クラシック

2009年12月15日 (火)

Adios Nonino

Image30コンサートへの足が遠のいていた私も、今年はオーケストラを聴きに出向くことは出来なかったものの、バロクヴァイオリンとテオルボ(阿部千春さん・蓮見岳人さん)、それより時代が下る様式で調整されたヴァイオリン・・・クラシカルヴァイオリンと称していました・・・とフォルテピアノ(阿部千春さん・大井浩明さん)、モダンヴァイオリンの吉田美里さん、ギターの森田茂さん増井一友さん、と、収容人数が小さいながら良い会場でリサイタルなさった素晴らしい演奏家さんたちを至近距離で味わう幸福に恵まれ、狭かった視野に大きな刺激を与えて頂けたことが非常な心の支えとなりました。

家内の急死からもうすぐ丸三年。私自身がへし折れないか、あるいは子供たちがショックにめげずに明るく過ごしてくれるか、が最大の心配事でもありましたが、上記の全ての演奏会(残念ながら増井さんの演奏会だけ、上の子は学校関係の用事で伺えなかったのですが)を家族で耳にすることで、これらの皆さんのリサイタルから、これからも生きるのだという意志を回復させて頂いただけでなく、一時は親子ともなるべく口にすることを避けていた母親の思い出話も、笑って母親をからかいながら交わすことが出来るようになりました。

音楽は、かように、へし折れかけた私たち一家のようなものにも、大きな支えとなってくれる不思議な力を持っているのだな、と実感しております。別に音楽に限らないでしょうが、こういう「心の財産」を軽視するようなお国に成り下がるような日本ではあって欲しくない、と、昨日綴ったことと併せて、強く願っております。

なかでも撥弦楽器(リュート・ギター)の世界は私は何故かこれまで縁が薄かったものですから、「クラシック」と総括されているジャンルの中にこんなに広がりがあるのか、というくらいに新鮮な印象を与えてくれました。
残念ながらドイツ在住の蓮見さんだけはソロでの録音が手に入りません。
ギターの森田さんと増井さんのものは手にすることができましたので、順次ご紹介したいと思っております。

ギターとの出会いの中で、南米(あるいはその出身者の)音楽の魅惑には、とりわけ抵抗し得ませんでした。

魅き込まれついでに、とうとうピアソラの映像まで見てしまい、有名なこの曲には、とうとう取り憑かれてしまいました。・・・ピアソラは、ご存知でしょうが、ギターではなく、バンドネオンの奏者です。

ピアソラ自身がいろいろな機会に演奏しているのですが、私がDVDで見たのと同じ1984年のモントリオール・ジャズフェスティヴァルで収録されたものをご覧頂き、お聴き頂こうと存じます。

・アディオス・ノニーノ
(ノニーノはピアソラのお父さんの愛称ですから、ピアソラがこの曲に託した意味はお察しになれるかと存じます。)

バンドネオン:アストル・ピアソラ
ピアノ:パブロ・シーグレル
ヴァイオリン:フェルナンド・スアレス・パス
ギター:オスカル・ロペス・ルイス
コントラバス:エクトル・コンソーレ

この曲の、最も初期のシンプルでせつないヴァージョンは、先日書籍を紹介した小松亮太さんがレコーディングしています。
また、小松さんのデビューアルバム(ピアソラとかつて共演した猛者たちと録音しており、ヴァイオリンのパス、コントラバスのコンソーレも加わっています)に収録された同曲の演奏も非常に魅力的です。

で、後日ご紹介したいと思っている森田茂さんのCDにも、森田さんのギターヴァージョンが収録されています。



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2009年12月14日 (月)

文化の大切さを見直す:19世紀初頭ウィーン、オーケストラ事情と対比して

昨日覗き見た「音楽都市ウィーン」からの、もうひとつ興味深い事実です。

なぜこれも採り上げておきたいか、には、いま日本のオーケストラがおかれている位置と対比してご覧頂きたいからです。

自分は政治的人間でも、そうしたことに識見のある輩でもありませんから、あまり多く言辞を弄するつもりはありません。
とにかく、「政党」に偏する政治も、日本の場合は誰が成り代わっても所詮は低レベルで、寡頭政治と何の変わりもない・・・どんな「主義」を標榜なさろうが、担い手の如何で本質が変化することはない・・・ということには、長いこと失望を味わっております。ならば、世の中のことには「イエスマン」で過ごしていくのが一番だろう、というのが私の処世術でもございます。
「仕分け」と称する作業は、今回野党に転落した某政党のかたも興味本位でご覧になっていらしたようですし、政権党への反対者たちも、政治屋さんである限り、おしなべて「それなりに高い評価」をなさっているようです。が、あんなのは古代ギリシアの歴史に照らし合わせたって、衆愚政治以外のなにものでもなく、ファシズムやソヴェト式独裁の時代と比べたって恐怖政治以外の萌芽のなにものでもない。あの非礼な質問態度は、慢性的な赤字を抱える国家運営のツケをどこへまわそうか、ということだけに獣のような目線を注いだ「軍事的裁判」に他なりません。国民にいいところを見せようとカッコをつけるのはやめていただきたいと思います。コストダウンの必要性は、どこで働いている誰も彼もが感じていることではあるのです。根底に優しさがない限り、そうした人々の切実な思いがどうして汲み取れるというのでしょうか?

ここ十年来制定されてきた様々な法令も、良心的に働く人々の首を暗にぎゅうぎゅうと絞めていく一方です。
「なんの権利があって、あなたがたはそういう立法をなさるのか?」
と問いたい気持ちは山々です。
(「個人情報保護法」なんていうものは、良心的に働く人たちに、果たしてどれだけ貢献したと言えるのでしょう? 亡妻は教員でしたが、いまだに、どこかから違法に名簿を入手したのであろう業者からの電話が絶えません。一方で、もともと私どもの個人情報を丁重に扱って下さった業者さんが、私の頼みたい用事を果たすにもほうが妨げとなって不自由するケースがあったりしますし、支障なく話を進めるために面倒な手続きが必要になって腹立たしくなったりすることも増えました。罰すべき対象に照準が合っていないと言えます。)

ですが、この記事に政治的なコメントを頂くことは本意ではありませんし、最初に申し上げましたように、私は世の中の運営というものに対して甚だ音痴です。音楽も音痴かもしれません。ですが、世間音痴で味合わされた最大の苦しみは、私の家内を公立病院の稚拙な(ずさん、とは申し上げません)医療で失い、そのあと何の救済も受けられなかったことでして、これは世間音痴ゆえに私自身が責任を負うしか他にないということは重々承知をしているつもりでございます。

(ちなみに、NHKの世論調査では、事業仕分けを「あまり評価しない」人は18%、「殆ど評価しない」は4%とのことです。評価している方のほうが多いのです。追記しておきます。)

まあ、少しは優しい立法、優しい中央行政をなさって頂けますよう祈るのみです。
出先機関のかたがたは、おおむね大変にご親切なのですから。これは心底思います。接したどなたも、最大限をなさろうと努めて下さいました。これにはいつまでも感謝の思いでいっぱいです。



・・・皮肉につづってしまって本記事を始めることには遺憾の思いもありますが、取り上げる時代のウィーンの状況が似ていますので、対比上よろしいかと思いますから、このまま参りましょう。

オーケストラを維持する、というのは、その規模の大きさ(小さくても十数名から、19世紀前半のウィーンでの管弦楽作品に要した人数は30名を超える程度)から見ても、財政的に非常に難しそうなのは、想像がつくところです。いや、それだけではなく、文化活動に対する出資者を失うことは、元となる音楽を創造する人たちの経済をもかなり圧迫することになりました。
ウィーンの19世紀初頭は、フランス革命と、続いて一貫して起こったナポレオン戦役により、勝った側のフランス以外の国にも大きな財政的ダメージを与えました。
ウィーンは、損害を被った貴族が最も多い都市だったかもしれません。というのも、こんにちなおそうであるように、この都市は、この当時で言えばナポレオンの侵略戦争の地となったボヘミア地方やロシアとの接点を多く持ちましたので、貴族たちの財源ともなっていたこれらの地域が受けた痛手がそのまま彼らの生活の足場を揺るがせたからです。
ヨーゼフ・ハイドンを抱えていたエステルハージ家のオーケストラも解散に追いやられた団体のひとつです。
個人としてはベートーヴェンの庇護者であったリヒノフスキーやラズモフスキーも凋落して事実上貴族の抱えるオーケストラは消滅、そのサロンも(メッテルニヒのものを除けば)崩壊して、ベートーヴェンという個人も晩年の生活保証が得られないとの心配をかかえたことは、彼の伝記がおしなべて語っているところです。

代わってオーケストラ活動の表舞台に登場してきたのが、楽友協会です。
この団体は、しかし、現在のウィーン・フィルにまで大成するには、なお多大の時間を要しました。
メッテルニヒ体制化での活動では、楽友協会のオーケストラはプロとアマチュアの混成部隊であり、演奏会前の練習回数もせいぜい1回から3回で、難曲をこなすなんてとんでもない話でした。

