バッハ以前(中世・ルネサンス・バロック)

2018年1月20日 (土)

【読書・鑑賞案内】「ルネサンス宗教曲集」ウェストミンスター大聖堂聖歌隊

Miserere_2 さて、中世〜バロックの音楽作品から、いくつかご紹介して行きたいと思います。

皆川さんの『バロック音楽』には、それまでの音楽が、18世紀以降の和声主体の音楽とは違って、旋律(というより線)主体であったことを示す模式図がありました(p.58をもう一度めくって下さいね)。

ほんとうにそうなのか、耳で確かめるには、中世〜バロック期の作品をまとめて聴けると効率がいいんじゃないかな、と思いました。
が、世の中に出回っている「バロック音楽名曲集」の類いだと、みんなに知られ過ぎている曲ばかりが多くて、初めてではない人には刺激が少ないんですよね。
じゃあ、ちょっとは刺激になるものを、と探すと、どうしても個別の作者や楽派や、狭い時期のものばかりになってしまいます。

どうしようかな、と悩んでいたら、これを見つけました。

『アレグリ:ミゼレーレ/ルネサンス宗教曲集』
(ウェストミンスター大聖堂聖歌隊 DECCA PROC-1352  1,200円+消費税)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00RWA9BQU/
http://tower.jp/item/3326225/

価格も安く、収録曲の作曲者が幅広い。作曲者と曲名(日本語訳、CD通り)を列挙しますと、

パレストリーナ     (1525頃〜1594)
   「神に歓喜せよ」・「罪を犯す我」・「汝はペテロなり」
ヴィクトリア      (1548〜1611)
   「十字架につけられ」
ジョヴァンニ・ガブリエリ(1557〜1612)
   「シオンよ、賛えよ」
モンテヴェルディ    (1567〜1643)
   「おんみを崇めん、キリストよ」・「主に向かいて新しき歌を歌え」
アレグリ        (1582〜1652)
   「ミゼレーレ(我を憐れみたまえ)」
カヴァッリ       (1602〜1676)
   「サルヴェ・レジーナ」・・・なんでこれだけ日本語訳じゃないんだ?(笑)
    対訳では「ようこそ女王」となっています。
    ごきげんよう聖母マリア様、というニュアンスです。
ロッティ        (1667〜1740)
   「神に歓呼せよ」

タイトルには「ルネサンス」とあるのですけれど、実はルネサンス末期からバロックほぼ全時期の、イタリアの重要作曲家(ヴィクトリアはスペインですけれど)を網羅しています。
(ルネサンスとされる時期の作品は次回ご紹介します。)

宗教曲を聴く便利さは、言葉と音楽の関係に耳を傾けたいとき、ラテン語を知ってさえいれば済むところにあります。・・・でもラテン語って難しい!
このCDなら、日本での発行なので、歌詞対訳がついています。
まずは、ラテン語の雰囲気だけでも味わって下さればよいです。・・・これ、たとえばフランス語のバロックのシャンソンとかだと、ずいぶん雰囲気が違うのです。

でも、まずは、収録された曲の作られた、ほぼ200年の幅の中で、音楽がどう変わって行ったか・・・カトリックの式典用のものに限られてはいますが・・・、耳ではっきり確かめ、新鮮に感じてもらえれば、嬉しいです。

すべて、イタリアバロックの重要作曲家ですが・・・
二人だけはこの機会にぜひ名前を覚えて下さい。
パレストリーナと、モンテヴェルディです。

ルネッサンス最末期とされるパレストリーナですが、初めて聴くと、音楽の線がとてもすっきりしていて、言葉がわかりやすく聞こえるのに驚きます。でも、「和声の音楽」ではないところが、パレストリーナの名匠たるゆえんです。

パレストリーナに関係しては、次のような伝説があります(史実ではありません)。
強硬な聖職者たちから、複雑なポリフォニー音楽はたいへん分かりにくい、それでは意味がないから、今後一切教会から追放すべきだ、聖歌はひとつのメロディーだけでシンプルに歌われるべきだ、との意見が出されました。音楽好きの枢機卿たちはこの意見に困ってしまって、パレストリーナに「なんとかならないか」と頼み込みました。パレストリーナは粉骨砕身、ひとつのミサ曲を作り上げ、提出しました。その演奏を聴いた強硬派は、ポリフォニーであっても分かりやすく、しかも深い信仰心を呼び起こす、立派な作品が出来るものなのだ、と、以後は納得したそうな。

収録作品のうちの、「汝はペテロなり」は、次のリンクでYouTubeで聞くことが出来ます(演奏者は違います)ので、興味があったらクリックしてみて下さい。聴くときに、最初の方で、Tu es Petrus(トゥ エス ペトルス)という言葉がどれだけはっきり聞こえるかに、ぜひ耳を傾けて頂ければと思います。
tu=You
es=are
だと思って下されば、意味も分かりますよね。

https://youtu.be/H69CQqh6d5A

モンテヴェルディはバロックの最初の花を咲かせた人と言っても良いと思います。オペラに名作を残しただけあって(「オルフェオ」・「ウリッセの帰還」・「ポッペーアの戴冠」)、本CDに収められた掌編も、たいへんにドラマチックです。
モンテヴェルディは可能ならまた別にとりあげてご紹介したいと思っています。

今回はこれ以上細かいことは言いませんので、まず触れてみて下さったら嬉しいです。

収録されている中で、いちばん有名なのは、アレグリの「ミゼレーレ」です。
なぜ有名なのかと言いますと、まず、この曲はヴァチカンの門外不出の秘曲だったことによります。そして、この秘曲を、1770年にローマを訪れた14歳のモーツァルトが、一度聴いただけで完全に楽譜に書き取ってしまった、と騒がれた事件があったためです。実際に聴いてもらえればわかるとおり、この作品、一度聴いて暗記するなんて、私たちにはおよそ不可能なものです! いや、イタリアに行ったモーツァルトが指導を乞うたマルティーニ師から、あらかじめ密かに教わったんだ、とかいう話もどこかにあった気がしますが、どうだったのでしょうね。

次回、ルネサンスの作品をひとつ使って、線の音楽の面白さを、少しだけ具体的に見て頂ければと思っております。

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2013年4月10日 (水)

4月20日《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》 ~六つのパルティータ BWV825-830 大井浩明さん

まいどのご紹介です。

大井浩明さん、シリーズでバッハを、めずらしく(?)モダンピアノで弾くコンサートを続けていらっしゃいますが、今回は「6つのパルティータ」です。

http://ooipiano.exblog.jp/19816729/

2013年4月20日(土)15時開演 (14時半開場
タカギクラヴィア松濤サロン (東京都渋谷区松濤1-26-4 Tel. 03-3770-9611)
最寄駅/JR・東横線・地下鉄「渋谷駅」より徒歩10分、京王井の頭線「神泉駅」より徒歩3分



