コンサート

2018年6月 9日 (土)

6月29日(金) Rêve d’amour(赤坂:カーサ・クラシカ)

私の娘ですので、ブログで宣伝もどうかなあ、と、いままで躊躇してきました。
(ブログ自体、いままでの私自身のリハビリの役割はとうに終わって、あまり綴らなくなってきていますし。)

まあ、しかし、娘を通じて、素晴らしい若い音楽家さんたちを知る事も出来てきましたし、娘だからといって別の目で見る必要もないだろう、と、ぼちぼち思い始めております。
昨年大学院まで出まして、いままだ訓練途上ですが、ソプラノで歌わせて頂いております。

下記、ピアノを弾いて下さる菅原達郎さんにも、何度かお世話になってきました。
拝聴するたび、柔らかで優しくて、厳しい音にも繊細さのある、たいへん素晴らしいかただな、と感じております。菅原さんは、現在、東京音楽大学でお仕事をなさっています。

プログラム中では、やはり娘が日頃 tottoki というユニットで組んで頂いている東秋幸さんの作品も歌います。面白い、聴きやすいけれど安っぽくないヒネリがいつも効いている曲を書かれていて、彼の作品を拝聴することは、私にとって、いつも無上の喜びです。

ご紹介したい若手さんは、ギタリストさんとか、チェリストさんとか、作曲のかたとか、そして娘と同様に声楽をなさっているかたとか、本当にたくさんいらっしゃいます。
サボっていないで、みんなどんどん宣伝したいな、と思っております。
・・・マイナーブログじゃ、しゃあないか(笑)

手始めが自分の娘の出るもので、汗顔の至りです。

どうぞ、お越し頂けましたら幸いに存じます。

会場のカーサ・クラシカさんは、若手にオープンで演じやすい空間を、いつもそれとなくご提供下さる、これまた素敵な場所です。食事もおいしく、飲物にも一工夫あります。体験して頂いて損のないところです。


日時:2018年6月29日(金)19時開演(18時開場)
料金:3,000円(ミュージックチャージ。飲物・料理は別途)
場所:カーサ・クラシカ〜東京都港区赤坂3-19-9 オレンジビル地階
   赤坂見附駅から徒歩3分、オレンジ色のビルです。

180629

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2018年3月12日 (月)

【3月21日】水曜日のクラシック(原宿にて)

Namida おっさんだから、おっさん臭くしか言えませんけど。

ここ数年、限られた範囲ではありますが、二十代の若い音楽家さん達とも巡り会えて、楽しみな方が多く、心強く思っております。
作曲、歌、ピアノ、チェロ、等々、どなたも拝聴して、伸び伸びとして豊かな成果をご披露下さって、いろんなことのある世の中かもしれないけれど、こと音楽に関しては、決して悪い時代じゃないかもな、と感じます。

流れとして、ひとつには、たくさんの先輩たちが築いて来られた組織に連なって頑張っていこうというかたもいらっしゃる一方、自分で主催して自分で「みせたい」ものをみせる方向に進むかたたちもいらっしゃいます。

後者のかたたちのほうに、私はどうも興味をひかれやすいようです。

人の紹介で「ほう」と思ったのが、今回ちょっと記させて頂く、ギターの五十嵐紅(こう)さんです。

まだいちども実際に拝聴していないのですが、五十嵐さん、2016年から原宿で

水曜日のクラシック

を主催、多様な楽器のかたと共演なさり続けているのですね。

共演したひとたちとの対談をHPに載せていらして、これがまた、二十代のひとたちの感性を、ふうわり、と味わうのに、とてもいい。

ちょっと無断転載します。

Vol.1
・紅さんはなんでクラシックギターはじめたんですか?
​・6歳くらいの時、サンタさんがちっちゃいアコギ持ってきてくれたの。クラシックギターの教本付きで。(笑)」
・そのまま中学生くらいになって「あれ、なんかみんなと違うギターだ」って。

Vol.7
・ちなみにこないだバンジージャンプをしたらしいけど、どうして?(笑)
・バンジーは師匠の奥様に、ここぞって時に力が出なかったりビビっちゃうことを指摘されて、行くかって。(笑)
・なんか変わった?
・変わった!(笑) なんか色々小さいなって思った。(笑)
・僕も飛んでこようかな。

ほんとは、彼ら彼女たちが音楽をどう感じながら、それをお仕事にしていこうとしているか、が豊かに話されているんですが、こんなのを拾ってしまいました。
なかなか楽しいです。
二つだけで、もったいないんですけど・・・
https://www.koh-guitar.com/wedb

昨年3月の演奏に際して作ったCM、なかなか質が高いと思います。

こんな「水曜日のクラシック」ですが、3月21日(水・祝日)に

Vol.17「涙の音楽」

というのをなさるそうです。

19:00〜(18:30open)
会場:hall60(原宿駅表参道口より徒歩6分)
チケット(前売)一般 3,000円/ペア 5,500円
ネット購入 http://shop.koh-guitar.com/categories/917147

