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2018年2月 9日 (金)

【読書・鑑賞案内】ヴィヴァルディ『四季』雑談続き/バートン編『バロック音楽』

ヴィヴァルディ『四季』の話を続けます。

このあいだは「春」の聴き比べをしてもらいましたが、「夏」のことを通して、楽譜について少し述べます。

『四季』はたいへんなロングセラー作品ですが、同じトップセラーの「『メサイア』やモーツァルトの『レクイエム』、ベートーヴェンの第九(これらは作曲者の自筆譜が残っています)と違って、原典資料がほとんどない」、と、高名な学者で優れた音楽家だった故クリストファー・ホグウッドが述べています。
『四季』はヴィヴァルディの自筆譜が発見されておらず、20世紀になって出版されるようになったスコア(全部のパートが書いてある楽譜)は、どれも、1725年に印刷されたパート譜(Le Cène ル・セーヌによる)を元にして作られたものです。幸いにして、このパート譜は現在ネットでダウンロードできます[IMSLP http://imslp.org/wiki/Il_cimento_dell%27armonia_e_dell%27inventione,_Op.8_(Vivaldi,_Antonio) ]。
このパート譜には、現在私たちが手に入れることのできる現代版総譜に書き込まれているコメントが既に全部入っています。
コメント、というのは、たとえば「春」の第2楽章でのヴィオラに “Il Cane che grida”(吠えている犬)とあり、ヴァイオリンのソロに “Il Capraro che dorme” (まどろんでいるヤギ飼い~羊飼いじゃないんだわ!)とあったりするように、「春」に付随するソネット・・・おそらくあとから作られたのでしょう・・・の、前回引いた翻訳だと11行目の「忠実な番犬をかたわらに、羊飼いはまどろむ」が音楽の中ではこのヴィオラとヴァイオリンで表わされているのが分かる仕掛けになっています。伴奏のヴァイオリンは「草木のやさしいささやき」になるわけで、これも “Mormorio di Frondi, e piante” と、ちゃんとコメントされています。

こうした情景的なコメントの他に、演奏の仕方に関わるものが稀に出て来ます。
中でも「夏」の第1楽章のヴァイオリンソロ(31小節目)にある “tutto sopra il Canto” は大変重要なものです。

Estate

この箇所、(鳥の)カッコウがけたたましく鳴くさまを描写しているのですが、日本語版の全音のスコアを見ると、“tutto sopra il Canto”はカッコウの歌を指すかのように読めてしまいます。たしかにCantoはイタリア語では「歌」を表わす語彙です。
ところが、37小節目まで進むと、今度はヴァイオリンソロのところに “sopra il Cantino” というコメントが、あらためて入ります。これはいったい、前のコメントとの兼ね合いを、どう理解したら良いのでしょう? 「Cantinoの上で」?。
辞典を引くと(イタリア語のね!)、Cantinoは弦楽器の第1弦を表わす語彙です。してみると、“sopra il Cantino”は「第1弦で弾く」、すなわち、ヴァイオリンならばE線で弾く、ということになります。その前の“tutto sopra il Canto”が有効な場所(31~36小節は、したがって、E線では弾かないわけです。すると、Cantoは、奏法の観点から書かれたコメントだとすると、どうやら「歌」を表わすものではない。
ベーレンライター版スコアでは、“tutto sopra il Canto” は ”all on the A string” と英訳されています。これが正解です。31~36小節は2番線で弾くわけです。残念ながら、日本版スコアでは、このように弾く旨のコメント訳はついていません。

Baroque_2 この箇所の、この弾きかたについて、ヴァイオリニストのアンドルー・マンゼが『バロック音楽 歴史的背景と演奏習慣』(アントニー・バートン編 角倉一朗訳 音楽之友社 2011年第1刷 3,000円+消費税)という本の中の執筆担当箇所で触れています(p.98)。https://www.amazon.co.jp/dp/4276140625/