C0050810_19495551

●問い合わせ先
(株)オカムラ&カンパニー 
tel 03-6804-7490(10:00~18:00 土日祝休) 
fax 03-6804-7489 info★okamura-co.com(★→@)
http://okamura-co.com/ja/events/piano-axis/


これまでの回もたいへん好評だったことが、次の批評で一目瞭然です。

かつ、これが、実に意欲的なシリーズだということが分かります。
・・・なかなか目(耳?)のつけどころの面白い批評だと思います。

貼付け記事で汗顔の至りですが、「パルティータ」は形式とはうらはらのユニークな曲集です、ぜひお聴き逃しなきよう、ふるってお出掛け下さいませ。


http://d.hatena.ne.jp/Gebirgsbach/20121203/
【第1回】
鍵盤楽器奏者の大井浩明は近年、18世紀以前の楽曲では古典鍵盤楽器を用いることを旨としてきた。このたびはそこから一歩踏み出し、ピアノでバッハに取り組む。この日は《平均律クラヴィーア曲集第1巻》。そこで展開されるのは19世紀的なバッハ演奏のおさらいではなく18世紀音楽にとっては足枷である現代楽器でいかにバッハの「芯」に迫るか、という試みだ。
大井にかかるとそれは単なる抽象論ではなく、徹頭徹尾、具体的な演奏法として現れてくる。たとえば、同じ音型の繰り返しに句読点をきちんと付けていく。19世紀的な演奏ならそんな場面を一息で歌いきってしまおうとするだろう。句読点1つで大井は、18世紀と19世紀との間に横たわる「時間の分節感覚」の違いを表現した。
この日は室温や調律に思わぬトラブルも発生したようだが、今後の演奏会では楽器や環境も最適化されることだろう。このシリーズへの期待が否応なく高まる。(4月21日タカギクラヴィア松濤サロン) [初出:音楽現代 2012年7月号]

【第2回】
鍵盤楽器奏者・大井浩明のバッハ「平均律クラヴィーア曲集」と言えば、クラヴィコードでの演奏が良く知られている。このたびは、その対極とも言えるモダンピアノでバッハに取り組む。この日は第2巻の全曲演奏。4月の第1巻に続き、大井が「異形の詰め物」と呼ぶスタインウェイのグランドピアノで、18世紀音楽に迫る。
その成功を確かなものにしたのは第9番「ホ長調」から第12番「へ短調」へと続く4曲だ。ここでは、調和を重んじる16世紀のルネサンス様式から、感情の素直な発露を目指す18世紀の多感様式までが顔を出す。それらを彩るのはクラヴィコード、オルガン、チェンバロ、フォルテピアノの各楽器を思わせる多彩な書法だ。こうしたスタイルの歴史性、楽器の音色の多様性が演奏として花開いたのも、大井浩明とモダンピアノという取り合わせがあってこそ。作曲家・楽器・演奏者のもっとも現代的で価値ある出会いが実現した。(7月28日 タカギクラヴィア松濤サロン) [初出:モーストリー・クラシック 2012年10月号]


大井さんによる、作品紹介。
https://www.facebook.com/events/521451861229347/

■J.S.バッハ:六つのパルティータ BWV825-830 [NY Steinwayによる演奏]
第1番変ロ長調 BWV 825
  前奏曲 - アルマンド - クーラント - サラバンド - メヌエット I & II - ジガ
第2番ハ短調 BWV826
  シンフォニア - アルマンド - クーラント - サラバンド - ロンドー - カプリチオ
第3番イ短調 BWV827
  ファンタジア - アルマンド - コレンテ - サラバンド - ブルレスカ - スケルツォ - ジーグ
第4番ニ長調 BWV828
  序曲 - アルマンド - クーラント - アリア - サラバンド - メヌエット - ジーグ
第5番ト長調 BWV829
  前奏曲 - アルマンド - コレンテ - サラバンド - テンポ・ディ・メヌエット - パスピエ - ジーグ
第6番ホ短調 BWV830
  トッカータ - アルマンド - コレンテ - エアー - サラバンド - テンポ・ディ・ガヴォッタ - ジーグ

  “Clavier-Übung”(クラヴィーア練習曲集)全4巻は、生前のバッハが自費で世に送り出した唯一の大作です。バッハが世間に自分のことをどう思って欲しかったかを示唆する音楽、とも言えるでしょう。Clavierとは当時の鍵盤楽器一般を指す語で、Übungとは精神的な面までも含めた探求・修行を意味しています
   第1巻(1731年出版)が1段鍵盤楽器のための6つのパルティータ(組曲)、第2巻(1735年出版)が2段鍵盤チェンバロのための「イタリア風協奏曲」と「フランス風序曲」、第3巻(1739年出版)がオルガンのための「ドイツ・オルガン・ミサ」(2段鍵盤+足鍵盤)、そして第4巻(1741年出版)が「ゴルトベルク変奏曲」です。

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2012年10月 6日 (土)

「古楽」はいつからノンヴィブラートになったのか

(思い込みで、団体に混乱がありましたので、修正しました。ご教示ありがとうございました。)

10月4日の大井浩明さんPOC#11(ラッヘンマン&ホリガー作品)、とても良かったです。感想準備中です。別途綴ります。

さて、先に、標題のことについて。

6、7年前、日本では、いわゆる「古楽」的演奏とはどんなものか、について
「ノンヴィブラートで演奏すること」
と本に書いて失笑を買った指揮者がいたり、同時期に日本のオーケストラを指揮したノリントン氏がオーケストラメンバーのみならずコンチェルトのソリストにまでノンヴィブラートを強いた、とそのオーケストラの中でも知名度の高い団員氏が批判的に、これまた本に書いたりしていた時期がありました。
同じ頃に、これまたベートーヴェンの交響曲について新書までお出しになった指揮者さんが精力的にノンヴィブラート的演奏のベートーヴェン交響曲録音をなさっていたりしていて、よく頑張っていらっしゃるなぁ、と頭が下がりましたが、あるCDを聴いたら、ファゴット奏者だけが徹頭徹尾ヴィブラートかけまくりで吹いていて、あたしもとうとう、聴きながら飲んでいたお茶を吹いてしまった、なんてことも思い出されます。

承るところによりますと、同じ頃一世を風靡したアニメの音楽アドヴァイスでいっそう名前を上げられた、くだんのノリントン批判をしたお一人である某管楽器奏者のかたは、いまやノンヴィブラートの積極的支持者のようです。んでもって、それを垣間見た某弦楽器奏者が嘲笑って曰く(また聞きですが)、
「ノンヴィブラートしか言ってないんだよね〜。おかしいよ。ノンヴィブラート、ノンヴィブラートって言ったってさぁ、ボウイングとか運指とか、楽器の構え方とか、みんな見直さなくちゃなんの意味もないのにね!」

・・・なるほど。

いや待て、とかえりみみたくなったのは、この、弦楽器奏者の発言が、耳にはさんで以後、胸の片隅にひっかかっていたからです。

果たして、「古楽」は、いつからノンヴィブラートになったのでしょう?

