クラシック音楽

2009年12月20日 (日)

音楽の色を消すもの

さて、音楽にも色合いがあるのではないか、という話でした。しょうもないことにとらわれていないで、もっとしょうもないことに戻っていきましょう。

色聴ですと、単に(たぶん絶対的な音の高さとしての)「ドレミファソラシド」と(そうであれば必然的にハ長調の)主要な和音についてのみ考えられていました。
西欧音楽では、しかしながら、色彩そのものではないにせよ、同じ長調あるいは短調でも、基礎となる音の高さによって性格が異なってくる、と考えられていました。

ここでは、シューバルト(1739-1791)が述べた、調による性格の違いを、石多正男氏『交響曲の生涯』(東京書籍 2006、123頁)から孫引きしてみましょう。彼の説明は先輩後輩や同時代の作曲家の調の用い方とずれているのではないかと感じられることもなきにしもあらず、なのですが、他にここまで具体的に述べた例を参照できておりませんので、一例として取り上げておきます。

ハ長調:きわめて純粋な調である。その特徴は無邪気、素朴、無垢、子どもの言葉。
ハ短調:愛の告白、そして同時に失恋の嘆き。(以下 略)
ニ長調:勝利、ハレルヤ、戦争の叫び声、勝利の歓喜の調。(以下 略)
ニ短調:気まぐれで霧がかかったような性格を持ち、憂鬱な気持ちの女性のよう。
変ホ長調:愛、祈り、神との快い会話の調(以下 略)
ヘ長調:親切と安らぎ。
ト長調:どれも田舎風、田園風、牧歌風である。(中略)この調は優しくて静かな心の動きを表すのに最も適している。
ト短調:腹立たしさ、不快、計画を失敗したときの苛立ち(以下 略)
イ長調:無邪気な愛の告白、与えられた状況に対する満足の告白である。
変ロ長調:明るい愛、立派な良心、希望、よりよい世界への憧れ。

調に性格を感じる、というのは、素材として浮かび上がる個々の音の「色」が絵画上のフォルムだとするならば、それをひきたてる「地」の方にも、ムードを形成する基調としての「彩」がある、ということを示しているのでしょう。

ピッチの相対的な変化にもかかわらず、概して低めのピッチで演奏される「古楽」であっても(ひとこと余分を挟んでおけば、「古楽」=低いピッチの演奏、ではありません)、団体によってけっこうピッチに大きな高低差のある伝統的「モダンオーケストラ」であっても、たとえばベートーヴェンの交響曲9つの相互の色彩差は、ある団体の演奏で通して聴く、ということを何通りかやってみると、それぞれの個性を超えて一貫しているのだと感じ取れます。あるいは、モーツァルトのピアノ協奏曲なら、ハ短調の薄青い暗がりとニ短調の鮮烈な赤は、ピッチの違いによって基本的な色彩差は生じないように、私には想われます。

ところが、作品本来の持つはずの色彩感が全く感じられない演奏というのも存在していて、私が昨日ついついヒステリーを起こしたのは、その類のものにドカンと出くわしてしまったからなんだ、と、自分では思い込んでおります。(これは、この記事を綴ろうと思っていた途中に出くわしたことでして、本来はまさかそんなものを目にし耳にしてしまうだろうとは想像もしていませんでした!)

合奏を念頭において綴っていますけれども、ピアノ音楽でも話は同じでして、設計なしに、単純に機械化した演奏の上に機械で計算したようなランダマイズを加えた程度のものは、わざわざ人間がやる必要はない。コンピュータによる「ヒューマナイズ」を施したMIDI加工で充分代替がきいてしまう。

道具立てが色彩の生成を損ねてきた側面もあるでしょう。

・ガット弦からスチール弦への移行、キーやピストンの発明。
・楽器の筐体の頑強化。
・世界標準ピッチなるものの普及(しかもこれは有名無実化しています)。
・平均律でしか行われない調律教育。
・録音技術の発展による「規範的な演奏への修正」の安直化。
・これらの普及で硬直してしまった私たちの保守的な「耳」。

では、そうした外面的なものを物理的に排斥しさえすれば音楽に色彩感は回復するのか、というと、話はそんな単純なものではないのではないでしょう。

諸悪の根源のように列挙した上の6項目のうち、最後のひとつを除くと、他のものは、音楽を演奏してきた人たちが、自分たちの味わっている不自由さをどうって克服しようか、と悩み、試行錯誤した結果なのであって、それそのものは本来悪ではなかったはずです。ですから、メリット面を生かした演奏だって、ちゃんと存在していますし、それによって感動を受けることも全然、不健康なことではない。

だとすれば、最後の項目とも関係しますが、先人の努力の結果できあがってきたものを、努力の過程を忘れて
「あたりまえのことだ」
としか感じていない、便利さの中に埋没してしまって鈍くなった私たちの「ヤワ」な根性こそが、本来は境目を見出せるはずのない虹の色彩のグラデュエーションに無理やり手かせ足かせを嵌めるような音楽の享受方法しか知らない愚人に私たち自身を仕立て上げてしまったのだ、ということになります。
(ここは音楽を考える場所にしていますので音楽の話にしかしませんが、とくに今の日本には何事につけ、こうした自体がはびこっていたりはしませんか? とくにここ十年ほどは閉塞感ばかりが徒にまして行く世の中になってきてしまった気がしております。)

私たちは何気なく聴いてしまうのですが、まず、ピアノ奏者は一様に平均律に調律されたピアノで演奏をしています(たとえばミケランジェリのような例外はあります)。ですのに、なぜ奏者が異なると違う「地の色」を・・・調性の持つそれとはまた別個に・・・感じ取るのでしょう?
同じ楽譜を読み取っても、「そうか、この図面から読み取るべきはこの線分とこの図形、立体だ」というところに、まず個人差があるからでしょう。(また話がズレますが、イランの伝統音楽は、こうした個人差をもっとも大切な要素とみなしています。)
奏者が優れているか、そうでないか、を分けるのは、そこから先の取組みと実現する力量です。・・・その人が世間一般的に人格者かどうか、ということとは、ここには待ったうちがうモノサシが介在するのですが、これは別段、音楽家さんに限ったことではないでしょう。
ピッチは、じつのところ、聴覚は物理的に調整された絶対音高そのものを聴いてはいません。低い音が基調に流れているときには、その上を流れる旋律音は下に引きずられ、基調音が高めになるほど上に引っ張られます。あるいは、鋭く鳴らされれば、やはり上向きにぶれて認知されます(これははニ短調のほうがハ短調より営利に聞こえること、小刻みなリズムのほうが高揚した色彩感を持つことと関連を持っています)。
優れた奏者は、音符という記号がどのような意図で配列されているかを適切に読み取った上で、自分の持つ筆の太さや硬さのうちどれが適切かを選び取り、出さなければならない赤の彩度をも慎重に選択し、いざカンバスに描画するときには、筆を走らせる速度をあやまたない判断力と運動能力を兼ね備えているのだ、と知るべきでしょう。
自分のそうした力量を生涯秘密にする人もいますけれど(ヴァイオリニストにはパガニーニという有名な例があります)、たいていの優れた奏者は、いかにして、そうした「描画法」を誰にでも分かりやすくするか、を考え続けてきています(ショパンはそうした一人でしたし、現代にはもっと多くの尊敬すべき存在が・・・日本にだっていらっしゃいます)。
日本の奇妙なところは、そうした「色彩感覚」の持ち主を得てして異端児扱いにし、影響力のある外国(クラシックの場合は東洋世界ではだめです)で評価されたことが大々的に報じられて初めて、掌を返したように高く評価し出し、果てはその人を「あばたもえくぼ」的に持ちあげてダメにしてしまったりする風潮があるところではなかろうか、と、私は常々、下種の勘繰りをしております。

でもって、普段の「権威」は、窮屈な規則に、さも窮屈さを感じないで従い、それでも見た目・聴く耳には円滑に流れる「だけ」の演奏に終始する、まるで彩りの失せた、表面的な模倣ができるだけの、印刷物の色彩しかないものに付与される。

カンバスの上にごつごつと盛り上がった絵の具の塊のような質感までをも含めて、初めて色彩が生成するのだ、ということには、私たちはいつの間にか鈍感になっていはしないでしょうか?

それを受け止められない「鈍った感性」こそ、私たちから、音楽が本来備えている「色」を、単に見失わせるだけでなく、そうした態度が一般化することで、作り上げる音楽そのものからをも「色」を奪い取ってしまうのではないでしょうか?

ちょっと抽象的な話題になってしまいました。

メインパソコンが復旧次第・・・これも機械ですから、機械がお伝えできる以上のものはご提供できないのですけれど・・・、少し具体例を観察していただけるように出来るようだったらいいなあ、と想っておりますが、さて、生意気を綴る割に私自身の力量はからきしですので、適切になしえるかどうか。。。

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2009年12月19日 (土)

「そんな程度のもん」なのか?

