好きな曲

2010年8月31日 (火)

ムソルグスキー「禿山の一夜」:好きな曲30

横山幸雄氏と共演した大宮光陵高等学校管弦楽団第24回定期演奏会、好演でした。



同日に行なわれた、マンハイムでご活躍の小川隆さんをはじめとする「古楽器によるフルート演奏会」が素晴らしかったとのこと、Curraghさんがブログで採り上げて下さいました。 お聴きになれた方、ラッキーでした! 是非また日本で演奏して下さることを願っております。

日本人作曲家の作品を集中的に紹介する大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)は、2010年9月23日(祝)、2010年10月16日(土)、010年11月13日(土)、2010年12月15日(水)、2011年1月23日(土)です。

阿部千春さん(Vn.コンチェルト・ケルン等で活躍)・大井浩明さんによる「モーツァルト:作品2」昨年大好評の作品1に続きより充実の響きです。10月13日。(リンクでは大井さんの師カニーノとアッカルドの演奏引用で曲のサワリをご承知頂けます。)

野村誠さん・片岡祐介さん「音楽ってどうやるの」「即興演奏ってどうやるの」もっと早く知っていたかった好著でした。ご一読を強くお勧め致します。

・・・中休みでもあり、ずっとあけてしまっていたことの続きでもあります。なにせ、子供の夏休みの宿題に付き合いながらですので。(^^;


ふたたび東京勤務になりましたが、はずれのほうでの、建築事務の仕事でした。
そこで旧知の先生が指揮をしているアマチュアオーケストラに、知人から誘われました。

大学で一緒だったメンバーは先生を一様に尊敬はしていたのですが、東京のアマチュアオーケストラに対しては、いろいろな理由から否定的な評価をする傾向にありました。
で、最初は入団を躊躇しておりました。

合奏の水準は、先生が私達の大学でなさったのと比べると、正直言って何段も落ちていました。
「やっぱり、入るのはよそうか・・・」
と、最初は真面目に通っておりませんでした。

が、そこには子連れでいらっしゃる団員さんも少なくありませんでした。
何度か行くうち、不真面目な私は、連れて来られた子供たちとはしゃぎまわるのが気に入ってしまいました。

結局、こんな変わったきっかけで、私はこのアマチュアオーケストラに居着いてしまうことになりました。

それがまた、「水準重視」の元の仲間に疎んじられることにもなり、私にとっては昔との縁が断ち切られる結果にもなったのでした。

水準、と言ったって、何をもって高いとするのか。
低いと見なした人たちとは袂をわかたってまで、それは維持するべきものなのか。

さまざまな局面からこうした疑問を自分自身が持つようになっていたのも、こうした事態に至った理由ではあったのかもしれません。

いまにして思うと、やはり水準を保つにはそれなりの厳しさは必要なのであって、その点から言えば自分の選択には間違いがあったと感じております。

が、後悔はありません。

自分自身がそんなに高い水準でもないですし・・・
水準を上げるんだったら、それで商売が成り立つくらいじゃないと(というのは本音とはちょっと違うのですが)いかんとも思うし・・・

てなわけで。

定着した東京のアマチュアオーケストラに参加して初めて弾いた曲のひとつです。
音質がさほど良くありませんし、ストコフスキーの手が入ったアレンジです。
個人的にはリムスキー=コルサコフの仕上げた版のほうが好きです。
・・・が、この映像自体、子供時代に強烈な印象を受けた懐かしいものなので掲載します。

ムソルグスキー「禿山の一夜」(YouTubeから、ファンタジアの画像で。)

同曲は、学生時代に山田一雄さんの指揮で演奏した思い出もあります。


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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2010年1月21日 (木)

ヴァーグナー「ローエングリン」第3幕への前奏曲:好きな曲029

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コンサート「麿と素敵で愉快な音楽家さん」は2月7日、新宿オペラシティ内の近江楽堂で。顔ぶれも曲目も魅力的です。是非お出かけ下さい。画像クリックでご案内記事をご覧頂けます。



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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。



Wakasugi運営が不安定だったローカルなジュニアオーケストラ、悪い癖を指摘されては揉みに揉まれ泣きべそをかいた学生オーケストラ、つかのまの社会人アマチュアオーケストラを経て再び母校のオーケストラに戻してもらった、というのが私の大まかな合奏経験でしたが、その間、高校時代には有名バロック作曲家の作品を主体に勉強していた弦楽合奏団、大学を通じての地方市民オーケストラ、発足したてのプロオーケストラなどでも少しずつ勉強させて頂きました。その他にはクラブでシャンソンの伴奏に加えて頂いたり、ホテルのレストランでカルテットでカントリー調のものを弾かせて頂いたり、高校生の歌うモーツァルトやシューベルトのミサ、フォーレのレクイエム、メサイアのバックも経験させて頂きました。
都度の思いはいろいろでしたが、この歳になっても結局たいした進歩がないのを自覚しているいま、それぞれが非常にありがたい出会いだったと感謝をしています。

ただ、母校以外の学生オーケストラは聴くことも少なく、共演経験も稀でした。
学生であったあいだは、最後の年に、東京のK大のかたたちとジョイントをするのに参加させて頂きました。東北という限定された世界しか知らなかった自分にとって、他地方のかたとの初めての交流でもありましたが、演奏した曲は忘れてしまい、楽しかったことだけをなんとなく記憶している程度です。

社会人となって3年後に幸運にも母校のオーケストラでの勉強に復帰させてもらえたあいだに、今度は関西の某国立大学の人たちとのジョイントを迎えました。
大阪にも京都にも親戚がいましたので、関西の気風はそれなりに知っているつもりになっていました。大阪の親戚のところから帰って友人に土産話をすると、必ず笑われたのは、
「おまえ、大阪弁のアクセントで東北弁しゃべっとる!」
ことでした。それくらい、関西は強烈なんだ、という程度は認識していたわけです。
で、大阪のいとことは、夏の天気のいい夜に、布団を持ち出して淀川の河原で寝たこともありました。
そんな次第で、関西の(大阪ではなかったのですが)大学と共演できるのには、非常にわくわくしておりました。

東京の若い人たちとご一緒したときは、みなさん、私と違って豊かな家庭にお育ちなんで、そういう人でなければオーケストラで演奏するだなんて、もしかしたら大間違いなのかもしれない、と思っていたのでした。
が、テキが国立となれば、貧乏地方大学の、そんな中でもとりわけ外れまくった自分のようなものでも、なんだか太刀打ちできるような「プライド」がありました。

