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2018年9月 8日 (土)

モーツァルトのミサ曲(0)

ふと思い立って、モーツァルトのミサ曲を読んでいきたいな、と考え始めました。

彼の作品をひととおり聴いてみたいな、と、ずっと以前に思って、ザルツブルク時代のものについては、そのころほぼブログに綴りきりましたが、ウィーン時代以後のものまでにはいたらず終わりました。
そして当時綴った記事を読み返すと、慌てていて犯した間違いはともかく、そうでないものも、「聴く」というよりは、伝記的事実との整合に追われていて、中身を読むことに疎いままだな、と実感します。

モーツァルトは、既に幼い時から、様々なジャンルで豊富な作品を書いていました。それは誰でも知っているとおりです。
ミサ曲についても、未完成の「ハ短調ミサ曲」を含めて17作書いています。
十代の最後に初めて、アマチュアオーケストラの一員としてモーツァルトのミサ曲に接して以来、私はこの彼のこのジャンルに愛着があるのですが、その内容については未だにちゃんと理解してはいません。
せっかくなので、いちから触れなおしてみようかな、と思うのです。

幸いにして、新モーツァルト全集のスコアが手元にあります。
ザルツブルク時代のミサ曲は第1巻、ハ短調ミサとレクイエム(ジュスマイヤー版)は第2巻に収録されています。
どれくらいかかるか分かりませんが、これを順次眺めて行くことにします。

ミサ曲は、誰の手になる作品でもテキストが共通であるため、他のジャンルよりは理解も深めやすいところもあるかも知れません。
このテキストは、最初の「キリエ」が古代ギリシア語で、以下の「グローリア」・「クレド」・「サンクトゥス」・「ホザンナ」・「ベネディクトゥス」・「アグヌス(アニュス)・デイ」はラテン語です。
古代ギリシア語もラテン語も、学習上は、日本語と同じ「高低アクセント」です。しかしながら、音楽作品としてのミサ曲を理解していく上では、作曲家たち、はこれらの言葉に対し、高低アクセントでの曲付けはしていません。
グレゴリオ聖歌を聴いても、そのメロディライン(旋律線)は既に、言葉の高低アクセントの線に添ってはいません。デュファイなどの古い作曲家によるミサ曲でも同様です。
この面からも「ミサ曲」は、古代からのではなく、自分の文化を確かに持ち始めたヨーロッパの伝統を体現したジャンルになっていることが伺われます。
有り難いことに今も文庫で読める、ゲオルギアーデス『音楽と言語』(原著は1954年)が、ミサ曲をもって巨視的な考察を進めていたのも、当然のことだったのかな、と感じます。
いま、読んでいこうとしているのはモーツァルトに限られるわけですが、そんな狭い視野からも、私自身の西欧文化理解に何か新しい目を開いてくるものが生まれて来たらいいな、と、ちょっとだけ期待しています。

「ハ短調ミサ」と「レクイエム」を除けば、モーツァルトがミサ曲を書いた時期はザルツブルク在住期間に限られるのですが、そのことがかえって、モーツァルトの成長過程を明確にしてくれるのではないかな、とも思うのですけれど、それは進めていってからでないと分かりませんね。

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