モーツァルト

2018年10月 8日 (月)

【モーツァルトの宗教曲】孤児院ミサKV.139(47a)

音楽のことを言葉で綴るのは難しく、まして知識も技術も万年未熟となると、ますますどうしたらいいのか分からなくなります。

それなのによくも無謀にたくさん綴って来たものだ、と、いまさらながらに恥ずかしく思います。

それでも重ねてこうして喋りたくなっているのは、モーツァルトの作品にはラテン語歌詞の宗教曲も豊富にあるにもかかわらず、主要オペラや器楽曲に比べると、思いのほか日の目を見ていない気がしているからです。
モーツァルトの宗教曲についてはカルル・ド・ニの豊かな概説本の日本語訳(白水社 文庫クセジュ)もありますし、ネットでもお好きなかたの素晴らしい特集サイトがあったりします。加えてよいものが、まだなにかあるのでしょうか?

あるとすれば、こちらは日本語訳の出ていない、各作品のスコアの解説の情報も、そのひとつでしょう。あるいは、ザルツブルク時代に書かれたミサ曲があっけらかんと明るいために、現代人の感覚からすると厳粛さに欠ける分価値が低いとされている、その価値観が耳を妨げている面はないかどうか、を確認しなおすのも面白いかもしれません。
そんなところから、ひとつひとつ、少しはじっくりめに眺めていこうか、と思った次第です。
ただ、私の読み取り能力は決して高くありませんので、どれくらい時間がかかるのか、皆目見当がつきません。なんとか挫折しないように勉強していく所存です。お気づきの点はご教示頂けましたら幸いです。
(ここまで、前の記事と趣旨が重複していますが、ご容赦頂ければと存じます。)


さて、まずはミサ曲を軸にしていきます。
ミサ曲は、グレゴリオ聖歌以降、誰が作曲しても、基本的に歌詞がいっしょです。そのため、モーツァルト自身のもの同士でも、あるいはその先輩後輩のミサ曲でも、必要な時には比較がしやすいメリットがありますし、それぞれのミサ曲が書かれた時代の特徴も、もしかしたら把握しやすくなるかも知れないとの期待が持てます。

※「孤児院ミサ」ハ短調 KV.139(47a)

アーノンクール/コンツェントゥス・ムジクス
アーノルト・シェーンベルク合唱団 他 (1996年)
https://tower.jp/item/168408/


【作曲年代】
モーツァルトが最初に手がけたミサ曲については、幸いにして父レオポルトが残したカタログがあるそうです。Carus版スコアの解説(英語&ドイツ語)から知ることの出来る情報によりますと、それはこんにちKV.139(47a、「孤児院ミサ」)とされているものと、KV.49とされているもののいづれかになります。
父が作成した1768年のアマデウス・モーツァルトの作品カタログには36の項目があり、そこに上の2つのミサが、”eine große Messe”と”eine kleine Messe”として記載されていることが確認できる由。
そのうちの「大きいミサ曲」のほうがKV.139、小さいほうがKV.49にあたる、という推測が、まずはなされたわけですね。
小さいKV.49のほうは、作曲年代が1768年であることは、自筆譜右肩のサインから裏付けられます。
大きいKV.139については、自筆譜右肩には他筆で「176_」とあり、年代の裏付けはとれません。こちらは、紙の透かし模様の研究から、自筆譜の年代が1768年〜69年のものであると判明し、そのことと1768年作品のカタログに記載されている”eine große Messe”が符合することから、1768年作と判明するに至ったのでした。
以下、この大きいほう(荘厳ミサ曲)のKV.139に絞ってまとめていきます。


【ニックネームの由来】
KV.139は”Waisenhausmesse”(Waisenhausは英語ではorphanageすなわち孤児院)と通称されています。これは、1768年当時、父とともに前年からウィーン旅行中だった12歳のモーツァルトが、当地の孤児院の新教会で「至聖なる聖マリアの無原罪の御孕(みごも)りの祝日」(海老澤敏訳)である12月8日になされる献納のために書いている、と父が手紙に述べた、その荘厳ミサ曲が、このKV.139である、と推測されていることによります。すなわち、推測された初演場所を名前に冠しているのです。
海老澤敏『モーツァルトの生涯』1(1991年刊 白水社、p.123-124)で、この孤児院のこと、新教会での12月7日(一日早い)の献堂式のこと、その際のモーツァルトの評判についての記録、が日本語で記されています。評判のほうだけ引用します。
「(孤児院の新教会の)盛儀ミサに際しての孤児合唱団の音楽はすべて、ザルツブルク大司教に仕える楽長レーオポルト・モーツァルト氏の12歳の幼い子息で、その非凡な才能によって知られたヴォルフガング・モーツァルトによって、このたびの祝典のために、まったく新たに書かれたもので、ひろく喝采を博し、かつ驚嘆の的となったが、彼自身によって演奏も行なわれ、このうえもなく整然と指揮された。」
これがしかし、KV.139にあたるミサ曲かどうかは、今なお確証を得ていないとされています。さて、事態は進展しているのでしょうか、どうでしょうか。


【特徴】

[構成のこと]
構成は、「荘厳ミサ」とか「盛儀ミサ」と呼ばれる類いに準拠していて、詞章の長いグローリアとクレードは、いずれも7つの部分に分けて作られています。
この7部の分けかたが独自のものなのか、はたまたなんらかの伝統によるものなのか、を、事情にまったく通じていない私には正しく理解する術がありません。
おおまかな傍証を得るために、古くはギョーム・ド・マショー「ノートルダム・ミサ」から、デュファイ「『私の顔が蒼いのは』ミサ」、オケゲム「ミサ・プロラツィオーヌム」あたりから聴いてみましたが、古いミサ曲は各詞章がほぼ一気通貫で作曲されているのでした(「キリエ」だけは早くから「キリエ・エレイソン」〜「クリステ・エレイソン」〜「キリエ・エレイソン」の三部になっていますが)。
後期バロックまで飛んで、ヴィヴァルディの名作「グローリア」を覗いてみますと、区切られている部は12に及んでいます。モーツァルトの「孤児院ミサ」と一致するのは、1番目の他、3、4、6、9、11、12となります。
バッハのロ短調ミサですと、グローリアもクレードも9部で、モーツァルト「孤児院ミサ」よりもまだ2部多く区切っています。
ザルツブルクで活躍した大先輩のビーバーの「53声部のミサ」も、まだ、より細かい区切りがあります。これが1682年の作品です。
ブリュッセルで活躍したフィオッコ(1704〜1741)のミサ・ソレムニスで、グローリアでもクレードでもモーツァルト「孤児院ミサ」と一致するとみてよい区切り箇所・区切り数の作例をようやく聴けました。
少し下って、先輩ヨーゼフ・ハイドンの「聖チェチーリア・ミサ(ミサ曲第3番)」(1766年の作)は、グローリアは完全一致、クレードはハイドンのほうは明確な箇所こそすくないものの、内容としては「孤児院ミサ」と一致、とみて差し支えないだろうところまで、確認は出来ました。
以上から、モーツァルトが「孤児院ミサ」でとっている詞章の区切りかたは、ヴィヴァルディやバッハの時代に根ざしたものが、その後もう少し整理された、その伝統の流れに添ったものになっているだろうところまでの裏付けはとれたかと思います。
これはCarus版のKV.49のスコアのほうにある
「モーツァルトは熱心に、イタリアやザルツブルクの作曲家たちの曲を模写していた」
事実と、当然符合するものと思います。


[調性と曲想のこと]
音楽としての最大の特徴は、なんといっても、全曲の幕開けである冒頭部12小節間のアダージョの、厳しい和音の連なりによって聴き手に与える衝撃感でしょう。
クラシックは、その曲の最初の章の響きが、何を主音とする長調なのか短調なのか、で呼ばれます。その伝からいけば、「孤児院ミサ」は「ハ長調」と呼ぶほうが妥当であることは、末尾に掲げる曲の構成の、調の流れを見れば明らかです。「キリエ」の主部も、「グローリア」も「クレード」も「サンクトゥス」も、メインの章はすべてハ長調で書かれ、合唱が入ります。(ヘ長調やト長調の章は独唱によって歌われますので、そのことからも、メインではない・・・言ってみればスペシャルな部分である・・・ことが分かります。)
いっぽう、最後の「アニュス・デイ」だけは、前半の、演奏時間でも半分以上を占めるアダージョ部分は「ハ短調」で、ここでは長々と、トロンボーンの、苦悶の叫びであるかのような、異様な独奏を聴かせられることとなります(12小節間)。
他には「グローリア」グループ中の「クィ・トーリス」が合唱入りのヘ短調(ハ長調から見ると下属調の同主調)、「クレード」グループ中の「クルーチフィクスス(十字架に懸けられ)」が合唱入りのハ短調となっていて、これらも他の部分から切り離された激しい印象を与えますが、こちらは作品の冒頭でも末尾でもないので、印象は幾分和らげられるのかな、と思います。
するとやはり、作品の最初と最後の与える暗黒感がかなり強烈であるために、「孤児院ミサ」は、その調性を「ハ短調」と呼ばれるのに至ったのかな、という気がします。

しかし実は、冒頭の「キリエ」開始部がハ短調であるのは、1小節目と9小節め以降だけ、つまりこの部分の半分です。
冒頭の凄まじさについては、和音の細々した理屈を追っかけても面白くありませんし、よく分からなくもなります。しかし、最初の8小節の合唱の音を具体的に追いかけてみますと、ちょっと面白い景色が開けます(7〜8小節目は一部の音だけです)。
・ソプラノ:C-Db-D-Eb
・アルト :Eb-E-F-Gb
・テノール:G-G-Ab-B
・バス  :C-Bb-B-Es
下二声は和声の都合もあるのでしょうが、ソプラノとアルトは、並行する6度の関係で、どちらも半音ずつ上昇していきます。すなわち、アダージョですからゆっくりした時間で、声は狭い間隔でにじるようにうわずっていく。
2小節目で減七と呼ばれる、どこまで音を重ねても響きの感じが変わらない奇妙な和音が突如出てくるのですが、これによる混沌の効果が、この「にじりあがる」音とともに、あたかも精神の苦痛を具現するが如くになっているところ、十二歳の子供が人の心のそんなところまで知っていたものか、と、空恐ろしく感じさせられさえします。いや、単に音楽の語法としてモーツァルト少年が体得していただけのことだ、と言えば、それまでではあるのですけれど。