綴らずにはいられませんので綴ります。

昨晩テレビで放映された、<財政的にもこの国では最も恵まれた某オーケストラが、本場の人らしい某有名指揮者のもとで、その本場の作曲家の交響曲(放映は終楽章)を演奏した映像>は・・・まったくもって最高のしろものでした。

本来、音と音とが苦しげに妨げあって、したがって音程の間隔を鋭く狭めて切実な叫び声を上げるべきところで、そうした芸が出来るはずの、この国では「超一流」の人たちが集まっているはずのオーケストラが、なぜ「平均率的音程」のまま、鍵盤楽器奏者でさえも良心があれば絶対に避けるはずの「明るい」響きづくりで、平気で「顔だけ悲愴」な演奏をなされるのか?
暗く垂下がるべき下降音形が、やはりなぜ同じく、まるでどこかの民俗のように開けっぴろげな、「死者のためには笑むべきである」のような音響を作り、そのくせやはり顔は「悲愴」、最後の一音がなり終わったら「長い沈黙」なのか? ・・・聴衆は「長い沈黙」だけで、あとは「線の整った艶やかな演奏だったから素晴らしかった」とでも納得しきっていたのか?

演奏者・聴き手の皆様、どちら様も、大変に素晴らしい技量と理解力の持ち主でいらっしゃいます。

・・・そうですか。こんな似非悲劇芝居が、この国の最高の「輸入音楽演奏」なのですか?

・・・信じられませんが、信じなければならないようです。
・・・「文化なんて、こんな程度のもの」だから、歳出を削られてもやむを得ないのでしょう。
・・・いや、本当に割りを食うのが、もっとまともな、真正面な人たちなのだろうと思うと、歯ぎしりしたくなるのですけれど、最一流の人たちがこの程度で、いちばんお金にも困らなくって、最後は生き残るのだから、めでたいのかもしれません。

ご名誉を傷つけるつもりはありませんので、具体的な団体様名称や指揮者様のお名前や曲目についてはあげません。お一人お一人の技術の高さも十分に認めます。

ですから、これは、私という木っ端の小さな失望です。
見る目、聞く耳が整っていない、粗野なやからが、なまじっかに音楽なんか云々してくるべきではなかったのです。

私をお知りの各位に、関係ないのに迷惑かけるといけないから、この記事ではどんなリンク貼りませんね!・・・もしお読みだったら。

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2009年12月18日 (金)

彩りを「聴き」、響きを「見る」

Photodraw ずっと以前に色聴の話題を採り上げてみたことがありました。
「(ドレミファソラシドというオクターヴの範囲内で)音が高くなるにつれて、虹の色と対応するように音に色が付いて聞こえる」
というものでした。

これについては心理的な、しかもデータの古い実験しかなく、生理上どのように受容されているかというデータは私は今のところ目にしていません。で、感覚の心理(あまり「学」と付けたくありません)という意味では「共感覚」という、得体の知れない、物理や生理のメカニズムからは根拠の得がたい現象として認識され続けているようです。

まず、色そのものについて、色彩の専門家さんに耳を傾けますと、
「色は目だけで見ているのではなく、肌でも見ている」
とのことで、これは
「同じ室温でも赤い色の部屋にこもると温度が高く感じ、青い色の部屋にこもると温度を低く感じる」
という・・・これはたしかに体のあちらこちらに電極を貼り付けて体温測定をしたサーモグラフィ結果をテレビで放映したりして、ご存知の方も多いかと存じますが・・・そういうことから、色彩というものが眼球だけでなく肌にも感じ取られているひとつの表れとみてとるのが可能な例の一つだとされています。
「いや、そう言っても、色は目で見ているんじゃないの?」
という反論は出来ます。
ここは、さらに反証となるデータがあるのかどうか、知りません。

12406550026401 ですが、目のないトマトで行った、こんな実験があります。
トマトに、白、黒、赤の布をかぶせて育てます。
白布をかぶせたトマトは順調に育ちました。
黒布をかぶせたトマトは枯れました。
赤布をかぶせたトマトは・・・発酵しちゃったそうです!

闘牛の牛さんが興奮するのは赤い布ですが、人間も赤い色には刺激を受けやすいことも上の結果から分かります。・・・なんと、トマトもそうだったわけです。(光の透過云々、というあたりの話があるんですけどやめときます。野村順一『色の秘密』文春文庫PLUS 2005年)

この話が載っている同じ本に、一音一音(データは1905年と1914年のもの)、および「ドミソ(トニカ〜安定)」と「ファラド(サブドミナント〜開放へ)」と「ソシレ(ドミナント〜安定への志向)」の色聴についてエッセイ風に触れられていますが、調の違いをどうとらえたらいいか、短調はどうなるかへの言及はないし、さほど深入りしているわけではないので、そのままとりあげるのはやめましょう。ただし、「ド・ミ・ソは色の三原色に相当している」とか、「ドとファの#は混色して灰色に聞こえる」とか、興味深い記述がある(読みやすさを考慮し出典云々していないのが残念)ので、お目通しいただければ幸いです。

Cry 同じように、この本の記述によると、低音ほど暗く高温ほど明るい、音が硬いほど明るく軟らかいほど暗い、など、「たしかに」と思えることも書いてあります。音の高低・硬軟で受ける色彩感がどう変わるかのデータもあったかと思います。
低い音は、より低い音に引っ張られて暗くなり、高い音は、より高い音に引っ張られて明るくなる、とのこと。

こうしたことから連想されるのは、たとえばヴァーグナー「神々の黄昏」冒頭部分です。はじめの低くうごめく部分は闇に近い青を感じさせますが、次第次第に赤みを帯び、最後は金色に達する。同じく「パルジファル」の聖杯を表す音響部分は、薄暗い橙色が瞬く間に金色に転じていくさまが、トランペットの上昇する旋律とともに鮮やかに浮かんできます。R.シュトラウスの「薔薇の騎士」第2幕は、メタリックな音響で、見事に銀色の色合いを出しているとはお感じになりませんか?
音楽作品の色合いは、クラシックに限らず、さまざまな曲で感じられるものです。
ヨーデルの底抜けの明るさは彩度の高い黄色。
ジャズはやはり、その演奏される場をわざわざ連想しなくても、ワット数の低い白熱灯の薄暗さが煙った空間をぼやけた朱に染めている。
出来のいいPOPは、明るい空色。

2f8d30829067c390 では、絵画作品から音響を感じ取る、というほうはどうでしょうか?

ゴーギャンの鮮烈な色使いは骨太のリズムで私たちの鼓動を高めるように思います。
ゴッホは、それよりやや霞んだ色合いの中に渦が加わることで、脈拍を少し乱させるような気がします。
ピカソにはより不規則な変拍子の音楽を、ルソー作品には低い音調に移し変えられて童心を回顧させらるような、本来は素朴であっただろう調べの大人向け編曲を聞くような印象を受けます。

こうした例は私が私の個人的な感性で上げているだけですけれど、いかがでしょう、ちょっとそういう音楽の「見方」、絵の「聴き方」を試みると、響きと色彩の関連が「聞こえて・見えて」くるのではないでしょうか?

 



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2009年12月16日 (水)

コユンババ

先に「順次ご紹介したい」と申し上げた森田茂さん、増井一友さんのCDに共通曲として収録されているこの作品に、非常に心を打たれました。

そこで、これだけは先に取り出して、お二人それぞれの演奏の特徴について感じたことを交えながらご紹介してまいりたいと存じます。

1949年イタリアに生まれ、ロッシーニゆかりの町ペーザロで学び、さらにベルリン芸術大学(の前身)で勉学を重ねたギタリストで作曲家、ドメニコーニの代表作です(1985年)。
しばらくドイツで活動したのち、トルコに移住して教鞭をとるうちに、トルコの伝統音楽に強く憑りつかれた人なのですね。
「コユンババ」というタイトルは直訳では羊飼いの親父さん、みたいな意味だそうですが、トルコの心を心底知り尽くしたドメニコーニは、このタイトルに様々な思いを込めたようです。
「コユンババ」の言葉そのものが、トルコ南部の荒廃した乾燥地帯との関連が深く、貧困と病魔に打ちのめされる人々の代名詞でもあるとのことです。
しかしながら、この作品、単純に「悲哀」に落ち込んでいるものではないところが、たとえばこれよりずっと以前に当時の東パキスタンの飢餓を歌い込んで話題をさらったボブ・ディランの「バングラデシュ」などとは一線を画しているといえましょう。ドメニコーニ自身がどのような意思を込めたかを超えて、この作品は社会問題の提起とか思想の表明とか、そうした限定的な枠を超え、ある意味で、個々人の中にしか生まれ得ない、それ故に、逆説的ながら、無限大の、無言の「精神の振動」とでも言えるような深みに達しています。日本の著名ギタリストである福田進一氏などが即座に絶賛したのもむべなるかな、と思います。