・・・大間違いでした。

長い歴史に培われた土地で勉強している彼らは、もしかしたら私が初めて巡り会った、エリートの卵野中でも最も良質な人たちでした。

とにかく、演奏以前に、楽器に対する知識も豊富で、物を見ただけで「これは何年頃の、多分この作者のもの」とか分かっちゃう人もいましたし、演奏する作品については遠慮無しにバンバン音を出しながらも、楽隊全体が揃うと巧みに調和するのです。その当時だったかもう少し後だったかに海外公演もし、大手レーベルからCDまで出しちゃった、東京の某私立大学・・・学生オーケストラの中では一番うまい、と、もっぱらの評判でした・・・なんか、まったく目じゃない、という感じを受けました。(CD出された学校さん、すみません。)

ジョイントでは相手さんはR.シュトラウスのドン・ファンをやり、当方はベートーヴェンのエロイカをやりました。大音響ながら調和のとれたR.シュトラウスは、過去に同作品を演奏した経験のある私たちには非常に新鮮かつ衝撃的に響きました。あちらには、私たちのエロイカはどんなふうに聞こえたでしょうか?

両校で共演したのは、定番のヴァーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕へ前奏曲でしたが、おそらく当方の誰もが、それまでの自分たちの「規律」(それを重んじることが私たちには非常に大切でしたし、これ自体はよいことだったと、いまでも信じております)から逸脱する「自由」を発見する思いだったのではないでしょうか?

私にとっては、ある理由で母校のオーケストラと訣別することになる直前の、最良の思い出でもあります。



このとき演奏した作品ではありませんで、ヴァーグナーの楽劇の中では一番好きな「ローエングリン」から、最も有名な第3幕への前奏曲をお聴き頂きます。
「ローエングリン」は、その後のヴァーグナーが完全に放棄する「ナンバー方式」で書かれた楽劇ですから、厳密には彼の定義する「楽劇」にではなく、伝統オペラの延長線上にあります。
ですが、音楽は前奏曲から独唱・合唱のいっさいが連綿と続き、すでに仕上げていた「タンホイザー」、本作の初演(1850)翌年に構想を始めた「指輪」シリーズのあいだにあって、構成は完全に「楽劇」として確立されていた、と言ってよろしいかと思います。

私が二十代の頃には、この「第3幕への前奏曲」が、オーケストラのアンコールの定番でもありました。成熟後の「パルジファル」にも通ずる音響を持つ「第1幕への前奏曲」に比べて、にぎやかにやってごまかしてしまえる、という演奏効果上のメリットもあったのではないかと思っております。
「ローエングリン」は前奏曲2つ以外にも、ヴァーグナー作品の中ではもしかしたら最も親しみやすい美しさを持っているのではないかと感じられる旋律が随所にちりばめられており、ブラスバンドですと「エルザの大聖堂への行進」(原曲は合唱を伴い、弦楽も大切な役割を果たす)が定番プログラムになっていますし、続く「結婚行進曲」は簡単に演奏できるピアノ編曲も存在するほどにポピュラーです。

日本人としてはヨーロッパを主要拠点として活躍した数少ない存在であり、昨年7月74歳でお亡くなりになった若杉弘さんが、名門シュターツカペレ・ドレスデンと残した録音をお聴き下さい。

若杉さんは1977年にケルン放送交響楽団主席指揮者となって以後、ダルムシュタット歌劇場、ドルムント歌劇場での実績が認められ、シュターツカペレ・ドレスデンの常任指揮者に就任したのでした。この他、バイエルン国立歌劇場やチューリヒ・トンハレでも重要ポストを得ていました。


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2009年11月29日 (日)

マーラー「さすらう若人の歌」から:好きな曲028

トロンボーン・アンサンブル四人組(埼玉県草加市で!)



自分の打ち明け話であるこのカテゴリも、だいぶ間があきました。
サラリーマンになって3年ギャップがあったらヴァイオリンが全く弾けなくなっていた、というお話まででした。・・・そこからどう回復したか(もともと超低レベルだから、超ダメレベルから超低レベルまへの回復はそんなに難しいことではなかったのですが)もそこに綴ったし、そんなにお役に立つ話ではありませんから繰り返しません。

ただ、
「あー、おいらって、超ダメー」
と自覚すると、いいことも待っているのでして、それまで自分の思い入れで曲を弾いたり聴いたりしていた次元から、少しだけ前に進むことができたのかなあ、とは思います。
もちろん、それ以後の道程は、永遠のド素人にはとても長いものなので、人生の半世紀を迎えてもなお、ちーとも分からんことばかりです。
ただ・・・あるかたに言わせればこのブログはマニアックで理屈っぽいとのことですけれど、それはもともと理屈こねてダダこねてストレス解消しているのだから当然なのです、そういうことはいちおう脇においておいて・・・「分からないことは分からない」と虚心に戻るためには、おのれが
「超ダメー」
であることをきちんと認識しておいた方が、音楽が何でも新鮮に聴こえるようになるメリットはあったのではないかと思っています。
そうなってみて初めて、

「音が<語りかけてくる>って、不思議なことだなあ」

なる感慨が、本当に腹の底から湧いて出るようになった気がしています。
その錯覚の延長で、私は今日を生きているのかもしれません。

錯覚を起こさせてくれた作品には、この頃、母校のオーケストラに再参加を許してもらって、いくつか出会いました。

中でも印象的だったのは、今回掲げる、マーラーの「さすらう若人の歌」でした。

演奏するにあたって、いくつかの録音を自分でも探し、人にも聴かせてもらったはずですが、こんなことに驚きを感じました。

すなわち、
「詩のついた歌曲でも、詩の言葉を理解して歌っている人とそうでない人の歌い方は全く違う」
という驚きでした。
マーラーの管弦楽伴奏による歌曲集は、歌詞は全てドイツ語ですが、そのドイツ語を母国語にしている人が歌っても、歌詞を読みとるちからさえない一日本人が聴いて、詩への理解の深さの有無が肌に感じられるほど差がある。

誰の演奏をどのくらい聴いたか記憶していませんが、当時自分で入手して「なるほど」と思わされたCDは今も宝物にして持っていますので、その中から第2曲「露しげき朝の野辺に」をお聴き頂きましょう。


ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団(1968年12月録音)
Deutsche Grammophon F35G 50132(発売当時のCDのナンバー)