「キリエ」冒頭部以降は、先にあげた部分以外は、底抜けにあっけらかんとした音楽になっています。そこにまだまだモーツァルトの子供らしさがたっぷり顔を出している、と聴くかどうかは、聴き手次第なのでしょうか。「クレード」の歌い出しが半音ずつ加工する恩恵であることだけは、しかし最低でも特筆しておかなければならないでしょう。これは「キリエ」冒頭が半音ずつの重苦しい上昇であることに呼応していて、かつ非常に軽やかであるところが、ちょっと面白いと思います。

「孤児院ミサ」の、もうひとつ大きな特徴は、「キリエ」・「グローリア」・(グラーティアス)・(クム・サンクト・スピリトゥ)・(エト・イン・ウーナム・サンクタム)・「サンクトゥス」と、多くの部分で、もっとも耳につく歌い出しがC音の連続になっている、すなわち音程に動きがないことです。とくに「キリエ」・「グローリア」は詞章の開始部で、音楽としても軸になるところですが、両方ともC3音でまったく同じリズムをとっていますし、「サンクトゥス」もリズムは異なるものの詞章の歌い出しですから、このミサ曲全体を聴く人に、あ、また同じ音だ、と、統一感を感じさせる仕掛けになっています。そして、そのあとの動きがそれぞれの部で異なっていることで、また変化をも敏感に捉えられるよう配慮されている、と言っていいかと思います。


[まとめ]
以上、みてきたことから、「孤児院ミサ」の特徴を簡潔にまとめてみますと、

・全曲の幕開けで重苦しくにじりあがる響きで聴き手に衝撃が印象づけられ、以後、概ね明るく進んでおきながら、最後の最後でまた、苦悶を描くようなトロンボーン独奏で気分を沈ませる(上では言いませんでしたが、いちおうこちらは明るい決着は迎えるのですが)仕掛けになっている。目立つ短調は他に2ヶ所ある程度なのに、幕開けも苦悶のトロンボーンもハ短調であるため、全体の調性は「ハ短調」と判定されることになったと思われる。

・音楽の軸になる箇所の幾つかがC音の(3音程度の)連続で歌い出されるため、聴き手は作品全体に統一を感じることが出来る。かつ、それぞれの箇所で、C音の連続のあとの動きが異なるため、変化も感じることが出来る。

・・・巧く作ったもんだなあ、と、ただただ感心します。


「孤児院ミサ」については、詞の内容とメロディの兼ね合いとか、曲の様式がギャラントだロココだみたいだとかいうところまでには、とりあえず立ち入りませんでした。作品をめぐる価値観についても、単に詞章の区切りかたの面のみ、分かる範囲で観察したに留まっています。そうしたことどもは、これからモーツァルトのミサ曲をいくつも見ていく中で、追々観察していくべきかな、と思っております。

ザルツブルク時代のモーツァルトのミサ曲は、新全集の第1巻に全部おさまっています。
私の参照スコアはCarus版で、「孤児院ミサ」と、解説を参照したKV.49については
*KV139   Carus 40.614/07
*KV49     Carus 40.621/07
です。


以下、メモ的に、演奏される編成と曲の構成を載せておきます。
構成のほうは、どの部分が合唱でどの部分が独唱かを記していません。後日追記することといたします。

【編成】
・オーボエ2本
・トランペット(クラリーノ)C管2本
・ティンパニ(キリエ主部、グローリア、グラーティアス、クレード、エト・ウーナム・サンクトゥム以降、サンクトゥス、ドナ・ノービス・パーチェムで使用。いずれにおいてもCとG)
・トロンボーン3本
・ヴァイオリン1・2、ヴィオラ、バス&オルガン
四部合唱と独唱(各声部)

【曲の構成とテンポ】
Kyrie(キリエ):
1-12 Adagio  c moll 4/4 トランペットとティンパニなし
13-104 allegro C dur 3/4
(Christe eleison)
105-140 Andante F dur 2/4 弦・通奏低音のみ

Gloria(グローリア):
1-23 Allegro C dur 4/4
(Laudamus te)
24-72 Andante G dur 3/4 弦・通奏低音のみ
(Gratias agimus)
73-82 Adagio C dur 4/4
(Domine Deus)
83-138 Andante F dur 2/4
(Qui tolis)
139-165 Adagio f moll 2/2 トランペットなし
(Quoniam tu solus Sanctus)
166-243 Allegro F dur 3/4 弦・通奏低音のみ
(Cum Sancto Spiritus)
244-340 Allegro C dur 2/2

Credo(クレド):
1-74 Allegro C dur 4/4
(Et incarnatus est)
75-115 Andante F dur 6/8 弦・通奏低音のみ
(Crucifixus)
116-127 Adagio c moll 4/4
(Et resurrexit)
128-171 Allegro C dur 2/2
(Et in Spiritum Sanctum)
172-230 Andante G dur 3/4 弦・通奏低音のみ
(Et unam sanctam)
231-256 Allegro C dur 2/2, 257-259 Adagio(mortuorum)
(Et vitam venturi sacli, Amen)
atacca 260-336 C dur 4/4

Sanctus(サンクトゥス):
1- 14 Adagio C dur 2/2
(Pleni sunt)
atacca Allegro15-35 C dur 3/4
(hosanna)
atacca 36-45 (Allegro) C dur 2/2
(Benedictus)
1-24 Andante F dur 4/4
(hosanna)
atacca 25-34 (Allegro) C dur 2/2

Agnus Dei(アニュス・デイ):
1- 54 Andante c moll 2/2
55-125  Allegro C dur 3/4

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2018年9月 8日 (土)

モーツァルトのミサ曲(0)

ふと思い立って、モーツァルトのミサ曲を読んでいきたいな、と考え始めました。

彼の作品をひととおり聴いてみたいな、と、ずっと以前に思って、ザルツブルク時代のものについては、そのころほぼブログに綴りきりましたが、ウィーン時代以後のものまでにはいたらず終わりました。
そして当時綴った記事を読み返すと、慌てていて犯した間違いはともかく、そうでないものも、「聴く」というよりは、伝記的事実との整合に追われていて、中身を読むことに疎いままだな、と実感します。

モーツァルトは、既に幼い時から、様々なジャンルで豊富な作品を書いていました。それは誰でも知っているとおりです。
ミサ曲についても、未完成の「ハ短調ミサ曲」を含めて17作書いています。
十代の最後に初めて、アマチュアオーケストラの一員としてモーツァルトのミサ曲に接して以来、私はこの彼のこのジャンルに愛着があるのですが、その内容については未だにちゃんと理解してはいません。
せっかくなので、いちから触れなおしてみようかな、と思うのです。

幸いにして、新モーツァルト全集のスコアが手元にあります。
ザルツブルク時代のミサ曲は第1巻、ハ短調ミサとレクイエム(ジュスマイヤー版)は第2巻に収録されています。
どれくらいかかるか分かりませんが、これを順次眺めて行くことにします。

ミサ曲は、誰の手になる作品でもテキストが共通であるため、他のジャンルよりは理解も深めやすいところもあるかも知れません。
このテキストは、最初の「キリエ」が古代ギリシア語で、以下の「グローリア」・「クレド」・「サンクトゥス」・「ホザンナ」・「ベネディクトゥス」・「アグヌス(アニュス)・デイ」はラテン語です。
古代ギリシア語もラテン語も、学習上は、日本語と同じ「高低アクセント」です。しかしながら、音楽作品としてのミサ曲を理解していく上では、作曲家たち、はこれらの言葉に対し、高低アクセントでの曲付けはしていません。
グレゴリオ聖歌を聴いても、そのメロディライン(旋律線)は既に、言葉の高低アクセントの線に添ってはいません。デュファイなどの古い作曲家によるミサ曲でも同様です。
この面からも「ミサ曲」は、古代からのではなく、自分の文化を確かに持ち始めたヨーロッパの伝統を体現したジャンルになっていることが伺われます。
有り難いことに今も文庫で読める、ゲオルギアーデス『音楽と言語』(原著は1954年)が、ミサ曲をもって巨視的な考察を進めていたのも、当然のことだったのかな、と感じます。
いま、読んでいこうとしているのはモーツァルトに限られるわけですが、そんな狭い視野からも、私自身の西欧文化理解に何か新しい目を開いてくるものが生まれて来たらいいな、と、ちょっとだけ期待しています。

「ハ短調ミサ」と「レクイエム」を除けば、モーツァルトがミサ曲を書いた時期はザルツブルク在住期間に限られるのですが、そのことがかえって、モーツァルトの成長過程を明確にしてくれるのではないかな、とも思うのですけれど、それは進めていってからでないと分かりませんね。

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2016年11月25日 (金)

モーツァルトのミサ曲(全体像)

10代の頃、モーツァルトのミサ曲を伴奏するオーケストラに加えてもらったことは、私にとって幸せな思い出の一つです。

ただ、2度ほどそんな機会があったはずなのですけれど、「小クレドミサ」と、もう一つはどれだったのか、思い出せません。ニ長調のミサ・ブレヴィスだったような気がします。

モーツァルトのミサ曲は、レクイエムを除き、未完のハ短調を含め16作品あります。別に疑作とされるものが1作あります。

それぞれへの感想などは、世の中にあまたいるモーツァルト・ファンが、既にたくさん述べているでしょう。
しかしながら、ほとんどすべてが、25歳までにザルツブルクという特定の空間のために書かれたものであるせいか、または宗教音楽であるという特異性の故か、注目度は高い方ではないかも知れません(文庫クセジュに入ったド・ニの『モーツァルトの宗教音楽』はよく読まれていますけれど)。

実のところ、ミサ曲はじめ、キリスト教、とくにカトリックの、時代を超えて共通したラテン語歌詞に繰り返し音楽がつけられてきた、ということ自体が、世界では、かなり特異なことに属します。しかしながら、クラシック音楽では珍しくない曲種なので、クラシック音楽ファンには、その特異さが意識されることは薄いかと思います。

もとより私がミサ曲の歴史に詳しいわけでもなく、モーツァルト一人の作例からミサ曲というものの特異性が浮き彫りにしきれるわけでもなかろう、とも考えます。
それでも、幸いにして他の作曲家のだれよりも楽譜を通じてその創作の全貌を見ることに恵まれている、モーツァルト作品を素材にして、この点を考えてみるのは、ちょっと面白い作業になるのではないか、そんな気がした次第です。
10代で演奏に参加した日の、胸打たれた記憶を呼び戻したい、との思いもあります。