ソプラノ:田村幸代
チェロ:矢口里菜子
ギター:五十嵐紅

《演奏予定》
ダウランド:流れよ我が涙よ
ヘンデル:私を泣かせてください
タレガ:ラグリマ
オッフェンバック:ジャクリーヌの涙
ムソルグスキー:涙
ほか

http://50gt.blogspot.jp/2018/02/blog-post_27.html

うまく都合が合うなら出掛けてみようかな・・・

Hall60

五十嵐さんのプロフィールはこちら。
https://www.koh-guitar.com/about

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2018年3月10日 (土)

修辞を聴く(とりとめもなく)

2月24日、大井浩明さんの今シーズンPOC(#36)が無事に完結しました。
最終回は大井さんと同世代の作曲家さんたちの特集で、ほとんどのかたもご臨席で、楽しい、良い会でした。

Poc2017 POCのことが最近何も言えていなかったので、ちょっとだけでも駄弁を弄したい、と思っていましたが、ずいぶん間が空いてしまいました。

いつも言うのですが、私は大井浩明さんという音楽家との出会いがなければ、たぶん一生、人が前衛音楽と呼んでいるものを耳にすることはなかったでしょう。そしてまた、そうした音楽に携わる人、そういう音楽を良くお分かりの人たちとお会いすることも、皆様にお教えを受けることもなかったでしょう。

しかも、ですよ。

なんべん聴きにいっても、私には前衛音楽というものは分かりません。

でも、たとえば古典だってバロックだって中世の音楽だって、「分かるの?」と聴かれたら、私は結局、分かっているわけではない。ただ聞き慣れているというに過ぎないのです。調べれば少しは分かるか、と思って、楽譜をひっくりかえしたり(五線譜の、そんなに複雑じゃないものが、辛うじて読める程度ですが)、本を読んだり、御託を並べたりしていますけど、どこまでいっても、「面白い」という感覚以上のところには届いた気がしない。

前衛ものも、聴かせて頂き始めて、一生懸命ものを読んだりしてみました。すると「数学がどうの」なんてものもある。そういうのは、音を聴いても私には理屈と比べることが出来ないので、ああ、やっぱり分からない、と言うしかない。もう、まわりの人たちのお話にも、全然ついていけません。

それでも、面白いものは面白いのです。

なんだか分かんねぇけど面白ぇや、というだけが、毎年・・・ベートーヴェンのソナタのチクルスなんかが中心でPOCではない年もありましたけれど・・・通い詰めた理由でしたし、動機でした。

岡田暁生さんが最近『クラシック音楽とは何か』というエッセイ集みたいな本を出され、読みました。
岡田さんはリヒャルト・シュトラウスの「薔薇の騎士」を論じたものを拝読して以来尊敬する音楽学者さんですが、こと西洋音楽史に関しては「ストラヴィンスキーでおしまい」と断言なさっている気がして、それがちょっと気に入りませんでした。
そうではない、岡田さんが終わったとおっしゃっているのは「ロマン派まで連綿と続いて来た『クラシック音楽』」なのだ、ということが、今回はよく分かって、他もすべて、世代の近い者には「そのとおりだ」と頷けることばかりで、この本、ちょっと嬉しく読んだのでした。
前衛音楽と言うと、「分かる奴だけ分がればいい」みたいなものだ、と断言するかたが多い中、岡田さんの表現は(同工異曲ではあるものの)きちんと具体的です。長いですけど引きます。

「『音楽は自己表現だ』という理念のもと、ロマン派の十九世紀は百花繚乱の個性を誇った時代であった。こうした『独創性』の追求がエスカレートしすぎた結果が、いわゆる現代音楽だと言えなくもないのである。多くの二〇世紀の前衛作曲家たちを特徴づけているのは、いわば他の誰かと似ていることに対する過剰な恐怖である。そして『誰にも似ていないこと』の探求が、ひとりよがりと紙一重のところにあることは、言うまでもあるまい。/現代音楽のもう一つの特徴は、大衆音楽に対する強い敵意であろう。(中略)たとえ一般聴衆の無理解にさらされようとも、【ヨーロッパのクラシック音楽がもともと教会や貴族〜ブルジョアの娯楽であったという】こうした伝統的なクラシック音楽のエリート性になおこだわり続けようとする、それが現代音楽である。現代音楽にエリート的な高踏主義とアングラ性が同居しているのは、このあたりに起因しているものと思われる。」(『クラシック音楽とは何か』p.38-39)

岡田さんがこの文章の中で「現代音楽」と呼んでいるのは、「前衛音楽」のことです。
大なり小なり、私自身や、私と同世代より上の一般聴衆(作曲や演奏の専門家でない人)の前衛音楽理解は、ほぼ岡田さんの捉え方通りだと思います。
ですから、それに対して、いや違う、みたいな話はしませんし、私に出来るものでもありません。

・・・と言いつつ、「いやそこはもう少し」の無駄口をたたくことが今回の趣旨です。

前衛音楽ってこんな感じよね、と言われながら、言われることを重々承知しながら、それでも前衛と呼ばれるような音楽を産み出し続けている人たちが、決して少ないとは言えない数で居続ける。

面白いことではないでしょうか?

そのかたたちの狙いがなんなのか、これまた、正直に打ち明ければ、私に分かるとはちっとも言えない。プログラムには皆さん一生懸命面白く「こうですよ」と敵意なしに(!)説明して下さっているから、それをガイドに聴くのです。(できればもうちょっと簡単に分かるようだとウレシイですけど、ツウなお客さんには嬉しくないんだろうな。)

まあともあれ、そうすると・・・
分かんねぇけど、響いてくるんですよ。
綺麗な音、汚い音、やかましい音、なだらかな音。百花繚乱です。

いいんでないかい?