マーラーの歌曲集はそれぞれ作曲時の交響曲と関連が深く、この歌もお聴き頂ければすぐ分かりますように、彼の第1交響曲(「巨人」)第1楽章の主題そのものであり、オーケストレーションも交響曲に継承されています。
ただ、決して試作品だとは私は思っておりません。
第1曲は交響曲に盛り込めなかった、マーラーの原初的なロマンティシズムが溢れていますし(実は私はこの第1曲の方が大好きです)、第3曲はマーラーが実現し得なかった楽劇の世界を、彼が心酔したワーグナーの書法を忠実に模倣し、3分程度の長さの中にコンパクトにまとめ切ったものとなっていて、特異な世界を築き上げています。第4曲(終曲)は再び第1交響曲の緩徐楽章で使われることになるモチーフを中間部に配していますが、交響曲のほうよりずっと短い分、より凝縮された詩世界を描いてみせています。

第2曲の歌詞前半は、次のとおりです。
(前掲CDのブックレットによります。渡辺 護氏 訳、語順若干改変、一ヶ所補足)
後半省略ご容赦下さい。
なお、ウムラオトは、aウムラオト=ae、oウムラオト=oe、uウムラオト=yに置き換えます。
エスツェットはssとします。

Ging heut morgens ybers Feld,
今朝僕が野を行くと
Tau noch auf den Graesern hing;
草にはまだ露が宿り
Sprach zu mir der lustge Fink:
陽気そうなうそどりが話しかけた
"Ei, du! Gelt? Guten Morgen! Ei gelt? Du!
「お早う」と。
Wird's nichit eine shoene Welt? schoene Welt!?
「世の中は素晴らしくなるだろうよ
Zink! Zink! schoen und fling!
 チッチ、美しい世だ
Wie mir doch die Welt gefaellt!"
 私はこの世が大好きだ」

Auch die Glockenblum am Feld
また野の釣鐘草も
Hat mir lustig guter kling
その小さな鐘の音で
Mit dem Gloeckcken kling, kling,
クリン クリン
Ihren Morgengruss geschellt:
朝の挨拶をして 僕を愉快にした。
"Wird's nicht eine schoene Weit? schoene Welt!?
「世の中は素晴らしくなるだろうよ
Kling! Kling schoenes Ding!
 クリン クリン 素晴らしく
Wie mir doch die Welt t gefaellt! Hei-a!"
 僕はこの世が大好きだ」
 
 


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2009年8月15日 (土)

ヴィヴァルディ「調和の霊感」から:好きな曲027

大井浩明さん、BSに登場です!下記リンクをクリック、是非お見逃し無く。
8月5日(BS hi)終了・9月15日(BS2)
大井さんのブログでの情報はこちら。http://ooipiano.exblog.jp/11605999/
・・・「フォルテピアノ」について貴重な知見の得られる番組となることでしょう!!!



吉田美里さんリサイタル・・・キャンセル待ちですよー。

52fdfc6a36389100さて、関東で3年セールスをやりまして、その後、温情で3年ほど、実家方面に赴任しておりました。

勤務条件がゆるくなって時間も出来、ブルッフの伴奏に加わってから、1年近くはヴァイオリンを持つこともありませんでしたから、楽器を再び手にするにはありがたい時間を頂けた、ということになります。
が、しかし、本当は実家から通勤なんかしたくなくて、
「独身寮かなんかに入らせてもらえませんかね」
と頼んだものの、人事に却下されました。

母校のオンボロ練習場に通って、ヴァイオリンを弾き始めてみました。

ホントは鈴木ヴァイオリンメソッドの「きらきら星変奏曲」と行こうかなと思いましたが、やめました・・・これは、好きなんじゃなくて、嫌いだから。

といいますのも、この楽器再開は、最初は思いがけず衝撃の日々になったからであります。

ヴァイオリン習い始めの子供がやらされるこの「きらきら星変奏曲」、1年ぶりくらいに楽器を手にしたとき、弾けなくなっていました。
当然、他のいろんな曲も弾けなくなっていました。
1年の中断で何にも弾けなくなる、って・・・それまでやっていたことが全部デタラメだった、と、こんなにはっきり証明される出来事もありません。
初めて母校の練習場に行った時、何度も何度も弾こうと試してみました。
試せば試すほど、
「ああ、こりゃ、だめだわ」
・・・どんどん、絶望の泥沼に足を引っ張られました。
恥ずかしい話ですが、周りに誰もいませんでしたので、おいおい声を上げて泣きました。
ふと気がつくと、目の前に鏡がありました。
そこに映った自分の顔が、そうでなくても不出来なつくりなのに、いっそう崩れているのを見たら、今度はなんだかおかしくなって、大笑いしてしまいました。

楽器ってどう弾くのかな、なんてことを、本気でちゃんと考えたのは、この時期だけだったかも知れません。

ただし、目新しいことをしたわけではなく、学生時代に教わったことを思い出し思い出し、
「おいら、どうやったら、またオーケストラで弾けるかな」
を試し続けたに過ぎないのですが。
以降、サトに滞在している間は母校のオーケストラにまた加えてもらって、少しずつリハビリしました。

ずっと後の話になりますが、結婚して以降は楽器はほとんど手に取れなくなり、週1回参加するアマチュアオーケストラの練習でしか触らないに等しい状態が続いています。例年8月と年末年始は練習もお休みに入りますから、1ヶ月くらい楽器を手に出来ない、なんてことは毎年2期間繰り返しています。・・・最長で1年半のギャップもありました。
それでも、楽器って、もしある程度きちんと操り方が分かってしまえば、オーケストラで合奏に混じっている分には「ボロがバレバレ」にはなりません。基本的には、有名どころでは、メンデルスゾーンのシンフォニーみたいに小難しいものでなければ、マーラーより前のもの(マーラーは、含みませんからね!)はオーケストラ曲なら初見で7割程度はイケます。・・・これは別に、私限定の話ではありませんで、アマチュアのどなたもが、なんぼサボり名人でも、そんくらいはイケるようになります。

こういうサボり方を身につけさせてもらったのは、この3年の、サトにいた期間でした。

「企業秘密」とか「秘伝」とかいった大それたものではありませんで、要は体のどこにも、演奏に不必要な力はかけないようにすればいいのでした。
恩師と仰ぐかたに、
「ここはこうやれば力が抜けるじゃないか」
と、学生時代にも言われていたことを繰り返し繰り返しまた言われました。
鈍いタチなので理解するまでには人様の何十倍も時間がかかったはずですけれど、おかげさまで、
「ああ、そうなのか、楽器の弾き方も自転車の乗り方とおんなじなのね」
程度は、なんとか教われたのかなあ、としみじみ思っています。

このことから申し上げられるのは、もしこれから何か楽器をなさってみたい場合には、

「無駄な力はいらないヨ。地球の重力があなたの体重を引っ張る力だけで充分」

くらい言い切って下さるお師匠さんに、ぜひ巡り会うようになさって下さい、ということです。

それでもって、毎日楽器を手に出来る環境があるなら、世の中にある作品は全て人間が書いたものなのですから、身体的な制約という事情で演奏できないものはあるにしても、充分なレパートリーは何歳からでもこなすことは可能なのではないかと思われます。

私は、お粗末ながら上のような環境ですので、とくに

「ソロなんかとてもとても!」

です。ときどき陰謀にハマって、ソロを含むオーケストラ曲で「やらされ」ちゃったりするのですが、とにかく練習が出来ませんから、ほんとうに勘弁してほしいです。・・・身内のかた、お読みでしたら、なにとぞ温情を私に!