ウィーンで中産階級と呼ばれる人たちの年間生活費が1786年に464フローリン(内食費180フローリン、以下括弧内同じ)、1793年に775フローリン(365)、1804年に967フローリン(500)と、フランス革命の年を挟んで倍増(工場労働者は19世紀中葉でも300フローリン以下、日雇いで稼ぎのいい者で700フローリン弱、ベートーヴェンの女中が120フローリン、貴族家庭の料理人が400フローリン、海軍大尉で860フローリン、陸軍は少佐で950フローリン)して行ったのに対し、オーケストラメンバーに渡される給与は30名程度の規模でも総額15,000フローリン(1815-37年頃のプロの中堅ヴァイオリン奏者の年収が800フローリン、その他の楽器の奏者の場合は240-480フローリンであったとのデータが掲載されていますので、仮にヴァイオリン以外の奏者の給金がヴァイオリン奏者の半額だったとすれば、これくらいの額であり、しかもオーケストラの殆どの団員はそれだけでは生活出来なかっただろうこともうかがわれます)。
演目がオペラである場合・・・当時は器楽の演奏会よりはこちらのほうが一般的だったでしょう・・・、主演級の歌手には4,000フローリンを超える額が年俸として支給され、楽長が2,000フローリン、副楽長が1,000フローリン程度支給されたのですから、4名の主演級歌手がいると想定すると、人件費だけで32,000フローリンのイニシャルコストがかかったことになります(計算の簡単のため1回につき8,000フローリンとしてしまいましょう、かつその他の歌手や合唱の存在を考えればこれでもだいぶ安すぎる見積額だということは承知をしておきましょう・・・舞台装置は考えていません)。

一方で、オーケストラが活動する会場や楽譜・照明などの費用は、楽友協会の定例会の例では年間1,000フローリン(演奏会4回なので、1回につき250フローリン、ベートーヴェンの事例では、1824年の第九初演の際、ケルントナートーア劇場とそのオーケストラを使用するのに1回だけで1,000フローリンの出費をしています)でした。収益0でも稼がなければならないのは33,000フローリンということになります。収容人員については読み落としをしているのか情報を見つけておりませんが、パッと見たところの入場料の平均は1.5フローリン程度ですから、5,300人以上の聴衆(観客)を得なければならなかったことになります。平土間に席も設けていなければ可能な人数ではありましょうが、劇場の強度を想像すると、じつに恐ろしい人数です(おそらく、大きな劇場でもこの半分も収容出来なかったでしょう)。楽友協会の定期的なものに限定しなければ年間100を超える演奏会があったようですから、ここまで極端でなくても食い扶持は何とか稼げたのかも知れませんが、音楽家の絶対人数、それぞれの人が100回のうち何回に参加出来たかが分からないと何とも言えません。ただし、会場の収容人員を1,000人と見れば、ひとりのオーケストラ奏者が団の維持に貢献するためには最低年間20回の演奏会でペイ出来なければならなかったのだとは言えます。ほぼ半月に2回の頻度です。年俸が前述の通りの低さでは、インフレの激しい中でオーケストラ活動にこれだけの時間を費やすことは、まだ地域的な縛りが強かった時代であることを勘案すると、かなりキツいはなしだったのではないかと思われます。彼らはオーケストラ活動の他になお400-600フローリンは稼がないと、「フツウの生活」を送れなかったのですから。事例では、もっと低い給与水準(200フローリン台)にあった40代の団員が解雇後の復職を求めているものがあげられています。

そうした環境下、この他に当然広告費などもかかったのですから、現実にあったことなのですが、演奏会を組織する立場としては、演奏者のコスト削減をどうしても考えざるを得ず、それがプロとアマチュアの混成部隊の編制に繋がったものと思われます。その結果、演奏会では難曲を採り上げることが非常に困難であったのだ、と、「音楽都市ウィーン」では述べられています。
文化を守る人々は、生活の苦しさと常に背中合わせだったわけです。



以上、オーケストラに関してばかりつづりましたが、同じ話でいけば、戦後の日本のオーケストラも財政的に紆余曲折を繰り返してきたことはご承知のとおりです。
これらオーケストラは、地域の要請で成立してきたものが多いにもかかわらず、作られた割には客寄せもままならないで苦しい財政を強いられ、助成金を大きな柱にしてなんとか踏ん張ってきたのでして、その割合は前に記事にしたことがありますし、大阪センチュリーの話題も取り上げたことがあります。

そうしたなかで、なんといっても記憶から消えないのは、小澤征爾さんが懸命になって新日本フィルを支えた姿です。
彼の音楽作りがどうのこうの、という表面的なことを云々する以前に、楽団を守り、文化を守ろうとしたその姿勢の真摯さは、まだろくに社会というものを知らなかった十代前半の私にも、非常に鮮烈に映りました。あれは、厳しい中でなんとかオーケストラが自立していかなければならないんだ、という使命感をも併せ持っていましたし、こういう情勢下では、各プロオーケストラもその原点を見つめなおす必要があることは確かです。

その小澤さんが政治家の小沢さんの元に苦情を述べに行ったニュースは、すでにご存知でしょう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091209-00000141-mai-pol

記事によってはもう少し過激な文のものもありますが、毎日新聞社のものを転載します。

2月9日21時49分配信 毎日新聞
指揮者の小澤征爾氏が9日、国会内で民主党の小沢一郎幹事長と会い、来年度予算編成に向け、資金不足に苦しむ日本の民間オーケストラへの支援を要請した。小澤氏は財団法人の一部オーケストラについて、省庁OBの天下りで人件費がかさんでいる現状を説明。「財団法人の無駄を削らず、貧乏な民間オーケストラにしわ寄せがいくのは無理がある」と見直しを求めた。
「ダブルオザワ」会談では、小沢幹事長が「私は評判の悪いほうだけど」と切り出すと、小澤氏も「僕も音楽界では嫌われているから同じ」と笑顔で応じる一幕もあった。同じ名前で以前から小沢幹事長に興味があったという小澤氏は「官僚システムを変えるのは、政治が変わったいまがチャンス」とエールを送った。



文化に対する多くの無理解は、別段オーケストラに対するものに限られてはいません。
伝統文化でも、いまでこそなんとか成り立っている能・文楽・歌舞伎のいずれも、明治期の社会体制の変化の中で一方ならぬ苦労を強いられてきました。そうした歴史をもういちど、私たちは紐解くべきです。
小さな村のお囃子は努力をしてもしても過疎で滅び、伝統工芸には、利益中心に組み立てられてしまった産業構造の中で十分な収益を得られないために消え去ったものが多々あります。

それらへの目配せも、私たちが私たちの「文化」を考え直す上で非常に大事であることはいうまでもありません。

こんなバカな国が「先進国」だなんて名乗っているのは・・・アジアでも日本くらいのものではないでしょうか? 実態はアジア随一の非文化国家に成り下がろうとしているとしか思えません。

文部科学省の意見募集の頁はこちら。文科省さまの良識を信頼したいと存じます!
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaikei/sassin/1286925.htm

なお、広島交響楽団でも意見募集をしていますが、締め切りが明日12月15日です。
http://hirokyo.or.jp/

お名前は伏せますが、情報ののリンク先は、今回の事態に危惧の念を抱いていらっしゃるかたからの情報によるものです。心から感謝申し上げます。

なお、メジャーな伝統文化関係の本としては、その歴史的な時間軸での取扱われ方の変遷をみるには

ドナルド・キーン「能・文楽・歌舞伎 (講談社学術文庫) 」

郡司 正勝「かぶき入門 (岩波現代文庫)」

をお薦め致します。

民間伝承文化や工芸については、その引き継がれて来た背景まで覗かせてくれる好著は、いまのところ手にしたことがありません。お薦めをお待ち申し上げております。



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2009年12月13日 (日)

ウィーン古典派のシンフォニストたち

さらりと流しますが。

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古典派の音楽家がハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに限らないことは言うまでもありませんが、じゃあ、
「他にどんな音楽家がいたの?」
となると、この時代が大好きな人でなければまだまだご存じないのが現状かと思われます。

で、たまたまですが、名前を挙げた3人は、古典派の中でも「ウィーン古典派」に属します。
ということは、古典派の中でも、ある特定の圏内の音楽家に限られて「古典派が云々されている」というのが現状だということが分かります。

まあ、それはそれとしましょう。

さらに、ウィーン古典派がこの3人の音楽家だけで成り立っていた、というのは、ちょっと考えたって「あり得ない」話ではあります。

だから、この3人だけでウィーン古典派を語るのは間違いである、というのが、ウィーン古典派ファンの言い分になるでしょうし、そうやって浮かび上がってくる音楽家たちだって
「モーツァルトやハイドンと同じ、あるいは似たようなことをして来たんだ」
とアピールするケースを多く見かけるようになりました。(ベートーヴェンは例外ですが、これはウィーンの環境の変化に加えてベートーヴェンがウィーンよりはドイツ音楽そのものの文化の中で自己を確立して来たことから、モーツァルトやハイドンとは水平に捉えられない側面があることに由来すると思われます。これはまたあらためて検討します。)

ちょっと待って下さい。
「同じようなこと、似たようなこと」
をして来た、というのは、よくよく考えなおせば、そうした音楽家さんたちに対して、大変失礼なことではないでしょうか?
一見「そうなのかー」と思われるこの言い方の中は、すでに名声を確立しているハイドン・モーツァルトはいいとして、これから名前を挙げる別の音楽家さんたちに対してあまりにつれないのではないでしょうか!!!?