美術や音楽がフォーマルではなくなった背景には、ほんとうは伝統の修辞(修辞学にまとめられたもの)が、長い歴史の中では想像もしえなかった社会の流動化で、もう役目を果たせなくなったという側面があります。「独創性」の追求というものの裏を返したら、そうでしょう?
「誰にも似ていないこと」
が、ほんとうの狙いか、というと、それはちょっと違う気がするのです。

修辞学については、ロラン・バルトという人が、伝統を彼の小著で結晶させているのを、迂闊な私は最近知ったのですが(『旧修辞学』)、これはまた修辞学の「死」を巡ってのメモ集だ、という点を見落としてはならない、と心底思いました。
小難しいのですが大事だと感じるので、最後の部分を引きます。(修辞学は本来は古代ローマの法廷弁論のために整理されたことに始まる、そしてそれはまた中世〜近代には、文学に限らず、音楽を学ぶ場合も、同時に学ばれた、的な理解をしておく必要があって、それ抜きではロラン・バルトの次の言葉はピンと来にくいようではありますが、端折ります。)

「金銭の、所有権の、階級間の露骨な争いが、国家の法律によって、引き受けられ、抑制され、飼い馴らされ、維持されたところに、制度が偽装された言葉を規則化し、能記のあらゆる援用を法典化したところに、われわれの文学は生まれたのである。だからこそ、『修辞学』を、もっぱら、ただ単に歴史的な対象の地位におとしめること、テクストの、エクリチュールの名の下に、言語活動の新しい実践を要求すること、そして、革命的な科学から絶対に離れないことが、唯一の、かつ一貫した作業となるのである。」(バルト、沢崎浩平訳 p.158)

前衛音楽もバルトのこの発想と同じ延長のもとにあると考えるならば・・・このあたりが岡田さんの言う「高踏的」でも「アングラ」でもあるのでしょう・・・、私たちは、前衛、と言い古されている、もしかしたらしかしそこから抜け出そうとしている、新しい響きの中に、新しい「修辞」を聴き取っていくべきなのではないか、と、私はどうも、そのように思っているらしい。
「こうも言えるんじゃないの?」
「伝達がすべてではないかもね」
「いや、そうではなくて、伝達の裏にあるものを引きはがして見えてくるものがあるじゃない」
「ああ、なるほど」
みたいな、それとはまた違うみたいな、体系づけることで私たちが目をつぶり耳を塞いで来たこと、それをたくさん明らかにしてみること、みたいな・・・人はほんとうは混乱の中の生きものであること、そうした私たちの「素(す)」を、思いがけず知らされる驚き。

再体系化してはいないがゆえの面白さ。

それらが「高踏的」ではなく「アングラ」・・・ではあるかもしれない?な展開で繰り広げられていることに、分かろうとか分からないとかではなく、鳴っている・鳴っていない、音の連なり、言葉と似て非なるなにものかに、少し身構えずに耳を傾けることは、案外楽しいことなのではないでしょうか。

こんな素人耳で、いま作られている、ちょっと一般受けしなさそうなものたちのなかに、それに傾けられる耳たちの中に、ああ、もうちょっと多くの素人仲間がいてくれたらなあ、と。

私はいま願っています。

・・・もう、歌の文句みたいだわ。んでもって、わけわかんないや(笑)

POC 2018年2月24日のプログラム

●原田敬子(1968- ):《NACH BACH》(2004、全24曲・通奏初演)
●山口恭子(1969- ):《zwölf》(2001、日本初演)
●望月京(1969-):《メビウス・リング》(2003)
●田村文生(1968- ):《きんこんかん》(2011、委嘱作・東京初演)
●山路敦司(1968- ):《通俗歌曲と舞曲 第一集》(2011、委嘱作・東京初演) ●木下正道(1969- ):《「すべて」の執拗さのなかで、ついに再び「無」になること II 》(2011)
●西風満紀子(1968- ):《wander-piano II (harmony go!) 》(2015、日本初演) 
●夏田昌和(1968- ):《ガムラフォニー II》(2009)、《センターポジション》(2018、委嘱新作初演)
●伊藤謙一郎(1968- ):《アエストゥス》(2018、委嘱新作初演
https://ooipiano.exblog.jp/29087727/

大井さん次回は
【特別公演】 フェルドマン全ピアノ曲総攬・完結編

2018年4月15日(日)午後2時半開演(午後2時開場) 全自由席3000円 
えびらホール (品川区/東急旗の台駅より徒歩6分)
[要・事前予約] feldman2018☆yahoo.co.jp
【演奏曲目】
●モートン・フェルドマン(1926-1987):《三和音の記憶(トライアディック・メモリーズ)》(1981) 約80分
●上野耕路(1960- ):《Volga Nights(たらこたらこたらこパラフレーズ)》(2018、委嘱新作・世界初演) 約10分
●モートン・フェルドマン:《バニタ・マーカスのために》(1985) 約70分
https://ooipiano.exblog.jp/29351349/

