クラシック

2016年4月30日 (土)

リスト「前奏曲」スコア解説から

恐れ多くも私も所属させていただいておりますアマチュアオーケストラ、東京ムジークフローが、来る6月12日(日)に杉並公会堂で第53回の定期演奏会をやるのですが(後日改めてご案内申し上げます)、その中でフランツ・リストの『前奏曲 Les pléludes』を演奏致します。
で、勉強用にEditio Musika Budapestのスコアを買っていたのですが、その解説文がなかなかに面白いのです。
非力ですのでためらっておりましたが、非力ですのでとりあえず最初の1ページ8行分(英訳部分)を翻訳してみました。誤訳もあるかと思いますので、お気づきのときは何卒ご教示宜しくお願い申し上げます。
続きは時間があればやりますし、なければあきらめます。(;o;)

以下、本文。


リスト「前奏曲」スコア 前書き 1996年 Rena Charnin Mueller
(ニューヨークで書いているので英語部分がオリジナルなのでしょうか?)

Emb EMB (Editio Musika Budapest)

p.14からp.15の8行目まで

 リスト文献中で最も興味をそそられる疑問の数々のうちのひとつは、『前奏曲 レ・プレリュード』の淵源に関するものである。はたして『前奏曲』は自立した交響的作品でプログラムをラマルティーヌの同名の詩に依拠したものなのか? それともリストが1840年代半ばに書いた合唱曲集『四大元素』[注:未出版、管弦楽伴奏を1848年に完成の由]の交響的な前書きとして着想されたものなのか? この疑問は標題音楽の性質、19世紀音楽美の発生の問題の核心に触れるものである。ある作品のタイトルからどれだけのものが引き出せるのだろうか? 作曲者の付けたタイトルがその聴き手に何程の意味をもつものなのか?
 この疑問にはこんにち明確な答えが出されている。『前奏曲』はまずジョセフ・オートランjoseph Autran(1813-1877)のテキストによる合唱曲集の交響的序曲として生み出されたのであり、リストはこの無名なフランス詩人に1844年7月マルセイユで会っている。1850年以降、自作をとりまとめて整理する際、主題が先の合唱曲たちに基づいているこの交響的前書きを、リストは強引に先の合唱曲集から引き離し、独立した「交響詩」として公表したのである。こうして、主立った構想において、『前奏曲』は交響詩『プロメテウス』の直接の同輩となったのだったが、『プロメテウス』もまたテキストに依拠した作品として生み出されたのではあった[注:1850年、『ヘルダーの縛られたプロメテウスへの合唱』の序曲として、ヘルダー像の除幕式で初演された]。
 リストは『四大元素』の4つの合唱曲を、イベリア半島への旅の期間(1844-45)に全てピアノ伴奏で書いた。作品は「風」、「波」、「地」、「星」の4つの楽章から成っている[参照表省略]。若いピアニスト、Darborvilleのアシストを得て、リストはマルセイユのムッシュTrotebasの合唱協会を指揮して1844年8月6日に「風」を初演した。残る三曲だが、リストは「波」にはヴァレンシア、イースターサンデー(3月23日)1845年と記し、「地」はリスボンとマラガで翌月完成、「星」は日付が記されていないが、リストがこのイベリアの旅のあいだに使っていたスペインの紙に書かれているので、この間に間違いなく完成している。「風」を除き、第2〜4曲がリストの生前にはたして演奏されたのかについては、確かな証拠がまったくない。
 『前奏曲』には『四大元素』の合唱のテーマの痕跡が数多くある。最も注目すべきは、交響詩の幕を開ける有名なユニゾンのピチカート音型が「波」のピアノスコアで最初に見出されることだ。このC音の連続は、オリジナルのピアノ伴奏合唱でも、続くオーケストラ伴奏版でも、全合唱を統べている。[注:交響詩では]モットー音型のドーシミーがピチカート動機に続くのだが、これは「星」の中の”Hommes épars sur ce globe qui roule”という歌詞の部分に据えられているものである。そしてさらに、交響詩の最終版に35小節目に見られる弦楽器の動きもまた「波」に見られるものの痕跡であり、リストが初期の作曲においていかに注意深く思考したかの、また別の例となっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 5日 (土)

山田和樹・仙台フィル:ラフマニノフ交響曲第2番【日本のオーケストラのCDを聞く】

まいどのばかばなしでございます。

山形交響楽団の名演を拝聴しましたので、あ、仙台はどうなっているだろうか、と、あいなりました。

仙台フィルハーモニー管弦楽団の前身、宮城フィルハーモニー管弦楽団がプロになったばかりの頃、高校生で入れてもらっていた地元の若もんアマチュアオーケストラで、宮フィルの初期メンバーのかた数人が教えたり手伝ったりして下さって、お世話になったのでした(ヴァイオリンの山本先生お元気かしら)。大学生になってからは、アルバイトの一人として演奏旅行についていったこともありました。・・・学生なのにバイト代がしっかり源泉徴収されて、がっかりした記憶があります(笑)。瑞々しい小山実稚恵さんによるショパンのピアノ協奏曲第1番を伴奏する端っこにいて、あとはベートーヴェンの第5をやったのだったな。序曲は覚えていません。
・・・と、個人的にそんな思い出があります。

仙台フィルと少し前に共演なさったかたから
「仙台フィルうまいですよ」
と聞かされたことがあって、元地元民として密かに狂喜していたのですが、仙台を離れて久しいので、仙台フィルになってからの音を知りませんでした。

ショップをあさったら、『つながれ心、つながれ力』(fontec FOCD9524)と銘打ったCDが出ていました。2011年の東日本大震災で自らも壊滅的な打撃を受けた仙台フィルが、震災直後の3月26日に懸命の臨時演奏会を催し、それを契機に5月15日までになんと、メンバーさんやそのお仲間で125回もの復興コンサートを行なったのだそうですが・・・噂は耳にしていたものの、そこまでとはCDのリーフレットを読むまで知りませんでした。そうやって被災地の人たちとお互いを励ましあってきた仙台フィルが、その売上を震災復興の助けに、と出したのが、この『つながれ心、つながれ力』だったようです。これも知らなかった! 元地元民失格だわ(泣)。
このCD、内容は2006年〜2010年の演奏です。
最初の収録曲、ベートーヴェンの交響曲第8番(小泉和裕さん指揮、2007年)の、初めの音がなるなり、びっくり仰天してしまいました。なんて威勢がいいんだ!
続くシューマンの交響曲第4番(山下一史さん指揮、2010年)も、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」(パスカル・ヴェロさん指揮、2006年)も、わりと情緒連綿な気がするのだけれど、なんでか聴いたあと気分がさっぱりする。

これだったら、後期ロマン派あたりが、たぶんダレたりしなくって、ぴったんこなんじゃないかなあ。
そういうのはないのかなあ、と思って探したら、これが、あったのでした。R.シュトラウスもあるんですけどね。

51nzqlrjkbl_sy355_ 選んだのは、ラフマニノフの交響曲第2番。

2013年9月のライヴで、指揮は山田和樹さん。EXTON OVCL-00532
僕らが学生の頃までは、ヤマカズと言えば山田一雄だったんですが、いまやヤマカズと言えば山田和樹なんですよね。

人気作ながら、メランコリックでムードミュージック的だ、と、渋好みのクラシックファンからは格落ち扱いされることもあるラフマニノフ作品。交響曲第2番はピアノ協奏曲第2番とともに、そう見られる代表的なものではないかと思います。交響曲第2番の演奏には、たしかに甘ったるいものが多い気もします。わりとがっちり出来た曲だと思うんだけどなあ・・・
何を隠そう、僕はこの交響曲は大好なのですが、しかし演奏の甘ったるいのはいやでした。それで、初のノーカット演奏録音として名高いアンドレ・プレヴィン−ロンドン交響楽団の、情に流されない絵画的な美しさのあるものだけを偏愛して聴いてきました。
ですから、今回、山田和樹さん指揮のものに手を出すのには、ちょっとためらいもありました。

いやいや。ためらいっぱなしでなくて、よかったのでした。

うーむ、日本人の求める、日本人らしい緻密さって、こういうものなのではないだろうか、と、国粋主義的陶酔に陥らせて頂きました。プラスの方の期待を遥かに超えて、山田さんの優れた資質もだけれど、仙台フィルの特性もまた充分に生きた、スゴい演奏なんじゃないかな。

とにかく『つながれ心、つながれ力』の各演奏がそうだったのと同じように、いや、いっそう爆発力を増して、ラフマニノフでの仙台フィルの演奏は、きっぱりとしている。それでいて、たっぷりとした情緒も供えている、という不思議さがある。
でもって、これは山田さんのしわざなんでしょうか、情緒的きっぱりの嵐の中で、とくに弦楽器の音像が細かいところまで解剖学的な浮き出しかたをしている。飯守・都響の「タンホイザー」みたいな正確さとはまた違って、なんと言いますか、音楽という肉体の動脈が浮き出している感じ・・・なんて表現だと気持ち悪いのですが、それは僕の言い方がよろしくないのであって、動脈の浮き出る運動性が、60分間もの長時間作品にイキイキさを貫かせ、聴き手を飽きさせない。

構成を主眼にしたプレヴィンの行き方は、実は高名なロンドン響盤以外にロイヤルフィルを指揮した録音でも確認出来るのですが、ああ同じプレヴィンだ、と分かっても、オーケストラの実力の差なのか、ロンドン響の演奏にあった重厚感が消えてしまっているのです。似た例はルドルフ・ケンペによるベートーヴェン「エロイカ」でもあって、ベルリンフィルとミュンヘンフィルとを比べると、指揮者のヴィジョンは確実に同じなのだけれど、仕上がってくる響きの厚みがまったく違っています。・・・ちょっと脱線なんですけど。
で、山田さんが他のオーケストラでラフマニノフの第2交響曲をやっても、同じようなことになるのではないかしらん? それが仙台フィルとのより優れた演奏になってしまったら、僕はちょっと妬けるだろうと思います。

でも、心配無用だとも思っています。
各楽章での、仙台フィルメンバーの音の勢いや色の出しかたの本気度、取り組む技術の確かさが、浮き出た動脈の各所から透けて見えるからです。
そこまで山田さんの意図なのかどうかは分かりませんが、前半の2つの楽章では、以前聴いたことのあるシベリアの民族音楽で響いてくるようなぶんぶんした音が、これでもか、これでもか、と鳴る。
そしてこれまた分かりませんが、こんな音を実現してみる奏者さんに、民族音楽じゃこんなふうに音出してるんだぜ〜、みたいな見識の深さと豊かな再現力がなければ、ここまで耳を惹き付ける音楽作りは不可能なはずです。
第3楽章はたるまない美しさですし、第4楽章は熱狂的に聞かせながら最後まで緻密さを崩さないアンサンブルが見事です。終結に向かってオクターヴで重ねた旋律が動きも音程もピッタリ寄り添ったものでありながら熱いというのは、ちょっと信じがたい離れ業だわ。

