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2019年3月23日 (土)

カラヤン~N響の『悲愴』(日本のオーケストラのCDを聴く)

YouTubeをはじめとした動画サイトが充実して、CDでなくてもいろいろ聴けるようになりました。それでも私は寝床で何も考えずに聴けるのが一番好きです。

46歳のカラヤンが単身来日しての『悲愴』の録音も、いまやYouTubeで聴けてしまいます。別のカラヤンの『悲愴』演奏も、YouTubeで簡単に対比出来てしまうのには、隔世の観があります。以下の、対比の部分は、ほとんどYouTube頼りです。

ここから少し、本当の前置き。
小学生高学年になった頃オーケストラに魅かれるようになったものの、生で聴けるチャンスは地元の大学のオーケストラ以外にはほとんどなく、小~中~高~大での就学中は当然意のままになるお金もなく、幸いに出た廉価盤LPが曲をじっくり聴けるいちばんの手段でしたけれど、いつも買えるわけではありません。テレビやラジオでのN響さんの放送には、だから本当にお世話になりました。憧れの音楽家との出会いも、最初はテレビやラジオのN響の放送でした。
カラヤン~N響の『悲愴』は、私の生まれる5年前、オーケストラ好きになる15年くらい前の演奏ですが、そんな懐かしさから何年か前にCDを手にとったのでした。
『悲愴』を初めて聴いたのがまた、カラヤンの若い頃のフィルハーモニア管との録音を入れたお買い得版LPだった、ということもあります。

後年、関東勤務になったとはいえ、深夜帰宅の営業職では演奏会に行くチャンスもなく、事務屋に転じて数年で、教員だった亡妻と一緒になり、まだ今ほど共稼ぎや家事育児分担という風潮でもなかったのではありますけれど(そんなことをよそで口にすると後ろ指をさされましたし、よそで言うまでもなく自分にはあまり分担の感覚もありませんでした)、業務多忙な家内のことを思うと「演奏会に行きたい」とも言えず、彼女は十三年前に心臓の急病で死んだのですが、その後心を助けてくれる音楽好きのおかげで、幾つか出掛けられるようになりました。その音楽好きのおかげで、放送でお世話になったN響さんの生を初めて聴けたのも、ほんの数年前のことです。

いまのN響の、私が子供の頃聴いていた響きに比べると、艶やかでなめらかなのには、ただ感嘆しました。何が変わったのだろう、と、生N響を聴く数年前に入手していたカラヤン~N響の『悲愴』を、何度も聴いてみていました。

どうでもいい前置きが長くなってすみません。
以下が、その感じたところとなります。

みんな、いまのN響や他の日本のオーケストラが「巧くなった」と言います。
演奏会聴取経験の薄い私も、学生時分に聴いたいくつかを思い出すと、みんなが言うとおりだ、と心底思います。
じゃあ、以前は「巧くなかった」のか?
もしそうなら、いったい自分は何に魅せられてオーケストラが好きになったと言うのか?
素朴な疑問から出発しました。

カラヤンは正規だけでも10回『悲愴』の録音を残したそうで、疑問を晴らす上では、カラヤン~N響があるので、たいへん良い素材です。https://www.universal-music.co.jp/classics/karajan2014/cat/point/

最初の印象としては、カラヤン~N響の『悲愴』は、長くて曖昧なフレージングが好きだった(のでは、と私が感じていた)カラヤンの指揮下の演奏としては、ずいぶんすっきりめで常識的なフレージングの演奏だな、と感じられたのでした。
これはしかし、1964年、71年、73年にカラヤンがベルリンフィルと行なった録音を聴いてもさほど差はないので、『悲愴』という曲の書かれ方に負うところも大きいのでしょう。
N響との演奏にいちばん近いのは、翌1955年にカラヤンがフィルハーモニア管と残した録音で、とくに金管群の音色感が瓜二つなのには仰天しました。
その、瓜二つの演奏でも、オーケストラから感じる「ゆとり」がフィルハーモニア管のほうにたっぷりあるのは否めません。https://www.youtube.com/watch?v=RivZ-FjS-2E
何の差なんでしょうね。

第2楽章のヴァイオリンのピチカートなんか乱れたりしていて、比べるとき簡単に「技術の差なんじゃないの」と言いいたくなりかけますが、それよりも楽器、とくに弦楽器を弾いている姿を想像するときの、演奏上の「リラックス度」に大きな差がある気がしたのでした。第1楽章がわりと「リラックス度」の違いを聴き取りやすいのですが、最も典型的に聴き取れるのは、終楽章の冒頭部です。ここはご存知のように、基本、ひとつの旋律の音を、音符ひとつずつ、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが交互に弾きます。その旋律といっしょに動く、下の和声を受け持つ旋律がまた、第2ヴァイオリンと第1ヴァイオリンで交互に弾かれます。(ヴィオラとチェロも同じことを分担し合っていますね。)
譜例の載ったブログ記事はこちら↓
https://blogs.yahoo.co.jp/jgda_1960/29557430.html

