20世紀以後の音楽

2013年2月23日 (土)

【実験工房】大井浩明さん「POC」第15回紹介:聞き書きつくばタイムス・ドッピオ

演奏会そのものを私は拝聴出来ず残念でした。たいへん充実した会になった様子がツイートから確認でき、よかったなぁ、と思っております。

http://ooipiano.exblog.jp/19277696/

先日(19日)つくばタイムス・ドッピオでのインタヴューは拝聴出来、その場でツイッタに打ち込みをしたのでしたが、不十分でした。
そうしたら、毎度のご好意で、録音したものを聞かせて下さった方がいらっしゃいました。
まいど、貴重なお話なので、ツイートの時より少し細かく聴き取りをさせて頂きました。
録音を聴かせて頂いたことに、心から感謝申し上げます。

ラヂオつくばのネットでの聴取方法
http://radio-tsukuba.net/modules/tinyd0/index.php?id=21


POC第15回は「実験工房」の特集。(2月22日金曜日、代々木上原 けやきホール 18時開演)
鈴木博義、佐藤慶次郎、武満徹、福島和夫、湯浅譲二の作品。

電話でのインタヴュー

1年目は日本人作曲家ばかり、2年目はいわゆる戦後前衛の主立った方に韓国人作曲家4人。3年目の本年も外国人ばかりだったので、日本人をとりあげようとなると実験工房。

彼等はアカデミズムから遠く離れ、作曲をほぼ全員独学。長く独学だった大井さんも個人的にある種の共感をもっている。てさぐりでいろいろなことを試みた。戦後かつアカデミズムに縁がなかったので情報も資料もない状況だった。大井さんも地方で図書館に行ってもLPを貸してもらえなかった。

日本の作曲家でジョン・ケージに対応するならば50年代の実験工房がふさわしいということでもあった。多摩美大で行なわれた佐藤慶次郎さんの展覧会「ものみな光る」はもとはケージのEvery thing is expressiveからきている。佐藤さんは「ケージに聴取の方法、作曲とはなんぞを教わった」と仰っているが、教わったとたんに作曲活動をやめたようなものだった(以後も続けていた・・・今回とりあげる「如何是」〜シーケンサに打ち込まれた、目印に過ぎない楽譜、1泊ごとにテンポが変わる非常に複雑な作品。生演奏でやると、この人は30年経ってこんなふうになったのか、という面白い感じ)。

実験工房の活動期間は比較的短期間だったが、集まった独学者たちが手探りでメシアンを写譜したりしながら作曲を始め、何人かは50年代、60年代、70年代に世界的成功をおさめるかたわら、おさめたあとで作曲をやめ違うことで実験を始めたりする面白いグループだった。

鈴木博義さんは劇判音楽を除くと25歳以降は何も作らなかった。
佐藤慶次郎さんも40歳前でやめ、福島和夫さんも40歳を過ぎて作曲をやめて違う分野で探求。
一方、武満徹さんと湯浅譲二さんは半世紀以上作曲を作曲を続けた。

それぞれのトピックスと大井さんの個人的な出会いについて。

冒頭に演奏する鈴木博義さん以外の4人は直接おはなししたことがある。同人の園田高弘さんにもお世話になり、実験工房に親しみを覚えている。

鈴木博義さんは早くに作曲をやめたが、22歳の時に書いた2つのピアノ曲の譜面の所在を遺族に伺ったら、70歳過ぎた鈴木さんがFinaleを使って書き直した最終版の提供を受けたので、これを使う。理系出身者でもなかなか使いこなせないFinaleを使ったことに「さすが実験工房」との感慨。

佐藤慶次郎さんとは亡くなる3年前にあう機会があった。「ピアノのためのカリグラフィ」のリハーサルをことこまかにして頂き、公開演奏に臨席していただいて、カリグラフィの自筆譜や、出版譜幾つかのヴァージョンの差異についての質問を聴いて頂いたりした。作曲家を早々にやめた結果、半世紀前の息吹きを鮮明に記憶していて、直話をきける貴重な体験をした。ひとつの強弱を決めるのにいかに苦しんだか(「そこは悩ましいところだ」)、ヨーロッパ前衛の人なら「忘れた」とかセリー表のマトリクスを持ち出して「理論通りに書いている」というだろうところを、非常に正直に言って下さった。彼が非公開で作り続けていたコンピュータ音楽を生演奏で弾く。(「如何是」第9番)

武満徹さんは、大井さんが90年代に個展を3回やった。そのときに文通。直接会った時に、図形楽譜の「コロナ」をどう弾くのかを伺ったりした。40年前のことで、「コロナ」については武満さんは忘れていた。初演者の高橋悠治さんはけっこうはっきりした答えを言っていた。人は忘れるものだ。武満さんはその後作風がたくさん発展して行った。武満作品は2月あたまに京都でチェンバロ作品を含め全部弾いたが、いまみて大きな展望をもてるようになり、同時代のいろいろな作曲家の位置から、武満氏はここでこういう影響を受けたのでこういうオリジナルも出来た、と分かって来た。

福島和夫さんと湯浅譲二さんは(ご高齢になられて)「たいへんに」お元気。
福島さんは上野学園在職。お会いして、バッハのクラヴィコードのCDをお見せしたら、「このクラヴィコードはどのモデルを使っているか」と最初に聞かれ、クラヴィコード話で1時間盛り上がった。1960年代初頭(古楽黎明期)にすでにクラヴィコードに大変興味を持っていたが、実験工房や現代作曲界ではその興味は一切共有されないままで来た。上野学園や桐朋の古楽器科の創設には大きく関わっておられた。作曲を70年代後半でやめ、以後、東洋・日本音楽史の探求をしてきた(論文百数十本)。「ここにクラヴィコードがありますよ!」と研究所の3階まで階段を駆け上がる、ビックリ元気な83歳。彼の作品を沢山初演したマデルナ、ガッツェローニ、カニーノ(大井さんのピアノの師)の話題(ウラ話含む)でも盛り上がった。今回はヴァイオリン音ために書かれた「途絶えない詩(うた)」、アルトフルートとピアノのための「エカーグラ」を福島先生の許可を得てオンドマルトノで演奏。ストラヴィンスキーが1959年に来日した時、音源を聞いて誉めたのが、武満「弦楽のためのレクイエム」と福島さんの「エカーグラ」だけだった。ストラヴィンスキー自ら「エカーグラ」アメリカでの初演を手配、国際的デビュー。福島さんはダルムシュタットの夏の講師に招かれ、現代音楽と能についてのレクチャーをした。大井さんは、ヨーロッパでは福島作品は確実にずっと演奏され続けていると実感している。

湯浅譲二さんは今年84歳。今回は最初期(デヴュー第2作)の「スリースコアセット」、ピアノの代表作(ピアノと電子音響のための)「「夜半日頭」に向かいて -世阿弥頌-」を演奏し締めくくりとする。大井さんが東京で初めてピアノを弾いたとき客席にいらして下さり、オーケストラのインスペクターが大井さんに「現代音楽をやるなら君も武満さんや高橋さんのように痩せていなければならないのでは」と言ったら、真横にいた湯浅さんが「僕もずっとそう思っていたんだけど、でも、フェルドマンがいるから」と言ったのが忘れられない。(今回の演奏では)湯浅さんの作風が5年ごとに激変する感じが分かってもらえると思う。

オンドマルトノはこのころの実験工房のモデルであった初期中期のメシアンが非常に愛した楽器で、福島さんや湯浅さんに伺うと「憧れの楽器であった」。鈴木博義さんがオンドマルトノとオーケストラのための「モノクロームとポリクローム」を書いたが、当時日本にオンドマルトノがなかったので、別の楽器(クラヴィオニ?)で代用された。福島さんは「エカーグラ」でのフルート部オンドマルトノ代用を快諾。「コロナ」も複数の鍵盤楽器推奨なのでここでも使える。佐藤慶次郎さんの「如何是」のずっと強いすさまじい高音フルート音はずっとフォルテでピッコロでも無理なのでオンドマルトノの出番。当時はなかったが、あったら使っただろうオンドマルトノをイマジナリーにしてみる。

今回オンドマルトノを提供頂く尾茂直之さんは浅草に工房とカフェをもっているが、数奇な人生を送っている(笑)のでカフェを訪ねてみてほしい。「オンドマルトノ カフェ」で検索すれば出て来る。オンドマルトノに人生を賭けている。2年前にシュトックハウゼンのクラヴィア曲を初演したときもオンドマルトノを使わせて下さった。

大井さんの現代音楽活動の原点、京大のピアノ・室内楽サークルの音楽研究会に大井さんが1年で入った時経済学部6年でいたのが河合拓治さん。彼が大量に現代音楽の譜面と音源をもっていて、クセナキス「エヴァリエリ」の楽譜を見せてもらった時に大井さんは虫酸が走ったのをよく覚えている。河合さんはその後東京芸大大学院楽理科に。大井さんもオルガン独奏作品、歌とピアノの曲を頼んで来た。共演は今回初めて。河合さんはここ数年現代音楽の演奏も活発。佐藤慶次郎さん「如何是」の強度を言わなくても出せたり、「コロナ」の図形楽譜を平然と弾ける人は限られてくるので、やはり河合さんにお願いしたいということだった。
「如何是」ではフルートのパートをオンドマルトノで大井さんが、ピアノパートを河合さんが弾く。

