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2014年12月27日 (土)

「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」(「いま」を聴く〜古典を入口とする場合)

クラシック音楽ファンはどうしても「1945年以前」の呪縛から抜け出せませんよね。

売り場を飾るCDやDVDは、アーティストこそだんだんに新しい人は加わりますが、作品は、オーケストラものだとモーツァルト、ベートーヴェン・・・ブルックナー、マーラー、という感じ。
「ショスタコーヴィチはもっとあとの年代ではないか」
と言われるかもしれませんが、いまだにいちばんよく聴かれる交響曲第5番は1937年の作品ですし、彼の交響曲は第9番までが1945年以前作です。

そのうえ、交響曲と名付けられるこの曲種じたい、学者さん評論家さんたちが揃って
「20世紀で終焉を迎えたか、役割を終えつつある」
と述べている類いのものになりました。(*)

室内楽やピアノ音楽、声楽のファンだと事情は異なってきますけれど、オーケストラ音楽ファンは、学者さんや評論家さんがなんと言おうと、どうしても「交響曲」と名がつくものに食指が伸びます。

「現代音楽」作家にも「交響曲」はないのか。
これまた、交響曲がお好きな方はご存知の通り、無くはありません。
新しいものは新しいものなりに高く評価なさっている方も少なくないかと思います。

ですが、いまは、新しいものにはどうしてもまだ、と思っているかたのほうを前提にしますし、何を隠そう私自身にその気が無いとも言えませんので、ちょっと毛色の違うものを採り上げてご紹介します。

19世紀の交響曲作家・作品を取り入れた新作交響曲に、ヴォルフガング・リーム(1952年生)Symphonie “Nähe fern”というのがあります。全曲は2012年初演、CDは2013年に出ています。バリトン独唱の入った短い第2楽章(リームの旧作の、やはりブラームスの引用をふんだんに行なったものに基づく・・・Amazonの内容紹介文も参照)の他は、近過去、とでも言うのでしょうか、ブラームスの4つの交響曲からのモチーフをちりばめて独自に仕上げてあるので、ブラームス作品に馴染んだ人には面白く聴けるかもしれません。オーケストレーションも美しいと思います。(http://www.amazon.co.jp/dp/B00A6U5BL2

いやあ、やっぱりどうもこんな、(ロマン派好きとしては)馴染めない響きでブラームス像が歪められるのはなぁ、とお考えになるようでしたら、20世紀前衛の中でも大家と言われていた一人、ルチアーノ・ベリオ(1925〜2003)による、シューベルト未完作の、わりと素直な編作(1990)をお聴きになってみるのもいいでしょう。

ニ長調交響曲(D936a)は、シューベルトが1828年に手がけ始めたものの、彼がこの年のうちに亡くなってしまったため完成に至らなかったものだそうですが、どの程度まで書かれていたのかは私のような素人の手元資料では分かりません。補筆版はたとえばブライアン・ニューボールト(Brian Newbould)という人が第3楽章までを仕上げ、ネヴィル・マリナー指揮Academy of St Martin in the Fieldsが第10番として録音したものが出ていたりします(マッケラス指揮でも出ている由)。

ベリオの編作も同じ第3楽章までのものです。
が、ベリオの面目躍如なのは、各楽章の、おそらくシューベルトが書き上げられなかった部分に対する処理方法です。そうした箇所になると、とたんにオーケストレーションを近代的にし(チェレスタが入ったりする)、音模様ももやもやとぼかして、聴き手に
「ここはね〜、残念だけど、シューベルトの原稿には無いんだよ〜。だから夢で聴いてちょうだい」
と、やんわり伝えてくれるのです(この言い方であっているのかどうか知りませんけど)。シューベルトの未完部分の規模がどうやって推測されたのかは分かりませんが、ベリオがそういうぼかしを施している箇所は楽章の冒頭部だったり(第2楽章)、再現部にあたるはずなのになぜか復元されていなかったり(第1楽章)、で、長短様々です。あるいは個別パートを細かく追いかけていくとパートの中もぼかしが聞き取れたりするかもしれません。(http://www.amazon.co.jp/dp/B0009JAENK/ リンクしたシャイーの指揮によるCDはベリオのOrchestral Transcriptionsの集成ですので、他にパーセル、バッハ、ボッケリーニ、ブラームス作品にベリオが施した音響【すでに聞こえていたもの、ベリオが編作の過程で内的に聴いたもの】を味わうことが出来ます。)

