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2018年1月 6日 (土)

【読書・鑑賞案内】皆川達夫『バロック音楽』

Minagawabaroque私が子供だった昭和40年代(西暦の1965〜1975年くらい)あたりから、日本史や世界史を何巻にもわたって網羅する本が、たくさん出版されました。太平洋戦争・第二次世界大戦の敗北を経て、旧来の価値観を捨てることを余儀なくされることと引き換えに、それまで神代に始まるとされていた日本史観から人々が解放されたこと、その後も近隣の国々で変わらず続いていた戦争状態がだんだんと収束に向かい、先に戦争状態から逃れていた日本人が少しは外国を冷静に見る目が育ち始めたこと、などが、その背景にはあったのかも知れません。

同時に、いろいろな分野について、1冊の文庫や新書で、易しくも網羅的に解説した入門書が、新しい常識を引っさげて、いろいろ登場しました。哲学の概説書も含め、経済学や心理学関係、盛んに言われ出した情報処理に関するもの(パソコンがありませんでしたから、紙のカードを活用しなさい、というものでした)が多かったかと思いますが、『象形文字入門』(エジプトのヒエログリフの由来や読みかたを広く浅く紹介したもの)だの『楔形文字入門』だの(こちらは単独言語の文字ではないために読みかたの入門とまではいきませんでした)もありましたし、ギリシア悲劇の慷概を紹介したものや、ダンテの『神曲』、ボッカチォの『デカメロン』に平易な散文訳を施したものなど、歴史・文学方面でも手軽で面白いものが結構ありました。

そうした著作物の刺激もあったのかなかったのか、その後は専門性の高い内容のものが次第に増え、ついに素人が深いところへ立ち入れる入口を提供してくれるまでになってきました。
そうなると、こんどは、以前のような、網羅的な「常識」を手軽に教えてくれる本は、新刊では、あまり見かけなくなりました。入門書段階で深いところにまで触れるのがあたりまえになった結果、誰もに共通する、網羅的な「常識」なるものが、幻になってしまったかのようです。

今では『デカメロン』は全文訳が河出文庫になっており、『神曲』はやはり河出文庫に新しい訳がある上に、講談社学術文庫でさらなる新訳が進んでいて、概説書ではなく原作そのものの訳文で触れるのが普通になりました。関連図版を豊富に差し挟むなど、面白く読めるようにはしてあるのですが・・・河出文庫の『神曲』ならウィリアム・ブレイクの版画が盛りだくさんです、ブレイクをご存知ですか?・・・、その分、しかし、敷居も高くなりました。

こんな環境下、網羅的な入門書を見つけようと実際に手にとると、最近出されたものにも面白いものはありますけれど、私の主観で「これならいいかな」と感じさせてもらえるのは、主に昭和40年代に出ていたものの復刊です。例えば、先ほど上げた『象形文字入門』・『楔形文字入門』共に、子供の頃の私の好奇心を駆り立ててくれた良い本でしたが、現在は講談社学術文庫で復刊されています。最初の代表的な多数巻編成だった中央公論社『日本の歴史』は、最近になってもまだ、中央公論新社により文庫本のかたちで何度も復刊されていて、現在ではその内容がもはや決して最新の成果でも歴史観でもなくなっているにも関わらず、いまなお歴史好きなかたたちの心を掴んで離しません。述べるところが本当にまだ有効かどうか、は一旦措くと、これらの本からは、昭和期後半の「共通常識」が、強い芳香を放って読者に迫ってくるのです。

無駄な前置きが長くなってしまいましたが、やっと本題に入ります。
(ホントは、こんな前置きなどしないで、まずは気軽に読んでみて、と言うつもりだったのですが・・・学生さんなら、まあ、考えつつ手にとって下さるほうが先々いいんじゃないかな。)

初回としてご紹介する、皆川達夫『バロック音楽』もまた、講談社現代新書で1972年(昭和47年)に出版されたものでした。私は、出たての頃に新書で読みました。今読めるのは、2006年、講談社学術文庫で復刊されたものです(1,150円+消費税)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4061597523/

この『バロック音楽』という本の性質を捉えていただく上で、ここまでおしゃべりしたような時代背景も知っていて下さるといいかな、と思っています。皆川さん(ご長寿で現在なご活躍中です)による本書の網羅性には、やはり、書かれたその時期が強く反映されていますし、再び復刊して読まれる意義は、共通常識が失われた今、なる時代を抜きにして考えるわけにはいかない、と、私は思います。

とはいえ、以下の紹介を綴るにあたって、それを念頭に置いて下さるか、下さらないか、は、お委せします。他の本も手にとってみて下さることを通じて、上のような私の捉え方が正しいか間違っているかまでを、いつか厳しく判定して頂けたら、とても幸せですけれど、まずは、この本の特徴である、易しい網羅性に、是非触れて下さい。

