日本伝統芸能

2012年12月 3日 (月)

【狂言】「遊兎の会」を拝見出来ました。

2012年12月1日、表参道の銕仙会能楽研究所 で、狂言の名手、石田幸雄師のお弟子さんたちの会であるという「遊兎の会」を拝見出来ました。

豊富な演目で、ほんとうは全部拝見したかったのですが、午前中の所用が延びて、残念ながら最後の3つと小舞を鑑賞出来るにとどまりました。で、せっかくお声をかけて下さった I 様ご夫妻の演じられた番組には間に合わず、残念な思いをしました。

ずぶの素人ですので、緊張して入って行きましたが、古典の言葉でありながら分かりやすく、見ている方のくすくす笑いが絶えず聞こえて、とても楽しく拝見出来ました。後見なさっていた石田先生は、ずっと厳しいお顔をしていらしたけれど。

あとで知って驚いたのですが、お出になったかたがたは各方面でご活躍で、たとえば拝見出来なかった昼頃の「咲嘩」には井出真理さん(脚本家、若松孝二監督の『千年の愉楽』の脚本を執筆なさった由)、これは拝見出来た「萩大名」には高島由紀子さん(アナウンサー)などがいらしたのでした。「内沙汰」でとても愉快なご表情で楽しませて下さった中野三樹さんは仙台にいらっしゃる大先輩(とは言っても出身校は違うのですが)ようで、仙台出身の私にはとても嬉しいことでした。

まぁ、そんなことを根掘り葉掘りしても、なんの意味もありません。

ただ、あちらこちらでぞれぞれ多様に立派に頑張っていらっしゃる方が、このような充実した会で、お互いが日ごろを(たぶん)忘れ、狂言をなさるその場所で、一心に、一体になって演じることに打ち込んでいらっしゃるお姿には、楽しい中にも、背筋がピンと延びる清々しさを、強く感じさせて頂け、たいへん感謝しております。

拝見出来た3つから、印象に残ったことを、少し。

「内沙汰(うちさた)」は女狂言(婿女之類)という分類で、最後にオカアちゃんが夫君を打ちのめすのです。こういうのを見ると、中世も女は強かったんだなぁ、と額に汗が浮く思いがします。
途中の夫君のセリフに
「胸がだくだくする」
というのがあったのが、また面白かったのでした。
べつに、夫君は牛丼のつゆだくを胸にこぼしてしまったわけではありません。
だくだく、は、今の表現だと「どきどき」なのです。
・・・ただし、このセリフ、古い岩波文庫(昭和18年第1刷の『能狂言』中巻、「おこさこ(右近左近)」として収録)には出て来ません。

「萩大名」は、物知らずで記憶力の悪い田舎大名が、賢い従者の太郎冠者の案内で、清水寺の茶屋に萩がいっぱいに咲く庭を見に行き、亭主に和歌を所望されて、事前の太郎冠者のレクチャーにも関わらず上手く読むことが出来なくて大失態を演じるお話なのですけれど、途中、庭の白砂や、離れたところにある岩や、咲き誇る花を眺めるときの、役者サンたちの目線が、ほんとうに広々した庭をうっとり眺め渡す風情で、のびやかな思いをさせて頂きました。

最後の「雷」は、雷さんが天から落ちて来て、通りがかりのヤブ医者に治療をしてもらうのです。
雷さんは赤頭に面をかぶって、鞨鼓を胸に下げ、撥を手にして登場します。面は武悪か専用の雷さんのものをかぶるのだそうですが、私には、どっちだか分かりませんでした。雷さんは、登場するとき、
「ぴかっ、ガラガラガラ~」
と跳ね回る。「ぴかっ」は現代的だなぁと感じましたが、あとで調べたら、ひっかりひっかり、とか、ぴかりぴかり、というのが、元のかたちらしい。して みると、「ぴかり」という言い方は、「ひかり」そのものであって、「ひかり」という言葉は、もしかしたら擬音語なのかも知れない。
雷さんの登場前の雷鳴はヤブ医者さんが床に激しく足踏みして出すのです。なさったかたがとても上手くて、雷鳴が突然なるたんび、心臓が止まりそうになりました。

最後に石田先生が舞ったのは何の舞だか私なんかには分からないのですが、締まって素晴らしいものでした。(コメントをいただけ、「大原木」という、頭に木を担いで売る女のヒトの舞だとわかりました。ありがとうございます!)

能舞台のいいところは、どこから見ても、演じる人と見る人が近いことではないかと思います。歌舞伎になると、舞台の幅が長くなるので、かぶりつきで見ていても役者さんが遠くなってしまうこともありますし、離れてみると、やはり「絵」なのですよね。伝わってくる気のようなものも、いったんどこかで反響したものが届くようです。
その点、能舞台だと、演じる人の放つ空気がじかに伝わってくるようで、じかであるが故に「胸をだくだく」させられる魅力が強くて、またよいものだなぁ、と、あらためて感じました。

得難い機会でした。
また是非チャンスがあれば嬉しいと思っております。

お勧め下さったI 様、ほんとうにありがとうございました。

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2011年12月 4日 (日)

【音を読む】古代の鳥はどう描かれているか?~雅楽「迦陵頻急」

初歩の「十二音」簡単なバランス崩し同じものをつかいまわす(能)・伸ばして重ねる畳んで開くいっそ絵にしてみる


20世紀の鳥はフランスのメシアンが音で描いていたのですが、古代の音ではどうだったのでしょう?

日本の雅楽の「迦陵頻急」というのが、想像上のものとは言え、鳥が舞うものです。この舞楽、舞のほうは子供が舞うシンプルなものですが、シンプルだけにかえって、鳥の悠々とした飛翔を見せてもらえるように感じられます。
では、楽の音はどうか、となると・・・う~ん、古代人は発想が違ったのかな? 音で鳥を描いているようでもあり、そうではないようでもあります。

私は実際の雅楽には縁がないので、舞はDVD(*2)で、成人したかしないかの若い女性が舞う映像で拝見しました。YouTubeには子供が舞ったものがありますので、そちらをリンクしておきます。


この調べから、鳥、あるいは鳥の飛翔をかたちに思い浮かべるのは、現代の私たちには無理でしょう?
それは、日本のものに限らず、「起こりが古い」と分かっている音楽すべてに言えることではないのかなぁ、と感じています。もし感じられるような調べがあれば・・・各地で収録された民族音楽・民俗音楽にはそのようなものもあるのですけれど・・・、どこかに近世の空気が混じり込んでいるんではなかろうかと勘ぐりたくなります。本当にそうなのかどうかは確かめる術はないのですが、怪しんでよいことではないかと考えます。

雅楽の笛がどんな音でどう吹くのかについては、譜ではカタカナで書かれる「唱歌(しょうが)」を口移しで教えてもらい、記憶することで、吹くべき調べを身につけます。
楽家の安倍季昌さんがご著書『雅楽篳篥 千年の秘伝』(たちばな出版、平成20年)の中で

「(篳篥などは)唱歌【しょうが】がしっかりできていないと、吹くことはむずかしいと思います」
と述べられています。
これは他の伝統邦楽にも通ずることでしょうが、本当は西洋音楽を演奏する際にも大変重要なことではないのかなぁ、と、最近感じております。

それは措いても、とりあえず雅楽の音を総合的に捉えるには、五線譜に置き換えるよりは篳篥と笛の対比を唱歌の仮名で目に出来るようにしたほうが、接し方としてはいいのかな、と思います。音程【音の高さ】や音価【音の長さ】、あるいは滑らかにするのか切り上げるのかなどの微細な部分は必ずしも五線譜に移しきれないからです(*1)。

ただし、パソコン上でベタのままで篳篥と龍笛の対比を細かいところまでをきれいにさせるのは難しいので、簡単に整理したものを、本文末尾に掲げます。 実際の雅楽譜は、こんなふうです。(*2)

それぞれを、上の映像の音声を聴きながら一巡目だけでも併せて読んでみているうちに、調べと譜の関係の雰囲気だけは何とか分かってくるでしょう。いちばん右の黒丸は洋楽で言う小節の区切りを表すもの、真中のカナは旋律を表すものすなわち「唱歌」、左の漢字みたいな記号が音程を表すもの、となっています。 唱歌は音程をもある程度表すものになっていますので、篳篥譜の唱歌を西欧式音名と対比させたものも載せようかと思っていましたが、スペースと時間とアタクシの能力の都合上、とりあえずやめました。ご容赦下さい。

龍笛譜

Karyobinnokyuryuteki

篳篥譜

Karyobinnokyuhichiriki

「迦陵頻急」でとられているのは壹越調という、D(固定ドで「レ」)を主音とした旋法【節の巡り】です。(*3)
こむずかしいのですが、本来、この壹越調を理屈通りに捉えると<ニ長調>に相当するものであるところ、実際に耳に入るのは、アバウトいわゆる「都節」音階で、(固定ドで)「ファ#」にあたる音がほとんど半音下がり、短調のような雰囲気を醸成しています。
すなわち、旋法の理屈では壹越調は「レ・ミ・ファ#・(ソ)・ラ・シ」なのですけれど、迦陵頻急ではどちらかというと「レ・ミ・ファ(シャープつかず)・(ソ)・ラ・シ」という音階の構成になっているのです。(これは理屈の上の呂旋法と律旋法が入り組んだものになっています。)
なおかつ、本当は理屈では「レ」が落ち着きどころにならなければならないのに、この調べで篳篥がならすいちばん高い音が「ラ」で、これが聴き手にも音楽の落ち着きどころと感じられるのが大きな特徴です。(すなわち、節は主音【宮(きゅう)】であるはずの「レ」よりも、ほぼ一貫して五度上【ドミナント=徴(ち)】の「ラ」のほうに強烈な引力を持っているのが、<迦陵頻急>の大きな特徴です。*3)

さて、細かい話。

雅楽譜の骨組みを舞の節と各楽器で重ねてみると、次のようになります。
ほんとうは雅楽譜の小さいカナまで含めないと旋律線が正しく把握出来ませんが、便宜上大きな仮名だけで代表させ、洋楽で言う一小節相当分を二文字までで収めてみることにします。(*2)


篳篥(大きな仮名だけ)
龍笛(大きな仮名だけ)

太鼓(CD「舞楽」の舞譜によるところだけ。
   実際には前に「百(ドン)」の前に「図(ず)」が入る。
   また、舞5節目からは加拍子となる。)

という並びにしています。

なお、笙の合竹の基音(迦陵頻急に使われているもののみ)はこのようです。
凢=D、乙=E、下=F#、十=G、乞=A、工=C#
これにより、笙は呂旋をきちんと保っていることが分かります。

