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2017年3月17日 (金)

【音楽史読書】1.シュメルの神話のなかの音楽(4) 演奏スタイル

ブログですし、前回までを含め、お気楽に綴っているので、どうか硬くお捉えにならないで下さいね。あらかじめお願い致します。
んで、今回はまた文字ばっかりです。お退屈様ですが、せめて昔話のお好きな方におつきあいを頂ければ幸いです。


・シュメルの音楽に「調」はあったのか
・シュメルでは歌はどんなふうに歌われていたのか(器楽はさておき)
・歌はどんな「様式・形式」で構成されていたのか

を見てみたいと思います。


【調性などによるムードの伝達】
限られたものの収録とはいえ、『集成』に収められた文学には、「讃歌」・「哀歌」・「挽歌」・「悲歌」のようなジャンルがあって、訳文のタイトルは研究者が付けたものですが、多様ながら内容の類型があるために、こうしたジャンル分けも可能になっているようです。全部が歌われたものではなかったかも知れませんが、歌われたものであったならば、文学ジャンルの内容に応じて歌われ方が違ったのだろうか、というのが、次の関心ごとです。すなわち、近代の洋楽が長調と短調の差で、あるいはリズムや今日弱で気分の差を出したようなことは、シュメル人の王朝の時代にはあったのでしょうか?

使う楽器やその叩き方で、ある程度ジャンルの区分があったかもしれない、とは、『シュメル神話の世界』にある、ご研究者の次の記述から想像しています。
シェムもアラも打楽器の一種で、祭礼で盛大に打ち鳴らされティギは礼拝奏楽に用いられることが多い。」(p.314)
また、「ウル滅亡哀歌」の第2キルグ(『集成』では「幕」と訳す)に「哀歌が激しい」、第7幕に「激しく泣いた」、等々のリフレインがあること、「まるで浄らかな太鼓でもあるかのように、彼女は自分の胸を打ちたたき」の表現が見られることから、「哀歌」が歌われたときの様子は少し想像できます。
近代洋楽の長調短調的なものはなく、それ以前の、主音の位置の違う、いわゆる教会旋法的なもの、もしくは日本の雅楽の調のようなものならば、あったかも知れない気がします。
7音音階が使われていた、と仮定するならば、調の存在は絃楽器、とくに主要な楽器であったリラが7弦を基本としていることから類推されます。弦の数が11本のものもありますから、音域としては日本の雅楽の調に似たものをカヴァーはしていたかもしれません。日本の雅楽の場合は、旋律楽器である篳篥の音域が狭いものの、「調」は多様です。とはいえ、弦数の標準が7本だったらしいことを考慮すると、多様性を想像しすぎることは出来ないかも知れません。

文学ジャンルというより演奏様式を示すのではないかと思われる「ティンパニー歌」が、神の賛美に用いられたかと思うと(「イナンナ女神の歌」はティンパニー歌である、と、この歌の末尾に明記されています)、賛美の音楽も哀歌、嘆きの歌に転じることがあると受け止められている(「ウル滅亡哀歌」360行、初回の抜書きの(19))ことからも、歌の調性自体には、ムードなどに対して明示的なものは、なかったのではないでしょうか。このことは、むしろ調性の多様性があったことを疑わせる材料になるかと思います。


【歌唱法】
「激しい」との表現からは歌唱法の具体像は描けません。
(17) 心を楽しませる(楽)器の太鼓やタンバリン、ティンパニー
の「心を楽しませる」も、奏法の具体像まで知らせてくれるものではありません。
唯一、格言に出てきた次の文だけが、具体的な歌唱法を窺わせてくれます。
(29) 歌い手がたった一つしか歌を知らなくても、
 彼の<顫音(せんおん)>がすばらしければ、彼はまさに歌い手だ。
「顫音」の原語が分かりませんから、日本語ではこれがトリルやトレモロを表わすのだということだけをヒントに、現在の民族音楽辺りにヒントを探しますと、クルド人の歌唱の中に、数種のトレモロ唱法を聴き取ることが出来たりします。クルド人はシュメルの直系の子孫ではないでしょうし(後のメディアの子孫だ、と称しているようです)、現在の音楽が直接に古代の歌唱法を示しているのではないでしょうから、想像の域を出ないのではありますが、西アジア地域にこのような歌唱法が残っていることを勘案すると、シュメルの声楽はトレモロをつけること、あるいはヴィブラートをかけることが上手の条件とされたのでしょうか。
歌が悲しいものであるときには
「(16)まるで浄らかな太鼓でもあるかのように、彼女は自分の胸を打ちたたき、「ああ、私の町よ!」と叫ぶ。」
のようなこともあったのであすから、直立不動で歌うというのではなく、内容に応じて演技的なふるまいをするのであったかも知れません。

器楽については、器楽のみの演奏があったのかどうか分かりません。
「(03) 三日三晩が過ぎ去ってから/彼女の使者ニンシュブルは/[2行略]/(丘の上で)彼女のために嘆き/玉座の間で太鼓を打ちならした。」
のような記述もありますから、打楽器は何らかの合図のためにそれだけで鳴らされることはあったようです。