このPOCシリーズは、京大の音楽研究会の創始者でもある松下眞一を2年前にとりあげたが、実験工房の同人である佐藤慶次郎さんや福島和夫さんは国内国内の同じ場で作品を発表していた。

この3年15回やってきたPOCは今回でひとくぎりで、ひとまず休止。来年度は違うことをやる。そのあとまた続けるかもしれない。

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2012年10月 7日 (日)

ラッヘンマン/ホリガー(大井浩明さんPOC#11に足を運んで)

10月4日(木)は、楽しみにしていた、大井浩明さんのPOCシリーズ#11でした。
私が拝聴するようになってからは3つめのシリーズです。

20世紀後半を彩って来た、あるいは21世紀のこれからを彩っていく人たちの作品を公汎に採り上げる、たいへんに価値の高い試みです。
一昨年の#9は日本の新旧作曲家たち、昨年の#10は前衛第1世代の人たちが中心でした。
今年は前衛第2世代の特集だそうです。

前衛と呼ばれるものの面白さは、常識として馴染んでいるのとは違うアイディアから紡ぎ出されるものが与えてくれる新鮮な衝撃の渦に巻き込まれること、精神のジェットコースターの激しい緩急に身を任せられることなのかなぁ、と、最近、漠然と思っています。美術においてもそうですし、文学においてもそうなのではないかと思います。

そうしたなか、体に直接ぶちあたってくる振動がある音楽は、もっとも衝撃が強いものだと感じます。もちろん、ほんとうにジェットコースターのように急速な揺さぶりを与える場合もありますが、音楽の場合は、持続する印象の強烈さの点で、精神に突き刺さってくるものはもっと鋭敏で深いものだと言えるでしょう。

長いこと、普通に耳にすることが出来るクラシックジャンルだけで満足していた私にとっては、ひょんなことから覗き込んだPOC(Portraits of composers)は、たいへんな驚きでした。この出会いの少し前まで、ショスタコーヴィチのような「古典的」作品でさえ幾分拒否する体質だったのですから、なおさらです。

でも、いまでは、前衛と呼ばれる作品を耳にすることに、ある種の爽やかな気分を感じるようになりました。

他にもたくさん、すぐれた演奏者のお取り組みはあるのでしょう。
しかしながら、私にとっては、平凡な感覚からすれば正体不明な作品であっても、どんなお客に対してでも作品のフォルムをはっきり示してくれる、大井浩明さんという希有な導き手を得て、初めて得られた感覚です。五十過ぎて、こんな新鮮な体験が出来る機会が来るとは、以前は想像もしていませんでした。

大井さんの聴衆としては、私はたぶん最もど素人です。で、自分の感じていることが、ほんとうに他の素人にも面白いのかどうか、と思って、大井さんのPOCには、あるいは自分の子供たちと、あるいは大切な友達と、と、やっぱり自分同様にど素人の同行者を伴います。
連れて行った連中が、異口同音に
「面白い!」
と、必ず目を輝かせてくれます。自分の感覚がきちんと裏打ちされる瞬間です。こんな嬉しいことはありません。

#9の日本の作曲家、#10の第1世代となると、周辺の一般的な音楽が好きな人たちでも、名前を知っていたり、ファンだったりしました。(少なくとも松平頼則とクセナキスについては造詣が深い文学系の先生がいらっしゃいました。また、松下眞一については、生前の強烈な個性が私の身近な音楽関係者にも譜の印象を残していて、作品の普及はそうした感情の浄化を経て後でなければ実現が難しいのだろうか、と考え込まされた局面もありました。日本の中堅世代の作曲家さんたちについては私自身まったく疎く、頼もしい印象を受けたことも、たぶん死ぬまで忘れられません。)

今回の第2世代となると、どうなのでしょう? 他に彼らの先駆者としてのジョン・ケージ(生誕100年)、日本人ならば前衛を知らずともある程度知られている実験工房の作品も枠のように嵌めながらのシリーズになるわけですが、ツウでなければ「え? 誰?」という存在も中にはあるのではないでしょうか? でも、これまた大変興味深いものになる、と、私は確信しています。

以下、素人感想です。

第1回はヘルムート・ラッヘンマン(1935生)とハインツ・ホリガー(1939生)の特集でしたが、まずホリガーさんについては、マニアックではないクラシック好きにとってはオーボエ吹きとしては知られていますが作曲までとなると知りません。ラッヘンマンさんは日本人に教え子もいるようですし、何より奥さんが日本人ですが、現代音楽ファンでないと、まずその存在を知らないのではないでしょうか。ヨーロッパにおいては若い世代に大きな影響力を持つ存在でありながら、しかも日本と深い縁を持っていながら、極東ではまだまだ浸透していない音世界を作っている人たち、ということになるかも知れません(訳書ではありますが、いまもっとも目立って売られている現代音楽関係書籍のひとつ『現代音楽キーワード事典』には、8歳年下のファーニホウについては記載されているのに、何故かラッヘンマンの名前は一度も登場しません)。

18時の開演・第1部開始時間には間に合わず、受付のかたのご好意で第1部最後の「ギロ」(ラッヘンマン、1970/88)から聴くことが出来たのでしたが、ラテン・パーカッションとして有名な楽器ギロを、ピアノで模したこの作品は、立体感があるうえに内容がシンプルで、愉快でした。手元は見えなかったのですけれど、大井さんが先にラジオで解説していたお話によりますと、この作品は
「ピアノの普通の鍵盤奏法を一切禁止、ピアノの表面を爪でかたかたこする。楽譜にすべて指定してあり、白鍵の前、上、黒鍵の上、鍵盤の斜面などをさまざまな爪の裏などで弾き分けるようになっている。」
とのことで、要はまともにピアノの鍵盤を叩くことが一度もない。こんなピアノの使い方もあるのですね。そんな甘いもんかどうかは知りませんが・・・そうか、これなら、ベートーヴェンとかリストとかショパンとか弾けなくても、ピアノを弾けるかもしれない!(でも録音はピアニストさんがなさっているんですよね。)

第2部でラッヘンマン、第3部でホリガー、それぞれの「こども」を題材にした小品集と、最近の大作を聴かせて下さいました。

ラッヘンマン「こどものあそび(7つの小品)」(1980)はラッヘンマンというひと独自の叙情性があって、完成度の高さに感銘を受けました。たとえば第2曲「冷たい月光に照らされた雲」は、ピアノの特性を活かしている点ではロマン派的な作品が採り上げ続けた月の光の延長の精神を感じさせてくれるものの、「雲」の方に着目しているのがはっきり聴き取れる静的なもので、決してきらきらし続けません。むしろ、雲の陰がじっと動かずにいるところに、薄くなったところや切れ目から突然に強烈な光が胸を射る。他の小品も併せ、このひとは意外に絵画的な作家さんだなぁ、と思わされました。

そうした感触がもっとも強烈だったのが「セリナーデ Serynade」(1998/2000)です。セレナーデの綴りをわざと「y」に間違えたのは、奥さんに対するのろけ(YukikoさんのYなのです)で、しょうもないなぁ、なのですが、鳴り始めは(大井さんはラジオで「シューベルトやブルックナーのようにわりと茫洋と始まる」と仰っていたにもかかわらず)前衛慣れしない私には土管母艦と聞こえて来て
「なんや、セレナーデちゃうやんけ」
でして・・・まぁ、セリナーデ、だから違うんですが・・・じき、庭や公園でやる花火のようにぱちぱちと音が噴水のように散る。
ふたをあけてみると、そのあとがミソで、散った音の光のひとつが、だんだん太い虹のように反響を始めて厚ぼったくなったかと思うと、また端からはかなく消えていく。かあちゃんに、先にしかめっ面とかチャラチャラ顔とかしておきながら、それとなく、いちばんシリアスな愛の告白をしてみせて、それが彼女の重みにならないように、またそっと、かあちゃんに背を向けて窓を開けて見せたりしているんです。
「しゃれたことをする、キザな爺さんだな」
と思っちゃいました。1998年だと、63歳になってたんでしょう?
あの、厚ぼったくなっていく部分は、大井さんの体格がないと、ちょっとあれだけの圧倒感は出ないかな、と、率直に思いました。