舞               |2節
篳|チイ|チイ|引ラ|ロロ|チイ|引ラ|ロヲ|ホリ|
笛|タア|タア|ハア|チラ|リラ|ララ|チリ|アラ|
笙|乞 |引 |乞 |一 |乞 |引 |一 |下乞|
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

舞               |3節
篳|ヒイ|タア|リイ|チラ|リイ|チイ|ヒイ|引引|
笛|ア引|リラ|ラア|タラ|ラア|タア|ハア|引引|
笙|乞 |下 |乞 |乞下|乞 |引 |乞 |引 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

舞               |4節
篳|チイ|引イ|リイ|レラ|タア|ハラ|ラア|ラア|
笛|タア|ハア|チヤ|リラ|タア|ハラ|トヲ|ラア|
笙|乞 |乞 |十 |下 |下 |下乙|乙 |下 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

舞               |5節
篳|ラア|タラ|リイ|引タ|リイ|チイ|ヒイ|引引|
笛|ラア|タラ|ロヲ|リタ|ロヲ|トヲ|リイ|引引|
笙|下 |下乙|凢 |凢下|凢 |引 |凢 |引 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

                |6節
篳|タア|ロル|チイ|ロル|リイ|チロ|ラア|引ア|
笛|ラロ|ロル|トヲ|ロル|ロヲ|リロ|ラア|タア|
笙|凢 |一 |凢 |一 |凢 |凢乙|下 |引 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

                |7節
篳|ラア|タラ|リイ|チロ|ラア|タア|ラア|引引|
笛|ラア|タラ|ロヲ|リロ|ラア|タア|ラア|引引|
笙|下 |下乙|凢 |凢乙|下 |引 |下 |引 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

舞                |8節
篳|タア|ハラ|ラア|ララ|リ*イ|チタ|ハリ|チイ|
笛|タア|ハラ|トヲ|ララ|タ*ア|タタ|ロヲ|トヲ|
笙|下 |下乙|乙 |下 |乞* |下乙|凢 |引 |
太|  |  |  |  |百* |  |  |  |

舞               |退出の舞~入手へ
篳|ヒイ|チイ|ロヲ|チロ|リイ|チイ|ヒイ|引引|
笛|引引|トヲ|ロヲ|チヤ|ロヲ|トヲ|リイ|引引|
笙|凢 |凢工|乞 |一 |凢 |引 |凢 |引 |
太|  |  |  |  |百 |  |  |  |

CD「舞楽」収録の演奏では、三巡目で、*で舞が終わり、そのあと壹越調の定型の終止形が演奏されています。聴き流している分には不自然さはないものの、それまでの「ラ」を中心とした節のめぐりからすると、それは実はかなり唐突なことなのではないかと思います。
このあたりの、「節のめぐり」というものについて、あらためて考えてみる必要を感じます。

打物(太鼓)は最も基本となる打音は5塊目、すなわち八単位の後半が始まるところで打たれるのですけれど、管を主体に考えればそのような位置にきてしまうものの、舞を主体として考えた時には、舞の区切り目のところで打たれているのが、上の譜の対比から明確になります。つまり、雅楽(舞楽)の構成は、まず舞を主体として太鼓の鳴る位置が決まっており、管は舞が実際に始まるところからを主体にするため、譜ではその位置を調整することになっているのではないかと見て取れます。太鼓の最初の打音(正しくは1つ前に予備の打音が入りますが)は節の8塊の中間位置に入るのが原則となっていて、それが雅楽の【西洋音楽的な意味での】拍子・・・早四拍子だとか早八拍子だとか・・・を決定づけるのだろうと思われるのです。

譜づらについて、素人として興味深いのは、雅楽の管の譜は、篳篥・龍笛・笙のどれもが、能の八割譜のように、八つの単位をひとまとまりにして描かれていることです。とはいえ、これはおそらく近世~近代に整理され得たことだと思われ、能の譜の歴史と併せてきちんと見直されなければならないでしょう。

こんなところで。


*1:雅楽の調べを五線譜に移した優れた譜例は、私たち一般の者が手に出来る限りでは、増本喜久子『雅楽』に豊富に収録されています。これらは他の書籍が伝統邦楽を五線譜に移したものに比べて遥かに精度が高いものだと感じていて、尊敬すべきお仕事だと頭を下げる思いで読ませて頂いております。しかしながら、それだけきちんと拾ったものでも、やはりとくに音価については雅楽の持つ習慣を柔軟に記すことは出来ていません。そのあたりは五線譜の宿命なのだろうとも強く感じます。

*2:雅楽の譜は天理教道友社のものによりました。手に出来たのは、篳篥・龍笛が2009年、笙が1973年の出版のものです。CDは東京楽所【がくそ】『舞楽』(日本コロンビア COCJ-30793)を聴きました。舞、太鼓の区切りは、芝祐靖さん監修の同CDリーフレットによって把握をしました。

*3:「迦陵頻急」でとられているのは壹越調(宮【主音というより終止音というべきでしょうか】がDとされている)で「君が代」と同じ旋法なのですけれど、迦陵頻急はD音よりも五度上(徴【ち】)にあたるA音を中心にした節回しになっています。Aを終止音とするのは黄鐘調なのでして、黄鐘調は「迦陵頻急」が用いているような音の進行は全くしないので、これはヨーロッパのグレゴリオ聖歌でとられているものと対比すると<変格旋法>とでも呼べばいいのだろうか、と思われてきます。事実、壹越調の楽曲には迦陵頻急とは異なってA音を中心とはしないものもあります(「胡飲酒破」、あるいは歌謡の場合にはD音を落ち着きどころにしているのではないか、というのが、たとえば「春過」を耳にしての印象です)。といいながら、これは壹越調だけに限らず雅楽の調べは管絃では徴【宮から五度上の音】を軸に巡る傾向が強いとの印象も一方ではあり、簡単に結論づけないで数をたくさんきちんと調べる必要があります。
なお、黄鐘調と壹越調は前者が律旋、後者が呂旋ですが普通は(舞楽の場合)笙の和音のみに痕跡があるだけで管の旋律では使われている「音階」は区分が出来ないように思います(いずれもいわゆる都節音階の租型かと感じます。無理に「都節」だとか「イレギュラーな律旋」だという必要は無いと思いますが、それは学問をなさる方の世界では許容されそうにありません)。ただし、「迦陵頻急」の、明治神宮で収録された舞のバックで演奏されている楽は、管が呂旋の音程で吹かれる傾向が耳に留まります。DVD~『生きた正倉院 雅楽』Oldsea

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2011年2月 7日 (月)

「昔のまま」は聴こえない

Ooibanner
ヨーロピアン・クラシックですと、20世紀初頭からの演奏の録音をいっときより豊富に聴くことが出来るようになりましたが、それで確認出来るの は、たとえばオーケストラについては1930年頃までは弦楽器がヴィブラートをかけていないことです。これはClive Brownが"Classical & Romantic Performing Practice"(OXFORD University Press 1999)で述べているよりも数十年後まで、Brownが調査したような演奏様式の新旧がまだ混在していたことをものがたっています。
木管楽器になるとずっと後の1960年代までそういう音が聴けますが、そのかわり音は1930年代に比べると太くて艶やかになっていたりします(ブルーノ・ワルターがウィーンフィルと録音した「大地の歌」などが、変貌以前のものとしては耳にしやすい例でしょう)。
とはいえ、1930年頃までのオーケストラの音色は、オーケストラ編成が既に19世紀末には拡大していたことも手伝っているのでしょう、現在「古楽」として演奏されているオーケストラの音色とは明らかに違います。
さらに、テンポの問題については、主にクヴァンツ、エマヌエル・バッハ、テュルクの記述(あとの二人はクラヴィーア奏法の書籍の大成者であり、 テュルクはBrownの分厚い考察に豊富な材料を提供しています)からいにしえを推測するしかなく、これにはBrownだけでなく、バドゥラ=スコダなど も過去の証拠から考察している文章を成していますけれど、追求のたいへん難しい問題であるようです(バドゥラ=スコダ『バッハ 演奏法と解釈 ピアニストのためのバッハ』全音楽譜出版社 原著1990、ヘンデルの時代のオルゴールのテンポを聴いた印象から話が始まっています)。
Brownが著書の中の'8 Tempo"の冒頭で、その難しさを語っています。

Historical evidence and contemporary experience demonstrate that tempo is among the most variable and contentious issues in musical performance. The majority of musicians regard it as their inalienable right to select their own tempo. To a considerable extent the exercise of choice in this, as in other interpretative matters, has been seen throughout the period as an essential part of the performing musician's creativity.(p.282)

そして、把握すべきテンポの性質については、各論にはいる前に、このように述べています。

Every sensitive musician is aware that the quest for historically appropriate tempos must essentially be concerned with plausible parameters rather than with precisely delineated or very narrowly defined absolute tempos.(p.283)

ベートーヴェンのメトロノーム記号問題はよく取沙汰されるところですが、ベートーヴェンの指定に限りなく忠実であろうとする古楽系の交響曲演奏で もベートーヴェン指定のメトロノーム記号の速度で演奏出来ている例はありませんし、ましてこのテンポで大編成化した近代オーケストラでベートーヴェンの指 定テンポに近づけようとした演奏は、正直言ってまったく聴くにたえない音響になっていると感じます。これは、編成なり楽器の性質が変わると、同じ楽譜を単 純に用いては「音楽的」な響きの構築が出来ないことを物語っているのだと思いますし、実際問題として、ベートーヴェン当時の標準的な30人前後のオーケス トラに比べたら、1.5倍も大きな規模になったオーケストラは音を揃える困難さが増すだろうことは・・・楽器の構造の変化をさしおいても・・・容易にうな ずけることではないかと思います。
Brownが最初に引いているベートーヴェン作品の例はオーケストラではなく七重奏曲なのですが、ベートーヴェンの死後出版されたこの作品のメ トロノーム記号指定が平均で約2割遅くなっている事実を示しています(285頁)。ベートーヴェンが七重奏曲を書いたのは1800年、彼がメトロノームに 興味を持ったのは1810年代前半で、伝記にお詳しい方なら彼が七重奏曲にメトロノーム記号を付した時期はご存知なのでしょうが私は知りません。ベートー ヴェン自身のものと対比されている死後出版の楽譜はシュレジンガーによる弦楽五重奏への編曲版で、ほぼ作曲家の死の頃だ、というのですから1827年前後 でしょうか? このテンポ差が時代の変化によるものかそうでないのかは分かりません。シューマンの場合には死後妻のクララがほとんどメトロノーム記号を変 えてしまった話が有名ですし、Brownは前述のベートーヴェンの例の後にそれを話題にしています。テンポの節の最後に例示しているハイドン「ネルソンミ サ」のテンポについても、Usual TempoとRegulated tempoの間にはベートーヴェンの七重奏曲より程度は低いものの、類似の差(後者が約1割強遅い)が見られます。