【様式・形式】
文を拾い出したとき、併せて丸数字で拾った注釈を中心にして、様式・形式の観察ができます。

「不明な記号」
①~解説[この物語が書かれている粘土板文書の左欄(中略)この欄には、’a-a-a-a-a-a’とか’ku-ku-ku-ku’、’maś-maś-maś’などと楔形文字で書かれている。これが何を意味するのか、まだ不明であるけれども、おそらくは音符あるいは時には歌い方の指示であろう。](p.246)
ギルガメシュ叙事詩の粘土板にも何らかの記号がある、と別の本で読みましたが、どんな記号化の記載がなかったので比較が出来ません。この解説にあるものだけだと、せいぜい日本の謡本のゴマ点のようなものが連想される気もするのですが、何とも言えません。

「交互に歌う」
(09)      この物語は交互に歌い合うものである。 144行
②~解説[この物語の冒頭および末尾にある bal(-bal)-e(-dam) という術語によって、この物語は、登場人物に扮する人々が交互に歌い読む、ないしは演じたものであると思われる](p.272)
交互に歌い合うものである、とある「ドゥムジとエンキムドゥ」は、次の登場者が入れ替わりでセリフを述べる(歌う)作りであり、②は、それに対する自然な解説です。
語り手ウトゥ神(兄)~||:イナンナ女神(妹)ウトゥ神(兄):||(8セクション)〜語り手ウトゥ神(兄)イナンナ女神(妹)語り手牧人ドゥムジ語り手農夫エンキムドゥ牧人ドゥムジ農夫エンキムドゥ語り手
最高で5人、最低ではおそらく2人の歌い手が交互に演じることの出来る作りになっています。
日本の能のように、語り手が地謡であり、シテがイナンナ(前ジテ)とドゥムジ(後ジテ)を演じ、ワキが前半はウトゥ神を、後半は農夫エンキムドゥを演じる、のような構成であったとしても面白いなあと思います。もちろん、想像の域を出ません。

「サギッダとサガルラ」〜二部構成(④)
『集成』では「イナンナ女神の歌」と「ババ女神讃歌」にこの語が現われ、後者の解説にはぞれぞれ[サギッダ=「長い絃楽器?」 ここでこれが演じられたものであろう。]・[サガルラ=絃楽器の一つ。ここでそれが演奏されたのであろう。]との注があります。けれども『シュメル神話の世界』ではサギッダに「賛美歌」、サガルラ(サガラ)に「答唱」の訳語を当て、楽器との関連は述べていません。いずれにしても、「交互に歌う」式の延長線上にある形式のようです。ただし、入れ替わり立ち替わりになるのではなく、サギッダが前半、サガルラが後半、の二部構成です。「ババ女神讃歌」では「ウルビ」と称するコーダが付いています。

「イナンナ女神の歌」では、サギッダ、サガルラのそれぞれに明確な詩形式があって、解説でもこのことが述べられていますが、訳文でも形式感が充分わかります。
サギッダは、abab形式です。たとえば
冒頭4行の訳文が
 ・・・産んだお方よ。
 ・・・あたえられた。
 ・・・産んだお方よ。
 ・・・あたえられた。
最終4行の訳文は
 ・・・登ってくると、
 ・・・もたらす。
 ・・・登ってくると、
 ・・・もたらす。
という具合です。
サガルラはabcd形式です。
最初の4行の訳文は
 ・・・発するお方よ、
 ・・・歓呼して、
 ・・・打ちこわす。
 ・・・殺してしまう。
次の4行の訳文も
 ・・・発するお方よ、
 ・・・歓呼して、
 ・・・打ちこわす。
 ・・・殺してしまう。
終わりから8行目からの訳文は
 ・・・あなたのために闘う。
 ・・・身体をおおっている。
 ・・・産み給う。
 ・・・誉め称える。
そして最後の4行の訳文も
 ・・・あなたのために闘う。
 ・・・身体をおおっている。
 ・・・産み給う。
 ・・・誉め称えます。

しかしながら、「ババ讃歌」の訳文にはこうした定型はみられません。
サギッダの最初の8行はひとかたまりのようですし、以降は4〜3〜4〜3〜4〜4の行数ずつのかたまりのようです。それぞれ、神に捧げる褒め言葉になっています。
サガルラは神の行動を4〜3行で述べたあと、神の威信がより高まるようにとの祈りが重ねられ、最終3行が冒頭4行に対応するかたちで終わります。
ウルビはサガルラの冒頭を補強するような内容で短く終わります。ウルビの意味は注や解説からでも分かりません。
サギッダとサガルラの間に、サギッダへの返し歌と称する1行のみのセクションがあります。あたかも日本の万葉集の、長歌のあとの短歌形式の返歌のようです。サギッダ全体を締めくくる内容となっています。

