d30a5f筒井一貴さんによる、「1844年製プレイエルピアノによるショパン:マズルカ&ノクターン」演奏会です。

日時:2010年10月5日(火)18:30〜
場所:自由学園明日館講堂(池袋駅メトロポリタン口から歩5分、駐車場無し)
料金:一般3,500円、学生3,000円(未就学児童入場不可)

問い合わせ先:03-5225-1353(ピアノパッサージュ)
e-mail:hassel★pianopassage.jp(★を@に置き換えてメールして下さい)

Myonichikanmap

筒井さんのHPはこちら。
http://www.h3.dion.ne.jp/~bergheil/

1844年ですとショパンの死の5年前です。したがって、使用楽器はショパン在世中のものということになります。

では、それでショパン当時の音色が聴けるのか、というと、話はそう単純ではないようです。
楽器が、出来るだけ長く使えるために、とか、しばらく使われていなかったために傷んでいる、とかいうことになりますと、数々の補強なり部品の取り替えが行なわれることになりますから、それを可能な限り制作当初の状態に戻さなければならない、なる面倒が生じるのです。

筒井さんは古鍵盤楽器の復元制作や補修にも長年携わっていらっしゃるので、そのへんはお詳しく、ハンマーやフレームが20世紀中に過剰に補修されていたのを、元に近い状態に近づけるなどの工夫をなさって、今回の演奏会に臨まれます。

プレイエルのピアノは、
「イギリス流のアクションに、うまく組み合わされたレバーのシステムを加え、鍵盤の固さを取り除くのに成功した。おかげでピアニストや製作者には信じられぬほど、同じ音符を早く、均等に、楽々と弾けるようになったのである」(1830年より後のある技術者の言とのこと、出典不明、伊東信宏編「ピアノはいつピアノになったか」149頁、シルヴァン・ギニャール筆 大阪大学出版会 2007)
と同時代者に言わしめた楽器とのことですが、現在の使用に耐えるように修復されたものでは必ずしもそのメカニズムの利点がそのまま活かされてはいないとも小耳に挟んでおります。
そのあたりを克服しながら演奏するのは並大抵のことではありません。

ショパン・イヤーでありながら、そうした現状を理解せぬまま、プレイエルにも初めて触れたような有名ピアニストさんが、普段の評判とは違って四苦八苦されていた、との話も、聴きに行った人から教えてもらったことがあります。

筒井さんの大きなチャレンジに、拝聴する側も、大きく期待したいと存じます。

曲目は、

マズルカ op.41-1
マズルカ op.30-1
2つのノクターン op.37(11,12番)
4つのマズルカ op.17
ノクターン op.62-1(17番)
2つのノクターン op.55(15,16番)
マズルカ op.33-1,2,4
ノクターン op.48-2(14番)
マズルカ op.6-2,3
3つのマズルカ op.50

となっています。


日本人作曲家の作品を集中的に紹介する大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)昨日レポートの第1回2010年9月23日(祝)は満員立ち見客ありでした。以降、2010年10月16日(土、松平頼則・山本裕之作品)、010年11月13日(土)、2010年12月15日(水)、2011年1月23日(土)です。1回券はローチケ(ローソンチケット)で(おおむね前々日までの取り扱い、その後は当日券となります。満席にご注意!)・3回パスポート・5回パスポートはopus55にて入手出来ます。当日演奏される野村誠さん作品の解説こちら

ツイッタでの第1回POC関連ツイートのまとめは、http://togetter.com/li/52350http://togetter.com/li/53145

ヨーロッパ在住の非常に優れた古楽奏者阿部千春さん(Vn.コンチェルト・ケルン等で活躍)による「バロックヴァイオリンコンサート」は10月8日(金)新高円寺のスタジオSKで。

上記の阿部千春さん・大井浩明さんによる「モーツァルト:作品2」昨年大好評の作品1に続きより充実の響きです。10月13日。(リンクでは大井さんの師カニーノとアッカルドの演奏引用で曲のサワリをご承知頂けます。)

野村誠さん・片岡祐介さん「音楽ってどうやるの」「即興演奏ってどうやるの」もっと早く知っていたかった好著でした。ご一読を強くお勧め致します。

oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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2010年7月23日 (金)

リスト考(11)「標題音楽」

oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。6月29日に掲載しましたが、バナーに大井さんのブログ記事をリンクしてあります。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。



リスト考 (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
     (9)(10)(11)
     番外(ショパン1)・番外(ショパン2)


さて、リストと同世代の、彼と接点のあった優れた音楽家たちを、素人なりに瞥見してきました。ただし、ドイツ圏のただ中にいたメンデルスゾーンとシューマンについては見ておりません。

シューマンは「作品に文学的標題をつける」・「楽語にドイツ語を使うことを促進する」ことで、幻想曲や交響詩の作家、ハンガリー人意識を表明し続けたリストと同時代色は強く持っていましたし、シューベルトを重視した点でも一見親近性はあるのですが、リストとは何か違うほうを見ていたように感じております。リストがハンガリー語を話せなかったのは有名な事実ですから、シューマンのようにナショナリズム的な発想はありません。

先輩のメンデルスゾーンは、音響面でリストに与えただろう影響がたいへんに大きかった可能性がありますが、風土としてリストと共有したものがなんだったか、は、極めて把握困難です。ただ、リストはどちらかというとベルリオーズの音響の直系の子孫である管弦楽作品群を作って行くことになったのですが、交響詩の一部においてはメンデルスゾーンのオーケストレーションから得たとしか思えないような透明度を示す部分が顔をのぞかせています(代表例は「レ・プレリュード」でしょうか?)・・・とはいえ、メンデルスゾーンはそれまでの二管編成を軸とした管弦楽という枠組みの中で二管編成が秘め持っているロマンチックさを引き出す、ある種総決算的な仕事をしていたのに比べれば、リストのそれはメンデルスゾーンのような高純度の仕事をしたのではなかった、と言ってしまってもいいでしょう。リストとメンデルスゾーンの精神的な連続体は、それぞれのオラトリオ作品を比べてみたとき、そちらでも浮き出てくるものがあるのではないかと思っております。

ベルリオーズ(「幻想交響曲」や「イタリアのハロルド」)・メンデルスゾーン(「ヘブリディーズ序曲【フィンガルの洞窟】」や「美しいメルジオーネ序曲」)の啓示を受けたリストは

「標題音楽」

なるプロパガンダを掲げ、彼に好感を持っていなかった陣営の嫌悪を強めることになります。反ヴァーグナーの先鋭だったハンスリックはリストとベルリオーズを並べて「音楽美論」の中で皮肉っています。