先に「日本人の求める、日本人らしい緻密さ」を演奏に感じる、と言ったのは、熱も精一杯こめるけれど、その熱をどうやったら発することが出来るか、が、ある意味数学的とも言える突き詰めかたをせずにはいられないところが日本人的なのではないか、それがここに体現されていると感じる、という、まあ独善的な素人解釈です。
そんなちっぽけな国粋主義・自民族主義は、実際には、この演奏はまったく乗り越えているのですから、僕の耳は、たぶん偏狭なのです。

この交響曲をお好きなかたにも、いままで嫌いだったかたにも、山田・仙フィルであらためてお聴きになれば、作品の評価をまた変えざるを得ないんじゃないかな。。。
聴いたご感想を是非教えて頂きたいと思います。いろんな人にこれがどう聴かれるのか、に、とても興味があります。

Amazon http://www.amazon.co.jp/dp/B00IWYMREI
公式サイトのCDページ https://www.sendaiphil.jp/goods

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年3月 7日 (土)

モーツァルト、消えてほしい都市伝説

モーツァルトをめぐって、どうしても消えてほしい都市伝説が、ふたつあります。

1)○○にモーツァルトの音楽を聴かせて熟成させるとおいしくなる
2)天才モーツァルトの書いた楽譜に手直しはない。流れるように美しい。

1)「○○にモーツァルトの音楽を聴かせて熟成させるとおいしくなる」
は、ネットで「モーツァルト 日本酒」とか「モーツァルト 牛肉」とか、そんなキーワードで検索すると簡単に出てきます。個々をどうのこうの言っても仕方がないので固有名詞は上げません。どうぞ検索なさってみて下さい。否定的な意見も同様に検索に引っかかってくると思います。

で、こちらは、肯定だとか否定だとか以前に、こういう発想が出てくる背景にあるだろう「モーツァルトの音楽は心地よい」的観念が相対的なものに過ぎないことを私たちが承知しておくべきだと申し上げるだけでも、充分に都市伝説を消し去れるものと思います。
ベートーヴェンの作品がベートーヴェンの生前には前衛で聴き手の失笑・冷笑をかった話の方はよく採り上げられます。
前衛であったことにかけては、モーツァルトはベートーヴェンの偉大な先輩でした。このことはあまり承知されていません。
ほんとうはどこかでそんなことが言われているのを目にしたり耳にしたりしているはずなのですが、「モーツァルトの音楽は心地よい」との先入観にはばまれてスルーしているだけなのではないかと思います。
煩雑な伝記を読むまでもなく、中公新書から訳書のでたロビンズ・ランドン『モーツァルト 音楽における天才の役割』(石井宏訳 原著1991年 モーツァルト没後200年)に次の記述があります。
「(略)さらには、モーツァルトの音楽がウィーンの人たちには難しくなり過ぎたということもあるであろう。多くの人が”不協和音“という四重奏曲K465は聴き辛い作品であると思っていた。(中略)典型的な逸話として伝えられているのは、これが裕福なボヘミアの貴族のグラサルコヴィッツ公の家で演奏された時のことで、第一楽章が終わると、公は怒って楽譜を破いてしまったということである。この話は事実ではないとしても、当時の空気を良く伝えている。」(p.160 モーツァルトのウィーンにおける凋落)
モーツァルトの成熟期の音楽が同時代人に「難しい」と受け止められていた、とは、同書に限らず、まっとうな伝記ならば必ず言及されている事実です。そんな音楽が今の私たちにとって聴きやすかったり心地よかったりするのだとしたら、聴き慣れたせいだ、あるいはほかにもっと難しいものも増えた、ということしかなく、かつ、人間が聴き慣れたからと言って他の生き物にとってまで聴き慣れうるものかどうか保証は全くない。したがって「モーツァルトを聴かせればおいしくなる」伝説は、人間の思い込みを日本酒や肉牛に押し付けているに過ぎない。
まあ、人間の考える「価値」だなんて、何をとっても、こんないい加減さから生み出されるものがほとんどなのかも知れません。

2)では、モーツァルト生誕250年の年に、某有名オーケストラに属する某奏者さんがモーツァルト自筆譜のファクシミリを何点もかついでテレビにゲスト出演なさった際、レギュラーメンバーから
「モーツァルトの書いた楽譜は手直しがなくてきれいなんですってね」
と質問されて
「はい、そうです」
とお答えになったのを見て、あいた口が塞がらなくなったのでした。
いったいどうしてあんなことを言ったのですか、と、不躾承知でメールしましたら、お返事はきちんと下さいまして、テレビの要請に応えざるを得なかったから仕方なく、とのことでした。
お返事頂けたことは望外の喜びでしたが、胸には納得のいかないものが残り続けました。
あとで何度も考えましたが、良心を持った音楽家なら、テレビ番組の要請がどんなであろうと、ご自分がしっかり分かっていらしたはずの「事実ではないこと」をきちんと否定して、それで番組が成り立つようにと努力すべきだったのではないか、と思えてなりません。
音楽家さんが「そうです」と言えば嘘でも平気でまかり通る悲しい別事例を、その後もいくつか見ました。
クラシック業界にとって、こういうのは非常な汚点ではないでしょうか? これでは他の人に「クラシックも好きになってちょうだい!」とはとても言えないことになり、一愛好家としてたいへん残念だ、とずっと思っております。

自筆譜ファクシミリをいくつもお持ちのかたなら、モーツァルトの自筆譜にはたくさんの訂正があることを絶対にご存知のはずです。ご存じないのならファクシミリをちらっとも開いてご覧になったことがなく、ただプライドを飾るためだけにそれを持っている、恥ずかしい精神の人だと言わざるを得ません。

たくさん、というほどではありませんが、私は貧しいながらもモーツァルト大好きであるために、初期の弦楽四重奏曲、2つのピアノ協奏曲、『ドン・ジョヴァンニ』のダイジェスト、『魔笛』全曲、ハフナー交響曲にジュピター交響曲くらいの自筆譜ファクシミリは手元にあります。これらのどれを見ても、モーツァルトが考え直して抹消をしたり、音符に訂正をほどこしていたり、をまったく行なっていない楽譜はありません。
ハフナー交響曲やジュピター交響曲については例を以前ブログに掲載したことがあります。
ここでは『戴冠式』協奏曲と呼ばれているK.537の自筆譜ファクシミリにある例を少しお目にかけます。同時に、モーツァルトの手書きは決して美しくもなく、丁寧に書かれたものでもないこともはっきり分かっていただけることになるでしょう。

自立から死に至るまでのウィーン時代のモーツァルトにとって、自作ピアノ協奏曲をひっさげて演奏会を開くことは大事な収入源で、自分の演奏のための総譜は「書きかけの断片をためておき、必要が生じたときに、それに手を加えて素早く仕上げる」(西川尚生『モーツァルト』p.241 音楽之友社 2005年)方法で書いたことが明らかになっています。K.537の自筆譜もモーツァルトのそんな作曲方法がはっきり読み取れるものになっていると思います。そして、「素早く」が決して滑らかにではなく、格闘するような「素早く」だったのではないかと見られる箇所が、ふんだんにあります。
いまはパブリックドメインでも見られるようになっています。
http://imslp.org/wiki/Piano_Concerto_No.26_in_D_major,_K.537_(Mozart,_Wolfgang_Amadeus)
冊子もDoverの廉価なモノクロ版ですので入手も容易です(購入した2006年6月には2200円ほどでした)。廉価版であるにもかかわらず、アラン・タイソンによるつっこんだ解説があります。専門的なことはそんな解説をお読み頂ければいいだろうと思います。

モーツァルトは、最初はオーケストラとピアノ独奏のおもなアイディアだけ書いておいたのでしょう。モノクロでもインクの濃淡でそれがはっきりわかります。第1楽章の4葉目裏では、最初にあらかじめ書いておいたのはヴァイオリン、ヴィオラの一部(上から2〜4段目、これはこの画像からだけだと濃淡が分かりにくいところがあります)と低音部の一部(下から2段目、2〜3小節目、5小節目)、ピアノ独奏部(下から4~3段目)です。トランペット(最上段)とティンパニ(最下段)は、左端の連桁があとで上下に広げられたのが見て取れますので、他の管楽器と同時に後から付け加えられたのだと判明します。

P8

6葉目裏から7葉目表にかけては独奏部が抹消されて、あいた上の段を使って書き換えがほどこされています。7葉目表にいたっては1小節をまるまる抹消しています。この抹消された小節には独奏部以外まったく何も書かれていませんので、オーケストラ部が後で書き加えられたことの裏付けがとれます

P13

9葉目裏から10葉目表では、あとで書き換えられた方のピアノ独奏部が抹消されています。後日の加筆や書き換えでもモーツァルトは単純にではなくアイディアに悩みながら作業を進めていた、ということになるのでしょう(ガラケー写真でスミマセン)。

P1819

19葉目裏から20葉目表にかけては、こんどはオーケストラの書き込みまで(後日)されていながら、大きく抹消されています。20葉目裏はまた普通に書きこまれていて、これはモーツァルトが最初のアイディアを書き留めた時でも全部を一気に書いたのではない可能性を示唆しています。使用されている用紙の解析によると、第1楽章の16葉目までと第2楽章の6葉目までが同じ時期製造の五線紙を使っていて、第1楽章の17葉目から20葉目は別の時期製造のもの、以降さらに21〜24葉目と25〜最終までとが異なる時期の用紙なのだそうです。(第3楽章についての用紙の解析はDover版の解説表には載っていません。)

P3839

第2楽章は総譜で修正だとはっきりわかるのは5葉目(モーツァルトはこの作品では楽章ごとにあらたにページ番号を1から書き始めている)の1カ所にしかありませんが、これはモーツァルトが「頭の中で完成している」音を一気に書けば済んだ、ということを意味しません。第2楽章については主題がスケッチされていたことが分かっていて、そのスケッチはなんと日本の前田育徳会財団の保有に帰しているというオチまでついて、Dover版ファクシミリに写真も掲載されています。