イタリア音楽だと未だに思い込まれているサリエーリも、イタリア人ではあったものの、音楽教育はガスマンのもとでウィーンで受けていますから、その作品はウィーン古典派のものだ、ということは忘れてはならないと思います。ただし、サリエーリについてはモーツァルトを検討している一連の流れの中で考慮して行きたいと思いますので、今日は含めません。

採り上げたい名前は4人で、いつもいろいろご示唆下さるBunchouさんのお教えを念頭に作品を聴いてみた人たちばかりです。

18世紀末葉に人気があったことが明らかだった人たちを採り上げるのですが、非常に面白いのは、知ってみると、ディッタースドルフ以外の3人はボヘミア出身者なのでした。ハイドンもボヘミアに限りなく近い地の出身であることが思い起こされます。

ロゼッティ Antonio Rosetti 1750-1792(ロセッティ、とも ウィキペディアドイツ語英語) は、北ボヘミアの出身。厳密にはウィーン古典派に入れてよいかどうか微妙なところで、作風もハイドン、モーツァルト、および以下の3人と著しく違います。ただ、彼の作ったレクイエムがモーツァルトの葬儀(?)に用いられたことから、この人がウィーンでも名声を確立していたことが伺われます。・・・他のウィーン古典派の作曲家が(サリエーリの器楽曲をも含め)動機労作的特徴を持ち、旋律が民謡的に素朴であるのに対し、シンフォニーで聴く限り、彼の手法は息の長い旋律に依存しています。現在、シンフォニ−以外のジャンルまでがもっとも多く復活演奏されている「古典派の人気作曲家」になりつつあります。

Symphony in g (1787) -1

G.Mais/Lithuanian Chambar Orchestra Vilnius ARTE NOVA 74321 72123 2

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/list?genre=700&keyword=Rosetti&target=CLASSIC&advanced=1&formattype=1&pagesize=3&pagenum=1

コジェルフ Leopold Kozeluch 1747-1818(ウィキペディアドイツ語英語)は、モーツァルトの後釜としてモーツァルトの死の翌年、モーツァルトの4倍の俸給でウィーン宮廷音楽家になった人物です。それ以前、モーツァルトがザルツブルクと訣別したおりには、モーツァルトが投げ打ったポストに就くようザルツブルクから要請があったのを断っています(1781年)。モーツァルトとは因縁深いように見える経歴ですが、作品を聴く限り、接点があったとは感じられません。音響的にはたしかにモーツァルトと類似したところがありますが、音の素材はハイドンのほうに近く、かつ、素材があまり重層的に組み合わされていません。シンフォニーでは、ハイドンならば弦楽合奏ですませたようなものに敢て管楽器を加えてみたりしていますが、ちょっと突飛に聴こえることは否めないと私は感じております。これは、そのように要請する誰かがいたのでしょうか? 「疾風怒濤」的作品でもここに他に名前を挙げた人々の作風に比べると激しさは劣ります。音楽の作り方は、Rosettiの旋律依存型とその他の作曲家の動機依存型の中間に属するようです。動機はしばしば変形されないまま繰り返され、こんにちの耳には単調であることを否めませんが、当時の聴き手にはむしろ分かり易かったのではなかろうかとも思われます。口の悪いベートーヴェンには「セコい奴」みたいな悪口を言われたこともあるようですが、実像は分かりません。ただ、彼の作風のような音楽が、宮廷では好まれたからこそ、高い俸給も得られたのでしょう。

Symphony in D -2

M.Barmert/London Mozart Players CHANDOS CHAN 9703

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/index.asp?target=CLASSIC&genre=700&adv=1&keyword=+Kozeluch&site=

あとの二人はハイドン、モーツァルトと弦楽四重奏をやったことがある(1784年のこと)、と伝えられる人物です。

ヴァンハル Johoan Baptist Vanhal 1739-1813 (ヴァニュハル、とも ウィキペディアドイツ語英語)はシンフォニーで自活し得た作曲家として有名になり(DUKE UNIVERSITY Liblariesの情報)、生前このジャンルで51作品を出版出来たほどです(実数は70を超えるそうです)。日本でもハイドン・シンフォニエッタ・東京という団体さんが熱心に上演していたのですが、今日調べてみたら、最近の記録が出て来ません(お詳しいかた、情報をいただければありがたく存じます)。1760年以来、同じ歳のディッタースドルフに作曲を学んだためか、シンフォニ−の作風はディッタースドルフに似ています。ただ、その最盛期は1770年代から1780年代中葉にかけてでして、晩年は鬱に苦しんだようです。多作にもかかわらず構成観のしっかりした曲作りをしており、おそらく当時の人にとっては不協和音を多用したモーツァルトほど難解ではなく、捻りを利かせたハイドンほどにはサロンのムードを妨げず、かといっていつも鮮やかに響く、というあたりが同時代に受けたのだろうか・・・と想像したいところです。ただし、伝記的資料は少ないとのことで、このあたりはもう少し調べてみないと分かりません。日本でも美学の専攻生が論文で採り上げたりしているようですから、いずれ詳しい書籍でも出ればありがたいと思っております。

Shymphony in D(Brayan D2) -4(第1楽章と同じ動機を使用しています)

K.Mallon/Tronto Camerata NAXOS 8.557 463

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/index.asp?target=CLASSIC&genre=700&adv=1&keyword=Vanhal&site=

ディッタースドルフ Carl Ditters von Dittersdorf 1739-1799 (ウィキペディアドイツ語英語日本語)は、以上の中では最も堂々とした構成力を持った作品を残しており(ハイドンやモーツァルトの特徴といわれる不規則的なリズムと小節構成・・・偶数小節の組み合わせで均等に音楽を進めるのではなく、奇数小節の後に新鮮な主題を提示する方法に優れている)、その作品が現在埋もれていることが非常に惜しまれます。父の仕事の関係から、ハイドンを含めた上記の音楽家たちの中ではもっとも恵まれた青年時代をおくったと言え、24歳のときにはグルックとイタリア旅行をしたりしています。やはり、晩年はヴァンハルと似た不遇をかこっていて、作品が出版されなくなって行ったとのことです。

Sinfonia in D(Grave D6) -1

A.Cassuto/Lisbon Metropolitan Orchestra NAXOS 8.570198

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/list?genre=700&keyword=Dittersdorf&target=CLASSIC&advanced=1&formattype=1&pagesize=2&pagenum=1

さて、この4名の音楽家は、死後、もしくは生きていても晩年のうちに、聴衆から忘れられた存在になって行きました。
ハンスン著『音楽都市ウィーン』(音楽之友社 昭和63年)に掲げられた、ウィーンの楽友協会演奏会1815-30年の演奏記録の中には、モーツァルト以外は上記の音楽家名は全く登場しません。モーツァルトのいわゆる3大交響曲とハフナーシンフォニーだけが合計で14回演奏されています。

とくにディッタースドルフの作例の質の高さから考えるに、楽友協会の演奏会にウィーン古典派の(ベートーヴェンを除いた)他の作曲家名がまったく現れないのは、モーツァルトとの音楽の質の善し悪し比較に由来したものではないと推測されます。
ヴァンハルについては不明ですが、他の3人は宮廷と強い結びつきをもっていたのでした。
で、ヴァンハルやディッタースドルフのシンフォニーが劇場に登場しなくなって来たと思われる1790年代は、フランス革命と続く対ナポレオン戦争の影響でウィーンも貴族の破産が頻発し(ベートーヴェンの伝記にそうした世情がよく現れますね)、聴衆の層が富裕商人層に変化し、入れ代わった聴衆が求める音楽も、大衆に知名度の高い作曲家の手になるものになっていったことが考えられます。モーツァルトは『魔笛』人気急上昇中の突然の死以来、早くから伝説化が始まっていたようですから、そうした有名作曲家に名前を連ね得たものと推測されるかもしれません。ハイドンが登場しないのは、ハイドンはウィーンよりもパリ、次いでロンドンで知名度を上げただけでなく、ロンドンではシンフォニーで興行的な成功も収めていたことが、ウィーンでの楽友協会で管弦楽曲が採り上げられなかったにせよ(声楽曲、宗教的な合唱曲とおぼしきものは演奏された記録があります)、ハイドンを人々の忘却から掬い上げた要因になっているかと思われます。

とはいえ、楽友協会のこの当時の演奏記録に頻出するケルビーニもシュタードラー(合唱曲が多く演奏された)も後年忘れ去られたに等しい存在になったことを考え合わせると、やはりモーツァルトとハイドンの作風には、他の人の手になる作品から抜きん出た個性が人々に高く評価されたのではないか、とは、なお推測し得るのでして、ハイドンは(自身が意図したかどうかは分からないものの)作品へのネーミング戦術とそれにふさわしく聴こえる動機を明確に提示して人を楽しませることに成功し(もっとも見事な例はやはり「時計」でしょう)、モーツァルトは人生は恵まれたかどうかは措くとしても幼時から多感な青春期にかけてウィーン古典派よりはイタリア・マンハイム・パリの多様な語法が身に染み付いた振幅の大きい書法で新時代に受け入れ易い「複雑さ」を備え得たことが生き残りに繋がったのではなかろうか、と、私にはそのように思われてなりません。

ウィーン古典派そのものの話に戻ることはないかと思いますが、この話題、前期ロマン派を考える上では大切な話のひとつになって行くかと存じます。

さまざまご教示頂けましたら幸いに存じます。



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2009年12月10日 (木)

感覚と技術(ベルリオーズ『音楽のグロテスク』から)

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「思い込み」ということ、それを出来るだけ乗り越えるための「見つめなおし方」ということ、に、愚かしい考えを重ねてきました。後者はとりあえず社会的な話題の文例を用いましたが、音楽関係でふさわしいものはまた別途探します。・・・それは話をもう少し突っ込んで考えてからでもよかろうと感じてもおります。

「思い込み」を起こさせる大きな要因のひとつである、音楽を演奏する側の感覚、聴く側の感覚、について、さらに愚考を重ねたいと思います。ただし、ベルリオーズの著作(わりと最初のほうに集中して拾いますが)を材料にし、彼がどのように思考していたかを除き見てみて、<興味>としての推論をそこから組み立てるにとどめます。

ベルリオーズ『音楽のグロテスク』(森佳子訳、青弓社、2007)からの逸話。

「聴く側」からいってみましょうか?
といいますのも、タイトルにくっつけた「技術」は、ベルリオーズの思考の上では、どうも音楽にとって聴き手にはあまり関係がないもののようだからです。

「君たちは、よかれ悪しかれ、聴衆の洗練度を知っているだろう! 彼らに腹が立つだって! こりゃ驚いた! この試みのために選ばれたホールに集まった八百人のうち、おそらく五十人ほどが心から笑っただろうが、その他の聴衆はずっとまじめに聴いて拍手喝采したかもしれない。私は恐いのだ。聖歌とフィナーレの演奏の後を思うと。キリエのことを人は『これは難しい音楽ですね!』と言っただろうし、交響曲はずっと好まれただろう。/序曲について、行進曲とイギリスの歌には何人かがあえて不信を抱いたかもしれないし、隣の人に『これって冗談?』と耳打ちしたかもしれない。/しかし、それだけのことだ。」(訳書42頁)

曲が具体的に分からないながら、聴き手と演奏家それぞれが違ったほうを向いていて、とくに聴き手の大多数は音楽そのものの持つ意味合い等について考えながら聴くわけではない、と、演奏家(この場合はベルリオーズですか)側が受け止めているのがはっきり読み取れます。

・・・では、皮肉の対象になるのは聴衆側だけでしょうか?