「器楽的作曲家は一定の内容の表現の事は考えない。もしそれをすれば誤った立脚点に立っており、(音楽のイデーは)音楽の中にあるというより音楽の傍にあることになる。彼の作曲は一つの標題(プログラム)を音に翻訳したことになり、だからその音はこの標題なしでは理解できずに終わってしまう。ここで我々はベルリオーズの輝かしい才能を不当視するのでも、過少視するのでもない。彼に続いてはリストが遥かに貧弱な彼の『交響詩』をもって従っている。」(『音楽美論』訳書89頁 岩波文庫 山根銀二訳・・・いまは古書でしか読めません)

「もしベルリオーズやリスト等の人々がこれ(一定の出来事や心的状態)が詩や題名や体験以上のものを持ちうると考えたなら、それは自己欺瞞である」(同書93頁)
・・・結局はベルリオーズをもおとしめているところが、なんだか笑えます。

ブラームスもまたリストに反感をもったひとりですが、それは「標題音楽」というプロパガンダに対して、というよりは、1853年にヨアヒムの勧めを受けてヴァイマールのリストの元を訪問したときの、「リスト教団」(私が勝手に作った言葉ですが、この頃にはリストの周辺にはリスト崇拝者が群れ集まっていたようです)から与えられた鼻持ちならない印象・・・この訪問の最中にブラームスはそれまで彼を伴奏者にしていたヴァイオリニストのレメーニと決定的な仲違いをもしています・・・を引きずった感情的な理由からだったように見受けます。ブラームス関係のドキュメントでブラームスが「標題音楽」を理屈でこき下ろしたものはないようですし(あったらごめんなさい・・・ご示唆頂きたく存じます。福田弥著『リスト』に、ブラームスが標題音楽への批判者のひとりとして名前が挙げられているからには、もしかしたら何らかの史料があるのでしょうか?)、ましてブラームスは同時期にベルリオーズに絶賛を受けたことを素直に感謝もしており、リストへの嫌悪は相性の問題以上のものであったとは思いにくくもあります。

そんな次第で、ハンスリックの批判以外に具体的な反対者の声を見ることは私には出来ていないのですが、リストの標榜した「標題音楽」とは、いったいどんなもので、何を指していたのでしょうか?
福田著伝記の引用するところから、さらにダイジェストを作ってみましょう。

「標題とは・・・作曲家が、自らの作品の聴き手を、気ままな詩的解釈から守り、・・・自らの想念の方向性や、題材を理解するための視点を明示・・・さまざまな詩の形式に正確に対応する多様な性格を器楽音楽に添え」たものだ、したがって、形式は、変更出来ない規則によって決定されていた古典派音楽のようではなく、詩的想念によって決定される、そのような音楽が「標題音楽」だ、というのです。(96頁)

・・・ハンスリックの主張が、もし音楽にとって唯一無二の正解だとすれば(ハンスリックは「音楽美論」中では当時の最先端の自然科学の成果まで取り入れています)、ハンスリックの批判はよくリストの急所を突いていたことになるのが分かります。
ただ、今はいずれの見解が正であるかを主眼に置くつもりはありません。
リストはリストの、ハンスリックはハンスリックの、同時代への危機感から論をなしたのであって、そのベクトルが違っていただけだ、と申すにとどめましょう。
また、リストが「標題音楽」を標榜したのは1855年、ハンスリックの「音楽美論」の初版は1854年で、上記の翻訳の元本は1891年の第八版よりはあとのものであることが著者の序言から判明します(残念ながら正確な原典発行年は分かりません)。
したがって、リストの表明とハンスリックの批判の前後関係はじつのところ手にしうる翻訳からは分からない、ということはことわっておかなければなりません。
もしハンスリックが先だったのであれば、リストが標榜する以前に「標題音楽」なる用語は既に存在していたことになりますので、翻訳でしか上記のようなことを確認出来ない私達は、用語の誕生時期によって「標題音楽」が批判的な意味合いから生まれたものなのか、肯定的な意味合いから生まれたものなのか、を断定することは出来ないのです。・・・そういう意味では、ここまでの文の進め方は、ちとインチキ臭いとは言えます。

ともあれ、肯定的な意味合いをもって「標題音楽」を語ったリストは、この呼称で括られることになる交響詩は1855年以前には「タッソ」(1849)・「プロメテウス」(1850)・「人、山上にて聞きしこと」(1850)・「英雄の嘆き」(1850)・「オルフェウス」(1854)・「マゼッパ」・「ハンガリー」(1854)、と、全発表作の半数を書き終えています。

が、それらは、さて、標題を知らなければ音楽とは呼びえないシロモノでしょうか?
あるいは、標題を知ったからと言って「気ままな詩的解釈から守」られた聴き方をしてもらえる保証が得られるでしょうか?
私達にとっていちばんとっつきやすい標題を持つのは「オルフェウス」でしょうが、この標題と作品そのものがオルフェウスの何を描いているのかは、リストがどのような説明を加えているかによらず、ある種のストーリー性を聴き手の中に保証しますが、反面、ある「個」の聴き手の得たストーリー性が別の「個」の得たストーリー性と合同図形を描くことはあり得ない、ということは、ほぼ断言してもよいかと思います。
このあたりをもっと明確にしてくれるのは、「ダンテ交響曲」と「ファウスト交響曲」でしょう。これらから「神曲」なり「ファウスト」のテキストをそのまま想起出来るなどとは、まず考えられませんから。

合わせて面白いのは、交響詩の書法とまるきり同じと言ってもいい書法で、リストは彼の定義する「標題音楽」のルールに反する(すなわち、「標題」を持たない)作品を、1853年に産み出していることです。

ロ短調のピアノソナタです。

交響詩とピアノソナタに本質的な違いがないとすると、リストはあくまでポーズとして「標題音楽」を看板に掲げたのではないか、と疑われてきます。いや、リストがわざわざ「標題音楽」云々をした狙いは、実は「標題音楽」などというところにはなかったのではないか、とさえ思います。
リストがわざわざ看板にしなくても、すでにベルリオーズの「幻想交響曲」があり(・・・そしてハンスリックはベルリオーズを標題音楽作家と見なしており)、ハンスリックがそうは見なしていないメンデルスゾーンにも、序曲とは称しながら「フィンガルの洞窟」を「描写」した音楽があり、シューマンのピアノ作品は標題だらけでありました。あるいは、ショパンの「マズルカ」は単純に舞曲として書かれたものではない以上、「マズルカ」という「標題」を持った、一種の標題音楽群だと言う見方をすることもはずれではない気もします。
ただし、「行き過ぎ」だとは思いますが。(^^;