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2018年2月19日 (月)

楽しかった『初恋』フェスティバル

Hatsukoi 10月にお話しした、素敵なカンツォーネをお歌いになる青木純さん(http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/103bar-9422.html)、じつは日本歌曲を代表する作曲家、越谷達之助の直弟子です。
その作品を紹介する「越谷達之助記念会」主催の演奏会が今年2月18日に4回目を迎える、ということで、拝聴のご縁を得ました。

「『初恋』フェスティバル」と銘打ったこの会、青木さんを中心に、やはり越谷さんの薫陶をお受けになったという山季布枝さんがピアノをお弾きになって、豊富なキャリアを持つ素晴らしいお声のソプラノの新南田(しなだ)ゆりさん、高音域ばかりでなく低い声まで豊かなテノールの今福充さんが、後半に越谷歌曲の見事な歌唱を聴かせて下さる、充実したものでした。

そしてまた、『初恋」で埋められた前半が、また面白く楽しいものでした。
一般オーディションによって参加した3人が、それぞれご自分の初恋を打ち明けさせられたあとで、それぞれの思いを込めて『初恋』を歌ったのでした。
が、実はプログラムに『初恋』の楽譜が挟み込まれていて、個々のかたが歌う前に、お客全員で『初恋」を歌う、というビックリが、開幕早々用意されていたのでした。
素人であるお客向けに、ということではありましたが、全員で斉唱する準備として、越谷さんの直弟子である青木さんが、「越谷さんは、こう思って・考えて・歌う人に感じて欲しくて『初恋』の楽譜を書いたのだ」と、みんなに練習させる合間合間に曲のレクチャーをして下さったのでした。

これが、目から鱗でした!

その話を、少し綴ります。自分の言葉になっているのはお許し下さい。
間違いは多分あとからちゃんと指摘して頂けます。

『初恋』は、ご存知のように、石川啄木の短歌

  砂山の砂に腹這い初恋のいたみを遠く思い出づる日
  (仮名遣いと行替えがオリジナルでなくてすみません)

に付けられた歌曲です。

冒頭のピアノは、まず3小節が4分の5拍子で書かれています。
「これは、波が浜に寄せて来て、くだけるのを表わしている」
のだ、とのご説明。なので、記譜を正直に5拍子等拍で弾くのではないそうなのです。各小節の最後の付点四分音符は、波がくだけてひろがっていく余韻にならなければならない、という寸法。・・・でもまだここは歌ではありません。

歌にはいくつも四分休符がありますが、これがまた西洋的なものではない。
等拍の息継ぎ箇所ではなくて、言葉と言葉の間(あいだ)の、ちょっと観想的な「間(ま)」なのだ、とのこと。ですので、次の言葉の歌い出しまで、歌う人自身にとっては思いを溜めるだけ若干長い感触があることになります。

中間の部分は、これまた叙唱とも言うべきもので、表記は3拍子ですが、お話を受けて歌ってみると、やや自由に、ゆったり歌う感じです。
そして、これがいちばんのポイントでした。
「おもいいづるひ」は普通、ブレスなく一気に歌う方が多く、そういう録音も少なくないようです。
ところが、楽譜には「おもい」と「いづるひ」の間に、はっきり、息継ぎのマークが書かれています。
すなわち、「おもい」でブレスして、「いづるひ」は回想をこめて静かにゆるゆると消えていく歌い方になる、とのことなのです。これは越谷先生が名言なさっていた由。

歌の音型のここかしこに、なにを込めつつ歌うかのヒントがきちんとあって、そこは音型からハッキリわかる、そのままの自然さで歌えば良いことも、青木さんのお話からよくわかりました。

後半最初に、即興の巧みな作曲家、安藤由布樹さんのピアノで、今福さんはイタリア民謡〜オペラ風に、新南田さんはウィーン〜パリ風に、と、『初恋」を愉快なスタイルでお歌いになったのでしたが、しめくくりの青木さんは謡曲〜長唄〜演歌スタイルで面白可笑しくお歌いになりました。面白可笑しい中にも、この日最初にみんなにレクチャーなさったことが、さりげなく盛り込まれていて、笑いながらも納得しました。

前半も青木さんご指導の練習をしたあと会場全員で「初恋』を歌い、会の終わりにもまた全員で『初恋』を歌い、会場引き揚げギリギリまで時間を割いた最後にあがったアンコールになんとか答えて安藤さんと青木さんがまた『初恋』の締めくくりをお歌いになる、『初恋』づくしの充実した会でした。

駄文失礼。

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2018年1月15日 (月)