P65

第2楽章で面白いのは、独奏部の左手が全く書かれていないことです。緩徐楽章なので、演奏会には即興で間に合ったのでしょう。そしてまた、書かずに演奏会に臨んだということは、協奏曲の仕上げを極力急がなければならない状況下で、モーツァルトは即興で済む部分は省き、他はバタバタと作業した、みたいな様子を推測させてくれます。
ドタバタ状況下だった第3楽章(Finale)の書きぶりが、それでもモーツァルトの天才にいちばんふさわしいと言えます。
筆跡は前の2つの楽章に比べてずいぶん荒っぽく、オーケストラ部の省略表記も多く(9葉目裏、18葉目表裏に走り書きのイタリア語で「最初の時と同じに」と書いているほか、3葉目の木管、7葉目の第2ヴァイオリン【(第1ヴァイオリンの)オクターヴ下、の指示】、最終21葉目表のトランペット(第3楽章では10葉目以降で下から4段目になっています)などへの記入省略が見られ、省力化の意図を伺うことが出来ます。その一方で、最終的に一気に書かれたと見えるしめくくりの18葉目裏のおしまい2小節以降、第21葉目までは、独奏部とオーケストラがほぼ同時進行(オーケストラの、とくに管楽器には後からの記入もあるかと思われますが)で書かれていたと見えるにもかかわらず、音符そのものの訂正はまったく見られません。これをずいぶん急いで書いたのであろうことが、インクや線の烈しい乱れからよく察せられますので、訂正のないことはやはり驚嘆に値すると思います。

P104

第3楽章の例から、モーツァルトの天才は間違いないものだと認めることが出来るのですけれど、それは
・神業のような美しい筆跡から判明するものではないこと
・先行楽章から読み取れる通り、日々の生活の糧を得るどん欲さから生まれて来た工夫(あらかじめアイディアを準備しておく・省略で済むところは省略する)、いよいよ出番となるときの懸命な見直し努力(第1楽章の書き直しの例)のように人間的な営みの積み重ねに裏打ちされていること

なのだと、モーツァルトを素材に何かを語りたい芸術家さんには、あらためてしっかり認識しておいていただきたい、と、ひたすら願う今日この頃です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年8月15日 (金)

カール・ベームのリハーサル風景と人となり

いまはどうなのか、すっかり縁遠くなったので分かりませんが、私たちの世代(35年くらい前の大学生)の大学オーケストラは、世間で有名だったり売れだした指揮者さんを招いて指導を乞うのではありましたが、初めて招いたときには単純に指導を乞うというのではなくて、生意気にも指揮者さんを試すためにいろんな意地悪をするのでした。振られているタクトよりわざと重くどっしり音を出してみたり、テンポを速くしたり、と、いろんなことをしました。
それを思い出させてくれるような解説文が、1966年頃のカール・ベームのリハーサルと本番をDVD化したものにありました。
肝心のそうした団員側の様子を述べた部分は以下の引用では省きましたので、ぜひ元のリーフレットでお読み頂ければとお思います。
引用した箇所は、反対に指揮者側が団員に対してした意地悪について述べたもので、ベームの面目躍如です。

このDVDでのベートーヴェンの交響曲第7番のリハーサルが、手に入るリハーサル風景映像としてはカール・ベームの特質を最もはっきり見せて・聴かせてくれるものになっているのですが、いまは中古でしか手に入らないのかな。
盆休みで久しぶりにじっくりと見て、いろいろと考えさせられているところです。

Bhomdvdベームのころの価値観が是か非か、がふらつき始めたのはちょうど私たちの世代の頃で、私は「こんな人試しみたいなことが横行するのは非人道的だ」と思った甘い方の考えに組していたかと思いますので、こんにちの緊張のないアマチュアオーケストラ環境をもたらした犯人のひとりであることを懺悔しなければなりません。私一個なんぞ胡麻粒のような存在にしか過ぎないにしても、粒だって集まれば真っ黒けになりますしね。なにごとも、戦犯は胡麻粒から醸成されるのです!

名人ぞろいのオーケストラのリハーサルは、ただのんべんだらりんと見てもさっぱりピンと来ないことが多いのです。中で指揮者が楽員に向けて指摘している部分や指摘の言葉があまりに「ごく普通」で、その言葉だけ聞いても指摘の重要性が何も分かりません。
それでもたとえば南西ドイツ放送交響楽団(当時。現WDRでしたっけ?)がシリーズで収録したフィレンツェ・フリッチャイやカルロス・クライバーとのリハーサル映像では、指揮者たちが比喩を用いたりしているために、「この音楽をこう表現したい」と指揮者が考えている様子はまだクッキリ浮かび上がります。カラヤンやチェリビダッケの、いくつかのリハーサル映像もまた然りです。

カール・ベームは、ところが、リハーサルでまったく比喩を用いません。
全然ユーモアがないわけではなくて、1975年来日の時のベートーヴェンの第4交響曲のリハーサルの冒頭部では、なかなかうまく始められない団員に向かって小声で
「始まる前に私が4拍子で踊って見せようか? 別に構わんよ。睡眠が足りてないんじゃない?」
と言ってみたり、
「(弱音で長い音を厳しくピンとならさなければならないなんて)こんなひどい始まり方はないよなぁ。ワグナーの「マイスタージンガー」の始まり方の方がずっと楽だ」
とボソボソ言ったりしています。
が、はなから収録前提で映された66年のベートーヴェン第7のリハ映像では、そんな面はいっさい見せません。
その入り方は遅すぎるとか、クレッシェンドが早すぎるとか、そんなことばかりです。
しかも、そうしたタイミングが本当に遅かったりクレッシェンドがやり過ぎだったりするのか、とは、ぼけっと聴いていると全く気がつかないくらい微妙な場合が多いのです。巻き戻しして見直したり聴き直したりしなければ分かりません。
もし映像をご覧になるのでしたら、ぜひそのように映像をちょっと戻してご覧になって下さい。音が出た瞬間にベームがもう先の流れまで読んでしまって適切に指摘をしているのがハッキリ分かって舌をまくに違いありません。私など外国語はほとんど聴き取れませんので、ベームのドイツ語も簡単な語彙のところしか直接には分からないのですが、日本語字幕は練習の流れからすると明らかに意味が違っていたりするところが少なからずありますから、映像はそこには気をつけて視聴しなければなりません。

まだ手に入りやすい75年来日時のウィーン・フィルとのリハーサル映像は事前確認的な練習であるためか指摘箇所がほとんどないためベームの表情から可不可を読み取るしかなく、80年来日時のリハーサル映像ではベームが老いていて(翌年逝去)、指摘はあいかわらずの鋭さを見せながらもオーケストラの方がベームの衰えた棒にあまりにも適切に反応しているために往年の切れの良さを見ることが出来ません。
まだ元気いっぱいのときにウィーン・フィルと残した「ドン・ファン」のリハーサル映像がYouTubeに上がっているので、末尾にその映像を埋め込んでおきます。もしご覧になって下さる方がオーケストラの団員さんでしたら、どうぞご参考になさって下さい。


カール・ベームについての解説(平林直哉氏)の抜粋

DREAMLIFEのDVD(ウィーン交響楽団とのベートーヴェン第7のリハーサルと本番、ピアノ協奏曲第4番、シューベルトのグレート、モーツァルト33番および39番)の解説

http://www.amazon.co.jp/dp/B0001XOUL6/

カール・ベームというと、私たち日本人は1970年代から1980年代初頭くらいまでの、それこそ日本列島を縦断した“ベーム狂騒曲“を思い出さないではいられない。ベームが舞台に登場すると、それこそ割れんばかりの拍手。演奏中は水を打ったように静まり返って耳を傾ける聴衆。終演後はさらに凄い。舞台には怒濤のように人が押し寄せ、ほとんど満員電車のすし詰め状態である。そこからベームと握手しようとして差し出される手、手、手。その要求に、もう嬉しくてしょうがないといって、顏をクシャクシャにするベーム。ロックのコンサートでさえも、このような盛り上がりがあっただろうか、と思われるほどだった。
(略・・・1975年来日時の映像や録音をめぐってはまた別途)
当時、テレビのブラウン管を通して見るベームの姿は、確かに、いかにも人のよさそうな感じだった。しかし、実際のベームは全くそうではなかった。数ある指揮者の中でも、ベームは最も口うるさく、時には周囲の人々が耳をふさぎたくなるほど非人間的な言葉を吐いた。ベーム自身、「怒鳴り散らすのは私の趣味」と言っていたほどで、リハーサルの最中は絶えずガミガミと言い、リハーサル会場で怒りが収まらない時は、自宅の庭に出て大声を出した。しかし、いったん指揮台をおりると、普通の穏やかな人格になりきるのだが、その変貌ぶりがあまりにも激しいので、誰ともなくベームのことを「ジキルとハイド的」と呼んだ。そのジキルとハイド的指揮者ベームは、相手が誰であろうと怒りを爆発させた、ある日、彼はウィーン・フィルに向かって「お前らのような下手くそを二度と振るものか!」と怒鳴ったが、おそらくベームはウィーン・フィルに向かって「下手くそ」と言い放った最後の指揮者ではあるまいか。
(略)
ベームはまた、新人いじめが趣味でもあった、オーケストラに新入りがいると、それをめざとく見つけ、ちゃんと座っているか、自分が吹かない、あるいは弾かない時は楽器を正しい場所に置いているかなどをチェックした。リハーサルの時から緊張している新入りに対しても、やさしい言葉をかけることなどはなかった。逆にその新入りの方を向いて、「本番が楽しみだな」と、プレッシャーを与えていた。これだけ厳しく、そしてある意味では意地悪と思える指揮者が一流にとどまることが出来たのは、音楽が素晴らしかったからにほかならない。それは多くの楽団員や歌手たちが証言している通りである。
(略)
最近では、「楽団員と話し合って音楽を作る」というような指揮者が増えている。その一方で世界的にはスター指揮者が激減している。
(略)
ベームの意地悪も、一人前になるために、あるいは本当の意味で仲間になれるために越えなければならないハードルと言えよう。実際、ベームが口にするようなハードルを越えることが出来れば、多少のことではびくともしない精神が培われたに違いない。


http://youtu.be/SKqPrtLLHLQ

ベートーヴェン第7交響曲リハーサル映像の一部
https://www.youtube.com/watch?v=HDUK5WdNm-8
https://www.youtube.com/watch?v=dMrL2sqUiko

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月30日 (土)

ヴァーグナーのやったこと・・・「ラインの黄金」を例に

近代の作曲家は詩的効果より音楽的効果を、歌詞より音楽の調べの方をさき立てる。ワグナーのオペラは音楽と詩を調和的に結合しようとしたものといわれるが、主人はやはり音楽であり、詩はその引きたて役であるのに変わりはない。/詩がことばを通してこの現実と大地にしばられているとき、音楽はとくにバッハ以後、ことばから独立した、純粋で自由な、みずからの形式を発明し、空たかく飛翔するに至った。詩人が音楽を羨望するという事態が、かくて生じる。だがこれは主として近代のできごとであり、梁塵秘抄もそうであるように、かつては詩と音楽、ことばと音楽との関係は均衡しており、さらに古くは逆にことばの方が主人であったと考えられる。」(西郷信綱『梁塵秘抄』158頁、ちくま学芸文庫 2004年。原著は1976年発行)

洋楽に飛んでいるところが「?」になるでしょうけれど、西郷氏のこの論は日本の歌謡曲のことも踏まえた文脈で語られているもので、1970年代の音楽観としては日本で一般的だったものをよくまとめておられるのではないかと思います。