Brownはこのあたりの事情の推測をしていますので、とくにベートーヴェンの例をつっこんでいる各論に立ち入るのも面白いのですが、Brownのほうはちょっと離れましょう。
こういう話は洋の東西を問わない、なる例が日本の伝統芸能の中にありますので、それを少し覗いたり盗み聞きしたりしておきます。

ひとつは「能」のテンポ・・・テンポというとちょっと違うのであって、通しで演能した場合の所要時間についてなのですけれど・・・に関して、です。
これは『岩波講座 能・狂言 I能楽の歴史』(表章・天野文雄著 1987)にちらっと出てくるものです(223-236頁、「能時間の推移」)

・足利義教御成の能【1430】で約6時間に十一番の能=一番当たり33分(昭和13年 野々村戒三の考察)
・天正4年2月10日【1576】薪能で約520分に十二番の能=一番当たり43分(同上。これで現在の56%の所要時間の由。すると今の一番当たり所要時間は77分ということになる)

足利義教の頃の他の演能の記録からも一番当たりは33分程度だったと推測されており、その後もしばらくほとんど変化がなかった由がまとめられています。
16世紀末からのう一番当たりの所要時間は45-50分程度に延び、18世紀にはいると1時間ほどになります。
演能の時間が延びて来た背景については1ページ強の紙幅に述べられているに過ぎませんが、だいたい、
・室町後期以降に著しく進展したと見られる能の基本的技法の整備が能の演技を緻密なものに成長させた
・能舞台の拡大(二間四方から三間四方へ)等の外的条件の変化が能のスケールを大きくした
・能の(武家)式楽化の影響〜慎重に重々しく演ずるようになった
(明治以降がどうか、については明確になり切っているわけではありませんので省略します)
といった理由が考えられています。

能については確認することが出来ないのですが、雅楽になりますと平調の「越天楽」の録音が1903年、1941(2?)年と残っているのが耳に出 来、今日のものと比較することが出来ます。音程感の変化も興味深いところですが、それについてはとりあえず触れません。ちょっと聴いてみて下さい。

・1903年(明治36年)〜雅楽師11名
「日本吹込み事始」TOSHIBA-EMI TOCF-59051所載)


・1942年〜宮内省式部寮雅楽課(現・宮内庁式部職楽部)
"Japanese Traditional Music" vol.1 WORLD ARBITER 2009)


最初のものはガイスバーグ・レコーディングスによるものですが、こちらについても合わせて、後者のリーフレットに考察が述べられていますので、引用しておきます。

演奏のテンポについて
ところで、第二次大戦前のこの種のSPレコード録音資料については、録音時間の制限(4分以内)があるため、収録されている演奏のテンポがその当 時の標準を反映しているかについては常に議論がある。しかし、楽曲によっては、全曲を急いで演奏するのではなく、無理なく収録出来る範囲に限定して、部分 を録音したものが多く、テンポについてもおおむね当時の習慣を反映していると思われる。このような仮定に立って、本巻に収録されている雅楽・唐楽曲の録音 のテンポを、1903年のガイスバーグ録音と比較してみると、次のような特徴を指摘できる。まず、1903年録音は、すべて管絃吹きで収録されているが、 いずれの曲も現在の演奏よりテンポが速い。管絃吹きであるにもかかわらず、曲によっては、現在の舞楽吹きのような速いテンポで演奏されている。この 【1941年の】KBSレコードには、舞楽吹と管絃吹が収録されているが、管絃吹のテンポは舞楽のテンポより遅く、現在の管絃のテンポとほぼ同様の特徴を 示している。つまり、収録されている内容が、当時の演奏慣習を反映しているとすれば、1940年代前半には、今日のような、ゆっくりした管絃演奏のスタイ ルが成立していた、と言える。
(寺内 直子さん)

・・・確言ではないところが、たとえ近い時代ではあっても、そして例え録音があっても、「昔を聴く」ことの難しさを物語っています。が、状況証拠 から私たちがものを言おうとすれば、これが限界でしょうし、そのなかでは寺内さんのこの仰り方は妥当で健全な語り口だと思っております。

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2011年2月 3日 (木)

でたとこ能見物(5)「是より急」

Ooibanner
(1)能の大まかな構成(2)小段構成の具体例(3)能の始まりかた(常座・ワキ座・狂言座)(4)能の臍(5)能のクライマックス


白洲正子『お能/老木の花』(講談社文芸文庫C4)に収録された「梅若実聞書」に、こういう一節があります。

「翁」の次にまいりますものは、脇能(神をシテとする能)でござい ます。大体四種類にわけられまして、「老松」、「白楽天」などは、序之舞。「高砂」、「弓八幡(ゆみやわた)」、「難波」などは神舞。「東方朔」、「白 鬚」の楽。それから「嵐山(あらしやま)」、「賀茂」の類は働(はたらき)でして、真の一声で出るものは位がやや同じでございます。二の句、送りこみ、が あって、サシになります。これは「高砂」ですと、「誰をかも知る人にせん高砂の」という所でちょっと気分が変わります。「老松」ですと同じサシでも軽くな らず、もっとどっしり謡います。(以下略、235ページ)

このあたりは、能役者さんが能一番をどう捉えているかを、脇能を例にご開陳なさっているもののように感じられます。

「真の一声」以下の部分が能一番の構成感をお述べになっているわけで、ここには前に採り上げた「小段」的な考え方ほどの細かさはなく、世阿弥が「能作書(三道)」で述べていた序・破・急の感覚を、能の中の具象的なもので表現しているのだと言えるのでしょう。
真の一声とは一声の特殊なもので、脇能で(前)シテの登場の際に用いられる固有の囃子(脇能以外では「松風」にのみ用いられている由)ですから、以降の言葉の前提になっています。

この囃子で登場した人物は必ず一セイ・二ノ句(一セイの謡に続 く同趣の謡で、七五・七五の二句から成るのが正格である:高砂「波は霞の磯がくれ、音こそ汐の、満干なれ」)・サシ(拍子に合はせずスラスラと淀みなく謡 う:高砂「誰をかも知る人にせん高砂の・・・」)・下歌(高砂「訪れは松に言問ふ浦風の、落葉衣の袖添へて木蔭の塵を掻かうよ掻かうよ」)・上歌(高砂 「所は高砂の・・・」)・を謡ふことになつてゐる。

と、藤波紫雪の『・・・稽古の手引』にありますから、梅若実さんのお話は、能をなさるかたが常に念頭においていらっしゃることを忠実にお話しになっているのだと分かります。

そうした流れのことよりも興味深いのは、前半の部分です。
能のメインとなるのは何であるか、をお話しになっているようであるからです。

「老松」、「白楽天」などは、序之舞。「高砂」、「弓八幡(ゆみやわた)」、「難波」などは神舞。「東方朔」、「白鬚」の楽。それから「嵐山(あらしやま)」、「賀茂」の類は働

とあるところは、すべて、世阿弥が言っていたところの、それぞれの能の「急」に当たる部分に配されている舞が何であるかを語っていらっしゃるわけです。

すなわち、能一番の<メイン>は、最後の「急」の部分に配されるこれらの舞なのであって、能役者さんは、ここを目指して能を演じて行くのだろう、と考えてよいのだろうなぁ、と思う次第です。

脇能ではなくても、能の「急」の部分は、舞で締められます。

序ノ舞はゆったりと始まり、中ノ舞ならばいくぶん早めとなり、破ノ舞、早舞、神舞、男舞、などは活発で、最も「急」を実感させてくれる舞であります。

たいへん興味深いのは、こうした多様な「舞」を支える囃子の、笛の奏でる節が、すべて共通である事実です。
速い舞の囃子は、ちょっと聴いただけですと、序ノ舞や中ノ舞などとは違う節に聞こえますが、洋楽で言うところの4拍子に当てはめて2小節相当分をよくよく耳にしますと、速い舞の節は、ゆったりした舞の節の見事な短縮型であることに気付くはずです。
節が一定だと言うことは、囃子は決して能の場面を具象化する手立てではない、ということを物語っています。
すなわち、舞の囃子に限って言っても、能楽囃子はある種象徴的なものなのであって、能が何を表現しているかは、あくまで舞そのものに委ねる姿勢を貫 いている。これは歌舞伎と大きく違う点であり、前にみました「平家(平曲、平家琵琶)」の、「詞章を取り去った節」と類似した機能を果たしているとみなせ るようです。

同じ序ノ舞でも、たとえば「羽衣」(三番目物)で舞われるものと「井筒」(これも三番目物)で舞われるものが異なっているのはDVDでも目にすることが出来ますので、ご興味がおありでしたら是非ご覧頂きたく存じますが、用いられる囃子は基本的には<同じ>なわけで、それでも<同じ>に聞こえないのが、能の面白いところです。

とはいえ、序之舞を二つ並べても仕方ありません。
先に述べた、節の同一性を聴き取って頂くために、序之舞、中ノ舞、早舞のそれぞれから、少し抜き出して比べられるようにしてみましょう。

・序ノ舞(部分)笛:藤田大五郎、小鼓:幸宣佳、大鼓:瀬尾乃武

日本伝統文化振興財団「能楽囃子体系」から)

・中ノ舞(部分)笛:中谷明、小鼓:敷村鐵雄、大鼓:柿原崇志

KING RECORDS「室町の仮面劇・能楽」から KICH2252)

・早舞(部分)笛:寺井政数、小鼓:北村一郎、大鼓:守家金十郎、太鼓:柿本豊次

日本伝統文化振興財団「能楽囃子体系」から)

いかがでしょうか?