すなわち、リストが看板にしたからといって、またハンスリックが批判したからといって、「標題音楽」という区分けそのものは、本質的には、創作をしていないハンスリックにとっては重大問題のように見えていたにしても、創作家としてのリストにはプロパガンダ以上の意味は持っていなかった、リストには、作品が標題を持つことよりももっと別の大事な何かを強調したいという狙いがあった、と勘ぐってもよいのではなかろうか、と思えてくるのです。
「形式は、変更出来ない規則によって決定されていた古典派音楽のようではなく」
というあたりが、リストの最も訴えたかったことなのではなかろうか、が、私の下衆の勘繰りです。
「詩の形式に正確に対応する多様な性格を器楽音楽に添え」ることにリストが成功したかどうかはまた視点の違いから賛否両論が生まれるとは思います。「標題」のないリストのピアノソナタは、聴かされたブラームス・・・いうまでもなく、古典派の「形式(もし本当にそんなものがあったとすれば)」を一切再構築した作曲家です・・・は理解出来ませんでした。
正否より大きな問題だったのは、自分たちの先人の音楽が、果たして「形式」なるものに縛られていたのかどうか、だったのかも知れません。バロック~古典派期に書かれた音楽書、あるいは作曲家自身の書簡やメモに、たとえば「ソナタ形式」なる言葉があったのかは、浅学な私は知りませんし、見たこともありません。ただものの本に「ソナタ形式なる言葉は19世紀前半にベートーベンの作品を説明するためにある理論家が使い出した」と載っていたかと記憶する程度です。
記憶がそうズレていなければ、まさにリストの時期のことですから、

「音楽はそう窮屈な枠にはめて考えては誤りを犯すもとになる」

というあたりが、リストの警戒するところだったのであり、こんにちそうみなされがちな、「絶対音楽」なるものに対峙する概念として「標題音楽」なる用語を打ち出すのは必ずしも本意ではなかったのではないでしょうか?
ただ、何かの拘束から離れるには別の言葉をもってする、というのがこの時代の特質であり・・・ヴァーグナーの「楽劇」もまたしかり・・・、ハンスリックもこの点では同じ線上で読み直されるべきなのかも知れません。

「革命」の横行で、獲得したはずの「自由」が、かえって新たな拘束を生み出して行く・・・政治的にどうか、なる以前に、交通手段・運輸などの物流・通信手段の「革命」に今なおさらされているわたしたちにも、これは容易に実感されることではないかと思います・・・そんな拘束への警鐘の、リスト流表明でしかない、それが案外、「標題音楽」なる言葉のトリッキーな正体なのではないでしょうか?


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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2010年7月19日 (月)

記譜し得ぬショパン:リスト考(番外)

oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。6月29日に掲載しましたが、バナーに大井さんのブログ記事をリンクしてあります。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。



リスト考 (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
     (9)(10)
     番外(ショパン1)・番外(ショパン2)


ショパンへの脱線を、もう一回、ちょっとだけ、します。

ベルリオーズはショパンの天才を適切に観察できた・・・ショパンが天才であることは誰にでも分かったことですが、なにゆえに天才と呼び得るかを明確にし得た人物は多かったとは言えないでしょう・・・「ピアノ奏者以外」の音楽家としては稀有な人でもありました。

「惜しむらくは彼の音楽を演奏するにあたり、これほど独創的に表現し、意外な展開によって人の心を虜にできるのは、他ならぬショパンしかいない」(エーゲルディンゲル『弟子から見たショパン』訳書100頁所収)

ショパン以外にショパンの音楽を表現出来ないと見なされた要因は、大きくはふたつあるでしょう。

ひとつはショパンの優れたルバート技術であり、もうひとつは、彼の活動舞台であったパリの人々には理解しきれなかった、彼のみに染み付いたポーランド固有の色合いです。

後者を先に見て行きますと、『弟子から見たショパン』の証言の数々に、とくにマズルカについてはショパンの演奏が4分の3拍子ではなく、4分の2もしくは4分の4拍子(すなわち2拍子系)に聞こえた、と一致して述べられているのが注目されます。

とくに、作品33の3のマズルカを巡って、ショパンがマイヤベーアと大げんかをしている話があり、たいへんに興味を引かれます。

この曲です。


私達がこれを3拍子として聞取れるのは、演奏自体が近代的な3拍子を意識して演奏されたものだからであって、ショパンの同時代人には2拍子に聞こえた、というからには、ショパンの演奏は違ったものだったと想像することしか出来ません。

マズルカという舞曲の特徴についてはエーゲルディンゲル『弟子から見たショパン』訳書の注釈(p.208-210)にも詳しく述べられていますが、加藤一郎『ショパンのピアニズム』にある注釈(p.320-330)のほうが分かりやすいかと思います。いずれにしても、マズルカについて知りたければ、私達(日本語を読む民族)にとってはこの2著くらいしか参考に出来るものは無く、YouTubeの映像でも本来の民族舞踊のマズルカは「これだ」という決定的なものは見いだし得ません。

速いテンポのマズルカ舞踊(歌付き)

ゆっくりしたテンポのマズルカ

加藤著から一文だけ抜いてみますと、
「民族的マズルカでは歌唱のさい、歌詞のアクセントをともなう2拍目の音節がやや引き伸ばされ、その分3拍目が短くなることがある」(p.323)
というのがあり、エーゲルディンゲルの注釈もこれに関連してショパンの拍節観を説明しているのですが、どうしても文からだけですと具体的にどうだったのか、は分かりません。
果たして、ショパンの弾くマズルカは、「音価をなるべく時程どおりに記す」という20世紀初頭の最後期ロマン派的な観点から記譜していたら、(バルトークやストラヴィンスキーに見られるような)8分の5拍子的なものになっていたのでしょうか? あるいは、もう少し前の19世紀末的な記譜でしたら、1拍目の裏にフェルマータを付けるなりリテヌートといちいち注記したりするような表記になっていたのでしょうか?