ここで「音楽と詩を調和的に結合しようとしたもの」だと言われいているヴァーグナー作品は、さて、本当に詩より音楽が優位に立ったものなのでしょうか?
あてられた詩を外国語として聴き取り、あるいは聴き取れずに無意味な人声の羅列として耳に入れている私たちには、たしかに音楽優位としてしか作品を享受出来ない側面が強く、またアマチュアがヴァーグナー作品をとりあげる場合も声楽ぬきで演奏するケースが圧倒的に多いかと感じます。
長大な『ニーベルングの指輪』四部作においては、全篇を鑑賞しきれるのも大変であるため、いっそうその傾向に拍車がかかっています。

最も短い『ラインの黄金』を観察してみたとき、それでもヴァーグナーがことばと音楽の間で試みたことが少しは見えて来るのではないでしょうか。
で、そのとっかかりになりそうなことだけ手短にとりあげてみたいと思います。

オペラ対訳ライブラリー(音楽之友社)『ワーグナー ニーベルングの指輪 上』(2002年)に添えられた高辻知義氏による「あとがき」によれば、『ラインの黄金」の詞(詩と言うよりこちらのほうが合っているでしょう)に施された工夫は、こういうことだそうです。
「古ドイツ語の言語感覚に根ざし、従来の尾韻に代えてここで初めて採用された頭韻の使用は効果をあげた。これは、歌詞中の1行または数行の中で、アクセントのある音節に同じ響きを繰り返して、韻律的効果と構造的まとまりを実現するもので、歌劇ではワーグナーの試みが最初だった。」
あげた効果の顕著な例としては、四部作の最初に当たる『ラインの黄金』の、これまた最初の、ラインの乙女ヴォークリンデの詞に解説が添えられています。

 Weia! Waga!
 Woge, du Welle!
 Walle zur Weige!
 Wallala weiala weia!

これは、『ラインの黄金』の単純から複雑へと進む前奏に引き続き、
「wの頭韻を重ねながら、人間言語が形成される過程を模してみせる」
のだと説明されています。

そもそも『指輪』四部作は、場面場面の大物・小物から登場者の心情に至るまで「『指輪』全曲では100余にものぼる示導動機が少数の根本的な形から生成発展する体系を作り、関連し合って全体のまとまりをも作り出している」(上記対訳本あとがき)ことで名高く、鑑賞にはそれらの示導動機=ライトモチーフが何を表しているかへの知識が欠かせないと考えられています。なぜなら、『指輪』四部作中では終始「歌詞に対しては、肯定的ばかりでなく、批判的、否定的なコメントも【補:ライトモチーフによって】入ることがある」(同上)からで、ライトモチーフがシンボライズしたものを具体的に知ることで、たとえ詞が完全に分からなくても音楽から情景が出来ると信じられているからでしょう。

『ラインの黄金』について見るならば、とくに最終部分がこの点では興味深いものがあります。
管弦楽として独立して演奏される際には「神々のワルハラ(ヴァルハル)への入城」と呼ばれる『ラインの黄金』幕切れ部分は、器楽だけで演奏されても荘厳な魅力でいっぱいです。
最後の226小節が該当場面で、まず雷神ドンナーが空気を浄める雨を降らせ(35小節間)、次いで陽の光の神フローによって虹の橋が架けられ(23小節間)たところで、虹の向こうにワルハラの動機が壮麗に響き始めます。
みごとなまでに、「これがドンナーの動機だ」・「これが虹の動機だ」とそれぞれ明確に分かるように配置されていて、虹の動機の背景で光がひらひらしている合間からワルハラの動機が湧き上がって来るという、音楽が勝った構造になっています。器楽のみで演奏すれば、これだけで成り立ってしまいます。(『ラインの黄金』のライトモチーフを閲覧出来るサイトはこちら http://www.rwagner.net/midi/e-rheingold.html

ところが、この部分には、実は器楽には書かれていない重要な音の線があります。
ひとつは、自分たちが見張り番をしていたラインの黄金をワルモノに奪われてしまったラインの乙女たちの声で(最終から数えて71小節目以降に現れる)、これがなければ、ワルハラに入城する神々の四部作中での本当の位置づけ、その後の運命が浮かび上がってきません。ただし、ラインの乙女たちの声で歌われる動機は歌曲のように分かりやすく、もし何らかの方法で補うなら、『黄金』最終部の意味は器楽だけでもかなり保つことが可能です。(とはいえ、私は補った演奏例を聞いたことがありません。)
もうひとつは、ワルハラに向けてかかった虹の橋を見た大神ウォータンの詠嘆(最後から143小節前に始まる)で、

Abendlich strahlt der Sonne Auge;

で始まる47小節にわたる箇所は 、ウォータンのことばが器楽とまったく対等の一本の太線であるかのように節付けされています。しかも、その述べている意味合いは、器楽からだけでは判明しないものです。けれども、神ともあろう存在が感銘に打たれきっているそのさまは(残念ながら外国語のほとんど不自由な私には強く主張出来る権利はないのですけれど)ことばへの理解ぬきに味わえるものではありません。ウォータンの歌う線の起伏は完全にことばと同化しています。・・・これは、聞いて頂くしかありません(この例では歌いかたがちょっとリアル過ぎかなと思いますが)。


WOTAN: FERDINAND FRANTS
(フルトヴェングラー/イタリア放送響1953年ライヴ EMI 9 08164 2)

すなわち、こんな一ヶ所をとっただけでも、ヴァーグナーは西郷氏の言う「かつては詩と音楽、ことばと音楽との関係は均衡しており」のところまでは回帰したかったのだろう、そのための精一杯を試みたのだろう、という面が浮き彫りにされて来るように、私は思っております。

あらためて詞をあげておきます。(訳:高辻知義〜語彙の順は原語と訳で一致していませんのでご留意下さい。)

Abendlich strahlt der Sonne Auge;
(夕暮れに太陽の瞳が輝いている。)
in prächtiger Glut prangt glänzend die Burg.
(城は見事な光の中で誇らしく聳える。)
In des Morgens scheine, mutig erschimmernd,
(暁の光を浴びた勇ましい姿は)
lag sie herrenlos, hehr verlockend vor mir.
(まだ主を持たず、気高く誘う気配をわしに見せていた。)
Von Morgen bis Abend, in Müh' und Angst,
(朝から夕べまで、辛苦と不安に彩られて、)
nicht wonnig ward sie gewonnen!
(城の獲得はこころ楽しい作業ではなかった!)
Es naht die Nacht: vor ihrem Neid bietet sie Bergung nun.
(闇が忍び寄る。夜の嫉みからの隠れ家を城は与えてくれる。)
So grüß' ich die Burg, sicher vor Bang' und Grau'n!
(かくて、わしは城に挨拶する。不安と恐怖からの安心を覚えて!)
Folge mir Frau: in Walhall wohne mit mir!
(さあ、ついておいで、妻よ、ヴァルハルに一緒に住まおう!)

詞(詩)を歌う声と管弦楽との兼ね合いについては、『トリスタンとイゾルデ』の有名な終曲(「愛の死」)も、このウォータンの場面とまったく同じ問題を持っていて、むしろそちらのほうがよく知られているだけ例としては分かりやすいかも知れません。「愛の死」でもイゾルデの歌う太線は、管弦楽側にはほとんど出てきません。それにもかかわらず、「愛の死」は慣例的にイゾルデの声なしで管弦楽だけで演奏される機会が・・・最近は知りませんが30年ほど前くらいまでは・・・けっこう多くありました。
いまは、場面場面をよく見て行くとこんなことがある、と例示するにとどめます。

『ラインの黄金』全体の構成を眺め渡しますと、もっと面白いことがあります。
(面白い、と思って頂けるならば、ですが。)

『ラインの黄金』が以下のような4場からなっているのは、諸書にある通りです。

第1場:ラインの乙女たちに冷たくあしらわれたニーベルング族の醜男アルベリヒは、乙女たちの守っていたラインの黄金を奪ってしまう

第2場:天上では大神ウォータンが美の女神フライアを人質に出して巨人に城を築かせている。城が出来上がった暁にはフライアを取り戻したいが、身代金の持ち合わせがない。火を司る半神ローゲが語るラインの黄金の話に飛びつき、それを手に入れようと、ローゲを案内に立てて、アルベリヒがいるニーベルングの地下世界へと下って行く

第3場:ラインの黄金で造った指輪の魔力でニーベルング族を支配したアルベリヒは弟ミーメが造った隠れ頭巾(これをかぶると姿を消したりいろいろなものに変身したり出来る)をもミーメから奪って得意満面だったが、訪ねてきたローゲの計略にハマって、隠れ頭巾で小さな蛙に変身したところをウォータンにつかまり、天上まで連行される

第4場:天上に連行したウォータンはラインの黄金を貢がせた上にアルベリヒから指輪まで奪い取り、貢がせた黄金をフライアの身代金に充てて城を造った二人の巨人たちに渡す。巨人たちはウォータンの手放したくなかった指輪をもせしめたが、アルベリヒによって指輪にかけられた呪いで巨人同士は殺しあいになる。巨人たちの諍いを目撃したウォータンら神々は指輪の鈍いに震撼するものの、なんとか無事に手に入れた城に、虹の橋を渡って入って行く

この4つの各場は、一幕ものである分色合いが強まっていると言えるのでしょうが、それぞれに他の場と明確に異なる際立った特徴があります。ちょっと極端な物言いになっているのはご容赦下さい。

第1場は全体がラインの水流を表す動機一色で貫かれています。
http://www.rwagner.net/midi/rheingold/e-m003.html

第2場は天上の神々が主要登場者であるため旋律的ですが、まとまった歌らしいものが聴こえません。(従来のオペラのレチタティーヴォ・アコンパニャート的)

第3場は地下のニーベルングの世界で、ニーベルングの鍛冶の動機が頻繁に聴こえますが、それが支配するというのではなく、登場者の語りの色合いが強くなっています。(従来のオペラのレチタティーヴォ・セッコ的)
http://www.rwagner.net/midi/rheingold/e-m033.html

第4場は、最も歌らしい歌が支配することの際立つ部分になっています。

こう記しますと、第4場だけが「歌謡的」なイメージになってしまいますが、そんなイメージを持ってしまうと誤りでしょう。それぞれの場の特徴は特徴として、実は声のパートについては全篇が「語り」一色だと捉えた方が、『ラインの黄金』の持っている像はよく見えて来るのではないかな、と感じます。

まず、従来のオペラのような、独立型のアリアは全く存在しない、とは、言うまでもないことです。
冒頭でラインの乙女たちに与えられた幾つかの旋律にしても、最終第4場のエルダによるウォータンへの警告の歌、旋律的なドンナーの歌にしても、それらはリート(歌曲)的で規模の小さいものであり、場面の輪郭の一部を音楽的にくっきりさせる働き以上のものを持ってはいません。