さらに同じものから、こんなお話を。

「最後の繰り返しの間、名人はこの不運な楽器(クラリネット)のためのいろいろな曲を吹き続けた。そして、またしてもそれを・・・脚の間に置いた。次に、ポケットからナイフを取り出して、なんと、クラリネットのリードを大急ぎで削り始めたのだ。/笑い声やざわめきが会場に響き渡った。ご婦人方は顔をそむけ、ボックスの中に身を隠した。紳士方は逆に立ち上がり、よく見ようとした。叫び声や小さなうめき声が聞こえたが、この人騒がせな名人はリードを削り続けていた。」(同58頁)

これを読みますと、演奏者の技術が自分たちを満足させるかどうか、ということには、<考えていないはずの聴衆>でも、しっかり感じ取ることは出来ているのが判明します。(まあ、大袈裟な例ですが。これは引用元全体をお読み頂く機会がおありでしたら、そのほうがよく分かります。・・・ただ、訳者さんには大変恐縮ながら、読み易い訳ではありません。訳者さんがいけない、というのとはちょっと違うのです。フランス語原書の和訳には、よみづらいものが多いです。日本語との発想の落差ゆえでしょうか?)

となると、二番目の例から窺われる、ベルリオーズが心に描いているような音楽享受の上での理性的なもの、は、演奏者の技術力に左右されるのではないか、と、想像されることになります。

果たして、この推論は正しいのでしょうか?

で、もうひとつ。

「私はしばしば自問自答していた。ある人々が音楽にとらわれているのは、彼らがばかだからなのか、それとも音楽が彼らをばかにしたのか? 公正に考えた結果、私はこのような結論に達した。・・・・音楽は恋愛のような荒々しい情熱である。すなわち、音楽のせいで理性的な個人が一見理性を失ったかのようになってしまうことがある。しかしその大脳の混乱は突発的なものであり、その人たちの理性はその支配力をすぐに取り戻す。(中略)それ以外の人びと、本物のグロテスクたちにとって、明らかに音楽は彼らの精神的能力の混乱に一役買うものではなかった。また仮に、この芸術の実践に身を捧げようという考えが彼らに浮かんだとしても、それは彼らが共通の感覚を持つということではなかった。音楽は、彼らの偏執狂ぶりには無関心なのだ。(中略)そもそも、おかしな機知の枠組みに自らを置くことを大変誇りにしている人たちが存在するのだ。彼らには機知など全くなかった。それらは空っぽの、少なくとも片側が空っぽの頭蓋骨である。大脳の右葉も左葉も彼らにはなく、つまり二つの葉がいっぺんにないのだ。」(同46〜47頁)

・・・はてさて。おいらのことをおちょくってるみたいな。

だめ押しにもうひとつ。

「彼はトロンボーンの無限なる優位性を証明するために、乗合馬車で、鉄道で、あるいは蒸気船で、または二十メートルの深さの湖を泳ぎながら演奏したことを自慢にしている。彼のメソッドには、湖で泳ぎながらトロンボーンを吹く方法を知るための特別な練習とともに、結婚式や宴会用の楽しい歌が含まれている。それら傑作のうち一つの下方に、このような忠告があるのに気づいた。『結婚式でこの曲を歌うとき、Xとある小節のところで、高く積まれた皿の山を飛ばさなければならない。これがすばらしい効果を生み出すのだ』」(同50頁)



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2009年12月 9日 (水)

見つめなおす方法

捨てようとしても捨てきれない「思い込み」というものについて、昨日はとりとめもなく綴りました

では、
「それでも、できるだけ《思い込み》から解き放たれるためにはどうしたらいいか?」
を、検討したいと思います。
これには、いい見本となる文を見つけましたので、「転載の転載」になりますが、後で文例として掲げます。ただし、音楽関係の文ではありません。



「思い込み」から逃れるためには、自分がこうと思い込んで見つめているその対象から、いったん自分が距離を置いてみなければならないのではないかと思われます。

41z5z7d8mql_sl500_aa240_単純に「論理学で<正しい論法>だと保証されている方法で見つめているから大丈夫だ」
とは、じつは言い切れないのだ、という点につきましては、分かりやすそうな「論理学」のテキストでもお読みになってみて下さい。私の一番のお勧めは、NHKブックスの『論理学入門』(三浦 俊彦著)でして、練習問題が付いています。永遠の初学者である私のようなものでも、なんとかかんとか日数をかけて納得することが出来た本でもあります。で、この本でも、「論理」とは道具立てに過ぎず、本当の真実を証明するのには測りの役割は果たすかもしれないが、絶対的真理を見出す道具のひとつに過ぎないことが平易に書かれている・・・と、誤解でなければ私はそのように読み解いております。

ルネサンス期の有名な科学者(本当は数学者)であるガリレオ・ガリレイは、『新科学対話』(岩波文庫収録)という著作の中で、おそらくヨーロッパ人としては初めて「無限」について数学的に論証していますが、読んでみると、その手段は帰納法によっています。にもかかわらず、ガリレイの無限についての論証は、無限を証明尽くしたものとは人々に捉えられず、せいぜい無限論の嚆矢と評価されているに過ぎません。論理学の手法を使っても世間がすぐには「是」としなかった一例です。
それはそれとして、彼が最も注目されているのは
「それまで人々に正しいと『思い込まれて』いたアリストテレースの所説を客観的に否定した」
点なのですが、これがそのまま
「ガリレイはアリストテレースを否定した」
という『思い込み』に変形されているのはご承知のとおりです。
ガリレイはアリストテレースが導いた結論の「前提」の真偽を・・・数学的手段だけでは確信し切れなかったからでしょうか、実験観察によって入り込んでいったのですが・・・、それは当時は人々がものを見て結論を出すときの大前提、真偽を疑い得ないので真としか信じられないものと等価であったがゆえに、まず
「では、その前提は正しいか?」
と立ち戻って見つめなおすところから出発したのでした。
出発点をアリストテレース(より正確にはアリストテレースの著作を読んだ後代の人たちがまとめなおし世間に常識として広めたもの)の設定した「疑い得ない前提」の見直しから始めた、ということであって、先の
「(ガリレイは)アリストテレースを否定した」
なる命題から受ける、彼がアリストテレースの人格を否定したとか、アリストテレースの論理を否定したとかいうのとはまったく異なることについては、専門のかたが口を酸っぱくしておっしゃっておられるにもかかわらず、いまだに誤解されたままのようです。ガリレイは、学問の徒としてのアリストテレースには、終生、敬意は払い続けているのです。
ところが、では、これを
「(ガリレイは)アリストテレースを否定しなかった」
なる命題に切り詰めてしまったらしまったで、また誤謬を起こすことになる。
「アリストテレースを否定した」
であろうが
「アリストテレースを否定しなかった」
であろうが、どちらの命題も、その真偽を論理の手法だけでは真偽の証明が出来ない。
ガリレイの著作を自身で注意深く読み、そこでガリレイがアリストテレースについて語っている賛美の言葉が「ああ、嘘じゃなくて、本音なんだなあ」と実感するよりほかない、というだけでなくて、真偽を証明するには命題の中身があまりに切り詰められすぎている、ということにも、私たちは注意をしなければならないのです。

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まずは、状況証拠が要る。
この状況証拠、とは、起こっている事実としての「ものごと」なのですから、起こっている以上は「起こっていない」と否定することが出来ませんから、論理的に証明できなくても真です。(このあたりは、アリストテレースやエウクレイデス【ユークリッド】が拠りどころとしたものと何も異なりません。)
でもって、これがまた曲者です。
ひとつの状況証拠があるからといって、それを用いて「真」だと証明できる「命題」は、上の例のような切り詰められたものであってはならず、なるべく具象的に設定されたものでなければなりません。
逆に言えば、あまりに単純化された命題を、数少ない状況証拠から「真である」と証明することは誤謬を含んでいる確率が非常に高いであろうと予想されます。(だからこそ、ガリレイによる「アリストテレース(の論証)の否定」も、「非ユークリッド幾何学の発想」も誕生の余地を与えられたのでした。)

・・・世の中のニュース、それに踊らされる私たちは、いつも「誤謬」の海の中にいるのだと思ってよろしいでしょう。

こうした点の上手な疑い方の例文として、非常に感心したのが、某所で拝見した下記の文章です。
転載者の方が転載の許可を得ており、そのかたからさらに転載のご許可を頂きましたので、ちょっと読んでみて下さい。

腎移植に関わる、専門の医師の書かれたものですが、平明ですから、こうしたことに不案内でも内容は十分理解できます。
お書きになった医師のかたも、転載なさったかたも、究極には「腎移植をより推し進めて、透析に苦しむ多くの患者さんを救いたい」という願いを込めてはいらっしゃるのですが、私はそれ以前に、付加的な価値観を抜きに、虚心にこの文の「着眼の鋭さ」を読み取っていただくことを目的として転載をさせて頂くしだいです。この点ではご執筆者・最初のご転載者には甚だ申し訳ない限りなのですが、他の分野にも応用の利く規範的な論述の進め方であると存じますので、まず、読んで下さるかたには、そういう目線で眺めて頂けることのほうを、強く望みます。