あたしなんぞ音楽家でもげーじゅつかでもない一市井人ですので、別段何を考えてもお遊びで終わるのですけれど、ふりかえれば、自分も同じ頃から「古楽」ってノンヴィブラート、なる摺り込みが出来てしまったようです。

違うんじゃないの?

たまたま、バッハのブランデンブルク協奏曲集なら、映像がカール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団のもの(1970年)、アーノンクール/コンチェントゥス・ムジクス・ウィーン(1982年)のいずれも、手元にあります。
この二つの映像を対比すると感慨深いものがたくさんあるのですけれど、多岐にわたることですので、こんな駄文でもいつも読んで下さっているお友達に向けて、また別に記したいと思います。

いまは、演奏する人数と使用楽器、テンポ、ヴィブラートの点にだけ着目しておきます。

リヒター指揮の演奏当時は、チェロが3プルト(6人)、バスが2プルト(4人)いたり、指揮のリヒターチェンバロを弾く関係上、他にもうひとりチェンバロ奏者を置いていたりします。弦楽器の上声部の人数は、推して知るべし、です。楽器はホルンもバルブ式、トランペットも現代的なピッコロトランペットで、木管楽器も弦楽器もすべていわゆる「モダン」です(便利な言葉が使われるようになりましたねぇ!)。
当然、どのパートもヴィブラートかけまくり、です。
ただ、それでも画期的だったのは、テンポの速さかもしれません。
フルトヴェングラーの録音したブランデンブルク協奏曲第3番は、演奏時間の話だけすれば、第1楽章だけで7:12。ほとんどがリヒターの演奏は(ほんの瞬間音がとんでしまっている【映像品質の関係で編集されたのでしょうか?】のですけれど)6:03ですから、1分も短縮しています。
ちなみに、この楽章は、ムジカ・アンティカ・ケルンの1987年録音ではさらに5:07に縮みます。オリンピックの記録争いみたい!!!

大人数での演奏ながら19世紀〜第二次世界大戦戦後色を払拭したカール・リヒターの解釈が、一連の録音で一世を風靡したことは、周知の事実です。けれどもリヒターは54歳であっけなくこの世を去ってしまいました。

メジャーな世界で、リヒターの早世と見事に入れ替わったのが、ニコラウス・アーノンクールの解釈と録音で、ブランデンブルク協奏曲の音響色彩がリヒターのものと大きく違うことには、当時感嘆の声があがったことを記憶しております。ただ、この人が別に新機軸を打ち出したモーツァルト演奏では賛否両論が渦巻いたのですけれど、ものがバッハとなると、合奏曲の演奏人数なり使用楽器なりがいにしえに戻ることには市場もあまり違和感がなく、むしろ、アーノンクール自身が弦楽器奏者であるからでしょうか、鍵盤奏者であるリヒターのものと比べて表現が柔和な点などは、わりとすんなり受け入れられた印象があります。

では、アーノンクール指揮の演奏では、人数や楽器、テンポはどうなっているか?
採用標準かな、と思う編成はヴァイオリンが各2プルト(4人)、ヴィオラが1プルト(2人)、チェロ・バス・チェンバロが各1名。管楽器はナチュラルホルンや穴あきトランペット(正しくはどう呼ぶんでしたっけ?)、キーのない木製のオーボエやフルートとなっています。ついでながらリコーダーもリヒター演奏で用いられている硬質らしいビカビカしたものではなく、見た目と音ではっきり木製と知れるものです。
弦楽器はヴィブラートをかけていない・・・なんてことは、ところが、全然ありません。
ずっとかけっぱなしです。
楽器本体も、ヴァイオリンには顎当てがありますし、唯一顎当てのないアーノンクール夫人は肩当てを使っています。ヴィオラもチェロも基本的に現代風の指板・糸巻きがしつらえてあり、独奏者が指板の短いものを使うくらいです。リヒターたちと見た目が違うのは、全員がバロック弓を使っていることです。ただし、音色から推測すると、楽器内部のバスバーなりの調整では、現代風な補強は取り去っているのでしょう。
人数を縮小し、楽器を変え、道具を変えているだけです。
そこから来る必然性による物以外、別段、最近「現代的」とレッテルを貼られている類の奏法を、意図的に排除しているようには見えません。
それでも最近我々が「古楽」と受け止めているような音色、響きが、間違いなく聴こえて来るのです。
(ちなみに演奏時間はフルトヴェングラーとリヒターの中間くらいです。)

ともあれ、今の耳からすれば、「古楽」でありながら、決してノンヴィブラートではありません。

試しにムジカ・アンティカ・ケルンの80年代の録音も確認しましたが、ベースにあるのはアーノンクールたちと同じような姿勢のようです。とくに、独奏に際してはヴィブラートはやっぱり、かけまくり、です。

どういうことなのでしょう?

ムジカ・アンティカ・ケルン盤のリーフレットで、Reinhard Goebel氏が、面白いことを仰っています。

「私たちは自筆譜を研究して、ソロとトゥッティには、アーティキュレーション面で重要な技術的相違点があると分かって満足しました(すなわち、ソロパートにはボウイングスラーがある一方で、トゥッティは単純に上げ弓下げ弓をとる、ということが規則づけられています)。このことは、トゥッティはパートごとに複数の奏者で演奏されるように作曲者が取りはからったことを示唆しています。」(原文ドイツ語、英訳から読み取ってみました。)

別団体ですが、コンチェルト・ケルンは2010年にカルダーラ作品ばかりなる素晴らしいCD(リンク貼ってます)を出したのですけれど、それからは、こんにちもなお、作品に沿って同様な研究をしながら時代を追体験しようとするこの団体の、先の人たちに比べていっそう発展した音響を聴くことが出来ます。(独唱Philippe Jarousskyが、とてもいいカウンターテナーさんです。カルダーラはウィーンで超有名だった作曲家ですのに、日本ではあまり知られていないからか、日本盤がついに出ませんでした。この盤では、声楽の伴奏という趣旨が強いところは独奏楽器の意図的なノンヴィブラートも聴き取れます。とにかくケースバイケースで、多様です。)

まぁ、近年の日本のノンヴィブラート一辺倒のヨーロッパ「古楽」観は、われわれにとってはヘンテコリンな「権威」しか生み出さなかった、奇妙な禍いにしか過ぎなかったのでしょう。
といいつつ、自分も「古楽」=ノンヴィブラート、みたいな等式に、いつの間にか染まっていた点、おおいに反省しなければなりません。

敵が「響き」である限りは、言葉で規定された概念で捉えたら勝負にならないのでしょう。
どうやったら「美しく響く」のか、耳が正直に感じ取るものに、素直に応えていくことが、音楽を愛する者の、つねに謙虚にこころがけるべきことなのですね。
(それは実は「ノイズ」と規定されている素材を扱う、素材に接する上でも重要なキーポイントではないかと感じています。)

先日のピノックさん指揮の「モダン」オーケストラ(紀尾井シンフォニエッタ東京)によるモーツァルトを拝聴して感銘を受けたことが、よい反省に繋がりました。

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2012年7月26日 (木)

7月28日:大井さんの絶品バッハ〜しかしこれも聴き逃してしまう (T_T) 

このところ、ご紹介したかったり自分が行きたかったりする演奏会がいくつかあり、しかも軒並み私用で行けない、という辛さを味わっています。
日が過ぎてしまったものはご紹介を諦めます。

大井浩明さんにしては珍しい、モダンピアノでのバッハ「平均律」シリーズ

タカギクラヴィア松濤サロン(渋谷区松濤1-26-4) [JR渋谷駅より徒歩10分、京王井の頭線「神泉駅」より徒歩3分]
     全自由席 4,000円

C0050810_19495551
今回は第2巻です。
http://ooipiano.exblog.jp/18266376/

誰か、私の分までご堪能なさって、どんなだったか教えて下さったら嬉しいです!