この節に耳慣れれば、あとは
「おお、能の見どころだ!」
と、舞そのもののほうに視線を集中して鑑賞が出来るわけですね。

それにしても、こんな万能の節回しを最初に創り出した人は誰なのでしょう?
こうやって抜き出して聴いてしまうと「なあんだ」なる具合になりかねませんが、むしろ、これまで能をぼんやり眺めて気付かずにいたのですから、この同一性には私たちは<非常な驚き>を感じるべきでしょうし、私自身は本気でびっくりしております。

今回までで、能のはじまり、中盤の愁嘆場(!)、クライマックスを、耳の方でどう判別するかの方法は明確になった・・・のでしょうかね。(^^;

さて、それならまたべつのことに話をかえて行かなければなりません・・・

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2011年1月15日 (土)

でたとこ能見物(4)能の臍、曲舞【くせまい】

(1)能の大まかな構成(2)小段構成の具体例(3)能の始まりかた(常座・ワキ座・狂言座)(4)能の臍(5)能のクライマックス  


素人なりに、能の進行順に特徴的なところを捉えておけばいいのかな、と思っているのですが、とりあえずいきなり、中間の部分のクライマックスを築く「クセ」に参ります。ここではたいてい、曲舞(クセマイ)が舞われます。勘違いもあるかもしれませんので、そこはお詳しい方には是非ご教示こいたいと存じます。

(1)で触れた世阿弥『能作書(三道)』による構成論を念頭に、能のCDを「見る」と、(個人的には)面白いことに気が付きます。

特別なもの(『能楽囃子大全』など)を別として、謡は、世阿弥が言うところの破の部分にあたるところから取り出したものの割合が高く、囃子は同じく急の部分のものの占める量がおおいのです。もちろん、謡のCDにも急の部分のものが収録されていますし、囃子のCDにも破の部分のものが含まれますけれど、傾向としては、謡は破、囃子は急から場面を選んで収めている。
これは、能の中でのそれぞれの役割が、どの場所にもっともよく現れているかを、そのまま示しているものであるように直感されます。

能に慣れない客で出掛けますと、ほとんどはまず、最初から、そのテンポのあまりにゆっくりなのに面食らうはずです。(3)で聴いてみた「次第」なり「名乗リ笛」なりを仮に聴き覚えて出向いたとしても、いざワキが語り出すと、独特の吟詠調でのんびりしすぎるくらい、1音節に数秒かけるような遅さで発声されることに、現代の普通人は戸惑うはずです。はじめは戸惑わなければウソだ、とも思います。

そのあたりの時間感覚の話はひとまず措きまして(これはこれで、最初のワキの語りでいかに能の時空に引き込まれるかが非常に面白いと感じているのですけれど)、能がお客に向かってどこを聴かせどころとし、どこを見せ場としようとしているか、は、謡や囃子の録音の出されかたに典型的に現れているのではないか、ということを、今回は申し上げておきたいと思います。

世阿弥の『三道』に戻りまして、振り返ってみましても、破の部分は謡い〜問答〜クセ【曲舞(くせまい)】、急は活発な舞で構成されるのが良い、と語られていますし、市販されるアンソロジーでも、能というものがまさに世阿弥の言うように作られてきたものだと判明するのだと言ってもよいのではないでしょうか?

とくに、曲舞の部分は、破から急への大切な繋ぎで、キリ(終結部)の舞が留めにかかるまで囃子のみを背景に舞われるのに対し、謡と交錯するものでもあります。クセの部分が『井筒』のように舞台の床にひざまづいたまま、となると、初心の私たちはまた迷わざるを得なくなるのですが、そうでなくても曲舞はゆったりしたものが多いので、真ん中に舞だけの部分があっても、言葉を聴き取るのが大切になってくるのではなかろうかと感じます。

能の言葉は聴き取りにくい、と言われるのだそうですし、たしかに言い回しが古語ですので、意味を掴もうとすると大変です。ですけれど、キーワードが分かっただけでも、内容はたいそう透明になる気がします。
言葉を聴き取るはじめのポイントになるのが、最初にワキが「次第」で語る中に出てくる「地名」で、この「序」の部分は集中して傾聴する価値がありますし、「ゆっくり」ですから必ず聴き取れるものでもあります。「地名」で、固有名詞ですから、日本語がわからない外国のかたと観にお出掛けになられても、そのかたに、
「どうやらこういう場所が舞台のようだよ」
と、そっと耳打ちすれば
「ふ〜ん、で、どういう場所だい?」
「これこれこういうところで・・・(と、地理や、平安時代あたりの歴史はちょっと勉強がいるかもしれません)」
「なるほど!」
ってな具合になって、あとが楽しめるんではないかと思います。

その後のストーリーは、クセにあたる部分で、それまで正体不明だったシテの素性が明らかになる、という展開ですので、そういうもんだと思ってなにげなく耳を傾けていて、人名が出たら
「ん? これがシテの正体に関係あるのかな?」
と気に留めるくらいで、だいたい分かるんじゃないかと思います。
通常、ここまでが、現代の日本人には非常に緩やかすぎるテンポなので、ここで頑張り過ぎて、見せ場になったら眠ってしまっている、ということも起こり得ます。
じつのところは日本だけでない、アジアの伝統芸能でも、見せ場までの説明にあたる部分に大事に時間を割くのですが(ジャワの影絵芝居など)、その部分は、現代日本人は、あまりに時間感覚が忙しくなり過ぎて、耳を傾けることを忘れてしまったんじゃないかと・・・これは自分自身を省みても・・・思います。

クセの部分は、ほとんどの場合、キリにも繋がる大事な場面描写で、シテを演じる能楽師さんは舞の型を舞うだけなんだそうですけれど、その型が、背景に流れる地謡(じうたい)の言葉や流れと密接に絡み合って、けっこう具体的な場面描写を見せてくれる舞になっています。したがって、クセの部分で、その能の演目の意味合いを舞から見て取っておくと、囃子だけで舞われるキリの部分の、舞の表わしているものが、いっそう明解になるものと思っております。
・・・100%そうだ、という話ではないので、大目に見て下さいね!

『海士』という能について、「クセ」と明記されているわけではないのですが、作りからいうとクセの位置にある舞については、三浦裕子著『能・狂言の音楽入門』(音楽之友社 1998)20-24頁に、仕舞として舞われたものの一連の写真が出ていて、分かりやすく丁寧に解説されています。こうしたものが他にもあるといいのですが、見るほうの立場としては、それでだいたい、他の能の舞であっても「観客から見える」舞による具体的な場面描写は、かなり感得可能になると感じています。野村四郎さんによる『仕舞入門講座』(檜書店)も初心には親切なテキストですが、これは舞を実際に舞う勉強する人のためのものだと思います。DVDも出ているので、もっと知りたいなぁ、というときにはありがたいテキストではあります。が、実技の本であって、鑑賞者向けではありません。で、やはり、舞はきちんと先生について習うもんだなぁ、との思いを強めさせられます。(そのかわり、テキストもDVDも、能をなさるかたの精神の姿勢みたいなものがきちんと伝わってくるところが素晴らしいと思います。)

クセの部分の例で、音で聴けるものを例として掲げて、今回はそこまでにしておきます。

「船弁慶」のような大掛かりな作品ですと、いったんクセの部分にキリにも相当する舞を置いて一区切りさせますので、こうしたものは、ちょっと参考になりません。「羽衣」の場合も、クセとキリがわりと直裁に繋がる特殊例だと言えます。これは通常は五番目物の特徴ではないかと思います。そう思って、観世流の謡本の解説を読みましたら、「羽衣」はやはり三番目物としては変わった作りで、昔から切能としてもちいられもしてきた、と書かれていました。それでも、「羽衣」のほうが原則には当てはまっていますので、「羽衣」のほうをお聴き下さい。このクセのあとで、序ノ舞でキリの幕が開きます。

幸い、良い映像も市販で出ていまして、野口兼資さんのものなのですが、野口さんの謡は初めて聴くにはかなり特徴的なものですから、そこを勘案しながらご覧になられたらよろしいかと存じます。(NHKエンタープライズ NSDS-11014 セット販売の1枚としても、個別でも、いづれでも入手出来ます。)

ここでは観世寿夫さんの残した録音を聴いておきましょう。(地頭は観世静夫【八代目銕之丞】、笛:一噌正之助、小鼓:穂高光晴、太鼓:安福建男、太鼓:金春惣右衛門・・・1969【昭和44】)
Victor VZCG-8430

観世流の仕舞形付(昭和35年印刷のもの)から抜き書きしておきます。(「舞囃子形付」からやりたかったのですが、高価なので躊躇し手にしていません。)
謡の節付けや謡い出しの間の注記は省き、【】の中に舞の形付を記します。
意味の注記は、いまはしません。

開、ウケ、左右、サシ回シ、打込ミなどは、舞いかたです。これは少しだけ。
拍子は、足を踏みます。
サシ込は、前進するとともに腕を前に水平に上げて行くような動作。
打込は、腕が上から前に打ちおろされる動作。
左右とは、左〜右と向く動作。

正とか大小前といった位置の用語は舞台図などをご覧になればお分かりになるでしょうが、正は能舞台の真ん中(正中)、大小前は後ろに大鼓小鼓がいる場所を指しますので、具体的には正中のすぐ後ろです。角(スミ)は、能舞台の右前の、目付柱あたりのところ。

文中で赤く示した舞の動作は、本来傍注なので、挟む場所が不適切な箇所はご容赦下さい。

謡については、途中、「君が代は のところから次のがあるところまではシテが謡いますが、クセのなかのこうした部分をアゲハといいます。アゲハの前は低く(下音〜中音と呼ばれる音の間を主として)、後は高く(上音と呼ばれる音を中心として)謡われます。

一部、変換困難な漢字、読みの面倒な漢字は仮名にします。「乃」は「の」と、「ハ」は「は」としておきます。読みに注意すべき漢字のあとには()内に読みを仮名で記しておきます。

春霞 【静ニ立】たなびきにけりひさかたの月の桂の花や咲く。げに花かづら色めくは春のしるしかや【左拍子】【右ウケ】面白や天(あめ)ならで。【正ヘ直シ正ヘ出】ここも妙(たえ)なり天(あま)つ風。雲のかよい路【サシ込開キ】吹き閉じよ。【右ウケ】おとめの姿。【二足ツメ】しばし留まりて。【正ヘサシ回シ開】この松原の。【角へ行】春の色を【角トリ】三保が崎。【右ノ上見乍ラ左ヘ回リ】月清見潟富士の雪いづれや【大小前ヨリ正中へ出】春の【サシ込開左右】曙。類ひ波も松風も【打込】のどかなる浦の有様。【右ヘ回リ】その上天地(あめつち)は、何を隔てん玉垣の。【大小前ヨリ正中ヘ出サシ込開】内外(うちと)の神の御裔(みすえ)にて。【左右】月も曇らぬ日の本や「【上扇】君が代は。天(あま)の羽衣稀に来て「【大左右】撫づとも尽きぬ巌(いわお)とぞ【左拍子】。聞くも妙なり東歌(あずまうた)【正先ヘ打込】声添へて【開】数々の。【身ヲ替出開】笙笛琴(しょうちゃくきん)箜篌(くご)孤雲のほかに充ち満ちて。【常座ヨリ正ヘ出】落日のくれなゐは蘇命(そめい)路の山をうつして【サシテ角ヘ行】緑は波に浮島が。【扇下ヨリ上ヘアゲ上ヲ見】拂ふ嵐に【扇カザシ左ヘ回リ】花降りて。げに雪を廻らす【大小前左右打込下居トメ・・・下居は仕舞として舞うときの終わり方です白雲(はくうん)袖ぞ妙なる

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2011年1月11日 (火)

でたとこ能見物(3)能はどう始まるの?