引用も長いのですが、前置きもだいぶ長くなりました。・・・私としての目的は、この話を、いつものように「音楽」に繋げるところにあるのですけれど、この長さに至りましたので、今回は断念します。

(以下、転載)



 ★ 万波移植の特異性     藤田保健衛生大学 医学部教授   堤 寛
  (生命化学の総合誌《ミクロスコピア》冬号=最終巻所載、転載者のかたの記事から。)
  (下線付け、色づけは私。)

2006年末、難波紘二先生の推薦で、私は宇和島徳洲会病院の病腎移植問題の専門医委員会 外部評価委員に指名された。私は学会代表でも移植医療の専門家でもない、唯一自由な立場の医師だった。専門委員会では、ドナー腎全摘の是非が論じられ、多くの症例で「腎全摘の適応なし」(腎臓をまるごと摘出すべきでなかった)と結論された。

腎癌は大きさに依らず腎全摘されるのを実感してきた病理医として、小径腎癌の標準治療は腎部分切除という主張に納得できず、異議を唱えた。

病気の腎臓は移植に使わないとする日本移植学会の主張は、本質的な矛盾を内包する。40歳以上では、動脈硬化や糸球体硬化など、腎臓は何らかの病変があり、病変のない中年以降の臓器は先ずない。

死体腎移植を考えよう。そこでは、血圧低下の結果「ショック腎」(病理学的に急性尿細管壊死)に陥った「病的な」腎臓が移植される。病気の腎臓が不適なら、死体腎移植は成立しない。

小径腎癌は部分切除が標準治療であると主張する一方、全摘出した腎臓から癌の部分を直視下に部分切除して移植に用いる病腎移植は、再発・転移のリスクが大きいという日本移植学会の論旨は、明らかに自己矛盾

万波移植の特異点を考えて見よう。移植医療は、通常 都会の大病院で行われる高度で先進的な医療であり、日本移植学会の指導者を含む多くの医療者は、その前提で移植医療に取り組んでいる。

飛び抜けて「術」に長けた万波誠医師は、あの宇和島という地方都市の、常勤医師数がわずか8名の宇和島徳洲会病院(最近12名に増えたそうだ)で、腎移植を実践する。そのこと自体、ミラクルだ。

万波移植手術の人員は多くて3名。世界中 探しても、おそらくそんな病院はなかろう。病腎移植の議論で感じた違和感は、都会の論理を宇和島に持ち込む強引さにあると気付くのに、私はだいぶ時間を要した。

万波医師と患者は、年余にわたる深い人間関係を築いている。一緒に釣りに行く友人が患者。生活保護を受けている患者が少なくないため、万波医師は、患者に金を貸す。そんな宇和島という町で行われた地域医療。「病腎」でもいいから、血液透析を離脱して早く仕事をしたい。

万波医師のレシピエントの大半が、2回目以降の移植だった点は特筆される(計 42例中 2例は4回目の移植)。移植腎は 10〜20年の経過で、慢性拒絶の状態に陥り、患者は血液透析に戻る(移植腎の平均生着率は、生体腎で17.9年、死体腎で11.3年)。

そうなった人にとって、家族から腎臓を提供されない限り、2度目の腎移植のチャンスは先ずない。移植ネットワークに登録した患者の移植待ち時間は、1回目で17年が日本の現状。万波医師は、2度目の移植をつよく待ち望む人の希望を叶えた。

血液透析を長期続けると、萎縮した腎臓の嚢胞が多発し、「後天性多嚢胞腎」から腎癌が発生する点も重要である。多嚢胞腎に10年血液透析をさらに続けると、実に4.9%に腎癌が生じる。移植病変に於ける小径腎癌の再発率よりずっと高い。

万波医師を中心とする「瀬戸内グループ」の腎移植の手腕は、700例に達する日本一の実績のもと、最高級レベルにある。癒着が強く困難度の高い3回目、4回目の手術もこなす。

小径腎癌の多くに部分切除を標準的に実践し、腎臓を摘出して患部を除去した後、その患者に戻す自家腎移植も、日本最高の20例の実績。そんなブラックジャック移植医に対して、日本移植学会は小径腎癌の標準治療や自家腎移植を指南する。何かおかしい。

文献
1)堤 寛:「病腎移植」禁止の動きに意義あり、ミクロスコピア 24:200-6,2007.
2)堤 寛:病腎移植(レストア腎移植):知られざる事実。現代医学56:247-54,2008.

つつみ ゆたか 藤田保健衛生大学 医学部 教授. 1980年、慶応義塾大学 大学院 終了 病理専門医。
http://info.fujita-hu.au,jp/pathology1/



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2009年12月 8日 (火)

惚れ込む、という感覚

「あばたもえくぼ」とはよく言ったもので、惚れ込んでしまったら、それが傍目から見てどんなに奇妙奇天烈であって、なんぼ忠告をしたところで、「惚れちゃった」当人は耳を貸しません。(はい、私もその口です。)

これがしばしば、人の心の中に「固まりきった」思いをこびりつかせてしまい、新鮮なものを発見させる妨げになることがあるのも事実です。

ですから、良識的には、
「もう、これしかない!」
という思い入れで物事を見聞きすることはお勧めすべきではありません。

ただ、「思い込み」だけが「惚れ込み」の全てではない、ということさえわきまえられるならば、むしろ、「惚れ込む」のは、どんどん奨められても差し支えないことかと感じます。

音楽の上でいやなパターンは、たとえば
「クラシック以外のものは認めない!」
「フルトヴェングラーの第九だけが絶対だ!」
あるいは
「決まりきったことをやってるクラシックなんて糞食らえだ! ジャズに勝るものなし!」
みたいに、自分の全体で世界の全体を決め付けてしまう恐ろしさでして・・・これがもし(たとえ小規模なサークルの中であっても)社会的な行動を伴うものになってしまったら、音楽活動でさえも・・・それが演奏そのものであれ、受容する立場であれ・・・「独裁・強制」の一種を形作る恐怖を生む点では、他の事象となんら変わりはありません。

あらゆる「思い込み」を捨て去ることは、人間、いや、もっと広く、動物一般にしたって不可能事ではあります。
家猫は野良猫に比べると、むしろ警戒心が強く、同じ家に飼われている猫仲間がいれば、そのそばから離れることに恐怖を感じ、飼い主でもない人間が幾度も可愛いと撫でてやっても、ほとんどなついてくることはありません。野良のほうが、幼いうちは却って人懐こくて、あるとき仔猫がなつかされてむごい殺され方をしたうえネットに残酷写真を載せられる、というかわいそうな事件もありました。しかし、仔猫の時期を過ぎると、それまで経験が活きてきて、これは安全に餌をくれる人かそうでないか、餌はくれないけれど自分を可愛がってくれる人か、自分の仲間レベルか・・・ウチの息子です (^^; ・・・を、ほんとうにジロジロ観察しながら、判断します。・・・私自身はその辺を良く知るてだてには疎いのですが、ウチの息子は人間の友達作りが下手な分、コツとか猫の癖を良く掴んできて、あーだこーだ、あーでもないそーでもない、と私に教えてくれます。息子の話を聞いていると、
「野放しの世界、っていうのは、ほんとうにたいしたもんだなあ」
と、凄みさえおぼえます。

せめて、野良猫ほどの鋭さで、惚れ込む相手には「客観的に」惚れてみたいものです。
世の中に純粋な「客観」というのはありえないはずですから、これは矛盾しないはずです。



私の親しい人にも、いろんな音楽家のファンがいます。
さっきちらっと名前を出したフルトヴェングラーだったり、グレン・グールドだったり、森麻季さんだったり。
内心
「このひとはどうかなあ」
なんて思っていても、そういう人たちの前ではおくびにも出せません。・・・あ、ここに名前を挙げた人たちを私がどうこう思っている、ということではありません! 念のため!
ただし、
「絶対にその人だけがいい!」
とあまりに言い切るようでしたら、そのときは反論することもあります。

思い出に残っているのは、イツァーク・パールマンをめぐって、アマチュアとしては最高のオーボエ吹きでコルアングレ付記でもあった、今は亡きHさんです。
Hさんは足が不自由でいらしたので、とりわけ、似た境遇にあるパールマンが大好きでしたし、そこまでは突き詰めませんでしたが、面識もおありのようでした。
私自身、実はパールマンをとても尊敬していたのですが、Hさんのあまりの入れ込みように、まだ初めて彼に会って間もない頃、ちょっと意地悪を言いたくなりました。若気の至りです。
とある演奏会でご一緒したとき、運よく、酒の席で隣りあわせで座ることが出来、作戦開始。

「パールマンさん、下半身が利かない分、音に体重が乗り切っていないんじゃないですか?」
「何を言うか! そんなことはない! あんな芳醇な音をしているじゃあないか!」
案の定、Hさん、真っ赤になって怒りました。
で、実は、Hさんの主張の中には正解へのヒントがあったのでした。
たかだかヴァイオリンの演奏と思うなかれ、ヴァイオリンの、とくに左手は、力を入れて押さえると音を潰します。あるいは、手の自然な形とは何か、とか、指一本一本のはたらきがどうか、とか分かっていないと(右手は右手で、筋肉力で運弓すると、いわゆる「力弾き」になり、弓の毛が異様に早く多量に切れる・・・これが私の最も威張れないところですが、私なんかもそうです・・・という現象で悪さがはっきり分かったりします)、ネックを握り締めてしまって、弦の振動を止めてしまうのです。そこで、弦の振動を殺さないためには、少なくとも左手で弦をネックと一緒に「握り締めてしまう」ことは避け、指の乗せ方で上手に体重がかかって、しっかりした支点がとれるようにしなければならない。
下半身が不自由、ということは、全身の体重を乗せる上ではハンディキャップになります。
ところが、パールマンの演奏は、そうしたハンディキャップをまったく感じさせない。
彼は神童だったから、といってしまえばそれまでですが、天性だけではどうしようもないこともあったはずで、だから本当は、陰で非常な努力をしたに違いないのです。
Hさん自身も、そういう努力を「無自覚的に」なさっていたのでした。
私が意地悪なことを言ったことで、Hさんは最初、たいへんな屈辱を覚えたはずです。