※タカギクラヴィアに直接チケットを申し込むと、隣接のカフェのドリンク券がつきます http://takagiklavier.com/

     BWV870 ハ長調 - BWV871 ハ短調 - BWV872 嬰ハ長調 - BWV873 嬰ハ短調
     BWV874 ニ長調 - BWV875 ニ短調 - BWV876 変ホ長調 - BWV877 嬰ニ短調
     BWV878 ホ長調 - BWV879 ホ短調 - BWV880 ヘ長調 - BWV881 ヘ短調

     (休憩)

     BWV882 嬰ヘ長調 - BWV883 嬰ヘ短調 - BWV884 ト長調 - BWV885 ト短調
     BWV886 変イ長調 - BWV887 嬰ト短調 - BWV888 イ長調 - BWV889 イ短調
     BWV890 変ロ長調 - BWV891 変ロ短調 - BWV892 ロ長調 - BWV893 ロ短調

     お問い合わせ/(株)オカムラ&カンパニー tel 03-6804-7490 (10:00~18:00 土日祝休) fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com
     http://www.okamura-co.com/concerts/2012/12-13axis.html

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2011年10月29日 (土)

【音を読む】のばしてずらして重ねてみる~オケゲム「ミサ・プロラツィオーヌム」のKyrie

初歩の「十二音」簡単なバランス崩し同じものをつかいまわす


(音声プレイヤーの位置がバラバラですみません。)

こないだ、日本の能の例で、同じものが「有効活用」されているのを見てみました。 
譜例に掲載はしませんでしたが、能では、同じ節(メロディ)が笛で繰り返される時に、打楽器が叩くパターンを変えることでメリハリをつけていました。 
ご存知のことだろうとは思いますけれど、ヨーロッパでは、低い音で鳴る一定の旋律を何度も繰り返し、その上に乗せる高い音の旋律(メロディ)や響きを変えるものが作られていました(パッサカリア)。 
あるいは、一つの旋律をいく通りにも姿を変えさせる、変奏曲という形式も発達していきます。 
いずれにしても、ヨーロッパは高い音のほうの旋律はどんどん姿を変えさせるのが好きなようで、日本の能の舞囃子とは対照的です。 

探すと他の世界にもこれらに似た発想のものがあるのかもしれませんね。あったら面白いですね。ご存知でしたら是非ご教示下さい。 

さて、同じ一つの旋律をそのまま繰り返すのではなくて、ずらして重ねるテもあります。最近はどうか知りませんが、キャンプというとつきものだった「静かな湖畔」みたいな、「輪唱」ってやつがふつうです。カノン、と呼ばれるこの種類の音楽は、たくさんの作曲家によってたくさん作られています。(*1) 

ふつうでない、こんな例もあります。 
1497年に亡くなったフランドルの巨匠オケゲムの作曲した、とあるキリエです。 

まずこれがメロディ。

Kyriesop
 


これを、ちょっと間延びさせてみます。(*2) 

Kyriealto
 

で、もとのやつと、ちょっと伸ばしたりしてみたものを一緒にくっつけると・・・

 

あら不思議、なんだか面白い響きが出てきました。

でもまだ何だか物足りない。 

最初のメロディに組み合わせる、もう一つのメロディを考えます(って、オイラが考えたわけじゃないですけど【爆】)。 

Kyrieten

で、これを最初のメロディと組み合わせたら・・・ 
 

う~ん、なんだかまだまだ中途半端だ! 

で、こっちも間延びさせてみます。 

こうだったのを・・・ 

Kyrieten_2

こんくらい。(*3) 

Kyriebs

で、これも、最初のメロディみたいに、同じものどうしくっつけてみます。

 

まだなんだかピンと来ません。 

で。 

全部くっつけてみちゃいます。 

即ち、(【1】+【2】)+(【3】+【4】) 

・・・すると、あら不思議!!! 

 

響きがすっかり充実しました。 

Kyrieall

数字があるところを区切りにして、2分音符1拍の3拍子に割り当てて線を引くと、どういうタイミングで合わせてあるのかが分かります。・・・ただし、この音楽は三拍子ではありませんから、注意が必要です。(*4) 

ちゃんとした演奏で聴いたほうが、すごさが良く伝わってきますので、それを最後に掲げます。・・・音が1全音分くらい低いのですけれど、お許し下さい。

(ヒリヤードアンサンブル)
 

このキリエを含む "Missa Prolationum" は、他の章もこのような組み合わせを大変に興味深い方法でやっていることで有名です。 
(楽譜はオンラインではIMSLPにあるのをご教示頂きました。同じご教示で拝読した資料に、オリジナルの指示で上声部に2/2と3/2、下声部に4/2と6/2【3/1か?】が記入されていることも確認出来ました。深く御礼申し上げます!)


*1:モーツァルトやベートーヴェンの例からは、カノンが気軽な、あるいは心のこもった挨拶代わりにやりとりされた様子が伝わってきます。

*2:【1】の最初の二単位相当分を近似的に1.5倍くらいにしています。 

*3:【3】の最初の
二単位相当分を、近似的に1.5倍くらいにしています。・・・【1】・【2】の関係と基本アイディアが同じです。 

*4:全体を組み合わせた上で旋律線を眺めると、2分の3拍子で通っているパートはありません。ソプラノ(【1】)は基本は2分の2拍子ですが計量上は2分の1拍子とでも言うべきものです。あくまで計量上のものだという点に気を付けなければならないでしょう。近代的な拍子に完全に置き換えてアクセントを考えるのは誤りのもとかと思います。アルトは一貫性のある拍子として眺めた場合には4分の6拍子ですけれども、小節を割り振ってしまうと、強弱アクセントは小節ごとにかなり変動します。とはいえ、そのアクセントのズレて行き方は、五線譜表に書かれたバロック期のものに似通っているのが興味を引きます。テノールは最初の2小節は付点四分音符を1拍とした4拍子、3小節目は4分の6拍子、以下は2分の3拍子。バスは、小節を割り振った時には、最初の3小節は付点二分音符を1拍とした3拍子、残りの6小節は付点無しの二分音符を1拍とした3拍子(2分の3拍子)となるかと思います。・・・あくまで音符の長さをはかる単位としてだけ全体を2分の3拍子と決めつけて眺めるようにすると、全体が9小節、すなわち3×3になる(歌詞の区切りとは一致していませんけれど、キリエは3回繰り返される、ということ、カトリックにとって3は聖数であることにつながります)のですが、オケゲムがそんなことを意識したかどうかは全く分かりません。オリジナルには小節線がありませんから。