少し、お付き合いいただけたら、うれしく存じます。


手始めに、モーツァルトのミサ曲の規模について、一覧表を作ってみました。
今回は、これをご覧下さい。(クリックで表全体が見られます。)

モーツァルトの作曲したミサ曲は、研究者によって3種に分類されています。
*ミサ・ソレムニス(Sと略す)
*ミサ・ブレヴィス(Bと略す)
*ミサ・ブレヴィスソレムニス(BSと略す)〜表作成時に誤ってソレムニスブレヴィスとしてしまいましたが、ご容赦下さい。
です。

Mozartmessen_2

表から分かりますとおり、ミサ・ブレヴィスとミサ・ブレヴィスソレムニスは、全体も各章も、小節数に殆ど差がありません。

ミサ・ブレヴィスソレムニスは、実は、管弦楽の編成がミサ・ソレムニス並みに大きく、それにもかかわらず、音楽内容の面ではミサ・ブレヴィスと同等であるため、こんな分類をされたものであって、モーツァルト特有のものです。なぜそんなものをモーツァルトが書いたか、は、伝記にお詳しいかたには容易に察しがつくことでしょうから、今は述べません。曲の内容のうえで、ミサ・ブレヴィスと区分されうるものであるかどうかは、今後探っていきましょう。

ミサ・ソレムニスの各章は、ミサ・ブレヴィスと単純比較してはいけないのかも知れません。アグヌス・デイ(アニュス・デイ)を除く各章とも、1曲ではなく、詞章を数曲に分けて作曲されるものだからです。それでも、この種類のミサが、モーツァルトにとって作例のいちばん多いミサ・ブレヴィスの、ほぼきっちり2倍の長さとなっているのが見ていただけるだけでも、表の意味があるでしょう。また、1773年を下限にモーツァルトがミサ・ソレムニスを作曲していないところも・・・これまた伝記にお詳しい方には「やっぱりそうだったんだねぇ」とほくそ笑まれるでしょうが・・・特徴的です。

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2016年3月13日 (日)

「プラハ交響曲」・ヴァイオリン協奏曲第5番ファクシミリ!(モーツァルト)

アカデミアさんからのニュースに狂喜!

https://www.academia-music.com/academia/m.php/20160309-7

モーツァルト「プラハ交響曲」自筆譜のファクシミリが、とうとう発売!
でもって同時に第5番のヴァイオリン協奏曲(イ長調、トルコ風)も!

・・・お金もないのに、ついボチッとしちまいました。(>_<)

Prague

「プラハ交響曲」の自筆譜は、モーツァルトの他のたくさんの自筆譜と同じように、第二次世界大戦のときドイツからポーランドのクラクフに隠密裡に避難したことは、モーツァルトをお好きなかたはよくご存知の事でしょう。
新モーツァルト全集が編まれるとき、「プラハ交響曲」出版時(1971)には自筆譜を参照する事が出来ず、旧全集のオイレンブルクの版を使用していたとのことです(そうしたことによる問題点については、たとえばこの記事参照 https://www.academia-music.com/academia/r_mozart_yasuda.php)。
今回写真版ファクシミリが入手出来るようになった「プラハ交響曲」の自筆譜は1980年に再発見されたもので、新モーツァルト全集をベースにしたベーレンライター版の新しいスコアには発見による修正が反映されているものの、具体的にどんな点が新全集から修正されたのか、それは自筆譜上のどんな事実に基づくのか、は、私たち普通の愛好家には知りようがありませんでした。そうした点について「なるほど!」と思いながら眺めるのも、まあいいのだろうな、とは思います。
でも、自筆譜ファクシミリを読むときのいちばんおおきな喜びは、神話の中にある作曲家が、伝説的な名曲を作り上げる中で、どんな苦闘をしたか、あるいはしなかったか、を知り得るところにあります。こうしたことは、印刷された楽譜では、ふつうは分かりません。

「プラハ交響曲」の場合、モーツァルトが、たとえば第1楽章でたいへん意義深い修正を自ら行なっていることを、今回ファクシミリで知りました。私はそれに大きな感銘を受けました。
79小節でファゴットとチェロが、前から流れている第1ヴァイオリンに和して第1ヴァイオリンと同じ動機を奏でますが、これはどうも最初は小節の頭の八分音符から「タタタタタタターララ」のように書いていたようです。それをあとから最初の「タ」は八分休符に置き換えて「・タタタタタターララ」に直しています。
164小節は、当初2分音符二つだったホルンとトランペットを、最初の一つ分は二分休符に直しています。
旧モーツァルト全集に依拠していると思われる全音のスコアでは、前者は自筆譜の変更を反映していますが、後者は反映していないだけでなく、どうも違う音になっているようで、別の問題をはらんでいるようです(旧全集は現在グラーツにあるパート譜を参照して「プラハ交響曲」の校訂をしたものだと聞いています・・・合ってるのかな?)。
いずれにしても、この2ヶ所だけでも、「プラハ交響曲」を演奏する際に、第1楽章のフレージングをどのように考えるべきか、大きな示唆を与えてくれます。
第1楽章では他に、序奏部が一気に書かれたものではないらしいことがインクの色の違いで分かったりして、これもモーツァルトがただの天才でさらりと創作したのではない、アイディアをいかに彫琢するかで悩んだのだ、と知らせてくれて、ちょっと涙が出ます。(右が79小節前後、左が164小節前後。)

Prague1

フィナーレ楽章は先の2つの楽章とまったく違う五線紙に書かれているのが一目瞭然で、これを見たタイソンが1984年に「このフィナーレはもしかしたらパリ交響曲を再演しようと思ったときパリ交響曲の差し替えとして書かれたのではないか」と推測したのでした。

これまで幾つかのファクシミリを手にする機会があり、モーツァルトの自筆譜は、ほとんどの場合決して無修正ではなく、彼の苦労と効果的な修正が目の当たりに出来、その作品がどうして澄み切ったものになったかを考えさせてくれる良い材料になります。
イ長調ヴァイオリン協奏曲(KV219、トルコ風のトリオを持つフィナーレで有名)は、そんな中でも(今のところ、ぱっと見)珍しく修正のみられない自筆譜です。ほら、だから天才は違うんだ、と言いたくなる人も多いでしょうが、筆跡を見ると、たいへん丁寧です。決して天才がひらめきで書きなぐったものではありません。それがもし頭の中だけだったとしても、紙に書き下ろすときには、自分のアイディアを大切に慎重にペンに乗せたように感じられてなりません。

Mozartvn5

以上、ご興味をお持ちになられるようでしたら、実際にお手にとられる事を強くお勧め出来る2点です。


私にとって実は「リハビリ」だったブログ、リハビリのお役目はなんとか終わったように思えて、最近あんまり綴らなくなっていました。でも、やっぱり相変わらずクラシック好きなのよね。
これを期に、能がないのにへ理屈こねるのはさすがにやめて、素人として、あこがれの作曲家の筆跡に触れたとき何が幸せか、を、少しお喋りするくらいにしようかな。

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2015年3月 7日 (土)

モーツァルト、消えてほしい都市伝説

モーツァルトをめぐって、どうしても消えてほしい都市伝説が、ふたつあります。

1)○○にモーツァルトの音楽を聴かせて熟成させるとおいしくなる
2)天才モーツァルトの書いた楽譜に手直しはない。流れるように美しい。

1)「○○にモーツァルトの音楽を聴かせて熟成させるとおいしくなる」
は、ネットで「モーツァルト 日本酒」とか「モーツァルト 牛肉」とか、そんなキーワードで検索すると簡単に出てきます。個々をどうのこうの言っても仕方がないので固有名詞は上げません。どうぞ検索なさってみて下さい。否定的な意見も同様に検索に引っかかってくると思います。

で、こちらは、肯定だとか否定だとか以前に、こういう発想が出てくる背景にあるだろう「モーツァルトの音楽は心地よい」的観念が相対的なものに過ぎないことを私たちが承知しておくべきだと申し上げるだけでも、充分に都市伝説を消し去れるものと思います。
ベートーヴェンの作品がベートーヴェンの生前には前衛で聴き手の失笑・冷笑をかった話の方はよく採り上げられます。
前衛であったことにかけては、モーツァルトはベートーヴェンの偉大な先輩でした。このことはあまり承知されていません。
ほんとうはどこかでそんなことが言われているのを目にしたり耳にしたりしているはずなのですが、「モーツァルトの音楽は心地よい」との先入観にはばまれてスルーしているだけなのではないかと思います。
煩雑な伝記を読むまでもなく、中公新書から訳書のでたロビンズ・ランドン『モーツァルト 音楽における天才の役割』(石井宏訳 原著1991年 モーツァルト没後200年)に次の記述があります。
「(略)さらには、モーツァルトの音楽がウィーンの人たちには難しくなり過ぎたということもあるであろう。多くの人が”不協和音“という四重奏曲K465は聴き辛い作品であると思っていた。(中略)典型的な逸話として伝えられているのは、これが裕福なボヘミアの貴族のグラサルコヴィッツ公の家で演奏された時のことで、第一楽章が終わると、公は怒って楽譜を破いてしまったということである。この話は事実ではないとしても、当時の空気を良く伝えている。」(p.160 モーツァルトのウィーンにおける凋落)
モーツァルトの成熟期の音楽が同時代人に「難しい」と受け止められていた、とは、同書に限らず、まっとうな伝記ならば必ず言及されている事実です。そんな音楽が今の私たちにとって聴きやすかったり心地よかったりするのだとしたら、聴き慣れたせいだ、あるいはほかにもっと難しいものも増えた、ということしかなく、かつ、人間が聴き慣れたからと言って他の生き物にとってまで聴き慣れうるものかどうか保証は全くない。したがって「モーツァルトを聴かせればおいしくなる」伝説は、人間の思い込みを日本酒や肉牛に押し付けているに過ぎない。
まあ、人間の考える「価値」だなんて、何をとっても、こんないい加減さから生み出されるものがほとんどなのかも知れません。