にもかかわらず、そこで私に激しい言葉をぶつけてから、Hさんは、自分もパールマンも、本当はどれだけ「頑張って」きたのか、ということに、たぶん気づいてくださったのだと思います。
一方で、仕掛けた私は、偉そうに意地悪をしたくせに、パールマンはもちろん、亡くなったHさんの足元にも及ばない演奏(それも、もし演奏と呼べるなら、というレベルで)しか出来ないでおります。

惚れた相手には意地悪をして、こちらをも好きになってもらわなければなりません。

理屈が当たっているかいないか、それこそ
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」
なのですが、おかげで私はそのあとHさんとは信頼関係をもてたのではないか、と、かたくなに信じております。私はHさんという人間性に、最初から惚れこんでいたのだと思います。

家内を失ったときも、いちばんなにくれとなく連絡をくれ、気を使って下さったHさんも、私の家内の数ヵ月後に急逝なさってしまいました。

有名演奏家ではもちろんなく、アマチュア仲間、ということではありましたけれど、私はいつも、これだけは何を言われても譲れません。

「本職さんだろうがなんだろうが、今なお、Hさんにかなうコルアングレの音を出せる人はいない。」

・・・これは、「客観」ではありませんが。

・・・これでは、上で述べてきたことには何の意味も見出せませんね。(^^;

はてさて、私は何を言いたかったのだろう???



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2009年12月 7日 (月)

第九のシーズンです:中高生オーケストラによる演奏があります

417jc77djdl_sl500_aa240_『合唱フォルティッシモ -やさしく第九を歌うコツ』の著者、近藤直子さんの率いる合唱団が10周年なのだそうで、それを記念して歌われる『第九』の伴奏・・・年中行事として取り組んでいらしたようですが、存じ上げませんでした・・・とある有名女子校・中学校のオーケストラが管弦楽を演奏するのですね。

江戸川女子中学・高等学校シンフォニックオーケストラです。

日時:2009年12月25日(金)午後6時30分開演
場所:江戸川区総合文化センター大ホール:総武線新小岩駅南口より 徒歩15分
演奏
  管弦楽:江戸川女子中学・高等学校シンフォニックオーケストラ
  合 唱:NAOコーラスグループ、江戸川女子中学高等学校保護者第九を歌う会
独唱
  ソプラノ:水野貴子
  メゾソプラノ:加納里美(東京音楽大学教授)
  テノール:川上洋司
  バリトン:水野賢司   各氏
指揮:佐野直樹

全席自由 1,000円

だそうです。

こちらのリンクをご覧下さい。

http://www.adachi.ne.jp/users/naokoinf/news.html

どこかの記事で、
「第九は、4楽章しか覚えてないんだよねー!」
「合唱の人、第3楽章まで寝てるんだよねー!」
って仰っているのを読んで、う〜〜むむむ、と唸ってしまったことがありました。
寝てないですよー、全員かどうか知らないけど。。。

中学生・高校生が、この作品の素晴らしい第1・第2・第3楽章を真摯に演奏する姿を、是非拝見したいものだと思います・・・勤めの関係で、ちょっと難しそうなのが残念ですが・・・

独唱陣は評判の方々です。

ご都合のつく方、いかがでしょう?

問い合わせ先は・・・
NAOコーラスグループ、電話03-3897-7160
だそうです。



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2009年12月 5日 (土)

モーツァルト:ポストホルンセレナーデと関連行進曲

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



今日はモーツァルトの命日なんですね。
日付を覚えるのが苦手な私は、ときどきご紹介するブロガーのJIROさんに教えて頂いて
「ああ、そうだったか、12月5日零時55分だったのか」
と、さっき確認したところです。

それとはまったくかかわりなく、モーツァルト作品のおっかけをしていました。
「ポストホルンセレナーデ K.320」
です。

前にハフナーセレナーデを調べた際には、ポストホルンセレナーデはより劣る作品だ、と思い込んでおりました。
それがまったくの浅見だ、ということを思い知らされました。

作曲日付は自筆譜に1779年8月3日とあります。
新モーツァルト全集(NMA)では、第13分冊に、関連すると思われる行進曲K.335(2曲、同年8月)を前に置いてスコアが掲載されています。

編成は基本的にオーボエ2本、ファゴット(というより、音響的にはバソンBassoonの方がふさわしいかと思われます)2本、ホルン2本、トランペット2本、ティンパニおよび弦五部で、これだけでもザルツブルクの宮廷オーケストラとしてはフル編成の壮麗さですが、3、4楽章にはさらにフルート2本が加わり(1本はそれより早く第2楽章のトリオに現れます)、6楽章では愛称の由来となったポストホルンが使われます。なお、この第6楽章は二つのトリオを持っていて、ポストホルンは第2トリオの方で使用されます。第1トリオはスコアに「フラウティーノ」という楽器の使用が指定されていますが、自筆譜では指定のみで音符が書かれていません。
NMAの注解で問題とされている指定で、音符が書かれていないこと自体はこの楽器がヴァイオリンの声部と同じメロディをオクターヴ上で演奏すれば良いとすることで解消する問題である、とし、楽器の正体についてはソプラノリコーダーだと述べながら、(私に語学力がないので私が混乱しているのですが)ヴァイオリンの2オクターヴ上を演奏するようなものだったとも読めるようにもなっていて、アーノンクール/ドレスデン・シュターツカペレの1984年の演奏録音(TELDEC WPCS-21107)では2オクターヴ上を吹いている、その根拠となっています。

本セレナーデは、使用しているオーケストラの規模の大きさも手伝って、全般が、フランス風な音響設計になっています。この点は交響曲第32番と同様です。
しかしながら、交響曲第32番の方と異なって、創りは凝りに凝りまくっています。それが、聴覚的には「ハフナーセレナーデ」のような華やかさを感じさせないため、流して聴いてしまうと地味に思えてしまいます。
ところがそうではないのだ、というのは、このセレナーデの第1、第5、第7楽章の三つを引き抜いた交響曲版が、同年の「ヴァイオリンとヴィオラの協奏交響曲」K.364と双子のように聴こえる事実から気がつかされることです。

構成は次のとおりです。興味深い特徴についても付記しておきます。

I. Adagio maestoso-Allegro con spirito、4/4、ニ長調、272小節
・・・壮麗な序奏を、それに続く部分と併せて、アルフレート・アインシュタインは<プラハ>交響曲の前触れ、と捉えています。ですが、私には納得がいきません。アインシュタイン自身が述べているように、この楽章は<プラハ>とは違って、目立った対位法的書法は採られていません。かつ、序奏の壮麗さ、という点では<リンツ>の先駆と捉えても何の支障もありません。<プラハ>と類似するのは、1小節目で堂々と和音を鳴らし、2小節目では動きのある動機を用いている、という点です。長さにおいては6小節でしかありません。2度目の反復の時には、<プラハ>の場合は標準的なカデンツ構造を崩さないドミナントを鳴らし、3度目に副和音を用いているのですが、ポストホルンセレナードの序奏では2度目が変化和音であり、減音程であって、9年後の<プラハ>のヒントとして活きたかも知れない可能性は残るものの(これは終楽章のプレストと抱き合わせてこの作品を見てしまうと<プラハ>との相似形を感じてしまい易くはあるのですが)、すべてが<プラハ>にだけ繋がるのではない、ということを見落とさせてしまう点で、妥当な把握のしかたであるとは考えられません。
なお、アレグロの主部には、音響上は<プラハ>との共通性はあまり感じられません。
で、この序奏はユニークなはたらきをします。耳で聴くだけですと、この序奏が161小節で再び現れるのですが、実はその際はテンポ指定はアダージョには戻されていません。楽譜の音価を倍に延ばすことで、アレグロのまま「アダージョに聴こえる」耳の錯覚を起こさせるのです。かつ、このときは序奏の時とは少し姿も変っているのですが、聴いているだけでは、そのことには多分気がつかないでしょう。
・・・この楽章には先駆的な試みがもうひとつなされています。「音色旋律」です。46小節から65小節第1拍目までの主題は、第1ヴァイオリンが一息ついたかに見せかける箇所でオーボエが旋律を引き継いでおり、これは一体として演奏されなければなりません。(このセレナーデの交響曲版をホグウッド/エンシェントの録音【全集盤の中の1枚】で聴くことができますが、この演奏は全体としては素晴らしいものの、この音色旋律が途切れてしまっています。)197-215小節もまた同様です。

II. MENUETTO(Allegretto) 44小節、ニ長調、 Trioはイ長調、16小節
・・・第3楽章がコンチェルティーノとなるのですが、この楽章のトリオがその先触れを勤めます。メヌエットは第1楽章と同じ標準編成ですが、トリオはフルート・ソロ、ファゴット・ソロに弦五部、という造りです。トリオは当時のフランス風な(もしくはグルック風とでもいうべき) 音響構造と鳴っています。