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2011年7月 9日 (土)

8月13日:菊地雅樹 リュート独奏会

約1ヶ月後です。

菊地さんは日本のリュート界にはなくてはならない存在でいらっしゃり、素敵な響きを期待しております。ルネサンス・リュートとバロック・リュートを弾き分けての会でもあり、貴重な機会となります。
なお、席が僅かですので、確実に押えるようになさって下さい。

日時:2011年 8月13日(土曜日) 18時20分開場・18時40分開演
場所:川口総合文化センター リリア 音楽スタジオ(リリア5F) 35名限定
料金:3000円

<交通案内>
JR京浜東北線川口駅西口正面(徒歩1分)

電車で
東京駅から
    JR京浜東北線で約27分
新宿駅から
    JR埼京線~赤羽駅乗り換え~JR京浜東北で約17分
大宮駅から
    JR京浜東北線で約20分

車で
都内から
    高速川口線~鹿浜橋より約4km
    高速5号線~板橋本町より約9km
和光方面から
    東京外環道~川口西ICより約5.5km
三郷方面から
    東京外環道~川口東ICより約6.5km
岩槻方面から
    東北道~浦和ICより約10km

 

Masakikikuchi2011

<曲目と使用楽器>
[ルネッサンスリュート 7コース使用]

*イタリア 
  シシリアーナ・イタリアーナ・・・・・・ Anon
  3つのファンタジア    ・・・・・・F・de・ミラノ
*スペイン
  皇帝の歌
  牛を見張れの主題による変奏曲・・・・・L・ナルバエス
*イギリス
  作者不詳の4つの小品    ・・・・・・Anon
  涙のパヴァーン       ・・・・・J・ダウランド


 [バロックリュート 14コース使用]

*ドイツ
  組曲イ長調~プレリュード・アレマンデ・クーラント・ロンド・ジーグ ・・・・・ J・G・コンラーディ
  パッサカリア 二長調    
  シャコンヌ  ト短調
  ファンタジア ハ短調
  組曲イ短調「不実な女」~アントレー・クーラント・サラバンデ・メヌエット・ミュゼット・ペイザンヌ ・・・・・・ S・L・ヴァィス

 

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2011年5月22日 (日)

表現としてのテンポをいかに把握するか:テュルクから読む場合2

松平頼則「美しい日本」第1曲〜第3曲(大井浩明さんによる演奏)
武久源造さんによるクラヴィコード演奏
・・・是非ご覧下さい。


(故郷方面の震災後、「考える」ことが出来なくなってしまっており、その間、子供たちが・・・おかげさまで、それぞれ自分で行きたがっていた学校へ・・・それぞれ進学が決まり、安堵する間もなく子供たちへの新たな応援体制を築く必要に迫られたり、職場は定年の方が2人、期間契約が切れていらっしゃらなくなる方が1人いらして、もともと小所帯である職場で業務の割当が増え、家庭も会社員生活も多用になりました。自分で考えられる範囲がいかに狭く、自分が考えてみた中身がいかに些末であるかを痛感はしておりますが、それでも「考えられない」ことに比べれば致命的ではないのだな、と、強く思っているところでもあります。ぽつりぽつりと、ガラクタ脳の働きの回復を模索していきたいと存じます。)

間が空いてしまいましたので、「音一つ一つに何を聴き取るか」で考えたことと齟齬があるかもしれません。
前は、テュルクの言うペリオーデに注目して、演奏の部分部分でのテンポ変化、デフォルメの適切さとは何かについて粗々(かなり雑に!)考えてみたのですが、それは鍵盤楽器作品の場合、チェンバロからピアノへと楽器が変化したことにも影響を受けていながら、そうした時程的な変化が演奏上必ずしも考慮されて来なかったし、聴く側もそのあたりへの関心は全くといえるほどに持ち合わせていなかったらしいあたりをちょっとだけ見て来たのでした。

全体としての「テンポ」にも同様の問題があるのではないかと考えてみようと思います。現れかたが「部分」ではないので、気付きにくいことではあります。

バッハのイギリス組曲を素材にしていますが、彼が組曲(suiteないしpartita)と称したもの、あるいは後の世代の人によってバッハの「組曲」に擬せられている作品(管弦楽「組曲」・・・元来"Overture")は、舞曲の集合体になっています。管弦楽組曲の第1曲はすべて例外ですが、いま考えたいことの中ではハナから考慮の外に置いて差し支えがないかと思います。
これがまたsuiteかpartitaかで若干の差異があったりする気もするのですが、それについても今は考えません。
管弦楽組曲を含め、大括りなところのことについては、昨年の3月4日から6日にかけて、ラモその他の作例も鑑みながら「浅く」観察をしております。

組曲を形成する「舞曲」については、ただし、「踊られる」ものとして書かれている場合もあり、そうでない場合もあるかのようで、そのあたりの区分については素人が考えるには史料・材料が不鮮明で、確かなことは言えそうにありません。
ただし、バッハ(ゼバスティアン)に限って言えば、「踊られる」ための舞曲ではなかったと推測しても大きく外れることはなかろうと信じております。「踊られる」ための、とは、この場合、あくまで舞踏会のような場を想定すべきであって、家庭を始めとするプライヴェートな空間をも前提に含めると収拾のつかないナンセンスな事態を招くことになるでしょう。

それぞれの舞曲の性質・定義については昨年3月5日にリストを作成しましたので、繰り返しません。

「踊られない」のであれば、舞曲の持つ性質は、舞曲の種類を明記した音楽作品のテンポを規定する、と、まず大雑把に言ってしまうことを許容するでしょう。
テュルク「クラヴィーア教本」では、そんなに大きなウェイトを占める部分ではないものの、既に舞曲についての規定がテンポ寄りでなされていることが目につきます(東川氏による訳書p.468-472、Loureについてはマッテゾンの記述を参照していたりしますが例外的です)。これはテュルク著作が著された時期(1789年)を考えあわせると、その記述分量にも関わらず、非常に重い事実でもあるかと感じます。、以下を、昨年3月5日のリスト(とくに浜中康子著書から引いた後半部分)と比較してみて頂ければ、そのことがはっきり分かるかと思います。

テュルクからは3つだけ引用してみます。

アルマンド Allemande は4/4拍子で、アウフタクトから始まる。その演奏表情は厳粛で、あまり急速には奏されない。アルマンドはしばしば、組曲やパルティータに現れれる。この名称はアレマネンAllemanen、つまり昔のドイツ人に由来すると言われる。アルマンドのもう一つのタイプは舞曲として用いられる。このタイプは2/4拍子で、陽気な性格である。したがって、速い動きに加えて軽い演奏表現が要求される。