(ルーナ・キアーラ オペラ公演)プッチーニ三部作

Trittico_2 昨日(2018年1月14日)、誘われて、日暮里サニーホールへプッチーニ三部作の公演を観劇に伺いました。

喜劇の『ジャンニ・スキッキ』以外は、プッチーニならではの、どろどろの悲劇で、プッチーニ苦手な私は
「席についたらずっと目をつぶってるぞ」
と心に決めていたのでしたが・・・
ホールに入って、まあそうだろうとは予想していたものの、シンプルな舞台装置に思いがけず惹かれました。
上手に縄一本の洗濯干し場、下手に背もたれのないベンチ、そして手前にささやかな花壇がしつらえてあって、奥は三段ばかりの簡素なひな壇・・・客席が暗転してからは、このシンプルな装置で、あのどろどろ劇がどう演じられるのか、夢中で見ることになりました。
最初はこの装置で『外套』。
次に物干し場が消え、中央に十字架が浮き上がり、花が増えて『修道女アンジェリカ』。
最後が手前にベッド(ご存知の死体が横たわる)、奥中央に祭壇で『ジャンニ・スキッキ』。
最初の二つは、お芝居としてはインパクトが全般に薄かったけれど、装置が活きる良い演出でした。『ジャンニ・スキッキ』ご出演のかたたちが、演技はいちばんこなれていて、プッチーニ唯一のドタバタ喜劇を見事に演じていらっしゃいました。

主役級をなさった方々は専門家さんでしたが、ご出演の皆さんのプロフィールを見て驚いたのは、この公演をまとめた古河範子さん(『外套』と『アンジェリカ』でプリマドンナもなさいました)が立ち上げた団体「ルーナ・キアーラ」や、指揮をなさった澤木和彦さんのもとで、おそらくはプライヴェートに声楽を勉強なさっている、これまたおそらくは非専門の人たちが出演者の半分弱を占めていらして、しかも皆さんたいへん堂々とした歌いぶりだったことです。

出演者が40+2(指揮者とピアノのかた)名、それにスタッフさん(10人前後?)での運営なのでしょうね。おそらくは限られた予算のなかで、皆さんで力を合わせて作り上げた舞台、500名程度収容のホールを8割は埋めた集客は見事でしたが、1日きりの公演なのがもったいないなあ、仕方ないことなのかなあ、と思いながら時を過ごすこととなりました。

オペラは外国語で上演されるハンデもあり、いわゆる定小屋もなく、上演意欲があっても、この2つが主な理由で、継続上演は難しいものなのかも知れません。
伴奏もピアノ1台。今回の上演でのピアノはたいへんにダイナミックで技術も素晴らしかったのですけれど、せめてこれに弦楽五重奏くらいが加わったら、それだけで彩りが増すだろうになあ、とも思いました。ただしプッチーニの三部作は元のオーケストレーションが基本の二管編成にトロンボーンはバスまで含め4本、5種類の打楽器にハープ他5種の特殊楽器。これをピアノと弦楽五重奏にアレンジするのは至難の業です。

ひとつには、大編成ではない、たとえば『アルルの女』が舞台で演じられたときのビゼーがとった編成くらい(*)が、オーケストラとはいわないまでも、バンドで入るようだったら、音響面での舞台装置が出来るようにも思うのです。ますはそういう小編成で済む作品が、近代以降のものにはない。せめて歌舞伎のような題材でないとお客の関心も引きにくいでしょうから、これがまずネックかな。

そしてもうひとつには言葉。聴くときに耳を惹き付けて離さない響きを、となると、やはり翻訳ではダメだと思うのです。ベアトリ姐ちゃん(*)では続かない。

なにか、オペラも連続興行としてやれる背景作りというものを、作曲家さんでも舞台屋さん(変な言いかた!)でも、やってみられるくらいの面白い人が出て来ないかしら。。。

・・・と、拝聴しつつ頭を駆け巡った夢想はひたすら脱線方向に走ったのでした。

そうだ、私は後ろの方の席にいたのでしたが、右前方に映写されていた字幕が、殆ど読み取れませんでした。4行ずつにまとめられていて、ああ、とても気を使って作り上げたのだなあ、と思いはしたのでしたが、2行くらいの大きな字にして下さったら嬉しかったかも知れません。でも制作のお手間とコストがかなり大きくなるかもなあ。

なんかなんか、いろいろいろいろ胸が膨らんでしまったので、駄弁が長くなりました。

各作品で心に残った歌手の皆さん。
『外套』〜ミケーレをなさったイタリア人のカリオラ・グイードさんは、イタリア人ってやっぱりイタリアンよね、を存分に味合わせてくれました。親方を歌った横山広泰さん、最後は凄みが利いていました。
『修道女アンジェリカ』〜公爵夫人をなさった高橋未来子(みきこ)さん、立ち居振る舞いも歌も堂々となさっていて、あとでロビーで「あの人ホントは若いのよ」「えぇ? そうなの?」と喋り合ってるおばちゃんたちがいたのが愉快でした。
『ジャンニ・スキッキ』は、まずシモーネの藤原啓さんが「老人になった(水戸黄門の家来の)格さん」みたいで好きでした(どういう喩え?)。女性陣も素晴らしかったですが、ツィータをなさった米谷朋子さんの活動的な歌と動きがとりわけ印象深く思いました。
ジャンニ・スキッキをなさった別府真也さんの貫禄が圧倒的でした。
どういうかたなんだろう、と、帰宅してから思わず調べてしまいました。
こちらでページを作られていました。

https://beppushinya.jimdo.com/

ご活躍が楽しみなかたのおひとりになりました。

私が印象に残ったかたは他にも何人もいらっしゃるのですが、ますます駄弁が尽きなくなりますので、これくらいにします。

ご出演・一緒に舞台を作られた皆様が、これからますます豊かな活動を繰り広げて下さることを祈念しております。

*ドーデの戯曲『アルルの女』の舞台音楽でビゼーのとった編成は、フルート1、オーボエ1、クラリネット1、サキソフォーン1、ファゴット1、ホルン1、トランペット1、トロンボーン1、ティンパニ、打楽器持ち替え、弦五部にハープ。最小人数で16人だから・・・ちょっと人数が多いかなあ。

*ベアトリ姐ちゃん関連
https://youtu.be/jJwc2pWOn9w (日本語)
https://youtu.be/uIcpDyqPQgQ  (ドイツ語)

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2017年10月 7日 (土)

歌の本懐〜青木純さんのカンツォーネ(ライヴ 10月3日 青山 Barにて)

歌の本懐は、心の垣根を越え、崩すことではないでしょうか?

