心と生活

2009年8月20日 (木)

会津無謀旅

大井浩明さん、BSに登場です!下記リンクをクリック、是非お見逃し無く。
8月5日(BS hi)終了・9月15日(BS2)
大井さんのブログでの情報はこちら。http://ooipiano.exblog.jp/11605999/
・・・「フォルテピアノ」について貴重な知見の得られる番組となることでしょう!!!



吉田美里さんリサイタル・・・キャンセル待ちですよー。

音楽の話題ではありませんで。私的な旅行の日記からです。

【初日】

最低金額の切符をポケットに、最初の電車に乗る。乗り継ぎ予定の電車は本当に来るのか? たどり着けても無事精算できるのか? 路線図に行き先が載ってないから分からない。

これは杞憂で、無事に乗り継ぎ電車は来たが、思いのほか乗客が多い。金がかからないから学生と老夫婦の旅行客が利用するようだ。最初の停車駅で、運良く、ゆったり席を確保。
息子はさっきまで少し緊張していたが、ようやくくつろいできた。行き先の説明をしても興味なし。持参のビートたけしの雑誌や猫の本を眺めては、逆に僕に解説してくる。
ときどき通り過ぎる川の水がきれいで、よい。

景色に林が増えたら、息子は外に目を向け出した。杉が整然と並んでいるのは、実は人の手が入っているんだ、と話した。林業と木工のまちである。この先は数少なかった家族旅行で二度訪ねた温泉街だが、息子は覚えてない、と言う。二歳と三歳の頃だったはず。

12:20会津の入り口へ。電車は2両になり、人もガラガラになった。代わりに、でっかいハエが乗り込んでくる。

13:03無事、会津田島で乗り換え。前の電車で運賃を精算したが、息子が切符をなくしていたので、参った。
ここまで、けど、予想したより随分楽だった。新幹線から乗り換えより、いい選択肢だったかもしれない。

昼飯は一時間おあずけ。

2時半前に若松着。
そば屋に入るも、頼んだメニューがことごとく品切れという、とんでもないスタート。3時にホテルチェックイン。

3時半に、市内周回バスの「ハイカラさん」に乗って、野口英世が手の治療を受けたあたりや、蔵がよく残っている旧市街を周回、お城に向かう。
城跡は息子がいたく気に入り、写真を撮りまくっていた。中の売店でむずむずしているから、どうしたんだ、ときいたら、木刀が欲しいんだと言う。今晩父ちゃんを袋叩きにするつもりらしい。・・・が、人のいないところでだけ使うこと、使い方はいずれ剣道達人のM先生に教えてもらうことを条件に購入を許す。
東山温泉、飯盛山をバスの中から眺めつつ、宿に戻った。一休みしてから晩飯に出かける。

ホテルの中の中華屋さんのドリンクサービス券をもらったので、夕食はその店で。・・・これがなんと、安くてうまかった。昼飯の仇を討った。

温泉宿ではないので、快適な風呂は諦めていたら、近くの健康ランドの無料券ももらったので、つい長風呂して、屋外で体冷ましに寝そべって、息子と二人、星を眺めながら、息子の小さい頃の思い出話をしたり、僕の思い出を聞いてもらったりした。
宿題を持って来させているんだが、今夜は免除。明日も免除しちゃうかも知れない。
東北の街の夜は早じまいなので、そのあとコンビニに行くときには、人がほとんどいなかった。
猫が一匹、道を横切った。今日初めて見た猫だった。息子が抜き足差し足で近づいて、さっそくてなづけていた。・・・参った。



【2日目】

10:20若松発の磐越西線で猪苗代駅まで。そこから一時間に一本の路線バスに乗り込んだ。・・・暑い。空は晴れているが、景色はもやがかかっている。

11時ちょうどに猪苗代湖畔の長浜に着き、20分発の遊覧船に乗り込む。35分間の運行で、大人一人、千円。景色がけむっていなければ最高だったんだが、好天なだけ、良し。
デッキに出て遊覧。沖に出るほど水が青くなる。
「水のホントの色って、なにいろなのかな」
と、息子。

船を降りて、猫の額ほどの砂浜を歩く。靴が砂色に染まった。

桟橋から戻って10分ほど丘の方へ登ると、旧高松宮別邸の天鏡閣。カカアは確か来たことがあって、「いいとこだよ」と言っていたので、見学。ココの屋外でカレー(ケレー、と呼んでいる)を食べる。
仕入れ屋さんのオジサンがきて、25日が県民の日なるものらしく、あわただしく打ち合わせをしていたので、
「お疲れ様ですね」
と声をかけたらニコニコしていた。

バス停に行ったらタイミングが良く、野口記念館まで行く。野口英世の生家は、いま見ると僕の育った家より大きいのが分かって、少しガッカリした。ここで、実家と義父母宛てに土産物を買って発送した。

路線バスで猪苗代の駅まで戻ったが、まだ3時で明るい。もったいないのだが、裏磐梯方面へのバスは本数が少ない。タクシーの運転手さんにきいたら、五色沼の入口まで6000円くらいで行けるという。思い切って行くことにした。
遊歩道があるし、山道ではないので、軽装で歩ける。入口の毘沙門沼の方がやや険しいので、こっちをスタート地点にしたのは正解だった。到着地点に檜原湖がひろがって見えるので、オトク感も高かった。
いかんせん、出口にたどり着いてぼんやり一息いれていたら、五時でみんな店じまい。しかたないから、五時半まで、帰りの路線バスを、ぼんやりしたまま待った。

若松に戻ってからは、今日もドリンクサービス券を貰って、昨日と同じ中華屋さんで晩飯。ちょっと贅沢してフカヒレスープまで頼んだが、それでもファミレスより安くて美味い。こういう店が近所にできないかなぁ。
風呂無料券もゲット。またゆったり入ろう。
キャンペーン期間だったのかな? ラッキーだな。

・・・で、二時間の長風呂。今晩の話題は、
「星って、(肉眼で)どれくらい見えるのかな?」
「全部で六千くらいだけど、街が明るくなっちゃったから、二、三百かなぁ」
なんてことだった。
午後から曇って来ていたが、風呂に行ってる間に晴れてきて、星が見えるには見えたけれど、駅前だけに強い灯りがあって、三百なんてとてもとても。十がいいとこ。



【3日目】

8時になったら、蝉と選挙カーがうるさい。
荷物をまとめなければならないから、そろそろ息子を起こして朝飯にいかなければならない。
テレビで青森ねぶた放映の宣伝をしている。もう、じかに見ることはないんだろうな、と思う。

朝飯後の片付けは案外スムーズに済んで、タクシーに乗り込み、飯盛山に向かう。片道千円。
石段が二百段ある。
「大変だから荷物あずかってあげるよー」
と、左右の売店のオバチャンたちが、商売ッ気もなく声をかけてくれる。ここには上りのエスカレーターがあるので、僕はそれを使うつもりだったし、
「大丈夫ですー」
とニコニコ応えて・・・ふと気が付いたら、息子は木刀を小脇に抱えて、どんどん石段を登って行く。慌てて追いかけたら、上に着いたときには、僕は情けなくも息絶え絶えだった。

白虎隊自刃の地で、
「お城が見えないねー」
と探している母子連れがいたので、目印を教えてやったら
「あったー!」
と喜んでくれた。
隊士のお墓に線香を手向け、少し下って、さざえ堂というのの中に入る。のぼるとまた自然に下に降りて来ている、という建物だが、初めて入って造りが分かった。狭くて急勾配なので、下りは息子はコケそうで怯えていた。
麓に戻ってタクシー乗り場にいったが、車両がいない。脇のお店に頼んだら、これまた、買い物もしないのに、お店のお姉さんがタクシーを呼んでくれた。来た運転手さんがまた丁寧な人で、息子は
「ウチの方とはずいぶん違って、いいねぇ」
などと偉そうにのたもうていた。

適当な駅弁がなく、ドムドムハンバーガーを買いこんで、11:17発の会津鉄道「会津田島行き」に乗り込む。

田島での乗り継ぎは、行きと違って慌ただしかった。飲み物を買っている間に、列車の出発合図のベルが鳴って、焦ってしまった。
帰路、鬼怒川温泉まで、息子は景色を何度も撮影している。負けじと僕も撮ってみたが、なかなかうまくいかない。家族で泊まった宿を撮ったところで、僕はリタイア。あと二時間寝られるからなあ。
それでも、息子が容赦なく話しかけてきたりするから・・・休まるかなぁ、と思っているうちに
眠ってしまって、なんだか体のあちこちが痛くなって目が覚めたら、もう首都圏に入っていた。
「やっぱり、景色がつまんないねー」
と、息子。


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2009年8月16日 (日)

「芸人」から(永 六輔)

大井浩明さん、BSに登場です!下記リンクをクリック、是非お見逃し無く。
8月5日(BS hi)終了・9月15日(BS2)
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吉田美里さんリサイタル・・・キャンセル待ちですよー。

41mc28ka9cl_sl500_aa240_350記事目、という、個人的にキリのいいところに来まして・・・明日から数日綴りませんので、前からちょっと好きなこの本から、幾つか抜き出しておいてみます。

もう12年前の本なのですが。(岩波新書 赤 528 1997年)


第3章までが語録なのですが、永氏自身の言葉ではなくて、永氏が無名の芸人さんから強い印象を受けて書きとめていたもののようです。

「芸とは恥をかくことです」

「昔の芸人は芸の上手下手で人気をわけました。/近ごろの芸人は運が良いか悪いかです」

「客が時のたつのを忘れる。それが、客に勝った時だ」

「芸人でよかった。/だって、こんなに悲しくても、/笑っていなきゃいけないんですもの」

「客がよくなきゃ芸人は育ちません。/芸人が育つような客は少なくなりました」

「俳優とかアーティストとか言ったってね、/早い話が日雇いの芸人です」

「教えることは教わること。/そやけどなァ・・・・・/そない言うたら、月謝いただけまへんで」

「一流のギャラがとれるようになったら、/ギャラのない仕事もしなさい。/中途半端なギャラの仕事はしちゃいけません」

「スポーツ選手がよくカメラに向かって<応援してください>っていうでしょう。/あァいうのは、芸人仲間だったら、/<甘ったれるな>でおしまいですね」

「身体をきたえるということは/身体をこわしているということなんです」


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2009年5月27日 (水)

「チャリティ」とは何か・・・アマチュア演奏考としての

ケルンで活躍中の蓮見岳人・阿部千春デュオリサイタル(リュート&バロックヴァイオリン)、是非お出掛け下さい。
静岡(7月22日)・東京公演会場(7月23日)が決まりましたので、追記しました。
その他、最新情報は追加でお知らせします。


8月に私も参加させて頂く「チャリティコンサート」がありますので、あまり僭越は申し上げられないのですが、「演奏することとコストの関係」を考えるには最良の素材ですので、簡単に見て行きたいと思います。

まず、「チャリティ」とは、そもそも何でしょうか?
手近な国語辞典でことたれり、とします。すると、その意味は「慈善。慈善事業」とあります。
さらに「慈善」の意味を手近な漢和辞典で引きますと、「情け深いこと、いつくしみ、不幸な人たちを助けること」とあります。

では、その行ない手は、そのような心をもって「チャリティ」を行ないうるのでしょうか?

音楽家の伝記のなかで「チャリティコンサート(慈善演奏会)」についての記述をよく目にするのは、ヘンデルやベートーヴェンです。

ヘンデルの場合を見ておきましょう。
年表上に登場するものを拾っていくと、
・1741(56歳):12月10日、ダブリンのラウンド教会で
・1742(57歳):2月8日、4月5日
・1749(64歳):5月27日、捨子養育院にて(花火の音楽、機会オラトリオ他)
・1750(65歳):5月1日、同所にて(メサイア)
というところです。

1741年は、彼のオペラ興業がだいぶ傾いた頃で、前半は困窮のうちにありましたが、この年の11月に、<メサイア>と<サムソン>の二大オラトリオを引っさげてダブリンに赴き、その初演を翌年はじめに行なうべく、用意周到に探りを入れていた時期です。・・・彼の経済状態を考えると、「慈善演奏会」なるものを行なうには無理があるように見えるのですが、12月23日から翌年の2月10日までの予約演奏会シーズンを持っており、それを成功させて満を持して<メサイア>上演にこぎ着ける、という腹案があったためのイメージアップ戦略ではあったのでしょう。
翌1742年の2月8日、4月5日というタイミングも絶妙です。2月10日で終わる最初の予約演奏会シーズンの時期を押さえ、4月12日に(やはり慈善目的と称して)メサイア初演を行なう、という広告を出した後、初演1週間前、という日をも押さえていることには、ダブリンの地でいいイメージを得、風評で他の地にまで彼の「良い人格」が伝わり、安定した収入を得ることに繋げていく、という、中期的な家政目標が彼の内側にあったことが、如実に窺われます。

1749年になった頃には、以前のオペラ作曲家としてではなく、「オラトリオ」作曲家として道義的な面からの評価が既に固まっていました。さらに、4月27日には<(王宮の)花火の音楽>が演奏され、式典そのものの失敗にも関わらず、彼の名声はイギリス王国を代表する高みに登っていたことは周知の事実です。ですので、この年の慈善演奏会以降は、やっと安定的な経済基盤を持った上で、捨子養育院への後援を行なったと言えます。

ヘンデルの、このパターンに着目しておきましょう。

最初は、経済的困窮のなかで、あえて「良いイメージのために」出資することにより、安定した活動を続けるための収入の道を見出そうとする戦略として「チャリティ」を行なったのです。
次のパターンでやっと確立される、真の意味での「チャリティ」は、最初のこの宣伝的チャリティの成功無しにはなしえなかった、ということは明白です。

ベートーヴェンの方は、慈善演奏会への参加は、「戦争交響曲」などのヒットで彼が潤っている時期になされており、詳細は把握していませんが、とにかくヘンデルのような戦略的なものはなく、豊かな時期に行なったものです。いずれにせよ、「慈善演奏会」を行なえるだけの経済的ゆとりがあるときに初めて行なっている点は、承知をしておかなければなりません。



ひるがえって、私たちが「チャリティ」を行なう際に、無条件に「慈善」を行なえるのか、ということについて考えてみなければなりません。

余剰財産を持っていない限りは、「慈善」などということが、そもそもあり得ません。
したがって、余剰財産を生み出す「事業」としての慈善を検討することが最重要事となります。

そのためにはヘンデルの例でいくらか「戦略」が分かっても、その経済的負担の構成が分からない以上は確実なことは言えないのですが、「慈善事業」をなし得る利益を確保するだけの「コスト回収」は最低限視野に入れているはずでして、ここが本来もっと明らかにされるべき、かつは、私たちが念頭に置くべきことがらです。

しかるに、往々にして、理想にだけ燃えてしまうと、「慈善」の企画者は、企画段階で、「コストとは何か」の項目に見落としを起こし易くなります。
何を見落とすか?・・・「人件費」です。
「事業」のための資本を用意する時に、ホール代、宣伝費あたりまではコストとして把握をするようですが、協力者にアマチュアを仰ぐ場合には、アマチュアは「無報酬で良い」と思いがちであり・・・もちろん、無報酬で良いからアマチュアだ、と言ってしまえばそれまでなのですが・・・、そのメンバーに負荷がかかるコスト(交通費、練習時間のために犠牲となる、いわば営業保障的なもの)をも報酬と一緒くたにしてみてしまいがちです。

「有志」を募るのだ、集まるのはその結果、自らの経済的犠牲を厭わない人なのだ、ということであれば結構なのですが、ヘンデルがなぜ困窮のなかで「慈善演奏会」をなし得たか、を少し深く突っ込みますと、恐らくは借財のなかから、出演してくれるメンバーに対する報酬の支払いまでを履行したがゆえに、「契約としての協力」が成立していたはずなのです。

日本のアマチュアの体質なのでしょうか、集まれば誰でも「有志」という発想が抜けない「チャリティ」企画が多い気がしますし、そのことにはむしろ危惧の念さえ覚えます。「奉仕」に対して「報酬」を、という契約の概念が、他国ほどには明確ではなかったにせよ、日本にも戦国時代以前には明確に存在していたことを、私たちは完全に忘れています。

あるいは、一般のかたからの資金的支援に対しても、あたかも「公的援助を受けている」ように、あるいは寄付を受けたように捉えがちであり・・・だったらこの寄付だけで「慈善」をまかなえばいいのでして、それに演奏などという「事業」を加える意味は全くないのです。「事業」であるからには、資金援助も本来は「借財」と考えなければならないはずです。

「チャリティ」を主催する際には、それをわざわざ事業にする必要があるのか、というところから慎重に考えなければなりません。
熟考の上、やはり演奏という「事業」にするのだったら、「チャリティコンサート」は、それを行なって得る収益で「援助金」という借財への返済をも果たし、報酬以外の「人件費」をも回収し、その上澄みをもってはじめて「慈善」にあてることが大前提です。

そのような、健全な「チャリティコンサート」が行なわれることを切に望みますし、私の参加するコンサートも、今さらではありますが、出来るだけそれに近いものになってくれるように、神様にお祈りしています。

・・・協力者に自腹を切らせることは「チャリティ」にはならない、ということは、私たちは肝に銘じるべきでしょう。
そのような安易な「慈善」を喜ぶような人がいるなどとは、私には想像もできないのです。
人間というのは、持っていなければ持っていないなりの意地というものがあるはずであり、それを無視するのは「慈善」どころか「余計なお世話」でしかありませんから。

ですから、本来ならば、神仏にも及ばない私たち人間が「慈善」だなんて思い上がりを起こすよりは、演奏行為を継続し得る「コスト回収」を真剣に見つめて企画することの方がまず基本ですし、私自身はそういう企画の方により大きな魅力を感じます。そのなかで自分自身が利益を上げ得なくてもいいのです。
「質のいい音楽」で「真っ当な利益」を、まず「得るべき人が得る」・・・それが成立して初めて、私たちはようやく、ちょっとだけ、「慈善」のまねごとが出来る、というわけです。

これは、伝統芸能の現在や、過去どのようにして生き伸びて来たかをよくよく知れば了解できることではないかと思っております。

今日は、「チャリティ」を素材に、アマチュアにとっての演奏とは本来なんなのか、を中心に検討しました。
この延長線上に、では音楽で生活を立てるとは何か、という、さらなる難題が控えているのですが、そこまではわざわざ言い及ぶ必要もないでしょう。


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2009年5月14日 (木)

「お囃子」HPご紹介

手短ですが、再開設されたばかりの「お囃子」ホームページをご紹介致します!


「祭囃子が聞こえるⅡ」

http://2nd.geocities.jp/waseda_fuekichi7/

東京都新宿区指定無形文化財である「戸塚囃子」を紹介したものです。

制作者の吉田さんは、このお囃子の指導的立場にいらっしゃる方です。
「戸塚囃子」も、海外から招待を受けるなど、広く真価を認められたすばらしいものです。

このページでは、絵手紙の達人でもいらっしゃる吉田さんの作品の数々もご覧になれます。

ぜひ、お目通し下さい!

Sisimai_4_thumb

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2009年5月13日 (水)

言い換えられない「自分」

ふと思い出したことをベースにした雑談です。
・・・いろいろと資料を当たり終えていないので「場当たり」でもあるにはあるのですが。
・・・話は、なるべく手短に済ませるために、少々抽象的になります。


いまも市井に埋もれていて、死後も自分の子、せいぜい孫までにしか記憶されない私達・・・もとい、私・・・のような小さな存在にも、「個」は備わっています。
ですが、その「個」のありかたは、場所と時代によって大きく異なっていましたし、今も異なっているのだろうと思います。

日本のことしか感じられず、また、それが正確かどうかの保証もありませんが、私の知る限りでは、現在のように人の頭数だけ「個」が認められるようになったのは、この国では第二次世界大戦の敗戦後でした。それまでは、親子を中心にして親族・姻族が寄り添って「家」なるものをかたちづくり、「家」を単位として「生業(なりわい)」が営まれていました。私の「家」も例外ではなく、「漆職人の家」でした。母の思い出の中には、戦争前の「家」が漆器を塗る「工房」であったころのイメージが鮮明に残っています。祖父と父親の他に、父親の兄弟(や、ある別の「家」なら姉妹の婿)を含め、昼中、黙々と、白地の器に漆を塗り続ける。話さないのは、塗ったものに埃をつけてしまったら、それでそのものは売り物にならなくなるからです。
男達が仕事をしている間、漆の仕事に携わらない女性陣は竈に火をくべて炊事や風呂焚きをし、あるいは水を汲み、洗い物をしたりしていました。食事を運ぶときだけ、仕事場へ入ることを許されました。
子供はすぐに立ち騒ぐので、仕事場には絶対に出入り禁止でした。
母の記憶には現実に見たとおりに残っているこれらのイメージは、もはや私には想像でしか脳裡に描くことが出来ません。

昭和の前半までは、役所や企業への勤め人というのは、農家や職人のこうした風景の合間に未だ希少に存在するエリートでした。こういう人たちが、日本における「個」の先駆者だったのでしょう。

資本力のない「家」は、戦災で焼かれなかった地域を除きすぐに崩壊しました(私の「家」などもそんなひとつです)し、まだ無事だった資産家も、それ以後アメリカ占領下の様々な法改正の元で財貨をなし崩し的に剥ぎ取られました。それが原資となって現代日本が成立し、「個」を享受する人口は鼠算式に増えました。
このことの善悪は、利益を得た側・損をした側で見方が異なるでしょうし、それを云々するつもりはありません。私自身、第二次世界大戦での日本の敗北ということが無かったら、音楽をはじめ「自分」が愉しみとしているいろいろな事柄に浮気をすることを許されない生活を送って老年を迎える運命に支配されていたことでしょうから。

では、こうして獲得したはずの、私達の頭数分だけの「個」の意義を、私達はどれだけ大切にしているでしょうか?

「個」と「自分」を括弧で括ったことには、私としてはそういう問いかけの思いを込めたつもりでおります。

敗戦前に「個」を持っていた人たちは、「自分」をも僅かばかりは持っていた人たちだったのではなかったのかな、というのは、たとえば三島由紀夫の「春の雪」(これしかまともに読んでいないのでお恥ずかしいのですが)に描かれた大人達の姿から想像させられることです。では、そうした「個」の所有者達が「自分」を間違いなく確保していたのか、となると、意識の隅には常に「お上」があり、「奉公」という意識があって、必ずしも「自分」意識を強くは持っていなかったように見えます。

焼け野原の後から雨後の筍のようにたくさん生え育ってきた「個」には、すべてが焼けたはずのこの土地の上で、やはり、まだまだ念頭にはそれぞれの「お上」があって(それは大臣だったり自治体の長だったり企業の・・・雇われではない・・・社長だったり、と様々なのでしょうが)、「個」は「自分」であるよりは「奉公」する存在のままであり、この意味では、数は増えたといえ、浅く遡っても近世以降ずっと保たれていた「御恩と奉公」の関係から「主従」ともになんの変化もしていない、と言って支障が無いように感じられます。「お上」の方はここまで特に考慮してきませんでしたので「主従」ともに、というのは少々突飛に見えるところはご容赦願います。あらためて言うなら、こちらもきちんとたどっていけば、「お上=主」の方にも、「自分」というのは存在していない。「奉公」を受ける立場から、どのように「御恩」を与えるか、ということを、こちらも常に念頭に置かなければならないからです。

「自分」を確立することが「善」だ、という価値観を是とするならば、この状態は「善」なるものではありません。
そのためかどうか、しばしば、「自分」を確立しているように「見せかける」手段として、自称するか世間がそう呼んでくれるかして、他の有名な「自分を確立した存在」の名前を借りるケースを見受けます。
日本のクラシック界であれば
「日本のノリントン」
というのが、最近目にした、ひとつの例です。

これ、そう名乗らなければ、あるいは周りがそう呼んで差し上げなければ、そのかたの「自分」が成り立たない、というのだったら、<おかわいそう>ではないか、というのが、率直な思いです。
このケースで言えば、このかたは「ノリントン」がプラスイメージで捉えられる場合にのみ世間から「プラスイメージ」を獲得でき、もし「ノリントン」がマイナスイメージしか持たないのであれば、ご当人の中にいくらプラス評価を受けるにふさわしいなにものかがあったとしても、「ノリントン」のマイナスイメージと連動してマイナス評価しか受けられず、本来いかに潜在的な「自分」を持つ可能性を秘めていても、「ノリントン」が忘れ去られてしまえば、やはりそれに連動して忘れ去られてしまうのです。その上、「日本」と冠していますから、「ノリントン」自身がまた人々に想い出されるときになっても、こちらの方は忘れられたままになることでしょう。
最も不名誉なことがあるとすれば、それはこのかたが「ノリントン」の名前を借りながら
「なあんだ、ノリントンに比べたら研究もきちんと出来ていないではないか!」
と決め付けられ、蔑まれることがある場合で、これは折角にご自身なりの研究をなさって、それなりの努力を払っても、下手に著名人の名前を借りてしまったことによって、ご自身の成し遂げた成果が<分相応>に評価されなくなる悲喜劇が起きてしまうことです。・・・現実問題として、このかたはノリントンとは直接間接の接点は持ったことがないとお見受けしております(そうではないのでしたら失礼いたしました)。もし直接でも間接でもきちんとノリントン氏ご本人の薫陶をお受けになったのでしたら、わざわざその名前を自分に冠することは、むしろ「恥」となさるでしょう。

いや、現在の状況をも、もしご自身を大切になさりたいのでしたら、いかに赤面モノであるかをご自覚いただけたほうがお幸せかと存じます。
(かつて山田一雄氏は「日本のカラヤン」と周りから称されましたが、ご本人は知って知らん顔をなさっているだけでした。実際、彼の指揮はカラヤンとは似ても似つかないものでしたから、そんな呼称でご自身を売り込むなんてアホ臭いと思っていらしたのでしょう。君子とすべきです。)

別に、こうしたことはほんらい個別にあげつらうべきことではなく、一般的に見られる事象です。
しかも、日本において目立つので日本の例を上げましたけれど、案外、日本固有だとは言い難い面もあり・・・じつは、その一例を思い出したことがこの文を綴ってみる気を起こさせたのですが・・・、本当はもっと敷衍されるべき根本的な課題が孕まれているのではないかとも思います。

さて、どうでしょう、少なくとも、他者である「自分を確立した存在」の名を借りたところで、借りた人自身の「自分」は確立されるのでしょうか?

答えは、上例から分かるとおり、
「否」
です。

では、そこでまた無理をしてでも、名を借りることを捨てて「自分」を打ち出すことが、「善」なのでしょうか?

現代日本において、なお「個」=「自分」という等式が成り立っていない状況のもと、ある面では「新文化」の担い手を自負する人が「自分」を確立することを急務とすべきなのか、保持している伝統精神を重視して「没・自分」でいるべきなのか・・・こんな断片的な文ではまだ入り口にしか触れられない、それでいて私達をこれから引き継いでいく新鮮な精神たちのためには、よくよく検討をしておくべき大事なポイントとなる事柄なのではないか、と思います。
本当に考えるべき未来とは、独断的に決めつけ発言されるものであってはならず、以上についてまずひとりひとりの<おのれ>がよくよく熟考し、「どうなのだろうか?」と静かに問いかけ合わなければならないことなのではないでしょうか?
何通りも考ええるはずの「未来」について、独善的な見解を誇らしく著書になさり、おそらくはちゃんとお答えいただけるだろうとの期待からちょっとばかり疑問を提示すれば、それにたいしてお答えを頂けるのではなく、媚を売ってこられる、などというていたらくでは、当初は好意的にとらえた読者でも
「なんだ、この著者は所詮権威主義者だ!」
と、飽き飽き、うんざりしてしまいます。そういうことなさるようなかたは世の中にはいらっしゃらないであろうと信じたいなあ、と存じます。

脱線してすみませんでしたが、以上を考えるにあたって、人生の先輩方の示唆的な言葉はいくつもありますが、さしあたってはドナルド・キーン博士の「能・文楽・歌舞伎」(講談社学術文庫1485 2001)の次の文は顧みるに値する重要性を持っているでしょう。

「なによりも能楽師は自分の性格のいかなる面をも役柄に投影させぬよう戒め、さらには上演ごとに表現の差異が生じないように心掛けるのである。」(32頁)

「(小西甚一博士訳の世阿弥の言葉の引用から)『いったい、最近あたらしく作られた幾番かの能も、古い能をもとにして、それを新しい曲に改作したものである。(中略)・・・・・・これはそれぞれの時代の好みに応じて、いくらか詞章をかえ、曲に新味を加えなどして、いつの時にでも咲くような花をうまく咲かせる種を工夫したものである。今後も、やはり、時世に応じて、その好みに合うようにすべきものである。』」(58頁)


そう、こんな文を綴りたくなったのは、アリアーガの名前が急に浮かんだからでした。
19歳で早世したこのスペイン人の天才は、出身地とその才能のゆえに
「スペインのモーツァルト」
と呼ばれ、まさにそれゆえに、せっかくの個性的な初々しい調べが、かえって私達の耳から遠ざかっている、まことに惜しい存在なのです。

彼の弦楽四重奏曲の自筆譜をリンク先でご覧になりながら、少しお考えいただければ幸いに存じます。

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2009年5月 6日 (水)

音楽も絵画も超えられない精神・・・Faust(手塚治虫展を見て)

Tedukaten東京・両国駅前の江戸東京博物館にて、今、手塚治虫展が開かれています(2009年6月21日まで)。
この希有な「漫画家」の全貌を網羅していて、おすすめの展示会ですが、昨5月6日は黒山の人だかりでした。

音楽関連での手塚さんについてかんたんに述べますと、まず、「リボンの騎士」は宝塚で育った彼ならでは、の、宝塚歌劇経験が無かったら、決して生まれなかった作品でしょう。残念ながら未完に終わった「ルードヴィヒ・B」は、ベートーヴェンの生涯を取扱うはずの作品でした(年譜によれば、亡くなる前年に、手塚さんはベートーヴェンの生家を見学しています)。名作「火の鳥」は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽に刺激を受けつつ書き続けられた、しかしながら結果的にストラヴィンスキーの音楽を超えた深い内容を持つ壮大な物語展開となって行った、文字通り手塚さんの魂を削り続けたものでした・・・これも未完ではありますが、「意図的な」未完だったことは、かなり長い期間にわたって多くの分量が書き上げられていることからも分かります。・・・ただ、「火の鳥」に関しては、劇として上演されたり映画にもなったり、オペラにも仕立てられたりしています。

「もう<漫画は軽い>とは言わせない」という気概は、トキワ荘出の漫画家たちすべてに言える精神の姿勢だったと思いますが、中でも手塚さんの作品ほど多岐にわたるものを残した方はいらっしゃらず、こればかりは今後も手塚さんを超える存在が現れるまでには相当の時間を有するものと思われます。

Tezukapiano「ピアノを弾く女性」の、ちょっと手塚さんのものとは判別しにくい絵(テレビの『悟空の大冒険』【1967】では滑稽な脇役キャラにはこの画法がよく用いられていましたけれど)は、1962(昭和37年)のアニメーション『ある街角の物語』用のキャラクター設定画で、このアニメの一部は今回の展示会で上映されています。音楽の平和が、戯画化されたヒトラーの無限量の似姿に蹂躙されて行くという部分でした。のちの『アドルフに告ぐ』に繋がるなにものかを持ったものだったのでしょう。いずれ全編を見て見たいな、と思います。

手塚さんの未完作で、私にとって最も惜しまれるのは「ネオ・ファウスト」でした。
これは、完成したら、ゲーテの原作を別の手法で、全く新鮮に、ゲーテ以上に「現実に即したものとして」私たちの前に呈示してくれるもの、と期待をしていたからです。
ですが、享年60歳、胃癌に冒された手塚さんは、
「頼むから仕事をさせてくれ」
を最後の言葉に、ファウストよりも「現実の生を直視したままの場所から」魂を清らかな世界に運ばれて行ってしまいました。

「ファウスト」は、大作にも関わらず、同時代人を超えて享受されてきている希有な文学作品ですけれど、多くの作曲家たちもまた、ゲーテの書き表し得たものを自分たちもなんとか、音という手段で描けるのではないか、と企み続ける野心を刺激された作品でもありました。

有名な例では、ベルリオーズ「ファウストの劫罰」、グノーの歌劇「ファウスト」(この歌劇中のバレエ音楽は一昔前は日本のアマチュアオーケストラにも頻繁に採り上げられていましたが、最近の人は旋律表現がヘタになって来たうえに大作主義に走り過ぎている気がしますし、そうしたことの影響からグノー作品が耳にできるチャンスが減ったことは大変遺憾に思います)、リストの「ファウスト交響曲」があります。ベートーヴェンにとっても「ファウスト」は非常に魅力的だったらしく、「ファウスト」に関連する音楽を創りたいとの構想があったことが分かっていますけれど、とうとう作ることができませんでした。

リヒャルト・ヴァーグナーは、一連の楽劇を創作するようになる以前に、「ファウスト」序曲、という単独作品を作っています。これはお聴き頂いておきましょうか。


Alexander Rahbari "Wagner Overtures" NAXOS

ファウストそのものの楽劇化はしませんでしたが、ヴァーグナーの一連の楽劇は、「ファウスト」の精神を彼なりに敷衍しようとの試みだったのではないか、という気がしてなりません。

それでも、何度読んでも、ゲーテ自身が描いた終結部そのものをも、あるいはその質の高い模造品でさえも、ゲーテの頭の中、思いの深さを完全に知ることができない限りは、やはり作り得ないのかも知れない。

手塚さんがもう少しいのちを持つ事を許されていたなら、もしかしたら、私たちにはゲーテの体感を知り得る二度目のチャンスを得ることができていたのかも知れない。

ですが・・・そういうことを知り得る人、というのは、
「いや、あんまり沢山の人間に知らせちゃいけないんだよ」
と、神様がさっさとつれて行ってしまうのかもしれません。

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2009年4月 9日 (木)

学習? 勉強? 自主的な楽しみ?

齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。



大井浩明さんの新譜「フーガの技法」(クラヴィコードによる演奏)が出ました。必聴かつリーフレット必読です!

昨日から今日にかけて貴重なご教示があり、多分、私は勘違いしたままでそれを受け止めているのですが、であってもなお、それが自分にとってあまりに新鮮でしたので、その反省を踏まえて綴ります。文からの印象とは裏腹かも知れませんが。

私は、「芸術」という言葉が嫌いです。
何故なら、この言葉に対する現代の私たちの気どった感覚は、私たちの誰もが、
「無自覚な魔法使い」
であることを忘れさせるからです。
ということは、もっと正確に言えば、現代の日本語としての「芸術」という言葉が、嫌いです。

「術」という字は、訓読みでは「すべ」と読みますね。すぐ手にとれる簡単な辞典では、単純に、これを「手段・方法」という漢語に置き換えているだけでして、さらにわざわざ、「古い言い方」だ、と付け加えてさえいます。
なぜ、やまとことばの「てはず、てだて・・・」などなどでは、いけないのでしょう?
「て(手)」というものに対する、私たちの感性が鈍ってしまったことを、この辞典の表現は、はからずもあらわにしているのではないでしょうか? いや、体全体に対する素直な目線を喪失していることまでをも、知らしめているのではないでしょうか?

剣術、柔術、馬術・・・スポーツ系なら、それぞれ単純に「剣のさばき方、体のさばき方、馬のあやつり方」という具合に受け止めて何の不自然も感じません。そこに、剣を持つ手、強いられることから解き放たれる体、その体全体を使って他の生き物と触れ合う雰囲気が、自ずと備わっているから、なのかもしれません。

技術、は、それ以外の、個別に名付け得ないものまでをも含めた、人間の「意地」までをも含んだニュアンスがあり、そこまでは、まだ好もしいと思います。

芸術、というのは、いつごろから使われたのでしょう、これらの「術」よりはずっと新語なのではないでしょうか? そこまで究明するてだてがありませんから、推測にとどまりますが。
これも本来、素直に捉えるならば、「芸」の「すべ」というだけであって、スポーツ系の「術」からの類推でいけば、「芸をどのようになしとげるか」ということに過ぎないのに、「芸術」という言葉のいやらしさは、しばしばこの言葉にこだわることが、「素晴らしい絵を描けない」、「名文をものしえない」、「美しい音楽が奏でられない」言い訳になったり、もっといやらしいのは、自分がこの言葉を大書した旗の元に成している、あるいは享受していることがらを、「それ以外にはない!」と絶対視し、「それ以外」を排除し差別する恰好の「逃げ口上」になったりするところにあります。
しかも、日本人は、特に好んで、この言葉を外来、とくに西洋の文化に対して使います。こんな立派な翻訳語があるからには、それが「理解できない」のはおかしなことだ、と、・・・これが私には奇妙に思えてならないのですが・・・優越感を持つ人も劣等感を持つ人も、まったく同じに、このように考える。

「芸術」が西洋文化の訳語として使われているのでしたら、原語は英語なら"Art"、ドイツ語なら"Kunst"であって、実は美術だとか音楽に特定された語彙ではありませんよね。ですから、どこかに、それらを受容したときの日本人のやや卑屈な精神が、「芸術」という言い方にはそのまま宿ってしまったような気がしてならないのです。

以上は極論ですし、抽象的でもありますが、このことにこれ以上、余分なあれこれを付け加えて述べるのはやめましょう。

今日の標題は、ここまで述べて来たことと関係ない、とお感じになるかもしれません。
・・・いえ、大いに関係があるのです、と、申し上げておきましょう。

今回、私の所属するアマチュアオーケストラでは「運命の力」序曲をやります。・・・ね?
では、「運命の力」とは、なんでしょう?
少なくとも、これに音楽を付けた人の「作品」として、どういうものでしょう?

早ければ明日、遅くても近日中に、その輪郭程度は、こちらに掲載してお知らせしますが、身内の中の何人のかたが興味を持って下さるか、私の情報がどの程度正確にできるか、などということは考えません。

あるいは、ネットをお使いなら、他のサイトでお調べになることはすぐにでも可能です。
ヴォーカルスコアなら、昨日ご紹介したサイトで全曲分無償で入手できます。

さて、まず、最低レベルのところで、三つのスタンスがあると思うのです。
「やるから知っておこうか」
「やるからには知らなければならない」
「やるから楽しみだな。知りたい、知りたい」

それが、標題の、三つの言葉の違いではないかと思います。

で、その一つ上位は、どういう言葉になるのかは、私には分かりませんでした。
スタンスで言えば、
「じゃあ、知ってどうするの?」
というところでしょうか。

どうします?

「体」・・・演奏に携わるからには、アマチュアといえども、自分に可能な限りの「手」の感覚、さらには腕や背中や腹回り!、そして何よりも重心の感覚、「てはず」としての知識・・・各々、そのもののレベルは「音譜が読めない」であろうが、「ピアノが片手でたどたどしくしか弾けない」であろうが、「アマチュアオーケストラの団員としてならある程度までは、でも独奏なんてとてもとても!」であろうが、いいのです。
自分の「手」が、どれだけの魔法を使えるのかを、ことを音楽に限っても、私たちはあまりにも知らなすぎる、というのが、最近とても強く反省させられ、かつ、世の中のさまざまなことどもを眺めるにつけ、嘆かわしく感じられることです。

大したこともできない私が述べるにはあまりにも僭越なのですが、誰でも、知らず知らずに魔法の力を発揮している。その恩恵が、人間文化たかだか1万年(発生した年代からみても百分の一に過ぎず、世代にしたらたった333世代程度)累積しただけで、かつ、そこへ私たち自身もちょっとずつ参与しつつ、こんにちの便利な生活があります。ほんの200年前の人たちから見たって、現代社会は、「ハリー・ポッター」の世界どころではないほどに不思議かも知れない。
その不思議さに不感症でいることが、自然ですか?

読めなくて構いません。
バッハの「オルガン小曲集」というもののなかからの1曲の自筆譜コピーを掲載しておきます。
この楽譜だって、べつに自筆譜の写しだから有り難いわけでもなんでもありません。
ただ、およそ三百年前に、ヨハン・セバスティアン・バッハという人は、これを書きながら、多分、自分の手の中にささやかな光が生まれるのを感じたことでしょう。
いま、これを眺める私たちが、確かに体の中から手を通じて出で来るものとしてバッハという人の感じた光のほとばしりを、少なくとも「絵」としてでいい、画像(紙面)から自覚し得るかどうか、それだけを、自分自身にも、読んで下さったかたにも「問い」として投げかけて、この趣旨不明な記事を終えることと致します。

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家内の死後、廉価でしたので、自分の心の支えに、お守りに、と、座右におくために買い求めたもののなかの1頁です。


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2009年4月 4日 (土)

パキスタンにて(またもや私じゃありませんが)

大宮光陵高校管弦楽部がSONYのウォークマン"Play You"のCMに12月13日から出演しています!



齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。

大井浩明さんの新譜「フーガの技法」(クラヴィコードによる演奏)が出ました。必聴かつリーフレット必読です!

Swallows見て下さって、
「そういえば、こんな経験をしましたヨ」
と、ネットお友達が知らせて下さったお話。
これは、人間とロバさんの交情記です。お許しを得て掲載致します。
文中、語り手さんが「愚」となっていますが、このかたは「愚」なかたではありませんので、念のため。

(以下、引用)

何が良いとか悪いでなく、何が起こったかを書いておこう。
長い話なのだ。

街中で仕事でありました。
まぁお店めぐりが仕事なんですが、仕事の内容は書けないのでそこは早送り。でもって、、、

愚「ロバですね、、、、」
Y「ロバだよね、、、、」←ロバみたいな顔したひとまわり上の人。だけど、わたしのお友達。

車の通りも多いメインストリートにロバがぼおっと立っている。

Robasan1

愚「気になりますよね。」
Y「うん、どうしたんだろう」

車に限らず、バイク、自転車、荷馬車もひっきりなしに通っているので、ロバが轢かれないかと気が気でない。

愚「怪我してんですよ。ほら後ろ足挙げたままだもん。」
Y「困ったね、、、、轢かれちゃうよね、怪我で捨てられちゃったのかな」

首輪を引っ張ってみたものの動こうともしない。。。
われわれ日本人隊の強面の親分がいるんですが、実は親分もロバを見つめていた。。。←どーみてもやーさんなんですが、実はぼっちゃん&やさしい面があって、単純な正義感を持てる人

親「おいおい、あれどーしたんだよ」
愚「かくかくしかじかで、、、」
親「なんだってんだよな、、、おいっ!!あのガキなにやってやがんだ!!」愚「ロバどかそうとしてるんですね、店の前から」
親「愚、ばかやろー!止めて来いっ!!」←とりあえず頭をはたかれる私。お決まりです。
愚「あいさっ!!」

というわけでロバを蹴っ飛ばしてどかそうとしている若者を止めて

Y「いや~、愚くん、、、まさかパキスタンで浦島太郎の伝統が活きるとは、、、、」

、、、をしたのでした。

******

親「今、水頼んどいたぞ、あと食い物も渡せと頼んどいた!面倒見てやれよ、かわいそうじゃねーか」←こーゆーとこがこの人かわいい

という我らが親分の非常に単純な義侠心を聞いて、正直ほっとしたのは確かである。気になって仕事にならないので、困っていたのだ。ましてや、「あんなロバほっといて、仕事しろ」なんて言われたら、心底軽蔑したことだろう。でもって、地元メンバーと話していると、、、、

親「おい、水がまだ来てねーぞ、それに食いものは?」
愚「ただいま、確認しております!」
すたこらさっさ
愚「水はただいま。食べ物は近所に八百屋がないのでなんか穀物系のもの買ってくると、、、」
親「ちゃんとやれよ!かわいそーじゃねーか。」

そうなんだ。かわいそーじゃねーかなんだな。でもって、足が痛むのを悪いと思いながら引っ張って、店先まで連れてきて、バケツを持っていって顔の下に置いても動かない。

パキスタン人A he is sick so can’t drink.
愚 must be

親「おい!!いま、動物病院に連れてくように頼んでおいたので、ちゃんとつれてかれるまで見といてやれよ!」(←こういうとこ手回しが早い。)
愚「はいっ!」
Y「いや~、愚君いつか竜宮城に、、、、」
愚「相手ロバだって、しかも、ここ、超内陸だって、、、、(←イスラマバード)」

と気付いたときには、親分は食べ残しのナンをロバにあげようと、、、

親「いや~、ロバがナン食うかなぁ」
愚「うちのウサギもバナナ食べますからねー。意外なものを食べるかも。」
親「あははは」

というが早くにもうあげている。

親「いや~、ロバがナンを食うとわねー」

******

でもって、動物病院の使用人の若者が荷車持ってきたんですが、格子上の荷車を無理やりロバの下にもってって押して寝かそうとしている。

Robasan2

Y「無理そうだね、、、普通ゴザ轢くとかなんとかするよね、、、」

と話す内に、ロバがまたぐと足が格子の間に絡まりロバはひっくり返ってしまう。動物病院の使用人ということで専門家と思ったことが間違いでした。

愚「足、折れちゃうよ!!!あれじゃ!」
Y「あーーーーもーーーー!!!!」

と駆けつけて荷台からはずしてやったのは言うまでもない。。。。二枚目の写真の直後ですが、心臓とまるかと思った。

******

でもって昼ごはんになる(登場人物若干名追加)。

親「いや~、かわいそーだったよ。まぁさ、ここでちょっと助けたからどうだっていうのはあるよ、そりゃ、わかるよ。でもさ、ほっといていいってもんでもないだろう。その後、どうなるかまで見てないから、あの先どうにかなるかわかんねーよ、確かに。でも病院いって良かったよ。足治ればどっかで草食って生きるかも知れないしさ。」

(こっからしばらく、動物系番組での所謂”弱肉強食”シーンに話題が及び、、、、)

愚「かかとをはねられたようで、骨折じゃないみたいですね。傷がふさがれば治りそうです。また誰かにひろわれるかも。。。」
Y「なら良かったよ、、、、」
親「まぁなんとか生きてって欲しいよな。」
愚「ロバ助けているのを見て、物乞いが何人も来たのには困りました。その気持ちはわかるけど。」
Z「ロバ助けてるならこっちもって?」
親「いーんだよ人間は口利けんだから。ロバは口利けないよ。でもって怪我してんのにけっとばされんだから。考えようによっちゃ哀れなもんだよ、散々働かされて、ひっぱたかれて、」
Y「怪我したら捨てられて、その上、蹴られて、、、、僕、見たい、、、、」
親「馬鹿やろう(笑)いーんだよ、お前なんて蹴られたって!!でも、ロバってかわいそうなんだよ、何であんなに馬鹿にされんのかなぁ。働きもんなのになぁ。鳴き方きにくわねぇなんて言ったってしょうがないじゃねーか。俺、そーゆーのでえっきれーだ。」
皆「うんうん(そういう当たり前のこと当たり前に言う人が居ないんだよね、今、、、みたいな、うんうん)」
愚「いや、、、でも、何ですかね、、、日本もちょっと前まで家畜にあんなにひどかったんですかね、、、」
T「どうですかね、、、悪い例はあるだろうけど、一般的にはそんなひどかった気もしないんですが、、、」
Y「いや、浦島太郎の話があるくらいだから、日本も動物をいじめた人が一般的であったかも知れない、、、」
愚「あの話ができてからは、日本人も動物にやさしくなった??」
親「大体、いつごろの話なんだ、あれ?」
Y「さぁ、、、、」
親「場所は?」
Y「さぁ、、、、」
親「なんにもしらねーんじゃねーか、いい加減なこといーやがって(笑)」
Y「、、、、栃木あたり」(←本当に本気で言ってるから怖い)
愚「(笑)ないない、陸ガメになっちゃうでしょ!!あるわけないでしょ!!」
Y「、、、、、まだ、海には遠いんですが、どうぞ私の背中に乗って、、、」
Z「(笑)途中で死んじゃうよ、疲れて。」
愚「海まできたら、亀も浦島太郎もおぼれちゃったり、、、いや、あまり教訓を引き出したり、一般化してもどうかとは思うんですが、、、、まぁ文化的なとか、単純に貧富の差で余計なこと気にしてられないとか、、、、でも、気付いたの我々でしょ?」
親「あぁ」
愚「で、怪我してるのに、荷車載らないからって、怪我した足蹴るんですよ。」
Y「あれも思わず止めちゃったよね、、、、引っ張ればいいじゃない、動くんだから。」
愚「餌上げたら、僕でも動いてくれたからね。叩くから嫌だったんでしょ。荷車もね、、、、さっさと止めりゃ良かったんだけど、、、、」
親「どうしたの?」
Y「いや、わかりそうなもんなのに格子の荷車にロバがまたがって足引っかかって倒れちゃって。でも、それをさっさと取ろうともしないし、、、、」
親「ひでーーなーー、でも、まぁそうなんだろうな、、、いろいろ原因はあんだろうけどさ、、、」
愚「やっぱり日本人ってよく廻り見るし、細かいこと気をつけるように教育されるのが、まぁ強みだったり弱みだったり。こうやって、ケンタッキーのランチ食べたあともお手拭きたたんで、紙くずを箱の中にまとめるでしょ?こーゆーことがやっぱり工場運営の強みかと、、、」
親「そりゃしねーな。殆どの国でしねーよ、食い散らかしっぱなしだよ。仕事だって、見てねーよな、自分で。」

*****

そんでもって当日業務終了後の締めの挨拶。親分はパキスタンメンバーに今日の仕事に協力してくれたことを感謝。ロバ助けに協力してくれたことにも感謝。

親「ロバを助けるのも、製品を大事にするのも同じ心が必要と思います。皆さんには、おかしなことだったかも知れないけど、この製品を作っているのはこんな連中だなぁと、まぁそんな風に思ってください。」


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2009年3月31日 (火)

Swallows

心臓移植への応援の願いサイト「大樹君を救う会」
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・・・是非、お目通し下さい。



齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。

書籍「金沢城のヒキガエル」、記事をお読みになってお気が向くようでしたら、どうぞご一読下さい。

大井浩明さんのベートーヴェン演奏(フォルテピアノによる)、新鮮です!

大変お世話になった方から、素敵な英文のメールを頂きました。
そのかたが、お友達から頂いたものを、内容が素晴らしいので転送して下さったのでした。
6枚の写真入りです。

Swallows

Here his wife is injured and the condition is fatal. She was hit by a car as she swooped low across the road.

Image001

Here he brought her food and attended to her with love and compassion.

Image002


He brought her food again but was shocked to find her dead. He tried to move her....a rarely-seen effort for swallows!

Image003

Aware that his sweetheart is dead and will never come back to him again, he cries with adoring love.

Image004

He stood beside her, saddened of her death.

Image005

Finally aware that she would never return to him, he stood beside her body with sadness and sorrow.

Image006

Millions of people cried after watching this picture. It is said that the photographer sold these pictures for a nominal fee to the most famous newspaper in France. All copies of that newspaper were sold out on the day these pictures were published.
Do you still think animals don't have a brain or feelings?



現在の「脳科学」流行りのなかには、人間の脳だけが心を持つ、という見解も含まれていますけれど・・・すなわち、すべての脳科学者がそういう見方をしているわけではありませんが、本で売り込んでいる「脳科学」には「心は能力の一種であり、それは発達した脳が持つ、ゆえに心は人間の脳にのみ存在する」という論もなきにしもあらずです・・・。
これをお読みになって下さる方は、どうお考えになるでしょう?


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2009年3月30日 (月)

わたしたちは一様ではない


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齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。

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(わたしたちは一様ではない)

・・・だから、
「足ることを知る」
のが必要なのかも知れません。

集団の中で、個々人をどのように評価するか、ということは難しいことですが、とにかく、
「個の存在は認めなければならない」
という大前提は、一般的に学校の対生徒、企業の対従業員、などに向けて掲げる旗としては落とせない。

実情は永遠の矛盾でして、学校は世間の価値観の多様性を受け入れるのは手に余りますし、企業は適材適所などということを考えていては生産性が上がらないから、<個別評価>といっても、一様な「ものさし」を設け、その「ものさし」に忠誠を誓えるような<部品>を使って<個>を評価せざるをえない。・・・言葉はきついですが、このことを批判しても始まらないし、そうせざるを得ない苦しみ、というのも理解できるつもりですから、
「そういうもんなんだ」
というお話です。
そして、わたしたちは、これを充分な評価として、喜んで「客観的に」受け入れて初めて、日々の幸せの糧を得ることが出来る、というわけです。

生活するためには、ベートーヴェンの言葉にありますように、
「忍従しなければならない」。


ですが、自己を「表現」する、という手段においてまで、この一様さを押し付けられたら、息が詰まります。

ベートーヴェンの、交響曲に付したメトロノーム記号は、ベートーヴェン自身を苦しめましたが、いまなお演奏者を苦しめています。
指揮者さんはさほどお困りではないかもしれませんが、演奏不能な速さを強いられるプレイヤーはどんなふうに思っているでしょう?
オーケストラは、ある意味では、一般の組織よりも没個性を強いられるところがあります。その団の方針にそぐう技量と表現が出来なければ「手伝い」もさせてもらえませんし、まして、定位置を確保するとなると、艱難辛苦、ポストの空きを待ちつづけることにもなります。(日本のアマチュアでも、弦楽器についてはゆるゆるですが、管楽器はそうも行きません。)

とはいえ、これから上げる演奏4例は、いずれも非常に訓練されたメンバーによってなされていることがはっきり分かるものばかりです。これは、矛盾するようですが、各人が
「この団の中で揃える」
ことに主体的でなければ実現できない演奏なのだ、ということだけは、すべての例に当てはまります。

2拍子になってしまいやすい音楽を、きちんと6拍子で奏でている技量は、並大抵のものではありません。

ですので、あえて、それぞれを評価することは致しません。

ただ、ヴァーグナーが
「舞踏の聖化」
と称して踊ったというエピソードにおふさわしい演奏はどれだとお感じになるか・・・お聴き下さるそれぞれのかたで、かなり異なる感想をお持ちになると思います。

そう、聴き手もまた、多様なのです。

ベートーヴェン:交響曲第7番 第1楽章呈示部から。

・インマゼール/アニマ・エテルナ(2006)

Zig-Zag ZZT 080405.5

・アーノンクール/ヨーロッパ室内管(2003)

Teldec 0927 49768-2

・ジンマン/チューリヒ・トンハレ(1997)

ARTE NOVA 74321 56341 2

・クリュイタンス/ベルリンフィル(1960)

EMI CC25-3746

時を隔てても、大体同じ時期であっても、「指揮」というもので統率された演奏のひとつひとつであっても、かようにみな、異なります。

そんな演奏を、一様のものだ、と受け止める無神経さも、私たちは持ってはならないし、
「これだけが決定版だ」
という見方もまた、人生の楽しみを百分の一にも万分の一にも減らしてしまう。

どの時代にも、その状況に応じて確立されていた
「個」
を認めない発言をするような似非権威に迎合してはいけないし、私たち自身がそうならないように気をつけなければなりません。
せめて、次の世代がまた人生を楽しんでくれるためにも、その牙城だけは、わたしたちは守るべきでしょう。

・・・などと偉そうに言いつつ、
「でも、クリュイタンス/ベルリンフィルの演奏がいちばん好き」
と思っている私なのでした。。。 m(_ _)m


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2009年3月29日 (日)

回復する力


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齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。

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大井浩明さんのベートーヴェン演奏(フォルテピアノによる)、新鮮です!

   花びらごとに その色の 花が輝く
   (ネットのご友人が見つけて来た、とあるお寺さんに飾ってあった言葉)


私たちのアマチュア演奏で恐縮ですが、浅田選手の今日の健闘を讃えて鳴らさせて頂きます。
・<仮面舞踏会>より「ワルツ」(ハチャトゥリアン)

世界フィギュア、安藤選手の演技は残念ながら目に出来ませんでした。
浅田真央選手は惜しくもメダルを逸しましたが、こちらは子供達と夕食をとっていた店のテレビで見ることができました。
素晴らしいな、と思ったのは、一度転倒した後の演技が、それまで緊張で少し縮んで見えた彼女の体を自由自在にし、巨大に見せた、ということでした。
私の尊敬するブロガーのお一人が、常々「回復力(正確には<復元力>)」という言葉をお使いになるのですが、今日の浅田選手にはふさわしい言葉です。
「回復力」というのは、肉体を縛る<なにものか>から自分を再生させるだけでなく、より自由に解き放つものだ、ということが、手にとるように分かりました。
コーチ(荒川選手や安藤選手もお世話になったロシアの方でしたね)が
「表現力をつけるために、使用曲の<仮面舞踏会>のストーリーも浅田選手に理解させたい」
と事前に仰っていましたが、その目標は充分に達せられていたと思います。



200903291455000昼は昼で、買い物に出た先で、大道芸の芸人さんたちが楽しい演技を披露していました。
こちらも時間の関係でおひとかたしか拝見しなかったのですが、一発勝負だけに失敗が許されない。しかも、審査員によって得点が付けられる大会とは違い、それに備えるためのコーチがいるわけでもなく、コーチを雇うお金を出してくれるスポンサーがいるわけでもなく、小道具から訓練まで、全部自分ないし自分たちで準備しているのです。が・・・そんなことはおくびにも出せない。芸人さんの目的はただ一つ、お客様が評価し、対価を払ってくれること。それで日々の糧を得ることなのです。
手伝いに客席から引っ張り上げた男の子に
「ボウズも、オジサンの年になったら、苦しみが分かるよ」
と言って笑いをとっていました。
これは、働く大人みんなの実感なのですね。
寒い中屋外に設けられながら満席だったお客さんたちの笑いは、共感の笑いでもありました。

凄いなあ、と思ったのは、お笑いの要素も巧みに取り入れながら、火を飲む・変わったジャグリングをする(三個のリンゴをお手玉しながら、顔の前に飛んできた1個にガブリとかじりつく!・・・そのリンゴは何事もなかったかのようにまた宙を舞い続ける)・ちょっとした手品を取り入れる、と、入れ替えたち変えの性質の違う芸を、自分ひとりで作っただろうストーリーに乗せて連続披露する密度の濃さです。

で、許されない、とは言っても、途中でやっぱり細かいミスはするのです。
それを巧みな話術でカヴァーしながら、失敗の価値を「笑い」に転化することにより、続いて行なう演技での成功をより大きく見せる・・・そこには、「集中する人」が持つ「回復力」の素晴らしい価値を充分以上に感じさせてくれる強さがあり、だからこそ見ている人のほうもやんやの喝采をし、自分たちも「回復力」の分け前にあずかり、喜んで対価を支払うのです。



「おけいこごと」として楽器を習う・教える世界は、「群れ」になると、ひとりで冷静に考えれば<おや、ちょっと違うんじゃないの?>と考えるであろう不思議なことが平然とまかり通ります。
たとえば、ピアノでもヴァイオリンでもなんでも、ですけれど、
「小さい頃から、指に筋力を付けさせなければならない」
ということが、今でもまことしやかに言われているのには、ちょっと肝の冷える思いがします。
集団になると、『金沢城のヒキガエル』にも出てくる通り、どうも<思索が停止する>状態に陥って、それを不思議とも何とも思わない状況が生まれるようですね。・・・シューマンが指を壊した教訓が、それから200年近く経とうとする21世紀の現在でも、何も活きていないのは、実に奇妙なことです。
そういう中で早くから楽器を「教えられた」子供達は、「筋力を付ける」ことにならされてしまったことで、後々苦しむことになります。
それは、ヴァイオリンについて言えば
ハヴァシュ「あがりを克服する」(音楽之友社)
ピアノで言えばそのレッスンの19世紀史を追いかけた
岡田暁生「ピアニストになりたい」(春秋社)
で、既に矯正の苦しさが暗示的に示されていることです。
筋力のない人でも、自然の理にかなった、無駄な力がいらない演奏が出来るからこそ、ほとんどの楽器は、それらのメカニズムが出来上がったときの原理を残したまま、ただ合理性を高めるための機構を付加されただけでこんにちでも生きながらえているのに、そこへまた不要な力を加えることで、どれだけ「鳴り」が妨げられるか、ということには無自覚なまま、まるで100メートル走を他の人より0.01秒速く走れるヴィルトォーゾ(この言葉の本来の意味は「超技巧所有者」的なものではなく、むしろ<理に通じた人>を指していたのです)を育成することにしか目が向いていない。
脱落者を大勢出すであろう、そうした「教育方針」が、もう200年も改まっていないことには、人間が延々と「弱肉強食」というダーウィンの進化論的発想から逃れ得ないで滅びに向かって行く匂いさえ感じざるを得ません。


縁あって、つい先日ベルリンフィルのコンサートマスターをお辞めになった安永徹さんが、ずっと以前に「音楽の友」誌で村上陽一郎氏と対談なさった記事を拝読させて頂けるという幸運に巡り会えました。
その最初の回の最初の大見出しが
「『人』が人間となる時」
というものなのですけれど、ここでの村上さんの発言
「人だけでは人間になれないわけで、まわりの人との間の中で初めて人は人間となれる」
は、私が就職前に父に言われた言葉と全く変わりがなく、感銘を受けました。
ただし、これは
「群れることで人は人間となる」
というのとは全く意味合いを異にしているのは、言わずもがなでしょう。
この対談については、また詳しく触れる機会を持ちたいと思いますが、この村上氏の発言の訴えたいことは、今回ご紹介した浅田選手や、大道芸人さん、ひいては私たち一人一人が
「まず自らが思索する・・・その結果を世に問う・・・世間の共感をまた自らの糧とする」
という主体的な存在であるための、ビジネス社会では言い古された言葉ですが
「プラン--->ドゥ--->シー(またはウォッチ)--->チェック」
の反復の「自由」を手にして初めて人は他者との関係において個を確立し得る、という強い意味をもったものです。
そのことを肝に銘じて、あしたも生きて行きたいものだ、と思っております。
ウルトラマンガイアのセリフではありませんが、
「ボクたちは滅びたりなんかしない!」

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2009年3月26日 (木)

「心」までは買えない

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・・・是非、お目通し下さい。



齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。

書籍「金沢城のヒキガエル」、記事をお読みになってお気が向くようでしたら、どうぞご一読下さい。

大井浩明さんのベートーヴェン演奏(フォルテピアノによる)、新鮮です!