ホリガーさんが来日中で、この日わざわざ臨席なさっていました。これはサプライズでした。
その面前でのホリガー作品の演奏が続きました。
まずは「こどものひかり」からの4曲抜粋。ラジオで演奏したものは入っていなかったので、ラジオも拝聴しておいて良かったです。
ラッヘンマンの「こども」に比べるとシンプルで無邪気で、そのぶん全体が平易でした。
最後の「ウサギとハリネズミ」は童話素材のスイス方言セリフ入りなんですが(中身は私なんぞには分かりません)、こういうのやってるときの大井さんは、演奏会の(終わってアンコールにはいる時とかは見られるんですが本番プログラムの)中では滅多に見られないコミカルな動きで、このまんま寄席にいってもいいくらいですが、そのときはネタは変えないといけないでしょうね。楽しゅうございました。
「パルティータ」(1999)は、第4曲第6曲は内部奏法です。内部奏法については大井さんが雑誌「CHOPIN」10月号(リンク貼ってます)に見開きの入門記事を執筆なさっています。現状、内部奏法禁止のホールが圧倒的に多くて、これを伴う作品の演奏が非常に困難な日本なのだそうですが、鍵盤を普通に弾くだけでは出てこない、きれいで不思議な味わい(それを分かりやすくアピールしたいからこそ、ホリガーさんは第4曲第6曲に「スフィンクス」というよく知られた表象のタイトルをおつけになったのかもしれませんが・・・日本だけの事情からの類推になってしまうから、これは違うんでしょうね)を耳にすると、雑誌記事が静かな起爆剤になって、内部奏法が広く可能になればいいな、と願わずにはいられません。
「パルティータ」は終曲のシャコンヌも大きな曲ですが、第1曲「前奏曲(内なる声)」第2曲「フーガ」の造型が、私には抜きん出て面白いものでした。「内なる声」はペダルを踏みつづけることから生まれるピアノの中の残響(でいいのかな)を豊かに聴かせるのが勘所なのでしょう。不協和音の強打の合間に、この残響が静かに静かに、、後期ロマン派風の厚みを徐々に増して耳を圧倒していくのでした。「フーガ」は大井さんのくっきりした造型で、ロマン派が模したバロックを聴く味わいでした。

古典でも造型の見事さを発揮する大井さん、第1部でのラッヘンマンの「シューベルトの主題による変奏曲」(1956)も聴きたかったなぁ、と思っています。
初期作ながらシューベルト作品の中でもアンバランスさが際立つ素材をすでにラッヘンマン一流の不均衡への発展を存分に味合わせてくれる、原点なのですよね。しかし3時間必須のプログラムですから、18時開始はやむを得なかったところです。

次回11月15日(木)は19時開演です。ジョン・ケージの「易の音楽」が聴けます。

ついでながら、来日中のホリガーさんは6日に新日本フィルを指揮してシューマンの交響曲の他に自作も披露し大変好評だったようです。7日(今日)は横浜で(終了)、8日(明日)は、すみだトリフォニーホールで、それぞれ古典の合間に自作室内楽も演奏なさいます。ご成功をお祈りしております。
(演奏会情報)http://robert-schumann.com/novelletten/news.php?itemid=2046

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2012年1月22日 (日)

1月29日、シュトックハウゼンのピアノ作品まとめ聴き!:大井浩明さんPOC今シリーズ最終回

ここんとここればっかですが(ちと息切れと要再勉強)、今シリーズラストであります。
お聞き逃しありませんように!
メトロ代々木公園駅出口1から出たら目の前の道を左に行きます。
わりとすぐ広い通りに着き、その左向こうにファミリーマートが見えます。
そこの(右手の)歩道橋を渡れば目の前右方向です!

1月29日(日)17時30分開場、18時開演です。
シュトックハウゼンとは何者だったのか、を再確認する絶好の機会です。

Hakuju_2
地図部分を選んでケータイのボタンを押すと、出来るだけの拡大図で見られます。

千代田線「代々木公園駅」出口1から歩5分
小田急線「代々木八幡駅」南口から歩5分

路線検索(Yahoo!モバイル版)
http://trans.mobile.yahoo.co.jp/
PCからだとPC用検索画面が開きます。

【問い合わせ先】
(株)オカムラ&カンパニー
  tel 03-6804-7490 (10:00~18:00 土日祝休)
  fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com

 〈前売〉 学生2,000円 一般2,500円

 〈当日〉 学生2,500円 一般3,000円

今回の曲目解説(大井さんのブログから)

■ 野々村禎彦氏寄稿「シュトックハウゼン素描」


以下、大井さんのブログから転載。関連記事も貴重です。ご一読下さい。

【ポック#10】 シュトックハウゼン(1928-2007)
 歿後5周年・初期クラヴィア曲集成


2012年1月29日(日) 午後6時開演 (午後5時30分開場) 白寿ホール 
大井浩明(ピアノ) 有馬純寿(電子音響)

クラヴィア曲 I (1952)
クラヴィア曲 II (1952)
クラヴィア曲 III (1952)
クラヴィア曲 IV (1952)
クラヴィア曲 V (1954)

クラヴィア曲 VI (1954/61)

クラヴィア曲 VII (1955)
クラヴィア曲 VIII (1954)
クラヴィア曲 IX (1954/61)

★クラヴィア曲 XVIII 《水曜日のフォルメル》(2004、日本初演)(シンセサイザー独奏)
クラヴィア曲 XI  (1956)
クラヴィア曲 X (1954/61)

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■ 12/23韓国特集公演/伊藤謙一郎氏寄稿 ( 2011-12-15 22:10:00 )

シュトックハウゼンはご存知の通り音楽について過去最大の賛否両論の渦を産み出した人です。それを「鬼才」と呼ぶか「偏人」と呼ぶかは、音楽に対して個々人が持っている(言葉は悪いかも知れませんが)「先入観」に大きく左右されると思います。彼自身はどういうプロセスで音楽を考え、見つめようとしていたのか・・・
Stockhausen それについては、お詳しい方は既にご存知の書籍『シュトックハウゼン音楽論集』で日本語訳で読むことも出来ますので、聴くのに準備がいる、とお考えの方は、とくにこの本の二つの章・・・「ヴェーベルンからドビュッシーへ」と「発明と発見----形式生成のために」をお読みになられることをお勧め致します。今回演奏されるクラヴィア曲Ⅰについて彼自身が記した「群の音楽 『ピアノ曲Ⅰ』リスニングガイド」の章もあります。クラヴィア曲XIについては
「…いかに時は過ぎるか…」151頁以降に記載がありますけれど、この文章自体が非常に興味深い20世紀同時代リズム論になっています。

最近つらつら思うのは、20世紀のリズムや音色についての脱伝統的価値観の試みは鍵盤楽器主体で構成されたうえに、黎明期によくある難解さに包まれていて、弦楽器や管楽器の機能の問題までには収束され尽くさなかったのではないかなぁ、なることなのですけれど、そうした部分はいまだに「古楽」のほうからの補強に依存していて、ロマン派以降の伝統的(!)価値観からは<断絶>とのレッテル貼りをなされることから脱していない気がします。
これは、音楽の世界全般なんか全然見通せない私ごときにはとうてい捉えられないことですが、昨年の大井さんのシリーズで採り上げられた日本の作曲家さんたちの動きなどはかなり身体論的なものを焦点にしていました。
こうした動きはいずれある種の市民権を得られるものにまで成長して行き、20世紀前衛と呼ばれた音楽家たちの世界が「音楽史」の中で正統に位置づけられる日も必ずあるだろう、と考えている次第です。
いま私たちの目の前にある、今シリーズで大井さんが採り上げた作曲家たちの残したものは、人間の営みという視点から行けば、一般書籍が無反省に叫び続けているような「断絶」では決して無い、と信じております。

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2011年12月17日 (土)

今シリーズの目玉!大井浩明さん「POC:韓国特集」12月23日(祝)

毎度の地図でございます。
メトロ代々木公園駅出口1から出たら目の前の道を左に行きます。
わりとすぐ広い通りに着き、その左向こうにファミリーマートが見えます。
そこの(右手の)歩道橋を渡れば目の前右方向です!

12月23日(祝)17時30分開場、18時開演です。
韓国作曲家の作品特集は、日本では希少な機会ではないでしょうか?
今回は、お運び頂くこと自体に大きな価値があるはずです。

Hakuju_2
地図部分を選んでケータイのボタンを押すと、出来るだけの拡大図で見られます。

千代田線「代々木公園駅」出口1から歩5分
小田急線「代々木八幡駅」南口から歩5分

路線検索(Yahoo!モバイル版)
http://trans.mobile.yahoo.co.jp/
PCからだとPC用検索画面が開きます。

【問い合わせ先】
(株)オカムラ&カンパニー
  tel 03-6804-7490 (10:00~18:00 土日祝休)
  fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com

 〈前売〉 学生2,000円 一般2,500円

 〈当日〉 学生2,500円 一般3,000円


以下大井さんのブログから引用:
【ポック#9】 韓国現代ピアノ作品を集めて

大井浩明(ピアノ)、有馬純寿(電子音響)

曲目解説記事:http://ooipiano.exblog.jp/17209183/
開催案内記事:http://ooipiano.exblog.jp/17209022/

■尹伊桑(ユン・イサン 윤이상)(1917-1995)
 5つの小品 (1958)、小陽陰(1966)、間奏曲A(1982)

■朴琶案泳姫(パク=パーン・ヨンヒ 박-파안 영희)(1945- )
波紋(1971)、のどの渇き(2008)

■陳銀淑(チン・ウンスク 진은숙)(1961- )
 ピアノのためのエテュード集(1994-2003)
 (初版+改訂版 全曲による通奏世界初演)
 
   I.インC (初版+改訂版)
  II.連鎖 (初版+改訂版)
  III.自由なスケルツォ (初版+改訂版)
  IV.音階 (初版+改訂版)
  V.トッカータ ~大井浩明のために
  VI.粒子 ~P.ブーレーズのために


■姜碩煕(カン・ソッキ 강석희)(1934- )
ピアノ・スケッチ(1968)(日本初演)
アペックス(1972)(日本初演)
インヴェンツィオ~ピアノと電子音響のための(1984)(日本初演)
ソナタ・バッハ (1986)