事態は別段、そんなに複雑なことではなかったかもしれない、というのは、エーゲルディンゲルの注釈のほうから推測は出来ます。

「・・・作品33の3の主要モチーフには、2拍目に規則正しくアクセントが来るという特徴が歴然としているではないか! アクセントの来る音符が特別の意味を担って長くなるために(注:これは先ほどの加藤著の注釈に対応しています)、その前後にある音符がその分だけ短くなるということなら、アゴーギクのルバートと同じことになってしまう----この奏法には、全体として多少とも2拍子のような印象を作る効果があるのだから。」(208頁、なお、同書71頁のクレチヌスキの説明も参照)

ちょっと気になるのは、この記述を全面的に信頼するなら、ショパンの演奏するマズルカの聴き手は、ショパンの自由な右手が奏でるメロディだけに耳が向いて、メロディの2拍子だけを聴き取っていたことになるのではないか、と思われてしまう点です。
ショパンのマズルカの楽譜は、原則として、左手はいつも3拍子をきわめてきちんと刻んでいる(強拍がたとえ2拍目に移動したとしても、どこかの時点で明確に3拍子と分かるはずの刻みになっている)のでして、また、ショパンのルバートの性質は決してテンポの緩急の揺れ動くものではなかったことは、リストはじめ多くの人が一致して証言しているところでもあります。
リストは次の詩的な表現

「あの樹々を御覧なさい。葉むれが風にざわめき波打っているけれど、幹は動かないでしょう。これがショパンのルバートですよ」(『弟子から見たショパン』p.72他に引用)

だけでなく、もっと具体的にショパンの方法を説明した言葉も残しています。(同書同頁)

もっとも分かりやすいのはマチアス【1826-1910、ショパンに最も長くレッスンを受けた弟子のひとりに数えられている】の述べている次の言葉です。

「ショパンがいつも注意していたのは・・・左手の伴奏には正確なテンポを保ち、歌のほうはテンポを変えながら伸び伸びと弾きなさい、ということだった」(同書70頁)

これがどんな演奏だったか、は、ショパンを直接耳にした人たちが後世に残った録音の誰の演奏をして「最もショパンに似ている」との証言も合わせて行なってはいない以上(コチャルスキの演奏が孫弟子に当たるものでショパンの特質をよく示しているらしいのですが、私はこの人の演奏の録音を発見していません)、正確な想像をすることは至難の業だと諦めるしかありません。

ただ、ショパン作品の演奏について、私達はもしかしたら誤解をし続けてきたのではないか、ということを、今回ならべたててみたこうしたことから付随的に推測が出来るのは、非常に大切なことです。

またもや「エチュード」作品10の第1番の話に戻って恐縮なのですが(前回をご参照頂ければ幸いです)、このエチュードの技術面での主眼は、決してコルトーが述べたような「強靭なタッチを養う」等々にあるのではなく、ショパン自身の言葉、

「このエチュードは役に立ちますよ。私の言う通りに勉強したら、手も広がるし、ヴァイオリンの弓で弾くような効果も得られるでしょう」

のほうにあるのでして、右手は、強靭に、ではなくて、まさにショパンが言っているその通りの、擦弦楽器のボウイングに要求されるような軽さ・柔らかさを養うことを意図しているはずです。傍証としては、このエチュードの左手が、以後のエチュードのどれに比べても単純であり、そちらにあまり気をとられないで済むように、太い旋律線でしっかり書かれていることを上げれば充分でしょう。すなわち、左手の音型は、左肩に乗ったヴァイオリン(にしては低音域で大型過ぎますが)のようなものなのです。

これで、ショパンの目指していたものの背骨だけは、誰でも明瞭に見直し得るのではないでしょうか?

すなわち、特別な「力」を必要としない自然な肉体が、自然なままでどれだけの広がりを持つことが出来るのか・・・ただし、そのためには何を芯として守らなければいけないか、は、ショパンの脳裏には常にくっきりとした輪郭をもって描かれていたはずなのです。

残念なことに、心象の輪郭は本人にとっていかに明瞭であっても、いや、明瞭であるほど、紙に書き留めたりすることが出来ないものなのかもしれません。
ショパンの死と、録音技術・録画技術の誕生、発展との時間のギャップが、言葉で伝承されたショパンの心象の断片を具象化するには、かえって複雑な事態を私達にもたらしてしまっています。

ヴァイオリン、という言葉を、最後のキーワードにしておきましょう。ここで思い浮かぶショパンの同時代人は、いうまでもなくパガニーニです。そして、ショパンはこのパガニーニから、他の人々同様に鮮烈な印象を受け、熱狂しています。

いま言えるのは、ショパンはピアノ演奏に当たって、演奏という行為が肉体から解放されることをのみ願っていたのではないか、あるいはそれを彼なりに見事に体現していたのではないか、との推測ばかりではあります。ですが、作品10のエチュード第1番は、ショパンがパガニーニから受けた衝撃が、リストやシューマンやシューベルトとは違い、自由な「精神の飛翔」としてのものに留まっていたのではなく、肉体で実践すべきものとして誰よりもしっかり消化され結晶化したひとつの現れであるのだ、と、私は思っております。

さて、この演奏は、どう理解すべきなのでしょうか?・・・明らかにコルトーとも違い、のちの世代のショパンコンクール覇者たちとも違いますが。。。


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2010年7月17日 (土)

ショパンによるレッスンと「エチュード」:リスト考(番外)

oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。6月29日に掲載しましたが、バナーに大井さんのブログ記事をリンクしてあります。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。



リスト考 (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
     (9)(10)
     番外(ショパン1)


出会った当初は親近感を覚えたリストに対して、ショパンはすぐ後に必ずしも良い評価を与えなくなりました。

リストの弟子だった生徒にレッスンしたときのエピソードがあります。

「わたしは・・・これはひとえにリストのおかげなのだと思いながら、ベートーヴェンのテーマ(アンダンテ・コン・ヴァリアジオーニ、ソナタ作品26の第1楽章)を、教えられた通りに・・・上手に段階をつけて弾いてみた。それは秋の風景に真夏の太陽が照りつけるような感じであった! ・・・体が熱くて、真っ赤な炭火のように感じられた。これは挑発のようなものだった----が、わたしは自己にのみ語りかけたのだ。テーマを弾き終えると手を休め、わたしは落ち着いてショパンの眼をのぞきこむ。彼は親愛の情をこめてわたしの肩に手をかけ、『これはリストにも言っておきましょうね。わたしもこんなことは生まれて初めてですよ。いや、ほんとうに美しい。でもそれほどいつも演説めいた調子で演奏すべきなのでしょうかねえ?』と、言ったのである。」(レンツ【1809-1883】の証言、『弟子から見たショパン』訳書77頁 音楽之友社 2005年)

リストが生徒に対してどんなレッスンを行なったか、のほうは私は文献等で目にしていません。が、ショパンの自身の作品への価値観については、パリ音楽院ピアノ科教授でショパンの隣人になったマルモンテル【1816-1898、ドラクロワ作のショパン肖像画の所有者でもあった】の証言に
「ショパンは自作が改竄されるのを嫌っていた。どんな些細な変更も重大な誤りに感じられ、いくら親しい人でも我慢ならなかったのである。彼を熱烈に崇拝していたリストについても例外ではなかった」とあります。(同書174頁)