昨日、JIROさん(リンク先はマーチ特集)にご紹介頂いた「往復書簡 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 分析と演奏」(園田高弘=諸井誠共著 音楽之友社 昭和46)について、ひとことだけ触れました。

ベートーヴェン作品は、交響曲なら9曲とも、メロディーラインではある程度ひとくさり「浪花節」を唸れますけれど、協奏曲はヴァイオリンのもの、ピアノは3番以降のみ、弦楽四重奏曲となるともっと怪しくなり、ピアノソナタとなると、番号とタイトルと曲を同時に想い出せるのは1曲のみ(第1番!)で、他に記憶を甦らせることが出来るのは十指に満たない以前、です。このあいだ大井浩明さんのCDで真剣に聴いたのは、本当に久しぶりのことでした。
そんなていたらくの私が、園田・諸井氏「往復書簡 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 分析と演奏」を、それでもまず分かる曲の部分だけ無我夢中で読みました。
基本は、園田さんが「演奏する」立場から展開する各曲の「読み」に対して諸井さんが「創る」立場からの「分析」で応じる・・・次に話題にする曲に移る時に、園田さんは諸井さんの前便を踏まえて、でもやっぱり「分析」ではなくて、作品にこめられた「意味」を諸井さんよりも主情的に綴る・・・弾く人、創る人の視点の差を肌で感じられるだけでも興味深いやり取りなのですが、お二人の「視線」にはズレがないから、一貫性があります。
印象としては、詩の世界でよくある、詩人Aと詩人Bの交換詩集(本当は何と呼んだらいいのか分かりませんが)と似たものを与えられました。
こんなことしか述べられないのでは、私が本書を理解できていないというのを白状するに等しいのですが、そこは恥を忍んで
「はい、分かっておりません」
と申し上げます。
この類いの「肌触り」は、やはり、自分なりに曲が消化できていないと、微妙なところで分からない。でも、今時点でのレベルでの感銘は、今時点なりに「大きく」受けるのです。
それがどんな大きさで私に迫ってくるのか、は、明かしようがない、というのがホンネです。
弟子が秘事を授かる・・・そんな感覚です。
本当に、東洋的な書物だと感じております。バドゥラ=スコダ著書の、西洋的な明晰さ、では、お二人のやり取りのような「飛んだ、超えた」記述はなされていない。あるいは、日本人としても、児島新さんの「ベートーヴェン研究」のような考証的な記述でもない。となると、平凡以下の読者である私としては、つい桃源郷に迷い込んで、仙人の会話を偶然耳にしてしまった、という類いの、不思議な驚きをもって接する以外に、なす術がない。



JIROさんが探し出してくれた先が、偶然にも、私が時々お世話になる、信用できる古書店さんだったので、すぐにネット販売に申し込んだのですが、届いてみると、この書店さんにしては珍しく、品物の状態が値段のわりによろしくない。
本にちょっと線を引いちゃっただけでも、最悪は古本屋さんは値段をつけてくれず、こっちから頼み込んで引き取ってもらえないなんてこともあります。この書店さんはそういうお店ではないと思っていましたから、届いた本に線が引いてあるのを見た時には、
「なあんだ、今回は、ボロ儲けさせちゃったかな」
と感じてしまいました(といっても、たかだか本1冊で、古本屋さんはさほど儲かるわけではないので、これは大袈裟なのです)。
ですが、裏表紙を開いて、そこに
「K子様へ  昭和四十六年十一月某日  父K一」
とサインがあるのを見てから、俄然、この本のたどって来た経路に思いを馳せてしまいました。
著者のサインではありませんから、通常はこんなサインがあるのも、また値段を下げる要因になるはずなのですが、私にとっては価値ある「無名人のサイン」となったわけです。

お父上から、発行間もないこの本を贈られたお嬢様は、ピアニストの卵だったのでしょうか? お嬢さんにこの本を贈ったお父様も、この当時としてはかなりな通人だったのではないでしょうか?
この本は、贈られたお嬢様にとって、大変な宝物だったのではないでしょうか?
では、なぜ、どうして手放さざるを得なくなったのでしょうか?
今ではコレクター商品などというのまでAmazonに出品されているようなシロモノで、しかも、間違いなく名著です。
そう考えながらあらためて中身を読みつつ状態も確認していくと、最初に受けた印象ほど悪くない。お嬢さんが、熱心ながらも大切に読んだらしいことも窺える。

・・・出来るのは、ただ想像を巡らすことのみで、そのお嬢さん自身が、だったのか、あるいは縁者の方だったのか、いずれにせよ、手放すには、切ない気持ちが伴ったのではないのかな、などという思い入れまでしてしまって、私はそれだけでも目が離せなくなりました。

そうなんです、本は買えましたが、この本の最初の贈り主、持ち主のかたの「心」までは買えなかった。
それが、なおいっそう、本書の園田さんと諸井さんの往復書簡文を神秘的なものに感じさせるはたらきをしたかもしれません。

肝心の内容についてのレヴューにも何にもなっていないのが心苦しい限りですが、繰り返します。

ものは「買え」ても、心までは「買えない」のでした。
私は、メフィストフェレスの足元にも及ばない・・・当然と言えば当然の、魔術の初歩をも心得ていない、素晴らしいものの前には全く無力な、虫けらにも等しい存在なのでした。


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2009年3月25日 (水)

スウィトナー「オランダ人」リハーサル

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大井浩明さんのベートーヴェン演奏(フォルテピアノによる)、新鮮です!

Suitner先日、BS2でオトマール・スウィトナーさんのドキュメンタリーを放映したそうです。
我が家は、亡妻が衛星放送に入るのを拒んだ(私がテレビから離れなくなって寝不足になったりするのがイヤだったようです)ので、今もまだ、BSは見られないままです。
で、残念に思っていたら、いつもリンクさせて頂いているsergejOさんが、ご自身のブログで詳しい内容紹介をして下さいました。

NHK BS2 父の音楽 指揮者スウィトナーの人生 / オトマール・スウィトナーおすすめCD
  http://sergejo.seesaa.net/article/116155923.html?reload=2009-03-25T00:37:15

病気で引退状態だ、と聞いてからずいぶん経ち、どうしていらっしゃるのか、と思っていたところでの、思いがけない番組でした・・・見たかったな。

この番組の核心は、sergejOさんが大変上手くまとめて下さっています。上記リンクから是非お読み頂きたく存じます。・・・人生の哀感とともに素晴らしさをも伝えてくれるドキュメントだったようで、私も拝読して思わず涙ぐんでしまいました。

(以下、敬称略で)マタチッチ、サヴァリッシュにしてもそうだったのですが、NHK交響楽団も、実に凄い指揮者たちを日本に招いていたんだなあ、とあらためて思います。こういう人たちの真価を、私たち受け手がテレビでも気軽に見続けていたがために、かえってよく知らずにいたのは、実に勿体ないことでした。

YouTubeでスウィトナーの映像を探しても、姿まで見られるものは、いまのところこれしか見つけていません。

・バイロイト音楽祭のリハーサル(「さまよえるオランダ人」)

「オランダ人」役が、これは日本では知名度が低いものの、ワーグナー歌手としては非常な実力派だったトマス・スチュワートです。リハーサルなので、座って歌っています。

YouTubeには、スウィトナー指揮の「タンホイザー」がアップされています。
彼が、やはり別の意味で薄幸だったルドルフ・ケンペ同様、「ワーグナー指揮者」として非常にハイセンスだったことを伺わせてくれる、貴重な映像群です。

今日は、これを見つけるので時間を費やしてしまいました。

いいんだ、へりくつこねてるより、こういうのをめっけることの方が、ずっと高い価値がある。

その他、JIROさんが紹介して下さった「往復書簡 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 分析と演奏」(園田高弘=諸井誠共著 音楽之友社 昭和46)も、古書を取り寄せていたものが本日届き、今日は自分でひそやかな感動に浸っております。・・・こちらの内容は、深くて、私ごときにはまとめようがありません。・・・音楽を「見る」目を養う教科書として勉強させて頂きたいと思っております。(リンクはAMAZONに貼ってありますが、私は別口で入手しました。)

sergejOさん、JIROさん、ありがとうございました。


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2009年3月23日 (月)

3月23日


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大井浩明さんのベートーヴェン演奏(フォルテピアノによる)、新鮮です!

亡妻の誕生日です。

・Mozart "Recordare" from "Requiem KV.626(YouTubeリンク)
 カール・ベーム/ウィーンフィル、
 ヤノヴィッツ(S)・ルードヴィヒ(A)・シュライヤー(T)、ベリー(B)
 1971年12月

(続唱の25行目から)

Recordare,Jesu pie,            想い出したまえ、慈悲深きイエスよ
Quod sum causa tuae viae:         私があなたの旅をいざなったのです。
Ne me perdas illa die.            かの最後の日に私を滅ぼしたまわぬように。

Quaerens me, sedesti lassus:        私を訪ね求めて、あなたは疲れ座し、
Redemisti Crucem passus:          あがないて十字架を耐え忍んだのです。
Tantus labor non sit cassus.          それほどの労苦が無駄となりませんように。

Juste judex ultionis,             罰を定める正しい裁き手よ、
Donum fac remissionis            許しを贈り物となしたまえ、
Ante diem rationis.               すべての清算の日にいたるまえに。

Ingemisco, tamquam reus:          私は被告人のように嘆くのです、
Culpa rubet vultus meus:           罪が私の顔を赤らめさせますから。
Supplicanti parce, Deus.            哀願者を惜しみたまえ、神よ。

Qui Mariam absolvisti,            (マグダラの)マリアを許し給い、
Et latronem exaudisti,             盗賊に耳かたむけ給い、
Mihi quoque spem dedisti.            私にも希望を与えたもうたのですから。

Perces meae non sunt dignae:        私の願いは分をこえています。
Sed tu bonus fac benigne,           それでもあなたは良くはからって下さいますね、
Ne perenni cremer igne.            私が永久の業火に焼かれることのないように。

Inter oves locum praesta,          羊たちの中に居場所を下さり、
Et ab headis me sequestra,          山羊から私を離れさせ、
Statuens in parte dextra.            右に立たせて下さいますように。



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2009年2月20日 (金)

「正しい」という言葉への、ふとした思い

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大宮光陵高校管弦楽部がSONYのウォークマン"Play You"のCMに12月13日から出演しています!

ふりかえってみれば、「うつ」になった自分が、「何かを見つけなおそう」と思ってブログを始めてから、早3年半が経ちました。
思いがけないことに・・・それは本当に、未だに残酷な夢のようで、私に追い討ちをかけ、いちばん信じられずにいつづけていることなのですが、
「お医者さんの話だと、ようやく、薬がやめられそうだよ」
「そう、よかったね!」
と、いちばん喜んでくれた家内が、ブログを始めてたった7ヶ月後、こんな会話をしたホンの数日後に、急死してしまいました。

それが、私をブログなんぞを綴ることにのめりこませた最大のきっかけです。
で、様々ありまして、最初綴っていた私的なことは、ブログのサーバの業者さんの仕様変更に伴ってこちらを新設しなければならないという事情が発生してから、こちらでは殆ど綴らなくなっていました。
またちらちらと綴り始めたのは、「好きな曲」として分けたカテゴリの中でであることが殆どで、併せて旧ブログには、週1回、オーケストラ仲間の皆さんへお出ししているメール(みんなさぞ迷惑していることでしょうね!)を少しだけ手直しして載せるようになりました。

家事もあるのですが、それでも殆ど休まず続けてこれたのは、まだまだ学業半ばの子供たちがだんだんに家事分担も手際よくこなせるようになってきてくれたこともありますけれど(感謝)、何よりも、心のどこかに
「そうだ、綴りつづけることを、やめてはいけないんだよ!」
という、誰からでもない言葉が聞こえてくる気がするからです。
「なぜなら、お前には、学ばなければならないことがまだまだあるから」
・・・そして、学ぶということは、一生続くものだから、という声です。



初めは粗々でしたし、いまでもパッと飛びついた本や音楽や映像には動物的に
「あ、これはいい! これはいかん!」
と思うとまず何も顧みないで所感を述べてしまったりする軽率さは・・・生来の性格なのでしょう・・・やっぱり抜けずにおります。

が、それでも、とくに家内を亡くしてからは、「意味を<読む>」大切さを、つくづくと感じながら、一度飛びついたものを見直してみる精神も、ちょっとは自分の中に芽生えてきたような気がしています。

これはひとえに、まだ家内の生前からブログ上でお付き合いを始めさせていただいたガメラさん(改めイワンさん)JIROさん仙丈さんをはじめとする皆さんが都度ヒントを下さったおかげですし、直接ご本名を挙げて恐縮ですが、文学にからきし疎い私が、杉山欣也さんのご著書『三島由紀夫の誕生』を拝読して徹底して思い知らされた、「分析的にものを見るプロセスの大変さ、それでもそれを可能な限り<客観的にまとめ上げる>努力の継続の重要さ」が、たかが一介のサラリーマンの趣味であっても、可能な限りはただの娯楽に済ませず、予算と機会に限りはあっても可能な限りの調査は肯定的なもの・否定的なもの両面からなされなければならず、「では、本質のありかはどこか?」を見極めなおさなければならない、との思いを私に強く持たせてくださったおかげです。(ついでに言えば、杉山さんの客観的態度は、「三島由紀夫」と併行して「小林多喜二」も観察できてしまう・・・とくにご年配のかたにはこんな併存は信じられないでしょうが、いずれの作家・作品に対しても、「温かい目」を失わずに客観性も保つ、という目が備わっています。「温かい目」というのも、あまりに軽率に熱に走る著作が、今の日本には分野を問わず新発刊され続けている事実を前にしたとき、非常に重要な、取り戻すべき本質のひとつであると思います。)



きちんと理解できていないので恐縮ですが、杉山さんの「方法」は、およそ<三島由紀夫>と称するようになった一作家が、現在の既成の価値観で「右かどうか」などという結果から見た勝手な主観で判断されることを白紙に戻すことからスタートしている点で、衝撃的でした。

漁り続けた日本の、とくに音楽の「演奏法」とか「解釈」を建前とする書物などは、きちんとした定義を全く明示しないままに、筆者の中には出来上がっているだろう「定義」が独走しているケースばかりでして、それを振り返ってみると、本当の意味の「良書」には、なかなか巡り会えない。読み返すと「あれ? これ、分かんねえや」というものが多いのです。日本人として、寂しいかぎりです。(訳書でしか読んでおりませんが、これは、クヴァンツやレオポルト・モーツァルトの時代のヨーロッパの著作では初歩から入って彼らの考える本質までを順序立てて述べているという点で、遥かに優れています。)
それでも生涯で今でも「これはいい」と思っている本は2つあります。ただし、そのひとつである諸井三郎さんが書いた音楽理論の入門書はもう手に入りません。
もうひとつは、近衛秀麿著『オーケストラを聞く人へ』で、これはこんにちでも入手可能です。本当に初めてオーケストラというものを聴く読者に向けて、これ以上懇切丁寧に、分かりやすく、しかも極力筆者像を前面に出さないで述べた書籍は、以後全く発行されていません。音楽なんて誰が作ったものでも、心を捉えてしまえばそれは神様からの贈り物だ、とでもいった趣旨の、とあるささやかなエピソードに始まり、楽器の紹介、管弦楽法(オーケストレーション)の基礎にまで言及し、(ここ以降はもはや歴史的記録になってしまいましたが)欧米の名ホールの音響がどうしていいかの説明があり、名指揮者の紹介があり・・・近衛さん自身の音楽に対する「価値観」などは、表面上、みじんも現れない書籍です。・・・たとえ近衛さんがNHK交響楽団の自立の上では障害となった面もあった、という伝記的事実があるにしても、この「記述の客観性」は、完全にそんな「俗な」近衛さんの人格を超越しています。
「なぜ、このような記述方法に倣う書籍が、音楽には現れないのだろう」
日本の近衛氏やヨーロッパ18世紀の音楽家たちの著作と対比しつつ、つくづく顧みるに、それだけ音楽というものは人の主観・感情に直接訴えかけるから主観性が強くなりがちなのかもしれません。

客観的であろうとするべきところを、とかく「作品はこうあるべきだ」・「演奏はこうあるべきだ」・「聴かれ方はこうあるべきだ」という<主義>がどうしても先行し、そんなだから音楽関係の書籍はご著者にとっての<主観的音楽>から脱しないままになされがちだから、こんなふうなのではないかと思います。・・・たとえ、記述の前提が楽譜への回帰を訴える「原典主義」、その校訂の是非を問う「作曲の原点主義」であっても、残念ながらそれだけでは、音楽全体を「客観的に」捉えたことにはならない。なぜなら、そこには「批判される素材ありき」での話の進行があるからです。・・・「白紙」に戻っていない(論文にはそうではない良質なものは「稀に」あります。高価で思うようには入手できないのですが、読み切ったときの感動はよい小説に優るとも劣らない気がします)。
資料を提示しているから「白紙」の証拠、というふうには、ならないのですが、そこのところが著述をなさるにあたって、ご著者は理解なさっていないのではないでしょうか? 振り返って見ると。最近読んだ日本人の著述は、話の順番が「論が先、証拠は中出し、締めは論の再強調」であるものばかりでした。

これがいかに「こんにちの一般的な日本の出版物」に見られる偏った傾向であるかは、人類の「理性的な著述」の出発点であるプラトンの対話編(短いものでいいのです)や・・・このような「読み」をするのはご信仰のある方には切ない面もあるかも知れませんが・・・旧約聖書の『創世記』、あるいはまるきり文学作品であり、より新しく、一見筋が通っているのかどうか分からないカフカの諸編などを読み込んでみても、それらに共通する著述態度から日本の最近の書物が大きくずれていることをよくよくお読み取り頂ければ、その異常事態ぶりには気づいていただけるものと思います。



およそ最近の私の方針からはずれたことを述べてしまいました。それでも、本当は話題を書物に限らないところまで拡げたかったのですが、本日も長くなりましたので、他を省略して、今回の文を綴るにあたって考えたことを、いきなり、まとめてしまいます。

「<正しいのはこれだ>という言葉が自分の心を支配したら、そのことはいったん白紙に戻さなければならない・・・その上で、自分をもう一度、自分に出来るだけのいろいろな角度から眺め直さなければならない。それがひとりでは出来ないことだったら、聞きにくいことを言う人の言葉にも耳を傾け、その言葉に嫌悪を感じるのなら、その嫌悪の正体はなんなのかをも見極めなければならない。好意ある言葉の中にも、有頂天にならずに、その好意がなぜ寄せられたかを、やはりもう一度自分に戻して見直してみなければならない。・・・<まだ見落としていること、誤解していること>が、必ず残っている・・・私が人間であるならば、必ず。」



でもって、ここで本来の自分に戻って、音楽の話で締めましょう。

本来は「歌詞」のない器楽に、ベートーヴェンは最後の弦楽四重奏曲の最後の楽章で、言葉を与えました。
"Muss es sein?"(しかあらねばならぬのか?)
"Es muss sein!" (しかあらねばならぬのだ!)

・弦楽四重奏曲第16番へ長調作品135、終楽章

スメタナ弦楽四重奏団(1968) 日本コロンビア 25CO-2547

この厳しい言葉が愉快な音調で「語られている」ことから、ベートーヴェンが思考を「愉しんだ」ことが伺われます。
では、これは彼の人生の総決算の言葉として、日本流に言えば「悟りの境地」に達したからこそ発し得た音楽の言葉なのでしょうか?
・・・そうであるとも言えるでしょう?
・・・でも、ほんとうに、そんな一面的なものに過ぎないのでしょうか?

この四重奏曲は、甥カルルの自殺未遂事件が一段落したあとのベートーヴェンが作ったものです(カールの自殺未遂は1826年7月30日。ベートーヴェンの本四重奏曲への着手は7月中、完成は10月13日)。
傷からの回復過程で、カルルはベートーヴェンに「軍人になりたい」と・・・ホンネだったかどうかは伺う由はありませんが、とにかく、音楽家以外のものになりたいと・・・打ち明けており、議論の末だとベートーヴェンは記していますが、結局のところカルルの意志を認め、そのために骨を折ったり、今までの反省を踏まえてカルルの心を傷つけないよう配慮しているさまが、この頃残した書簡の言葉の端々から伺えます。
その間、私は目に出来ないのですが手帳の方にはあるのかもしれず、本作についてなにも語っていないかどうかは断言できないのですが、書簡上では10月13日付けのもので触れられているのが本作かどうか明確ではありませんが、そうだとしても、それまでの創作過程についてはなにも綴り残されていません。
ただ、先立つ9月22日頃の書簡の末尾(追伸の前)には、果たして戯れからだったのでしょうか、死を象徴する十字マークを記したりしています。

いろいろなことが考えられます。

"Muss es sein?"(しかあらねばならぬのか?)
"Es muss sein!" (しかあらねばならぬのだ!)

は、ひとつには、「我が子」カルルが父ベートーヴェンの意志にも関わらず「自分なりの道」を見出そうとしていることを認めなければならないのだ、という心情かも知れませんし、作曲中に綴った書簡の中で死を象徴したマークを記したりしているからには、「この現実は私の<願い>の死滅を意味するけれど、それは従容と受け入れなければならないのだ」という決心のようでもありますし、とにかく複合した心理から発せられた言葉ではないのか、というような、推測。
でも、とにかくベートーヴェン自身が、この言葉に自分のどんな心情を込めたのかについては、なにも述べていませんから、「ベートーヴェンの実人生上の」真実はベートーヴェンと共に墓に葬り去られたのです。
ロマン・ロランあたりなら、これを人道的に解釈した文章を残しているかも知れませんが、私は読んでいないか、あったのが目に入ったことがあったとしても、全く記憶していません。

ですが、記憶していたところで、何の意味があるでしょう?

私たちはただ、ベートーヴェンがこの言葉を付して書き残した動機を、なぜ今聴けるようなかたちの音楽に仕上げたかを、私たち個々の経験に照らし合わせながら、しかし、個人のうちに留まらない、人間の生き方としての何かに、静かに耳を傾けなければならないのです。

肖像画でイメージされる彼の顔も、忘れておくことが必要です。

この作品でのベートーヴェンは、心底、澄んだ「笑み」をを響かせています。・・・その「笑み」が、私たちの「笑み」と一体になったとき、それがたとえベートーヴェン自身の生前の「ほんとうの」意図と一致はしていないとしても、<心の真理>としては、幾何学模様として必ず「合同」なのです。つまりは、作曲者と聴き手にとって、音楽が心で一体になったときには、その「合同」図形を描いた筆記用具は、ベートーヴェンが実際に彼が使った筆記用具なのではありませんし、私たちがそれを心に描く時に用いる筆記用具なのでもないのです。


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2009年2月 4日 (水)

クヴァンツの言葉から

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大宮光陵高校管弦楽部がSONYのウォークマン"Play You"のCMに12月13日から出演しています!


今日は、精神的に支えて下さったかたのお一人がご栄達されるとの報を受け、大変喜ばしく思った反面、それに伴ってそのかたが遠方に行かれることにもなりましたので、寂しさもひとしおとなりました。

そこで、メインのMacさえ故障していなければ、せめてお祝いにふさわしい音楽をアップ、もしくはYouTubeの映像をリンクしたかったところなのですが、いま仮にメインとして使っているマシンは6年前のものでもあり、ブラウザの機能に制限もあり、現状配付されているFTPソフトは非対応のOSで動いてもおりますので、別のことを企画しました(・・・企画、というのは大げさですが)。

そのかたは、音楽畑で、ではありませんが、ある分野の作品群とその創作者について、私が一読して尊敬してしまったほどの冷静な分析を、おそらく、対象とした創作者に対して初めてなさったかたでもあり、お年もこれからますますのご活躍が期待できる若さです。

およそオリジナリティとか新鮮な視点など持ち合わせない私にできることは、この場では「音楽」を離れないことを鉄則として考えるならば、音楽の古典から、この機会にふさわしい言葉を拾い出すことくらいです。

ふさわしい言葉に溢れた本、というのが、実は、あまりない。
以前ならベートーヴェンの言葉のようなものが珍重されたかもしれませんが、それはどちらかといえば「一般的に求められる人間性」の類いをそこから類推するにふさわしいだけです。
シューマンが残した演奏家心得(「ユーゲントアルバム」に収録)もすばらしいのですが、こちらは視野が音楽に限られる(前にご紹介したことがあります)。


Flute いい素材は、むしろ、もっと前の時代の著作物にありました。
クヴァンツ『フルート奏法』(1752)です。(リンク先では「現在お取り扱いできません」となっていますが、2007年に印刷された物は楽器店の店頭に置いてあります。)
この本、フルートのことしか書いていない、というわけではなく、弦楽器もオーボエもファゴットも、通奏低音奏法もマスターしていた彼の体験からくる、音楽全般についての知見が幅広く記されています。
そこには、しかも、「音楽」という事象を通して彼が本質を見極めてきた人間社会について、現在でも通用する<相手に対して向けるべき視線・・・読み取るべき価値観>を透かし見させてもくれるのです。
第18章「音楽家と音楽論」がその中心になっていますので、そこから幾つかを拾って、私の大切な恩人のかたに、併せて今日まで私を支えて下さってきたかたたち、これからも支えて下さるかたたちに捧げたいと思います。(荒川恒子訳 全音楽譜出版社から引用させて頂きます。ただ、推測で、「本来こっちの意味ではないのかな」と思った部分については大幅に変更を加えました。ですので、書籍の訳文とお比べになったらビックリなさってしまうでしょう。それはご容赦頂くこととします。ただし、クヴァンツさんの原文から意味がそれてしまっているようでしたら、クヴァンツさん、夢の中で叱って下さいね。直します。)・・・音楽という語彙は、適宜読み替え可能であろうかと思います。


§1:音楽ほどすべての人に批評される芸術はない。音楽にたいして断定を下すことなど、何にもまして簡単なことなのだろう。【専門の、あるいはそれに準じる】音楽家ばかりでなく、愛好家に過ぎない者さえ、自分の聴いたものに対する裁判官だと人に見てもらいたがる(kenのひとりごと・・・耳が痛い!)

§3:聴衆は自身の根源的で素直な感覚をもとに判断するのではなく、歌い手・奏者で最も有能な【と世間で評判になっている】者だけに耳を傾けようとする。・・・その【評判の】人が演奏するならば、演奏が粗雑であっても、曲が粗悪であっても、「素晴らしかった」と【無意識的な偽りの】好評価を広め、そうでない、世に知られてもいない人ができるかぎり一生懸命演奏したとして、それがいかに優れていたとしても、殆どだれも注目などしない。

等々の前提があり、クヴァンツによる、そうしたことへの音楽家の対処法がちょっと長めに記され、その後にこのセクションが来ます。

§7:音楽は気まぐれに評価されるべきものではなく、他の芸術と同様に、規則に従い多くの経験と練習によって到達した、浄化されたよい趣味【があるかどうかによって評価されなければならない。・・・音楽が好きな限り、批評を控え、もっと注意深く聴くことにつとめる方が、はるかに良いはずだ。・・・変な時に批評する者(kenのひとりごと・・・この「変な」とはどういう「変な」なのかは、原文を参照しないと分かりませんので、そのままにします)は、その者自身と意見が異なり、たぶんより多くのことを理解している者に自分の無知さ加減を暴露することになりかねず、そんな批評からは【音楽家は】何も期待できない。以上から、音楽の裁判官の役割を引き受け、その責務を【音楽そのものに対する】敬意を保って遂行することが、いかに難しいかが分かる。


・・・この3つにとどめましょう。(引用したはずの訳文とは、だいぶかけ離れました。原文を完全に推測できるわけではありませんが、推測した原文のイメージに、日本語に直した場合に付加すべきものを付加してみました。前述の通り、誤りがありましたらご容赦頂くとともに、ご指摘・ご教示を頂ければ幸いに存じます。)

以上は、これらをを既に実行なさっている、私の尊敬する(仮名)Sさんへの賛辞の代わりであり、同じ意味で、とくに私の精神の立ち直りを遠くから見守り続けて下さっている(仮名)Yさんにも捧げたいと思います。・・・自分で思い付けないので、先人からお借りした次第で、お恥ずかしい限りですが!


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2009年1月20日 (火)

ねこは猫の夢を見る。ニーノ・ロータ「山猫」から:好きな曲021

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・・・是非、お目通し下さい。



大宮光陵高校管弦楽部がSONYのウォークマン"Play You"のCMに12月13日から出演しています!