第2場や第4場で歌謡的に聴こえる神々の声も、よくよく聞けば「語り」の一部であって、これに似た例で思い浮かぶのはバッハ「マタイ受難曲」でイエスにつけられた声の線ではないかな、と思います。

配役の中で、「歌」的なキャラクターと「語り」的なキャラクターがうまく書き分けられていて、後者は黄金を奪ったアルベリヒと火の神ローゲが代表者です。とくにローゲは第2場以降のすべての場面で「語り」要素を最も全面に押し出しています。また、大神ウォータンの心理を註釈する役割を持つと見なせる妻の神フリッカも、ウォータンに寄り添うところでは「語り」要素を色濃く見せます。

アリアに当たるものがまったく無いわけではありません。
ところがまた興味深いのは、アリアと呼んでもよいような歌を持つのは、第2場のローゲ(ラインの黄金が奪われた経緯をウォータンに物語るとき)だったりアルベリヒ(第3場でニーベルングを支配したことを自慢するときや、第4場で指輪に呪いをかけるとき)だったり、と、「語り」キャラクターのほうなのです。そしてまたそのアリアが全く旋律的ではありません。そのかわり、上に見たウォータンの箇所と違って、これらにはオーケストラからのダイレクトな音の補強が多めにあり、伝統的なアリアの書法となっています(Dover版スコアでは、ローゲ=p.121〜p.126、アルベリヒ=第3場p.190〜p.196、第4場p.237〜p.242)。際立った旋律的特徴を持たせないことで伝統色を弱めておきながら、これらの箇所では従来のアリアの書法を姑息に(!)守っているところが興味を引きます。

すなわち、『ラインの黄金』においては、音楽を用いる以上、「歌謡的」な役と「俳優的」な役とを書き分け、取り混ぜてメリハリをつけており、しかもオペラの伝統業はむしろ「俳優的」な役の方に持たせて音楽的なものと語り的なものとの境界をぼかしているのではないか、と思われるのです。
そして全篇は「語り」で貫く。それにより、オペラではない演劇同様に、劇の空気が途切れないようにしている。ただし、「語り」が音楽に寄り添い得るようにするため、詞は徹底して韻文的に練りあげて、音楽を付けやすくしているわけです。

このあたりの特徴からして、ヴァーグナーの、とくにこの『ラインの黄金』を含む指輪四部作は、やはり、ことばにも傾注して鑑賞出来るようにしたら、もっともっと本来的な面白さが見えて来るのではないかなぁ、と、そのように考えている次第です。

なんか、ゴテゴテしてしまってすみません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月10日 (土)

ヴァイオリン協奏曲でのベートーヴェンの思考過程【自筆譜を読む(3-3)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 


さて、児島新氏により、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲自筆稿は
・1806年12月にオリジナルの薄茶部分が大急ぎで書かれ
・1807年4月にクレメンティとの契約が成立してピアノ協奏曲への編曲が企図されて
・それにより鉛筆によるピアノ左手用のスケッチが書き加えられ
・それと同時か後に、濃い黒のインクで独奏部のヴァリアントが書き入れられた
というプロセスを経ていることが明らかになったのでした(3−2)

129131
以上はベートーヴェンが書簡などに用いているインクの使用歴が主な裏付けとなっていたのでした。

書き入れられた音符からベートーヴェンの思考過程を知ることは出来ないでしょうか?

試みに、独奏呈示部を追いかけてみました。
すると、表のような結果となります。

Beetoven_violinconcerto1

独奏が参加する呈示部の小節数は、合奏だけになる部分を除いて81です。
そのうちの約8割にあたる67小節が、鉛筆ないし濃い黒インクでの補筆や改訂案の対象になりました。

この範囲での鉛筆スケッチ書き入れは48小節にわたります。
内容を見ますと、そのほぼ半分が、現行出版されているピアノ協奏曲編曲版に於いて、独奏ピアノの左手として採用されています。一方で、鉛筆スケッチがピアノ独奏右手(旋律部)ないしヴァイオリン独奏部として考えられている形跡は、極めてわずかしかありません(※1)。
したがって、鉛筆スケッチは、もっぱら「ピアノ協奏曲編曲版での独奏左手」のために書かれた・・・そのうちにもしかしたら独奏旋律部の書き換えの必要を感じ始めたのかも知れない・・・と捉えてよさそうです。

濃い黒インクによるヴァリアントは、対象範囲の中では33小節ほど書き入れられています(※2)。
この部分、ピアノ協奏曲編曲版では2割しか採用されませんでした。
ヴァイオリン協奏曲の独奏部には4割弱の採用となっています。
遺憾ながら作業のゆとりがないので数えていないのですけれど、事前に各独奏部への採用不採用を付箋を貼りながら検討した限りでは、この傾向は展開部・再現部でもあまり変わらないと思っています(※3)。

以上の数字は、この協奏曲におけるベートーヴェンの思考過程について児島氏がダイジェスト記述している結論を楽譜の上から補強するものになっているものと思います。
すなわち、児島氏の結論はこうでした。

「・・・ベートーヴェンは、ピアノ編曲用の左手スケッチを記入していくうち、しだいにスコア・ヴァージョン【注:自筆譜スコアの薄茶のオリジナル部分をさす】に不満を抱き始めたらしいのである。そこで編曲の途中で、今度は黒インクでスコア・ヴァージョンの改訂を始めた。」(下略、『ベートーヴェン研究』155頁)

ファクシミリには崇拝する故人の身近な記念物として恭しく本棚に飾って注連縄をめぐらしておくのも良いかもしれませんが、自筆譜そのものを親しく見られないとき、印刷がすぐれていれば、ファクシミリは活字化されたものからは窺いようのない作者のアイディアや苦悶を知る優れた教材になります。
実演による表現は結局は演者の情感や技術の制約を経るしかないのかも知れません。
あるいは、鑑賞という行為もまた、受け手が自らしたことのある極めて制約された経験を鑑としてしか対象を捕捉し得ないのかもしれません。
しかしながら、作者が本来どのように考えをめぐらしたかについて、その肉筆をなるべく詳しく追体験することは、私たちが人間として大切にして行くべき無形の「精神の結晶」を勝手気ままにせず、「伝言ゲーム」による歪曲を・・・これは残念ながら避けられないのでしょうけれど・・・最小限にとどめる上で、きわめて大切なことなのではないかと思っております。

児島氏が本協奏曲について得た結論の、入口にあたるものを、最後にご紹介しておきます。

「(最初に書かれた薄茶インク)のヴァージョンは、先に引用した研究者たち(※4)によれば、ヴァイオリン的効果、技巧や発想を全く欠いた非ヴァイオリン的ヴァージョンなのである。研究者たちの説はいずれも、ヴァリアンテ【注:濃い黒インクの書き入れ】は初演以前に記入されたという前提の上に立てられていたが、この前提が誤っていたことがわかった以上、彼らのクレーメント協力説は全く根拠のない憶測にすぎなかったと言える。彼らはベートーヴェンの作曲家としての実力を著しく過小評価していたことになる。」(同書 154頁)

このように、ベートーヴェンの能力の高さを明確にする優れた見解が、日本人研究者によってとっくに出ているにも関わらず、ベートーヴェンの真価がどこにあるかを省みる材料も提供出来ない旧態然としたエッセイの羅列本ばかりが、お書きになった大評論家さんのご満悦口調を唯一の付加価値として結構なお値段で出ていたりします。他に読めるベートーヴェンの本もあまりない現状、仕方なく売れてもいる、という日本のていたらくには、なんだかがっかりしてしまうのであります。

ファクシミリは決して安値ではありません。なんとか信頼出来る質のものになると、目ん玉が飛び出るような価格でもあります。
ですから、せめてお好きなささやかな曲のひとつでもいい、あるいは今ずいぶん便利になりましたのでネットでの閲覧でもいい、心ある鑑賞者のかたには、まず1冊1編をじっくり眺めて頂けるように、切に祈っている次第です。(冊子として手にとる方がより詳しく観察出来ますが。)


※1:ピアノ独奏のためには1小節だけ書かれ、ヴァイオリン独奏のためには2小節書かれただけです。

 ※2:半小節だけの書き入れをどう捉えるか、でカウントが変わりますので、少々迷いましたが、いまこの小節数として把握をしています。

※3:現行の印刷音符が正しく決定稿だったとすると、独奏呈示部では、濃い黒インクでのヴァリアント書き入れを行ったあと、やはり元の薄茶にとどまった割合は、ヴァイオリン協奏曲としては78%であるのに対し、ピアノ協奏曲版では68%で、ヴァリアント採用の割合をそのまま反映しています。

※4:オットー・ヤーンは、濃い黒インクのヴァリアントを、ヴァイオリン協奏曲の初演者クレーメントが行った提案を元にベートーヴェンが初演の前に書き直したものだ、と主張していました。ノッテボームはヤーン説を受けて、ベートーヴェンは初演時にあまりにクレーメントに譲歩し過ぎたので出版に際し元の薄茶インク部分をいくらか加味し、演奏しやすくしたのだと考えました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月 4日 (日)

ベートーヴェン自筆譜の日本人研究者【自筆譜を読む(3-2)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 


児島新(Shin Augustinus Kojima)氏は国際的にはクリスチャンネームが間に入って知られているようですが、日本生まれの日本育ちです。1954年に留学生としてドイツに渡り、1968年からボンのベートーヴェン研究所に入所ました。1979年から武蔵野音楽大学の教授となりましたが、肝臓を病んで1983年に53歳で生涯を閉じました。春秋社が児島氏の校訂でベートーヴェンのピアノソナタ全集の刊行を予定している矢先の死去でした。この死により、春秋社が児島氏にもちかけていた全20巻の「ベートーヴェン叢書」企画も頓挫の憂き目を見た由、『ベートーヴェン研究』(平野昭 編、1985 春秋社)に寄せた平野さんのあとがきに述べられています。
同じあとがきによると、児島氏はヘンレ社のベートーヴェン新全集(ペータース版は旧東ドイツでの企画)にむけて、帰国後も交響曲第6番・第7番・第8番などを手掛けていらしたようです。
ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」の児島氏による校訂スコアは今は入手することが出来ません。ヘンレ社も別の人の校訂での出版となっています。
が、とくにこの作品の校訂については、過去から累積していた様々な誤りを打ち消した児島氏の功績は、忘れられてはならないものだと思います。ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」自筆譜のカラー版ファクシミリは1979年にグラーツで出版されましたが、その別冊解説書(ドイツ語)には、児島氏がこの作品と双子のピアノ協奏曲編曲版について突き止めた事実の記述が登場します(p.42)。

作曲家の自筆譜や、そのファクシミリの意義、扱う上での問題点をいちはやく日本語で伝えてくれたのは児島氏で、生きていればこの点を含め<楽譜や付帯情報をどう見るべきか>の啓蒙で脚光を浴びる存在になっていたかもしれません。
いったん脇道になってしまいますが、そのご紹介をかいつまんでしておきたいと思います。


