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2017年9月30日 (土)

素晴らしかった「プラハ」〜紀尾井ホール室内管弦楽団を聴いて

オーケストラが好きで良かったなあ、と思う演奏会を拝聴しました。

環境が必ずしも許さないので、たくさん聴きに行くことは出来ません。たまに、誰かが行けなくなったのを代わりに聴きに行けるようになりましたので、そうしたチャンスに伺うのです。
それが大抵大当たりなので、まあ、幸せです。
紀尾井ホール室内管弦楽団(旧称:紀尾井シンフォニエッタ)も、ときどきそんなチャンスに恵まれて、何度か聴くことが出来ています。
ライナー・ホーネックさんが指揮なさったりヴァイオリンを団員さんといっしょに弾いたりなさるのを聴けたのは、3回目でした。

まさに、三度目の正直でした。

モーツァルト3曲プロの真ん中に置かれた「プラハ」での一体感には、心底埋もれました。
久々に、
「ああ、初めてオーケストラを目の前にしたとき、こんなだったなあ」
との気持ちがよみがえりました。
「プラハ」交響曲は、硬く厳しい序奏で、
「さあ、これから私が歌うのを、心して聴けよ!」
と私たちに向かって気難しく語りかけるところから始まります。
ああ、序奏が終わった、ここからか、と身構えている私たちを、けれども、かっくりコケさせるように、歌はサラサラと柔らかに歌い始められます。
歌はしかも、こちらを正面から見ることなく、エンジン音のしない、軽い二人乗りの乗り物に乗って、ふうわりと浮かび上がるように始まり、そのまま疾駆して行ってしまいます。聴き手は音楽の景色の移り変わりから置いていかれてしまうのです。

「ああ、やられたぁ・・・」
と思っていると、後ろの席に座った老年男子が、連れて来た女性に向かってひそひそ声で、
「これはモーツァルトの仕掛けでね、こういうふうに書かれていてね」
と話しています。
いいから今は黙ってろよ、知ったかぶりをしているあんただって、もうしっかり置いてけぼりを食らってるんだよ、と、ちょっと怒鳴りたい気分でした。
でも自分がこれ以上音楽に置いていかれたくはなかったので、ひそひそ声には耳を塞ぐことにしました。

私自身が、これまでさんざん、この音楽はどういう仕掛けで、ということを追いかけてきました。これからも折に触れてそれをするでしょう。
でも、まさか「いまここで音楽が歌っている・語っている」ときにまで仕掛けがどうのと捕われようとは思いません。そんなことをするのは、自分が進んで音楽の「今」から外れることなのだから、と、今回ばかりは痛切に感じました。

音楽は、鳴っているそのとき、実は必ずしも聴き手を向いてくれてはいません。
演じ手も「お客様に喜んでいただく」ことは大事ですが、もしお客がちゃんと喜ぶとすれば、それは演じ手がむしろご自身のすべてを音楽に向けているから、それをお客である私たちが心底感じられるから、なのではないかな。

「プラハ」のAllegroに入ってからの「お客には目線を向けず一直線」の仕掛けは、楽譜を見れば誰にでもすぐ分かります。ヴァイオリンのテーマがニ長調の主音から始まるにもかかわらず、背景の弦楽の和声が下属和音である(ト長調)ために、五度上に向かっての浮遊感を生み出しているのです。それが序奏部の謹厳なニ長調〜ニ短調と鮮やかな対照をなす、という理屈です。
しかし、理屈は理屈であって、お芝居の脚本だ、という以上のことはありません。
序奏だけを見ればまた、内部では別にひとつの調にとどまっているのではなく、ああだこうだともんどりうっている。さすが「プラハ」と縁があるだけあって、『ドン・ジョヴァンニ』のクライマックスシーンそのものです。オペラ好きでなくてもモーツァルト好きなら、「おお、あそこの『地獄行き』場面が鮮やかに見えるわぃ!」と大喜びしてしまいます。ほんとうはそこで、作曲者の罠にすっかりはめられて、こちらが地獄に落されて、すぐあと、音楽だけが勝手に天に向かって行くのを指をくわえて見せつけられるのですけれど。

そんな「プラハ」に誰がした?

ホーネックさんと紀尾井のみなさんが、でした。

芝居に思い入れるように、交響曲に思い入れが出来たのが、ほんとうに幸いでした。

過去、紀尾井のアンサンブルは必ずしもホーネックさんと一体ではなく、不自然さにくすぶる思いで終演後の席を立っていたものでしたが、それがまったくありませんでした。いま、それ以上のことをうまく言えません。途中、セカンドヴァイオリンがおそらく自主的意図的に「古楽」的な色合いを挟んだようでしたが、古楽的ではないストーリー造りのなかでは果してどうかな、と首を傾げたくらいでした。それもしかし、芝居の色づけとして楽しめた気がしております。

後半にホーネックさんがヴァイオリンでリードをとった「ロドロン第1」ディヴェルティメントでも、紀尾井の皆さんが彼の演奏技術にピッタリ寄り添っていて、味わい深く聴かせてくれました。
最初の「ファゴット協奏曲」は紀尾井にも御所属の福士さんのソロも巧みで名演でした。ただ、これは聴き手の私の好みの問題で、この日に限らず、いま演奏される協奏曲って、なんだか遊びが無くって硬い気がしてなりません。たくさんお出かけのかたは、そうではないものも目の当たりになさっているようで、それは羨ましい限りです。

2017.9.22-23(私は22日を拝聴)
紀尾井ホール室内管弦楽団 第108回定期演奏会
指揮・ヴァイオリン:ライナー・ホーネック
ファゴット独奏:福士マリ子
コンサートマスター:アントン・バラホフスキー

モーツァルト
ファゴット協奏曲 KV.191
交響曲第38番 KV.504(「プラハ」)
ディヴェルティメント第10番KV.247(第1ロドロン・ナハトムジーク)

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