『千五百番歌合』については、あと二、三綴りたいのですが、一息おきます。


今日は「好きな曲」カテゴリですけれど、併せて綴る話は、自分の独身時代の思い出からからいちど離れます。


*ニーノ・ロータ「山猫」から(ヴィスコンティの映画への音楽)14分22秒

リッカルド・ムーティ/ミラノ・スカラ座フィル SONY SRCR 2683
※ ちょっと長く引用してしまいました。つなぎ目の不自然さと併せてご容赦下さい。
※ 音楽およびそれが付けられた映画は、本文と直接関係ありません。猫の話でもありません。
※ ただ、同じ指揮者が昨年ウィーンフィルを率いて演奏するのを聴いて、一度で惚れただけです。


41diujtsifl_sl500_aa240_猫というのは、ほんとうに妙ないきものです。

「猫の額」というと、狭い土地の代名詞ですから、猫の脳ミソも小さくて、アタマ悪いんじゃないか、と思っちゃいたいのです。

でも、そうもいきませんでした。かしこい野良猫に出会ったことがあるからです。

その猫については、前にも綴ったことがありました。

幼稚園の頃から体は周りの子より大きめで、でも喋りが得意じゃなくて、腕っ節はいざとなったら強いのだけれど、それが自分で分かっているから人には手を出さない。勉強も出来ない方から順番を数えた方が早いけれど、なぜだか動物語は理解できるらしく、ある公園で大きな鶏小屋に飼ってあったニワトリの群れに向かって
「それではみなさん、ごいっしょに!」
と腕を振り上げて指揮したら、小屋の中の鶏が一斉に
「コッケコッコー!」
と鳴いた。
そんなことが出来るのが、その賢い猫、ではなくて、「うちの息子」です。

人間の友達は少なくて、でも、ウチの建物(中古マンションです)に集まるたくさんの野良猫とは大の仲良しでした。
中に目を病んでいる、たぶんメスのやつがいて、息子はこの猫をいちばん可愛がっていました。
マンションの規約で、野良猫に餌はやれません。それでも肥えている野良が多い中で、こいつは少しあばらが見えるくらいに痩せていました。
「なんだ、またあの子と遊んでるのかい?」
私も家内も、息子が非常階段に出掛けていって何をしているのか様子を見ていると、それが決まり文句になるくらい、その目の悪い野良猫ちゃんと息子は、毎日、夕方には一緒でした。

そのうち、この猫ちゃんは、私たち夫婦の顔も覚えました。
ある日とうとう、私が仕事から帰って来てエレベーターに乗ったら、そこに入って来て、そのまま我が家の前まで来てしまいました。

それから3年くらい、この猫ちゃんは、ときどき、夜にウチを訪ねて来ました。
可哀想ですが、餌をやれないだけでなく、ウチの中にも入れられない。
ですので、猫ちゃんが来ているのに気づくと・・・それは家内か私のどちらかでしたが、息子を呼んで猫ちゃんのところに行かせ、息子が「もういい」と言うまで、玄関のドアを閉めて、息子と猫ちゃんが戯れるにまかせていました。
家内も、見かけると
「あれまあ、なにしてるの?」
と声をかけるようになっていました。息子を通じて情がうつったのでしょう。

その猫ちゃんが最後に我が家を訪れたのが、以前にもどこかで綴った通り、家内の死んだ当日でした。急死したその明方に家内の遺体がウチに運び込まれ、昼にやっと少し僕と子供たちが落ち着きを取り戻して、何か用があって(たしか、前の晩まで家内が寝ていた布団をクリーニングに出しに行ったのでした)、ほんの少しの間留守にしていたところへ、ウチの中を覗き込み、それでは済まなくて中まで入って来たところを、この子のことは私たち親子以外にだれも知りませんから、留守をしていた親族に追い出されてしまいました。家内と最後の顔合わせは出来なかったかもしれません。

それからぱったりと、この野良猫ちゃんは、ウチを訪ねて来なくなりました。
ふと気が付いた頃には、姿を見かけることもなくなりました。



今日、中学生になってもあいかわらず前のままの性格の息子に、猫の本を買って来てやりました。

「ねこは猫の夢を見る」(竹書房)

与謝野晶子や野口雨情から、吉行理恵までの詩(ヴェルレーヌなどの訳詞も含む)に、竹久夢二から丸木俊までの画、合計32組の詩と画の組み合わせからなる本です。

その中から、吉行理恵さんの詩、「部屋の中に住んで居る月」を引用させて頂きます。

 月は
 道化師を眺めています
 
 道化師は
 とんぼがえりをしてみせます
 すると 月は眼を細めます
 
 高い所で
 月は
 道化師を 眺めています
 
 猫は部屋の中に住んで居る月
 明け方にひっそりと消えてゆくときに
 月は道化師をつれて行ってあげるでしょう


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2009年1月12日 (月)

祝 成人

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・・・「祝 成人」などとタイトル付けしながら、実は三連休で子供たちにあれこれ買い物させられて、かえってくたびれて、さっきまでうたた寝をしてしまったので、手抜きです。

でも、いちおう心こめてます!

成人の日は今日なのですが、式典は昨日のうちに終わった街が多いですよね・・・

お耳ケガシですから、すっ飛ばして頂いても結構です。

しかも、何を今さら、の曲をアレンジしたものをお聴き下さい。
夕方から間に合わせで、しかも楽譜作成ソフトにベタ打ちしたものです。
いちおう、弦楽四重奏を想定しております。

・お正月(一月一日)

おまけ二つ。ちょっと音色がキンキン言って(あ、あの、キンキンさんと混同しないで下さいね、キンキンさんゴメンナサイ)気に入っていませんが、やむを得ません。ベタ打ち以外になにもしてないから。

まずは、今さらながらでまずは12月25日までバック。新年のお祝いだからいいでしょ?

・I wish you a merry christmas and Happy new year


もうひとつは、ある人のお祝いに、とセットで作るつもりで始めたものの、結局バタバタで他に作れず、しかも間に合わなかったもの。音色を2通りやってみたんですが、音が落ち着き目のほう。

・お祝いの曲

大変失礼しました。
今日はこれで寝かせて下さい。


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2009年1月 1日 (木)

新年はなぜ祝われるのか

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Barenboim_hs2_190日本のクラシックファンの方は、夕べはベートーヴェンの「第9」、今夜はウィーンフィルのニューイヤーコンサート(今年はバレンボイム【もう66歳だそうです】ですね、キュッヘルさんの隣で弾いているのは女性コンサートマスター【といういい方でお許し下さい】のアルベーナ・ダナイローヴァさんですね(来日公演プログラムにお名前が掲載されていました)?(1月2日付記:こちらのブログに、彼女がブルガリア出身の33歳でいらっしゃることが記載されていました。) 休憩の合間にでしょうか、「リンツ」の第2楽章をやったり、キュッヘルさんの四重奏団のメンツでブルックナーの四重奏曲をやったりしていて、また変わった趣向のようです。ハイドンの「告別」シンフォニーもやるのですね。)でお楽しみになったかもしれませんが、私はJ.S.バッハの、本来は「受胎告知の祝日」のためのカンタータであるBWV.1の第1曲を聴いて頂いて、読んで下さる皆様と共に新年を祝いたいと存じます。

・暁の星はいと麗しきかな BWV.1 第1曲(約10分)

アーノンクール/コンツェントゥス・ムジクス・ヴィーン TELDEC 2564 69943-7



毎年、1月1日というのはどうやってきまるんだろうか、というのを何の疑問もなく受け入れていました。

ここまでは、フツウ・・・ですよね?

でも、今年突然、それが気になりました。

きっかけ・・・なんで正月は祝わなくっちゃいけないの? という素朴な疑問。

新年が世界でいろいろな祝われかたをする、というのは、Wikipediaなんかで調べても分かりますし、テレビのニュースにもなります。
ですから、新年を迎えることが祝われるというのは、とりあえず極めて大括りに言ってしまえば、「人間の慣習」なのだ、と片付けることも可能です。まずは「お祝い」のことはここまでで一旦措きます。

では、そもそも、その正月・・・1月というのはどうやって決まるのでしょう?
考えてみれば、「考えたことがありません」でした。

いろいろ調べてみましたが、最終的には結論に窮し、手元にある「暦と時の事典」(内田正男著 雄山閣 昭和61)をめくってみましたけれど、推測でしか理由が見えて来ませんでした。



つらつら思うに、暦は、あらためて言うのも妙ですが、人間の歴史の中で最も早く自然科学となった「天文学」に基づいて出来上がったものです。だから、その成立は大変に古い。子供の頃読んだ科学雑誌に、古代エジプト人はシリウス(冬の夜、真南の空に最も明るく見える星。恒星の中では地球上から最も明るく見える星として有名なのは言うまでもありませんね)が決まった位置に見えるちょうどそのころにナイルの水が溢れる(7月中旬、明方の東空地平にシリウスが見え出す頃)ので、それに基づいて暦を作った、という話が載っていました。この暦・・・シリウス暦・・・の精度が、こんにちの太陽暦にかなり近い。

エジプト文明が最後の光芒を放っていた頃に繁栄の礎が出来上がった古代ローマは、それまで原則10ヶ月しかない暦を使っていて、それは今で言う「3月(マルチウスMartius、軍神マルスに捧げられた月、の意)」から始まるものだったそうです。これは、古代ローマ人が春分の日を「新年の目印」としていたことに由来するようです(推測です)。この暦は元来10ヶ月しかないのですから、(5月から10月までの名称は数詞だった)、春分の日と暦の起点の乖離はどんどんひどくなる一方だったのでしょう。あと二つの月(【ローマ固有の神ヤーヌスに由来する】ヤヌアリウスと【贖罪の祭りを意味する】フェブラリウス・・・以上、研究社『羅和辞典』参照)を加えた、平年が355日の太陰太陽暦(これだけだとイスラム暦の先祖ではないかと思わされますが、イスラム暦は純粋な太陰暦だそうです)で、平年、閏年(387日)、平年、閏年(377日)を繰り返して運用していました。

925ae9d45ab511f2これを改めたのが、こんにち世界的に用いられることになった太陽暦のおおもとを築いたユリウス・カエサルでした。彼が、宿敵ポンペイウスとの決戦に際してエジプト文明に触れ、アレキサンドリアの天文学者ソシゲネスの助言を容れて採用したのがユリウス暦で(通説であり、異説があるようです)、この暦法ではじめて、ヤヌアリウスとフェブラリウスがマルチウスより前に持って来られ、こんにちのヨーロッパ諸語の各月の名称のおおもとが出来上がりました。前に持って来られた理由は明確になっていません。・・・また、ローマ人が実際に新年をどのように祝ったのかは、私には把握できておりません。ただ、元来のフェブラリウスが「贖罪の祭」を意味することを素人なりに考えますと、元来はローマ人は年末をのちのキリスト教のイースター前のように過ごしていたのではないかと思いますし、それはユダヤ教が過越祭を過ごしていたのと文化的に共通点があったのではないかとも思われます。過越祭はリンクしたWikipediaの記事によれば太陰太陽暦であったバビロニア暦(のヴァリエーションであるユダヤ暦)に従って日程が組まれており、バビロニア暦では春分の頃の新月が元日とされていたそうです。

これは、ローマにキリスト教が公的に導入されると、新約聖書の記述と併せて、イースターを<「春分の日」の次の満月後の最初の日曜日>とすることでちょっと複雑化しましたが、春分の日を重点に置いた暦作りには変化はなかったと言っていいでしょう。
そこで、「春分の日」はユリウス暦によって第3番目の月に当てはめられるようになったことまでは明らかになりました。
これで、1月がいつ頃になるかは必然的に「おおよそ」決まって来ます。

次に、では、こうしておおよそ決まった1月の、最初の日がどう決まるのか、というと、古代からもうひとつ重視されて来た「冬至」の祭りが12月25日、すなわちこんにちのクリスマスであることが大きな意味を持って来るようです。
古代の戸籍法は分かりませんが、八木沢涼子『キリスト教歳時記』(平凡社新書 2003)から推測するに(キリスト教そのものでは1月1日はクリスマスから8日目、すなわちユダヤの慣習に従うと男子が割礼を受けるべきその日数と一致する、イエスの命名祝日だから、クリスマスを祝う最終の日だ、ということになっています)、おそらく誕生から出生届をするまでの期間が8日に定められていたのではないか、であるので、人の子としてのキリストがイエスという「人」として認知された最初の日、であるという理由から年頭の日に定められたのではないか、と推し量って見ている次第です。でないと、キリスト教がローマに定着した4世紀までとそれ以前の暦がすんなり整合性をもてた理由が説明できない気がします。
1月10日付記:12月25日は、古代ローマの重要な祭典「サトゥルヌス祭」が始まる日、1月1日はその最終日、だったそうです。従って、戸籍法云々からキリスト教が帳尻合わせをしたのではなさそうです。リンク先のウィキペディア記事では12月17日から7日間、となっていますが・・・この辺が資料によって食い違う理由は分かりません。また、サトゥルヌスという神自体、古代ローマ人にとって非常に重要な神だったらしく、法文を司ったようですが、神話はギリシャ化されてしまったため、本来どのようなものであったかは分かりません。ギリシャ化された際にクロノスと同一視されたため、ゴヤの絵「我が子を食らうサトゥルヌス」によって残忍なイメージが形成されるに至ってしまっていますが、おそらくは本来は残忍な神ではなくても規律に厳しいかみだったのかも知れません。

以上が、西欧の事情です。(当然、今も生きているイスラム暦の新年は、ユリウス暦の後継であるグレゴリオ暦とは異なったまま現在に至っていますし、キリスト教の中でも東方正教会は9月1日を新年としているそうです。)



東洋の方は、イスラム教地域はイスラム暦に従っているでしょうからまた事情が違うでしょう。イランやアフガニスタンでは、太陽暦であるイラン暦がもちいられているそうです。
ヒンドゥー教については、詳しく触れることが出来ずにおりますが、少なくともバビロニア暦の延長線上にある、でなければ次に述べる中国と類似した、いずれかの太陰太陽暦を用いていたのではないか、と思われます。

中国は古代には冬至基準とし、その翌々月を年始とした暦を作ったようです。こうすると、年始の日がほぼ立春を含むことになり、暦が季節感と合ったものになるからです。
ただし、こちらもローマの暦同様、様々な調整が必要で(日本は中国から暦を輸入しましたから、当初は中国同様の、のちには日本独自の調整を行なうようになりますので、古歌に「としのうちにはるはきにけり(新年にならないのに立春が来てしまった)」なんて歌われるような状況がしばしば起こったのでした)、そのことは上の中国暦へのリンクを参照して頂ければよろしいかと思います。

で、日本の旧暦は2月のころ、新暦は明治政府の方針で西欧と同じ日を「1月1日」にするようになったのは、どなたもご存知の通りです。



暦法そのものを調べる中では現れませんでしたが、暦を決める基準とされる日が「春分の日」もしくは「冬至」であるところが、歴史以前からの人間の、自然への敬虔な気持ちを表しているように、私には思われてなりません。

ギリシャ神話には有名な「ハデスによるペルセポネーの誘拐」の神話がありますね。春の女神デーメーテールの娘が地獄の神の略奪婚にあったことで、その娘が地上に帰ることを許された春分の日以降は暖かくて草木も実り、また地下へ戻っていく秋分の日以降はデーメーテールの悲しみによって草木が枯れる・・・古代ギリシャ人はそのような神話を通じて「季節」と「いのち」の不思議さをうやまってきたのですが、デーメーテール神の前身と思われる神像は地中海沿岸から西アジア内部と広く分布していますし、神話の起源も相当に古いものだと思われます。(呉茂一「ギリシア神話」等参照)

一方で、中国の神話の中に冬至を重視したものがあるかどうかは私には分かりませんし、暦を決める上で併せて考慮した立春についても同様です。ただ、日本には古来中国から輸入された「子(ね)の日(正月第一の子の日)」を祝う行事が1870年まで宮中に続いており、国史にも行事の様子が記された(『類聚国史』私は未見)ほか、この日を祝う様子が平安時代までの歌に多く詠まれておるのを目にすることができます。



1月1日がどうして決まるのか、を詮索していくと、決まり方は思いのほか複雑ではありますが、この日が単に機械的に決められたのではないことが分かって来ました。

かつ、それは、おそらくまだ文字を発明する以前の人類が、個々人という「小さな」存在を超えて、「いのち」の経巡りに神秘を強く感じたところに由来するのだ、ということも、以上から感じ取れるのではないかと思います。

ひとりひとりの生活で見れば、病む人あり、大切な存在を失う人あり、体はなんとかなっていても明日が見えない苦悩や悲哀をかかえる人あり、戦火の絶えることのない土地で過ごす人あり・・・さまざまではあります。

ですけれど、天はそれらひとつひとつを
「まだまだ小さい」
と言っている。

論理的には証明できないことではあるかもしれませんが、私たちをものやこころとして生み出し、滅ぼす、それをどのように呼んだらよいか分からない、この宇宙の、あるいは宇宙をこえたなにものかが、
「形としてまとまるいのちは有限かも知れない。けれど、私が永遠である以上、いのちとはそんな小さなところに留まっているのではない。へめぐって、へめぐって、また新たになっていくものなのだ」
と高らかに歌っているように思えてなりません。

音楽を再掲しておきましょう。お気に召したようでしたら、ここであと10分ほど、たたずんで、ご自身なりの思いにふけって頂ければ幸いに存じます。

・暁の星はいと麗しきかな BWV.1 第1曲


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2008年12月26日 (金)

TMF演奏会お越し下さい/ヘタクソ自作クリスマス/ヤモメ3周年

Tokiomusikfroh200812特別演奏会東京ムジークフロー演奏会(12/27)、是非お越し下さい。(バナーはsergejOさんがご好意で作って下さったものです。)
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/1227-22d9.html


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明日、私の所属する東京ムジークフローの演奏会がございます。詳しくは上記にリンクを貼った記事をご覧下さい。交通至便の上野から近い会場(正確には入谷)。入場無料ですので、どうぞふるっておこし下さい。曲目は

  ・ヴァーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
  ・ハイドン:交響曲第83番ト短調「めんどり」
  ・シューマン:交響曲第4番

手作りのプログラムでは、私の日々のブログとは違って、団員各位による「分かりやすい!」曲目解説がお読みいただけます。心よりお待ち申し上げております。


イヴの日に、ヘタクソなクリスマス音楽を自作しました。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-0a48.html

・・・聴きなおすたび、「うーん、センスねえ。。。(^^;)」なのではありますが、クリスマス期間は新年を越えても続きます!食欲を喪失しない程度にお聴き頂ければ幸いです。(なお、頭の中だけで作っちゃったので、とくに1曲目、和音にお聞き苦しい点があるのはご容赦下さい。・・・この曲、「蛙の歌」をもじって仕立てたものです!)


家内が死んで丸2年経ちました。
その直後から春先にかけて感情が乱れたまま綴った記事を大幅に削除したため、ブログ上では家内の登場は減ってしまったのですが、思い出となる記事は5月にリンクを貼りまくった記事を掲載しました。
http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_24df.html

個人的に、思いを深くして綴ったのは「雪景色・・・ラフマニノフ」
http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_56b1.html
という文章です。

この2年、いろいろな葛藤あり、反面喜びあり、と、ドタバタ過ぎましたが、とくに子供たちの成長振りが発揮された喜びの場では「カカアも見てるかなあ」という思いを常に持ち続けていました。先日、三回忌供養を済ませて、なんとか自分も自分自身を振り返られるようになってきたかな、と感じるようになり始めたところです。 何よりも思い知ったことは、

「人というものは、一人一人が(表面的な言動の有無に関わりなく)<信じる>ものを持っているのだな」

「それは(自分も含めて、ですが)無意識に各々の心の底にこびりついているものであって、人と接するときには、まずこちらの<信じる>ことは捨てる覚悟で・・・「踏絵」を踏むことも辞さず、そのことで蔑まされることもやむなしとし・・・相手が何を信じているかを汲み取らなければならないのだな」

「それでもなお、相手のかたを含め、すべての人が満足や幸せを得ることは出来ないのだな」

ということどもでした。
思い知り、ひとつひとつの課題をクリアしていく中で、当面の最後に残ったのが、
「自分自身をどう支えたらいいのか」
で、これには迷いました。
ですが、それも助けを得て、職場に迷惑をかけがちだった業務中の体調・精神不安定からも、だいぶ開放されました。

おかげさまで、私と子供たち二人、日々「漫才」のようなやり取りだらけで過ごしており、家内の生前からの「お笑い一家」方針は崩れずに守られております!


なお、JIROさんがご自身のブログに、家内のために音楽集をアップしてくださいました。心から御礼申し上げます。JIROさんとは家内の死の半年前に知り合ったばかりでした。その半年のあいだに私のような者をもとても大切に扱って下さり、視野の狭い私の目を開いて下さることも多く、ようやく親しくお付き合いさせて頂くようになったばかりの頃のことでしたが、未だにこのように大事にして下さるのには、ただ感謝を持ってするしかありません。同じく、メール等を通じて当時から私を励まして下さっている数人のかたにも、この場であらためて感謝を申し上げます。

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2008年12月24日 (水)

クリスマスイヴですので・・・駄作を掲載します

Tokiomusikfroh200812
特別演奏会東京ムジークフロー演奏会(12/27)、是非お越し下さい。
(バナーはsergejOさんがご好意で作って下さったものです。)
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/1227-22d9.html



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普段のお話はちょっと一休みして。

せっかくのクリスマスイヴですが・・・私は酔うことが許されませんので・・・
まだ事務所にいる最中に、仕事の合間を利用して、鼻歌を書きとめました。

それを帰宅して、ベタウチできるソフトで音声にしました。(本来ならピアノなどで確認して、和声なんかをもっと作り込まなければならないのですが、発作的に今日1日の中で頭の中で作ったものですので、変なところはご容赦下さい。)

お耳ケガシですが、お聴き頂ければ幸いに存じます。(ケータイでは聴けないかな・・・)

・「蛙の歌」風のクリスマスの歌

・・・もっとニュアンスを付けたいのですけれど、ベタ打ちしかしていないので・・・
・・・どっちにしても出来の悪さは変わらないか!

・子供の思いに還ったダンス

・・・お粗末様でした!


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2008年11月23日 (日)

「権威」はお安い言葉ではありません

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ファジル・サイのつくば公演もお聴き逃しなく!
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/in-808f.html


別記事の予定でしたが、危惧を感じたことがありましたので、それについて綴ります。

私のブログ自体に直接的に関わる話ではありません。(間接的には大きく関わりますが。)

私のブログは本来は音楽仲間向けに始めたものだし、検索で見つけて気に入って下さった方が読み続けて頂いている程度のものですし、それで充分だとも思っております。
ただ・・・もともとが<分かり易い>よりは<クラシック音楽って何だろう>という疑問を追いかけるので「堅い」記事の方が多く、それが続くと閲覧数ががたっと落ちます。
やっぱり「お友達」は多いにこしたことがないから、閲覧数が落ちれば
「どうすれば少しは親しみ易くなるかな」
ということで、標題の「がたがたへりくつ」に対して自分自身が裏切り行為を働くことは、多々あります。

かような次第で、とくに初めてのときは検索サイトや他のサイト・ブログでたどりついて下さったらしい方が、どんな「関心」から読んで下さるのか、には私も「関心」をもち続けております。

そうした中で、ちょっと気になるアクセスがありました。

私が昨年の4月に(正確にはブログ開設のしばらく前にメーリングリストに載せていたものを写して)綴った「モーツァルト『レクイエム』自筆譜について」にたどりついて下さった方の、おおもとのサイト(記事中に私が「役に立った」とリンクを掲載していたサイトでした)を拝読させて頂いたのですが、その文章に、ネット上の情報の役割に対する意味付けを誤認なさっているのではないか、と思われるくだりがあり、大変気になりました。

以下、ということで、私のブログを「楽しみで」読んで下さっているかたは、お読み頂かなくても良いですし、お読み頂く価値もありません。・・・今日のは、そんな記事です。ごめんなさい。フツウの読者のかたとは、ここでお別れします。



これから述べることについて、ご自身も「考えるところがある」という方には、引き続きおつきあいを願います。

私が危惧を抱いたリンク先の文章(08.11.23付記事。どのリンクかは、先ほどの自分の記事に綴り足しましたので、家捜しすれば見つかりますが、そこまで詮索は無用かも知れないとも思いますので、ここでは明示しません)で危惧を抱いた言葉は、こんなものです。

「そんな細かいこと(私注:モーツァルトのレクイエムの諸版の異同について、このかたは非常な力を注いでまとめていらしたのでした)をまとめてこのサイトの目玉コンテンツにしたのは、もう10年近く前のことになるのですね。それはいつの間にか、ネット上ではかなりの『権威』になってしまっているようです。そういうテーマのことが書いてあるページを見てみると、良くこれが引用されたり、リンクされたりしています。なかには私のことを『プロ』だなどと持ち上げているサイトなどもありましたし。一方ではこちらのように『アマチュアでも・・・』と、正当なご評価も見られますが。そう、私は一介のアマチュア、好奇心だけが取り柄のウェブライターです。」

上記引用の中で、このかたを「『プロ』と持ち上げた」とされているのが、他ならぬ私の上記記事です。
まだ本論ではありませんが、この時点で、2つのことがあります。
1)このかたを「プロ」だとしたのは、記事を綴った時点でこのかたの経歴を拝見し、所属団体を「プロ」だと勘違いしただけのことです。たまたま私の出身地のかたであるらしく、その団体は私の出身地の団体なのです。私が出身地で生活していたあいだには存在しなかった団体でした。出身地での私の生活期間中にプロとなり、私が出身地を離れてから名称を変えた団体があります。名前が似ていたし、上記記事を綴った時には「プロ」の団体名の確認まではしなかったため、類似性から誤認を起こしただけです。
2)で、「プロ」と冠してしまっただけで、なぜ私がそのかたを「持ち上げた」ことになるのか、私には理解できません。・・・というより、この先本論を(そうくどくするつもりはありませんが)展開する上で、私には首肯出来ない「価値観=意味付けの相違」が、ここには孕まれていて、
「所詮、私も含めて自分というものは自分の中に固定されてしまっている<意味>の世界からしか外を眺められないのか」
と、失望を覚えました。

お綴りになった方には悪意はないので、非難する目的で綴っていないことは、どうぞ、前提としてご了解下さい。

最大の問題は、推測するに、ここには次のような論法しかない、というところにあります。

・「キチンと調べる行為」=「(本来)『プロ』のすること」
・「プロ」=「『権威』を持つひと」(ついでながら、私にとってはこの命題は「偽」です。)
ゆえに
・「キチンと調べる行為」=「『権威』を持つひとである『プロ』の行為」

したがって、お綴りになった方は、ご自身が一生懸命調べ上げたことについて私が「『プロ』の行為」と誤認したことをもって、そのかたを「『権威』あるひと」と見なした、と結論づけている。
ご自身がアマチュアだということをちゃんと分かってくれた人にたいしては、ですから
「『アマチュアでも・・・』と、正当なご評価も見られます」
とお述べになる。最後にはご自身を
「そう、私は一介のアマチュア、好奇心だけが取り柄のウェブライターです。」
と謙遜してみせる。
・・・この類いの謙遜は私もかなりの頻度でやりますから、心理は推測できる気はします。・・・ただし、これまで述べて来た事情から、所詮このかたの心理に対して私が感じられるのは「推測の域を出られない」と限定されます。



問題の根源となる、このかたの記述の中で、もっとも危惧されるのは、このかたが一生懸命まとめた記事を、ご自身が
「いつの間にか、ネット上ではかなりの『権威』になってしまっている」
と、『権威』という言葉をもって位置づけている点です。

そもそも、ネット上の「情報」に『権威』というものが、こんなに安直に認められてよいのか?

懸命に調べた情報を公開するのは・・・プロパガンダ的意図がない、私人としての記述である以上は・・・、「自分がよくよく接してみたら、より正しい情報(絶対に正しい情報、などというものは存在するかどうか、私には分かりません)はこんなだったんだよ」ということを、より多くの人に、いや、もっと限定的だったとしても、興味を持ってくれた方たちには是非知って欲しいがために行なう行為ではなかったのでしょうか? そんな謙虚な意図から公開した情報に、もしたくさんの人がリンクを貼ってくれるのだとしたら、それは、公開された情報が、
「興味はあったんだけれど、他には見当たらず、自分で捜すヒントも得られずにいた」
かたたちがそれだけたくさんいらしたために、記事の情報の有用性を認めてくれた、ということです。事実として、それ以上のものではありませんし、こうした情報の拡げ方は、典型としては(性質は全く違いますが)阪神大震災の時にはまだインターネットが普及していなかったために、パソコン通信が行き交って、災害復旧支援に非常に役立ったことが上げられます。
それに、現在のようにインターネットに企業が進出したり、インターネット環境が整って高速化してくる以前には、インターネットの目的自体が「原資料に接するチャンスが極めて限定されていたり、活字化されるかどうか分からないような情報の共有のための有効な手段」であることでした。
もし10年以上も前からパソコンでの通信というものをお使いになっていらした方なら、このことは充分にご承知のはずです。

さて、そうした時期に、インターネットで「より正しい情報」を提供したそのことをもって、提供された情報、もしくは情報を提供した人自身が、果たして、『権威』化されたことがあったでしょうか?・・・「NO!」です。パソコン通信で阪神の援助のために情報を提供し続けた行為やその提供者が『権威』化されたことがあったでしょうか?・・・「NO!」です。



とりたてて大騒ぎするほどがないことだ、と、お読みになってお思いになられるかもしれませんが、私はそうは考えません。
何故なら、もし、たかだかインターネット上の情報が『権威』になってしまう、あるいはその綴り手が『権威』になってしまう、という認識が一般化してしまったら、極端に言えば、そのうち世の中はインターネットという手段の中で築き上げた<ヴァーチャル世界>の中に、知らず知らずのうちに<ヴァーチャル・ヒトラー>を作ってしまう。そして、ヴァーチャルではない世界がヴァーチャルに支配されるという、新たなファシズムの形態が現実化してしまう懸念が充分にある。つまり、今年作られた映画『リアル鬼ごっこ』のような事態が起きるのもフィクションに留まらなくなってしまう、という、きわめて恐ろしい未来が訪れることになる。
そこまで人間存在の全体を否認してしまう未来の訪れが、火急的速やかになることは無いかもしれませんが、素地となる意識は、たかだか音楽という一事象に過ぎないものにたいする考え方、感じられ方からでも、確実に醸成されていきます。

どんな手軽なものでもいい、お手元の国語辞典を開いてみて下さい。
そして、『権威』という言葉の意味を調べてみて下さい。

たとえば、角川必携国語辞典になら、こうあります。
1)他をおさえて従わせる威力
2)その方面で第一人者として認められている人。大家。



先に私は、

・「プロ」=「『権威』を持つひと」(ついでながら、私にとってはこの命題は「偽」です。)

と述べました。

『プロ』という言葉は、日本語においては非常に曖昧な意味付けしか与えられていませんで、本質的にはもととなったヨーロッパ系の語彙の「プロフェッショナル」とのあいだに大きな落差があります。なんでもいい、「この分野」で金を稼いでいれば、「プロ」と呼ばれます。言葉への意味付けとしては、それだけです。あとは「『プロ』と呼ばれるからには・・・」と努力するかどうか、というモラルの有無が、ヨーロッパ的な意味でもその人が『プロ』と呼べるかどうかを決定付けます。ただし、それでも『プロ』と呼ばれたそれだけで、たとえば音楽理論や音楽史に関する情報の獲得の面で、『プロ』ではない人に比べれば、うらやましいくらいに、ずっと有利になります。何故なら、その分野のセールス担当(この人たちは「分野そのもの」の『プロ』とは見なされませんし、ご本人たちも、別にそれでも気にすることがありません)が情報を売るターゲットにするのは、自分の把握しているものの属する「分野」の情報を確実に買ってくれるであろう相手であって、その目安にしやすいのが、取扱い情報の「分野」で『プロ』と呼ばれる人だからです。(より価値のある研究をする、ヨーロッパ的な意味合いでの『プロ』研究者は「売り手」情報なんか待たずに、ご自身で情報探しに積極的に取り組みます。)
ですから、本来、私が、今回問題にした「リンク先の相手の方をプロと誤認した」行為は、そのかたが精査されたプロセスを仮に「どうせ情報屋から買い取ったものばかりを材料にしたのだろう」という前提のもとでしてしまった誤認であったのなら、「持ち上げた」のではなく、むしろ「おとしめた」のだとも言えることになります。



さらにもうひとつ、

(絶対に正しい情報、などというものは存在するかどうか、私には分かりません)

とも述べました。

現実に、私が非常に感心して貼らせて頂いたリンクの記事内容からも、また、私自身がそれをも参照しながらまとめたモーツァルトのレクイエム草稿の、「どこからは誰が書いた」問題についても、その後さらに違う見方が出て来たりしています。ですから、かの『権威』記事ご掲載者も、私自身も、ブログ上で、「より正確な・・・最新の」モーツァルトのレクイエム研究情報は提供できていないのです。したがって、記事そのものも、その綴り手も、「第一人者」だとか「大家(おおや、じゃなくて!)」なんて呼べるようなもの、人間では、決してありません。

そういう、進行途上のものを自分自身が把握した時点で『権威』という言葉で固定化してしまうことは、やはり健全なものの見方だとは考えられません。



せめて、クラシック音楽の「アマチュア(素人、ではなく、愛好家、ツウという意味なのだ、とは、以前、綴りました)」の間から『権威』などというものへの危険な萌芽が起こらないよう、切に祈っております。

・・・ああ、やっぱり、くどくなっちゃった。


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2008年11月22日 (土)

フーガト短調三態(J.S.Bach):「音楽」を考える大きな鍵

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すみません、夜、時間が出来て、久しぶりに夢中で楽器を手にしていましたので、ブログの方は手抜きです。

バッハが、とある全く同じフーガを、自身の手で三種類、別々の楽器向けに書いてます。
今日は、余計な説明は最少限にして、その3つを聴いて頂くことにしました。

・ヴァイオリン(BWV1001)

スザンネ・ラウテンバッハー

・リュート(BWV1000)

コンラート・ユングヘーネル  BMGカンファレンス(deutche harmonia mundi ) BVCD38086


・オルガン(BWV539。これだけはプレリュードが付いています。1分48秒あたりからのフーガにご傾聴下さい)

ヴォルフガング・シュトックマイアー memran Music 223498

ヘタクソなヴァイオリンを弾く私は、ヴァイオリン版の楽譜(これが原点です)を眺めながら、
「これがたとえば鍵盤楽器用だったら、和声付けのために音を変えたりするのかなあ」
と思い、ヴァイオリンではその頭の中で補った対位旋律がちっとも弾けなくて自分にガッカリしたもんでしたが、今回掲載したのは規範的な演奏ですので、もちろんちゃんと弾けています。
・・・で、リュート版は撥弦楽器の特徴でヴァイオリンより音が残るのかな、と想像していて、実際聴いたらそんなに大きな違いを感じない。
さすがにオルガンは違うだろうと思ったら・・・オルガンもヴァイオリンで弾かれるときと変わりない。

他人が編曲したのではないのです。バッハ自身が、ヴァイオリンのために書いたフーガをリュート用に書き直し、オルガン用に書き直し・・・しかも、それぞれに、基本的には何も付け加えなかった。

「作曲をする時、音楽家は何を考えているんだろう」
という問いへの、ひとつの偉大な回答例です。

すなわち、楽器のために音楽を、ではなく、音楽そのもののために音楽を、という発想がある。
楽器は、そのために選ばれる道具に過ぎないけれど、音楽がいちばん光を発するためには何(どんな道具、手段)を使ったらいいか、とは考えるのです。

「このフーガ(という手段)は、ヴァイオリン(という道具)だけに限らない、他の楽器(という道具)でも、音楽として輝かしく生きるのだ!」

大バッハは、そのように考えた、のかどうか。

お聴きになられて、どうお感じになられますか?