小倉貴久子さん×大井浩明さん 2台のフォルテピアノによるモーツァルト全曲演奏会第3回第15〜18番)は、2011年1月13日(木)18:30〜 東京・池袋の明日館にて。今回はまたいっそう聴きごたえがあります!

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(1)能の大まかな構成(2)小段構成の具体例(3)能の始まりかた(常座・ワキ座・狂言座)(4)能の臍(5)能のクライマックス


能が10前後の段からなっているのを、前回例示しました。
でも、それではまだ抽象的で、能がどんなふうに始まるのか、から、具体的に分からないと、能は見られないように思います。

個人的には白洲正子さんのお書きになられていらっしゃることがすべて大好きなのですけれど、いっぽうで、

「能は死ぬほどつまらない」

なる言葉も、たいへん印象に残っております。
この言葉をタイトルとする本は書店でようやく見つけまして、中身を読んだら演劇論みたいなものだったのですけれど、序章にだけこの話がでてくるのでした。
で、それ自体は、素人の私には非常に共感の持てるものでした。
話はもっと深いのですが、表面だけ拾っておきますと、外国人が演能に連れて行かれ、最初はその奇麗さに魅かれたものの、中身がちっとも分からな くって途中ですっかり飽きてしまって居眠りまでして、終わったときには地獄から開放された安堵につつまれて帰路に着いた、みたいなエピソードが出て来ま す。

鬼や活発な怨霊が出てくるような能ならば、後半はとりあえず面白くて、そこで目を覚ますことも出来るのですけれど、後半も静かな(よりただしくは 流麗な)「井筒」だとか「羽衣」だと、やっぱり寝てしまってもおかしくない。知識があるなしではなく、入り込まないと、初心者は、やっぱり寝ちゃうと思う んです。

観世喜正さん(銕之丞家分家四代目、1970-)が精力的に取り組んでいらっしゃる札幌での演能はDVDで6タイトルくらい発売されていて、その うち5つまでは鬼が出てくるモノだったと思います。それだけ、鬼が出て来ない演目は、慣れないと馴染みにくい、と言うことかもしれません。私は懐具合から まだ4つまでしか見ることが出来ずにいますが、鬼だらけの喜正さんのDVDの中で、鬼が登場しない演目である「邯鄲」のDVDには特に好感を抱いておりま す。まず演目の中で使われる言葉がわからないだろう、との配慮から、お客様に向かってその解説を前もってすることから始めている(DVD上は付録映像)や りかたも、能を本格的になさっていらっしゃるかたがたの受け止めかたはどうか分かりませんが、能を現在に活かすという意味ではたいへんに意義深く感じられ ます。その語り口の気軽さも良いなあ、と思っております。たとえ「コマーシャリズムに乗っているんじゃないか?」と陰口を叩く向きがあったとしても、これ は絶対に必要で大切な活動です。(喜正さんの映像で最初に拝見したのが「道成寺」だったのですが、そのときにはまだ、鑑賞者としては少し抵抗がありまし た。が、「邯鄲」でその抵抗も失せ、考えも改まりました。会場となっているスピカの「大きさ」も充分考慮されていることも分かりましたし。善正さんの映像 に殆ど併集されている、能装束や面の案内も、私のような無知識のものにはたいへん有り難いものです。)

毎度ながら話が横にそれましたが、とにかく鬼が出てくるものなら、かろうじて後半は眼を醒まして夢中で見られる。

でも、せっかく「なんか魅力があるんじゃないの?」と感じて見始めるからには、鬼が出て来ないものも、居眠りしないで楽しみたいですよね?

というわけで、能の始まりに何が起こるか、を、ざっと見ておきましょう。

前置きばっかり長くて、以下はあんまりたいしたことはありません。

大事な能とされている「翁」だけはまったくの例外ですし、他にも特別なものはいくつかありますが、最大公約数で参ります。

能舞台には歌舞伎・演劇・オペラやミュージカルのステージとはちがって、舞台そのものをかくす幕がありません。ですので、始まりを告げる調べが、開演を知る唯一の手段です。

実演では「お調べ」なる、囃子方のひとたちの音合わせ(チューニング)が舞台裏から響いて来たら、
「さあ、はじまるぞ!」
ということになります。

ですが、映像ですと、「お調べ」なんか収録はされていません。とりあえず、いまもこれは音を省略します。

舞台で鑑賞するときもですが、では、ほんとうに能の物語が展開されるときの、最初の響きはどんなものだろうか、ということが大切になるのですね。

これは、「翁」ひとつが特殊パターンでして、他はだいたい決まっています。(【】の中は、新潮日本古典集成に出てくる数・・・ただし、「置鼓」という特殊な始まりかたをする『白楽天』を除く。)音声は『能楽囃子体系』から抜粋(トラック全部ではありません)。

1)とくになにもなくて始まる場合【14】

2)「次第」と呼ばれる囃子で始まる場合【49】

3)「名ノリ笛」と呼ばれる囃子で始まる場合【36】

1)のパターンは、アイという役割(能の話を分かりやすくしてくれる前口上を話すひと)が最初に現れる場合や、作品の構成が冒頭に静粛を求める場 合(「葵の上」など・・・もっとも、「葵の上」の最初の登場者はワキツレ【後述】です)、あるいは特殊な作り物を据えるのを見せる場合にとられます。この 最後の場合は、作り物を据えたあとから次第が始まるものも多くあり、それは次の2)のパターンと見てよいかと思います。

2)のパターンは、最初の登場人物がアイ以外のどんな人物であっても使える、いちばん汎用性が高いものだそうですけれど、笛が空気を裂くような高い音で鳴り出すので、
「おお、始まるぞ!」
という期待感をとても高めさせる効果があります。ワキとともに複数の登場者で始まるときに用いられることが多いようです。(2)で挙げた例では、「船弁慶」。「高砂」は通常型ではないもののこの型です。あるいは、「一声」で始まる場合もあります(「羽衣」)。

3)のパターンは、最初の登場人物がワキという役割であり、かつ、そのワキが(単独で)登場したときに、ワキ自身がどういう名前でどういう立場の人物なのかを語る(この自己紹介を「名ノリ」と言います)場合に、前もって奏される囃子です。
能は殆どの演目が主人公を「あの世のもの・異界のもの」としていて、あるいみで劇の外側に位置し続けるアイを例外とし、ワキやそのツレ(ワキツ レ)に属するほうが、劇中の主要な「現実世界の存在」となって、シテに対峙します。端的な例では、舞が殆どを占める「猩々」ですと、ワキはただ猩々という 異界の者を紹介するためだけに、「自らはこういう者である」と名乗りに現れるのですけれど、このときには「名ノリ笛」で登場するわけです。(2)の例の 「頼政」・「井筒」・「道成寺」はこのパターンです。

で、舞台上に現れた人物は、まず舞台の左奥(常座【じょうざ、名ノリ座とも】)で最初のセリフを言い、そのあと定められた場に座ります。

通常はシテよりさきに登場するワキや、あるいはストーリーの進行をなんらかのかたちで観客に分かりやすくしてくれるアイという役柄は、どこで区別がつけられるか、も、能では視覚的にはっきり分かるのが普通です。
それぞれに、語り終わったり喋り終わったら、着座する場所が決まっているからです。

ワキは、客席から見て右手に座ります。そこで、ここを「ワキ座」と呼びます。

アイは、橋掛り(客席から見て左手から能舞台に向かって伸びている通路で、ワキやシテはここを通って舞台に登場します)のいちばん右のあたりに座 ります。それでは、そこを「アイ座」と呼ぶのか、といいますと・・・これは違います。アイの役を務めるのは、演能に際して、能と能のあいだに狂言を演じる ひとたちです。したがって、アイの座る場所は「狂言座」と呼ばれます。

そのあたりは、能の鑑賞の入門書にはみんな書いてあることですから、言わずもがなかもしれません。(ましてど素人が!)

あんまり言わずもがなの度が過ぎない、こんなところで、今回はやめにしておきましょう。

とりあえず、「次第」の囃子で始まるのか、「名ノリ笛」で始まるのか、笛も鼓もなにも鳴らないで人物が現れるのか、で、能の次の展開が予測できてワクワク出来る、とうところまでを、まずは知っておけばよいのかな?

参考)「次第」のときの囃子の手は「ノラヌ三地」というものだそうですが、近世以降の八つ割で説明されています。(『能楽囃子体系』解説書)

いま、その図のとおりではありませんが、それをなんとか載せてみます。音声のほうで分かりますとおり、等拍で奏されるのではありませんが、そこに込める「気」のまとまりのようなものは、よく表わされていると思います。

     1 2  3 4  5 6  7   8
大鼓 ・ヤア  ハア△         二回目→・
小鼓           ヤア・  ヤア・ ハァ○

     1 2  3 4  5 6  7   8
大鼓  ヤア  ハア△           
小鼓           ヤア○  ヤア○ ハァ○
      ここはこっちではないかなぁ→・

三巡目と四巡目はこうなるでしょうか?
     1 2  3 4  5 6  7   8
大鼓  ヤア  ハア△            
小鼓           ヤア○  ヤア・ ハァ○

     1 2  3 4  5 6  7   8
大鼓  ヤア・ ハア△    △  ハア△     
小鼓     ○   ・ ヤア○    ○ ハァ○

笛は、今回の例では、四巡目の小鼓の「ヤのすぐあとあたりで入ります。笛の入りは、様々な録音で確認すると、特段これが一定に決まった入りかたではないようです。

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2011年1月 4日 (火)

でたとこ能見物(2)小段構成の具体例

(1)能の大まかな構成(2)小段構成の具体例(3)能の始まりかた(常座・ワキ座・狂言座)(4)能の臍(5)能のクライマックス


(1)の復習をしておきますと、能の構成について、世阿弥は『能作書(三道)』(応永三十年【1423、世阿弥61歳】)という書物の中で、能の台本(謡曲)は序1段、破3段、急1段の計五つの段から成るのが原則だ、と述べていたのですが、現行の謡曲は、古典の全集では10段前後に区分されているのを目にすることが出来ます。
ただ、それらを観察しますと、各段2つずつが世阿弥の五段のうちの一段を構成する、なる単純なものではなくて、「序」と「急」にあたる部分は大抵は1段のみであり(複数の段にわたることがある)、残りは主として、劇としての演出を作者がどう考えたか、あるいはその台本の素材が劇にどんな流れを要求することによって、「急」の部分の小段配置に工夫を凝らすことから変化と充実がもたらされているかのようです。