ブレ Bouree は、2/4拍子か4/4拍子で書かれていて、4分音符のアウフタクトから始まる。性格はいくぶん快活である。そこで、ほどよい速さで奏され、その演奏表現はかなり軽くなければならない。

ガヴォット Gavotte は、ほどよく速いアッラ・ブレーヴェ拍子のテンポを要求する。二つの4分音符のアウフタクトから始まり、感じがよくて、かなり陽気な性格をもつ。これに基づくと、その演奏表現も容易に決定することができる。

さて、このテュルクの記述を参照した上で、グレン・グールドの弾くアルマンドを聴いたら・・・グールドの弾くバッハは「バッハの音楽」だと言えるのか、それとも「グールドがバッハの作品に基づき編曲した音楽」だとみなすべきなのか、は極めて明瞭ではないかと思います。



「グールドのバッハ」と言われるものは、「グールドのバッハ解釈」と置き換えられるのは決して適切ではなく、やはり「編曲」なのではないか?
かつてハーティがヘンデルの「水上の音楽」を近代オーケストラ向けに「編曲」したのと同様の意味合いで、楽譜はオリジナルを追いかけたようであっても(ただし、そもそも近代ピアノ向けに直されたバッハの楽譜はオリジナルとは大小さまざまな違いがありますが)、グールドの演奏は実は「編曲」行為ではなかったのか?
なぜならば、簡単に言えば、グールドの弾くアルマンドが、バッハから時代の下ったテュルクの物差しからしても、またテュルクに影響を与えたはずの前世代の舞曲テンポ感からも逸脱していて、とても「解釈」という枠に収まるものだとは見なし得ないからです。これはグールドの弾く「ゴルトベルク変奏曲」ではもっと顕著に言えることではないでしょうか?

曽根麻矢子演奏と聴き比べてみて、このあたりに少し思いをめぐらせてみるのも、これからの音楽享受を考える上で面白いと思います。


さらに裏返して言えば、チェンバロでの演奏でさえもまた、バッハをはじめとするチェンバロ時代の鍵盤作品の「編曲」行為である可能性も孕むのであり、なおまた「編曲」は「解釈」とは峻別し難いながら、演奏者は聴き手に対し、自分の演奏が「解釈」なのか「編曲」なのかを明示していく重い義務を負うのだと言うことは、またあらためて問題としていかなければならないことではないかな、と思っております。いま、ゴルトベルク変奏曲についてだけ例示すれば、レオンハルトによるその主題演奏も、チェンバロを用いながら「編曲」になっているのではないか。そう言う根拠は、レオンハルトの採用しているテンポがグールドに近いところにあります。次世代の奏者はそれを無反省に踏襲しているケースも少なくありません。ゴルトベルク変奏曲の主題(アリア)の想定するテンポが、チェンバロの糸の響きが途切れる寸前まで引き伸ばされるほど遅いものであるとは、到底考えられない気がするのですが、いかがでしょうか?

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2011年4月24日 (日)

音一つ一つに何を聴き取るか:テュルクから読む場合

松平頼則「美しい日本」第1曲〜第3曲(大井浩明さんによる演奏)
武久源造さんによるクラヴィコード演奏
・・・是非ご覧下さい。


標題に直接触れるような内容には到底出来ないのですが、考えたいことは標題の通りです。

まずは、掲げる演奏の「是非」を、ではなくて、「違い」を読み取りたいと思っています。
(それをもって、自分が音楽を考えるアタマを取り戻していくきっかけにしたいと願っています。)

J.S.Bachのイギリス組曲第2番の演奏を素材にし、ピアノで弾いたもの2例、チェンバロで弾いたもの2例を聴いてみながら考えています。
まだよく整理出来ていないので、支離滅裂な文表現になっていることは、とりあえずご容赦下さい。
あとでまた振り返るためにも、いったん記してみます。

J.S.バッハ演奏でなくても、私が思い描く「演奏」は、自分が独奏者でもなく腕も悪いことから「合奏」での像が先に立つのですけれど、そういう足場から独奏がどう聞こえているか、というあたりに少し自分でツッコミをいれてみようか、と思います。
聴く前提として、テュルクの「クラヴィーア教本」の記述をどう念頭に置いたらいいかを考えます。
J.S.バッハの演奏についてテュルク記述を前提に聴くのは、じつのところちょっとズレがあるのではないかとは思っています。エマヌエル・バッハと五十歩百歩、と言ってしまっていいかどうかは、先の課題とします。ピッチやチューニングの問題はさしあたって一切度外視します。

テュルクの記述の前提となっている「クラヴィーア」は、オルガンでないことは明示されていますから論外です(ただし、たとえばp.181にフリードマン・バッハのオルガン演奏への推測を加えた運指法についての小考が含まれたりはしています)、少なくともフォルテピアノではありませんね。フォルテピアノを説明するのに「小さくて新式のフォルテピアノのなかには、クラヴィーアの形をしたものもある」(東川訳書p.6)とあります。表現に関するテュルクの記述を検討するには、ここは重要なのかなぁ、と感じたりしています。
中間部分の、楽典と演奏法を関連づけながら述べている大部分をきちんと理解しないと本来は読み誤りを起こすのでしょうから、そこへの細かい立ち入りも必要なのですが、私がそこまでの器ではないので、あえて避けて通ります。また、テンポの問題も検討しなければなりませんが、それはJ.S.バッハの組曲での各ピースが、プレリュードを除き舞曲名で規定されている点に着目して別途なされるべきことかと思いますので、そこまでの拡大は次にすることとします。

まず、いちばん目を向けたいのは、ペリオーデ(Periode、英語のperiod。テュルク曰く「大なり小なりの静止部分 Ruhestelle」【訳書p.389注】)と彼が呼んでいる、東川さんは訳せないと仰っているのですが敢てこんなものかと考えるならば「楽節的動機」〜音楽の展開に用いられる断片としての要素的動機ではなくて、完全終止であれ不完全終止であれ「まとまり」をもつもの・・・だからこそテュルクはこれを限られた部分では簡便的にRuhestelleとも呼ぶことにしているのではないかと解釈しました・・・をめぐるテュルクの記述です。

ペリオーデの開始音などはすべて、通常の強拍よりはもっと明確に強調されなければならない。厳密にいえば、この開始音すらも、それが曲全体の比較的大きな部分を開始するのか、それとも比較的小さな部分を開始するのかによって、強く、あるいは弱くアクセントをつけられなければならない。つまり同じ開始音でも、完全終止の後に続く開始音は、半終止後の開始音やただのアインシュニット(文を述べる際の句節点に相当するもの、程度に、いまは捉えておきます)後の開始音よりも強くアクセントをつけられなければならないのである。」(訳書p.389、§14)