年代が新しいので、作曲家自身の演奏も入手できるのですが、音楽の「伝承」を検討するときには、他の演奏家による多様な解釈、そこから引き出される言語を超えた「各々のメッセージ」に耳を傾けるほうが収穫が多い、と感じております。

で、非常に面白いのは、森田さんと増井さんの、この作品に対する取り組みが一聴したときには非常に対照的であり、いずれも魅力的だったことです。

森田さんの「動〜多彩色」、増井さんの「静〜淡い色づかい」。

増井さんの作る響きが「風景を優しく霞ませる慈雨」なら、森田さんの構成法は「目覚めよと頬に打ち付けられてくる吹雪」です。・・・これは、演奏そのものの色彩感の差と矛盾するようですが、そうではありません。

対照的なようでいて、実は共通する色彩があります。
「白」です。

だからこそ、このお二方の演奏を聴き比べることには、非常に大きな意味を感じました。

森田さんのが「闇から浮かび上がる白」なら、増井さんのは「薄暗がりに景色の輪郭を溶け込ませる白」、ということになるかと思いますが、大元は、同じ純白だといっていい。
その、基調となる「白」の用い方の違いが、アプローチは異なりながら、同じ「慈愛」に集約されていく世界を築き上げる。

増井さんの「白」は、浮世の苦悩を救い上げるために用いられているかのようです。だからこそ(演奏の音そのものはぼやけることは決してないので、そこは誤解しないで下さい)、描線を「いとおしむようにやわらかくする」方法を採っている。
森田さんの「白」は、枯れ切った世界を埋め尽くし、新しい春に青々とした草木、色とりどりの花々を再生させるために用いられるから、激しいなかに様々な色光を反映させる「白」なのです。

「コユンババ」は4つの部分からなる曲です(増井さんのCDのトラック情報による)。
いま、4つの部分について、お二人の演奏の、唯一物理的に比較できる演奏時間について対照してみます。

1.モデラート (森田さん)3分18秒 (増井さん)4分29秒
2.モッソ (森田さん)1分30秒 (増井さん)1分41秒
3.カンタービレ (森田さん)2分55秒 (増井さん)4分10秒
4.プレスト (森田さん)5分40秒 (増井さん)5分48秒

時間の違いは、お二人のように技術が充分手の内にあり、音楽が心に充満していらっしゃれば、同じ大きさのキャンバスの上に描かれる線の太さや密度の違いであり、画風の違いをそのまま表すものと感じ取っておいても、ブレは少ないのではないか、と思っております。
管弦楽の聴き比べでは、こう明瞭にはいかないことが多いかと思います。

それぞれのCDのお問い合わせ先は以下のとおり。

森田さん:"Fantasie Honrroise" ピスケスアート http://shigeru-m.com
 
増井さん:"Nostalgie" http://www.homadream.com/catalogue/CD/HR1092.htm




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2009年12月15日 (火)

Adios Nonino

Image30コンサートへの足が遠のいていた私も、今年はオーケストラを聴きに出向くことは出来なかったものの、バロクヴァイオリンとテオルボ(阿部千春さん・蓮見岳人さん)、それより時代が下る様式で調整されたヴァイオリン・・・クラシカルヴァイオリンと称していました・・・とフォルテピアノ(阿部千春さん・大井浩明さん)、モダンヴァイオリンの吉田美里さん、ギターの森田茂さん増井一友さん、と、収容人数が小さいながら良い会場でリサイタルなさった素晴らしい演奏家さんたちを至近距離で味わう幸福に恵まれ、狭かった視野に大きな刺激を与えて頂けたことが非常な心の支えとなりました。

家内の急死からもうすぐ丸三年。私自身がへし折れないか、あるいは子供たちがショックにめげずに明るく過ごしてくれるか、が最大の心配事でもありましたが、上記の全ての演奏会(残念ながら増井さんの演奏会だけ、上の子は学校関係の用事で伺えなかったのですが)を家族で耳にすることで、これらの皆さんのリサイタルから、これからも生きるのだという意志を回復させて頂いただけでなく、一時は親子ともなるべく口にすることを避けていた母親の思い出話も、笑って母親をからかいながら交わすことが出来るようになりました。

音楽は、かように、へし折れかけた私たち一家のようなものにも、大きな支えとなってくれる不思議な力を持っているのだな、と実感しております。別に音楽に限らないでしょうが、こういう「心の財産」を軽視するようなお国に成り下がるような日本ではあって欲しくない、と、昨日綴ったことと併せて、強く願っております。

なかでも撥弦楽器(リュート・ギター)の世界は私は何故かこれまで縁が薄かったものですから、「クラシック」と総括されているジャンルの中にこんなに広がりがあるのか、というくらいに新鮮な印象を与えてくれました。
残念ながらドイツ在住の蓮見さんだけはソロでの録音が手に入りません。
ギターの森田さんと増井さんのものは手にすることができましたので、順次ご紹介したいと思っております。

ギターとの出会いの中で、南米(あるいはその出身者の)音楽の魅惑には、とりわけ抵抗し得ませんでした。

魅き込まれついでに、とうとうピアソラの映像まで見てしまい、有名なこの曲には、とうとう取り憑かれてしまいました。・・・ピアソラは、ご存知でしょうが、ギターではなく、バンドネオンの奏者です。

ピアソラ自身がいろいろな機会に演奏しているのですが、私がDVDで見たのと同じ1984年のモントリオール・ジャズフェスティヴァルで収録されたものをご覧頂き、お聴き頂こうと存じます。

・アディオス・ノニーノ
(ノニーノはピアソラのお父さんの愛称ですから、ピアソラがこの曲に託した意味はお察しになれるかと存じます。)

バンドネオン:アストル・ピアソラ
ピアノ:パブロ・シーグレル
ヴァイオリン:フェルナンド・スアレス・パス
ギター:オスカル・ロペス・ルイス
コントラバス:エクトル・コンソーレ

この曲の、最も初期のシンプルでせつないヴァージョンは、先日書籍を紹介した小松亮太さんがレコーディングしています。
また、小松さんのデビューアルバム(ピアソラとかつて共演した猛者たちと録音しており、ヴァイオリンのパス、コントラバスのコンソーレも加わっています)に収録された同曲の演奏も非常に魅力的です。

で、後日ご紹介したいと思っている森田茂さんのCDにも、森田さんのギターヴァージョンが収録されています。



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2009年12月14日 (月)

文化の大切さを見直す:19世紀初頭ウィーン、オーケストラ事情と対比して

昨日覗き見た「音楽都市ウィーン」からの、もうひとつ興味深い事実です。

なぜこれも採り上げておきたいか、には、いま日本のオーケストラがおかれている位置と対比してご覧頂きたいからです。

自分は政治的人間でも、そうしたことに識見のある輩でもありませんから、あまり多く言辞を弄するつもりはありません。
とにかく、「政党」に偏する政治も、日本の場合は誰が成り代わっても所詮は低レベルで、寡頭政治と何の変わりもない・・・どんな「主義」を標榜なさろうが、担い手の如何で本質が変化することはない・・・ということには、長いこと失望を味わっております。ならば、世の中のことには「イエスマン」で過ごしていくのが一番だろう、というのが私の処世術でもございます。
「仕分け」と称する作業は、今回野党に転落した某政党のかたも興味本位でご覧になっていらしたようですし、政権党への反対者たちも、政治屋さんである限り、おしなべて「それなりに高い評価」をなさっているようです。が、あんなのは古代ギリシアの歴史に照らし合わせたって、衆愚政治以外のなにものでもなく、ファシズムやソヴェト式独裁の時代と比べたって恐怖政治以外の萌芽のなにものでもない。あの非礼な質問態度は、慢性的な赤字を抱える国家運営のツケをどこへまわそうか、ということだけに獣のような目線を注いだ「軍事的裁判」に他なりません。国民にいいところを見せようとカッコをつけるのはやめていただきたいと思います。コストダウンの必要性は、どこで働いている誰も彼もが感じていることではあるのです。根底に優しさがない限り、そうした人々の切実な思いがどうして汲み取れるというのでしょうか?