今後の「観察」を念頭において、いくつかの例を見ておきましょう。市販の古典全集はどれも親切に分かりやすい傍注を記入してくれていますが、いまは新潮日本古典集成によります。
()内はよく用いられる演出方法とのことです。□は、分類を決め難い構成要素とのことです。
だいたいこのへんかな、というところに<序>・<破>・<急>と入れておきましたが、誤っているかもしれません。
なお、次第、サシ、一声(イッセイ)、問答、クセについては(1)でどんなものかの説明を引いておきました。他に出てくる小段要素については、いまのところは、「こういうことばが出てくるのか」程度にとらえておき、それらの中から特徴的なものについて、今後観察して行くことにしたいと思います。


高砂(たかさご、世阿弥作〜脇能【初番目】物)

<序>
1.(真ノ次第)〜次第〜名ノリ〜上ゲ歌〜着キゼリフ
<破>
2.(真ノ一声)〜イッセイ〜(アシライ)〜サシ〜下ゲ歌〜上ゲ歌
3.問答〜上ゲ歌
4.問答〜クリ〜サシ〜クセ
5.ロンギ
6.問答〜語リ〜問答
7.上ゲ歌
8.(出端)〜サシ
<急>
9.上ノ詠〜一セイ〜神舞
10.ロンギ


頼政(よりまさ、伝世阿弥作〜修羅【二番目】物)

<序>
1.(名ノリ笛)〜名ノリ〜上ゲ歌
2.□
<破>
3.問答〜上ゲ歌
4.問答〜語リ〜掛ケ合〜上ゲ歌[中入り]
5.【アイの】名ノリ〜問答〜語リ〜問答
6.□
7.(一声)〜サシ〜上ノ詠〜一セイ
8.掛ケ合〜上ゲ歌
9.名ノリグリ〜サシ〜クセ
10.語リ〜中ノリ地
<急>
11.ロンギ


井筒(いづつ、世阿弥作〜鬘【三番目】物)

<序>
1.(名ノリ笛)~名ノリ~サシ〜歌
<破>
2.(次第)〜次第〜サシ〜下ゲ歌〜上ゲ歌
3.問答~上ゲ歌
4.クリ〜サシ〜クセ
5.ロンギ[中入り]
6.【アイの】語リ~問答
7.上ゲ歌
8.(一声)〜サシ
9.一セイ〜序ノ舞〜ワカ
<急>
10.ワカ受ケ〜ノリ地〜歌


道成寺(どうじょうじ、作者不詳、観世信光作?〜四番目物)

<序>
1.(名ノリ笛)~名ノリ[ワキ]
2.問答〜触レ
<破1>
3.次第〜名ノリ[前シテ]〜上ゲ歌
4.問答[アイとシテ]
5.問答[アイとワキ連]
6.問答[アイとシテ]
7.アシライ=□〜次第
<急1>
8.乱拍子[乱拍子謡]〜[ワカ]~急ノ舞[ワカ]
9.ノリ地〜[前シテの鐘入り]
<破2>
10.□〜問答[アイ同士]
11.問答[ワキとワキ連]〜問答[ワキとアイ]〜語リ〜問答[ワキとワキ連]〜(ノット)
<急2>
12.□〜ノリ地
13.祈リ=中ノリ地〜歌


船弁慶(ふなべんけい、観世信光作〜切能【五番目】物)

<序>
1.(次第)〜次第〜名ノリ〜サシ〜下ゲ歌〜上ゲ歌〜着キゼリフ
2.問答[ワキとアイ]
<破>
3.問答[ワキと子方]〜問答[ワキと前シテ]〜問答[ワキと子方]〜上ゲ歌
4.問答~掛ケ合〜詠〜問答〜物着アシライ〜[一セイ]〜イロエ
5.サシ〜クセ
6.[ワカ]〜中ノ舞〜ノリ地〜上ゲ歌(中入り)
8.[シャベリ]〜問答
9.□〜問答〜一セイ
10.問答[ワキとアイ]〜問答[ワキとワキ連とアイ]
11.□〜問答[ワキと子方]〜[クリ]〜歌
<急>
12.(早笛)〜名ノリグリ[後シテ]
13.□〜ノリ地〜舞働=ノリ地


何番目物、というのは、元来、能が五番だてで演じられ(世阿弥の絶頂期は三番立くらいだったようですが、その晩年には五番どころではないほどに増えたりし、世阿弥は少々危惧の念を持っていたようではあります・・・で、彼の書き残したものからは、彼がいちおう五番立てに分類される嚆矢をなしたように読めます)、それぞれの順にどんな趣の物語なり内容が演じられるかが決まっていたことから来る呼び名で、初番が神ないし神の化身、二番が修羅道に堕ちた武人、三番が女性もしくは美男、四番が狂あるいは他のどれにも入れ難いもの、五番が異界からの来訪者を、それぞれ扱うのが原則だそうなのですけれど、例外もあります。船弁慶などは四番目物だと記してある本もあります。
段の構成は、上記の謡曲が何番目物であっても、その分類を特段代表するものではなく、物語の要請によって自由に組み合わされています。ですから、上例からは、むしろ、その謡曲が何番目物であっても、かなり似たところがあるのに注目しておけば良いと思います。五番目物の名作、「猩々」(作者不詳、金春系統の能か?)などは、謡曲そのものには殆ど言葉がなく(新潮日本古典集成では3頁足らず、4段)、舞のみが大きな見どころとされています。
作者が世阿弥または世阿弥だと思われているもののシンプルなつくりに対し、能が危機に瀕した頃の功労者だった観世信光の作だと考えられている「道成寺」・「船弁慶」は、もし能が幕で区切られる演劇だったら二幕になっただろう、入り組んだ構成になっています。上では「道成寺」の方は仮にそのような意識で<破1>・<急1>と挟んでみました。本来は<急1>とした「乱拍子」の部分は、まだ<破>の部分に属すると見るべきでしょうが、この「乱拍子」は「道成寺」のみにある小段でもあり、非常に緊迫した静粛による長い間が大きく開くうえに、このあとで前シテが鐘に飛び込むという、これも独自の激しい演出を伴っていて、ここにいったん<急>が来る、と見なしても不自然ではないと感じております。そのあとの、アイの問答が、独立した狂言(ただし話は謡曲本体に密接に絡んでいるため切り離すことはあり得ない)と思ってもよいほどに長いのも特徴ですが、これは「船弁慶」の8〜10段の問答にも似通った点があります。・・・とはいえ、この問答をあまりに長々演じると、能全体が緩みます。

「ロンギ」についてだけ説明を引いておきます。

これは論議の義で・・・多くは地謡とシテとの掛合であるが、稀にはワキとシテ、又はツレとシテでロンギを謡ふ場合もある。(藤波紫雪『お謡ひ稽古の手引』)

三省堂の『能楽ハンドブック』では、「中入の前にあるシテとワキのかけ合い」云々とありますけれど、実践家である藤波師の説明のほうが、謡曲の内容に照らし合わせると正しいのが分かります。

ここまでみておいたところで、小段の要素の特徴などを、また少しずつ見て行きたいと思います。

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2010年12月29日 (水)

でたとこ能見物(1)

(1)能の大まかな構成(2)小段構成の具体例(3)能の始まりかた(常座・ワキ座・狂言座)(4)能の臍(5)能のクライマックス


さて、屁理屈で言い訳しておいたので、いよいよ、ものしらずの能見物を始めたいと存じます。

本来は習って知るべきところを本によってのみ見て行く上に、あくまで素人記述ですので、勘違いの点は、例によってご指摘・ご指導頂ければ幸いに存じます。

内容は知りませんが、『能は死ぬほど退屈だ』というタイトルの本もありますように、とくに前半部分では歌舞伎や人形浄瑠璃のような大きい動きを殆ど見せない能は、最初よっぽど好条件で出会えないと、近代人の私たちには、見物するのに飽きがくる、むずかしいものだと感じます。
白洲正子さんも、最近発行された平凡社ライブラリー『美の遍歴』におさめられた草稿の中に、こう書かれています。

「お能は芝居や映画の様に、ぼんやり座ってみていても、決して向うから面白くなって来てはくれません。むしろ見物の方から、積極的に協力しないかぎり、これ以上つまらないものはありますまい。」(「能のデッサン〜鑑賞について 『美の遍歴』93頁)

その積極的な協力というのが、また、能に描かれた物語の出典だとか、舞いかた謡いかたや囃子についての知識を持つことではないのだ、と、能をよくお知りになっているかたには仰られるところがまた、案に相違して難しい。それは、やはり白洲さんが『お能の見方』(新潮社 とんぼの本)で引いていらっしゃる福原麟太郎さんの言葉にあるような素直な出会いを、私たちが出来る機会をなかなか得られないところに理由があるのではないか、と、私には思われます。

「近藤乾三氏の熊野(ユヤ)が、南をはるかに眺むればと上扇(あげおうぎ)だか何だかをしたときは、あっと感心した。このおじいさん、何も考えてはいない。ただ形をしているだけに過ぎないのである。然るに実に美しい。ああいうのはどうにもならない。ただ美しいというよりほかに言いようがない。熊野の境涯とか、この能の思想とかいうことは、何の関係もなく、ただ一人の美女が扇を上げている美しさなのである。」(6頁)

いっぽうで、そんな困った状態でいる素人向けには大変親切な本である『能楽ハンドブック』(戸井田道三監修、小林保治編、三省堂 第3版2008年)ではこう述べられています。

「能が演劇だというのなら、観る前に何の準備が必要なものか、事前の用意なしには十分にはわからないというものなら、それは本物の演劇とはいえまい、などと勇ましく、したり顔に言う人がいるが、それは能が『語りの歌舞劇』であることを解さない者の公式論に過ぎない。・・・『語り』の内容を知らずに、それにもとづく歌舞の面白さを十分に味わうことは、無理な相談に近い。その意味で、能は文楽などと同じく、観客に観るための用意を求める芸能ということが出来る。」(33頁)

そんな、能解説者の対立した見解の中をとるのに都合のいい方法はないのでしょうか?