2)では、モーツァルト生誕250年の年に、某有名オーケストラに属する某奏者さんがモーツァルト自筆譜のファクシミリを何点もかついでテレビにゲスト出演なさった際、レギュラーメンバーから
「モーツァルトの書いた楽譜は手直しがなくてきれいなんですってね」
と質問されて
「はい、そうです」
とお答えになったのを見て、あいた口が塞がらなくなったのでした。
いったいどうしてあんなことを言ったのですか、と、不躾承知でメールしましたら、お返事はきちんと下さいまして、テレビの要請に応えざるを得なかったから仕方なく、とのことでした。
お返事頂けたことは望外の喜びでしたが、胸には納得のいかないものが残り続けました。
あとで何度も考えましたが、良心を持った音楽家なら、テレビ番組の要請がどんなであろうと、ご自分がしっかり分かっていらしたはずの「事実ではないこと」をきちんと否定して、それで番組が成り立つようにと努力すべきだったのではないか、と思えてなりません。
音楽家さんが「そうです」と言えば嘘でも平気でまかり通る悲しい別事例を、その後もいくつか見ました。
クラシック業界にとって、こういうのは非常な汚点ではないでしょうか? これでは他の人に「クラシックも好きになってちょうだい!」とはとても言えないことになり、一愛好家としてたいへん残念だ、とずっと思っております。

自筆譜ファクシミリをいくつもお持ちのかたなら、モーツァルトの自筆譜にはたくさんの訂正があることを絶対にご存知のはずです。ご存じないのならファクシミリをちらっとも開いてご覧になったことがなく、ただプライドを飾るためだけにそれを持っている、恥ずかしい精神の人だと言わざるを得ません。

たくさん、というほどではありませんが、私は貧しいながらもモーツァルト大好きであるために、初期の弦楽四重奏曲、2つのピアノ協奏曲、『ドン・ジョヴァンニ』のダイジェスト、『魔笛』全曲、ハフナー交響曲にジュピター交響曲くらいの自筆譜ファクシミリは手元にあります。これらのどれを見ても、モーツァルトが考え直して抹消をしたり、音符に訂正をほどこしていたり、をまったく行なっていない楽譜はありません。
ハフナー交響曲やジュピター交響曲については例を以前ブログに掲載したことがあります。
ここでは『戴冠式』協奏曲と呼ばれているK.537の自筆譜ファクシミリにある例を少しお目にかけます。同時に、モーツァルトの手書きは決して美しくもなく、丁寧に書かれたものでもないこともはっきり分かっていただけることになるでしょう。

自立から死に至るまでのウィーン時代のモーツァルトにとって、自作ピアノ協奏曲をひっさげて演奏会を開くことは大事な収入源で、自分の演奏のための総譜は「書きかけの断片をためておき、必要が生じたときに、それに手を加えて素早く仕上げる」(西川尚生『モーツァルト』p.241 音楽之友社 2005年)方法で書いたことが明らかになっています。K.537の自筆譜もモーツァルトのそんな作曲方法がはっきり読み取れるものになっていると思います。そして、「素早く」が決して滑らかにではなく、格闘するような「素早く」だったのではないかと見られる箇所が、ふんだんにあります。
いまはパブリックドメインでも見られるようになっています。
http://imslp.org/wiki/Piano_Concerto_No.26_in_D_major,_K.537_(Mozart,_Wolfgang_Amadeus)
冊子もDoverの廉価なモノクロ版ですので入手も容易です(購入した2006年6月には2200円ほどでした)。廉価版であるにもかかわらず、アラン・タイソンによるつっこんだ解説があります。専門的なことはそんな解説をお読み頂ければいいだろうと思います。

モーツァルトは、最初はオーケストラとピアノ独奏のおもなアイディアだけ書いておいたのでしょう。モノクロでもインクの濃淡でそれがはっきりわかります。第1楽章の4葉目裏では、最初にあらかじめ書いておいたのはヴァイオリン、ヴィオラの一部(上から2〜4段目、これはこの画像からだけだと濃淡が分かりにくいところがあります)と低音部の一部(下から2段目、2〜3小節目、5小節目)、ピアノ独奏部(下から4~3段目)です。トランペット(最上段)とティンパニ(最下段)は、左端の連桁があとで上下に広げられたのが見て取れますので、他の管楽器と同時に後から付け加えられたのだと判明します。

P8

6葉目裏から7葉目表にかけては独奏部が抹消されて、あいた上の段を使って書き換えがほどこされています。7葉目表にいたっては1小節をまるまる抹消しています。この抹消された小節には独奏部以外まったく何も書かれていませんので、オーケストラ部が後で書き加えられたことの裏付けがとれます

P13

9葉目裏から10葉目表では、あとで書き換えられた方のピアノ独奏部が抹消されています。後日の加筆や書き換えでもモーツァルトは単純にではなくアイディアに悩みながら作業を進めていた、ということになるのでしょう(ガラケー写真でスミマセン)。

P1819

19葉目裏から20葉目表にかけては、こんどはオーケストラの書き込みまで(後日)されていながら、大きく抹消されています。20葉目裏はまた普通に書きこまれていて、これはモーツァルトが最初のアイディアを書き留めた時でも全部を一気に書いたのではない可能性を示唆しています。使用されている用紙の解析によると、第1楽章の16葉目までと第2楽章の6葉目までが同じ時期製造の五線紙を使っていて、第1楽章の17葉目から20葉目は別の時期製造のもの、以降さらに21〜24葉目と25〜最終までとが異なる時期の用紙なのだそうです。(第3楽章についての用紙の解析はDover版の解説表には載っていません。)

P3839

第2楽章は総譜で修正だとはっきりわかるのは5葉目(モーツァルトはこの作品では楽章ごとにあらたにページ番号を1から書き始めている)の1カ所にしかありませんが、これはモーツァルトが「頭の中で完成している」音を一気に書けば済んだ、ということを意味しません。第2楽章については主題がスケッチされていたことが分かっていて、そのスケッチはなんと日本の前田育徳会財団の保有に帰しているというオチまでついて、Dover版ファクシミリに写真も掲載されています。

P65

第2楽章で面白いのは、独奏部の左手が全く書かれていないことです。緩徐楽章なので、演奏会には即興で間に合ったのでしょう。そしてまた、書かずに演奏会に臨んだということは、協奏曲の仕上げを極力急がなければならない状況下で、モーツァルトは即興で済む部分は省き、他はバタバタと作業した、みたいな様子を推測させてくれます。
ドタバタ状況下だった第3楽章(Finale)の書きぶりが、それでもモーツァルトの天才にいちばんふさわしいと言えます。
筆跡は前の2つの楽章に比べてずいぶん荒っぽく、オーケストラ部の省略表記も多く(9葉目裏、18葉目表裏に走り書きのイタリア語で「最初の時と同じに」と書いているほか、3葉目の木管、7葉目の第2ヴァイオリン【(第1ヴァイオリンの)オクターヴ下、の指示】、最終21葉目表のトランペット(第3楽章では10葉目以降で下から4段目になっています)などへの記入省略が見られ、省力化の意図を伺うことが出来ます。その一方で、最終的に一気に書かれたと見えるしめくくりの18葉目裏のおしまい2小節以降、第21葉目までは、独奏部とオーケストラがほぼ同時進行(オーケストラの、とくに管楽器には後からの記入もあるかと思われますが)で書かれていたと見えるにもかかわらず、音符そのものの訂正はまったく見られません。これをずいぶん急いで書いたのであろうことが、インクや線の烈しい乱れからよく察せられますので、訂正のないことはやはり驚嘆に値すると思います。

P104

第3楽章の例から、モーツァルトの天才は間違いないものだと認めることが出来るのですけれど、それは
・神業のような美しい筆跡から判明するものではないこと
・先行楽章から読み取れる通り、日々の生活の糧を得るどん欲さから生まれて来た工夫(あらかじめアイディアを準備しておく・省略で済むところは省略する)、いよいよ出番となるときの懸命な見直し努力(第1楽章の書き直しの例)のように人間的な営みの積み重ねに裏打ちされていること

なのだと、モーツァルトを素材に何かを語りたい芸術家さんには、あらためてしっかり認識しておいていただきたい、と、ひたすら願う今日この頃です。

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2014年3月 7日 (金)

旧校訂系の楽譜成立への小さな推測:【楽譜の問題】モーツァルト「ハフナー交響曲」(7)

0:前置き1:入手しやすいスコア2:新旧印刷譜の相違箇所3:20世紀の演奏から4:校訂者泣かせの自筆譜5:ブライトコップフ新版前書き(上)6:ブライトコップフ新版前書き(下)7:旧校訂系の楽譜成立への小さな推測


(2)(4)で見たような相違点がどのような経緯でできたのか、自筆譜や初期の筆写譜出版譜から察せられることは、ブライトコップフ新版の前書き(5)(6)でほとんど明確になるかと思います。

では、それが以後の印刷譜にどのように引きずられていったのか。
校訂や出版とは何か、を考えるときに、そんなあたりを探ってみるのは大変面白そうですが、探るためには後年の出版譜を網羅的に眺めることが必要になると思われます。
さすがに一素人の領分を超えてしまいますので、国際楽譜ライブラリープロジェクトIMSLPで見られる楽譜から19世紀半ばの状況を垣間見るにとどめます。ご興味があればリンクをクリックして実物をご覧になって下さいね。

なお、ヴァージョンA・B・Cということにかんしては(5)をご参照下さい。

http://imslp.org/wiki/Symphony_No.35,_K.385_%28Mozart,_Wolfgang_Amadeus%29

ここで見ることのできる年代の明らかな楽譜は、総譜はブライトコップフ&ヘルテル社の1880年出版のものだけです。このスコアは、細かい点では(2)で上げたようなところが新校訂系と違っているのですが、自筆総譜およびそれをもとに校訂した新全集版やブライトコップフ新版との大きな相違だけをあげますと

【第1楽章】
ア)2分の2拍子になっている(モーツァルト自筆は4分の4拍子)
イ)24〜25小節のファゴットが弦のバスパートと同じ動きになっている
ウ)33〜34小節にスラーが施されている
エ)48小節めの第2ヴァイオリンの最初の4音は第1ヴァイオリンと同じ音(これはヴァージョンB以前の状態です!)
オ)94小節には繰り返し記号がない
【第2楽章】
カ)2小節め第1ヴァイオリン冒頭音は単付点
キ)12/14小節のヴァイオリン第1音に付点がある
【第4楽章】
ク)4分の4拍子になっている(モーツァルト自筆は2分の2拍子)
ケ)53小節からのヴァイオリンの動きはp(モーツァルトの指示はf)
コ)223〜227小節の第1ヴァイオリンに装飾音がない(これはヴァージョンBの印刷譜由来異稿に特有のことです!)