これに続くテュルクの記述は、究極は最初に掲げられたこの要約を具体的に説明するものに過ぎません。
これを、「強く」とか「弱く」とかいうアクセントで句節を置くことは、市場に出回っている殆どの演奏はそれなりに責任をもって遂行していて、この点そのものについて演奏の問題はさほど大きく発生はしていません(ただし、独奏の場合。管弦楽規模になるほどおざなりになっているものは「名演」と賞賛されているものの中にも多々あります)。

クラヴィコードならば、現在のピアノに相当するような強弱アクセントでの句節配置が出来るのですが、ではそれがテュルクに遡ったときに妥当な方法だったのか、となると、テュルクの時期には既に混同が生じている、少なくともテュルクの記述にはクラヴィコード的なものとチェンバロ的なものについて混同があるのではないか、との疑いが湧いて来ます。・・・もっとも、混同とは混乱のことではなく、演奏方法の捉え方についてはある種の広がりが生じている、進んだ状況を示しているのではあるのです。それは、ウェイトを置くべきところの音はその音の時価分充分に保持されなければならない、という点と、それを述べる際に<強弱ではなくて音の保持の程度の問題>と言うことによって、実体は保持と強弱の両面が<重さ>を現すという認識がテュルクの中にも眠っているとみなすべきだ、との、テュルク自身の把握・認識にある内在的な領域の広さと関わりがあります。

チェンバロでも、強弱感は単鍵盤でもそれなりに出せる・・・それはテュルクが別の箇所で触れている「重い・軽い(訳書p.414〜416、§43〜46)」の方法を実演上どう扱うかで可能性が幾重にも広がるものだ、とは思います。しかしながら、この「重い・軽い」をどう表出するか、によって、ペリオーデへの取り組みは全く違ってくる。

重い演奏表現では、どの音もしっかり(強調的に)奏し、そして音符の時価がすっかり過ぎ去るまで保持しなければならない。一方、どの音もそれほどしっかりは弾かないで、その指も、音符の時価が規定するよりいくらか早めに鍵から上げるとすれば、その演奏表現は軽いと言われる。・・・ここでいう、重いとか軽いとかいう表現は、音の強弱よりはむしろ、音の保持と中断に関連することである」(p.414〜415、§43)

テュルクはおもにクラヴィコードを前提にしている節はあるのですが、これはチェンバロも視野に置いた考え方であるような気がします。基本的には「重い・軽い」なのでしょうが、具体策としては次のようなことを言っています。(文脈からすると、抜き出すのは必ずしも適切な行為ではありません。そこをあえて、抜き出しで呈示してみます。)

「急ぎやためらいが行なわれ得る箇所をすべて指定するのは難しいことである。・・・忘れてはならないのは、ここで述べる手段は、自分ひとりで演奏するか、非常に注意深い伴奏者と一緒に演奏するかの場合に限って、使うことが出来るということである。/(このような意図的な急ぎやためらいを、序論で述べた誤った急ぎなどと混同してはならないのは、言うまでもない。)」(訳書p.429、§65)

「激烈、怒り、憤激、狂乱といった性格をもつ曲では、もっとも力強い箇所は、いくらか加速気味に(accelerandoで)演奏することが出来る。普通よりは強くして(普通よりは高くして)繰り返される個々の楽想もある程度、速度が加速されることを要求する。穏やかな感情が時として活発な箇所によって中断されるとき、その場合の活発な箇所もいくらか急ぎ気味で奏することができる。」(訳書p.429〜430、§66)

「きわめて優しく、センチメンタルで、悲しげな箇所、つまりその感情がいわば一点に凝縮されているといった箇所では、ためらいを募らせること(滞留、tardando)によって、その効果をとくに高めることが出来る。」(以下略、訳書p。430、§67)

これらについて、とくに§65でわざわざ序論を参照するようテュルクが求めているところからすると、序論(序章)は大事に受け止められなければなりません。該当するのは序章の§37でしょうか、そこではテュルクはこう述べています。

「ある人がいつも急ぐ(少しずつ速くなっていく)かと思うと、別の人は、停滞anhalten(引き摺りschleppen)といわれる、それとは正反対の誤りに陥る。そこで教師は、学習者が最後の音符まで最初のテンポを維持するように、細心の注意を払わなければならない。」(訳書p.30、§37)

テュルクは勿論、初心者が初歩的にテンポを維持出来ない誤りについて述べています。

では、現実に是とされて来た演奏は、どのようであるか。
それとペリオーデの把握はいかようになされているか。

チェンバロの例とピアノの例を、まずはひとつずつ聴いておくことにしましょう。
イギリス組曲第2番(ハ短調)のプレリュードです。

チェンバロは、アラン・カーティスの1980年の録音(apex 0927 40808 2)

ピアノは、マルタ・アルゲリッチの1980年の録音(Deutsch Grammophone 463 604-2)

カーティスはヘンデル指揮者として名を馳せている人で、録音したこの時期からすると、(今で言うモダンの)オーケストラ奏者からすると「バッハらしい重さ」ではありました。「重さ」の表現のために、音の保持に重点を置いている様子が、良く聴き取れます。一方で、これはこのころの他の人のチェンバロ演奏にも・・・そしてしばしば荘重な曲の演奏に際して現在なお・・・聴き取れる、これは合奏奏者としては「やってもいいの?」なschleppenがあることに気を留めておきたいのです(これが「ミス」ではなく「妥当」に聞こえるのは習慣的なものでもあり、生理的に必ずしも不当とは言えない側面を持つからではありますし、私も「是」と思って来ていることなのではありますが、その妥当性はこうだからだ、と明示的に述べるのは大変難しいことです)。合奏でこのような音の扱いは、メンゲルベルクやフルトヴェングラーの当時でなければまずやらないことになっていました。ただテンポ感だけが同じのまま1980年頃までを迎えています。・・・この方法は、果たして妥当なのかどうか。少なくとも、テュルクのうちにはこう奏してよいとする論拠は全く見当たらない気がするのです。

一方、アルゲリッチの演奏は、同年の録音でありながら、全く対照的です。現今の、むしろ快速で演奏されるようになったJ.S.バッハのプレリュード、たとえば曽根麻矢子のチェンバロ演奏(4分31秒)と近い。では「軽い」演奏か、というと、強弱の起伏によって浮き上がらないように制御されているのが伺われます。これはピアノでの演奏時間が近似するグレン・グールド(4分30秒)とは対照的なものではないかと感じます。