「・・・ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの4本の弦は(低い方から)basso、tenore、canto(直訳すれば「歌声」)、cantino(「小さな歌声」)、ないしはそれらと似た名前で呼ばれた。」(p.101)

この『バロック音楽』、3冊のシリーズ物で、他に『古典派の音楽』・『ロマン派の音楽』が出ています。
それぞれの時代に音楽やその演奏法がどうとらえられていたか、を広く知るには絶好のものです。ほかにこの手の解説をしてくれている本は、日本語ではまずありません。学生さんには少し高いかも知れませんから、文庫や新書のように気軽に勧められるかどうか、と迷ったのですが、『バロック音楽』の巻だけでも、せめて共同出資して回し読みするのでもなんでもいいので、いちど目を通してもらえたらいいと思っています。
3つのどれもが同じ構成で、「歴史的背景」~「記譜法と解釈」~「鍵盤楽器」~「弦楽器」~「管楽器」~「歌唱」~「原典資料とエディション」という章立てになっています。歴史的背景と原典資料の章はもちろん必読ですが、「私は弦楽器しか弾かないから」あとは弦楽器の章だけ読めばいい、と済ませるのではなく、どうぞ、全部の章をお読みになって下さいね。
『バロック音楽』からいろいろ拾い出したいことがあるのですが、あまりに多岐にわたるので、今回は諦めます。音楽というものの全体像にもう少し話がひろがったときにしますね。すみません。

戻って、『四季」をめぐって、もう少しだけ話があります。
長くなりますが、次へのつなぎに大切なことですので、喋らせて下さい。
(あ、目で聞くおしゃべりですから、シャットダウンは自由にできてしまうわけですけれども。)
上のマンゼが説明している「夏」の部分の演奏法(それはしかもベーレンライター版スコアにも明記されているし、『四季』の最初の印刷譜に、おそらくはヴィヴァルディ本人の要求として記されている)を、いくつも聴いた『四季』の録音の中で実施しているのは、残念ながら、とても悲しいことに、マンゼだけです。マンゼの演奏で聴くと奏法の狙いをはっきり感じとることができますので、出来たらこれも是非耳にして下さいね。CDは前回紹介しています。

実は、『四季』には、パート譜出版の翌年にヴィヴァルディのお父さん(!)によって書かれた手書きパート譜があって、そのことはベーレンライター版スコアの解説でも触れられています。その筆写譜を研究して新たに作られた版での演奏、というのもCDがあり、これがもう、聴くとなんなんだか訳が分かりません(笑)。ヴィヴァルディはたいへんな技巧の持ち主だったようで、この筆写譜には、印刷されたパート譜よりもはるかに複雑で難しいソロが書かれているそうです。新版での演奏というのの録音が、しかし、ごく普通の部分でも従来とはかなり違った激しい演奏をしているので、筆写そのものをどれだけ再現して聴かせてくれているのか、皆目見当がつきません。先ほどの「夏」の箇所は出版されているスコアの指示には従っていません。そのへんもなんかよく分かりません。

このCDです。

            Vivaldi: The Four Seasons & Concertos RV.221, RV.311, RV.496, RV.501<期間限定盤>ラ・セレニッシマエイドリアン・チャンドラー

http://tower.jp/item/4627671/

4947182111994 なんだかんだ言って演奏も面白いのですが、ついている解説がまたすこぶる面白く、バロック音楽とは何であったか、を、ヴィヴァルディに即してよく教えてくれますので、今回の最後に解説のその部分を訳してみます(すぐ誤訳するから英語のまま載せた方が良いのかもですけど!)。