人は好むと好まざると、生まれてから死ぬまで社会的な何かを抱え、簡単なことを難しく考え、難しいことを簡単にやりすごしながら暮らします。

歌に心をかたむけることは、そんな暮らしを、ことばの豊かな流れに、ゆうゆうと浮かべる時間を得ることである気がします。
しかもそれは、ひとりひとりが「何を思い、どう考えているか」を超えるのです。

歌うこの人・歌を聴くその人・向こうでリズムを取り出すあの人、それぞれにそれぞれの違った暮らしがあり、どの暮らしも、互いに別々です。なのに、本当の豊かな歌の前では、別々の暮らしが、ただひとつの歌のことばの中に吸い込まれていくのです。不思議さを覚えずにいられません。・・・してみると、究極の歌はブラックホールなんではないかい?

ブラックとは真逆なのが、ラテン系の歌ですね。
蛇足ながら、ブラックホールの色はブラック、というわけではありませんけれどね。(光が無いんだから、無色なんでしょうね。)

極めつけに燦々と輝くカンツォーネを、表参道のバー R40 で聴いて参りました。

ギター片手にお歌いになったのは、イタリア連帯の星騎士勲章の受勲者である名テノールの青木純さん(http://www5f.biglobe.ne.jp/~jun204/stay.html ブラジル移民100周年行事にもご出演なさっていたのですね!)。
家内を亡くして途方に暮れていた頃の僕が、「お寿司屋さんで歌う」とのご案内に魅せられて、子連れで台東区のお寿司屋さんで拝聴してから、確かめましたら7年経っていました。当時高校生だった娘も、中学生だった息子も、お寿司がどんなだったかは忘れてしまっていますが、青木さんのお声はずっと忘れずにいて、ときどき家族で、あのときの楽しくて素晴らしかった時間が会話になっていたのでしたが、世のしがらみを泳ぐ方が先で、青木さんのお歌をもういちど、の機会を見つけかねていました。

最近、ひょんなことで、ようやくチャンスを手にしました。

ワクワクしながら出掛けまして、ほのぼのをかみしめつつ帰宅しました。
男前さはもちろん、とても伸びやかな美声も、調べに悠々と乗る豊かな抑揚も、まったくお変わりのないのには、ただ脱帽でした。

青木さんのご工夫は、主にナポリのカンツォーネ(カンツォーネ・ナポレターナというのだそうです。講座に出てくる普通のイタリア語とは違うのですね)を、日本でなさるときには、ご自身も工夫なさった日本語でワンクール歌って、それからナポリ語で歌って、で、歌の内容が分かるようにして下さるところにあります。意味も分かるけれど、言葉の音が歌に対して持つ響きの違いもはっきり分かる(日本語は高い音に対しては喉声を要求するところがあるのかな、とは、前から漠然と感じていたのではありましたが、高音でも日本語を巧みに処理なさる青木さんの歌唱を拝聴していて、より明瞭に理解できたように思います)。

でも結局、おいしいお酒で酔っぱらっているうちに、ことばがどうの、ということなんか、なんにも考えないで聴いている自分に、ふと気付くのでした。
でもって、分かっていないはずのナポリ語の歌のところで、ついホロッとしてしまっていたのでした。
席をすっかり埋め尽くしていたお客さんも、ノリノリになったり、しんみりしたりしながら、どなたも目をキラキラさせて・・・って、私はいちばん後ろにいたので想像ですが! しかしあの力の入った前のめり体勢では間違いないでしょう・・・聴いていらっしゃいました。

青木さんは6月にナポリで本場もんの人たちを前にしてカンツォーネのリサイタルをなさってこられて、私家盤でいらっしゃるのでしょうか、ネットには出ていなかったのですが、そのときの映像をDVDにしたものをご持参でしたので、それを求めさせて頂きました。そのカヴァー裏には、当のナポリの、ばりばりナポリ人のご夫人が感涙にむせんでいる姿が写っていました。
彼女のそのときの気持ちが手にとるようにわかります。
同じ思いでした。

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2017年9月30日 (土)

素晴らしかった「プラハ」〜紀尾井ホール室内管弦楽団を聴いて

オーケストラが好きで良かったなあ、と思う演奏会を拝聴しました。

環境が必ずしも許さないので、たくさん聴きに行くことは出来ません。たまに、誰かが行けなくなったのを代わりに聴きに行けるようになりましたので、そうしたチャンスに伺うのです。
それが大抵大当たりなので、まあ、幸せです。
紀尾井ホール室内管弦楽団(旧称:紀尾井シンフォニエッタ)も、ときどきそんなチャンスに恵まれて、何度か聴くことが出来ています。
ライナー・ホーネックさんが指揮なさったりヴァイオリンを団員さんといっしょに弾いたりなさるのを聴けたのは、3回目でした。