リストのほうではおそらくショパンの本質は理解していたのではないか、と思われる発言をいくつか残しているのですが・・・ショパンは自作を人前では二度同じように弾くことはなかったといい、リストはショパン自身が思い込んでいるほどショパンの音楽は固定された楽譜の上では本性を現しきれないことをショパン以上に知っていたのではないでしょうか)、いかんせん、ショパンの顕在意識的嗜好とでもいうべき演奏様式は、リストのもっているものとは正反対だったようで、リストの側がそれには鈍感だったのかもしれません。
激烈な文学的表現でショパンに賛辞を贈り続けたシューマンに対してとなると、ショパンは極めて冷淡な無関心さを示していたようです。彼は生徒への教材としてシューマン作品は使わなかったと思われますし、面会こそしたこともあり、作品を献呈されてお返しはしたりしているものの、本質的にはシューマンに対する興味すら抱かなかったかと想像されます(同書196頁参照)。

ショパンは、音楽に文学的解説を付したり、リストがその頃さかんに行なっていたような多数の聴衆向けの派手な装飾を徹底的に嫌ったのでした。

ショパンの嗜好を示す事実の記録がもうひと種類、あります。

先ほどのレンツが、ショパンのベートーヴェン(上記と同じ作品)を招待先で弾いたときの感想を「理想的な美しさだが女性的な演奏だ! だがベートーヴェンは男であり、男らしさを失ったことはけっしてない!」と評し(演奏そのものには陶酔させられている)、帰路ショパンに尋ねられてこの感想を正直に告げたところ、ショパンは腹を立てずにこうこたえたのだそうです。
「わたしはおよそのところを描くのであって、絵を完成させるのは、聴衆の役目なのです」(同書 346頁)
1835年のある評論は、ショパンの演奏についてこう記しているそうです。
「それにしてもショパン氏の演奏はなんとしても聞取りにくく、細部はほとんど聴衆には伝わるに至らなかった、と言っておかねばなるまい。ショパン氏の才能はもちろん完璧なものだが、あまりにも繊細で捉え難いニュアンスに富んでいるために、訓練を積んだ鋭敏な耳にしか理解されないものだ」(同書180頁)

こうした評価は、ショパンの音量が小さかったことに帰されるのが現在では一般的で、ショパン自身もそう思われていると感じていたようですが、本質的には多分音量の問題ではなかったのであろうことは、ミハウォフスキ【1851-1938、ポーランドのピアニスト、作曲家、教育者】が表明している意見から推測することが可能ではないでしょうか?
「《もしショパンが現代のピアノに触れる機会があったとしても、ピアノの音響効果をどこまでも追求するようなことはなかっただろう》(引用の括弧はブログの綴り手である私が付け足しました)という具合に想像出来るものだろうか? ミクリ(ショパンの弟子)の証言によると、ショパンは生まれつき深く豊かに響くタッチを備えていたそうだ。現代のベヒシュタインやスタンウェイなら、きっと、ショパンも、昔ならば力をこめて無理に不快な音を出すことでしか得られなかったようなフォルテを、出せたにちがいない。」(同書178頁・・・なお同じく43頁参照)

ショパンが弟子の大仰なフォルテを嫌っていたのは、彼がしばしばそれを「犬の吠え声」にたとえたように、濁った音響がもたらされたからだったからなのでしょう。であれば、ミハウォフスキの発言は素直に傾聴してよろしいかと私は考えます。

以上から、ショパンが自分の音楽に対する姿勢から弟子たちを教育する際に心を砕いたのは、

・(原点的なものとしての)音楽のオリジナリティを作為的に崩してはならないこと
・音響の混濁を起こすような演奏はしてはならないこと

に、おおよそ集約出来るのではないかと思われます。
裏付けとして、暗譜が得意だったらしい弟子が楽譜を持参せずにショパンのところへレッスンを受けに行ったとき、
「楽譜はどうしたんですか?」
と言って怒ったというエピソードなどを例に挙げてもいいでしょう。(同書44頁)
また、ショパンは弟子たちには、最初からゆっくりとレガートで練習するように、とも言い続けたようです。(同書同頁)

関連するかどうか・・・つい数年前から、音楽のレッスンの書籍も「脱力」をアピールするものが増えましたが、それらを読んで脱力の本質をほんとうに体で理解出来るのかどうかとなると、私は疑問に思っています。難解なのです。ですから、手に取ることはやめました。あるお一人の方についてだけは、おそらく余分なものを切り捨てた明快なご著作を出して下さるのではないかと希望を持っているのですが、それが出るまでは一切必要ないとさえ思っております。
ショパンが簡明に次のように述べているのを念頭に置くくらいしか、普通の私達には出来ないでしょうし、しかもそれで充分なのではないか、とも感じられるからです。

「足の先のほうまで、体全体をやわらかくしなさい」(同書46頁)

「手が自然に落ちるようにしなさい」(同書47頁)

演奏していて、この2点が実現出来ていないことをきちんと感じ取れるように冷静に練習すれば、どうでしょう、事足りるのではないでしょうか?・・・もっとも、そう感じ取ることが非常に難しくはあるのですが。

ピアノ演奏、ということでさらにショパン伝授をまとめた、弟子マチアスの発言もあります。・・・他の楽器にも類推で利用出来る話でしょう。
「極端に言えばビロードのような手で鍵盤をこねるつもりで、鍵盤を叩くと言うよりは障り心地を確かめるようにするんですね」(同書49頁)

ショパンが黒鍵の多い調の音階練習から弟子に取り組ませたこと、なぜならそれが手のかたちにとっていちばん自然な鍵盤上での位置(ポジション)を体得させることが出来るからだと理解していたことは、これまで引いて来た「弟子から見たショパン」のほか、加藤一郎『ショパンのピアニズム』(音楽之友社 2004)などからも明らかになっています。
この有効性については、弟子の中に、ある期間ピアノを弾けずにいたにもかかわらず、再び鍵盤を前に出来たとき、すんなり弾けたことに驚いた、という類いの証言があることから証明されるでしょう(申し訳ないことに、どこに記載されているのを目にしたか失念してしまいました)。