Invention、またはInventioというのは、修辞学上の5分野(※記事末尾参照)のひとつでした。画家はこの概念をその絵画作品へ霊感を描きこむのに使いましたし、作曲家は同様の手順を「形態(フィグーラ、音楽上では「音型」のこと)」を発展させて着想や情緒(アフェクト)を似通った方法で表すための手段としたのでした。おそらくこの技術を、ヴィヴァルディは「調和(アルモニア)と発想(インヴェンツィオーネ)の試み」なるタイトルで引き合いに出したのでしょう。そのように見てみると、ヴィヴァルディのオペラ作曲者としての手腕が『四季』には加味されている、と明らかになります。『四季』の諸作に含まれるたくさんの主題(テーマ)は、バロックオペラのアリアの類型の中に見出せます。鳥(春(1)、夏(1)・・・括弧内は楽章)、嵐(春(1)、夏(1-3) )、眠り/まどろみ(春(2)、秋(2)、冬(2))、狩り(秋(3))、そして戦争(冬(3))。これらに加えて、聴衆と理解し合うための工夫としてオペラ作曲者が(感覚に相対して)用いた様々なアフェクトや概念も見出せます。自然さ、穏やかさ、信仰、愛、憂鬱、希望など。これらのアイデアで、ヴィヴァルディは、よりいっそう、この協奏曲集全体にオペラ的音響構成を施し得たのです。
(Adrian Chandler リーフレットp.7から)

じっさいヴィヴァルディは10以上のオペラを残しています。残念ながらオペラそのものを私は聴いたことがありません。それでも、『四季』のうちの「春」の冒頭部分が彼の手になるオペラ “Dorllia in Tempe”(全曲がYouTubeに上がっているようですが、ちょっと聴き通す時間がありません https://youtu.be/mByETAFibBQ) の序曲の最後に現われるのを耳にして、『四季』とオペラの密着度を知ることは出来ました。

序曲を埋め込んでおきますので、最後の45秒くらいを聴いてみて下さい。


ウケます?
なんか、とってつけたようですね。でも、当時はウケたんでしょうね。これ、オペラの冒頭の合唱・・・やっぱり「春」のメロディになっている・・・に続くんですね。

以上はヴィヴァルディの場合についてでしたが、バロック音楽全般が、Chandler氏の解説の通用するような様相を示していた、と言うことは出来るかと思います。
すなわち、ルネサンス期の、内輪向け的な響きの音楽に対して、バロック音楽の最大の特徴は、劇場的であったことではないか、と私は思うのです。
これは、バロック音楽がオペラの誕生とともに始まる、と音楽史の本に書かれていることとも軌を一にするかと思いますし、その証拠としてモンテヴェルディの作品をあげることも出来るのです・・・が、この次はそこからいったんずれて、古代人の音楽観に触れてみるつもりでいます。ルネサンス〜バロック以降、という枠から当面そんなに離れるつもりはないのですけれど、「音楽とは何か」という、そのおおもとのところを、私たちはよく見つめておくべきではないか、と考えているからです。
懲りずにつき合って下さいますように!

【追加】
上で触れた「手書きパート譜」によって、いままで耳慣れていたのと最も違うのでビックリする箇所のスコアを載っけておきます。
Primavera 分かります?
このとおり実行した演奏を、上のCD以外にまだ知りません。
ご存知のかた、ぜひ教えて下さいね!


※:発見(inventio)、配置(dispositio)、表現法(elocutio)、行為(pronuntiatioまたはActio)、記憶(memoria)
ロラン・バルト『旧修辞学 便覧』(沢崎浩平訳 みすず書房 初版1879年 新装板第1刷2005年 原著1970年)の順番によりました。バロック音楽当時までの修辞学全般の歴史や内容について日本語で読める唯一の本と言っていいと思います。修辞学に興味があったら覗いてみて下さい。音楽上の修辞学というものは限定的であることに気付くかと思います。版元品切れの状態らしいですが、運が良ければ本屋さんで新装版が手に入ります。もしくは、もっと安く古本で買えます。
https://www.msz.co.jp/book/detail/07127.html
後日また参照するかも知れません。

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