「ババ女神讃歌」がサギッダ(・返し歌)・サガルラ(・ウルビ)と拡大しているものの、「イナンナ女神の歌」と「ババ女神讃歌」に共通するのは、骨組みがサギッダ・サガルラの大きな二部構成であることです。拡大形式は「ウルの滅亡哀歌」に見られるキルグとの関係が深いかと思われます。キルグのあとには最終の第十幕を除いて返し歌があるからです。2例だけでははっきりしませんが、言葉の展開の仕方に、サギッダは反復、サガルラは延長とでも呼んでいいような特徴があるのかも知れません。もっといろいろ見たいところです。原語を勉強しないと無理かな。

ここまで、能だの万葉集だのと挟みましたが、形式感が似ているというだけの話で、もちろん、直接関係があるとは言いませんし、思ってもいません。

「キルグ」〜拡大構成
③~解説[この哀歌は全体が十一幕に分けられている。今「幕」と訳してみたが、実はシュメール語ではキルグといって、たぶんこれは各章を歌い終わったあとで、それに対して答唱するグループに向けて、または何か、誰かに向けて軽く礼をすることをさしているのだろう。] p.278

『集成』中では「ウルの滅亡哀歌」だけに見られるキルグですが、『集成』の中では③に引いた通り「幕」と訳されており、『シュメル神話の世界』ではキルグで区切られたそれぞれのセクションを順に第1歌、第2歌、・・・と呼んでいます(「シュメルとウルの滅亡哀歌」、『集成』の哀歌とは別のもの)。いずれも、キルグの語で区切られるまでの各セクションは、セクションごとにひとまとまりの歌になっていますので、第○歌、という捉え方は正しいものだと言えるでしょう。しかし、各セクションを近代演劇の幕に例えてみたくなるほうが面白く感じます。「ウルの滅亡哀歌」を読むと(あるいは心の中で自分なりの節で歌ってみると)、それぞれのセクションがそれぞれひとまとまりの内容を持ちながら、次のセクションと有機的に繋がっているため、作品全体のムードに緩急があり、クライマックスとその後の沈潜も見事にあるのです。
キルグ自体は③で言われているように返歌を答唱するために待つ群などに対し何らかの礼などをする仕草をさす言葉なのかも知れませんけれど、これを今『集成』の訳通り「幕」としておくと、「ウルの滅亡哀歌」は、ざっと次のような構成です(私の勝手な要約です)。
第1幕(歌)神々がウルの神殿を見捨ててしまった、その羊小屋が空になってしまった。
第2幕(歌)町には激しい哀歌ばかりが、いつ果てるとも泣く続くばかり。
第3幕(歌)ウルを襲ったのは(襲撃という名の?)嵐であり、ウルの人々は涙に沈んだ。
第4幕(歌)ウルの神の制止にも関わらず、神々がウルに破壊の運命を決めたのだった。
第5幕(歌)悪風の嵐がウルを席巻する。
第6幕(歌)嵐の後には、惨殺された人のたくさんの死体、廃墟となった町が残った。
第7幕(歌)ほろんだ町、失った家を思って泣く、ウルの都市神。
第8幕(歌)人々は都市神を慰める。
第9幕(歌)町を滅ぼした暴風への、合唱ふうな怨みの歌1。
第10幕(歌)町を滅ぼした暴風への、合唱ふうな怨みの歌2。
第11幕(歌)ウルの町の復活を願う祈り
直接の対比は出来ませんが、あるいはキリスト教のレクイエム曲の構成感に似ている、と言ってもいいのかもしれません。
「ウルの滅亡哀歌」、「シュメルとウルの滅亡哀歌」共に、最終歌を除き、各「幕」のあとに返歌(答唱)があります。これは、サギッダとサガルラから成っていた二部構成の考え方がが、さらに拡大されたものだと捉えていいように思います。

総じて、前2000年前後のシュメルの歌唱は、2人以上の人が交替して歌うことにより、演劇的な内容にまで立ち入ることが可能になっていた、との印象を受けます。交替して歌う人たちは、あるいは登場者を演じ分け、あるいは場面を演じ分け、あるいは前に歌われた内容に短く応答し、【歌唱法】のところで想像したように、それぞれの役割にかなったかたちで、演技的なこともしたのかもしれません。


ちょっと前ふりですが・・・
アッシリアなどの時代はシュメル人の活躍より遥かに後代ですから、シュメルの音楽と一緒くたに見ることは出来ません。けれども図版の他に庶民にお手軽な野次馬材料もなく、500年刻みで次を、というわけにもいきません。であれば、シュメルとその千年後の違いを、いずれ旧約聖書あたりに題材を求めてみて見るしかないのかなあ、と思っています。そして、旧約聖書の舞台となっている時代にメソポタミアと並んで大きな影響を与えていたのはエジプトです。後代を見るためには、次はエジプトを見ておくべきなのかな、という気がしてきています。

そちらへ移る前に見ておかなければならないこととして、シュメルの音楽をどのような人々が荷なったのか、が、とりあえずシュメルをめぐる最後の関心事です。
この次それを見るところまでやってみようと思います。

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