これが、この先、
・「音楽は何をもって認知されるか」
・「そもそも、音楽とは具体的な存在なのか、抽象なのか」
等々、さまざまな問いに対する答えを見出す鍵になっていくのです。


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2008年11月16日 (日)

音楽は化合物である・・・その原子・分子・結合

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・・・標題のような割り切りは、どうか、とも思いました。
もっと狭めて、「メロディは化合物である」というのが、これからの文章において述べることの出来る限界です。でないと、延々と例を引いて大著を著さなければ無くなるし、私のような無知蒙昧の徒がそんな本を作ったところで、読み手はいません。
ただ、とにかく、昨晩、自分たちのアマチュアオーケストラの弦楽パートの練習を担当させて頂いて、
「ああ、そういう要素できちんと捉えておかないと、演奏する上での音楽作りなんて、とても出来ない」
と、痛いほど感じました。
それは練習に出掛ける前からアタマを悩ませたことでもありましたし、いざ練習に入ってみて、メンバーの出す音を聴きながら、痛切に感じたことでもありました。
また、こうして考えたことは、明日掲載する予定で下書きをしている、「バロック初期のイタリア音楽の見直し」をする上でも、非常に重い要素となってくるはずです。


180pxatome_de_rutherford自然科学でいう「物質」ではない以上、音に「原子」なんてあり得ないのです。
ですが、古代ギリシャに戻って、デモクリトスの発想にまで戻っていけば、音に原子があってもいい。

明日採り上げようと思っているイタリア初期バロックのオペラ創始者の一人、ペーリが、レチタティーヴォ理論、というものを打ち立てています。全文を読めたわけではなく、引用している文献からの孫引きですが、その初めの方の部分に、こうあります(語順は変更しました)。
「古代のギリシアやローマの人たちは、(補:劇中での朗詠に関しては)劇詩に関することでしたし、したがって語る人を歌で模倣しなければならなかったのですから、通常の語りよりも高揚していながら、歌のメロディよりはかなり抑えた中間の形態をとるようなメロディを用いたと私は考えました」(東川清一編『対位法の変動・新音楽の胎動』所収、V.パリスカ著 佐竹淳 訳「新音楽の始まり」p.119、春秋社2008.9)
こんにちの殆ど全てのオペラ(ワーグナー系は除く)が恩恵を受けることになる、いわゆる語りの部分を扱う部分の音楽「レシタティーヴォ」は、ペーリのこの発想から生まれたものです。
ペーリの発想はさらに、<それでも地球は回る>で有名なガリレオ・ガリレイの父で音楽家であったヴィンチェンツォ・ガリレーイやその仲間たちの恩恵を被っているのですが、そのおおもとは硬派の理論家だったメーイと言う人物の思想にあります。
メーイは、16世紀当時の、発展した対位法の声楽が、「さまざまな旋律を混ぜ合わせてしまうこと」で「言葉の想念がすべて聞き手からひったくられてしまい、そして全員が(補:違ったリズムやメロディで)同じ言葉を発するので、その結果どの一人の言葉も聞き取れないことになる」(前掲書所収「新音楽史」p.97、津上英輔)ことに対し警鐘を発したのでした。
なぜそのような警鐘が発せられる状態になったのか、それはいかにして解決されたのか、は、明日予定の記事で実際にお聴き頂くなりしてみたいと思っております。
ともあれ、「クラシック音楽」のおおもとは、言葉のリズム(と響き)をどう扱うか、に重点を置いていたことは、16世紀のこうした言動の断片からも窺うことが出来ます。



器楽においては、言葉は用いられませんから、西洋音楽史上は、器楽は17世紀までは声楽より下位に置かれていました。その地位が逆転してからあとが、問題でした。19世紀までは、それでもとりあえず西洋音楽の伝統は、少なくとも17世紀以降にいちおう確立した、比較的安定したルールに沿っていれば、困った事態を引き起こすことはありませんでした。言葉が使われていようがいまいが、背後に、それまでの声楽の詞が築き上げて来た「韻律」があり、そのパターンの在庫をどれだけ多く持っていて、どれだけ適切に組み合わせ得るか、で音楽の質の善し悪しが決まる、という了解事項があったからだと思われます。(多くの作曲家がオペラで名声を得ることを望んだことの社会的背景も絡んでくるのだと考えていますが、そこまで突っ込むのは、いまはやめておきます。)

19世紀に入って、「器楽の純化」が進みはじめた時に、音楽は再び困難に直面することになります。
「調」の問題を挑発的に浮き彫りにしたのはヴァーグナーで、それは20世紀には完全な「調性破壊」を西洋音楽界にもたらします。
もう一方で、リズムの破壊も進んでいたのですが、これは挑発者が明確になっていません。・・・ただ、少なくとも、リズムの破壊の上で大きな役割を果たした一人は、間違いなく、ブラームスです(そう私が考えた根拠はこちらのリンクの文をご覧頂ければ幸いです)。彼自身が彼の作品を「新古典派」と称されることをいやがったことを傍証にしてもよいでしょうが、彼の作品が何拍子か、は、殆どの作品で必ず途中でぼやかされます。試しに、ブラームスの第4交響曲の中間部を例に出します。ここの指揮は、名指揮者と言われている人でもどこか不自然なのは、映像が豊富に見られるようになった現在では容易に確認することが出来ます。ムラヴィンスキーは、なんと、指揮棒をおろしてしまっています!
ブラームスがリズムの破壊者だ、と確信できるのはこうした要素が彼の作品の多くにちりばめられているからですが、それはブラームスが過去の音楽に対する熱心な研究者であったことも大きく関係しているでしょう。その過程で、彼は、音楽が「韻律のパターンの組み合わせ」であることを見抜き、組み合わせを解きほぐすことに成功し、「韻律のパターン」をより細かな要素・・・長い音符はより小さな音符に、それはさらにより小さな音符に、と、限りなく分割していくことが可能であること、そうやって分割された音符が再結合されることによって、新たなパターンが無限に生成しうること、の、少なくとも二つの側面を発見したが故に、それ以前の作曲家に比べるとはるかに豊かな、一見不規則にズレていくようなリズムパターンが再構築されていくことをも実践で証明してみせた(但し、言葉では語らなかった、という意地悪をした)のではないか、というのが、私の最近の感触です。
ブラームスの「発見」したものはもうひとつあって、それは「無調」に走った人たちが見落としていた「音程」というもののなかに秘められた「音程の中に既に持ち合わされている、音程が次にどの方向へ行きたいか、という指向性(音程のベクトル)」というべきものです。
「調」の破壊を実践したリスト、推進したヴァーグナーも、暗にこのことには気づいていたと思いますが、ブラームスほど明確に出来なかったのは、とくにヴァーグナーの場合には「音楽の連続性」に対しては何の疑念も挟まず・・・自分が作り上げる音楽の流れに絶対の信頼をおいていたためでしょう。
ブラームスの音楽は、同時代人の皮肉屋には「メロディがない」とまで非難された。第4交響曲の冒頭などは、初演の際、日本語で付けてみるなら、「ありゃ、また、在りゃ、せん、どこ、君、メロ・ディ?」みたいな皮肉な歌詞で歌って帰った連中がいたそうです。でも、裏返せば、これは、ブラームスの名誉です。ちょっと聴いた耳にはメロディレスでも、情緒的な音楽が成り立つことを、彼はこの交響曲の初演の大成功で見事に証明した、という歴史的事実が残ったからです。一見存在しないメロディが、実は音符という「分子」に内在する「ベクトル」によって、きちんと成立していたことを、多くの聴衆が悟って帰った、というのは、とても大切な出来事です。
この「分子」・「ベクトル」ということを、ごくかいつまんで補って説明しておかなければなりませんね。



音の分割を無限に行なってしまうとどうしようもありません。
ブラームスが見出した、その無限の可能性の終点を「音の原子」と名付けるならば、古代ギリシアの原子論にはぴたりと当てはまります。メロディを構成するのはいろいろな長さの音符ですが、そのどれもが「音の原子」にまで分割可能です。原子にまで分割された音符を、ある一定の長さにまでまとめたものが、八分音符という「分子」であり、その倍になるまでまとめたのが四分音符という「分子」で、と、これはまた以下延々とまとめていくことが可能です。それを、適切と思われる「分子」同士を組み合わせたものを、任意のバランスで緩く結合させると、そこに音程という「化合」が生じます。この音程の「化合」の「心地よさ・不安定さ」、すなわち、芳香を発するか腐ったにおいを放つかを決定するのは、以下のような過程によるものかと考えます。すなわち、先行する「分子」が次に向かってどう進もうとしているか、という「ベクトル」を内包しており、そのベクトルによって音程の「におい」が決定します。さらに、その「におい」がどう連続するか、が、まずはひとつの「メロディ」全体の「におい」を決定する。
これにより、「メロディ」とは音のどのような種類の分子がどのように結合するかによってその香りを 決定づけられる「化合物」である、ということが出来る・・・それがブラームスの発見であり、実践だったのではなかろうか、と思う今日この頃です。


音の「分子」の結合による「におい」の違いについては、これはまた中世以降発生した「対位法」の中でさまざまな人の発見の積み重ねがありました。ですから、ブラームスを「発見者」と決めつけるのではなくても、すでに長い歴史を持っていた。
このことは、先に文献として上げました『対位法の変動・新音楽の胎動』の冒頭に翻訳を収録してあるイェバサン「対位法理論師概要」をお読み頂くと明確に分かります。この「概要」そのものはむずかしい文章ではありますが、論は明解ですし、読む上で必ずしも楽典などの専門知識は必要ではありません(楽典用語が出て来ても、文脈から意味が推測できるものばかりです)。
この書によって、和声法の禁則も・・・和声法そのものも・・・端的に言ってしまえば対位法からの派生物であることがよく分かりますが、それはなによりも、音の分子の「化合」がどうしたら合理的に成されるのか、に対する中世からの西欧の人々の試行錯誤の結晶なのだということは、私たちがほんとうに「クラシック音楽」を理解する上で今まで欠落していた知識ですから、是非、ご一読、ご玩味なさってみて下さい。
中でも、対位法の交通整理に大きな役割を果たしたティンクトリスの打ち立てた8つの原則の内容(p.31〜p.32)は、次世紀以降の音楽の本質を理解する上で必須のものだと言えます。
詳しくは書籍本文を参照して頂くべきですが、今回の最後に、簡単に要約しておきます。

1)対位法は、アウフタクトから始まる場合を除き完全協和音程で開始すること。
2)平行五度(ド-ソ|レ-ラ|ミ-シなどの連続)・平行オクターヴは使用禁止、3度6度は可
3)保持された同一音高に対する同音反復は不協和音程も許されるが、望ましい場合に限ること
4)音程が大きな跳躍をする場合にも旋律の形が崩れないよう充分留意すること
5)旋律の流れを疎外するような終止型は不可
6)等音価の定旋律に対しては、鐘や角笛の模倣でない限り、定型の対旋律の反復は許されない
7)等音価の定旋律に対しては、同一音高上での終止型を接近させて用いてはならない
8)対位旋律は、絶えず多様性と変化を生むように努めなければならない(シャンソンを除く)

・・・シャンソンは、単旋律の歌を前提としていて、それには簡単な対位旋律しかつかないだろう、ということが第8則の「例外」の前提にはあるのではないかと思いますが、それは明日述べるつもりです。

以上が、「音楽が香るための、芳香を生み出す最小単位はどうあるべきか」についての、もっとも最初にまとめられ、最も長い間守られた規則です。


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2008年11月 7日 (金)

「メサイア」序曲:娘の誕生日に寄せて

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「メサイア」(ヘンデル作曲)から、序曲を聴いて頂きます。

カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団によるドイツ語版の演奏です。
演奏自体は、私が初めて買った、当時6,000円くらいのLPだった(ずっと欲しくて、貯金しました)ものがCD化されたのを入手しました。ヘンデルはドイツ生まれだったので、私はずっと「メサイアドイツ語で当然」と信じ込んでいました。大学生の頃、毎年暮れにアルバイトでメサイアの演奏に参加することになり、それで初めて「あ・・・英語がホントなんだ!」と知った、なんて思い出があります。
バロック演奏の研究が進んで、リヒターのこの録音のすぐ後には、この序曲のような音型は複付点で演奏されるのが当たり前になりましたが、たとえ時代感にはそぐわなくても、私は今でも、この「記譜を素直に読んだ」この演奏の、切々としたものを内に秘めた重々しさの方が好ましく思われます。

「メサイア」じたいが私にとってどれだけ思い出深い曲かについては、家内の死の2日前に綴りました
かつ・・・娘の誕生日には一見ふさわしくない、とお思いになられてしまうかもしれませんが・・・家内の通夜で、会場でずっと流しつづけてもらった曲でもあります。



娘が朝7時ごろに生まれた、ちょうどその日、私は「メサイア」の全曲演奏会に出演しました。
生まれてきた子供・産んだ妻・私を、世界が祝福してくれた・・・そして、これからも守り続けてくれる・・・そう信じて、喜びに溢れて、演奏に参加していました。

16年経ちました。
途中、試練はいくつもありました。小さなものは、省きます。節目だったかなあ、と思い返すことを。

まずは「共稼ぎ」の苦しみ。「彼女の仕事を絶対やめさせない」と約束しての結婚でしたし、女性も自分の仕事をしっかり持っていることには私自身賛成でした。家内の働いてきた教員の世界では、ごく普通のことでもあります。収入云々ではなかった。ですが、サラリーマン社会である私の方は、周囲から「まだ奥さんを働かせているのか?」「ダブルインカムでいいねえ!」さんざんに皮肉られました。そのうえ、サラリーマンのリズムは教員のリズムと業務上だいぶ違いますから、女房は一言も口にしたことはありませんでしたけれど、辛いこともあったのではないかな、と思います。私のほうも、帰宅してもまともに迎えてもらえない日が結構あるのは内心は不満でした。・・・ですが、それを二人の信頼関係で乗り切ってきた、ということは、今になって、胸を張って言えると思います。ご近所の何人ものかたに、
「いつも一緒に過ごしているのがうらやましかった」
と言っていただけましたから。

次は、意に添わない転居。女房が散々申請したにも関わらず、行政の配慮はもらえず、住む場所を変えざるを得ない異動を、娘が1歳になって数ヵ月後に強いられました。新居を決めるまで毎晩、女房は泣いて帰宅していました。・・・これも、マンションであるにも関わらず、お互いに困ったときは助け合ういいご近所に恵まれたいまの住まいに落ち着けたことで、むしろ幸せに転じたもの、と思っております。

女房の、新しい勤務先が、当時は問題でした。非行に走る生徒の多い学校でした。女房は、その中でもいちばんたちの悪い生徒を扱ってノイローゼ寸前にまで追い込まれ、私は結婚当初の約束を破る決心をして、あちらこちらに
「うちの家内は仕事をやめさせます」
と宣言しました。
ところが、いいかたがいらして、女房が辞意を漏らしたとき、女房がそれまで培ってきた精神的財産の大切さ、それを失ってしまうことの勿体無さ、を順々と諭して下さったようです。
私より割り切りの早い女房は、私の工作を一瞬にして棒に振り、勤務継続を決めて帰ってきました。私ががっかりしたのは、言うまでもありません。ですが、結果的に、家内は残りの人生を、本当に充実させることが出来たのでしょう。

女房のノイローゼが収まった、と安堵していたところへ、今度は、私が、ある事情で「うつ」になってしまいました。これが長引いたのが、最大の誤算だったかも知れません。職場を異動になり、ああ、治りかけたかな、といったん思ったところで、薬の減らし方に失敗し、「うつ」は長引くことになりました。2年を経て、薬を減らしなおし、お医者に
「あと1ヶ月くらいで、残りの薬も止められるかも」
と言って頂け、女房がとてもよろこんでくれたのが、おととしの12月の初めでした。折りしも、娘の進学する高校の選択に、母娘で一生懸命になっているところでした。ブラスバンドの顧問を長年務めた母の背中を友達に「カッコいいね!」といわれたのが嬉しくて、娘は中学に進学するなりブラスバンドに入りましたし、2年生になって間もなく、音楽の専門の勉強をしたい、と意志も固めていましたから、連日、高校のパンフレットを集めては母子でああでもないこうでもないと談笑し、それを脇で耳にするばかりの私は、ただ羨ましくて仕方がありませんでした。

女房が倒れたのは、クリスマスの日、市民音楽祭に自分の生徒達と参加しに行っている最中のことでした。つい数日前には、おりから親子でテレビで楽しんでいた「のだめ」の撮影現場である大学に出かけ、トロンボーンのコンテスト見学のはずが、
「あ、ここが、あの場面の撮影現場だ!」
と、そればっかり見て、はしゃぎまくって帰宅しましたので、呆れて物が言えませんでしたが・・・その「のだめ」の、最終回の日でもありました。
苦しかった女房が、いちばん楽しみにしていた「のだめ」の最終回をテレビで見ることが出来るはずも無く、救急で運ばれた医者には入院は認めてもらえず(仮にそこに入院しても、病院の質を考えると助からなかったのは同じだったかもしれません)、夜、私の肩につかまらせて、
「明日、朝一番で、いい病院に行こう」
そう言いあって帰宅しましたが、女房は、その朝を待つことがありませんでした。
夜中の2時に一緒に横になって、4時にふと気がついたら、隣にいない。慌てて飛び起きて、洗面所に倒れている家内を発見しました。たったの2時間のあいだでした。

苦しむ時間が最小限で済んだ・・・しかも、最後のその日まで生徒に慕ってもらえた彼女は、幸せな死に方をしたのだ、と、私は私に言い聞かせていますが、彼女の方もそう思っているだろうと信じています。



母を失って、でも、娘はよく、そのあとも気丈に頑張ってくれたと思っています。
2ヶ月後のソロコンテストでは、トロフィーを持って帰ってきて、私を仰天させました。
音楽の学校に進むには足りない、と、縁を頼って見つけたソルフェージュの先生のところへ電車で通うようになり、最初は怖い目にもあって泣き泣き帰ってきましたが、電車でいやな目にあわないコツを私なりに伝授したら、すぐにそれをマスターして、まずは目標達成のために通い、当面の「志望校合格」を達成したいまも、素晴らしいその先生のご指導を、すすんで仰ぎつづけています。

母を失った、ということは(息子にとってもですが)大きな試練でしょう。
それでも、この子が生まれたときに受けた世界の祝福の意味は、もしかしたら、この「試練」に早い時期に直面することを予言していたのかも知れない、と、最近つくづく感じます。

演奏技術はまだまだ、ですし、勉強となると、もっとからしきダメ、ではありますけれど、少なくとも「めげない」強さは、父の私が恥じ入らなければならないほどに持っています。

「厳しさ」を力強く乗り切っていくことが、結局は娘が自立したときに最高の幸せをつかむ上で非常に大切なのでしょう。

「メサイア」の序曲は、それを音楽で的確に表した、非常に締まったつくりをしています。

「厳しさ」に直面して奮闘しているすべての人に、この機会にこの音楽をお聴きいただければと存じ、掲載した次第です。


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2008年10月29日 (水)

音楽が「とどまる」とき

「音楽とは音そのものである」
に、もう少しこだわってみましょう。

「音楽とは音そのものである」ならば、どんな「音」でも、「音そのもの」であれば「音楽」たりえるのか、ということについては、果敢な挑戦をした人たちもいましたし、その挑戦のありかたを強く否定した人たちもいます。

「N響80年全記録」に出てくるエピソードですが(立読みなので間違っていたらゴメンナサイ)、日本でシュトックハウゼン作品の記念碑的な演奏会が行われた時、臨席したかの名指揮者サヴァリッシュ氏が突然大声で、
「これは、断じて音楽ではない!」
と叫び、同じ会場にいたドイツ人たちもそれに唱和して大騒動になった、ということです。

シュトックハウゼンの音の扱い方が、サヴァリッシュ(やその共感者たち)にとっては、音楽とはいえなかった・・・それが何故だったのか、までは、同書には記していなかったと思います。

昨日<イデア>について見直した通り、それは決して「ほんとうの何物か」をさすのではありませんでした。むしろ「ほんとうのものとは何か、を追い求める精神のあり方」こそが<イデア>なのでした。
<音楽のイデア>というものもまた例外ではない。シュトックハウゼン・サヴァリッシュ対決事件とでも呼ぶべきこの事件は、そのひとつの現れだったと見ていいのではないでしょうか? 当時もてはやされた割には、シュトックハウゼンの作品は忘れられたに等しく、その名前だけが20世紀中葉の一大エポックとして記憶されているに過ぎない現状、この対決はサヴァリッシュに軍配が上がった、とみなすのは簡単なことです。かつ、シュトックハウゼン作品が今なお聴き直され(CDは今なお豊富に出ています)、CD、聴き手によって「ああ、やっぱり音楽ではない」と判定されるようであれば、やはりそれは音楽ではなかった、と言うことも、同じく簡単です。
「音楽をめぐる、ひとつのフロー(流れ)に過ぎなかった!」



別にシュトックハウゼンの肩を持つ、という意図からではなく、素朴な疑問から、私は問いたいと思います。
「では、シュトックハウゼンが作品化する過程にあったものも、『音楽』ではなかったのか?」
シュトックハウゼンの思考の過程では、それは「音楽」だったことに間違いないのではないか、とも思います(これは、私が彼の作品を好きだとか認めているとかいうこととは違います)。ただ思考する、その時純粋に「音楽」というものを追い求める、その営みこそが、<イデア>であった。それが具象化した時に、残念ながら、それはサヴァリッシュたちにとっての<イデア>とはまったくズレていたことがあらわになってしまった・・・本質的には、そういうことではないかと考えたいのですが、如何でしょうか?

とはいえ、そこに<イデア>同士の激しい対峙がある限り、否定したサヴァリッシュも、否定されたシュトックハウゼンも、決していっときの「流れ」に足下を救われることはないでしょう。勝負は、なんて、こんなことで勝負なんかに持ち込むのは本意ではないのですが、まあとにかく、勝負は「音楽の評価についてのさまざまなイデア」(なんだかまた妙な言葉をほざいてしまっています)という流れの中に、出来るだけ大きな石、 もしくは岩として、流されずに<限りなくイデアに近い音楽>ヅラをし続けられるのはどちらか、という土俵の上でなされ続けるでしょう。



最近、「オーケストラの経営学」という本が、カラヤンの真の友だったともいえるある大企業の社長経験者の讃辞を綴った帯付きで出ました。私のひねくれた目で評価すべきではないのですが、しかし、いくらオオモノさんが帯で讃辞を捧げていても、私には少なくともいまのところ、この本は魅力的ではありません。
なぜだか突然私も音楽を「ビジネス」なんぞという範疇で括り出し、脳神経と音楽の関係を云々するにあたってもビジネスと言う範疇を外すことがないのは、本来<音楽のクオリア>などというものは否定されるべきだ、との思いが入り口になっていて、それがだんだんに<イデア>などという話題にまで入って行くのだから、甚だ似つかわしくないことです。ですが、おそらくなんでそんなマネをするか、という精神においては・・・相手は大学の経営学の先生である上に上のような帯まで著作に付けてもらえるのですから、こっちはそれに比べれば蛙のションベンにもならないのですけれど・・・「オーケストラの経営学」をお綴りになったご著者と、実は共通した思いがあるからだと感じてはいます。

「音楽は、ほんとうは<財>なのである」

とでも要約したらいいのでしょうか?

ですが、私はオーケストラにせよ他の音楽にせよ、それらを扱う上で「経営」は存在しても「経営学」があるとは、全く信じられません。
まあ、そうした断言は、しかし、「経営学」を拝読してからしなければならないことでしょう。
それでもひとつだけ言えるのは、同じご著者は4年前に、オーケストラの「財政」について、きちんとデータを掲載した本も出されていて、そちらは素晴らしいと感じているのです。今回のご著書の方には、具体的なデータがありません。あるのは<オーケストラの経営のイデア>の、言ってみれば仮想図ばかりではないか、というイメージがあり、それで、まだ手を出す気になれません。

残念ながら容易に手に入らなくなってしまったのですが、あるプロジェクトの方たちが精魂こめてまとめた「ザ・オーケストラ」という本があります。1995年に出たものです。複数の筆者によるこの本の文章部には、筆者によっては強い主観もあり(って、その点ではこちらも負けませんね)、割り引いて読まなければならないことも沢山あるのですが、それにもまして、95年当時としては非常に努力しなければ集められなかったと思われる生データは、もう13年前のものとはいえ、現在にもつながる貴重な情報が詰め込まれていて、活用の仕方によっては、ヘタな理念を並べ立てるより、よっぽど
「音楽は財である」
ことを広く世間に認めてもらえる「経営」の舵を私たちに与えてくれるはずです。



「経営」に関する細かな話はいずれ述べる時が来ると思いますので、ただ印象を述べるだけにとどめますが、要は、それぞれの「経営」の本に対する私の善し悪しのイメージに関わらず、「音楽」が「財」としての確かな位置づけを持つためには、ただ音楽に留まらず、「経済」と、それを「営む」ということの原点に帰らなければならない、という危機感は、音楽を愛する人たちには共通して持たれているものではないかと感じているのです。
昨今の「市場」が端的に示しているように、過去にいかなる「経済学」や「経営学」が高く評価されて来たとしても、評価の物差しが「金銭」以外にあり得ない現在、この物差しさえちっとも絶対的ではあり得ず、「人の思惑」や「貨幣の横流し」がバランスを崩せば一挙に何の目盛としても役に立たない、「平均台上のヘボ選手」でしかない。フロー(流れ)がストック(財の確実な形成)にキチンと裏打ちされなければ、<ほんとうに限りなく近い財の価値>などというものは、所詮誰にも分からず、ただ
「これはいい、あれはダメ」
という空騒ぎの中でのみ相対的な評価を受けるしかない。
そういう「経済」の「営み」の中では、少なくとも<音楽>のほんとうの価値は測れない。
たとえば、ストラディヴァリには5億の値が付くので驚かれますが、もし中東の遺跡から「有史前後の貴重な楽器群」が完全な形、損なわれていないコンディションで現れたら、それらは文化財保全の立場から決して演奏されることはなくても・・・いや、皮肉なことに、演奏されないからこそ、ストラディヴァリの2、3倍、あるいは想像を絶する値段で取引されるかもしれない。つまり、歴然と「文化財」として、悪く言えば骨董的な価値が確立して初めて、モノはほぼ固定した、あるいは不況知らずに上昇する値段で、確定的に値付けされる。・・・実際に演奏されるが故に、保有することが「売り」にもステータスシンボルにもなり得るという、未だ「フロー」の渦中にあるストラディヴァリは、「骨董品」だったら、とても今の値段ではおさまらないはずなのだそうです。
・・・なお虚しいのは、これはあくまで「楽器」という「手段」の価格であって、価値なのではなく、さらに重ねて言えば、音楽の手段のホンの断片に与えられた価格に過ぎず、「音楽の価値」そのものには程遠いのです。


ならば、「音楽は財である」ということを、いかなる根拠から私たちは言明することが出来るのか?