この話に組み合わせる適当な曲は、本来ないのですが、私がまだ19歳のときに無理やり公衆の面前で独奏させられた、赤面せずには回想出来ない作品をお聴き頂いておきましょう。

もちろん、私の演奏なんかではお耳にしていただけませんから、ホグウッド指揮エンシェント室内管、ソリストはモニカ・ハジェットらのものにします。ソリストはバロックヴァイオリン奏法復元の先駆的な存在ですが、今聴くと、これでもまだやっぱり、それ以前の奏法から解き離れていないんだなあ、と分かります。・・・その分、年齢の高い層のかたには、現在最前線のバロック奏法のものよりは馴染みやすいかもしれません。

ヴィヴァルディの作品3から、バッハが編曲したことで有名なニ短調の、
「2本のヴァイオリンとチェロのためのコンチェルト」
です。最初の楽章では2ndのソロを弾いたヤツに冒頭のカノンで落ちられた上、嵌められて汚名まで着せられたイヤーな印象あります・・・あ、あいつ、このブログなんかみつけてないだろうな!・・・けれど、この楽章は、ヴィヴァルディの作品をあまり聴きもしないで「みんな同工異曲だ」などと思っている人には衝撃的な作りですので、この作品をご存知でないかたには、ぜひヴィヴァルディ観を一新して欲しい、との願いをこめて乗っけます。なお、通奏低音にリュートまで加わっているところにご傾聴下さい。


DECCA POCL-4772(モノラル化)

ヴィヴァルディは、こんにち、この作品を含む合奏協奏曲や、彼自身がヴァイオリンのヴィルトォーゾでしたから、ヴァイオリンのソナタばかりで名を知られていますが、チェロソナタもすばらしいものばかりですし、「赤毛の司祭」と呼ばれたということからも分かりますとおり、聖職者でした。ですから、宗教音楽作品にも秀作を数多く残しています。・・・なおかつ、聖職者でありながら、オペラの多作家でもありました・・・当時は普通のことだったのかもしれませんが、その数を私が把握しきれない(調べりゃ分かるんですけどねー、やめときます)、ほど沢山あるのです。

残念ながらオペラを映像化したものは出回っていないようですけれど、チャンスがあったらヴィヴァルディのオペラなんかも、ぜひお耳になさったり、上演されるようでしたらご覧になってみて下さい。・・・捨てたもんじゃありません!


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2009年4月23日 (木)

ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」:好きな曲026

齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。



Bruch会社員になった私は正真正銘のダメセールスマンで、家を売る商売だったのですが、お客様と初めて約束がとれて、出掛けてみると、そのかた、養豚業者さんだったのでした。
体格が体格なものですから、やがては肉屋さんに行ってしまうご同輩たちが居並ぶのを前にして・・・というわけではありません。まあ、沢山の豚が一所に集まってひたすらがつがつ餌を食っているとか、あるいはひたすら眠っているとかいう光景を目にするのは、ずっとあとに「千と千尋の神隠し」を見た時に恐怖が甦ったほど鮮烈でして、やっと辿り着いた玄関のベルを鳴らす時にはカチカチに緊張しておりました。
覚えているのは黒い屋根の大きな豚舎ばかりで、目の前にしたお客様の顔が、ちっとも思い出せません。たぶん、気さくに、おうちに上げて下さったのでしょう。
そのお客様を前にして、商品のカタログを開いたまではよかったのですが、説明しようとしても、どうしても言葉が出ません。今思うと、そんなに長い時間ではなかったのかもしれませんが、私の中では、その時間は少なくとも30分はあった、との感触が、四半世紀たった今でも抜けません。

こうした失態をやらかす上に、経験したことの無い関東の夏の湿気は大変に堪えまして、新入社員のうちから体を壊して、10月1ヶ月をまるまる病休してしまいました。それでも解雇にすることなく、1ヶ月待って下さった当時の所長さん・・・倒れられて重篤状態になりながら奇跡的に復帰した、精神力の人でもありましたが、定年でお辞めになりました・・・には、今でも感謝をしております。

2年ほどたって、ダメセールスの私でも、なんとか平均値は出せる程度のサラリーマンにはなれました。
その頃はまた別の所長さんの元で働いていたのですが、なんとかひとり前になると、休み無しだった勤務も少しは時間の融通がきくようになり、平日定休でしたので、ここなら何かあるだろうと思って上野の文化会館に出向いて、定休の曜日に練習があるアマチュアオーケストラを探しましたが、最初に見つけた評判の高い団体はオーディションがあるそうで、そんなものを受けにいく時間もなければ、そのための曲を練習する時間もありませんでしたので、諦めました。

ふと気づいたら、もうひとつの団体が練習をしていました。

申し訳ないことに団体名を忘れてしまいましたし、練習にもあまり通えなかった上に、その後の転勤で結局在籍1年足らずでしたから、団体の方も私を覚えていないでしょうし、私も、ご一緒させて頂いたたった1回の演奏会の中で、このブルッフのヴァイオリン協奏曲の伴奏を弾いたこと以外になにも想い出せません。



学生時代に
「おまえ、練習したら、きっと似合うコンチェルトだよ」
と周りに言ってもらえたのがこの協奏曲でしたが、私の弾き方ではソロなどとてもおぼつかなく(コンチェルトを弾くなどという技術は未だにもっておりません)、とくに最初の楽章は楽譜を見ただけで震え上がってしまいます。

第3楽章を、江藤俊哉さんの演奏でお聴きになってみて下さい。45歳の時の演奏です。

江藤俊哉/エドワード・ダウンズ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 RCA BVCC-38160-63

マックス・ブルッフ(1838-1920)は、ブラームスと同時期、5つ年下ながら実績ではやや先輩格の作曲家で、ブラームスの第1交響曲に大きな影響を与えた人物でもありましたが、生前既に才能に優るブラームスの下手にまわされる憂き目に遭ってもおり、ブラームスに対しては本人は友人として対等に接してくれることを望んだようでしたが、無視されるにも等しい扱いを受けました。
確かに、2曲の交響曲はブラームスの4曲に比べると散漫な印象が拭えないのですが、ヴァイオリン協奏曲は彼の持つ叙情性が程よい統一感を保っており、ブラームスの協奏曲よりもソロコンチェルトの伝統に沿ってもいて、バランスのとれた美しい作品です。
かつ、この作品もまたブラームスの協奏曲に大きく影響を与えたことは、一聴瞭然でしょう。


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2009年3月19日 (木)

ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」:好きな曲025


http://savedm.web.fc2.com/
・・・是非、お目通し下さい。



大宮光陵高校管弦楽部がSONYのウォークマン"Play You"のCMに12月13日から出演しています!

齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。

書籍「金沢城のヒキガエル」、記事をお読みになってお気が向くようでしたら、どうぞご一読下さい。

Rachmaninoffヴァイオリンを手にしていたのは
「オーケストラがやりたい・・・すると、いちばん人数が多いのはヴァイオリンだ、ということは、ヴァイオリンをやればどこかのオーケストラに潜り込める確率は高い!」
と、たったそれだけの発想でした。

ですから、学生時代のギリギリ最後までは、私にとって、ヴァイオリンという楽器そのものは・・・いろんな曲がやりたいとなると技術的なことは知ったり身につけたりしなければなりませんから、夢中で調べたり、お世話になった大人の方や先輩に叱られ叱られして、おもてっつらだけは何とか「身につけた」風、ではあったものの・・・江藤俊哉さんという衝撃を受けてもなお、
「おいらぁ、ソロ弾きになるわけじゃないから」
ってなわけで、さほど愛着の対象ではありませんでした。

それが、オイストラフ(の、時すでに遅く、ナマで接する機会は逸し、録音で、での出会いでした)という第二の衝撃波で、これはちょっと、別にソロ弾きになるわけではなくても考え直さなければいけない、と慌てた時には、もう、卒業間際でした。



初恋の相手が自殺したのがトラウマで、人の心の動く仕組みを知り、不幸を防げるようになれば、と専攻した心理学でしたが、いざ専攻してみると、現在の脳生理学のハシリみたいなことばかりが流行していて、
「あれ? おいら、行き先を間違ったんだ!」
そう気づいたころには、こちらも時すでに遅し、でした。
(私がやりたかったようなことは、医学部の精神科を学ばなければいけなかったのでしたが、歴史だとか人文的なことに未練たらたらだった私は理系学部に行くなどとは想像もできず、心理学専攻があるのを幸い、迷わず文学部の門を叩いていたのでした。)

オーケストラの大先輩でもあり、優れたトロンボーン奏者でいらした院生(アルトトロンボーンの音域を、テナーで何の苦もなく出すことができました)の方のすすめで、ちょっとは音に関係があることを、というので、与えられたのは「耳の錯覚」の実験、それも、自分が主体的にやったわけではなく、私はその院生(いまはどこかで教授くらいになっていらっしゃると思います)の、言葉は悪いのですが、モルモットの1匹でした。・・・ただし、大変トクなモルモットでもありまして、どうしてそんな実験をやるのか、私自身の出す結果はどんな意味を持っているのか、についてのレクチャー付きではあり、おかげで、ほとんど講義にもゼミにも行かない不熱心な専攻学生だった私も、「優秀な成績で」就職することができたのでした(内定の後、一通だけ成績表が手元に残っていて、就職して少ししてから自分で開けてみてビックリしたのですが、ほとんどの科目の成績がAであり、C、Dみたいなものは一つもなく、あきらかに「嘘八百」を優しく付けてくれていたものだったのでした)。

で、オイストラフの衝撃だとか、聴覚の実験だとかの中身は、とりあえず措きます。



大学は、私の故郷にありました。その故郷で、前に「好きな曲」カテゴリの中で綴ったように、私はあまり幸せな思いを持つことができませんでした。就職そのものが、故郷から脱出したい一心での、やけっぱちのものでした。
結局は3年後に一旦故郷へ転勤させられ、3年ほどまた故郷で過ごすことにはなるのですが、入った会社は、とある大会社の子会社で、組合管掌外の、実態はその当時は時間外無制限の販売会社でした(私の就職した頃は、まだそう言う会社がゴロゴロありました)。
あらかじめ
「夜は、帰りが11時過ぎるのが当たり前だけれど、それでもいいか?」
と、私の世話をしてくれた人から聞かれていて、
「別に構いません」
と答えて入ったものの、実際に入社してみると、11時過ぎに帰れるなんてまだいいほうで、ほとんど毎日、お酒も飲まずに午前様、私のように
「訛りが気になってセールストークも出来ない」
ような失格セールスマンでは、休日がフルに取れるのは月に一回、というのが当たり前でした。
とてもじゃないけど、楽器なんか手にする時間はない。あてがわれた寮も相部屋でしたから、音楽を聴く時間もない。

売れないセールスマンが心の慰めにしていたのは、まだ手取りもわずかで、おんぼろ中古でかろうじてカセットデッキが搭載された車を買って、その中で、セールスへの道すがらに流した曲ばかりでした。

ほとんどいつも、決まったように聴いていたのは、ラフマニノフのこのピアノ協奏曲でした。

・ピアノ協奏曲第2番(第1楽章)

ラフマニノフ自演、ストコフスキー/フィラデルフィア管 RCA BVCC-5115

当時はラフマニノフの自演ではなく別の演奏で聴いていたのですけれど、誰のものだか忘れました。

ついでながら、後年気に入って聴いたのはルービンシュタインが唯一ライナー/シカゴ交響楽団と共演した録音でしたが、いい演奏だと思っていたら、ルービンシュタイン自身は
「オレはとてもラフマニノフなんて弾けない」
と言っていたのだそうで・・・手が小さかったんでしたっけね。
「嘘だい! こんなに立派な演奏ぢゃあないか!」
そう信じていた私が、ルービンシュタインの言葉はホンネなのだ、と知ったのは、この自作自演を聴いたことによって、でした。
いや、ルービンシュタインの演奏は、間違いなく素晴らしいのです。
でも、文字通り体も精神も巨人で、ジャイアント馬場とどちらが勝っていたのだろうかと想像したくなるほど大きな手の持ち主だったラフマニノフは、上でお聴き頂けるように、冒頭部分から、この協奏曲を、よくあるような幾分きらびやかさを孕んだ音で、ではなく、「静かに流れるように」弾いて、平然としている。ルービンシュタインのような名人でも
「ああは出来ない」
と言ったのは、無理もなかったのでした。



