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2017年10月

2017年10月 7日 (土)

歌の本懐〜青木純さんのカンツォーネ(ライヴ 10月3日 青山 Barにて)

歌の本懐は、心の垣根を越え、崩すことではないでしょうか?

人は好むと好まざると、生まれてから死ぬまで社会的な何かを抱え、簡単なことを難しく考え、難しいことを簡単にやりすごしながら暮らします。

歌に心をかたむけることは、そんな暮らしを、ことばの豊かな流れに、ゆうゆうと浮かべる時間を得ることである気がします。
しかもそれは、ひとりひとりが「何を思い、どう考えているか」を超えるのです。

歌うこの人・歌を聴くその人・向こうでリズムを取り出すあの人、それぞれにそれぞれの違った暮らしがあり、どの暮らしも、互いに別々です。なのに、本当の豊かな歌の前では、別々の暮らしが、ただひとつの歌のことばの中に吸い込まれていくのです。不思議さを覚えずにいられません。・・・してみると、究極の歌はブラックホールなんではないかい?

ブラックとは真逆なのが、ラテン系の歌ですね。
蛇足ながら、ブラックホールの色はブラック、というわけではありませんけれどね。(光が無いんだから、無色なんでしょうね。)

極めつけに燦々と輝くカンツォーネを、表参道のバー R40 で聴いて参りました。

ギター片手にお歌いになったのは、イタリア連帯の星騎士勲章の受勲者である名テノールの青木純さん(http://www5f.biglobe.ne.jp/~jun204/stay.html ブラジル移民100周年行事にもご出演なさっていたのですね!)。
家内を亡くして途方に暮れていた頃の僕が、「お寿司屋さんで歌う」とのご案内に魅せられて、子連れで台東区のお寿司屋さんで拝聴してから、確かめましたら7年経っていました。当時高校生だった娘も、中学生だった息子も、お寿司がどんなだったかは忘れてしまっていますが、青木さんのお声はずっと忘れずにいて、ときどき家族で、あのときの楽しくて素晴らしかった時間が会話になっていたのでしたが、世のしがらみを泳ぐ方が先で、青木さんのお歌をもういちど、の機会を見つけかねていました。

最近、ひょんなことで、ようやくチャンスを手にしました。

ワクワクしながら出掛けまして、ほのぼのをかみしめつつ帰宅しました。
男前さはもちろん、とても伸びやかな美声も、調べに悠々と乗る豊かな抑揚も、まったくお変わりのないのには、ただ脱帽でした。

青木さんのご工夫は、主にナポリのカンツォーネ(カンツォーネ・ナポレターナというのだそうです。講座に出てくる普通のイタリア語とは違うのですね)を、日本でなさるときには、ご自身も工夫なさった日本語でワンクール歌って、それからナポリ語で歌って、で、歌の内容が分かるようにして下さるところにあります。意味も分かるけれど、言葉の音が歌に対して持つ響きの違いもはっきり分かる(日本語は高い音に対しては喉声を要求するところがあるのかな、とは、前から漠然と感じていたのではありましたが、高音でも日本語を巧みに処理なさる青木さんの歌唱を拝聴していて、より明瞭に理解できたように思います)。

でも結局、おいしいお酒で酔っぱらっているうちに、ことばがどうの、ということなんか、なんにも考えないで聴いている自分に、ふと気付くのでした。
でもって、分かっていないはずのナポリ語の歌のところで、ついホロッとしてしまっていたのでした。
席をすっかり埋め尽くしていたお客さんも、ノリノリになったり、しんみりしたりしながら、どなたも目をキラキラさせて・・・って、私はいちばん後ろにいたので想像ですが! しかしあの力の入った前のめり体勢では間違いないでしょう・・・聴いていらっしゃいました。

青木さんは6月にナポリで本場もんの人たちを前にしてカンツォーネのリサイタルをなさってこられて、私家盤でいらっしゃるのでしょうか、ネットには出ていなかったのですが、そのときの映像をDVDにしたものをご持参でしたので、それを求めさせて頂きました。そのカヴァー裏には、当のナポリの、ばりばりナポリ人のご夫人が感涙にむせんでいる姿が写っていました。
彼女のそのときの気持ちが手にとるようにわかります。
同じ思いでした。

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