前掲「N響80年全記録」にある2つのエピソードが、とりあえず、そんな疑問を抱き続ける私の胸に強い印象を刻み込んでくれています。

ひとつめは、N響1000回記念講演のとき、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を推す事務局に対し、サヴァリッシュが
「いや、日本はキリスト教国ではないのだから、その点に配慮すべきでしょう。宗教色の薄いものを」
ということで、当時の日本ではほとんど知られていなかったと言っていいメンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」を選んだ話。この選曲に周囲は客寄せにならないのではないかとの危惧を抱きましたが、結果的には大成功だったのです。・・・なぜ、日本で認知度の低い曲が大きな成功をおさめたのか、については、本の上にはそれ以上、理由付けの記述を見出すことは出来ませんでした。サヴァリッシュのほうが、日本と言う国の本質とは何かを考え抜いていたからこそだった、とだけでもひとことあれば嬉しかったのですが。

ふたつめは、ギュンター・ヴァントが年末にベートーヴェンの「第九」を「5回も振るだって? とんでもない!」と拒否して譲らなかった話。
「第九」が西欧の近・現代文化上どういう重みで捉えられて来ていたか、日本の「第九」認識とのあいだにどうしてヴァントがこのような拒否をするだけの大きな差があるのか、は、日本には「第九」に関する出版物があるので、それらを本気でひもとけば、サヴァリッシュのケースより明瞭に理解できるでしょう。
ロマン・ロランが、長編とは言えないまでも決して短くはない思索を「第九」1作に捧げたこと、ヒトラーもスターリンも「第九」で称揚されることをこの上ない喜びとしたこと・・・でありながらかの「ベルリンの壁」崩壊の時に高らかに歌われたのも、チェコが旧ソ連からほんとうの開放を勝ち得た時に熱狂的に演奏されたのも、同じ「第九」だったこと・・・

サヴァリッシュも、ヴァントも、「財」としての西欧クラシック音楽とは何か、の要諦を身にしみて知っていたからこそ、上のように振る舞って来たのです。



日本は・・・武満徹が亡くなっても国葬になりませんでしたし、そうでなくても、日本人作曲家の作品を中心とした演奏会はほとんど催されません。
N響がもっとも飛躍を遂げた時期に、日本人作曲家の作品特集の演奏会を催したとき、聴衆の拍手がお義理に聞こえてたまらなくなった故・岩城宏之は(だいたいこんな意味合いのことを)叫んだそうです。(これも「N響80年全記録」で読んだ話です。)
「みなさん、本当に良いと思ってくれたら、その時拍手してくれればいい! つまらなかったら、拍手なんか、いっそしないで下さい!」

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2008年10月25日 (土)

ひとつの音から生まれる----雑感----

「音楽は、音そのものでしかない」
ということは、書籍『絶対音感』に引用されたバーンスタインの言葉の究極でもありますし、立読みしたアルド・チッコリーニ(フランスの名ピアニスト)も述べていることです。

音楽が、本当に音そのものであることを明確に示してくれるのは、「ひとつの音」が広がって行くことによって生まれる、というかたちで作られたさまざまな曲です。

今日、グロッケンの1音から始まる2つの欧米作品(一方は厳密にはずっと低い方で別の音が鳴っていますが)を耳にしつつ、ふと
「音そのものでしかない」
音楽に、あらためて思いを馳せてみました。
お付き合い下さるかたは、いずれでも、お好みの方をお聴きになりながら、駄文をお読み下さい。

(掲載にあたっては、いずれも9分程度ですので、容量の関係でモノラルにしてあります。)

・ショスタコーヴィチ「交響曲第15番」第1楽章

バルシャイ/WDR  Brilliant Classics BRL6324

・ライヒ「ドラミング:パートIV」

ライヒ&ミュージシャンズ  Warner Classics WPCS21250


まだ家内が生きていた頃、ちょうど<うつ>になってしまい、自分の回復のために何をしたらいいか、ということが当座の課題となり、アマチュアとしてクラシック音楽のオーケストラ活動を続けていたことから、「音楽」を出来るだけ突き詰めて考えてみよう、そのことに熱中すれば先が見えるかもしれない、ということから、折よく始めていたブログで好き勝手を綴り始めたのが、そもそもの始まりでした。 折しも、モーツァルトの生誕250年でもあり、「モーツァルト療法」なる言葉が妙にはやり始めていたこともあって、なぜモーツァルトの音楽が「療法」という言葉に結びつかなければならないのか、その不自然さをどうやったら明らかにできるか、ということが手はじめに胸の底にありました。ですから、当初はとにかく、モーツァルトを軸に音楽を「読む」ことからやってみることにしたのでした。

ですが、まずモーツァルト一人の作品をとってみても、全作品で真作と「確定」しているものは600曲もあり、バッハやハイドンに取り組むのに比べれば曲の数は少ない反面資料は入手しやすい、というメリットはあったものの、いざ始めてみると、始めて3年経った今になって、ようやく7分の3程度を「辻褄合わせで」読むのがやっと、というていたらくです。そのうち、「モーツァルト療法」なんて言葉はあっという間に古び、きちんとした意味での音楽療法には使われる曲はモーツァルトに限定されなくてもいい、あるいは、クラシックである必要もない、という認識もきちんと広まってしまっています。

3年経ったのです。
そのうち、家内に背中を見守ってもらえながら綴れた期間は、もう3分の1にも充たないものになってしまいました。



モーツァルト一人の音楽を「読む」にも、モーツァルトだけを追いかけていてはダメでして、考える対象は自然と別の音楽にも広がって行きました。
家内が死んだ後になると、夫婦で、こんなの、ちゃんちゃらおかしな話だよねえ、と笑い者にしていた「モーツァルト療法」に代わって、<音楽のクオリア>だとか、どうしても「音そのもの」とはかけ離れているとしか思えない、「音楽の外側」からの受容に対する<おまじない>の言葉が目に付きだしました。・・・いま、脳神経系のデータをきちんと示しながら「美術」と対峙しているゼキ氏の著書を類推の材料に使いながら、<クオリア>という事後的な事象で捉えられる「音楽」などというものは、決して「音楽そのもの」ではない、ということを、どうしても明らかにしたいと思っています。で、このことは進行中ですから(「心と体」のカテゴリでまとめ読み頂けます)、これ以上詳しくは触れません。
最初は「これはいい根拠を与えてくれるのではないか」と取り組み始めたゼキ著からの類推ですが、彼が第5章で<イデア>という用語を持ち出しはじめたことから・・・最初は浅い共感からそれとなく読み流していたのですが、詳しく読んで行くと<イデア>に対するゼキの理解は誤謬を孕んでいることに気づいた瞬間から・・・、話は振出に戻さざるを得なくなった、との思いを強くしています。

要するに、
「音楽は、音そのものでしかない」
ということを、そのまま素直に認識するためには、科学用語なんかを導入しては絶対にいけないのです。

家内が急に倒れたとき(翌日早朝に家内は死んだのですが)、運ばれた救急病院で家内の症状の適切な診断が出来なかった医師を、私はずっと恨んできました。けれども、それは「症状の適切な診断」という「科学に裏打ちされた」ものを根拠にしか人間がものの価値や状態を判断できなくなった世の中である以上、虚しいことなのだ、ということを、ゼキが<イデア>を誤って捉えている、ということに気がついた瞬間、強烈に思い知らされました(このことはまた機会をあらためて述べます)。

・・・私は、いったい、何を追いかけて来たのでしょう?



音楽を無理やり「科学」で説明しようとする試みを、もし家内が今も私の背中のところにいてくれるなら、一緒に笑っていることでしょう。
なぜ、私は、家内と一緒に笑えないのでしょう?
私には、いま、涙を流すことしか出来ません。
家内は、でも、それを望んでいないはずです。
端的に言えば、肉体としての伴侶には「また別の人」を求めることもできます(子供たちにとっては違います)。もしかしたら、ちゃんとそういう人にいてもらいなさい、というのが、家内が私に対して今、背中の後ろから言ってくれているひとことなのではないかと思います。
肉体は代わっても、一緒に笑ってあげるから、と、言ってくれているかも知れません。

そう、肉体がどうであっても、こころはずっとひとつながりで繋がって行く。

私たちが共通して愛して来た「音楽」には、本質として、そういう、切れ目のない時間が、何の説明をも必要とせずに、私たちの肉体の生をも死をも乗り越えて「存在」する。

ですのに、なぜ、私は涙を流すことしか出来ないのか。
それは、ひとえに、私が「音楽」というものを、いまだに、そしてもしかしたら肉体の死を迎えるまでに、本質から捉えられないままの未熟者であり続けるからにほかなりません。

ああ、科学ではいけないんだ。
かといって、宗教でも思想でも、信条でも、ダメなのです。

哲学を、しなければならない、と思いました。



本当の「哲学」は、役に立たないものではありません。
ただし、入門書では往々にして「思想」と混同されがちでもありますし、哲学の非常な天才でも、ふとしたひとつの踏み外しで、その追求すべき「純粋に抽象的な」知恵の世界の「正しい境界」には、完全にはたどりつくことが出来ないでいる、とても厄介な代物なのだ、ということも、50歳を前にした今になって、ようやく知りました。

「音楽は、音そのものでしかない」

このことには、これ以上、何も求めようがありません。では、なぜ求めようがないのか、については、哲学でも永遠に突き詰められることではないかも知れません。

それでも、「科学」、たとえば物理学が、いくら素粒子のおおもとの、さらにおおもとを見つけた、と言って人間を喜ばせようとも、あるいはビッグバンこそが宇宙を誕生させた、それ以前は問わない、と胸を張ってみせても(これらは微細な素粒子と広大な宇宙という、外観上は極端な差異を示していながら、発生論的には「大きなエネルギーを持った、原初的ななにものか」が存在することを大前提としていることで、実は同じ<点>から出発し、それに対する帰結を求めるもので、物理学が確立した学として存在してしまっている現状では、本来は全く違うものであるかもしれない他の<発生の可能性>へと視点を移すことが出来ないという限界があります)、「哲学」のもたらすだろう、もっと多様な<追求不可能の意味>の発見に比べれば、はるかに狭いものでしかありえない、と、私には思えてならなくなりました。

ただし、これはまだ「感じた」段階の話に過ぎず、私の勉強は不足しており、分かり易く噛み砕く知恵もありませんから、これ以上を語ることは、まだ控えておきましょう。



音ひとつから音楽が生まれて行く、広がっていく有様は、上掲の2作だけでなく、ゼキの記述との関連で引いた「ラインの黄金」の前奏曲、ベルクの「ヴォツェック」冒頭・・・ベートーヴェンの第4交響曲の開始部、等々、クラシック作品にもいくらでも見出せますし、世界に目を広げれば、民族音楽の大半は、音ひとつに唱和する音がだんだん重なっていく事例はあまねく存在します。本日あげたライヒの作品などは、ニューギニアの響きを連想させたくらいです。日本ならば、雅楽の「音取り」は必ずこの形態を取っているのでして・・・それでもヨーロッパ式オーケストラのチューニング(オーボエのA一音で始める・・・雅楽と違って様式化されていない、とお思いかも知れませんが、そうだとは言えないなあ・・・)のに比べてヴァリエーションに富んでいます。


以下は、饒舌になりますが、自分の気分転換も兼ねての「おまけ」です。

オーケストラのチューニングで最近体験した笑い話をひとつご披露しますと、前回の演奏会のアンケートに
「コンサートマスターのチューニングが合っていません」
という厳しいお叱りがありました。
このあいだ、娘のお師匠さんと二人でこの話をして、大笑いをしました。

「エンターテイメントのつもりだったんですけど、真面目なお客様には通用しないんですね」
「そりゃそうですよ。クラシックのお客さんは、寄席に来てるんじゃないんだもの」

・・・この時の件は、直後に、わざとやったことを見破ったあるかたからすぐ質問を受けまして、
「企業秘密なのでバラさないで下さいね、さもないと・・・」
と、脅しをかけて口封じしてあったのですが、今日は面白くも何ともないことを綴りましたから、最後のおまけで、仕掛けをお披露目してしまいます。

アマチュアのオーケストラは、大抵は無理してステージの上で一生懸命チューニングするのですけれど、舞台に乗ってしまうと時間制限がありますので、ステージ上でのチューニングに頼ると、合わないままで演奏を始めなければなりません(私もそういう場面を沢山目撃して来ました)。で、どのくらいの割合でなされているのかは知りませんが、ステージに出る前に、あらかじめ袖でチューニングを済ませ、ステージ上では形式的に確認を取るだけで済ませるのがラクです。
ただ、気温が高くて湿度も高い日、というのが、最も苦労します。
袖とステージ上で、温度・湿度条件が大きくずれているからです。
で、管はどうしても高くなりますし、弦は低くなって行きます。

プロオケのチューニングなら、場数を踏んだ人ばかりですから、対処方法は知っていて、上手いこと処理していますけれど、年に1回か2回程度しか本番をしないアマチュアでは、そんな対処方法を身につけている人は稀です。
・・・それでも、普通は無理して、ステージ上で最初のチューニングがピッタリ聞こえれば良し、ということになっています。・・・すると、高音高湿度の日のコンサートでは、演奏の途中から、弦楽器はどんどん音が下がり、管楽器はどんどん音が上がります。で、お客さんは不満に思うかというと、まず、思わないでしょう。
「ま、アマチュアだから音はずれていたけれど、気合いのこもった演奏だったからよかったね」
そのように、親切に仰って下さいます。

私はひねくれ者ですから、この夏の、気温もそこそこ高く、雨なので当然湿度の高い演奏会で、袖でのチューニングが合ってもステージに行けば容積が急に広がるので楽器に加わる条件が変わりますから、端から袖での正確なチューングは意図していませんでした。

かつ。

ステージ上では、管は低めに合わせておいてもらいました。
そのうえで、自分は、お客様が聴いたら「ありゃりゃ!」と驚いてくれるかな、と、ワクワクしながら、弦楽器はオーボエより高めに合わせました。
管と弦の落差は、私の頭の中の計算では3Hz程度にしておきました。
冒頭の曲は音楽が泥臭ければ泥臭いほど良いものでしたから、ずれていても構わない、という、こずるい腹づもりです。
で、休憩をおかずに、長丁場のチャイコフスキー「悲愴」を演奏する、というところが、事前の3Hzの「ズラし」のミソです。とくに金管楽器の強奏は音程が低くなります。「悲愴」には冒頭楽章からそうした箇所があります。
ですので、最初に「笑い」をとっていて、「悲愴」でピッタンコいってお客さんに泣いてもらおう、という目論見だったのですが・・・こないだ娘のお師匠さんが仰って下さった通り、場所はたしかに「寄席」ではありませんで、かつ、私は志ん生や志ん朝のような落語の名人でもなかった、という次第です。・・・いちばんビックリしてくれたのは、身内の団員サンたちだったかも知れません。

おしゃべりが過ぎました。

ですが、こんなおしゃべりを、ついしたくなるほど、音楽の世界は「ひとつから始まり」、そのくせ「無限の多様さをみせてくれる」のです。


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2008年10月14日 (火)

聴く「場」と心〜「マイスタージンガー」補足

    演劇や演劇を体験を体験することは、誰かが
    「外出でもしようよ」と言った瞬間から生まれる。
    ・・・本物の映画的体験は家庭では絶対に味わうことは出来ない。

    (ウォルター・マーチ『映画の瞬き』 訳書187頁 フィルムアート社)



映画の、というより、映画に限った話をするわけではないのです。いや、強引ながら、音楽の話に、上の言葉を援用してしまう、という魂胆です。

ゼキ第7章における「美術」の認知と音楽の認知の対比を間に挟んで、その前に2回連続して、ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕の前奏曲、あるいはこの楽劇そのものについて、簡単に見て、聴いて頂きました。
私の持っている手段からは、これらをパソコンの画面で、物好きにも私のブログにアクセスして下さる少数のかたにご覧頂くしか手だてがありません。
で、上に引いたマーチ氏が、引用した文の後のやや隔たった場所に、さらに書いていることに着目しましょう。

「家庭において、その人は王、テレビは召使いの道化師だ。面白くなかったらリモコンを使って、召使いの首を切ってしまえばいい! その土台には、家庭における映画鑑賞の気軽さがある。お約束通りのことが正しいこと、つまり見る側の気持ちは、見たいものだけを見ることに設定済みだ。」(188頁)

そう、もともと読まない人には全く関係ない記事でしたし、読んで下さる人にも、ある程度<読む人の都合に合わせて>読めるように、と、私の記事は、いちおうその程度の想定はしてあります(文はヘタクソなので、想定はしても無意味だったりするのですが)。ブログはテレビよりもチャンネルを合わせては貰いにくく、仮に合わせてもらえても、意にそぐわなければ数秒で画面を切り替えられる。
そういう枠の中で、「マイスタージンガー」前奏曲に盛り込まれた、ワーグナーの「ライトモチーフ」というものに焦点を合わせて、もし興味を持ってもらえれば、
「ああ、この曲はこんな組み立てで出来ているんだ」
ということを知ってくれるように、と願いつつ、素材を集め、補足を綴りました。

ただし、それらはブログであろうがテレビであろうが、作品の根本にあるものまで掘り下げることは到底不可能です。
かつ、私は綴る時に、むしろ
「(とくにアマチュアの)演奏者が演奏を<考える>ヒントになれば」
という点に照準を当てており、実は、曲を「聴いて感動したい」人には、端的に言えば
「知らないでもいい、むしろウブに接してもらえればいい」
というふうに思っております。

そのことを、是非、申し添えておきたいと考えておりました。



マーチの、188頁引用文の続きは、こうです。冒頭に上げた言葉の補強となるものです。

「一方で、外出には、ある程度の出費や不便さやリスクが内在している。観客が経った六人だけでも、超満員で六〇〇人以上いたとしても、時間が来れば、あなたがいるいないに関係なく上映は開始されるし、一度始まってしまえば、何があっても止めることは出来ない。こういった条件そのものが、見る側の気持ちを、家庭での鑑賞とはまったく違ったものにする。またここがミステリアスにして大切な部分だけれど、六人にせよ六〇〇人にせよ、同じ劇場内に息を殺して座っている他人が存在するという事実が、見ている作品の本質を、計り知れないほど大きく変化させ、増強させている。」(同頁)

「上映」を「上演」に置き換えれば、これが演劇でも音楽でも同様だということは了解してもらえるでしょう。

その、「変化させ」られ、「増強させ」られているそのものを、なにも「マイスタージンガー」である必要はない、是非体験をしてから、CDの悪口でもDVDの批判でも、何でもなさったらいい。

来日したウィーンフィルの聴衆の中に「CDみたいだと思った」と言った女性がいたことに失望したことは前に綴りましたが、一方で、理詰めで、最初から批評精神で「見る・聴く」不純さは、その人が(おそらくは幼児期からずっと)、真実の「熱中」、それによってもたらされる「感動」を見出せずに来てしまったことを表わしはしていないでしょうか?



唐突ですが、ここで、「ウェストサイド物語」の生みの親であり素晴らしい指揮者・音楽家であったレナード・バーンスタインが述べた言葉も引用しておきましょう。

「音楽が伝えるのは物語じゃない。音楽は、何かについて表わすものでは決してないんだ。音楽は音楽、ただそれだけ。たくさんの美しい音符と響きがひとつになって、聴いていると喜びを得られるもの、これが音楽のすべてだ。(中略)・・・音楽を理解するのに、シャープやフラットや和音なんて専門的な知識なんか必要ない。音楽が僕らに何かを語りかけてくる。物語や絵ではなくて、感情を運んでくる。音楽を聴いて、心の中に変化が起き、そして音楽が僕らにくれるたくさんの感情に身をまかせることができたとき、そのとき僕らは音楽を理解したってことになるんだ。音楽とは、まさにそれに尽きる。」(最相葉月『絶対音感』301〜303頁の訳文。この言葉はバーンスタインはテレビ番組だった"Young People's Concerts"の中で述べていまして、これを含め、彼による「音楽」のエッセンスについての豊富な語りに分かり易く接することが出来ます・・・英語ですが。)

手段が音なのか形なのか動きなのかを問わず、少なくともそれらが描くドラマ・・・それは音楽に限らず、本当は「ストーリー」で描かれたものではない、と私は最近思っているのですが・・・、そのドラマに、ある意味では現実世界で強烈に接したことのある人だけが、「劇場」という「仮想空間」の本質を知ることが出来る。

ですから、もし、あなたが人生で豊かな経験をしたのであればなおさら、まずは「場」を選んで、「ドラマ」にどっぷりと浸かりきってみる・・・ただし、その「場」を離れたら、忘却することも、命を大切にする上では必ず必要です・・・、是非そうして下さることをお勧めします。

このブログ上でいろいろと試みていることは、いつもそうですが、ドラマの「断片」をどう捉えれば、たとえば演奏者はもっと「真実のドラマ」に近づけ、聴き手は「よりリアルに感動するのか」ということの、ほんのささいな素人探求に過ぎないことを、あらためてお断りしておきたく、わざわざご苦労さんにも、今日はこんなお題で綴りました。ベートーヴェンの言った通りの「心から出てて、心に帰る」(これはバーンスタインの言葉を掲載していた最相さんもご著書に引用なさっていますが)とはどんなことか、が、つまりは私たちが音楽などに接するときの究極の目的なのではないでしょうか?

この記事に掲げた最初の言葉を述べたマーチが、アメリカで仕事中に息子が脳腫瘍であるとの知らせを受け、仕事を長期間離れなければならなくなったときのことを振り返って述べている部分を、最後に引いておきます。局面は「仮想空間」ではなく「現実」ですが、特別な「場」が「心の創造」とでもいうべきものにどれだけ大きな役割を果たすかについての一面をよく言い表しています。・・・今日は引用文だらけになってしまいましたが!

「予測することのできない極端に危機的な状況に襲われると、日常生活という名の防風ガラスが粉々に突き破られたような衝撃を受ける。そしてどういうわけだか、魔法のような作用が働いて、とても明確な考え方が出来るものだ。本当に重要なことだけがクリアに見えて、それ以外のものは遠ざかり、ただのぼやけた背景と化す。そしてその日にできることだけを、長くてもせいぜい翌日までにできることだけを見るようになる。『もしこうなったらどうしよう?』という疑問符は消え去り、自分がなすべきことに確固たる決心がついてくる。これはきっと、太古から人類に備わっている、自己防衛本能のひとつなのだろう。」(前掲書131-132頁)


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2008年10月10日 (金)

「音楽」マーケティングは<本当に>存在するのか?

大宮光陵高等学校音楽科23回定期演奏会、是非お越し下さい。



仕事のスケジュール、およびスタミナの問題もありあまして、

・モーツァルトの「フルート四重奏曲」を読譜中ですが完了せず
・ゼキ氏著第7章を通じての「視」と「聴」の対比もまとまらず

でして、かつ、音楽史は宣教師の訪れた戦国時代の日本から、ふたたび「イエズス会」の原動力であったローマ世界を含むイタリアへと戻っていかなければならないのですが、これは少し時間がかかります。

したがって、昨日の屁理屈の続きで行きたいと思います。



ギャラリスト小山登美夫さんの「現代アートビジネス」にあったうちで心を動かされた、この言葉からスタートします。

「新しいアートが世の中に受け入れられていく過程とは、今までまったく存在したことがないものに、どうやって価値を見いだしていくか、ということではないでしょうか。」

モダンアートの世界は、たとえばこうした小山氏のような発想と、それを貫いた情熱によって、日本ではまだまだ、だそうですが、欧米はおろか、アジアにも大きな市場を形成しており、それは未だに成熟途上だそうです。

ただ、小山さんは、大先輩ギャラリストの西村さんが常々お話になっていたという
「(モダン)アートの世界にはマーケティングが効かない」
ということを<初心>・<原点>としています。かつはおそらくギャラリストなる人々は常にこの<原点>を維持しているからこそ、「新しいもの」を「売る」ノウハウを、そろそろ確立し、確立したことを実感もし始めた。実際、彼らの実感は、いちおうは価格という物差しによってしか明示されてはいないものの、「現代アートビジネス」のような著作が発行されるのは、価格には現れない「社会が求める<新しい美術>の価値を測る尺度が生まれ、または生まれつつある」ということが世間の認識に裏打ちされているからこそ可能なのであろうか、とも思います。

そこで逆に、非常に引っかかったのが、「音楽や映画はマーケティングが効くが・・・」という前置きが、ギャラリストたちの、いわば<アンチ・マーケティング>発想に付随していることでした(小山氏の著作で明確に文言化されています)。

映画や音楽については、本当に「マーケティング」が「効いて」いるのでしょうか?

映画方面は<息子と映画を考える>のほうで別途また考えていきたいと思いますが(まだろくに記事も綴っていません)、とにかく親子連れで見に行ってみたり、関連する書籍をあたってみたりした限りでは、以下に見ていく「音楽」同様、ビジネス的な「マーケティング」導入に若干の余地はあるように見えますけれど、私の実感するところを小山氏の著書の記述内容と比較すると、むしろ、本来的意味合いでのマーケティングは「モダンアート」の方が、よりしっかりしたものが確立されているように感じられます。

・アーティストが自身を客観的に評価できるかどうかの見極めから入り(つまり、ギャラリストさん自身がアーティストさんを「客観的に」好きになり
・アーティストが信頼できれば、その人につけるべき最安値から売り出しを開始し
・作品はその段階で、作品を純粋に愛する人に買い取られる

ここまでがギャラリストさんたちの基本のお仕事で、後年オークションで目の玉が飛び出るような(十億単位以上の)高値が付くような「アート」でも、最初は数十万円もしない。
かつ、オークションでいくら高値がついても、その段階では売り手はギャラリストさんではない。あくまで、「アート」を愛して買っていった人たちの手から手へ渡っていく過程でつく値段ですから、超高値物件の売却でもたらされる大幅な収益は、売却主のものであり、ギャラリストさんはそこからマージンを得るわけでもなんでもない。
・・・ただし、副次的に、そのアーティストを見出した実績を評価されて、高値品の転売を委託されることがあれば、ギャラリストさんは初めてそこで、「上がった価値」の幾分かの実入りを得ることが可能になり、結果的に・・・儲かる、というのが主眼なのではなく・・・また新たなアーティストの発掘に注力できる、というのが「モダンアート」業界のベーシックな流れです(小山さんは美術品が何故しばしば投機の対象になるかについてもきちんと記述していらっしゃいますが、今回は貨幣で測られる「収益」を主眼に置くわけではありませんので、そのあたりのことは省きます)。

「売り手」にとっても「買い手」にとっても、作品を愛することが基本です。ですから、その「真贋」の管理も徹底していて、ギャラリストの手を離れた後には、オークション時にカタログも(ミスケースは皆無ではないとのことですが)きちんとしたものが整備され、「買い手」となる意思を持つ人は、それを物差しにすることが出来ます。
商業世界で一般的な、エリアや世代展開を目的とした「マーケティング」ではありませんから、たしかに常識的なマーケティングの教科書に載るような類いの仕組みではありませんが、
「作品を愛する個々人」
にしっかり浸透する、という面では、実は最も理想的なマーケティング戦略が、かなりきちんと定式化されていると見なせるのではないでしょうか?

・・・ですから、過去の日本の「バブル経済」時の馬鹿げた美術品高額買いみたいなことは通常行なわれず、そこには景気に影響されない「富」が蓄積される。



「貨幣価値」でしか「富」をイメージできないのでしたら、ここまでの話も「ピラミッド上に積み上げられた金の延べ棒」を脳裡に描いてしか読んでいただけないかもしれません。

本来は、私は「収益」を目指すわけではない「アマチュア」についてまで視野に入れて、以上のことに考えさせられたのですが、それについてはまだ一言も述べていませんし、今日だけでは無理でしょうから、まずは「貨幣」イメージでお読み頂いても結構でしょう。

では、金銭価値としての「富」が蓄積されるという、いわば表面的な部分からだけ見た場合でも、果たして、「音楽」には、「モダンアート」に匹敵するマーケティング展開がなしえているでしょうか?

「ポップはいけてるけど、ジャズやクラシックはむずかしいな!」

・・・はあ。

「ジャズはまあともかく、根強いファンがいるからある程度はね。クラシックは、古い。硬い。え? 現代音楽? 訳わからんだけじゃない! やっぱりポップだよ! 新しい。 最先端だ。タレント性もある。」

・・・念のためですが、「現代音楽」は、「クラシック」の延長線上で扱われていて、CDショップの棚でも「クラシック」に分類されていますし、それ以前に、演奏されるコンサートも「クラシック」として扱われていて、演奏者も9割方はクラシックと重複しています。話を複雑にしないために(もう充分複雑かも知れませんが)、この先は現代音楽は「クラシックの<新しいもの>」ということにしてしまいましょう。

・・・それから、ジャズについて、かつまた、ここまでも登場させていませんが、ワールドミュージックなるものについて、は、省いて考えます。



上のセリフは、日本のマーケティング担当ならこう言うかな、と仮想してのものです。
つまり、いちおう、ここからは日本を前提とした話です。
このマーケッターのセリフの背後には、「音楽」そのものを「売ろう」という精神が、まず存在するでしょうか?

試しに、何でもいいから、今10代の間で流行しているポップをお聴きになってみて下さい。
リヴァイバルも結構な割合を占めているのは、ご承知の通りです。
そうではなくて、新作と称するものの方を聴いてみましょうか・・・。

試しました。・・・「音楽」そのものには、ガッカリするほどに、「新しさ」は感じられませんでした。
さすがに1960年代までには遡らないとは思いませんでしたが、70年代に聴いたロックとかフォークとか歌謡曲とか、同時期のアメリカン・ポップやロック・・・要するに30年から40年前には開拓されていた「大衆音楽の新スタイル」を踏襲しているに過ぎない、というのが、私の正直な感想でした。
つまり、ポップが売れているのは「音楽が新しい」からではないのだ、と思われます。

ポップの特徴として、若干の例外を除き「楽器だけで演奏される目的で作られたもの」は、存在しません。
ポップのご先祖様をたどれば、都都逸〜浄瑠璃〜謡〜平曲〜和歌の朗詠、みたいになるのでしょうが、近代に至るまでは、節回し(メロディ)も、作品ごとに際立った個性があるというわけではありません。器楽側も、演奏の基本スタイルよりはパフォーマンス性という視覚要素が関心の中心となります。
したがって、「聴き手ないし観衆」は「音楽」ではなく、歌のセリフに託された、今という時代への共感をもって、ポップを聴く。あるいは、歌い手・演じ手のキャラクターに、現在そのものの理想を見る。

ポップの「聴き手(ないし観衆)」の目的は、「音楽そのもの」ではなさそうです。

ということは、「音楽のマーケティング」というものは、日本の音楽マーケティング担当者が先ほど仮想したようなセリフを発想の根源としている限り、実は「音楽そのもののマーケティング」ではない。

という次第で、じつは、「音楽そのもの」には、マーケティングは戦略的に行なわれているわけでもなんでもなく、「音楽そのものの愛好家」がターゲットにされていないのではないでしょうか?

この、基本・根本のズレを見直すことが、なんだかいつまでもしゃちほこばってしか捉えられていない<クラシック>だって、本来的に「音楽そのもの」で・・・プロ作曲家・演奏家は生活が成り立ち、アマチュア演奏家は聴衆と一緒に音楽を愛せる、等々・・・「新しいもの」に馴染んでもらうマーケットを、数段のレベルで拡大出来ていくのではないでしょうか?