「ベートーヴェン自筆稿のファクシミリとその意義」1981・・・平野編『ベートーヴェン研究』所載

・(第二次世界大戦)戦前に出版されたファクシミリは数も少なく・・・もっとも有名な作品に限られていた。(略)これらのファクシミリは主として愛好家が記念のために手元に置いておきたいという願望に応じて観賞用に出版されたのであって、これを自筆譜の研究に役立てようなどとはほとんどだれも考えなかったに違いない。(158頁)

 ・それに対して、戦後ファクシミリのもつ意義は大きく変わってきた。戦争が終わってみると、幾多の貴重な自筆譜は焼失、散逸または行方不明になってしまい、そのなかにはファクシミリはおろか、写真さえ残っていない資料もある。こういう事態に直面して、関係者たちは改めてファクシミリのもつ資料的意義の重要さについて再認識させられたのであった。(158〜9頁)

 ・今日でもバッハの自筆譜は、マタイ受難曲を除いて、ほとんどが一色刷りでファクシミリ化されているが、それで十分にファクシミリの機能を果たしている。しかしベートーヴェンは一度自筆譜を書き上げた後にも、その作品の写譜が作られ、初演が行われる過程において、何段階にわたって、鉛筆、赤いクレヨン、濃淡の違うインクで訂正、補筆をする習慣があった。(略)したがって、自筆譜にこのような訂正が少しでも含まれている作品のファクシミリは、多色刷りであることが望ましい。(160〜1頁)

 
(「ヴァイオリン協奏曲」の1979年ファクシミリについて)

・(略)七色刷りで、地は多少黄色になり過ぎた感じだが、五線、二色のインク、鉛筆、クレヨンの区別はオリジナルに近い明晰さをもつ。ただし筆者の見た標準版では、分厚な紙質のせいか、黒インクののりがいくぶん悪く、また地の黄色のために、少し紫色がかっている点が気にかかる。(169頁)

わかりやすい部分のみ抜き出しましたが、自筆譜そのものの薬品洗浄による劣化の問題、研究者により無神経に消しゴムで消された鉛筆やクレヨンの箇所の存在の問題など、面白くもあり、もしこれから専門に研究を志すなら留意しておきたい点も、短文ながら豊富に述べられています。


このような慧眼の児島氏がベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」自筆譜とその周辺をどう見ていたかも、幸いにしてエッセイがあります。そこから抜粋しましょう。
ファクシミリからの掲載ページ(第1楽章の195小節目)は、以下の議論で出て来る
*当初記入の薄茶インク
*赤クレヨンによる訂正
*ピアノ編曲左手用の鉛筆スケッチ
*黒インクで書き入れられたヴァリアント
のすべてが見られる数少ない箇所のひとつです。

Btvn1195

「ヴァイオリン協奏曲について----独奏部の諸ヴァージョンについて」1980・・・平野編『ベートーヴェン研究』所載

今日一般に演奏されているヴァイオリン協奏曲のテキストは、1808年ウィーンの美術工芸社から出たパート譜原板にまで遡ることができる。この原板の版下に用いられたスコア写譜は現在ロンドンのブリティッシュ・ライブラリーに保存されている【注:以下、ロンドン写譜】。この写譜にはヴァイオリン独奏部と並んで、ピアノ協奏曲用に編曲したピアノ独奏部も含まれている。/さて(略)自筆稿とロンドン写譜を比較してみると、オーケストラ声部は確かに自筆稿に基づいているが、ヴァイオリン独奏部のテキストは両楽譜の間で著しく異なっていることが分かる。/自筆稿をさらに詳しく調べてみると、スコア内に書かれた独奏部以外に、スコア下部の使われていない五線システムにも独奏部のヴァリアンテ(異文)がいろいろと書き込まれている。(後略 144頁)

・(略)研究家たちの諸説は、いずれも一見筋が通っているように思われるのだが、よく調べていくと、どれもその根拠が薄弱で、実証的な基盤に支えられない憶測や思いつきに過ぎないことが判明した。例えば次のような重要な問題が何一つとして解明されないままにされている。
(1)ヴァイオリニストのクレーメントは、果たして本当にベートーヴェンに独奏部作曲上の助言を与えたのか。
(略)
(2)クレーメントが1806年12月23日にアン・デア・ウィーン劇場の演奏会で初演したのはいったいどのヴァージョンなのか。【注:自筆稿では当初は薄茶のインクで記入、続いて鉛筆によるスケッチ、濃い黒インクでの記入がされている。後2者の前後関係はさしあたって不明とされて研究が進められた。】
(3)ベートーヴェンが自筆稿の下部にヴァリアンテを書き入れたのはいったいいつのことか。

(4)(5)は本文で直接には扱われていないので省略します。
以降の記述で、まず、当初の薄茶のインクでの記入は1806年11月下旬以降、すなわち初演前に大急ぎで書かれたことを、ベートーヴェンのインク使用歴から帰納的に突き止めています。これにより、クレーメントによるベートーヴェンへの助言の余地はなかったこと、初演で弾いたのが薄茶記入の独奏部であったことも、併せて証明しています。後者は次のヴァリアンテ成立についての考察からより明確に導かれます。

(スコア下部のヴァリアンテの成立)
自筆稿の一番下のシステムには(略)ピアノのピアノ独奏部左手のスケッチが所々に記入されている(※1)。そもそもベートーヴェンがヴァイオリン協奏曲をピアノに編曲する気になったのは、ムッツィオ・クレメンティが1807年4月にウィーンを訪れ(略)た際、クレメンティに編曲を頼まれたからである。この契約は4月20日に成立したので、自筆稿の鉛筆スケッチも同日以後に記入されたことは間違いない。(150頁)

自筆稿には鉛筆スケッチの上からヴァリアンテを書いたり、また同じ黒インクでスケッチを抹消している箇所が九頁ほどある。(略)観察から、ベートーヴェンはまずピアノ編曲用のスケッチを記入し始めたが、しかしまだスケッチを書き終えないうちにヴァリアンテ【注:濃い黒インクの記入】を書き入れ始めたことがわかる。事実、完成したピアノ編曲にはヴァリアンテが何ヶ所か取り入れられている(※2)(151頁)

・(諸考察から、ベートーヴェンがヴァリアンテ記入に用いた)黒インクを使い始めたのは、1807年4月26日と5月11日の間であることが判明した。(152頁)

自筆稿はオーケストラ声部にも赤いクレヨン、黒インクや鉛筆による補足訂正を数多く含んでいる。このオーケストラ声部のテキストをクレメンティ版と比較してみると、この版のテキストにはクレヨンの補足は含まれているのに、黒インクや鉛筆の補足は取り入れられていないことがわかる。(略)クレメンティがロンドンの支配人コンラードに送った1807年4月22日の書簡によると、ベートーヴェンは同じ日、つまりクレメンティと契約を交わしてから二日後に版下用楽譜をロンドンに発送している。この事実から、ベートーヴェンが当時クレメンティ版のために新しい写譜を作らせる時間はなかったこと、したがって当時彼が所有していた唯一の写譜である初演用のパート譜を版下としてロンドンに送ったものと推測される。(略)このことから、ベートーヴェンは1807年4月22日の時点では、ヴァイオリン協奏曲を改訂する意図はなかったこと、したがってまた先述の【注:鉛筆や黒インクによる】オーケストラ声部の補足(※3)も、独奏部のヴァリアンテもピアノ編曲用の鉛筆スケッチも、すべてこの時点以後に初めて自筆稿に書き入れられたとうことがわかる。

・・・以上の後、結論で佳境に入るのですけれど、長くなりましたし、さらにそれは独奏部の検討と併せて見るべきかとも考えますので、またあらためたいと存じます。


私自身がファクシミリで実際に第1楽章について確認した箇所を例示しておきます。

 ※1:鉛筆スケッチはたとえば111、172、209(完成時不採用)、214、216、218、316-318、331、333、337各小節

 

※2:ピアノ編曲へのヴァリアンテ採用箇所は、たとえば、128、222後半〜223、338〜392、440〜441各小節

 

※3:オーケストラ声部の鉛筆による補足は、たとえば178小節の"tutti"とディナミーク"p"、182小節の"Solo"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月29日 (月)

ベートーヴェンの第6ピアノ協奏曲? 【自筆譜を読む(3-1)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 


ベートーヴェンは1809年、38歳のときに5番目のピアノ協奏曲を書き、以後、ナポレオンとの戦争によるウィーン社会の急激な変化と自らの耳疾のいっそうの悪化で独奏活動を完全に停止したことに伴い、協奏曲を創作することはありませんでした。

それなのに、第6番目のピアノ協奏曲が存在するのでしょうか?
それは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の第6番や第7番が偽作であるのと同様、ベートーヴェンの真作ではないのでしょうか?

完成されなかった第6番は、自筆の総譜が60頁ほど未完で残っている、と、私の手元ですと1962年刊行の日本語の伝記図書に掲載された作品表に、WoO45の番号が付されて明確に記されています。すなわち、真作のピアノ協奏曲第6番は未完である、とはキースン/ハルムによる作品番号無しの作品の整理研究が終わったときにははっきり分かっていたのだと知りうるわけです(キースン/ハルムの目録は1955年刊)。

ところが、現在、第6番全曲版を謳った録音が数種類出ています。
そして、これは間違いなくベートーヴェンの真作です。

実は、いま第6番と称されて出ている作品は、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲Op.61の、彼自身の手による改変版です。ただ、番号を付されるようになったのはそんなに古いことではない気がします。以前は番号は付けられず、単に「<ヴァイオリン協奏曲>のピアノ編曲版 Op.61-a」(以下、Op.61-a)とか言われていたのではなかったかな?
編曲、とされていますが、楽譜そのものを点検出来ていませんけれど、聴く限りオーケストラ部に何の変更もなく、ソロだけがピアノに差し替えられたもののようです。

自筆譜はOp.61とOp.61-aが独立に存在しているわけではありません。ソロ部が、初めは薄茶のインク(1806年8月〜1807年5月11日以前)で書かれ、後で黒インク(1807年4月26日以降)で別の段に訂正されています。ヴァイオリン協奏曲としての初演は1806年12月23日ですので、初演以後も手を加えられたことになります。

ところで、このソロ部、初めに書かれたものが現行のヴァイオリン協奏曲の独奏と完全に一致しているわけでもなく、黒インク部もまた同様であり、かつOp.61-aとも違っているのです。