前置きで頭がこんがらがっているなら、いったん忘れて下さいね。

ポイントは、この本から、いちおう誰の胸にも響く「共通常識」が、強い魅力で迫ってくる、ということです。ですので、日本人として、初めて広く「バロック音楽」を理解したいとき、この本がもっとも手軽な、あとあと重宝する知識を与えてくれるだろう、と思います。

本書の構成は次の通りです。

・著者が考える「音楽とは何か」
・ヨーロッパ音楽史概観とバロック音楽の特徴略説
・バロック期の楽器と代表ジャンル(宗教音楽・オペラ)の概説
・イタリア、フランス、イギリス、スペイン、ドイツのバロック音楽紹介
・バッハとヘンデルの紹介と次代への影響概説
・バロック音楽と日本人
・バロック音楽史小辞典
・バロック音楽史年表

各国のバロック音楽の紹介(5〜9章)は、室内楽で多様な作品に触れて来た人には特に、その作品、作曲者の位置づけを、はっきりさせてくれるでしょう。それだけでも大きな意味があります。巻末の小辞典は、小辞典と言うには、かなり小規模ですが、年表と並んで、いつも備忘で目を通す上で、たいへん適切な資料です。

紹介の章や小辞典、年表を通じ、おそらく新鮮な気持ちで目を開かれることになるだろう各々の音楽の位置づけは、前に戻ってヨーロッパ音楽史の概観(1・2)、当時の楽器や主要ジャンルの紹介(3・4)を確認しなおすことで、読む人の心の中で、奥行を増すことでしょう。
それらについて、細かいこと、詳しい内容は、読めば分かることですから、あえて拾い出して述べることはしません。是非、実際に読み通して下さい。

冒頭章の「音楽とは何か」は、必ずしも掘り下げられた記述になっていません。人が「音楽とは何か」をどう考えて来たか、は、追々、別にご紹介します。ここでは皆川さんが「ベートーヴェンだけが音楽じゃない」とお述べになった背景に、本書出版当時は、クラシックと言えばベートーヴェン(1970年が生誕200年だった影響もあったかと感じます)あるいはモーツァルトばかりが聴かれていた日本の事情が影を落としている、とだけ言っておきます。

バロック音楽の特徴を述べている2章のなかで、講談社学術文庫版では55〜58ページに載せてある、小さな楽譜の例、模式図、は、今後いろいろな読書や鑑賞を進める上で、とりあえずいつも念頭に置くようにすると良いと思います。特に58ページ上部に描かれた模式図は、古典派(19世紀)以降に主流を占めるようになった、和声主体の音楽と、それ以前の、旋律主体の音楽と、お互いの違いを、くっきり理解させてくれる道標になります。・・・また混乱させてしまいますが、実はバロック音楽と括られる音楽作品は、それより前の作品に比べて、既に和声の音楽の特徴を色濃く持つようになっているのです。でも、そのことはまず、バロック音楽(17〜18世紀)と古典派以降の音楽の差が、少し体にしみついた後で理解すればよいことです。

結びの「バロック音楽と日本人」章は、カラオケの普及でオンチを自称する日本人が減り、これもやや事情が変わったかと感じます。
ただし、
「いや、わたしはオンチで、音楽はサッパリ……」
と答えていた人たちが、
「いや、カラオケなら歌えるけど、難しい音楽はイヤで……」
のように答えかたを変えただけで、皆川さんのおっしゃる
「いつまでも観念が先行してしまって、音楽を心でとらえ、音楽を音楽として享受するにいたっていない」
事情は、まだまだ同じままであるように思います。
この結びの章では、最後に、皆川さんが取り組んで来られた16世紀末以降の日本のキリシタン音楽・江戸期の洋楽の研究の中から、『サカラメンタ提要』、江戸期に長崎出島のオランダ商館で行なわれていた奏楽、の手短かな紹介がされています。こちらについては、詳しい紹介の書籍が別にあります(『洋楽渡来考』、CDとDVDも付いています)ので、興味が湧いたら覗いてみて下さい。

本書でバロック音楽の大枠を知ったら、同じ皆川さんの『中世・ルネサンスの音楽』で、もっと前の音楽にまで視野を広げるのも、とても良いでしょうね。やはり小辞典と年表が巻末にあります。

https://www.amazon.co.jp/dp/4062919370/

大枠を知り、概観を得る、なることよりも、もう少し突っ込んだ姿勢で中世ヨーロッパ音楽に触れられる本があるので、次回はそちらをご紹介するつもりです。

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