ラフマニノフの調べは、ですが、私には常に、フォーレとは逆に、「悲しみ」を思い出させるものばかりです。
家内との思い出を巡っての話も彼の第2交響曲の映像リンクと共に、前に綴ったことがありますが、協奏曲のほうとなると、もっと侘しい気持ちになります。

なんせ他所の土地を一切知らずに育ち、初めて外へ飛び出た私には、見るもの聞くものすべてが・・・新鮮なだけだったらまだ良かったのですが、時間の制約の厳しさにめげていた時期でもあり・・・辛かった。

なんといっても辛かったのが、こんな出来事です。

ある夕方、やっぱりカセットでラフマニノフの協奏曲を流しながら出掛けていた私のクルマのバックミラーに、夕焼けの中でくっきり浮かび上がったきれいな山のシルエットが映ったのでした。
用が済んで事務所に戻って、その話を先輩にしました。
「なにせ、富士山に似たきれいなかたちだったんですよ。なんていう山なんですかね?」
「・・・バカ。富士山、だよ。」



転勤というかたちでの帰郷後のドジ話は、一度綴っているのですけれど、また角度を変えて振り返って、よく反省してみたいと思います。

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2009年3月12日 (木)

フォーレ「シシリエンヌ」:好きな曲024

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・・・是非、お目通し下さい。



大宮光陵高校管弦楽部がSONYのウォークマン"Play You"のCMに12月13日から出演しています!

齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。

83267d789e989ce4フォーレは、学生時代以降、ステージでの演奏はもっぱら「レクイエム」ばかりですが、大好きな作曲家です。・・・そのわりに、一所懸命聴いていたのはLP時代でして、いまはCD2枚しか持っていません。本当は歌曲も、合唱曲(「ラシーヌの雅歌」や「アヴェ・ヴェルム・コルプス」など)も、室内楽、とりわけピアノ四重奏曲(これはそれまで顔見知りでもなかった方に声をかけて頂いて、白樺湖畔で泊まりがけで勉強させて頂いた思い出があります)など、お気に入りは結構あるのです。でも、「好み」というのは誰にとっても難しいもので、私もなかなか、これが最高、というフォーレ作品の録音は見つけかねております。

こと「レクイエム」となると、大好きな理由は、純粋に音楽的ではないものばかりです。
この曲を、私は学生時代を除いて「身内」で演奏したことがなく、学生時代も、選抜部隊の最年少の小間使いで出張演奏するのにくっついて行っただけです。
大学入学1年前には、愉快なエピソードもありました。
「よし、今度の出張演奏では、おまえをコンマスにしてやる」
と乗せられたSさん・・・次の年、すなわち私が大学に入学した年には本当に学生オーケストラのコンサートマスターになった人で、穏やかで素直な人柄でしたから、大変尊敬しておりました・・・、演奏はステリハと本番のみでして、それまでこの曲をご存じなくて、
「あれ? おかしいぞ」
と、ステージで初めて気が付いたそうです。

そう、フォーレの「レクイエム」では、最初の2曲にヴァイオリンが入っていないのです。

私自身は、この作品の出張演奏に初めて連れて行ってもらった時、前夜にしこたま飲まされまして、ステリハはしっかり勤めおおせたのですが、本番では、ふと気が付いたら自分たちの出番がちょうど来たところ・・・サンクトゥスが始まるところでした。慌ててヴァイオリンを構えて、隣を見たら・・・隣の人は、まだ寝ていました。

その後何度、演奏に参加させて頂いたかは、覚えていません。

ある演奏会では、ヴィオラを弾いていまして、やはり何か起こすのはサンクトゥスのときでして、ピチカートからアルコに弓を持ち替えるときに、勢い余って弓をロケットのように、手から発射させてしまったのでした。
スペースシャトルみたいに出発延期になってくれればよかったのですが、弓は待ってはくれませんでした。
このときは、編成も小さかったので、独唱者は後部の、合唱団の前列のところに立っていらっしゃいました。その独唱者先生が、弓をナイスキャッチして、私のところまで届けにきて下さったのでした。曲の切れ目ではなく、音が鳴っている最中に、足音をしのばせて、です!

最後に参加させて頂いたのは、もう12年も前のことになります。
子供達も生まれて、結構遠方での演奏会でもあり、夫婦とも出掛けたことのない場所でもあり、新婚旅行も行っていませんでしたから、主催者の人にお願いして、旅費は当然自己負担で、家族全員で二泊三日で出掛けていきました。北陸の、日本の何大名水とか言われるほど水のきれいな町でして、練習の間、家内は子供達をつれて、澄んだ水の流れに見とれて散歩を楽しんだようです。
演奏会の翌日には、あいにくの曇り空ではありましたが、夏でそんなに寒くもありませんでしたので、一家で海を見に行きました。
娘はかすかに記憶があるようですが、まだ1歳にもなっていなかった息子の方は、当然、何も覚えていません。
私は、鈍色の波がテトラポットに次々とぶつかってしぶきを上げていた風景が、忘れられません。



同じフォーレの作品の中で、是非一度、オーケストラで演奏したいものに「ペレアスとメリザンド」組曲(作品80、管弦楽編曲は弟子のケクラン、和声学の著書でも有名な人です)があります。

有名なシシリエンヌを名フルート奏者さんが吹くのに酔いしれることもできる楽しみがあるからですが、終曲は「メリザンドの死」という悲しい音楽です。
フォーレの「悲しい」メロディには、人の悲しみを浄める不思議な力があるように、ずっと思い続けて参りました。

終曲を待つまでもなく、遠い憧れを表わすようなこの有名なシシリエンヌのメロディにも、そうした力がさりげなく秘められているように感じられます。

エルネスト・アンセルメ指揮 スイスロマンド管弦楽団の演奏(モノラル化)

KING RECORDS 23OE 51074

学生時代には、この顔合わせで、フォーレ・ドビュッシーのオーケストラ作品を聴きまくりましたが、そのあとパリ管の演奏(まだ若き日のプレートルの指揮だったように記憶しております)で聴いた時には、さらにふくよかで奥深い音がすることに感嘆したものでした。

アレンジものでフルート以外の楽器でも学生さんが小さなコンクールなどで取り上げる頻度が、今なお高い曲のように感じていますが、どうなのでしょうか? 一度統計をとってみたいのですけれど、そう言う資料って、揃わないですねぇ。。。


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2009年2月10日 (火)