まさに、三度目の正直でした。

モーツァルト3曲プロの真ん中に置かれた「プラハ」での一体感には、心底埋もれました。
久々に、
「ああ、初めてオーケストラを目の前にしたとき、こんなだったなあ」
との気持ちがよみがえりました。
「プラハ」交響曲は、硬く厳しい序奏で、
「さあ、これから私が歌うのを、心して聴けよ!」
と私たちに向かって気難しく語りかけるところから始まります。
ああ、序奏が終わった、ここからか、と身構えている私たちを、けれども、かっくりコケさせるように、歌はサラサラと柔らかに歌い始められます。
歌はしかも、こちらを正面から見ることなく、エンジン音のしない、軽い二人乗りの乗り物に乗って、ふうわりと浮かび上がるように始まり、そのまま疾駆して行ってしまいます。聴き手は音楽の景色の移り変わりから置いていかれてしまうのです。

「ああ、やられたぁ・・・」
と思っていると、後ろの席に座った老年男子が、連れて来た女性に向かってひそひそ声で、
「これはモーツァルトの仕掛けでね、こういうふうに書かれていてね」
と話しています。
いいから今は黙ってろよ、知ったかぶりをしているあんただって、もうしっかり置いてけぼりを食らってるんだよ、と、ちょっと怒鳴りたい気分でした。
でも自分がこれ以上音楽に置いていかれたくはなかったので、ひそひそ声には耳を塞ぐことにしました。

私自身が、これまでさんざん、この音楽はどういう仕掛けで、ということを追いかけてきました。これからも折に触れてそれをするでしょう。
でも、まさか「いまここで音楽が歌っている・語っている」ときにまで仕掛けがどうのと捕われようとは思いません。そんなことをするのは、自分が進んで音楽の「今」から外れることなのだから、と、今回ばかりは痛切に感じました。

音楽は、鳴っているそのとき、実は必ずしも聴き手を向いてくれてはいません。
演じ手も「お客様に喜んでいただく」ことは大事ですが、もしお客がちゃんと喜ぶとすれば、それは演じ手がむしろご自身のすべてを音楽に向けているから、それをお客である私たちが心底感じられるから、なのではないかな。

「プラハ」のAllegroに入ってからの「お客には目線を向けず一直線」の仕掛けは、楽譜を見れば誰にでもすぐ分かります。ヴァイオリンのテーマがニ長調の主音から始まるにもかかわらず、背景の弦楽の和声が下属和音である(ト長調)ために、五度上に向かっての浮遊感を生み出しているのです。それが序奏部の謹厳なニ長調〜ニ短調と鮮やかな対照をなす、という理屈です。
しかし、理屈は理屈であって、お芝居の脚本だ、という以上のことはありません。
序奏だけを見ればまた、内部では別にひとつの調にとどまっているのではなく、ああだこうだともんどりうっている。さすが「プラハ」と縁があるだけあって、『ドン・ジョヴァンニ』のクライマックスシーンそのものです。オペラ好きでなくてもモーツァルト好きなら、「おお、あそこの『地獄行き』場面が鮮やかに見えるわぃ!」と大喜びしてしまいます。ほんとうはそこで、作曲者の罠にすっかりはめられて、こちらが地獄に落されて、すぐあと、音楽だけが勝手に天に向かって行くのを指をくわえて見せつけられるのですけれど。

そんな「プラハ」に誰がした?

ホーネックさんと紀尾井のみなさんが、でした。

芝居に思い入れるように、交響曲に思い入れが出来たのが、ほんとうに幸いでした。

過去、紀尾井のアンサンブルは必ずしもホーネックさんと一体ではなく、不自然さにくすぶる思いで終演後の席を立っていたものでしたが、それがまったくありませんでした。いま、それ以上のことをうまく言えません。途中、セカンドヴァイオリンがおそらく自主的意図的に「古楽」的な色合いを挟んだようでしたが、古楽的ではないストーリー造りのなかでは果してどうかな、と首を傾げたくらいでした。それもしかし、芝居の色づけとして楽しめた気がしております。

後半にホーネックさんがヴァイオリンでリードをとった「ロドロン第1」ディヴェルティメントでも、紀尾井の皆さんが彼の演奏技術にピッタリ寄り添っていて、味わい深く聴かせてくれました。
最初の「ファゴット協奏曲」は紀尾井にも御所属の福士さんのソロも巧みで名演でした。ただ、これは聴き手の私の好みの問題で、この日に限らず、いま演奏される協奏曲って、なんだか遊びが無くって硬い気がしてなりません。たくさんお出かけのかたは、そうではないものも目の当たりになさっているようで、それは羨ましい限りです。

2017.9.22-23(私は22日を拝聴)
紀尾井ホール室内管弦楽団 第108回定期演奏会
指揮・ヴァイオリン:ライナー・ホーネック
ファゴット独奏:福士マリ子
コンサートマスター:アントン・バラホフスキー

モーツァルト
ファゴット協奏曲 KV.191
交響曲第38番 KV.504(「プラハ」)
ディヴェルティメント第10番KV.247(第1ロドロン・ナハトムジーク)

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2016年12月13日 (火)

【12/23(金・祝)】大井浩明さん〜 バルトーク主要ピアノ曲集+東野珠実新作

んで、やっと記事がアップされました!
待ってました!