過去の人の生み出した芸能というものは、別段日本の伝統芸に限らず、本来このブログの対象であるクラシック音楽でさえも、その過去に対する理解がなければ「分からない」部分を必ず持ってはいる、と思います。反面、じゃあ分からないから楽しめないか、というと、それはそうでもなかろう、と思います。なまじっか自国の文化であって由来を突き止める方法がどこかにあるはずだ、と前提してしまうから、由来を知らずには楽しめない、なる逆説が生まれてくるような気もします。

といっても、そこは簡単に断定できることではありません。

いちおう、由来を知る手がかりがないとしてでも掴みやすいのは、音や形に出る動きがどのような規則性を持っているかを感じ取ることではないか、と仮定して、それを単純に追いかけてみるのはどうか、と、最初は考えてみましたが、それはそれで、せっかく自国のものなのだから、整理するには幾許かの「由来」のようなものも、ある程度把握しながら進めて行くのが、よりよかろう、と思っております。


そこで、「能」はだいたい10前後の「小段」というものから構成されているところに目をつけていこうというのが、<でたとこ能見物>の狙いです。

この小段の組み合わせかたについては、現在に残る能楽の始祖とも言える世阿弥が、五段構成でのありかたを『能作書(三道)』という書物の中で述べていますので、今回はこれをご紹介するところで以後の準備としたいと存じます。【】の中が、今の能で使われている用語です。

作とは、種(能の素材)をば、かやうに(=前節のように)求め得て、さて、よくよくなす所を定むべし。

まづ、序・破・急に五段あり。
序一段、破三段、急一段なり。

(序段ハ)開口人【多くはワキに当たる登場人物】出でて、指声【サシ】より次第【次第】、一謡ひ(ひとうたい)まで一段。

(是より破)
さて、為手【シテ】出でて一声【一声】より一謡ひまで一段。
そののち、開口人と問答【問答】ありて、同音一謡ひ、一段。
そののちまた、曲舞【クセ】にてもあれ、只謡ひ(普通の謡)にてもあれ、一音曲、一段。

(是より急)
その後、舞にても働き【ハタラキ】にても、あるいは早節・切拍子【キリ】などにて一段。

以上、五段なり。

(小西甚一編訳『世阿弥能楽論集』所収。「三道」は角川文庫でも読めます)


【】で括った言葉についてのみ、『お謡ひ稽古の手引』(藤波紫雪、檜書店)から説明を引いておいてみましょう。ただし、シテ以外については大まかなことが分かる程度に留めます。

ワキ:ワキは古くは脇の為手(シテ)と云った、つまり、シテの傍に在って、これと対立して演技する人といふ意味である。(以下略)

シテ:シテは為手、即ち為(す)る人----演技者の義で、一曲の中心になる人物を云ふ。能楽は、概ね、前後二場に分れて居り、シテは一旦退場し(これを中入【なかいり】と云ふ)、扮装を改めて再び登場するのが普通であるが、この場合には、前場のシテを前シテ、後場のシテを後シテと云ふ。前シテと後シテとは同一の人物であるのが原則であるが、中には、前シテが静御前、後シテが平知盛の怨霊というやうに(注:これは「船弁慶」の例)、全く別個の人物である場合もある。

サシ:これは洋楽の吟誦調(レシタテーヴ)に相当するもので、拍子に合はせずスラスラと淀みなく謡ふ。(以下略)

次第:これは次第の囃子で登場した人物が登場最初に謡ふ謡・・・(以下略)

一声:シテ(又はワキ、ツレ=シテかワキの同伴者)の登場の際に奏される囃子の一種・・・(以下略)

問答:(これは『お謡ひ稽古の手引』には記載がありません。『能楽ハンドブック』によります。)広義の能のコトバによる対話。

クセ:曲舞の主要部分・・・(中略)・・・殆ど全部が地謡(客席から見て右手の板の間に座った人たちによる謡)で、途中にシテの謡ふ部分が一個所ある。これをアゲハと云ふ。・・・(以下略、曲舞については記載なし、他の説明も引用が難しいので今回は略)

ハタラキ:(これも記載ありません。舞台を一巡するだけ、などのように、舞に至らない動作をいいます。)

キリ:一曲の終末をなす謡で、拍子に合ふ。(以下略)

拍子ということについては、単純なようで難しいことがありますし、言葉にするより耳で直接のほうが「ああそうか」と感じられたりしますので、いまは触れずにおきます。

これでも少々煩雑な気がしますが、こんなところで、以後の準備としたいと思います。

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2010年12月28日 (火)

CD:JAPANESE TRADITIONAL MUSIC 1941年

聴くほうだけは日本伝統音楽づいている今日この頃を過ごしています。

いっとき西欧クラシックの20世紀初頭の録音に強烈に魅かれたのと似て、日本伝統音楽にもそういうものはないか、と思っているところへ、以前、標題のもののシリーズで第1巻の雅楽と声明のものが出たときに心奪われていたのですが、手は出ずにいました。

平曲から能へ、と興味が動いている途上で、やはり聴いてみたく思い、手にしました。

http://www.ahora-tyo.com/search/search.php
日本伝統音楽、で検索すると表示されます。

本録音は、民謡研究で有名な町田嘉章をはじめ、音楽学者:田邉尚雄・音声学者:颯田琴次・音楽評論家:佐藤謙三、東京放送国際部長:頼母気眞六・KBS(財団法人 国際文化振興会、現:国際交流基金):黒田清常務理事らが制作に携わった5巻60枚の10インチSPレコードで、1941-42年に録音され、資料として非売品扱いで出たものだそうです。

5巻の内容は最近の伝統日本音楽の紹介モノに比べてもずっと多岐にわたるもののようで、CD化されるにあたっても、

1巻:雅楽、仏教音楽
2巻:能、狂言、盲僧琵琶、平家琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶、尺八(琴古流・都山流・民謡)
3巻:琴、三味線
4巻:三味線、神楽、囃子、子守唄、わらべ唄
5巻:俚謡(民謡)

となるようです。現在は2巻目までが出ています。

1、2巻の曲のリストを下に引用しておきます。
興味深い点としては、

1巻
・雅楽のテンポはこの時期になると現行とほとんど変わらない。
・天台声明の中山玄雄氏の唱法でのヴィブラートが洋楽的である(現行の天台声明はノンヴィブラート)が、謡の強吟がおそらく江戸期には発生していたことを考えると、ノンヴィブラート唱法が本来なのかどうかは分からない
・真言聲明は現行と類似

2巻
・能が囃子とともに収録されているのは「羽衣」からのものだけで、殆どが素謡なのは戦前の享受のされかたを物語っているのかどうか
・佐藤正和氏の平曲(「那須与一」から)は現在身近に聴き得るものとしては唯一とも言える波多野流である

といったあたりかなあ、と思っております。

続きの発売を心待ちにしております。

【1巻】
Jtm1雅楽 演奏:宮内省式部寮雅楽課
01. 久米歌 くめうた
02. 東遊 あずまあそび
03. 太食調調子・品玄 たいしきちょうちょうし
・ぼんげん
04. 高麗意調子 こまいちょうし
05. 越天楽 えてんらく
06. 崑崙八仙 急 こんろんはっせんのきゅう
07. 青海波 せいかいは
08. 長慶子 ちょうげいし
09. 太平楽破 たいへいらくは
10. 太平楽急 たいへいらくのきゅう
11. 抜頭 ばとう
12. 抜頭 ばとう
13. 催馬楽 さいばら
14. 朗詠 ろうえい

仏教音楽
15. 四智讃 しちさん/中山 玄雄
16. 錫杖 しゃくじょう/中山 玄雄
17. 教化 きょうけ/中山 玄雄
18. 対揚 たいよう/中山 玄雄
19. 云可唄 うんがばい/小野塚與澄
20. 合刹 かっさつ/小野塚與澄
21. 論議 ろんぎ/中山 玄雄・吉田恒三
22. 六道講式 ろくどうこうしき/中山 玄雄
23. 和讃(釈迦如来御和讃) しゃかにょらいごわさん
/小山内素憲
24. ご詠歌(巡礼歌)/鈴木きそ・佐藤ちよ
メンバー:
宮内省式部寮雅楽課
中山 玄雄
小野塚與澄
吉田恒三
小山内素憲
鈴木きそ
佐藤ちよ

【2巻】
Jtm2能・狂言
01. 高砂(たかさご)素謡 謡:観世鐵之丞(六世)
(観世流)
02. 八島(屋島)(やしま)素謡 謡:金剛巌(初世)
(金剛流)
03,04. 羽衣(はごろも)番囃子 謡:桜間金太郎
(金春流) 大鼓:川崎利吉、小鼓:幸悟朗、
太鼓:柿本豊次 笛:一噌 えい(金へんに英)二
05. 松虫(まつむし)素謡 謡:喜多六平太(喜多流)
06. 葵上(あおいのうえ)素謡 謡:桜間金太郎
(金春流)
07,08. 鉢木(はちのき)素謡 シテ:桜間金太郎
(金春流) ツレ: 不明、ワキ:宝生新
09,10. 夜討曽我(ようちそが)一調 謡:近藤乾三
(宝生流)、小鼓:大倉六蔵
11,12. 定家一字題(ていかいちじのだい)独吟
謡:梅若万三郎(初世)(観世流)
13,14. 実方(さねかた)独吟 謡:宝生新
(下懸宝生流)
15. 狂言小謡土車(つちぐるま)、七つになる子
(ななつになるこ)
謡:茂山千五郎(十世)
16. 狂言小謡 宇治の晒(うじのさらし)、福の神
(ふくのかみ)
謡:茂山千五郎(十世)

琵琶
17. 盲僧琵琶地神経(じしんきょう)演奏:北田明澄
18. 平曲那須与一(なすのよいち)演奏:佐藤正和
19. 薩摩琵琶小敦盛(こあつもり)演奏:吉村岳城
20. 筑前琵琶義士の本懐(ぎしのほんかい)演奏:
田中旭嶺

尺八
21. 阿字観(あじかん)演奏:宮川如山
22. 虚空鈴慕(こくうれいぼ)演奏:青木鈴慕(琴古流)
23. 岩清水(いわしみず)演奏:片山雄山、関野生山
(都山流)
24. 追分節(おいわけぶし)演奏:涌井古月

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2010年12月20日 (月)

ど素人 平曲考(12)『横笛』鑑賞 【とりあえず一段落】

埼玉県立大宮光陵高等学校、恒例の年末の定期演奏会は12月23日です。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/25-4f53.html



(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌(11)本文から想像する曲節(12)『横笛』鑑賞


「クラシック」を謳っているからには、ヨーロピアン・クラシックのブログでなければならんのですが、平曲すなわち「平家」を採り上げて来た理由は、後で申し上げます。

で、ちと煩雑になりましたが、ここまで、「平家」(平曲、平家琵琶)の、とくに名古屋に残っていて今井勉検校が録音を出している8つを主な素材とし、「平家」の曲(句)構造、その要素である曲節について、いくつかの本を参考にしながらみてまいりました。前回は、それを要約した上で、文学としての『平家物語』本文から逆に曲節が推測できないかどうか、を試してみたりしました。ご興味に応じてトライしてみて頂けたら面白いのではないかと存じます。