ヴァイオリン協奏曲は1808年にパート譜が印刷されています。このヴァイオリン協奏曲印刷版の独奏部は現行のものと一致しているそうです。
一方、Op.61-aは1810年に出版されています。
ヴァイオリン協奏曲とOp.61-aの現行ソロを念頭に自筆譜のソロ部を観察してみると、ヴァイオリン協奏曲の現行ソロは後で加えた黒インクの訂正に一致するものが多く、Op.61-aのソロは最初に記入された薄茶インクの音型のままである場合も見受けます。すなわち、出版の新しいOp.61-aの方が、ベートーヴェンの自筆の、より古いかたちをとどめている、という、時間的な転倒を引き起こしているのです。

このようにインクやソロ部の音楽に錯綜した事情があり、かつ、インクの使用年次については後から明らかになったものでしたので、時間的経過をきちんと考慮したものではなかったものの、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の当初の版はベートーヴェンの真作とは言えない、との説が1962年に出されたのだそうです。この説はウィリ・ヘスによって旧全集補足版第10巻に採用され、自筆譜の混乱した独奏部が印刷されて1969年に出版されたとのことです。

ヘスの犯した誤りを是正し、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の真正性に決定的な折り紙をつけたのは、日本人、児島Augustinus新でした。1929年に生まれ、1983年に癌で亡くなった人で、ベートーヴェン・アルヒーフの優れた研究者です。ベートーヴェン新全集のヴァイオリン協奏曲は児島氏の校訂によるものであり、この作品が現在聴かれるかたちで安心して演奏されるのは、児島氏のおかげだと言うべきでしょう。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲およびその改変版であるOp.61-aに関しては、児島氏の研究のご自身によるダイジェストが、死の死後に平野昭氏によって『ベートーヴェン研究』(児島新著、春秋社 1985年)として編まれた書籍に収められています。この中にはまた、ベートーヴェンの書いたスタッカートの奏法についてや、第五・第六・第九交響曲の資料批判に基づく研究、カラーで出版されるようになったファクシミリの意義についての知見など、現在なおもっと知られてよい業績がコンパクトに収められています。

http://www.amazon.co.jp/dp/4393931742

ヴァイオリン協奏曲の自筆譜の諸問題については素人の私が四の五の言う筋合いではない(他のものもそうか!)のですけれども、大変に面白いので、ファクシミリの一般的な価値についてを含め、この次あらためて児島氏の研究結果を紹介したいと思います。

今回は、ヴァイオリン協奏曲自筆譜の最初の頁だけを掲載してご覧頂いておきます。
モーツァルトやハイドンで見て来たものより段数の多い16段の五線紙に書かれ、上からヴァイオリン2つ、ヴィオラ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、ティンパニ、ソロヴァイオリン、チェロ、バス、トランペットの順で記入されていて、後でソロに施した訂正は残った下3段に記入されることになりました。(あいかわらず粗悪画像ですみません。)

Btvn1_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月21日 (日)

ハイドン「告別」【自筆譜を読む(2)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 

 


ウィーンフィルのニューイヤーコンサートも最近はワルツの迫間に記念年作曲家の作品をはさみこむようになりました。2009年には没後200年だったハイドンの「告別」シンフォニーの最終楽章が演奏されましたね。この作品のエピソード通り、楽員が一人去り二人去り・・・最後にヴァイオリン2人だけになる。・・・視覚的にこの場面を楽しむ機会はそうそうありませんから、(指揮しているバレンボイムの最後の演技過剰は措いても)嬉しいひとこまでした。

YouTube
http://youtu.be/vfdZFduvh4w

この箇所、ハイドンは実際にどう書いたのでしょうか?
自筆譜のファクシミリは1959年、これもハイドンの没後150年を記念して出版されているため、身近に見ることができます。

他作品は知らないのですが、モーツァルトが横長を愛用したのとは違い、ハイドンはこの作品では縦長の五線紙を使っています。段数は12段で同じですが、パートの割り振りかたも違います。
モーツァルトは最上段にヴァイオリン2つとヴィオラを置き、ジュピターの例で言うとその下にフルート、第1オーボエ、第2オーボエ、第1ファゴット、第2ファゴット、ときて、ホルン、トランペット、ティンパニ、チェロとバス、でした。これは違うオーケストラ作品(声楽を伴奏する作品を含む)でも基本的に変わりません。
ハイドンの「告別」シンフォニーでは、最上段から第1ホルン、第2ホルン、第1オーボエ、第2オーボエ、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ヴィオローネ(最低音弦楽器)となっています。
これで12段は埋まりませんので、第1楽章は下4段をあけたまま書かれています。(あいかわらず携帯電話写真ですみません。それぞれクリックで拡大します。)
(第1楽章冒頭部)
1_1istmov_2

第2楽章と第3楽章ではではホルン2本とオーボエ2本を一段ずつにまとめて6段1セットとして紙を節約しています。
(第2楽章冒頭部)
2_2ndmov

ところがまた最後の第4楽章は第1楽章と同じように8段記入下4段あけ、で書き始められています。
そしていよいよ問題の箇所。
(第4楽章途中)
3_finale1

各パートを個別に減らして行く目論見があり、かつヴァイオリンを4部にするので、それまで8段で書いていたものを12段に拡大、弦楽器はパート名を改めて記入しています。

以下、ちょっとぎゅっと詰め過ぎましたし、画像ソフトを使い慣れないので整列させきれませんでしたが、クリックすれば拡大すると思いますので、ご覧下さい。(陰はお許し下さい。)
(第4楽章最後)

6_finale4

印刷譜に直したスコアですと、まず休符で退場するパートが埋められ、ページが改まるとまだ残っているパートだけが引き続き書かれますので、楽器が減って行く印象が少し薄くなります。
ハイドンの手書き譜では、退場するパートがページ末尾で打ち切られ、次のページには減ったあとのパートが徐々に上に詰めて書かれているので、楽器の減るのを如実に感じ取ることが出来ます。

ところで、この手稿譜には、モーツァルトに見られたような訂正がまったくありません。
音符や発想記号が書き改められた痕跡がないのです。

二ヶ所だけ、黒く塗り潰しているところはあります。
第2楽章のオーボエパートに4小節間、終楽章のホルンパートに4小節間です。
和声を彩らせるつもりで書いた長い伸ばしの音を抹消したもののように見受けます。
2013072018270000_2
訂正はこれだけです。

ミスがないので、曲の解釈をめぐる謎も何もなく、その点では面白くも何ともないものです。

けれども、ミスがないことを含め、実際にはこの手稿譜からは興味深いことが幾つでも読み取れます。

(1)ミスがないということは、ハイドンはこの楽譜の上では「考える」作業は一切していないということであろうと思われます。これは、①作曲に当たって下書が存在したか、②下書などというものはハイドンの頭の中にしかなかったか、のどちらかを示していると考えるべきなのかも知れません。②だとしたら、驚異的なことです。

(2)しかも清書譜にしては音符はかなりラフに書かれていて、臨書にあたってハイドンに特別な思い入れはまったく無かったのだろうとの印象を受けます。仕事のために急いで書く必要はあったかもしれませんが、ミスがないところから、それでも慌てふためくような態度なり慌てなければならないような状況下だったりではなかったことが分かります。

(3)訂正はオーボエ、ホルンそれぞれに4小節連続のものが1ヶ所あるだけに限られているところから、書く前に曲は完成していたものの、楽譜を書きながら考えることが全然なかったわけではないことも判明します。となると、もし下書きがあったとしても、オーケストレーションを完全に終えたものであったとは考えにくくなります。管楽器パート(ホルンとオーボエのみですが)についてはハイドンの頭の中だけだった可能性が大きいのではないかと思います。(前掲は第4楽章のホルン抹消部)

(4)この手稿譜自体が下書き譜ではありえない、ということについては、状況証拠とこの譜面に自ら書き入れた証拠の両面から確言出来るようになっています。状況証拠の方は、このスコアの来歴です。第1ページ目、すなわち第1楽章の開始部の、タイトル部分にある書き入れ(ハイドンではない人の手による)、青い「fol.13」と黒鉛筆の「N.139」は、旧エステルハージライブラリでの整理番号で、おそらく19世紀中のものだろうと考えられています。いうまでもなく、エステルハージ家はハイドンがこの曲を提供した先であり、そのライブラリがそのまま19世紀のハンガリーに引き継がれていたそうです。

(5)ハイドン自らの書き入れによる証拠は、手稿譜のところどころにある、小節数を示す数字です。
(第4楽章の場面転換箇所の例です。)
2013072018270001これらの数字は、各楽章の前半(呈示部)が終わったところ、途中でフェルマータが付されたところ、全ての楽章の最終小節に付けられています。

しかも、数字は冒頭小節から通して数えられた全小節数ではなく、前に小節数を書いた箇所からいまここに書かれた箇所までの小節数になっています。すなわち、第1楽章ですと、まず前半が終わるところに「74」(最初からそこまで74小節)とあり、次にはフェルマータが付されている箇所に「35」(1小節多くかぞえまちがっています)と書かれているのですが、この「35」はまえに「74」と書いたところの次の小節からフェルマータの付されたところまでの小節数です。以下、同じように全部で14ヶ所書かれています。
これは何を表しているか。
ハイドン自身に数えなければならなかった事情があるとは考えにくく思います。
(4)からも、この手稿譜が本作品の最終形を間違いなく書き留めているだろうと推測出来ますから、これらの数字は、これからすぐに演奏に供するパート譜を作成しなければならない写譜屋(係)の便宜を図ったものではないだろうか、と思われます。すなわち、作品完成後さほど時間を経ずに演奏しなければならない状況下にあるため、パート同士の整合性を検証する際に目印にしやすい箇所までの小節数を書いておいたのだろうと思うのです。通しの小節数を書くより、分かりやすい目印から次の目印までの小節数を書いておいた方が、実務的には照合がラクになるのは、手書きでパート譜を作ったことのあるかたなら容易に合点がいくでしょう。

以上、ハイドンは作曲にあたって下書をしたかどうかは分かりませんが、曲の仕上げはスピーディに、しかし冷静にすることの出来る高い能力を持っていたこと、そうして出来上がった作品はまた急ぎ演奏にかけられるので即時写譜屋(係)に回されたであろうこと、が、他になんの断り書きもない手書きスコア1冊から感じ取られるのですから、やっぱり面白いなぁ、なのであります。


 このファクシミリは印刷の通し番号があり、私の所持しているのは「103」番です。
PUBLISHING HOUSE OF THE HUNGARIAN ACADEMY OF SCIENCES 1959

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月15日 (月)

モーツァルト「ジュピター」【自筆譜を読む(1)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 

(各注釈は末尾に掲載しています。)

数少ない手持ちのファクシミリを通じて、作曲家たちが考えたことを垣間見たいと思います。

まずは、モーツァルトの「ジュピター」からまいります(※)。


モーツァルト生誕250年の2006年には日本の民放でもその天才を称える番組がいくつか放映されました。
そのひとつで「ジュピター」交響曲の自筆譜ファクシミリからの数頁を放映したのでしたが、それを眺めた人が
「モーツァルトの楽譜にはミスがありませんね」
云々したのに対し、ファクシミリを持参した音楽家さんがあっさり
「そうですね」
と相槌を打ったので、私は深い失望を味わったのでした。