大井さんのバルトーク!

バルトークについての詳しい話は、大井さんブログ中の、野々村さんのいつもの名調子で読みましょう。

http://ooipiano.exblog.jp/26223127/

私にとって一番の楽しみは、ピアノ編曲の魔術師、米沢典剛さんによる、バルトークの弦楽四重奏曲編曲です!

米沢さんの編曲は、弦楽やオーケストラの音色・音配置のせいで聴き落としてしまいがちな作品の響きの点・線・面を鮮やかに、しかし驚異的なバランスの良さで、豊かに浮き上がらせます。ぜひたくさんの人に、その素晴らしさを知って頂ければ、と願っております。

東野珠実さん作品には、私は新しく出会うことになります。
上記リンク先のブログを拝読し、こちらもワクワクしています!

日時:2016年12月23日(金・祝日)18時開演
場所:松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
   JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

Takagi 料金:3000円(全自由席) 
   [三公演パスポート8000円]
   12/23(バルトーク)+1/22(ストラヴィンスキー)+2/19(ソラブジ)

お問合せ:合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)

ベラ・バルトーク(1881-1945):
ラプソディ Op.1 Sz.26 (1904) 
  Mesto/Adagio - Più vivo - Presto
14のバガテル Op.6 Sz.38 (1908) 

東野珠実:
《星筐(ほしがたみ) IV》(2016)(委嘱新作・世界初演)

ベラ・バルトーク:
アレグロ・バルバロ Sz.49 (1911) 
3つの練習曲 Op.18 Sz.72 (1918) 
ピアノ・ソナタ Sz.80 (1926) 
戸外にて Sz.81 (1926) 
弦楽四重奏曲第4番 Sz.91 〔全5楽章〕
(1928/2016、米沢典剛によるピアノ独奏版・世界初演)
 [Péter Bartók(1924- )による最終校訂エディション(1991/2009)使用]

より詳しくは大井さんブログ記事をぜひご一読下さい。
(再掲)http://ooipiano.exblog.jp/26223127/

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2016年12月11日 (日)

【12月24日14時〜】東京ムジークフロー無料演奏会!

えっと。まだ他にもあるんですけど・・・
自前の宣伝をまだしていませんでした。

所属アマチュアオーケストラ、東京ムジークフローの演奏会、無料です!
12月24日であります!
こちらも是非いらして下さいね〜無料ですからね〜(くどい)

耳になじみのある古典曲ばかりですが、現代音楽好き好きな人にもきっと面白い、ベートーヴェンの第8もやりますから〜。

Tmf161224
日時:2016年12月24日(土)14時開演
料金:無料! タダ! タダほど高いものはない!!
場所:江東区文化センターホール
   東京メトロ東西線「東陽町」1番出口より徒歩5分
   (東京都江東区東陽4-11-3)
曲目:ウェーバー「魔弾の射手」序曲
   ベートーヴェン 交響曲第8番
   ビゼー「アルルの女」〜組曲を劇場版配列に並び替えて
       (ストーリー字幕付き)

Koutoukubunka



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2016年12月 7日 (水)

【12月25日】「クリスマスの日に」コンサート(Vn. Sax, Pf.)

で、もうひとつ。

私の大好きなヴァイオリニスト、齋藤友美賀さんとそのお友達による、楽しいクリスマスコンサートがあります!

・・・といっても、予定曲を拝見しますと、「いかにもクリスマス!」ではなくて、ムードがクリスマスにピッタリ、の、いい選曲。

サウンドも、ヴァイオリンとサックスとピアノという、もう組み合わせをきいただけで「渋いぢゃないか〜〜〜♪」な大人好み。

大人好みだなんて言っちゃったらそれもまたちょっと違うのでありまして。
大人になりたい子どもには大人心をくすぐります。
子どもの頃が懐かしい大人の童心もくすぐります。

デートのかたも。
ひとりのかたも。

いいクリスマスを過ごしましょ♪

ヴァイオリン:齋藤友美賀
サキソフォン:宮澤 勝美
ピアノ   :吉川純美

お問い合わせ先は、チラシ写真をご覧下さいね!

日時:2016年12月25日(日)13時30分開演
料金:2,500円(高校生以下1,500円)
場所:タワーホール船堀小ホール
    ・新宿駅より「都営新宿線」にて本八幡方面へ約30分。
     船堀駅下車、徒歩約1分。
・東京駅より「JR総武快速線」馬喰町駅にて乗換。
     馬喰横山駅から「都営新宿線」で船堀駅下車、徒歩約1分。
     http://www.towerhall.jp/4access/access.html#bycar

Tei5big

プログラム
 ・ピアソラ:ブエノスアイレスの四季
 ・J.S. バッハ:主よ、人の望みの喜びよ
 ・クライスラー編:ロンドンデリーの歌
 ・リスト:ラ・カンパネッラ
 ・ミヨー:スカラムーシュ

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