ここ十年来制定されてきた様々な法令も、良心的に働く人々の首を暗にぎゅうぎゅうと絞めていく一方です。
「なんの権利があって、あなたがたはそういう立法をなさるのか?」
と問いたい気持ちは山々です。
(「個人情報保護法」なんていうものは、良心的に働く人たちに、果たしてどれだけ貢献したと言えるのでしょう? 亡妻は教員でしたが、いまだに、どこかから違法に名簿を入手したのであろう業者からの電話が絶えません。一方で、もともと私どもの個人情報を丁重に扱って下さった業者さんが、私の頼みたい用事を果たすにもほうが妨げとなって不自由するケースがあったりしますし、支障なく話を進めるために面倒な手続きが必要になって腹立たしくなったりすることも増えました。罰すべき対象に照準が合っていないと言えます。)

ですが、この記事に政治的なコメントを頂くことは本意ではありませんし、最初に申し上げましたように、私は世の中の運営というものに対して甚だ音痴です。音楽も音痴かもしれません。ですが、世間音痴で味合わされた最大の苦しみは、私の家内を公立病院の稚拙な(ずさん、とは申し上げません)医療で失い、そのあと何の救済も受けられなかったことでして、これは世間音痴ゆえに私自身が責任を負うしか他にないということは重々承知をしているつもりでございます。

(ちなみに、NHKの世論調査では、事業仕分けを「あまり評価しない」人は18%、「殆ど評価しない」は4%とのことです。評価している方のほうが多いのです。追記しておきます。)

まあ、少しは優しい立法、優しい中央行政をなさって頂けますよう祈るのみです。
出先機関のかたがたは、おおむね大変にご親切なのですから。これは心底思います。接したどなたも、最大限をなさろうと努めて下さいました。これにはいつまでも感謝の思いでいっぱいです。



・・・皮肉につづってしまって本記事を始めることには遺憾の思いもありますが、取り上げる時代のウィーンの状況が似ていますので、対比上よろしいかと思いますから、このまま参りましょう。

オーケストラを維持する、というのは、その規模の大きさ(小さくても十数名から、19世紀前半のウィーンでの管弦楽作品に要した人数は30名を超える程度)から見ても、財政的に非常に難しそうなのは、想像がつくところです。いや、それだけではなく、文化活動に対する出資者を失うことは、元となる音楽を創造する人たちの経済をもかなり圧迫することになりました。
ウィーンの19世紀初頭は、フランス革命と、続いて一貫して起こったナポレオン戦役により、勝った側のフランス以外の国にも大きな財政的ダメージを与えました。
ウィーンは、損害を被った貴族が最も多い都市だったかもしれません。というのも、こんにちなおそうであるように、この都市は、この当時で言えばナポレオンの侵略戦争の地となったボヘミア地方やロシアとの接点を多く持ちましたので、貴族たちの財源ともなっていたこれらの地域が受けた痛手がそのまま彼らの生活の足場を揺るがせたからです。
ヨーゼフ・ハイドンを抱えていたエステルハージ家のオーケストラも解散に追いやられた団体のひとつです。
個人としてはベートーヴェンの庇護者であったリヒノフスキーやラズモフスキーも凋落して事実上貴族の抱えるオーケストラは消滅、そのサロンも(メッテルニヒのものを除けば)崩壊して、ベートーヴェンという個人も晩年の生活保証が得られないとの心配をかかえたことは、彼の伝記がおしなべて語っているところです。

代わってオーケストラ活動の表舞台に登場してきたのが、楽友協会です。
この団体は、しかし、現在のウィーン・フィルにまで大成するには、なお多大の時間を要しました。
メッテルニヒ体制化での活動では、楽友協会のオーケストラはプロとアマチュアの混成部隊であり、演奏会前の練習回数もせいぜい1回から3回で、難曲をこなすなんてとんでもない話でした。

ウィーンで中産階級と呼ばれる人たちの年間生活費が1786年に464フローリン(内食費180フローリン、以下括弧内同じ)、1793年に775フローリン(365)、1804年に967フローリン(500)と、フランス革命の年を挟んで倍増(工場労働者は19世紀中葉でも300フローリン以下、日雇いで稼ぎのいい者で700フローリン弱、ベートーヴェンの女中が120フローリン、貴族家庭の料理人が400フローリン、海軍大尉で860フローリン、陸軍は少佐で950フローリン)して行ったのに対し、オーケストラメンバーに渡される給与は30名程度の規模でも総額15,000フローリン(1815-37年頃のプロの中堅ヴァイオリン奏者の年収が800フローリン、その他の楽器の奏者の場合は240-480フローリンであったとのデータが掲載されていますので、仮にヴァイオリン以外の奏者の給金がヴァイオリン奏者の半額だったとすれば、これくらいの額であり、しかもオーケストラの殆どの団員はそれだけでは生活出来なかっただろうこともうかがわれます)。
演目がオペラである場合・・・当時は器楽の演奏会よりはこちらのほうが一般的だったでしょう・・・、主演級の歌手には4,000フローリンを超える額が年俸として支給され、楽長が2,000フローリン、副楽長が1,000フローリン程度支給されたのですから、4名の主演級歌手がいると想定すると、人件費だけで32,000フローリンのイニシャルコストがかかったことになります(計算の簡単のため1回につき8,000フローリンとしてしまいましょう、かつその他の歌手や合唱の存在を考えればこれでもだいぶ安すぎる見積額だということは承知をしておきましょう・・・舞台装置は考えていません)。

一方で、オーケストラが活動する会場や楽譜・照明などの費用は、楽友協会の定例会の例では年間1,000フローリン(演奏会4回なので、1回につき250フローリン、ベートーヴェンの事例では、1824年の第九初演の際、ケルントナートーア劇場とそのオーケストラを使用するのに1回だけで1,000フローリンの出費をしています)でした。収益0でも稼がなければならないのは33,000フローリンということになります。収容人員については読み落としをしているのか情報を見つけておりませんが、パッと見たところの入場料の平均は1.5フローリン程度ですから、5,300人以上の聴衆(観客)を得なければならなかったことになります。平土間に席も設けていなければ可能な人数ではありましょうが、劇場の強度を想像すると、じつに恐ろしい人数です(おそらく、大きな劇場でもこの半分も収容出来なかったでしょう)。楽友協会の定期的なものに限定しなければ年間100を超える演奏会があったようですから、ここまで極端でなくても食い扶持は何とか稼げたのかも知れませんが、音楽家の絶対人数、それぞれの人が100回のうち何回に参加出来たかが分からないと何とも言えません。ただし、会場の収容人員を1,000人と見れば、ひとりのオーケストラ奏者が団の維持に貢献するためには最低年間20回の演奏会でペイ出来なければならなかったのだとは言えます。ほぼ半月に2回の頻度です。年俸が前述の通りの低さでは、インフレの激しい中でオーケストラ活動にこれだけの時間を費やすことは、まだ地域的な縛りが強かった時代であることを勘案すると、かなりキツいはなしだったのではないかと思われます。彼らはオーケストラ活動の他になお400-600フローリンは稼がないと、「フツウの生活」を送れなかったのですから。事例では、もっと低い給与水準(200フローリン台)にあった40代の団員が解雇後の復職を求めているものがあげられています。

そうした環境下、この他に当然広告費などもかかったのですから、現実にあったことなのですが、演奏会を組織する立場としては、演奏者のコスト削減をどうしても考えざるを得ず、それがプロとアマチュアの混成部隊の編制に繋がったものと思われます。その結果、演奏会では難曲を採り上げることが非常に困難であったのだ、と、「音楽都市ウィーン」では述べられています。
文化を守る人々は、生活の苦しさと常に背中合わせだったわけです。



以上、オーケストラに関してばかりつづりましたが、同じ話でいけば、戦後の日本のオーケストラも財政的に紆余曲折を繰り返してきたことはご承知のとおりです。
これらオーケストラは、地域の要請で成立してきたものが多いにもかかわらず、作られた割には客寄せもままならないで苦しい財政を強いられ、助成金を大きな柱にしてなんとか踏ん張ってきたのでして、その割合は前に記事にしたことがありますし、大阪センチュリーの話題も取り上げたことがあります。

そうしたなかで、なんといっても記憶から消えないのは、小澤征爾さんが懸命になって新日本フィルを支えた姿です。
彼の音楽作りがどうのこうの、という表面的なことを云々する以前に、楽団を守り、文化を守ろうとしたその姿勢の真摯さは、まだろくに社会というものを知らなかった十代前半の私にも、非常に鮮烈に映りました。あれは、厳しい中でなんとかオーケストラが自立していかなければならないんだ、という使命感をも併せ持っていましたし、こういう情勢下では、各プロオーケストラもその原点を見つめなおす必要があることは確かです。

その小澤さんが政治家の小沢さんの元に苦情を述べに行ったニュースは、すでにご存知でしょう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091209-00000141-mai-pol

記事によってはもう少し過激な文のものもありますが、毎日新聞社のものを転載します。

2月9日21時49分配信 毎日新聞
指揮者の小澤征爾氏が9日、国会内で民主党の小沢一郎幹事長と会い、来年度予算編成に向け、資金不足に苦しむ日本の民間オーケストラへの支援を要請した。小澤氏は財団法人の一部オーケストラについて、省庁OBの天下りで人件費がかさんでいる現状を説明。「財団法人の無駄を削らず、貧乏な民間オーケストラにしわ寄せがいくのは無理がある」と見直しを求めた。
「ダブルオザワ」会談では、小沢幹事長が「私は評判の悪いほうだけど」と切り出すと、小澤氏も「僕も音楽界では嫌われているから同じ」と笑顔で応じる一幕もあった。同じ名前で以前から小沢幹事長に興味があったという小澤氏は「官僚システムを変えるのは、政治が変わったいまがチャンス」とエールを送った。