という感じです。これから想像されるのは、1880年時点でのブライトコップフ版は前書き(5)で言うところの「ヴァージョンB」の、目撃できていないさらなる異稿に由来するものではないか、ということです。エ)とコ)がヴァージョンB固有の表記になっているからです。また、カ)も気になるところで、これは自筆譜をチラッと参照したことによって新たに起きたのではないかという気がするのです(4参照)。
ところで、この楽譜には(1)で旧校訂系に括った問題があります。第1楽章と第4楽章の拍子の「誤り」です。これは、ヴァージョンBの系統のどこか途中で何らかの錯誤が起きたか、恣意が挟み込まれたか、のどちらかだろうと思われます。しかもヴァージョンBの筆写譜由来と初版譜由来の双方の特徴が入り混じっていて、複雑な様相を示しています。

上のブライトコップフ1880年版との対比で、やはりIMSLPで見ることのできる、年代の明らかな2つのピアノ用編曲(フンメルによる独奏編曲1830年頃、ブライトコップフ&ヘルテル社から1843年に出された四手譜)もぜひ参照しておかなければなりません。

まずフンメルのソロ編曲(ペータース版)を見ますと、
【第1楽章】
アh)4分の4拍子(錯誤がない)
イh)そもそもバスパートしか表記できない(錯誤の有無不明)
ウh)スラーあり(錯誤あり)
エh)第2ヴァイオリンを写したと思われる部分はg#1
オh)94小節に繰り返し記号が「ある」!〜初版系ではない!
【第2楽章】
カh)2小節目右手(第1ヴァイオリン相当)第1音は複付点!
キh)12/14小節のヴァイオリン相当音第1音に付点がある!(錯誤がある)
【第4楽章】
クh)2分の2拍子(錯誤がない)
ケh)53小節からのヴァイオリン相当の動きはf(錯誤がない)
コh)223~227小節の第1ヴァイオリン相当音に装飾音がない
となっていて、ヴァージョンAとBの中間的な楽譜になっていると言えますが、どちらかというとAよりの印象があります。第1楽章前半にまだ繰り返しが保たれているのが注目すべきポイントです。ただ、ウh・キh・コhは「旧校訂系」に繋がっていく要因となっています。

次に1843年の四手譜(ブライトコップフ)を見ますと
【第1楽章】
アd)2分の2拍子(錯誤)
イd)ファゴットの独自の動きらしいものが2番(低音担当)に記入されている
ウd)スラーがない!
エd)第2ヴァイオリンを写した箇所は明確に第2音からg#1
オd)繰り返しがない(が、二重線が書かれている)
【第2楽章】
カd)複付点!(錯誤がない)
キd)ヴァイオリンを写した音に付点がない(後半で新たな錯誤)
【第4楽章】
クd)4分の4拍子(錯誤)
ケd)ヴァイオリンを写した音はp(錯誤)
コd)装飾音がある(錯誤がない)
フンメルの独奏編曲譜に錯誤があった箇所では錯誤が基本的にない(第2楽章のキdはとりあえず問題にしているほうの音については錯誤がない)のが不思議な楽譜になっています。
錯誤のない箇所および第1楽章前半の繰り返しがないところから、これは(実際には流通することなく20世紀の新全集版でやっと印刷譜となった)ヴァージョンCの系統の楽譜だと言ってよいのでしょう。
ところが、こちらは新たに「旧校訂系」の特徴となった拍子の錯誤を示しているのです。また、ケdも「旧校訂系」の特徴となるものです。

ブライトコップフ1880年版のスコアは私たちが身近に見ることのできる「旧校訂系」の最も古い総譜ですが、これをいま仮に「旧校訂譜」のおおもとと見なしておきますと、上の観察結果から、「旧校訂系」はヴァージョンBすなわちモーツァルトの自筆稿をザルツブルクで筆写したものに由来し、19世紀前半にヴァージョンA・C系の参照をも取り入れられながら、ヴァージョンC系から拍子の錯誤を、A系から音の錯誤を引き継いで成立して行ったのではないか、と、私には思われます。

ただし、以上は、なおもっときちんとした裏付けが必要なことです。

ともあれ「旧校訂系」は19世紀に入ってからの「ハフナー交響曲」の楽譜の受容のされかたを豊かに反映した楽譜であるとは言えるでしょう。そして、それゆえに、自筆譜などの初期資料によって「新校訂系」が誕生し、この曲が200年の垢をおとすべく見直されているこんにち、「旧校訂系」での演奏はもはや推奨されない、と言い切るべきなのだとも私は思います。

かなりヤジ馬してしまいましたので、ハフナー交響曲の楽譜をめぐる問題は、また面白そうなことを見つけるまで、これで一段落としておきたく存じます。

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2014年3月 4日 (火)

ブライトコップフ新版の前書きから(下):【楽譜の問題】モーツァルト「ハフナー交響曲」(6)

0:前置き1:入手しやすいスコア2:新旧印刷譜の相違箇所3:20世紀の演奏から4:校訂者泣かせの自筆譜5:ブライトコップフ新版前書き(上)6:ブライトコップフ新版前書き(下)7:旧校訂系の楽譜成立への小さな推測  


Breitkopf Urtext (校訂Henrik Weise) Partitur-Bibliotek 5373  2013年
https://www.academia-music.com/academia/m.php/20130410-13

前書きの続き、「3. Notes on the Edition」です。
ベーレンライター新版での記譜方針を簡単に述べたあと、個別の問題で、主に自筆譜と従来の印刷譜に見られる矛盾点を解説しています。

写りが悪くて申し訳ありませんが、ほとんど前回までと同じ部分が問題になっている箇所の自筆譜写真は、重複をいとわず掲載しました。
終楽章に関しては写真を添えませんでした。(後日追加するかもしれません。)


モーツァルト 交響曲「ハフナー」ブライトコップフ新版前書きから

【】内は補足。


3.当校訂譜への注

全般
この校訂譜の主な資料は「ハフナーの音楽」K.385とK.408/2(385a)の自筆譜です。ヴァージョンCは交響曲の譜面から校訂者によって導きだされました。唯一の相違点はアレグロ94小節の繰り返しで、これはモーツァルトが再編のときに除去したものです。これは実用上の目的から楽譜本体に含められました。すなわち、ヴァージョンAとBの演奏をなし得るようにするためです。繰り返しはヴァージョンCの演奏に際しては無視しなければなりません。
ヴァージョンAとBの再構成は二次資料に負うています。正統性が疑わしくはあっても、それらはモーツァルトのその後のヴァージョンの時系列だてを可能にしてくれます。そもそも、初版の印刷はモーツァルトの発注にかかるものらしく思われます。残念なことに、それにもかかわらず、どんな拡張が彼の認めたところによるのか、全詳細を記録したのかに知見を得ることは不可能です。
この版は「ハフナーの音楽」の全3ヴァージョンの演奏を可能にする呈示をした初めてのものです。異稿ヴァージョンAとBは脚注と小書きで追加された譜表を援用することでより簡易に作られました。
校訂上の追加は基本的にブラケット、破線スラーまたは小書きで示されています。譜面を不要に軽薄にしないようにするために、明白な錯誤による欠落や【2パートが同じものを演奏する意の】a2示唆はコメントなしに補いました。(*)
この版では、スタッカートが楔形か点かの区別は付けませんでした。そのかわり短い縦棒を一様に使いました。校訂にあたっては、問題となることがらについてはクレイヴ・ブラウンとロバート・リッグスの記述を参考にしました(【脚注】37)。この記号は音の演奏を必然的に変えるものではなく(たとえばアレグロの74小節では、記号はレガートに続いていく弦楽器にだけ見出され、長い音符の間の木管パートには見出せない)、控えめに加えられて、他のパッセージへのアナロジーとされたのでした。校訂者は絶えず似たような追加またはパートの補完をすることは、この目印に重きを持たせ過ぎるものと考えています。
アクセントのディナミークであるfp、sfp、sfについても注意深く扱いました。これらは驚くほど不調和な用いられかたをしていて―まず「ハフナーの音楽」で(アレグロの77、81、83および185小節など)―モーツァルトはほんとうに体系的な区別を企図していたのだろうかと自問したくなるほどです(38)。このことが今回の版で自筆譜の記譜を厳密に維持した理由です。この版では、演奏者自らが音楽的文脈から記号の意味を明らかにしていく必要があります。自筆稿で符尾が上下に分かれる記譜は、明白とは言えない分割【divisi】パッセージ(トリオ12小節のヴィオラ)であっても、または特殊な音響効果(たとえばアレグロ13小節の第2ヴァイオリン)であっても、そのままにしました。より突っ込んだ歴史的な実演奏については、クリフ・アイゼンによる他のモーツァルトの交響曲【の楽譜】のより有益な前書き【の参照】をお勧めします(39)。

個別の問題
アレグロ 48小節 第2ヴァイオリン
自筆譜では41小節から始まる第2ヴァイオリンの細かな音型は48小節の4つめの8分音符までまったく空白になっている。モーツァルトは4つのg#1を小節の最初からより薄いインクで書き入れており、これによってこの小節は154小節と同じ楽器法となっている。自筆譜のファクシミリ印刷から判断してよいなら、後からの書き入れはフルートとクラリネットのパートと同じインクによると見なしうるのであり、したがってヴァージョンCに属するものとなる。二次資料は画一的に初期の読み(e2)を示している。これはヴァージョンAとBが上演される際に演奏されるべきである(40)。

2014030222400000

アレグロ 94小節 繰り返し記号
自筆譜ではここに両方向の繰り返し記号があるが、赤クレヨンで抹消されている。後で加えられたフルートとクラリネットの部分には、繰り返し記号が見られないことは、繰り返し記号の抹消が、これらの木管パートの追加以前に、モーツァルト自身によってか彼の同意のもとで、なされたことを示唆している。ところがまた、後半部分に対応する繰り返し記号は楽章の末尾には見られない。モーツァルトがかなり急いでいたために忘れたのだろうか? 前半部分の繰り返しはヴァージョンAと筆写譜由来のほうのヴァージョンBでは演奏されるべきである(41)。モーツァルトはまた第2楽章でも型通りの繰り返しに気をとられていたようにみえる。【第2楽章の】36小節の、36〜84小節を反復するための繰り返し記号は、やはりあとからモーツァルトによって加えられている。