私がなぜ「クラシック音楽ビジネス」なるものを考えようと思ってみたり、一見それとは繋がりのない、「音楽の認知のされ方」を素人レベルのままながら検討してみようと思っている最大の理由は・・・前の記事の「くどい」反復にはなりますが・・・アバウト、こんな思いがあるからでございます。

またまた穴埋め記事ですみません。

本論に入るには、まず「認知」の件を片付けなければいけませんので、合間にまた似たような駄文を綴るかも知れませんが、お付き合い下さっているかたには、引き続き宜しくお願い申し上げます。

こんな記事ばっかりなので、さすがに、こちらに移行してからの方の読み手は少ないんですよ。
未だに、旧版の記事のほうが、毎日同じペースの「一元さん」に恵まれています。
どっちにしたって、個人の趣味ですからね、数を云々しても無意味なんですが、
「なんかが違う、なんか変えたい」
自分には、たかだか1日百数十アクセスの旧ブログでも充分に大きな母数ですから、新の方がその3分の1程度しかいかない、という現実には
「うーん、やっぱり、こりゃ下積み丸出しだからかなあ」
と、少し、肩が落ちる思いでは、いるのです。

でも、かの伸介竜助だって、売出しまで1年の前準備をじっくりしたのですから、どうせ先々も一介の素人で行こう、日に100人共感してくれるようになったら御の字だ、と思っている私には、こっちのほうがずっと貴重な「自分のための準備」ノートだと思って続けている次第です。

「アキレスと亀」の、売れない画家さんと同じだ。
(リンクした私の記事にはストーリーのことは殆ど綴っていませんので、この記事に寄せられたトラックバックをご参考になさって頂ければと存じます。)


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2008年10月 9日 (木)

ほんとうに知りたいこと

大宮光陵高等学校音楽科23回定期演奏会、是非お越し下さい。



本当に知りたいこと、って、何なのでしょう?
・・・いや、自問だと思って下さって結構です。

ノーベル物理学賞・化学賞それぞれのニュースが朝に放映されたとき(私にはそれ以外にテレビでニュースを見るチャンスがありませんから)の対照的な映像を見ながら、ふと「思い浮かんだ」問いです。

共通していたのは、家族や親族への「感想」インタヴュー。受賞理由に触れることは、全く無し。
受賞者そのものについては、最初の日の、物理学賞の受賞者のお一人が、記者会見の席でなぜだか涙ぐんでいる映像が映りました。泣き声ですから、お話になっている中身は分からない。でも、映像が映ったあとで、そのときこのかたがお話した内容についてはなにも触れられていない。
次の日の、化学賞の受賞者のかたの映像では、そのかたが「クラゲ」を入れた瓶を幾つも持って来て楽しそうに話している。
いずれにせよ、受賞者のお姿は「こんなかたたちか」と分かったものの、受賞理由についてはきわめてざっとした説明しかない。ですから、その理由でなぜ受賞できたのか・・・文化経済的に世間に大きな影響を与えたからなのか・では、その影響とはどれほど大きいのか、というより、その大きさがそれだけ私(たち)にとって身近なものなのか、さっぱり分からなかった。
「受賞した」そのことは、確かに「大きな」ニュースかも知れません。とはいえ賞をとった理由の「大きさ」のほうが、本質的にはよりウェイトが高いはずだと思うのですが、映像もニュースの語りも、理由については私(たち)にきちんと中身を伝えようという意図は感じられなかったですし、家族が喜ぶのは別に当然で、まずは速報・ダイジェストであるべきのニュースで、なんでそんな、あとで特集番組でも組んだ時に映せばすむようなものをわざわざ取り込まなければならないのか・・・
・・・いや、そんなふうに感じてしまう私(個人)は人間として変わり者に属していて、世間一般では、人はそういう「毀誉褒貶」・「喜怒哀楽」だけに興味を引かれ、それさえ見れば事足りるのか?

ノーベル賞の受賞理由についての詳しい理由は、Webサイトなどでも詳しく述べたページもありますし、いまこれを綴っているのはノーベル賞について語りたいからでもなんでもありませんから、適宜検索なさって下さい。・・・賞そのものにご興味のある方は、そもそもこんなマイナーブログのこんな駄文を読むこともないでしょうが。



対照的に、国際的な賞でありながら殆どニュースにならなかったのが、昨日掲載した「ランパル・コンペティション」での日本人青年の優勝です。かつ、サイトを探しても、当日どんな演奏で優勝できたのかは、正直言って文章からは皆目見当がつきませんでした。かろうじて、入賞者の青年には熱烈なファンがいらっしゃるらしく、過去の演奏を聴けるサイトが存在しましたけれど、過去の演奏例がランパル・コンペティションの入賞の本質にどこまで迫れるか、は、私(たち)の「聴く耳」次第です。

もうひとつ、「賞」のジャンルによって、受賞して日本国内で経済的に潤える人もいれば(寄付しちゃったり基金を作ったりして還元するケースが多いので、これは不当な表現ではあるのですが)、少なくとも日本国内では小さいか、ゼロのメリットしかくれない「賞」も、あまた存在します。具体的に上げたいものが喉元まででかかっていますが・・・よしましょう。そのコンクールを目指す、将来ある若い世代を傷つけてはなりません。(ノーベル賞の受賞者の中に「近頃の若い人は云々」をなさったかたがいらっしゃいました。お人柄には好感を覚えましたが、この仰りかたは幾世代にわてってもの<老人の口癖>でして、その部分は好きではありません。なぜ、むしろ「工夫の仕方」を直裁に語って下さらないのか。そもそも一生懸命な人は年齢の如何を問わず「ラクをしよう」などという発想はないのです。そこには、ご研究ひとすじであることの「狭さ」を感じずにはいられませんでした。・・・蛇足でした。)

ともあれ、「賞」なるものにそういう差異があること自体が、昨日ふと自分がつぶやいてしまった「コンクールというものそのものに疎い」ということ・・・興味が薄いことの原因になっているのではないか? 本当にそうなのか? ・・・それは、自分でもよくわかりません。



クラシック音楽のブログですから、クラシック音楽で話しましょうか。

「現代音楽」というものに馴染んでいる方は例外として。(しかし、「現代音楽」と称するものもCDショップでは「クラシック音楽」の棚に並んでいるのですが。)
私(たち)が「クラシック音楽」だ、と思っているものからは<はみ出た>音を聴いて、
「これも音楽なのか?」
と感じることができるでしょうか?

・サンプル(とは言っても、既に結構前の作品なのですが)

これが「クラシック音楽」だと即座に感じられないのだとしたら、それは何故なのでしょうか?

(以下、ちょっと古代インド哲学的な問いかけかたになりますが、ご容赦下さい。)

そもそも、私(たち、または個人)の中に、「クラシック音楽」というものは「こうあるべし」という、何らかの雛形がある(ゼキ博士『脳は美をいかに感じるか』を用いながらのフォローをお読み頂ければ幸いです。まだ序の口の部分までしか終わっていませんが、カテゴリ「心と体」で絞り込めます)のかもしれませんが、ではどういう雛形があるのか。

ならば、雛形について「分かり」さえすれば、私(たち、または個人)は、「クラシック音楽とは何か」を知ることが出来るのか?

次に、「クラシック」ではないにせよ「音楽」と感じるかどうかに分岐点があります。

「音楽」に聞こえないのだとしたら(と思って頂けるには適切なサンプルではないのですが・・・思いついた例が手元に在庫ありません)、それは私(たち、または個人)の中に、「音楽」全般というものは「こうあるべし」という、何らかの雛形があるからなのか?

「音楽」に聞こえるのだとしたら、それは私(たち、または個人)の中に、「音楽」全般というものは「こうあるべし」という、何らかの雛形があるからなのか? ないからなのか? そもそも雛形なるものが必要なのか?

それが分かれば、私(たち、または個人)は、「音楽とは何か」を知ることが出来るのか?



そもそも「音楽」とは何であるか、などという問いかけをするのは「愚人の振る舞い」でして、何であろうと感覚的に「音楽だ」と捉えられさえすれば、その定義を追い求めることは不必要なのでしょう。
ですが、私(個人)に今出来る問いかけは、そういう、無意味さに対する興味から湧き出るもののいろいろな側面に過ぎません。
いえ、何事につけ、「無意味な」問いかけを自分の内側でしてみる時間を、一日の中に1時間だけでもとってみる・・・そのことによってのみ、命を長らえている、のではなかろうか、と思っています。
最近はとくにそのようにブログ上の文が偏りがちでして、普通は検索で私のブログを(旧版を含め)読んで下さるかたの興味は、楽譜の基礎や演奏家・楽曲の分析なり感触なりを綴ったものに注がれていて、今日のこの類いの記事は、あまり読まれません。・・・「自問」だから、構わないのですが、「対話」の相手が自分自身だけになっていることには、ある種、「自分とはなにか、なにゆえに生きている意味があるのか」を突き詰め、結局は終点を見出せず、浮遊霊としての価値しかない存在になるのではないか、という危惧があります。・・・「危惧がある」ということ自体には、意識を超えた生存本能があるわけで、それだけが救いではありますが。


今日の記事を綴った、ノーベル賞のテレビニュース映像以外のもう一つの大きなきっかけは、昨日今日読みふけった本にあります。

小山登美夫「現代アートビジネス」アスキー新書061 2008年4月

小山さんは非常な実績をつまれた「モダンアート(美術品)」のギャラリストですが、8月にも新刊を出され、そちらはタイトルがそのものズバリ「その絵、いくら? 現代アートの相場がわかる 」(セオリーBOOKS) なので、モダンアートという美術品がなぜ簡単に百億円を突破するのか、そのからくりに興味を引かれた私はそちらから読もうかと思ったのですが、予算の関係で新書の方を選んだ次第です。

それでも、「音楽」を考える上で、小山さん的な発想をする人がどうして現れないのだろうか、とついつぶやいてしまったほどの感銘を受けました。・・・内容の是非論は措いて、まず、それは私のセンスからくる非理性的な感銘です。

・・・「アート」の値段のことは、さておきます。
この本に夢中になるきっかけとなった言葉は、本書の、わりと最初の方に現れます。もうひとつ大きなインパクトを感じた文も含め、今日はその2つをご紹介して、駄文を終えたいと存じます。

「新しいアートが世の中に受け入れられていく過程とは、今までまったく存在したことがないものに、どうやって価値を見いだしていくか、ということではないでしょうか。」(p.18)

「例えば『来月、パリコレがありますよ』という予告記事があっても、読者は誰も飛びつきません。知りたいのは、どのブランドがどんな服を発表し、全体としてどんなトレンドに向かっているか、その評価=判断であって、予告では意味がないのです。」(p.180)


なお、途中にサンプルとしてあげた「音楽」は、ウェーベルン『オーケストラのための6つの小品』第3曲です。(Boulez/L.S.O SONY SM3K 45 845)

・・・ちなみに、私自身は、これを「音楽」としてよりは、音で書かれた「俳句」であると受けとめています。勿論、勝手な思い込みです。演奏されなければならないのであって、「読まれるものではない」のですから。・・・が、また奇妙な問いに戻りますが、果たして、「演奏する」ということは「音楽」としての十分条件足り得るのでしょうか?

毎度、「読者は誰も飛びつ」かない文でした。


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2008年9月28日 (日)

秘すべし、秘すべし

Ohfunakanzeon今日、子供たちと「小旅行」をしました。
息子が先日テレビを見ていて、何を思ったのだかふと
「お城ってどんなところ?」
と訊くので、じゃあ、それらしい実物を見せておこう、と思い立ち、娘の息抜きも兼ねて、小田原城まで出掛けたのです。
行きのルートでは通らないのですが、帰り道の途中が大船で、ここには有名な観音様がいらっしゃいます。娘が、そこにも寄りたい、という意向でした。
息子が幼稚園から小学生低学年の頃喘息で、ある夏、白眼が真っ黒に充血するほどまでひどい咳に苦しみ、家内が別の観音様に一生懸命
「治りますように」
とお願いしたことがありました。
幸いにして、息子は大きくなるにつれて自然に喘息が治り、家内は
「いつか観音様へお礼に行かなくちゃね」
と言い続けていました。
が、自分自身が、思いがけず心臓の急な病であっけなく死んでしまい、とうとう生前にお礼を果たすことが出来ませんでした。
その「代わり」の意味も込めて、大船観音様に「お礼をあのときの観音様にも伝えて下さいますように」
と、お参りしておくのも悪くないな、ということで、小田原城址を見物したあと、大船観音へも寄りました。備え付けのノートがありましたので、「お礼」の件を書きとめて来ました。

そんな合間に、息子が素朴な疑問を投げかけて来ました。
「観音様の中にいっぱい願い事やお礼が書かれている、っていうのは、みんなに知らせたいからでもあるのかな?」
「いや・・・」
私は、ちょっと返答に困りました。
「ここの観音様はね、大きな戦争のあとで、みんなが平和を願っているんだ、ってことをみんなが知っている必要があったから、それを誰でも分かるようにしておくようにしたんじゃないかな」
「なるほどねぇ」
「でもね、ずっと昔だと、中に<うちのおかあさんが天国(仏教では正しくは極楽なんですけれどね、天国と極楽の区別は、今の子供たちにはないでしょう)に行けますように>って書いて仏像の中にしまって、あとは誰にも見られないようにしていたんだ。願いがちゃんと叶うには、他の誰かが知ってしまうようじゃいけない。かなえて下さる仏様だけが知っていて下さればいい。誰でも知ってしまったりすると、<なんだ、あいつんちのかあちゃんなんか、天国に行けるわけがないじゃないか>って、軽蔑したりして邪魔することがあるからね。」
「ふうん。でも、ボクの咳は治ったから、みんなが知っててもいいんだね」
「まあ、そういうことかな・・・」

話しながら、少々戸惑いましたが。



平安・鎌倉期はもちろん、江戸期に至っても、父母や祖先の往生を願う願文が仏像にしまい込まれていて、近年レントゲン調査されるまで分からなかった、という事例は枚挙にいとまがないほど判明しています。ですが、それを私たちが現代の技術で知ってしまったことが、果たして本当に良かったのかどうか、は分かりません。仏の像に「思い」を込めた、その心の深さを察することは出来ますが、「理解する」ことは、おそらく本人ではない以上、出来ないのではないか、と感じなくもないからです。

仏像の例はともかくとして、日本の平安期の歌論書などでも
「相構へ他見に及ぶべからず候」(藤原定家「毎月抄」)
などと末尾に記すことが当たり前のように行なわれていました。
老舗の味に秘伝あり、という方がもっと知られているでしょう。これは出汁などの調合を秘密にしておくことで自分のところの評判が続き、利潤がもたらされ続けるように、との、特許がない時代の「商業主義的な:発想だ、と解釈されているのではないかと感じるのですが、それは、たとえこのような商家の「秘伝」であっても、「秘伝」であることの本質には迫っていないのではないかと思います。

では、秘伝の本質とは何か、ということを分かり易く示してくれる言葉が、世阿弥の『風姿花伝』中の第七「別紙口伝」最末尾にあります。

「この別紙の条々、先年弟伝四郎相伝するといへども、元次(世阿弥の長子元雅の初名か)、芸能感人たるによて、これをまた伝ふるところなり。これを秘し伝ふ。」

すなわち、「秘する」のは、この場合、芸の本質を弁えた者でなければ本質を継ぐことは出来ない、という、切実な思いからもたらされているのが明らかなのです。



J.S.バッハが、父の死後面倒を見てくれた長兄の「秘して」いた楽譜を半年かけてこっそり筆写し、バレてさんざん叱られた上に筆写した稿も没収されたエピソードは有名です。
兄からすれば、まだ「本質」を理解しているはずもない幼い弟(10歳から15歳の間の時期です)が秘伝を「盗む」などもってのほかだ、と考えたのでしょうか。
だとすれば、西欧に於いても、日本と共通する「秘伝」意識・・・本質を感得するまでは「本質を記述したもの」に触れてはいけない、本質を悟れない者には「秘伝」を継承する権利がない、という発想が色濃くあったのではないかと推測されます。中でもドイツはマイスター制度が今も生きているほどの土地柄です。「本質」を大切にする姿勢というのは、他所のどこよりも強固に保持されているのではないかという気がします。

私もこの場でやりがちですが、「分析・分析!」と夢中になることが本質に迫れない以上は、やはり誰も、ファウストの最初の嘆きから逃れることは出来ないのではないでしょうか?

ところが、J.S.バッハの場合は、「本質」を感得する天性があったのでしょう、やがて本格的に修行に入ると、ものすごい勢いで、ドイツ音楽の核心を貪欲に吸収して行きます。
その中での最初期の作品が、有名な「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」だったりするわけですが、このモデルとなったとされるブクステフーデのホンの短い作品の方をお聴き頂き、バッハが如何に本質を盗み取ることにたけていたかに、今回は思いを馳せて頂ければ幸いに存じます。

・ブクステフーデ「パッサカリア ニ短調」BuxWV 161

Capriccio Stravagante, Skip Sempe deutshe harmonia mundi 88697 28122/15


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2008年9月17日 (水)

「クオリア」は感性の究極ではない、という疑問

さて、また「不毛な」との印象をお受けになるかも知れないことを綴ります。
・・・あまり長くは綴りません。
・・・ただ、少し長く、音楽をお聴きになってみて頂きたいと思っております。
・・・ですので、お時間は取らせてしまうことになります。



ラ・フォル・ジュルネが看板にした「クオリア」が・・・別にさほど世間に浸透しているとまでは思っていないのですが・・・どんな概念なのかは、先に「地平線のクオリア」の記事で触れました。

そこに3人のかたの著述に現れる「クオリア」の定義を列挙しておきました。

再度見ておきますと、
・『クオリア』とは、私たちの感覚を特徴づける独特の質感(茂木健一郎氏)
・クオリアとは、意識の質感のことだ(前野隆司氏)
・クオリアは脳の不自由な活動の結果(池谷裕二氏)
このうち、純粋に「脳の生理」からの「クオリア」のみに言及するにとどまっている池谷氏を除くお二人は、「クオリア(質感)」を哲学用語として捉える、という飛躍を一気にしてしまっています。

茂木氏は経験の累積による創造的なはたらきの源泉として、前野氏はたとえ錯覚であるとしても人間が人間を自覚する先験的な観念として・・・実験まで援用しながら述べています。
このように、一方では「哲学用語」だ、従ってそれがどのような立場で論じられ、とくに前野氏は「しかも形而上に属するものである以上、矛盾する見解があっても別におかしくはない」とまで言っていますし、かたや茂木氏は形而上というよりは経験主義的な観念としてクオリア論(論と言い得るのであれば、ですが)を展開している。

ところが、上記のように言っておきながら、「クオリア」の説明にあたって数々の実験を援用しているところに、私の素朴な疑問があるのです。

はたして、「クオリア」というのは、さほどまでに「重い」・「意義深い」・「観念あるいは哲学用語と呼ぶに値する」ことばなのでしょうか?
それは、「クオリア」という語を述べる人の自己満足にすぎず、仮に哲学用語に値する術語だとしても、哲学ほどまでに充分<抽象化>されること、論理で評価されることがが可能なことばなのでしょうか?

すなわち、そもそも「質感」をしか意味しなかった「クオリア」は、「質感」すなわち触れたり見えたり感じたりすること、を超える意味まで付与されるに足る<究極>だったり、<出発点>だったり、と言ってしまってよいのでしょうか? そうであれば、そのものだけで論じればいいことであって、実験を援用する必要はないはずです。



茂木氏がたとえ宣伝のために偽りに標榜したのであったとしても(そうではない、と信じますが)、音楽の「クオリア(質感)」というものが存在するのは、生理的には確かに事実でしょう。
ところが、それは、「音楽」というもの全てに共通する「音」というものに、完全に集約しきれるものではなさそうです。

これまで掲載した、さまざまな民族の音楽、あるいは西欧に限っても違う時代の音楽を、再度、数例お聴きになってみて下さい。(一度にお聴きになるにはかなりの時間を要しますので、ご留意下さい。)

・Dastgah segah(ペルシャ)4分

nonesuch WPCS-10725

・長慶子(日本雅楽:源博雅作)3分

・サンワ・デュバ(チベット密教の教典)4分

・ラーガ・ムールタニとターラ・チャウタールによるドゥルバド抄(インド)5分

 JVC「世界音楽紀行:南アジアの旅」VICG-60575

・パレスチナの歌(ヴァルター・フォン・デル・フォーゲルワイデ1170-1230)3分

・ヨルバ族「たくさんの仮面」(西アフリカ)3分

KING RECORDS KICC 5743

・「飾り歌(Plaque Song)」(中南米インディオ:ホピ族)3分

・モルダウ(フリッチャイ/ベルリンフィル)11分

Deutsche Gramophone 463 650-2


「モルダウ」以外は時代に幅はあるものの、だいたい中世(10世紀前後)には存在したであろう響きです。地球上の場所が違えば、一口に「音楽」と呼んでいるものが、これほどまでにちがう。 それぞれについての「クオリア(質感)」は、受けとめる国によってかなり異なる(掲載していませんが、ヨーロッパ人が「明解」と信じていたモーツァルトの音楽を聴いたアフリカの人は「これはむずかしい」と言った、という有名なエピソードがあります)という点で、手に直接触れ得る固体や液体とは様相を異にします。たとえば、ロウは、どこの国の人にとっても、手触りはつるつるしたものでしょう。ですが、音楽についていえば、「モルダウ」を「滑らかな」、あるいは「激しい」質だと思うかどうかは、接する人の国、あるいは同じ国内でも育った環境などで大きく違うことが予測されます。(なお、川の流れを描いた名曲には・・・タイトルは川に関係しませんが、セーヌ川を描いている・・・ドビュッシーの「雲」もありますし、日本の三味線音楽にもありますが、どちらにしても「モルダウ」とは非常に趣きが違います。)

つまり、「クオリア」というものは「脳」の働きを考える上では、せいぜい池谷氏が現象面に注目して定義を述べている以上のものには発展しようがない。

意識=心=脳の働きの一現象

という等式が成り立つのかどうかは、分かりません。肯定する材料も否定する材料も、いまのところ、私は客観的には手元に持っていません。

ですから、仮に上の等式が成り立つものとして、まず手始めに音楽は脳にどう働きかけるか、を考えてみたいのですが(そして当面は、この話は<ビジネス>としての音楽へと話を戻しておかなければなりませんので、そこまでにとどめてもおきたいのですが)、聴覚脳と音楽の関連性を述べた書には巡り会っていません。

そこで、先に作曲家江村啓二氏が茂木氏との対談で述べていたことハンスリックの言を参考に、あるいは実作品を援用しながら、視覚脳と美術の関連を考察したセミール・ゼキ『脳は美をいかに感じるか』(日本経済新聞社2002年)をヒントに、少し観察して行きたいと思っております。(民族差にまでは踏み込めないのが遺憾ですが、自分が考察して行く上では、枠が広がりすぎては話が深まらないでしょうから、やむなしとします。)

視覚と聴覚を等価に考察することは出来ないかもしれませんが、ゼキ氏の著作は「質感」なるものを前提に据えず、視覚脳の原点から綴り始めており、「クオリア」を前提にした議論よりは事象を素直に観察していますから、その大きな「実り」のささやかな一部だけでも、なんとか私も手にしてみたい、と祈りつつ、本日はここまでと致します。


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2008年8月26日 (火)

フリー・ワーキングプア・ニート・音楽屋

最初にお断わりしておかなければならないのは、2点。

ひとつめは、これはいわゆる「プロ」の方には非常に不愉快で、誤解に満ちた文だと思われることでしょう。しかし、綴っている私には悪意はありませんし、まして、「プロ」さんを貶めたいなどという意図もありません。
私自身が、娘には、音楽専門の学校に進むことを認めたくらいですから。
従って、私にとっては、この文は私の娘の将来を考えるうえでの真剣な問いかけでもあります。
まして、息子の方は・・・まだ針路を見極められる年令ではないものの、音楽関係と似たようなリスクを抱える映画関係の専門に憧れているのです。・・・そして、結果的にそれを選択するようでしたら、私は許そうと思っております。

ふたつめは、「音楽屋」という用語を使う理由についてです。
たいしたものではありません。
日本の名指揮者だった故・山田一雄さんは、私たちアマチュアの下っ端をお茶のみに連れて行って下さった際、
「オレたちゃ<楽隊屋>はなあ、他には何にも出来ねえからなあ。君たちゃいろんなことを勉強しなくちゃあいけねえよ」
と仰っていました。
その<楽隊屋>という言葉には、私は「卑下」は無かったと思っております。むしろ、そこには「職人」としての誇りを感じました。・・・高止まりでいてはホンモノなんか出来やしないさ、という、強い意志があったものと思います。
で、「楽隊」ではグループ活動をする場合に話を限定しなくてはならなくなりませんから、ここは「音楽」に入れ替えさせて頂きました。・・・ただし、今回は「個人」の「音楽屋」を取り上げるので精一杯になると思います。
「屋」という語尾は、職業としてそれ(音楽)を行なうことを指します。以下、この職業に付きまとう「家」という字は、すべて「屋」に置き換えます。



さて、「音楽屋」というのは、どういう範疇のご商売をなさる方を含むでしょう?・・・レコードのプロデュースとかプロモートをする人は、除外して考えます。
すると、大雑把には3つかな、と思います。

・作曲屋〜曲を作る
・演奏屋〜演奏をする
・教育屋〜音楽についての決まりごとを人に教える

問題は、「屋」とつくからには、それは職業として安定的に成り立つような錯覚を私たちが抱きやすいというところがひとつ、さらに、この三つがそれぞれ区分された職業であるというふうに捉えやすいと言うところがもうひとつ、でしょうか。
後者のほうが簡単に片付きますので(本来はそうではないのかもしれませんが、言い切ってしまいましょう)、現実には、まず「音楽」を扱うということの中に、「曲を作る」ことも、「演奏する」ということも、「決まりごとを教える」ということも、渾然一体としているのは自明だ、と断定してしまいましょう。昨日その演奏例を掲載したディヌ・リパッティにしても、本来は「作曲屋」になることを夢見ていた、との話もあります。リパッティに限らず、有名「演奏屋」にはそういうエピソードを持つ人が多い。幸運なことに、「作曲屋」としても「演奏屋」としても認知されたバーンスタインのような人物もいますけれど、彼自身は、かならずしも「作曲屋」としての自分が「作曲屋」として報いられたとは思っていなかったそうです。

で、大多数の「音楽屋」は、三つの種別のうちのどれに自分をあてはめるか、ということから出発するのが、現代の実情ではないかと思われます。



ところで、種別が決まったとして、それが「安定した収入」をもたらす職業足りえているか、というところが「音楽屋」の、長い歴史的な悩みのタネです。
ヨーロッパで言えば、貴族社会が保持されているあいだは、貴族社会に(言葉は悪いですけれど)信頼され、寄生することが可能な限りは、「音楽屋」は「作曲屋兼演奏屋兼教育屋」という複合的なかたちでの身分が保証され、保証される範囲においての定収を得ることが出来ました。あるいは、自治権のある都市においては、市の為政者が貴族に代わりましたし、全ヨーロッパに革命が広がった後には為政者の役割が大きくなり、この二百年で選別の方法は変わったとはいえ、定収を得るには為政者の信頼を得るか、制度的に設けられた関門を突破する(この際、やはり経済的なバックアップをも同時に得られることが条件にはなります)ことによって、定収への道がひらける、というヴィジョンは、特段変化したわけではない、と、私は思っております。

では・・・定収が得られない「音楽屋」はどうなるか?

次善の策は、学校(初等・中等)教育という制度の中に組み込まれた「教育屋」になることです。私の亡妻もそうでした。ですが、学校に常勤で雇用される音楽の「教育屋」は、少なくとも日本では、どうも「音楽屋」としての存在価値は認められていないようです。

「音楽屋」としての存在価値が認められる「作曲屋」・「演奏屋」さんたちは、では、どのようにして収入を得るのでしょうか?

言ってみれば、「フリーター」です。
入ってくる仕事は、とにかく受ける。現場に行ってみる。そこにはすでに「安定した収入」を確保した「音楽屋」が、上位面して存在する。そのご機嫌を損ねてしまっては、次の仕事が来るかどうかわからない。ですから、自分の音楽に対する価値観はさておいてでも、上位面の「音楽屋」さんには気に入られなければならない。可能ならば、作った曲の質のよさ、演奏の腕のよさを充分に認めてもらい、とにかく自分と言う人格を気に入ってもらって、「安定した収入」への階段を、一段でも多く上っておきたい。。。
けれども、そこまでの幸運に預かれるかどうかは運次第です。幸運に恵まれるまで、「音楽屋」は入ってくる仕事に対してがむしゃらに向かっていかなければならない。1作・1回あたりの報酬は、しかし、大抵の場合、スズメの涙です。締め切りや本番までの練習回数だけは厳密に決められているけれど、報酬については最低額の保証もない。「音楽屋」には「大会社」への就職のあてはもちろん、派遣会社というクッションさえ存在しない。あるのは「縁」という不確実なつながりだけです。
「はたらけどはたらけど・・・」という啄木の句が、これほど似合う「職業」は、他にはどれくらいあるでしょう?・・・私の息子が憧れる映画界もそうかもしれません。創作に関わる全ての職業が同様でしょう。俳優、またしかり、です。

そうでなくても世の中の雇用情勢は変化してきています。
これは主観ですが、フリーターは悪の権化、みたいな価値観が、巷には蔓延している。
ですが、一般企業でも、大小を問わず、新卒のストレートな就職はますます狭き門ですし、入社できたから幸せか、というと、不景気の波を否応無く被ることになり、恵まれていてもサービス残業はあたりまえ、中小企業ともなるとボーナスも出ない(企業側も苦しい)という世の中です。とくに、サービス業関連は、私の若い頃は「夜」のものでなければ正社員の方が多い、というケースも半数以上はあったかと記憶していますけれど、今ではアルバイト待遇での雇用が常識化している。すなわち、そこでの雇用が保証されないから、収入が保証されないから、フリーターになっていく。と同時に、ワーキングプアともなっていく。

さらに、ここのところ人の口の端に当たり前にのぼるようになったのが、「ニート」という用語です。・・・この用語がクセモノであるのは、「ニート=ひきこもり」という図式が、日本ではほぼ定着してしまっているところにあります。さらに、この等式とは本来まったく別である「ニート=就労意欲が無い」という等式が、並立させられています。
「ひきこもり」は、「就労意欲が無い」ということとは、必ずしも重複しません。
働きたくても認知されない・・・認知されなければ、どうして社会に飛び込むことが出来るでしょうか?かつ、社会に飛び込めない、ということは「ひきこもり」ではありません。認知され、飛び込むチャンスさえあれば、そこへはかならず飛び込んでいくのです。
「ニート」という、非常に誤解を生みやすい言葉については、ここでは本質までを言い尽くすことが出来ませんから、本田・内藤・後藤著「ニートって言うな」をご一読いただければと思います。ここでは、これまでにします。



「音楽屋」に話を戻します。・・・ちょっと、妙な戻り方をします。

「音楽屋」は、そうなる、と決意したその瞬間に、フリーターとなり、ワーキングプアとなり、仕事がこない日々がやってくれば「いわゆる今世間でそう決め付けているニート」となる運命を背負うのです。

そんな職業に就くことを平気で認める親がどこにいるか?
・・・はい、ここに、一人おります。
じゃあ、自分の子供がこんなに経済的に不幸になる確率の高い職業を選ぶことを、何故認め、許すのか? 経済的にバックアップしてやれるのか?
・・・いいえ、まったく出来ません。

「無責任極まりないではないか!」

いえ、認めたのですから、責任重大です。

経済的にどんなに苦しい状況におかれても辛抱できる、そんな精神力を自分で身に付ける人間に、私は私の子供達を育てなければならない。

そんな思いの親がいるときに、世に溢れる「音楽屋」さんたちは、果たしてご自身が「音楽屋」であることについて、どれだけの見本となってくれるでしょう?