最近ではNHKで平成24年に放映した『名探偵アマデウス』で
「ジュピターはモーツァルトには珍しく書き直しのあとが多い」
と紹介されたこともあり、モーツァルトでも<手直し>をした[!]ということが日本のファンに認識されていることを幾つかのブログ記事で確認出来ます。(*1)
<手直し>はしかし、珍しく多いのではありません。
5作品に限られるとはいえ私自身モーツァルトの自筆譜ファクシミリを好んで覗き見ましたが、初期の弦楽四重奏を含め、彼が<手直し>を加えていないスコアには、 不幸なことに[!]1冊も出会えませんでした。新モーツァルト全集をめくっても、<手直し>の加わった自筆譜の写真をわりとたくさん目撃することが出来ます(*2)。

いまは「ジュピター」の楽曲分析だの解説だのは手に余ることですので(*3)、専らモーツァルトが「ジュピター」上で行なった<手直し>に注目します。
音楽作品はとくに、楽譜が印刷譜となり、演奏され、録音となって、ついには前提となっていたもの、背景にあったものが全て隠れてしまいます。究極は耳の印象や心の中だけのイメージにいとも簡単に集約されてしまうからです。近年は絵画作品は創作過程を目で確認出来る機会が増え、鑑賞者は真相にいくらかでも近づくことが可能になりましたけれども、音楽はまだまだです。このことを実感するため、<手直し>に注目するわけです。

映画「アマデウス」には、作品が書き上がらず
「楽譜はどこにあるんだ!」
と詰め寄られたモーツァルトが、皮相な笑いを浮かべて自分の頭を指さし
「・・・ここに。」
と言ったシーンがありました。
こんなシーンが生まれるほどに、モーツァルトが楽譜を訂正無しに書いた、それは書く前に頭脳にすべてが存在したからだ、との迷信がいまだにあるように感じています。
ですが、そうした迷信が生じたのはいつどこからなのか、を、今は確認しきれません。少なくともアルフレート・アインシュタインは一切そんなことは述べていません(*4)。

書き直しがどれほど多かろうと、それが作曲家の真価を貶めるものではありません。
むしろ、<手直し>を通じて、私たちはその人がどのように努力したかを親しく知ることができます。<手直し>は、天才ならば天才たる由縁がどこにあるかを知る拠り所ともなります(*5)。

能書きはこれくらいにします。
携帯電話での写真で大変申し訳ないのですが、「ジュピター」中でモーツァルトが行なっている訂正の主立ったものを、どうぞご覧下さい。それぞれの<手直し>の意味については簡単に記します。意味の捉え方に誤り等ありましたら、ご覧になった方からご指摘ご指導を是非頂きたく、あらかじめお願い申し上げます。
以下、異様に縦長になってしまいますがご容赦下さい。
演奏の引用は、C.Hogwood/The Academy of Ancient Music ”Mozart The Symphonies" disc16(L'Oiseau-lyre 452-496 2)のものです。

【第1楽章】
24小節〜響きを再考したのでしょう、ファゴットに与えようとした「ドミソミド」を消してホルンに持って行きました。

2013071423490000

92小節〜シンプルに考えていた第1ヴァイオリンを抹消、細かくきらびやかに変更しています。

2013071423500000

131小節〜このあとの厚みを印象づけるために、オーボエ・ファゴットとともに第1ヴァイオリンにも与えようとしていたEs-G-C-As楽句をヴァイオリンからは削除。オーケストレーションの整理は第3楽章28〜29小節でのファゴットの抹消にも見られます。

2013071423510000

272小節〜発想としてはFbと書くのが間違いではないバスですが、後続の進行を考えて異名同音のEに書き直し。平均律的発想では音響的にはなんの差もないのですけれど、わざわざ書き直しているのは、彼が平均律的発想などしていなかったことを裏付けるご同時に、平均律的発想が浸透しつつあったことをも示しているのではないかと思われます。同類の修正は第3楽章9、11小節のファゴットにもあります。

2013071423530000

【第2楽章】
25葉目、92小節以下の発想をまったく変更するため抹消、現行のように変更したものを26葉目に25葉目裏面の楽想に続くよう作曲し直しています。この書き直しは全体の作曲をいったん終えてから、そうでなくても最初の三楽章を作曲してから行なわれた、とみなされています(*5  解説日本語訳53頁)。上から25葉目表、26葉目表、25葉目裏

201307142356000020130714235700002013071423560001

【第4楽章】
このフーガ楽章は全体の書き方から別に草稿があってそれを筆写したものではないかと推測されています(*5 解説日本語訳54 頁)。その最も明確な証拠は83小節目に見られるファゴットの誤記の消去です。・・・フーガに取り組むに当たってモーツァルトが作曲の万全を期したことの現れなのでしょう。

2013071500040000

(すみません、引用箇所を間違えています。)

もうひとつ筆写ミスに起因するかも知れないのは121小節の第1ヴァイオリンで、連桁の16分音符を書いてしまってから(deeaに見える)、書き直すスペースがないため音符の下に正しい音名をdchaと補っています。

2013071501190001

草稿があったとしても、モーツァルトにとってはそれで終わりではなかったと判明する修正もあります。

72小節のオーボエは、最初、第1と第2でCのオクターヴをとるように書かれていました。が、重要な音程であるFisを吹くのはフルート1本です。こちらの補強をした方が、オーボエの音域としても、全体の響きとしても、安定すると判断したものと思われます。

2013071423590000

もう一ヶ所、196小節のバスは最初は下降音型で発想されていたのではないかと思われますが、それを抹消して現在聴くことの出来るものに変更しています。

2013071500000000

以上、大きく目立つところを拾ってみました。


*1:たとえば
   http://d.hatena.ne.jp/bravi/20120826/p1
   http://dainashibekkan.cocolog-nifty.com/music/2012/01/201211841-7a98.html
 とくに後者の、
「(第2楽章19小節目の)突然に影がさす部分の挿入は、モーツァルトの天才のなせるワザで、自然とスムーズに書いたのだろうと従来言われていたが、自筆譜の発見により、必ずしもそうではないことが分かってきた、とのことで、自筆譜の写しを見せてくれた。この部分、実は何度も書き直した跡があるのだ。/千住明は、ここについて、『自分は、サッサと書き飛ばすような作曲家ではない、との自己主張を感じる』と言っていた。」
 と記した部分は、千住さんの感想はともかくとして(感想自体はその通りだと思いますので)、数点気になります。自筆譜の発見、とありますが、ジュピターの自筆譜は来歴が比較的はっきりしていて、「発見」されなければ分からなかった事実はありません。(1841年の目録にこの自筆譜の記載がある由。ブラームスが一時期所有していたとの話も別に見かけましたが、40番について以外は確認出来ませんでした。いったんポーランドに極秘裏に隠されたのは1941〜1944年で、以後1977年まで行方不明ではありました。自筆譜研究がその後初めてなされたのなら「必ずしもそうではない」は1977年以降に分かったことになりますし、ザスロウの 1989年著書まで<発見>を待たなければならないことになります。)
 たしかに「ジュピター」研究の進展はこれ以後であるような記述が、 Bärenreiter原典版スコア【2005年、ISMN M-006-20466-3、XIX頁】の解説にはあります。1957年に新モーツァルト全集上の校訂を完了したロビンズ=ランドンは自筆譜を写真版でしか参照出来なかったようですから(39番について前掲解説が述べているところですが、41番についても当てはまるものと読んで差し支えなさそうです)、書き直しの痕跡について必ずしも全容は掴めなかったかも知れず、したがって発見云々はそれはそれでもよいとすべきなのかも知れません。
 が、それで あってもなお、上の記述の該当箇所、すなわち第2楽章の19小節目周辺には、書き直しのあとはありません。インクの用いかたから見ると、少なくともヴァイオリンとバスのラインは最初からきっちり決まっていたことが読み取れます。むしろ、他のパートもきっちりと書かれているが故に、校訂上は彼の書き記した fpをどう読み取るか問題提起しているくらいです(新全集第12巻 通し番号で493頁)。
 また、基本的に書き直しが「何度も」されていることは、他の手稿譜も含め、ありえません。紙が耐えられないからです。
 おそらく伝言ゲーム的な聴き取り問題に起因するところが大きいのでしょうけれど、ライブラリで録画を見て確認したいところです。

*2:新モーツァルト全集は幸いにして現在web上で見ることができます。
   http://dme.mozarteum.at/DME/nma/start.php?l=3 (日本語表記です。)
   http://mozarteum.blog89.fc2.com/
個人的な印象では、それでも紙ベースでの閲覧の方が便利です。購入するとけっこうがさばりますが。

*3:ニール・ザスロー/ウィリアム・カウデリー編『モーツァルト全作品事典』(邦訳2006年 音楽之友社、264〜270頁参照。原著は1990年)

*4:アルフレート・アインシュタイン『モーツァルト その人間と作品』浅井真男訳 白水社 1961年、新装復刊1997年 特に194頁からの「8 フラグメントと創作過程」参照

*5:Bärenreiter Facsimile Wolfgang Amadeus Mozart Sinfonie in C KV 551 »Jupiter« (2005年刊 ISBN 3-7618-1824-6)
解説の日本語訳46頁
「モー ツァルトの具体的、実際的な作曲目的や芸術的指針については、学問的研究に基礎を置いた認識がまったく不足している。/《ジュピター・シンフォニー》につ いて、ちまたに氾濫しているモーツァルト関連書の大部分は、循環論法を用いた仮定、推定、空理といったものが”避けがたい特徴”になってしまっている。 /(中略)たとえば、この作品が交響曲ジャンルで遺言のようなものだとして作曲されたという私論、ドイツ音楽の伝統を継いだ終楽章についての不当な協調。 それどころか、数音にまで削減された小さい素材ストックが、この作品全体を支配しているという主張まである。/音楽史、文化史的なつり上げや、エソテリックな作品構造の秘密が、この作品のまったく衰えることのない不変の魅力の基礎になっているのではない。その魅力は作品自体から生み出されるもので、計り知 れないほど豊かな音楽的ゲシュタルト、他にない詩的なキャラクター、言葉では表せない美しさなどなのである。」
この指摘には*2のザスロウの記述でさえも当てはまってしまいますし、日本人が出している書籍の記述も該当してしまいます。素直な問題提起ながら、じつに難しいものだなぁと感じます。

※ モーツァルトは全作品を追いかけようと思っていましたが、いま、ウィーンに住むようになり始めたところで中断しています。ザルツブルク期はいち おう終わっています。『モーツァルト全作品事典』が容易に入手出来るようになった現在、見直したい点が多々ありますが、アマチュアの主観の方が当たらずと 言えども遠からずだったりすることもありますから、冷やかして頂けましたら幸いです。
http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_4966.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