III. CONCERTANTE(Andante grazioso)3/4、ト長調、175小節
・・・NMAの注解も述べているように、名技性がまったくと言っていいほど要求されておらず、133-148小節のCADENZAも即興の余地がありません。ベートーヴェンの第3以降の交響曲では管楽器に息の長いメロディが現れることが常態となって行くのですが、モーツァルトやハイドンを始め、この時期の作曲家の「シンフォニー(シンフォニア)」ではそうしたことは珍しく、息の長いメロディが管楽器に与えられる時には「協奏交響曲」になる、という発想があったのではないかと想像しています。これを「ハフナーセレナーデ」のなかに挟み込まれた近代ヴァイオリン協奏曲的特徴と同じ価値観で見てしまうのは誤りなのでしょう。それにもかかわらず、モーツァルトや同時代の人たちの感覚では、「ハフナーセレナーデ」のケースも、「ポストホルンセレナーデ」でのこのケースも、同じアイディアの延長線上から生まれているのでしょう。交響曲というジャンルの発展史を考える上で、この楽章と次のロンド楽章は、よく観察しなおされるべきかも知れません。かつ、第6楽章のメヌエットの二つのトリオは、フラウティーノやポストホルンという特種楽器を使用していながら「協奏」とは考えられていないことも、注目しておくべきことです。こちらは「カッサシオン」の特徴と合ってしまい、「セレナーデ」・「ディヴェルティメント」・「カッサシオン」を彼らがどういう基準で呼び替えていたのかを、私たちにとって非常に分かりにくいものにしてくれちゃっています。
この楽章と次のロンド楽章は、トランペットとティンパニが抜けて、表側の「祝祭」イメージの影をひそめさせ、下属調を採って、穏やかなプライヴェート空間を創出しています。(この点はハフナーセレナーデなどと共通でしょう)。

IV. RONDEAU(Allegro ma non troppo) 2/4、ト長調 、244小節
・・・アインシュタインが<プラハ>を持ち出すことが公認されるのでしたら、この楽章にふさわしい後年の作品は『魔笛』となるでしょう。

V. Andantino 3/4、ニ短調(トランペットとティンパニは無し)、91小節
減音程の多用はK.365とまったく同じです。そのため、持っているムードも似通っていて、ただ調性の違いにより、後者がハ短調の内向的なものであるのに対し、こちらの楽章はニ短調であることで「外向き」になっている。似たムードでありながらも、この相違点は極めて重要であると思われます。まさに本楽章は「外向的」であることにより、「協奏交響曲」のではなく、「セレナーデ」の楽章であることを自己主張していると考え得るからです。

VI. MENUETTO ニ長調・24小節、第1トリオ=ニ長調・16小節、第2トリオ=イ長調・32小節
・・・主部の編成はザルツブルク標準フルモードに戻っています。トリオにおける楽器使用の特異性は前述の通りです。
それにしても、ド・ミ・ソだけの音を出すポストホルンで、よくもこれほどまで豊かなメロディが作れたものだ、と、つくづく感心します。バックの弦楽器(オーボエの助奏あり)の表情の変化の巧みさもメロディを補完はしているのですが、そのことを抜きにしても見事です。

VII. FINALE(Presto) 2/2、ニ長調、297小節
・・・高い頻度でポリフォニックな書法が採られているにもかかわらず、平明な音楽です。それぞれの箇所を列挙はしませんが、ポリフォニックな箇所の登場頻度が高いのにこれほどシンプルに聴こえる、ということに、実際の演奏を聴いていると不思議な印象を持たざるを得ません。そして、それが、浅くだけこの作品を聴いている時には、この作品の持っている意味深い特徴を隠蔽しているのだ、と気づかされ、私たちはスコアによって真相を知った時、驚嘆してしまうことになるのです。


さて、K.335の2つの行進曲は、マリナー/アカデミーの録音(PHILIPS 164 780-2、全集盤)では第1番(ザルツブルクのフル編成からティンパニだけを除いたもの)をセレナーデ本体の前に、第2番を本体のあとに演奏していますが、もしK.335がポストホルンセレナーデ用の行進曲であることに間違いがなければ、この順番は正しかろうと思われます。
第2番は、第1番のオーボエ2本がフルートに置き換えられています。これは、彼の交響曲でも例がある「オーボエからの持ち替え」ではなく、セレナーデ本体の中のCONCERTANTEを演奏したフルート奏者が演奏したのでしょうか?
第1番は63小節、第2番は61小節の作品です。
第1番では18-21小節および54-57小節で弦楽器がコル・レーニョでオーボエを伴奏するという、おそらく当時としては新奇な趣向を取り入れているのが面白いところです。ソナタ形式、との分析がありますが、A-B-A'-Bというかたちであると捉える方が良いように思います。
第2番では44-46小節で突然、3拍子に聴こえるメロディが現れます。これは聴き手の意表をついたことでしょう。素材は当時の流行歌ではないか、という見解があります。



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2009年12月 2日 (水)

中学4教科愚問集

アタマがちっともまとまらないことばっかり綴っている気がしますが、バカなのでご寛容に願います。

で、今日はボケがさらに著しいので、ホントは考えてみたい「クイズ」はいろいろあるのですが、アホなりに答案を書けるようになるかなあ、と漠然と思っている問題を教科ごとに並べ立てて置いてみます。・・・ぜんぶ「音楽」に関わる問題ですが、本質は中学校の各教科の問題です。・・・ただし、中学校のようには語学関連は「英語」と「国語」に分けられませんので、これは「語学」ということで一緒くたに扱っておきます。

<語学>〜文法の問題
西洋音楽で言う「ソナタ形式」って、本当に文法として整理してしまえるものなの?
・教科書では、第2主題までしかないことになっているのに、ドヴォルジャークの交響曲第8番の第1楽章なんか、第3主題まであるんだと! なんでやねん? 
・でもって教科書では呈示部〜展開部〜再現部と3つの部分に分けられて、展開部は呈示部の主題の材料を使ってる、ってことになっているのに、例えばベートーヴェンの第3交響曲の最初の楽章なんかは、「展開部」に「呈示部」にはなかった新しいメロディが出てくるし、クリスチャン・バッハだとソナタ形式のはずなのに「展開部」には「呈示部」の材料が出てこなかったりするんだよなあ。
・「ソナタ形式」って言っているのに、バロックのソナタには全然使われてないし!

<数学>〜図形の問題
音階はオクターヴでまた同じ音になるんだけど、じゃあ、音階って「ひとつの閉じた円」みたいな図形になるんだろうか?
・この前ハンパに扱った「グイドの階名(グイドの手)」のやりかただと、2オクターヴたす6つの音までのなかに7つの円が出来るんだって! 三つの円が描ける3オクターヴまでいかないのに、なんで7つも円が描けるの?・・・あー、こいつは避けて通ろうかなあ。。。

<理科>〜色の問題
音に色があるとしたら、その色は光の色? 絵の具の色?
・光の3原色は赤・青・緑で、三つとも混ぜると白になる。絵の具の3原色は赤・青・黄で、三つとも混ぜると黒になる。音の色は、混ぜる(和音にする)と何色になるのかな?・・・ずっとまえに「色聴」のはなしとして採り上げたことがありますが、それをもとに考えられるんじゃあなかろうかと思っています。

<社会>〜作品の数の問題だけど、数学とか算数じゃないの。
ベートーヴェンの交響曲は、なんで9曲なの?
・ハイドンまで比べちゃうとわけ分かんなくなるので、モーツァルトとだけ比べるけれど、
※ピアノソナタ(クラヴィアソナタ)は、モーツァルトは(紛失作も含め、断片は除いて)21曲+「アレグロとアンダンテ」で22曲、ベートーヴェンは37曲あるのだー。
※ヴァイオリンソナタは、モーツァルトは32曲はある。まあベートーヴェンと比べてもいい、となると半分になる。ベートーヴェンは10曲なんだよな。数はそんなに大きく違わないと見てもよさそう。で、モーツァルトにはチェロソナタはないんだよね。ベートーヴェンには6つある。
※弦楽四重奏は、モーツァルトは24曲、ベートーヴェンは13曲。ちょっと差が開くかな?
※でもって、交響曲はモーツァルトは番号がついたうちの真作で「序曲」じゃないものを抜くと36曲。長さの問題はさておいて、ベートーヴェンの9曲に比べると、上で見て来た曲種と比べただけでも、ダントツで差が大きいんだなあ。
・・・これって、なにか社会的な背景があるんじゃないかな???

みたいなかんじ。

ちゃんと考えるものもあるかもしれませんし、全部ちっとも考えないでやめるかもしれませんが。

あんまりおもしろかないかもなあ。。。

<おまけ=美術?>
ビートルズとかピアソラとかラヴィ・シャンカールって、いわゆるクラシックの演奏家も演奏してるんですけどー。
クラシックなんですか?
じゃあ、クラシックってなんなんじゃい?


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2009年12月 1日 (火)

数(すう)としての音楽

忘れていただいていい前置きですが、数学との対比において、「音程」は「角度」と同じとみなしておいて良かろうと思いますので、今回はまだその話題を述べるときには表面的な扱いをしていることはご容赦下さい。また、リズムは関数(時間・空間)との対比で語るべきものでしょうから、同様のお願いを申し上げます。・・・以上、いちどお忘れになってお読み頂き、何かヒントがあれば頂戴したいと存じます。



41dn1g6zqel_sl500_aa240_中世ヨーロッパにおいて「音楽」が「数学」と並列的な位置を持っていたことについては、私たちは西洋史を習うときに「歴史的事実」として頭に叩き込むだけで、なぜ「音楽」と「数学」が並列だったかの理由についてまでは考えることがなかったのではなかろうかと思います。

いや、考えている、というのであれば、それはあくまで「ピュタゴラス(ピタゴラス)」の発見した、音と音の間の(有理数的な)比の関係・・・オクターヴ上の「ド」はもとの「ド」の弦の長さを半分(2分の1)に分割したことで得られるし、「ソ」の音は同様に3分の2の長さにしたときに得られる、等・・・と関連するから、と、このことのみに関連付けて全ての理由だと思ってきたのではなかろうか、とも感じます。(ここから話をスタートして、平均律が生み出されていく過程でピュタゴラスコンマの問題が何故生じたか、まで話が進めるべきですが、これは後日、ということにします。)

さて、ご承知のとおり、西洋風の長調音階は

ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ(・ド)

と呼ばれています。こうして呼ばれる音の名前を「階名」といいます。

これに

ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ(・ラ)

にまで下げて考えて、下から順番に

A・B・C・D・E・F・G(・A)