文化に対する多くの無理解は、別段オーケストラに対するものに限られてはいません。
伝統文化でも、いまでこそなんとか成り立っている能・文楽・歌舞伎のいずれも、明治期の社会体制の変化の中で一方ならぬ苦労を強いられてきました。そうした歴史をもういちど、私たちは紐解くべきです。
小さな村のお囃子は努力をしてもしても過疎で滅び、伝統工芸には、利益中心に組み立てられてしまった産業構造の中で十分な収益を得られないために消え去ったものが多々あります。

それらへの目配せも、私たちが私たちの「文化」を考え直す上で非常に大事であることはいうまでもありません。

こんなバカな国が「先進国」だなんて名乗っているのは・・・アジアでも日本くらいのものではないでしょうか? 実態はアジア随一の非文化国家に成り下がろうとしているとしか思えません。

文部科学省の意見募集の頁はこちら。文科省さまの良識を信頼したいと存じます!
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaikei/sassin/1286925.htm

なお、広島交響楽団でも意見募集をしていますが、締め切りが明日12月15日です。
http://hirokyo.or.jp/

お名前は伏せますが、情報ののリンク先は、今回の事態に危惧の念を抱いていらっしゃるかたからの情報によるものです。心から感謝申し上げます。

なお、メジャーな伝統文化関係の本としては、その歴史的な時間軸での取扱われ方の変遷をみるには

ドナルド・キーン「能・文楽・歌舞伎 (講談社学術文庫) 」

郡司 正勝「かぶき入門 (岩波現代文庫)」

をお薦め致します。

民間伝承文化や工芸については、その引き継がれて来た背景まで覗かせてくれる好著は、いまのところ手にしたことがありません。お薦めをお待ち申し上げております。



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2009年12月13日 (日)

ウィーン古典派のシンフォニストたち

さらりと流しますが。

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古典派の音楽家がハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに限らないことは言うまでもありませんが、じゃあ、
「他にどんな音楽家がいたの?」
となると、この時代が大好きな人でなければまだまだご存じないのが現状かと思われます。

で、たまたまですが、名前を挙げた3人は、古典派の中でも「ウィーン古典派」に属します。
ということは、古典派の中でも、ある特定の圏内の音楽家に限られて「古典派が云々されている」というのが現状だということが分かります。

まあ、それはそれとしましょう。

さらに、ウィーン古典派がこの3人の音楽家だけで成り立っていた、というのは、ちょっと考えたって「あり得ない」話ではあります。

だから、この3人だけでウィーン古典派を語るのは間違いである、というのが、ウィーン古典派ファンの言い分になるでしょうし、そうやって浮かび上がってくる音楽家たちだって
「モーツァルトやハイドンと同じ、あるいは似たようなことをして来たんだ」
とアピールするケースを多く見かけるようになりました。(ベートーヴェンは例外ですが、これはウィーンの環境の変化に加えてベートーヴェンがウィーンよりはドイツ音楽そのものの文化の中で自己を確立して来たことから、モーツァルトやハイドンとは水平に捉えられない側面があることに由来すると思われます。これはまたあらためて検討します。)

ちょっと待って下さい。
「同じようなこと、似たようなこと」
をして来た、というのは、よくよく考えなおせば、そうした音楽家さんたちに対して、大変失礼なことではないでしょうか?
一見「そうなのかー」と思われるこの言い方の中は、すでに名声を確立しているハイドン・モーツァルトはいいとして、これから名前を挙げる別の音楽家さんたちに対してあまりにつれないのではないでしょうか!!!?

イタリア音楽だと未だに思い込まれているサリエーリも、イタリア人ではあったものの、音楽教育はガスマンのもとでウィーンで受けていますから、その作品はウィーン古典派のものだ、ということは忘れてはならないと思います。ただし、サリエーリについてはモーツァルトを検討している一連の流れの中で考慮して行きたいと思いますので、今日は含めません。

採り上げたい名前は4人で、いつもいろいろご示唆下さるBunchouさんのお教えを念頭に作品を聴いてみた人たちばかりです。

18世紀末葉に人気があったことが明らかだった人たちを採り上げるのですが、非常に面白いのは、知ってみると、ディッタースドルフ以外の3人はボヘミア出身者なのでした。ハイドンもボヘミアに限りなく近い地の出身であることが思い起こされます。

ロゼッティ Antonio Rosetti 1750-1792(ロセッティ、とも ウィキペディアドイツ語英語) は、北ボヘミアの出身。厳密にはウィーン古典派に入れてよいかどうか微妙なところで、作風もハイドン、モーツァルト、および以下の3人と著しく違います。ただ、彼の作ったレクイエムがモーツァルトの葬儀(?)に用いられたことから、この人がウィーンでも名声を確立していたことが伺われます。・・・他のウィーン古典派の作曲家が(サリエーリの器楽曲をも含め)動機労作的特徴を持ち、旋律が民謡的に素朴であるのに対し、シンフォニーで聴く限り、彼の手法は息の長い旋律に依存しています。現在、シンフォニ−以外のジャンルまでがもっとも多く復活演奏されている「古典派の人気作曲家」になりつつあります。

Symphony in g (1787) -1

G.Mais/Lithuanian Chambar Orchestra Vilnius ARTE NOVA 74321 72123 2

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/list?genre=700&keyword=Rosetti&target=CLASSIC&advanced=1&formattype=1&pagesize=3&pagenum=1

コジェルフ Leopold Kozeluch 1747-1818(ウィキペディアドイツ語英語)は、モーツァルトの後釜としてモーツァルトの死の翌年、モーツァルトの4倍の俸給でウィーン宮廷音楽家になった人物です。それ以前、モーツァルトがザルツブルクと訣別したおりには、モーツァルトが投げ打ったポストに就くようザルツブルクから要請があったのを断っています(1781年)。モーツァルトとは因縁深いように見える経歴ですが、作品を聴く限り、接点があったとは感じられません。音響的にはたしかにモーツァルトと類似したところがありますが、音の素材はハイドンのほうに近く、かつ、素材があまり重層的に組み合わされていません。シンフォニーでは、ハイドンならば弦楽合奏ですませたようなものに敢て管楽器を加えてみたりしていますが、ちょっと突飛に聴こえることは否めないと私は感じております。これは、そのように要請する誰かがいたのでしょうか? 「疾風怒濤」的作品でもここに他に名前を挙げた人々の作風に比べると激しさは劣ります。音楽の作り方は、Rosettiの旋律依存型とその他の作曲家の動機依存型の中間に属するようです。動機はしばしば変形されないまま繰り返され、こんにちの耳には単調であることを否めませんが、当時の聴き手にはむしろ分かり易かったのではなかろうかとも思われます。口の悪いベートーヴェンには「セコい奴」みたいな悪口を言われたこともあるようですが、実像は分かりません。ただ、彼の作風のような音楽が、宮廷では好まれたからこそ、高い俸給も得られたのでしょう。

Symphony in D -2

M.Barmert/London Mozart Players CHANDOS CHAN 9703

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/index.asp?target=CLASSIC&genre=700&adv=1&keyword=+Kozeluch&site=

あとの二人はハイドン、モーツァルトと弦楽四重奏をやったことがある(1784年のこと)、と伝えられる人物です。

ヴァンハル Johoan Baptist Vanhal 1739-1813 (ヴァニュハル、とも ウィキペディアドイツ語英語)はシンフォニーで自活し得た作曲家として有名になり(DUKE UNIVERSITY Liblariesの情報)、生前このジャンルで51作品を出版出来たほどです(実数は70を超えるそうです)。日本でもハイドン・シンフォニエッタ・東京という団体さんが熱心に上演していたのですが、今日調べてみたら、最近の記録が出て来ません(お詳しいかた、情報をいただければありがたく存じます)。1760年以来、同じ歳のディッタースドルフに作曲を学んだためか、シンフォニ−の作風はディッタースドルフに似ています。ただ、その最盛期は1770年代から1780年代中葉にかけてでして、晩年は鬱に苦しんだようです。多作にもかかわらず構成観のしっかりした曲作りをしており、おそらく当時の人にとっては不協和音を多用したモーツァルトほど難解ではなく、捻りを利かせたハイドンほどにはサロンのムードを妨げず、かといっていつも鮮やかに響く、というあたりが同時代に受けたのだろうか・・・と想像したいところです。ただし、伝記的資料は少ないとのことで、このあたりはもう少し調べてみないと分かりません。日本でも美学の専攻生が論文で採り上げたりしているようですから、いずれ詳しい書籍でも出ればありがたいと思っております。

Shymphony in D(Brayan D2) -4(第1楽章と同じ動機を使用しています)

K.Mallon/Tronto Camerata NAXOS 8.557 463

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/index.asp?target=CLASSIC&genre=700&adv=1&keyword=Vanhal&site=