音の時価の保持、という面では、テュルクの考えからすると初歩的な誤りであったものへの「芸術的」逸脱によって「重い」表現がデフォルメされて来たのが19世紀後半から20世紀中盤までの主要な動きだったのかも知れません。そのあいだ、チェンバロは実質上廃れています。クラヴィコードも消えています。となると、20世紀後半になってようやく復活を認知されたチェンバロ演奏は、クラヴィーアとして19世紀以降唯一生き残り、独自の恐竜的進化を遂げたピアノ演奏の遺伝子を受け継いでいるものとして捉えなおされた方がいいのかも知れません。
いっぽう、ピアノ演奏はさらに独立して何らかの展開を遂げ、今回その言葉は引きませんでしたが、テュルクも、テュルクに多くの示唆を与えたエマヌエル・バッハも重視していた「アフェクト(いまはこれもまた、感情表出、という訳語で捉えておきましょう)」に対する何らかのデフォルメを、行ったん淘汰しようとする動きの中で、「保持による崩し」ではなく、「強弱による掘り下げ」の方に舵を切り替えている・・・その最も優れた成果の一つが、このアルゲリッチの例ではないかと思うのです。
ただし、これはピアノだからとり得た方法ではあるのです。
アルゲリッチの録音を聴きながら、はたとそのことに思い当たりました。
ピアノだからこそ、という面は、プレリュードではなく、続く舞曲標題の曲の方で、より際立って気付き得ます。
それが現今のチェンバロの演奏とどのように繋がりあってくるのか、果たしてピアノで弾かれるJ.S.バッハの音楽は、本来的な意味でのJ.S.バッハ音楽足り得ると言えるのか、もしくは他の何ものか、なのか、とは、伝統となっているさまざまな音楽の演奏の現在を私たちがどう位置づけたらいいのか、を検討する際に大きなヒントを与えてくれはしないのでしょうか?

・・・という具合で、すみません、非常に半端な文になってしまったことは否定しません。

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2011年4月23日 (土)

武久源造氏の弾くクラヴィコード

貴重な映像を人づてに知りましたので、埋め込みます。

重かったらごめんなさい。

武久さんは目は見えないながら抜群の聴覚を誇る演奏家で、心酔してその御主催されるアンサンブルに加わっているかたが熱く語るのを興味深く拝聴したことがあります。CDも多数お出しになっており、チェンバロから初期フォルテピアノまで縦横に弾きこなしてバッハを弾いていらしたり、指揮者として素晴らしい「メサイア」の録音もなさっています(個人的にはアーノンクール盤よりずっと名演だと思っております)。
クラヴィコードはなかなかお目にかかれない楽器かも知れませんが、触ってみると、繊細ながら豊かな響きがします。その特徴はCD類よりもこの映像からのほうが実感しやすいかも知れません。

スヴェーリンク:涙のパヴァーヌ

http://www.youtube.com/watch?v=db4-TP27GN4&feature=relmfu

 

J.S.バッハ:トッカータ BWV912

http://www.youtube.com/watch?v=b8jnqBiaKXY&feature=relmfu

 

J.S.バッハ:シャコンヌ(武久源造編)

http://www.youtube.com/watch?v=l_uI4euht-o&feature=relmfu

まだあるとのことで・・・検索でもヒットしないそうですから、掲載します。
これらも、いい演奏です。

ゲオルク・ベーム:前奏曲、フーガと後奏曲 ト短調

http://www.youtube.com/watch?v=VJO7DKVJYMw

 

J.S.バッハ:フランス組曲第1番

http://www.youtube.com/watch?v=NFqCY77yVBw

 

エマヌエル・バッハ/フォリアによる12の変奏曲,Wq.118/9

http://www.youtube.com/watch?v=aBzkMRd6Em4

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第19番 ト短調,Op.49-1

http://www.youtube.com/watch?v=ceWEq015Rsw&feature=relmfu

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2011年4月10日 (日)

【転載】モダン演奏者向けのバッハ演奏講習会(米:アーロンコープランド音楽院)

指揮者の右近大二郎さんのブログから転載させて頂きます。

右近さんは帰日後ヨーゼフ・ハイドンの作品に初期のものから精力的に取り組んでいらっしゃいます。日本でのヨーロッパ古典音楽作品見直しに大きな役目を果たして下さる大切な存在になっていかれることと存じます。

Aaron Copland School of Music
Room 203
Queens College C.U.N.Y.
65-30 Kissena Blvd.
Flushing NY 11367
(Tel) 718-997-3800
(Fax) 718-997-3849

右近さんの元記事~右近さんのコメント、ご経験からのおことば、教授陣のうちエリクソン教授の参加した「3台のチェンバロのための協奏曲」映像もありますので、こちらをも是非お読み下さい。
http://dialzero.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-336b.html


以下、転載(YouTube等へのリンクを追記しました。)

私の母校アーロンコープランド音楽院にて、6月26日から7月2日の間にバッハ夏期講習が行われます。
対象は、古楽器奏者ではなく(大事です)
モダン楽器奏者(主にピアノ、ヴァイオリン、フルート)と声楽家です。

バロックのスタイルを理解してバッハ演奏を学ぶワークショップです。
(希望により日英の通訳つきます。)

アーロンコープランド音楽院のウェブページ:
http://qcpages.qc.cuny.edu/music/summer2011/bach/

講習会の概要:
http://qcpages.qc.cuny.edu/music/summer2011/bach/BachWorkshopInfo.11.doc

申込用紙:
http://qcpages.qc.cuny.edu/music/summer2011/bach/JSBApplication.11.doc

申し込みは随時受付中です。
申し込みには、申し込み用紙にバッハを含んだ、10-15分の録音を添えてください。

講習費:$600 (約5万円)
大学の寮に滞在可能(プライベートルーム、一泊$70)

教授陣:

レイモンド・エリクソン Raymond Erickson (ピアノ、チェンバロ)
この講習会のディレクターで、アメリカのバッハ演奏/研究における最重要人物の一人。
※追記
 ・NAXOSでのパーセル演奏参加一覧
http://ml.naxos.jp/album/TROY127
 ・エリクソン氏のバッハ「シャコンヌ:解釈論(複数ページ)トップ
  http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/548324/532928/52689303 

ドロシー・オルソン Dorothy J. Olsson (ダンス)
ニューヨーク・ヒストリカル・ダンス・カンパニーの創立者。歴史的ダンスの第一人者。

ジャネット・パッカー Janet Packer (ヴァイオリン)
マサチューセッツ州ケンブリッジにあるロンジー音楽院の弦楽科主任教授。

牧真之 (チェンバロ、オルガン、伴奏法)
インディアナ大学古楽科アソシエイト・インストラクターを経て、現在アーロンコープランド音楽院非常勤講師。
※追記
 ・YouTubeでのスカルラッティ演奏映像
   http://www.youtube.com/watch?v=yWDMm4BkRtg

サンドラ・ミラー Sandra Miller (フルート)
バッハやモーツァルトなどの歴史的演奏法の先駆者。
※追記
 ・YouTubeでのモーツァルト協奏曲(第1番)
  http://www.youtube.com/watch?v=hnORlU6Wzw4

サリー・サンフォード Sally Sanford (ソプラノ)
国際的に知られている、バロック歌唱法の研究者。主要レーベルからの録音や出版物がある。
※追記
 ・参加しているボノンチーニLaudate puerの演奏
  http://www.youtube.com/watch?v=qjB70etrT5Y

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