今回は今シリーズの最大の注目回だ、と思っていたのに、自分のアマチュア活動が絡んで伺えないので、悔し紛れに蛇足を綴っておきます。

現在あるいは近過去の音楽は、どうしても政治・社会的な色眼鏡抜きには聴けなかったり語り得なかったりします。このことに違和感を持つかたも、まだまだ少なくありません。
しかし、それはもう安心して享受されている過去の音楽も本当は通ってきた道です。
音楽作品は、冒険をしなければそのような「地位」を獲得できないのだとも言えるのでしょうか?
私的にはちょっと違ったふうに思っていて、冒険により淘汰を受けた作品が宝石のような価値を得て輝いて行くのだと信じております。
21世紀初頭の今は、同時代音楽は種類を超えてなんらかの社会的メッセージ性を作者が付す場合もあり、作者がしなくても受け手がそうする、なる傾向が、過去50年の中で最も色濃い時期であるような感触も持っております。
だからこそ、お聴きになるかたの価値観はさまざまでも、ついには<この響き>の中に、これからの私たちの大切な宝石になるはずのものに、しばし心を空にして耳を傾ける意義は非常に大きいと言えるはずです。

現代音楽は日本では作者ご本人・作者を支持なさる方が企画なさって演奏会を催すほうが圧倒的に多いのではないか、というのが素人の私の認識です。それが誤っているならお詫び申し上げるしかありませんが、このように認識している私からは、大井さんの試みはいつも全く違う・・・ご本人のある意味押しとこだわりの強いキャラクターから持ってしまう先入観とは正反対に・・・、いまご自分に可能な限りの巨視的な取り組みをなさろうという、「特定」性の薄い企画展開をなさっているように見えます。
1回1回が濃いので目くらましされますが、大井さんの内的活動の中では、それは相互に関係を持って、たぶんご自身にもつかみきれないほどの大きな独自世界を形成させて行っているのだろうと感じております。

このたびお採り上げの作曲家の中では私は偶然にウンスク・チンさんのCDを何も知らずに入手し、芯が強いながら艶やかでもある不思議な響きに驚いて、しばらく聴き入っていた時期があります。現代音楽にお詳しい方のあいだでは行き渡ったお名前のようなのですが、個人的に、もっともっと一般的な知名度があってもよい、作品が普及してもよい作曲家さんだと信じております。

日本と深い関わりを持ち続けて来たにも関わらず、ふつう日本人がそれを知らずにいる韓国作曲家の世界に、ここいらで私たちはもっと踏み入り、理解をしていくことは、大変な重要事ではないでしょうか?
それがまた、大井さんが去年展開したシリーズで紹介された日本の作曲家たち、今年のシリーズで紹介されているクセナキス・リゲティ・ブーレーズ・シュトックハウゼンら、それぞれの点と点を結ぶ線、それにより描かれる面、への私たちの気付きへとひろがりますことを心から願っております。
さらには、気付きによって得られた面への認識が、私たちの中に新たな空間を形成して行きますことを、とても期待しております。

ともあれ、お運び頂いたかたのレポートがこんなに心待ちされる回はありません。

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2011年11月21日 (月)

11月23日(祝):大井浩明さんPOC#8  ブーレーズ全ピアノ作品演奏会

もはや、地図を載せるしか能がありません。
すでにシリーズを堪能なさっているかたには用済みですね。(><)

11月23日(祝)17時30分開場、18時開演です。

Hakuju_2
地図部分を選んでケータイのボタンを押すと、出来るだけの拡大図で見られます。

千代田線「代々木公園駅」出口1から歩5分
小田急線「代々木八幡駅」南口から歩5分

路線検索(Yahoo!モバイル版)
http://trans.mobile.yahoo.co.jp/
PCからだとPC用検索画面が開きます。

【問い合わせ先】
(株)オカムラ&カンパニー
  tel 03-6804-7490 (10:00~18:00 土日祝休)
  fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com

 〈前売〉 学生2,000円 一般2,500円

 〈当日〉 学生2,500円 一般3,000円

 3公演券 一般7,500円 学生6,000円

今回は、私たち普通のクラシックファンには指揮者としての印象が強いピエール・ブーレーズの全ピアノ作品演奏です。最近作(2005年)まで網羅しての演奏を聴くチャンスは希少であろうと思います。

大井さんのブログに掲載された野々村禎彦さんのエッセイ「ブーレーズとは何だったのか」は実に刺激的ですので、ブーレーズの作品を耳にしたことがある方も無い方も(そして私はほとんど後者なのですけれど)、このエッセイを下敷きになされば、「考える」大切さを知る貴重な回となるのではなかろうかと思います。

http://ooipiano.exblog.jp/17114030/

曲目解説はこちら・・・と言いたいところですが、いまのところ大井さんのブログに掲載されていません。待ってたのですが、「いらない」のかもなぁ。。。

とにかく、またも目(耳)が離せない、面白い回になりそうです。大井さんの一末端ファンとして、幅広い皆様にお聴き頂けますことを期待しております。

昨年の日本人作品シリーズが稔り豊かだったこともあってでしょう、今シリーズは大手新聞数紙や「音楽の友」誌(9月号)がインタヴューを掲載したり、先行するクセナキスとリゲティの回については月刊「新潮」12月号(佐々木敦氏連載「批評時空間 第十二回・音楽の外について」)・・・ありゃ、どこにしまい込んじまったかなぁ!・・・に採り上げられるなどしています。大変喜ばしいことですし、「いわゆる現代音楽」の演奏(私のようなずぶの素人が、言葉の印象よりそれが遥かに多彩なことを体感出来たのも、すべて大井さんのおかげなのですが)、世界や日本の今の創作世界に対する一般の関心が高まる契機になってくれれば、と祈ってやみません。

23日の曲目は次の通りです(大井さんのブログより転載)。

《12の徒書(ノタシオン)》(1945)
《フルートとピアノのためのソナチネ》(1946、※)
《第1ソナタ》(1946) (全2楽章)
  Lent /Beaucoup plus allant - Assez large /Rapide
《第2ソナタ》(1948) (全4楽章)
  Extrêmement rapide - Lent - Modéré /presque vif - Vif
《第3ソナタ》(1956~57)
  “Sigle”
  “Tropes” [Texte - Parenthèse - Glose - Commentaire]
  “Constellation-Miroir” [Mélange - Points 3 - Blocs II - Points 2 - Blocs I - Points 1]
《内挿節(アンシーズ)》(1994/2001)
《日めくりの一頁》(2005)

こちらのリンクも是非お目通し下さい。
★9月23日クセナキス公演の感想集 http://togetter.com/li/191754
★10月23日リゲティ公演の感想集 http://togetter.com/li/203576
★POC2011関連のリンク http://ooipiano.exblog.jp/i9/

あ・・・ご共演(フルートとピアノのためのソナチネで助演)の寺本義明さんについてひとことしなければいけないのでした!

って、世事に疎い私は何事も知らないのですが。
京都大学は第二次世界大戦前から音楽の世界に何人もの異才を出しているのは周知のことでしょう。現在では大井さんもそうですが、寺本さんはさらに先輩で、京大在学中に日本管打楽器コンクール第1位を獲得、すぐに名古屋フィルから白羽の矢を立てられたと承っております。
京大で学生指揮者をなさっていたときからスコアの巧みな読み手でいらしたそうで、プロオーケストラや独奏者としてのご活動と合わせ、アマチュアオーケストラを指揮しご指導に当たっていらっしゃる由。
今回は非常に楽しみな顔合わせです。

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2011年11月19日 (土)

【音を読む】いっそ絵にしてみる~メシアン「鳥のカタログ」第1曲

初歩の「十二音」簡単なバランス崩し同じものをつかいまわす伸ばして重ねる畳んで開く


スキャナを使っていませんし、まともなデジカメもいま持っていません(子供たちに取られた【泣】)ので、ケータイで撮ったらピンボケ画像ばかりになりました。お許し下さい。

図柄になる楽譜の・・・手っ取り早いのは図形楽譜でしょうが、そうではないものとして・・・サンプルに、このまえはまたもウェーベルン作品を取り出してみたのでした。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-90f8.html

「いや、図を描くくらいならいっそのこと音の絵を描こう!」
とでもいえる試みをしたのが、オリヴィエ・メシアンの『鳥のカタログ』だ、ということにしておきましょう。

その最初の<絵>を眺めてみます。

00chocarddesalpes

・・・あ、これはメシアンの描いた絵ではありません。@MasakiKawamura

作曲家ですから、音で絵を描いたんですね。

こんな感じ。
←クリックで聴けます。(*1)

ウゴルスキというピアニストさんが録音したCDの日本語盤には、石田一志さんと村上美佐子さんがタイムテーブルに沿って絵の中身をまとめて下さったリーフレットがついていました(*1)。
これの大枠を引用させて頂き、楽譜例を幾つか掲載して、目で確かめてみましょう。上の演奏を追いかけながら、音も対応をとってみて下さると、よく分かると思います。

00"00 ラ・メージュの氷河への登り

01montant

以下、岩場を表すときは、これと類似のセットが出てきます。(A)(*2)

00"58 キバシガラス(の叫び声)・・・最初の絵の鳥です。

02chocarddesalpes1
03chocarddesalpes2

・・・こんな声で鳴く鳥なんでしょうか?(B)(*3)