ディッタースドルフ Carl Ditters von Dittersdorf 1739-1799 (ウィキペディアドイツ語英語日本語)は、以上の中では最も堂々とした構成力を持った作品を残しており(ハイドンやモーツァルトの特徴といわれる不規則的なリズムと小節構成・・・偶数小節の組み合わせで均等に音楽を進めるのではなく、奇数小節の後に新鮮な主題を提示する方法に優れている)、その作品が現在埋もれていることが非常に惜しまれます。父の仕事の関係から、ハイドンを含めた上記の音楽家たちの中ではもっとも恵まれた青年時代をおくったと言え、24歳のときにはグルックとイタリア旅行をしたりしています。やはり、晩年はヴァンハルと似た不遇をかこっていて、作品が出版されなくなって行ったとのことです。

Sinfonia in D(Grave D6) -1

A.Cassuto/Lisbon Metropolitan Orchestra NAXOS 8.570198

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/list?genre=700&keyword=Dittersdorf&target=CLASSIC&advanced=1&formattype=1&pagesize=2&pagenum=1

さて、この4名の音楽家は、死後、もしくは生きていても晩年のうちに、聴衆から忘れられた存在になって行きました。
ハンスン著『音楽都市ウィーン』(音楽之友社 昭和63年)に掲げられた、ウィーンの楽友協会演奏会1815-30年の演奏記録の中には、モーツァルト以外は上記の音楽家名は全く登場しません。モーツァルトのいわゆる3大交響曲とハフナーシンフォニーだけが合計で14回演奏されています。

とくにディッタースドルフの作例の質の高さから考えるに、楽友協会の演奏会にウィーン古典派の(ベートーヴェンを除いた)他の作曲家名がまったく現れないのは、モーツァルトとの音楽の質の善し悪し比較に由来したものではないと推測されます。
ヴァンハルについては不明ですが、他の3人は宮廷と強い結びつきをもっていたのでした。
で、ヴァンハルやディッタースドルフのシンフォニーが劇場に登場しなくなって来たと思われる1790年代は、フランス革命と続く対ナポレオン戦争の影響でウィーンも貴族の破産が頻発し(ベートーヴェンの伝記にそうした世情がよく現れますね)、聴衆の層が富裕商人層に変化し、入れ代わった聴衆が求める音楽も、大衆に知名度の高い作曲家の手になるものになっていったことが考えられます。モーツァルトは『魔笛』人気急上昇中の突然の死以来、早くから伝説化が始まっていたようですから、そうした有名作曲家に名前を連ね得たものと推測されるかもしれません。ハイドンが登場しないのは、ハイドンはウィーンよりもパリ、次いでロンドンで知名度を上げただけでなく、ロンドンではシンフォニーで興行的な成功も収めていたことが、ウィーンでの楽友協会で管弦楽曲が採り上げられなかったにせよ(声楽曲、宗教的な合唱曲とおぼしきものは演奏された記録があります)、ハイドンを人々の忘却から掬い上げた要因になっているかと思われます。

とはいえ、楽友協会のこの当時の演奏記録に頻出するケルビーニもシュタードラー(合唱曲が多く演奏された)も後年忘れ去られたに等しい存在になったことを考え合わせると、やはりモーツァルトとハイドンの作風には、他の人の手になる作品から抜きん出た個性が人々に高く評価されたのではないか、とは、なお推測し得るのでして、ハイドンは(自身が意図したかどうかは分からないものの)作品へのネーミング戦術とそれにふさわしく聴こえる動機を明確に提示して人を楽しませることに成功し(もっとも見事な例はやはり「時計」でしょう)、モーツァルトは人生は恵まれたかどうかは措くとしても幼時から多感な青春期にかけてウィーン古典派よりはイタリア・マンハイム・パリの多様な語法が身に染み付いた振幅の大きい書法で新時代に受け入れ易い「複雑さ」を備え得たことが生き残りに繋がったのではなかろうか、と、私にはそのように思われてなりません。

ウィーン古典派そのものの話に戻ることはないかと思いますが、この話題、前期ロマン派を考える上では大切な話のひとつになって行くかと存じます。

さまざまご教示頂けましたら幸いに存じます。



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2009年12月10日 (木)

感覚と技術(ベルリオーズ『音楽のグロテスク』から)

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「思い込み」ということ、それを出来るだけ乗り越えるための「見つめなおし方」ということ、に、愚かしい考えを重ねてきました。後者はとりあえず社会的な話題の文例を用いましたが、音楽関係でふさわしいものはまた別途探します。・・・それは話をもう少し突っ込んで考えてからでもよかろうと感じてもおります。

「思い込み」を起こさせる大きな要因のひとつである、音楽を演奏する側の感覚、聴く側の感覚、について、さらに愚考を重ねたいと思います。ただし、ベルリオーズの著作(わりと最初のほうに集中して拾いますが)を材料にし、彼がどのように思考していたかを除き見てみて、<興味>としての推論をそこから組み立てるにとどめます。

ベルリオーズ『音楽のグロテスク』(森佳子訳、青弓社、2007)からの逸話。

「聴く側」からいってみましょうか?
といいますのも、タイトルにくっつけた「技術」は、ベルリオーズの思考の上では、どうも音楽にとって聴き手にはあまり関係がないもののようだからです。

「君たちは、よかれ悪しかれ、聴衆の洗練度を知っているだろう! 彼らに腹が立つだって! こりゃ驚いた! この試みのために選ばれたホールに集まった八百人のうち、おそらく五十人ほどが心から笑っただろうが、その他の聴衆はずっとまじめに聴いて拍手喝采したかもしれない。私は恐いのだ。聖歌とフィナーレの演奏の後を思うと。キリエのことを人は『これは難しい音楽ですね!』と言っただろうし、交響曲はずっと好まれただろう。/序曲について、行進曲とイギリスの歌には何人かがあえて不信を抱いたかもしれないし、隣の人に『これって冗談?』と耳打ちしたかもしれない。/しかし、それだけのことだ。」(訳書42頁)

曲が具体的に分からないながら、聴き手と演奏家それぞれが違ったほうを向いていて、とくに聴き手の大多数は音楽そのものの持つ意味合い等について考えながら聴くわけではない、と、演奏家(この場合はベルリオーズですか)側が受け止めているのがはっきり読み取れます。

・・・では、皮肉の対象になるのは聴衆側だけでしょうか?

さらに同じものから、こんなお話を。

「最後の繰り返しの間、名人はこの不運な楽器(クラリネット)のためのいろいろな曲を吹き続けた。そして、またしてもそれを・・・脚の間に置いた。次に、ポケットからナイフを取り出して、なんと、クラリネットのリードを大急ぎで削り始めたのだ。/笑い声やざわめきが会場に響き渡った。ご婦人方は顔をそむけ、ボックスの中に身を隠した。紳士方は逆に立ち上がり、よく見ようとした。叫び声や小さなうめき声が聞こえたが、この人騒がせな名人はリードを削り続けていた。」(同58頁)

これを読みますと、演奏者の技術が自分たちを満足させるかどうか、ということには、<考えていないはずの聴衆>でも、しっかり感じ取ることは出来ているのが判明します。(まあ、大袈裟な例ですが。これは引用元全体をお読み頂く機会がおありでしたら、そのほうがよく分かります。・・・ただ、訳者さんには大変恐縮ながら、読み易い訳ではありません。訳者さんがいけない、というのとはちょっと違うのです。フランス語原書の和訳には、よみづらいものが多いです。日本語との発想の落差ゆえでしょうか?)

となると、二番目の例から窺われる、ベルリオーズが心に描いているような音楽享受の上での理性的なもの、は、演奏者の技術力に左右されるのではないか、と、想像されることになります。

果たして、この推論は正しいのでしょうか?

で、もうひとつ。

「私はしばしば自問自答していた。ある人々が音楽にとらわれているのは、彼らがばかだからなのか、それとも音楽が彼らをばかにしたのか? 公正に考えた結果、私はこのような結論に達した。・・・・音楽は恋愛のような荒々しい情熱である。すなわち、音楽のせいで理性的な個人が一見理性を失ったかのようになってしまうことがある。しかしその大脳の混乱は突発的なものであり、その人たちの理性はその支配力をすぐに取り戻す。(中略)それ以外の人びと、本物のグロテスクたちにとって、明らかに音楽は彼らの精神的能力の混乱に一役買うものではなかった。また仮に、この芸術の実践に身を捧げようという考えが彼らに浮かんだとしても、それは彼らが共通の感覚を持つということではなかった。音楽は、彼らの偏執狂ぶりには無関心なのだ。(中略)そもそも、おかしな機知の枠組みに自らを置くことを大変誇りにしている人たちが存在するのだ。彼らには機知など全くなかった。それらは空っぽの、少なくとも片側が空っぽの頭蓋骨である。大脳の右葉も左葉も彼らにはなく、つまり二つの葉がいっぺんにないのだ。」(同46〜47頁)