2014030122310000

アンダンテ 15小節 第1・第2ヴァイオリン
13小節の初めでは第1・第2ヴァイオリンには明らかに付点はない。15小節の第1ヴァイオリンには(余分な)付点が32分音符のb1の右についていて、勘定上は62分音符が正しいはずのところに32分音符が続いている。この小節では第2ヴァイオリンは第1ヴァイオリンのオクターヴ下を弾くのでまったく書き込まれていない。50小節にダ・カーポして16小節演奏するとの指示があるので、同じものが対応する62/64小節は残念なことにやはりまったく書かれていない。問題解決に役立つ類似のパッセージは、したがって見当たらない。二次資料の伝えるところは、ときに付点がありときに付点はない、と、でたらめである。おそらく「問題の」付点は意味のないインクのシミなのだろう。【シミにしてはあまりにはっきりと記入されているんですけどね〜】

2014022801030000

アンダンテ 23小節 第1ヴァイオリン
筆写譜はc1ではなくd1となっている。自筆譜では符頭はc1があるべき位置ではなくてじかに五線と接していて、その場しのぎであるかのような上から下までの斜め線がある。おそらく自筆譜上でモーツァルトがd1を書いてしまい、すぐあとで音符をc1に訂正したのだろう。

2014030123560000

 

プレスト 8、87、146小節 第2ヴァイオリン
自筆譜の当該部分ではここは上下に符尾のついたc#1とe1の重音になっている。上の音の符尾は、どちらかというと例外的に、下の音の符頭から伸びている。このことがヴァージョンAとBでとられている筆写上の異稿を読む上で役立つ。すなわち筆写譜にはc1しかない。モーツァルトは間違いなくe1を後で加えたのだろうし、そうであれば普通とは異なる符尾の書かれかたも説明し得る。この箇所で、モーツァルトはヴァイラパートをe1からa1に訂正している。この訂正は、筆写譜ではヴィオラがe1になっていないことから、第1ヴァイオリンの訂正よりも前になされているようである。

プレスト 79、138小節 冒頭部への遷移【自筆譜はここでダ・カーポとなる】
冒頭部への遷移につけられたスラーは自筆譜では【どこまでつながるのか】はっきりせず、主題の最初にまでつながっているのではないかというふうに見える(主題は楽章の最初にしかすべてが書かれていない)。

プレスト 90小節 全パート
ここは慣習的にfとpが2小節ごとの小節線のところに置かれてきた。自筆譜を読む限りではこの解釈は支持されないのだが、それでも排除もできない。モーツァルトはfは明らかに小節の第1音につけているが、pはパートごとにバラバラで、しばしば第1音よりもあとの位置につけている。さらに、ヴァイオリンにある重音は密集した音響ゆえにとくにpはのぞましくない。また、(90小節などの)ファゴット1・2の冒頭音のびっくりするようなpへのディナミーク変化に際しては、【第2楽章の】たとえば44小節(オーボエ1・2)のようなアンダンテの中でであることが望まれるだろう。モーツァルトはおそらく単に自然にpへと消え入っていくことを意図したのだろう。同様に不明確なのが、【第1楽章】アレグロの48小節および154小節(第1・第2ヴァイオリン)のpへの変化である。ここでもまた、ディナミークは必ずしも第2音から急に変化すべきでもない。自筆譜はpが第3または第4音に位置すると見なすことを許容するので、そこからディナミークは徐々におさまっていくのだと解してもよいように思える。【ヴァイオリンに関しては第1楽章の該当部分を含め、pの位置のズレについて奏法上の理由づけをしていることには同意しがたいかなぁ、と思っています。ヴァイオリンパートはpは概ね第1音直下に書かれているからです。現実問題と記譜の話は切り離してよいのではないかと思います。】


*楽譜上にコメントがないわけではない箇所ですが、補注からひとつだけ面白い例を載せておきます。第1楽章44小節にあるトランペットの誤記です(記入されていない段も含め下から3段目〜その上はホルン、下はティンパニ)。モーツァルトは下のティンパニを書いたりしながら頭が混乱したのでしょうか?

2014030122350000



【脚注】
37:Robert Riggs, Mozart's Notation of Staccato Articulation: A New Appraisal, in: The Journal of Musicology 15(1997), no.2, pp.230-277. Clave Brown, Dots and Strokes in late 18th- and 19th-century Music, in: Early Music 21(1993), no.4, pp.593-610. 
38 : セレナーデ変ホ長調K.375(第1楽章)が、一方で、異なる強弱アクセントの矛盾のない用いかたの規範であると考えることができる。
39:K.112(PB5372), K.504(PB5254), and K.551(PB5292)
40:Norman del Mar, Orchestral Variations. Confusion and Error in the Orchestral Repertire, London, 1981 [= del Mar], p.150 をも参照
41:del Mar p.150 をも参照
42:del Mar p.152 をも参照

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2014年3月 2日 (日)

ブライトコップフ新版の前書きから(上):【楽譜の問題】モーツァルト「ハフナー交響曲」(5)

0:前置き1:入手しやすいスコア2:新旧印刷譜の相違箇所3:20世紀の演奏から4:校訂者泣かせの自筆譜5:ブライトコップフ新版前書き(上)6:ブライトコップフ新版前書き(下)7:旧校訂系の楽譜成立への小さな推測  


15017173991.で触れました通り、ブライトコップフ&ヘルテル社から2013年に「ハフナー交響曲」の新しい原典版校訂譜が出ました(Henric Weiseらによる)。

Breitkopf Urtext (校訂Henrik Weise) Partitur-Bibliotek 5373  2013年
https://www.academia-music.com/academia/m.php/20130410-13

この楽譜の前書き・補注は、自筆譜を読み取る上での留意点などを詳しく説明してくれていて、たいへん有益です。

そこで、前書きの伝記的セクションである1.の部分を除き、「2. Sources, Versions and Variants」・「3. Notes on the Edition」だけでも訳して参考にして頂けるようにしたいと思います。補注部分はより密接に楽譜そのものと関わりますので、訳しません。

ドイツ語と英語のものがありますが、英語の方を訳します。
まずは2.の部分です。
ここでは、自筆譜や初期の筆写譜や印刷譜相互にみられる相違に基づいて、「ハフナー交響曲」の前身であるセレナーデ版(ただしもうひとつのメヌエットについてはいまなお明らかではないので加え られていない)、フルートとクラリネットが加わる前の版、加わった後の版の3つの形態が果たしてどのようなものであったかを推測し、それぞれの形態で演奏出来ることを試みています。
錯誤がありましたら、何卒ご指摘ご教示下さいませ。

なお、参考に付けた図版写真は、個別にクリックすると大きいものを見ることができます。

・・・一点だけ。今回訳した部分に記述はないのですが、参照したのは自筆譜そのものではなく、ファクシミリのようです。


モーツァルト 交響曲「ハフナー」ブライトコップフ新版前書きから

【】内は補足。


2.原資料、諸版と異稿

ここでは原資料の詳細にわたる評価について手短かなまとめを示し得るにとどまります(【脚注】36)。
モーツァルトは明らかに「ハフナーの音楽」の自筆総譜を何度も改訂しています。中でも最重要な変更は、両端楽章へのフルートとクラリネットの追加、【第1楽章】アレグロ94小節の繰り返し記号の除去です。他にもたくさんの小さな変更はありますが、重要性はわずかで、聴き取られにくいものでもあります。

残念ながら、こうした手がいつ加えられたかについては、自筆譜から常に明確に判明するわけではありません。たとえば、繰り返し記号の除去は果たして【フルートとクラリネットの追加という】編成の拡大と関連して行なわれたのか、それとは別個になされたのか、自筆譜では不明確です。このことでも他の事例でも、二次資料―筆写譜や最初の印刷譜―が本作の起源について有益な観点を提供してくれます。二次資料は、異なる段階での、公表された時点での本作の状況を保持しているからです。これにより、さらに異なった版を引き出すこともできたりします。

息子から自筆譜を返してくれと言われてレオポルト・モーツァルトが1783年初めと思われる頃にザルツブルクで発注した複写などのような筆写譜は、「ハフナーの音楽」の早期の版を示しています。
ウィーンのアルタリアによって1785年に公刊された最初の印刷版【初版】がその後の段階を伝えてくれますが、自筆譜からうかがわれる最終段階には至っておらず、【第4楽章】プレスト222~228小節に加わった相違点【装飾音がない状態】は、この【アルタリア初版】総譜だけに見られるものです。【図1:プレスト223小節から〜(旧)=装飾音のない状態、(新)=装飾音のある状態】

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ヴァージョンA
「ハフナーの音楽」のオリジナルヴァージョンであって、モーツァルトがジグムント・ハフナー(息子)の叙爵祝いとして書かれザルツブルクの父に送られたものを、ここではヴァージョンAと呼びます。このヴァージョンの「ハフナーの音楽」には、まだフルートとクラリネットはなく、見たところセレナードに類似した作として発想されており、従来の4つの楽章であるアレグロ、アンダンテ、メヌエット(とトリオ)およびプレストがあるうえに、行進曲を含んでいます。この行進曲は入場と退場の両方の音楽として演奏されたものと思われます。
さらに、ヴァージョンAにはおそらく第2のメヌエットもあったのかもしれませんが、これは残されていません。「ハフナーの音楽」を、2つのメヌエットのある演奏にするには、「ハフナーの音楽」によく馴染む調ないし編成の、他のモーツァルト作メヌエットを代替とすることも考えられます。妥当な例として、ハフナーセレナーデK250のメヌエット・ガランテ、または3つのメヌエットK363のうちの第1番と第3番がありますが、あとのほうの2つについてはヴィオラがありません(し、第3番はティンパニやトランペットもありません)。
ヴァージョンAの上演にあたっては、別の理由からメヌエットはひとつだけだったのだ、と論じることも可能です。信頼に足る2つのメヌエットのある版を確定したいにしても、喪失したメヌエットを他のモーツァルトの作から持ってこようとは望まないのであれば、アイネ・クライネ・ナハトムジークK525の同様の例を想起すればよいでしょう。このセレナーデは、もともとさらにもうひとつのメヌエット(おそらく2つのうちの最初のもの)があり、自筆譜のページからもそれは推測されますし(第3葉が喪失している)、モーツァルトが自作カタログにそう記してもいるのです。にもかかわらず、それでもこの傑出した作品は同様に不完全なままでも問題なく演奏され続けています。
ひとつだけのメヌエットでの演奏は、また、メヌエットという概念の多義性から正当化されることも可能です。モーツァルトはじっさい、それぞれにひとつのトリオを持つ2つのメヌエットとしての「2 Menuett」を意図していたのか、そうではなくて、ひとつきりのメヌエットにひとつきりのトリオを意図したのか。前者がもっとも可能性のある解釈であるにしても、後者をまったく排除することはできないでしょう。
おそらくレオポルト・モーツァルトによって1783年初頭に発注された複写に由来するザルツブルクの筆写譜には、(まだアレグロの繰り返し記号が有効な)譜面との不一致が包含されています。【ヴァージョンAでは】行進曲K408/2が統合されており、おそらくはもうひとつのメヌエットがあったことでしょう【が、ザルツブルクの筆写譜ではそれが確認し得ません】。

