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2015年3月19日 (木)

どなたにも読んでほしい『小学校からの英語教育をどうするか』(柳瀬陽介・小泉清裕 共著)

芸ごと系ではない記事を。

私は英書を読む時もわからない単語はすっとばして・・・20〜30%はすっとばしてるんじゃないでしょうか?・・・読む、人がしゃべってる英語はほとんど分からない、しゃべるとなるとテキトーでたらめ、という、トンでも英語なやつです。
だのに、なんでだかよくわかりませんが、よく英語で道を聞かれます。
「where, Washington Holtel?」
「うーん、あ、そうだわ、ゴーストレイト! んでつきあたったらターンライト! ユールックアップゼア、したらばユーファインドシップライクホワイトビルディング、ザッツワシントン!」
「Oh, Thank You !」
ってな具合で、なんでこれで通じてるんだかこれまたよく分かりません。
あ、でももともとの質問の英語が文法的な形にはまっていないことから分かりますように、聞いてくるかたは英語のネイティヴスピーカーではありません。中国や東南アジアや、インド系でもヒンドゥじゃないんじゃないかな、と思われるかた、という感じかな。

まあ、こんな状況下でこんなデタラメで、思い出し笑いするくらい楽しかったりするのですが、じゃあこれでいいのか、と思っているかというと、まったく思ってはいないのです。もう少しちゃんとしゃべれる力があったら、もっと楽しいコミュニケーション、あちらのかたにきちんとお役に立つトークが出来るんですよね。

折しも「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」なるものがあって、次の東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年には、英語教育は小学三年生から始まって、教科としては小学五年生から取り組まれることになるのだそうです。英語ダメダメの私なんかから見たら「スゴいじゃないか! 素晴らしい!」となっちゃいます。

Dousurueigo 「いや待ちなさい」
の声が、このささやかな本のスタートです。
目次を目安にこの本の警告を私なりの言葉にしますと(不適切または私の理解不足があるかと思いますので、あらかじめお許しを乞います)、

・これまでの英語教育は「引用ゲーム」つまりお手本のおうむ返しを強いるものが多く、柔軟なコミュニケーション力をつけられる代物ではなかった

・反復的トレーニングが中心だったため、言葉本来のもつ情感を体得し得ない場合がほとんど

・テストの点数のような数値で習得の達成度が測られる傾向により個々人の主体的人格が見失われることにもつながりやすい危うさがある

このようなひとつひとつの問題点を、日本の現状や国政の動向に即しながら炙り出して、これでいいのか教育、を読者に深く考えさせてくれる。

私が勝手に、これが柱かなあ、と受け止めたのは

「こころ」とは「からだ」を感じていることであり、その「こころ」を言語(私注:英語、ではなく、私たちが使うことば、という広い意味でのもの)によって拡張したものが「あたま」(p.12)

という視点です。
私が学生の頃の心理学では「こころ」は「あたま」にある、との説が最有力で、私なんかそんな本ばっかり購読で読まされてうんざりしちゃって勉強を投げ出したのでした。あのころこの発想を自分が持って、自分自身の目をひっくりかえすだけの熱意をきちんと持っていたら良かったなあ、と、このことばを前にして大いに反省してしまったのでした。

「こころ」とは「からだ」を感じていること

とてもいい命題です。

英語教育をめぐる諸問題は、この「こころ」が「からだ」を感じられていないこと、「こころ」に「からだ」を感じさせられないことから発しているのだ、との豊富な例を、本書は小著ながら濃縮して豊富に私たちに見せつけてくれます。
英語関係者ではない私のお友達に、是非読み取ってほしいのは、そこのところの機微です。
機微に「ははあん」と頷けると、あげられている英語教育例が別のジャンルにもはびこっていることにまで視野が広がると思います。

先に私の例であげたとおり、私たちが日常英語で接する「外国のかた」は英語を母語にする人たちだ、とは限らず、そうでない人の方が圧倒的に多い。
そういう現実を見据えないまま、外国語と言うと英語一辺倒になりつつあることについての危惧も、本書ではちょっと述べられています。そもそも英語を学ぶ、英語を話す人格だって画一的なものではあり得ない。
こうした多様性の中で、いよいよ本格的に小学校から始められることになりそうな英語教育を、失敗に終わらないようにするためには何を考えなければならないか。

取り組みかたの答えの数例が、最後の章で著者の豊富な経験から述べられているのですけれど、それはまさに「からだ」を感じられる「こころ」を子供たちがそれぞれのアイデンティティの中でそれぞれなりに育んでいくにはどうすべきか、を、著者が真摯に見つめて来た結晶を覗き見させてもらえるものになっています。

私の変なご紹介より、どうぞぜひ、本書を手に取ってじっくりお読みになっていただければと思います。

岩波ブックレットで520円プラス消費税、60ページほどの冊子ですので、手軽です。

もうすこし多様な具体例、細かな問題提起は、著者のお一人柳瀬さんも監修に携わられた『英語教師は楽しい』で27人もの現場の先生方がお述べになっています。英語関係者でも教育関係者でもない私は先にこちらを涙しながら拝読して・・・それぞれの先生がそれぞれの環境(普通中高だったり実業系だの定時制だのだったりもろもろ)で苦しみつつ探し出した「楽しい」は、全然別世界に生きていても、ヘタな小説より心打たれます・・・、いっぽうで、それを違う立場なりにどう消化したらいいのかに戸惑いも覚えていたのですが、今回出たブックレット『小学校からの英語教育をどうするか』を読むことでやっと少し入り口が見えて来た気がして来たところです。

ほんとうにへたくそなご紹介で汗顔の至りです。
が、私たちが「考える人」であるために、本書は大変有効な一冊になります。
かさねて、ご一読を強くお勧め致します。

小学校からの英語教育をどうするか (岩波ブックレット)
http://www.amazon.co.jp/dp/4002709221/

英語教師は楽しい―迷い始めたあなたのための教師の語り
http://www.amazon.co.jp/dp/4894767074/

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