どなたもが
「私たちは、形として残ったり、直接におなかを満たしてやれたりするわけではないけれど、人の心にかけがえの無いうるおいを、優しさを、力を与えてあげる職業についているんだ」
そんな誇りさえ持っていて下されば。
そして、これからおなじ「音楽屋」を目指す若い世代が、それを確実に受け継げさえすれば。

私は、胸を張って、
「この子達は這ってでも生きていける。何故なら、誰よりも<生きる>ということの根っこを、しっかり知ることのできる職業についているのだから」
と、我が子を世に送り出すことが出来ると信じております。

ブログの趣旨ですから、政治的なことには直接触れませんが、ひいてはそうした「誇り」が、健全に世に満ちることが、もしかしたら、激変しつつありながらもいまだに正体を完全にあらわさない<経済地盤メカニズムの転換>の上に立って苦闘している、たくさんの若い人たちに、大きな希望と指針を与えることが可能なおではなかろうか、とさえ思っております。
なぜなら、「音楽屋」ほど、フリーターあるいはワーキングプアとしての長い歴史を誇る職業は、他には無いからです。これは、決して皮肉ではありません。知り尽くしているからこそ、「いざとなったら」のノウハウを豊富に持っているはずだし、そうでなければ本物ではなかろう、ということです。



組織体としての「音楽屋集団」、ヤマカズさん言うところの「楽隊屋」については、このことを踏まえて、別途考えてみたいと思っております。

とんだ暴言でした。

なお、フリーということについては、良書があり、別立てのブログで簡単なご紹介をしておりますので、こちらにリンクしておきます。この本も、ご一読をお勧めいたします。



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2008年7月27日 (日)

私たちは「多面体」である

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私の所属します東京ムジークフローの第45回定期演奏会の演奏をアップしました。忌憚なくご批評頂き、少しでもよい演奏をするヒントを頂ければ幸いに存じます。
昨日の延長として綴ります。ただ、主題の素材を非常に単純化して綴りますので、お分かりになりにくい点があるかもしれません。あらかじめご容赦を乞います。

ものを「作り出した」人は、それを自らの意志に関わらず公表したりされたりした場合には、「外からの目」に「評価」を受けることになります。
ですが、では、「作り出した」本人だけが「作り出した」対象についての変化に富んだ「評価」を甘んじて受けなければならないのでしょうか?
「評価」する方も、人なのです。ということは、「作り出された」ものを外からの目で「評価」する場合には、その「評価」とは、「作り出した」人に対する賞賛や批判を、「作り出されたもの」に対する付加価値として、新たに「作り出した」人、になるのです。

すなわち、まず、出発点となる作り手Aさんについて
・「作り出す」->「公表する」->「評価を受ける」->「評価に一喜一憂する」
という流れがあるとすると、「公表」以降については、享受者であるBさんについて
・「公表された<作り出されたもの>を受けとめる」->「それを評価する」->「評価を公表する」
  ->「作り手を一喜一憂させる」
なる、別の創造行為が発生し、Bさんはそれに対して「作り手」としての責任を負うことになる。

私たちは、往々にして、こうした「創造」の循環に対し非自覚的であり、自己責任を無意識に回避しがちです。



いま、音楽史を追いかけてみていて、そろそろヨーロッパの「ルネサンス期と呼ばれた時代」を抜け出して他の地域に目を向けたいのですが、まだ数回かかりそうです。
打ち明けますと、次の素材としてあたっているのはイギリス(この名称は厳密さに欠けるのですが、そこに深入りはせずにおきます)とフランスなのですが、調べている過程で、初めてこんなものを耳にしました。

・ヘンリー8世作「コンソート第19番」及びジョン・ボールドウィン「カッコウ」

 ブリュッヘン/ブッケ/ハウヴェ deutsche harmonia mundi BVCD-38184
 (録音上区分されていないので一体で掲載しました。)

ヘンリー8世といえば、カトリックに反発してイギリス国教会を樹立し、妻を6人交換し(うち1人は生前死別、2人離婚、2人は処刑)、「ユートピア」の著者として、また人格者としても著名だったトマス・モアをも刑死させた、アクの強い人物として有名ですが、彼が音楽にも造詣が深かったことも知る人ぞ知るです。・・・しかし、彼が実際どんな音楽を創作していたのか、は、私は耳にしたことがありませんでした。
初めて聞いたその響きが、あまりに美しいので、呆然としてしまった次第です。

権力者であったが故に勝手放題も許され、人のいのちも軽んじることが出来た、という点では、特例的な存在として考える以外ありませんが、ヘンリー8世の作った<純な>調べを聴く時、つくづく、
「人間というのは、本来、多面体だ」
と思わざるを得ませんでした。



人間であるかぎり、私たちの一人一人が多面体です。
ですが、まず、自分自身がそのような多面体であることを、自分という存在はなかなか意識出来ません。「作り出し、公表する」喜びを知る人は、反面しばしば繊細で、それが受ける「評価」が多様であればあるほど、戸惑います。・・・自分自身が多面体であることも、「評価」する側も実は自分と同じ多面体であるということも、なかなかに納得出来ないからでしょう。
ですが、「評価」が多様であればあるほど、自分というものが、いかに簡単には見破られないほどの豊かな数の「面」を持っているか、に喜びを見いだしても良い。それは、多様に評価される人の特権です。このことを考えながら思い出すのは、「交響曲」の初演が不評でお客がすっかり帰った後にも、ステージに一人残って
「ああ、私の交響曲は素晴らしかった」
と静かにつぶやいた、フランスの作曲家、セザール・フランクです。


一方で。「評価する」側が、「評価する」対象の、実は一側面だけしかクローズアップ出来ずに「評価する」行為を行なっていることに、しばしば無自覚であることには、危惧を覚えます。

話が逸れると受けとられてしまわれるかもしれませんが、ある大学で教鞭をとられていらっしゃるかたが、最近の「奇妙な無差別殺人の横行」に対する「報道の姿勢」の<狭い視野>を、深い憂いをもって捉えていらっしゃいました。私はその憂いに心から賛同します。

「記事を書いている記者が,その事件の背景をよく調べていない上,事件に対する記者自身の意見・考えが整理されておらず,ただわかった事実(だといいけど)をたれ流しているだけのような気がするからなんです. 『子供のお使い』的な印象があるのです. だからどうなんだ?だから,どうあるべきなんだという,想いが記事から全く伝わらないのですね. ジャーナリストを称するに値しないです.」
「そして,さらにこちらの神経を逆撫でするようなことをする. 例えば,一連の無差別殺人事件で,東京のえらそうな大学の先生にインタビューして,『社会に問題があるんですよ』とかいうことを平気で言わせる. あほか,社会は関係ないだろ. 社会じゃなくて,犯人自身に問題があるんですよ. だから,犯人を逮捕して,裁判にかけるわけでしょ. こんな大学教授のコメントを,被害者の家族が見たら,どう思うでしょうか? 『自分の息子(娘)は,社会に殺された』なんて,思えますか? たとえ,いじめにあっても,貧しくても,家庭に問題があっても,皆ぐっとこらえて,頑張って勉強して学校出て,少ない給料で頑張って仕事してるわけですよ. 皆,そうやって社会人やってるわけですよ. そういう人が支えている社会を,まるで殺人者のように言う大学教授も大学教授だけど,それを識者の代表意見のように放送するマスコミの無神経さに我慢がならないのです.

こうした報道姿勢が、この国ではいまや「準国営放送」とでも言えるはずの機関までもが平気でやっている。・・・そんなふうな報道をしなさい、という思想統制でも、陰でなされているんでしょうか?



繰り返しになりますが、ヘンリー8世の例を待つまでもなく、私たち一人一人は、自分自身さえも見据えきれないほどの多面体なのです。

「評価」・・・報道はそれが往々にして無責任になれる一つの典型かと思われますが・・・とくに一面だけをクローズアップする歪んだ「評価」は、「評価」本来が持つであろうはずの「創造の循環」の役割を、自覚しなおさなければなりません。

私たちの「再生」は、それが実現して初めて、かなうことなのではなかろうか、と感じる今日この頃です。

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2008年7月25日 (金)

利用されてきたベートーヴェン?

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私の所属します東京ムジークフローの第45回定期演奏会の演奏をアップしました。忌憚なくご批評頂き、少しでもよい演奏をするヒントを頂ければ幸いに存じます。
「帝国のオーケストラ」を見た後、「フルトヴェングラーの手紙」を読み返すこととは全く別に、強く印象付けられたことがありました。 本日は、その主観的な感慨を綴ってお茶を濁します。 (他の準備が整っておりませんので。)
「帝国のオーケストラ」の冒頭は、不安げに静止した音と共に始まります。 「これ、一体なんの音だ? 高さは・・・Cか?」 ・・・ドキドキしてその正体が現れるのを待っていると、これがなんと、ベートーヴェンの第5の、第三楽章から第四楽章へのつなぎの部分だということが分かります。ヴァイオリンが動き出すことで分かるのです。・・・それまでの間、本当は運命の動機を叩きつづけているはずのティンパニを、おそらくわざと絞って、聞こえないようにしておく。

そうか、「第5」のこの部分は、こんなに<不安>な音楽なのか、ということを、久しぶりに思い知らされました。ずっと聞きなれてしまっていたために、この部分だけ採り上げられたときの、この部分に込められた「音楽の意味」を、平気で忘れ去っていたのですね。

ナチがワーグナーの音楽を大々的に活用したのは周知の事実です。ワーグナーの音楽には、一種の催眠効果があるからでしょう。かつ、ワーグナーが反ユダヤ感情を持っていたこともよく知られていますから、ナチにはワーグナーを利用する上で、そのことも好都合でもあったわけです。

・・・ですが、「帝国のオーケストラ」に登場するワーグナーの作品は、「マイスタージンガー」前奏曲だけです。

他はR.シュトラウスの「ティル」を除けば、大きくクローズアップされるのはベートーヴェンの交響曲ばかりです。
それも、<第九>、<第五>、<エロイカ>に限られている(空襲で廃墟になったベルリンを映し出すときに第七の第2楽章が少し流れますが)というのは、非常に象徴的であるという印象を受けました。
とくに、<第九>の登場が最も多い。



生前のベートーヴェンが、まだ「第九」の作曲前にインタヴューを受けて
「あなたの最高傑作は<第五>だと思っていらっしゃいますか?」
「否、否、エロイカ!」
と即答した話を伝記で読んだ記憶があります。たしか、有名なエピソードでしたね。
ですから、彼の在世中は、<エロイカ>と<第五>が、聴衆にも結構知られていた上に、敬意も持たれていた事が分かります。ただ、どんな意味合いでこれらが聴衆にアピールしていたのかまでは分かりません。
ベートーヴェンの政治的価値観から(それのみから、とは思いませんが)生まれたことが明らかなのは<エロイカ>で、これが当初ナポレオンに献呈されるはずだった、という話も、よく知られています。ですが、<エロイカ>の仮初演の聴き手はロプコヴィッツ伯などの貴族層であって、必ずしもフランス革命に共鳴していたとは限らないはずです。なるほど、啓蒙思想かぶれの上流階級層が多かったことは間違いありません。

<第五>の方になると、その初演時、指揮に夢中になったベートーヴェンが、譜面を照らすために彼の脇に燭台を持って立っていた少年をぶっとばしてしまった、という笑い話しか残っていない。どういう点が当時の聴衆に好まれたのかは、具体的な同年代の話としては、何もないのでしたよね。

ベートーヴェンの生前に「政治的」に利用された・・・とまでは言わないまでも、政治的意味合いを持って演奏された交響曲は、「戦争交響曲(ウェリントンの勝利)」と同日に初演された<第七>くらいではないかと思います。それも、聴衆にとってみれば「戦争交響曲」の添え物的扱いで、<第七>そのものに「政治的」意味合いが見出されたわけではなかったと記憶しています。

<第九>に至っては、初演当日は盛況だったものの、翌日からはお客も激減、興行的には失敗作でした。
そんな<第九>に、初めて本当の光を当てたのは、フランス人たち・・・嚆矢はアブネックでした。
ずっと後年になりますが、ロマン・ロランが、この作品については単独の著作(「第九交響曲」みすず書房、絶版)を著しています。・・・この著作、併せて「ベートーヴェンの生涯」で、ロマン・ロランが、ベートーヴェンを最終的に「自由の象徴者」にまで昇華させたのでした。20世紀中ののベートーヴェンおよび<第九>の「社会的位置付け」を決定付けたのは、このフランスの作家だったことは、知っておかなければならないでしょう。

フランスで高く評価されることになった<第九>に目をつけたのがワーグナーだった、と、歴史を誤認していなければ、私の記憶ではそんな具合です。ただし、ワーグナーが<第九>に見出した価値は、ロマン・ロランのものとは違いました。「革命への意思」とでもいうものを、これは私の独断ですが、ワーグナーは自分の中の夢想と一緒くたに重ね合わせてしまったのではないかと感じられてなりません。

このワーグナーの<第九>評価が、ワーグナー家と親しく出入りすることになったヒトラーの「価値観」にもなってしまったのではないでしょうか? ヒトラーのしたことも、現象としては一種の「革命」であったのは間違いありませんから。・・・ただ、そこには「自由」という概念が欠如していました。ワーグナーの革命思想にも、突き詰めて観察すると、同傾向の欠如が認められます。



ハーケンクロイツを両脇に飾ったステージでフルトヴェングラーが<第九>を真剣に振っている映像は、ある種の強い衝撃を受けぬままにみることが出来ません。
それというのも、ベルリン陥落以前に限らず、ナチ時代にフルトヴェングラーが演奏した<第九>は比較的多くの録音が残されているうえに、録音だけを聴いていると「ハーケンクロイツ」がそこにダブることはありませんから、
「名演だ!」
のひとことで片付けてしまうことになります。
映像で見てしまうと・・・そこには、フルトヴェングラーが自身の書簡の中で(第九に特定しているわけではありませんが)再三述べている、「音楽と政治はまったく別のものだ」という見解は、「まったく記録されていない」ことに、あらためて深く溜息をつくほかありません。

第二次大戦後の、フルトヴェングラー指揮による<第九>もまた、決して少なくない数の演奏の記録、録音が存在します。しかし、少なくとも、手軽にみることの出来る映像はありません。

「帝国のオーケストラ」は、そんなフルトヴェングラーの、真の鎮魂のためにも、是非耳を傾けるべき証言に溢れています。
「音楽と政治はまったく別のものだ」
そうした信念が、ハーケンクロイツの前で演奏せざるを得なかった音楽家達に共通のものであったことを、私たちは是非知っておく必要があると感じております。

その後、「ベルリンの壁」崩壊時にも、チェコのソ連からの自立達成時にも、<第九>は、やはりある種の政治的意味合いを持たされて演奏された、と捉えてよいと思います。

それが、本当に感動的な演奏だった、と・・・興奮が冷めた今も信じていて良いのでしょうか?

私は、どうも、何か違うんじゃないか、という気がし始めてきました。

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2008年7月23日 (水)

第三帝国のオーケストラ

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私の所属します東京ムジークフローの第45回定期演奏会の演奏をアップしました。忌憚なくご批評頂き、少しでもよい演奏をするヒントを頂ければ幸いに存じます。
昨日ご紹介の「前置き」を綴った、実際に「見て頂けたらいいな」と思っているDVDです。 ただ、どうも品薄のようで、私がネットで購入した際、一度「品切れ」通知が来て、キャンセル直前に「ありました」通知が来ました。以下のご紹介によって興味をお持ち頂いたら、店頭などで見つけた際には是非、即、ご入手のご決断を!
41n66ff11pl_sl160_aa115_正式のタイトルをきちんと訳すと、

帝国のオーケストラ(第三帝国とベルリンフィル)>

というものです。

1933年から1947年にかけての、ナチスとベルリンフィルの間の、また、ナチス敗北後の占領軍との、秘められた苦闘が物語られたドキュメント映像です。

インタヴューを中心とした構成ですので、演奏そのものにしか興味がない、というかたには用がない代物かも知れません。
ただ、そういうかたにも瞥見していただく価値のある映像が、いくつかちりばめられていますので、そちらを先に、順不同で挙げてみましょう。(有名指揮者に限ります。ただし、ここに挙げないヘボ指揮者のものでも、そんな棒の下でベルリンフィルがきっちりした演奏をしている、ということも見落とさない方が良いかも知れません。)

・フルトヴェングラー指揮による第九終楽章最終部(1937、1944)
・フルトヴェングラー指揮、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲(某工場での演奏)
・フルトヴェングラー指揮、「ティル・オイレンシュピーゲル」一部(1950)
  〜全曲演奏の映像が残っているものの一部です。
・クナッパーツブッシュ指揮、ベートーヴェン第5第2楽章一部(アラゴンにて。音は後でつけたもの?)
・クナッパーツブッシュ指揮、「エロイカ」終楽章後半
・クレメンス・クラウス指揮、「未完成」一部(ただし、状況の悪い映像です。ベルリンではないようです。)
・ジョルジェス指揮、「ティル・オイレンシュピーゲル」リハーサル風景一部
  (ルーマニアの指揮者だそうですが、この指揮者の詳細については知りません。
   やり手だったように見えます。)
・R.シュトラウス自身の指揮?:ベルリンオリンピックでの「オリンピック賛歌」一部
・チェリビダッケ指揮、「エグモント」序曲の一部

フルトヴェングラーの「ティル」、クナッパーツブッシュの「エロイカ」、チェリビダッケの「エグモント」の映像は、他に出ているDVDでも見ることが出来るものですが、現在ではそれらのディスクは手に入りにくいので、未見でしたら「帝国のオーケストラ」で是非ご覧下さい。

なお、集められたフルトヴェングラーの指揮ぶりを見ていると、過去に「フルトメンクラウ(降り方が分かりにくかったとされる近衛秀麿氏に付けられた渾名ですが、フルトヴェングラーの棒の先が震えて楽員には分かりにくかった、とのエピソードが流布していたことに由来します)」などという言葉を生んだのとは裏腹に、思いがけないほど拍節感を明確に振っていることが分かります。・・・ついでながら、近衛さんの棒も、決して分かりにくいものではありません。



第三帝国のオーケストラではなかった、と、ナチ時代の記憶を強烈に持ちつづけているベルリンフィルのOBたち、その家族達は、今も確信しています。
それを実証するために、ドキュメントの中の登場人物は、信念を持って証言しつづけます。

これが、かいつまんでしまえば、このドキュメンタリーの全てです。

話は1934年の、ユダヤ人メンバーの自主あるいは強制退団から始まります。
いったいなにが、自分の傍で起こったのか?

若いコンサートマスターだったセバスチャン氏の証言は、それについての自問から始まります。
人数は決して多くはなかったものの、尊敬し、目標としたシモン・ゴールトベルクをはじめとする貴重な人たちが、「人種」故に、「アーリア人ではない」故に、もっと突き詰めれば「ユダヤ人」であるが故に、身に迫った「自分自身と家族の投獄」から逃れるため、ポツリ、ポツリと姿を消していく。
代わりに、団内には純正なナチス党員も5,6名現れる。そして、他の団員の行動に目を光らせる。
「セバスチャン君、さっき君と歩いていたのはユダヤ人だったのかい?」
「そうだけど・・・」
訊いて来たのは、ナチス党員となったトランペット奏者だった。
ベルリンのフィルハーモニーの建物に飾られていたメンデルスゾーンの肖像も、いつの間にか取り外されていた・・・
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲につけたクライスラーの名カデンツァも、隠れて練習するしかなくなった。

ベルリンフィルはそれまでは「会社組織」のようなものだったのに、「国有化」される。
そのかわり、メリットもあった。戦場に行かずに演奏を続けてよい、というものだった。

ユダヤ人でも、ハーフであれば、指揮者フルトヴェングラーが尽力して、ナチスの手が及ばずに演奏が続けられるよう取り計らった。

いろいろな物語があり・・・戦争はやがてドイツに不利に展開、空襲も激化する。

ベルリンフィルは、ドイツの完全敗戦の間際、野戦病院へと慰問コンサートに向かう。
そこには、手足を失ったりした、たくさんの負傷兵がいた・・・
街からは、団員以外の若者は、とっくに、一人残らず姿を消していた。兵役に駆りだされたためだった。

「突然、私が何をすべきか、が分かったんです」
セバスチャン氏は涙ながらに回想します。
「音楽を・・・傷ついた人々に、音楽を。。。」
彼らはベルリン陥落間際までコンサートを続けたのです。

4月にソ連軍が侵攻してベルリンは陥落、7月にはアメリカ軍がベルリンを占領します。
と同時に、「ナチス」の呪縛から開放されたベルリンフィルは、5月にメンバーが再会すると、まず自主的に「ナチ党員」を除名し、それから、ナチス時代には禁じられたメンデルスゾーンの「真夏の世の夢」やチャイコフスキーの交響曲第4番を演奏し、喜びに浸りました。
それもしかし、まだ苦難の終わり、ではありませんでした。
彼らの保護者だったフルトヴェングラーは「ナチスだった」と断定されてしばらくのあいだ指揮活動を禁止されます。
代わりに団員の信任を得て常任指揮者となったボルヒャート氏は、アメリカ軍の誤った(?)銃撃によって悲劇的な死を遂げます(ウェーベルンを誤射して殺したのも米兵でしたね)。
そこで、若いヴァイオリニストが知り合いだった、まだ学生のチェリビダッケ(映像中ではチェリビダッハ、と発音しています)が、しばらくのあいだ、正指揮者を務めることになった・・・チェリビダッケとベルリンフィルの出会いは、これが真相だったことがわかります。

やがて、待ちに待ったフルトヴェングラーの復帰。
ですが、彼は1955年に予定されていたアメリカへの演奏旅行まで生きることが出来ませんでした。
55年のアメリカ演奏旅行については、カラヤンがその同行者だったこと、カーネギーホールで鳩が離されるという妨害や、"NO HARMONIE with NAZIS"のプラカードを連ねるデモに会ったこと以上には詳しく語られません。・・・それはベルリンフィルの本質には何も関係が無い、だから、さほどの問題ではない、とでもいうふうに、ドキュメンタリーはその際のデモの写真を映し出し、一方で不幸な運命をたどったゴールトベルクの残したコメントをナレーションとして流し、静かにエンディングを迎えます。



もちろん、内容はここで綴った簡単な梗概にとどまりません。

彼らの味わった苦しみのドキュメントは、たとえばスターリンとショスタコーヴィチの葛藤を描いたものに比べれば、遥かに地味なものであるかも知れません。
ですが、このドキュメンタリーは、現代の私たちに訴える確実な「何か」を持っています。

敵国、というだけで、その文化を守ろうとしただけで、戦勝国がその国の人々を勝手かつ単純に「ナチス一辺倒だった」と裁くことが妥当だったのかどうか?
さらに、戦勝国は、占領した敵地で、罪もない、貴重な人材を、たとえ誤射だったのが本当だったとしても、勝手に殺戮した事実について、なんの負い目も持たずにいて良いのか?

こうしたことが、今でもなお、ベルリン占領時と同じように、世界のあちこちで行なわれているのは、いったいどういうことなのか。

じつは、セバスチャン氏の言っているとおりではないし、他の証言者も同趣旨のことを言っているので、それらを要約したものでああるのですが、

「音楽家は政治に疎かったし、これからも疎いだろう」

という言葉は、見かけ上の言葉の弱さとは裏腹に、実はかなり強いメッセージを私たちに伝えようとしているのではないかと思うのです。

政治、というものに・・・言葉を変えれば、それを「実行」する特定の人物に集中すると錯覚される「権力」に・・・、名前こそ大きいながらホンの小所帯に過ぎないベルリンフィルのメンバー達は、小さいながらも、固い結束をもって背を向けてきた。それについての宣言を、しかし、彼らは別に大袈裟にやろうだなんて思ってもみもしないだけです。

「音楽家は政治に疎かったし、これからも疎いだろう」

この言葉は、淡々と語られるにとどまります。

本当は、「言葉にする必要すらないのかもしれないなあ」、と思いつつ語ったのかも知れません。

大事なことは、行動でした。
・数人混じっているナチス団員とは決して口を利かないこと。
・せめて、助かった半ユダヤ人は、自分達で守りつづけること

そして、戦争が終わり、ナチスの余韻もほぼ消えうせると、ベルリンフィルのメンバーは、かつて除名したナチス党員だったメンバーをも、その程度の軽重によって、あるいは団員に復帰させ、あるいはエキストラとして呼び寄せました。

「音楽は思想・信条を超え、一緒に奏でる者同士にはいかなる差別も存在してはならない」

・・・私のこのまとめが適切かどうか分かりませんし、よいものでもないかも知れませんが・・・ベルリンフィルは、自分達の身をもって、こうしたことどもを人々の前で実践して見せたのです。



ついでながら、ゴールトベルクは日本で亡くなっています。
彼の重要性が
「これほどまでだったのか」
という認識を持っていただく上でも、このドキュメンタリーは日本人にとっても必見のものではないかと思います。
ゴールトベルクの晩年を看取られた日本人の奥様、山根美代子さんは、2006年10月に逝去なさいました。

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2008年7月 7日 (月)

愛する、愛される(再スタートにあたって)

ご心配も頂いたようで、本当にすみませんでした。
前のブログは内容は無事なのは確認しておりますので、昨日申し上げた以外にはこちらへ重複記載はしない所存です。再スタートで、やってまいります。

家内を亡くして1年半、心があっちへふらふら、こっちへうろうろしながら、でも、「いちばん不幸なこと」だと思い込んでいたことが、最近何とか
「そうじゃない、いちばんの幸せを教えてもらっているんだ・・・誰よりも豊かに!」
と信じられるようになって来ました。
「愛する、愛される」とは何なのか、を、アタマじゃなくて体で思い知らされたおかげです。



「心」の体験は、他の人のものを代わってあげられないのと同じに、自分のものを人様に代わってもらうことは出来ません。・・・それを悟らされることから、始まりました。
具体的にあげたら、キリがありません。
間違いなく「私をいちばん愛してくれる」人を失い、「愛してくれているはずだ」と勝手に決めつけていた人とのあいだには少しのあいだお互いに「疑い」が生まれてしまい、優しい言葉をかけられて希望を繋ごうと思えば、言葉はいつも、スルリと逃げていきました。
でも、「疑い」が生まれたり、逃げられたり、というのは、「愛」そのものではなくて「愛という言葉」に執着するから起こることなのだ、と、まだおぼろげながら、ようやくそのことが分かって来ました。
たとえばネットの世界は「ヴァーチャルだ」と言われますが、実際には最初に私を支えて下さったのは、「ヴァーチャル」であるはずの世界で私を知って下さり、表面上はパソコンの画面の文字でしかないように見えるものを通じて、言葉を超えた「力」を、まず私に与えて下さったかたがたでした。それでまずは、なんとか両足で立ち上がるところまでたどりついたのでした。「力」を下さったのは一人二人ではない、結構な人数だったというのは、いま思い返すと奇跡的なことです。全ての人に、まだ直接お会いは出来ていないものの、数人のかたとは実際にお顔を合わせることもできました。お会いして見ると、どなたも、本当に尊敬出来る、素晴らしい方でした。ですから、お会い出来ていない人でも、やはりそうなのだ、と信じております。


一方で、無条件に「私を全て愛し」「私もすべてを愛してやれる」ことは、神様のようには出来ないのだ、ということも自覚出来ました。動物的なことながら、こればかりは、お互いの本性をお互いが素直に遡ってなお「お互いが信じられ、頼れる」思いに至らなければ、成り立たないのですね。そこまでたどり着かないままに思いが捻れてしまうと、「私だけのものであって欲しい」感情が、大切であるはずの相手に対して無茶な一方通行を起こすだけなのですね。
これは私の貧しい能力では表現しきれない、不思議な力だ、としか言えないのですが、
・・・私をフウワリと掬い上げてくれる
・・・私がフウワリと掬い上げてやれる
このどちらもが成り立って初めて可能なのですね。
亡妻の生前、失ってからの1年半を思い出すにつけ、これはとても稀なことだ、ただの仲良し夫婦では必ずしもうまく行っていないこともあるんだ、と、脇目で見ながら愉快に思う「意地悪さ」も、私の中にちょっと芽生えてしまったかもしれません・・・慎むべし、慎むべし。
ですが、そんな感覚になれるようになったのも、このことを分からせてくれる「誰か」が、決して近くに、ではありませんけれど、まだ私にもいるのだということが、信じられるようになったからです。おかげで、私は心からの笑みを、やっと取り戻すことが出来ました。いえ、取り戻した以上、と言うべきかもしれません。


この点、「親」に無私の「愛」をもってくれるのは、子供たちです。
省みると、「親」の方は、必ずしも我が子を「無私に愛して」はいません。もちろん、可愛くないわけがありません。それどころか、かけがえの無いものです。が、それだけに、つい、我が子の「今をそのままに」ではなく、「子供の将来」という虚像、あるいは「子供の永遠の幸せ」という虚像に、と、そうであってはならない方へ視線の向きを誤ってしまう。
違うのです(おそらく)。
子供には、子供自身の内側に、自分の将来の「不自由」に立ち向かう力を秘めている。親は「それをどうやって引き出せるか・・・それも、ごく自然に」までを努力すればいいのであって、そこから先は、子供からみれば、どうも、いらぬおせっかいであるようです。
片親になって、焦ってみて、でも、子供たちの方が先に伸び伸びしだして、ゆとりがあって、お恥ずかしい話ですけれど、今まだ「うつ」で「感情障害」のある私が、急にヒステリーを起こしたり(当初は倒れかけたり)しても「大丈夫?」と駆けつけてくれるのです。・・・ただ、難しいことは分かりませんから、私の表側に症状が出なければ気づきはしない。それはむしろ、いいことです。そこまで思いやらせてしまってはいけないから。とにかく、症状が表に出れば「なんとかしなくちゃ」と即座に思ってい続けてくれたのは、子供たちなのです。


そんなわけで、私はなんとか、「生きなければならない」とリキんで思うことも、もう今更愛されることも無いのだろう、と思うことも、必要ない。。。

あえて結論ぽい「おまとめ」はせず、このくらいにします(って、充分に長過ぎました!)。
これからしばらくは、「子供と自然に」のためにどうすべきか、を次の宿題にして注力して生きたいと思います。



そんな私ですが、この場所(ブログ)で、とくに音楽(殆どクラシックになりますが)の話題を中心に、皆様とも「本当の心の繋がり」を保ち続けて参れますよう、引き続きのご愛顧を、何とぞ宜しくお願い申し上げます。

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