ちょっとベリオが長くなっちゃいましたが、「未完成部分は整った美しさで補完しなければならない」みたいな従来の補作の考え方へのアンチテーゼであるところに「いま」らしさがあります。補完姿勢は従来のものが現状も(例としては古めですがモーツァルト「レクイエム」のバイヤー版などのように)踏襲されているのが一般的ですから、ベリオの見せている「いま」は、むしろ音楽創作の全般に現れている思潮の色合いが濃いと見るべきでしょう。
ベリオによるこのSchubertのrendering for orchestraはYouTubeにいくつか演奏例がアップされていますので、ひとつ埋め込んでおきましょう。

Aldo Ceccato/Orquesta Sinfónica de Radiotelevisión Española  1995
37分19秒

http://youtu.be/gzAj5wm2c6E

いやいや、編作ではなくて、やっぱり「古典」を活かした新作がいいんだ! ただ出来ればリームみたいに重たいのじゃないほうがありがたい! という場合。
とどめの逸品が日本人の作にあります。

2007年にいずみシンフォニエッタが「第九」をやるとき、その序曲に出来るような新作を、というので西村朗氏に委嘱し、出来上がったのが、ユニークで楽しい、
「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」
でした。
日本人のベートーヴェン交響曲好きの急所をよく突いた明るい浪花のおっさんの音楽になっています。
タイトルから分かる通り、この小交響曲は、第九を除くベートーヴェンの8つの交響曲、そのすべてからモチーフを引用した4つの楽章から成り立っています。第九の前座だから第九は入らない、というだけでも、委嘱の意図を充分汲み取り、聴きにくるだろうお客さんのニーズにも応えた、心憎いまでのマーケティングを施してあります。
この先がしかし、創作として凄みがあります。
第1楽章には、ベートーヴェンの8つの交響曲の、各第1楽章からしかモチーフがとられていません。
第2楽章には、同じく各第2楽章からしかモチーフがとられていません。
第3楽章、第4楽章またしかりです(「田園」第5楽章のモチーフは第4楽章にはめ込んであります)。
さらに心憎いことに、第3楽章と第4楽章は切れ目無く続けて演奏されます。・・・ベートーヴェンが第5、第6で打ち立てた創作方法を踏襲してみせているわけです。
こんだけふんだんに、しかも適所にベートーヴェンからのモチーフ・方法を配置していながら、出来上がった音楽の構成がまったくユニークになっている。しかも演奏時間11分程度。
この密度の濃さが作品を聴きやすく親しみやすくもしながら
「ああ、なんだか昔聴いたはずなのに新しい!」
という奇妙な満足感を聴き手にもたらしてくれます。個人的にはリームを凌駕してるんじゃないかなとヨイショしたい気持ちでいっぱいであります。
ここまであげてきた中で、いち押しです。
日本のベートーヴェン交響曲フェチなら必聴です。
音を載せられないのが残念!

「いずみシンフォニエッタ大阪 プレイズ 西村朗 沈黙の声(西村朗 作品集 17)」
http://www.camerata.co.jp/music/detail.php?serial=CMCD-28290
http://www.amazon.co.jp/dp/B00GA7GJ20

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* 交響曲の変遷史は大崎滋生さんが精力的で大いに賛美されるべき「文化としてのシンフォニー」シリーズで捉え続け、最近とうとう『20世紀のシンフォニー』で実質の完結を迎えたのではないかと思います。 http://www.amazon.co.jp/dp/4582219667/ これには当然1945年以後の交響曲もたくさん登場するのですが・・・)

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