チャイコフスキー「冬の日の幻想」から:好きな曲023

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今日、出社して1時間も経たないうちに、娘からメールで
「腹痛で早退する」
とのメールが入り、慌てて自宅へ取って返して、病院に連れて行きました。
診察の結果はウィルス性胃腸炎で、学校は登校禁止にはなるものの、たいした病気ではなくてほっとしました。
ですが、娘を寝かせて、ぽつんと部屋にいると、やはり、気分は
「カカアがいないのは堪えるほど寂しいなあ」
でありました。

その家内と二人で出かけることの出来た数少ない中でももっとも縁のなかったオーケストラのコンサートで聴いたのが、このチャイコフスキーの『冬の日の幻想』でした。惜しくも最近逝去なさったロストロポーヴィチさんが新日本フィルを指揮した演奏でしたが、曲にふさわしい情感豊かな、にもかかわらず静けさをたたえた演奏で、二人して感銘を受けて帰りました。

第3楽章:スケルツォ(7:28)

クラウディオ・アバド/シカゴ交響楽団 SONY SRCR 8814(いつもの通りモノラル化してあります)



チャイコフスキーの作品は高校時代にも何曲か演奏していたはずですが、記憶にありません。おそらく、バレエの定番の組曲からだったとは思います。・・・大学では交響曲に、社会人になってからは他の曲にも縁はありましたが。
『冬の日の幻想』は、他の大学にエキストラに行った時に弾いて、大変魅了されました。
が、そのときの思い出はこの曲自体にではなく、同じ時にプログラムに乗ったディーリアスの『二つの水彩画
』第1曲で、指揮者先生に
「ちょっと見本演奏してくれない?」
と突然言われて面食らったことのほうにあります。
もともと人前で一人で弾くのは得意な方ではなく(今でもそうです)、その頃は増して、今の私をご存じなら信じてもらえないほど内気でしたから、すっかり緊張してしまって「ぶざま」だった、という、そのことしかイメージに残っておらず、その時周りの人がどういう表情をしていたか、弾き終わった後で指揮者先生がどういう反応だったか、は、いっさい記憶にございません。
・・・自意識過剰だった、というべきでしょう。


娘が寝ていて、いま、メインのパソコンは息子に占領されていますので、息子が開き次第、あるいはもう少ししたら有無をいわせずどかせて、この記事をアップするつもりでおります。

昔の様々なことに思いを馳せながら、当面課題にしている「音楽におけるバロックの精神と時代のとの関係」を考える一環として(寂しく)読書していた、ラ・ロフェシコーの『箴言集』(岩波文庫 赤510-1、二宮フサ訳)に併載された「考察」から、いくつか、後々参考になるものをメモとしてのせておきましょう。

・ほんものについて
ほんものである、ということは、それがいかなる人や物の中のほんものでも、他の本物との比較によって影が薄くなることはない。二つの主体がたとえどれほど違うものでも、一方における真正さは他方の真正さを少しも消しはしない。両者のあいだには、公汎であるかないか、華々しいかそうでないかの相違はあり得るとしても、ほんものだということにおいて両者は常に等しく、そもそも真正さが最大のものにおいては最小のものにおける以上に真正だということはないのである。(中略)ある人が幾つもの真正さを持ち、別の人は一つしか持たないこともある。幾つもの真正さを持つ方は、より大きな値打ちがあり、相手が光らない面で光ることができる。しかしそれぞれほんもののところでは、どちらも同じ光輝を放つ。(後略)

・信頼について
率直と信頼とは相通ずるところがあるが、それでも多くの点で違っている。率直は心を開いてありのままの自分を見せることである。それは真実への愛、自己を偽ることへの嫌悪であり、自分の欠点を、正直にそれを打ち明ける殊勝さで埋め合わせ、さらには減じさえしたいという願望である。信頼のほうは、これほどの自由を我々に残してくれない。信頼の掟はもっと窮屈で、より多くの配慮と慎重さを要求するから、われわれはいつでも自由に信頼を使えるとは限らないのである。(後略)

・手本について
よい手本と悪い手本のあいだには大きな違いがあるけれども、見たところ、どちらもほとんど等しくろくでもない結果ばかりもたらしてきたようだ。それどころか、むしろ、ティベリウスやネロの罪悪のほうがわれわれを悪徳から遠ざけ、最高の偉人の立派な手本は、それほど我々を美徳に近づけない、と言えるかもしれない。(中略)美徳は悪徳の国境である。手本はわれわれをしばしば迷わせる道案内であり、われわれのほうもまやかしだらけだから、美徳への道を辿るためよりもその道から遠ざかるためにこの道案内が使われることが少なくないのである。



『箴言集』に、少し戻ってみて・・・

35:おおぜいの人が信心家になりたがっている。しかし誰一人として謙虚になろうとはしない。

・・・ああ、これは、自分だ!

・・・この言葉に、ふと、ある日のイワンさんのブログでのお言葉を思い出させられ、ちょっと傷心にかられた本日の私でした。


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2009年2月 5日 (木)

マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲:好きな曲022

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オーディオファイルをアップできない状況だし。
今日はこむずかしいことを綴るほどへりくつ頭も回らないし。
・・・というので、アップ済みのファイルから
「いい曲ないかな」
と探し当てたのがこれでしたが・・・よくよく確かめたら記事にのっけるのは、これでもう3回目なのでした!

ゴメンナサイ。

でも、健康診断でメタボをたっぷりしぼられてきて意気消沈なんです。
たまにはいいでしょう。

・・・って、面白いもので、過去記事でこの曲を取り上げているときは、いつも何かの理由で気分が乗っていないのでした。なので、この作品の内容などに触れたことがありません。

しかも、大変申し訳ないことに、音は、「うつ」リハビリの一環でシンセサイザーを少しはまともに使えるようになりたい、と勉強していた期間に私がしたもので・・・出来はよろしくありません。でも、勉強自体、家内の死とともにやめてしまいましたから。心のどこかで、自分の「記念」にしているのですね。