ここで、1954年カラヤン~N響の演奏の録音では、旋律の1小節めの最後の音がほとんど聞こえなくなってしまっています。おそらくこれは演奏のせいではなくて、録音のされ方のせいではないかと思います。演奏する人たちは、楽譜に書かれたディミヌエンドをよく守っている。でも、録音上は、ディミヌエンドがきちんと守られているせいで、音が聞こえなくなってしまっている。

また、音全般に艶やかさがありませんが、これはたぶん、当時のメンバーさんたちがお持ちになっていた楽器の質によるのかもしれません。私が二十代の頃、お世話になっていたかたに、学生で参加していたオーケストラの録音を新旧聴かせて頂いたことがありました。そのころの直近の演奏の録音に比べると、弦楽器の音が堅く乾いて聞こえるのに、ちょっと驚いたのでした。お世話になっている方が仰るには、「使っている楽器がいまのより歴史の浅いものばっかりだったからね」とのことでした。その後アマチュア活動でいくつかのヴァイオリンを替えて弾かせて頂けたこともあり、うまくは言えないのですが、楽器の違いが音に反映する、ということは実感しています。そしてまた、同じ曲で比べるまでもなく、54年当時と現在のN響のかたがお持ちの、たとえば弦楽器のランクは、経済や物品交流の関係からしても、大きく違っているだろうと思います。弾かない方には信じてもらえるかどうかわかりませんが、私分際が弾ける楽器でも、良い目の楽器とそうでない楽器(使われている板そのものや、板の削られ方に影響されるのでしょうか)では、弾くときの「リラックス度」はけっこう大きく違います。(だからといって、リラックス度の低い楽器でガリガリ弾いてしまうようではアマチュアと言えど「おばかさん」と言われざるを得ないのですが。私はまあおバカさんの部類です。)

演奏の技量そのものはどうなのか。

まぎれもない「プロ」の演奏が聞こえる、と言えます。
フレーズの歌わせ方、低音からの支え方、管楽器群の音色のコントロール、そのどれも、フィルハーモニア管でのカラヤンの設計と聴き比べてみて頂きたいと思います。私は、遜色がないと思います。

カラヤンもベルリンフィルでいれた『悲愴』は随分と流麗になって、N響やフィルハーモニア管と残した演奏に比べると、腕白な立体感とでも呼べるような勢いは後退しているように、私には聞こえます。亡くなる4年前の1984年のウィーンフィルとの録音は独特の「いやらしさ」(笑)があって、若かりし日のものとはかなり違って聞こえるのですが、たぶんこの曲が大好きだったのだろうカラヤンとしては、むしろ一癖ある演奏が実現していることのほうが嬉しかったかもしれませんね。

戻りますと、楽器事情が感じられるものの、ヨーロッパの花形指揮者の要求するスタイルに大変良く応えた演奏が出来たN響は、やはり当時誇るべき日本オーケストラだったのだろうと感じます。
私もアマチュアでずっと弾いて来て、「プロ」というかたと少しはご一緒したりすることもあり、ばかみたいに「プロって何だろう、アマチュアとなんの差があるんだろう、そんなもの本当はないんじゃないの」とガタガタ考えたものでしたが、最近になって強く感じるのは、素人みたいにガタガタ言わず、どんなおバカさんの管理者であったとしても(そういうことがオーケストラの世界にあるのかどうかは[ホントに]知りませんが)「こうじゃないの」と要求してくればタヌキになってでも四の五の言わず要求に応えられてしまう、でもって、いざのときにはぐうの音も出させない意趣返しが見得をきらずに出来てしまう、プロと言うのはそういうものなんだな、と唸らされる機会が増えました。機会が増えてみて考え直すと、これは特段、他の職業で素晴らしい人に会うのと異なることではないのでした。

こういう半世紀前の演奏、そこに掛けるかたたちの存在があってこそ、いまが大きく改善されて聞こえるのだ、ということに、やっと気づいたところかな。。。

N響以外でも、日本のオーケストラの半世紀前あたりの録音を聴きながら、また少し考えてみたいと思っております。良いものがいくつもあります。

人生の大先輩のみなさま、私ごときを音楽好きにして下さって、ありがとうございました。そんな私も、あと数ヶ月で還暦です。悟るのが遅くてすみません。

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