Version A as serenade without flutes and clarinets :
行進曲        K.408/2 入場の行進曲として
アレグロ       48小節(第2バイオリン)第1~第4音は第1ヴァイオリンと同じ
           94小節で前半部分繰り返し
           204小節で後半部分を繰り返すかどうかは不分明
メヌエット/トリオ  未詳。代用としてK.250/5またはK.303第1番または第3番  
アンダンテ      23小節(第1ヴァイオリン)最終音はc1ではなくd1だったかも知れない
メヌエット      [【他バージョン】と変化なし]
プレスト       8、87、146小節(第2ヴァイオリン)は
           c#1だけであり、c#1とe1の重音ではなかった
           222~228小節(第1ヴァイオリン)は装飾音あり          
[行進曲       K.408/2 退場の行進曲として]

【写真1:アレグロ48小節、自筆譜上の第2ヴァイオリンの加筆の様子。この箇所より前は第1ヴァイオリンと同じに弾くので記入が省略され空白となっている。加筆は薄いインクでなされている。】

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ヴァージョンB
ヴァージョンBの決定的な特徴は、「ハフナーの音楽」が4楽章の交響曲へと縮小されていることで、モーツァルトが1783年1月4日の手紙で暗に認めている姿になっているかたちでもあります。4つの楽章は、けれども【自筆譜からではなく】筆写譜や初版【=最初の印刷譜】から再構成されたものです。ヴァージョンA同様に、まだフルートとクラリネットのパートはこの版にはありません。この版は2つの異版として伝えられています。「筆写譜【由来の】異稿」がヴァージョンAと違うのはメヌエットの数だけです。一方、「初版【由来の】異稿」は、最初の異稿と異なる2つの重要な所見を含んでいます。(1)第1楽章のくり返しがなくなっている。(2)【第4楽章】プレスト222~228小節(第1ヴァイオリン)は装飾音が除去されて非常に単純化されている。くり返しの除去は自筆譜によって認め得ますが、装飾音の除去は【モーツァルトの意図であると】認めてよいかどうか疑念が残ります。【写真2:アレグロ94小節の繰り返し記号、自筆譜上での抹消。あとで加えられた最上段のフルート、最下段のクラリネットには、繰り返し記号が延長されていない】

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Version B as symphony without flutes and clarinets :
アレグロ       どちらの原資料も:
           48小節(第2バイオリン)第1~第4音は第1ヴァイオリンと同じになっている
           筆写譜:94小節で前半部分繰り返し。後半部分を繰り返すかどうかは不分明
           初版:繰り返しなし 
アンダンテ      筆写譜:23小節(第1ヴァイオリン)最終音はc1ではなくd1らしい
           初版:23小節(第1ヴァイオリン)最終音はd1
メヌエット      [変更なし]
プレスト       筆写譜:8、87、146小節(第2ヴァイオリン)は
           c#1だけであり、c#1とe1の重音ではなかった
           自筆譜:222~228小節(第1ヴァイオリン)は装飾音ありと読める
           初版:8、87、146小節(第2ヴァイオリン)はc#1とe1の重音
              222~228小節(第1ヴァイオリン)は装飾音なし


ヴァージョンC
ヴァージョンAと、筆写譜ならびに初版による異稿のあるヴァージョンBは(年代順の)筋道立った連続体だとの位置づけが可能かと思われます。一転して、ヴァージョンCは伝来の【一本だった】大筋から逸れ、筆写譜異稿としてのヴァージョンBから枝分かれしたものとなっていますが、それは222~228小節では装飾音除去が見られないことによります。ヴァージョンCは、自筆総譜に見られるすべての修正と加筆を伝えていることで自筆総譜と対応関係にあります。フルートとクラリネットが【第1楽章】アレグロと【第4楽章】プレストにあり、アレグロ94小節の繰り返しはなく、しかもプレスト222~228小節は【装飾音があって】単純化されていません。【写真3:プレスト223〜228小節の自筆譜該当箇所〜装飾音は当初から書込まれている】

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それでもある種の変則が木管パートに生じましたけれど、それはモーツァルトが【最終段階に向けての】後日のスコア修正を行なった過程で起こったものです。アレグロ63小節で、第1オーボエはクラリネットよりも四分音符1つ分早く不協和音を解決するのですが、クラリネットのほうが後日作曲されてあとで加えられたものです。これはおそらくはモーツァルトのさもない不注意によるのであって、演奏者が容易に正せるものです。アレグロ151小節の第2オーボエと第1フルートおよび第2クラリネットの不一致、およびプレスト終結部の263小節で他の高声の木管楽器や弦楽器が四分音符であるにもかかわらず第1・第2クラリネットが二分音符を奏する(ヴィオラと第1・第2ファゴットはすべてが書かれてはおらず、バスに沿って演奏される【ので比較できない】)不一致でも、同様になし得るでしょう。
音楽的内容のこうした不一致とは別に、アーティキュレーションもまた、モーツァルトが後日補ったフルートとクラリネットパートには欠落しています。最初の記入では、彼は平行して動くオーボエの【2つの】パートにアーティキュレーションを記入しています。それらはアレグロの26、29、31、47、81~91、150、153、169、190小節と、プレストの104~107(ここではファゴットⅠ/Ⅱにも)、125~128、171~177小節です。モーツァルトはフルートやクラリネットパートを加えるときにオーボエパートのスラーをそこへ引き写すのを忘れた、といえるのでしょうか、それともオーボエのスラーを取り除くのを怠ったのでしょうか? フルート、オーボエとクラリネットがここで違ったアーティキュレーションになるのは、いちばんありそうにないことですから、演奏者はヴァージョンCの上演では2つの可能性から選択を行なわなければなりません。譜面上では、フルートとクラリネットのパートに欠落しているとみられるアーティキュレーションは破線のスラーにすることで分かりやすくされてきました。オーボエのパートのスラーを、それに依拠してフルートとクラリネットにスラーを加えたのと同様に、スラーを取り除いてしまうことも、また等価的に正当と見なし得るでしょう(【この場合】アレグロの26小節では、ファゴットⅠ/Ⅱに与えられたスラーもまた取り除かなければなりません)。

Version C as symphony with flutes and clarinets :
アレグロ       繰り返しなし
           48小節(第2バイオリン)第1~第4音、g#1後補
           木管のスラー除去の可能性
           26、29、31、47、88~91、150、153、169、190小節
アンダンテ      初版:23小節(第1ヴァイオリン)最終音はd1
メヌエット      [変更なし]           
プレスト       8、87、146小節(第2ヴァイオリン)はc#1とe1の重音
           自筆譜の222~228小節(第1ヴァイオリン)の装飾音ありの通り
           木管のスラー除去の可能性
           104~107、125~128、171~177小節

【写真4:木管楽器のスラー、アレグロ89〜92小節 最上段=フルート、最下段=オーボエ。その間にあるのは第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ。ヴィオラはバスパートのオクターヴ上をなぞって演奏するだけなので記入が省略され、空白になっている】

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【脚注】
36:ハフナー交響曲の校訂者による詳しい記事は準備中。

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校訂者泣かせの自筆譜:【楽譜の問題】モーツァルト「ハフナー交響曲」(4)

0:前置き1:入手しやすいスコア2:新旧印刷譜の相違箇所3:20世紀の演奏から4:校訂者泣かせの自筆譜5:ブライトコップフ新版前書き(上)6:ブライトコップフ新版前書き(下)7:旧校訂系の楽譜成立への小さな推測  


(こんなもんで1000記事になってしまいました。塵のつもった山ですねぇ。)

さて、やっとこさ入手した自筆譜ファクシミリを開いてみましたら、これがたいへんなシロモノなのです。

「オリジナル」とはなんだろうか、と、の長ったらしい前置きであれこれ考えてみたのでしたけれど、果たしてモーツァルトの手書きと初期の印刷譜が違っている場合、どちらを正しいと見るべきなのか、「ハフナー交響曲」については、判断が難しい箇所が思いの外たくさんあるのでした。

第2楽章に分かりやすい例がありますので、演奏例とともに掲げてみます。
画像はクリックすれば大きいものを見られます。

まず、初めの方の部分、階名(移動ド)読みで「ドーミソソーファミレ」となるところは、旧校訂系(旧)では単付点音符、新校訂系(新)は複付点音符で印刷されています。これは(新)が読み取りかたとしては正しいのですが、しかしモーツァルトも悪いのです。付点がひとつなんだかふたつなんだか、よく分からない書き方をしています。これを、印刷譜を作る人がどうしたら良いか迷ったあげく単付点にしたのではないかな、とも考えられます。

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次に階名読みで「ド#レド#レド#レド#レシソファミソド」になる箇所(12〜13、14〜15小節)の「ミソド」の部分、ミに付点がつくか否かですが、二度繰り返されるこの音型で、モーツァルトは最初は付点なし、二度目は付点ありで書いてます。そのあとの音の長さから言って、これは付点なしと読む(新)のほうが正解らしく見えます。それを信頼すべきだとも思います。が、この音型、後半でもう一度現れる(印刷譜61〜62、63〜64小節)ものの、モーツァルトはこのあたり、最初の楽想に戻るところをもう一度書くことなくDa capoと省略表記しているために、確実にたしかめることが不可能になっています。

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また、「レーシレファーレシソファレしふぁみ」の箇所(22〜23小節)は、(旧)・(新)とも楽譜は一致していますが、先に聴いたトスカニーニの演奏では最後の3音が「しそみ」になっているのに仰天したのでした。これは印刷譜としては目にしていないのですが、モーツァルトは最初どうも「しそみ[F#-D-H]」で書いて、「そ[D]」にあとで横棒を無理やり書込んで「ふぁ[C]」にしたようです。描いたものからは確かにそのように読み取れます。トスカニーニが演奏させたような楽譜も、もしかしたらあったのでしょうか?