で、弟子へのエチュードの与え方については、こうしたメトード的な(技術を身につけさせる)ものと、主にクレメンティの全調音階によるプレリュードと練習曲(全音による日本語版が出版されています)を軸としていたこともまた『弟子から見たショパン』ではっきりしることができます(とくに53頁の譜例を参照)。楽典への早い段階での理解も重視していたショパンが書きかけたままで終わった草稿は、『弟子から見たショパン』訳書258-266に完全収録されています(ほとんどが言葉による説明で、エマヌエル・バッハやテュルクの著作を連想させます)。
また、並行して、彼が傾倒していたセバスチャン・バッハの『平均率ピアノ曲集』から教材を選んで音楽性を養わせていたことも分かっています。

ショパン自身のエチュード(作品10と作品25)については、ショパンが高度と認めた弟子にしか使用をさせなかったそうで、彼が彼自身のエチュードで何をどのように伝えたかったのかは、私達には秘されたままです。
ただし、作品10の第1番については、シュトライヒャー【1816-1895】の証言が残っています。

「『このエチュードは役に立ちますよ。私の言う通りに勉強したら、手も広がるし、ヴァイオリンの弓で弾くような効果も得られるでしょう。ただ残念なことに、エチュードを練習しても、たいがいの人はそういうことを学びもせず、逆に忘れてしまうのです』と、彼は言うのです。/このエチュードを弾きこなすには、とても大きな手をしていなければならない、という意見が今日でも広く行き渡っていることは、わたしも先刻承知しています。でもショパンの場合には、そんなことはありませんでした。良い演奏をするには、手が柔軟でありさえすればよかったのです。」(『弟子から見たショパン』96頁)

この証言を参考にすると、とくに自習者にとってはもっとも親切であるとみなしていいコルトー版についての、コルトーの記述には、ちょっと用心しながら読む必要がある箇所が頻出するのが分かってきます。

第1番に関して言えば、たとえばこんなことばがひっかかります。

「まず手をいちばん良い位置に固定する。そして・・・強靭なタッチを養う。

「・・・手の筋肉の整然とした発達に必要な均衡を確保する。」

等々。

対照的なショパンの言葉を、少し引いて終わりにします。
(異稿についても若干のお話をしておこうかと思いましたが、まだ検討不足できちんと表現出来ません。ただ、とくに作品25のフランス版とドイツ版の相違点については、いかにショパンとはいえ、純粋な音響効果への個人的嗜好からだけではなく、「和声の禁則に未だ拘泥していた」フランス音楽界への気遣いもあったのではないかと感じております。もう少し検討を続けます。)

「・・・可能なかぎり美しい音を簡単に奏でて、長い音符も短い音符も弾きこなし、[どんな場合にも]高度な演奏能力を発揮する[ようになる]には、手が鍵盤に対して[最も具合のよい(つまり最も自然な)]位置を保つだけでよいのである。」(『弟子から見たショパン』訳書40頁)


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2010年7月12日 (月)

リスト考(10)エチュード・・・ショパンとリストに於ける

上田美佐子さん(中世フィドル・ヴァイオリン)コンサート
・5月30日(日)西荻窪のサンジャック〜終了
・6月16日(水)日本福音ルーテル東京教会〜終了
・7月11日(日)絵本塾(四谷)10日前には売り切れだったそうです!!!
です。ユニークです。是非足を運んでみて下さい。詳細は上記お名前のところにリンクしてあります。



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リスト考 (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
     (9)(10)


エチュードについて綴ろう、と思って、はた、と止まっておりました。ピアノを弾けない自分は門外漢だ、と気付いた途端、
「ああ、いかん!」

リストとの比較の上でのショパンを主に見ていくのですが、ショパンについては、やはりピアノの門外漢だったベルリオーズも
「彼の音楽は演奏会を離れて傍で聴かなければわからん」
と言ったそうです。

ショパンは生涯に数度しか演奏会を開きませんでしたが、それはたとえば岡田暁生氏が十九世紀欧米のピアノ教育の実態に迫った好著『ピアニストになりたい』(春秋社 2008)でも遺憾ながら誤解して記述なさっているように
「ショパンは音量が小さかったがために演奏会を続けられなかった」
からではなく、ショパンの求めた音楽の伝達が一度に大勢の聴き手には繊細過ぎたから、と、ショパン自身が積極的に選んだ方向性だったのでして、それはエチュードの創作姿勢におけるリストとの相違点からも明らかになることです。

しかしながら、本論に関係しませんので、このことは措きましょう。

先に大きく問題として考えたいのは、リストやショパンにとって、「エチュード」とはどういう位置にあるのか、ということです。
本来はもっと大上段に、エチュードとは全般的にどういう曲種か、との問いを発したいところでしたが、市井人の視野にはいる資料は全体を見渡すためには限定され過ぎます。
ただ、チェルニーなどといっしょくたに「練習曲」と訳されているのは奇妙ではないか、ということだけ、簡単に申し上げておきます。
練習のためといっても、機械的技術の修得を目的とした場合にはメトードmethodの呼称が妥当でしょう。ショパンもまた、草稿で終わったものの、メトードを書きかけていました。メトードの類いについては前掲岡田著が詳しく掲載しています。
では、チェルニーの「練習曲」のようなものはどうか、といいますと、こちらの曲集のタイトルはschuleすなわち「学校」です。(uはウムラオトです。)お弾きになれば直感出来るように、各曲はある決った機械的技術に限定して、そこに音の大小の変化やテンポの変化という、「生理的技術」とでも呼んだらいいようなものを加味しています。・・・チェルニーがそこまで到達したのかどうか分からないところが門外漢の悲しさですが、いわば、完成された音楽を目指す前に、音楽の喋りかたの基本的な約束事・・・文法と修辞法を身に付けることに照準を合わせたものだろうと思います。

さて、リストは14歳で作品1の「エチュード」を出版します。これは日本では全音から発行されていて入手が容易です。中をめくって分かるのは、解説を読むまでもなく、12ある各曲の、その曲の中でのリズムパターンが概ね一定で、チェルニーの「学校」を連想させるところです。
が、幼く初々しい感性が書かせた曲集だからでしょうか、チェルニーでは遭遇しないような破調がどの曲にも必ず含まれ、そのため、チェルニーでは明瞭に把握できる定型的な楽式や和声進行が、リストの作品1では、まず楽譜を厳しく吟味してからとりかかる必要に迫られます。

・子供さんの演奏。リスト作品1の第1曲(あとの「超絶技巧練習曲」第1曲と比べてみて下さい。

ショパンの最初の「エチュード」は作品10で、創作経験を積んだ上で書かれたものですが、機械的技術の面ではリストの作品1よりもメトード的な狙いが、最後の曲(世人が「革命」と呼ぶことになります)を除いてハッキリ見てとれます。(もっとも、私のような素人は、それを知るためにはコルトーがしてくれたような注釈が必要な上に、コルトーが彼の解釈でショパン本来の狙いを変えている点については別の勉強も必要になります。)
で、ショパンの「エチュード」は、機械的技術を把握した先がクセモノです。
たとえば、有名な第3番(「別れの曲」・・・ショパン自身が「悲しみ」と呼んでいた、との話もありますが、他の11曲同様、楽譜上に標題はありません)については、ショパンは
「僕はいまだかつて、こんなにきれいな音楽は書いたことがない」
と友人に語っています。
すなわち、第3番にかぎらず、ショパンは「エチュード」を弾く際の照準を機械的技術に置いてはいないと思われるのです。
音楽内容重視の傾向は作品25の「エチュード」でいっそう強まる・・・と言ってしまうことは、まだ私の理解の浅薄さを示しているでしょうか?

