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2015年4月23日 (木)

「能の学校」授業ノート〜今シリーズ仕上げ?:『鉄輪』鑑賞!

山中迓晶先生「能の学校」今シーズンのゴールは、先生の『鉄輪』本番を鑑賞することでした!

で、4月19日の梅若能楽学院会館での演能を拝見してまいりました。
上手に述べることは出来ないのですけれど、浅い感想を綴ります。

前の月にあった五十五世梅若六郎三十七回追善能と合わせ、私にとっては新婚当時(22年前!)以来の観能で、とても楽しみに伺ったのでした。

3月の追善能のときに比べると、わりと若年のかたが地謡に加わっていらしたり作り物を運んでいらしたりしていたので、若い人からベテランのかたまで幅広いプロ(とその卵)のかたの修練の場でもある催しなのでしょう。こういうのもいいなあ、と感じたのでした。

最初は川口晃平さんのシテで『巴』。補習の時の山中先生のレクチャーもあったので、謡本を開きながら見せて頂きました。・・・でも結局、面(おもて)に見とれて終わった気がします。好きな孫次郎の面だったのでした。
木曾義仲の最後を女武者ともえさんの霊が語る能『巴』は、修羅物では女武者を主人公とする唯一の能なのだそうで、とくに後半は戦いの場面を再現して長刀をふるったりするのですが、川口さんの舞いぶりはそんなところでも女性的な丸さを失わず素敵だったと思います。

狂言は『蝸牛』。山本則俊さん扮する「カタツムリと勘違いされて太郎冠者に連れて行かれる山伏」が名人芸で、カタツムリとはどんなものかも知らない太郎冠者の山本則秀さん、その主人の若松隆さんのすっとぼけぶりも堂に入っていました。山伏が太郎冠者に謡わせ、しまいに太郎冠者の主人もつられて謡わされることになる囃子の謡は、中世に子どもたちがカタツムリを(競争させようとしてだったのでしょうか)囃し立てるのに謡われていた俗謡だそうなのですが、中世が眼前に愉快によみがえるおもむきがありました。

次いで『西行櫻』ですが、西行を演じるワキが宝生閑さんなのが私にとっては目玉でした。宝生閑さんはDVD化されている能の映像にもお若い時からのお姿がたくさん登場なさっているので、じかに拝見出来るのにわくわくしたのでした。他の皆さんゴメンナサイ!
で、能を幾つか拝見していると、ワキのかたのお役って、名乗ってその場の状況を説明してシテの登場を期待するみたいなカタチがあるように思えてくる(『鉄輪』のようにそうではないものもいくつもあるのは承知をしている)のですけれど、宝生閑さんはカタチを意識させず西行さんという存在を自然に感じさせてくれるので、それだけでぐいぐい惹き付けられる思いがしました。
面は、詳しいかたに教えて頂いたら「白色尉」とのことでしたが、これが不思議に生き生きとした艶を放っていてビックリしました。掘り出されて久しぶりにつけてもらえたのだから喜んだのだろう、とのことでした。

休憩後に仕舞『賀茂』・『網ノ段』・『鵺』が舞われました。『鵺』では珍しい「流れ足」が見られるとのことでしたので、そればっかり一生懸命見てしまいましたが、もちろん『賀茂』も『網ノ段』も素敵でした。とくに『網ノ段』は能『桜川』のなかからとられた段物で、行方知れずの娘の桜子を探す母の情が舞に結晶して独特の美しさがあるのでした。その独特をどう表現すべきか分かりません。・・・舞いは情動を曲線で表すことはありませんから、あの凛とした線だけでなんで哀感がにじみ出てくるのか、私にはまだ不思議でなりません。

最後にいよいよ、われらが山中先生の『鉄輪』です。
観世喜正さんのDVDが出ているのですが、その映像は、断り書きはないものの、たぶん観世流の小書き「早鼓」にしたがっていて、特殊演出なのです。そのうえ橋掛りが後ろにもある特設舞台で、地謡は正面後方にいるし、最初に登場するアイが笛座前に座ったりするし、特別なことだらけです。それはそれで僕らのような何も知らないものが見るのには大変面白いのですが、特殊演出ではない『鉄輪』はどんな感じなんだろう、と思っていました。
予想していたのよりずっと静かで、そのぶん内にこもった激しさがあったのでした。
もちろん、激しさはワキの安倍晴明が念じるノットのところから後ジテが現れて呪う相手の男(と後ジテに錯覚されたヒトガタ)、後妻に襲いかかる場面には背筋が寒くなる凄みがしっかりとあります。前半で、アイ(貴船の神官)が様相の変わって行く前シテに恐怖を覚えて走り去るところでも空気は急に冷たくなるのです。様相はもちろん実際に変化する訳ではないのですけれど、手の運びのご工夫や(型としてあるものなのでしょうか、そうではないんじゃないかな、と考えながら眺めていました)体の急激な緊張に見ているこちらまで髪の毛が逆立ってしまった気がしたのでしたが、中入りで沈静化されたピリピリ感は気の滅入るような緊張を見るこちらに沈潜させるのでしたし、最後のトメでは復讐かなわず退散するシテが霊として気化して行く蒸発感を、煙を見送るような自然さで持たせてくれたように思います。
最後に救いがないので、すべてが終わった後でめでたい謡で締めるのでしたが、それでほんとうに見ているこちらの緊張もとけるのだ、と実感しました。凄いことでした。
面は「霊女」だったのでしょうか? 橋姫でも生成でもありませんでした。良い面でした。

ほんとに、へたな感想文ですみません。

全体を通じて、お囃子の人たちがなんであんなにピッタリ揃い、またシテの舞いにしっかりフィットするのか、理屈の想像がつきかねて圧倒されました。このことをもっと喋ってみたかったのですが、力尽きました。

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