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以上、演奏例で、どうぞご確認下さい。

旧版〜トスカニーニ

"Toscanini at the Queen's Hall" CD4 WHRA-6046

新版〜ガーディナー

デッカ TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION vol.17

自筆譜の孕むこうした問題は、ブライトコップフ新版の前書きと補注で網羅的に解説されています。
自筆譜ファクシミリは1968年という制作時期を考慮すると良心的なもので、あとで追記された箇所等はインクの濃淡である程度分かるとはいえ、自筆譜そのものからだと判明するらしい繊細な問題についてはファクシミリでは平板化されていて推察不可能であったりします。ファクシミリだけを見て即断するわけにはいかないこともいくつもあるのではないかと思われます。
そこで、せめて、前書きの伝記ではないセクションについては、なんとか近いうちに翻訳をしてお目にかけたいと思っております。ただし私の英語読みは勘でOKいきあたりばったり、語彙力大不足でありますので、まっとうな訳にはならないかも知れません。・・・意味だけは間違えてとってはいないと信じておりますけれど、どうでしょうか。ともあれ、またあらためて。
総じて、大きな問題は第1楽章の前半を繰り返す記号について、それがいつ抹消されたか、につきるようですが、それについてもブライトコップフ新版の前書きにある推測は、第2楽章の繰り返し記号が後日記入されたものである、という点が考慮されていて、妥当なのではないかと感じております。今それを述べてしまうとわけがわからなくなりますので、前書きの訳によりたいと思います。
あとはご興味に応じてブライトコップフ新版を眺めていただければよろしいのではないかと思います。

それにしても、自筆譜と印刷譜の間で問題を起こすのはベートーヴェンの乱筆くらいだ、と信じていましたので、「ハフナー交響曲」でのモーツァルトの混乱の多い自筆には本当にビックリ仰天してしまったのでした。

印刷された楽譜については、自筆譜の問題を踏まえた上で、いま手に出来る新旧それぞれのスコアでなお判明することなどがありますので、それについてはまた申し上げたいと考えております。

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2014年2月27日 (木)

20世紀の演奏から:【楽譜の問題】モーツァルト「ハフナー交響曲」(3)

0:前置き1:入手しやすいスコア2:新旧印刷譜の相違箇所3:20世紀の演奏から4:校訂者泣かせの自筆譜5:ブライトコップフ新版前書き(上)6:ブライトコップフ新版前書き(下)7:旧校訂系の楽譜成立への小さな推測  


(掲載のCDへのリンクはタワーレコードの頁に貼りました。品番の出ていないものは演奏者の名前のところにリンクが貼ってあります。)

楽譜の中身からは逸れます。

Toscaninibbc19世紀中に「ハフナー交響曲」がどう演奏されてきたか、については、私のような素人がちょこちょこっと見られる手近な資料では分かりません。たとえば出来立てのウィーンフィルが既にモーツァルトへも強い興味を示していたことは諸書でうかがわれますが、「コジ・ファン・トゥッテ」からの抜粋や演奏会用アリアが目立ち、初期にとりあげた、と、はっきり分かる交響曲は、ト短調(K550、1942年11月27日および1847年3月7日)、「ジュピター」(1844年3月10日)、ホ長調(K543なので変ホ長調の間違いでしょう 1844年10月27日)の、いわゆる後期三大交響曲だけです(『王たちの民主制 ウィーン・フィルハーモニー創立150年史』クレメンス・ヘルスベルク 芹沢ユリア訳 文化書房博文社 1994)。
1856年にはフランツ・リストが生誕100年を祝うモーツァルト祭でウィーンフィルハーモニーを指揮してますが、曲目は目に入ってきません。
そうしたことがありますけれど、「ハフナー交響曲」はピアノのソロや連弾にも編曲されていました(いずれも上のウィーンフィルの後期三大交響曲の演奏時期と同じ頃。IMSLPに楽譜があります)から、よく知られた作品ではあったはずです。
詳しく追いかける材料をもちませんが、ブライトコップフ&ヘルテル社により1798年から(海老澤敏「モーツァルトの生涯」の記載を信じると!)刊行されだした最初のモーツァルト全集は、19世紀中のモーツァルト演奏の最初の結実として位置づけられるのだろうと思います。

1970年に新モーツァルト全集版の「ハフナー交響曲」が出版されるまでは、こちらの古い全集の楽譜が演奏の標準でした。したがって、1970年より前の「ハフナー交響曲」演奏は、必然的に旧版の楽譜によるものとなっています。それらの中の音符は、新旧を対比した(2)の、「旧」のほうで聴き取ることが出来ます。

旧版依拠で私が録音を聴くことのできたもっとも古いものは、トスカニーニが1935年にBBC交響楽団と行なったライヴのものです。
それ以降の時期にいろいろな指揮者が旧版により演奏したものとは独特で異質に聞こえるかも知れませんが、書かれた音符を忠実に再現する、とはまさにこんな演奏を指すのだろう、と言えるもので、実はもっとも素直な味わいなのではないかな、と思います。トスカニーニの歌声付きです。もっとも旧版演奏の面目躍如である第2楽章前半を聴いてみて下さい。(一ヶ所だけ楽譜との奇妙な相違がありますが・・・なんでこうなったんだろう??? イタリア風?)

1935年6月14日 "Toscanini at the Queen's Hall" CD4 WHRA-6046

耳にした次に古い録音はブルーノ・ワルター指揮NBC交響楽団の1940年2月17日のライヴです。某大御所評論家先生の大絶賛付きですが、後年ウィーンフィルで復帰演奏をしたときの2つのト短調交響曲の演奏にも聴き取れる、ワルター独特の間やテンポの煽りがあり、それを絶賛するかどうかは主観的な好みによります。必ずしも旧版の音符たちに忠実ではないワルターの演奏からは、少なくともワルター周辺(先輩としてのリヒャルト・シュトラウスや後輩のしてのカール・ベームなど)のあいだには「モーツァルト演奏は(書かれている音符の見かけによるのではなく)このようでなければならない」との通念があったのではなかろうかと推察されます。
GRAND SLAM GS-2079 平林直哉氏制作

旧版依拠の演奏で個人的に最も印象に残っているのは、オトマール・スウィトナーとドレスデン・シュターツカペレが残した演奏です。最初の発売は1970年のようです。これは現在セットものの中に入ってます。音の輪郭が非常に鮮明です。鮮明さがもっともよく聴き取れる第1楽章冒頭部分をお聴き下さい。ワルターと同じ「モーツァルトはこうあるべき」の伝統の範疇内ではあるのかと思いますが、ここまでクッキリしている演奏で他に聴いたことがあるのはムラヴィンスキーとレニングラードフィルによる第33番(ロンドンでのライヴ録音)くらいです。

"Otmar Suitner Legendary recordings" edel classics 002612ccc CD3

では新全集版が出た後は、「ハフナー交響曲」の演奏は一挙に新全集版に移行したのか、というと、そうはなっていません。従来からあったシンフォニーオーケストラは、その後も旧版に負った演奏を行なっていたかと思います。
たとえば1985年に、ジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団が「ハフナー交響曲」の録音を行なっていますが、これはどうも新全集版を元にしながら聴き慣れた旧版の味付けを随所に折衷したらしく、結果的に用いた楽譜の新旧を定かにしがたい不思議な味わいになっています。

Harnoncourt 新全集版に完全に依拠した演奏での最初の録音は、1980年のアーノンクール指揮コンセルトゲボウだったでしょうか。当時私はこれを大学の講義の中で聴かされましたけれど、どういう演奏なのかを今確認することは出来ません。聴講していた学生のほとんどが顔をしかめたのではなかったか、と記憶していますが、それは楽譜の違いによるというよりはアーノンクールのとった演奏様式が、その頃の常識のモーツァルト演奏とはかけ離れていたからなのだと思います。(アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの最近のライヴ演奏が新しくCDで出ました。アーノンクールが自著の中で開陳してきたアーティキュレーションを、聴きようによってはいままでよりいっそう激しく実現してみせている、面白い演奏です。)

以後、新全集版もしくは新たな校訂の楽譜での録音を積極的に展開したのは、1950年代から設立の動きがあり70年代に盛んになった古楽演奏団体でした。例に挙げられるのがみんなイギリスの団体なのも面白いところです。
日本には絶対に来ない巨匠ガーディナーは、イングリッシュ・バロック・ソロイスツと。第29番以降の交響曲録音の一貫として、1988年に「ハフナー交響曲」を録音しています。
トレヴァー・ピノックはイングリッシュ・コンソートとモーツァルト交響曲全集を出しており、「ハフナー交響曲」は1994年に収録しています。
クリストファー・ホグウッドとThe Academy of Ancient Musicは"Mozart's Symphonies"の著者ザスローをアドバイザーに1978年から1985年に録音を全集として出した中に、フルートとクラリネットが加わる前のヴァージョン、加わった後のヴァージョンの2通りを収めています。
ホグウッドらによる、フルートおよびクラリネットがない初期ヴァージョンでの「ハフナー交響曲」演奏から。

"Mozart The Symphonies" L'OISEAU-LYRE 452 496-2 CD13

21世紀に入って、最近はつい先日NHK交響楽団も初期ヴァージョンでの「ハフナー交響曲」演奏をした由(ブライトコップフ新版によったのでしょうか?)。聴きに行った知人に、どうだった、と尋ねると、フルートとクラリネットが入ったものを聴き慣れているので物足りなかった、との感想でした。
聴き慣れている、とは、やはり恐ろしいことだなぁ、と思いました。
先に触れたテイトの演奏も、聴き慣れた味わいを捨て切れなかったゆえのものだったのかも知れませんね。

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