ショパン:作品10-1(ベレゾフスキ)

翻って、リストの「エチュード」を見ますと、ショパンから作品10を献呈されたこととの関連性もあきらかでなく(作品25の方もリストの愛人、ダグー夫人に献呈されていますね)、作品1の改訂版も目にしていませんが、1851年の「超絶技巧練習曲」(この訳語が正しくない、との話には今回は立ち入りません・・・その類いの記述をご参照頂ければ充分でしょう)を頂点に、もはや何の「練習」なのか、技術的な観点からは全く顕らかにならない、と言うしかないでしょう。前にも申し上げたことがありますとおり、これらの響きは、その気になれば管弦楽に書き換え得るものだと、私は感じます。
それ以前に、さて、ピアノだけに沈潜して考えるならば、練習曲に「演奏会用」とか「大」とか訳せるような修飾語を、果たして冠するような発想をするなんて、あり得るでしょうか?

リスト「超絶技巧練習曲」第1曲 Jenö Jandó(ナクソス)


別に観察すべきかと思いますので詳述しませんが、ショパンにおいては作曲とは「ピアノ」という特定の道具を最大限に活かすための創作であったが故にピアノの語法も大切であって、であるがゆえに、あるときリストがショパンの作品を好き勝手に演奏したと激怒したとのエピソードがありますが(1842年に、かつてリストの弟子であり、この年の訪問以来ショパンの弟子となったレンツがショパンの面前でリストが大幅に装飾をつけたショパンのマズルカ作品7-1を弾いたとき、40年あたりから抱いていたリストへの不信感は頂点に達した模様です・・・「弟子から見たショパン」174頁)、リストはショパンやパガニーニからの衝撃のあとでは、ピアノという道具で出来るもの、出来ないもの、について、心中渦巻くものがあり、まだピアニズムにこだわってみた「パガニーニ練習曲」をも書いたのではないか、しかしながらそれに「大」をつけずにはおれなかったところに、リストのもどかしさの反映があるのではないか、と勘繰りたいのですが、これはまだ観察を残している交響詩との兼ね合いで、改めてみていく所存です。

なお、ショパンの「エチュード」にもなお些末ないくつかを見ておきたく、これもあらためます。

・・・ともあれ、ショパンやリストにとっての「エチュード」は、メトードや学校なる「練習曲」と同等の訳語なのは、ちょっと見なおされなければならないのでないか、というのが、本記事の提起したいところです。

ハンパですみません。

( ̄~ ̄;)


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2010年7月 8日 (木)

音の主観

上田美佐子さん(中世フィドル・ヴァイオリン)コンサート
・5月30日(日)西荻窪のサンジャック〜終了
・6月16日(水)日本福音ルーテル東京教会〜終了
・7月11日(日)絵本塾(四谷)
です。ユニークです。是非足を運んでみて下さい。詳細は上記お名前のところにリンクしてあります。



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今日は掲げませんが、舞楽の素晴らしい演奏の録音をご紹介頂いて拝聴し、あまりに感激しましたので、思いだしたように久しぶりに雅楽の入門書を手に取りました。

笹本武志『はじめての雅楽』(東京堂出版、2003)

何も知らなかった私のようなものには、類書に比べたいへんすぐれた本で、以後もこれ以上のものは出ていないと思います。「越天楽」と「五常楽急」と「陪臚」の唱歌(しょうが)の譜が載っていて、説明が加えてあります。・・・譜とは呼んでいるけれど(雅楽をやる人は楽譜とまで仰っているし、ヨーロッパの古いネウマを読める人には楽譜の範疇に含めることに躊躇はないのでしょうが、それらは意味合いが違う前提が明確にあるからであって)、現代人が理解している<楽譜>ではありません(このことは、だいぶ以前の本ですが、増本喜久子『雅楽』以上に洋楽世界の人間にも理解させてくれる書物はこれまた見当たりません・・・同氏の『雅楽入門』よりもこちらが良いです)。入門書に載った「譜」には、いちおう、拍と音程が分かるように添え書きしてあるし、大まかにでよいならそれである程度分からなくはないのですが、正確にどう言うリズムで・音程で、とかいうのは口伝の唱歌で学ばなければ覚えられないでしょう。まあ、私はまだそれもちゃんと読めるほどではないから、どうしようもないのですけれど。

雅楽はこの唱歌(しょうが)というのを歌ってみる方法をとりますが、同じ「越天楽」でも横笛(おうてき)と篳篥と笙で唱歌はそれぞれに違っているし、歌ったそのままをそれぞれの楽器で吹くのではありません(篳篥だけが唱歌に近い歌を演奏するので、横笛は笛の唱歌の他に篳篥の唱歌も覚えなければならないそうで・・・専門家さんはちゃんとご存知かも知れないけど、私には本に書いてあるのを真に受けて「そうなのか」と思うしかありません)。
笹本著では楽器ごとの唱歌を丁寧な五線譜に書き直してくれているのだけれど、これが「越天楽」の演奏の中で実際に響く「越天楽」とは別物なんだよな、ということは、この本を最初に読んだときも思いましたし、今回も同じ感触を持ちました。ご著者も
「これが絶対的なものであることは」
ない、と強調していらっしゃいます。

雅楽はそれでも、太鼓を「時を刻む」象徴としているから、拍は分かりやすいほうかも知れません。

以前、「津軽山歌」に感動して民謡集の五線譜を見て愕然としたことがあって、五線譜に書かれたものには、実際に耳にした「津軽山歌」の影もかたちも感じられなかったのでした。
で、自分なりに採譜し直したら、リズムが規則的に刻まれていないで伸び縮みするので、それを<時間どおり>に五線譜に落とそうとすること自体が間違いなのだ、ということを知らされたのです。
緩急を考慮すると、この民謡は五拍子に単純化してしまうのが最もきれいにいきます。
(ただし1つの小節の中で、洋楽の1拍に当たるものはある拍はやや長く伸び、あるものは短くなりするし、これは歌詞その他の要因とも密接な関係にあると思われます。)
・・・この採譜は、とても悔しいことながら、家内の葬儀のばたばたのときに無くなってしまいました。いずれやり直さなければなりません。