01"22 イヌワシの飛翔(「音も立てずに堂々と」!!!)(C)(*4)

01"53 ワタリガラス(の、しゃがれた獰猛な鳴き声、だそうです)

07grandcorbeau2

05grandcorbeau1

・・・キバシガラスとは別なので、上下ともヘ音記号すなわち低い音域を使って、ちょっと音の色分けをしてあります。(D)(*5)

02"12 キバシガラスの飛翔(横滑りや宙返りや急降下)(E)(*6)

06vif

またキバシガラスが鳴いて(B)・・・(*7)
ちょっと洒落た鳴き方もしてみます。

03chocarddesalpes3

・・・基本の鳴き声(B)に比べて見た目もスッキリ(F)

で、もう一回飛び跳ねます。(E’)

02"52 また岩場が来て(A’)
サン・クリストフ山、だそうです。

04"28 キバシガラスは基本の鳴き方がひっくり返って(B’とでも言うべきでしょうか)

04"57 イヌワシさんがまた飛んで・・・と思ったらキバシガラスさんが悠々と、なのでした。

04ascension
・・・ここ、16分音符ですけど、とてもゆっくり。16分音符にしたのは、鳥の飛翔のあとを飛行機雲みたいに見せるためなのかしらん? (C’)

05"36 したらばまたワタリガラスがわめきます。(D’)

06"13 以降、またまたキバシガラス君の活躍。(B”)(E”)
・・・いい声の別ヴァージョン、「もっといい声」が出てきますが画像載せてませんスミマセン。

07"27 最後はまた岩場。(A”)
エクラン山塊・ボンヌ=ピエール圏谷

同じものが繰り返し現れるわけではないのですが、音型で「同じものの絵姿なのだ」と分かりますし、それは音になったときも明確に聴き取れます。

この第1曲が、『鳥のカタログ』の中では、絵としていちばんシンプルだと思っております。

どうでしょう、絵としてイメージできそうでしょうか?

ちなみに、楽譜の表紙にはこんな(目で見る)絵が描かれています。

Picture

音楽のほうの情景の順番をまとめて確認しますと、

(A)(B)(C)(D)(E)ー(B)(F)(E’)

(A’)(B’)(C’)(D’)(B”)ー(E”)

(A”)

という具合になるでしょうか?
これを、それぞれの情景音から受けたイメージに基づいて、視覚的な絵画に置き換えてみることが出来るかも知れませんね。ちょっと、絵巻物的にかなりの横長になるかも知れませんが。
音楽としては響きが古典から逸脱していますけれど、「形式」は上に見た通り、岩場を表すモチーフ(Aの系列がそれ)を枠にしている点、続く鳥の鳴き声や動作を表すセットの順番がほぼ同じように反復して現れる点で、案外古典的なのがはっきり浮かび上がると思います。

『鳥のカタログ』は全7巻13曲で、第1曲はカラス属の声だけだし、まだ作りがシンプルなほうです。2曲目以降にきれいな鳴き声の取りが登場しますから、それをお聴きになってみて下さいね。


蛇足の余談です。

音楽は、良く言われることですが、音が流れてなんぼの世界です。ですから、音で描いた絵なるものは、目で見ることの出来る絵とは違って、一瞬で
「おお、こういう絵なのか!」
なんて捉えることは不可能です。
耳に聴こえた印象を記憶して、そこに視覚イメージその他の経験から
「まぁ、こんなカタチや手触りや色合いだろう」
なる類推を加えることで初めて、音の絵は私たちの胸の中で像を結びます。 で、17世紀から21世紀の今に至るまで、音で絵を描いた(つもりになった)作品はいっぱい出来ました。

ヴィヴァルディの『四季』やラモーの『めんどり』やベートーヴェンの『田園(交響曲)』なんかは有名な例ですね。(このなかで『田園』だけは、な ぜか「標題音楽ではない」つまり「音の絵ではない」と学者さんたちに言われ続けて来ています。なんでそうなるのか私には分かりません。)そのものズバリ 「音の絵」なんてタイトルがついた作品まであります。

けれども、そうした「音の絵」は、だいたい、物語的な要素がくっつくのが常ですから、管弦楽の場合は、だんだんに「交響詩」と呼ばれるジャンルを形作っていたのでしたね。

 

メシアンの『鳥のカタログ』はピアノソロ作品ですし、交響詩にあるような物語性は帯びていません。視覚的な絵だってストーリーがある場合も少なくはありませんから、純粋に絵画的、と言うのは語弊があるかも知れませんけれど、それでも風景画的ではあるかと思います。

 

ではこの音の絵を目で見られないのか、となると、それは可能です、となるわけでして、そうです、楽譜の書き方がやっぱりどこか絵のようなのです(独断)。ただし、絵の具に当たるものは響き具合なので、それは模様から読み取るしか術がない、との話ではありました。


この作品自体は「総音列」ではないでしょうけれど、楽劇におけるヴァーグナーが主観的な要素をリズムと 旋律線で定型的に記号化したのに対し、メシアンは本来具象であるものを準定型的可変リズムと和声とディナミークの総合で記号属とでも言うべき系列的なもの を使用することで描こうと試みているところに、ロマン派音楽に比較した場合・・・ひいてはバロック期に遡っての記号化にはなかった「視点」を持ち込んだ新 奇さ、面白さがあると思います。

楽譜はAlphonse Leduc。

以下、上っ面な読みであることに予めお許しを請いますが・・・

*1:Anton Ugorski(Pf.) Deutsch Gramophone POCG-1751(1994)
日本語盤は現在入手出来ませんが、日本語盤附属のリーフレットが有用です。
   http://www.amazon.co.jp/dp/B00005FI0L
リーフレット中のテーブルの項目は、楽譜にフランス語で書き込まれているものが大半で、あとはストロフ【各曲の前に付いた標題的詩句】から情報を 付加したものではありますが、楽譜は高価なので、鑑賞する際にはとても助かります。なお、同盤には、楽譜の各曲の冒頭についたストロフの翻訳が鳥のイラス トに添えて訳されている冊子もついています。
メシアンの奥さんイヴォンヌ・ロリオが演奏した録音もありますが、輪郭の明確なほうの演奏で引いておきます。・・・なお、音声はモノラル化してあります。

*2:この音型は原則として1小節(2/4拍子)に12音すべてを使用しています。(A')のところでは小節あたり(16分音符を1拍と見た場合 に5拍子や7拍子9拍子11拍子など奇数拍子になるように・・・ただし1音符あたりの速度は4分音符を1拍と見た場合の4倍)の単位を16音ないし20音 に延長しています。その際、小節内で12音を一巡した後は新しいセットを次の小節とまたいで使用しています。(A")も同様です。

*3:キバシガラスの鳴き声の根底アイディアは完全5度と減5度もしくは完全5度同士の累積でしょう(その反転としての各4度音程を含めます)。 それを、上声部と下声部で短2度でぶつけあう作りになっているかと思います。上声部下声部に見かけ上の長2度や完全4度、長6度その他がみられたりします が、これはどこまでいっても見かけ上のものにみえます。これは、鳴き声のパターンが変わっても基本的に変化していないことです。メシアンはこの鳥の鳴き声 成分をそのように分析したということなのでしょうか。

*4:飛翔は、さまざまな3度音程を基本色として、あえて拍節を感じさせたい(それは飛翔が直線ではなくて曲線を描くのだということを主張した かったのかどうか)箇所では、音が低音域にあるあいだは4度ないし5度で上昇したあと3度下降するようにし、高音部に上昇しきると、拍節感を薄めるべく、 5度跳躍の後に2度下降する等により、線をなだらかにしていきます。聴覚絵画的であると言えるかと思います。

*5:ワタリガラスは、キバシガラスよりも狭まった4度ないし3度を使用しますが、*7と同様になる印象を避けるため、ひとつには音域を低めに集 中させ、もうひとつには(リズムパターンそのものは共用しながらも)ワタリガラスよりも細かい音価での動きや刺繍音的パターンへの変更、同一和音の3連続 以内での連打(あとに必ず8分休符が続く)を採用しています。パターンのヴァリエーションはキバシガラスよりも少なくし、骨太の構成にしています。

*6:「横滑りや宙返りや急降下」の表現は、譜づらの如何によらず、拍節的な書法によっていて、リズミカルな印象を意図的に創り出していると考えられます。即ち、とくに最後の登場時にはわざと崩してもありますが、登場箇所すべてで基調として3/16拍子をとっています。

*7:*3参照。なだらかな連打の中に、3度を交えることで、艶なり愛嬌なりを出している、とでも言えるでしょうか?

 

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2011年11月 3日 (木)

【音を読む】まんなかで折って開いてみる(ウェーベルン「変奏曲」第1曲)

初歩の「十二音」簡単なバランス崩し同じものをつかいまわす伸ばして重ねる


15世紀からまた時計を400年ちょっと戻して、ウェーベルンに還ってみます。

(楽譜の不揃いなのはお許し下さい。ソフトの使い方に不慣れでヘタでありながら、あんまり時間を割けないものですから。*のついたところは、面倒な話は下のほうに綴りました。興味がない場合はスルーでどうぞ。)

これは、ひとつの絵だと思って下さい。
音符を読もう、と思わないで、模様として横の位置の高さだけを眺めるのがミソです。ホントです。

【1】

Variation11_2
掲載した絵(=楽譜。少しでも分かりやすくしたいので、元の通りではなくて変形してあります。以下同様・・・注の*0に続く部分を参照)、真中の小節で二つ折りすると、音符がピッタリ重なることがお分かりになりますね?