マスカーニ

マスカーニ(1863-1945)は、事典では代表作はこれ1作とされていますけれど、生前の映像も残っているほど、第2時世界大戦まではイタリアの著名人でした。
「カヴァレリア・ルスティカーナ」(1890)は、19世紀末に貧富の差が拡大していたイタリア社会をくっきり映し出した作品として大変な脚光を浴びました。たいてい、レオンカヴァッロの『道化師』とペアで上演され(日本がイタリアオペラを招聘していた時にも数回そのようにされたと記憶していますが、私にとってもっとも鮮烈だったのは、招聘末期に『道化師』で主役を歌ったプラシド・ドミンゴでした)、<ヴェリズモオペラ>の代表作とされています。
<ヴェリズモ(真実主義)>というのは、フランスのゾラ(1840-1902)が主導した自然主義文学の影響を受けた、イタリアの写実主義文学運動でしたが、結局のところ、マスカーニの本作の原作となった戯曲(ヴェルガ【1840-1922】)のほかにはあまり実を結ばず、オペラとしても上記2作以外にはジョルダーノ(1867-1948)の初期作品に例が見られる程度です。なにしろ、マスカーニ自身がヴェリズモを貫くことができず、次作品「友人フリッツ」は単なる叙情的田園劇に終わってしまっているとのことです。(未聴。参照:水谷彰良『イタリア・オペラ史』221-226、音楽之友社 2006)挫折したヴェリオペラズモにとってかわって躍り出たのがプッチーニでしたが、プッチーニがある意味で幸せだったのは、ファシズムがイタリアを支配する前に亡くなったことだったかもしれません。
マスカーニ(とジョルダーノ)はその後ファシスト党と接近したが故に、先ほどのように映像もしっかり残ることになるほど厚遇を受けたのですが、結果的にはこうした有力オペラ作曲家がムッソリーニに組したことが招いた良心的音楽家たちの精神は、イタリア敗戦の1943年を目前に、ダラピッコラやべリオの前衛的な反抗へと結晶していき、クラシックオペラとしてのイタリアの伝統を途絶えさせることになりました。

オーケストラ演奏での録音は、カラヤン/ベルリンフィルのもの以上に美しいものをきいたことがありません。カラヤンもいまだに様々取りざたされる人物ですし、彼の録音自体には私自身好き嫌いがありますけれど、この間奏曲についてだけは、他の演奏を聴きたいと思ったことがありません。


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2009年1月20日 (火)

ねこは猫の夢を見る。ニーノ・ロータ「山猫」から:好きな曲021

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『千五百番歌合』については、あと二、三綴りたいのですが、一息おきます。


今日は「好きな曲」カテゴリですけれど、併せて綴る話は、自分の独身時代の思い出からからいちど離れます。


*ニーノ・ロータ「山猫」から(ヴィスコンティの映画への音楽)14分22秒

リッカルド・ムーティ/ミラノ・スカラ座フィル SONY SRCR 2683
※ ちょっと長く引用してしまいました。つなぎ目の不自然さと併せてご容赦下さい。
※ 音楽およびそれが付けられた映画は、本文と直接関係ありません。猫の話でもありません。
※ ただ、同じ指揮者が昨年ウィーンフィルを率いて演奏するのを聴いて、一度で惚れただけです。


41diujtsifl_sl500_aa240_猫というのは、ほんとうに妙ないきものです。

「猫の額」というと、狭い土地の代名詞ですから、猫の脳ミソも小さくて、アタマ悪いんじゃないか、と思っちゃいたいのです。

でも、そうもいきませんでした。かしこい野良猫に出会ったことがあるからです。

その猫については、前にも綴ったことがありました。

幼稚園の頃から体は周りの子より大きめで、でも喋りが得意じゃなくて、腕っ節はいざとなったら強いのだけれど、それが自分で分かっているから人には手を出さない。勉強も出来ない方から順番を数えた方が早いけれど、なぜだか動物語は理解できるらしく、ある公園で大きな鶏小屋に飼ってあったニワトリの群れに向かって
「それではみなさん、ごいっしょに!」
と腕を振り上げて指揮したら、小屋の中の鶏が一斉に
「コッケコッコー!」
と鳴いた。
そんなことが出来るのが、その賢い猫、ではなくて、「うちの息子」です。

人間の友達は少なくて、でも、ウチの建物(中古マンションです)に集まるたくさんの野良猫とは大の仲良しでした。
中に目を病んでいる、たぶんメスのやつがいて、息子はこの猫をいちばん可愛がっていました。
マンションの規約で、野良猫に餌はやれません。それでも肥えている野良が多い中で、こいつは少しあばらが見えるくらいに痩せていました。
「なんだ、またあの子と遊んでるのかい?」
私も家内も、息子が非常階段に出掛けていって何をしているのか様子を見ていると、それが決まり文句になるくらい、その目の悪い野良猫ちゃんと息子は、毎日、夕方には一緒でした。

そのうち、この猫ちゃんは、私たち夫婦の顔も覚えました。
ある日とうとう、私が仕事から帰って来てエレベーターに乗ったら、そこに入って来て、そのまま我が家の前まで来てしまいました。

それから3年くらい、この猫ちゃんは、ときどき、夜にウチを訪ねて来ました。
可哀想ですが、餌をやれないだけでなく、ウチの中にも入れられない。
ですので、猫ちゃんが来ているのに気づくと・・・それは家内か私のどちらかでしたが、息子を呼んで猫ちゃんのところに行かせ、息子が「もういい」と言うまで、玄関のドアを閉めて、息子と猫ちゃんが戯れるにまかせていました。
家内も、見かけると
「あれまあ、なにしてるの?」
と声をかけるようになっていました。息子を通じて情がうつったのでしょう。

その猫ちゃんが最後に我が家を訪れたのが、以前にもどこかで綴った通り、家内の死んだ当日でした。急死したその明方に家内の遺体がウチに運び込まれ、昼にやっと少し僕と子供たちが落ち着きを取り戻して、何か用があって(たしか、前の晩まで家内が寝ていた布団をクリーニングに出しに行ったのでした)、ほんの少しの間留守にしていたところへ、ウチの中を覗き込み、それでは済まなくて中まで入って来たところを、この子のことは私たち親子以外にだれも知りませんから、留守をしていた親族に追い出されてしまいました。家内と最後の顔合わせは出来なかったかもしれません。

それからぱったりと、この野良猫ちゃんは、ウチを訪ねて来なくなりました。
ふと気が付いた頃には、姿を見かけることもなくなりました。



今日、中学生になってもあいかわらず前のままの性格の息子に、猫の本を買って来てやりました。

「ねこは猫の夢を見る」(竹書房)

与謝野晶子や野口雨情から、吉行理恵までの詩(ヴェルレーヌなどの訳詞も含む)に、竹久夢二から丸木俊までの画、合計32組の詩と画の組み合わせからなる本です。

その中から、吉行理恵さんの詩、「部屋の中に住んで居る月」を引用させて頂きます。

 月は
 道化師を眺めています
 
 道化師は
 とんぼがえりをしてみせます
 すると 月は眼を細めます
 
 高い所で
 月は
 道化師を 眺めています
 
 猫は部屋の中に住んで居る月
 明け方にひっそりと消えてゆくときに
 月は道化師をつれて行ってあげるでしょう


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