・・・はてさて。おいらのことをおちょくってるみたいな。

だめ押しにもうひとつ。

「彼はトロンボーンの無限なる優位性を証明するために、乗合馬車で、鉄道で、あるいは蒸気船で、または二十メートルの深さの湖を泳ぎながら演奏したことを自慢にしている。彼のメソッドには、湖で泳ぎながらトロンボーンを吹く方法を知るための特別な練習とともに、結婚式や宴会用の楽しい歌が含まれている。それら傑作のうち一つの下方に、このような忠告があるのに気づいた。『結婚式でこの曲を歌うとき、Xとある小節のところで、高く積まれた皿の山を飛ばさなければならない。これがすばらしい効果を生み出すのだ』」(同50頁)



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2009年12月 9日 (水)

見つめなおす方法

捨てようとしても捨てきれない「思い込み」というものについて、昨日はとりとめもなく綴りました

では、
「それでも、できるだけ《思い込み》から解き放たれるためにはどうしたらいいか?」
を、検討したいと思います。
これには、いい見本となる文を見つけましたので、「転載の転載」になりますが、後で文例として掲げます。ただし、音楽関係の文ではありません。



「思い込み」から逃れるためには、自分がこうと思い込んで見つめているその対象から、いったん自分が距離を置いてみなければならないのではないかと思われます。

41z5z7d8mql_sl500_aa240_単純に「論理学で<正しい論法>だと保証されている方法で見つめているから大丈夫だ」
とは、じつは言い切れないのだ、という点につきましては、分かりやすそうな「論理学」のテキストでもお読みになってみて下さい。私の一番のお勧めは、NHKブックスの『論理学入門』(三浦 俊彦著)でして、練習問題が付いています。永遠の初学者である私のようなものでも、なんとかかんとか日数をかけて納得することが出来た本でもあります。で、この本でも、「論理」とは道具立てに過ぎず、本当の真実を証明するのには測りの役割は果たすかもしれないが、絶対的真理を見出す道具のひとつに過ぎないことが平易に書かれている・・・と、誤解でなければ私はそのように読み解いております。

ルネサンス期の有名な科学者(本当は数学者)であるガリレオ・ガリレイは、『新科学対話』(岩波文庫収録)という著作の中で、おそらくヨーロッパ人としては初めて「無限」について数学的に論証していますが、読んでみると、その手段は帰納法によっています。にもかかわらず、ガリレイの無限についての論証は、無限を証明尽くしたものとは人々に捉えられず、せいぜい無限論の嚆矢と評価されているに過ぎません。論理学の手法を使っても世間がすぐには「是」としなかった一例です。
それはそれとして、彼が最も注目されているのは
「それまで人々に正しいと『思い込まれて』いたアリストテレースの所説を客観的に否定した」
点なのですが、これがそのまま
「ガリレイはアリストテレースを否定した」
という『思い込み』に変形されているのはご承知のとおりです。
ガリレイはアリストテレースが導いた結論の「前提」の真偽を・・・数学的手段だけでは確信し切れなかったからでしょうか、実験観察によって入り込んでいったのですが・・・、それは当時は人々がものを見て結論を出すときの大前提、真偽を疑い得ないので真としか信じられないものと等価であったがゆえに、まず
「では、その前提は正しいか?」
と立ち戻って見つめなおすところから出発したのでした。
出発点をアリストテレース(より正確にはアリストテレースの著作を読んだ後代の人たちがまとめなおし世間に常識として広めたもの)の設定した「疑い得ない前提」の見直しから始めた、ということであって、先の
「(ガリレイは)アリストテレースを否定した」
なる命題から受ける、彼がアリストテレースの人格を否定したとか、アリストテレースの論理を否定したとかいうのとはまったく異なることについては、専門のかたが口を酸っぱくしておっしゃっておられるにもかかわらず、いまだに誤解されたままのようです。ガリレイは、学問の徒としてのアリストテレースには、終生、敬意は払い続けているのです。
ところが、では、これを
「(ガリレイは)アリストテレースを否定しなかった」
なる命題に切り詰めてしまったらしまったで、また誤謬を起こすことになる。
「アリストテレースを否定した」
であろうが
「アリストテレースを否定しなかった」
であろうが、どちらの命題も、その真偽を論理の手法だけでは真偽の証明が出来ない。
ガリレイの著作を自身で注意深く読み、そこでガリレイがアリストテレースについて語っている賛美の言葉が「ああ、嘘じゃなくて、本音なんだなあ」と実感するよりほかない、というだけでなくて、真偽を証明するには命題の中身があまりに切り詰められすぎている、ということにも、私たちは注意をしなければならないのです。

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まずは、状況証拠が要る。
この状況証拠、とは、起こっている事実としての「ものごと」なのですから、起こっている以上は「起こっていない」と否定することが出来ませんから、論理的に証明できなくても真です。(このあたりは、アリストテレースやエウクレイデス【ユークリッド】が拠りどころとしたものと何も異なりません。)
でもって、これがまた曲者です。
ひとつの状況証拠があるからといって、それを用いて「真」だと証明できる「命題」は、上の例のような切り詰められたものであってはならず、なるべく具象的に設定されたものでなければなりません。
逆に言えば、あまりに単純化された命題を、数少ない状況証拠から「真である」と証明することは誤謬を含んでいる確率が非常に高いであろうと予想されます。(だからこそ、ガリレイによる「アリストテレース(の論証)の否定」も、「非ユークリッド幾何学の発想」も誕生の余地を与えられたのでした。)

・・・世の中のニュース、それに踊らされる私たちは、いつも「誤謬」の海の中にいるのだと思ってよろしいでしょう。

こうした点の上手な疑い方の例文として、非常に感心したのが、某所で拝見した下記の文章です。
転載者の方が転載の許可を得ており、そのかたからさらに転載のご許可を頂きましたので、ちょっと読んでみて下さい。

腎移植に関わる、専門の医師の書かれたものですが、平明ですから、こうしたことに不案内でも内容は十分理解できます。
お書きになった医師のかたも、転載なさったかたも、究極には「腎移植をより推し進めて、透析に苦しむ多くの患者さんを救いたい」という願いを込めてはいらっしゃるのですが、私はそれ以前に、付加的な価値観を抜きに、虚心にこの文の「着眼の鋭さ」を読み取っていただくことを目的として転載をさせて頂くしだいです。この点ではご執筆者・最初のご転載者には甚だ申し訳ない限りなのですが、他の分野にも応用の利く規範的な論述の進め方であると存じますので、まず、読んで下さるかたには、そういう目線で眺めて頂けることのほうを、強く望みます。

引用も長いのですが、前置きもだいぶ長くなりました。・・・私としての目的は、この話を、いつものように「音楽」に繋げるところにあるのですけれど、この長さに至りましたので、今回は断念します。

(以下、転載)



 ★ 万波移植の特異性     藤田保健衛生大学 医学部教授   堤 寛
  (生命化学の総合誌《ミクロスコピア》冬号=最終巻所載、転載者のかたの記事から。)
  (下線付け、色づけは私。)

2006年末、難波紘二先生の推薦で、私は宇和島徳洲会病院の病腎移植問題の専門医委員会 外部評価委員に指名された。私は学会代表でも移植医療の専門家でもない、唯一自由な立場の医師だった。専門委員会では、ドナー腎全摘の是非が論じられ、多くの症例で「腎全摘の適応なし」(腎臓をまるごと摘出すべきでなかった)と結論された。

腎癌は大きさに依らず腎全摘されるのを実感してきた病理医として、小径腎癌の標準治療は腎部分切除という主張に納得できず、異議を唱えた。

病気の腎臓は移植に使わないとする日本移植学会の主張は、本質的な矛盾を内包する。40歳以上では、動脈硬化や糸球体硬化など、腎臓は何らかの病変があり、病変のない中年以降の臓器は先ずない。

死体腎移植を考えよう。そこでは、血圧低下の結果「ショック腎」(病理学的に急性尿細管壊死)に陥った「病的な」腎臓が移植される。病気の腎臓が不適なら、死体腎移植は成立しない。

小径腎癌は部分切除が標準治療であると主張する一方、全摘出した腎臓から癌の部分を直視下に部分切除して移植に用いる病腎移植は、再発・転移のリスクが大きいという日本移植学会の論旨は、明らかに自己矛盾

万波移植の特異点を考えて見よう。移植医療は、通常 都会の大病院で行われる高度で先進的な医療であり、日本移植学会の指導者を含む多くの医療者は、その前提で移植医療に取り組んでいる。

飛び抜けて「術」に長けた万波誠医師は、あの宇和島という地方都市の、常勤医師数がわずか8名の宇和島徳洲会病院(最近12名に増えたそうだ)で、腎移植を実践する。そのこと自体、ミラクルだ。

万波移植手術の人員は多くて3名。世界中 探しても、おそらくそんな病院はなかろう。病腎移植の議論で感じた違和感は、都会の論理を宇和島に持ち込む強引さにあると気付くのに、私はだいぶ時間を要した。

万波医師と患者は、年余にわたる深い人間関係を築いている。一緒に釣りに行く友人が患者。生活保護を受けている患者が少なくないため、万波医師は、患者に金を貸す。そんな宇和島という町で行われた地域医療。「病腎」でもいいから、血液透析を離脱して早く仕事をしたい。