・・・ハタや記号も裏返しに出来たら、もっとよかったんですけど・・・

「同じ線の上や同じ線の間の場所にある音が同じ高さである」ことだけ分かっていれば、すくなくとも、グラフとしてみることは出来ます。(*0・・・*2も参照)

まるで、紙半分に絵を描いて、絵の具が乾かないうちに真ん中で折って、そぉっとひろげてみたようです。

ウェーベルン(Anton Webern 1883-1945)は、この、二つ折りにすると重なる像だけを組み合わせて1曲仕上げました。
全体は3つの章からなる「変奏曲」という作品の第1曲です。
知る人ぞ知る。知らない人は知らない。知ってて得するわけでもないけど、知ってると楽しいかもしれません。(あたしは知りませんでした。weep )
・・・「変奏曲」なのに3章あって、昔ながらの意味での変奏曲は最後の3章目だけです。そのあたりは、今回は観察しませんので、スルーします。(*1)

これも「子供のための小品」同様、12音技法というやつで書かれていて、さらにもっと複雑なことをしているのですけれど、そのへんは押しやっておいて、絵柄だけ見ましょう。(*2)

先に上げた楽譜が、「変奏曲」第1曲の最初の部分です。(*3)

続く部分も、同じように二つ折り出来ますが・・・

【2】

Variation12_2

ちょうどまんなかのところが分厚い和音になっていて、そこの左と右で絵姿がちょっと違っています。まちがいさがしみたい。

で、その次はまた二つ折りに出来ます。(*4)

【3】

Variation13

・・・この部分、ただ折って重ねておんなじ~ぢゃあつまんねぇ、とウェーベルンが(たぶん)思ったので、実際の曲では、最後のほうは音の位置をオ クターヴ単位で変えちゃってます。音程は同じです。【6】も同様です。(こちらでは描きませんでしたが、【6】のほうは音を移動したあとの譜例も描きまし た。)

で、次で一旦締めくくられますが、これは【2】とまったく同じです。(*5)

 

【2’】

Variation14

・・・うそです。 happy01
・・・最後の小節に、休符が1個余計にあります。

このあと、曲はちょっと細かい動きになります。ここでは複数の折り重ねられる部分が糊付されたみたいになっていたりして、上で見て来たようにすっ きりいかない作りになっているのですけれど、基本はやっぱり二つ折りで重ねると重なるものばかりの連続です。見た目がぐちゃぐちゃするので、省きます。ぜ ひ原曲の楽譜を見て下さい。

で、また、上で見た、最初の部分と似た感じに戻ります。(*6)
ここからの骨組み自体は、最初の部分と同じです。ですから、「再現部」と呼びます。(現にそう呼ばれています。)

はじまり。

【4】

Variation31

最初となにかが違うでしょう?
実は、最初のときと、音の動きの関係を上下ひっくり返してあったりします。(*7)

2番目の部分

【5】

Variation32

つづき。

【6】

Variation331

3と同じような、音の配置換えをしています。こちらは譜例も載せておきます。

【6’】

Variation332

しめくくりも二つ折りではつまらないので、折り返してからは音の場所をちょっとズラしてみたりしています。音の高さ(いまはこのことばを音程の意 味で使っています)は変わっていませんが、絵柄としてみる時には違って見えてしまいます。それは、絵ならば色合い(彩度のほうでしょうか?)を変えてみ た、ということになろうかと思います。

【7】

Variation34

「え~? こんな《お遊び》で、本当に曲が出来るの~???」

で、こんなふうに聞こえます。

(高橋 悠治)

面白いでしょう?
そうでもない? (><)


*0:厳密には#だとかbだとかも同じについていれば同じ高さの音ですね。

以下、音の配置は楽譜の対称性をみるために変更している箇所がいくつもあります。さらに、音符はすべて16分音符にしてしまっています。ウェーベルンは実際には響きを考慮して音を長く引き伸ばしたりしています。

*1:ウェーベルンの「変奏曲」作品27(1937年初演)は基本音列とその反行(音度の移動を反転させたもの)、それぞれの逆行の4つの音列を用いた3曲からなり、第1曲は上例のようにそれを線対称点対称・・・この場合の点対称とは数学的な厳密さを持たず、ある点を中心に正負の領域を異にして音響の同一フォルムがおかれていることを指します、以下同じ・・・に配置したものの列挙で構成、第2曲は強弱とアーティキュレーションをも音列化し(「総音列主義」の嚆矢)、第3曲が「基本音列~反行音列~基本音列の逆行」の連なりを主題とした<5つの変奏曲>となっています。第3曲の変奏は、しかし、変奏部で音列の入れ替えを行なったりしているため、実際には古典的な意味での変奏曲ではありません。

*2:音列については末尾の図参照。中に反行・逆行・移高が現れますが、これらは五線譜にではなく12×12升のマトリックスに書くと読み取りがラクになります(慣れないとしんどいことに変わりはありませんけれど)。その際、マスを音名で埋めるより、基本音列の開始音を基準にして数字化(ピッチクラスとして読むために)したほうが、より便利です。五線譜は、とくにE-F音、B-C音(ただしBはドイツ音名のHに相当する)の半音音程も他の全音音程と同様に描かれるため、ピッチ関係の読み取りに苦労する場合があり、数字化することで五線譜の欠点が解消されます。このあたり、やり方はコープ『現代音楽キーワード事典』(石田・三橋・瀬尾訳 春秋社 2011年9月・・・タイトルの直訳は「音楽における新しい方向性」で記述もこのタイトルに沿っていますし、ちっとも事典じゃない気がするんですけど、事典との邦題がついています)第2章参照。

*3:冒頭部は最初の1拍分の休符を省略して描きました。ちなみに、古典的な拍節感で言いますと、冒頭部7小節は最初の休符を加味しなければ5拍子で、そこからあとようやく3拍子となります。・・・なお、ディナミークは全く無視しています。これは【1】~【3】までのセクションでは7小節目までpp、8-10の3小節間はp、11-14の4小節間はf、15-16小節がp、17-18小節がppとなっています。ディナミークについては非対称であるものの、第2曲のディナミークの音列化をちょっとだけ伺わせるようになっています。これは中間部がfないしffをメインのでディナミークにするために、【4】以下の部分(すなわち再現部)では同じセットとしては再現されませんけれど、【4】以下では46-47小節目を境界にpp-pが線対称的に配置されています。

*4:本当は2拍目から始まります。1拍ズラして描いてあります。

*5:本来は2拍目から始まります。

*6:以下、リズムの読み替えは、最終部分を除いて第1部と全く同じ

*7:下図を見て分かるように、再現部は音列の配置を冒頭部(17小節目まで)とは全く変えておらず、ただ音列の位置(ピッチ)を変えているだけです。ただ、これは曲そのものの楽譜を見れば一目瞭然である通り、冒頭部が右手でやっていたこと左手でやっていたことの役割分担をすっかり入れ替え、運動も上向きだったものを下向きに反転させていて、音列とはまた違う「反行」をとりいれています。全体に、楽句の始まりと終わりを7度で、音が広がって行く部分を9度で統一した響きにすることが曲の一貫性を保たせるとともに、9度から音程が狭まった7度で終結させることにより段落感を明瞭にし、さらにこの再現部での運動の反行で曲が落ち着いて終わるように、巧みに設計されているのが分かります。こんな音列・・・どんだけ時間かけて考えついたんでしょう? おもろいです。

<図>「変奏曲」第1曲の音列
・1段目~基本音列とその反行
・2段目~基本音列の逆行とその反行
・3段目~【1】(曲の7小節目まで)での基本音列の使われ方
・4段目~同じく【1】での基本音列の逆行の使われ方
・5段目~【4】以下の基本音列とその反行。長3度上に移動(移高)。
・6段目~【4】以下の基本音列の逆行とその反行

Variation1reihe

3段目と4段目が点対称になっています。
即ち、第1セクションは基本音列とその逆行で出来ておりさらに、それが点対称的になるよう配置されています。以下のセクションにおいても同様の観察が出来ます。
5段目6段目は長3度上に移高していますが、じつはこちらがこの作品全体をみたときの正式の音列のピッチだそうです。

 

楽譜は大竹道哉校訂「ウェーベルン ピアノ作品全集」(ヤマハミュージックメディア 2011)を参照しました。

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2011年9月30日 (金)

【音を読む】12音音楽の易しい創りかた~ウェーベルン「子供のための小品」

12音技法による音楽がどんなふうに作られているか、なんて、正直言ってちっとも分かりませんよね。もう90年近く前のものですのに!