平家琵琶、と俗に呼ばれるところから今日の私たちが描くイメージからすると、初めて聴く「平家」は、琵琶の手数(てかず)が結構少ないのが意外だと思われるかもしれません。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が採話し『怪談』で昇華させた「耳なし芳一」の話から私たちが現在想像しがちな激しい琵琶は、同じく平家物語を素材にするようになった薩摩琵琶の演奏のほうがよく聴かれるようになったところに由来するのでしょう。

とはいえ、本来の平家琵琶、すなわち「平家」でかき鳴らされる琵琶は、それを用いながら語られる言葉を引き立てる上で最も適度な手数と適切な調べになっているもの、と、私は思います。使われた琵琶は雅楽の楽琵琶に由来するとされています(ただし、単純にそうであると言ってしまうべきではないことについては、兵藤 裕己『琵琶法師—“異界”を語る人びと』【岩波新書】およびその記述に従い一遍上人絵伝をご覧下さい)。実際、楽琵琶単独を雅楽から抜き出したものや、琵琶単独の秘曲として引き継がれているもののテンポ感は、平家琵琶と類似するものを持っています。

「平家」を語った琵琶法師たちは、次世代に盛んになる「能」の世界とも活発に交流したらしく(山下宏明『琵琶法師の「平家物語」と能』塙書房 2006 など)、「平家(平曲)」の構成は、たしかに謡曲にかなりの影響を与えたことが、じつは曲節の名称や繋がれ方から充分に推測されます。
ですので、今回、「平家」の中の一句を、そのすべては掲載できませんので、ハイライトをいくつかネタにして鑑賞の手がかりとし、いったん「平家」の世界から歩を進め、「能」に注目して行きたいと思います。

鑑賞するのは『横笛』にいたします。
これが、「平家」に少し突っ込んでみたい、と思ったきっかけになった平曲でした。
大井浩明さんがPOC第2回で採り上げた松平頼則のピアノ組曲『美しい日本』のなかに、この『横笛』を素材とした章があったのですが、記憶の中の松平作品は、平曲の歌い語りのほうを軸にし、琵琶の手については平曲の原態よりもロマンチックなかき鳴らしを試みているように感じ、20世紀の洋楽系作曲家としては日本の素材にもっともこだわった松平氏が、果たしてどんな意図でどんなふうに日本の伝統を引き継いだのかを考えてみたかったのでした。ただし、『美しい日本』は市販の録音が存在せず、楽譜も現在入手不可能ですので、実際の対応関係を見ることは出来ません。

『横笛』本文の鑑賞は、啓蒙書としては、これも現在では新刊では手に入らない山下宏明編『平家物語の世界』(朝日カルチャーブックス 大阪書籍 1985、こちらは古書で入手可)の中で、平曲の実際にもお詳しい山下さんご自身がすばらしいお話をなさっています。こちらではそれを援用しきれませんので、実際にお手に取ってみて頂ければ幸いです。

ここでの鑑賞は、先に申し上げました通り、断片的に終わります。ただ、『横笛』は、名古屋伝来のものを録音(一部伝来や復元曲は含まれていない)した今井勉さんのCDのほか、現在唯一手軽に聴くことの出来るCDでは井野川検校のもので聴くことが出来ますので、完全な姿を耳にしたい場合、もっともそのチャンスが多いものでもあります。

『横笛』は合戦場面等がないので、活発な「拾」は全く登場しません。その曲節構造を単純化して見れば、

口説折声差声三重折声差声中音

と、山場の三重を中心にして「折声〜差声〜中音(初重)」を聴かせる<だけ>のものではあります。

が、実際に全編を聴くと、『横笛』は、この曲節の組み合わせの後半部に「上歌・下歌」を配して物語の余韻を強調する方法を採用していることで、この物語の持つ<意味>を絶妙に浮き出させているのが分かる、大変興味深い性質を生み出していることが分かって来ます。今井勉さんが『横笛』を習ったのは、8つの現存句のうちの最後から2番目だったことが、『横笛』の持つ微妙なニュアンスの演奏の難しさ、それゆえの味わい深さを物語っているようにも思います。

本文と、それに付された曲節を記し、間の部分をまとめてお聴き頂くことで、全編の鑑賞に代えることをお許し下さい。なお、括弧内の部分は覚一本『平家物語』の本文中で現行の平曲『横笛』では語られない部分です。その部分は覚一本の本文(講談社学術文庫のもの)に忠実に写しておきます(巻十)。現代語訳は文庫等の書籍でご確認下さいますよう。また、発音される読みも本来触れたいところでしたが、今回は省略します。

(さる程に、小松の三位中将維盛卿は、身がらは八島にありながら、心は都へかよはれにけり。故郷に留めおき給ひし北の方、をさなき人々の面影のみ、身にたちそひて、忘るるひまもなかりければ、「あるにかひなきわが身かな」とて、元暦元年三月十五日の暁、しのびつつ八島の館をまぎれ出でて、与三兵衛重景、石童丸と云ふ童、船に心得たればとて武里と申す舎人、是等三人を召し具して、阿波国結城の浦より小船に乗り、鳴門沖を漕ぎとほり、紀伊路へおもむき給ひけり。和歌、吹上、衣通姫の神とあらはれ給へる玉津島の明神、日前・国懸の御前を過ぎて紀伊の湊にこそつき給へ。「是より山づたひに都へのぼ【ッ】て、恋しき人々を今一度見もし見えばやとは思へども、本三位中将の生取にせられて大路をわたされ、京鎌倉、恥をさらすだに口惜しきに、此身さへとらはれて、父のかばねに血をあやさん事も心憂し」とて、千たび心はすすめども、心に心をからかひて、高野の御山に参られけり。)

【口説】高野にとしごろ知り給へる聖あり、三条の斎藤左衛門茂頼が子に、斎藤滝口時頼とて、元は小松殿の侍なり、十三の年本所へ参りたりしが、建礼門院の雑仕に横笛といふ女あり、滝口かれに最愛す、父この由を伝へ聞いて、いかならん世にある人の婿にもなして、出仕なんどをも心安うせさせんと思ひ居たれば、由なき者を見初めてなんど、あながちに【下ゲ】諌めければ、滝口申しけるは、

(以下、中音の部分までを、井野川幸次検校の録音からお聴き下さい。COLUMBIA COCF-7889)

【折声】西王母といひし人、昔はあって今はなし、東方朔と聞こえし者も、名をのみ聞きて目には見ず、老少不定の世の中はただ、石火の光に、異ならず

【差声】たとへ人長命といへども 七十八十をば過ぎず、そのうちに身の盛んなることはわづかに二十余年なり、【中音】夢幻の世の中に、醜き者を片時も見て、何かせん、思はしき者を、見んとすれば、父の命を背くに似たり、これ善知識なり、しかじ憂き世を厭ひ、実の道に入りなんにはとて、十九の年もとどり切って、嵯峨の往生、院に、行い澄ましてぞ、居たりける、

【口説】横笛この由を伝へ聞いて、我をこそ捨てめ 様をさへ、変えけることの恨めしさよ、たとひ世をば背くとも、などかかくと知らせざるべき、尋ねて今一度恨みばやと思ひ、ある暮れ方にひそかに【下ゲ】内裏をば紛れ出でて、嵯峨の方へぞ、あこがれける、

【三重】頃は二月、十日余りの、ことなれば、梅津の里の、春風に、よその匂ひも、なつかしう、大井川の、月影も、霞にこめて、おぼろなり、【下リ】ひとかたならぬ哀れさも、誰れ故にとこそ、覚えけめ、往生院とは聞きつれども、定かに、いづれの坊とも知らざりければ、ここにやすらひ、かしこに、たたずみ、尋ねかぬるぞ、無残なる、

【素声】住み荒らしたる僧坊に念誦の声のしけるを、滝口入道が声に聞きなして 様の変はりはておわすらんをも今一度見もし参らせんがために わらはこそこれまで参って候へと 具したる女をもつて言はせたりければ 滝口入道胸打ち騒ぎ浅ましさに障子の隙より覗いてみれば 裾は露 袖は涙にしをれつつ まことに尋ねかねたる有り様 いかなる道心者も心弱うやねりぬべし 人を出だいて 全くこれにはさることなし もし門違へにてや候ふらんと つひに会はでぞ【ハヅミ】返しける、

【口説】横笛情けなう恨めしけれども、さてしもあるべきことならねば、涙を抑へて帰り上りにけり、そののち滝口入道【下ゲ】同宿の、僧に語りけるは、

【折声】これも世に静かにて、念仏の障碍は候はねども、飽かで別れし女に、この有り様の見えて候はば、たとへ一度こそ心強くとも、またも慕ふことあらば、いとど心も、働き、候ひなんず、【初重】いとま申してとて、嵯峨をば出でて、高野へ上り、清浄心院にぞ、居たりける、

【差声】そののち横笛も様変へぬる由聞こえしかば、滝口入道高野の御山より一首の歌をぞ送りける、

【上歌】剃るまでは、恨みしかども、梓弓、実(まこと)の道に、入るぞ嬉しき

【半下ゲ】横笛の返事に

【下歌】剃るとても、なにか恨みん、梓弓、引きとどむべき、心ならねば

【中音】そののち横笛は、奈良の法華寺に行ひ澄まして、居たりけるが、その、思ひの積りにや、幾程なくて、つひにはかなくなりにけり、滝口この由を伝へ聞いて、いよいよ深う行ひ澄まして、居たりければ、父も不孝を許しけり、親しき者も、みな用ひて、高野聖とぞ、申しける、

(三位中将、是に尋ねあひて見給へば、都に候ひし時は布衣に立烏帽子、衣文をつくろひ、花やかなりし男なり。出家の後は今日はじめて見給ふに、未だ丗【さんじふ】にもならぬが、老僧姿にやせ衰へ、こき墨染に同じ袈裟、思ひいれたる道心者、うらやましくや思はれけむ。晋の七賢、漢の四皓が住みけむ商山、竹林が有様も、是には過ぎじとぞ見えし。)

文学としての鑑賞は意図しておりませんが、以上の文にはたらいている作為の傍証を少し申し添えておきます。
講談社文庫の注釈にもあり、先の山下さんのお話にもありますが、『平家物語』の異本(延慶本)では、滝口入道は尋ねて来た横笛に説教し、横笛はそれを聞いて出家したことになっています(講談社学術文庫に該当箇所の引用があります)。歌は延慶本では滝口入道と横笛のものは作者が逆になっており、上の文で入道が詠んだことになっている歌は横笛が出家の際に詠んだものとされています。また、横笛の籠った寺の名前も異なっており、出家した後の横笛は桂川に入水した、という話になっているとのことです。このあたりの機微については、山下さんのお話をお読み頂いたほうがよろしかろうと思います。

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