・・・そんな次第で、いま、
「邦楽の五線譜化は本当に出来るのか?」
と、あらためて首を傾げており、であるが故に、ちと胸が痛い思いをしております。

「音を聴く主観、演奏する主観」というへんてこりんなキャッチフレーズが、このほかにもたとえばショパン関係の調べものをしていると、沸々と湧いてくるのです。このことはまたリストがらみでも綴りますけれど、ひとつだけ言えば、ショパンの最初の練習曲(この呼び方にも少しだけ抵抗がありますがリストの「練習曲」が果たして「練習曲」か、というほどまでには疑ってはいません)の第1曲、ショパン弾きとして名を馳せたコルトーが注釈を加えた楽譜【コルトー版】では「筋トレ」チックな予備練習を勧めていますし(別に筋トレだと捉えないでもいいのですが、コルトー自身が「これで指が強くなる」的発言を添えています・・・特別にコルトーの名前は出てきませんが、この風潮については岡田暁生『ピアニストになりたい』を参照なさると良いでしょう)、私のようなもんがつっかえつっかえでも1頁だけのろのろ弾く分には非常にラクをさせてくれる良い予備練習でもあります。が、「筋トレ」をショパンが望んでいたかとなると、ショパン自身の言葉を記憶している弟子の言葉では、むしろ逆なのです。

「このエチュードを弾きこなすには、とても大きな手をしていなければならない、という意見が今日でも広く行き渡っていることは、私も先刻承知しています。でもショパンの場合には、そんなことはありませんでした。良い演奏をするには、手が柔軟でありさえすればよかったのです。」
シュトライヒャー(1816-1895)
・・・『弟子から見たショパン』所収(エーゲルディンゲル、訳書音楽之友社 2005)

さてさて、はたと迷ってしまいます。

・・・音楽を巡って「客観的な」記述は、さて、どの程度成り立ち得るのでしょう?
・・・そんなものが、どの程度存在するのでしょう?

こうしたことを考えた後にシューマンの評論(これは訳者が嫌いですが英書もドイツ語原書も発見出来ずにいます)を読むと、またまたがっかりしてしまいます。

「音楽の発展の速いことは、実際ほかの芸術の比ではなく」云々

・・・ヘーゲル的な進歩史観だ。

当時は仕方なかったのでしょうか?
同時代のショパンの手紙がシューマンに比べてすっと客観的なのを読んだ後では、こんな言い草は冗談じゃあないと思うのです。
(ただし、「筋トレで指を壊した」伝説を持つシューマンが、ピアノ演奏に関しては逆に筋トレ否定的な発言をしている点は読み落とされがちで、これは気をつけておくべきです。)

エジプトの音楽を例にすれば、いま「伝統音楽」として国の支援を受けているものの音程感は西洋音楽のそれになってしまっていて、一生懸命なエジプトの方には大変失礼なのですが(お許し下さい)曲調も節回しがアラビックなだけ・道具を民族音楽にしているだけで、こんなのはちっとも伝統音楽ではないと思えて仕方がないのです。むしろコプト教会の荒々しい聖歌のほうが古態を保っているのです。

・・・このこともふくめて、私は、さて、何をどう考えて行ったらいいのか?

ちょっと苦悶しております。


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2010年7月 6日 (火)

筒井一貴さんショパンリサイタル(2010.10.05)

上田美佐子さん(中世フィドル・ヴァイオリン)コンサート
・5月30日(日)西荻窪のサンジャック〜終了
・6月16日(水)日本福音ルーテル東京教会〜終了
・7月11日(日)絵本塾(四谷)
です。ユニークです。是非足を運んでみて下さい。詳細は上記お名前のところにリンクしてあります。



oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。6月29日に掲載しましたが、バナーに大井さんのブログ記事をリンクしてあります。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。

ちょっと先ですが、ご案内を申し上げます。

84d30a5f東京は江戸川橋に、ピアノ・パッサージュという、輸入ピアノを中心とした良品を揃えたお店があります。
我が家のピアノはこちらを存じ上げる前に買ってしまった国内物で、並んでいる質の良い外国製ピアノをちょこっと叩いてみた瞬間、
「ああ、しまったぁ〜〜〜」
と無念の叫びを上げたのでした。

売り場より広いスペースをサロン・ド・パッサージュと呼んで(って、私の認識間違いかもしれませんが)、すてきな小コンサートをなさったりしています。
昨年、ケルン(ドイツ)在住の蓮見岳人さん【リュート】と阿部千春さん【このときはバロックヴァイオリン】の演奏会がありまして、拝聴しました。

そのとき親しくお話をうかがったのが、パッサージュでチーフをなさっている筒井さんでした。
飄々としたお人柄で、ちょこっとだけのお話だとスルッとかわされたりしますが、幸いにして私は「ちょこっと」からもうちょこっとだけ、つっこんで会話をさせて頂くチャンスに恵まれました。
・・・そのときの真摯なまなざしは、去年幸運にもいくつか重なった、私にとって忘れがたい出会いのひとつです。

で・・・

その筒井さんが、
「1844年製のプレイエルでショパンのリサイタルを開く」
なる情報を耳にしましたので、チラシデータを掠めとってご紹介申し上げます次第です。

なお、会場は「明日館」です!!!

日時:2010年10月5日(火)18時開場/18時半開演
場所:池袋、自由学園明日館講堂(豊島区西池袋2-31-3)http://www.jiyu.jp/

使用楽器:1844年製 プレイエル205cm(80鍵)〜ショパン34歳当時ですね。

<曲目>
マズルカ op.41-1
マズルカ op.30-1
2つのノクターン op.37(11,12番)
4つのマズルカ op.17
ノクターン op.62-1(17番)
2つのノクターン op.55(15,16番)
マズルカ op.33-1,2,4
ノクターン op.48-2(14番)
マズルカ op.6-2,3
3つのマズルカ op.50

入場料は一般3500円、学生3000円とのことです(未就学児童不可)

日が近くなりましたら、またあらためてご紹介する所存です。

20101005_leaflet_s

筒井さんのHPはこちら。

http://www.h3.dion.ne.jp/~bergheil/


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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