万波医師のレシピエントの大半が、2回目以降の移植だった点は特筆される(計 42例中 2例は4回目の移植)。移植腎は 10〜20年の経過で、慢性拒絶の状態に陥り、患者は血液透析に戻る(移植腎の平均生着率は、生体腎で17.9年、死体腎で11.3年)。

そうなった人にとって、家族から腎臓を提供されない限り、2度目の腎移植のチャンスは先ずない。移植ネットワークに登録した患者の移植待ち時間は、1回目で17年が日本の現状。万波医師は、2度目の移植をつよく待ち望む人の希望を叶えた。

血液透析を長期続けると、萎縮した腎臓の嚢胞が多発し、「後天性多嚢胞腎」から腎癌が発生する点も重要である。多嚢胞腎に10年血液透析をさらに続けると、実に4.9%に腎癌が生じる。移植病変に於ける小径腎癌の再発率よりずっと高い。

万波医師を中心とする「瀬戸内グループ」の腎移植の手腕は、700例に達する日本一の実績のもと、最高級レベルにある。癒着が強く困難度の高い3回目、4回目の手術もこなす。

小径腎癌の多くに部分切除を標準的に実践し、腎臓を摘出して患部を除去した後、その患者に戻す自家腎移植も、日本最高の20例の実績。そんなブラックジャック移植医に対して、日本移植学会は小径腎癌の標準治療や自家腎移植を指南する。何かおかしい。

文献
1)堤 寛:「病腎移植」禁止の動きに意義あり、ミクロスコピア 24:200-6,2007.
2)堤 寛:病腎移植(レストア腎移植):知られざる事実。現代医学56:247-54,2008.

つつみ ゆたか 藤田保健衛生大学 医学部 教授. 1980年、慶応義塾大学 大学院 終了 病理専門医。
http://info.fujita-hu.au,jp/pathology1/



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2009年12月 8日 (火)

惚れ込む、という感覚

「あばたもえくぼ」とはよく言ったもので、惚れ込んでしまったら、それが傍目から見てどんなに奇妙奇天烈であって、なんぼ忠告をしたところで、「惚れちゃった」当人は耳を貸しません。(はい、私もその口です。)

これがしばしば、人の心の中に「固まりきった」思いをこびりつかせてしまい、新鮮なものを発見させる妨げになることがあるのも事実です。

ですから、良識的には、
「もう、これしかない!」
という思い入れで物事を見聞きすることはお勧めすべきではありません。

ただ、「思い込み」だけが「惚れ込み」の全てではない、ということさえわきまえられるならば、むしろ、「惚れ込む」のは、どんどん奨められても差し支えないことかと感じます。

音楽の上でいやなパターンは、たとえば
「クラシック以外のものは認めない!」
「フルトヴェングラーの第九だけが絶対だ!」
あるいは
「決まりきったことをやってるクラシックなんて糞食らえだ! ジャズに勝るものなし!」
みたいに、自分の全体で世界の全体を決め付けてしまう恐ろしさでして・・・これがもし(たとえ小規模なサークルの中であっても)社会的な行動を伴うものになってしまったら、音楽活動でさえも・・・それが演奏そのものであれ、受容する立場であれ・・・「独裁・強制」の一種を形作る恐怖を生む点では、他の事象となんら変わりはありません。

あらゆる「思い込み」を捨て去ることは、人間、いや、もっと広く、動物一般にしたって不可能事ではあります。
家猫は野良猫に比べると、むしろ警戒心が強く、同じ家に飼われている猫仲間がいれば、そのそばから離れることに恐怖を感じ、飼い主でもない人間が幾度も可愛いと撫でてやっても、ほとんどなついてくることはありません。野良のほうが、幼いうちは却って人懐こくて、あるとき仔猫がなつかされてむごい殺され方をしたうえネットに残酷写真を載せられる、というかわいそうな事件もありました。しかし、仔猫の時期を過ぎると、それまで経験が活きてきて、これは安全に餌をくれる人かそうでないか、餌はくれないけれど自分を可愛がってくれる人か、自分の仲間レベルか・・・ウチの息子です (^^; ・・・を、ほんとうにジロジロ観察しながら、判断します。・・・私自身はその辺を良く知るてだてには疎いのですが、ウチの息子は人間の友達作りが下手な分、コツとか猫の癖を良く掴んできて、あーだこーだ、あーでもないそーでもない、と私に教えてくれます。息子の話を聞いていると、
「野放しの世界、っていうのは、ほんとうにたいしたもんだなあ」
と、凄みさえおぼえます。

せめて、野良猫ほどの鋭さで、惚れ込む相手には「客観的に」惚れてみたいものです。
世の中に純粋な「客観」というのはありえないはずですから、これは矛盾しないはずです。



私の親しい人にも、いろんな音楽家のファンがいます。
さっきちらっと名前を出したフルトヴェングラーだったり、グレン・グールドだったり、森麻季さんだったり。
内心
「このひとはどうかなあ」
なんて思っていても、そういう人たちの前ではおくびにも出せません。・・・あ、ここに名前を挙げた人たちを私がどうこう思っている、ということではありません! 念のため!
ただし、
「絶対にその人だけがいい!」
とあまりに言い切るようでしたら、そのときは反論することもあります。

思い出に残っているのは、イツァーク・パールマンをめぐって、アマチュアとしては最高のオーボエ吹きでコルアングレ付記でもあった、今は亡きHさんです。
Hさんは足が不自由でいらしたので、とりわけ、似た境遇にあるパールマンが大好きでしたし、そこまでは突き詰めませんでしたが、面識もおありのようでした。
私自身、実はパールマンをとても尊敬していたのですが、Hさんのあまりの入れ込みように、まだ初めて彼に会って間もない頃、ちょっと意地悪を言いたくなりました。若気の至りです。
とある演奏会でご一緒したとき、運よく、酒の席で隣りあわせで座ることが出来、作戦開始。

「パールマンさん、下半身が利かない分、音に体重が乗り切っていないんじゃないですか?」
「何を言うか! そんなことはない! あんな芳醇な音をしているじゃあないか!」
案の定、Hさん、真っ赤になって怒りました。
で、実は、Hさんの主張の中には正解へのヒントがあったのでした。
たかだかヴァイオリンの演奏と思うなかれ、ヴァイオリンの、とくに左手は、力を入れて押さえると音を潰します。あるいは、手の自然な形とは何か、とか、指一本一本のはたらきがどうか、とか分かっていないと(右手は右手で、筋肉力で運弓すると、いわゆる「力弾き」になり、弓の毛が異様に早く多量に切れる・・・これが私の最も威張れないところですが、私なんかもそうです・・・という現象で悪さがはっきり分かったりします)、ネックを握り締めてしまって、弦の振動を止めてしまうのです。そこで、弦の振動を殺さないためには、少なくとも左手で弦をネックと一緒に「握り締めてしまう」ことは避け、指の乗せ方で上手に体重がかかって、しっかりした支点がとれるようにしなければならない。
下半身が不自由、ということは、全身の体重を乗せる上ではハンディキャップになります。
ところが、パールマンの演奏は、そうしたハンディキャップをまったく感じさせない。
彼は神童だったから、といってしまえばそれまでですが、天性だけではどうしようもないこともあったはずで、だから本当は、陰で非常な努力をしたに違いないのです。
Hさん自身も、そういう努力を「無自覚的に」なさっていたのでした。
私が意地悪なことを言ったことで、Hさんは最初、たいへんな屈辱を覚えたはずです。

にもかかわらず、そこで私に激しい言葉をぶつけてから、Hさんは、自分もパールマンも、本当はどれだけ「頑張って」きたのか、ということに、たぶん気づいてくださったのだと思います。
一方で、仕掛けた私は、偉そうに意地悪をしたくせに、パールマンはもちろん、亡くなったHさんの足元にも及ばない演奏(それも、もし演奏と呼べるなら、というレベルで)しか出来ないでおります。

惚れた相手には意地悪をして、こちらをも好きになってもらわなければなりません。

理屈が当たっているかいないか、それこそ
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」
なのですが、おかげで私はそのあとHさんとは信頼関係をもてたのではないか、と、かたくなに信じております。私はHさんという人間性に、最初から惚れこんでいたのだと思います。

家内を失ったときも、いちばんなにくれとなく連絡をくれ、気を使って下さったHさんも、私の家内の数ヵ月後に急逝なさってしまいました。

有名演奏家ではもちろんなく、アマチュア仲間、ということではありましたけれど、私はいつも、これだけは何を言われても譲れません。

「本職さんだろうがなんだろうが、今なお、Hさんにかなうコルアングレの音を出せる人はいない。」

・・・これは、「客観」ではありませんが。

・・・これでは、上で述べてきたことには何の意味も見出せませんね。(^^;

はてさて、私は何を言いたかったのだろう???



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