でも、作った作曲家さんだってとても迷ったんだろうなぁ、と思います。

ウェーベルンはそれを子供にも分かるようにしたいと思ったのか、「子供のための小品」なるものを1曲だけ書きました。師シェーンベルクが12音技法により創作を始めた次の年、1924年のことです。
12音音楽の最もシンプルな例であるこれを用いて、その創りかたを見ておきましょう。

出来上がりは、このような曲です・・・

「子供のための小品」高橋悠治(2回弾かれています。)

まず、音階に代えて、半音階を形作る音程12音を、半音階そのままではないように、好きなように並べた音列をひとつ作ります。
そのあと、この作品ではウェーベルンは難しいことをしてはいなくて、同じ音列の音の高さ(オクターヴ上の位置)を変更したものを6通り用意して、順に並べているだけです。

ただし・・・同じ<音列>を6回繰り返している、と、書籍・楽譜の解説にありますが、同じ<音列>を6回繰り返しても、12音音楽にはなりません。

たとえばこれは同じ音をひとつも含まない12の音を並べて、6回繰り返したものです。

12音にならない例

3和音を並べたように聞こえるこれは、明文化されたものがあるのかどうかは知りませんが、いちおう、十二音技法と呼ばれるものの上では「禁則」で(あるはずで)す。調性感(長調とか短調とか)をイメージしてしまうからです。(*1)
でも思いがけずミニマルっぽい・・・ってのは措いとこう。

ウェーベルン「子供のための小品」に用いられている<音列>は次の通りです。

Kinderstucktone_2

・・・で、この音列の、音の高さをバラす。
音列を単純に6回繰り返すのではなくて、6通りに音高を変えたものをならべる。(*2、※)

「子供のための小品」の音列の音高配置変更1

さらに、同時に鳴らしちゃう音は、ぐしゃっ、とまとめる。(*3)
以上で、どれがその中の「文節」を決めるかも明確にする。

「子供のための小品」の音列の音高配置変更2

ここまでのプロセスで、音に色彩感が増していくのがお分かり頂けると思います。

音列は4小節に1、1、2、2の扱いでまとめて、エンディング用に最後の2音をとっておいて、1小節付加したところに用いています。全体で16小節+1小節、という、けっこう「古典的」な収め方にしています。

それにリズムを与えます。第1段を除き弱起で始まり、第2段は特殊で、<音列>の最初に位置づけられているはずの音で終わります。第3段は音列の第2番目の音で開始します。
曲のリズムはそのままに、もとの音列がどんなだったかを思い出すため、音をなるべくベタに配置すると、こんなふうになります。(段落が分かるように、各段のあいだに長めの休止を配置してあります。)

「子供のための小品」リズム付け

段落が分かる状態で、ウェーベルンのした通りに音を配置しなおします。
音色効果で印象が豊かになるのが分かります。

「子供のための小品」段落分け

で、ニュアンスちゃんとつけて、出来上がり。

再掲)「子供のための小品」高橋悠治

楽譜つきYouTube

・・・実際にはこの順番で曲が作られたわけではありません。
・・・ウェーベルンの、このシンプルな例を真似してみて下さい。まず12音の音列をどうしようか、と考える時に、それがデタラメに作れるものではなくて、これから響きをどんなふうにしたいのか、と音列作りとが、かなり密接に関わっているのを最初に痛感することになるはずです。

とってもヘタな自作例

ウェーベルンの作例とは逆に、最初に和音を鳴らしたい、おしまいは単音で終わりたい、というだけで音列を組みました。
才能豊かな方がおやりになるなら、もう少しいいサンプルも出来るでしょうが、そこはご容赦下さい。
にわか作りであることは言い訳になりませんで、凡人は「古典的」な見本から自由な自由な発想をどれだけ持てないか、の<好例>としてあげさせて頂いた次第です。・・・なんだかおかしいなぁ、と、あとで確認したら、音間違っとった!sweat01 ま、あかんほうの見本やからそのまんまにします。
さらに、ウェーベルンの例を改めてお聴き頂ければ、彼がいかに周到に
「同じように聞こえるものを排除する」
ことに腐心したかをはっきりお感じ頂けるのではないでしょうか?

「音列は、自動的には作れない。(中略)作曲家は、自ら、音列を創り上げねばならない。あるいは(中略)特別な音列を『見出す』ことが求められているのだ。そこには、明らかに作曲者の意志が反映する。」(岡部真一郎『ヴェーベルン』153頁)

なお、掲載できず申し訳ないことながら、この作品の楽譜は、すべての音にシャープかフラットかナチュラルの記号が必ずついています。これは後の世代、たとえばブーレーズが踏襲する方法となりました。

12音技法はもっといろいろなルールでいろいろな運用が出来るもので、シェーンベルクはもっと多様なものをそこに持ち込んでいますが、それはまた別な作品に応用例で見ていくことにしたいと思います。(*4)


【参考】
松平頼則『近代和声学』(音楽之友社 1655)
岡部真一郎『ウェーベルン』(春秋社 2004)
大竹道哉『ヴェーベルンピアノ作品全集(楽譜)』(ヤマハミュージックメディア 2011)

*1:クシェネック Ernst Krenek が「二つ以上の長または短三和音を三つの連続音によって構成することは避けなければならない」と述べているそうです(上掲 松平頼則『近代和声学』ドデカフォニズムの項、323頁)。

*2:音列の順序を入れ替えさえしなければ、音はどのようなオクターヴ位置でも使うことが出来る、というルールに則ります。これもクシェネックの述べている原則のひとつです。

*3:シェーンベルクが加えたルールで、音列を任意の群の集合と見なしうる、というものに則ります。ウェーベルンは「子供のための小品」で、6回用いられる音列を順に音列1、2、3-4、5-6(3-4、5-6は2つが融合)とみたとき、音列1の最後でおしまい2音(11/12)を1群とし、音列3-4では4の7/8/9音を3音1群・10-11音を2音1群、音列5-6では5の最初の2音(1/2)を1群・4/5音を1群・7/8/9音を1群・10/11/12音と6の1を1群・6の2/3/4/5/6音を1群・最終2音(11/12)を1群として扱っています。すなわち、見なし群を連結部にまで延長して導入しています。

*4:音列の逆行(最後の音から反対に始まる音列)、展開(転回、同等の音程による置き換えをした音列、反行)、逆行の展開(転回・反行)、が認められています。また、伴奏には、主旋律(と呼んでいいなら)としてその場所で鳴っている音以外の音を用いることになっています。また、同じ音程関係を保ったまま位置を半音単位で12通りに上下することも認められています(トランスポジション)。

※音列上のオクターヴ配置は、ある種の規則を設け、それに「ぼかし」を入れて変更しています。原型アイディアにあたるものを最初の2音列について述べますと、偶数位置音のオクターヴ上下についてまず基本ルールを設けています。音列1は偶数位置音をオクターヴ上げ(もしくは4音までは奇数位置音をオクターヴ下げ)、5-6音は位置不変更、9-10音は最初の規則に戻し、7-8と11-12は偶数位置音をオクターヴ下げする。音列2は6音までは偶数位置音をオクターヴ下げ、7-8は元位置を保ち、9以降は奇数位置音をオクターヴ下げ。そこにまた手を加えています。
音列4は4音1群ですが、この音列以降は上記*3により2音列ずつが融合しています。

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2011年9月26日 (月)

大井浩明さんのクセナキス(9月23日)

「ヨーロッパ戦後前衛の流れを汲む人々には、クセナキスの作曲技法の非体系性は目障りで、影響力は死とともに衰えるという予想が強かった。だが(中略)強靭な音楽の遺伝子は必ず後世の音楽家に受け継がれてゆくと確信できる。近年は、若い世代の作曲家たちがメルツバウらの音楽に注目し、その祖先としてクセナキスが再発見される流れも生まれている。」(大井浩明「POC」クセナキスの回プログラム、野々村禎彦氏筆)



9月23日(金・祝日)、大井浩明さんの今年のPOCの開幕を飾るクセナキスの演奏会を拝聴しました。

ほんとうにクセナキスの価値、大井さんがそれを演奏する価値を知っている人たちによる評論などは、これから出揃ってくるものと思います。
また、どれだけ素晴らしい会だったか、については、togetterにまとめられていますので、そちらをご覧頂くのがよろしいかと思います。

http://togetter.com/li/191754

私自身にとっては、20世紀音楽に対するこれまでの触れ方を真摯に反省させられ、ちゃんと勉強しなければならない、と思わせて下さった演奏会にもなりました。

事前には漠然と、
「クセナキスは数学などを作曲方法に取り入れた人ではあるけれど、つまるところは古典的ではなくても<音楽の構成としての部分>は作品の中に持たせていて、聴き手はそれを判別できれば充分である」
というふうに考え始めていたところでした。

プログラムの最初に演奏された「6つのギリシャ民謡集」(1950-51)は初期作だからでしょうか、一般にはバルトークの例でしか知られていないトランシルヴァニア系の音響を古典の手法で素朴に美しく鳴らすものであり、同じ音響は「ホアイ」(1976)や「コンボイ」(1981)のなかにも荒ぶる神が踊る神楽のように充満し、また「オーファー」(1989)の中ではそうした青春期を懐かしむかのように漂うものでもありました。
打楽器とモダンチェンバロが共演する「コンボイ」にも「オーファ」にも、打楽器による色彩を織り込みながら、それを目印として音のストーリーの段落は明白に設けてあるかと思われました。
だいたいが、出回っている録音(「オーファ」の録音は聴いてはいませんが)ではこれらに限らず、数式や論理に裏打ちされたはずのクセナキス作品には、沈黙の時間や音流の疎密によって、大きくは3から、やや細かく聴くなら6程度の「区切り」は存在する、と聴き取れるものがほとんどではありました。クセナキスは創作に当たっては、まず<全体像>をどうするか、を入口にした、ときいていましたけれど、聴いてきた録音は、くりかえしになりますが、段落や区分を感じさせるものばかりなのです。