とアルファベットを割り当てたものを「音名」といいます。

実は、歴史的事実としては、「音名」のほうが発生が早く、942年に没したクリュニー修道士のオドという人物の著作には既に現れているそうです。「階名」のほうは1050年ごろ没したグイド(995頃生)が「ヨハネ賛歌」の各節の歌い出しの言葉から付けたのだ、という話は有名ですね。グイドが使用したのはド・レ・ミ・ファ・ソ・ラまでで、シは同じくヨハネ讃歌から取られた階名ながら17世紀になって導入されたものだそうです(金澤正剛「古楽のすすめ」音楽之友社 1998)。このあたりはヨーロッパ人が歌う歌の音域の広がりとも関係があったりするのですが、そうした経緯は省略します。

前に「移動ド」と「固定ド」についてちょっと観察したことがありますが、実は、「固定ド」は「音名」=「階名」、すなわち、歴史的には発祥の違うものを同一のものとみなしたところに成り立っています。「固定ド」唱法は、したがって、「音の高さ」をすべて一定のものとして捉え得るときに初めて有効になるのであり、無調と言われるようになった近・現代音楽では読譜をする際にそれなりの力を発揮することになります。

しかしながら、話は戻りますけれど、本来、「音名」と「階名」は違うものです。絶対的な音高を表すのが「音名」であり、相対的な音高を表すのが「階名」、というところに、歴史的には話は立ち戻っていかなければなりません。

そもそも、既に「音名」があったのに、なぜ「階名」が必要とされたのか、というところがミソです。

これはおそらく、ヨーロッパ中世期の「数(すう)」に対する感覚が、大きく影響しているのではなかろうか、というのが、これから私がする、ド素人の嘘っぱち推論です。

ソルミゼーション、という言葉がありますが、これはグイドの考案した「階名」を用いて歌を歌うことに関連して生まれた用語です。歌唱に際して「音名」(絶対的な音高)を用いません。
たとえば音名(絶対的な音の高さ)がC・D・E・F・G・Aと並んでいる音階の五音お互いの関係は、と並んでいる音階の五音お互いの関係は、それぞれ同じ比で表すことができることに着目しているもので、

・「C・D・E・F・G・A」はC音を「ド」と読み、以下「レ・ミ・ファ・ソ・ラ」と読む
・「G・A・B・C・D・E」はG音を「ド」と読み、以下「レ・ミ・ファ・ソ・ラ」と読む

という具合に、相対的に階名を当てはめていく方法です。これは、歌い出しの絶対的な音高が違っても、歌われる音階ないしそれによって作られたメロディが「同じ」であることを示し得るという大きなメリットがあり、音階・メロディの理解を平易にしてくれるため、時代が下がっても20世紀初頭に所謂「調性音楽」が崩壊するまで、「移動ド唱法」へと発展し、音楽の習得に貢献してきたものです。厳密にはグイドの方法はそのまま後代の「移動ド」とは異なるのですが、煩雑になりますし、専門の本もありますので、正確に理解するには、そのようなきちんとした資料をお読みになることをお勧めします。安価ではありませんが、ルネサンス期のものとしてはティンクトリスの「音楽用語定義集」の訳書(中世ルネサンス音楽史研究会訳 シンフォニア 1979)があり、それに詳しい解説が載っています。さらに、グイドの方法がバロック後期になっても重要視されていた証拠としては、イタリアのトージの著書に詳しい注釈を施したドイツ人(バッハの弟子)アグリコラによる「歌唱芸術の手引き」(東川清一訳 春秋社 2005)にもグイドの方法について詳しい説明を付していることから判明します。

先に、当時の「世界を支配する」数に対する捉え方ですが、紀元前にはピュタゴラス(派)によって無理数の存在が発見されていたものの、古代ギリシャ及びローマ文明でそれを一般的には是認しなかった・・・たとえば稀世の天才アルキメデスによる円周率の計算も正多角形の内接と外接を限りなく押進めることによってなされたことからも見て取れる・・・ように、すべては(正の)有理数=分数で表せるはずだ、との信念があったかに見えます。すなわち、どんなものも「整数の比」で表し得ると信じていた。
実際、ドレミファソラシドは、整数の比で次のように表わせます(この話題の中では余計な話ですが、「平均律」ではなくて、「純正率」と呼ばれるものの間隔であり、しかもギリシャ元来のピュタゴラスの純正調を、天動説で有名な2世紀のギリシア人プトレマイオスがより単純に修正しメモを残していたものをもとに、15世紀後半にスペインのバルトロメ・ラモスという人物が初めて発表した比であり、オリジナルは分数です)。

 24:27:30:32:36:40:45:48
 
(それぞれの前後の音の間隔を参考までに記しますと、3、3、2、4、4、5、3でして、ドからファまでは8、ソから上のドまでは11と、3の差があります・・・これは整数比にすると過大に大きく見えることもありますし、今日の話題では避けておきたいのですが、音程関係でいくと、ド・レ・ミ・ファの間隔もソ・ラ・シ・ドの間隔も「全音・全音・半音」であり、グイドの方法そのものではありませんがグイドに習った流儀でいくと、連結の間隔が全音であるとの前提の上で「ドレミファ」・「ドレミファ」の2段重ねで1オクターヴの長音階が出来るはずなのですが、純正調ではこれが「ド【全音・間隔3】レ【全音・間隔3】ミ【半音・間隔2】ファ」、「ソ【全音・間隔4】ラ【全音・間隔5】シ【半音・間隔3】ド」と違った性質のものになってしまいます【間隔のより間違いのない計算は有理数で表現すべきであり、隣り合う音同士の比で計算しなければならないところ、ここでは分数を表示することなく話を簡便にする為に、主音からの各音の音程比を整数化したもの同士の減算をだけ行なっているので、歪みが不正確で大袈裟に出ていることはご了承下さい・・・きちんとした計算方法については「小方厚『音律と音階の科学』講談社ブルーバックス、西口・森『もっと知りたいピアノのしくみ』音楽之友社、などに掲載されています】。単旋律で歌われるならば支障は感じないですむのかもしれませんが、二つ以上の音を一緒に、すなわち和音として歌うことになると、自然なはずのこの整数比が等間隔ではないために、人々はだんだん不自然に感じるようになり、こんにち「中全音律」とか「平均律」と呼ばれている音程感覚の調整が行なわれるようになります。なお、グイドの時代も含め中世からルネサンスのヨーロッパでは、グイドが階名を与えた6つの音をひとまとめにして「ヘクサコルド」として扱っていますが、古代ギリシアの音楽理論・・・実際に読めるものは古代ローマ期に入ってから記されたものですが・・・では4つの音の間の三つの関係である「テトラコルド」で、既にかなり複雑な音程理論を展開しており、この音階構成音相互の間隔の問題の縁源は、直接的にではないにせよ、古代ギリシアの音程論を引き継いだ結果生じたものであると見なしてよいかと思います。)

さて、この正の整数が一定の比を成さずに、音が高くなるにつれて変化するのでしたら「自然数」である、という以上のことは何も言えなかったのですが、古代ギリシア人や中世ヨーロッパ人が目を付けたのは、この比が、上のド(48)をまた24と見直すと、実用上は3オクターヴではあったものの、観念的には音階はどこまでも同じ比で循環する、というところであったかと思われます。
この数比の循環に「神の摂理=中世当時の<形而上的理念>∈後代の<数理物理学的な公準に近似するもの>」を見出したが故に、グイドは「階名」の発想を構築したのではなかろうか
・・・すなわち、単純に「音の中にも数(すう)がある」ということのみならず、

「その数の並びはオクターヴごとに一定の比で循環する」

ところに、科学的な、あるいは論理的な法則を発見したと信じたが故に、音楽は単なる音の技芸ではなく、数理としてこの世に体現された最も美しいもののひとつとして神学を中心とした中世期の学問の大系の中に位置づけられたのではなかろうか、と推し量ることは、どうでしょう、妥当性に欠けるでしょうか?

音楽ではありませんが、ニュートンも万有引力の法則を証明した有名な著書「プリンキピア」の最後は、自然界の全ては神の意志から生じている、と締めくくっているそうです(背景にはニュートンなりの思惑はあったのですが、それにしても、自然科学の一大結晶である17世紀後半の著作がまだこのような表明をしていることには注目しておくべきでしょう)。

ちなみに、ソルミゼーションという用語自体がこうした循環を象徴しているのでして、グイドの手法が「ドレミファソ」まで歌ったら、ラにあたる次の音を「レ」と読み替える・・・すなわち「ソ(sol)」を「ド(ut)」と暗黙のうちに読み替えることにより、音列が「sol-la=re」と順に読み替えていけることから、その手法を象徴する言葉として誕生したのでした。ここでは循環をオクターヴでではなく、ヘクサコルドで捉えていることは申し添えておきます。

ソルミゼーションそのものについて最も入手し易い和訳書は現在のところ東川氏訳「歌唱芸術の手引き」でして、その18頁から31頁まで、とりわけ22頁掲載の表と24-28頁掲載の譜表を参照して下さい。本日の私の記事はこの点、音楽史上の正しい理論を例示したものではありません。

突っ込んで行くと、最初の方で言葉だけ出したピュタゴラスコンマのことだけでなく、クセモノである「B」音からシャープ・フラットの話にまで広がって行ってしまうため、あえて恣意的に話を「今ふう」にしてみました。
ヘクサコルドをもとにして分かり易い「音階の考え方」を説明なさっているかたを存じ上げておりますので、可能であればいずれそのご記述を転載させて頂きたいと思っております。

数(すう)としての音楽の話は、さらに古代ギリシア風幾何学的な発想を理解した上で拡大して行く必要があります。次の機会にはそちらへ視野を広げて行きたいと存じます。・・・すると、話が必然的に「自然数」<「整数」<「有理数」の範疇ではおさまらなくなって行きます。

またちょっと勉強します。



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