「あ、でも、違う」

そういう聴き方は、クセナキスに身を任せたものではない、という事実を、愕然とするほど知らしめさせてくれたのが、「ヘルマ」・「エヴァリエリ」・「ミスツ」・「ナアマ」等の、とりわけ「ヘルマ」の演奏でした。

「エヴァリエリ」・「ミスツ」・「ナアマ」のそれぞれには、聴いていた限りの録音では、奔流のところどころにふと繊細な音がちらほらスポットで光を放つように感じられます。大井さんの演奏は、しかし、違いました。「エヴァリエリ」と「ミスツ」は骨太に一貫していて、荒々しさが表に立つものだとばかり思い込んでいた「ナアマ」では丁寧に響かせることを主眼に置かれたのか、白色ノイズに限りなく近いはずの不協和音の連なりが「協和音」に聞こえてくる錯覚(?)を覚えさせるものでした。そのかわり、これらの作品の中に含まれる要素も「あ、これと、これだったのか」と悟らせてくれる明晰さをきちんと兼ね備えている所に、大井さんの人並みではないクセナキス理解が浮かび上がっていたようでした。

「ヘルマ」は・・・もう、ツイートしてしまったひとことに尽きます。

大井さんの弾くヘルマは、美しすぎかもしれない。・・・だからこそ、空間がひとつの、疎密のある球体だ、ということが、誰の演奏よりも良く感じられる

そういうことでありました。

なにがクセナキスの音響を統一体としているのか、については、ですから、大井さんの足元にも、その影にもおよばないにしても、なぜこんな球体のような世界を可能にしているのか、まず彼の先に立った人たちの創作法・音響構築法に遡るところから、ちょっと真面目に勉強しなければならないのだ、と、強く思わされたのでした。

まことに、驚愕の演奏会ではありました。

終わって、体の震えをとめられませんでした。

打楽器で共演の神田佳子さんについても、そのすばらしく自然な体さばきを特筆すべきだと思っております。「コンボイ」では、なんと大小の植木鉢を揃えてガムランもどきの音色を聴かせて下さり、それが植木鉢だとは知らなかった私は「新種の楽器か?」と、ただ呆気にとられておりました。優れた打楽器奏者さん(本来はどんな楽器の演奏者も、なのですが)は体を無駄に大振りせず、きれいな円運動でディナミークや音色のコントロールをするのですけれど、神田さんほど多様にそれを実現できる方は、また希有であろうかと感じます。

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2011年9月14日 (水)

大井浩明さん POC#6 クセナキス 9月23日です

MAP(地図)はこちらに掲載。
http://bit.ly/qgz2Ar

いよいよ、今年のPOCが始まります。

その前に、9月16日(金)、片山杜秀さんが講師をなさる「E.サティ レクチャー・コンサート」でも演奏なさいます。

■E.サティ レクチャー・コンサート@日仏会館(恵比寿)
2011年9月16日(金)18 :30(開場 18:00)
日仏会館ホール - 東京都渋谷区恵比寿3-9-25 
http://ooipiano.exblog.jp/16793247/
講師: 片山 杜秀 / ピアノ演奏: 大井浩明
一般 1,000円、学生 500円 (日仏会館会員/無料) 定員120名
※事前申し込みが必要。電話(03・5424・1141)、または同館のウェブサイト(http://www.mfjtokyo.or.jp/)から。
《演奏曲目》ジムノペディ第1番~第3番、グノシェンヌ第1・3・5番、ジュ・トゥ・ヴ、ヴェクサシオン(部分)、薔薇十字教団の最も大切な思想、(犬のための)無気力な本当の前奏曲、ソクラテス(部分)+J.ケージ:チープ・イミテーション(部分)、シネマ (「本日休演」のための交響的間奏曲)

今年のPOCの初回となるクセナキスの回については、次の通りです。
2011年9月23日(祝)〜クセナキス全鍵盤作品(ピアノとモダンチェンバロ(#))
神田佳子(打楽器助演※)
《6つのギリシア民謡集》(1951)
《ヘルマ - 記号的音楽》(1961)
《エヴリアリ》(1973)
《ホアイ》(1976、#)
《ミスツ》(1980)
《コンボイ》(1981、#/※)
《ナアマ》(1984、#)
《ラヴェル頌》(1987)
《オーファー》(1989、#/※)
http://ooipiano.exblog.jp/16164549/

★曲目詳細 http://ooipiano.exblog.jp/16164549/
★チラシ http://ooipiano.exblog.jp/16592815/
★野々村禎彦氏による推薦文 http://ooipiano.exblog.jp/16672319/

《前売》学生2,000円 一般2,500円 《当日》学生2,500円 一般3,000円
    全5公演通し券 一般12,000円 学生10,000円 
    3公演券 一般7,500円 学生6,000円

【チケット取り扱い】
ローソンチケット 0570-084-003 Lコード:39824
ヴォートルチケットセンター 03-5355-1280 (10:00~18:00土日祝休)
*3回券/5回券はヴォートルチケットセンターとミュージック・スケイプで入手可。
【お問い合わせ】
ミュージックスケイプ マネジメント部
tel/fax 03-6804-7490(10:00~18:00 土日祝休)
info@musicscape.net
http://musicscape.net

クセナキスは知名度のわりに、その作品や考え方について日本語で読める手近なものを見つけられずにおります。
「美術手帖」1969年9月号(美術出版社)が特集を組んでいるのですけれど、記事は多くはありません。(これ以外は古書でも数万円と非常に高価なのです!)
https://www.kosho.or.jp/public/book/aimaisearchresult.do
(結果がリンクされていなかったら、クセナキス、で検索なさってみて下さい。)
ですので、私の頭でのクセナキス理解・・・と言うところまでも行ってはいないんですけれど・・・は、この時点の僅かな情報で止まっています。
ですから、そこから時間が先に進めることに、たいへんな期待を持たせて頂いております。

ただし、私は理屈以上に、クセナキスの築いたものの面白さのほうに単純に魅かれる思いのほうが強いのではあります。

建築にも携わったクセナキスは、音楽創作にも数学を思い切り投入した人として有名ですけれど、秋山邦晴さんはそれについて1969年当時に次のように解説なさっていました。

「数学をつかって、音の線状の組み合わせをつくりだしたり、多声的な積み重ねをこころみるだけでは何の効用もない。そこでクセナキスは物理学の<気体の力学>と同じように、<質量の概念(コンセプシオン・ド・マス)>をいう考えを根底にすえて、音を質量作用の運動エネルギーの状態としてとらえるのである。音楽は根本的に多音性のものだ。そうした多くの音をマッスとしてとらえ、ちょうど『音の雲』をつくりだすことを考えるのである。」(秋山邦晴「イアニス・クセナキス」前掲 美術手帖19669年9月号 36頁)

もっと本質的であろうこと・・・でもって、通でもなんでもない普通の私たちには<数学>という目印だけで目くらましさせられていること。
「神が消えてしまった現代では、数字が神の存在のように支配していると、ひとはいう。そしてたしかにインフォメーション理論だとか、サイバネティックス理論といった数学的論理的な思考や科学の領域からのアプローチが芸術にもおよんでいる。しかし現状におけるそうした方向にクセナキスは否定的である。それは科学者たちのこころみであり、テクノロジーの伝達には有効であっても芸術の新しい認識とありようをうみだしているものではないというのである。」(同前 53頁)

では、クセナキスが私たちに聞かせてくれるものはなんなのだろうか、というあたりが、大井さんの体躯からあふれ出てくるものによってびしびしと主観的に味わえるだろうことを、とても楽しみにしている次第です。

クセナキスの(1969年時点での)音楽の意味をめぐる諸点のまとめは、こんなふうになっています。
これだけだとなんやらよう分からん、ということになるのですが、文脈に由来する分からなさですので、訳語は置き換えず、原訳文の補注的部分も省略します。ちょっと眺めれば、これらは音楽の原点論だということが明確になりますので、充分でしょう。
1. 第一に、音楽を考え、それを作るものにとって欠くことのできない一種の行動。
2. 個性的な核とその実現
3. 想像的な潜在性をもつ音の定着
4. それは、規範的である。(以下略)
5. それは(中略)ただ、存在するだけで、催眠術をかける人の水晶玉のように、精神的、知性的な内部変化を起こさせる。
6. それは、動機のない子どもの遊びのようである。
7. それは、神秘的な禁欲精神である。したがって、悲しみ、喜び、愛情、境遇の表現は、きわめて限定された個人的なケースである。
(副題「クセナキス<メタ・ミュージックに向かって>論文解題 山内一・本野清子 訳編 前掲「美術手帖」61頁)

クセナキスの「面白さ」は、1〜5のそれまでの音楽創作演奏と通底するものが6、7で完全に峻拒されているところにあるように感じてきたのですけれど、果たしてそれで合っているのかどうか・・・23日、確かめに伺いたいと思っております。

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